はてなキーワード: 演奏会とは
京都府木津川市と奈良県奈良市にまたがるイオンモール高の原の話
イオンモール高の原が、同じく市町境をまたぐ奈良登美ヶ丘、京都桂川、四條畷やイオン半田店と違う点は、警察の管轄が分かれるということ。そのため、両府県警は造成工事のころから協議を続け、事件や事故に備えてイオン(当時)に境界線を引くよう申し入れをすることになった。その結果、イオンモール高の原だけ通路、階段、駐車場、そして電機整備室にまで線が引かれている。
ただ、もし府県境の真上で万引きなどが起きたとき、権限争いが起こるかと言えばそうではなく、あらかじめ床面積の大きい方の警察が担当すると決められている。そのためか、通路に線が引かれていても専門店の中にはなく、駐車場も車止めが黄か緑のどちらかに色分けされている。
電話を両市から引くことはないため、実際にはどこで事件が起ころうともモール内の防災センターを経由して京都府警に一報が入ることになり、そのまま京都府警が駆けつけてから管轄する府県警に引き継ぐ(携帯電話から入電した場合は奈良県警のことも)。
巡回には両方からやってくるが、防犯訓練やイベント、啓発活動は両方のときと一方だけのときがある。単独で店にポスターを配る場合は、府県境でUターンするなんて光景も。
京都側の相楽中部消防組合消防本部と奈良側の奈良市消防局がオープン前に事前協議を行い、防災訓練、消防点検などは京都側が担当すると決められ(よそでも同じで、例えばイオンモール京都桂川だと京都市。Honda Cars 奈良中央 高の原店だと奈良市)、喫煙等も相楽中部消防組合火災予防条例第23条により制限される。ただし、11月の消防フェアは奈良市消防局北消防署と相楽中部消防組合消防本部の共催。
火災発生時も警察同様、電話の関係で京都側に入電するが、そこから奈良市消防局にも出動要請する(携帯電話の場合は逆もあり得る)。一方、救急は入電した側が出動し、いつも両方から来るということはない。ちなみに、奈良市消防局と相楽中部消防組合消防本部は全国で初めて、都道府県を超えたはしご車の共同整備を目指している。
スク革や東京カルチャーカルチャーなどで、京都側で使えないと紹介された奈良県の商品券。奈良側では使えるのかというとそういうわけでもない。地方消費税の税収が少ない奈良県は、奈良側のみ参加を認めているので、平城遷都1300年記念プレミアム商品券(2010・2011年)、せんとくんプレミアム商品券(2011年)では確かに県の方針に従ったが、生活応援せんとくんプレミアム商品券(2014年)、せんとくんプレミアム商品券(2015年)ではなぜか全店舗で参加を見合わせた。一方、奈良市は京都側でも使用を認めた。
奈良側でも京都府の最低賃金が適用される。ただ、以前は「高の原店に研修に行った時奈良の最低賃金がどうたらって裏に書いてあったんだけど」といった声も。
商業施設の住所決めは法務省の管轄になるが、法律上の決まりはない。高の原は京都側のフロア面積が広く、事務所も京都側のため京都府木津川市相楽台1-1-1。
映画館は奈良市側にあり、「Yahoo!検索大賞2016」奈良県部門賞にも選ばれたが、興行場法や条例に基づく営業許可は京都府が出し、府の青少年の健全な育成に関する条例が適用され、生活衛生同業組合京都興行協会に所属している。そのため、近鉄奈良駅近くの映画館が閉館した際には、徳島市も映画館がなかったのに「県都で唯一 映画館ゼロに」と報道され、山口市の映画館がなくなってからも、なぜか奈良市だけが全国の新聞・テレビ・ラジオやネットでないない言われる羽目に。
無印良品 イオンモール高の原は奈良市側にあるが、住所は京都府のため、奈良市は無印良品 近鉄奈良が閉店してから無印良品 ならファミリーがオープンするまでの間、三重県津市とともに無印良品のない県庁所在地となった。
奈良側にある「ゆめはんな歯科クリニック高の原」「ポシブル」はなぜか住所が奈良市右京1-6-1で、「サンマルクカフェ」もレシートだけ奈良市。また、京都側、奈良側に関係なく木津川市相楽台1-1-1と相楽台1-3が混在しているが、店舗の入れ替わりに伴って相楽台1-3は減少しつつある。
京都府民は、0歳から中学校卒業まで保険診療の自己負担額が200円だけで済むが、モール内のゆめはんな歯科クリニック高の原の場合は住所が奈良市のため、一度自己負担金を支払った後、支給申請書を役所に提出しなければならない。
京都側、奈良側関係なく市外局番は木津川市の0774。公衆電話も同じで、置かれているタウンページは京都府宇治・山城地区版。イオンモール高の原のある平城・相楽ニュータウン(京都府・奈良県奈良市)は、ネットが普及するまでタウンページが分かれていることが不便だった。
奈良市水道局と京都府営水道の両方から供給され、テナントごとに床面積の大きい方と契約する。水道代節約のために地下水を利用する企業も多いが、イオンモール高の原では使用していない。
搬入口は京都側と奈良側がある。また、廃棄物は発生した市ごとに分別と出し方が異なるため(奈良市は透明・半透明の袋であればよいのに対し、木津川市は指定ごみ袋。これはイオンモール京都桂川など他の施設も同じ。)、ごみ集積所が2か所。なお、両府県にまたがるテナントは床面積の大きい方に合わせる。
店舗部分がより多く属する方の都道府県に届け出なければならない(大規模小売店舗立地法についての質問及び回答集より)。
京都府地球温暖化対策条例、京都府再生可能エネルギーの導入等の促進に関する条例により、特定建築物再生可能エネルギー導入計画書・報告書の提出が義務づけられている。
建設時、古都の眺望を守るため奈良市側のみ31m高度地区に指定されており、木津川市側は商業地域であることを理由に制限を設定する考えはないとした。
しかし、第一種低層住居専用地域と接しているという京都府内でも2ヶ所しかない特異な環境であることから、隣接する用地(現在はマンションとイオンモールの増床予定地)の売却を機に、木津川市も都市計画審議会で高さ制限を設けた。
木津川市側の高の原地区整備計画区域に設置する広告物は、木津川市屋外広告物施行規則第7条に定める基準に該当し、かつ、次の各号の条件をすべて満たさなければならない。
また、奈良市側も高の原駅周辺の平城ニュータウンにおいて、奈良市屋外広告物条例施行規則に定める基準に該当しなければならない。
関西文化学術研究都市平城・相楽地区のセンターゾーン(京都府域)における建築物等の新築、増改築、移転、外観の変更(小規模行為を除く)については、関西文化学術研究都市(京都府域)における建築物等の整備要綱に基づき、建築物等の整備計画を京都府知事に提出しなければならない。
木津川市は「木津川市自転車等の放置防止に関する条例施行規則」第3条第1項において近鉄高の原駅付近を自転車等放置禁止区域に指定しており、奈良市も同様に近鉄高の原駅周辺を禁止区域としている。
もともと「きょうと子育て応援パスポート」協賛店があり、2015年11月‐12月に「なら子育て応援団」が加わったことで2種類の協賛店が混在することになったが(相互利用は可)、2018年2月28日に一部統合された。
住所が京都府のため、地域初出店の店がオープンした場合、奈良側に位置していたとしても京都1号店ということになり、奈良1号店にはならない。そのため、LEEPHやG-LAND EXTREME、Zoff、イノブンのように、既にイオンモール高の原の奈良側に出店している店でも奈良県内の他の商業施設(イオンモール橿原、ならファミリー、イオンモール大和郡山…)が奈良1号店となるが、稀にAWESOME STOREのように、イオンモール高の原とイオンモール橿原の両方で奈良初を名乗ることもある。
奈良県とイオン株式会社は「連携と協力に関する包括協定」を結んでおり、2017年度は「奈良イチ押し商品展示販売会」を、2018年度以降は月1で「奈良のいろどり良品販売会」を開催。また、2015年度から奈良県が主催する障害のある人が作った授産商品の販売会「はたらく障害者応援フェア」を開催している。
京都府と奈良県の両方から中学・高校の吹奏楽部、高校の書道部を招いて演奏会、高等学校書道パフォーマンスグランプリを開催したり、イオン高の原店・イオンシネマ高の原・ユニクロで中学生の職場体験を受け入れたりしているほか、2014年からは2月に京都府立南山城支援学校高等部生徒の販売学習「ときめきショップ」を開催している。
2011年3月に奈良県と、2011年9月に京都府と締結している。
総合スーパーのイオン高の原店では、京都府木津川市・奈良県平群町からの近郊野菜や奈良の「大和牛」「大和肉鶏」「ひのひかり」「近藤豆腐店」「奈良屋本店」「平宗」「山崎屋の奈良漬」「奈良鹿ないカレー」、京都・奈良両方の地酒を取り揃えている。また、2010年に「おいしい奈良産協力店」に認定されたほか、木津川市農で頑張る協議会が2017年から毎月第2土曜日・日曜日に朝市「みのりフェア」を開催したり、2018年12月20日から登録農家が直接持ち込むコーナーを設けたりしている。
