はてなキーワード: 猛勉強とは
駅から家が遠いと、大雪や台風や人身でJR止まった時にめちゃ疲れるよ。
前友人がおしゃれで広くて、ガスコンロ2口のお部屋を借りてて、某大学の近くで
大雪の日。
彼女の賃貸は駅から遠くチャリで10分以上もかかり、大雪の中こぐ体力ないし、激寒い、
彼女の彼氏さんは現在資格試験のため猛勉強中だとかで迷惑になりたくないとか
駅から歩いて10分程度の家にとまりたいとお願い電話が来て急きょ泊めてあげたよ。
彼女風邪ひいてて思い切りうつされましたが(˚ ˃̣̣̥᷄ω˂̣̣̥᷅ ) それで彼氏の処に行かなかったんだな?
彼女の賃貸に比べて、狭いし、電気コンロでしたが、駅からは近いし、駅にはビルもあり
交通は断然便利でした。
マジレスすると
1) 働きつつ同業他社への転職をトライ:その業界じゃなくて単に増田の会社がヤバイだけの可能性がある。
2) とりあえずもう1-2年我慢しながら続けてみる:2-3年同じ仕事してるとなんだかんだサバイブする力はつくことが多い。特に社会人になってまだ1年チョイ?の増田はここからブレークスルーある可能性有。
3) このままだと鬱になるかもと思うならとりあえず辞める:あとのことはあとになって考える。捨てる神あれば拾う神あり。職はどうにかなるよ。あとはコスパ高そうな資格とるとか。半年くらいフィリピンでもいって猛勉強すれば誰でもTOEIC900点は越えられる。TOEIC 900点あれば高卒でもギリ食ってくだけなら職は見つかるよ。フィリピンは最も安上がりな英語圏としてあげたけど、そのお金もなければ日本でも本気で勉強すれば半年あればTOEIC 900TE点レベルならいけるよ。
頑張ってる増田に幸あれ。
>>猛勉強して通信制高校卒業したほうが良いと思う。
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僕もその認識です。だけど、学費が工面できないんです。在学中はなんとか卒業しようとしていて、そのせいで奨学金みたいなものを使い切っちゃったし、親が(というか親父)騙されて借金抱えていて、それが二千万円以上あるんですよ。おかげで、家差し押さえられるは、競売にかけられるは、その間も住み続けているわで大変だったんです。
そういうこともあって、まずお金。だから、雇ってほしいとあの日記を書いたんです。
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>>親は疲弊しているだろうが、親のうち1人でも病気になったら、息子が家計の助け程度しか稼げないと、5年後~10年後は共倒れして遅かれ早かれ生活保護になる。
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これも焦ってる原因です。両親ふたりとも60代なんですよね……。結婚するのが遅かった。もうすぐ年金もらえるから、借金返すの楽になるね、とかそんなたわごとでるレベルです。
親のスネがかじれるうちになんとかしろ。
親は疲弊しているだろうが、親のうち1人でも病気になったら、息子が家計の助け程度しか稼げないと、5年後~10年後は共倒れして遅かれ早かれ生活保護になる。
それなら、eラーニングが充実してる学校を探して、10年後は完全に独立&親を助けて生きていけるという目標をたてた方がいいよ。
今更勉強とか思うかもしれないけど、中卒というのは一生ハードルになる。
仕事は、SEとかなら在宅でも経験積めばしっかり稼げると思う。
翻訳とかも良い。
やはりある程度は学力というか学習に耐えられる忍耐力は必要だよ。
すべきこともやりたいこともない、ここ最近は何事にも無関心で彼女と電話するくらいしか予定がない休日が続く。
こうなったのは多分仕事のせいで、そろそろ入社して1年が経つがどうにもこの仕事があっていないと感じている。
残業が多いわけでもない、休みが取れないわけでもない、給料もそこそこだけど、どうやら仕事があっていない。
そもそもこの会社に決めたにも「この仕事で社会貢献!自己実現!」ってわけでもなく安定してそうだったから、
1年経って結局この会社では生きる気力が見つからないと気づいたとき、クルートエージェントに登録をした。
例によって面談を行いヒアリングされたわけだけど、次の業界は?何がしたいの?の問いに答えられない。
あれ、、、俺は何になりたいんだっけ。
振り返れば就活時期からだったっけ。まわりが就活をし始めた流れに乗ってなんとなーく大学の就職課に通い始めESを練った。
大学はそれなりの規模で就活解禁からの3週間は大学に企業が来た。
就職課からの教えに従って様々な業界を見たけれどどれもパッとしない。
説明を聞き受ける業界を悩むだけで時間が過ぎていった3月末、焦った自分は社会的な存在意義説いていたある会社の説明に
就活は宗教だ、いかに自分の企業が素晴らしいかを説明し学生を募る、嘘ギリギリの謳い文句。
無知だった自分は適当に業界を決めたし、面接では準備していた原稿を元にペラペラ話したら大体受かった。
それほど倍率の高くない業界だったしね。
でもある面接のアイスブレイク的な質問で「なんでこの大学にしたの?」と聞かれた。あれ、、、なんでだっけ。
その時から僕の目標はMARCH合格になりその数カ月後に部活をやめ、同時期に部活をやめた友人と図書館に篭った。
ただでさえ高校に猛勉強して入った自分にとって勉強は得意ではなかったから量でカバーしようとした、
今思えば効率が悪すぎるけど。この時の目標は大学合格だけで、それ以外のことには目もくれなかったし、
辛い時は2chの受験スレなんか見たりして自分を奮い立たせて継続していた。
ただその時の熱量は本当の自己実現ではなかったんだ。当時の自分には大学に入ってあの先生のもとであの学問を学びたい、
親を失望させたくない、親の世間体を守らなきゃ、親が喜ぶ顔を見たい。
自分のためではなくて全部親のためだったんだ。遡ってもそう、
思い出すのは親に勧められて始めたことが多いし、
むしろ自分がやりたかったことを言うと否定され気づけば別のことをやらされていた。
サッカーだってそうだ、僕は野球がやりたかった。父親の影響で野球はよく見ていたし、
そう、僕は何も自分で考えていなかった。
進学まで親に従い、満足する顔を見るための頑張りだった。
大学合格で目標がなくなった、親のために入ることが目的だった大学では適当に授業とサークルとバイトで過ごした。
大学3年も冬に差し掛かると就活が始まった。あれ、、、、自分がしたいことってなんだっけ。
親のために入った大学、焦って適当に選んだ会社、そこに合わない自分。
今になってようやく自分の人生を歩んでいなかったことに気付かされる。
俺は何がしたいんだろう、何が好きなんだろう、何者なんだろう。
二人が通う大学は、電車で通えなくもないが、少ししんどい距離。
そのため、意を決してルームシェアをしないか? と持ちかけるうっちー。
