はてなキーワード: サブカルチャーとは
論外では?
それこそアニメ・ゲーム・マンガ・サブカルチャーにさして興味がない商売レイヤーだって
売るためにもっと"こだわり"を持っているぞ
欧米こそ至高 の はてなーに習い、オックスフォード辞典より、
otaku
(in Japan) a young person who is obsessed with computers or particular aspects of popular culture to the detriment of their social skills.
‘every other otaku can run on about their hobby endlessly’
"こだわり"をみせないのはオタクにあらず
もちろん言葉は生き物で アニメ・ゲーム・マンガ を楽しむだけで『オタク』と表現される名乗れる時代にはなっている。それこそハルヒくらい昔から
けれどアニメ・ゲーム・マンガ以外で"こだわり"を見せないでオタクと名乗れる趣味や分野って他にある???ってずっと思っている
全然知識もこだわりもないけどアイドルグループ○○の△△オタです ← あり得なくね?
全然知識もこだわりもないけど健康オタクです ← あり得なくね?
全然知識もこだわりもないけどクラッシク・jazzオタです ← あり得なくね?
全然知識もこだわりもないけどジーンズオタです ← あり得なくね?
全然知識もこだわりもないけどスケーターです ← あり得なくね?
アニメ・ゲーム・マンガはぶっちゃけ帰属意識の持てない弱者の駆け込み寺になってる
ありとあらゆる趣味や分野と違ってアニメ・ゲーム・マンガだけは『視界に入れるだけでオタクを名乗れる』のだ
実際、創作界隈やアニメ・ゲーム・マンガのクラスタは弱者がむちゃくちゃしていて地獄だ
ただ、現実逃避をしたり仮初でも帰属意識を持てることは比喩無しに誰かの命を救っている
実際、海外でも『辛い現実を乗り越える力を与えくれた』とギャングや差別に囲まれて育ったラッパーが言ってるし
圧倒的格差社会で親からの重圧に苦しんでいるアジア圏の子どもたちが『救われた』とか言ってる
何事にも良き面はあるわな
面白くも何ともない話だが、原作否定の多さに辟易する気持ちを吐き出したかった。
なるべく冷静に、客観的に、何なら評論のように書いたつもりだ。
サブカルチャーが発達してどれくらいの年数が経っただろう。
一番に脚光を浴びたのはやはり秋葉原かもしれない。オタク、メイド喫茶、コスプレ、これまで日陰にひっそり存在した物がメディアで大きく取り上げられ、日本のアニメや漫画文化は世界にまで広く知れ渡った。もはやサブカルの枠に留まらない娯楽とも言える。
今日私が主題にしたい同人、引いては二次創作に関しても同じだ。コミックマーケットなどは今やメジャーな催し物。夏コミ、冬コミ、詳しくない人でも単語は聞いたことがあるだろうし朧げながら様子も浮かぶはず。テレビで報道されるからだ。SNSで見る人もいるかもしれないし、ゆりかもめの混雑具合で知るかもしれない。
今、かつてサブカルと呼ばれた物たちはメジャーになりつつある。
胸に手を当てて考えてみてほしい。芸能人がアニメキャラや漫画キャラのコスプレ写真を上げるようになってはいないか。やたらとボーイズラブを題材にした作品が増えてはいないか。腐女子が主人公のドラマが普通に放映されていないか。どこでも手に入るコスプレ衣装、書店に我が物顔で並んだボーイズラブ本、有名俳優や人気アイドルが演じる男同士の絡み、一つくらいは心当たりがあるだろう。
したがって、これまで息を潜めていたカテゴリーが脚光を浴びる時代で、大手を振って楽しめる環境が整ったというわけだ。
私は何もそれらを否定したいわけではない。ボーイズラブ、いいじゃないか。腐女子、いいじゃないか。母数が増えれば増えるほど、良作に出会う確率も跳ね上がるのだし。
かく言う私も腐女子歴は長く、同人活動歴もそこそこの、いわゆるオタクである。ちなみに独身だ。
前置きが長くなったが、私が言いたいのは腐女子や同人作品の数が増えるにつれて蔑ろにされる物が見えてきた、ということである。タイトルに戻った。