それは学生時代のサークルの(特に同期の)連中である。音楽系だったので、練習はもちろん、演奏会やそれ以外の遊びのときも一緒に過ごすことが多かった。中高生とか大学生の男子というのは一番女子の容姿というものに対して残酷なお年頃であり、可愛い子と自分のように地味なタイプでは天地のように扱いが違ってイヤな思いもしたけれど、大人になって分かったのは、大人の世界でもそういう容姿差別はなくなるわけではなく、ただ、世間のかなりの人がさほど美しくない人にも表面上普通に接する技を身に付けているというのが結論だった。
学生時代の友人たちは思ったことを正直に口や態度に出した。私はいわゆる空気読めないタイプであり、自己中な行動や言動をしてしまいがちなところがあった(…というか今もそれは完治していないと思う)けど、彼らはそれに対して敏感に反応した。あと、「歩き方が変」とか「声が大きい」とかそういう言われたくないことも容赦なしに指摘した。今思い出すと「私は何てことをして(あるいは言って)しまったんだろう」と思うことは数限りないけれど、彼らがそのとき露骨にイヤそうな態度を示してくれたおかげで、自分の行動が世の中の基準に合っていないことに気付いたのだ。
社会人になると、20代ぐらいのうちに厳しい上司や先輩につかない限り、いろいろなことを指摘してもらえなくなる。自分が非常識な行動や言動をしたときに「それはダメだ」と言ってもらえたらありがたいのだということに気付いた。大人になってから知り合った人って、「あの人変」とか「あの行動はおかしい」となるとどこがおかしくてダメなのか言ってくれることなく自分から離れてゆこうとする。私としては多少欠点を指摘されてもいいから、話し相手になったり一緒に遊びに行ったりしてくれる方がありがたいんだけど、向こうはそんな手間をかける気がない。ましてやお局さまと言われても仕方のない年頃になると、後輩などは遠慮して余計言ってくれなくなる。
ただでさえ空気読めないタイプなんだから、自分の言動や行動におかしいところがあれば指摘してほしいのに「自分で察しろ」と離れていかれるのはキツすぎる。自分で察することができる人間は空気が読めるから察せるのだ。学生時代の友人はその点、容赦なく欠点を指摘する代わりにだいたい世間ではこういう考え方やものの見方が普通なのだということを示してくれた。最近は何か大きなイベントでもないと集まる機会もないけれど、職場の同期よりも学生時代の仲間の方が懐かしい。
http://anond.hatelabo.jp/20170207184136
引用部分は実際にはこうな。
ダイサンエージェンシーの名称で興行事業を行ってきていた被控訴人オカモトが,KHMプロモーションの懇請を受けて,同社に名義を貸したことにより,同社が控訴対象演奏会を開催することが可能ないし容易になったものであるから(同社にはスタッフも対外的な信用もなく,会場の確保ができなかったことは,被控訴人らの自認するところである。),両者は,協力して,同演奏会を開催したものと解するべきであり,その結果,故意又は過失により,著作物使用料相当額の損害を控訴人に与えたのであれば,両者のそれぞれにそれを賠償する責任が生じるのは当然というべきである(民法719条,709条)。
知的財産裁判例のところにあるけれど、この部分の判断基準は著作権法ではなく民法。後釣り宣言の前に意味のない追記をしてたけど著作権制度関係なくなっちゃったね。
http://anond.hatelabo.jp/20170207184136
週末に解説とか悠長なこと言ってないで、俺が全部にツッコミ入れ終わる前に何か書いたほうがいいよ。
著作権法38条1項によれば、①非営利で、②料金を徴収せず、③演奏者に報酬が支払われない場合、という3つの要件をすべて満たせば、JASRACに無断で公に演奏しても構わないとされている。
チャリティーコンサートがこれを満たすのか、ではなく、「チャリティーコンサート」と名乗ったコンサートが本当に3要素を満たしていたのか、が争われた内容。
被告らは,本件各演奏会の第1部に関しては,著作権法38条1項が適用されると主張する。
しかしながら,前記1認定のとおり,本件各演奏会は,全体として一つの演奏会であって,第1部と第2部に分けることはできないし,平成11年6月27日開催分までについて,第1部は無料,第2部は有料という明確な区別があったとも認め難く,平成11年7月以降分に関しては,観客から直接入場料名目の金員を徴収することはなかったものの,寄付金を集めており,これは,著作物の提供について受ける対価と認められる。
また,被告会社が主催する本件演奏会(2)については,被告会社の事業として行われていたものと認められる。
そして,弁論の全趣旨によると,少なくともCに対しては平成13年2月11日より前は出演料が支払われていたものと認められる。
そうすると,平成13年2月11日より前の時期について,第1部のみを取り上げて著作権法38条1項を適用することはできない。
(平成13年2月11日以降同年6月24日までの12件に関して)
上記認定のとおり,本件演奏会(2)については,被告会社の事業として行われていたものであって,寄付金という方式で対価を徴収としていたものと認められるから,Cに対しても出演料が支払われていないからといって,著作権法38条1項が適用されるということにはならない。
何回もコンサートを開いてきて、いろいろ言われて名目を変えたから判定が多岐にわたっているけれども、寄付金が入場料と認められた経緯については
平成11年7月以降の演奏会に関しては,被告会社は,寄付金を徴収し,寄付した者に対して,記念のパンフレットやプログラム等を渡していた。
という事実で認定されたのだし、第1部と第2部が実質一体という判断も
パンフレット及び入場券には,演奏会が第1部,第2部の構成になっていることやアマチュアの団体の出演分に関しては入場料が無料であるというような記載はない。
とか
演奏会のチケットやパンフレット,演奏会場の予定表には,アマチュアの団体が出演する第1部とCが出演する第2部に分かれていて,第1部は無料,第2部は有料であるとの記載はなく,むしろ,Cが出演する一つのコンサートであって,そこにアマチュアの団体が特別出演するとしか認識できない。
(第1部と第2部を分けるアナウンスをして、検札していたという主張に対し)
さらに,①証拠(甲13,26)によると,原告職員が確認に赴いた演奏会においては,上記のようなアナウンスはなかったことが認められること,②演奏会における会場の収容
人数は,後記認定のとおり多数であることからすると,第1部と第2部との間に入場券を所持していない者に対して入場券を購入させることが実際に可能かどうかはなはだ疑問である
端的に言うと、「家族の思い出作りイベント」と「公式の行事」の区別がついてないモンペ。
その演奏会の存在も知らなかったのに、「名誉ある演奏会」⇒「いつもの演奏会とは違うと言っても、優劣を競うコンクールでもない」
⇒「記念なのだから、小学校のブラスバンド活動の延長線上にあるものなのだから、当然、家族で鑑賞の権利がある」
と、変化しながら手前勝手な解釈をしている。ちょっと前まで演奏会の存在も知らなかったのに決めつけた。
この変化は、我が子が名誉ある演奏会に出られるという喜びから、家族全員で鑑賞できないという悲しみに、感情が変化したことによるのだろう。
関係ない人間から見れば、県で1校しか出られない演奏会ならしょうがないねと思うところだ。演奏者の年齢制限もあるのだし。
我が子の成長を家族で確認するための「家族の行事=発表会」ではなく、各県に1校が選ばれて年齢に応じたランクでの最高峰の演奏を披露する「演奏会」なのだろうと推察できる。
※無印3話の客がいないパターン、デレマス3話の成功するパターンは外す。かといって単に失敗するパターンは後味悪いので不可。とすればこれしかないぜ。あと善子誕生日おめでと。
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曲ができたので、果南と花丸に名前だけ借りて5人として申請書を提出する千歌たち。
「そんなの横暴です!」
「そうだよダイヤ。生徒会長が規則を守らなくてどうするの」と休学明けの果南。
「ぐぬぬ…では一週間後にライブをなさい! そこで生徒の心を動かせれば認めなくもないですわ」
「その挑戦、受けて立ちます!」
「そんな高級なものうちの学校にはないよぅ。東京の学校はいいなあ」
「ないものねだりしないの。体育館のステージでいいんじゃない?」
「そうだねー」
そこへ花丸が様子を見に来る。ルビィもくっついてくる。
「名前貸した手前、裏方くらいなら手伝うずら」
「助かるよ~。あ、ちょっと通しでやってみるから見てくれる?」
初めて見るライブに感動して拍手する花丸。しかしその後ろでルビィがジト目で考えこんでいる。
(う~んいくら初心者とはいえ、このレベルじゃ今のスクールアイドル界では通用しないよぉ。それに体育館でやるって聞こえたけど、ステージの狭さをちゃんと考慮に入れてるのかな?)