当然、動揺する黒木だったが、掃除洗濯料理などの家事を全てうっちーが担当するという条件に揺らいでしまい、許諾。
二人っきりでいられることの嬉しさでいっぱいだったうっちーだったが、夏頃になると、いつまでたっても肉体関係を結ぼうとしない黒木にやきもきし始める。やきもちうっちーしてしまう。
高校時代の友人たちに相談し、露出度の高い服を着て見たり、お風呂でた後に下着姿でウロウロして見たり、過剰にスキンシップをとろうとしてみたり、マッサージをしてあげたり、と右往左往するうっちー。
モヤモヤとイライラが募るうっちーはついに、黒木に「私ってそんなに魅力がないかな?」と聞いてしまう。
いつもならギャグ展開にいくワタモテだが、二次創作薄い本力が働き、黒木は二年生の卒業式の日、誰かに何かを与えたいと誓ったことを思い出す。
成熟した大人の恋愛関係というよりは、互いの欲の穴を満たすような違いに独りよがりな二人の関係は次のステップを迎えるのであった……
運動部と文化部を兼部し、どちらも県で優秀な成績を収めていた。秀才と呼ばれていた。
その高校出身だと言うと、地元の人間は目の色を変えた。優秀だと言われていた。
大学受験あたりから暗雲が立ち込めていたが、自分の目には全く映っていなかった。
大学受験はろくに勉強しなかったが、滑り止めの私立大学に合格したので、そこに行くことに決めた。親は現役合格というだけで喜んでいた。
その時点で学歴や勉強に対して価値を見いだせていなかったにも関わらず、自分が選んだ学部は猛勉強が必要なところだった。
自分が勉強しなかったために行くことになった私立大学ではプライドが満たされず、「こんな私立に推薦で来るやつ(笑)」と同級生を見下していた。
適当に決めた学部だったので、猛勉強が必要なことを知って驚き、自分に合っていないと考えると楽になった。だが、退学する勇気はなかった。
進級するための最低限の勉強を続け、ギリギリながらも結局最終学年までたどり着いた。
そこまで来てしまうと、自分は最低限の努力で物事をこなせる要領の良い人間なのだと勘違いするようになっていた。
その理由はただ一つ、自分の周囲に居たのは、口先に騙されてくれるような、善良で純粋無垢で心優しい、自分とは正反対の人間たちばかりだったからだ。
そして、ついにいかづちが落ちた。
理由は単純、やる気がなかった。だが恐ろしいことに、それに全く気付くことができなかった。
自分が勉強に集中できないのは何か重大な理由があるのだと考え、もっともらしい理由をつけ、周囲を納得させた。周囲が納得したので、自分は責務から解放されたような気分になった。
高卒はプライドが許さなかったので、留年して卒業だけはすることにした。
プライドのためだけに将来を決めていることを隠そうと、常識ぶった物言いで親を説得した。親は納得し、自分の学費のために病体に鞭打って働くと言った。
だが、相変わらず勉強へのやる気は皆無。勉学への情熱もなく、親の首を締めて学んでいる危機感もない。あるのは義務感、老いへの焦り、価値のない時間だから早く過ぎればいいのに、という意識のみ。
できることなら好きなことだけして、好きなことで食っていきたい。でももう結構な歳だし、真剣勝負は怖い。人生を棒に振るかもしれない。
自分は優秀で、才能があり、与えられたものに甘えず、目標をしっかり持ち、現実的に物事を考え、自己実現に向けて努力し、自分の芯を持っている。
そう信じて疑わずに今まで生きてきた。なんてひどい人生なのだろう。
当たり前のようにクズを見下して生きてきた。
クズはクズなりにクズらしく、クズを貫いて生きているというのに、自分の有様はなんだ。
クズにもなりきれず、優秀な仮面をつけるのも息苦しく、好きなことに情熱を注ぐ勇気もない、クソの中のクソが産んだクソみたいな人間じゃないか。
最初から自分についてなにもかも諦めていたらよかったのだ。最初からクソらしく生きていたら、ここまで悲惨なことにはならなかった。
だが、今やるべきことは嘆くことではなく、これ以上更なる悲劇を産まないことだ。
いいか、よく聞け、お前のようなクソがすべきことは、今からでも遅くない、自分についてなにもかも諦めることだ。
自分がクソであることを受け入れることだ。クソはクソらしくとっとと濁流に流されることだ。
自分についてクソと書くことで悲しくなっているようじゃ、お前はまだ自分のことを人間だと思い込んでいる。
泣くなクソ。これは罵倒じゃない。事実を書いているだけなんだ。お前は人間じゃないんだ。何らかの手違いで産み出されたクソなんだ。
本当はお前以外の人間らしい人間が産まれてくるはずだった。お前は間違って人間として産まれてしまったから、クソなりに人間の真似をして生きてきただけだ。
人間のモノマネばかり上手くなっても、お前はクソだから、人間にはなれない。お前はかわいそうなやつだ。必死に人間になろうとしてきた。
提示された課題をこなし、期待に応え、善良で、常識的で、聡明で、才能ある人間に憧れ、そんな人間のモノマネに尽力してきた。お前はクソだが、人間の真似はクソ一倍上手い。それだけは認めてやろう。
楽になることをちょっと教えてやるから泣くなクソ。クソであることを認めれば、お前はクソだから、誰かを幸せにする必要はない。一般的な幸せに迎合する必要もない。誰かを無理に愛そうとしなくてもいい。なんにも頑張らずにのたれ死んでもいい。誰とも喋らなくていい。ずっと一人で居てもいい。スマホも捨てていい。お前はもう人間らしく生きるために生きなくても良くなる。
でもお前が本当に人間になりたいと思ってたのは知ってる。だからクソだと認めたくないって渋ってることは分かってる。だからこそ、これ以上ひどいクソにならないために、クソだと認めなきゃならないんだ。これ以上信念もクソもないクソにならないために。クソなりに恩を感じてる人間たちをこれ以上失望させないために。騙さないために。
だから泣くなクソ。お前が申し訳ないと思っている大切な人間たちが愛しているのは、お前が演じていた人間であって、クソじゃない。お前は不幸にも優秀な人間のモノマネが上手すぎたことによって、クソのままで愛される術を失った。これからはちゃんとクソとして生きていくんだ。そうしたら、数は少ないけど、スカトロ好きなやつが褒めてくれる時が来るかもしれない。お前はクソだ。人間のふりをしなくていいんだ。
クソであることを認めれば、お前がクソである事実に変わりはないが、お前が過ごすクソ生はクソじゃなくなるかもしれない。いいな、クソ。
それなりに勉強とかしたかったって夢を抱いて底辺校から頑張ったのにコレかよ…と。
そういうのが嫌で一番難しいコースに行ったら、文化祭での研究室の出し物はコスプレキャバクラだった。
なんであれは規制されなかったんだろうかとか事故は起きなかったのかとか今でも思う。
友人をなんとか探そうと色々ソロで活動したけど、なんか次は会う人会う人キャバクラやスナック、ホストクラブで働いてる人にやたら遭遇した。
ある学部では先輩の紹介で実は女子の2割がキャバ嬢とかマジなのかな?
