はてなキーワード: サブカルチャーとは
最初に結論を書くと、私には今Twitterに見られる殆どの「フェミニズム」はその実、自身の「復讐」のことを述べているように感じられてならないという話です。
私がこのところ観測した、Twitter上でフェミニストとして声を上げる方々の多くは何らかの性犯罪を受けたか、男性嫌悪をお持ちです。
ですが被害にあったことは、復讐をする権利を与えられたことにはなりません。
ましてや、加害した訳でもない男性へ怨嗟を向け続けている状況は、はっきり言って異常に思います。
専門家ではない一般人としての意見になりますが、法律とは罪を裁くためのものであり、被害者の心を満足させるためのものでは無いと考えます。同時に、被害者が加害者を許さないことはどこまでも自由です。加害者が罪に問われるのは「貴方」を害したからではなく、罪に問われる行為をしたからです。
男性をはじめとした「貴方」にとって不快なものを排除した、「貴方」が満足する世界を生きたいという欲求の表現にフェミニズムという単語を使うことは、本来のフェミニズムに反することではないでしょうか。「貴方」が「自分」に害をなした人々を憎む心を、フェミニズムという耳障りのいい言葉で包んではいませんか。
フェミニズムは万能の剣ではありません。一人一人異なる考え方を持つなかで、フェミニズムが全てを解決するわけでも、全て正しいわけでもありません。
さて、この文章を書いている私はゴリゴリのオタク、腐女子です。主にBLでエログロなんでも好む私は、二次元において好きなように女体や男体を弄んでいます。二次創作においては既存のキャラクターを用いて妄想しています。彼らはいわゆる「客体化された」女性や男性です。
Twitterで見受けられるフェミニズムは、私のこれらの行動を排除したいということなのかと疑問に思い、キーボードを打っています。
お伺いしますが、あなた方はこのような行動を一切しないということでしょうか。
そもそも実在の人間の表象を持つことを「客体化」と表現するならば、「客体化されていない」キャラクターは存在するのでしょうか。
それではシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』はどうでしょう。ミケランジェロやダ・ヴィンチの作品はどうでしょう。今まで人間を客体化し、好きに描いてきたあらゆる作品は、Twitter上で批判される作品たちと何が違うのでしょうか。
名作だから違う?芸術だから違う?価値があるとされているから違う?「貴方」が思う「萌え」がないから違う?今そんな話はしていない?
ジブリ作品について言及しているツイートもありましたので、「今はそんな話はしていない」は通用しませんね。
答えは、「同じ」です。アニメも漫画も彫刻も文学作品も絵画も、あらゆる作品は誰かの手によって生み出されたものなのですから。
これらの作品が非難されていないのは「創作物であるとあなた方が認識しているから」でしょう。
では、宇崎ちゃんやジャンプなどの物語を、創作物でありながら非難するのは何故ですか。
作品とは、ある人から見ればかけがえのないものであり、ある人から見ればただのゴミになります。嫌悪を感じる人もいれば、好んで鑑賞する人もいます。生きる糧となる人もいれば、一生関わらないで生きてゆく人もいます。その自由な態度を咎められることもありません。
誰かがある作品を批判したからといって、その作品を好む人にはなんら問題はありません。
時代によって許容される表現や文化は異なり、時には焚書などの弾圧を受けた歴史があり、そして日本に生きる私たちは「表現の自由」を手にしています。
では何故、サブカルチャーには自由な態度が許されないのでしょう。
常に何かしらの「正しさ」が求められるのでしょう。
一つの理由として「多種多様な人々が目に触れる機会が増えた」ためだと考えています。自ら探しに行かなければ分からないアングラな世界から、インターネットの普及などによりサブカルチャーが身近にある状態へとシフトしました。同時にコンテンツのほうも、典型的なオタク向け作品からポップでライトな作品まで裾野が広がり、様々な人が様々にサブカルチャーを楽しんでいます。
同時に、Twitterのようなツールが普及したことで、受け入れがたいものを目にしたとしても、完全に情報を排除することが困難になりました。「私が正しくない・面白くないと思うもの」を検索すればこんなに情報が出てきてしまう、「私が正しくない・面白くないと思うもの」を好きな人がこんなにいる……。自分が楽しめないものを多くの人が楽しんでいると感じると、まるで楽しめない自分が悪いのだと「錯覚」し、悪感情を増幅させてしまうことは私も身に覚えがあります。一方で、自分と同じ感情を抱く人のことも探すことができます。
その結果、「これだけの人が嫌だと考えているのだから、この作品を嫌だと考えることは正しい」という自身の考えを補強すると同時に、「この作品を好きな人はおかしい」という着地をしてしまう。
それがいわゆるロリ巨乳が登場する作品だったりすれば、「私たち女性を勝手に客体化しているこれは正しくない、やめろ」ということになる。
私がTwitter上で「女性を客体化するな」と訴える方々に特に伺いたいのは、客体化されない存在とは何か、ということです。
客体化されているのは女性だけではありません。男性、犬や猫、車、あらゆるもの客体化されて表現されています。自由な「客体化」を封じた場合、表現の場に残るものは何でしょうか。女性のみが女性について表現できる世界が、あなた方が目指す世界なのですか。
類似した案件において、「全てを消せなんて求めていない」という意見も見ました。ではその消す消さないの判断基準は何ですか。「フェミニスト」を掲げる「あなた方」ではないですか。「フェミニスト」に憎まれる、あるいは傷つけかねない表現を消していった先に、全ての表現が消える創造をすることは誇大妄想でしょうか。
その問題の重要さを、日々表現の規制を求める方々は本当に立ち返ってお考えになりましたか。
昨今話題になった献血やJAのポスターについて「公共の福祉」を挙げて問題視している方々もいらっしゃいましたが、「公共の福祉」とは「多くの人を不快にしない」ことを言い換えたものではありません。例えばポスターにおいて個人情報を載せたり、特定の人物を誹謗中傷したときに初めて問題になります。
性器が丸出しなど、無関係かつ過度に性的なイラストであれば公序良俗の面から問題になると思います。
話は逸れますが、ゾーニングの問題ももっと議論されるべきだと思います。Twitterでは、特に男性向けの18禁イラストがワンクションやゾーニングなしにアップされています。女性向けではゾーニングがなされることが多いため、BLのゾーニング問題に関連してしばしばやり玉に挙げられています。
私は寧ろ、表現の自由のためにあらゆる18禁表現作品のゾーニングを徹底すべきだと思います。性的な表現と普通の描写を一緒くたに放流していたがゆえに、普通のキャラの描写まで誤解、もしくは悪意のある解釈をされている可能性はないでしょうか。
きちんとゾーニングすることで、堂々と表現の自由を行使した方が健全だと思います。
二次創作でゾーニングしていながらめちゃくちゃエッチな商業BLがほとんどゾーニングされていないのは私の中で七不思議の一つです。白塗りや海苔をすれば良いってものでもないでしょうし、何より修正されていないものが見たいので出版社の方には是非ゾーニングをご検討いただきたいものです。
話を戻しまして。
Twitter上でなされている主張は、「女性を勝手に客体化するな」ではなく「女性を誤解するな」あるいは「誤解されかねない表現をするな」ということではないかと思います。そしてこの「女性」は「私」なのでしょう。「客体化」という表現を用いてしまうから語弊や誤解が生まれてしまっていますが、こう言い換えると納得することができました。
客体化された女性に関する表現が、いつかそのまま受け取られて「私」を害するかもしれない。「私」もそう見られているかもしれない。あるいは、この表現は「私」がかつて嫌だったことそのものだ――。
このように「自分」が経験した不快感や被害が創作物とリンクして、登場する女性が「私」になる。そして「私」に加害する登場人物たち、ひいては作品を楽しむ人々へも悪感情が向けられてしまう。
何度も議論されていることだとは思いますが、やはり根本的な原因は自分と客体化された女性に対して、男性からの性被害について共通点や共感を抱いてしまうことによるものといえるでしょう。これは物語に対する共感力というよりも、架空の人物に対する自他境界の曖昧さの問題ではないでしょうか。
この世界に「女性を客体化した」表現があること、そしてそのような作品があり楽しまれていることは、「貴方」の尊厳を傷つけること直接の関係はありません。
「女性であっただけで」セクハラをされた、性被害に遭った、差別されたと訴えるのならば、「男性であっただけで」潜在的な加害者であるとされることも同様に不当ではありませんか。
「まだ起きていない性犯罪」の原因を「客体化された女性像を鵜呑みにする男性」であると決めつけることで、問題は解決するのでしょうか。
現在も無くならない性犯罪は、むしろ表面化しないところに原因があるのではないかと私は考えます。
一人一人性犯罪を起こす原因も違えば、性犯罪の被害を受けた原因も違うのではないでしょうか。それなのに画一的に「表現」に原因を求めるのは、思考停止ではないですか。もしも「表現」に原因があるとするならば、同じ表現を目にしてきたにもかかわらず、問題や犯罪を起こしていない圧倒的多数の方々の存在はどう説明されるのでしょうか。
オタクはよく主語が大きいと言われますね。「女性」という主語、大きくないですか?その主語は「私」ではないですか?