「ルビィちゃん、何か気になる?」
「ピギィ! なな何でもないですぅ!」
一方ルビィも家でこっそり踊っていた。
(ここは私ならこうするかなぁ…)
「ルビィ? 何してますの?」
「ひっお姉ちゃん、何でもないよ」
そして花丸は善子にメール。
登校のきっかけが欲しかった善子は、そこまで誘われたら仕方ないわねーとか言いながら制服の準備をする。
ライブ当日。衣装に着替えてステージの幕から恐る恐る首を出すと、体育館は満員だった。
「え…こんなに…?」
「あ、あの、ここまで大勢集めなくても…」
「ハァ!? お客が多くて文句を言うとはどういう了見ですの!」
「い、いえ文句とかじゃなくて、もちろん嬉しいんですけどっ」
と過去への伏線を張るダイヤに、近くで聞いていた果南も複雑な顔。その向こうには謎の金髪が。
「わ、私もこの衣装恥ずかしくなってきたよ~。やっぱり迷彩服の方がよかった…」
「だだ大丈夫! 何とかなるよ!」
そしてとうとう始まったライブ。
しかし案の定、緊張により動きは鈍く、さらに舞台の狭さから互いに激突し、千歌が舞台下に転げ落ちてしまった。
(一瞬でも期待した私が愚かでしたわ…)
善子も呆れ顔である。
「あ、あはは…」
苦笑する花丸の隣で、ルビィがぶるぶると震えている。
(こんな…こんなんじゃ…。
キレたルビィが壇上に駆け上がりマイクを奪い取る。
「エヘッ、みんなビックリした? ここまではちょっとした演出です!
ピンチから逆転するのが真のエンターテインメント! ライブの本番はここからだよぉー!」
「ル、ルビィちゃん!?」
何の取り柄もないと思われていたルビィは、実はステージ上で豹変するタイプだったのだ。
「は、はいずら」
ルビィ+2年生のライブが開始。ルビィのスクールアイドル知識を生かした的確なリードにより、何とか最後までやり遂げたのだった。
「ピギャアアアアア!」
我に返り真っ赤になったルビィは一目散に逃げていった。
「はー、何とか助かったよ。後でルビィちゃんにお礼言わなきゃ」
と、3年生のモブがライブの感想を言いながら歩いてきたので、思わず隠れてしまう。
「あのルビィって子、ほんと可愛かったわね」
「水泳部の渡辺さんもさすがの運動神経よね。ナショナル級だもんね」
「あの曲、転校生の子が作ったんでしょう? さすが東京の人は違うわね」
仲間が誉められていることを嬉しがる千歌だが、千歌自身の名前は出てこない。
「あと一人誰かいなかったっけ?」
「そういえばそんな子もいたわね」
千歌の目から光が失われていく。
それを拾い上げたのは別の3年生だった。
「諦めちゃう?」
「え…?」
「スクーゥアイドォルをやりさえすれば輝けるなんて、そんな甘い話があるわけないわよねぇ。やっぱり普通は普通、μ'sにはなれないって諦めちゃう?」
千歌は涙目になりながらキッと睨み付ける。
「あ、諦めません! 今は無理でも、もっともっと頑張れば、私だって輝ける時が…」
「シャイニー! その気持ちはGoodよ。でも気持ちだけじゃ無理無理。タクティクス、戦術がないとね」
「せ、戦術?」
ぽかんとする千歌の頬に、冷たい缶が押しつけられる。
「ひゃあ!」
「私は3年の小原鞠莉」
「あなたの身柄、私のビジネスセンスに任せてみない? 悪いようにはしないわよぉ~?」
怪しく笑う鞠莉で次回に続く。
http://anond.hatelabo.jp/20160711142957
楽曲をまったく同じ編成もしくは同じ楽譜を使わない限りは厳密に考えると翻案権もしくは、同一性保持権の侵害に引っかかると思われます。
もしディズニーもしくはスクエアエニックスより楽曲のスコア提供を受けて、そのままスコア通りの編成で演奏して、且つエキストラの奏者や演奏者全員が無料もしくは自らお金を出し合って演奏会を開いている場合であれば白に近いグレーにはなると思います。
http://www.techvisor.jp/blog/archives/2340
もしくは編曲もしくはカヴァーを行う事に対して事前に著作権者からOKを取れれば問題ないことかと思います。KH楽曲の場合はJ作曲者は下村陽子氏になり、それ以外の権利一般がディズニー側にゆだねられるはずですので、今回の件でいけば下村陽子氏側はある程度柔軟に対処できているようなのでやはりウォルトディズニー側の判断なのかと思います。
・入場は無料
であればシロを主張しても筋は通るかと思います。
状況を整理すると
でるのになぜ?