私は結局働くことはなかった。
東京でその後就職したんだけど、この話をしても信じてもらえない事が多いし、私が聞いたらきっと嘘だと思うと思う。
でも、本当にこれは何だったんだろう、ただの格差社会の片鱗を見たで片付けて良いのかなぁと整理がつかない。
4歳上の兄が先日一級建築士の製図試験(2次試験)を受けてきた。まぁまぁの手応えだったようだ。
兄は中学生くらいの頃から建物を見たりデザインしたり、そういうのが好きで高校の進路選択も迷わず理系、建築系の大学を志望した。
ある意味、長年の夢の成否が、箱根駅伝で言えば、丁度、往路のゴールテープを切ろうとしているところなんだと思う。
兄は、頭が物凄く良かったわけではないが、クラスの人気者、運動神経もよく、部活も高3の夏引退まで続け、
その後猛勉強、中堅高校から現役でMARCHの建築学科に進学、まるで予備校のパンフレットに載ってそうなサクセスストーリーだった。
兄は、第一志望の国立大には残念ながら落ちてしまった。そこは物凄く悔しそうだったし、当時中学生の自分から見ても可哀想だなぁと思っていた。
兄は、大学で未経験ながらある体育会に入って、主将まで務めていた。理系で製図が大変そうなのに、寝る間を惜しんでバイトしたり、練習したり、辛そうだけど生き生きしていたとおもう。
もちろん、それの裏には血の滲むような努力をしていただろうことも十分わかる。
憧れの教授がいるとかなんだかの理由で英語ができないのに、授業が英語ばかりの研究室?院?に入学した。
学部時代の成績が優秀で、院の授業料は免除になっていた。お前、体育会の主将で、、何か才能を分けてくれよ。
それで、就職2年目、就職してから毎週末は建築士の勉強をした結果、今にも夢を叶えようとしている。
一方、弟である私は、兄よりは頭のいい高校に進学、そこそこの成績を保っていた。ただ、部活は途中で辞めてしまったし、クラスではどちらかというとインキャ軍団で少し輝いている程度だった。
多分、自分と同じくらいの成績の、高3夏まで部活もやってて、クラスの人気者タイプが自分の入学した国立大に受かって、自分が落ちてしまうビジョンが死ぬほど怖かった。
その国立大で叶えたい夢とか進路とかそういうのはまったくなかった。
ただただ、その、落ちて負けたくない、周囲に後ろ指を刺される感じが嫌だというインセンティブで勉強していたと思う。
そもそも、文理選択のときすら、なんとなく〆切前日になって理系から文系にチェンジしたし、これが得意とか、あれが苦手とか、そういうものもなかった。
大学ではそこそこの体育会に入って引退し、まぁまぁの企業に内定を貰い、可もなく不可もなくな人生を歩むのだろうと最近何となく思う。きっと。
特に、親友らしい親友はこれまでできたこともないので、そのまま会社に入っても適当な立ち回りで、下の上くらいのポストについて、そのまま死ぬんだと思う。
全てが中途半端。
兄より勝っている所、それはペーパーテストの点数と学歴くらいだったが、社会に出ればそんなのはもうほぼほぼ関係ないだろう。
夢に向かってバイタリティあふれる人間と、夢のないただ漫然と生きている人間の差をいよいよ痛感させられる時が間もなく来るのだろう。
お菓子なんて興味もないし、そもそもそれほど好きでもないし、大学に進学するのが当たり前のそこそこの高校だったから、そんな選択肢はすぐ捨象してしまった。
小学生、中学生と振り返っても「将来の夢」というような作文が大嫌いで、書くことが最後まで思いつかなかった。
「俺はパイロットになりたいんだ」「私は犬が好きだからペットの関連のお仕事がいい」「水族館で働いてみたいなぁ」
なんでこんなことを周囲が平気で口に出すのかわからなかった。
夢を語るのが恥ずかしいと思っていた節もある。
夢なんて殆どのやつは叶わないんだろう、って冷めた目で見ていた節もある。
でも、22歳になって、夢があるってかっこよかったんだなって思う。というか、羨ましい。
夢のない小学生なんて、可愛くもないし、絶望している虚しい存在、俺が親なら心配するはず。
兄はいよいよ往路のゴールテープ目前。復路は建築士としての更なる飛躍の人生だろう。
公募推薦で大学に入った。都内の国公立大だ。夏休みのおわりに、受けようと決めた。予備校にもとくに行かず。家に金がないので、とりあえず受けて受かったら私大の受験料も浮くしいいなと思った。どうせ受からないだろうし、ということで担任と相談して、一般で受けようとしていたところの少し上を狙うことにした。結果、受かった。受かる気が0だったからネットでの合格発表の日にちも忘れて、見ていなかった。担任に受かってたよと言われた。そして合格通知が郵送されてきた。あれは驚いた。周りにバレると面倒だと思ったので、一般の人に混じって変わらず勉強していた。センターは、もと受けようとしていた大学はB判だった。今の大学はD判だったけど、向こうが勝手に選んできたのだと開き直って何の迷いもなく行った。二年目だけど今の所フル単。テストは正直余裕だった。嬉しい。推薦で入ったから不安だという人、大丈夫だ。英語と専門の基礎だけ勉強しておけば何の問題もない。
この前、受験のとき面接してくれた教授と二人で話した。私のことを覚えてくれていた。ロクに練習もしないで行ったので、口から出まかせを言っていたがバレていたみたいだ。面接は小論の内容の理解を見るのと、人格破綻者を落とすためにやってるから、内容はあまり関係ないのだと笑っていた。私の受け答えはそれでも覚えているような内容だったと。恥ずかしい。特殊な部活をしていたから「死にそうな目にあいましたが、おかげで命がかかった咄嗟の判断にも長けていると思います。今突然包丁を持った不審者がここに入ってきても、冷静な判断ができます」と真顔で言ったらしい(覚えていない)。勿論てきとうに言ったんだろうけど、それが特に先生のツボだったそうだ。推薦の面接なんて、案外こんなもんなのかもしれない。(この大学だけかもしれない)
推薦なんて正直まともな人間が入ってくる確率が少ないと思うので、大学側から考えたら今すぐやめた方がいい。こうやっててきとうな人間も入れてしまう。それでも大学側が続ける限り、それを享受するのだってアリだろう。大学での勉強はハイレベルな学校だけあってまぁ楽しいので私は感謝している。
推薦で入って今後が不安なやつ、付いていけないやつは、自分が悪いんじゃなくて自分なんかをとった大学が悪いんだと考えるといい。自分を責めると頭がおかしくなるから。バカキャラをやって、馬鹿にされながらも強請ってみんなに教えてもらえば、センターすらD判の私のようなやつでもフル単できるんだから。