ここで言う同人作品というのは、漫画やアニメなど原作ありきの作品に対する二次創作のみに限らせていただく。コミックマーケットなどで毎年スペースを獲得できるような大手同人サークル様やオリジナルで精力的に活動されている方々には何ら物申したいことはないのであしからず。
2007年、と聞いて同人関係で何があったか思い出せる人はいるだろうか。
今でこそ当たり前に存在し、二次創作と切っても切り離せないpixivがサービスを開始したのだ。初めこそ作品数は少なく、今のように漫画を上げる人は稀で一枚絵ばかりの謂わば地味なSNSだったが、2010年くらいからだろうか、個人サイトから移行する人が増えてpixiv隆盛期に入った。今なお衰えない勢いで、新しいサービスも続々と導入されており、私もずっとお世話になっているツールだ。投稿も閲覧も簡単で、二次創作には不可欠だろう。
私はpixivが作られる前から腐女子だった。個人でホームページを持ち、自分の絵や文章をひっそりと投稿していく時代だ。今でも古の腐女子として度々話題に上っているのを目にするかと思う。
若い子は知らないだろうが、一つお気に入りのホームページを見つけるだけでも苦労し、そこから△△受け同好会、愛され□□ランキングといった名前のリンクを辿って、自分の好みを探すといった困難さだ。当然、こうこうこういった地雷が含まれます、などといった注意書きはなく、リンクがカップリングじゃない場合も多かったので左右完全固定の方への配慮などもない。読み始めて無理だったらブラウザバック。これが個人サイトの鉄則である。タグ一つで好きな物が見られる今とは雲泥の差。
話が少し逸れたが、要は今これだけ楽に取捨選択できる環境に置かれているくせに、二次創作に携わる者の文句が多いということだ。慣れとはげに恐ろしきかなと感じるばかり。
時代が違うことは理解している。懐古厨、オバサンは黙っておけと言われたなら黙るしかないだろう。否、私はまだ世間的にオバサンと呼ばれる年齢ではないのだが、念のため具体的な数字は伏せておく。
地雷だなんだ、苦手だなんだ。それはまだ良い。二次創作界隈のクレームとしてはひよっこみたいなものだ。苦手はあって然るべき。必要以上に貶めなければ誰も何も言わないだろう。
私が最も言いたいのは、原作に対する二次創作視点からのクレームの多さ。
ようやく本題に入ったと思った人もいただろう。私も思いました。申し訳ない。
近頃サブカルがサブカルでなくなり、腐女子や同人などの秘めるべきものが大きく取り上げられ、比例して携わる人口も増えている。
だからだろうか、まるで二次創作が本筋だと言わんばかりの勢いで物を言うではないか。そこ退けそこ退け我が推しカプのお通りじゃい!と目を血走らせて叫びそうである。
ここは動物園かと見まごうほどの凄まじさだ。騒がしいことこの上ない。
二次創作は幻覚だ。妄想だ。だから何をやっても良い。当然だ。私もそうして活動してきた。原作にない部分だからこそ二次創作で補完したり、原作ではくっつかないと分かっているからこそカップリングにしてチュッチュさせたりして皆で楽しむわけである。同人誌の発行も萌えの共有。これいいよね、最高だよね、そんなふうに言い合えるときの尊さといったらない。
しかし、近頃はどうも原作ありきということを忘れているように思う。己の見たいものが原作で見られなかったからと言って、平気でアンチのような発言をするのはいかがなものか。
幻覚や妄想を形にするのは自由にやって良いのだ。それこそを楽しむための活動なのだから。
そうして逃げ道が与えられているというのに、何故いちいち文句を言う? 有り得ない、そんなことしない、解釈違い! 全員黙っとれ、である。
原作様にあやかって作品作りをしておいて、よくもまあ言えたものだ。解釈違いと言うのなら、二次創作を目にした原作者こそが言いたいものだろう。
そして、さらに問題なのは、SNSでそういった否定意見が広く拡散される傾向にあることだ。
二次創作はグレーゾーンだ。完全にアウトではないが皆目を瞑っているだけ。盛り上がるのは良いが、検索除けもせずに投稿すれば人目に触れる数は格段に上がる。
原作者様に駄目だと言われたなら、鶴の一声ですべて葬らねばならない危うい趣味なのだと忘れてはいないか? 己らが覇権を握っているのだと勘違いしていないか?