https://twitter.com/MiHO_marumaru/status/752105700394803200
さてこれがどういう問題かというと
なぜならば、許諾を得られなかったのに強硬するという事は実質
アマチュアの演奏会は問題ありと捉えられて今後許可が出ない可能性
があります。
2.実際、すぎやまこういちのドラクエのオーケストラスコアが使えなく
なりました。これもアマチュアの一部が著作権および管理楽曲について
粗雑な行いをしたからです。
これは日本劇伴交響楽団のアニメシンフォニア問題というのがありまして
進撃の巨人が権利者から許可が出なかったので急きょ差し替えして結構と
いう事件になりました。
さて、この問題を権利側と愛好家側の側面から合わせて記載します
■権利側
愛好家活動とはとはいえゲーム音楽やアニメ音楽の場合権利が複雑です
ざっくり分けると作曲者の権利、出版社の権利、サブ出版社の権利があ
ります。
アレンジ行為(曲を再オケアレンジにする)の許諾は作曲者にある場合が
あります。作曲者がOKしても製作元(例えばスクエニなど)や権利を持って
いるところが許可を得るのか?そして出版社や著作権の隣接権を管理する
正直めちゃめちゃめんどいし作曲者がOKしても権利者がOKしないと
ダメだったりします。映画なども同じですが著作権が生きていて且つ映画
やゲーム音楽は権利を取るまでにかなりの時間を要します。それだけコン
■愛好者側
最近の例で言うと当面の間オーケストラでドラゴンクエストの曲をやる事
が出来なくなりました。吹奏楽は別途出版されたり過去の出版物があるので
出来なくはないのですが・・・
例えば今回のキングダムハーツなんかの場合だと「ウォルトディズニー」の
許諾がどう得られるか?という話になります。海外ではキングダムハーツの
オケアレンジやっているところがあるのでこの辺の権利関係どうなんでしょう
最近になってゲーム音楽がコンテンツとして売れるというようになってきて
逆に規制が厳しくなった印象です。であればちゃんとしたアレンジで楽譜の
販売をしてくれれば良いのにと思うのですが、逆にオーケストラ曲のスコアを
一般に販売となるとディズニーの事ですから収支が合わないくらいの権利金を
しっかりと直面した問題に取り組んで、報告もしくは対応を取るべきだと思い
ます。ディズニー側のNG例や著作権の話はかなり乱暴だと聞きますが、全て
を伏せてヤリ逃げすると一般社会では非常に心象が悪い。
そもそも、ホールの予約などどのみち運営者の名前が出てしまうのでネットで
叩かれることはなくともその気になって民事賠償を起こそうと思えば簡単に
足がつくと思われます。
ファンとしては「営利目的でなく」ファン活動として実行しようとする演奏会
・子供の笑顔が見たいから遠方のイベント参加→近所の公園で一緒に遊んであげれば?
・素敵な思い出を作ってあげたいから子連れ海外旅行→1歳の子に?思い出残るの?自分が行きたいだけだよね
・子供への情操教育が必要、美味しい物を食べさせたり大人向けの美術館や演奏会に連れてくわ
→料理くらい自分で作れば?情操教育なら実際にやるのが一番だよ、お絵かきや楽器を一緒に家でやりなよ
・ママが笑顔なら子供も笑顔なの、だからママも楽しむ権利があるの→自分が好き勝手やりたいだけの言い訳としか思えない
子持ちが良く言うことに対してこういう感想しか持てないんだけど
経験していないことに口出すな=実感の持てないことはするなってこと?
四月は君の嘘を読んだ。何回目かの再読だったんだけど、びっくりするくらい涙が溢れてきた。正直自分で自分にひいた。ないわー、ほんと。ないわー。
個人的に、これまでこの作品の涙ポイントは決まって七巻の公生ママの独白だったんだけど、今回はいろんな巻の色んな場面で目頭が熱くなってしまった。
結末を知っているからこそだけど、まだ元気な時のかをりちゃんの言動に隠された心情をちょくちょく想像しながら読んだもんだからその時々で胸が詰まった。一巻のバイオリン発表会の際に彼女は何を思っていたのか、演奏後公生に感想を訊ねて、本人の言葉で返事をもらった時どんな気持ちがしたのかとか、思いを馳せるとすぐに涙腺が緩んでしまう。一番裏を読みたくなる人物だよね。
紘子さんが抱えている負い目も切ない。祭りの場面とか、演奏会の時とか、台詞がない表情だけのコマで何を表しているのか、そんな面持ちで何を考えているのか、ちょっと読むスピードを落として覗き込んでみるとじんと胸に突き刺さる、言葉にならない思いが垣間見えた気がして思わず視界がぼやけてしまった。
今回特にびっくりしたのが、前はそんなに感じ入らなかった最終巻で目がうるうるしてしまったことだった。公正が表現者として伝える対象者を聴衆にまで広げる展開が早過ぎるのは前読んだ時と変わりない感覚だったんだけど、通しで読んだせいか没入感が凄すぎてドラマチックな演出に流されるままに涙を流してしまった。くやしい。
他にも色んな場面でいろんな登場人物の思いや行間なんかをじっくり想像する度に、どういうわけかじんわり涙が浮かんできて馬鹿正直に感動させれてしまった。
出てくる登場人物がみんな血の通った真人間なのが素敵なんだよなあ。綺麗過ぎるって感想もあるけれど、これはこれでいいと思います。柏木さんが素敵です。渡は本当に良い奴です。
この作者は表現方法も面白い。いろんなところから引用しているのが一点と、エピソードや台詞の対比を効果的に使うところが上手いと思う。特に関心したのが七巻。公生が演奏している映像を紘子さんが見ている場面で、感情が高ぶるあまり繋いでいた娘の手を強く握りしめてしまった後、娘に「いたくしないんなら手つないであげる」と返される展開が、幼い公正と母親との関係がそういかなかったことを連想させて、余計と公正の母親が自らのことをひどい母親だと後悔する回想を引き立てているように感じた。椿の時間が止まるという台詞もそうだし、ものすごいわかりやすい例で言えば公正の母親とかをりちゃんの車椅子なんかもそうなんだと思う。
要するに伏線が上手いってこったな。さよならフットボールでも何気ない会話の中で出てきた一言を象徴的な決めシーンで繰り返したりしてるから、すごく意識して作ってるんだと思う。どこか忘れてしまったけれど、四月は君の嘘のあるコマを見た時に精緻に積み上げたロジックが完成したかのような一致感を覚えた時もあったから。
残念なのは、ところどころ描写が急な箇所があること。最終巻の公正が決意するシーンもそう感じたし、かをりちゃんが病院で慟哭する場面も勢いが良すぎて少し没入感が削がれてしまった。また楽譜に忠実な演奏の描き方が物足りないのも惜しい。おかげで武士の凄みが最後の方まで今ひとつ迫ってこないのが残念だった。
唐突に思い立って読み直したら久々に感動できた気がする。やっぱりいい作品です。後日談が八月かそこらにでるらしいから見逃さずに買わなくちゃ。
全然違う作品だけど、ワンダーランドっていう漫画は二巻になってから面白くなった。一巻はまるまる一冊パニックホラーだったけど、やっぱり状況がわかってくると面白さも倍増するんだと思った。
いわゆる2ちゃんねるネタであり「あそこに書かれていることなんて気にしなくていいと思うぞ」で終わってしまう話を、あえて書いてみる。
就学前の幼少時から始められる楽器の代表例は、なんといってもピアノとヴァイオリンだろう。
そんなだから、当然2ちゃんねるにもヴァイオリンのスレはあるのだが、ピアノと違ってこのスレはほぼ十年来、ギスギスした空気で現在に至っているのだ。
理由は、幼少時から始めた人=アーリー組と、高校・大学・社会人くらいから始めた人=レイト組の対立にある。
結果、本スレから分家した、レイト向けスレの1に貼られるテンプレからして、その上から目線ぶりが尋常ではない。
以下の論争はすでに終結しています。
●耳の腐ったレイトに良し悪しは解らんだろう。
●ヴァイオリンはピタゴラス音律で弾く。レイトは基本的にヴィブラートを掛けてはならない。
●幼少期から習っている人に大人から始めて追いつけるワケがない。言語と同じ。
●チューナーは、調弦では仕方がない、運弓で使える、音階練習には使えない。
(中略)
汚い音、狂った音程に対する嫌悪感が、上達のインセンティブで、
これはもう、明らかに「にわかを見下す熟練者」「アーリー組自身が囚われている生存者バイアス」が合わさった結果であり、こういう対立がないピアノ組が正直羨ましい。
自分も一応はアーリー組の末席という立ち位置だが、どう見てもアーリー組のスタンスの問題だと思うのだ。
以下、そんなアーリーの特徴を、ヴァイオリンの特性も絡めて書いてみる。
主にピアノと比較したヴァイオリンの特性をシニカルに書くと、こんな感じである。
ヴァイオリンをとても良く弾ける人間がひとたび音を出せば、それはもう堂々の主役として、当たり前のようにステージを支配する点において「楽器の女王」であることは間違いない。
しかし楽器のポテンシャルや柔軟性から言えば、「楽器の王様」はピアノだろう。
そんなヴァイオリンは、親の時間的金銭的負担が大きい時点で幼少時からの学習者がピアノほど多くないところに、演奏技法習得の難しさ(≒誰もが知っている名曲を弾けるまでに至るための要求水準の高さ)から、恐らく多くの脱落者を生んでいることが容易に想像できるシロモノである。