みんな推薦を使おう。あんまり対策しなくても運が良ければ入れる。落ちて当然と思っておけば、メンタルもたぶんやられない。受けに行く二日ばかし無駄になるだけだ。きっと同じことをやるなら、少しでも上の大学の方がいい。気がする。私は実際、この大学に来られてよかった。本当に面白い教授がたくさんいる。
指定校は、周りにいなかったからよくわからん。AOはけっこう大変なのかも。公募推薦は学校にもよるけど倍率はそこまでじゃないし、高校でそこそこテスト勉強さえしてれば受験資格ゲット。
都内私立に入学して「大学教授」と呼ばれる職業の人たちと出会い、憧れ、あんな風になりたいと思った。どうすれば大学教授になれるのかと思い、職業ガイドみたいな本を読んで、博士号を獲らないとなれないと書いてあった。姉に話すと猛反対され、就職することにした。猛勉強をして新聞記者になった。給料は良かったし、いわゆる「社会的地位」も高い。どこへ行っても「記者様」扱いをされる。でも、この仕事に興味は湧かなかった。新聞記者になればどんな有名人にも会える。総理大臣にも会える。権力が好きな人に新聞記者は向いている。自分はそういったことに興味はなかった。偉い人に会いたいとか、有名人に会いたいとかそういう欲求が少なかったから、新聞記者の仕事に夢を感じなかった。出世することにも関心はなかった。組織の中で上に行くことにどういう意味があるのか、それで心が満たされるのかと言えば、そんな風には思えない。多分、自分は変人の部類に入るのかも知れない。いわゆる「お勉強」が好きだったし、多分「お勉強」しか向いている分野がなかったから、社会人としてのスキルとかそういうのは身につかなかったし、身に着けたいとも思わなかった(社会人失格とか、社会不適合とか言われれば、受け入れる)。多分、大学の自由な雰囲気が好きで、そこに身を置きたいという欲求だけが続いたんだと思う。
30代になって会社を辞めて「お勉強」する目的で海外に留学した。最初は語学学校で、そのあと修士課程に入って、博士課程に入って気づくと40代になっていた。博士号はまだ獲ってないし、お勉強と研究は別物なので、実はあんまり研究には向いていないのかも知れないけれど、博士論文のテーマは一応決まったし、想像していなかったようなきっかけで研究予算をもらえたので、「研究しなければならない」という逼迫した立場になったけど、研究については今まで怠けていたとも言えるので、自分を訓練するいい機会になったと思って毎日資料を読んでる。
留学を始めたばかりのころは新聞社の給料が良かったから貯金がなかなかの金額になっていて、それで賄えた。修士課程、博士課程では返さなくていい奨学金がもらえた。運が良かったと思う。今は奨学金はなくなって、貯金も底をついたけど、大学で非常勤で何コマか担当させてもらえるようになって、大学生と同じか、それよりもうちょっといい生活ができる。40代の収入としては笑えるほど低くて、普通の人なら絶対にやらないと思う。大学で大学生相手に仕事をしていれば、自分の生活水準が低くても気にならないから自分は収入の低さはあまり気にならない。非常勤の講師でも初めて講義をさせてもらえた時は感動した。自分が大学生だった時に憧れた職業の最底辺の隅っこの下座も下座とはいえ、入り込めたと思うと泣けてきた。あと、口座に「給与」が払い込まれることにも泣けてはきた。「給与」を受け取るのは、新聞社を辞めて以来のことだった。最近、担当するコマ数が増えた。体力的にはそれだけ厳しくなるけど、生活費は楽になる。大学生と同じ生活をするのなら、少し貯金できるかもしれないくらいにはなった。後で聴いた話によると、少子化なので今後は新規の採用はしない。とのことで、それでも時々辞める人はいるから、結果として今すでに隅っこに入っている自分に担当が回って来たということらしかった。運が良かったと思う。もうちょっと遅く博士課程に入っていれば、非常勤の講師にすらなれなかった。非常勤の講師はアカポスとすらも言えないくらいの立場だけど、自分はそれになれたということにやはり今書いていていても感動してくる。
40代の大学の非常勤講師といえば悲惨な人生の典型例のように言われる。無駄に高学歴で、驚くほど年収は低く、いつ切られるか分からないからだ。そういうのが悲惨で耐えられないという人は、大学院には行かない方がいい。理系は企業に雇ってもらえるけれど、文系博士は大学の教師になる以外に道は残されていない。文系の博士には「著述」という道はあるけど、著述はけっこうしんどい上にあまり金にはならない。それでもいいやと思える人にしか勧められない生き方だけど、自分は大学という場の雰囲気に馴染みやすいと思うから、それでもいいやと思える。教授様になれるとは思っていない。老後のことも分からない。ある人は「詰んでいる」と言うかも知れない。でもやっぱり新聞社にいるより、今の方がいい。姉の反対がなければ人生の途中で新聞社に就職することはなかったと思うし、それがなければ学問の世界のキャリアをもっと積むことができて、もしかしたら教授様も狙えたのでは...と思うこともある。でも、会社を辞めて自分の願望を目指したのは次善の策だったと思う。あと、新聞社にいた時は贅沢な生活はできた。でも、今の生活の方が自分の好きな空間にいられる分、別の意味で贅沢できていると思うし、美味しいものを食べたり、高い服を買ったりするのは若いうちにさんざんやったので、今はあんまりそういうことにも興味はない。贅沢は若いうちにやっておいた方がいい。年を取ると無駄に目や舌が肥えて来るので、無駄な贅沢をしてしまうと思う。若いうちに贅沢しておけば、飽きが来るのでちょうどいい。
今後のことだけど、取り敢えず博士号は獲っておきたい。その後のことは分からない。いずれ帰国したいとも思う。帰国してアカポスに就けるほど甘くはないと思うから、生き延びるという点では今の大学にしがみつき続けるのがベストなのかも知れないけど、もし切られたら帰国するしかないなあとも思う。帰国したらどうしようか...ということは全く分からない。先が見えないという意味ではしんどい生き方かも知れない。でもやっぱり、牛のようなのろい歩みでここまでやれたことは正直に嬉しい。
人から嫌われたくない・傷つきたくないと強く思うのも
お母様に報いたいと強く願うのも
自分を責め続けて朝まで眠れないのも
エネルギーがない人は落ち込むことすらできない。
(高校を中退した理由も、おそらくそのへんにあるのではないかな。
