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はてなキーワード: ワルプルギスの夜とは

2022-04-30

[] そのにひゃくはちじゅうさん

モンティホールーッス

 

今日ワルプルギスの夜と呼ばれる日だそうです、なんか今日日没から5月1日にかけて行うらしいです。

魔女がいっぱい集まるだのなんだのの話に掛けて扉を開けたらヤギが出てくる奴を出してみました。

魔女にヤギ、安直ですね

今月は嘘吐きから始まったのでずっとパラドックス名前を書いていた気がします。

明日は何のパラドックス名前を書くかなと思っていましたが明日はもう5月でした。

4月31日があると思ってるだなんて私は疲れてるのでしょうか。

ワルプルギスの夜について書いてる時も「四月三十一日は丸々使われるのか…」などと考えていました。

恐ろしい話ですね。

 

ということで本日は【再計算いか】でいきたいと思います

計算いか!再計算ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2020-04-16

anond:20200416150613

別のトンデモ理論を吹っかけて異次元論破しろ

太陽コロナコロナウィルスを結び付けて、ダークマターによる太陽教の活動による波紋で起きている今の状態

ウィルスによる雑菌よりも、ダークエネルギーの発露のほうが恐るべきことで、生物臓物とか排出物とか

ダークエネルギーがたまりそうなもの浄化するために三日三晩祭壇に祭って踊るべきだ。

ワルプルギスの夜(4月末)にダークエネルギーの除去に間に合わないと暗黒卿が復活して悪魔による支配が完成してしまうんだぞ。

2015-08-06

V系語彙で妖艶 †あや† しく極彩色 †いろど† られたモモタロウ

 

遥かな昔、永遠の愛を誓い合った咎人のひとつがいが

ワルプルギスの夜を逃れ深い森の奥で暮らしていた 密やかに

 

啓示の朝、聖らかな流れに身を浸し祈りを捧げていると

大河は光に包まれた荘厳な桃を運んできた D’onb la Koh…

 

儀式の夜、冷ややかな刃で切り分けられた神域 †エデン† の桃は

その秘密の肉の奥に翼の生えた胎児を隠していた 香しく

 

狂瀾の宴、おじいさんとおばあさんは胎児を我が子とし

救世主メシア† として育てることを神に誓った 命を捧げ

 

タロウ・ド・モモ やがて男の子

タロウ・ド・モモ 美しく成長した

タロウ・ド・モモ 翼はなくしても

タロウ・ド・モモ 愛はこの腰に…

 

to be continued...

2015-07-18

アニメシンフォニアの曲目変更問題について

http://as01.gekiban.com/

アニメシンフォニアというアニメの曲をオーケストラでやります

というプロ団体で急に曲変更が起きた問題でくわしく解説しているサイトがないからここで記載します。


よくJASRACで許可降りてるのになんでダメなの?みたいな話があるからその辺から

JASRAC許可制度の問題

JASRACは曲を演奏したり出版する際の許可をとって集金を代行するのが業務なんだけど

今回のように進撃の巨人の元曲をオーケストラにする場合には「編曲」という行為はいるんだ

そして編曲「していいか」どうかの権利というのはJASRACは管轄しないで直接許可を作曲者にとってねというのが

方針なんだ。編曲権っていうんだけどね。

権利関係の保有の会社ってどこ?

