はてなキーワード: クラスメイトとは
直接的な話題継続じゃないんでツリーにぶら下げないで書く。道を歩いてて不意に「ブス」とか「キモ」って呟く事例ってのは確かにあるんだろうけど、そもそも割合としては少ないんじゃないのかな。
一般的に言えば、知人友人顔見知り程度の複数人が集まった環境で(たとえば学校の同性のクラスメイト数人が集まったような)、その参加者が認知を共有している異性の第三者を、品評する――というのが、プラスであってもマイナスであってもセクハラ的な他者評価の現場としては多数なんじゃないかと思う。
1)男性の集団が(その場に居ない)女性を取り上げてプラスの評価する「あいついい女」
2)男性の集団が(その場に居ない)女性を取り上げてマイナスの評価する「ブス死ね」
3)女性の集団が(その場に居ない)男性を取り上げてプラスの評価する「彼って素敵」
4)女性の集団が(その場に居ない)男性を取り上げてマイナスの評価する「キモい死ね」
こう4種分類したところで思ったんだが、そもそもそれ以前の段階で、女性の方がコミュニケーションが密だから割合は大差なくても絶対量として3と4が多いだけなんじゃないかな(なお、当方男性だし主観です)。男性でも女性でも個人として呟くとなると全然大差ない割合に思えるんだけど、集団となると女性の方がそういう他者評価を日常的にしているような気がする。
(個人的にはすれ違いざまに相手の容姿をけなす発言とか、もはやある種の辻斬りとか、テロだと思うんですけお……)
男性として2の発言はすごく気を使う。というのは別にその女性に気を使っているわけではなく、今話している参加男性の趣味によって2だと指定した女性は全然好みのタイプだということがありうるからだ。この辺宗教の話をしているのに近く、地雷を避けるという意味でそもそも話題選択から外れる。
1も別の意味で気を使う。日常をかなりべっとりと過ごす親友とかならともかく、知り合い友人程度のコミュで1を話すというのは「その女性を狙ってる宣言」になりかねないので。この件に関しては男性がみんな自意識過剰だといえるかもしれない。
なんにせよ1+2よりも3+4の絶対量のほうが多いように感じるな。
国語は90点くらいで数学英語20点、理科社会は単元にもよるが60点くらい、みたいな感じだったな
国語だって無勉強で90点取れるわけじゃないし社会理科だって予習しないとまずい
全然分からなくて苦痛で何時間かけても1問も解けない数学の応用問題なんかにテスト勉強の時間は使えない
当時我が家には「テレビを見ながら勉強をするな」「早く寝ろ。本当は9時に寝るべきであるが中学生になったのでまあ10時くらいで勘弁してやろう」という掟があったので
勉強時間があまり取れず、どうしてもやりやすい教科が優先だった
数学の提出物は未提出、分からないところはほったらかし、黒板に書かれたものをノートに写すけど意味はまったく理解できない
宿題やりながら夜中にボロボロ涙が出てきて、泣いてるのが親にバレて、数学ができないこと、めそめそ泣いていること、夜遅くまで起きていること、分からないのに質問しないこと等諸々が気に入らない親に詰られた
自分はキチガイで馬鹿なんだ、頭がおかしいんだ、って思ってたのになまじ聞き分けがよくて国語の点数がいいから担任は「増田さんは勉強が得意で賢くて……」なんて言って
明らかに数学と英語の点数がやばいのに誰も問題視しなかった。成績を知っているはずの担任ですらそうだった
そうは言っても頭が悪いのは事実なのでもう普通の高校には行けないから、と底辺高校を受験した
その時も先生たちは「何で増田さんがこんなところを受けるの?」「増田さんは心配しなくても余裕で合格だよw」みたいな態度だった
無事合格し、
底辺高校は荒れてたクラスもあったけど自分のところは平和で、自分より勉強が苦手な人がゴロゴロいて、相変らず数学や英語は苦手だったけどテスト内容は中学の時よりだいぶヌルかったから
信じられないくらいいい成績をもらって、無名の大学に進学した。クラスメイトは短大や専門学校に行く人が多くて、4年制の大学に進学した人は少なかった
最近、ちょっとした印刷物があって○種類のチラシを○人分刷るから、えーっと……、あれ?と簡単な掛け算もできなくなっていることに自分でドン引きした
また毎月予定表を作っているのだが「○月(英語表記)」と書こうとして、1月が英語でなんて言うかまったく思い出せなくてググった
勉強ができなくて困ることは多いが今更どうしようもない
この2年ほど仕事の処理能力が徐々に落ちてきて、この数ヶ月は不眠や不安感をはじめとするうつ症状が続いているので、8年ぶり二回目の精神科通院をしている。
日頃感じている生きづらさの原因がわかるかもしれないよ、と医師の勧めで大人向けの知能テストのWAIS-iiiを受験した。
この検査は単語の意味を答えたり、積み木で模様を作るパズルや、口頭試問での算数問題、記号を素早く書き写す事など14種類のテストがあり、
それぞれの数値から、言語能力や物事を分析する力、ワーキングメモリと処理速度などを数値化する事ができる。
それらを4カテゴリーに分け、各カテゴリーの数値に15以上差があると低い能力が他の能力を引っ張ってしまうので、困難を感じやすいらしい。
特にアスペルガーやADHDを発見するのに有効で、カテゴリーごとのIQの差を見る事で得意な事や苦手な事を知る事ができるので、自分の特性を知る手がかりとして受験をした。
告げられた結果はIQ130で、これは非常に優秀と区分とされるらしい。130以上の人間は全人口の2~3%を占めており、クラスに1人居る程度なのでこの数値はそこまで特別ではない。私のカテゴリー毎の差は最大で(言語理解>処理速度)が30程度あったが、全ての数値が平均より上なので問題ないでしょう、という事で発達障害の診断はされなかった。担当医を信頼しているのでこの判断に不服はない。
けれど、この検査の結果には正直裏切られた様に思う。
問題は、自分は大抵の人よりも能力が低いと普段から感じて居る事だからだ。
職場や普段から接する人々、小学校時代の同級生に至るまで、周りの人は何故こんなに物分りが良く、ワンフレーズで会話を進める事ができて、一度受けた説明通りに動く事ができ、人の顔や名前を簡単に覚え、暗黙のルールを知っているんだろう。とずっと悩んでいる。
教師が全体に指示を出した時にクラスメイトはすぐに行動を始め、何をしたら良いのか分からない私はいつも周りの人がしている行動を真似て、ワンテンポ遅れてついていくのがやっとだった。
電話や窓口で、自分の要望や要求を伝えたい場面ではとっさに一言が出てこないので、いつも頭の中で予行演習を行ってから人に話しかけている。
目の前で起きている事を見聞きしていると、頭の中で今後起きる事の可能性を考え始めたり、選択肢の分岐が勝手に枝分かれを始め、頭の中のレイヤーが多層になってしまい、目の前の出来事に覆い被さっていってしまう自覚がある。
いつも心が散歩気味なので、車の運転が出来ないし、よく物を壊したり、見落としたりする。
IQはただの指標の一つで、パソコンのスペックの様な物だと思う。これは私のアイデンティティや人格、創造性を証明するものではない。
道具は使い方次第で活かし方が変わってくるので、扱う人が成し遂げたい事の目標をしっかり持って、心を折れずに取り組む粘着性が何よりも大事だと思っている。
私の場合は、目の前の情報が多すぎるといつも感じているので、持続性を持って取り組むのが困難だ。
勉強を始めると瑣末な事に注目したり疑問が湧いてきて、横道に逸れて考え始めてしまうので取り組む速度は遅い。
ひとつの事を終わらせるのに体力も時間も消耗して疲れてしまうため、投げ出し癖が強く、学業や仕事において特別な業績を残せていない。
けれど周りから優秀な人だと言われる事が多く、何か一つの事や分野に集中すれば結果を残せるだけの能力がある。と言われる続けると、普段の生活を送るために、周りの人の"普通"に合わせる事にいっぱいいっぱいな私はどうしたら良いのか分からない。
例えば解像度の低い写真があっても、赤色の丸い形の物という情報が分かればリンゴだと判断できるだろう。
より高精細に見る事ができたとしても、表面のテクスチャーがどうとか、そういう判断や処理に重要でない微細な部分に注目してしまって頭が疲れてしまうだけなんじゃないかと思う。
目盛りが細かすぎる定規は物を測る時に見づらいし、刻みのスケールが大きい方が見やすいと思っている。
自分にとっての生きやすさとは、微細な差異を見極める事ではなくて、大雑把に物事を大きく捉えられる見方なんじゃないかなと思っています。
どうしたら細かな事や重要でない事を無視して物事を捉え、一つの事に取り組む粘着性を手に入れられるのかな、と自問自答している。
この投稿は検査の結果を誇りたいために書いたのではなく、道筋を考えるための情報を手に入れようとしたのに、その結果に自分はまた悩み続けてしまうのだなぁ、という気持ちを残したくて書きました。
最近、深夜に起きているとよく流れているCMがある。それがこちら。
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『キリン 午後の紅茶』「あいたいって、あたためたいだ。17冬」篇
https://www.youtube.com/watch?v=n2ii6Vyv5ME
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最初は何気なく聞き流していて、「きれいな声だな」とか「スピッツの曲だっけな」とか、ふわっとした感想しか持っていなかったのだけど、よくよくCMを見てみると妙な違和感を覚えた。何だかこう、脳裏がざわつく感じがしたというか。
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CMの流れとしては、以下の通りだ。
・夕暮れ時。田舎の駅で電車を降りた女子高生が、ホームの自販機で午後の紅茶(ホットミルクティー)を買う。そのまま帰り道を歩く。
・歌いながら帰り道を歩くうちに、星の見える夜になる。立ち止まって、空を見上げる。
・東京のどこか。高架を走る電車を見上げる、厚着の純朴そうな青年が映る。片手にはスーツケース。
・再び女子高生。星空の下のあぜ道でスピッツ「楓」のサビを歌い続ける。
・女子高生が鼻をすするカットの次には、青年が「会いたい」と呟くカット。
・「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーとともに、商品の大きな画像。ここでCMは終わる。
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シーズン的には「大学入学をきっかけに地元を出る青年と、彼を田舎から見守る女子高生」を示唆していると思う。「楓」のサビは「さよなら 君の声を 抱いて歩いていく」だが、映像からすれば「さよなら」して「抱いて歩いていく」と宣言しているのは女子高生だし、「君」のフレーズで映るのは東京に降り立った青年だ。とすれば、二人の境遇はそう考えるのが妥当だろう。
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CMの終盤、歌声だけがフェードアウトして「会いたい」と呟く青年の声に被さるくらいの勢いで「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーが続くことでノスタルジーを演出したいのだと思うのだけど、私はそう受け取ることができなかった。おそらく冒頭で述べた「違和感」のせいで。
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その違和感を簡潔にまとめるとすれば、「別に男だけが田舎から『外(敢えて都会とは言わない)』に出るわけじゃないじゃん?」ということになる。
※ここでは「女子高生は後輩であり、青年のほうが先に大学生になったのでは?」という単純な疑問はここでは置いておくとする。論点から逸れてややこしいから。
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何故そう思うかって、私自身が「田舎から『外』に出た女」だからだ。「外」に出て、もうすぐ3年ほどになる。
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私の出身はとある片田舎で、田んぼと畑と幹線道路に囲まれて育った。このCMに出てくるほどの田舎ではないが、まあたぶん「田舎」と形容して差し支えないだろう、くらいの田舎。どのあたりが田舎なのかと訊かれればいろいろと答えられそうだけど、特筆すべきは「保守的で閉鎖的」なところだと思う。
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それを自覚したのは高校生の頃だった。元々県外への進学を希望していた私は、模試で記入する志望校欄に地元の大学を頑なに書かなかった。けれど、当時の担任は「第5希望でも第6希望でもいいから『とりあえず』××大学(地元の国立大)か△△大学(隣県の国立大)って書いとけ」と再三念押ししてきた。
最初は不思議に思っていたが、周囲の友達に志望校を訊くと、決まって「『とりあえず』××大学か△△大学かなあ」と返ってきた。その答えには男女差がなく、受験期になると滑り止めの私立がどこか訊いても県内の私大や短大の名前を返されることが多くなった。
そもそも地元国立大信仰が強い傾向があって、それもある種のムラ社会の名残のようなものなのかもしれないけれど、だからってみんながみんなして目指す必要なんてなくない? というのが私の持論だった。模試にも進路希望調査にも地元国立大の名前は最後まで書かなかった。
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その後、私は第一志望ではなかったが県外の大学へ進学が決まり、地元へは長期休みと年末年始だけ帰省する生活が続くこと、1年と少し。「成人式出る?」「同窓会出る?」といったLINEが送られてくる季節になっていた。中学校単位で開かれる成人式と、高校の同窓会。どちらにも出席はしたが、金輪際同窓会には行かないなと思った。単純に「合わない」と感じたからだ。
私が県外の大学に行くことは仲の良い友人たちくらいにしか伝えてなかったとはいえ、それ以外の「それなりに仲は良かったが連絡をしていない」人や、「元クラスメイト」ぐらいの人たちに会うたび、「いまどこにいるの?」と訊かれ続ける。「○○大学ってところ」と愛想笑いで答えるのにも骨が折れた。
久しぶりに会ったのだから普通の質問だと思うかもしれないが、そうじゃない。田舎は閉鎖的だ。普通に暮らしていれば、どこかで知り合いに遭遇するのだ。ましてや大学生。地元の大学に通っていれば誰かしら中学や高校の同級生に会うだろうし、電車通学をすれば遭遇率はさらに高まる。だから、この「いまどこにいるの?」は「『最近見かけないけど』いまどこにいるの?」という意味だ。何だこの怖い質問。そう訊いてくる人たちは大抵××大学か△△大学、もしくは県内の私大に通っていて、「外」に出た人は一クラスでも片手で数えられるくらいだった。
それぐらい、田舎(というと主語が大きいが少なくとも私の地元の場合)から「外」に出る人は少ない。田舎は保守的だからだ。
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「外」に出た人間が偉いとか、田舎から出なかった人間が偉くないとか、そんな話をしているわけではない。ある友人は県外の大学に進学して馴染めずに今期休学を選んだし、彼女の母親は地元から一度も出ずに働いている。そんなのは人それぞれだ。
