三月二十六日(木)
頭痛が収まったので午後だけ出社した。
せっかく遅く家を出るのだし、普段は食べられない場所でランチを食べようと思ったのだが、電車が遅れたので結局そばを食べた。一応、高級なところだったのだが物足りなかった。夕飯は立ち寄りそこねた店に足を運ぼうと思ったのだが、とにかくだるかったので帰宅した。だるかったのは昼ごはんが足りなかったからかもしれないが、そもそも少なめの漁を頼んだのは本調子ではなかったためだ。ついでに予算のこともあり、大根おろしそばしか食べられなかったのである。なんにせよ、とっとと家に帰れと都知事ものたもうているので、従うことにした。
今週末はコロナウイルスの感染を防ぐため外出を自粛しろという話、東京だけでなく首都圏全域にまで広がっている。神奈川でも同様だ。あちこちの説明を聞く限り、今ここで移動を自粛しないとかなりまずいことになるらしいので、土曜日のバンクシーはあきらめたほうがよさそう。しかも、日曜日は雪が降るという信じられない予報まで出てきている。実際問題どうなるかはわからないが、困ったものだ。ジョギングは土曜日に回し、日曜日はciv6か読書かだ。当然、ソープランドもなし。
それにしても、明日の出社がだるい。まだ頭痛の兆候が完全に消えたわけではないのも不安だ。
今日もミルクティを飲んだ。ただ、今日は頭痛のため午前はずっと寝ていたため、まだ眠くない。
追記。先ほど天気予報を見たら土曜日も雨だそうだ。ジョギングさえできないとは。ますます気分がふさぎ込んでしまう。やーれやれ。筋トレでもするか。
おんぎゃあ!
これ悪くないと思うんだよね。
日銀が大量に緩和してるけど金融緩和って国民に恩恵ないじゃない。
だから日銀が大量に買って買って買いまくってる日本の上場会社のETFとかREITのETFを丸っとまとめて投信?ETF?にして配ればいい。
国が証券会社に口座作るときの共通申込用紙を作って、宛先だけ別の封筒を日本の証券会社の数だけ同封して発送すれば、それで口座開設OKとかにしてさ。
反社とか口座作れない人とかどーすんの?って問題はあるけどさ。マイナンバーで管理して開設ダメな人は別案内で他の給付案件ってことで。
この案の良いところは3つ。
まず、国民の老後2000万必要問題に対して「貯蓄から投資へ」をダイレクトに導入できる。老後の年金問題にプラスでしょ。
次に、日銀の出口が出来る。債権と違っていつかは売らないといけない、どうする問題はこれで解決。
進行形でETFなど買ってるから、その都度、毎月積み立てのように分配して国民全員に新型コロナが終息するまで長期にわたって経済支援ができる。
特別国債を発行して日銀の持ち分を毎月現値で買取、それを基準に国民に分配すればいい。日銀は利益でたら国に納めるはずだし財政負担少なくね?
最後、国民は分配してもらったら、すぐに売って現金化することもできる。十分に利益が出てから売ることも出来るから、利益でたら納税することにもなる、財政負担少なくね?
日銀の残高が30兆とかいうし、規模的にも十分。30兆を国民みんなで分けるといくらだ?
悪い点は、いますぐお金が入るわけじゃない。株の売り圧力になる、そんな感じ。あと、国の借金が30兆ほど増えるか。でも、もう誤差でしょ。
大いに異論あり。
給料が入った後に、築地場外に魚を買いに行く習慣がある私は、いつもは場外に大量に押し寄せる客をかき分けて
目当ての店に行くのだが、今日は場外市場で働く人達の方が多いような通りの惨状だった。
所在なく店頭に立つサンドウィッチマンからは活気の良い声も聞こえない、囃子がない市場は静かな戦いの渦中にある。
店側は必死である、値付を正価にし、商品の陳列もいつも以上に気を遣っているが、人そのものが来ない。
目当の店では「この数年間、空中戦で荒稼ぎしてきたより日本人の常連をどれだけ作れたかで、これから生き残れるかが決まる」と雑談をする。
魚を買った後、のんびり車で国道15号を流す。銀座の目貫通りも、買い物客より勤めている人たちの往来が多い、
店も4分の1がシャッターを閉めている。日本橋から神田もいつもの様子ではない、普段はスーツを着たサラリーマンであふれているが、
テレワークの為か人通りはまばらだ。秋葉原になると少し人通りが増えるが、普段の3分の1程度だ。
上野は桜の見頃に関わらず、人の頭ばかりしか見えない状況ではなく、気軽に散策できる程度にしか人がいない。
そこから車で走る道中、スーパーやドラックストアは人が並び、消耗品や食料品をせっせと買いだめている。
夜は誰も来ない新宿の片隅で酒を一人飲む、斜向かいの店のドアに掲げられた「コロナ(ビール)始めました」が空しく風に揺れる。
一人オーナーで切り盛りする店はどうするんだろう?またひと昔前の寂しい界隈に戻るかもしれないねと話をする。
気づけば店に入ってからそんな話しかしていない。何処の桜が見頃だとか、御苑に酒を持ち込む方法とか、
そんなよくある天気の話もしていない。御苑は封鎖されたらしい。
私も居場所が欲しいから、金を使いたいから、よく行く店に通う。
自宅と、職場以外にある、数多くの、一生かけても全て見通すことが出来ない数多の社会が暗転しそうだ。息が詰まる。
この社会は、人が獲得した高度な社会性は、衣食住の安寧という本来は難しい問題から脱却して、
可処分時間と可処分所得を使って長い人生の中で楽しむことを覚えた。
そんな高度に発展した社会が、棍棒を持った侵入者によって破壊されようとしている、
既に生きる為に自宅と職場を往来するだけな状況は、中世から原始資本主義時代の生活と変わらない。
これで都市封鎖されると、自宅の中で嵐を過ぎさる事を祈るだけになる。それは石器時代と何が違うのか?
中国やイタリヤの人々が窓から大声で歌を歌う動画を見た。私も部屋の片隅で小さくなって
祈るのなら、声を出して祝詞を歌いたい。
「日常」は、数多の世界の、数多の人による労働によって作られ、滞りなく安心して繰り返される事に価値があった。
memento mori(メメントモリ) 意味は、死を想え
西ベルリンと東ベルリンでもはっきり感染者数に違いがあるみたい。
グローバリゼーションの始まりの合図となったベルリンの壁崩壊が、30年の月日を経てこんな形でその歴史を想起させるとは...