澤野 弘之さんとポニーキャニオン音楽出版ってとこが権利を持っているのでまず可能性があるとすればソコ

からまずオーケストラ編曲して演奏しますっていうのを澤野さんに確認しなきゃいけないの。でも普通の人に

澤野さんの連絡先なんてわからない「これが第一の問題作曲者に連絡取れるパイプなんて普通持ってない

からこういう劇伴系の演奏会日本だとやりにくいの

③だからポニーキャニオンに許諾を得るのが普通

ポニーキャニオンに連絡して「編曲していいですか?」「演奏しますね」「アマチュアではなくプロの公演です」

っていうのをやらなきゃいけないの。だけどまぁこのへんで指摘が入るのは考えられる


アニメはその他の利権も多い

アニメだと制作委員会制をとったりするから更に権利関係が複雑で放送時点は出版社放送局権利があってDVD

なったりすると今度は制作会社権利があったりするので最終的な演奏の許諾に関する権利関係責任所在あいまい

で誰かが許諾しないとNGが出たりするだから一般的出版されてない楽譜編曲して更に演奏するってなると許可を得る

のに数年かかったり最終的にNG出たりする。

まどか☆マギカはなぜ大丈夫なの問題

https://www.nitroplus.co.jp/license/

①実はまどか☆マギカは当初の権利関係スタンスがすごくクリアだった。

商業としてはかなり特例の「著作物転載ガイドライン」を定めていて、ファン活動であれば引用はOK

ですよってスタンスをとっていたの

②ここに目をつけたのがアマチュアの、ワルプルギスの夜オーケストラ

ファン活動として1000人くらいを動員する活動として「正式」にできたという経緯

③そしてその指揮者が関連する会社商業として持ち込む

指揮者志村健一が実績を持った上で商業的な成功を見越して、正式プロ活動としてコラボするから許可が出るというわけ。こでが0ベース商業としての持ち込みだったらOKでたかは定かではないと思うな。それが公式まどかマギカオーケストラにつながっているわけです。




■今回の騒動におけるまとめ

一度前例ができれば出版社や許可保有の会社法務部含めてそういうことへの許可申請のラインができるのだけど、いきなり降って出た話ってそういうのが許可できなくてオクラ入りになる場合が多い

・じゃあなぜ返金とか対応できないの?

アマチュア演奏家とかだとわかると思うけど実質運営団体として実績がない社団法人って吹けば飛ぶような運営方針だと思うんだよね。オーチャードホールなんて結構費用のするホールから多分返金したら利益が出ないばかりか演奏会が成り立たず実質運営者の赤字活動になってしまう。アマチュアならばまだしもプロ活動だとそれは避けたい。たとえ炎上してでも演奏会を決行せざる得ないし返金に応じないというのも仕方がないということ。

2014-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20141209160457

騎士テイムめっちゃシコれるよな。自分は3でもシコりました。でも3はエグかったね(精神的に)

あのシリーズは女体のむっちり加減が大変素晴らしかった

これだけでは感想で終わっちゃうんで

1.-Dragon Slayer-

VictimGirlsシリーズの本。キメセクてんこ盛り

VictimGirlsはどれも気に入ってるけどこれが特に好きかな。あとSAOのやつとか

SAOある意味寝取り?寝取られ?なんでそっちのが増田向きかもしれないけど

2.純嬢恋歌

成人向け単行本。全体的におっぱいかい。相手おっさんが多いけど「りんどう」は主人公(男)がいて

そいつとイチャラブしたりする。ちょっとイイ話でお気に入り

3.ワルプルギスの夜

Fateの凛本。ほとんど衆人環視プレイじゃないかな

シリーズであるけど一番最初の本が一番グッとき

レイ○とかキメセクが好きです

2013-11-17

ネタバレ】反逆の物語エンディングについて【ネタバレ

反逆の物語は、ほむほむにとって、最高のハッピーエンドで、それを認められない人の考え方はほむほむと同じ考え方をしている。

反逆の物語は、典型的メリーバッドエンドだ。

メリーバッドエンドとは、話の主人公にとってはハッピーエンドだが周りからみるとバッドエンドな話し、またはその逆で、周りはハッピーエンドなのだが、主人公にとってはバッドエンドな物語を指すようだ。(http://dic.nicovideo.jp/a/メリーバッドエンド

参考URLが、ニコニコ大辞典しかないあたり、言葉自体が新しいのか、造語の域を抜けないのかもしれない。

反逆の物語は、ほむほむにとっては間違いなく唯一無二のハッピーエンドで、大多数の人にとっては、「ほむほむ幸せになって!」のバッドエンドと見えるので、この分類は間違いないと思う。

ほむほむ幸せになって欲しいと考える人の多くは、悪落ちする前のほむほむが、まどかに連れて行って貰って、円環の理の一部になることがハッピーエンドだと考えていると思う。