んでもって(こういう記事が投稿されるたびに言ってるんだけど)
ハタチ前後っていちばんエネルギーが高まる時期なんです、年齢的に。
普通の人ですら不安定になる時期なのに、君はもともとエネルギーが強いから
これはもう鬱にならないほうがおかしい笑
もう自分が生きる道はないのだと感じていることでしょう。
そしてそれが間違いであると、数年後に気づくことでしょう。
とりあえず、大学はべつに辞めてもよいです。生きてさえいればどうにでもなるので。
だけどせっかく入ったから、もうちょっと頑張ってみてもいいと思います。
そこは任せてしまいましょう。
同じように苦しんでる人と悩みを分かち合えるような
もし見つけられなかったら、またここに来て相談してください。
もう一人ではどうしようもない吐き出させて下さい。
変わりたくて、努力してきたけど変われなかった。もう俺はだめかもしれない。
勉強に対するモチベーションも、周りの自分よりも優秀なクラスメイトに付いていく努力も
2年も続かなかった。
長くなるし特定されたくないから詳細は省くけど、高校も中退している。
今の大学は、2か月の引き籠り生活の後、クズな自分を変えようと
自己啓発本を読み漁り、ネットの大海をさまよい、猛勉強の末何とか合格した大学だった。
合格を報告した際の、母の「自分に似なくて良かった(母は自分が大卒じゃない事を気にしていた)、自慢の息子だ」と
涙ぐみながらの言葉が忘れられない。
一流大学の学歴を得て、俺は変われたという自信と社会への繋がりを取り戻せるはずだった。
青春を捧げて合格した俺と違って、周りは部活の片手間や俺の半分の努力で合格してしまうような
優秀な奴ら、俺とはポテンシャルが違った。すぐに落ちこぼれた。
3年生になっても弾性係数の関係式も答えられず教授にやる気がないのなら大学を辞めて働いた方がいいとまで言われた
友達もできない。人と仲良くなりたいのに自分から壁を作ってしまう
人に嫌われるのが怖い。人にどう思われているか気になってしかたない。
大学で頑張る理由が見つからなくなった。俺は環境を変えても、この先ずっと独りなんだと思うと
目が覚めると夕方で、自己嫌悪と失意の中で自分をなじって朝まで眠れない日が続いた。
結局、高校の頃から何一つ変わってなんかなくて俺はクズのままだった。
留年すると奨学金も授業料免除もなくなる。女手一つで俺を育ててくれている母にただただ申し訳ない。
俺が死ぬと母を死ぬほど悲しませてしまうだろうし、それは20年間ダメ息子を育ててたくれた報いとしてはあんまりだと思ったから死にたくはない。
父と兄にどんどん似てきている気がする。
2人とも人付き合いが得意なタイプじゃなくて、孤独で陰鬱とした性格だった。
これから俺は母にこの件について話して、母を悲しませて、そして許して貰えるだろう。
後1年、頑張って卒業しなさいと言ってくれるだろう
人生の夏休みって言われる大学でもこれで、耳タコで聞いてきた厳しい社会人として生きていく自信がない。
とんだ甘えた野郎だと自分でも分かる。嫌いな人間のトップ2は高校時代の俺と、そして今の俺だ。
もう早く楽になれたらと思ってしまう、もう大学は辞めるしかないのだろうか?
こんな愚痴、2chでは死ねって言われるだろうし、知恵袋では罵倒されて終わりだろうと思い
理系や、同じような性格とか経験をした人生の先輩が多そうなはてなでなら色んなアドバイスや、叱って貰えるのではと期待してダラダラと駄文を書いてしまいました。
最初はとんでもない長文になってしまったので、読んで貰えなそうだと思ってかなり省きました。
(追記)
トラバに返信しようかなと思ったら、想像の10倍近いコメントがあってたまげました。
トラバもコメントも全部読みました。こんなうじうじした増田に優しいお言葉を沢山、ありがとうございます。厳しい意見もお叱りもご尤もだなと思えるものばかりですし、
URLや大学の相談に乗ってくれるサービスの紹介もありがとうございます。勇気を出して行ってみようかな。
自分と同じような経験をした方の話も、留年を乗り越えた先輩の経験談も励みになります。
休学して学費を貯めてから復学するという選択肢は思いつきませんでした。(休学中は学費掛からないんですね)
こんな精神状態になる事は、1年生の頃から何回もあって、その度になんとか乗り越えてきたんですけど、
今回は、もう立ち直れないんじゃないかってくらい落ち込んでしまって、ヤケクソになって書きました。
まだ何も解決していませんが、昨日よりは随分マシな気分です。
最初はその日の気分とかを一行二行書き殴ってハイおしまい、といったような使い方だったが、そんな駄文以下の文字列にでもコメントをくれる人がいるもんで、コメントをもらうと嬉しくなってくるのが人情である。扇動による木登り速度が豚よりも速いと評判の俺はすぐさま調子に乗って色々書き始めた。
だが、俺自身にはさしたるバックグラウンドがない。名家の出身だとか、幼少期に大事件に巻き込まれたとか、大病を患ったとか、同級生にスゴいやつがいたとか、猛勉強して東大に入ったとか、その手の「他人とはちょっと違う体験」などが、圧倒的に無かった。
そうなると自分語りのネタなぞ三日やそこらで尽きる。かと言って創作増田を書けるような文才もなく、「〇〇と言えば」系のお題も思い浮かばない。そもそも他人が下着のことをパンツと呼ぼうがパンティーと呼ぼうがどうでもいい。
だが承認欲求は満たしたい。そんな浅薄な俺が選んだのは「自作自演」だった。互助会も魅力的だったが、いちいち他人のブログをチェックしてコメントを残さないといけないと知って止めた。
俺が増田を投稿する。その増田に俺が返信をつける。さらにその増田に俺が返信をつける。そんな事を繰り返していくと、ブコメやスターがチラホラとつく。「おああーーーっ。あーっ。いけない。いけないやつだこれ。」などとコメントするだけで800以上のスターをもぎ取っていく大物ブックマーカーからすれば、俺の自作自演につくスターやブコメはまさに塵芥に等しかった。自作自演してその程度だったが、それでも俺は結構満足していた。
変化があったのは先週だ。いつものようにクソ下らないやりとりを増田で自作自演していた俺のスレッドに、全く関係ないやつが割り込んできたのだ。
はた目から見れば、おかしいことなど特にないように見える。だが、そのスレッドのアホみたいなやりとりをしているのは、俺と、誰かも分からない奴の二人だけなのだ。しかも俺の書き込みが大半を占める中、「俺ではない何者か」の書き込みは1件だけ。