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感情に任せて書き殴っているせいで言葉がまとまっていないが、「『外』に出て勉学に励むのは男で、女は田舎に残るものだ」みたいな安直なジェンダー観を当該CMから受信してしまってどうにもならなくなってしまっただけだ。そんなわけない。「外」に行くのは女だっていい――――いつの時代の発言みたいなこと言ってんだろう。勉学にジェンダー差なんて必要ないのに。
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小学一年生の時だったと思うが、通学路の途中で赤くて艶のある小さな巾着袋を拾った。今思うとサテンの生地でできたアクセサリーか何かの入っていたただの袋なのだが、その時は魔法の宝物の見つけたような気がして、こっそり持ち帰った。
「耳をすませば」の雫が猫を追いかけるうちに素敵なお店にたどり着いたような、特別な出来事の始まりだと思った。選ばれた人にだけ天から落ちてくる魔法の道具じゃないかとか色々想像を巡らせていたのだけど、そのうちビー玉をしまったりするようになった。
学校での出来事はほとんど覚えてないのに通学路の出来事の方が色々覚えているのはなぜだろう。
歩道橋を渡るよう親や先生に言われていたのに歩道橋の下の横断歩道もないところを渡る友達に付き合ってしまった時のドキドキ感とか。ある男子との仲を冷やかされてその男子を上靴入れで思いっきりぶん殴ってしまったこととか。水の無い用水路に出没する狸に給食のパンの残りをあげたこととか。
学校での出来事と言えば3年生の頃クラスメイトのA君がいないと先生が探し始め、教室の後ろのランドセル入れの棚にA君が入り込んでいたことは覚えている。発達障害の話を耳にする度に、彼は発達障害だったのだろうなぁと思い出す。
朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。
幼稚園時代
朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。
確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。
母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。
小学校時代
基本的に間に合わない、起きれない。
小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。
中学校時代
ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。
無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み、冬休みの部活の練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から、学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。
高校時代
眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないかと医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリンが規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。
死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。
浪人時代
再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族からも批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。
英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田や慶応、マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから、大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか。
いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。
昔は大学を卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。
もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器。
志望校は、早稲田や慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活を意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴の学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)
受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。
サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルでボーカルとギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラスの経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店のバイト。ギターを習う。ボランティア。読書会。浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。
就活
大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。
まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。
結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。
自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか。椅子に座ることが苦手だから、事務職は視野に入れなかった。
確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。
最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。
販売職時代
数年前炎上したブログに、「社会の底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的にギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定の就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。
一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿や愛嬌、コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からのキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。
色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。
専業主婦時代
本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。
ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。
しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。
「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」
他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。
そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。
やっぱり私はダメなのかな。
そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険の営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険の営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。
保険屋時代
最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である。
相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。
しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料やお客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。
1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェや図書館で時間を潰して、適当に報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。
数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。
私は愛嬌で保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険の知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージがしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。
この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。
最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。
私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。
私はいつだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。
私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。
ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那が高収入だから、基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からないから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。
いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。
欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。
誰がこの増田を読んでいるか分からないけど、読んでくれた人、ありがとう。
【追記】
書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。
反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。
ありがとうございます。普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます。
・元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について
まずは、ご意見ありがとうございます。
あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。
匿名ダイアリーだからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田の醍醐味だと思います。
知り合いには誰にも見せない日記だから、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本は謙遜する文化だから、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要なファクターでした。
正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。
この記事のコメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。
だから、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。
自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。
あと、ちなみにイージーモードではありません。
それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンだから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます。容姿の良さが仇となることもあるのです。
血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。
大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。
むしろ今の会社の上司が、女性の営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います。
起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。
・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う
私もそう思います。そもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。
あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。
・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった
自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那と暮らしてから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います。
・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも
そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいます。コメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います。
親の職業についてインタビューして将来の職業選択に役立てましょう。
だってよ
うちめちゃくちゃ貧乏で両親どっちもアルバイトなことをなんでクラスメイトの前で発表しなきゃいけないの?小学生なの?
