はてなキーワード: 連合国とは
単純な話で、日本は枢軸国側で、ナチス政権ドイツと同盟国だったのだから、ドイツのホロコースト(ショアー)をコメディのネタにする資格が無いと、国際社会から見做されているだけの話だと思う。例えば、刑事事件や人身事故の加害者の親族が、その事件や事故を笑い話のネタにしていたら、被害者の親族も怒るでしょ?
それに対して英国は、ドイツと戦っていた連合国側だから、たとえモンティ・パイソンでコメディのネタに使っても、暗黙の了解で「批判的な立場からネタにしている」と解釈されるのだと思う。
とはいえ、モンティ・パイソンだって、全く批判されていないと云う訳ではない。ただ、英国は長年に渡る実績を積み上げて「ジョークの為なら命も惜しくない、頭がおかしなライミーたちの国」と云うイメージを構築しているし、英国王室から貧乏な庶民まで万遍なくネタにするからね。
それに比べれば、日本の自称・毒舌お笑い芸人は忖度だらけだから「笑い」に掛ける覚悟が英国と日本では月とスッポンだと思う。ギョウカイの偉い人を「流石ですねえ!」とか持ち上げて、接待ゴルフみたいな真似してる奴らばかりじゃん。
まあ、私は野村萬斎・椎名林檎・MIKIKOの演出を観られなくなったと知った時点で、東京五輪は観ないと決めたので、この機会にモンティ・パイソンのDVD-BOXを観て過ごそうと思う。
米軍は昭和二十一年四月、『日本陸海軍の情報部について』という調査書を米政府に提出している。その結言のなかの一節をまず紹介しておかねばならない。
「結局、日本の陸海軍情報は不十分であったことが露呈したが、その理由の主なものは
- 軍部の指導者は、ドイツが勝つと断定し、連合国の生産力、士気、弱点に関する見積りを不当に過小評価してしまった。(註、国力判断の誤り)
- 不運な戦況、特に航空偵察の失敗は、最も確度の高い大量の情報を逃がす結果となった。(註、制空権の喪失)
- 陸海軍間の円滑な連絡が欠けて、せっかく情報を入手しても、それを役立てることが出来なかった。(註、組織の不統一)
- 情報関係のポストに人材を得なかった。このことは、情報に含まれている重大な背後事情を見抜く力の不足となって現われ、情報任務が日本軍では第二次的任務に過ぎない結果となって現われた。(註、作戦第一、情報軽視)
- 日本軍の精神主義が情報活動を阻害する作用をした。軍の立案者たちは、いずれも神がかり的な日本不滅論を繰り返し声明し、戦争を効果的に行うために最も必要な諸準備を蔑ろにして、ただ攻撃あるのみを過大に強調した。その結果彼らは敵に関する情報に盲目になってしまった。(註、精神主義の誇張)」
と結んで、これが米軍の日本軍の情報活動に対する総評点であった。
あまりにも的を射た指摘に、ただ脱帽あるのみである。以上の五項目は、戦後四十年経った現在でも、まだ大きな教訓的示唆を与えている。
…読んだときぐうの音も出なかったわ。
その世界の米国は、原爆もロケットもコンピュータも発明していない。
アインシュタインもフォンブラウンもフォンノイマンも米国にいないから。
科学者を囲い込んだナチスは結構強く、欧州の連合国は負けそうになる。
なので米国が太平洋戦争のリソースを欧州に振り向けナチスを全力でぶっ潰す。
結局史実と同様にヒトラーは地下で拳銃自殺する。ナチスドイツ滅亡。
一方米国が欧州にリソース振り向けたことで日本は太平洋戦争を善戦する。
「これこのまま勝っちゃうんじゃないかな?」と思ったら、広島と長崎に原爆を落とされる。
あと君等は慰安婦問題を語る時はいつも、韓国は嘘つきだ韓国が韓国がーと騒ぐが、
どうしても日本政府だけを叩きたいがために、逆を言えば被害者たる元慰安婦の方々ことなんてどうでもいいから
「戦時性暴力」という概念で戦わずに帝国軍軍部の強制性を論点にしたことじゃないのか?
なぜなら「戦時性暴力」を論点にすると連合国も韓国政府そのものも批判対象になる
日本人にも被害者がたくさん存在することは証拠などなくても戦争とは何かということを誠実に考えることができるなら誰にでも推測できることだ
第二次大戦後のベトナム戦争を始め朝鮮戦争や中東で起きる紛争など対象範囲は際限なく広がる
だが、その戦時性暴力こそが事の本質であることは揺るぎない事実だ
それはリベラルな価値観に真摯に向き合っている人なら誰もがわかること
サヨクが攻撃対象を恣意的に定めるために真実の被害者や弱者を蔑ろにするのはネトウヨのバカさを上回る間抜けでしかない
日本のサヨクなどが支援してきた韓国の正義連が元慰安婦の方々を撒き餌ぐらいにしか思っていないことは証明されてしまったじゃないか
ネトウヨがこういうバカを言うことにだけ反論しておけば、サヨクの無謬性は失われないと思っているのか?
サヨクの欺瞞は散々に暴かれているのにネトウヨをスケープゴートにすれば、どうにか無かった事にできるような問題じゃないんだよ
いつもは反ホロコースト否定論活動報告みたいな投稿してるけど、ちょっとだけ視点を変えてみようと思った。
地球平面説の広まりを知ったのは、Netflixにある「ビハインド・ザ・カーブ」を何年か前に見た時くらいからだと思う。いわゆる、トンデモ説を信じる人が昔から絶えないのは知っていたけど、まさか地球平面説を現代で信じる人がいると言うのは私にとっては衝撃的だった。科学万能の時代に生きていて、スマホには当たり前にGPSを使った地図アプリがあり、毎日の天気予報には観測衛星のデータが使われ、そんな人工衛星が宇宙ゴミになるほど衛星軌道上に存在してて、海外旅行では時差を合わせなきゃならないし、ネットを使って海外の人とリアルタイムでやりとりすればこちらは昼でもあちらさんは夜なんてよくある話――と地球が球体でないと考え始める理由が見つからないほど文明人全員が地球が球体だと知っていると思っていた。
そんなフラットアーサーたちが拒否する考え方である「地球が球体である事実」を何故、現代文明人のほとんどが受け入れているのかをアーサーたちに言わせれば、それは「NASAの陰謀」らしかった。アーサーたちは例外なく、たくさんの他の陰謀論を信じている。9.11は当然アメリカ政府の陰謀だし、人類は月へなど行ってないし、イルミナティだのロスチャイルドだのシオンの議定書だのと言ったよくある陰謀説をいくつも信じている。もちろん、ホロコーストだって連合国とユダヤ人による陰謀だ。アメリカン・アーサーのオキニの映画は『トゥールーマン・ショー』である。理屈的に言えば似たような発想である『マトリックス』にならないのは、正直、知性の問題だとしか思えないわけだが、アメリカン・アーサーの直感にピッタリなようである。(ほんの少しだがレベルが上がるとマトリックスの「白ウサギを追え」が合言葉になるQアノンになるけれど)。
どうも、それはないようである。アーサーにも色々な人がいて、積極的に「地球は平面か球体か?」を科学的に調べようとする人たちもいる。200万もする高精度ジャイロを使ったり、あるいは遠距離でレーザービームを飛ばしてカーブを調べようとしたりするのだけど、自分達で調べておいてその「球体である」と証明されたはずの実験結果を都合よく平面説の方に合わせてしまうのだからわけがわからない。私は、ネットを通じて何人かの人に聞いてみたのだけど、一様にその回答者全員が「信仰を変えさせるのは無理」との返事だった。都合の悪い様々なエビデンスは無視するか、何かが間違っているからだとか、都合よく解釈して平面説に無理やりに合わせてしまうので、どうしようもないらしい。
何故そうまでして平面説にこだわるのかを聞いてみると、直感に反するから、だけのようである。例えば、科学的に説明される「地球は赤道上で時速1700kmで回転しており、太陽の周りを時速10万8000km、太陽系自体も銀河系を時速85万kmで移動している――だなんてアンビリーバボー!」なんだそうだ。確かに、そんな速度で動いていたら人間はひとたまりもなく吹っ飛ぶ説を覆そうとすると、それらが相対速度であったりすることを「科学的に」説明しなければならなくなるので、アーサーの知性の方が早々に吹っ飛んでしまうだろう。
そんなアーサーは海外だからこそ見られる現象なのかなと思っていた。特にアメリカは、進化論を否定する人たちが大勢いることもよく知られているし、アメリカ人はアメリカこそ世界の中心だと思っている人も大勢いて、地球平面説が受け入れられやすい土壌があるから広まっているんだと普通に考えていた。しかし流石に日本は海に囲まれた島国だし、「日出る国」と呼ばれるからこその「日本」でもあるし、なんとなくイメージ的にフラットアーサーは皆無に近いと思っていたのだけど、そんなことはなかった。こんな本がとうとう日本にも。