原作はこうだけどこっちのほうが良いと思うのなら、黙って作品に昇華すれば良いだけの話。皆それを待っている。共有したがっている。二次創作の本質とは本来そういうものだろう。
こういったことが頻繁に起きるので、公式様が何かを出す度にこちらはひやひやものだ。また荒れるのではないか。また否定意見に溢れるのではないか。また見たくないものを見なければいけないのではないか。
私はそこそこフォロワーの多い二次創作者だが、フォローはほとんどしていない。見たくないものを避けるためだ。それでも否定意見が氾濫し、流れてくるためにしょっちゅう目につく。推しカプは好きだが、界隈が嫌いでどうにかなりそうだ。
サブカルが市民権を得たこと、人口が増えたこと、容易に投稿閲覧できる便利ツールがあること、SNSの普及や情報社会、様々な要因があるのだろうな。
初めからネットが存在し、SNSの波に乗って生きてきた若者にとってはそれが普通のことだから仕方がないのかもしれない。
それにしても、心が弱すぎだと感じてしまう。同調しないとやっていけないのか。否定で盛り上がってからでないと作品作りができないのか。個人サイトに叩き上げられた歴戦の猛者を見てみろ。面構えが違う。
否定意見に対してさらなる反論をすると界隈が荒れてしまうのは言うまでもないことだ。推しカプのイメージは地の底に落ちる。
歴戦の猛者たちはその心得でぐっと口を噤んでいるだけで、何も思っていないわけではない。
けっして君たちが主流じゃない。原作否定が許されているわけでもない。もう少しだけで良いから視野を広く持ってくれ。
ここまで読んでくれてありがとう。
こんなふうに軽く書いているが、結構つらい。好きな界隈で活動が狭められることの苦しさ。原作が好きだと言ってはならない雰囲気。どう考えてもおかしいだろう。原作が好きだからこそ二次創作の世界に足を踏み入れたのではないのか。
今必死に唇を噛んで黙っている人がいるのなら、貴方は一人ではないよと勇気付けたい。
これを結びの言葉とする。
今増田でも話題沸騰のオンラインサロン的なものに取り込まれないようにするにはどうしたらいいのだろうか。
こんなところで答え探す時点で危ないというのは百も承知なのだが
増田諸兄が心掛けていること、気をつけていることがあったら教えて欲しい。
自分はまだ「まっとうな力を持つ物語」というものを見つけられていない気がする。
実際の話、私たちの多くは麻原の差し出す荒唐無稽なジャンクの物語をあざ笑ったものだ。そのような物語を作り出した麻原をあざ笑い、そのような物語に惹かれていく信者たちをあざ笑った。後味の悪い笑いではあるが、少なくとも笑い飛ばすことはできた。それはまあそれでいい。
しかしそれに対して、「こちら側」の私たちはいったいどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう? 麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、メインカルチャーの領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか?