実際、劇場版パンフレットで、虚淵玄(以外、ぶっち)が、まどかに連れ去ってもらってハッピーエンドにしたかったような内容が書いてあった。

製作者側(ぶっち側)は、ほむほむの心情を好きに弄れるので、ぶっちとしては、ソールジェムの中で魔女化したほむほむが、遮断フィールドを破られる(ほむらと一緒に破る)時に、ほむらに会いたい。それだけが叶えたいのぞみなんだと、心情を書き換えれば、誰もが望むハッピーエンドに出来た。

だが、反逆の物語ほむほむは、遮断フィールドを破られる前、既にまどか自分世界の中に連れ込むことを決めている。

「私はほむらのためにならどんなものにでもなれる」(記憶なのでセリフうる覚え)と言ってみたり、ほむらと一緒に弓を打つタイミングで、まどかに怖くないか聞かれた時、既に覚悟が決まった口調で「私はもう迷わない」(同上)と言っている。

この時点で、まどかに吸収されて円環の理の一部になるつもりだったらこんな決意はいらなかったはずだ。

ほむほむは、まどか幸せにしたい。と、願って魔法少女になった。

これは、自分の力で、まどか幸せにしたいと願った事に他ならない。

自分の力でまどか幸せにしたい。まどかとずっと一緒にいたいと願ったほむほむは願っているが、まどかは既に概念存在になっている今、生身のほむほむがその願いを叶えるには、自分世界を作り出し、その中でまどか(それも、本物全体は無理なので、その一部)を引き込み幸せにする以外の選択肢はない。

ほむほむは、はじめに魔女化した際、ソウルジェムの中で、それを実現しようとした。

この世界では、中にいる全ての人が幸せ世界とする事が出来たが、ほむほむ本人が、その世界違和感を感じてしまう。

ソウルジェム世界の中に居たまどかは、確かに本物のまどかだったが、そのまどかが、概念になったまどか存在を悲しい存在だと感じていると勘違いしてしまう。

(実態は、概念になったまどかのところには最終的にみんな集まってくるし、まどか概念になった瞬間に、既にさやかマミさんが一緒にいた事になるので、その瞬間から「誰にも会えないさみしい存在」にはなっていないと、私は思う。)

その結果、「自分が間違ってた。まどか概念にしてはいけなかった」と考えたほむほむは、今の状況下でまどか幸せにするには、まどか自分世界でもう一度人間として幸せにするしかないと考えた。

ここは、想定の域を出ないが、ほむほむは、魔法を使えば、まどか概念になる前の世界にまだ戻れたんだと思う。

ただ、なんどやってもワルプルギスの夜を倒せないほむほむには、まどか概念化させる事は防げなかった。

結果、ほむほむに出来たのは、まどかを救えないと言う絶望を積み上げる事と、その絶望を積み上げて魔女化した結果まどかに会えると言う希望を極限まで溜め込む事だけだった。

まどかほむらによって因果が積み重ねられ、概念になったように、ほむほむ概念になるために必要因果自分で積み重ね、概念になる事が出来た。

概念になったほむほむが同じく概念になったまどか幸せにするには、まどか人格部分を切り取って自分世界の中に取り込んで、人間として幸せになってもらうしかない。

これを実現したほむほむは、自分の力でまどか幸せすると言う、ほむほむが望んでいた幸せを手に入れる事が出来た。

ただし、この結果は、決してまどかが望んでいるものではない事を、ほむほむもわかっていた。

から、あえて自分悪魔であると名乗り、自分の行動はまどかの望んだものではないが、自分自身の望みを叶えると、自分を悪者にした。

これは、ほむほむにとって、最高に幸せで、最高に背徳的な行為だったに違いない。

まどか概念化を自分の力で止められない敗北感を感じながら、まどか意思に反して自分の私利私欲のために、自分の出来る方法で、まどか幸せしようとする。

それは、私利私欲のためにする背徳的な行為で、背徳的な幸せであるが故に、最高に気持ち良い。絶頂感すら感じるその快感の中にいるほむほむは、その世界の中では常に扇状的な表情をしている。