「貴方」が被害を受けたこと、「貴方」が感じたことは、貴方自身を主語にするのが適切ではないですか。たとえ同意者がいなかったとしても、貴方が感じたことは否定されるものではないはずです。
「貴方」に害を加えた人物と、「貴方」が嫌う作品を読む人物は全くの別人です。
「貴方」が嫌いな作品を読んでいる人を嫌いになることもまた、「貴方」の自由です。それだけではどうしていけないのでしょう。「貴方」が作品や作品を読んでいる人を非難する際に、「気に入らない人物からそのひとが好むものを取り上げて満足したい」という感情は本当にありませんか。その感情を満足させたいがために、声を上げているところはありませんか。それは本当に「フェミニズム」でしょうか。
私は、本来誰にでも権利があり広く議論されるべき「表現」という問題がフェミニズムの名の下に一方的に敵視されていると言っても過言ではない現状が嫌すぎてこの文を書きました。
私が観測したツイートや主観のみで構成されており拙いところが多々ありますが、「復讐」という感情への自戒の意を込めてここに残します。
私は推しCP小説を書くのに忙しいはずのに、あまりにもやるせなくて気づいたらこんな長文を……。何故……。
つらつらと思ったことを書き連ねているだけの全くまとまっていない文章ですが、お読みいただきありがとうございます。正直こんなにコメントを頂けると思っていませんでした。
スタンスの提示のため、また議論に挙げられるのが主に男性向けが多いなと感じていたため腐女子という要素を盛り込みましたが、もう少し言いたいことを整理するべきですね。考えていることをできるだけ忠実に表現するということはこんなにも難しい……。
ご指摘の通り私はTwitter上でなされているフェミニズムの主張に賛同していません。ですがTwitter上でフェミニストの方々が意見が発信されていたからこうして考える契機になりましたし、文章を書き他の方に見ていただくことで自分には無かった視点を知ることができたので、良いきっかけになりました。
余談ですが、投稿する前に「普段の特徴を隠して匿名を楽しもう」とあったので意識的に普段と違う書き方を頑張ってみたら「ネカマ」や「男っぽい」とのコメントがあり新鮮でした。普段と違う書き方をしてみるのも面白いですね。支部やTwitterに小説を上げるのが生きがいの、ただの腐女子です。
「名誉男性」というコメントもありましたが、もし私がTwitterで意見を述べたならば、Twitter上のフェミニストの方々は私を自分たちと同じ女性とは認めないのではないかなと想像しています。穿ちすぎかな。
男女という性差は個人の一要素でしかないものの、その要素が個人を占める割合が人それぞれ異なっているということがとても厄介だなと非常に感じます。
このこと自体は至極当然のことなのですが、自分とスタンスの違う他者のこと、ひいてはその集合体である社会のことを考えると全くもって一筋縄ではいきません。
欲望を持っていい。持たなくていい。何かを好きでいい。嫌いでいい。それが私たちが持っている権利ですが、生きているからには権利の行使だけではなく様々に考慮しなければいけないことがあります。
ただ「嫌う」権利の行使にフェミニズムを掲げるのは違うのではないか?というお気持ちです。
Twitter上でなされているようなフェミニズムの主張をするならば、BLは生きていけないよな、と思いますし。正直腐フェミと呼ばれる方々はダブルスタンダードだと感じます。
同時に、「好む」方々からの「嫌う」方々への無配慮も無視できないので、「嫌なら見るな」で思考停止もしたくないです。
とりあえず、私には好きなものがたくさんあります。だからこそ考え続けたい。
FFIIIがなぜ子供時代に楽しかったのか、それは主に舞台設定にあるように思えた。
小さな洞窟から始まり、巨竜に出会い、従者と姫のラブロマンスを知り、ここがちっぽけな世界だと知る。そして浮遊大陸の脱出がある。
浮遊大陸の脱出を体験した当時の子供達は一様に鳥肌が立ったという。
自分は巨大飛空艇インビンシブルが水中から出てきた時もかなり問い肌がたったくちだ。
バブル好景気を反映するかのように思い描いた希望と欲望が無限に拡大してゆく。
見たこともない森林や島々、古代遺産や革命的な発明、小さな洞窟から始まった少年の冒険は空も海底もどこへでも行ける広がりを見せ、やがて二元対立を中和へと戻す、勇気の闘いへと変貌する。
そこにあるのは少年たちという存在を通した国の成長記であるようにも思えた。
少なくとも当時の日本に資本主義の拡大性に対する信心があったことはうっすら伝わってくる。
経済はわりとどうでもいい話だ。
問題はいつまでも広がっている大空、どこへでも行ける機械、果てしない宇宙などを連想させるサブカルチャー作品が激減したことだ。
SAOやデカダンスのような箱庭型の作品、日常系の作品、リアル志向のゲーム、萌系。
自分が思いつく限り、胸いっぱいの果てしなさと躁状態を延々と維持できる作品が思い浮かばない。
あるかもしれないが、メインではない。
今の子供達が思い浮かべる世界は、どこかと繋がっている空や未だであったことのない人々や国々ではなく、ネット端末なのだろう。
だから物語世界で事件が起こるとき、ネットを起点にして起こりがちになる。
都市伝説も謎の組織も、異世界に転生したあとも何がしかの端末が顔を出す。
子どもたちにとって世界は既に判明したものでしかなく、探求するものではない。
少なくともそうしたふうに感じているのではないか。
インフラ内で物語は起こり、インフラ内の隙きを縫うようにして問題が起こり、インフラ内で完結する。
広がりが感じられないので、今ある可能性の中でトップに立つには、という思考が先鋭化してYouTuberが人気になる。
かつては空の広がりが感じられたのだろうか?
