はてなキーワード: 猛勉強とは
日本は中間層が壊滅して、平民の子が猛勉強して東大か京大にいって出世する、という出世モデルが壊滅した。
官僚は激務すぎるし、政治が進化しないのでものすごい重箱の隅のような仕事に追われるし、
そもそも国は少しずつ弱体化していく撤退戦で国運営のビジョンやカリスマに率いられた熱狂がないし面白いと思えるところがない。
富裕層の子女は欧米の有名大学に行く人もいるが、なんといっても日本全体が学問の価値を軽視しているのと、少子化で国内の居心地がいいため海外留学する人ももうそれほどいない。結局トリクルダウンの逆で、
中間層が壊滅したために、富裕層な安全安心な暮らしを支える国力が弱体化してしまっている。
例外は音楽やスポーツで、地方の富裕層の子女でゴルフ留学とか音楽留学とかして実績を上げる若い人が出てきている
けれどもそれもいつまで続けられることやら
34歳、女。
三白眼、瞼は分厚い一重。
何よりも鼻がマズイ。正面から丸い穴が丸見えの、いわゆる豚っ鼻。
男子が私の顔を見て笑ったり、オエーと吐く真似をしてきたので、徐々に自覚した。
両親も「増田はパッチリした二重に生まれればよかったのにねー!」とか言ってきた。
私に触ったり、話しかけたり、告白したりすることが、男子にはものすごく屈辱的な行為らしかった。
猛勉強して、地元では一番偏差値の高い高校(女子校)に進学した。
美人のクラスメイトを見て落ち込むことはあっても、誰も私の顔をからかったり、あからさまな侮蔑の目を向けなかった。
こんなブスに欲情する男なんていないだろうと嘲笑われるのが怖くて、同性の友達にも言えなかった。
大人になってから、痴漢はそういう心理に付け入ってわざとブスを狙うパターンがあると知った。
今でもたまに流れてくる、女性専用車両を利用したいと答えるおばさんたちと、どこでもいいと答える若い美人の例の画像を見ると、ほんとうに苦しい。
あれに心から傷ついた女が何人いるんだろう。
大学も女子大がよかったが、実家から通える距離にないし、仕送りをする財力もない家だったので、泣く泣く共学へ。
でも残念なことにめちゃくちゃ性欲がある。
風俗を利用したとき万が一避妊に失敗して妊娠したら、両親になんていえばいい……?
どんなに勉強ができても、仕事をこなしても、いつだって女は顔顔顔。顔の評価がついて回る。
男の学者がチー牛顔でも、ほぼ揶揄されないけど、女の学者は、男からめちゃくちゃ上から目線でルックスを品評される。
化粧してもダイエットしても素材がマズすぎて清潔感のあるブスにしかならないんだよ。
整形も考えたけど、一生自分の元の顔を否定して生きていかなくちゃならない十字架を背負える自信がなくてやめた。
このまま、死ぬまでずっと、ブスに生まれた不運を嘆いて生きていくんだ。
私、何も悪いことしてないのに。畜生。
https://anond.hatelabo.jp/20210130055110
朝1でちらっとついったで回ってきたリンクで無事心を殺された
職場も言語も何もかもが異なるけれどこんなのあっちこっちにあるんだなと思いならコメント見ててさらに死んだ
自分も3X歳の使えねーやつ側の人間だし、最初の会社がこんなんで就職してから猛勉強して単体で仕事を任されたりもしたけれど、
全部独学でやってた上で先輩の「あいつは成長してない」なんて悪態をつかれていた事実を知って仕事辞めたから。
勉強したって会社単位でやってることを学べなきゃ役立たずもいいとこ
それを理解していながら裏でせせら笑っている先輩たちが上記の作者と被って仕方ない。
ある程度のことはできる。
それを一生懸命応用を身に着けて工夫したところで、現代にマッチしてなきゃニーズもほとんどない。
別言語の基本習得して自分が仕事で作っていたものくらいならきっと作れるだろうなという
自負くらいはある。
だけどそれは同じレベルの同じところまでという意味で、じゃあWEB関連だとか、インフラ関連だとか、
業態レベルで違う分野に飛び込んでやっていけるのか?と考えると体がすくむ
裏で日記の著者たちのように笑われてんだろうな、んで聞いても教えても貰えないんだろうななんて思ったら
その意味ではこの著者に出てくる取り返しのつかないやつの就職時の根性はすごいと思う。
頑張ったなって素直に思う
それ以上ができなかったのはもう、なんともだが
自分が死んでるのは3X歳と自分の立ち位置は大分おんなじなんだよなって再自認と
じゃあ「ああダメだな」って自覚したところでじゃあどこに進めばいいんだよってなったときに途方にくれちゃったんだよな
なんも思い浮かばないんだわ
ひたすらに自分のできる土台を整地して、新たな部分を少しずつ付けたしていくこと以外に、できることの選択肢が浮かばないんだよ
それを馬鹿にされようとその分野終わってると言われようと、そこからまっさらな飛び地に行く勇気ないわ
こんな日記読んだら
オタクのファッションガーなんて話が出ているが、あんなものは金で誤魔化せばいい
自分はまず、オタク活動をしたいがために学生時代に猛勉強をした
猛勉強をして、いい大学に合格し、家は金持ちではなかったのでバイトをしながら学生生活をした
もちろんオシャレには興味のないオタクであるので、服はユニクロ、すっぴんである
そのような容姿であるため、合コンなどには誘われることもなく男の影もないまま学生生活を終えた
相変わらず推し以外は興味がないので、オシャレはどうでもいい。化粧はしない。会社制服なので助かる。
