はてなキーワード: 子宮筋腫とは
これを書いてから1年後。
妊娠が分かったのは1月の半ば。生理が遅れて、検査薬を試した。まさかの自然妊娠だった。元々卵巣機能が低く、第一子は不妊治療を経て出産し、その後いくつかのことを試したが結局授かることはなく。家族3人で楽しくやっていけばいいと完全に諦めていた矢先、妊娠したことが分かった。
最初は夫婦ともに戸惑った。子どもはもう5歳になって、生活に随分余裕ができた。夜は寝るし、言葉を話せて、気軽に旅行にも行ける。経済的にも子どもひとりなら安心して程良い生活ができる。そう高を括っていたところに0歳の存在が加わると。思い出される、寝ない、食べない、忍耐の日々。兄弟を望んだこともあったが、もはや5歳と0歳は多分一緒に遊ばない。仕事も責任のある立場になって、引き継ぎや調整にかかる労力は計り知れず、正直マジかという気持ちになった。
そもそもこれまでどんなに頑張っても妊娠しなかったポンコツの身体にぽっと出の命が宿ったとして、うまくいきっこないはずだ。最初はどうせ化学流産か子宮外妊娠が関の山だと思い込んだ。そうでないと、自然に授かれた喜びが爆発してしまいそうだったから。今さらマジかと思う一方、もう一度この手に赤ちゃんを抱けるかもしれないことが、子どもに弟か妹を産んであげられるかもしれないことが、本当は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
初期の検診は毎回、あまり期待せずに通った。子宮内に胆嚢が確認できたとき、リングのような卵黄嚢がくっきりと美しく見えた時、力強い心拍の音が病室に響き渡った時。涙が出るほど嬉しかった。期待しないように、期待しないようにと言いながら、毎朝毎朝、アプリで週数日数ごとの胎児の様子を丁寧に読んだ。第二子で、次の検診までがあっという間だとか、うっかり存在を忘れるとか、そんな瞬間は一度もなかった。ずっとずっと心配だったし、いつも赤ちゃんのことを考えていた。
私の心配をよそに、赤ちゃんはすくすくと大きくなった。検診の度に週数以上の大きさで、何の異常もなく、胎動も痛いくらい力強くて。深夜に目が醒めて、お腹に少し合図すると、もこもこと蹴り返してくる存在が何よりも愛おしかった。どんどんお腹が大きくなって、腰が痛くて、苦しくて、上の子に優しくできずイライラしたり落ち込んだ日もあったけど、元気な胎動を感じながら過ごす毎日は満ち足りていて幸せで、幸せで仕方なかった。
7月、何とか仕事をやりきって、気持ちよく産休に入った。体質的に上の子は早産だったから、もしかしたら近日中に産まれてしまうかもなとは思った。検診では何も問題なかったが、体感的にそれくらい身体が限界で、8月を乗り越えられる気がしなかった。早産はいつも不安だったけど、28週を過ぎたあたりで、もう大丈夫だと思った。かかりつけは家から近く、NICUのある大学病院で、例え早産になったとしても何の問題もないはずだった。
その日。
前日も当日も暑くて外出はできず、家でゆったりと過ごした。夜になり、脇腹辺りに痛みを感じた。陣痛のように収縮するような波のある痛みではなくて、何かズキズキした痛み。食あたりを疑いつつ、どんどん増してくる痛みに違和感を覚えすぐに病院へ向かった。深夜の救急外来で、すぐにエコーを当てられたけど、いつもなら聞こえるはずの力強い心拍音がいつまで経っても聞こえない。ドッドッドッとうるさいくらいのあの音が。死ぬまでずっと覚えていたいと思った音がいくら探しても聞こえなかった。
腹痛を感じてから約45分、病院到着から約15分で帝王切開が始まった。にも関わらず、全身麻酔から目が覚めたとき、赤ちゃんは生きていなかった。診断名は子宮破裂、常位胎盤早期剥離、胎児機能不全、子宮筋腫核出後、子宮内膜症性嚢胞合併。要は子宮が15cm裂けていて、そこから胎盤が脱落し、赤ちゃんは仮死状態で生まれたものの、蘇生に反応しなかった。
産まれた姿は大きくて、体重が1950gもあった。まだ体毛がたくさんあって、眉毛が立派だったけど、私と、上の子が産まれたときにそっくりだった。手足はむっちりと太く、小さな指もそれぞれ5本ずつしっかりあった。小さなお口が三角形に開いていて、かわいくてかわいくてしかたなかった。目が開いたら、どんなお顔だったんだろう。どんな声で泣いたんだろう。何が好きで、何が嫌いだったんだろう。もう冷たくて、ところどころ固まって、点滴や機械の痕が痣になって痛々しくても、かわいくて愛おしくて悲しくて、泣きながら何度も何度も名前を呼んだ。
どんなに寝なくても、食べなくても、元気に生まれてくれたらそれでよかった。ふにゃふにゃの体で、息をして、目が合うだけで、どんなにかわいかっただろう。こんなことなら、1日でも早く、早産になればよかった。子宮が破裂する前に、お腹から出してあげたかった。3日前の検診では何の異常も無かったし、子宮破裂の可能性なんて考えさえしなかった。あかちゃんは私のせいで亡くなった。子宮さえ丈夫だったなら、元気に生まれてきたはずなのに。