それこそ面倒どころか、個人的には世界一難しい楽器としてギネス認定すべきだと思うくらいで、ヴァイオリン弾きの生存者バイアスが強いと思う理由である。
全5曲のうち、重要なのは3番以降の3曲で、これはプロオケの入団試験にも頻出する曲であり、つまりヴァイオリンでクラシックをやるなら、3曲のうちのいずれかをプロ・アマ問わず習得していることが望ましい曲である。
というかメンデルスゾーンの協奏曲やバッハのシャコンヌやチゴイネルワイゼンみたいな名曲を弾こうと思ったら、モーツァルトをまともに弾けるのは大前提だし。
そんなこともあり、実際プロ目指す人は小学生でモーツァルトをやってしまう。
しかしアマチュアになると、幼少時から習っていてもここまで来る人は1割程度だと言われている。
そして、そんなごく一部の人=アーリー組が、大人になってもヴァイオリンを続けていると、こういうわけだ。
しかし、アーリーにそんな自覚は多分ないはずで、それどころか超頑張って俺はここまで来た的な自負があり、これがレイトとの軋轢の根本原因だろう。
つまり、幼少時から始めた人が超上手くなって続けるか、そうならずにヴァイオリンを習っていたことそのものを無かったことにするかという両極端な事情をどうにかしないと、今後もこの憂慮すべき事態は続くと思われる。
保育園の開園を断念して「これはひどい」とかブコメ付けてるやつがいるけど、例外者批判(実際には批判にもなってないただの批難ばかり)も甚だしい。
次に出てくる言葉が何かと思ったら「子どもを大切にしない」だとか言うけどさ、実際に保育園か幼稚園の隣に住んでみろっつーの。
例えば航空自衛隊のある町の近くに住むと二重ガラスにする補助がもらえたりするけど、保育園にはそういう近隣住民に対しての何か配慮ってあるの?
「子どもを大切にする精神」だけを求められるのであれば、是非とも保育園の近隣に率先して住んでくれ。
とか言ったら「会社がー」「通勤がー」とか言いやがるだろ?その程度の関心しかないんだわ、そういう人たちって。
なんのためのフレックスタイム出勤だよ、と思わざるを得ないくらい朝はゆっくり寝られない。
誰だって迷惑をかけるんだったら、しかもそれが子どもであるのならば、迷惑をかけないように如何に配慮するのかってのが大人の役割なんじゃねーの?
「防音対策をしっかりする→建設費用がー」という問題が出て来て始めて国政に声を挙げられるんじゃねーの?
それ以前の批難しかできない人たちが選挙権を持っていることの方が日本の未来の暗さな気がするわ。
そういう大人ができること、配慮することを無視して「日本ノミライガー」とか、驚くほど知性を感じさせない大人という念しか懐かない。
マジで飛行場の方が静かなレベルだからね、保育園の隣に住むというのは。
そもそも子どもは騒がしい生き物なんじゃない、大人が騒がせている=元気溌剌だと勘違いしているだけなんじゃないのか。
子どもを黙らせるんじゃなくて、静かにならないのならば配慮できる理性を備えた大人が対処するものなんじゃないのか。
そういう大人だからできるもの、むしろ大人だからすべきものを全く無視して「若者ガー」とか何言ってんだ?
重要だからこそ、しっかりと環境や実状を踏まえてどうすべきかを考える。
そういう人たちが増えることを願ってやまない。
追記::
「実際に隣に住んでみろ」っていうと「極論ダ―」が現れそうだから、一応付けたしておくよ。
先にも述べたけど「実際に住め」と言われて「通勤通学ガー」と言い訳する奴らなんて、本当は「保育園」に興味なんて1マイクロもないんだ。
ただただ世間で話題になったことがらに、インテレサントなものにだけ興味を引かれて、脊髄反射的に批難する言葉が出てきているだけで頭なんて使っちゃいない。
自らの経験や周辺住民の声を聞いて、それらを踏まえてどういうことをしていくか、あるいは為していくか、それが科学的な思考であって、義務教育を終えた人が為し得る考え方なんじゃないのか?
それは面倒だし簡単にできることじゃない。
そういう面倒なことをやってまできちんと「これからどうすべきか」を考える人たちが必要なんだけど、そういうところにお金は廻らない。
このような状況を全く踏まえないですぐに「コドモガー」というのは、そういう短絡的な大人に教育されている子どもが最も不憫でならない。
追記その2::(4月12日12時ごろ)
なんか知らんけど沢山ブクマ付いてて個人的には興味深くて考えさせられるものも沢山あった。
批判は真摯に受け止めたいし、どんなコメントをくれた人でも全ての人へありがとさん!とは言っておきた。
私は口も悪けりゃ頭も悪い。挙句に文才なんて胎内に忘れてきたようなタイプなので支離滅裂な文はご寛恕いただきたい。
想定していた「私は気にならなかった」系のブコメはやっぱりあった。
もちろん他意はなくて自らの意見を述べているんだろうけど、そこで留まっていれば声としてとても重要なものだと思う。
だけど、そこから一歩進んでしまって、住宅の施設や立地などの諸条件を捨象して、結果を「神経質」というような単純化していく論の持って行き方は賢くない。
賢くないと言っているだけで、嫌いだとかダメだとか言っているわけじゃないことだけは理解して欲しい。
もはや忘却の彼方にある「民主主義ってなんだ!?」「これだ!」なんて語られてたけど、あんなのは民主主義とは言わないんじゃないかと思う。
既存のイデオロギーがあってそこに邁進していくんでもなくて多数決をするんでもない。
多種多様な生き方をしている人たちの声を聞いて、さまざまな問題を語り合って共に解決していくものなんじゃないのかな。
もちろん複雑化していくのは火を見るよりも明らかだけど、日本死ね!って感じて諦めたくねーんだわ、私はね。
そもそも何かに対して「死ね」だなんて良くも簡単に言えたもんだなとは思うけどね、私は口は悪いとは思っているけど「死ね」みたいな言葉は使わないように心がけている。
チラシの裏書きみたいなものだから、本当に散文的なものになってるんだけど、常々思うことを書いて筆を降ろしたいと思う。
日本が悪い、社会が悪いみたいなこというけどさ、そういう人たちは何と戦ってんだろね。
追記その3::(4月12日18時くらい)
チラシの裏2枚目。
色々な声が聞けるインターネッツってやっぱり素晴らしいな、と思ってる。
ブコメを読むと「すっごい頭がキレッキレ(いい意味で)な人で弟子入りしたい!」と思うものもあれば「何ちょっとこの人文盲?」って思うものもある。
そして何より感動しているのは「共存」かそういう類のキーワードを挙げている人がいること。そうなんだよ、それなんだよ、これからの時代って、と個人的に思ってる。
いずれにしても、どのブコメを読んでも個人の素晴らしい意見で、何かこう勝手にカタルシスのようなものを感じちゃってる。
ちなみに増田個人の見解として「こうしたらいいんじゃね?」みたいのは、少しだけ提示したつもり。
もちろん個人の見解(防音対策)はかなりの片手落ち、どころか飛車角を落とした感じ、あるいはキングのいないチェスみたいな(適当)
だから頭をこねくり回して考えてみたけど、これから述べるところの要約を先に言えば「私個人としての結論はない」これが答えだ。
「は?」かもしれないけれど、ソリューションへの道は集積が第一であって一人の意見に可否を付けることじゃないと思うし(震え声
まず、引っ越した先に保育園があるのと、住んでいたところに保育園ができるのとでは意味が異なる。
極端な例を出せば、基地の隣に引っ越したのか、それとも住んでいたところに基地ができるのかでは意味が異なる。
間違いなく別の観点から斬りかかってくる(例えば命の危機だとか何とかね)人がいるけれど、こういう極端な例を出さなきゃ分からない人がいるからこそ、あえて極端な例をあげてみた。
さて、既存の保育園の近隣に引っ越すということは、そういう騒音リスクも承知でなければならない。
決して安い金で引っ越すわけじゃないんだから、徹底的にリサーチが必要だ。
「やっぱり土いじりしたいっすw」ということで一階の部屋を選択し、気晴らし程度の目隠しと1mくらいの道路とフェンス一枚を隔てた向こう側が保育園だった。
演奏会の練習を夏に窓を開け放してやってくれるもんだから、夜勤明けなんて寝てらんない。
ちなみに飛行場関係では、勤務地から歩いていける方がいいじゃん!ってことで岐阜県のK市に航空自衛隊の側に部屋を借りて失敗した。
この失敗は、その町にある既存の施設がどのようなメリットとデメリットがあるのかを考えなかった、単なるリサーチ不足だ。
これに関しては、移住者である私が悪い。そこを選択したのは私だ。保育園が迷惑なんじゃない、基地が迷惑なんじゃない、自分から迷惑に飛び込んで自分から苦しむ一番ダメなパターン。
既存の保育園が足りないというのであれば新設するか、あるいは増床するかという選択になると思う。
今回の開園中止なんてのは新設するパターンだったわけで、上述した既存の保育園とは問題の質が異なる。
新設の場合は、そういうリスクを避けていた人たちに影響が及ぶ。
だから新設するのであれば説明しなくてはならないと思う(問題は賃貸に住む住民にそういう説明があるのか否かというところだけど、個人的な経験がないからどうなの?聞かせて!)