家も廃墟みたいな所だから絶対に友達をこさせないし、いろいろ隠すためにこっちは努力してんだよ
親には感謝してるがそれとこれとは話が違う
やあ、久しぶり、ふと思い立って君に手紙を書きたくなった。元気かな?元気じゃないよね、絶賛学校に行きたくない感じだよね。クラスメイトからの心無い言葉で気持ちも髪型も滅茶苦茶だよね。あ、髪型は元々だったね。
僕は今年27歳になるんだけど君に残念なお知らせが3つあるんだ。
1つめは、髪の毛を毛根から変える技術はまだ出現してないってこと。無根拠に思ってたよね「俺が20歳ぐらいのころにはそういう技術が出てる」って。残念ながら君のいる時代から14年たっても出ていないんだ。でも縮毛矯正は傷みにくくなったし、良いアイロンも出てるよ。あっ、君はまだアイロンの存在を知らないよね。ヘアアイロンっていって髪をまっすぐに伸ばす器具なんだけど、来年あたり君もつかい始めるよ。でも、君の連珠毛の酷い縮れ毛と多汗症と不器用さで大して使いこなせないんだけどね。関係ないけどハゲの治療は進んでるよ。毛髪再生治療の実用化を2020年頃までに目指してるんだってさ。凄いよね。
2つめは、君は14年経った今でもこのコンプレックスから脱却できていないってこと。君は来年から縮毛矯正をかけ始めるんだけど、それが手放せなくなって14年立った今でもかけ続けているんだ。吃驚だろう。そして君は最近人の目がとても気になるようになってきたよね。君はクラスメイトから髪質をいじられ、心無いいじりで笑われ、だんだん人と一緒にいることが辛くなってきたよね。コンプレックスのせいで無駄に人の目につくようになったよね。遺伝要因と環境要因で君はSAD(社交不安障害)をこじらせるようになるんだ。27歳の男が未だに中高生の笑い声が聞こえる度に嫌な気分になり動悸がするんだよ。未だに人の目が怖くて怖くてたまらないし、人付き合いを避けてるんだ。そうすることが心の平静を保てる唯一の方法なんだ。悲しいけど、14年後の君はこんな情けない姿になっているんだ。
2つめの時点で察しがついてるだろうけど、3つめは未だに彼女いない歴年齢なこと。高校生にもなれば彼女できるって思ってたろ?吃驚だよね。あ、そうそう、高校には無事進学できたよ、近所の馬鹿高校なんだけど先生から「受かったのが奇跡」って言われたぐらい中学卒業時の君の成績は酷いものだった。君は高校生になると3か月に1度のペースで縮毛矯正をかけるようになり縮れ毛を積極的に隠すようになるんだけど、君が高校に上がる頃には既に性格が暗くなっているんだ。昔みたいにヘラヘラ笑ってると心無いいじりの対象になってしまう恐れがあったからね。だから髪質を馬鹿にされることはないけど、髪質に怯えるようになるんだ。「〇〇君って矯正かけてる?」ってクラスメイトの女の子に見抜かれた時の恐怖とパニックは、きっと君と僕にしかわからないよ。縮毛矯正のお陰で、君はグロメンから雰囲気フツメンぐらいにはなれたんだ。そのお陰で好意を持ってくれてる女の子は2、3人居たみたいだよ。でも、この頃になると君は彼女欲しいなんて余裕はなくなるんだ。女の子やリア充(今の時代では陽キャラっていうらしいよ)の笑い声が凄い怖く感じるんだよ。「キモい」って言葉がすべて自分に宛ていい放たれてる気がするんだ。いや、実際何度か言われてるんだけどね。教室にいるだけで挙動不審になるのを隠すのが精いっぱいなんだよ。君はこれから先ずっとずっと、人の目に怯え、自信を得ることも承認欲求が満たされることもなく、擦り減りながら生きることになるんだ。あ、君は卒業間際女の子に告白されるんだけど、君は自分がどういう行動にでたかわかる?振っちゃうんだよ。何故かっていうと「天パがバレて嫌われるの怖いから」だよ。だって、子供にも遺伝するしね。髪質にいい思い出なんて何一つないもんね。
悪いことばかり書いてごめんね、さらに悪い事を書くと、僕はこれから先の君に対するアドバイスが何一つ浮かばないんだ。坊主にすれば髪と無縁の生活が送れるけど、おそらく君には髪への強い拘りが深層心理に隠れているんだと思う。だって、髪に本当に無頓着なら坊主にしてるもんね。まあ、面長で壊滅的に坊主が似合わない顔っていうのもあるけどね。ちなみに僕は今、縮毛矯正をかけたり、短髪の時はハードジェルで固めてパーマ風にしてるよ。それでも酷い縮れ毛だから、パンチパーマみたいになっちゃうけどね。
君はこの先髪について思い悩むだろう。家族からは「髪ぐらい」といわれたから周りに相談しようにもできないないし、解決の糸口が見当たらないんだよね。どう頑張っても毛根から直毛が生えることのない君は学習性無力感に陥る。14年経った今の僕は、お世辞でも「良い大人」とは言えないし、「体だけ大きくなった子供」みたいな感じなんだごめんね。精神的に酷く打たれ弱い27歳になってしまったんだ。正直周りから「社会のクズ」って言われているような、そんな生き方を今は送っている。けどね、君はこの髪のお陰で一つだけ良い長所を身に着けたんだ。それは「他人の容姿を絶対に馬鹿にしないこと」なんだ。君は普通の人よりも自分の容姿でひどく悩んできた。だから自他の容姿にとても敏感なんだ。これから先、君の身の回りの人が他人の容姿を笑うことがあるけど、君はその流れに乗っからない人間だよ。ちっぽけなことに聞こえるかもしれないけど、それは立派なことだし、今の君だからこそ学び取れることなんだとおもう。近所の顔に疾患があるおばさんがいるよね?一昨年亡くなっちゃんだけど、生前に分け隔てなく挨拶してくれる若い子は近所に君しかいなかってっ言ってたよ。学生のうちは辛い思いばかりしたけど、君のボロボロになった感性は微量ながらも誰かをちょこっとだけ幸せにできる力をもっているんだ。
正直、今の君は生きててもしんどいだけだって思ってるよね。ネックにならない普通の容姿に産まれたかったって思ってるよね。僕も未だに酷く息苦しさを感じたりするんだ、この齢で情けないよね。僕は君のことを救うことはできないけど、今なら君の心がわかる。誰も君の辛さを理解してくれないけど、僕は理解できるよ。
今日、電車で君にそっくりな髪質の中学生を見たんだ。暗い表情と自信のなさげな猫背と制御不能な剛毛連珠毛の縮れ毛は紛れもなく中学1年生の僕だった。君がこれを読むことはないだろうけど、世界で少なくとも僕だけは君の気持がわかるよ。
別に号泣するとかじゃないけど、ただ彼女のことをぼーっと考えて時間だけが過ぎていく。
ていうかそんな親しかったわけでもない。中高一貫の女子高で同級だっただけだ。
私は自分で描いた拙い漫画をせっせと刷ってコピー本にして地元の小さなイベントの端っこで配ってるようなオタ女で、同じようなオタ女たちとよくつるんでたけど、彼女はとびきり美人で性格も社交的だったから、そういう子が集まる派手めなグループにいた。
高校になっても私は受験組、彼女は附属大推薦組で、選択授業が被ったことはほとんどない。
唯一の接点が管弦楽部。でもこれは学年の4分の1くらいの子が所属するような大所帯だったから、そのなかでもやっぱり仲良しグループはあって、そこでも私は彼女とつながりはなかった。
ただ、彼女は目立つ子だったけど、少し要領が悪いというか、世渡りが苦手というようなところがあって、一度だけ、見かねた私が半ば強引に手助けしたようなことがあった。助けっていうほど大げさなものではなくて、普通にクラスメイトが困っていたら皆するようなことだったけど、それでも彼女は恩義を感じたのか、たまに話しかけてくれるようになった。彼女は優しい。
