はてなキーワード: 学事とは
私は若い人が私の世代で流行ったものをどう捉えるのか学事性時代から好きである
状況が許せれば布教したりしている
その御蔭で子がドット絵が興味を持つようになったり
当時の知識を教えた子が学校でジョーセンやらミニ四駆やら流行らせたりするのを聞くのは少し面白い
逆にあわないものもある。PSの時のゲームだったり、初期ポケモンは割りと評判が真っ二つだ
それはそれで一切問題ない。
スマホが生まれたときからある子供がどう昔のゲームを捉え認識して腹落ちさせるのかを聞くのは
だがこれは流行らなくていいだという文言が近所の小学生の家から聞こえてきた
これは超えんでええやろ(真顔
私は結婚後子供が小学生にあがるタイミングで別の国に移住した。甥とはその後もWeChatで連絡を取り合う仲だ。ビデオチャットで英語の宿題を手伝っていた時期もあったが最近ではたまにビデオ通話で話す程度になってはいるが。
日本人よりも中国人社会の中にどっぷりつかって生活してきて痛感するのは中国の受験は非常に過酷であるということだ。
甥は現在中学生で朝6時半には家を出て、近所の中学へ通い、夜の7時近くに帰宅する。別に補修とか部活があるのではなく、純粋に義務教育のカリキュラムをこなしているだけなのだが学校の授業時間が異常に長い。
放課後は特に遊ぶ時間もなく、大量の宿題をかたずけなければならない。中国のSNSでは、夜の1時になっても宿題が終わらないと嘆く親の動画や精神崩壊して泣き叫ぶ子供の動画などは普遍的に再生数の伸びるコンテンツと化してしまっている。
優秀な子供はそれでも早めに宿題を終わらせ、さらに補習塾、オンライン塾などで勉強していたりする。中国政府は子供のストレス軽減と親の金銭的負担を少しでもなくそうと、その強権をふるい突然全国のあらゆる塾をなくしてしまったが、それでもその監視の目をかいくぐり今でも塾は平常運転していたりする。
中国は省や地域によって高校の進学事情が大きく異なり、全国平等に学ぶ機会が与えられている社会ではない。
例えば、甥の地域での高校に進学できるのは、中学卒業生のおよそ半数、50%よりも少し少ない人数である。
中国で高校と言うと日本とは少し概念が異なり基本的には日本の進学校に相当する。高校へあがればほぼ自動的に大学受験となる。
高校は基本的には全寮制で早朝から深夜まで缶詰状態で勉強に励むことになる。(高校はさらに受験地獄と化す)
では、高校へ進学できなった生徒はどのような道があるのかというと、「職業学校」と呼ばれる、日本で言うところの専門学校に相当する学校へ行くことになるのだが、そこは「高校」ではなく、卒業しても高校卒業という資格は得られない。
日本でも話題になっていて知っている人も多いかと思うが、中国では慢性的な就職難であり、優秀な大学卒業生は山ほどいる。
職業学校卒業して就職できるところは非常に限られており、選択肢が大きく狭まってしまう。そういう事情もあり中国の親たちは教育に非常に熱心である。
これが北京だとどうなるのかというと、首都だけあって教育機関は非常に充実しており、市の中心部の学区では高校進学率は70%を超えている。
しかし、北京の郊外エリアとなると、地方都市と同レベルのおよそ50%にとどまる。
ある程度資金のある親たちは、早くから子供を海外留学に出して、帰国子女枠で中国国内の有名大学に入学させるか、そのまま海外の大学を卒業し、現地就職あるいは帰国し外資企業への就職などを目標にしていたりする。
そこまで資金が潤沢ではないが、ある程度の資金がある親たちは、子供とその母親を海南島へ移住させるのが小さなブームのようだ。私の知人、友人でも2家庭すでに移住している。
海南島は人口がそれほど多くはなく高校進学率も高いため、子供の進学のために移住する親たちが最近増えているとのこと。
15歳という中学三年生時に、人生のレールが大体決まってしまうという非常に過酷なレースの中に、中国の子供たちはいる。
甥はというと、日本のアニメにどっぷりはまって、ナルトが大好きだと話す。学校の先生に親が呼び出されること多数。成績を見ても高校へ進学できる可能性は高くはない。
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231213191557
直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである。
最初の方で説明した場面で、職場のコピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。
ストレスには耐えられないし、自分勝手なスタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手の意見を曲解することが多かった。
私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム(戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行に必要な個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である。
ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行に必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。
ところで、あなたの職場にもいるのではないか? 仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレスで精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。
残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。
市職員の場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。
教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働やサービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定の基準に達した教育人材を育成することができている。
人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格や能力が磨かれ、玉になっていく。
さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合は学校歴がよかった。地元の名門公立高校を卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。
縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共の学童クラブの指導員は、その多くがスカウトである。特に、男性の場合はほぼ100%だ)。教職員の採用試験においても、学科・面接試験の点数以外で、非公式に評価すべき点というのは確かにある。
行政一般事務の職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的な統計である。
高等学校の入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格、学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。
プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者・児童や中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合、入試前に合格が決まっていた。内申点は中三期を満点にするなどして対応する。
マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校の入学試験の基本は、学科試験+内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。
ただ、その子が合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲で不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ、高校側も不用なリスクを取りたくない。名門とされる公立高校に問題児が少ない理由のひとつである。
B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。
梅雨が明けた頃に、霞が関の新卒キャリア官僚が研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁の研修先のひとつに選ばれていた。
キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。
最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所のよもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。
ex.研修先部署の部長の肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど
③国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる
④ほかのキャリア官僚とB君の部署の係長が、彼を羽交い絞めにして止めた
……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚の場合、調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強に勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから。調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリアは東京大学卒だった)。
かくいう私自身も、文部科学省の事業査定担当官であるとか、会計検査院の検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ。
人間はいかなる状況の下においても、自己の衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当な見解であると私は考える。衝動は制御することができるし、制御しなければならない。それは現実の要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまりや一貫性および価値観の要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存的葛藤や解決不能な問題、さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己を制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295
私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。
声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長も課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。
B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動を咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。
しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。
それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明。
本来名誉であるはずだが、その出向期間中に退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?
現代社会において、感情が表に出るタイプの人間はしんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。
先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学の碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。
例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。
C係長「お前、こないだできるっていったよな!」
若手部下「すいません」
「なんでできねーんだよ」
「……なんとかします」
「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」
※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。