防音設備をしっかりするだとか、お迎えようの駐車場をしっかり設けるだとか、リスクを避けていた人たちがそのリスクを許容できる話をしなきゃいけないと思う。
どうでもいいよって人もいれば、敢えて保育園のない場所を選んだ人もいる可能性はなくはないからね。
こういう話をすると、いろんな考えの人が居て収拾のつかないような議論が続くっていう人もいる。
だけど、それが不毛なやりとりだなんて思わない。
自分の主張をせずに黙り込んで、いかなる困難にも耐え忍んでいくのが美徳なんだろうか。
不毛なやりとりに見えても、実はそこに斬新なアイデアがでるかもしれない。
脱線しちゃったけど、保育園を新たに開園するのであれば、その立地を選んだ条件、なぜそこでなければならなかったのか、という説明はしかるべき事だと思う。
例えば、山の中に大きな保育園を作ってバスで送迎なんて手段もできないことはないだろう。可能性という意味ではね。
経営主体が「私」、つまり利益を出さなくちゃいけない、しかも公益に供するわけだから半端な経営計画が起因して倒産して公益に損害を与えてはいけない。
そういう諸条件を吟味して「ここ!」という選択が行われるとは思うわけだけど、公共の福祉のために個人の幸福が犠牲になるってのは、いささか頂けない。
もちろんこれが国であれば、そりゃもう判例だとか出ちゃってるから「ぐぬぬ」と飲まざるを得ないこともある。
法律を作ってるのは国会だけど、その構成員は日本国民の代表であるから日本人の意思として決めた法律だ。
それに反するというのは、自分で約束したことを自分で「そんなこと言ってねーし」と言うような、無責任な人だと思う。
だけど、保育園の経営主体が「私」となれば、私人が私人の幸福追求を阻害していいのかって話にもならざるを得ないだろう。
「じゃあどうすんの?」って声が上がるのは当然で、一人で考えるよりも三人で文殊の知恵、十人なら聖徳太子やぞ!ということで、いろいろな声を発するのが大切だと思う。
それらを拾って吟味するのが、我らが国民の代表たる政治家!!だと思うんですけどねー。
裏を返せば国民の意識が政治家として表れてるだけでしょうから、政治家がう○こなら、国民もう○こなんです。
はい、私もう○こです。生きて腸に届きすぎた感じの時のう○こです。
「う○こは臭い」と当然のことを指摘して、何かを言ったつもりになったっていいじゃない。何も言わないよりはね。
当然なことかもしれないけれど、その当然なことすら声として発しないと耳を傾けて聞けない人がたくさんいるんだ。
わけ分かんなくなったかもしれないけど、既に述べたように「私の結論はない」からご寛恕ください。
海外の状況ってどうなの?っていうのは、個人的にはブラジルでの経験しかないから「海外」とひとくくりにはできないけど、すくなくとも甲高い「奇声」をあげることはなかったように記憶している。
ただそれは、たまーに迎えにいった時の状況であって、常にそうなのかは知らない。
海外での経験がなくったて、Youtubeでnursery schoolとか何とか、そういう言葉で検索してみると海外の保育園の姿が少しは分かるんじゃないかと思う。
そういうところからも学ぶところはたくさんあると思う。
ところで、どっかの昔の首相がベンサムの最大多数の最大幸福なんて言ってたけど、こんなの私はクソだと思う。
問題をすごく簡素にしてしまうから誤解の嫌いは免れないだろうけど、1億人のうち5001万人が幸せな道であれば4999万人は不幸でもいいのかな?
もちろん1か0かの二項対立で考えるべき言葉じゃないのは分かってんだけど、こうやって簡素化しないと考えられない人っているじゃない?
それでもいいって主張する多くの人は、自分がその最大多数に入れると思ってて、案外4999万人の1人になっちゃうタイプ。
今の格差社会って最大多数の最大幸福で例を挙げた5001万人と4999万人って感じになっちゃってると思わない?