化粧は元々アトピーでありとあらゆる化粧品が私の肌を荒らすだけなので、やりたくもなかった。口紅と眉だけ描いてる。ファンデーションなんて拷問器具だ。
世間はステロイドで押さえつけながら化粧をしている人も多いが、そんなん一生続けたくもないので最初からすっぴん
あれこれ言われたら、アトピーで酷いことになると言えば、皆それ以上は何も言わなかった
それでもあれこれ言ってきた人には、昔とった傷だらけ状態の顔の写真を見せる。
化粧したらこうなった、と言えば誰もが黙った
そんな私だが即売会とか会社外の飲み会ではオシャレだとか美人だとかよく言われる
でもオシャレには興味がないのでミモレ丈?なんてしらねーし、はやりの化粧もなんもしらねー
私は複数のレンタル服サービスを頼んでおり、これで月額数万かかるが、写真送って、要望に「○×なかんじ」「○×に着ていくのでそれむけの服」なんて書いておけばプロがそんな感じの服を送ってくる
頭を使わないでそのままそれを着ていく
化粧。
これも苦手だが、しないわけにはいかない。1日くらいならアトピーも耐えてくれるので、飲み会などのまえに化粧をしてくれるプロの店を予約
芸能人相手に化粧を施しているプロの方が金を払えば、エクステからなにからばっちりに化粧をしあげてくれる
髪型、とりあえず前日にいきつけの美容院にいっておねがいする。その日は髪を洗わなければ、だいたいいい匂いがそのまま翌日もしていて、髪型もほぼ維持されている
靴とかも同様。コーデは全部財力でぶん殴って他人にお任せ
そのための金はある
だから、オタク仲間やプライベートな趣味の飲み会仲間なんかはオシャレな私しか知らないと思う
会社で合ったら、眼鏡、ひっつめ、すっぴんのおばちゃんぽい女が出てきてびっくりすると思う
オシャレな私しかしらない奴らが、交際を申し込んできたりするが、こんなメイクとか服、たまに飲み会とかイベントあるからやってもいいわけで、デートの度にこんな子としてらんねーよ、そんなことする暇あるなら家で推しを愛でて同人誌作るわ、と思っているので全部断っている。
そもそも私はオシャレに興味がなくて、推しのことしか頭にないので、服選んで買うとか組み合わせとか髪型とか考えたくなかったし苦手だった
配属される
↓
年の近い3人の先輩から「彼女いるの?」系の質問されて、童貞探りに移行。以後、女性社員をオーディエンスにした、雑談の体を守ったニヤニヤ中傷が連日続く
↓
取得必須とされている資格試験があるんだけど、その参考書が実務でも役に立つ内容だったので仕事中はデスクのすぐ手伸ばせるところに置いていた。
すると3人のうち2人がやってきて、参考書をペラペラめくりながら
「すごいじゃ~ん!!!!wwwめっちゃ勉強してるじゃん!!!wwwいやあこれはもう落ちないね!!!www100%受かるね!!!俺たち無勉で受かったんだから、こんだけ勉強してる君なら全国トップ合格できるんではないっすか!?www結果、期待してるよ!!!www」と爆笑しながらプレッシャーをかけられる
↓
それが合否発表までほぼ毎日続く
↓
無事に受かる
↓
十数人参加してる飲みの席で合格を「あんな簡単な試験を猛勉強した変な奴w俺こいつが怖いw」的にいじり倒される。
そこから「さて!!wwwではあっちのお勉強のほうはどうなんでしょうか〇〇君!!www」という合図で完膚なきまでの童貞いじりに突入。
↓
「おい、お前それ訊くなら1日何回だろwwwなんだ”1時間”って!!……やっぱり〇〇大先生は会社でも女の人見て興奮してるんですか?」
「wwwwwwwwwwwwwww」
息ぴったりのコンビネーションで相当エグいことをひたすらみんなの前で言われ続ける。
めちゃくちゃ体調悪くなって吐きそうになった。
「こいつにオカズにされてたらどうする?w」と訊かれた若手の女性先輩が眉間にしわを寄せながら自分の両腕をさすりまくってたのが一番きつかった
↓
その日以降、自宅や職場の便所でゲロ吐いたり、夜睡眠中に頭のなかで飛び起きるレベルの爆発音が鳴るようになる
↓
そこから3ヶ月粘って働き続けたけど(その間も先輩方のイジリは平常運転)、ついに限界がきてメンタルクリニックへ
↓
医師に今までの経緯を全部説明して「今まで通り出社するのが困難」と伝えたら、適応障害の診断書が出る。
医師がマジ切れしながら「異常な職場。上司でも人事でも信頼できる先輩でもいいから、このことを訴えなさい」とアドバイスされたところで耐えきれずに号泣
↓
上司に退職したい旨伝えたところ飛び上がるほどビックリされる。自分のほうも「(あんな地獄のような毎日送ってたのに無風状態だと思われてたの!?)」と内心で飛び上がるほどビックリする
↓
診断書とともに今までの経緯を全部説明したところ、人事を交えた面談に発展
↓
ひとまず、休職ということで決まる。「元気になって戻ってきたときに安心して働けるようにする」と人事に言われる。
これを「先輩たちを異動させる」という意味に捉えて職場復帰に多少前向きな気持ちになった
↓
↓
つい先日、上司から電話で「3人に猛省させた。二度と同じことは起こらない。テレワークが終わったタイミングで復帰しないか?」と言われる
↓
フェイク皆無で書いてる。
職場の人が見たら100%バレるだろう。もう復帰する気はない。
国会議員の経歴を見ると、
財務省、総務省、経産省とか、国の中枢でバリバリ仕事していました!