少なくとも70~80年代のドラえもんにも、世界は探検し尽くされてつまらなくなった、とのびたがぼやくシーンがあった。
未開発地域は今でも広がっている。
はたまた経済が悪いのか。
それでも空は狭くなっている。
かれこれ、10年近くゲーム業界でカードイラストや2D素材の発注や進行をしています。
イラストレーターさんや漫画家さんが、出版社や取引企業と揉めることは往々にしてあることですが、
制作側の話って、あまり表に出ないし、出せないので、この場を借りて言いたいことを言います。
あくまでも私個人の見解、そして独り言なのでそこはご承知おきください。
はっきり言います。
安易な軽い気持ちで、イラスト、特にキャラクターデザインに関する仕事を引き請けないで欲しいです。
イラストレーターさんは、お仕事の多い方、少ない方、兼業の方、学生の方、育児や介護の合間にされてる方……様々な方がいらっしゃると思います。
人生、何があるか分かりません。
今までイラストの仕事を受けていたけど、ご家庭の事情で、突然仕事量を減らさざるを得なくなった、引越しをすることになった……結婚、出産、転職、事故、病気、災害……
それはもちろん有り得ることですので、私たち制作も理解できます。
ただ、この仕事を続けていると、急に連絡がつかなくなる方が、そこそこの割合でいらっしゃいます。
心配になってTwitterを覗きに行けば、元気に活動していらっしゃるし、別案件のお仕事情報を呟いていらっしゃる。
発注する側に問題があって、もう仕事をしたくない、関わり合いたくないなら、正直にそう言って頂きたい。なんなら、お前のココが気に食わない!という罵声を浴びせてくれてもいい。
返信が来ない=それがアンサーであるとは分かります。私の何かが気に食わなかったのだと。いつも自省しています。
ただ、何年もお付き合いしてきて、例えば納品して頂いたイラストの使用、取り扱い、今後についての相談が出来ないこと。
それが一番困りますし、今回のタイトルでもあるコンテンツを殺すことに繋がります。
むしろ、イラストレーターさんの力と言っても過言ではありません。それだけ影響力を持っているのです。(依存しすぎてるのも宜しくないのですが…今回はひとまず置いておきます)
小さく知名度のない企業が、小さい案件のキャラクターデザインをイラストレーターさんに依頼した。
イラストレーターさんも、その当時は仕事量が少なく、とりあえず小遣い稼ぎになるか、思って請けた。
しかしその後、大企業からの別案件を受けたことにより、人気絵師としてたくさんの仕事が舞い込んでくる。
このとき、小さな案件を発注した小さな企業が、イラストレーターさんに新しく仕事をお願いしようと連絡したものの、繋がらず……なんてこともよくある話で。
結果、その小さな案件で、イラストレーターが手がけたキャラは、新規のイラストが描かれず、また展開も出来ず、死ぬことになる。
キャラクターにとって、ファンにとって、新規絵がないのは死んだも同然なのです。
それはもちろん、その通りです。
ただ、キャラクターデザイン、キャラクターを作る仕事を請け負うなら、最後まで責任を持って頂いたい、とも思います。
小さい案件に構っていられない、これ以上描けないのであれば、別の人に頼んでくださいと一言ください。
原稿料が安いなら、上げてくれと言ってください。
どんなに返信が遅くてもいい。生みの親であるイラストレーターさんが新しく描いてくれるなら、(案件次第ですが)何年でも待ちます。
連絡の無視は1番の悪です。
余談ですが、イラストレーターさんの画風に寄せて描くことは意外と難しいのです。
携わっている人の人数にも、そして思惑にも大小があります。
たかが小さい案件でも、いずれはと思って、構想を練っている人がいたかもしれない。
シナリオライターさんが、そのキャラクターに対して並々ならぬ想いを抱いていたかもしれない。
それらを全て、たった1人のイラストレーターが壊すこともあるのだと自覚して、仕事を請け負って頂きたいです。
今、第1線で活躍してる有名なイラストレーターさんは、キャラクターを生み出すこと、育てていくことに覚悟をお持ちなんだなと思わずにはいられません。だからこそ、第1線に辿り着いたのだと。
この話はフィクションで、俺もこんな職場も存在しないし、出てくる人たちも存在しなくて、これを読んでる君もどこにもいないです。
今から5、6年ほど前に、俺はとある大型事務センターで派遣社員をしていた。
就職できなかったというより、仕事が出来ない無能な上に人中りして人間関係が酷く疲れる気質なので、新卒を短期間で蹴って逃げた俺は正社員として働きたくなかった。あんな思いをしながら生きるぐらいなら、いっその事死んだ方がマシだと真剣に思えた。phaや中島義道や斎藤環の本を布団の中でずっと読んでる様な、そんな時期だった。こんな社会不適合者にとって、ひたすらキーバンチャ―をするだけの派遣社員のこの仕事はまさに天職で、社会に出てからはじめて「俺は生きてても良いんだ。」と思えた。仕事帰りに出かける精神的余裕ができたのもこの時期だったと思う。社会不適合者にとって社会は厳しいけれども、俺でも受け入れてくれるぐらいには懐が広い。そう気づけた。
こういう誰でも出来て、なおかつ多くの人力を必要とする楽な仕事には、時給1000円そこらにも関わらず多くの人間が集まる。
主婦、他に働き口のない年配者、皮膚病がある人、身体障害がある人、精神疾患がある人、売れないバンドマン、社会生活を諦めた人。
みんな彼らを奇異な目で見る事も見られる事もない。若い女の子にちょっかいかけて迷惑がられる中年のオヤジもいたが、主婦層が若い女の子が嫌な目に合わないように囲ってオヤジを寄せ付けないように庇うシーンなんかも観た。
生涯非正規雇用でしか働いたことのない年輩者。漫画や映画のサブカルチャーに異様な詳しさを見せる30後半の男性。キャバクラに費やして借金を500万程背負って自己破産した躁鬱の中年。ネトゲ経由で女子高生と付き合って会うたびにセックスに興じてる話を嬉しそうにする20代半ばの日焼けしてない小太りの男。通信大学で勉強をすることだけを生きがいにしてる勉強好きな人。顔色の悪いその日ぐらしのデイトレーダー。リーマンショックで会社が潰れてからずっと派遣社員をしているこっちが心配になるぐらい優しくて人が良い男性。派遣をしながらアートの勉強をしていたが仕事に結びつかずそのまま派遣を続けてる女性。HSP気質が強すぎて大きな音を聞くだけで目に見えて動揺する女性。借金を抱えている上に子宮筋腫の手術を控えていて頭を抱えながらこれからの先を涙ながらに悲観する中年女性。本当にいろんな人がいた。当欠してもお咎めなし、生産性求められず、社交性無くてもウェルカム!この気楽さと中島らものような門戸と懐の広さに「派遣社員の制度は福祉」だとさえ感じた。もちろん突然消える人も多かった。
そんな中、俺が今でも一番印象に残っているのが派遣社員同士の一組のカップルだった。
彼らとは別の部署で直接接点はなかったが、休み時間に休憩室で勉強しているときに向かいに座っていたカップルの会話が耳に入ってきた。
どうやら二人は同棲しているようで、そろそろベランダのミニトマトが食べれそうだの、そんな話をしていた。
穏やかな口調で静かに話す30前半ぐらい思われるスピッツの草野マサムネに似た男性と、化粧一つしてない新興宗教リトルぺブルのクララさんに似た20後半ぐらいの女性だった。
二人とも素朴な感じで、見栄とか恨みとか憎しみとか、そういうものとは無縁のような、表現は悪いが人畜無害そうな、植物の様な、そんな印象を受けた。二人の間には確かに静かな時間が流れていて、誰も傷つけず、誰にも傷つけられないような、そんな二人が纏う空気が俺はとても好きだった。もしも俺の半径内で彼らに危害を加える人間が居たら全力で守りたい。そんな庇護欲にさえ駆られた。
時給千円だと二人の手取りを合わせて月の可処分所得はおおよそ28万円ぐらいになる。交通費は支給されない。二人が広げる手作りのお弁当を眺めながら、一体、どんな部屋に住んでいて、どんな生活をしているんだろう。と好奇心が湧いた。(が、最後まで接点はなかった。)
何も身につかない職場(しいて言うなら相手の眼を見れば躁鬱かどうかがわかるスキルは身についた。薬のせいか病気のせいか理屈はわからないが、躁鬱疾患者の目には特有のギラつきがある)で過ごし20代の貴重な数年を棒に振った俺は、月の半分が休みのような仕事に正社員として採用されたので、天職だと言えた派遣の職場を去った。