手術から1週間後に退院して、夫の運転する車で家に帰った。信号待ちで車が止まると窓の向こうに、大きなお腹で上の子と手をつないで幸せそうに帰り道を歩く自分の姿が、お腹をおさえてふうふうと息をつきながら頑張って坂道をのぼる自分の姿が浮かんで涙が止まらなくなった。家についても、しばらく中に入れなかった。新生児用の抱っこ紐も、ベビーベッドも準備していた。上の子のおさがりも整理して、みんなで楽しみにしていた。名前もたくさん考えて、一番良い字画を選んでつけたのに。自分だけ家に帰ってきてしまったことが悔しくて悲しくて死にたいと思った。ごめんねといくら言っても言い足りなくて、自分に拳を叩きつけながら叫ぶように泣き続けた。
あれから2ヶ月が経った。納骨はせず、毎日お線香と小さな哺乳瓶でお水を供え、遺骨に話しかけて暮らしている。泣かずに過ごせる日が増えてきた一方で、妊婦さんや小さな赤ちゃんを見かけてはひどく落ち込む日もある。最初の数週間はとにかく出産前に戻りたい、戻りたいと思いながら過ごした。前日でも、当日の朝でも、何とか時間を巻き戻せたなら、先生に懇願してすぐにでも帝王切開をしてもらう。赤ちゃんはしばらくNICUで過ごすけど、上の子の時のように、きっと元気に退院できた。
1ヶ月くらい経つと、この悲しみが死ぬまでずっと続く気がして、妊娠前に戻りたいと思った。そもそも授からなくても、私達は十分幸せだったから。子どもは一人と納得していて、他人を妬ましく思う気持ちもなかった。大好きな夫と子どもがいて、決して不幸ではないはずなのに。失ったことが悲しくて、足りないものを嘆き続ける毎日ならば、授かる前に戻りたいと思った。
そして2ヶ月経った今、子宮破裂について考えることが増えた。子宮破裂は極めて予後が悪いもので、8割の赤ちゃんが亡くなり、例え救命できたとしても、寝たきりとなる可能性が高いそう。私は子どもに一生、経管栄養の寝たきりで意思の疎通が全くできなくても生きていてほしかったとは思わない。もちろん結果的にそうなったなら大事に世話して必死に生かそうとするに違いないけど、それが死よりベターだとも思わないから、唯一そういう意味では今回の結果に納得できる気もしている。
でもやっぱり、失った未来を想うと悲しくて、もう一度取り戻せないかと思ってしまう。もう一度妊娠できたなら、今度は無事に産むから。亡くなった子と新しく生まれる子を同一視してはいけないとか、そういう話はどうでもいい。ただただ、もう一度授かって、今度こそ元気な赤ちゃんを抱きたい。これはもう、女としての私のエゴだ。止血のために両側の卵管を結紮したから、自然妊娠はできない。また次の妊娠は医師から真剣に止められている。本来なら子宮摘出すべきところ、小腸と癒着して摘出できず、仕方なく残しているだけです。妊娠しても無事に産める確率は極めて低く、次もまた同じか、それ以上に悪いことが起こります。本当にお母さんと赤ちゃんの生命に関わります。そう言われても、じゃあもうきっぱり諦めて、次の子は二度と望みません、とは思えない。
赤ちゃんとたくさんお散歩がしたかった。上の子が絵本を読み聞かせる様子を動画に撮りたかった。寝顔を見て、上の子と同じ顔だねと夫と一緒に笑いたかった。泣き声に、イヤイヤ期にうんざりしても、熱が下がらなくて大変でも、くたくたになりながらもう一度家族で赤ちゃんを育てたかった。全部、あと少しだった。もう少しだったのに、全部失ってしまった。悔しくて悔しくて、このまま終わることができない。
何のために授かったのか。どうすれば失わずに済んだのか。
自分のエゴで家族に迷惑をかけてでも、もう一度リスクを承知で子どもを望むか。足るを知り、諦めて日常を受け入れるべきか。
どんなに答えが決まっていても。
迷うことをやめられません。
子宮筋腫があったとかあったなあ…
今は薬で抑えられるんで、早めに病院へ
芎帰膠艾湯や黄連解毒湯で出血は抑えられるけど、黄連解毒湯は長く使うもんではない
ソース https://www.fuyukilc.or.jp/column/%E9%BB%84%E4%BD%93%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E8%A3%BD%E5%89%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E5%AD%90%E5%AE%AE%E5%87%BA%E8%A1%80%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%BC%A2/