っていう割には、普段何してんの?っていうくらい目立った動きしないよな。国政報告会とかもしない議員もいるし。
webでも積極的に発信しないし。勘違いのTwitterしてるやつもいるし。世襲は論外。
と思ったら、なにこの人みたいなおっさんがIT大臣になっちゃうし。
あなた達は日本の行く末を案じるからこそ中央官庁に入省したんでしょ?
立場の弱い人を守るために猛勉強して法曹資格を取ったんでしょ?
発揮できるような環境を自ら作らないの?
40代50代のいいオトナが、70歳のじいちゃんに叱られちゃうから何もできないって何なのそれ?
じいちゃんの顔色伺わないと仕事できないって、あなた達はどっちを見て仕事してるの?
選挙のときだけ尻尾振っても、俺たちもいい加減馬鹿じゃないから、次はないよ。
言い返せば、国会議員としての資質に疑問を持つ候補者を当選させるっていうのは、その議員に投票する、俺たちお前達の責任でもあるからな。
昭和58年生まれで、幼少時は勉強しなかったが、幼少時から東大や団藤重光を尊敬するなど、無類の善良であり、
高校で正体を現し、凄まじい勉強量で、当時、延岡西高校で英語主任をしていた井上(当時33)は、俺がどんだけやばかったかを知っている
平成10年当時、延岡のガキは勉強を全然しない中、一人で孤軍奮闘していたが、延岡みたいなクソ風俗では東大に受からず福岡の北予備に行った
予備校でも、色んな先生の授業を積極的に受けて、慶応レベルの難単語テストで一位をとって英語の先生から辞書をもらったり、東大模試で名前が出たりで当時の
東大受験生界隈では名が知られていた、凄まじい勉強やりまんびっちで全国に名をとどろかせていた結果、平成15年に東大文Ⅰに合格した、当時の合格者はそういう
在学中も、凄まじいやり手の女で、そこそこの成績をとって卒業したがその後に不幸があった
いずれにしても、九州から勝手に修行を積んで当時厳選採用していた東大文Ⅰに受かった凄まじい日本人だったが、誰も評価する者がいなくなった
平成10年頃の九州で誰も勉強しない時代に、自分から勝手に勉強し、凶悪犯罪者レベルに勉強して延岡の高校で凄い成績だった
当時の担任の井上修二(英語科、現在宮崎北高校勤務)が、33歳だったときに担当したが当然どんなものだったかは知っている
井上が勧めたZ会の教材も凄まじく解いていて、無類の勉強ビッチで、色々な教材を勝手に勉強していたが、田舎では勉強が続かず精神破綻して
福岡の予備校に担ぎ込まれた。2か月は廃人だったが、その後に福岡書店で勝手に本をあさって猛勉強し、東大模試でA、B判定をとり、平成15年に
当時、真夏の勉強やりまんびっちしか受け入れないで有名な東大文Ⅰに合格したとして凄まじい絶賛を受けた。在学中も凄まじい勉強ヤリマンで、
平成10年以降は、ママが決めていたわけではなく、大人はクソで何もなくて最悪だから、日本人の子供で犯罪能力が高い勉強のやりまんびっちの女の子に
インターネットの東大掲示板やなんかで、当時、若くて脂ぎっていた若者が、飛ぶ鳥を落とす勢いで勉強し、全国的にも競争が凄まじくて凄いものがあった
徹夜で勉強、昼夜逆転、なんでもあり、もうめちゃくちょのぐっちょぐちょの満天下のやりまんびっちどもによる勉強性乱交状態の真夏で、そこへもってきて
インターネットカフェや吉野家などそれまでになかったものが全国的に初開店し、多くの肝オタ勉強家どもが吉野家に突撃し牛丼をかっこむのは当たり前のあの
欲望の真夏、2ちゃんねるもクソ面白い書き込みばかりでそりゃもうこの島の勉強のやり手どもはやる気満々だった
そのような若いびっちどもによる性乱交パーティの結果に、昭和が終わって何もなかった今の東京や関西にこれだけの新しい文化ができた
平成11年までは延岡西高校にもまだ偉い校長がいたから1年生の時はかなり真面目に勉強してたが、2000年になり、21世紀開始の大ブームで
高校の方針も激変し、校長が3琉大卒になって学校崩壊起きて、2000年~2002年には、静岡県の増進会=Z会の添削が活躍し当時の多くの東大受験生は
必須のアイテムとして購読し当時、くそやばかった能力者の添削指導を受けてた、凄まじいものがあった、東大受験生のやりまんびっちのほとんどはZ会を購読