派遣の時代に比べれば可処分所得は倍以上になったが、忙しさや疲労度は増した。仕事帰りに出かける気力もなくなってきた。休みの日が多くなったが、寝ている時間も増えた。LINEは新卒時代に消したままだ。外部との連絡手段はgmailのみ。SNS嫌いの俺にはそれが心地よかった。友人の誘いを断ることが多くなり、連絡も途絶えるようになった。
職場にいるキラキラとした女性たちやイケイケでエネルギーに溢れる男性を目にすると、その表裏を帯びた見栄や世間体を感じてしまい、とても息苦しくなってしまう。息がつまりそうになる。ドッと疲れる。どうしても派遣時代の、良くも悪くも何事に対しても無関心な、山野一の漫画の世界をマイルドにした様なあの雰囲気が恋しくなってしまうのだ。
上司に「お前彼女はいるのか?」と聞かれた。素直に「いないです。」と答えた。
「若いうちに良い女をみつけとけ、ここはキレイどころ多いだろ、金持ってる女も多いしな」と上司は笑った。
もしもここで交際相手を見つけるなら俺は自分をひん曲げてでも人格や気質を変えていく必要がある。しかし、自分をひん曲げてまで彼女が欲しいと思える程のエネルギーは無かった。負け惜しみとかではなくて素直に交際相手が欲しいとは思えなかった。静かに寝ていたかった。
そういう時に、いつも派遣時代のあのカップルを思い出してしまう。
昇給もなく、雇用も切られやすい派遣社員同士で生活していくのは将来不安なことだろう。両親からの容認も難しいだろう。友人からの理解も難しいだろう。きっと「将来どうするの?」とか水を差されたりするんだろう。男性は「もっと甲斐性を持て。給料もらえる仕事につけ。非正規とかやべえぞ」と尻を叩かれ、女性は「そんな将来性のない男と一緒にいるの辞めたほうが良いよ先が無いよ」と窘められるのだろう。それでも二人は一緒にいる事を選んだのだ。そこには見栄も、経済的な豊かさも、時間に追われる事も、仕事のストレスもない。二人でのんびりと過ごせる、二人で居られる時間を選んだのだ。今の職場で働き出して、ようやくそれに気づいた。
「だから彼らは幸せ」というのは些か短絡的ではある。そもそも俺には二人のパーソナル的なものは何一つわからない。ひょっとしたら二人とも重度の精神疾患を患っていて共依存の様な関係なのかもしれない。それでも、様々な障害を差し置いても二人で居られる時間を二人で選べた彼らを、俺は心の底から羨ましく感じた。もしかしたら俺は二人の関係がずっとずっと羨ましかったのかもしれない。どれだけ金を詰もうが、どれだけ自分磨きをしようが、二人の様な関係性は簡単に築けるものではない。少なくとも彼らの人生における彼らの関係性はとても豊かな物だと、俺は思う。
今あの二人がどうしてるのかわからないけど、出来るなら今でも二人で幸せに暮らしていて欲しいと、時々ふと思う。上手くすべてが続いていけばいい。
よく「表現の自由戦士が表現規制をする自民党を支持するのはおかしい」と言われるが、戦士の一人としてはっきり言っておきたいことがある。
貴様らは我々表現の自由戦士の奥深い戦略性をまるで理解していない。一から教えてやるからしっかり聞け。
ひかえめに言って我々表現の自由戦士はキモオタクが非常に多い。ほとんどの者がアニメ、漫画、アイドルをはじめとするサブカルチャー文化を好んでいる。
かつてこれらの趣味はただ嗜んでいるだけでも侮蔑の対象となり、中堅のスクールカーストを維持していた者もひとたび露見すればただちに最下層に突き落とされるほどひどい扱いを受けていた。
しかし時代は変わるものである。いまやサブカルチャー文化は広く浸透し、これらの文化に接することは何も特別なことではない。偏見は解消された。
が、表現の自由戦士・ザ・キモオタクにとっては辛い。我々はキモいからだ。たとえサブカルチャー文化に接していようが接していまいが、無関係に振る舞いや容姿や言動がキモいからだ。
我々にとってサブカルチャー文化が種々の偏見から解き放たれたり、法的に自由が保障され大っぴらに楽しめるということは大してありがたくない。むしろ自分のキモさが100%自己責任になってしまう、とんでもない毒リンゴだ。
立憲民主党や共産党、社民党はおそらく表現の自由を守ってくれはするだろう。しかし、それ以上のことはしない。キモくて金もなく、今となっては若さも失われつつある者多数の表現の自由戦士にとってこれは、いまいち魅力に欠ける話だ。
しかし自民党は違う。自民党は得をさせてくれる者を贔屓する。法律をねじ曲げてでも厚遇してくれる。変なフェアネス精神に酔った野党にキモいおっさんは救えない。公平ではダメだ。特別扱いがいい。自分だけチートがほしい。
自民党にサブカルチャー文化を贔屓すると得があると思わせ、これらを伝統文化やらなんやらとして祭り上げてもらい、国家の代表的文化を愛好する者として見なされたい。
能楽やら歌舞伎やら国文学やらを嗜んでいるいけ好かない連中が少しばかり挙動不審でも個性として尊敬されるように、我々キモオタクも尊敬を受けたいのだ。
自民党が色々と不正を働いていることは知っている。しかし我々がそれを見て思うのは「自分たちも同じように保護されたい!」だ。なぜそう思ってはいけない?
どうでもよくはない。むしろ自分に関心がある表現以外は弾圧してほしい。そういう点でも自民党には期待している。
意識高そうな純文学だとか、反体制的だったりメッセージ性のある映画だとか、こういうのが存在するからアニメを観てる時にいつまでも微妙な後ろめたさを感じてしまう。
よく「エロとかアニメ以外には無関心なんだろ」みたいに煽られるが、ある意味で関心はある。はっきり言って、我々表現の自由戦士はめちゃくちゃ他の表現を憎んでいる。
無関心なんてとんでもない。奴らがこういう頭が良さそうだったりリア充っぽい作品を発表するたびに我々表現の自由戦士は深く傷つけられているのだ。もっと配慮してほしい。
青なんとかとか、まんじゅうみたいなアイコンのやつとか、あとなんか名前忘れたけど変な名前のやつ。彼らは非常に役に立っている。
彼らがいけ好かないリベラル連中を言い負かしてくれるおかげで我々戦士も便乗して叩きやすくなっているし、ネット上における我々の発言力は確実に拡大している。
俺もよく保守が批判されている時は「表現の抑圧だ!」と言うし、リベラルが批判されている時は「批判も表現の自由だ!」と言ってあらゆる表現の自由を擁護しているよ。
でも隙あらばnoteとか講演会とかで金稼ぎしようとしているのはムカつく。
我々、表現の自由戦士は今後も増え続けるであろう。すべてはリベラルどもが我々のプライドを傷つけたからだ。公平であればいいだろうというその無自覚な傲慢さが我々を怒らせたのだ。
それを忘れるな。
コロナで自粛していたここ数カ月、暇を見つけてはVtuber動画に熱中していた自分だったが、最近段々と我に返ったかのように熱が冷めてきた。しかしなぜだろうとその理由を考えてみた。
・まずチャンネルページの動画一覧にずらりとサムネが並んでいるのがなんかダサい。1本あたり一時間とか二時間とかの中身のないだらだらとした雑談とか下手くそなゲーム実況で埋め尽くされているため、Vtuberの活動って一体何なんだろうと思ってしまう。(おまけに同じ企業でも膨大な数の配信者がいるため、視聴者の時間の奪い合いをしているのだと考えると虚しくなる)
・「チャンネル登録者数〇〇万人達成!!」とかの文言をみると結局、空虚な数の競い合いなんだと思えてしまう。(おまけに毎度のこと誕生日パーティーのような催しが盛大になされる)
・配信開始前にOPがついてる必死さが萎える。(peercastやニコ生にOPついてるのを想像するとなんか笑ってしまう)
・日本のアニメ漫画文化を培ってきた人々の成果を、なんだかタダ乗りしているような気がする。(Vの人たちも普通の声優と変わらない気もするのだが、しかし声優は声優で技術を磨き一つの仕事に専念して偉大な作品を作り上げてきたはずだ)
・知らぬ間にライブでずいぶん盛り上がったようだが、しかしこれも考えてみれば他の歌手の曲を「歌ってみた」だけだった。
・コロナで世間が混乱しているさなか、棚から牡丹餅とばかりに集金活動に勤しむ。(ちゃんと寄付とかしてるのか?)