古典芸術を含むかつての支配的な文化への対抗としてまずカウンターカルチャーがあって、テレビや映画や歌謡曲といった大衆文化がもろもろ生まれて、そこからマイナーなやつがサブカルチャーとひとくくりにされて、中でも漫画・アニメ・ゲームはオタクと呼ばれて日陰の存在であったが、誰でもコンピュータとインターネットを利用する時代になると、もともとその世界で幅を利かせてきたオタクが支配的な存在になっていって、かつてオタクを白眼視していたような人種もコスプレしたりアニソン歌ったり演奏したりでオタク文化に媚びるようになったという流れ。
古典なんかなんも知らない矢沢永吉とか浜田省吾とかBOØWYとか浜崎あゆみとか好きそうなヤンキーにオタク趣味を馬鹿にされて嫌な思いをしてきたオタクのほうがはるかに多いだろう。
男の娘(おとこのこ、おとこのむすめ)とは、肉体的な性別は男性でありながら女性にしか見えない容姿を持つ人物を指す言葉である。
漫画やアニメ、ゲームといったサブカルチャーに触れている人であれば、一人か二人は該当するキャラクターが思いつくであろう程度にはよく知られている存在である。言い換えれば、一定の需要のあるジャンルなのだ。
不満が溜まりに溜まってしまったので、今回は「私が男の娘を苦手な10の理由」をここに吐き捨てていく。
先に言っておくと、私の肉体的な性別は男で、性自認は男、恋愛や性的関心の対象は女性である。
それを前提とした上で読んでいただきたい。
冒頭で挙げた通り、男の娘は女性にしか見えない容姿をしている。
これがもうとにもかくにも厄介である。
というのは男の娘が登場する作品では日常茶飯事である。私も何回かやられた。
女の子を恋愛や性的関心の対象にしている人間からしてみれば、男の娘は詐欺や罠としか思えない。この悪質さがよく分からない人は性別を逆にした「男の娘に見せかけた女の子」をイメージして欲しい。本質的にはそれと同じだ。
一番悲惨なのは、男の娘キャラクターを女性だと思い込み、女性キャラクターとして性愛の対象にした後に判明するパターン。強烈なトラウマになるほか、一部の猛者はそれが原因で“目覚める”らしい。
風の噂では、同人作家がとあるキャラクターの同人を女の子であること前提で作っていたら、後に男の娘であることが判明し、ちんちんを描き足す作業が必要になったとか。
今日も「男じゃねえか!」という悲鳴がインターネットの海に反響する。
これは男の娘がメジャーになったが故の(私にとっての)悲劇と言える。
女児向けアニメにすらいる。ポケモンにすらいる。深夜アニメにも当然のようにいる。
というか草分け的存在の一人、「男の桜ちゃんが好きなんや」でおなじみの有栖川桜はコロコロコミック連載『バーコードファイター』出身だったりする。
もはや「この作品なら男の娘は出ないやろwwww」みたいなのは通用しない。震えて眠れ。
男の娘は女性にしか見えない容姿を持っていることは再三述べた通りだが、彼らは性格や振る舞い、言葉遣いも女性的であることが多い。理由は様々であり、「女性的な外見がコンプレックスであり、それを指摘されないよう最初から女性のように振る舞う」「女性として育てられた」「性自認が女性」といったものがある。
その結果、同じ作品に登場する他の女性キャラクターがボーイッシュだったりお転婆だったりすると、女性的な振る舞いをする男の娘がより女性的ではという風潮が出来上がってしまう。
そこまではまあネタとして許せる範疇なのだが、それが発展して「ヒロインよりも可愛い!」「こいつが真のヒロイン」とか言われてるのを見ると他のヒロインを推している人からしてみれば腹が立つ。
こんな記事を書いている私にこれを言う資格はないかもしれないが、何かを褒めるときに何かを貶める手法は多大なヘイトを買うのでやめた方がよいだろう。