最大多数の幸福のためならば少数派の幸福は侵害してもしかたないんだからね。
おわり。
みんなが思っているよりクラシックは身近で安くて楽しめる場所。
そこそこ名が知れたプロだってうまくチケットを買えば一回4000円ぐらいからコンサート聞けるんだぜ。
半年契約みたいな感じで、何とか定期コンサート半年分で2万円とかで出てるものです。
あのね、服装なんて気にしなくていいの。GパンでOKだから。Tシャツで聞きに行ってもいいのよ?ほんとに。
(まあ、あまりにもみすぼらしいのはNGだけど…。とはいえど、普通に外歩ける服装だったらOK)
下手にハイレゾ(笑)機器そろえるより全然楽しいから。マジで。
そしてもう一つ知ってほしいのが
名の知れたオーケストラじゃなくて、何とか記念オーケストラとかだったら、奏者一人に払われているお金は
高くて3万~5万。安いところだと1万ぐらいのところもある。これでプロだよ。
ちなみに、1万だと下手すると最低時給下回ります。
一番の原因はみんなが聞きにいかないからチケットが売れないの。だから、どんどん値段を下げるしかないの。そういうことなの。
あとね、奏者だけじゃなくて、スタッフだって買いたたかれているよ。
割と普通のどこかの会社員がプロの演奏会のそこそこ重要なスタッフや企画を書いていたりする世の中なんだよ。
だって、それだけじゃ食っていけないし、専業で雇うだけの仕事量も作れない。だって売れないから、儲からないから。
私はそこらへんに転がってそうな普通のアラサ―OLだが、ここ数年で人様に物をあげなきゃいけないシーンが爆発的に増えた。
同期にあげるプチギフト、先輩に渡すお土産、彼氏の誕生日プレゼント、友達へのお祝い、父の日、母の日、親戚や恩師に贈るちょっと値の張る品など。
ぶっちゃけ毎回考えるのが面倒くさい。かといって一つの商品を色んなイベントに使い回すのも面白くないし、ちょっと冷たい気がする。
若い女性は「貰った物」「あげた物」の話をあまりしない。良いものの話は自慢になり、悪いものなら悪口になるからだ。だからリアルではなかなか情報を得られない。
Google先生に助けを求めても、「女友達が絶対喜ぶ!厳選プレゼント〇品!」と銘打つクソみたいなまとめ記事や、知恵袋の過去質問、「プレゼントに最適!」な文句付の楽天商品(品質も謎…)ばかりが表示され、全くアテにならない。
口コミサイトは様々なジャンルに広がっているのに、何故「贈り物」に特化した使い勝手の良い口コミサイトが無いのか甚だ疑問である。
という訳で、贈り物口コミサイトで、あれば便利なのに、と思った機能をつらつら書いていく。
ネットのことはサッパリ分からないので専門家の誰かさん、作って下さい。てか似たようなサービスがあれば誰か誘導して下さい。たのんます。
実店舗商品でもネット販売でもお取り寄せでも何でも構わない。(ただし混ざらない様に詳細検索などで個別に表示できるようにして欲しい)
とりあえず基本情報+ユーザーの口コミ(☆数)が見られる。イメージは食べログ。
大事なのは、その商品を貰った側と、あげた側の口コミを分けて見られるようにして欲しい。
(例:この口コミ投稿した人友達に似てるなぁと思ったら、その人の投稿履歴を見たりして今後のプレゼントの参考にできる)
あげた側は商品が手に入るまでのコスト(価格、時間、ラッピング等のサービス)と反応を投稿する
→その商品の使い勝手がすぐに分かる。(例:そんなに親しくない相手にとりあえず何か贈らなきゃいけない時に便利)
勿論ランキングも貰った側/あげた側で表示されると良い。両者の☆数を合算したランキングがあっても良いと思う。
各ユーザーがざっくり年代、職業、収入…を登録しておいて(公開範囲は選べる)、投稿した全ての口コミにそれらが暗に紐付けされる。
トップの検索窓は「商品」×「イベント」とでもしておき(例:万年筆×バレンタイン、万年筆×進学 等)
詳細検索で更に厳選できるようにしておく。(予算や手に入るまでの日数、地域、相手の性別や年齢など)
(例:「ブーケ ピンク ピアノ」と検索したら、ピアノの演奏会に出た人に渡したピンクの花を使ったブーケの口コミがズラッと出てくる)
更に言うと、検索結果は自分のプロフに沿ったもののみ表示してくれたら尚助かる。
(高校生が「プレゼント バッグ」と検索したとして、高級ブランドバッグが表示されてもあんまり意味がないと思うので)
旅行先でお土産を買う時に便利。現在地から検索し出てきた実店舗一覧から、詳細検索で、お土産をあげる相手にぴったりな店を探すことが出来る。(箱詰め、熨斗、地方発送対応の可否もその場で確認できる)
営業先で小マシなものをすぐ用意しなきゃいけない時にも使えると思う。
予算と状況を設定すると、物を複数組み合わせて提案してくれる機能。
ヤフー知恵袋みたいにカテゴリマスターを置いても良いかもしれないし、
企業とコラボして「予算〇円!新商品△△とコーディネート」みたいな企画でコンペをやっても楽しいかもしれない。
とまぁ、ざっくり思いついたのを適当に書いてみたが、どうだろうか。
ぶっちゃけネットを知り尽くしている専門家達は何千回も思いついているサービスの筈だ。
それでも無いということは、こういうサービスは儲からない何かがあるんだろう。それに個人がすぐ特定されちゃいそうだし。
要は何が言いたいかというと、
相手が喜んで、自分もちょっとだけ満足できて、できればお財布に優しくて、華があって、でも嫌味にならないプレゼントを毎回考えるのにもう疲れたので
誰か代わりに考えて下さいってこと。それだけです。
求人倍率高いといわれるITばかり回っているにも関わらずこの結果のため、相当人間に好かれない人間だと自覚。
管弦楽の学生主体のサークル。4月には担当する楽器に新入生を迎え入れ、パートは4年と2年と1年の3人体制に。
6月と12月に演奏会を開催する。6月の演奏会は4年生は就活のため抜けるのが通例。
12月の演奏会に向け、学校楽器が足りないということで業者からレンタルしたが、2コ下の後輩の根回しが足りず、幹部(3年)に伝わっていないことが判明。根回ししていることを前提に業者との契約を「サークルの名義で」してしまった僕は幹部からの信用を失う。
誰に言わなければならないか、誰が誰に言ったかを常々確認しながら物事を進めなければならないのは骨が折れる。
こういうバランスのとれた人間関係が構築できず、思い込みで動きすぎるのが就活でも見抜かれているんだろうな
リーダーシップとって動いても失敗することが多い
どうしろっていうんだ
俺は見たよ。面白かった。
フレッチャー先生のパワハラは宣伝で言われていたほど作品の中心ではなかった。
主人公以外の生徒もパワハラの被害に遭うし、主人公はしごかれた末に主奏者に選ばれるし、
演奏会でドラムスティックを忘れたときにフレッチャー先生に対してキレたりするし。
室内シーンが多く、場面転換もアウトレイジぐらいはっきりしていた印象がある。
はい次の場面、はい次の場面というようにスパッと切り替わっていくので話も分かりやすかった。
あと先輩ドラマーの楽譜がなぜ無くなったのかという謎が残ったままで気がかりだが、
そういう細かいところをあえて説明しないのがいいんだろうな。
アニメシンフォニアというアニメの曲をオーケストラでやります。
というプロ団体で急に曲変更が起きた問題でくわしく解説しているサイトがないからここで記載します。
よくJASRACで許可降りてるのになんでダメなの?みたいな話があるからその辺から
JASRACは曲を演奏したり出版する際の許可をとって集金を代行するのが業務なんだけど
今回のように進撃の巨人の元曲をオーケストラにする場合には「編曲」という行為がはいるんだ
そして編曲「していいか」どうかの権利というのはJASRACは管轄しないで直接許可を作曲者にとってねというのが
澤野 弘之さんとポニーキャニオン音楽出版ってとこが権利を持っているのでまず可能性があるとすればソコ
だからまずオーケストラに編曲して演奏しますっていうのを澤野さんに確認しなきゃいけないの。でも普通の人に
澤野さんの連絡先なんてわからない「これが第一の問題」作曲者に連絡取れるパイプなんて普通持ってない
ポニーキャニオンに連絡して「編曲していいですか?」「演奏しますね」「アマチュアではなくプロの公演です」
っていうのをやらなきゃいけないの。だけどまぁこのへんで指摘が入るのは考えられる
アニメだと制作委員会制をとったりするから更に権利関係が複雑で放送時点は出版社や放送局が権利があってDVDに
なったりすると今度は制作会社が権利があったりするので最終的な演奏の許諾に関する権利関係の責任の所在があいまい
で誰かが許諾しないとNGが出たりするだから一般的に出版されてない楽譜に編曲して更に演奏するってなると許可を得る
のに数年かかったり最終的にNG出たりする。
https://www.nitroplus.co.jp/license/
①実はまどか☆マギカは当初の権利関係のスタンスがすごくクリアだった。
商業としてはかなり特例の「著作物転載のガイドライン」を定めていて、ファン活動であれば引用はOK
ですよってスタンスをとっていたの
②ここに目をつけたのがアマチュアの、ワルプルギスの夜オーケストラ
ファン活動として1000人くらいを動員する活動として「正式」にできたという経緯
指揮者の志村健一が実績を持った上で商業的な成功を見越して、正式にプロ活動としてコラボするから許可が出るというわけ。こでが0ベースの商業としての持ち込みだったらOKでたかは定かではないと思うな。それが公式のまどかマギカオーケストラにつながっているわけです。
■今回の騒動におけるまとめ
一度前例ができれば出版社や許可保有の会社も法務部含めてそういうことへの許可申請のラインができるのだけど、いきなり降って出た話ってそういうのが許可できなくてオクラ入りになる場合が多い
・じゃあなぜ返金とか対応できないの?