Z会の成績でやれいい成績をとったのどうのでインターネットの東大掲示板ですぐに話題になり、なにもかにもが原始時代のような普通の日本人の若い凶悪犯罪者シンガキ
勉強やりまんびっちの女の子の間でいろんなものが話題騒然となり凄まじかった、勉強をする子供には親もゴキブリの湧いている家で焼肉やトンカツなどを食わせる飲ませる
などの3せる作戦で子供に勉強させようと必死だった、平成15年の東大受験生は少なくとも雑誌「大学への数学」以外、現在東京の書店にもある青チャートレベルの問題
その他、Z会の難関数学問題など、凄まじい量の勉強をしている。
もちろんなぜあの真夏にそれが流行ったか、それだけ偉い先生や指導者がいたうえに、原始時代のような、やりまんびっちの若いやり女に性乱交を許可するほどの自然な
面白さがあったからだ。今はダメだ。もうやっていることが終わっている。バカとしか言いようがない。平成8年以降に爆発したあの素晴らしいやりまんびっちによる性乱交
今はもう平成23年10月に2ちゃんで関東ゴミ警察を中傷したとかで突然警部補が部屋に入ってきて越谷、群馬の留置、埼玉拘置所みたいな最悪なところを
ひきまわした上に、模様みたいな実刑判決をさいたま地裁越谷支部のクソ判事鈴木秀行から書かれ、平成25年に栃木の黒羽でやりたくもない受刑作業で
男子受刑者にされ、平成時代にやりまんびっちとして自然な性乱交の真夏に参加して活躍し、女として東大に採用されたのに、男にされているから
黒羽刑務所の刑務官に対する怒りしかなく、最悪すぎて何もする気はない。あくまで俺が平成時代に受験競争に参加したのは、あの素晴らしい真夏の原始時代の
東京外大出た友達は就活でスベって去年、客先常駐としてITの世界に進んだけどもう辞めると言ってた。
そこらへんの中学生より見込みがないと笑ってた。
「高校時代、歴史とか英語とか『同じ程度の努力でほとんどの人より抜きん出た成績』を維持できた。
大学時代は英会話がそれだった。そういう分野に関しては取り組み始めた段階でもう『大抵の人より上手くやれるな』って察しがつく。
でもプログラミングは本当に無理。中学生以下。なんならEXCEL前にしてもフリーズする。
MOSだって地元の寺子屋みたいなパソコン教室通ってかつ3ヶ月猛勉強してようやく受かったって有様だし」
聞いたこともない私立大出た同期より圧倒的に向いてないんだとさ。
スポーツと違って数学それからプログラミングの適性は学歴との強烈な相関があるとばかり思っていたから衝撃だった。
恐ろしいなプログラミングって。
「男性優位社会・家父長制・男尊女卑をすっかり内面化してしまった残念な男ども〜」みたいな言説ね
俺だって男尊女卑が良いものだとは思ってないしそりゃあ性別なんてどうでもいいと断言できる社会の方がいいと思うんだけど、それはそれとして言葉が荒いフェミニストをみるとどうしてもムカついてしまう
多分ゆとり叩きと同じ構造なんだよな 「ゆとり世代は教育がなってないから甘えた馬鹿ばかりで最低だ」って言われても、その教育を選んだのは俺たちじゃねえし知らねえよとしか思えない たしかにゆとり世代はバカなのかも知れないけどその責任は俺たちにはないし、せめて罵倒はしてくれるなと思う
男性中心社会の価値観だって同じで、決して身につけようと思って身につけたわけじゃない ずっと社会がそうだった以上あんたらのいうミソジニーに染まるしかないだろ
染まってない人もいるんだからお前の甘えだって言うのかも知れないけど、それはゆとり教育の中でも猛勉強する奴はいるっていうのと同じでちょっと無茶振りすぎる
うん。こんなアニメ流されたら胃に穴が開く。
「浮き沈みの激しい人生です」
当時、某名門私立中でノビノビ楽しく過ごしていた俺は「適当言いやがって」と内心鼻で笑っていた。
地元の公立中に転校するも、充実した日々がぶち壊されたショックは全く癒えず、ストレスでアトピーが大爆発し不登校になった。
ていうか体を動かすと全身のアトピー部位が割れて激痛&リンパ液ドバドバになるから家の中を動き回ることすらできなかった。
引きこもったまま7年経った。