自分の中に、恋い焦がれたまどかがいるのだ。

それを、自分が好きなように幸せに出来るのだ。

これはたまらないだろう。

ほむほむは、まどか意思に反して自分世界で、幸せになった。

ほむほむ自分の望みを叶え、とても幸せ背徳感を手に入れた。

ほむほむが、「自分まどか幸せにしたい」と言う欲望を叶えるうえで、これ以上の方法はない。

そう言う意味で、この物語は、ほむほむにとって、最高のハッピーエンドだし、それを否定する人は、この話の中のほむほむ幸せを否定しているに他ならない。

こんな幸せの形は間違っていると思う人は、まどかの望む形を拒否して、自分幸せの形を実現したほむほむと同じ考え方をしている事になる。

しかし、ほむほむ幸せを望む人達が求めているのは、そう言う事では無いだろう。求めているのは、ぶっちがほむほむ幸せに出来た形での幸せだろう。

もちろん、それを望む気持ちはわかる。

でも、それは、今回の映画の中のほむほむ人格を否定する事になる。

私としては、ほむほむが、まどか提供する幸せの形に流されてしまう弱い存在ではなく、自分の願いをねじ曲がった形でも満たしてしまう、今の終わり方が、ほむほむの強さ、弱さをよく表していて、凄く好意を持てた。

2012-02-01

世の中には自分にとって「どうでもいい話」とそうではない話が存在する。シャフトアニメ化を手掛けた作品に限って言えば「夏のあらし!」は限りなく前者に近く、「ef」1期は明らかに後者である。僕たちが現実タイムスリップ経験する可能性というのはほぼ限りなく0であり、0%の先の世界についての言及は全て予想の範疇を出ず、それは絶対に教訓には成り得ない。それは自らの知見を元にして築き上げた予想ではなく、他者の仮定の連続に寄り添った予想であるのだ。efに関しては話自体のモチーフは既に手垢がつくほど使い回されたものであり、新しさという概念からは遠く離れたものであるしかし全く以て新しくない≒中身がない物語についても、哀愁を喚起させる映像叙情的かつ繊細なバックグラウンドミュージックが合わさればそれは十分消費に耐えうるコンテンツになるということをこの作品は身を持って証明しているのだ。それこそがこの作品が持つメッセージである。この例に限らず、何らかのメッセージ受け手に届けることができることがそのコンテンツが「どうでもよくはない」ものであることの証明なのだ

先の定義で考えると、魔法少女まどか☆マギカという作品は間違いなく前者だ。まどかマギカワルプルギスの夜という「克服しない限り未来が訪れることのない」困難の象徴に対し、何度も挑戦し続けることで打ち勝つことができると定じた。しかし実際現在日本社会では本当に僕らが克服すべき困難と対峙できるチャンスというのは極僅かに限られていて、その事実齟齬のせいであ物語が発するメッセージの信憑性が皆無になってしまっている。「君は独りじゃない」と液晶の中から呼びかけられても僕が本質的孤独であることは何も変らないのだ。虚構を抜け出せないメッセージというものはそれこそ「どうでもいい」ものであり、虚構の上でしか成り立たないメッセージ価値はない。まどかマギカは最終話においてそのメッセージ性を完全に失い、ただの「どうでもいい」フィクションに成り下がったのだ。

2011-04-23

まどか最終話個人的まとめ(ネタバレ注意)

1112話を見て分かった事と分からなかったことの纏め

分かったこと

ワルプルギスの夜は単体魔女

まどかが撃った不思議矢で最初に撃たれた緑の子がワルプルギスの夜魔女化前の魔法少女

周りにサーカステントがあったことから推測

ただし、その魔女の性質が「他の魔女魔法少女を取り込んで巨大化する」といった性質を持つなら、複数魔女とも考えられる

ほむらまどか魔女化後の姿だとしたら、同等同量の因果を持つはずだからループでの強さ増減はないと思われる

そもそも、ループで強さが変わった描写はなかったような



まどか魔法少女化と願いについて

まどかの願いは「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙過去未来の全ての魔女をこの手で(原文そのまま)」だ