・他人の著作物は金儲けに利用するが、自分たちの3Dモデルを金儲けに使われるのは規約違反という徹底さ。
しかし結局やってる内容はテレビのバラエティ以下なんじゃないか?彼ら彼女らにとってゲーム自体に興味はなく、数字が稼げればそれでいいのだ。
最近あった権利問題にしろ、何もかもがグダグダで中途半端な印象でしかなくなってしまった。身内のごたごたがある種のコンテンツになっているが、そんなもの楽しんでも仕方がない。
これからの時代、クリエーター志望の若い子が金儲け主義に走って中身のないコンテンツを量産しまくるのだと考えると暗澹たる思いだ。そのうち大手広告代理店なんかが絡んでそれは加速していくのだろうか。
もちろんすべて個人の感想でしかない。ただ、この業界全体を俯瞰して思うことは、やってることの割には金が流れ過ぎなんじゃねぇの?とは思う。初期の頃はこれが次の時代を担う新しい文化なんだなぁと思っていたのだが、如何せん場末の地下アイドル崩れみたいな連中が何の目的も高度な技術もなく、巨大なプラットフォーマーら(Youtube、エンジニア、イラストレーターなど)数字至上主義の連中の食い物にされているような気がして、肝心の「物語」がうまれてこず、オタク人生を数十年続けてきた身としては、ますます日本のオタク文化もつまらなくなるのかなと思った今日この頃。
こいつらは数年後、何をもって「私たち、頑張ったよね?」と互いを激励し合えるのだろうか?後に残るであろうものは、膨大な時間を浪費しただけの空虚な動画の一覧ばかりだ。頑張ったと言えば頑張ったといえるであろうが、やっぱり無といえば無だよな・・・と思えるそんな危うい業界。
自分がコロナで鬱になってるだけかもしれないから、聞き流してもらって構わない。
自分もVTuberのそれぞれ個性的な声とイラストのマッチングのクオリティに当初は感動さえ覚えていたもので、これが新しい文化を作ればいいと思っていた。(彼ら彼女らは、なんというかうまく言葉にできないけど、現実の人間と、2次元のキャラクターというものの枠組みを拡張させる何かがあるような気がした。)
しかし結局自分に対するコメにもある通り、嫌儲的な思想にならざるを得ないし、そうなることが正義のような気がする。
彼女らは自分たちで実際にソシャゲやゲームの課金要素に金を突っ込みまくり、それがさも普通の事であるかのように演出してみせる。そうなると当然、彼女らにスパチャを投げるのが当然のことなのだと若い子らを間接的に洗脳する。(Vtuber本人たちにもその意図が見え透いている感じがする。)
現代の貧乏な日本社会では、本を買う金すらも惜しむはずなのに、あんなものに金を突っ込んで本当に大丈夫なのか?と考えざるを得ない。
確かに世の中にはソシャゲやらなんやら巧妙な商法がもはや当然のようにまかり通っているが、Vtuberもまた、形を変えたキャバクラやホストのようなものだときつく言及しておいたほうがいいのではないか。
あの高速で流れる赤スパ(1万円の寄付)のような、金の流れを見ていると、自分もこの流れに乗らなければならない!と熱狂してしまう人間が少なからずいることは当然のことではないのか。一時の感情に瞬間的に値段をつけさせるシステムが怖い、というのもある。
自分は別に彼女たちのことが嫌いではないし、嫉妬しているわけでもない。むしろ彼女たちは根本的に頭が悪かったり、貧乏だったり、もしかすると見た目が悪かったりして不遇な人生を歩んできた人たちが多い。(確かにこれはほとんど憶測だが、自分の好きな女性Vはアイドル目指す以外に何の取り柄もなく、家庭環境もまともでなく、とてもまともに社会で生きていけるとは思えない人たちばかりだった。余興でやってる余裕のあるVならともかく、何の保証もない不安定な世界に飛び込んで毎夜のごとくメンヘラ発症してるのを想像するといたたまれなくなる)
そんな人たちが頑張って毎日のように配信したりTwitterで宣伝する姿は胸打つものがあるのだが、これも結局バックの何も考えていない大人たちに踊らされている気がしている。(ある配信者は、得意だったテトリス配信が権利関係のごたごたでできなくなってしまった)。
彼女たちは政治について語ることはないし、語ることもできない。無駄に歳を重ねて新しい若い子がでてきて一瞬で捨てられて忘れられてしまうのかなと思ってしまう。そう考えると彼女たちに全力でコミットできない。
自分はVの世界というか、アニメ漫画業界、あるいは今はGAFAに乗っ取られた日本社会全体について危惧している気がする。金持ちがいくら散財しようが知ったことではないが、10年後、20年後に咲く花の種を今植え始めたのだと考えると、今のアニメ業界(なろう系のような)を見れば焦土と化しつつあるのは火を見るよりも明らかだ。
既存のyoutuberや自分の嫌儲思想とごっちゃにするなという意見はわかるが、全てはつながっているし、つながってしまった。
youtubeというプラットフォームのせいで、どのコンテンツにどれくらいの価値があるかということが、動画再生数やチャンネル登録者数で決められてしまうような気がしている。そんな世界からオリジナリティのあるものなど生まれてこないのだ。なぜ、しょうもないお笑い芸人やyoutuberたちと高尚なオタク文化が混同されなければならんのだ。
Vtuberだけが倫理観のあるプラットフォーマーが構築した独自のシステムに移行するというのなら、自分は喜んで金を出すだろう。これだけ無駄に長い謎長文を書いてるんだから、自分がどれだけVtuberを愛しているかわかるだろう。
何か根本的なものが間違っている、これでは10年後に何も咲くものないのではないか、ということがいいたいだけだ。
確かに自分にしか当てはまらない、1つの実感でしかないかもしれない。自分には向いていないものかもしれないし、知らないVもたくさんいたことだろう。しかしなぜ、このような戯言のくだらない記事がここまで伸びてしまったか、そのこと、その事実そのものについて考えてみてほしい。熱狂していたものに冷めてしまうことというのは、日本人の戦争に対する見方を取り出すまでもないが、勝手に信じて勝手に裏切られたような気持ちになるのは見当違いだろう。「興味ないなら黙っていればいいじゃん」というロジックの人間は、ならば自分のこの記事に対しても余計なことを言わず黙ってスルーしてればいいじゃん、と忠告しておく。
いや、皆様本当に申し訳ない。こんな記事にたくさんのマジレス頂いて本当に恐縮しております。
考えてみれば自分がこんな文章書こうと思ったのはつい数日前にnetflixで攻殻機動隊見てそのクオリティの高さを改めて思い知り、今のアニメ産業に言いがかり的に文句言いたかっただけのようだ。自分の精神的な未熟さを甘んじて受け止めると共に、確かに自分もVtuberのことを皆様ほどあまりよく知らないのです。この記事にしたってよく考えて書いたわけではないし、ふと日本のサブカルチャー的なものに不安を感じてしまい、気軽なつもりで書いてみたら予想外に伸びてしまいました。
しかし逆にどうしてこれだけの人がこの記事に反応しちゃったのか疑問でもあります。
むしろ皆さまの方にV業界に関して思うところがあるのではないでしょうか?どうでもいいならむしろスルーしているはずです。それがこの業界の"鉄則"だったはず。
業界に対して、何か思うところがあるのなら、今のうちにちゃんと議論しておいて小さな芽は潰しておいたほうがいいのでは?
次に何を書けばもっと伸びるか考えてる。こりゃ確かにハマるわ。こうやって数字稼ぎを頑張ってるんだね、今の人々は。コメント欄でも書かれていたが、何もかも "not for me"だよ。すべてブーメランなんじゃないか?
そもそも俺は何も考えて書いてないもの。何を書いたのかももう忘れてしまった。
実は俺には何の信念もないし、何もよくわかってないし、何も考えていない。
それでも今のあなた達のような人々の神経を逆なでするくらいは、どんなネタでもあっけなく簡単にできるということが今回分かった。
この流れに乗じて言うが、コロナの件でも思ったけど今の人たちは言葉数が少なすぎじゃないか?
そうやって気にいらない意見を全力で叩き潰そうとしてもがき苦しんでいる姿があなた達の"病理"だと思う。
行け!もうすぐで200だ!