地球平面説【フラットアース】の世界 単行本(ソフトカバー) – 2021/2/2
私が知らないだけで、昔にもあったのかもしれないが、レビュー欄を見て二度目にびっくり。一つだけ引用してみよう。
Eden Mediaというチャンネルで、CGIで宇宙を偽装している動画を見てから、フラットアースってありかもと思っていました。地球がとんでもないスピードで移動していることを、本を読むまで全く考えたことがなかったのですが、数字を見たらありえないスピードです。私はめまいがするメニエール病で苦しんだ経験があるので、考えただけでも気分が悪くなるような異常な速さの高速移動。こんなのあり得るの?と思いますが、実際に現実の地面は全然動いている気配がしません。あと重力とか引力とかが、単に仮説だったとは。とにかく自分が常識だと思っていることが、実は真実ではなかったという驚きの連続で、とても面白いです。
南極条約の不自然さがとてもよくわかりました。きっと南極条約で世界中がウソをつくことに契約したんだろうなと思います。騙されていたことに腹が立ちますが、新しい世界が見えてきたようで、なんだかすがすがしい気分。フラットアースはオカルトでもスピ系でもなくて、自然をちゃんと観察して出した結論だと思います。自分でも太陽や月を観察してみたいです。とにかく本当の世界が知りたいと思いました。
「南極条約で世界中がウソをつくことに契約した」だそうである。わたしゃ、南極条約というと、ファーストガンダムで「捕虜の扱いは南極条約に則ってくれるんだろうな?」のコズンのセリフしか思い浮かばなかったけど、そっか、南極の向こうは地球平面の縁だったもんな、アムンゼンの偉業は嘘だったんだね、――ともかく、結局そういう陰謀論で解決するんだと呆れた。
知性レベルが低いのは必要条件ではあっても、十分条件ではないとは思う。個人的に思ってるだけの話だけど、知性レベル(教育レベルであるとか元々の頭の回転の良さであるとか、特に定義があるわけではないが)が低くても、ほとんど大抵の人は自分が知らないことに対しては思考をシャットダウンする。例えば、私は歴史に非常に弱いのだけど、そうした知らない歴史の話が出てくると、普通に私は知らないだけなので話に加わることはほぼ出来ない。実際、誰もが知らないことがたくさんあるのが当たり前だし、そうした無知な世界に対しては、ほとんど大抵の人は考えること自体は無いはずである。極端な話をすれば、私の飼ってる猫のプリンが、地球が球体であるか平面であるかなど考えることがあるとは信じられない。
私たちは、そうした考える必要がなかったり、考えても知らないだけの事に対しては、普通は思考をシャットダウンするのではないのか。この話については、AIの領域の話で、「フレーム問題」ってのがあって、簡単に言うと「ありとあらゆることについて考えないと行動に移せないのであれば、そのロボットは永久に止まってしまう」というパラドクスである。私たち人間はどこかで思考をシャットダウンするからこそ行動が出来ているのである。例えば、道路交通法では自動車運転手は今から運転する自動車を最低限の点検しないことには運転してはならないはずだが、ほとんどの人が運転開始前の点検などしないはずだ。これを極端に考えて、自動車のありとあらゆる部分について点検しないと安全を保てない、などと考え出したら、一生かかってもその自動車を運転することは出来なくなるはずである。「ガソリンに異物が混入していないか」「バラして点検した後に組み付けた時に何かミスはしていないか」「何か部品に時間的な劣化はないか」等々。
一言で言えば「余計なことを考えるな!」だけの話ではあると思うのだけれど、その余計なことを考えるように仕向ける「自分の頭で考えてみろ」というアドバイスをする人がいるから困る。著名な哲学者ルードウィヒ・ヴィトゲンシュタインは「語りえざることについては沈黙すべし」と言ったが、私に言わせれば「考えても無駄なことは考えるな」と翻訳したいところである。
私は、歴史の専門家ではない一般人です。まず前提として、戦前・戦時中のアジア諸国へ与えた被害、南京虐殺や従軍慰安婦問題、米国人をはじめとする敵国捕虜に対する非人道的行為等々について、日本に責任が有ると考えている者です。
フィリップK.ディックというアメリカのSF作家の小説に『高い城の男』という作品があります。貴方は、これを読まれたことはありますか?もし無ければ、今から粗筋を紹介します。もし、既に読まれたことが有るならば、私が以下に書くことは釈迦に説法ですから、無視して貰って構いません。
= 粗筋ここから =
第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利に終わった。世界は、ドイツ第三帝国と大日本帝国という2つの大国に支配され、アメリカも日独による占領・分割統治の下に置かれている(西海岸側が日本により占領されている)。
作中では、大戦終了直前にアメリカが、不利な戦況を覆す為に、非人道的戦術を用いたり、残虐な行為に走ったことなども語られる。しかし、そこまでしても敗戦に終わったことから、アメリカ国民の誇りは打ち砕かれている。西海岸で日本人相手に商売をしているアメリカ人は、敗戦国の人間として戦勝国(日本)に対する強い劣等感を抱いている。
戦勝国となったドイツと日本は、いまだ表面上は友好関係を保ってはいるが、アーリア人種至上主義の国と黄色人種の国は呉越同舟である。ドイツは密かに日本殲滅計画を目論み、日本もまたドイツに対して不信感を抱くようになりつつある。遠くない未来には、2つの大国は衝突を避けられないだろう。
このように敗戦国の人間も戦勝国の人間も等しく、将来に対して不安を抱いて生活しているアメリカでは、奇妙な流行が2つある。
1つは「当たるも八卦当たらぬも八卦」で有名な、古代中国の書『易経』に基づく占いである。物語の登場人物たちは、何か不安に駆られる度にコインを用いた占い(※本来は筮竹を使うが、陰陽2つの組み合わせで占うので、コインでも代用できる)によって『易経』の宣託に頼ろうとする。
もう1つの流行は、地下出版により流通する『イナゴ身重く横たわる』と題された1冊の本である。占領国の官憲により発禁本の指定を受けながらも、アメリカ国民は(そして、取り締まる側のドイツ人や日本人も)厳しい監視の目を逃れて、密かにその本を読み耽る。その本には「本当の歴史」が記されているのだという。「枢軸国側が敗戦国になり、連合国側が戦勝国になった歴史」が。
この本を執筆した作家を暗殺する為に、ドイツ当局の手の者が動き出す。また、この本に書かれたことは「本当の歴史」なのか?だとすれば、如何にして作家はそれを知って執筆したのか?それを確かめる為に、一人のアメリカ人女性も作家の下へ向かう。
「高い城」に居ると噂される作家の下へ。
= 粗筋ここまで =
私が知る限りでは、ディックが本物の日本人と実際に交友関係があったという形跡は有りません。しかしディックは、優れた作家が持つイマジネーションの力だけで、敗戦国の日本人の心情を見事に描き出します。「敗戦国の国民となって、戦勝国の日本人に対する劣等感を抱いているアメリカ人」の姿というパロディによって。
『高い城の男』の描く、敗戦国となったアメリカの人々は『イナゴ身重く横たわる』を読みながら夢想します。「非人道的な残虐行為を行わなかったはずの、汚れていないアメリカの姿」や「輝かしい戦勝国となったはずのアメリカ」という「本当の歴史」を。
これらのモチーフや描写を現代の我々が読むと、執筆当時のディックによる意図を超えて、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論に嵌まる人間を傍から見た姿を描く形になっています。
最初に書いたとおり、私は戦前・戦時中の日本による蛮行については、日本に責任が有ると考えています。しかし、日本による南京虐殺等を否定する説や、ドイツによるショア(ホロコースト)等を否定する説を信じる人たちの、それを信じたくなる心情も、『高い城の男』を読んだ私には何となく少しだけ理解できる気もするのです。人間は、弱くて愚かです。ちょうど犯罪加害者の家族が「自分の家族が、そんな酷いことをするはずがない。何かの間違いだ!デッチ上げだ!冤罪だ!」と言いたくなるのと似たような心理なのではないでしょうか。誰でも大なり小なり「祖国に対する愛着の心」が有り、その祖国が過去の歴史の中で蛮行を働いたという記憶は、犯罪加害者の家族の場合と同様「耐え難い現実」であり、可能ならば「違った未来」が実現して欲しかった、「デッチ上げによる冤罪」であって欲しかったという思いを抱かせるのでしょう。