例で言うと、ちょっと前に「零戦が飛ぶのが不快」っていうホッテントリがあったと思うが、あの長いやり取りをしているのは9割俺で、たったひとつの書き込みだけ「俺ではない何者か」っていう状態である。
いや、確かに今までも自作自演エントリ中に俺以外の奴が書き込んでくる事はあった。ただ、今回の書き込みは、何と言うか、その・・・俺のことを知っているんじゃないかと言うか、見られてるんじゃないかと言うか、自作自演がバレてるんじゃないかと言うか・・・。単純に言えば、気味が悪かった。シュタインズゲートってゲームの中で、主人公がいきなり「お前を見ているぞ」ってメールを受信する場面があるが、今俺が抱いている感情はあの場面に近い。
この前の土日は、「えっ、もしかして自作自演ってバレてる?って言うか、俺の個人情報漏れてる?って言うか、俺の住所知ってる?」などの考えが脳裏をよぎりつつ、不安と恐怖に苛まれながら週末を過ごしていた。
そういう事を考えているうちに、ひとつの映画が思い浮かんだ。表題にある「トゥルーマンショー」だ。この映画を知らない人向けに簡単に説明すると、映画セットの中で何も知らずに暮らしている男の話だ。男は普通に人生を謳歌しているが、実は無数の監視カメラで24時間撮影され続けており、その様子は全国放送されている。家も、街も、友人も、妻さえもすべてが造り物であり、男だけがその真実を知らない。
映画の続きが気になる方は直接本編を見てもらうとして、ここでは俺の抱いている不安の話だ。一瞬でも「もしかすると、はてな匿名ダイアリーにまじめに投稿しているのは俺だけで、俺以外の増田は全部はてな運営が書いている」「俺の個人情報は全国に晒されていて、俺が増田に投稿すると通知が飛ぶ」「それを見た一般大衆は『またクセエ自作自演してるな』とニヤつきながらスマホやディスプレイを眺める」といった場面を想像してしまうと、もう脳裏にこびりついてしまって振り払う事ができない。
少し前の俺なら、「そんな事あるわけねえだろ」とタカを括っていられたが、あのエントリが、あのコメントが、あの増田が、俺を呪縛から解き放ってくれない。あれは絶対に俺の事を知っている奴にしか書けないコメントだ。
昨日は会社のPCで仕事そっちのけで「増田 正体」「はてな 自作自演」とかのキーワードで検索していた。だが、俺の知りたいような情報は一切ヒットしなかった。当たり前だ。このPCも監視されていて、俺に都合の悪い情報は遮断されているに決まっている。昼休みに、同僚にスマホを借りて同じようなワードで検索してみた。こっちでもヒットしなかった。クソ、手が込んでるな。だが俺は見た。俺が「スマホを貸してくれ」といった時の同僚の怪訝な顔を。いけしゃあしゃあと「いいけど、何に使うの?」等とのたまっていたが、お前のその怪訝な表情は一切隠せてないからな。しかし今思えば、あれは失敗だった。俺が世界の謎に気付いているという無用な情報を渡してしまっただけではないのか。いや、どうせPCの検索履歴から過去の女性経験から全部赤裸々になっているんだ、今更引き返せない。
決意して、上司のLINEに「申し訳ありませんが、本日より2日~3日程度有休を頂きたいのですが、よろしいでしょうか」と送ったのがついさっきだ。上司からは「えらく急だね。いいよ、了解」というすっとぼけた返信が届いたが、そんな態度でいられるのも今のうちだからな。俺は必ず世界の真理、人類の根源、至るべき場所に到達してやるからな。これはこの増田を見ているお前たちへの宣戦布告でもある。首を洗って待っていろ。
私には憧れの女性がいる。彼女は仕事が出来て、学があり、身なりもきちんとしている、ものすごく立派なキャリアウーマンだ。
一方の私は、仕事は普通で、学もなく、身なりは気をつけているけれどもブランド物の服は持っていない。
時々思う。なぜ、私は彼女ではないのだろう?と。
私は貧しい家に生まれた。うちは貧乏なんだから我慢しなさい、と物心ついた頃からいつも口すっぱく言われていた。
ご飯は少なく、着るものも誰かのお古で、本を買ってもらうのは絵空事でしかなかった。
それは、都会の大きなビルでバリバリ働く女性になって、一生仕事を続けるんだ、という夢だ。
田舎に生まれた私にとって、大きなビルは摩天楼、そこで働く人は天上人のようだったのだ。
けれども、そんな夢を叶えるには何が必要なのか、私にはわかっていなかった。
私の学校の成績は悪かった。両親からも勉強しろと言われたことはなかった。そのまま勉強せず、中学の同級生のほとんどが進学する地元の不良高校に進学した。
高校では中学からの持ち上がりの友人たちとバカやって楽しく過ごした。
そして就職用の進路指導が始まり、先生にどんな仕事がしたいのか訊かれた。
そこで私は、子供の頃からの夢を語った。都会に出て、大きなビルでバリバリ働ける仕事がいい、と。
私はその夢を非現実的なものだとは思っていなかった。高校を卒業したら働くというのは私にとっての現実だったし、ならば都会のビルでキャリアウーマンになるのがいいと思っていた。
お前の成績で大学に行くのは無理だ、と言われて混乱した。
私は大学に行きたいんじゃなくて働きたいのに、なぜ大学のことを言われるのかわからなかった。
そう言ったら先生は、なんだか可哀想なものを見るような目でこちらを見て来た。
そしてこう言ったのだ。
「都会の大きなビルでキャリアウーマンになりたいんだったら、勉強をしていい大学に行かないと無理なんだよ」
と。
私はその言葉にものすごくショックを受けた。そんなこと、誰も教えてくれなかった。
私の夢は働くことで、そりゃお医者さんや先生になるには勉強をしなくちゃいけないけど、そういう特別な仕事以外は普通にしていれば成れるものだと思っていた。就職をする段階で、普通に都会の大きなビルの会社を選べばいいだけだと思っていたのだ。
家に帰ってから、そのショックを素直に両親に話した。そうしたら両親はこう言った。大学に行かせるようなお金はない、働くなら都会の大きなビルじゃなくてもいいじゃないか、と。
一旦はその言葉に納得して布団に入った。けれども、どんどん納得しきれない思いが生まれて来た。小さな頃からの夢がこんなことで叶わなくなってしまうのは許せない、そう思った。
誰も教えてくれなかった、誰も学歴が必要だなんて教えてくれなかった、学歴なんて意味がないという言葉は嘘だった。
幸い高校に入ってからバイトして貯めたお金がそこそこあったから、入学代にはなりそうだった。後の学費はバイトと奨学金でなんとかすればいい。