それでも、そのころの私たちには中高生にありがちな、グループの体裁みたいなものがあったから、話すときはなんとなく二人きりになったときだけだった。彼女は私のしょうもない話によく笑ってくれた。その顔がすごくかわいいので、私はくだらない持ちネタを繰り返した。彼女が笑うと満足した。
一緒にどこかへ遊びにいったりしたことはついぞなかったけど、彼女は地元の楽団にも参加してて、あるとき私を誘ってくれた。
大きなコンサートがあるときは、人数確保のために楽団員が知人を紹介することができるシステムだった。チェロ(私の担当楽器)が足りなくて、よかったらきてくれない?なんて言われたら行ってしまう。ふたを開けてみれば私しか誘われていなかったので、ちょっとした優越感でニコニコしてしまった。たぶん本当にチェロの人員だけが足りなかったからだろうけど、彼女から選ばれることは得意な気分にさせた。
彼女はバイオリン(とても上手)なので練習は別々だったけど、最後の合わせでは一緒に帰った。電車で座って、それまででいちばん長くしゃべった。私はそのとき彼女に外部受験して地元を離れることを話し、彼女は私に子供が好きで音楽の先生を目指していることを教えてくれた。
そうして私たちはそれぞれ進学し、二年の冬に彼女は亡くなった。
葬儀はご家族だけで執り行われて、私たち卒業生は母校でお別れ会を開いた。
そこで区切りがついたつもりだったのに、その後しばらくして、飲み会で入ったお店で流れているBGMが、あの、彼女と参加したコンサートの演目だと気づいたとき、すごく動揺してしまった。お酒が入ってたからかもしれない。
それから度々、突然彼女のことが心に浮かんで、とても寂しくてやりきれない気持ちになってしまう。心が体の真ん中から徐々にずれていって、そのままどこかにいってしまう。誰かを亡くした人ってみんなこんな気持ちを抱えて日々生きてるの?こういうのどうやって乗り越えてるの?寂しくて仕方ない。
卒業式も寂しかったけれど、これからみんな別々の道でそれぞれ元気にやっていくんだという信頼や希望のようなものがあったから、こんなどうしようもない悲しみだけではなかった。こんな私でも日々をあれこれなんとか過ごしているのに、彼女はどこにもいなくて、なにもしない。働いたり遊んだりしないし、バイオリンを弾かないし、笑ったり泣いたりしない。もうなにも作らないし、生まないし、何にも干渉しない。そんなことがあるだなんて思いもしなかった。あの、音楽室で隣に座って笑っていた人間が、この地球のどこにもいない。頼むからみんな長生きしてくれ。
彼女との記憶なんてこれだけで、でもそれだけをずっと繰り返し思い出してしまう。彼女のご家族はお別れ会で初めて拝見したし、グループにいるときの彼女とは関わりがなかったので彼女と共通の友達はいないし、誰とも彼女の話をできなくて、ここに書いてしまった。文字にしてたら落ち着いてきたから、明日からまた静かに日々が過ごせそう。表現の自由はすごい。
ていうか読み返すと自分のことばっかりでめちゃくちゃ気持ち悪い。彼女のご家族のほうがずっとずっと寂しいでしょ。お風呂入って寝ます。
小学校ではないけれど、発達障害の学生の対応をしないといけない立場にあった。日々どう対応したらよいか同僚と悩んでいた。結構なストレスだった。
なので、増田さんのお子さんのクラスの先生もかなり悩んでいてストレスを抱えていると思う。発達障害の学生の対応は本当に大変だし、親が怒鳴り込んでくるタイプだとさらに大変になる。
親が「いつもうちの子がいろいろやってすみません」という対応をする場合もあるので、その場合はかろうじて我慢できるし、その生徒への対応も「ただ甘やかすだけ」にはならなくなる。ただ、親が怒鳴り込んでくるタイプとか、親も発達障害があるようなタイプだと話が通じないので、腫れ物に触るような対応をするしかなくなる。何か自分に不都合があれば「障碍者差別だ」と騒ぐタイプであれば、やくざの相手をしているのとあまり変わらない。
なので、先生に増田さんのクラスの親、子供何人かで協力して状況を説明しに行って、先生を味方につけたらよいのではないかと思う。発達障害の学生とそうでない学生が両方いる場合、発達障害の学生のほうがどうしても手がかかり、他の学生がなおざりになることがある。他の学生からクレームが来れば、先生はほかの学生のほうに行く大義名分ができる(実際そういうことがあった)。それで人手が足りないということになれば、何かしらの形で人員を増やすとかできる場合もある。私がいたところではカウンセラーに対応をお願いするとか、人員を増やすとか、発達障害の人への対応の仕方を専門家から勉強するとかやっていた。あとは、こういう対応をすると問題が大きくなる、こうするとうまくいく、というのを同僚と共有していた。完全に問題が解決されることはなかったけれど、少し状況がましになることもあった。
子供は「発達障害を持つ人というのが世の中に一定数いる」ということを理解することと、そういうタイプの人達とどうやって対応していけばいいかを学ぶことができる。世の中には発達障害の人に接したことがなく、「育て方が悪い」「我慢が足りない」で障害を片付けようとする人たちがいる。こういう人たちは「発達障害まで障害に入れてしまったら世の中すべての人が障碍者になってしまう、だからもっと厳しく接すべきだ」と平気で言う。実際に発達障害の人と接した経験があればこういう発言は出ない。あと、発達障害の人に接したことがないと、「実は天才なのだから自由にさせればいいのだ」とひたすらポジティブにとらえ、実際に回りにいる人の大変さを理解できないということも生じうる。個性だから寛容に接せよと言えるレベルであればそもそも障害とは言わない。日常生活にたくさんに支障が出ているレベルなのだ。増田さんのお子さんのクラスメイトはこういう想像力のかけた人間にはならない。ただ、日々ストレスを抱えた結果として「発達障害の人と対応するのはとても難しい、正直避けたい」となってしまう可能性もある。でもそれが現実だと思う。
発達障害(ASD/ADHD/LD)に対する理解がもう少し必要。定型か非定型かにかかわらず、相手を理解しようとすることは大切。
コミュニケーションにコツがある。
例えばだけど、注意されるときに「ちゃんとしろ!」とか「なんで○○しないの!」とか言われて育った人は、友だち同士でもそういう伝え方をする。でも、非定型の人は具体的な行動を言われないとうまく理解できないことが多い。
「○○の席はここだよ」と伝えよう。
「どけよ」じゃ伝わらない。
「ここ俺の席なんだけど」でも伝わらない。
「自分の席もわかんねーのかよ」でも伝わらない。
あと、理由も聞こう。「俺のこと好きすぎて間接ケツチューしたかったの?」とか。
お互いに誤解の少ない方法でコミュニケーションを工夫する必要があると思う。
あと、五感が研ぎ澄まされすぎてて、情報過多のパニック状態の中で生活してる。人によるが。
感情的になったり攻撃的になりやすいのは、パニック状態での防衛本能なことが多く、本人にはコントロールが難しい。クラスメイトで一番ストレス多いのはたぶん本人だよ。
発達障害の子に多い特徴は、局地的に集中力が強い、概念的な思考能力が高い、規則に厳しい、勘が鋭い、記憶能力が高い、親切すぎる、などなど、真似できないような良い面もたくさんあるんだ、ボタン掛け違えてるだけで。良い友人になれると思うよ。
そもそも、なんで健常者様が二等市民の障害者に気を使わなきゃなんないんだって思った?