死ぬほど苦労した末に高認取得→首都圏の私立医大に合格し、社会復帰に成功した。
ありがたいことに、大学入学に合わせるかのようにあれだけ酷かったアトピーは嘘のように治まっていった。
で、今までのブランクなどものともせずに全く問題ない楽しい医大ライフを送っていたが、5年生の秋に父親が経営する会社が潰れた。
年500万は超える学費等々をこれまで通り払えるわけもなく、色々悩んだ末に中退することになった。
またしても突然、宙ぶらりんになった俺。
まもなく両親は離婚し、母親と一緒に住むことになった。お嬢様育ちで23で結婚した母親だから、生きるためのガチ労働なんてできない。
スーパーでフルタイムのパートするのがせいぜいでまあとにかく一気に貧乏になった。
母親の月収は20万円にも届かないレベルだったので、甘ったれの俺も働くしか道はない。
で、とりあえず宅建取って不動産屋に就職したんだけど、仕事はキツイわいじめられるわで胃に穴が開いて3年で辞めた。
自分としては「3年も耐えた」って内心で言い換えてる。あの仕事は死ぬほどきつかった。
再び物理的に身動きが取れなくなったので、不動産屋時代の貯金を食い潰しながら1年間の引きこもり生活に突入した。
どんどん老けていく母親を見ながら床に臥せているだけの自分という図式で死ぬほど絶望的な気分になったことをよく覚えている。
まさに浮き沈みの激しい人生。ドン引きするほど当たってるじゃないか。
そして貯金が尽きた。
それと合わせてアトピーもほぼ引いていった。
「ああ、また『浮き』のフェイズに突入したんだな……就職活動しないと」
このころになると、もはや神の見えざる手を信じるようになった。とにかく俺がなにがなんでも浮き沈みするよう人生をデザインする神の手。
俺はタクシー運転手になった。
どんな過去も問題視されず、なんの積み上げも重視されない特殊な稼業で、しかも手っ取り早く金が稼げる仕事と聞いたからだ。
住み込み寮もあったので内定貰ったら迷わずそこに行くことに決めた。
同僚のおっちゃん連中はとにかく親切だし、所長を始めとする管理者も良い人ばかり。
技術面でもかなり適性が高かったのか、入社3カ月目にして売上ランク最上位の常連になった。
月収は手取り30万円は下らなかった。母親に充分な仕送りができた。
なにより、なんのストレスも不安もなくサラリーマンくらいお金を稼げている状況が幸せだった。
1回の乗務で平均10万円売り上げるようになった。全ドライバーのなかでブッチギリのトップ。
「もう一生この仕事でいいや。なんの不満もない」
騒動最初期に感染した人(屋形船のあれ)が個人タクシーの運転手だったこともあり、街の人がタクシー乗らなくなって売上激減。
ご存じのようにコロナ騒動はどんどんヤバくなったので、先月末には俺の平均売上はついに5万5千円にまで落ち込んだ。
ほぼ半減。
「また浮き沈みの『沈み』がきたな」
そう思ったらもうとにかく腹立たしくて仕方なかった。
「なにが浮き沈みだぶち殺すぞ」。
生まれて初めて『浮き』に執着するようになった。もうこうなったら意地だった。
ここが人生の正念場かもしれないと俺は思い、コロナだろうがなんだろうが売上を改善するために頭フル回転で戦略を練った。
で、今月。
死ぬほど苦労して、本当に死ぬほど頭使って1乗務平均7万円まで売上を改善した。最盛期と比較して7割程度の戻しでしかないけど、これでも会社でブッチギリのトップ。
ようやく甘ったれメンタルを克服し、泣き言言わずにとにかく食っていく労働者に脱皮できたのかもしれないと、
相変わらずのクソな状況なのにもかかわらず妙な達成感と安堵を抱くようになった。
傲慢な言い方だけど「コロナ、恐れるに足らず」くらいに思ってる。
いや、思ってた。1時間前までは。
いや神はやっぱりいるわ。
神が決めた『沈み』の局面を俺ごときそこらへんの人間が変えるなんておこがましいとお怒りになられてるとしか思えない。
もしも、俺が明日から今まで以上に、もうこれ以上無理だってくらい歯食いしばって死に物狂いで働いたら、
今度こそ神の怒りの鉄槌が下るんじゃないかと怖くなった。
東京の武漢化?それとも第三次世界大戦?あるいは俺がコロナ陽性になって死亡?