https://anond.hatelabo.jp/20240829222653
思ったよりも反応があり答えていく。
### 自分の両親を頼らなかったのは何故か?
頼るのも面倒くさすぎて、もう考えるのも嫌だったから。
・自分の両親の方が頼れそうだったが、あくまでワイフの両親と比べて、という点。
・自分の実家まで片道1時間半。ワイフの実家より近いが気軽に行くには遠い。
・両親共に働く現役世代。子どもをみてもらうのなら、仕事を休んでもらうか、仕事終わってからになる。両親にも生活があるので、それと両立させなければいけない。
・世話を頼むにしても休みのタイミングで一時的にきてもらうか、僕らが実家に行くしかない。
・一時的なものだったら親を頼るのもありだったが、ワイフの産後うつの状態をみると、数回やたまに見る程度では良くならないのは明らか。
・僕らが実家に住むとなると、僕は職場までの通勤が問題に、ワイフだけ僕の実家に置いても遠慮して自分でやってしまうので良くならない気がした。
・僕自身が4人兄弟、母は保育士、子育てに関して常に最新情報をいれてるスペシャリストで、口移しやハチミツなどの地雷を踏むことはないが、それが故に気になることが多く、母の愚痴が激しくなる気がした。母はワイフに遠慮してる部分もあり、僕の家庭に関する文句は基本僕に言ってくる。精神的に消耗してる僕がそれを受け止めることができる気がしなかったし、そこで僕が逃げたらワイフがやられるし、文句を誰にも言わなかったら母がやられる気がした。
・事前に準備してあれば、多少頼りやすかったのかもしれなかったが、その準備は全くやれてなかった。母は「今は昔に比べ子育てに関わる事情が変わって考えることやることが多くて昔の1人分多めで見てる感覚で大変だよ」とも言ってて理解があったが、理解があるが故に大変さも分かっており、実家との調整を考えるだけで、あーめんどくせー、というものが勝ってしまった。そういう点では、ワイフが、というよりも、僕自身が面倒くさ過ぎて止めた、というのが正しいのかも。
そうしたかったが、できなかった。
うつで休んでたのは、仕事&プライベートでのストレスが許容値を超えていたからで。
1番ストレスが少ない状況はなにか?となった場合、その答えが僕が子育てに積極的に関わるということだった。
結局休んだ後、半月はまともに動けなかったので、相当疲れてたのだと思う。
このテの意見みて、最初の僕の反応は、「オイオイ、それ産後の女性には絶対に言うなよ、殺られるぞ、大丈夫か」という感じ。
産後1ヶ月、ワイフは自分の実家に帰っていたので、そこまで致命的に大変だと当時気付いていなかったのだが、自然分娩or帝王切開をすると女性は文字通り身体がガタガタになり数日動けなくなる。
帝王切開は文字通り切るわけだし、自然分娩だと20時間以上りきみっぱなしなんてこともザラなので、全身筋肉痛の酷いやつとか血管があちこちブチ切れてたりする。
その状態の産後すぐから、赤ん坊を見ることになるので、母親の方がもっと酷い状態からスタートすることも多いんやで………
と反射的に思ったわけだが「健康だったら」という点に関してはそれはそうだな、と思う部分も。
身体がしんどいのが続くから精神的にもつらくなるので、身体がしんどくなければつらくなくなる!?とも考えることができる。
よく4人も育てられるな、と言われるが、精神的にしんどい、の前の、身体がしんどい、を色々駆使して軽減してきたからこそやれたわけで。
ココに書きたかった理由も、その事例をいくつか紹介して参考にできれば、と思ったから。
結局うちはやらなかったのだが、その点オススメしたいのが、無痛分娩。
色々なママさんネットワークで見聞きする限り、産後の母親の体調が明らかに良いようで、子育ての最初のスタートダッシュは健康である分、だいぶ良くなると思う。
もし次産むんだったら、絶対無痛分娩だわー、もう絶対嫌だけど、とワイフは言っている。
### 正常性バイアスだろ
まさにその通りで1人目でやったノウハウをそのまま他人に展開するのはかなり危険だと思ってるし、どちらかというとちゃんと働きながら育てた2人目以降の話の方が皆には参考になると思う。
ただ大変だよねーツライよねー、男性目線から見た子育てって?という話は1人目の話の方が分かりやすいので、まずは1人目の時の話を書いた。
これは当時ワイフにも同じこと言われたのだが、結果的に欲しいとは思わなかったかな。
何やっても大人しくならないのに、乳首を使えば一発で大人しくなる、マジで便利、マジで救世主。