後は、イベントだろうか。市区町村においてイベントを主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである。教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的なものもある。
さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。
その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。
その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部級職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである。
□ イベント会場は維持できるのか?
上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テントも備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段を提示したのがC係長だった。
彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。
私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。
教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社の現場責任者と交渉を始めた。
夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社がロビーで交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。
私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。
以下、会話を手帳にメモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである。
「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社と契約します。それでいいなら、あなたの判断で断ってください。テントの作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」
「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」
「あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間、あなたの会社に上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる
「判断ができません」
「毎年、あんたの会社と契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式に競争入札せんといかん金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間に電話するか、あなたの判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」
「……」
「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」
「わかりました。指示をお願いします」
C係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。
結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業は絶対に必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である。
手続き的には違法である。正しくない。警備会社をロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司が処分を受けたという話は聞いていない。
個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。
例えば、テントが崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。
(次part)
約三ヶ月前、社会人生活に区切りをつけた。当方は、はてなユーザーの中でも高齢である。一般的な定年はとうに過ぎている。社会人として40年以上生きてきて、得られた知見といえば……大したものはない。
ただ、今回どうしても書き綴ってみたいことがあり、筆をしたためることにした。書式については、ほかの増田の方に合わせるものとする。難しい漢字も、できる限り平仮名とする。
書き上げたのは本日12/12だが、推敲の関係で五回に分けて投稿する。土曜日には終わるだろう。
私の教員としてのキャリアは、都内にある中学校から始まった。大学を出てすぐだった。今思えば懐かしいが、あの時代に戻れたとしても今の方がいい。時代は進んでいる。
あの当時はアナログだった。電話はあるが、パーク保留(1機で複数保留ができる)といった機能はないし、パソコンは事務所に1台あるかないかだった。各学校にコピー機はあったが、今と違ってコピーされた物のコピーは悪手だった。印刷すればするほど色が薄くなる。濃淡調整機能などあるはずもなく。
学童についても、今に比べれば悪ガキがたくさんいた。今の子どもに比べると、暴言や暴力が明らかに多い。「人は教育を受けることで初めて人間になる」というのは、初等教育学のテキストにある基本的な考え方である。
さて、昔ではなく今の時代を観ていたいのだが、心がどうしても時代を遡ろうとする。この日記で表現したいことは、今から約十年前の出来事である。この度日記にまとめたのは、教委事務局に勤めていた時に最後に取り組んだ仕事のひとつである。残念ながら、教育そのものに関することではない。※当時の関係者は全員退職している。
要約すると、某地方自治体にある教育委員会の中に社会教育課というのがあった。その部署というのが、区役所の中のいわゆる問題のある職員が集まるところだった。区内の教員を指導する部門の長をしていた頃の私は、すぐ近くで醜い言い争いや、低次元な行為がなされているのを幾度となく目の当たりにした。
彼ら彼女らの言動には、ほかの教委職員も腹に据えかねていた。そして、ある年を境として、何度も本庁と協議・交渉を重ねた結果、教育委員会という組織から社会教育課を放逐することができた。
本当に苛々とした日々だった。その分、悲願が叶ったと知った時の喜びは至高だった。今でも解放感が脳裏に蘇ってくる。
これから私が話すことは、人によっては相当厳しい。負の次元に堕ちた地方公務員の姿を垣間見ることになる。それでもよければ、読み進めていただきたい。