俺は沈みを受け入れるべきか、こんななかでも浮きを目指すべきか、
自己中心的な世界系キチガイとしか思われないだろうけど真剣に悩んでる。
追記:
今思い出した。
俺、12月に生まれて初めて株買ったんだ。10万円分。もちろん、「20%儲かったら売って温泉旅行しよう」という下心ありありで。
厳しい両親だったので塾には行かせてもらえなかった。学習塾には中3の秋からようやく通わせてもらえて、頑張った高校受験でたまたま偏差値の高い学校に進めたからか、もしくは父親は塾に頼らず大学に合格していたのも「受験に予備校は不要」と錯覚させた要因なのかもしれない。いずれにせよ、人生の方向性を大きく決めるであろう大学受験にはノーガードで挑む他無かった。
私の親戚は1人を除いて極めて優秀な大学を出ており、両親は当然私も自身のような大学に入るものだと思っていたらしい。両親が受験代を出してくれるのは二校(国立と私立のみ)だった。何校も受験している同期が本当に羨ましかった。
結果、両方とも落ちて浪人が決まった。出身校がそこそこ優秀だったから授業料は相当安くなったが両親は激怒し、自分で授業料を払えと行ってきた。この一年勉強するだけで人生は変わるのに、勘当されかねないので仕方なく予備校近くのうどん屋でバイトを始めた。毎朝6時過ぎに家を出て18時まで勉強し、22時まで働いて家に着くのは0時過ぎ。バイトは週5日。
死ぬほど頑張って働いた金は親は全て取り上げられ、昼飯はトップバリューブランドのカロリーメイトの偽物と冷水機の水のみ。必死で勉強し、夏休みの猛勉強のおかげで駿台の偏差値は58から65に伸びたが秋口にとうとう気持ちが切れた。3日ほど寝込んだか親は知らんぷりで、今月のバイト代はどうなるとばかり聞いてくるので半ば絶望しながらバイトへ向かった。
年も暮れつつある12月、私は親から大学の受験料は出さないとの通告を受けた。本気で死を考えたが亡くなった祖父の遺してくれた金を使って3校受験した。入試の2日前までバイトを入れて体力は限界に近かった。結果、滑り止め以外全落ちした。親は激怒した。何度も殴られて部屋はひっくり返され、散々な目にあった。
幸い大学は特待生だったので授業料はほぼゼロ。学生支援機構から金を借りて入学金を振り込み、本当に辛い浪人生活は終わりを迎えた。
いざ振り返ってみると、私以外の従兄弟たち4人は皆東大、東工大に進んだ。彼らは高校一年の頃から予備校に通っていた。本当に親が憎かった。なんで私がこんな目に合わなきゃいけないんだ。
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185794479111860224
@kazukichi3110
君ら数百程度のエンジニアじゃあね。
超少数派でしかない。
その中で君らが標榜する、「年収いきなり1千万」を狙える椅子はいくつあるんだろうねって。
現実はこれだよね
@Rorome15Nikomu
プログラミングと英語を勉強しているアラサーです。既婚。SES(事務職)4年→フィリピン短期留学→SES(インフラ系)1ヶ月で退職→無職期間にウェブカツで猛勉強→3月よりWEB制作会社でアルバイト中。
https://twitter.com/Rorome15Nikomu/status/1184446949107236865
大学生の男性同性愛者なんだけど、無性にゲイ向けのマッチングアプリでおじさんと会いたくなるときがある。おじさんといっても世間から忌嫌われているような、わかりやすい?ネガティブなイメージのおじさんではない。私が会いたいのはカッコよく、優しく、知的で、包容力があるおじさんである。中々いませんが…
前にそういう素敵なおじさん(以下Kさん)と会ったのはのは2ヶ月前、新宿の高島屋で美味しいガレットを食べながらワイン呑んで、そのあとKさんの住んでるマンションに転がり込んでセックスしたのが最後である。その後Kさんとは会っていない。
Kさんと一緒に食事を食べて交わったのはせいぜい5時間とかそんなもんだったと思うのだが、この5時間は“彼にもう多分会えない”ことをこれまでの経験からなんとなく察知し、噛みしめるほど徐々に美化されてきている。また、あの5時間のような夢の時間を過ごしたい、彼氏になってほしいなどとおこがましいことは言わないからまたセックスだけでもしたい、相手はもはや、顔も見たくないのかもしれないけど。
Kさんは40代半ばで、もう何年か彼氏はいないらしい。大学生の私とよく行く服屋が一緒だったりと年齢を感じさせない雰囲気を身にまとっていた。かと思えば、私が就活の話をしたときに、「俺はロスジェネ世代だから就職大変だったんだよ、今の子が羨ましいよ」とも言っていた、聞けば、なんとかして入った会社を一度辞めて、脱サラし学校に通いなおして現在は専門職をしているらしい。酸いも甘いも噛み分けた大人の男性であることを感じさせていた。
1軒目のレストランを出たところで、「これからどうします?」と尋ねると、「何してもいいよ、付き合うよ」と笑って言ってくれた、でも目は合わなかった。Kさんは少なくとも私を見てはいなかった。笑顔も少し作っていた。今にして思えば、こういう僅かなKさんの仕草を感じとったときに潔く別れた方がよかったかもしれない。でも、そうしたくなかった、私は平静を装いながら頭の中で、Kさんを繋ぎ止めるための策を練りつつ、二人でニュウマンとかをちょっとウロウロした後に、やっぱりこのまま別れてしまうのはなんとなく嫌だったので、思い切って「お家の近くになんかありますか?移動しましょうか?」と尋ねると(直接家に行きたいというのは気が引けた)「俺の家来たいの?まぁいいよ」と言ってくださったので家に行くことにした。