だが故に、乳首を外せばまた泣いてしまう、泣いている→乳首を!!という感じになり、他の人に渡していても泣き声聞くだけで落ち着かなくなってしまう。
超便利な乳首が一人に依存するという状況が、母親が休めない要因になってるようにも思う。
その点僕は、土日の昼にお昼寝して、ワイフに預ける時、安心してぐっすり眠れた。
きっと僕に便利な乳首があったのなら、気になって眠れなかったかもしれないし、土日の昼間眠れなかったら僕も子育てで病んでたかもしれない。
コレ言う人全般に関しての所感なんだけど、産後の恨みはどのようなものなのか?の重さを理解できていない気がしたので、ココに書いた次第。
確かに社会的には罪の重さに対してのトレードオフが釣り合ってないのかもしれない。
しかし、夫婦は加害者/被害者の関係ではなく良き伴侶なのだから、贖罪/刑期を終えたから良いッショ!と開き直るのでなく、つらかったことを分け合って寄り添うが大事。
一方で、夫婦は加害者/被害者の関係では無い、というのは妻側にも言えることなので、夫だけが完全に悪いわけでなく、夫婦の問題だと思う。
ただ、夫側はそこで開き直る態度がでがちなので批判されるような気がする。
### どうして4人も……
おかげさまで、夫婦仲は良く、身体の関係もちゃんと続いていて……
子どもができないように、ってゴムを常備するんですが、ちょこちょこ買い足すのを忘れることがあり、テンションが上がったまま、今回だけなら……というのをやって、結果的に……
結婚したら避妊とか気にしなくても良いんじゃないの?とか馬鹿なこと考えていた過去の自分が恨めしい。
子どもができた、と分かった時、いつも経済的にやっていけるのか?という試算を一緒に見直して大丈夫そうなら、どうする?→あー産むか!!みたいな感じでなぁなぁの勢いで決まる感じなので、完全に褒められる状況じゃない。
ワイフの最後の一言で決まる感じなので、何故産んだのか、の真意は僕には分からない。
けど、いつも産前産後には、産むのも産んだ後の世話もあまりにつらすぎる記憶だから記憶に残ってない、忘れるんだよね、でもその時になってくると段々思い出してきてもう嫌だー!!ってなる、と言ってる。
今思えば笑える話なのだが、付き合っていた当時、ワイフに子宮筋腫が見つかり手術をすることになり、将来的に子どもができる可能性が下がるかもしれないから別れよう、と別れ話を打診されたことがある。
その時僕はとっさに、子どもができる確率が1/10になるのなら他の夫婦の10倍やればいい、僕らが仲良くやっていければ何があっても問題ないよ、と返した。
確率1/10なら10倍、というフレーズとともに僕ら夫婦の思い出深い一幕になったわけだが、今や子どもが増えすぎないように心配する事態になるなんて……
母や子どもらは無邪気に、5人目は?みたいに聞いてくるが、流石に歳を重ねてきて体力的にも経済的にも厳しい。
### 次に書こうと思ってた内容
ネタはまだまだ大量にあるのだが、書き続ける精神力が足りなさそうで、ここまで長く書きすぎて何書くかを今さら迷子になってる。
もうわけわからんから、書きたかったであろう内容を適当に。気になるやつがあれば深掘りするかも。
・専業主夫、2週間目あたりから急にしんどくなる問題。疲れとストック管理、誰にも指示されず自分で決めるコストがしんどい。
・専業主夫をやっていて良かったこと。メインとサブ、でなく、メインと(メインもやれる)サブに。つらさが分かるので寄り添いやすい。
・子どもの寝かしつけや大人しくさせるテクニックは哺乳類の輸送反応に起因してるようなものが多い。背中スイッチでなくお腹スイッチ。
・寝かしつけるためにやった事例集、苦労話。上の子を夜中寝かしつけるため、抱っこ紐で背中に背負い、自転車で走るのを毎晩のようにやっていた。
・1人目と2人目の間に1人子どもが流れてしまった話。流産の確率は15%くらいなので普通にありうる。それも外からみて妊娠したと分からない妊娠初期がほとんど。
・同じ遺伝子から始まったはずなのに4人とも個性が違いすぎる、子どもに対するテクニックは相性があるので探り探り開発してくしかない
・両親を頼るのも良いが、子どもの世話は想像以上に体力を使う。頼り過ぎると両親が病むのでほどほどに。
・子どもに関する情報はノイズが多すぎる。NHK「すくすく子育て」が一番バランスが良い。
・この10年で育児グッズは大分便利になった。新しく出てきて助かったもの。おむつのゴミ箱、1歳から飲めるゼリー、丸いスタイ、傾けても飲めるコップ、サマーシューズ、缶のミルク、
・家事の負担を減らすと、育児も楽になる。家電など札束で叩く選択肢も入れる。食洗機、乾燥機、ロボット掃除、電鍋等。
