はてなキーワード: 発禁本とは
私は、歴史の専門家ではない一般人です。まず前提として、戦前・戦時中のアジア諸国へ与えた被害、南京虐殺や従軍慰安婦問題、米国人をはじめとする敵国捕虜に対する非人道的行為等々について、日本に責任が有ると考えている者です。
フィリップK.ディックというアメリカのSF作家の小説に『高い城の男』という作品があります。貴方は、これを読まれたことはありますか?もし無ければ、今から粗筋を紹介します。もし、既に読まれたことが有るならば、私が以下に書くことは釈迦に説法ですから、無視して貰って構いません。
= 粗筋ここから =
第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利に終わった。世界は、ドイツ第三帝国と大日本帝国という2つの大国に支配され、アメリカも日独による占領・分割統治の下に置かれている(西海岸側が日本により占領されている)。
作中では、大戦終了直前にアメリカが、不利な戦況を覆す為に、非人道的戦術を用いたり、残虐な行為に走ったことなども語られる。しかし、そこまでしても敗戦に終わったことから、アメリカ国民の誇りは打ち砕かれている。西海岸で日本人相手に商売をしているアメリカ人は、敗戦国の人間として戦勝国(日本)に対する強い劣等感を抱いている。
戦勝国となったドイツと日本は、いまだ表面上は友好関係を保ってはいるが、アーリア人種至上主義の国と黄色人種の国は呉越同舟である。ドイツは密かに日本殲滅計画を目論み、日本もまたドイツに対して不信感を抱くようになりつつある。遠くない未来には、2つの大国は衝突を避けられないだろう。
このように敗戦国の人間も戦勝国の人間も等しく、将来に対して不安を抱いて生活しているアメリカでは、奇妙な流行が2つある。
1つは「当たるも八卦当たらぬも八卦」で有名な、古代中国の書『易経』に基づく占いである。物語の登場人物たちは、何か不安に駆られる度にコインを用いた占い(※本来は筮竹を使うが、陰陽2つの組み合わせで占うので、コインでも代用できる)によって『易経』の宣託に頼ろうとする。
もう1つの流行は、地下出版により流通する『イナゴ身重く横たわる』と題された1冊の本である。占領国の官憲により発禁本の指定を受けながらも、アメリカ国民は(そして、取り締まる側のドイツ人や日本人も)厳しい監視の目を逃れて、密かにその本を読み耽る。その本には「本当の歴史」が記されているのだという。「枢軸国側が敗戦国になり、連合国側が戦勝国になった歴史」が。
この本を執筆した作家を暗殺する為に、ドイツ当局の手の者が動き出す。また、この本に書かれたことは「本当の歴史」なのか?だとすれば、如何にして作家はそれを知って執筆したのか?それを確かめる為に、一人のアメリカ人女性も作家の下へ向かう。
「高い城」に居ると噂される作家の下へ。
= 粗筋ここまで =
私が知る限りでは、ディックが本物の日本人と実際に交友関係があったという形跡は有りません。しかしディックは、優れた作家が持つイマジネーションの力だけで、敗戦国の日本人の心情を見事に描き出します。「敗戦国の国民となって、戦勝国の日本人に対する劣等感を抱いているアメリカ人」の姿というパロディによって。
『高い城の男』の描く、敗戦国となったアメリカの人々は『イナゴ身重く横たわる』を読みながら夢想します。「非人道的な残虐行為を行わなかったはずの、汚れていないアメリカの姿」や「輝かしい戦勝国となったはずのアメリカ」という「本当の歴史」を。
これらのモチーフや描写を現代の我々が読むと、執筆当時のディックによる意図を超えて、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論に嵌まる人間を傍から見た姿を描く形になっています。
最初に書いたとおり、私は戦前・戦時中の日本による蛮行については、日本に責任が有ると考えています。しかし、日本による南京虐殺等を否定する説や、ドイツによるショア(ホロコースト)等を否定する説を信じる人たちの、それを信じたくなる心情も、『高い城の男』を読んだ私には何となく少しだけ理解できる気もするのです。人間は、弱くて愚かです。ちょうど犯罪加害者の家族が「自分の家族が、そんな酷いことをするはずがない。何かの間違いだ!デッチ上げだ!冤罪だ!」と言いたくなるのと似たような心理なのではないでしょうか。誰でも大なり小なり「祖国に対する愛着の心」が有り、その祖国が過去の歴史の中で蛮行を働いたという記憶は、犯罪加害者の家族の場合と同様「耐え難い現実」であり、可能ならば「違った未来」が実現して欲しかった、「デッチ上げによる冤罪」であって欲しかったという思いを抱かせるのでしょう。
『高い城の男』の詳細と結末については、実際に読んでもらうしかありませんが、それについて少し書きます。ネタバレされるのがイヤな場合、以下の記述を読まないで、書店に向かってハヤカワSF文庫の『高い城の男』をお買い求め下さい。
【【【注意!ネタバレ有り!】】】
↓