『高い城の男』の詳細と結末については、実際に読んでもらうしかありませんが、それについて少し書きます。ネタバレされるのがイヤな場合、以下の記述を読まないで、書店に向かってハヤカワSF文庫の『高い城の男』をお買い求め下さい。
【【【注意!ネタバレ有り!】】】
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実は『イナゴ身重く横たわる』に書かれた「本当の歴史」は「『高い城の男』を読む我々の存在する現実世界の歴史」ではありません。連合国側が勝利する歴史ではあっても、現実の歴史とは食い違う記述が有ります。つまり、本作の中で『イナゴ身重く横たわる』を読み耽るアメリカ人たちが夢想している「あり得たはずのアメリカ」は「無い」のです。
SF論としては、作家フィリップK.ディックは「本物と偽物」「現実と虚構」というモチーフを書くことに取り憑かれ続けた生涯で云々と話を展開するところでしょうが、ここでは南京虐殺の否定論やショア(ホロコースト)の否定論に絡めて『高い城の男』の話を持ち出したので、別のことを書きます。
心情的には、否定論にすがる人たちの気持ちも分かるような気がすると、私は書きました。
しかし、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論にすがる人たちの「間違いを犯さなかった、こんな歴史であって欲しかった」と夢想する歴史も、結局は『イナゴ身重く横たわる』の記す歴史と同じく「無い」のです。『高い城の男』は第二次世界大戦を下敷きにしていますが、ベトナム戦争のアメリカをはじめ、おそらく何処の国であっても大なり小なり「別の歴史があって欲しかった」という事は有ることでしょう。しかし、勿論それも日本やドイツと同様に「無い」のです。
では、我々は、どうすれば良いのでしょうか?実は、それを示唆する内容が『高い城の男』には書かれています。
『高い城の男』には、占領軍の日本人将校を相手に「アメリカの骨董品」の贋作を作って売るビジネスに関わるアメリカ人が出てきます。しかし物語の終盤に至ると、彼は「偽の歴史を付与した贋作の骨董品」を作って売るのではなく、新たなオリジナルの創作物を作って売ることを決意します。
『高い城の男』は教訓を学ばせる目的で書かれたとは思いませんが、それでも私は、このくだりを読んで思ったのです。「在って欲しかった歴史」「我々の願望を満たしてくれる、都合の良い現実」など有りはしない。どれほど不条理に感じても、動かし難く消し去ることのできない過去を「我々の現実」として引き受けるところから始めるしか他にないのだ、と。
私は、歴史の専門家ではない一般人です。まず前提として、戦前・戦時中のアジア諸国へ与えた被害、南京虐殺や従軍慰安婦問題、米国人をはじめとする敵国捕虜に対する非人道的行為等々について、日本に責任が有ると考えている者です。
フィリップK.ディックというアメリカのSF作家の小説に『高い城の男』という作品があります。貴方は、これを読まれたことはありますか?もし無ければ、今から粗筋を紹介します。もし、既に読まれたことが有るならば、私が以下に書くことは釈迦に説法ですから、無視して貰って構いません。
= 粗筋ここから =
第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利に終わった。世界は、ドイツ第三帝国と大日本帝国という2つの大国に支配され、アメリカも日独による占領・分割統治の下に置かれている(西海岸側が日本により占領されている)。
作中では、大戦終了直前にアメリカが、不利な戦況を覆す為に、非人道的戦術を用いたり、残虐な行為に走ったことなども語られる。しかし、そこまでしても敗戦に終わったことから、アメリカ国民の誇りは打ち砕かれている。西海岸で日本人相手に商売をしているアメリカ人は、敗戦国の人間として戦勝国(日本)に対する強い劣等感を抱いている。
戦勝国となったドイツと日本は、いまだ表面上は友好関係を保ってはいるが、アーリア人種至上主義の国と黄色人種の国は呉越同舟である。ドイツは密かに日本殲滅計画を目論み、日本もまたドイツに対して不信感を抱くようになりつつある。遠くない未来には、2つの大国は衝突を避けられないだろう。
このように敗戦国の人間も戦勝国の人間も等しく、将来に対して不安を抱いて生活しているアメリカでは、奇妙な流行が2つある。
1つは「当たるも八卦当たらぬも八卦」で有名な、古代中国の書『易経』に基づく占いである。物語の登場人物たちは、何か不安に駆られる度にコインを用いた占い(※本来は筮竹を使うが、陰陽2つの組み合わせで占うので、コインでも代用できる)によって『易経』の宣託に頼ろうとする。
もう1つの流行は、地下出版により流通する『イナゴ身重く横たわる』と題された1冊の本である。占領国の官憲により発禁本の指定を受けながらも、アメリカ国民は(そして、取り締まる側のドイツ人や日本人も)厳しい監視の目を逃れて、密かにその本を読み耽る。その本には「本当の歴史」が記されているのだという。「枢軸国側が敗戦国になり、連合国側が戦勝国になった歴史」が。
この本を執筆した作家を暗殺する為に、ドイツ当局の手の者が動き出す。また、この本に書かれたことは「本当の歴史」なのか?だとすれば、如何にして作家はそれを知って執筆したのか?それを確かめる為に、一人のアメリカ人女性も作家の下へ向かう。
「高い城」に居ると噂される作家の下へ。
= 粗筋ここまで =
私が知る限りでは、ディックが本物の日本人と実際に交友関係があったという形跡は有りません。しかしディックは、優れた作家が持つイマジネーションの力だけで、敗戦国の日本人の心情を見事に描き出します。「敗戦国の国民となって、戦勝国の日本人に対する劣等感を抱いているアメリカ人」の姿というパロディによって。
『高い城の男』の描く、敗戦国となったアメリカの人々は『イナゴ身重く横たわる』を読みながら夢想します。「非人道的な残虐行為を行わなかったはずの、汚れていないアメリカの姿」や「輝かしい戦勝国となったはずのアメリカ」という「本当の歴史」を。
これらのモチーフや描写を現代の我々が読むと、執筆当時のディックによる意図を超えて、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論に嵌まる人間を傍から見た姿を描く形になっています。
最初に書いたとおり、私は戦前・戦時中の日本による蛮行については、日本に責任が有ると考えています。しかし、日本による南京虐殺等を否定する説や、ドイツによるショア(ホロコースト)等を否定する説を信じる人たちの、それを信じたくなる心情も、『高い城の男』を読んだ私には何となく少しだけ理解できる気もするのです。人間は、弱くて愚かです。ちょうど犯罪加害者の家族が「自分の家族が、そんな酷いことをするはずがない。何かの間違いだ!デッチ上げだ!冤罪だ!」と言いたくなるのと似たような心理なのではないでしょうか。誰でも大なり小なり「祖国に対する愛着の心」が有り、その祖国が過去の歴史の中で蛮行を働いたという記憶は、犯罪加害者の家族の場合と同様「耐え難い現実」であり、可能ならば「違った未来」が実現して欲しかった、「デッチ上げによる冤罪」であって欲しかったという思いを抱かせるのでしょう。
『高い城の男』の詳細と結末については、実際に読んでもらうしかありませんが、それについて少し書きます。ネタバレされるのがイヤな場合、以下の記述を読まないで、書店に向かってハヤカワSF文庫の『高い城の男』をお買い求め下さい。
【【【注意!ネタバレ有り!】】】
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実は『イナゴ身重く横たわる』に書かれた「本当の歴史」は「『高い城の男』を読む我々の存在する現実世界の歴史」ではありません。連合国側が勝利する歴史ではあっても、現実の歴史とは食い違う記述が有ります。つまり、本作の中で『イナゴ身重く横たわる』を読み耽るアメリカ人たちが夢想している「あり得たはずのアメリカ」は「無い」のです。
SF論としては、作家フィリップK.ディックは「本物と偽物」「現実と虚構」というモチーフを書くことに取り憑かれ続けた生涯で云々と話を展開するところでしょうが、ここでは南京虐殺の否定論やショア(ホロコースト)の否定論に絡めて『高い城の男』の話を持ち出したので、別のことを書きます。
心情的には、否定論にすがる人たちの気持ちも分かるような気がすると、私は書きました。
