2024-06-23

そろそろ男性の性欲をコントロールすべきでは この反対語は、そろそろ女性の性欲をコントロールすべきでは、になるのだろうか

前者は男性の性欲を抑制することで社会から性的ハラスメントを撲滅するべきであるという文脈で使われる。

後者少子高齢化に対する対策として女性の性欲を向上させることで計画外の妊娠を促すという意味合いで使われる。

男性の性欲を抑制する効果がある薬はどうやら存在するようである

女性の性欲を向上させる薬というのは存在しないようである

から後者に関しては完全にSFファンタジー世界仮定の話になる。

もちろん、前者も完全に仮定の話になるのだが。

どちらの場合でも、その性欲をコントロールする機関なるもの存在必要になるのでは?

この場合、実行可能なのは国家ということになる。

国民の性欲をコントロールするべく、コロナワクチン摂取イベントのようなものを定期的に実施するべきであるという主張とも言える。

これを行った場合、確実に税金健康保険料は上昇する。

前者の場合は、そのことで失ったお金を取り戻すすべがない。

後者場合は、少子高齢化対策として機能して人口が増加するようであれば国力の上昇につながるならば経済的にもとは取れるかもしれない。

そのような話の前に、そもそも国家国民に対して、公衆衛生的な目的乖離した目的で定期的に薬剤を投与するようなことが許されるのか?という話をしなければいけない。

コロナワクチンですら反対派は存在する。

おおよそ、そのようなことが許されるわけはないのは言うまでもない。

から、性欲をコントロールする主体国家を想定しているのであれば、かなり頭の悪い人の言動ということになる。

あるいは、なんらかの自主規制として社会がそのような暗黙の了解形成するべきという理論なのだろうか?

個人自主的に性欲を抑制したり、上昇させたりすることを期待しているのであろうか?

例えば、喫煙という行為社会プレッシャーにより大幅に抑制されている。

そのようなもの社会合意形成するべきであるという主張なのだろうか?

前者の場合セクハラやあるいは性的暴力抑制する目的のための手段として主張されている。

しかし、そのような効果はむしろ副次的ものである

もしも男性がその性欲を抑えることをした場合に与える社会的な変革のうちの瑣末事でしかない。

まず子どもの出生が減るのは間違いない。

意図しない妊娠ゼロになるからだ。

これにより国力は現在より更に低下する。

そして上記にも書いたように国家が何らかの形でそれに関与するならば、そのような国家意図的に国民コントロールする術を手に入れることになる。

そのような権力行使する国家とは極めて自由のない国家となりえる。

また社会差別さらに進むことになる。

性欲を開放するときに選別が行われるからだ。

おそらくは合意の取れたパートナーがいる場合に限り、性欲の開放は許可されることになるのであろう。

そのようなパートナーがいない場合には、その性欲は有害である判断されてその性欲は否定される。

まりセルフプレジャー存在しなくなる。

このことは性産業さらには性風俗産業にたいしても壊滅的なダメージを与える。

性関連サービスで働く人達はその収入源を失うことになる。

女性性的な魅力を失うことになる。

これは結果論としてだ。

男性に性欲がなくなれば、女性に対して性的な魅力を感じなくなることになる。

まり女性男性に対して性的な影響力を行使出来なくなる。

このことは女性に対して有利に働くケースもあるが、不利に働くケースもある。

もともとの目的である暴力を防ぐことはこれによりなくなる。

一方で性的な魅力を失った場合にも、女性社会的な地位現在同様に維持できるのかは予測がつかない。

おそらくは女性にとっては不利に働く。

ものすごくハンサム男性が何らかの事故などによって顔面に激しい損傷を受けた場合にも今までと同様に生きていけるか?という問題想像すればわかりやすいかも知れない。

女性性的な魅力を失うことで、そのゲタはなくなることになる。

そのときにより厳しい局面を迎えるのは、能力のある女性ではなく、能力の低い女性である

弱者女性誕生する。

結婚風俗産業経済的にその女性を救うことが難しい社会形成される。

そのための社会福祉が必要なるが、そのような予算が捻出できなければ、国家はその女性たちを男性にあてがうことになる。

全体として国家男性の性欲を抑制した場合、あまりハッピーな方向へと向かわないはずだ。

おそらくは、その国は滅びる。

そもそもがすべてファンタジー世界の話であり、真面目に考えるような話でもない。

また

男性の性欲を薬でコントロールするべきであるという主張は

女性の性欲を薬でコントロールするべきであるという主張の

裏返しであり

前者を主張する人間

後者を主張することも容認するということである

そのことを自覚せずに前者を主張するような人は馬鹿はいわないが少し考えが浅いと判断できる。

もう少し自分が何を言っているのか深く考える習慣を持つべである

仮にも学問世界で生きているような人間であるのなら、特に

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