そのあとは二人でお酒を呑み直して、なんとなくテレビをつけて、なんとなく見つめあって、私がKさんの頬に触れて、その勢いでなんとなくキスして、シャワー浴びて、エッチなことをした。ある種のお作法の流れである。
こちらはあんまりテクニシャンではないのでだらついたエッチだった。もしかしたらKさんには退屈だったかもしれない。私はKさんの愛撫が止まっている間に、色々なことを聞いた。
出身県、前の彼氏、Kさんのフェチ、名前の由来、そんなことだったと思う。
その日は「終電にまだ間に合う、泊まりたいけど帰らないと」と言って帰った、Kさんの方も明日仕事だからと言っていたのでその日はそのままお開きになった。駅まで送ってくれたので、その後も少し世間話をしたのだが、セックスした後のKさんは家に来る前より声のトーンが少し低かった、私の話をどうでもよさそうに聞いていた。「多分もう会えないな」と思った。帰りの電車でザ・チェインスモーカーズの「Call You Mine」がSpotifyから流れてきて泣きそうになった、私だって、Kさんを「俺のもの」と呼びたい。淋しくなって、Googleで「ワンナイトラブ 会う 2回目」みたいなことを帰りの電車で検索しまくっていた。
次の日、仕事のはずのKさんはマッチングアプリで「今日暇!会える人!」みたいな募集をかけていた。(私が使っているアプリには、その日すぐに会える人を探し出せるように募集できる機能がある)私の嫌な予想が確信に変わった。やはり私はKさんのお眼鏡にはかなわなかったのだ。こうなってしまうとどうしても会いたくなってしまい、その後、Kさんがすぐ会える人の募集をかけているときにわざとこちらもちょうど会える人を探しているかのように「今日お仕事お休みですか?よかったら会いませんか?」みたいなメッセージを送ったものの、のらりくらりと断られ続けている。というか流石に迷惑を超えてストーカーっぽいので連絡するのはやめた。
最近、何を見てもKさんを思い出す、自称していた出身県でよく取れる野菜、路線図に書いてある新宿駅の文字、よくいくと言っていたルミネに入店しているセレクトショップ、Kさんと同い年くらいのおじさん、街中のカップル、赤ワイン…etc
そして、Kさんを思い出すたびに自分の中のKさんがKさんではなくなっていく。
私の頭の中で、私を車に乗せて一緒に旅行をするKさん、優しくリードしてお姫様のような?チヤホヤした扱いをしてくれるKさん、平日の夕方に呼び出されて、サプライズで高級なレストランに連れていってくれるKさん。彼氏になった大好きなKさんに思いっきり甘えられる幸せに浸る私。
もはや、あの日に会ったKさんはどこにもいない、私のヤバい妄想の中でKさんが勝手に理想化されていく。
こうなって始めて、「あぁだから俺はおじさんを求めているんだ。」と理解する、用は甘えたいのだ。私は人間に、それも「おじさん」という絶対に自分自身には“甘えてこない”人に。
私は前から、包容力があって日々の愚痴を聞いてくれて、リードしてくれて、チヤホヤしてくれる彼氏に思いっきり可愛がられたくて、この人なら、それを可能にしてくれるかもしれないという夢を見たくて、その夢を見るためにアプリ上で「よかったら会いませんか?ご飯でも」とメッセージを送り、実際に会えたらセックスのチャンスをちらつかせることで、この願望をその人で投影している。セックスで夢を買っている。そうすればセックスするまでの短い間はおじさんたちはみんな(程度の差はあれ)俺をエスコートし、チヤホヤし、歯の浮くような台詞を言ってくれる。
でも、セックスが終われば、おじさんたちは一気に態度を変える。もう一度メッセージを送ってみても望む返事は得られない。
あるおじさんは「君みたいな若い子はこんな大人と一緒にいてはいけない、もう会うのはやめよう」と優しく、でも本心かどうかはわからない返信してきた。
あるおじさんからは「いいよ!また会おう」と返信が返ってきたものの、こちらが「まずご飯行きましょう」と返すと「セックスしないならいいや」とシンプルで最悪な返事が返ってきた。
他に「最近仕事が忙しい」「いいよまたあそぼう!こんどは○○なエッチしたいな」「夜ならいいよ」こんな返事ばかりである。返事が返ってこないこともある。
ある時期から、「普通に考えたら、素敵なおじさんはたんなる大学生(特別頭がいいわけでもめちゃくちゃ見た目がいいわけでもない)を好きにはならないな」と思い直し、同世代と普通にご飯に行くようになった、しかし、特に面白くなく、当たり前だけどマッチングアプリでなんとなくのプロフィールと顔写真みて会った人とは共通の話題があっても、いきなり意気投合したりはしないしなぁ〜と思いながら、なんとなく帰ることが多い。
時々、うっすら思い浮かべる人がいる、高校のときに、独りぼっちで浮いていた私に優しく接してくれた昔好きだった男の子だ。誰にでも親切で、努力家で、対して勉強ができなかった私と違い猛勉強して優秀な大学に行った彼。つまらない高校生活に一筋の光を照らしてくれた彼。私は彼がしてくれたことに感謝しつつ、彼には何も与えられないことがもどかしかったし、(唯一、彼が読みたがっていた漫画を全巻貸して欲しいといわれて貸すくらいはできた。)何も与えられないのならば、せめて、彼にとっての私が嫌な記憶にならないように、連絡をしたり、心の内に秘めていた恋心を隠し通すくらいしかできなかった。
「総合選抜制度」と「内申点制度」によって公立高校の受験はマジでやばかった。
総合選抜制度は今となっては採用している地区がないことからもわかる通り問題点の多い制度だった。