・ご飯を食べる子は色々楽。ご飯食べないことを起因に色々な問題が誘発する。
・体調不良が家族の崩壊の危機をもたらす。体調不良は新生児でなくとも、世話が大変になる。それが連続コンボだと……
・子どもとのトラブルエピソード。不測の事態が起きるのが日常に。出先での非日常はトラブルが起きやすい。
・子どもがいるのが何が良いのか、単純に楽しいよ、大変なことも多いけど刺激にあふれている日々は最大級の娯楽といえるかも。
・子どもの姿を見て自分の忘れていた過去を振り返ることになる、ちょうどゼルダBoWみたいな感じで急に思い出す。それがきっかけで自分の親に対する目線が変わったり、それを夫婦で話すことで何年一緒にいても知らなかった面を知ることになる
・結果的に仕事へフィードバックされた能力。精神的に追い込まれた人へのケア、トラブル発生時の安定感落ち着き具合、パワハラ気質の人への対応力胆力など。
他にもある気がするが、もうわけわからんので、またそのうち続きでも……
35歳女
子ども欲しーと思ったのでブライダル診断に行ったら子宮筋腫が有った
なので取ることにした ちなみに子宮筋腫による自覚症状はほとんどない 妊娠を考えなければ手術の必要性は一切ない
はじめはもう子宮ごととって婚活を完全に諦めるのもいいかなと思ったのだが、医師が35ならまだまだ産めるでしょというので、じゃあもう少し頑張ってみるか
と思って手術することにした
簡単な手術だと思ってたんだけど、手術の説明を聞いたら結構グロくて、怖くなってきた
こんなことして、なんの意味があるんだろう
彼氏もいないのに
相談所のキモいオッサン(35歳がマッチできるのはキモいおっさんなのだ)とは結婚したくないし、相手がいない どうけ結婚なんかできやしない
なのになんでこんなことをするんだろう‥?馬鹿なんじゃないか?
馬鹿らしい、やめたい やめるべきだ
高齢出産を国で禁止してくれたらこんな馬鹿なことしなかったのに
せっかく痛い思いするなら、子宮を取ろうかまだ悩む
◯選定基準
•高齢者政治の是正から、蓮舫より10歳以上、年下であること。(1977年以降生まれ)
•過去に「男なら泣くな」などの性差別発言がなく、社会的に弱い立場におかれる人々に寄り添う資質が推測されること。
•米国シカゴ出身。蓮舫と同様に二重国籍を批判されたが、自身や蓮舫への批判を「差別主義者」と見なす意見を「分断を煽る」と分析し、自ら戸籍謄本を公開した。
•2023年に子宮筋腫となり子宮を全摘するも、2024年より外交防衛委員長を務める。
•沖縄県出身。感音性難聴の息子を持つ母で、「電話リレーサービス法」「読書バリアフリー法」など、障がい者支援政策の実績が多い。
•故郷である沖縄の振興や、女性のDV被害者支援に力を入れている。
•北九州出身、米国で外交政策の修士号を取得したウイグル系日本人。
•まだ当選回数一回なので実績は乏しいが、人権外交を超党派で考える議員連盟で事務局次長を勤め、台湾やトルコなどの外交や、不同意性交罪などについて活動している。
•AV出演被害、ホスト被害、不妊治療、乳がんなど女性の人権と健康に関する業績が多いが、ロスジェネ支援にも強く関わっており、今後さらなる活躍が十分に期待出来る。
•福島県出身。共産党内から「ブラック企業キラー」と呼ばれるロスジェネの元会社員。
•雇用問題では、違法を繰り返す企業名の公表を実現した。奨学金による負担を軽減するための活動や、反戦活動にも積極的に関わる二児の母。
35歳未婚 女
生理を止めようとピルをもらいに行ったらでかい子宮筋腫が見つかる
筋腫を取る手術と子宮を取る手術の値段がそんなに変わらないので子宮を取ろうとしている
ピルも金がかかるし
実は筋腫が見つかったのは33歳のときであり、その時も子宮を取るつもりだったが婦人科の医師に反対されて2年間ほっといたのである
あのときほど強く止められはしないが、子宮は取らないほうがいい、後悔すると医師が言う
35歳の女に子宮があって何の意味があるのかと聞くと、まだ妊娠できると返ってくるわけ
高齢出産になるのに妊娠するわけないだろと返すとそんなことはない結構妊娠すると医師は言うわけだ
妊娠可可否ではなくて是非の話をしていて子供が欲しいなら若い頃に妊娠すべきであり、35以降子宮を使うべきではなく、ゆえに私に子宮は不要と言うと黙るが、毎回(手術は半年前から準備があり、毎月通院が必要)子宮は取らないほうがいいと言ってくる
おそらく後に裁判になったら嫌だなという思いが強いのだと思う
裁判を恐れる気持ちは理解するが、35の女にまだ産めますなどというのはおかしいと思う