この願いに至ったのは、もちろんQBが「魔法少女歴史に居なければ文明はなかった」と言ったのも一因としてある

ただ、それだけだったら「文明を残しつつ、魔法少女システムを消して、全宇宙時間魔女魔法少女を全て消したい」と願うはず

なんでも叶う程の魔力量、因果律ねじ曲げるほどの力なら都合の良い改変だって可能だったはずだ

それをせずに、あえて魔女化する前に消す願いをしたのは、魔法少女の祈りを無駄したくなかったからだろう

今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいて欲しい。それを邪魔するルールなんて壊してみせる、変えて見せる(原文そのまま)」

さやか杏子ほむらも(巴マミは自身のために願ってるので少し違うが)

「誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない」運命を背負ってしまった

まどかは願いを叶える事とその代償である魔法少女化(魂のSG化と戦う運命)は否定しなかった

願いと祈りを無駄したくなかったし、その代償を背負うのはしょうがないと思ったのかも知れない

それは契約直前の「絶対に今日までのほむらちゃんを無駄したりしないから」という台詞からも推測できる

その願いによって、まどかは「全宇宙と全時空の魔女を"生まれる前に"消せる」ようになる

それが願いだから、それが叶うまではSGの穢れと関係なしに全ての魔女を"生まれる前に"消せる

具体的な描写からすると、SGの穢れを吸収した上で、魂の入ったSGを消しているようだ

そして、消すと言っても肉体は残るようである

これは、本体である魂が肉体ではなSGにある為だと思われる

穢れを吸収するのは、そうしないと魔女が生まれてしまう為だろうと推測する

かくして全ての魔女分の穢れを吸収したまどか魔女化してしま

だがまどかの願いが"全ての魔女"なので、自分自身すら消す事が出来た

(生まれる前に消せるのだからまどか魔女したのは演出上の問題だと思われる)


まどかの願いが叶ったあと、まどかは誰にも認識されなくなり、ほむら記憶の中にしか存在しなくなった

QBは「1次元上の領域にシフトした」と発言した

これは推測である

しまどかが通常の時間軸上で存在し続けるのなら

何度因果律を集約したまどかが生まれてしまう事となる

(もちろん、ほむらによってある程度の時間軸は集約されているが、時間軸は無限なので物の数ではない)

その為に、まどかは通常の時間軸や因果律存在しない次元存在せざるを得なくなったのだろう

なので、まどか誕生時点から存在することが出来ず、その為に誰の記憶にも存在しないのだと推測される

では、まどかは具体的にどのような振る舞いをするのだろうか

通常の時間軸や因果律がない世界にいるのだから、当然実世界における実体はな

それでも、魔女化する前に消す願いは有効であるため、意思に関わらずそれは遂げられる

結果として、まどか物理法則自然現象と変わらない存在になり、まさに概念存在となる

魔法少女システムとインキュベータとの関係について

再度書くが、まどかの願いは「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙過去未来の全ての魔女をこの手で(原文そのまま)」だ

まどか概念体になり実世界には存在しなくなってしまったので、まどか認識出来る存在は居ない

(アニメにいおいてまどか存在魔女化直前の魔法少女が視認出来ていたのは、まどか概念体になる前である為だと思われる)

なので、まどか概念体になったあとの世界での魔女化は

「穢れが一定量溜まると、SGが消える」という現象に認識される

もちろん、SGが消えるだけなので肉体はそのまま残る(魂はSGに入ってるために肉体は残る)

魔法少女魔女化に関してはこういう変更がされた

では、他の魔法少女システムについてはどうだろうか

インキュベーターは、穢れを吸わせたGSを摂取したり、魔法少女魔女になるエネルギーを回収していた

しかし、まどか概念体となった世界ではGS魔女存在しない

魔女化する際にはまどかの願いの効果(以下、まどかシステムとする)によってSGが浄化された上で消滅する

なので、魔女化自体が行われず、エネルギーを回収できない

また、GSをを生み出す魔女存在できないので、GSを回収する事も不可能となる

世界に何の変化もなければ、インキュベーター魔法少女システムによるエネルギー回収が不可能であるため、人類に接触する意味を失う


(ここからは例の流出した画像を元に推測するので、不正である可能性が高くなる)