上と近いことを言っているが、微妙にニュアンスが違うので分けた。
性別の違いがある以上、男性目線で言えば、女性には怖いものであるとも言える。
それを考えると、女性の見た目をした男性である男の娘は、「女の面倒くさい部分が嫌な人向け女の子」と言えなくもない。ヴィーガンが大豆で作った肉を食べるように。
だが、それを理由に本物の女の子を否定して欲しくはない。何かを褒めるときに何かを貶める手法は(以下略)。
男の娘が登場する作品において、以下のようなシチュエーションを見たことはないだろうか。
男性主人公と男の娘ヒロインが仲良くなり、ついに恋愛にまで発展する。
だが、男の娘は自分が男であることに負い目を感じており、このように尋ねる。
「私(僕)は男なのに、それでもいいの?」
男性主人公は広い心でこれを受け止め、男の娘と結ばれるだった。
私はこのようなシチュエーションを見ると、「いや、女の子じゃないと無理でーす! なぜなら私は女の子が好きだからでーす!」とか考えてしまう。
男の娘を受け入れることのできる主人公と、受け入れられない私。
完全に被害妄想なのだが、「お前は俺と違って、男の娘を受け入れられない差別主義者だ」とマウントを取られているような感覚に一方的に陥ってしまう。
最近ではポリコレの圧力があるので、それと男の娘が悪魔合体して本物の女の子が好きな我々が攻撃されるのではと、内心ビクビクしている。
ただ顔が女っぽいだけのタイプ、趣味で女装しているタイプ、女の子として育てられたタイプ。
その中でも私が特に苦手なのは、男である自分が嫌で本気で女の子になりたいと思っているタイプの男の娘である。
男はつらい。
いや、女の人にもつらい部分があるのも分かっている。生理があれば体調はしっちゃかめっちゃかになるし、性犯罪に遭遇する危険性もある。
だが私は男なので、どちらかと言えば男のつらさに共感してしまうのだ。どうしても。
強くあれという圧力。女の人と比べて性的な価値が低いことによる、支援や同情を得ることの難しさ及びそれによる孤独・将来への不安。異性から性的な承認を得られないことによる悔しさ。自分の肉体や性欲を汚らわしいと感じてしまう自己嫌悪。それら全てに心当たりがある。
最近オタクが「美少女になりたい」と語っているのをしばしば見かけるが、これは男であることのつらさが関係していると思える。
私は男でありながら女性らしくあるタイプの男の娘が持つ「男である苦しさ」がなんとなく分かってしまうので、見ていてつらいのだ。「生物学的メスに成り損なった落伍者」「性別ガチャの敗者」といった悪口を吐き捨てては、それがブーメランになって返ってくる。創作物の世界ぐらい、正真正銘の女の子を見て癒されたい。
(7)荒れやすい
その理由の一つは男の娘という属性が、他の属性と混同されやすいからだろう。
具体例としては女装男子というものがある。これは単に女装している男を指すので、一目で男と分かる場合でも含まれる。つまり、男の娘と女装男子は異なる定義を持つのだ。混同すれば、愛好家からのバッシングを受けることだろう。
他にも、美少年・ショタ・TS娘・ふたなりといったものと男の娘をごっちゃにした言動を取れば、炎上すること間違いなし。
このように定義付けで荒れる男の娘界隈には「怖い」という印象があるのだ。
長々と男の娘が苦手な理由を語ってきたが、これをもって男の娘を滅ぼそうとは思わない。
こんなにも広まってしまった以上、男の娘を蛇蝎のごとく憎んでいる私の方が時代に取り残された淘汰されるべき存在なのだろう……そう考えているからだ。
私は世界から隔絶された洞窟に潜み、生物学的に女性であることが保証された女の子だけを愛好し続けることにする。
はぁ~。だめだこりゃ。同じ人?