ならそれでもいいけど、俺は弱ったときに助けてもらえる社会の方が好きだから、発達障害のことを調べていろいろ工夫することをお勧めするよ。
以下全て作り話
父親は今時中卒で母親は高卒。思い当たる親戚に四大出てる人はいない
うちは勉強より大事なものがある!って方針。勉強しろなんて言われたことない。小学4年生まで自分もテストで50点も取れてなかった。
でも担任の先生がいい人で、1から根気強く教えてくれたから、理科とかはすぐに得意になった。1回100点とったら他の科目でもいける気がして、成績はぐんぐん伸びてった。親はそうでもなかったけど、先生が喜んでくれたのは嬉しかった。
中学でもトップの成績をキープして、高校は公立しかダメだったから、地域で一番の公立進学校に進んだ。
高校生になってからは居酒屋でバイトをしてる。勉強との両立は楽じゃないけど働くのは楽しかった。家にお金を入れても多少は手元に残るから貯金を始めた。大学の学費に当てるつもりだった。
でも自分は大学にはいけない。将来の話を親にしたら、そう言われた。
理由は家にお金がないからだ。学費を親に頼るのは無理だろうと思ってたけどそういうレベルじゃなかった。自分が高卒で働く稼ぎが家計?将来設計?に組み込まれてるらしい。自分が高卒で働かないと下の子が高校に行けなくなるかもしれないと言われた。祖母の医療費のこともある。
ここからは愚痴だけど、なんでお金ないのに何人も子供つくったんだよ。弟たちは嫌いじゃないけど、弟たちがいなければ大学に行けたかもしれないと思うと憎くてなんかマジでつらい。そう思ってしまう自分が嫌いだ。成績が上がっても今の高校にうかっても親があまり喜ばなかったのは、大学に行きたがるかもしれないと思ったからだと。言いづらかったらしいけど早く言え。なんで高校生になってから言う?信じられない。必死に上位をキープして国立狙えるって言われてたけど私立とか国立とか関係なかったっぽい。
・自分で選んだ
どうしても行きたかったら下が高校卒業してから行けばって言われた その時自分30過ぎてるwwwwwwwwwwwwwwww
本当に勉強がしたいなら待てるはずだって言われてもそれから就職はどうなんの?30過ぎた新卒をどこの会社が雇うんだよ・・・あと我儘なのはわかってるけど大学生になってみたかった。先生やバイトの大学生は大学生活が一番楽しいと聞いていたし憧れだった。そういう考えるは自己中心的で見栄っ張り(?)らしい
一晩中親と喧嘩した。でも結論は変わらず弟たちが高校進学には自分の高卒での就職が必須なのは変わらなかった。母親は泣いていた。弟たちを見捨てる気かと言われて自分も泣いてしまった。本心は見捨てたいけど見捨ててしまったら多分罪悪感で死にたくなるのがわかる。けどもしも学費負担のない一番下の子とかが奨学金とかで大学に行けてしまったら自分は祝福できそうにない
弟たちも苦労すると思う。でも幸いなことに(?)弟たちは今のところ全員成績が良くない。そのままノビノビバカでいてほしい。その方が絶対幸せ。自分もあの先生に出会わなかったら多分今こんな日記書いてない
クラスメイトは良い奴が多いけど皆大学進学を当たり前に考えてるしそれ以外多分頭にない。これからどんどん受験に向かって頑張ろうって加速していくのに自分はどういう顔して教室にいればいいんだろう。居場所がない。いっそ高校も辞めたいきがしてる
全部作り話だけどね
お礼とその後
ノートの文字がかすれて消えそうだからここに置いておく(一応ネタバレ注意)。
二人の子供から二人の大人へ。最終章「Adulthood」をクリアした。
あの出来後のと翌朝。二人でインスタントの朝食を食べ登校する。二人で登校したことで Hanako は注目を浴びてしまい逃亡してしまった。
学校をサボって公園を歩き考え続ける Hisao。考えていたことは二人の間の壁について。昨夜の出来事があったといえども二人の間には互いを理解することを妨げている壁がある。Hisao は Hanako と話をしてその壁を壊したかった。後ろから声をかけられる "H...Hisao"。
Hanako も外出をして公園に来ていた。Hisao の前から逃れて、結局出会ってしまう。とうとう Hanako 自身の気持ちを尋ねる Hisao。Hanako の返答は彼の思い込みを打ち砕くものだった。
あの夜の出来事は Hisao の大切な人になりたかったから、他の人より私を見て欲しかったから、庇護の対象ではなくて一人の女性として扱って欲しかったから。Hanako の告白は Hisao を強く動揺させた。そして告白をした彼女自身も、そんな自分に対して嫌な女だと自覚していた。
"Was... I wrong?"
もちろん彼女は悪くないと思う Hisao だが言葉が出てこない。Hanako の告白は続く。家事の前までは少ないけれど友達がいて周りとちゃんとやれていたこと。大火傷を負ってからは全てが変わったこと。周りからの反応で深く傷ついたこと。傷つくことを拒否するために人と関わることを止めたこと。自分が消えてしまえばいいと分かっていたが、人との関わりを止める方がより簡単だったこと。Yamaku 学園に行けば再び社会との接点を見つけられるかと思ったこと。そして Lilly に出会ったこと。Lilly と出会って友達になれたけど、Lilly は Hanako ができないことをなんでもできてやっぱり自分は useless だと思い知らされたこと。そして Hisao に出会ったこと。Hisao も Lilly と同じで Yuko と簡単に仲良くなれたりして、自分はすぐ不要なものとして切り捨てられてしまうと思ったこと。それは嫌だったこと。誕生日は世界中の人が疑いもなく正しくて幸せだと思い込んでいるので、useless な自分はとてもつらかったこと。朝、ベッドで寝ている Hisao を見て、やっぱり自分は切り捨てられてしまうと思ったこと。
そんな Hanako に Hisao は衝撃を受ける。今までか弱くて自分が庇護しなければと思い込んでいた Hanako は守られたいと願う子供ではなかった。
語り終えて下を向く Hanako に対して Hisao は振り絞って語りかける。
Hanako がパニックを起こした時心配したこと。寮の自室に閉じこもった時は彼女に拒絶されているのではないかと感じたこと。それからいろいろ考えたこと。
そう言う Hisao に対して Hanako は思わず叫ぶ "I wasn't rejecting you!"。
Hanako がつらくて悲しくて Hisao を押しのけてしまった時も Hisao は彼女を捕まえていてくれたこと。そんな Hisao や Lilly 達の重荷にはなりたくなかったこと。それは Hanako の心からの叫びだった。
二人の間にあった壁は崩れた。壁を崩すのに痛みがともなったがとうとう二人は正面から向き合った。
Hisao は続ける。心臓の異常が発覚した時とても怖かったこと。社会から切り離されて Yamaku へ来て自分の人生が一度壊れたこと。でも Hanako と出会って一緒に過ごして友達になって再び自分を取り戻したこと。そして失ったからこと Hanako と気持ちを通じあわせられたのだと。
ずっとずっと自分は useless だと信じていた Hanako はこの言葉を聞いて座り込んで泣き出した。そしていっぱいメチャクチャにしてごめんなさいと謝る。Hisao は彼女を抱きしめてそんなことは言わなくていいという。
そして自分は useless なのにと言おうとする Hanako に
"You're my firend, Hanako! You're... No, you're more than that. I love you, Hanako."
泣き続ける Hanako に Hisao は寄り添う。Hanako はずっと自分は必要な人間だと言って欲しかったと泣く。
ようやく泣き止んだ Hanako に Hisao はいい天気だからこのままクラスをサボろうと提案する。でも……と迷う Hanako に対して大丈夫謝ればいいだけだよと言う Hisao。そんなことができないと拒否する Hanako。だが Hanako はやれる、絶対できるし、力が必要なら自分を頼ってと言う Hisao。そして二人は同じ道を歩いているんだから互いに助け合うのは当然なんだと言う。
公園を抜けて商店街を歩く二人。互いにたがいを横目で見つめながら歩く。なにかを思案しているように見える Hanako に何を考えているのかを聞く Hisao。立ち止まり一心な表情で Hisao に答える。Hisao に私からあげることができることがあると思う。でもそれにはすごく長い時間がかかると思う。だから恥ずかしいけれど、これが最初の小さな贈り物。
Hanako は Hisao の肩に両手を置き、ゆっくり顔を近づけた……
(Fin.)
Hanako 編は図書館から始まる。図書館で見かけた Hanako は夢中で本を読んでいた。クラスメイトだと思い出した Hisao は同じ本好きとして Hanako に話しかけるが、全力で逃げられる。
Lilly と出会い再び Hanako と Hisao 。 Hisao - Hanako - Lilly と三人の生活が回り始める。
基本的に仲良くなる→逃げる→もっと仲良くなるというのが Hanako 編。
彼女の逃避は後半になるにしたがってより深刻さを増す。
1. Lilly
Hanako の一番の友人。より正しくは唯一(Yuuko も一応友人だが)の友人。目が見えないのでよく Hanako が買い物に付き合う。
優美な身のこなしでありハイソな雰囲気を持つ。実際言葉遣いがとても丁寧。外見もスコティッシュハーフであり金髪アンド碧眼アンド長身でスタイルがいい。
Hisao と Hanako の隣のクラスで class represent を勤めており、Hanako と異なり交友関係も広い。
Hanako は Lilly のそんな万能っぷりを頼り、あごがれ、そして対照的な自分に対して無力感を抱いている。 Lilly にとって自分は価値のない人間だし彼女の重荷にはなりたくないと思っている。
Lilly は、 Hanako は守ってあげなくてはならないけれど、このままでは Hanako にとって良くないとも感じている。
Lilly は Hisao が現れたことで、 Hanako に良い影響が起こることを願っている。
2. Hisao
つい数ヶ月前まで健常者だったが、突然心臓病を発症しそれまでの社会から切り離される。そんな彼為のために両親は障碍児のための学校 Yamaku 学園に転校させる。見慣れない disable (盲目、手足の欠損、聾啞)にはじめは驚いたり疎外感を感じたりしたが、それぞれのユニークな個性を知るにつれて(足を使ってすごい絵を描く Rin、義足なのにものすごく足が速い陸上部のエース Emi、目が見えないが深い洞察力を持ちできないこととできることの違いを見せてくれる Lilly、聾者だが生徒会長を務める Shizune) disable について理解をしていく。
やがて Hanako、Lilly と仲良くなりともにボードゲームをしたり、お茶をしたり、誕生日会を開く仲となる。そしていつしか Hisao は Hanako の力になりたい、守ってあげたいと思うようになった。
しかし Lilly が家の用事でスコットランドに滞在している間、 Hanako の誕生日が来て、 Hanako の態度が急変する。順調に Hanako と friend-ship を築けていると思っていた矢先に Hanako は教室から姿を消し、自室に閉じこもる。 Hanako との関係が壊れるのを心配する Hisao だがどうすることもできない。 Hanako が姿を消してから Hisao はこれまでのことについて初めて考え始めた。そしてこれからのことについて自分が取るべき道を探し始めた。
自室から外へ出てきた Hanako だが、 Hisao は相変わらず彼女と自分の間に壁があるのを感じてしまう。なんとか Hanako に彼女のことを理解したいと願っていることを伝えようとして、 Hisao は自分の胸の傷を彼女にさらす。自分も傷を負っているから Hanako は独りではないと伝える。
Hisao の傷に触れた Hanako 。また一つ二人の絆が深まったように感じた。
数日後、図書館で勉強していた Hisao 。やってきた Hanako に、 Hanako が自室にこもっていた間ずっと考えていた彼女の過去について教えて欲しい、と Hisao は言った。ずいぶんとためらったがとうとう Hanako は真剣な表情で語り始めた。
多くの生徒が下校をして静かな校舎の中を二人で歩きながら、 Hanako は昔の火事について Hisao に語り始めた。深夜に突然火が出たこと、熱から逃れようとして体を丸めて小さくなっていたこと、彼女の両親が彼女に覆いかぶさって守ってくれたこと、体の半分だけ助かったこと。
二人はいつしか Hanako の寮の部屋まで来ていた。入室を躊躇する Hisao に対して Hanako はドアの鍵を閉めてと言い、カーテンを閉じる。そして大きく息を吸い、覚悟を決めると、ブラウスやブラジャーを順番に脱ぎ落した。 Hisao が彼女に傷(心臓手術)を見せたように彼女も傷(火傷)を見せたのだ。
そんなことをする必要は無いと言う Hisao だが、 Hanako はこれが私だからと傷を見せる。そして二人は......