だが、産婦人科は不妊治療で荒稼ぎしているから、金蔓に増えてほしくて高齢の女に子供を諦めてほしくないのだ
高齢出産認めるような風潮はやめさせるべきだ
また、男性についても35歳を超えると二十代に比べて倍発達障害が生まれるリスクが高まる
病気の話だけど吐き出させてほしい。あとタイトルの通り戒めも兼ねております。
ちょっと前に結婚して、引っ越しして、諸々の手続きを済ませた。
その中で保険証も切替え……ていたのだが、郵送するのをすっかり忘れて少し経った頃。
生理が終わった後、右の下腹部が痛くて痛くて朝早く目が覚めるようになった。
いつもの生理痛じゃないなあと思って一週間様子見たけどやっぱり痛いし、子宮筋腫も飼っている身だったし、きっと悪さをしているのはそいつに違いないと思って、婦人科を探して受診した。
実際、なんかでっかいのが腹の中にいらした。でかすぎて内診ができないらしい。とても痛かった。
「力入れないでくださいねー」「お尻上げないでねー」じゃないんだ痛くて力が入って尻が浮くんです!!!! 不可抗力ですこれ!!!
とりあえず悪あがきをし、超音波検査に切替えて見てもらったら、10cm×8cmぐらいの塊がある。でっかい。
コミュニケーションを図ろうと思って「筋腫ですか?」と聞いた。
そしたら「いや違いますね」。コミュニケーションチャレンジ失敗。
じゃあどこなんだろうと思いながら画面を眺めていたら、「卵巣だね、チョコレート嚢胞です」とのこと。
バレンタインデーだもんね、わかるわかる。身体の中にご用意しましたってか。考えてたんとちょっと違うな。
ちなみに子宮筋腫もちょこんといた。わたしのお腹はリンツの詰め合わせアソートか?
血液検査のために血を抜いてもらって、MRI検査の日取りとか、その後の日取りを決めた。
看護師さんは腹腔鏡手術か開腹になるかはわからないですねーと言っていたけど、この大きさだと多分開腹手術なんだろうな、なんてことを考えつつ家に帰った。
入院なんて自我が芽生えてから初めてだし、手術も当然初めて。麻酔はほんとにストンと意識が落ちるらしいと聞くし、正直ちょっと楽しみである。
なお夫はK2を履修しているので腹腔鏡手術について細かく説明しなくてもすぐに理解した。すごいなK2。
で、ちょっと経って、非日常に浮いてた気分がいきなり落ち込んだ。
高難易度コンテンツに挑む前にはしっかり予習復習はしておきたい、そんな日頃の習慣がちょっと悪い方向に行ってしまった。
インターネットにはなんにでもある。チョコレート嚢胞の情報も沢山出てきた。
10cmを超えたら悪性かもとか、急に大きくなったら悪性かもとか(実際ここ数年で急にpopした)、予後はどんくらいだとか、そんな暗い話が出てくる出てくる。
そういえばお腹痛いのって癒着でもしてたのかな、悪いもので転移しててお腹が痛いとかだったらどうしよう、そしたらステージ3とかになるのかな、どの位生きられるんだろう、今年の夏にはアップデートが来るのに、なんなら今月末はFF7Rが出るのに、バルダーズゲート3だってクリアしてないし、長く続けてきたお仕事も辞めなきゃいけないのかな、あっ出かける予定入れてるじゃん、FF7Rが完結するまで生きていられるんだろうかなどなど。
気分が落ち込むままに「悪いもんだったらどうしよう」と夫に話してついでに夫のテンションも引きずり下ろしてしまった。申し訳ない。
ついでに今度出かける予定の友達にも「やだあ!!」と言わせてしまったし、親にも心配をかけてしまった。
それまでぼんやりと将来の疾患に関することは考えてはいたけど、実際病気が見つかってみるとやっぱり切迫感が違う。
今になってもやっぱり気分は戻ってこないけど、超音波検査で「チョコレート嚢胞ですね」という先生の断定と、「悪性かも」という言葉は一言も出てこなかったこと、見せてもらったエコーの画像を思い出して、じわじわと引き上げている途中。
勿論生検やら血液検査やらMRIやらしないと断定はできないっていうことは解っているけど、あの先生の感じだとまあ大丈夫だろうし、悪いものだったらだったでアーリーアクセスするだけだ、と言い聞かせている。そう考えるとさほど悪いものじゃないなとか思えてしまう不思議。良いものであれば当然いいんですけどね。
「同じ痛みでも普段と違う」という感覚はほとんど嘘を吐かないな、と痛感する数日間だった。
なっちまったものは仕方が無いのでうだうだ考えないほうがいい、という母の教えも身に染みて理解した。
あと保険証はちゃんと早めに切替えようね。三万飛んだ。この後おそらく五万飛ぶ。(多分戻ってくるけど)
とりまなんとかなれー! なんとかしてー!