しかし、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論にすがる人たちの「間違いを犯さなかった、こんな歴史であって欲しかった」と夢想する歴史も、結局は『イナゴ身重く横たわる』の記す歴史と同じく「無い」のです。『高い城の男』は第二次世界大戦を下敷きにしていますが、ベトナム戦争のアメリカをはじめ、おそらく何処の国であっても大なり小なり「別の歴史があって欲しかった」という事は有ることでしょう。しかし、勿論それも日本やドイツと同様に「無い」のです。
では、我々は、どうすれば良いのでしょうか?実は、それを示唆する内容が『高い城の男』には書かれています。
『高い城の男』には、占領軍の日本人将校を相手に「アメリカの骨董品」の贋作を作って売るビジネスに関わるアメリカ人が出てきます。しかし物語の終盤に至ると、彼は「偽の歴史を付与した贋作の骨董品」を作って売るのではなく、新たなオリジナルの創作物を作って売ることを決意します。
『高い城の男』は教訓を学ばせる目的で書かれたとは思いませんが、それでも私は、このくだりを読んで思ったのです。「在って欲しかった歴史」「我々の願望を満たしてくれる、都合の良い現実」など有りはしない。どれほど不条理に感じても、動かし難く消し去ることのできない過去を「我々の現実」として引き受けるところから始めるしか他にないのだ、と。
またお前か、って思われるだろうけど、滅多に増田に書かないから許して。
私が言ったんじゃないのです。ネットで情報を拾い集めている最中に、私でない反ホロコースト否定論ぽい意見を見つけて、その人が言ってたのです。その人曰く、いろんな証拠を示しても、例えば「イェーガー報告書」というリトアニアでのユダヤ人虐殺を報告する文書があるのですけど、あるネット否定派はこう言ったそうです、「そんなものタイプライターがあれば捏造できる」って。
イェーガー報告書って、旧ソ連が持ってたのですけど何故か、ニュルンベルク裁判には提出されなかった証拠でして、1963年になって初めてドイツに公開されたものなのです。なぜそんなに遅くになって? というのは、詳細は知りませんけど、一説によれば旧ソ連って特にスターリン時代がそうなんですけど、「ユダヤ人が虐殺された」って主張するのを嫌がったのです(なのでアウシュヴィッツ博物館の犠牲者数400万人を刻んでいた石碑には、ユダヤ人とは一言も書いていませんでした。現在の石碑は冷戦後に修正されて150万人(ユダヤ人犠牲者数は110万人)になっています)。イェーガー報告書はまさにそのユダヤ人を集中的に殺戮して、「ユダヤ人をもっと殺したかった」のようなことまで書いてある報告書なので、旧ソはあまり出したくなかったのではないかと。そうした出自を考えれば、捏造される事はあり得ないのですが、否定論者にとっては非常にまずい報告書なので、どうにかして捏造ということにしたいわけです。
しかし、いくら何でも「タイプライターがあれば捏造できる」とか、めちゃくちゃにも程があります。そんなこと言い出したら、世に存在するありとあらゆる文書は捏造の可能性があり信用出来ない、とまで言えてしまいます。これでは、デカルトが方法的懐疑でやった「悪魔に騙されているかもしれない」レベルにまで至ってしまい、議論にすらなりません。
ネットで話題の「陰謀論チャート」を徹底解説&日本語訳してみた | ハーバー・ビジネス・オンライン
「我々は(陰謀組織に)騙されている」のようなのが陰謀論の一つの特徴ですので、ホロコーストの場合は連合国であるとかユダヤ人であるとかですから、十分すぎる程陰謀論です。ちなみにですけど、よくある「でも600万人は多すぎだろ、絶対盛ってるに違いない」と言った主張も陰謀論に含まれます。何故なら、600万人説は純粋に調査組織や研究者たちが独立して調査した値で、それら値が概ね同じになってるだけだからです。これも素人なりに調べているとわかります。大体で少なくとも500万人以上はユダヤ人犠牲者がいないと計算が合いません。何れにしても、「盛ってる」ならば、そうした研究を裏で操っている(私もか?w)人がいるという示唆なのですから、結局それも陰謀論になってしまいます。「盛ってる」的批判は戦後割とすぐぐらいから予測済みだったようで、ジェラルド・ライトリンガーという1950年代の研究者は、可能な限り低く見積もって450万人程度のユダヤ人犠牲者数を主張しました。
ともかく、ホロコーストには裁判でも膨大な証言もありますし証拠文書なども提出されてますし、裁判以外でも同様に証言・証拠などもあるので、それらを全部否定しないことにはホロコースト否定は成り立たず、結局、陰謀に見立てなければならなくなります。そうするととんでもない話になっていきます。
これの例を挙げると本当にキリがないのですが、例えば、ユダヤ人世界人口の推移を見ると少しわかります。
1880 7,800,000
1914 13,500,000
1922 14,400,000
1925 14,800,000
1931 15,700,000
1939 16,728,000
1945 11,000,000
1948 11,500,000
1950 11,297,000
1955 11,800,000
1960 12,079,000
1970 12,585,000
1980 12,819,000
1990 12,868,000
2000 13,150,000
2010 13,854,000
2018 14,606,000
2019 14,707,400
Vital Statistics: Jewish Population of the World
ホロコースト否定論者によれば、ホロコーストの600万人ユダヤ人虐殺は起きていないので、今もなおこのユダヤ人世界人口は捏造されているという話になってしまいます。確かに、この値は研究者によって調整されたものであり、1945年などは特に終戦年でもあってセンサスデータなどありませんから戦前の値からユダヤ人消失数の推定値である約600万人程度を差し引いて、切りのいい1100万人にしている可能性がありますが、1947年くらいからはセンサスが始まっており、それらの調査データを用いていると考えられるので、このように2019年に至っても戦前人口を回復していないのであれば、延々と捏造がなされていることになってしまいます(グラフ化すると何を言っているのか一目瞭然です)。
戦前の値は、戦前の書籍などに記述があるため、ホロコーストが起きていない時期の人口数は捏造のしようがありません。さらに実際には、ユダヤ人世界人口は細かい国や地域ごとの値を積算したものであり、ユダヤ人世界人口を捏造しようとするとそれら細かなデータの整合性を取る必要があり、不自然な人口推移にならないようにしなければなりません。例えば、アメリカユダヤ人人口が戦後に一気に500万人減るなどという事は不自然過ぎてあってはならないわけです。しかも、ユダヤ人人口の細かな数値は、各地のシナゴーグやあるいは役所が持っていたりするので、それらの辻褄さえ合わせなければならなくなり、はっきり言って人口数値合わせの陰謀だけで気が遠くなります。
なお、古くは一部のリビジョニストが「ユダヤ人はソ連に囚われている!」とバビロン捕囚のように言っていたようですが、冷戦が終わってもそれらユダヤ人は全く現れませんでしたので、残る主張は「ソ連が殺したんだ!」となりますが、もちろんそんなの何の証拠もありません。付け加えると、もし仮にそうした主張の通りにソ連がユダヤ人を隠していたのなら、「ユダヤ人を隠していた」のですからそもそも人口数値は捏造されておらず、発表されてきた人口数値は普通に合っていたことになります。ちなみにソ連に普通に住んでいたユダヤ人は戦後にどんどんイスラエルに移住が進んだのは周知の事実であり、人口推移的にも完全に裏付けられていて不自然な点は全くありません。
ホロコースト否定派の大難問:一体ユダヤ人はどこに行ってしまったのか?|蜻蛉|note
こうした証拠がらみの荒唐無稽な捏造話もあれば、どうでもいいようなところにまで捏造は行き渡っています。例えば、私は『アウシュヴィッツの子供たち』という本を持ってますが、これはアウシュヴィッツを奇跡的に生き抜いて生存者となった何人かの子供の足跡を追って本人にインタビューするなどしてまとめた本ですが、ごく普通に「ガス室」の話が書いてあります。子供たちだった人たちは普通に色々な形でガス室の話をするのです。ホロコーストに関連する本を出版する際には、ユダヤ人陰謀組織のチェックを経て「ありもしないガス室の話」を記述するように変更を迫られるのでしょうか?