(二人のプレイの後、息も絶え絶えな Hisao は心臓発作の兆候を感じていたところがリアルだった)
はじめは Hanako を守ろうとしていた Hisao だが、結局それは間違いだった。
守るというのは守る人間と守られるべき人間の関係だ。その関係は非対称であり、守る者は守られる者に対して優位な力を持つ。
3. Hanako
出会いはひどいものだった。話しかけられて、自分の空間に入られて、そして目が合ってしまった。
"I..."
"I...I..."
"Ivegottogodosomething!"
Hanako 編に入ると Hide and Seek (かくれんぼ)という Act がある。彼女と親しくなるということは Lilly や Yuuko そして彼女自身の中に隠れている Hanako を見つけ出すことだ。いろんな彼女がいる。
Life of Pie を読みふける Hanako 、チェスを好む Hanako 、ドールが好きな Hanako 、 Lilly とお茶を飲むのが好きな Hanako 、外へ出る時は顔が隠れるように大きなキャスケットを被ること、火傷の痕を隠すために左側を歩くこと。
何を書いているのだろう。まとまって体系だったことを書かなくては。
Katawa Shoujo とは disable である人々が able であることに焦点を当てた作品だ。例えば Emi は両足が膝より下がないのに、競技用義足で誰よりも早く走れるし、 Shizune は聾唖者であるがクラス委員と生徒会長を務めあげる才媛だし、 Rin は両腕が無いのにもかかわらず足で見事な絵を描く。そして Hanako の親友の Lilly は、全盲を苦ともせずクラス委員であり友人も多い社交的な女性だ。
皆ハンディキャップをかかえながらできないことを嘆くのではなく、できることで生活を組み立てている。
それでは Hanako の disable と able は何なのか。実は Hanako には先にあげたヒロイン達のような disability は無い。右半身に皮膚がひきつれるひどい火傷の痕が残るが五体満足であり、他のヒロイン達のような明快なハンディキャップは無い。では Hanako の able は何か。目が見えること?耳が聞こえること?意外と足が早いこと?両腕があること?そう Hanako の able とはそれだけなのだ。 Lilly しか友人はいないし、他人の視線が怖くてたびたび授業を逃げ出すし、人から話しかけられると赤面してしどろもどろになる。 Hanako とまともに会話できるのは Lilly と Yuuko 、Lilly の姉 Akira、そして Hisao のみだ。Hanako の disable とは able の裏返し、彼女は肉体的に able ではあれど精神的に disable なのだ。
どのヒロインも多かれ少なかれ悩みや心の傷はあるが、 Hanako は突出して深く、彼女のストーリーは見えない心の傷とその象徴である人目を惹く火傷の痕をメインテーマとして進む。
Hanako は過去のトラウマ(フラッシュバックに襲われて痙攣するレベル)のせいで、火傷の痕を見られることをひどく嫌がり恐る。そのため、普段は髪の毛で顔の半分を多い、人目が多い場所に行く時は大きな帽子を被りLilly の左側で小さくなり、顔の右側にある火傷の痕への視線を遮ろうとする。彼女が心を落ち着かせることができるのは、親しい友人と部外者が来ないところでひと時を過ごすことだけだ。悲しいことに、自分の部屋では外部からの侵入者を防ぐことはできても、彼女を苦しめる悲しい思い出が甦るのは防げないのだ。
彼女の disable は他のヒロイン達が外見上のものに対して内面的なものだ。その disable の根本の大火傷が彼女の全てを変えた。親を奪い家を奪い社会を奪った。そしてそれは主人公の Hisao との共通点だった。disable が二人の出発点だった。
「Disable」で Katawa-Shoujo のテーマとは disable の中の able であると説明した。そして Hanako は disability を持たない代わりに able が disable になっていることを例をあげて紹介した。ここからはそんな Hanako の数少ない able から彼女の内と外を考察する。
Hanako と初めて言葉を交わしたのは図書館でだった。図書館は Hanako にとってクラスからの逃避先であり、本は現実からの逃避先だった。そして読書は Hisao との共通の趣味であった。
本編の中で特徴的であるのだが、物語が進み Hisao と Hanako が仲良くなるにつれて、 Hanako が図書室へ逃避する回数が減少する。 Hisao たちと外へ出たりして内から外への変化が見られる。しかし図書館に来る描写はあるので、本から卒業したというわけではない。本は逃避先から趣味になったというべきだろう。
振り返ると Hisao と Hanako が交友を深めるのはゲームを通してだった。空き部屋でチェスをすることで友達になり、パブでビリヤードを遊ぶことで Hanako の意外と子供っぽい内面を知り、アンティークスタイルのチェスセットを贈ることで喜ぶ顔を見た。
いつも Hanako は感情を顔に出さず、自分から積極的に出ることもない。Shizune & Misha につつかれても困ってちぢこまるだけだし、知らない人に話しかけられると逃げるし、人に何かを協力してもらうこともできず独りで作業をする。
しかしゲームで遊ぶときの Hanako はかすかに笑み、時には自信を持って駒を動かす。その普段とはちがう姿は Hanako の本来の気質---人見知りだけど、活発で、遊びに夢中になれて、ちょっと子供っぽい性格が浮かび上がる。
Katawa-Shoujo では多くの登場人物は高校生だ。高校生というのは肉体的には大人であり精神的にはまだ子供であるという、大人と子供の狭間の期間である。そのためシナリオでも子供から大人への成長を軸とする。 Hanako 編では最終章が「Adulthook」である通り、 Hanako そして Hisao が大人への一歩を歩み出すことがエンディングを通して描かれる。
「大人になる」にはいろいろな意味がある。例えば成人することは社会的地位を手に入れるということだし、親元を離れたことに対して「大人だ」と使われることもある。それでは Hanako と Hisao の場合はどのような意味で「大人になった(子供を卒業)」のか。これには Hanako 編の主題である体と心が深く関係する。
よく知られた「大人になる」として男女ともに性交を経験することがある。Hanako 編においてもこの意味で二人は大人になった。共に痛みを経験し( Hanako は処女喪失。 Hisao は軽い心臓発作)一夜を明かしたことで二人は次のステージにシフトしたかに見えた。しかし後に分かることだが、二人は未だに子供のままの関係だった。
子供(children)という言葉は、作中で直接しかも Hanako の言葉として現れる。
```
"All I ever was to you was... a useless person. Just someone... to protect. Someone like... a child."