そこで、魔獣という存在が新たに生まれたと思われる

例の画像に記載されている文章の一部をそのまま書くと

「マジュウ

小粒グリーフシードは四角い

魔法とは違う力で動いている

ぐねぐねになった世界バランスを戻すため、グリーフシードを集めている

魔法の元となる感情を吸い上げ体内でグリーフシード化させる

吸われた人間廃人になる

ほむら EDver コラージュ的なオーラたくさんついてる

マホウのちから

とされている

12話において白いローブのような物を羽織った"マジュウ"と呼ばれた存在の説明だと思われる

「例え魔女の生まれなくなった世界でも、それで人の世の呪いが消え失せるわけではない。世界の歪みは形を変えて、今も闇の底から人々を狙っている」とはアニメにおけるほむら言葉

世界の歪みとはつまり、人の世の呪いが生み出すマジュウだと思われる

悲しみや憎しみなどの負の感情、穢れが世界に溜まるとそれが魔獣となるのではないだろうか

SGの穢れが魔女を産んだように、この世界ではそういう法則と成ったのだろう

おそらく、まどかシステム以前も魔女はそういう形でも生まれていたのかも知れない

キュゥべえは「願いから産まれるのが魔法少女だとすれば、魔女呪いから産まれた存在なんだ」 としている

魔女魔法少女システム上のみの産物ではなく、自然発生的に生まれるものだとするのなら、ほむら表現自然な形となる

つまり、まどかシステム後の世界では魔女に変わり魔獣がその役割を担っていると考えるのが自然だと思われる

1.世界の負の感情から魔獣が生まれる

2.魔獣は人の感情を奪いGSを作る

3.魔法少女インキュベーター契約し、絶望希望相転移によるエネルギーで願いを叶えて貰う

4.その余剰エネルギーインキュベーターは回収する

5.魔法少女は魔獣を倒してGSを奪い、SGを浄化する

6.浄化をして穢れのたまったGSインキュベーターが回収し、エネルギー回収をする

7.SGの浄化が限界に達すれば、消滅する

変わったのは、魔女化の消滅と魔獣の出現だ

からなかったこと

まどかシステム後にさやかまどかが会話出来ていた描写

あの描写はまどかシステムごの世界だろうか、それ以前の世界だろうか

まどかシステム後の世界であるなら、さやかはまどかを認識できないし、友人として知り合ってもないはずだ

にもかかわらず、さやかまどかは知り合いのように会話をしている

しかし、その後の描写ではさやかが魔獣と相打ちになったとされているし、マミも杏子まどかの事が誰だか分からないとされている

(ここでさやかの肉体自体がないと描写されてるが、魔獣のいる空間に取り残されたと解釈)

さやかちゃんを救うには何もかもなかったことにするしかなくて。そしたら、この未来も消えて無くなっちゃうの。でもそれは多分さやかちゃんが望む形じゃないんだろうなって(台詞そのまま)」

また、二人の会話とコンサートがが終わり、魔獣が燃え尽きる描写の後にほむらが目覚めるような演出がされた

以上から、流れを推測する

まどか魔法少女

有史以前から魔女化を食い止め始める(ここでは自分を消してないので概念体ではない)

魔法少女になってない、何の因果もないまどかが誕生し、成長しさやかと友人となる(魔法少女となったまどかは別に存在する)

アニメ本編とほぼ同様の流れでさやか魔法少女になる

さやかが相打ちで魔女化、魔法少女まどかが出現しさやかと会話し、その後消滅(アニメのシーン)