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実は『イナゴ身重く横たわる』に書かれた「本当の歴史」は「『高い城の男』を読む我々の存在する現実世界の歴史」ではありません。連合国側が勝利する歴史ではあっても、現実の歴史とは食い違う記述が有ります。つまり、本作の中で『イナゴ身重く横たわる』を読み耽るアメリカ人たちが夢想している「あり得たはずのアメリカ」は「無い」のです。
SF論としては、作家フィリップK.ディックは「本物と偽物」「現実と虚構」というモチーフを書くことに取り憑かれ続けた生涯で云々と話を展開するところでしょうが、ここでは南京虐殺の否定論やショア(ホロコースト)の否定論に絡めて『高い城の男』の話を持ち出したので、別のことを書きます。
心情的には、否定論にすがる人たちの気持ちも分かるような気がすると、私は書きました。
しかし、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論にすがる人たちの「間違いを犯さなかった、こんな歴史であって欲しかった」と夢想する歴史も、結局は『イナゴ身重く横たわる』の記す歴史と同じく「無い」のです。『高い城の男』は第二次世界大戦を下敷きにしていますが、ベトナム戦争のアメリカをはじめ、おそらく何処の国であっても大なり小なり「別の歴史があって欲しかった」という事は有ることでしょう。しかし、勿論それも日本やドイツと同様に「無い」のです。
では、我々は、どうすれば良いのでしょうか?実は、それを示唆する内容が『高い城の男』には書かれています。
『高い城の男』には、占領軍の日本人将校を相手に「アメリカの骨董品」の贋作を作って売るビジネスに関わるアメリカ人が出てきます。しかし物語の終盤に至ると、彼は「偽の歴史を付与した贋作の骨董品」を作って売るのではなく、新たなオリジナルの創作物を作って売ることを決意します。
『高い城の男』は教訓を学ばせる目的で書かれたとは思いませんが、それでも私は、このくだりを読んで思ったのです。「在って欲しかった歴史」「我々の願望を満たしてくれる、都合の良い現実」など有りはしない。どれほど不条理に感じても、動かし難く消し去ることのできない過去を「我々の現実」として引き受けるところから始めるしか他にないのだ、と。
私は、歴史の専門家ではない一般人です。まず前提として、戦前・戦時中のアジア諸国へ与えた被害、南京虐殺や従軍慰安婦問題、米国人をはじめとする敵国捕虜に対する非人道的行為等々について、日本に責任が有ると考えている者です。
フィリップK.ディックというアメリカのSF作家の小説に『高い城の男』という作品があります。貴方は、これを読まれたことはありますか?もし無ければ、今から粗筋を紹介します。もし、既に読まれたことが有るならば、私が以下に書くことは釈迦に説法ですから、無視して貰って構いません。
= 粗筋ここから =
第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利に終わった。世界は、ドイツ第三帝国と大日本帝国という2つの大国に支配され、アメリカも日独による占領・分割統治の下に置かれている(西海岸側が日本により占領されている)。
作中では、大戦終了直前にアメリカが、不利な戦況を覆す為に、非人道的戦術を用いたり、残虐な行為に走ったことなども語られる。しかし、そこまでしても敗戦に終わったことから、アメリカ国民の誇りは打ち砕かれている。西海岸で日本人相手に商売をしているアメリカ人は、敗戦国の人間として戦勝国(日本)に対する強い劣等感を抱いている。
戦勝国となったドイツと日本は、いまだ表面上は友好関係を保ってはいるが、アーリア人種至上主義の国と黄色人種の国は呉越同舟である。ドイツは密かに日本殲滅計画を目論み、日本もまたドイツに対して不信感を抱くようになりつつある。遠くない未来には、2つの大国は衝突を避けられないだろう。
このように敗戦国の人間も戦勝国の人間も等しく、将来に対して不安を抱いて生活しているアメリカでは、奇妙な流行が2つある。
1つは「当たるも八卦当たらぬも八卦」で有名な、古代中国の書『易経』に基づく占いである。物語の登場人物たちは、何か不安に駆られる度にコインを用いた占い(※本来は筮竹を使うが、陰陽2つの組み合わせで占うので、コインでも代用できる)によって『易経』の宣託に頼ろうとする。
もう1つの流行は、地下出版により流通する『イナゴ身重く横たわる』と題された1冊の本である。占領国の官憲により発禁本の指定を受けながらも、アメリカ国民は(そして、取り締まる側のドイツ人や日本人も)厳しい監視の目を逃れて、密かにその本を読み耽る。その本には「本当の歴史」が記されているのだという。「枢軸国側が敗戦国になり、連合国側が戦勝国になった歴史」が。
この本を執筆した作家を暗殺する為に、ドイツ当局の手の者が動き出す。また、この本に書かれたことは「本当の歴史」なのか?だとすれば、如何にして作家はそれを知って執筆したのか?それを確かめる為に、一人のアメリカ人女性も作家の下へ向かう。
「高い城」に居ると噂される作家の下へ。