200行ったら記念配信するからみんな赤スパ投げてねv(^^)
今のあなた方を煽って数字を稼ぐのも、喜ばせてスパチャ投げさせるのも、赤子の手をひねるように簡単かもしれない。
ただ反応してるだけで、何の信念もない。もちろんこの記事も中身がない。
いつの間にか200行った!見ろ、数字ってのはこうやって稼ぐんだよ。
ふとVtuber的なもののパロディをこの場で再現できるのではないかと思いつき、良質な中身のないコンテンツを皆様にお届けできるかと思ったのだが、さすがに疲れたのでここで降りる。あなた達の時間を奪うことは、私の時間を無駄にすることと即ち同じだった。
たった少数の人間にたくさんの人間の人生の時間と金を消費されてることについてもっと考えてほしい。特に最後までこの記事を読んでしまったような人達と、給付金を一瞬でVに散財してしまったフリーターの友人に対しては。
自分はゆたぼんがお前らのせいでダークサイドに落ちないように見守る仕事に専念する。
起きたらまだ伸びてたので最後に1つ、自分が本当に言いたいことだけ書いておく。
別に特定の企業がどうとか、権利関係がどうとか、V業界に関する不満をぶつけてるわけではない。
それは飽くまできっかけに過ぎない。
このコロナ禍で思ったことは、個々の人間がどう立ち回れば自分が最も有利なポジションにつけるか少なからず学んでしまったことにあるんじゃないか、ということだ。
自分はたまたま在宅勤務を命じられて家にいることができたけど、現実には外で仕事するしかできない人間がたくさんいるってことだ。そいつらの中にはウィルスに感染して自粛警察や近所の人間に心無い迫害を受けたり、あるいは破産して生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよっている奴もいる。
ところがyoutuberはどうだ?むしろこの機に乗じて独り勝ちして、リアルが上手くいかずやけくそになってる引きこもりリスナーは金を吐き出しまくっている。
確かに嫌儲は不健全な思想だろう。けれどこれが、儲けるにせよ儲けないにせよ自己責任という形をとってほしくないのだ。
自粛して家にいた若い子供たちの中に、恐らくこう思ってる奴もたくさんいるかもしれない。
「なんだ、結局外に出て働いている奴がバカで、家にいて配信で人集めて金稼いだ奴が勝ちなんだ」と。
これは俺の思い込みかもしれない。しかしそうでもないかもしれない。少なくとも自分だったらそう思っていただろう。
嫌儲だ!嫌儲だ!とバカの一つ覚えみたいに過剰に反応してレッテル貼りしてみんなで安心感を得たい気持ちもわかるが、しかし君たちの現実は大丈夫なのか?本当に生活費は払えているのか?少なくとも良識ある大人なのだったら、もっと自分の人生に必要なものに金を使ったほうがいいし、そういう忠告をする人間の言うことを多少は心にとどめておくべきだし、他人にもそう諭してやるべきなんじゃないか?
何に金使うのも自己責任、他人をそそのかして金を使わせるのもそいつの自己責任、Vにならなかったのもそいつの自己責任、そんな危ない思想を若い子たちに広めないでほしい。
多少思うところがあるから君たちも反応しちゃったんだろう、でなきゃそもそもこんなどうでもいい記事は普通ここまで伸びない。
キャラの向こう側にいる等身大の彼女たちをちゃんと見極めて、プラットフォーマーたちの作ったシステム上で数字を稼がせ、それが彼女たちのアイデンティティの全てだと思わせ、そのためには何でもするという闇に引きずりこまないでほしい。
最近、オタク活動(ここで言う“オタク”はアニメ、ゲーム、漫画などのサブカルチャーに分類されるものを好きと表現する人を指している)がめんどくさいなぁと思うことがある。
変に共感性が高く、気にしいで、そのくせに気分屋で、すぐ落ち込むようなメンタルの死んでいるわたしが勝手に落ち込んでいるだけなのである。
昨今、物凄い速度で新しいジャンルが生まれ、旬となり、瞬く間に旬が過ぎる。
わたしはもともと三つか四つくらいのジャンルを数年単位で順繰りに楽しむタイプのオタクだ。変なタイミングで再熱するし、気分が乗らなければ大フィーバー中に一人しらけてしまう時もある。
一丁前に創作なんざもする。
しかし凝り性で筆が遅い。そのくせ描きたいものだけはぽんぽこ生み出てくる。だからそんなわたしにはそういったサイクルが一番過ごしやすいのだと思う。
だが同時に、とても侘しくなる時もある。
仲の良かったみんながわたしの知らないジャンルを話し、それに混ざりたいからと、ジャンルを履修するが一つも楽しくなくて。
ハマれなくて焦っているうちにみんな新しい沼で楽しくしている。
自分が属するジャンルに新しく入ってきた方も、気づけば同じジャンルの話をしなくなり、そしてわたしを置いていなくなってしまうのだ。
そも、ジャンルを梯子したり同時進行で抱えたりと言うことが苦手な性分なのだ。
もともと頭の出来は良くなく、マルチタスクが苦手だ。一つ以上のことを抱え始めるとニッチもサッチも行かなくなり、頭をぐるぐる回した挙句に面倒になって放棄してしまう。
そういった人間なせいで、同時期に色々なジャンルを全部抱きしめて笑うアクティブなオタクを見ると、大好きでたまらないのに、どれか一つずつしか抱き上げられない自分の不器用さに呆れて、そして少し悔しくて、とてつもなく孤独を感じるのだ。
心細くて、胸がズドンと重たくなる。
辛いならやめればいいじゃないか。何度も考えた。
でも結局なにかを追いかけて、みんなで“たのしい”を共有する気持ちの良さを知った後だと、切り離すことに踏ん切りをつけることはとても難しい。
そんな宙ぶらりんでジャンルを抱えることに、たまに少しだけ罪悪感が湧く。
SNSでそんな感覚を味わい続けて、気づけば仲の良いフォロワーさんだとかを作るのすら怖くなっていた。昔は結構雑なリプライとか送ったりしてたと思うが。
仲良くなったオタクが、いつかジャンルと一緒に、自分との仲も振り解いていくことに怯えているのだ。
要するに面倒なクソデカ感情抱き込み厄介オタクになったということだ。
恥ずかしいことに。
昔から愛が重い自覚はあるが、こうもねじくれた方へと行くとは思わなかったと弁明はしておく。
だんだんなにを書いているかわからなくなってきた。 キッカケはお気持ち記事だったと思うが…
この通り鳥頭なので書きはじめと終わりで話していることがめちゃくちゃである。文章力が欲しい。
モヤモヤと毎日形を変え色を変え、自身を蝕むこのなんとも言えない感情を言語化する力があればなぁとつくづく思う。
そもこの記事は、ただ“はてな匿名ダイアリー”というツールを今し方初めて知り、匿名で自身の悩みを一方的に吐き散らかせる場所があるのか!とワクワクしながら書いた散文でしかないことは記しておく。
このような不器用なオタクがもしいるのなら、まぁ互いに生きづらいわけではあるが、なるべく楽しく感じれる時間が長く続きますようにと、そう願って止まないのです。
でっかくて常に清潔で寝心地が最高にいいベッドがある広々とした部屋
テーブルにあるタブレットで衣食住娯楽あらゆるものが注文できて、頼んだものは部屋の隅にあるリフトで下の階からすぐに送られてくる
よって外に出る必要は全くないが、出ようと思えば出ることもできる
部屋は地上50階以上にあってすごく見晴らしがいい 海が見える ちょっとした庭くらいの広さがあるバルコニーに加え、屋上にも好きに出ることができる
下階には特殊な器具がいるタイプのレストランやプライベートシネマなど様々な施設があり全部使い放題 建物の外に出れば博物館・水族館・運動場に動物園などレジャー施設も勢揃いしている
俺はそこでただずっとダラダラして暮らす サブカルチャーは人類の歴史の始まりから終わりまですべてのものが時空を超えて手に入る
未来の歴史書を読んだり、完結しないと思っていた漫画の最終巻を読んで感動したりする 遠未来の映画を見て文化の違いを感じてちょっと寂しくなったりする
基本、学力で輪切りされてる高校の場合は、一つの科目について、それぞれの学力に応じた動画が必要になる。
高校生は全員が大学に進学するわけじゃない。商業科や工業科もある。
そうした生徒向けのオンライン授業というのは、スタディサプリなどの大学受験向け動画とは、全く異なるものになるだろう。
大学受験という足枷からは自由な反面、逆に、その教科をもってして何を学ばせるか、またどう関心を持たせてオンライン授業に参加させるか、本質的なデザインの段階から教員の側が厳しく問われることになり、なかなか難しいと思う。
教科書のレイヤーでいえば、何を捨てて何を残すか、何を加えるかという話になったとき、どのような観点からそれがなされるべきか。
まずは、多くが就職や専門学校へ進学する生徒たちについて、キャリア教育的な観点からなされること。
もう一つは、教科の全体をもって、教養すなわちリベラルアーツの入り口に足を突っ込ませること。