私はもう経済社会を完全に引退している。書き綴る出来事もだいぶ前のことだから、元いた組織の迷惑にはならないだろう。何かあった場合は、私が責任を取る所存だ。
トピックについては、1.から6.まで用意している。具体的な職員のエピソードは2.~5.である。6.において、社会教育課との決着について書かせてもらう。
教育委員会(≒教委事務局。教委。以後は同じ意味として扱う)とはどんな組織か? というと、早い話が地方自治体の学校教育に関する意思決定と事務(企画・調整・一般的な管理行為)を行う組織である。
第180条の8 教育委員会は、別に法律の定めるところにより、学校その他の教育機関を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱及び教育職員の身分取扱に関する事務を行い、並びに社会教育その他教育、学術及び文化に関する事務を管理し及びこれを執行する。
教育長が責任者となって所掌事務や教育改革・首長への提言その他を総理し、教育委員が集まる会議(議会のようなもの)で可決された教育内容が自治体内の学校において実施される。
かつての戦争の折、行政の暴走行為によって学校教育が歪められてしまった経緯がある。地方行政の主体から教育の機能を切り離して、教育活動全般に関する権限を有する行政委員会としての役割を与えた。
実際のところは、市区町村の本庁舎の一部を間借りしている教委が大半である。役所の中に多くある部署のひとつとして位置付いている。
(指導課)…都道府県教委が教員の中から高査定者を人事異動させる
(学事課)…指導課のような教職員出身者と市区町村職員による合同チーム
(学童クラブや児サポ)…教委が有望者の中から採用・選定をして運営
そういうわけで、私の場合は上記でいうところの指導課(各学校の指導方針を所管)や学事課(学校事務を所管)に籍を置いていた。あれは、新卒で教育現場に配属になって十年少々だったか。ある年の人事異動で、そろそろ別の学校に異動になるかと考えていたところ、教委事務局への配属を告げられた。
それから数十年、学校現場に戻ったのは二度だけだ。一度目は中学校の教頭として、二度目は校長として。その前後にも、私はやはり教委に籍を置いていて、より高い視座から教育活動のあり方を見直すことや、新しい学校を作る、あるいは廃止するといった仕事に取り組んだ。
最後は課長級職員としてキャリアを終えた。その後は、いわゆる名誉職といった扱いの教育の仕事に数年だけ取り組んで、先日正式にこの仕事から引退した。
タイトルにある出来事は、社会人生活の中でも相当後半にあたる。都内にある中学校で教頭としての務めを果たした後、ある年の人事異動で教委事務局に課長職として配置された頃の話である。期間としては三年間だ。
教委事務局の中でも、ほぼ真ん中あたりの奥側に指導課長である私の席があった。「ようやくここまで来たか」と思いつつ、課員全員が見渡せるデスクに腰掛けようとした時だった。言い争う声が聞こえるではないか。何時かは忘れたが、おそらく正午前だった。
社会教育課の事務スペースで、複数の職員が言い争いをしていた。若い子と、中年ほどの男性・女性の職員だった。どういう構図かは全く覚えていないが、低い次元の話をしているのはすぐにわかった。公務員以前に、社会人として使うべきではない語彙や、極めて高圧的な物言いが見て取れた。
話し合い(口論)を少しばかり眺めていたが、最後は男性職員が女性職員から詰問を受け、ちょうどかかってきた電話を取る形で逃げて終わった。若い職員は、舌打ちをしてその場を後にしつつ、コピー機が設置してある台を蹴っ飛ばして事務室を出て行った。
『なんだ、こいつらは?』
心の中でそう思った。これまで配属された教委事務局の中に、こんな連中はいなかった。この市区町村の教委事務局で働いていた時もあったが、社会教育課は別のオフィスにあった。
社会教育課、という部署名は伝統的である。霞が関にも同名の部署があるほどだ。本来であれば、歴史と実績のある部署のはず。では、なぜこんな連中が……? と思って気になったが、その時は時間の無駄であると考えた。
だが、そういうことにならなかった。社会教育課は、私のいる課長机から10mも離れていない。しかし、毎週のように何度も何度も、大きい声で怒鳴るわ、悪態をつくわ、イベント行事で問題を起こすわ、用事で来られた区民を怒らせるわで、こちらとしても仕事がやり辛かった。
私と同じ教職員サイドの職員に詳しい者がいた。この教育委員会(T区とする。豊島区は関係ない)の社会教育課について聞いたところ、なんとなく経過がわかった。
・その場所ではひとつの課として独立していたが、不祥事が多かった
・監視の意味も兼ねて、本庁総務部の人事課が教委事務局の中に移した
といったところだった。この時は、まさかこの連中のためにあれほど頭を悩ませることになるとは思わなかった。
ここから先は、個別職員の話になる。2.以降に譲りたい。長く詳細に書いても読者が不愉快になるだけだ。できれば各三千字以内でトピックを終わらせたい。
話があちこちに逸れることも多々あろうが、何卒お許しを願いたい。
(次part)
ど田舎の民間の塾で小学生の時は週3で国語と算数の日、国語とパソコンの日、算数と英語の日みたいな感じだったな
こんなに安いのはこの先の中学生向けのクラスがメインだったから囲い込み的な意味もあったのかも
中学生向けだと月2万とかで、入塾試験も月次テスト別のクラス分けとかもあって、3クラス中1クラスが地元最優秀高、残り2クラスが2番手の高校に受かるみたいな感じ
塾自体も地元の中学校より人数多いくらい通ってたから全然違う校区なのに小学校からの顔馴染みがたくさんいる状態で高校入れて友達も早めに確保できて助かってた
高校からは予備校とかもたくさんあるし、地元国立なら学校の授業だけで受かる子も多かったから塾の人数は減ってたかな
自分が通ってる間に通信制高校とかも開校してて地元じゃ手広くやってる老舗塾って感じだったけど、ど田舎だとこういう塾わりとよくあるみたいで他県の人とも地元の老舗塾の話で盛り上がったことある
ただし、すぐには渡せないし、今年度来てない先生とかは勘弁してね。
もちろん中身を覗いたりしないよ。
あと授業期間中に送ってくれると嬉しい。
内容証明郵便の件やオープンレターについてはちゃんと読んでないので何の意見もないんだが、大学に非常勤講師のレターケースはない、
手紙を渡すまともな方法はないとかいう言説を見かけて頭に来たので書いている。
私は田舎の私立大学の事務職員で、郵便の受付・整理もやっている。
ていうか非常勤講師宛の手紙とか実際来るが? 普通に渡しているが?
うちはレターケースがあるのでそこから取ってもらっているし、レターケースがないとして事務文書を渡す手段を作ってない学校とかあるの?