= 粗筋ここまで =
私が知る限りでは、ディックが本物の日本人と実際に交友関係があったという形跡は有りません。しかしディックは、優れた作家が持つイマジネーションの力だけで、敗戦国の日本人の心情を見事に描き出します。「敗戦国の国民となって、戦勝国の日本人に対する劣等感を抱いているアメリカ人」の姿というパロディによって。
『高い城の男』の描く、敗戦国となったアメリカの人々は『イナゴ身重く横たわる』を読みながら夢想します。「非人道的な残虐行為を行わなかったはずの、汚れていないアメリカの姿」や「輝かしい戦勝国となったはずのアメリカ」という「本当の歴史」を。
これらのモチーフや描写を現代の我々が読むと、執筆当時のディックによる意図を超えて、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論に嵌まる人間を傍から見た姿を描く形になっています。
最初に書いたとおり、私は戦前・戦時中の日本による蛮行については、日本に責任が有ると考えています。しかし、日本による南京虐殺等を否定する説や、ドイツによるショア(ホロコースト)等を否定する説を信じる人たちの、それを信じたくなる心情も、『高い城の男』を読んだ私には何となく少しだけ理解できる気もするのです。人間は、弱くて愚かです。ちょうど犯罪加害者の家族が「自分の家族が、そんな酷いことをするはずがない。何かの間違いだ!デッチ上げだ!冤罪だ!」と言いたくなるのと似たような心理なのではないでしょうか。誰でも大なり小なり「祖国に対する愛着の心」が有り、その祖国が過去の歴史の中で蛮行を働いたという記憶は、犯罪加害者の家族の場合と同様「耐え難い現実」であり、可能ならば「違った未来」が実現して欲しかった、「デッチ上げによる冤罪」であって欲しかったという思いを抱かせるのでしょう。
『高い城の男』の詳細と結末については、実際に読んでもらうしかありませんが、それについて少し書きます。ネタバレされるのがイヤな場合、以下の記述を読まないで、書店に向かってハヤカワSF文庫の『高い城の男』をお買い求め下さい。
【【【注意!ネタバレ有り!】】】
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実は『イナゴ身重く横たわる』に書かれた「本当の歴史」は「『高い城の男』を読む我々の存在する現実世界の歴史」ではありません。連合国側が勝利する歴史ではあっても、現実の歴史とは食い違う記述が有ります。つまり、本作の中で『イナゴ身重く横たわる』を読み耽るアメリカ人たちが夢想している「あり得たはずのアメリカ」は「無い」のです。
SF論としては、作家フィリップK.ディックは「本物と偽物」「現実と虚構」というモチーフを書くことに取り憑かれ続けた生涯で云々と話を展開するところでしょうが、ここでは南京虐殺の否定論やショア(ホロコースト)の否定論に絡めて『高い城の男』の話を持ち出したので、別のことを書きます。
心情的には、否定論にすがる人たちの気持ちも分かるような気がすると、私は書きました。
しかし、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論にすがる人たちの「間違いを犯さなかった、こんな歴史であって欲しかった」と夢想する歴史も、結局は『イナゴ身重く横たわる』の記す歴史と同じく「無い」のです。『高い城の男』は第二次世界大戦を下敷きにしていますが、ベトナム戦争のアメリカをはじめ、おそらく何処の国であっても大なり小なり「別の歴史があって欲しかった」という事は有ることでしょう。しかし、勿論それも日本やドイツと同様に「無い」のです。
では、我々は、どうすれば良いのでしょうか?実は、それを示唆する内容が『高い城の男』には書かれています。
『高い城の男』には、占領軍の日本人将校を相手に「アメリカの骨董品」の贋作を作って売るビジネスに関わるアメリカ人が出てきます。しかし物語の終盤に至ると、彼は「偽の歴史を付与した贋作の骨董品」を作って売るのではなく、新たなオリジナルの創作物を作って売ることを決意します。
『高い城の男』は教訓を学ばせる目的で書かれたとは思いませんが、それでも私は、このくだりを読んで思ったのです。「在って欲しかった歴史」「我々の願望を満たしてくれる、都合の良い現実」など有りはしない。どれほど不条理に感じても、動かし難く消し去ることのできない過去を「我々の現実」として引き受けるところから始めるしか他にないのだ、と。
「セクシャリティを確定していない」もまた一つのアイデンティティだと思うよ。
私は生物学的にも女だし、女性として扱われることに違和感はない。
男性になりたいと思うことはないこともないけど、それは「自分が女性であることを肯定したうえで、女性社会に嫌気が差した結果」なので、そういう意味でも私は女性であることは間違いない。
恋愛対象は男性で、男性と性的な関係を持つことも、相手に対して心を許していれば嫌悪感はない。
けど、男性向けの発禁本を読んだり、男性向けの(女性の)そういう音声を聞いたりするし、