オンライン授業の強みは何といっても視覚化に優れたところなので、サブカルチャーから何から総動員して、彼らの身近な関心や今後のキャリアに教科の内容をつなげ、全体として必要な教養に触れさせることは不可能ではないと思う。
ついでに補足しておくと、筆者は所謂『百合』ジャンルに詳しいわけでもないし、それらの問題提起により度々巻き起こる騒動の渦中にいたわけでもない。ある意味、この文には公平性が担保されている……と好意的に捉えることもできようが、本質的にはただの部外者の一人の発言であることは忘れないで頂きたい。
さて、ここからタイトル通り『百合』ジャンルと俗に『百合に男を挟む』と呼ばれているジャンルの軋轢について考える。
まさか「その軋轢とはなんぞや」と言うようなピュアな人物がこの乱文に辿り着いているとは思えないため、それらの騒動についての説明は省いて話を進めていく。
騒動を踏まえて解決策を得るため「何を解決するか」、今回の件に合わせて換言すれば「『百合に男を挟む』ジャンルに『百合』のタグをつけることの何がいけないか」を掲示する。それらを大別すると、
この二つが挙げられる。
前者の問題については言うまでもない。そもそも『百合』に該当しないのだからそのタグは適切ではない、という論調だ。インターネットで『百合』の定義について調べると「女性の間になんらかの関係性があり、それらについて描写した作品やジャンル」と分かる。(出典をインターネットに求めるのは些か情けないことであるが、そもそも扱っている事柄がインターネットの周囲に存在するため勘弁して欲しい)
サブカルチャーに慣れていない方がいれば「男がいようがいまいが女性同士になんらかの関係性とやらがあるのならそれは広義の『百合』ジャンルに含まれるのではないか」という意見を持つ方ももしかしたらいるかもしれないが、それは違う。
なにが違うかと言えば、それこそ大多数の意識が違う。例としてイラスト等投稿サービスのpixivを挙げる。
pixivに投稿された直近100件の『百合』タグがついたイラストの中で、所謂「百合に男を挟む」イラストは0件であった。先の複数の問題提起により、「『百合に男を挟む』作品は『百合』ジャンルに適切ではない」と既に共通認識が形作られているのだ。
そも、この文自体「百合に男を挟むな」騒動を受けて執筆されている。「『百合』に男を挟む」ジャンルは百合には該当しない、というのが大多数の意見であり、また妥当な落とし所である。
そして、二つ目の「『百合』ジャンルを探す際の検索妨害になる」についてだが……こちらに関して言えば正直私が口に出すことではないかもしれない。というのも、先程pixivにて直近100件の作品をチェックしたと述べたが、ここで指す「『百合』タグがついている『百合に男を挟む』作品」が、その100件の中には存在しなかったわけだ。勿論探せば見つかる程度には存在するはずだが、特筆して目立つわけでもない。恐らく『百合』ジャンルを好むユーザーの複数回に渡る問題提起の成果であろう。
ともあれ、『百合』ジャンルにおける検索性は、ある程度の健全化が成されていることは確かだ。この二つ目の問題というのは実のところ、「『百合』に男を挟む」ジャンルの検索性を上げる目的で掲示した。ここからは「『百合』に男を挟む」ジャンルの『検索性の改善』と、そのための『タグ』を考える。
その前に、ここまで散々「『百合』に男を挟む」ジャンルは百合ではないと言ったのだから、根本的に「『百合』に男を挟む」ジャンルという呼称が正しくないだろう。ここからは「複数の女性になんらかの関係性がある上で男性がいる」ジャンルと呼ぶ。
より『百合』ジャンルの検索性を改善するためにも、また『複数の女性の間になんらかの関係性がある上で男性がいる』ジャンルの独立性を確保するためにも、『複数の女性の間にになんらかの関係性がある上で男性がいる』ジャンルのタグを確立しそれを喧伝することは必要不可欠だ。あといちいち長いジャンル名を打ち込むのも疲れてきた。
で、そのタグとは、ジャンル名とは何が適切だろうか。『百合』に類する言葉を入れてしまったら再び『百合』ジャンルの検索性の低下に繋がるため、それらの使用は不可。
そして理想を言うのなら、既存の言葉に合致しないものが望ましい。「百合の花のイラストを探したいなあ」と考えイラスト投稿サイトを検索したら、何故か複数の女性が描かれたイラストが画面いっぱいに表示された……というような事例も、ないとはいえない。極論ではあるが、できるだけ新しいタグが既存の言葉と競合しない方がよいことは確かだ。
そう考えると、タグの命名の候補はかなり絞られてしまう。なぜこんな所で躓いてしまうのか。いや、この段階で先に進まなかったから現在まで『百合』ジャンルと『複数の女性の間になんらかの関係性がある上で男性がいる』ジャンルの問題が解決しなかったのか。
というか誰か既にタグを考えているのではないか。そう考えれば話は早い。
ある。普通にある。『ffm_threesome』と言うらしい。
female-female-maleで女女男、threesomeで三人組……とのこと。
pixivで『FFM』と略称で調べると、意外にも複数のイラストがヒットした。既に一部のユーザーには広まっているようだ。
しかし、現在そのタグの使用が広まっていないのは、それだけの理由があるはずだ。ピクシブ百科事典の記事も作成されていない。これも大別して二つ考察できることがある。
この二点だ。
前者についてはタグ部分一致の検索設定の場合におこる。普段なにかしらのイラストを部分一致で調べることの多い筆者にとっても手痛いところだ。『FFM』を名前に含むキャラクターもヒットするため、検索性については幾ばくか劣る。
さらに問題を複雑化しているのが後者。前者の問題を解決しようと『ffm_threesome』のタグを使用すると、かなりタグが長くなり、日本人にとってはかなり億劫だ。そもそも現時点で既に『ffm_threesome』のタグは『FFM』よりさらにマイナーである。取っ付き難いにくいというのはタグを喧伝する上で非常に重いデメリットである。
ここはやはり新しいタグを考案して拡めるしかないだろう。そうだ、female-female-maleを日本人お得意の略称で『ふぃふぃめ』とでも呼ぼうか。いいんじゃないか『ふぃふぃめ』。英語よりとっつきやすいし、短い。何より今pixivで検索しても該当作品はなく、競合する言葉もない。まさにベストな選択肢だ。
勿論冗談だ。語呂が悪すぎる。
私の力不足により、全てを解決するタグを生み出すことは叶わなかった。
一度タグが広まれば、きっと棲み分けが実現し、検索性も広がり、それらのジャンルもより発展していくはずだ。
『複数の女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男がいる』ジャンルにも、勿論種類わけが必要だが、それだって『FFM』に相当するタグが広まれば、他のタグの併用によって棲み分けができるだろう。
例えば単純に「女性二人と男性一人の純粋な恋仲」を表現したい際にも、『FFM』に相当するタグと『純愛』タグを併用することで達成できる。(注意、筆者が知らないだけで純愛タグに一対一の恋愛でなければならない共通認識があるのならこの用法は間違い)
しかし、そもそもいい案が思いついても、それを定着させるには年単位の草の根活動が必須であるため、今すぐどうこうできるわけでもない。
結局、私がこの文で主張できるのは、初めに書いた通り「『百合』ジャンルと、『複数の女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男がいる』ジャンルを区別しよう」のみである。ここまで長ったらしく書き連ねておいて、結論は1ツイートで終わることだ。多分140文字で説明もできてしまう。
私がこの問題を前に筆を取った理由は、偏に私もオタクだからだ。正直『百合』ジャンルにも『複数の女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男がいる』ジャンルにもそこまで関心はない。
ただ、傍から見ていても、この問題について何も考えないでいるという事はできなかった。
NLだろうがBLだろうがGLだろうが、ハーレムだろうが逆ハーレムだろうが、獣だろうが人外だろうが、夢だろうがオリ主だろうが、観葉植物や空気になりたい欲求だろうが。
それらは全て、文字に起こせば「他人の色恋を覗き込んで、或いは他人との色恋を想像して愉しむ」という至って不健全な趣味に思える。
しかし、こと創作という行為において、何かしら制限されることはない。(人目に公開する際の制限は存在するが)
だから、一部自分の目に入る「○○というジャンルはおかしい」という意見に耐えられず、今回の文章を書くに当たった。
これからも一創作者として、より快適に趣味を楽しめるよう願っている。