あるいはまた、戦時中に、アウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスを告発したある文書があるのですが、ルドルフ・ヘスが囚人の女性の一人を愛人として収容所内に囲っていた、というものでその話は非常に下衆なのですけど、それはさておき、その文書の中にたった一箇所だけ「ガス室」の話がサラッとフツーに出てくるのです。その囚人の女性が他の囚人と混ぜられてガス室送りにされそうになった、という話なのですけど、別にガス室を証明する証拠資料でもなんでもありません。そんな細かいところにまで陰謀組織は目が行き届いているのでしょうか?
アウシュヴィッツの様々な議論(18):ルドルフ・ヘスの不倫・愛人問題と戦時中に書かれた「ガス室」。|蜻蛉|note
あと、今思い出したのですけど、ニュルンベルク裁判以降も、ナチス犯罪関連裁判は近年まで数多く行われておりますが、ガス室を否定した証言者や被告は一人もいないのです。「知らない」と言った人はそこそこいますが、「ガス室などなかった」と言った人は本当に一人もいません。例えば1960年代に当時の西ドイツで行われたフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判がありますが、250名以上の証言者や被告が出席して、ガス室を否定した人はゼロなのです。99%が伝聞ないしは直接目撃者として肯定的に証言しており、残りが「知らない」だけなのです。これも、否定論者によれば陰謀だと思いますので、多分全員が脅迫されているか金もらってるかだと思われます。もちろん積極的に証言した人たちの話が辻褄が合うようにきちっと細かくサポートされているでしょう。そしてそうした陰謀者の働きが暴露されたことはこれまでないので、陰謀組織は素晴らしい働きをしていることになります。一体それどんな凄腕陰謀組織???
アウシュヴィッツのガス処刑を否定した人は当時の関係者にいるのか?|蜻蛉|note
というわけでホロコースト否定論者のいう通りであるならば、こんな荒唐無稽な陰謀話が数限りなくあることになってしまうわけです。否定論者にとっては600万人虐殺や、ガス室は絶対になかったことと決まっているので、それらの全てについてこうした荒唐無稽な陰謀を蔓延らさなければなりません。しかし、ホロコースト否定論者はその荒唐無稽さを言い立てることはありません。陰謀だから全ては可能!なのでしょう。
えー、例外なく、陰謀論者でした。出会った全員に確認したわけではありませんが、確認が取れた人は全員、反ワクチン派、または、9.11テロは陰謀、または、例の大統領選は不正なのだそうです(どれか二つ以上です)。流石にフラットアース信者はいませんでしたが。
で、それ以外の特徴としては、その全員が、非常に自意識過剰というか、尊大な態度を取られました。どう考えても、自分でこう言っちゃなんですけど、明らかにホロコースト関連議論では私の方がはるかに知識が豊富なのは明らかなのに、私をバカ扱いするのです。もちろん私の妄想が入ってるとは思いますが、どう考えても、ディスプレイの向こう側でニヤついている否定者の顔しか思い浮かびませんでした。ある人は、コロナワクチンについて「君はあんなの打つ気なのか? バカじゃないの?」とまで言い放ちました。打つ・打たないがその人の価値を決めるわけではないと思いますが、私は正直内心で「じゃぁさっさとコロナに罹って治療も受けずに死ねばいいのに」とまで思ってしまいました。その人は例外的かもしれませんけど、あの陰謀論者の独特な上から目線は、他のタイプの論争議論では見られないものです。昔ですけど、ある有名な新興宗教の信者とやり合った経験がありますけど、それと似ています。どうやら彼ら・彼女らにとって「陰謀」こそ宗教なのだと思います。彼ら・彼女らにとっては「陰謀」への揺るぎない信仰があるので、自分たちは絶対に間違っていないという確固たる自信を保てるに違いありません。
そんなホロコースト否定者さんたちは、あなたの知らない世界かも知れませんが、欧米ほどではないと思いますけど日本人にもめっっっっっっっっっちゃ多いですよ。
おっと、特徴で言い忘れてはいけない。ホロコースト否定者って「凄まじい馬鹿」であることは疑いようがありませんです、はい。増田にも何人かいる、と思われますケド。
実際そうなんです。否定ではなく普通にホロコーストそれ自体に興味を持つ人は結構いらっしゃいます。やはりそれなりに人気コンテンツ的なテーマだからでしょう。ですが、必ずと言っていいほど、例えばYouTubeにホロコースト関連動画があると、コメント欄に否定者のコメントがつきます。酷い時には大半が否定者のコメントになったりします。『否定と肯定』の予告編動画なんかがありますけど、かなり酷いですよ。Youtubeにはそうした人向けに人気を博している『ホロコースト論争』なる否定論そのものの動画チャンネルもあり、これがまた素人目には良くできてるように見えてしまうので、もしかして一定程度否定者を増やしている気配があります。内容は酷いんですよ、実際。欧米では使い古された否定論の焼き直しみたいな構成でしかなくって、オリジナリティの欠片もありません。でもYouTubeですからねぇ、信者がつくんです。ちなみに私は、いくつかコメントしましたけど、動画主にコメントブロックされてしまいましたw
ともあれ、そうした状況のコメント欄にはちらほら「否定論酷いなぁ」的コメントをする人も見かけます。Amazonプライムに『アウシュビッツ ナチスとホロコースト』ってBBC動画シリーズがあるんですけど、そこに秀逸な修正主義レビューに対する反論レビューがあって、今のところ「参考になった」数でトップを走っています。Amazonレビューであんな長いレビュー見たことないですけど、修正主義的レビューを完全に論破しているという興味深いレビューです。「参考になった」数でトップってことは、それくらい修正主義的レビューが迷惑がられてるってことだと思います。Twitterで流れてきたあるツイートには、「修正主義が完全論破されててスキッとした」というコメントさえ見たことあります。同動画のレビュー欄にも「修正主義のレビューはAmazonが責任を持って削除すべき」とレビューする人もいます。
私自身は、言論の自由が保たれている方がいいと思っているので、あっても別に構わないと思ってますけど、日本はホロコーストの情報があまりに少なすぎるのとあまり関心がないのとが合わさって、申し訳ない言い方だけど、無知な人が大半なのである程度は否定論に傾倒してもやむを得ない面もある気もします。でも、ちょっと知るだけで、ホロコーストへの懐疑がどれほど荒唐無稽なことであるかがわかるので、少しは勉強して欲しいなぁと思ってます。舐めんなよ!ホロコーストを!どんだけ膨大な情報量だと思ってんだ!どんだけ学んでも知らんことだらけじゃ!ゴルァ!ってなもんです。
せめて、中公新書の芝健介氏による『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量虐殺の全貌』程度はパラパラめくってくれたらなぁと思います。
単純な話ですけど、陰謀って「バレないように」企てられ密かに実行されるものであるはずなのに、なんでそんなにあっさり「陰謀だー!」と発覚するんでしょうね? ・・・ああそっか、それで陰謀論者はあんなに超上から目線なんですね、「私たちこそ世界の真実を知っている優秀で選ばれた人間なのだ!」と多分思い込んでいるに違いありません。ああそうだ、9.11テロを陰謀だと言っている人に聞いたんですよ、「ビルに飛行機が衝突しただけであんな崩れ方はしない!」って仰るんで、それどこで見たんですか? って聞いたら「テレビで」って・・・。てめーら、テレビとかは陰謀の片棒担いでるマスゴミじゃなかったのかよー!w
id:daydollarbotch 「タイプライターがあれば捏造できる」に対しての「そんなこと言い出したら〜」がよく分からない。こっちの増田https://anond.hatelabo.jp/20201008002119で書いてたような何らかの文脈があるんだと思うけど
そのその増田を書いた頃より、知識は相当増えてるので、それはちょっと気恥ずかしいものがありますが、グリクシュ報告書の場合はその文書それ自体を徹底的に検証してあることを無視して「捏造」と言うのはおかしいと言う趣旨でしたが、イェーガー報告書はちょっと違います。ていうか否定者のいう捏造主張全般ですけど、この主張には大きく二つ問題があります。
図書館は法律がそうだからというのは理解している。
はい、非常に真っ当な疑問ですね。図書館法というのはいかにも特別法特別法していますし、
そんな特別法をあえて作った理念はなんぞや?という疑念を持つのは論理的思考の当然の帰結です。
こういう時は当の法律を見ましょう。
図書館法
図書館法第1条 (この法律の目的)
この法律は、社会教育法(昭和24年法律第207号)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もつて国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする。
社会教育法第一条 (この法律の目的)
この法律は、教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の精神に則り、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにすることを目的とする。
はい、また飛ばされました。特別法の濃い匂いが漂っていたのは伊達じゃないですね。
教育基本法 前文
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