大人向け=幅があると思いこんでるのが悲しい。
トムジェリとか別に大人向けじゃないけど表情くるくる変わりますよ。
そして元増田もおそらく評価するカートゥーンなんて、自分の表情を鏡で見まくって描いてます。
これは描くものとして当然の行為だし、Gigazineソースかなんかで明示されてた記憶があります。
元増田を言えばAKIRA、俺も大好きですよ。フリクリも好き。
でもトップをねらえ!と言うと急にオタクカルチャーだと言って否定するわけでしょ。SFですらないと。
オタクの一部にオタク向けしか理解せずにサブカルを否定する狭量な人が居るのもたしかに事実だ。
しかしそれがオタクカルチャーの否定要素になるという言説自体が片腹痛い。
そしてオタクカルチャーが他のカルチャーに言及したとき、それが本格的ではなく稚拙だ、とするのはより滑稽。
まして増田のように感情表現に依拠させて否定するなど愚の骨頂。
俺はそれぞれの文化が花開けば良いと考えてるだけです。
俺もハンコ絵が一時期嫌いだったので実は深く意図を汲み取ると言いたいことはわかる。
でも萌え絵というものはそのバリエーションにこそ骨頂があるんだよ。
部分部分のディテールを損ねてでも「属性」という付加物で勝負する。
そしてその多様化で生き残ってきた。決してリアル系の作画、映画など他のサブカルチャーに引けをとっているという比較対象で使うものでもない。
藤本タツキはマンガ表現の中でなんとなくタランティーノっぽい空気を漂わせてるとどっかで書いたけど、藤本のそれにしたって心の片隅では「漫画でそれやらなくてもなあ」という部分と、こいつすげえなという部分の二種が混在する思いだ。
萌え絵はそれの中で優れた歴史表現を含めていて、それ自体が文化だ。
いやー、君こそずれまくってて笑えるんだけど。
まずさ、
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
ここの部分を見て感情表現なんて一言も書かれてないですよ。元増田の主張は基本的にオタクがその他のサブカルチャーを容認してこなかった、と延々と繰り返してるだけ。元増田の趣旨を読み取れず、ズレまくってんのはあんただ。
ほかも極めて馬鹿なので突っ込んおいてやるか
どこがやねん。アクタージュですら涙袋という表現上エグい部分をあえて描いて表情を作ろうとしている。
変顔と言われても萌キャラの顔をゲス顔にして過剰演出することだってある。
言われないと気づかないのかもしれないが、改めて考えてみるとおかしいよね?
唇は萌えキャラと萌えキャラじゃないキャラを見分けるポイントの一つだ。
萌えキャラじゃないキャラは完全な唇ではないにしろ「下唇の位置を特定させる影」のようなものがある。
西洋では口が重視され、東洋では目が重視されるとはよく言われることだ。
そのことを踏まえた上で萌えキャラを見れば唇がないことの異質感にはすぐ気づくはずだ。
何が言いたいの?
お前の主張はキャラに感情がないだのあるだのうんたらでしょ(そして指摘自体が的外れ)。
なんで口だけが感情なの? なぜそんなに深堀りしてない状態で萌えキャラを論じられるの?
お粗末だよあんまりにも。個人的な意見だけど表情筋で最も豊かな部分は眉間と目尻です。
口で判断するところから出羽守そのものというか。まあこれは印象だけど。
この程度も看破できないのなら口挟むのはやめといたほうがいいよ。
ストーリーはともかく(主さんの主張はあながち間違いとも思わない)。
落ち着きすぎているけど、春号なのでいいんでしょうか。少々地味すぎる気も。
個人的にはこれが一番安定してる気がします。しっとりした水のイメージと二人の距離感もいいし、配色と白地の清潔感も手に取りたくなる要素。
こう言うとあれなんですけど、面々の中で一番描けてないかなって。
背景の密度、バランス、立体感。どれも他のイラストレータに比べるといまいちです。
その空間の出せない感じを派手なパースで補って上手に見せようとしてるのはわかるんですけど、それだけですね。