```
小さい頃に火傷の原因となった火事により社会と切り離され、そのまま子供のまま育った Hanako は、 Hisao に庇護が必要な対象(=子供)としてではなく友人以上の人として見て欲しかったから自分の傷を全て見せたという子供のような思いを告白する。 Hisao はこの告白を聞いて自分が全く Hanako のことを理解していなかったことを痛感する。 Hanako の外面的性格ばかり見ていて Hanako がどう感じているかを考えていなかったこと。
しかし Hisao が自分の病気のことその心情を同じように告白したことで、二人は互いに理解し合えることを確信した。そして自分か相手かでしか考えられなかった二人は、自分と相手を同じ道の上の存在として考えられるようになった。
Hanako 編では心をもって「大人になる」ことが提示される。
Hanako は声をあげて泣くことで子供時代に別れを告げた。そして大人の最初の一歩としてラストシーンの最初のギフト(てれる)を Hisao に送った。
Hanako のことを語るには子供と成長についてが欠かせない。
子供の頃の Hanako は人見知りするけど純粋で好奇心が強い子だったのだろう。しかし火事で人生を曲げられ、社会から切断され、その気持ちのまま体だけ成長した。自分の生きる意味を見失い、自分を守るため人と関わることを止め、ただ耐えていた。
Hanako が語る言葉に裏はない。 Hanako の世界は見たままの世界だ。トラウマのフラッシュバックに襲われたときには自分を責める自分の声を周囲に放射するけれど、それが嫌だから鬱の期間は自室にこもる。
フツウならばたとえ Hisao がテキストとノートを机に広げていたとしても、勉強より Hanako とのやり取りを優先すると気づくだろう。また茶目っ気のある性格ならばそのことをからかうように勉強しているじゃないというだろう。でも Hanako は見たままを見るのだ(But...)。
成長という言葉を使ったが、作中では Change が使われていた。 You can change という具合に。
変わること、変わるものはいつも Hanako の周りの世界だった(ムービーをみよ)。世界はすごい速さで動き続け彼女はその流れに乗れなかった。しかし Lilly と Hisao に出会ったことで、自分でも自覚しないうちに彼女は変わっていた。授業を逃げなくなったこと、自分から話しかけるようになったこと、きわめつけは Hisao を電話でお茶に誘ったことだろう。そして何より彼女の気持ち「友達では嫌」。
"If... if you're not busy... I-I was wondering if y-you would... l-like to... m---"
噛みっかみである。)
エンディングで Hisao は Hanako に変われると保証する。このとき Hanako もいつしか自分が変わっていたことに気づいたのだろう。
自ら率先して汚れ役になり、そうしておどけることで人を笑わせるのが好きだった。
今思えば、人間失格でいうところの主人公・葉蔵の幼少期から闇を抜いたような生活だった。
周りからもいじられキャラとして扱われていたし、それは俺としても嫌なことではなかった。
ある日の夜、交通事故に遭った。
車に撥ねられ救急車で搬送されたが、幸いなことに全治1ヶ月程度の足の指の骨折で済んだ。
事故に遭った次の日は検査や施術等で学校に行けなかったが、事故から2日後には早速登校できるようになった。
学校に復帰した初日、松葉杖を突いて登校してきた俺に、半笑いのクラスメイトたちはこんなふうに話しかけてきた。
「増田死んだと思ってたw」
「担任の○○先生も昨日の朝のホームルームで『増田死んだらしいぞ』って笑いながら言ってたよw」
「どうせ増田だし、他のクラスの人とも『増田死んだらしいぞ』って噂してたんだけどw」
「なんで死んでねえんだよwそこは死んどけよw」
そんな感情を押し殺しながら、みんなと同じような半笑いで同調した。
周りが俺のことを心配したり肯定したりしてくれないのであれば、俺が俺のことを気にかけたって虚しいだけじゃないか。
勉強も部活も取り組んではいたが、高い目標は設定せず現状維持が出来る程度に手を抜くようになっていた。高い目標があったら笑われそうだから。
数年ぶりに高校の同級生たちと会った時、俺の交通事故の話題になった。
「あの時は増田死んだと思ったんだけどなあw」
「やめたれwまあ、あん時は俺らも正直言いすぎたかと思うよw」
クラスメイトの話を聞くと、Mくんが娘に付き纏っていて、娘がMくんを怖がっているからいじめではなく正当防衛だと言っていた。
・娘と話していると会話に割り込んでくる
・頻繁に娘のことを見ている
・用もないのに娘の近くにいる
・家が逆方向なのについてくる
・娘と休日に遊ぶ約束をすると誘ってないのに待ち合わせ場所や目的地付近でうろうろしてる
というようなことが実際に何度もあったらしい。
それで友達みんなで協力してなるべくMくんを娘に近付けないようにしようということで仲間はずれにせざるを得なくなった、ということだった。
実はうちの妻が諸事情で家を空けていて一時的に父子家庭状態になっている(夫婦仲が悪いというようなことはありません)。
そこで家政婦さんを雇ってお弁当を作ってもらうことにしたんだけど、同じ日にMくんも娘のためにお弁当を作ってきてくれた。
娘は2個も食べられないと友達に相談するとKくんが食べると言った。
けれどKくんはそのお弁当を食べずに捨てた。
そしてMくんがゴミ箱を見て捨てられているのに気付いて娘が捨てたと思い込んだ、ということだった。
そういうわけなので、双方の誤解によるすれ違いでいじめではないということになりました。
Mくんのアプローチの仕方は娘に恐怖心を与えるものだったかもしれない。
けれど娘を思ってお弁当を作ってくれるなんて、Mくんは不器用なだけで本当は純粋で優しい男の子なんだと思う。
だから今後Mくんは娘の怖がるようなことをせず、距離感を考える。
娘はMくんを邪険に扱わず、他の子達と同じように仲良くしてあげる。
娘とMくんが無事に和解できたのも皆様のおかげです。
ありがとうございました!
まず、苦手な子に距離置いてたり避けてたら勝手にいじめ扱いするパターン。勘弁して。
私達は別にいじめようと思って避けたりしてる訳じゃないのに大人からいじめ呼ばわりされる。これ本当ムカつくんですよ。
大人はすぐ言いますよね、「嫌な点があれば直接言えばいい」「直して欲しい事があればちゃんと本人に伝えましょう」って。
でも貴方がたは普段、苦手だなあって思ってる人に欠点を直接指摘しますか?してませんよね。だって実際それをやると波風が立ちますから。なるべくあまり関わらないようにしたりそれとなく離れたりしてますよね、そしてそれをこう呼ぶはずです「大人の対応」って。なんなら人の嫌いな点を率直に伝えちゃう人の事を幼いとか子供っぽいって言うじゃないですか。それって私達に言ってることと真逆ですよね。おかしくないですか?
私達も同じなんです。直接伝えて改善してもらってまで仲良くなりたくもないですし、わざわざ揉める事も面倒なんです。だって苦手ですから。それをいじめって言われても困るんです。苦手な子と無理に関わって無意味に揉めたり疲れたくないから貴方がたと同じく「大人の対応」で済ませているだけです。それの何がいけないんでしょう?
そして、学校であまりにも皆から避けられてるなんて状態の子は周りの大人が思うより当人に責任がある場合が多いんです。私が意図して避けてる、もしくは避けてたなって心当たりのある子だけでも、自己中心的、乱暴、虚言癖…後はデリカシーがない子、モラルがない(+それが格好いいと思っている)子、不潔な子など。関わりたくないと思われる原因が何かしらあるんですよ。そういう欠点を全然見直さないで大勢に避けられた→いじめ!と飛躍されても意味がわかりませんし、周りの大人も勝手にこちらがまるで悪意を持って省いたみたいに決めつけられましても…って話です。
そして個人的にはこちらの方が嫌悪感が強いのですが、自分から勝手に孤立したくせに後からまるで被害者みたいに振る舞う子のために集団いじめをでっち上げられるパターン。自分の責任でそういう環境を作ったくせにあたかもいじめられていたかのように振る舞う子、本当に居るんですよ。
例えば体育祭や文化祭など皆が盛り上がっている時や協力し合っている場面で「真剣に取り組むとかダサい」「真面目にやってる奴格好悪い」とか言っちゃう協調性のない子って居ますよね。楽しい空気を壊して水を差している自覚がないんでしょう、当然クラスメイトからは「何あの子」って言われるのがオチなんですが、そうやって反感を買ったのは自分なのにいざ嫌われている事を少しでも察すると人一倍被害者ぶるんですよね。自分だけ除け者にされてるーって。普段はクラスメイトの事を馴れ合いだとか揶揄してるんですから要は好きで勝手に孤立したはずなんですが、何故かいきなり被害者面を始めてクラス全体を悪者に仕立てるんですよね。本当このタイプの子は苦手を通り越して無理です。一番嫌い。頭おかしいですよね。でも、こんな子でも一度いじめられたと泣いて騒げばこちらが加害者にされてしまう…それぐらい近頃のいじめの基準ラインは低くて、もう「周りがいくらいじめていないと言っても、被害に遭った子が嫌な気持ちになったらそれはいじめなんだ!」みたいな事を言う大人も普通に居るんです。気持ち悪いったらないです。