そして猛勉強を始めた。進路指導の先生は親切で、今まで勉強をしてこなかったバカな自分に、たくさん勉強を教えてくれた。どのくらいの大学に入れたら大きな会社に入れるかの相談にも乗ってもらった。その大学に入るには、何を勉強するのが効率がいいのかも教えてもらって、私は言われたことをひたすら勉強した。
その猛勉強の甲斐があってか、奇跡的に現役で大学に受かった。うちの高校では、このくらいの大学に入るのは数十年ぶりのことらしかった。
とにかく嬉しかった。あとは無事に大学を卒業すればいいだけのはずだった。
両親が言っていた、大学に行かせるようなお金はない、というのは本当のことだった。だから、奨学金に申し込み、バイトをいくつか掛け持ちして、なんとか大学に通っていた。
でも、大学に入ってとてもびっくりしたのは、周りの人がとてもお金持ちばかりに見えることだった。
身なりがきちんとしていて、親から仕送りをもらって、学費も払ってもらってる。
子供の頃、親に「うちは貧乏だ」と言い含められてもどこか信じていなかったが、大学の同級生達を見ると、その言葉が本当だったのだと思い知らされた。
特に、学祭のミスコンに出ていた同級生はとてもキラキラして見えた。
私はこんなに苦労しているのに、この差は一体なんなんだろう?そう思うと勉強もあまり手につかず、私はどんどんひがんでいった。
そんなある日、事件が起こった。バイトで結構大きな怪我をしてしまったのだ。大学は休学せざるを得なくなった。
それだけで詰んだ。
大学は休学するのであっても学費の納入が必要だ。でも、怪我のせいでバイトにはいけない。奨学金も休学中には出ない。
だから、退学せざるを得なかった。
後には、奨学金という名の借金と、叶わなくなった夢のカケラだけが残った。
怪我が治っても、私は無気力だった。今まで一体なんのために、そんな思いが心を支配していた。
だから、とりあえず誰にでもできそうな仕事に適当に見つけた。そして毎日の仕事と、毎月の返済日には虚しくなるのを繰り返していた。
大きなビルのメール室を回って、荷物の授受をするのが仕事になった。
子供の頃に憧れた都会の大きなビルに足を踏み入れる機会をついに持った、と思いはしたが、それを無邪気には喜べないくらい私は消耗していた。
それに実際仕事を始めて見ると、配送屋というのは大きなビルの裏口から出入りさせられるのだ。
でもある日、私は再会してしまった。
大きな封筒を持って慌ててメール室に飛び込んできた女性は、大学時代にミスコンに出ていた同級生だったのだ。
彼女は、もう帰ろうとしていた私に、これもお願いします、と大きな封筒を差し出してきた。
私の顔は覚えていなかったらしく、それだけで去って行った。
私は思わず、私はその会社のメール室の人に、今の〇〇さんですよね?と訊いていた。
メール室の人は、よく知ってるね、優秀なので有名な人だよ、と答えてくれた。
どこで知ったの?と訊き返されたけれど、昔遊びに行った学祭でミスコンに出てて綺麗だったから覚えてた、とだけ答えた。
同じ大学にいたんだ、とは、なぜか言えなかった。
ビルから出るとき、普段はしないけれども正面口にちょっと回って、ガラス張りの高いビルを見上げた。
これは子供の頃に夢見ていていた大きなビルそのものだ。そこで彼女はどんなふうに働いているのだろう?私が夢見た通りに働いているのだろうか?
そして考える。なぜ私は彼女ではないのだろう?と。
最初から何もかも違っていたとは思う。それでもいっとき肩を並べたはずなのに、またこうして何もかも違ってしまった。
でも、最初から何もかも違っていたのはただの運の問題ではないのか?
けれどもそうはならなかった。そうはならなかったんだよ。
追記
皆さんありがとうございます。お陰様で、2人の方とメールをすることが出来ました。
id:houyhnhmさん、自分はあまり多数で話すことが得意ではありませんが、お時間の合う時がございましたらいつでも参加させていただきたいです。
読んでくださる方も多くて、嬉しいです。
http://anond.hatelabo.jp/20161017031727
ふと今日思い出して、あの記事消そうとしたのですが、意外にコメントやトラックバックが多くてびっくりしました。
反応遅くなってすみません。この記事を見ている人は少なくなっていると思いますが、自分は食い詰めることもなく、ちゃんと生活できていること、またコメント等が励みになったこと、その感謝について伝われば幸いです。
あの記事は、当時不安が募り、耐えきれなくなったので吐露したものであり、この生活でも良いことはあると今は思っています。
コメント等を読んだ時、凄いドキドキしました。励ましの声も、社会に出た時こういう人たちが周りにいるかもしれないと希望が持てるようになりましたし、何より実体験や少しでも現状を和らげれるお話なども聞けて良かったです。その節はありがとうございました。
大学は、単位を落とすことなく奨学金を打ち切られることもなく、少々問題は起こりましたが、通うことは出来ています。これからは、一般教養だけではなく、より専門的なことを学べるのでワクワクしています。
国立なら学費免除制度があって、家が生活保護レベルなら全額免除になるし、格安の寮がある場合もあるから、苦学ってほどでもなくなる。 国立ならだけど
自分は普通科ではなかったので、国公立に挑めるほどの学力がなく、また3月まで結果を待てる心を持っていませんでした。
なので、大阪の情報を学べる私立の大学に入学しました。学生寮の申込みをしましたが、遠方から来る学生に向けたものだったのか、抽選に落ちました。
これは変な話なのですが、「生活保護だ」という話をあまり外でしたくないので、打ち明けられていません。ただ、親の収入が0で自活しているという話は通っています。
生活保護への風当たりは強くて、久々に会った幼馴染に生活保護の批判をされたときもちょっと複雑な気持ちになりました。
http://anond.hatelabo.jp/20161017101740
ありがとうございます。自分は現在その学生支援機構の奨学金、無利子有利子ともに受けています。機関保証ですが、借金になってしまうため、最低限学費だけに抑えています。
幸いなことに、1件だけ給付型の奨学金を受けさせていただいています。10月の不安が、この給付型奨学金の継続条件であり、「優の数が、良+可より多いこと」でした。なんとか今年は継続条件をクリアすることが出来、更に給付額も3万円から4万円にあがりました。
自分の将来したいことへのド直球なアドバイスありがとうございます。努力すべき道がこんなにも明確になると、目的意識が湧き励みになります。