はい、「前文」ですよ、前文。さすが基本法、憲法級の重厚さです。
読みましたか? 前文だけに、その内容も高邁な理想と理念を謳う大上段な代物です。
さて以上からわかるのは
・「図書館法」(昭和25年制定)というのは、教育基本法、社会教育法を受け、その目的を直接に受け継いで補完するために制定された。
・その目的というのは「民主的で文化的な国家を更に発展させ、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献する」という「新憲法の精神」そのもので、
・新憲法の精神実現のためには、「我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図る」のが重要という認識がなされています。
・具体的には、憲法公布(S21)→教育基本法(S22)→社会教育法(S24)→図書館法(S25)、というダイレクトな流れがあり、GHQと国会は新憲法制定後、大急ぎで、この教育関連法セットを整備してるわけです。
当時の情勢的には、とりあえず占領して、「自由な民主主義国家」を作ってみたものの、GHQにしてみればこの間まで「天皇陛下万歳!」とやってたファシズム国家の人民がいきなりこれを使いこなせるのか甚だ不安だったわけです。ならば対策は教育、それも学齢のみならず社会人も含めた全国民の教育が必要、という危機感があって、教育基本法の大上段な前文と大急ぎの教育関連立法の背景になっているんですね。
(そんな事情なので、「大急ぎ」と書きましたが、実際にはGHQは基本法から図書館法の整備まで3年かかっていることすら苛立って督促かけまくってます)
この「【日本国民再教育計画】になんで図書館まで含まれるのか?」というと、そこは(欧米的な)「議会制民主主義のイデオロギー」の部分になります。
・「議会制民主主義」は健全で良識ある市民がいてこそ成り立つ。
・健全で良識ある市民が育つには自由な言論と知識へのアクセスが必要
これが欧米的ポリアーキー(おおざっぱには「自由を重んじ議会を中心に据えた民主主義体制」と思ってください)を支えるイデオロギーの柱の一つなのです。
大日本帝国は法的な主権者こそ天皇でしたが決して絶対君主ではなく(機務六条)、普通選挙による衆議院を持ち、三権分立を整備し、(憲法上の規定外ですが)議会が首相任命に影響力を持っている、という結構民主的な制度を持つ国家でした。それがガチガチのファシズム国家として(ワイマールドイツはもっと民主的だったわけですが)連合国に挑んできたわけですから、連合国としては戦後日本の「ファシズム再発防止」にはかなり細部まで気を使いました。その重点施策の一つが「全国民再教育」で、とはいえ全国民対象の「再教育キャンプ」を作るのは手間も費用も膨大。ということで社会人教育向けとして白羽の矢が立ったのが広報宣伝やマスコミ統制と並んで図書館だった、というわけです。そりゃ気合も入りますし特別扱いもするってもんです。
大日本帝国にも無論図書館はありましたし、「図書館令」という法令(勅令でした)もありました。ところが、この図書館令は「この令を守れば作っても宜しい」という認可のための法整備で、
など、欧米的な「健全で良識ある市民の拠り所たる図書館像」とはかなり方向が異なるものでした。
この違いが「健全で良識ある市民の育成に失敗した」(欧米的観点では、そうでなければ民主的な国家がファシズム化したり革命が起きたりするはずがないのです)原因の一つに見えたため、この認識に基づいて、
・市民の知識へのアクセシビリティの確保(無料で全国津々浦々に)
・改正図書館令のような「図書館が思想統制の末端機関となる事態」を防げる図書館の独立性
「自由な知識の集積、その集積への市民の自由なアクセスなくして民主主義なし」というのは、自由な議会制民主主義の根幹をなすイデオロギーで、だからこそGHQは全力で推進したわけです。
あくままでイデオロギーですから、「功利の観点で利が多い」という判断から図書館を特別扱いしているわけではありません。「民主主義が成り立たない」という「(エビデンスがあるとは言い切れないにも関わらず)重要過ぎて試すことすらできない根幹の部分」を盾にとっているからこそ特別扱いOK、というか「特別扱いしなければならない」という理念なのです。
そういう背景ですから、例えば体育館を図書館と同じような強力な法的地位を与えるよう運動する際には、「図書館が特別に位置付けられている理由」は全く参考になりません。図書館のケースと全く別の論理、例えば「功利のエビデンスを示して財政難でも優先すべき、と多数の賛成を得られるよう説得」なんかを行う必要がありますので、なかなか実現は難しいのではないでしょうか。
もし図書館同様の理由で体育館が特別で強力な法的地位を得ようとするなら、まずは「健全な精神は健全な肉体にしか宿らない」とかの、現在の民主主義と異なるイデオロギーを持った国家体制に作り替えるところから始める必要があります。
結論から言うと、東軍が勝ったパンティーラインに住んでる人かわいそう。
パンティー川家康は関ケ原でパンティーを被り討ち死に。パンティー川秀忠は切腹。両者のフンドシは一条戻橋に晒される。徳川家は結城秀康が引き継ぐも程なくパンティー川家に改名され実質滅亡。
その後パン東ィーには何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。
パン東ィーなんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。
パンティーケ原の戦い後、小早川秀秋が白パンティーを履くも5年で病死。その後は豊臣秀頼が白パンティーを履く。日本は上杉、宇喜多、毛利、島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、パンティーぬがしっこが起こらず、外国との下着交易も進みパンティー業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心にパンティー体化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将の名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士は鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はフンドシしか履いていなかった印象で、野蛮で恥ずかしい存在でしかない。交易でパンティーが発展しているので、日本のせまーいフンドシでチンポなんてものを覆わせて税金を徴収するなんてバカなことはパンティーケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域の下着難民や縫製労働者が蜂起して自パンティー権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにパンティー化していく素地があった。パンティー教も新旧両派が認められ、汎帝教と二大勢力になっている。その後、ヴァンディー教やパンツィル教を信じる人も増えていく。フンドシがいなくなっていくにつれてブリーフやトランクスは消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でもトランクスは消えていった。今でも下着の残骸のようなものは残っているが装着する人は誰もいない。
19世紀になると大名が支配していた地域で縫製労働者や下着難民の代表者からなるパンティー会と豊臣を首班とするパンティー人からなる下着会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府とかいうものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約は下着会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカやヨーロッパの思想がパンティー語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューやロックの思想はパンティーと大して関係がないということで学校で議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由に議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由にパンティーを履いて走り回るのがメイン。この教育をきっかけにパンティー族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国と連合巨大パンティーを形成する構想が何度も浮かぶ。アジア大陸では日本と同様、汎帝教とパンティー教がメイン。フンドシ教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の裸体主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟からパンティー連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きなパンティー戦争が起きる。フンドシのような抑圧的で野蛮な下着が早い時期になくなり、無駄な戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。