圧倒的にこってり。ただ正直厚塗り系でこの感じはイラストとしての押しが強すぎて表紙を飲んでしまってる感が否めず。デザイナーさんがこのくどさに合わせてトリッキーで尖ったデザインを施していますが、それでも浮いてる感じがします。主張が強すぎです。
そして、うるあ先生の表紙デザインとしての問題は個々にも出てる気がします。押しが強くくどいのに、テーマや造形が至って普通という安牌をきってる点ですね。尖り方が足りないか大人しさが足りないかのどっちでもない。中庸というよりどっちつかずです。なにかビビってんでしょうか。2013年辺りまではもっと尖った人がいたもんですが。
これ、僕も好きです。80年代サブカルチャー的な文字とポップな女の子の髪の色、化粧崩れと、どれも正面から挑まず斜めにずらしている感じがかっこいいしかわいい。
そこまで心に止まらないというか、趣味ではないのでノーコメント。
押しの強さの割に普通、という印象が全く変わってません。なんでこの人はこんなに変わった雰囲気であるように見せかけながら極めて普通なんでしょうか。教科書からくどさを学んだような印象と言ったらいいのか。
うまいですね。空イラストはごまかしがききやすいので手を抜きがちですが、キャラクター左上部に目線が集中するように渦を誘導し、キャラクター二名の頭上から線を引くと台形、右側のオブジェクトと併せてみるとVの字が形成されるように描かれています。構図がかなりしっかりしてる。こうすることによってVの字の終端であるキャラが向いている方向へも意識を誘導することができています。また、魚眼により空間が広がっています。
働かないで貰った方が(AIや工業用ロボで自動化する)長期的に見てコスパ良いという話だぞ
テック大国・超学歴社会・合理主義な米国ですら、未だに事務員を完全撲滅できていないが、
あとは既得権益側が不利益を被るからできるだけ仕事を効率化させたくない
たとえば、弁護士なんかもそうだ、弁護士どころかパラリーガルも消えてない
法律と過去の判例と解釈をボタンひとつで引っ張ってこれるんだから専門家、
ましてやその補助なんて、真面目にやれば殆ど要らなくなるはずだが、
そんなこんなで働く気が本質的にない人は働かないでいて貰った方が社会にとって有益だよ
本質的に働く気がある人は、働く必要がなくても、ジョブを得られるよう新たな分野の勉強や訓練の取り組みを始めると思うし、
各種研究やメインカルチャー・サブカルチャーの創作をしたり、NPO活動すると思うよ
なにも飛躍してないだろ?
本質的に働く気がある人は、働く必要がなくても、ジョブを得られるよう新たな分野の勉強や訓練の取り組みを始めると思うし、
各種研究やメインカルチャー・サブカルチャーの創作をしたり、NPO活動すると思うよ
それ以外は寝て食べて子作りでもすればいいんじゃないの?今まで通りじゃん
ほんこれ大賛成
そうしたらブルシット・ジョブも無くなるし
社会に必要なのに不当に賃金が抑えられている職業の賃金もまともになる
こんなに出たら働くヤツいる?くらいの額じゃないと本質的に意味がない
そもそもが、働かないで貰った方が(AIや工業用ロボで自動化する)長期的に見てコスパ良いという話なのだから
本質的に働く気がある人は、働く必要がなくても、ジョブを得られるよう新たな分野の勉強や訓練の取り組みを始めると思うし、
各種研究やメインカルチャー・サブカルチャーの創作をしたり、NPO活動すると思うよ
それ以外は寝て食べて子作りすればいいんじゃないの?今まで通りじゃん
高円寺の駅周辺と商店街を歩いていると、入れ墨をした人がとてもたくさん歩いている。
駅近くに入れ墨をする専門店があるから、それを目当てに来る人もいるのかもしれない。それにしても、本当に多い。
ちょっとしたワンポイントの入れ墨ではなく、腕いっぱい、足いっぱいに本格的な入れ墨をした人たちがそこらじゅうを闊歩している。
最近高円寺界隈に引っ越してきたばかりなので昔のことはよくわからないが、高円寺は入れ墨をして歩く人が昔からこんなに多かったのだろうか。
高円寺には古着屋さんやおしゃれなカフェ、バーがあり、物価も安めで、どことなくサブカルチャーに寛容な雰囲気がありそうだ、という感覚はわかる。