まどか概念体となり認識されなくなり、初めから居なかったものとして扱われる

ほむら目覚める

杏子・マミが「まどかって誰だ」と発言

矛盾を少なくしようとすれば、この説明が適当だと思われる

ただし、杏子とマミとまどかケーキ食べるシーンはどう考えてもあり得ない光景なので演出だと思われる

もしくは、死後の世界まどかが行けるようになったと仮定するのが自然

ほむらまどかを覚えていた理由

これはまだ説明のしようがあるかもしれない

まどかがあれほどの力を持てたのは、ほむら時間軸をまどか中心に束ねたからだ

時間軸と因果律を無視した領域に存在しても、その力の根源であったほむら時間遡行であることも相まって特別とされたのかも知れない

もしくは、奇跡が起こったのかも知れない

さやかが3周目で魔女化してないければ

その時点で、まどかも、ほむらは詰んでいた

合理の対極、感情暴走で、一見最悪の状況でしかない、さやか魔女化が

長い目で見ると、まどかほむら最後可能性を与えた

そのあたりの、合理を越える不合理の積み重ねによる奇跡テーマだと思うよ(まどかwikiレス引用)」

合理的でない、不確かでぐねぐねした無秩序な世界からこそ、時としてあり得ないとされることでも起こってしまうのかも知れない

それは、秩序化された世界では存在できない"可能性"というものなんだろう

からこそ悲しみや憎しみから呪いが生まれ、願いや祈りからマホウが生まれる

インキュベーター文明において魔法少女システムが使えず、エントロピーを凌駕できなかったのは

理性や合理化の世界であるが故に、あらゆる法則ねじ曲げる"可能性"が存在出来なかったからだろう

逆に"可能性"の最たるものである魔法少女であるほむらからこそ覚えていられたのだろうか

奇跡も、魔法も、あるんだよ」とは、その為の言葉だったんだろう

2011-03-20

ぼくのかんがえた まどか☆マギカ こうりゃくほうほう

色々と考えたが、ホムホムがまどかと出会わなければ攻略比較的容易なんじゃないのか?

まず、タイムリープ初日に暴徒鎮圧弾などを使って、まどか(できれば、さやかも)を骨折させ、リタイア戦線離脱)させる。

あとは、マミさん杏子と「対ワルプルギスの夜同盟」を組み、みんなで共闘してハッピーエンド

入院中のまどかキュウべえが誘わないかという事と「出会いをやり直す」という願いの強制力が気になるけど、たぶん大丈夫だろう。

今回の大震災まどかマギカ

普段は考察厨の強引過ぎるこじつけうんざりしてたりするんだけど、まどかマギカとその放送中に起こってしまった東北関東大震災東日本大震災)に関しては共通点を思い浮かべずにはいられなかった。

第9話でQBが"エントロピー"という言葉を出してまどかに対して語っているが、このシーンを見て「ついていけない」と感じた人もいるかもしれない。でもこれは現実でも起きる可能性のあるエネルギーの問題を抽象化したものだと考えられる。QB曰く「エネルギーは形を変換する毎にロスが生じる。宇宙全体のエネルギーは、目減りしていく一方なんだ」 実際に化石燃料などの資源から発電する時や、遠距離送電をする時、あるいは電化製品などで別のエネルギーに変換される時に起きるロスが生じている。化石燃料は無尽蔵では無いし、一度発生させた電力を増やすことができない以上は、エネルギーは問題自体はいつか直面せざるを得ない状況にあった。多く国では比較的効率の良い原子力発電を使うことで問題を先送りできていたが、実際に福島第一原発が危機的状況になりさらに関東地方を中心に電力不足に陥ってはじめて、これまでの原発が抱えていたリスクがどういうものだったのか誰にでも理解できる形で表面化したQB達のような異星人と同様に、なんらかの新しい発電システム模索していかないといけないのは間違いないだろう。

また、魔法少女は"魔女"という人間に害をもたらす存在と戦っているが、そのことを他の人に気づかれることは無い存在として描かれている。これはリスクというものがいざ問題に直面しないと認識するのが難しいと言うことを表現してるように思える。もちろん事前にリスクに対してある程度まで対策を行うことは不可能はない。しかし、未来完璧に予知できない以上はリスクに対して完全に対策を行うことはできないし、なによりも普段の生活だけで精一杯な全ての人々にこのようなリスク本質について認識させるのは難しい時間もかかる。しばしばマスコミによってパニック的な消費行動が起きているが、それを避けるためにも個々人で様々な分野の研究結果フィクションなどに目を通して悪い可能性というものについて普段から考えておくことは有益だと思う。本当に起こるかどうか不確定な物事へ、対策を行うと言う判断をしてそのための時間的・金銭的なコストを支払うことになるのは他でもない自分自身である。そういう意味で「徹頭徹尾自分のためだけ」なのだと思う。