20世紀に入ると漸次的に汎アジア国家条約連合(PANTY)が形成されていく。PANTYはそれぞれの装着者で温度差はあるものの人体の曲線的な魅力を布地が補強するコンセプトからなる。パンティー列島地域は力を失ったパンティー族が政治的な実権を失い、国民代表からなる下着会と各地域の代表者からなる元パンティー院、PANTY議会に派遣される議員が存在している。ヨーロッパで発生したヌーディズムと戦う第二次世界大戦はこちらの世界でも勃発する。しかし、パンティー地域に没個性で野蛮なフンドシが存在しないこちらの世界では他国に侵略を行うようなことはない。PANTY含む連合国がイタリアのヌーディストとノーパンドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、PANTYとブルマ圏、欧米諸国との間でイタリアとドイツを再建。アジア大陸では中国全裸党とPANTYの戦いが続くが、1964年に休戦。中華全裸共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。PANTYは中東諸国に対するブルマ圏やアメリカの侵略からの防衛にあたり、友好関係を現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でもヌーディズムを譲らないソ連と意地でもブリーフを手放さないアメリカは1980年代になると衰退していく。インドや中東諸国が加入したことでPANTYは汎アジア・インド・中東国家条約連合(PANTIES)へと改組される。PANTIESとブルマ連合がアメリカとソ連の再建の中心となる。
21世紀に入ると世界はPANTIES、ブルマ連合、全裸連合、ノーパン連合、紐パン連合の連邦国家で構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東パンティーの野蛮な武士が支配権を握らなくてよかったと思ってる。
徳川家康は関ケ原で討ち死に。徳川秀忠は切腹。両者の首は一条戻橋に晒される。徳川家は結城秀康が引き継ぐも実質滅亡。
その後関東には何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。
関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。
関ケ原の戦い後、小早川秀秋が関白になるも5年で病死。その後は豊臣秀頼が関白になる。日本は上杉、宇喜多、毛利、島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将の名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士は鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はの混乱を引き起こした元凶で、野蛮で恥ずかしい存在でしかない。交易で経済が発展しているので、日本のせまーい土地で米なんてものを作らせて税金を徴収するなんてバカなことは関ケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域の農民や労働者が蜂起して自治権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにリベラル化していく素地があった。キリスト教も新旧両派が認められ、仏教と二大勢力になっている。その後、ユダヤ教やイスラム教を信じる人も増えていく。武士がいなくなっていくにつれて神道や儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない。
19世紀になると大名が支配していた地域で労働者や農民の代表者からなる議会と豊臣を首班とする貴族からなる議会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府とかいうものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約は議会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカやヨーロッパの思想が日本語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューやロックの思想は自分たちのやっていることと大して変わらないということで学校で議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由に議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由に議論して学ぶのがメイン。この教育をきっかけに貴族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国と連合国家を形成する構想が何度も浮かぶ。アジア大陸では日本と同様、仏教とキリスト教がメイン。儒教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の社会主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟から連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きな戦争が起きる。武士のような強権的で野蛮な人間が早い時期にいなくなり、無駄な戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。
20世紀に入ると漸次的にアジア太平洋連合国家(APS)が形成されていく。APSはそれぞれの構成国で温度差はあるものの民主的な憲法を国民が制定した国家からなる。日本列島地域は力を失った貴族が政治的な実権を失い、国民代表からなる議会と各地域の代表者からなる元老院、APS議会に派遣される議員が存在している。ヨーロッパで発生したファシズムと戦う第二次世界大戦はこちらの世界でも勃発する。しかし、日本地域に強権的で野蛮な武士が存在しないこちらの世界では他国に侵略を行うようなことはない。APS含む連合国がイタリアのファシストとナチスドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、APSと共産圏、欧米諸国との間でイタリアとドイツを再建。アジア大陸では中国共産党とAPSの戦いが続くが、1964年に休戦。中華人民共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。APSは中東諸国に対する共産圏やアメリカの侵略からの防衛にあたり、友好関係を現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でも共産主義を譲らないソ連と意地でも資本主義を手放さないアメリカは1980年代になると衰退していく。インドや中東諸国が加入したことでAPSはアジア太平洋連邦共和国(FRAP)へと改組される。FRAPと欧州連合がアメリカとソ連の再建の中心となる。
21世紀に入ると世界はFRAP、欧州連合、北米連合、南米連合、アフリカ連合の連邦国家で構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東日本の野蛮な武士が支配権を握らなくてよかったと思ってる。
本当にお前らは自分で考えることをしないよな
そもそもベトナム戦争において行われた非人道的行為はあくまで越韓の問題であって、日本と何ら関係ありませんよね、しかもそれが反論になると思ってる時点でバカでしかないのよ
道義的な問題になる事例が増えるだけの話であって、無効化には使えないってのも分からないんですか?戦場で占領下の国の女性に対する性暴力が行われた例なんて枚挙に暇がないよ。当然連合国だってやってた話だ
だから韓国がやってた、じゃあ日本もやってましたねで終わる話なの
しかも、そういう戦場での綱紀粛正が行き届いていないという話と、政府と軍が制度として行なっていた性暴力の問題とは質的にレベルが違う話であるってのも当然理解できないんだろうね。
まず国がやってない!民間人がやってたことだ!なんて妄想を捨てられない時点で歴史修正主義者乙なんですけど
全体主義国家なめてるん?
性搾取的な産業の問題も同様で、国家による暴力と等価値では全くないし、これも反論に使えるような例示ではねえんだよな
しかも、日本での風俗業に対する批判と同様に、韓国でも批判があるだろうことはちっとでも脳みそがついてりゃ分かることだろうに
この記事を読めばN医師とは誰のことかたちどころにわかるのだが、それはさておき、色々調べてみると、この事件は文藝春秋社が一方的に悪いことがわかる。結局、スポンサーへのSWCからの圧力という事実は存在せず、勝手に慌てふためいただけの文藝春秋者が雑誌を廃刊し、社長が辞任し、そして勝手に花田編集長(当時)が辞めたのだけだったのである。しかしこれは最悪だった。ホロコーストに否定的なことを言うのはタブーだ、という誤った認識を世間に与えてしまったからである。SWCは単にホロコースト否定論を監視する団体であり、それまで世界中でずっと抗議してきたのである。なぜなら、欧米では日本など比べ物にならないくらいホロコースト否定論は昔から大きな問題だったからである。
事件の中心人物だった、N医師のその当該記事は噴飯物の記事だった。何せこのN医師、普通ならあの有名なAuschwitz強制収容所は「アウシュビッツ」或いは「アウシュヴィッツ」と日本語表記される筈なのに、「アウシュウィッツ」と呼んでいたくらいのレベルだったのである。今でもAmazonや古本で『アウシュウィッツの真実』という初版本は売っているので、その表紙をWeb上で見てみるといい。これが別の出版社からのちにペーパーバック版として出された時に、こっそり「アウシュヴィッツ」に直しているのが笑える。ちなみに、この指摘をしたのは、N医師をネットで散々苔にするほどに論駁していた山崎カヲル氏である。