【追記】
スルーされると思ってたので、コメント頂けて嬉しいです。全部読んだ。今後も読み返す。ありがとう!!!
増田の身体を気遣ってくださった方々、あなたもご自愛くださいね。
ちなみに当増田、5年前の筋腫は20センチあった。今回もしばらくは放置してもいいんだけど、
10キロ以上にもなると聞いて、腹腔鏡で済む内に何とかしたいぜ、と思った次第。
主治医や家族ともよく話します。(ニーズあるか分からんが)めぼしい進捗があったら書くね。みんなもお身体、大切にね!!!!!
【本文】
5年前に子宮筋腫ができ摘出するも、
前回の摘出は腹腔鏡手術で、手術翌日に起き上がるのが難儀だった程度で
痛みも負担もさほど無かったんだけど、今回また筋腫を摘出したとして、
再発の可能性がおおいにあるんだよね。
無いに越したことはないし、筋腫だけでなく子宮に関連するガンのリスクも
無くなるし……。今後も筋腫が大きくなるたびに手術するくらいなら、
いっそ子宮を全摘出しちゃうか? と思い至った次第です。卵巣は残します。
「負担とリスク減のために取っちゃうか」という思い付きで無くしてしまってよいのか
倫理的な部分が気になったり。あと、すべての手術にはリスクがあるよね。
実家の両親にははっきりと「すまんが、子どもはつくらん」と伝えて数年。
増田の意志を尊重してくれてはいるものの、子宮全摘出ってショックだろうな。
義実家には黙っておこうと思う。お義母さんがたいへんな心配性だから。
(ちなみに子どもをつくらない理由は、自由に働いてしっかり休養できる、
夫と猫とだけのマイペースな生活をこよなく愛し、誇りに思っているため。夫も同意してくれている)
あとは考えておくべきこととして、術後の喪失感もあるのかな? まぁ多かれ少なかれあるだろうな。
閉経するまでのあと10年くらい、毎月の生理とは付き合うつもりだったし。
生理は煩わしいものの、「女の身体なんだなぁ」と実感するタイミングではあり、
だからどうこうってわけでは無いが、意味のあることだと思っている。
というか、思ってないとやっていけん。
子育てが幸せだと実感し、他人に「子供はいいぞ」と無邪気に勧める人に思うことがある。
出産には様々なトラブルがあり、思いがけず母体が死亡することもある。
私は出産の時に出血が止まないことから数日意識が戻らず死にかけた。
でも「子育て不安?私は子育て幸せだけど?楽しいよ?みんなもそうなれるよ!」というおすすめには違和感を感じてしまう。
あなたは出産でパートナーが死に至ったとしても、子供を授かってよかったと心の底から思えるのだろうか?
知人で大人でも肉体が未発達のため出産すると死亡する可能性が高いと言われ、出産を諦めた人もいる。
子宮筋腫がひどくて妊娠ができず、子宮を取らざるを得なかった人もいる。
そもそも健康に妊娠できる肉体であることは、恵まれたことなんだ。
私は二人目はどうしても妊娠できないうちに年齢を重ねてしまい諦めた。
そんな事情を他人に話すことはないので、職場では「一人っ子なんてかわいそう。二人目産めばいいのに〜」と言われたこともあった。
個体差によっては「パンダかよ?」と思うほど、妊娠が難しいこともあるのだ。
ちなみに不妊治療してまでは欲しいとは思えなかった。不妊治療よりも今いる子供と向き合って大切にしたい気持ちがある。
また、昨今話題になっているスシローの事件や、引きこもりの息子が隣人や警察を銃で殺害するような事件、闇バイトでの犯罪を我が子が起こしたとしても「子育て幸せだよ!」と言い切れるのだろうか?