最後にこれはどちらにも言えることなんですけど、確かに最近はいじめ自殺問題なんかもあって世間的にピリピリしているというのもわかるんですが、それとは別に何かこう、当人が傷ついた!いじめられた!と主張すればそれはいじめとみなすみたいな風潮ができている気がするんですよね。例えが悪いですけど男性が一切触っていなくても女性が不快な思いをしたから痴漢だと主張すれば痴漢になるみたいな、言った者勝ちな空気があるというか。
悪意をもって集団でいじめるという行為は許しがたく卑劣ですが、当人に嫌われる原因があるため周りが避ける、距離を置くと言った至って普通の「対処」までいじめ認定されるいわれはないはずですよね。
18歳の頃、初めて彼女ができた。
相手のAさんは同じバイト先の2コ上の先輩。高校生の僕にとって、その人はちょっぴり大人だった。
「Aさんって、お前のことが気になるらしいよ」。
Aさんの想いを友人伝いに聞いてからは、バイトの時以外でも会うようになって、
僕から「お付き合いしてみますか?」と提案をし、付き合うことになった。
Bさんは、福岡から上京してきた女の子で、実家がとてもお金持ちだった。
二人で飲みに行く機会があって、そのままBさんの家に泊まりに行くことになって、
その日は何もせずに寝たけど、起きてから付き合うことになった。
Cさんの仕事のミスを、僕が助けたことがきっかけで、Cさんは僕のことを好きになったらしい。
そのことを同僚伝に聞いて、これも僕からお付き合いを提案した。
今付き合っているDさんは、年下の大学生。
1回目に会った時に、彼氏がとてもほしいと言っていたので、「付き合ってみる?」と僕から提案。
その好きな人とは、ありがちな「転校」というお別れ方をし、今はどこで何をしているかはわからない。
自分から「好きだ」と思っていたことがある女の子は、今までその子一人だけだ。
歴代の彼女たちは、人としては好きなのだけど、多分それは「love」ではなく「like」なのである。(気持ち悪い言い回しだけどあえて使う)
今年で27歳になるが、これから先、自分の人生で「好きな人」が現れないのではないだろうか。
ドラマや映画でよく見るような「純愛」を僕は経験しないまま死ぬのではないだろうか。
「好きな人」がいる人が、心底羨ましい。
どうしたら「付き合いたい」と思う女性を見つけることができるのだろうか。
運動が出来たわけでも勉強が出来たわけでもないけど何故かモテてた
めっちゃモテてた女の子や下級生にも何故かモテてて嬉しい通り越して少し怖かったの覚えてる
今となってはだから何だって話なんだけど偶然再会した当時のクラスメイトにしょっちゅうその話をされる
学校の朝読書や空き時間でライトノベルを読んでいる時期があった。複数の友人によく、「何読んでるの?」と聞かれ、少々渋りながらも作品名を口にした。
そのたび「知らなーい」「面白いの?」といった感じの返事が返ってくるも、自分の口からは大体「まあまあ面白いよ」と無難な言葉で返答。
ある日の事、作品名を言い、いつもの流れかと思いきや、「表紙見せて」と返ってきた。いつもブックカバーを付け読んでいた。その日ももちろん。だからこそ興味を引いたのか。ただ、自分は数秒固まってしまった。
表紙には女の子。かわいい。見返し?から数ページに渡り、さらに女の子。かわいい。
挿絵のページに関しては、わざわざ読んでいるところを覗きに来る人はいなかったので何も言われなかったが、いざ見せろと言われると見せにくい。なんたって当時のオタク趣味みたいのは敬遠されがちだったから。
拒否すると渋々といった感じに食い下がっていった。
要求される度に拒否する日々を続けてた。しかし、自分が席を離れている間に、鞄か机の中かどっちかは忘れたが勝手にライトノベルを取り出し、席で眺めている一人の男子がいた。慌てて取り上げて、何してるんだ、と言うも手遅れ。明日から学校には来れないかな、まあ自己責任か。といった感じに思っていると、
「面白そうじゃん」
あれ、と予想外の返事に言葉も出なかった。
それから、そのシリーズを彼に貸すようになった。3、4冊目を貸したあたりから周りの人が興味を示しだした。「何貸してるの?」「何借りてるの?」と。
両者とも適当に受け流して逃れてきたが、離席していたところを今度は3人ほどのグループで席を襲撃され、返ってきた本と読んでいた本数冊を机の上に並べ、鑑賞会をしていた。
オイオイオイ、今度こそ死んだわ、と思っていると「なにこれ」「こんなの読んでるの?」などなど、まあ、予想通りの言葉におしまいだな、と。
のはずが、数人には割とウケていたのと、クラスメイトの中に自分を排除しようとする人はいなかった。優しい世界、という訳にはいかず、自分と同じような陰キャな雰囲気でライトノベルを読んでいる人がもう一人いたのだが、その人はいじめとまではいかないものの、パリピ系はウェーイ系から定期的に嫌がらせを受けていたし、ほかのクラスメイトからも少々距離を置かれていた。
その人とは話す事は何度かあったし、見ていて気持ちの良いものではなかったので、自分も、周りの人も止めてはいたがたが、一旦やめるだけで、完全にやめる事はなかった。そんな奴らは擁護した自分も嫌がらせの対象にするかと思いきや、そんなことはなく、普通の生活を送れていた。
これがよくわからない。
友人に同じ雰囲気の人間なのになぜこうも扱いかが違うのか、と聞いた事がある。すると「全然違う」と返ってきて困惑した記憶がある。内容はよく覚えてないが、雰囲気だとか話しやすさとかだった気がする。そんなのどうしようもない。
と、クラスメイトからの表向きの迫害は免れたものの、裏や他クラスでの陰口等は普通にあった。直接的な行為はなかったのでどうでも良かったが。
そんなことがありながらもなんとか卒業。寄せ書きにはそれなりの人にメッセージを書いてもらい、自分も色々書かせてもらった。絵の上手な友人に当時流行っていた魔法使いのキャラを描いてもらいご満悦。かわいい。
それから数年の月日が流れ最近、休憩時間にスマホをいじっていると、何やら周りが少々騒がしい。なにかと思えばパズドラのガチャ更新みたいのがあるらしい。今か今かと更新が待たれる中、追加されたキャラは”コットン”と言うらしい。自分はパズドラをやっていないので、話はよく分からなかったがここで耳を疑う言葉が聞こえた。
「かわいい」
パズドラと言えば、モンスト、ツムツム等に並び、一般人向けのソシャゲ(筆者の感覚)であり、プレイヤーの大半は性能で編成し、外見には興味が無いと思っていた。そこに、外見の話題、”気持ち悪い”ではなく”かわいい”、そして、それがウェーイ系集団の中から発されたものであり、周りもそれを否定することもなく、どちらかというと肯定的な雰囲気だった。
自分が思っていた一般人がアニメ系やゲーム系の絵や萌え絵を見たときの反応といえば、大体、毛嫌うイメージだし、実際にそういうところを間近に見てきた。最近では露骨なものは見なくなったものの、まだそういう感覚があるもんだと思っていた。でもパズドラの人気投票見たいのでチアガールみたいなポンポン持ったキャラがセンターにいる結果画像みたいのを見た記憶があるし、そんな時代ももう終わりに近づいているのかな。それとも周りの人物たちが特殊なのか。
でも、もし、今までそういうのを毛嫌いしてた人が少なくなってくるなら自分としては生きやすいし、悪いことだとも思わない。そういう傾向に行ったらいいなと思います。
そんな二次絵に抵抗がなくなってきた方におオススメしたいのは”アイドルマスターシンデレラガールズ”という作品で、ちょっと前にTVCMが流れていましたね。わからない方は、”元SMAPの中居くん”さんが出演していたCM、と言えばピンとくる方が結構多いのではないでしょうか。こちらは”スターライトステージ”というスマートフォン向けに配信されている作品でして、アイドル達が歌って踊る!曲に合わせて上から降ってくるノーツをタッチ!いわゆる音ゲー、リズムゲームというやつです。難易度は、”DEBUT””REGULAR””PRO””MASTER” さらに、上級者向けに”MASTER+”という高難易度も存在し、初心者から上級者まで、自分に合った難易度でプレイできます。私も始めたての頃は”REGULAR”ですら精一杯でしたが、いまでは”MASTER+”もクリアできるようになりました。そして目玉はなにより、後ろで3Dのキャラクターが踊ってくれます。プレイしているところで踊られるのは邪魔じゃない?と思うかもしれませんが、”MASTER”をクリアすると”MV”として、踊りだけがじっくり鑑賞できます。なお、バックを若干暗くし、見やすくする機能や、2D表示、静止画背景といった、音ゲーだけに集中したい方にも有難い設定が可能です。このゲームには”コミュ”というお話パートがあります。まるでアニメ一話分を丸々見ているかのようなボリュームのストーリコミュ、ゲーム内のイベント開催に伴うイベントコミュや、アイドル各個人の成長を描くアイドルコミュ、そして、ホーム画面やルーム機能も合わせて、アイドル達の色々な一面が感じられます。ゲームには付き物もロード画面でもアイドルのウワサや一コマ劇場といった、空き時間も飽きさせない気遣いがあります。登場キャラは50名以上!と公式ではなっていますが、3Dモデルで躍らせることができるのは例外を除き183名いるので、あなたが好きになるアイドルがきっと見つかります。不遇、と言われるキャラもいますが、我々はプロデューサーとして、彼女たちをトップアイドルに導くべく、日々精進しています。楽曲の初期収録数は40程度ですが、進めていくと120以上になり、今後も増えていくようです。日を重ねるごとに進化していくデレステの今後の進展は目が離せません。スマートフォンで、しかも基本無料でこれまでのクオリティのゲームが遊べるなんて凄いと思うし、「この子のためなら課金できる」と決意を抱く人もきっといると思います。私がそうだったように。皆さんもアイドル達と最高のステージを目指してみませんか。