アマチュアの演奏家とかだとわかると思うけど実質運営団体として実績がない社団法人って吹けば飛ぶような運営方針だと思うんだよね。オーチャードホールなんて結構な費用のするホールだから多分返金したら利益が出ないばかりか演奏会が成り立たず実質運営者の赤字活動になってしまう。アマチュアならばまだしもプロ活動だとそれは避けたい。たとえ炎上してでも演奏会を決行せざる得ないし返金に応じないというのも仕方がないということ。
アニメ「響け!ユーフォニアム」を通して見る揺れる心
http://seagull.hateblo.jp/entry/2015/05/11/144400
こちらを見てて、滝先生が「生徒に目標を決めさせる場面が誘導尋問的である」という指摘に「そう!そうなんだよ!」と思った吹奏楽経験者です。
自分は中高大とアマチュア吹奏楽続けてた(就職後時間が取れなくて止めた)んだけども、中高はいわゆる弱小で、大学も中高に比べれば雲泥とはいえ、まあそこまで上手くはなかった感じの人間です(全国大会にはほぼ縁のないレベル)。
でまあ滝先生にモヤモヤする点って、それが効果的かつピーキーな手法だからなんですよね。
そもそも吹奏楽(オーケストラもだけど)同時に演奏する人数がやたらに多い。
ロックバンドですら「音楽性の違い」とか様々な理由で解散するのに、50人からの人数(しかもまだお互いの意思疎通・合議能力に乏しい高校生)をまとめ上げるのは大変。
その上、「部活の外の人たち」は「コンクールの結果」でしか部活の価値を判断してくれない。
短期間で「コンクールの結果」を出すためにはああいうやり方が効率的ではあるんですよね。
ただねえ、中高の部活って、「迷ったり・失敗したりする」事も大事な財産だとも思うのですよね。
特に高校生ともなれば、自主的に色々やってみたくもなる年頃で(高校生だと演奏会で身の丈に合わない曲を選んで轟沈なんてことも結構ある)、それを先生がキリキリ誘導しちゃうのが正しいのかっていうところはすごくモヤモヤするわけです。
もちろん、生徒たちの意思をサポートできる知識とか人脈とかはすごく大事なんですけど、結果として路頭に迷ってたからといって、圧倒的な手腕でひとつの方向に導くのが「正解」なのかどうかってのはまあ「答えのない問い」ですよね。だからモヤモヤする(それとは別に滝先生みたいな「デキる人」の表面だけ見習って、生徒を地獄に叩き落す勘違い指導者が少なからずいる、って問題もあるんだけどそれは別問題なのでおいておく)。
実際問題として、「顧問の先生に導かれて結果を叩き出した」生徒たちの少なくない人数は、高校卒業後音楽から離れます。
まあもちろんそれはある意味当然の事(高校の部活は吹奏楽に限らずおおむねそんなものではある)なのだけども、「彼ら彼女らが高校で自分が今後音楽にどう向き合っていくかを考える機会と知識」をきちんと得られた結果なのだろうか、ってのは色んな吹奏楽経験者を見ていて疑問に思うところなのでした。
結局先生にのせられて部活を続けて、「その先を自分がどう歩くか」を考える機会も材料も得られなかったんじゃないのかって。
ま、回答はありません。でもねえ、全国大会に出る吹奏楽部だった人でも、吹奏楽のCD(今はCDに限らんけど)を買ったりする人って少数派だったりとか、吹奏楽のプロの音源ってびっくりするほど多種多様にあるのに、売れているCDはアマチュアのCDばっかりだという現状とか、肝心の全国大会でもトップレベルの学校がいまだに非音楽的な曲カットをしていたりする現状だとか考えてると、「結果」ってなんだろうなーと思うわけで。
そもそも音楽に客観的に定量的に決められるような「結果」なんてないんだから当たり前ではあるんですけどね。
あくまで吹奏楽コンクールは演奏技術のみを競う場ですから(だから音楽的にひどいカットをしても基本減点されない)。
なんかモヤモヤに引きずられて話がそれました。すいません。
で、原作の誠実なところは「このモヤモヤにはすっきりした回答なんぞない」というところをきちんと描こうとしているところだと思います。
同じ音楽を扱った作品でも「BECK」とかだと勝負に普通に勝ってしまうわけですけど(あれは基本的には、プロが「客ウケ=動員数」という基準で勝負してる話だからそれでいい。作者の「本当にいい音楽は誰にでも伝わるはずだ」という暴力的な音楽観はヒシヒシ感じるけど)、この作品は「結果」ってのがそんなに分かりやすいものではない事をきちんと踏まえている。
だから滝先生も全面的に作中で肯定されるわけではない(はず、原作一巻を読む限りでは)し、かつ、群像劇として多種多様な価値観の人々が「設定された目的のために協力はしても考え方を相容れることはあんまりない」という方向で話が進みます。
このモヤモヤについて、見る人が色々考えてくれるといいなあと、私も思う次第です。
他にも作中の曲についてとか原作者が楽曲のスコア見てなくて事実誤認してる部分とか色々言いたいことはあるんだけど、最後にひとつだけ。
「吹部」っていう略称は、大学の「回生」並に関東・東北(多分北海道も)では通用しないから気をつけろ!
ただし、「ブラバン」はブラバンで熱心な吹奏楽部員の神経を逆なでする(brass bandは本義的には金管楽器と打楽器の編成を指すので)から気をつけろ!
ちょっとだけ追記しておくと、
そもそも「コンクール全国大会出場」と「コンクールに出場して思い出作り」の二択しかないのがおかしいって指摘はきちんとしておいた方がいいですね。例えば演奏会に力入れたいからとかマーチングに力点置いてるからとかでコンクールに出ないって選択をしている学校も少数だが存在するし。ここには滝先生の「吹奏楽部はコンクールありきだ」っていう偏狭さがあるともいえるわけです。あえて極端な二択を提示することで、ほかの選択肢を考慮する余地を奪うって言う詐欺師の常套手段です。
極論、そういう様々な選択があってモヤモヤする音楽活動ってやつを、コンクール一生懸命やって技術的に上手くなるっていう否定しづらい名目で塗りつぶしてるともいえる、んだよね。滝先生は。
自分がやりたいこと、今までもなかったし、これからもないんだろうなあ。
とりあえず、就職活動は、内定のもらえそうなIT業界中心に回っている。
所属している学生オーケストラの、12月の演奏会に出たいから、夏くらいまでには就活を終わらせたい。それより先のことは考えられない。
父親は東証一部上場企業(メーカー)に勤めているため、東証一部上場企業(IT以外)に入れとうるさい。
しかし、アルバイトもゼミナールも受からず、彼女も一度も作れなかった僕が、東証一部の物凄い倍率から選ばれるとは想像もできない。既に何社か受けたが落ちた。
来年4月からの未来は想像できないし、内定をもらった企業でしか働けないのだから、企業選びなど悠長なことは言えない。
来年4月からは生きている気がしない。まあ死んでもしょうがないかな、くらいに生きている。
まだ若いんだから、ちゃんと考えないと後悔するとたまに言われるが、全然わからない。
5年前に比べれば、腰が痛くなったし、全力疾走したら吐きそうになるし、僕は5年前の自分よりはしっかり老いているのに?
まだ先が長いから、先のことを考えろというのも、よくわからない。
先が長いかどうかは僕が決めるのであって、今すぐ僕はこの人生を終わらせることだってできる。
大したことのない人生だったから、これからも大したことがないだろうし、どうでもいい。
アフリカの生きたくても生きられない子供の分を思って生きろ、とか言うかもしれないが、どうして僕が顔も名前も知らないアフリカの子供の分まで生きなければならないかわからない。