はてなキーワード: 青年の声とは
アニメのキャラクターたちのイメージを作り上げるのに大切なのは「声」でしょう。
まず名前が挙がるのは、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』に登場した煉獄杏寿郎の弟・煉獄千寿郎(CV:榎木淳弥)です。「炭治郎の声より低くて違和感。かわいくて震えてるような声を想像してた」「ガッツリ青年の声でびっくり。でも泣きの演技はうまかったからいいと思う」
同じく多くの人が驚かされたのは、『劇場版 呪術廻戦 0』の乙骨憂太(CV:緒方恵美)でしょう。「高校生だし男性声優さんが担当すると思った」とキャラの年齢から、男性声優を想像する声が多かったようです。
最後は、『名探偵コナン』の安室透(CV: 古谷徹)と赤井秀一(CV:池田秀一)です。こちらは原作者の青山剛昌さんが『機動戦士ガンダム』を好きすぎるがゆえに、「アムロ・レイ」と「シャア・アズナブル」をモデルにしたことは有名な話です。「個性的すぎて違和感が……」「顔と声が合ってないよね」と違和感を禁じ得ない声もチラホラ上がっているようです。
いい加減にしろ。
「ディズニー新作オリジナルアニメの主人公の声合ってないな。女なんだからもっと高くてかわいらしい声にしろよ。」
「男のくせに声高すぎ。もっと男らしい低い声だと思ってた。」
「こういうキャラはこうあるべき」みたいな偏見と差別をまき散らしても未だに咎められない野蛮な国は先進国では日本くらいなもの。
最近、深夜に起きているとよく流れているCMがある。それがこちら。
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『キリン 午後の紅茶』「あいたいって、あたためたいだ。17冬」篇
https://www.youtube.com/watch?v=n2ii6Vyv5ME
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最初は何気なく聞き流していて、「きれいな声だな」とか「スピッツの曲だっけな」とか、ふわっとした感想しか持っていなかったのだけど、よくよくCMを見てみると妙な違和感を覚えた。何だかこう、脳裏がざわつく感じがしたというか。
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CMの流れとしては、以下の通りだ。
・夕暮れ時。田舎の駅で電車を降りた女子高生が、ホームの自販機で午後の紅茶(ホットミルクティー)を買う。そのまま帰り道を歩く。
・歌いながら帰り道を歩くうちに、星の見える夜になる。立ち止まって、空を見上げる。
・東京のどこか。高架を走る電車を見上げる、厚着の純朴そうな青年が映る。片手にはスーツケース。
・再び女子高生。星空の下のあぜ道でスピッツ「楓」のサビを歌い続ける。
・女子高生が鼻をすするカットの次には、青年が「会いたい」と呟くカット。
・「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーとともに、商品の大きな画像。ここでCMは終わる。
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シーズン的には「大学入学をきっかけに地元を出る青年と、彼を田舎から見守る女子高生」を示唆していると思う。「楓」のサビは「さよなら 君の声を 抱いて歩いていく」だが、映像からすれば「さよなら」して「抱いて歩いていく」と宣言しているのは女子高生だし、「君」のフレーズで映るのは東京に降り立った青年だ。とすれば、二人の境遇はそう考えるのが妥当だろう。
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CMの終盤、歌声だけがフェードアウトして「会いたい」と呟く青年の声に被さるくらいの勢いで「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーが続くことでノスタルジーを演出したいのだと思うのだけど、私はそう受け取ることができなかった。おそらく冒頭で述べた「違和感」のせいで。
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その違和感を簡潔にまとめるとすれば、「別に男だけが田舎から『外(敢えて都会とは言わない)』に出るわけじゃないじゃん?」ということになる。
※ここでは「女子高生は後輩であり、青年のほうが先に大学生になったのでは?」という単純な疑問はここでは置いておくとする。論点から逸れてややこしいから。
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何故そう思うかって、私自身が「田舎から『外』に出た女」だからだ。「外」に出て、もうすぐ3年ほどになる。
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私の出身はとある片田舎で、田んぼと畑と幹線道路に囲まれて育った。このCMに出てくるほどの田舎ではないが、まあたぶん「田舎」と形容して差し支えないだろう、くらいの田舎。どのあたりが田舎なのかと訊かれればいろいろと答えられそうだけど、特筆すべきは「保守的で閉鎖的」なところだと思う。
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それを自覚したのは高校生の頃だった。元々県外への進学を希望していた私は、模試で記入する志望校欄に地元の大学を頑なに書かなかった。けれど、当時の担任は「第5希望でも第6希望でもいいから『とりあえず』××大学(地元の国立大)か△△大学(隣県の国立大)って書いとけ」と再三念押ししてきた。
最初は不思議に思っていたが、周囲の友達に志望校を訊くと、決まって「『とりあえず』××大学か△△大学かなあ」と返ってきた。その答えには男女差がなく、受験期になると滑り止めの私立がどこか訊いても県内の私大や短大の名前を返されることが多くなった。
そもそも地元国立大信仰が強い傾向があって、それもある種のムラ社会の名残のようなものなのかもしれないけれど、だからってみんながみんなして目指す必要なんてなくない? というのが私の持論だった。模試にも進路希望調査にも地元国立大の名前は最後まで書かなかった。
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その後、私は第一志望ではなかったが県外の大学へ進学が決まり、地元へは長期休みと年末年始だけ帰省する生活が続くこと、1年と少し。「成人式出る?」「同窓会出る?」といったLINEが送られてくる季節になっていた。中学校単位で開かれる成人式と、高校の同窓会。どちらにも出席はしたが、金輪際同窓会には行かないなと思った。単純に「合わない」と感じたからだ。
私が県外の大学に行くことは仲の良い友人たちくらいにしか伝えてなかったとはいえ、それ以外の「それなりに仲は良かったが連絡をしていない」人や、「元クラスメイト」ぐらいの人たちに会うたび、「いまどこにいるの?」と訊かれ続ける。「○○大学ってところ」と愛想笑いで答えるのにも骨が折れた。
久しぶりに会ったのだから普通の質問だと思うかもしれないが、そうじゃない。田舎は閉鎖的だ。普通に暮らしていれば、どこかで知り合いに遭遇するのだ。ましてや大学生。地元の大学に通っていれば誰かしら中学や高校の同級生に会うだろうし、電車通学をすれば遭遇率はさらに高まる。だから、この「いまどこにいるの?」は「『最近見かけないけど』いまどこにいるの?」という意味だ。何だこの怖い質問。そう訊いてくる人たちは大抵××大学か△△大学、もしくは県内の私大に通っていて、「外」に出た人は一クラスでも片手で数えられるくらいだった。
それぐらい、田舎(というと主語が大きいが少なくとも私の地元の場合)から「外」に出る人は少ない。田舎は保守的だからだ。
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「外」に出た人間が偉いとか、田舎から出なかった人間が偉くないとか、そんな話をしているわけではない。ある友人は県外の大学に進学して馴染めずに今期休学を選んだし、彼女の母親は地元から一度も出ずに働いている。そんなのは人それぞれだ。
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感情に任せて書き殴っているせいで言葉がまとまっていないが、「『外』に出て勉学に励むのは男で、女は田舎に残るものだ」みたいな安直なジェンダー観を当該CMから受信してしまってどうにもならなくなってしまっただけだ。そんなわけない。「外」に行くのは女だっていい――――いつの時代の発言みたいなこと言ってんだろう。勉学にジェンダー差なんて必要ないのに。
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