こちらの学生部の対応もあまり良いとは言えないです。(その中でもいい人に出会うことは出来ましたが…)
一応高校の頃にWebサイトの制作や、画像加工が趣味でやっていました。高校のパソコンのセキュリティが甘く、割と自由になんでも出来たのが幸いでした。
Adobe製品では、Photoshopとほんの少しだけIllustratorが使えます。
http://hibiki317.hotcom-web.com/wordpress/
現在パソコン部に所属しているので、これからは言語を授業で学びつつ開発をやってみたいです。(サイトも写真やロゴ以外は大抵借り物なので、中身も作りたいです)
休学は奨学金打ち切りや、就職に影響が出ると思いやっていません。
親戚漁ったら1人ぐらい大学の資金援助してくれる従兄なり叔父なりいたりすんじゃないかな。無担保無利子借金でもいいや。ちょっと独力でなんとかしようとしすぎなんでないの
親父に頼ってみるのも手
生活保護の基準として、(自分の地域だけかもしれませんが)金銭的に頼れる人がいたらダメなところがあり、祖父母を始め、父親とも交流を絶つ状態です。母には兄弟はいません。
仮に祖父母や、父親と交流があっても、祖父母は自分達の生活でいっぱいで、泊まらせてくれることはあっても、資金の援助は厳しいです。
父親に至っては、借金の大もとであり、この前死んでるか実名でググったら殺人未遂の被害者になっていました。(再婚しており、17歳下の腹違いの弟もいました)。多分、未だに怪しい商売で借金を重ねているのだと思います。
大学へ行った理由が、「高卒では、就職の幅が狭い」ということで、自分がしたいと思っていたIT系から離れないといけないこと(単純に能力がなかったり、精神的に携われなくなる)を考えた末の結果でした。
アルバイトは時給の良いスーパー等です。しかし、コメントで言われるように、自分がその働いている時間をもっと有効に使えるのではないかとずっと思っています。IT系のバイトを探しているのですが、大阪では、実務経験を問うバイトが多く、まだ手に職をつけていません…
「家賃光熱費食費で7万」というのは家賃が高すぎるから。家賃は3万円以下にしろ。こういう学生って、たいてい都心に住んでいるんだよね。ぜいたくすぎ。家賃を下げよ。 http://suumo.jp/chintai/tokyo/sc_itabashi/
家賃は2万弱です。ただ、日当たりが悪く、重ね着しても尚寒い季節だったので、ガス代電気代が嵩んでました。これからの季節はマシになると思います。通信費が一番の問題ですが…
何のバイトなんだろ。「10万も」っていってるけど。大学生の頃、カテキョとか塾講で毎月手取り10~15万ぐらいだったけど。奨学金と合わせたら就職した方が自由になるお金が少なくてショック。(福利厚生
お恥ずかしい話なのですが、自分は小学生時代の離婚と転校で病んでいて、中学校は3年生になるまでまともに行っていませんでした。3年生で猛勉強をして、偏差値50の高校に行ったのですが、義務教育の殆どを教えれる自信がなく、塾講ができませんでした。
優秀な弁護士やケースワーカー経由で福祉を頼れ。若者支援団体でも可。 間違っても、ちょっと前に炎上したようなセミナー(マルチとかアフィとか)には行くな、殺されるぞ!
ちなみに僕は、春学期に仲良くなった子にマルチを勧められたことがあります。
そのせいで、その授業を一人で受けていたので、経済政策の授業だったのですが、身の入り方がまるで違い、めちゃくちゃ楽しかったです。
福祉、とは言えるのかわかりませんが、市から補助金が月に1000円ほど出る手紙が来たので、直接市役所で聞きながら受けてみたいと思っています。
変な親…。貧乏なだけかもしんないけど。
母はうつ病なので、他人には理解できない考えもあるかも知れません。本気で辛いこと言われたり、何度も喧嘩もしました。
離婚した当初、他の人との再婚の話も出たそうなのですが、親に捨てられると思っていたので、全力で拒否しました。
そのせいで、現在までも貧困の問題などを抱えたり、親の伴侶を得る機会をなくしたこともあり、今までお世話になった親の面倒もしっかり見れるぐらい金銭的に不自由なくしたいと思うようになりました。
当然、自分の子供にはこういった思いをさせたくなく、より良い幸せを探したり、色んなことに挑戦させて、失敗を恐れない人になってもらいたいです。
実際に今も癒えない傷は心だけではないですが、それでも親について考えるのは、いざとなった時話を聞いてもらったり、今でもたまにご飯も一緒に食べたりもしますし、同居していたときより仲良くしていています。
話をしている時、母も姉も生活保護ではなく自立したいという話があり、再就職に不安なことなどを聞きました。
母は、障害者2級、姉は3級です。将来の話を聞いていたら、一番多く親子喧嘩になっていた自分に「うつ病を長引かせている原因は自分ではないか」と思う節があり、そういう意味で自責の念があります。(姉に関しても、自分と親のそういう面で、親に何も言えなかったんじゃないかと思います)
大学に行かせてもらったのも、入学金が借りられないため親のお金でしたし、恩があります。
変な家庭かもしれないですが、喧嘩していないときはどこの家族より仲がいいと思います。
この家族のためにしたいことはたくさんあります。それに自分がしたいこともたくさんあります。不登校の頃、NHKの白熱教室を見ていて、大学の授業を受けたかったし、就職の不安を拭いたかったこと、些細ではありますが、学生らしい生活を送りたかっったこと、色んな気持ちで大学進学を志しました。
自分勝手で未熟なところもあり、この生活に愚痴をこぼすこともありますが、この匿名ブログだけに抑えているので許してください。
資格の話ですが、これを取れば少しでも世界が変わるんじゃないかと思っていただけに、「あまり必要ない」「会社に入ってからでも大丈夫」という声が多かったのが、驚きでした。
ご飯をご馳走してくれる というコメントもあったのが、嬉しかったです。申し訳ないのですが、自分は大阪市民なので、東京に行くのは18切符のある時か、就活の始まるころだと思います。
厚かましいですが、その時ご馳走していただけたら幸いですww
また、年上の方の話を聞くのが好きなので、仕事の大変さや面白さ、家庭を持ったときの気持ちや学生時代のお話なども聞きたいです。
重ねて不躾なお願いをいたして申し訳ないのですが、こちらのメールで連絡を待っています。
hibik@me.com