例えば地区に全て定員100人のA,B,Cの3つの高校があったとする。
(俺の当時の地区では)入試で35位までに入らないとB高校を不合格になるものだった。
ただし、志望はしていないが地元のA高校の順位に照らし合わせたら
100位に入るという場合はA高校に入学してしまうというのも総合選抜制度なのである。
しかもこの際に「公立高校を志望して地区の高校に(A,B,Cを問わず)合格したら私学への入学はできない」
まとめると、以下のようになる。
1.地元ではない高校を受験すると定員の上位35%までに入らないと不合格になる(36%~100%は地元優先)
2.地元ではない高校を志望し不合格となったが、地元の高校に照らし合わせて定員内の順位の場合は地元高校に合格する
3.公立高校を志望して合格した場合、合格した高校によらず私立高校への進学はできない
高校を自由に選べない、また学校間の格差が大きい場合著しい問題が生じる。
つまり、地元のA高校が偏差値35のド底辺高校で、地元ではない進学校(偏差値65)のB高校を志望した場合に、
当落ライン上にいる生徒はほぼB高校を受験せず、1ランク落とした偏差値60程度のC高校を受験する。
なぜならB高校を不合格になっても地元のA高校には100%合格してしまうためだ。
A高校は数年に1度警察やマスコミに取り上げられるような事件が起きる高校で、
親は「B高校に落ちてA高校に回されたら高校には行かなくて良い」と言い切るようなところだった。
いやいや、テストで普通に点取ればいいんだろ?と思った人は正しい。
英数国理社は4倍、保健体育音楽美術技術は7.5倍して500点満点に
当日のテストを100点満点で合計1000点の順位付けをしていた。
内申点制度そのものは当日のテストでのばらつきをある程度是正するものだとは思うが、
俺の出身の中学では英数国理社のように明確にテストで点数が出ないことを良いことに
この副教科の数値をかなり生徒によって調整していた。
少し足りない、危ない生徒の評定を上げていたのである。
故に、学年1位の成績であっても平均すると10段階で8程度しかつかない。
「教師による学年全体の内申点(副教科の評定)調整」が組み合わさることで
本人の成績と意図しない高校に振り分ける可能性が生まれていた。
https://anond.hatelabo.jp/20190102174908
自分のことを思い出した。
もう20年前の話。
親の仕事の都合で引っ越しの多い幼少時代だった。そのせいか内向的で、休み時間には教室に置いてある児童文庫の学習漫画をよくよんでいた。地球が太陽の周りを回っていると書いてあったから、影が1日の間で移動する理由をテストで問われて「地球が太陽の周りを回っているから」と書いたら、正解は「太陽が動いているから」だと言われた。テストでは僕の答えも丸になっていたが、動いているのは地球の方で太陽は動かないはずだと僕はずっと首をかしげ続けていたと、母親は保護者面談で先生から言われたそうだ。なぜか母親にとってそれは自慢話のネタらしい。
中学受験に向けて猛勉強する同年代の子どもたちの映像をテレビで見たことをよく覚えている。そのときは僕は「ずるい」と感じていた。みんなが学校で同じように平等に勉強の機会を得るべきで、塾で勉強するのは抜け駆けをするずるだと感じたのだ。そのせいか僕は塾に行くことなく大学受験まで過ごすことになる。
親は放任主義というかのんびりしているというか、子どものすきにさせるというスタンスで一貫していた。ファミコンをどんだけやっても怒られないし、勉強しろと言われたことは一度もなかった。そのせいか、どの高校や大学を受けるかにあたって僕が出した唯一の基準は「自由なところ」だった。
高校は県内でも自由で名高い公立を選んだ。私立優位な地域だったので、東大京大に受かるのは3年に1人くらいの高校だった。そんな高校で僕はずっと学年で「2番」の成績をとり続ける。どんなに頑張ろうと常に2番。1番の子は一体どんなやつなんだろうと思わないでもなかったが、実は顔も知らない。1学年10クラスもあって、どのクラスにいるのかを探すのも大変だったのだ。
高3に模試を受けてみると、京大の合格圏に入らないでもないくらいだった。調べてみると京大は、自由そのものの校風ではないか。それなら受けるしかない。塾には行ってなかったが、通信教育は受けていた。コースを京大向けに変更して、家で課題を解き続ける日々。子どもの頃に中学受験をずるいと感じたくせに、大学受験ではそのど真ん中に身を投じているのだから勝手なもんだ。つまりは自分が認識すらできない時点で人生に差をつけられてしまうようで、抵抗を感じていたのだ。
受験の当日、母親がホテルについてきた。「私は観光してくるから、あんたは受験頑張りね」と。どこに観光してきたかは知らないが、そのときの写真やお土産はひとつもなかった。どこにいたんだろね。
試験はよく集中できた。何問解けたのかはよく覚えてない。目の前にある京大らしい問題に、自分の知識と知恵で格闘した。いつも通りの自分でいられた気がする。
自分の番号を見つけた瞬間の感想は、あーそっかあという安堵のようなものだった。ここに受かるということは、親元を離れて暮らすということだ。その新しさへの不安と期待が少しずつだった。
噂によると、学年でずっと1番だった彼も京大に受かったらしい。が、いまだに会ったことも話したこともない。全く自由というか無頓着なのだろう、2人とも。
僕も親のように、人生の岐路になりうる場に子どもを平常心で立たせてあげることができるだろうか。まあきっとできるだろうと、ポケモンをやり続ける子どもを見ながら思うのだ。