ヒットしたフィクションの作品には、その時代の人々が抱えている問題を何らかの形で表現していることが多い。このような作品は将来的に生じるかもしれないリスクというものについて考えをめぐらす絶好の機会になり得る。だからこそ、自粛や自主規制は最小限に抑えて欲しいところであるしかし、すでに放送された「ワルプルギスの夜」後の破壊されて水に沈んだ町並みについては、被災地の現状を強く連想してしまう。もちろん偶然の一致によるものだろうが、現実問題としてそのような映像被災者PTSDの回復に悪影響を与える可能性もあるので、放送する側がどういう判断を下すのか気になるところである

2011-03-17

東京に住んでて、まどマギの第10話を見られなかった俺様が第10話の予想をするよ。

第9話ではエントロピーだの出てきて、俺が大学熱力学で散々苦しんだあげく単位落とした古傷を思い出させたので、今回は思いっきファンタジー側に振って欲しいな。

第9話でワルプルギス対策は詰んでいるような感じもしたけど、要するに魔法少女がもう一人いればいいんでしょ?

それで、

  • 実は、まどかには生き別れの双子の妹がいて、ワル夜戦前に、助けに来るよ!

な、なんだってーーー(AA略)


それか、

めでたしめでたし

2011-03-11

夜が来る

急に冷え込んできた

くるぞ


ワルプルギスの夜


関西民絶対に許さないからな

ワルプルギスの夜って…(ネタバレかも)

10話見たけどなんとなくわかった。

10話含み激しくネタバレになるかもなので改行しておきます

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何度時間を遡ってまどかを救おうとするほむら魔女になるとどうなるか、

やはり時間を支配する魔女になると思うんだ。

多分、因果関係は狂うけど、10話の時間軸の中か、その前に(いや、多分11話の最後の方)ほむら自身が魔女化する

バットエンドがあるとおもう。ほむら時間を操る悪魔にる、そして時間を遡る、

ほむらの盾が時計逆行を象徴しているレトロ時計デザインされているけど、

ワルプルギスの夜って確か大きな歯車デザインだよね。

ちょうど時計部品の様な…。

http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-416.html

そう、さやかじゃないんだよ。多分ワルプルギスの夜ってほむら自信なんじゃないかな。

そしてまどかほむら自身を呪いに来る、それがあの1話OPにも描かれたあの運命時間

で、ワルプルギスの夜時間すら超越した魔女ってことは、その力もチートレベルでどんどん強くなる。

グットエンドのシナリオを見つけようとするほむらに対して、魔女であるほむらは、

自分自身を不幸にする為にワルプルギスの夜となって、やはり何度でも時間を遡る。

そしてその都度強くなり、ほむらまどかの前に立ちはだかる。

一件倒されたように見える最強の魔女しか彼女時間を遡って避難をしただけだった!みたいな。

そして戦いは無限に続く、みたいバットエンドの無限ループを多分11話位でやる(予想)

そして因果関係のもつれをほどく方法はわからないけど、その永延のもつれをほどくのが

最終(?)12話になるんじゃないかな。

鍵を握るのはほむらまどかかはわからないけど、主役であるまどか無限ループを解き物語を終わらせるに一票。

(もしかしたら、まどか魔女になる際の願いも時間に関係するものになるかな?)

エントロピーとか時間逆行とかSF的展開がガンガン出てきたので、最後はいっそ宇宙の初めと終わりまで、

まどかほむらによって起こった、位風呂敷広げて欲しい

俺、萌えはわらないSF好きで、フラクタルの方に期待していたけど

10話で完全にやられた、面白いわこれ。

 
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