『FFM』について調べている際、ピクシブ百科事典にて目に留まった記事があった。
その名も『とせがら』。曰く「男性から女性に性転換したキャラクター(TSっ娘)」と「女性のキャラクター」のカップリングのこと……らしい。「trans sexual girls love」、俗に言う『TS百合』ジャンルを指すようだ。
これは推測だが、おそらく『百合』ジャンルの検索結果に『TS百合』が引っかかってしまうため、差別化の一手として『とせがら』タグを用いているのだろう。『複数の女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男性がいる』ジャンルほど目立ってはいないが、『TS百合』ジャンルに対しても苦言があったのかもしれない。いい活動だと思う。何がいいって語呂がいい。少なくとも『ふぃふぃめ』よりは。しかし、実際にpixivにイラスト検索をかけるとヒットするイラストはなんと一件。『FFM』と違いピクシブ百科事典に記事が存在すると言っても、未だ草の根活動の最中なのだと思う。是非普及して欲しい。
昔やってたRPGの英語版攻略サイトをなんとなく見てたわけですよ 技名どう訳してんのかなと思って
そしたらAd nihiloなんて技がある なんだろうと思って調べてみると、ラテン語で「無から」って意味らしい (追記:たしかに「無へ」だ!Ad Astraだもんな ウワーーーーだってGoogle検索したら結果にEx nihiloが出てたんだよう 真逆の訳だされてるとは思わんじゃんかよう 俺は悪くない!!) 言われてみればニヒルって虚無みたいな感じだったよなと思う
こんな感じで欧米人がサラッとサブカルチャーの中にラテン語とかシェイクスピアの引用とかを入れてるのを見るとちょっと嫉妬してしまう
まあ日本人だって枕草子とか吾輩は猫であるとかいろいろ独自のネタ元は持ってるんだけど、日本の古語とラテン語、ロミオとジュリエットと雪国を比べるとどうしてもちょっと負けた感じがしてしまう
ていうか日本サブカルチャー界が英語に頼りすぎだと俺は思う ブリーチとかを見習ってどんどん色んな言語とか取り入れてほしいんだよな
フレイムソードとか言って喜んでんじゃねえよ!教養を出していけ
(追記)
ああ?テメエ言いやがったな!バーカバーカ!ウンコ!(無教養)
まあ隣の芝は青いって言うよね…
Ad nihiloが出てくるゲームでも日本語版「常在戦場」のスキルが英語版だと"Eternal Battle"だし さすがにこれに関しては日本版のほうが教養ある感じする
たしかに技名のカッコよさは相当強い
みんな普通に四面楚歌とか呉越同舟とか背水の陣とか言ってるのはすごいと思うよ でもさあこうやっぱカッコよさに欠けんだよ スペインのドラマ見てて普通の男がふとした瞬間にmi reino por un…つったの見てカッケーと思ってしまったわけ
やっぱ桃源郷よりLocus Amoenusのほうがカッコいいし、草薙剣(草がよく切れたから)より魔剣グラム(古ノルド語で怒りを意味する)のほうがカッコよくない?趣味の問題かな…
フム。一理あるな。貴様の名、覚えておくぞ…
正直はてブで罵倒する人ってどういう感性?と思ってしまう 俺は罵倒するときはトラバしてるぞ 罵倒はできるだけ匿名でやるのが鉄則じゃないの…?
こいつ頭悪い!とか言うのは気持ちいいだろうけど、その痛い姿があなたのIDと紐づけられるのってちょっと嫌じゃない?(顔真っ赤)
ブコメ見て昔ニコニコで『いーあるふぁんくらぶ』っていう日本人の女の子が中国語の文化に触れたくて中国語を勉強する
っていう昨今としてはえらく平和的な歌が流行ったのを思い出した
あの歌には実在の人物が歌詞に出てきたりするんだけど、改めて調べてみると
これ全部中国本土から離れた場所で生み出されたサブカルチャーなんだよな
『日中友好』とあれだけ友好的に中国のことを歌ってる歌の中ですら、中国本土の文化っていうのはほぼ語られてなかったわけだ
自由のなさがどれだけ大きくサブカルの発展を阻害するか、ってことなのかなぁ
あれだけの人数がいて、名作を生み出せる天才がいないわけはないだろうに
語学習得って「その言語の好きなコンテンツを聴いたり見たりしながら勉強するのが一番の近道」
みたいなことよく言われるけど、そういう意味だと中国って日本人でも知ってるような世界に通用してるようなコンテンツがマジでほぼないんだよな
多分ほとんどの人は中国発の面白いコンテンツって映画もドラマも音楽も漫画も小説も多分ほぼ知らんでしょ?
市場規模的に海外に売り出す必要性が薄いのと、体制的に『名作』を生み出しにくいっていうのがあるんだろうなぁ
英語は言うまでもないけど、あとは韓国とか比較的娯楽と言語学習を結びつけやすそう
日本だって一応サブカルチャーがかなり盛んな国だしね、インドすらかなり独特だけど映画はちょこちょこ世界的有名作がでてきたりしてる
中国はあれだけ人がいる国なのに人口1/10以下の韓国にすら海外市場で負けてるの凄く変な感じ(テンセントみたいに『出資してる』とかの話だと違うんだろうけど)
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 65 | 9015 | 138.7 | 46 |
01 | 54 | 5900 | 109.3 | 38.5 |
02 | 41 | 3420 | 83.4 | 78 |
03 | 25 | 1692 | 67.7 | 39 |
04 | 17 | 1693 | 99.6 | 83 |
05 | 17 | 2135 | 125.6 | 83 |
06 | 27 | 3221 | 119.3 | 61 |
07 | 61 | 15110 | 247.7 | 49 |
08 | 67 | 5101 | 76.1 | 42 |
09 | 88 | 7078 | 80.4 | 44 |
10 | 128 | 8835 | 69.0 | 37.5 |
11 | 133 | 9304 | 70.0 | 34 |
12 | 162 | 12553 | 77.5 | 30 |
13 | 124 | 9852 | 79.5 | 33 |
14 | 142 | 9054 | 63.8 | 33 |
15 | 112 | 8028 | 71.7 | 25 |
16 | 101 | 5476 | 54.2 | 30 |
17 | 104 | 11858 | 114.0 | 37 |
18 | 123 | 36851 | 299.6 | 42 |
19 | 119 | 10935 | 91.9 | 42 |
20 | 161 | 104921 | 651.7 | 320 |
21 | 152 | 15310 | 100.7 | 46 |
22 | 161 | 12361 | 76.8 | 40 |
23 | 190 | 22123 | 116.4 | 49.5 |
1日 | 2374 | 331826 | 139.8 | 40 |
総合診療科(7), 銅鐸(9), 100日後に死ぬワニ(19), ワニ(105), pandoc(3), 当はずれ(3), 家元(3), 100日目(5), 厳戒(3), 身体症状(4), 100日(34), 低学歴(16), 農業(10), 😷(13), 医療(52), イタリア(16), 植松(10), テレワーク(7), 輸出(10), 食料(8), 自粛(16), コロナ(101), 書籍(10), できるだけ(10), 新型コロナウイルス(11), ウイルス(21), 2020年(12), 嫉妬(24), マスク(34), 感染(43), 検査(31), ガイジ(18), 罵倒(16), 感染者(10)
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韓国は韓流ドラマとかK-POPとか日本や英語圏でもまあまあ売り出されてるし、
日本は割と子供やナード向けだけど和ゲーとかアニメや漫画があるじゃん?
でも中国で知ってるサブカルチャーってよく考えたら映画も音楽もゲームもアニメもほとんどない気がする、日本でも人気あるジャッキーチェンやブルースリーとかは香港だし
あっちは自国だけで13億人いるから外国に頼らなくても巨大な市場があるしそもそも売り出してないっていうのが大きいんだろうけど翻訳されてて日本人から見ても面白い作品って本当にないのかな
そういえば数年前「中国に日本の優秀なアニメーターが引き抜かれたり中国のアニメーターが成長して日本のアニメなんてあっという間に駆逐されるぞ!」
みたいな予想を見たもんだけど、結局中国の人はアニメも中国市場向けに作品作っててあんまり状況は変わってない印象
体制的に尖った名作は生まれにくいみたいなところもあるのかなー
もうちょっと大々的に売り出しててもいいと思うんだけどね