N医師は、デイブ・スペクターによれば、それまでは英字新聞への投稿マニアに過ぎなかったらしい。おそらくは、そうした趣味が1995年当時、そこそこ盛り上がりを見せていた欧米のホロコースト否定論に接する機会を与えたのであろう。N医師にしてみれば単に当時の流行り物に飛びついただけだったに違いない。ともかく、N医師は別にホロコーストに詳しいわけでもなんでもなく、その程度のレベルであったから、文芸春秋社はきっちり反論記事でも載せるべきだったし、或いはN医師の記事など最初から突っぱねるべきだったのである。どれだけ噴飯物の内容だったかは、これでも読んでみるといい。
だが、たった一度のその記事は、N医師の人生を大きく変えてしまった。未だにN医師は日本のホロコースト否定論者の第一人者としてたくさんの信者が存在する人物になってしまったのである。知名度を生かして講演料まで稼いでいるらしい。前置きが長くなったが。
この問題は、結構事情が複雑である。簡単な説明は英語だがこちらで読むことはできる。一体この煙突問題を誰が言い出したのかはよくわからないが、クレマトリウムⅠの捏造疑惑自体は、1980年代ごろにフランスの有名なホロコースト否定論者だったロベルト・フォーリソンが言い出したのである。大概の細かいホロコースト否認論はこのフォーリソンが発祥である。フォーリソンはホロコースト否定を公に行ったことで当局に逮捕され、裁判になり、実はこの裁判でクレマトリウムⅠの捏造疑惑は形上は一旦決着しているのだ。だが、フォーリソンはそんなことで諦めるような人ではない。
続いてホロコースト否認問題では欠かせない話題であるツンデル裁判というのがカナダで起きる。欧米では当時かなり大騒ぎになった事件である。そして、このカナダの事件にフォーリソンは深く関与した。有名なロイヒターレポートの発案者も実はフォーリソンなのである。それはともかく、クレマⅠの捏造疑惑のネタがまたこの裁判内で取り沙汰される。この時はフェルデラーという超悪質なホロコースト否認論者が証人となって裁判で取り上げたようである。間違いなく暗躍したのはフォーリソンであろう。この裁判の決着はさておき、最も目立ってこのクレマⅠの捏造疑惑を取り上げたのは1990年代に入ってデヴィッド・コールというユダヤ系アメリカ人だった。ユダヤ人だってホロコースト否認はする人はするのであるが、彼はアウシュヴィッツ博物館に出向いて、アウシュビッツ 担当者まで登場させるビデオを撮ったのである。このビデオは今でもネットで視聴可能である。コール自身はこのビデオの販売に抗議したらしいが、出回ってしまったものはしょうがない。しかし、このデビッド・コールのネタ元は間違いなくフォーリソンである。コールの裏で暗躍していたかどうかまでは知らないが、フォーリソンが1980年ごろに指摘しなければ誰も気づかなかったのは間違いない。2000年代以降はオーストラリアの否定論者フレデリック・トーベンという人物がこのクレマ1捏造疑惑を喧伝していたようであるが、この人物も何度か逮捕されてるということくらいしか私は知らない(正直どーでもいい)。
簡単には説明がなかなか難しい。全体を把握しようとすると、ホロコーストの全体的な細かな問題まで把握しないといけなくなる。ただ、こう説明することはできる、ホロコースト否定派はどんなことがあっても絶対に断じて「ガス室」だけは認めることはない、のである。他の虐殺方法程度なら認めるホロコースト否定論者はいるけれど、ガス室だきゃあ絶対に認めてはならぬものなのである。そのガス室は現在もアウシュヴィッツという最も有名なホロコーストにおける強制収容所内にあったものとして公開されているのだから、否定論者にとってはまず最初に疑いの目を向けるものになってしまったのだのだろう、それ故に、否定論者にとってはクレマトリウムⅠと呼ばれるその場所は「戦後に捏造された」ものでなければならない。
ところがこのクレマトリウムⅠ、実に否定論者にとって都合がいいことに、実際に戦後に「再現」工事がなされているのだ。前述したリンク先を読めば書いてあるように、戦時中にいったん防空壕になっていたものを、ガス室として公開するために、もっかい戻したのが、昔は共産圏だったポーランドだったのだ。そして、この再現工事に実際に携わった当時の職人が、前述したフォーリソン裁判に出廷し、「再現工事をこんな感じでやりました」ときっちり証言していたのである。当然、捏造だなんて話にはなっていない。しかし、フォーリソンら否定派は「そんなに都合よく裁判に証人が出てくること自体怪しい」と引き下がらない。何せ、1980年代当時は、相手は東側であり、西側にとっては怪しすぎる共産圏国だ。背後にはソ連がいて、疑うにはもってこいの状況だった。
前述した海外サイトへのリンク記事にもあるが、煙突問題とは、戦時中にクレマトリウムⅠにあった煙突が、そこが防空壕に改築されるときに解体されたのである。そして、その煙突はアウシュヴィッツ博物館が1948年にオープンするのに合わせて、当時の再現という意味でもう一度作り直されたのだ(煙突だけではなく他も色々工事しているが、結構杜撰な再現工事であることは頭に入れておく必要がある。図面をよく見ればわかる)。だから、一時期煙突はなかったのであるが、戦後にそのなかったときのクレマトリウムⅠの写真が残っていて、それを現在の写真と比較して「戦後すぐにはなかったじゃないか!どうして今あるんだ? 捏造しだろ?」と仰るのである。……アホかと。
実際、煙突はガス室にはほとんど全く関係がない。火葬場があれば、煙突は必要だった筈で、クレマトリウムⅠのガス室は否定しても、そこが「死体置き場」だったことを否定する否定論者はゼロ(だって「死体置き場」自体はバッチリ図面にそう書いてあるのだから)である。むしろ、煙突がもし戦後に再建されていなかったら、図面を見た人間は気づく筈である、どうして煙突がないのだ? と。結局、防空壕だった時もその前の時も、図面が残っているので、問題の根本があるとするならば、ガス室としてほんとに「死体置き場」を使用したのかどうかだけが問題の筈なのである。これが、N医師にはどうしても理解できないらしい。そもそも悪いのはフォーリソンなのであるが(図面をきっちり1980年ごろに既に取得しているのであるが、フォーリソンには図面を正しくみる能力はなかったようである)、そもそも論としてそこがガス室とされるのは、図面にも文書にも残ってないのだから、アウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスやその他の証言者の証言しかないのである。こんなの否定論者が一番よく知っている事実の筈である。つまり、最も怪しむべきはその「証言・証言者」であるわけだ。だから、私はそのことを直接本人に言ってやったのだが……。
N医師は最初「アウシュヴィッツ司令官のルドルフヘスの話がガス室の根本である」のようなことを言ったので、私はそれはおかしいと指摘した。何故ならば、ルドルフ・ヘスは逮捕されたのは1946年3月であり、実はその約1年も前に、問題にしているクレマトリウムⅠのガス室に関する証言をした人物がいるからである。ポーランドは、ドイツが撤退すると、さっさと戦後処理に取り掛かり、ドイツの終戦を待たずに戦犯裁判に動き出していたのだ。だから、1945年4月16日にアウシュビッツの囚人だった人物がクレマトリウム1のガス室についてポーランドのクラコウというアウシュヴィッツ収容所のある地元法廷で宣誓証言をしているのである。これは時系列として全くN医師の言っていることに矛盾する。
「肝心だったのは、連合国としてはアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスに中心人物として証言させることだったのであり、誰が証言をし始めようと構わなかったのである」と。
まぁ、そんなことだろうなとは予想はしていたが、N医師は自身の脳内ストーリーさえ辻褄あわせができればそれでいい低レベルの陰謀論者に過ぎなかったのである。彼はこうも言っている(昔からである)、「ヘスはイギリス人に拷問を受けて嘘を言わされている」と。拷問を受けたというのは拷問した人物が手記にそう書いているので、事実であるだろうが、拷問受けてなくても当然信用してなかったわけだし、それよりももっと矛盾しているのは、これ拷問したのは「イギリス」である。N医師は別のところでは、「ポーランド」が怪しいと言ったり、「ソ連」が怪しいと言ったり、単にめちゃくちゃな脳内理論を披露しているだけなのである。陰謀論者の一般的な主張通り、陰謀それ自体の証明は一切ない。陰謀は巧妙にできているからである。
だったら何故、「煙突問題」のように疑われるような事実を残すんだよ? と突っ込んでやりたいところだが、奴らは脳内論理の辻褄さえ合えばそれでいいので、どんなにツッコミを入れても無駄である。
当然私など、N医師に比べりゃ微塵子のような存在でしかないから、支持はN医師に集まる。N医師自体がネットに腐るほどいる低レベル陰謀論者に過ぎないことは実際どうでもいい話なのだけど、N医師を支持する人が実際に結構いるという事態を目にしてしまうと、こっちが頭が変になりそうだった。SNSはそうした言わば人気者をあたかも「教祖」のようにしてクラスターを形成する仕組みだから、それ自体は現象としてしょうがないのだけど、頭では分かっていても実際に見てしまうとねぇ……。
というわけでさ、ホロコースト否定論なんざ、そんな下らない低レベルの世界なんだ。あなたは、「ガス室」はそれでも疑わしいと思いますか? つーか、なんでそんな低レベル陰謀論が支持者を集めるのか、私にはちっとも理解できません。
追記すると、N医師にはクレマトリウムⅠは一回防空壕に改築させていることだけはなんとか認めさせた。それすら認めていなかったのだから、呆れるけど。