可能性が低い例え話をしているとは思うが、子供を産み育てる以上は誰もが抱える可能性なのだ。
「子育て幸せ!」と発信するときは「自分はこんなふうに幸せだったよ!」にとどめておけと思うのだ。
「私は幸せなんだけどな〜?チラ」みたいな書き方したら、誰かの感情を刺激して当然なんよ。
個人的には「うちの子のこんなところがかわいい」という話はたくさん読みたいです。
もし読んでくださった方がいたら、「うちの子のこんなところがかわいい・おもしろい」というトラバやコメントをもらえたら嬉しいです。
男性は \ボロン/ だから視界に入ることもあり自分の性器について気にしちゃう所が良い意味でも悪い意味でもあると思う。
女性器は鏡を使っても外側しかわからないし、処女だけじゃなく性交経験あっても自分の指を入れて確かめる人は少数派かなと個人的に思う。
自分が若い頃の話だが、パートナーによって分泌液の量が違った。その時の身体の調子にもよるだろうが、ショーツが大変な事になる人もいたし、潤滑ゼリーをいつも使わないと駄目な人もいた。身体の相性なのだろうかよくわからぬ。
自分はローションよりも潤滑ゼリーをすすめたい。女性分泌液に近い粘度で軽いとろみ。ゼリー付きコンドームもあるけれどそれじゃたりないし、膣口付近の愛撫時にも潤滑ゼリーを使うとスムーズに触る事ができると思う。亀頭を手で軽く包んでむにむにするときにもいい。
性交痛の原因と解消法 | 一般社団法人 日本家族計画協会 https://www.jfpa.or.jp/luve-jelly/coital-pain/
リューブゼリー製品ラインナップ | 一般社団法人 日本家族計画協会 https://www.jfpa.or.jp/luve-jelly/products/lineup.html
他の書き込みにもあるが、婦人科のハードルは高いけれど安心のために診察してもらうことも考えて欲しいと思う。
自分が子宮筋腫で手術した時、同じ病室の20代前半の未婚女性も子宮筋腫だった。開腹手術じゃないと無理な大きさになってしまったそうだ。その当時子宮筋腫はおばちゃんの病気だと思っていたからびっくりした。
身だしなみとか化粧とか滅茶苦茶面倒臭いと思ってはいるし人付き合いが苦手すぎて見事にアラサー喪女処女にはなってしまったが、性自認や性的嗜好は一般的な女性のそれであるという自覚はある。しかし乳がん検診で引っかかってから(結局生検までやってシロだったけど3年くらい経過観察する羽目になった)、自分が抱える「女体」というものがうっすら嫌になってしまった。
要は来ても腹が痛くなるだけで何のメリットもないのに来なけりゃ来ないでホルモン異常がどうだ病気の可能性がああだとなる月経がほんとにクソ邪魔だなあと。
そもそも排卵を繰り返すこと自体が卵巣癌のリスクになるとか言われるし、月経に連動して伸び縮みする乳房それ自体が乳がんリスクと言われるし、がんまで行かないにしても子宮筋腫やら子宮内膜症やらそういった厄介な物事のリスクが月経ってやつをこなすだけでどうしてもついて回る。じゃあ月経止めるべとピル飲むにしても血栓リスクは無視できないし、究極には子供作って産むしかないという話になったとて、その後の育児を度外視したとしても出産自体生命に関わる大仕事だ。初産で産休を取った先輩が職場のお祝いムードの中、「滅茶苦茶怖いけど生きて帰ってきます」と引き攣った笑顔で挨拶して休みに入っていったのをよく覚えている。
そもそも引きこもり一歩手前まで行ってたような立派なクズ喪女で結婚する気配どころか友達すらマトモに居ない人間なので、せめて仕事のパフォーマンスを落とさずにささやかでも社会の生産性に寄与したいのだが、ちょっとでも「頑張る」と、すぐに生理が飛んだりあるいは重くなったりするのがほとほと面倒だ。医者に相談しても結局はストレス軽減させるしかないという話になってしまって、いやわたしはストレスかかってもいいから「頑張りたい」のだが……とループするしかないというか(ピルは血栓できやすい体質みたいであまりお勧めできないと言われてしまった)。
女性の身体がどうだというよりただままならない自分の身体が嫌いだという話でしかないので、結局ただの愚痴である。性別関係なくままならない身体を抱えている人はたくさんいるし、その中で皆頑張っている。こんなもんは所謂「女さん」の世の中が分かってないが故の甘えなのかもしれない。そもそも既にそうであることについて沢山の不満が吐露されており、それに対してのノウハウもある程度共有されている「女体」ってやつは、まだ全然恵まれているのだろう。それでもやっぱりうっすら嫌になってしまう。そういう時もあるというだけだ。