学事暦の連絡とか授業の成績評価依頼とか、事務文書なんかたくさんあって、それらを渡す手段作ってないとかやってられないだろう。
今はコロナ禍ってこともあってメールや郵送での連絡も増えてるけど、メール連絡がメインになったのはここ10年くらいで(早くても15年くら
いだろう)、それより古い大学はそれまでの渡し方があったはず。
本人が大学に来ないと受け取ってもらえないのは確かで、下手すると1か月2か月かかってしまうので、「すぐに何かをやめてくれ」というよう
な連絡をするには向かない。とはいえ、3か月くらい来ないのが確実なら転送するか、他の文書とまとめて本人宛に郵送するけどね。
ていうか、非常勤講師っていうと若い不安定な身分の研究者を思い浮かべるのかもしれないけど、大物や名誉教授も一時的に講義を
担当するという身分としてはまとめて非常勤講師の扱いなんだから、非常勤講師という立場に敬意を払わないとかありえないからね。
そりゃ気に入らない教員もいるけれど、全員を等しく教員として尊重して扱っているよ。
なので、そういう人たちの手紙を勝手に開けるとか、そんなこと絶対しない。書留が来たら(もちろん未開封のまま)事務所の金庫に
しまって本人に連絡して手渡しする。
内容証明郵便は来たことないけど、本人住所に転送をかけるかもしれないし、近々来る予定なら預かるかな。
この程度、田舎の小規模大学でもやってるんだから、都会の大規模校がやってないわけないぞと。
そちらの大学はやってないの? 本当に?
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 86 | 14414 | 167.6 | 75.5 |
01 | 83 | 7010 | 84.5 | 59 |
02 | 54 | 4956 | 91.8 | 37.5 |
03 | 27 | 8945 | 331.3 | 84 |
04 | 32 | 3232 | 101.0 | 76.5 |
05 | 31 | 3004 | 96.9 | 61 |
06 | 36 | 2677 | 74.4 | 45 |
07 | 75 | 6988 | 93.2 | 34 |
08 | 70 | 4683 | 66.9 | 36.5 |
09 | 170 | 14982 | 88.1 | 31.5 |
10 | 198 | 12784 | 64.6 | 33 |
11 | 142 | 14867 | 104.7 | 38 |
12 | 151 | 12100 | 80.1 | 30 |
13 | 123 | 12589 | 102.3 | 42 |
14 | 130 | 10471 | 80.5 | 32.5 |
15 | 115 | 11418 | 99.3 | 42 |
16 | 167 | 15152 | 90.7 | 34 |
17 | 174 | 13821 | 79.4 | 35 |
18 | 237 | 13854 | 58.5 | 37 |
19 | 209 | 17505 | 83.8 | 44 |
20 | 155 | 13152 | 84.9 | 41 |
21 | 133 | 12688 | 95.4 | 45 |
22 | 161 | 19026 | 118.2 | 42 |
23 | 143 | 19666 | 137.5 | 54 |
1日 | 2902 | 269984 | 93.0 | 40 |
スンッ(4), 排斥運動(5), 有線LAN(6), 森元首相(5), 2500万円(4), オカミ(4), 亡(3), 闖入(3), オリンピック競技(3), とりかえ(3), ビルトイン(5), 森(26), 叩け(9), カー(8), セフレ(12), 五輪(11), モテ男(9), 殺害(14), 泥棒(8), 利か(6), ガイ(8), 儲かっ(9), 男女平等(10), はてな民(10), バブル(8), 学部(8), オリンピック(18), 愚か(11), はてなー(16), 飲食店(17), 平等(18), バグ(12), 協力(16), 羨ましい(14), 生産(11), 平成(12), 正当(12)
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子供の就学で悩んでいる。
どうやら、合理的配慮というものがキーポイントになりそうな予感。
たぶん今の都内(=23区)の中学進学事情をよく知らない人が多いと思うので、概説してみたいと思う。
昨年、61465人の中学卒業者のうち、45678人が都内の公立中学校に進学した(都の公立学校統計調査報告書より算出)。それ以外を、ここでは中学受験をして中高一貫校に進学した者とみなしてしまおう(実際には単に引っ越ししただけの人も多くいるはずだが、簡単のために)。
都内で均すと、一貫校進学率は25.56%である。四人に一人だが、これを個々の区に分けていくと違う光景が見える。
各区の一貫校進学率は以下のようになっている。
>40%: 3区
>30%: 9区
>20%: 5区
<20%: 6区
都内で最高の一貫校進学率を誇るのが、港区。48.17%で、つまり同級生の半分が地元の中学校に進学しない。一方で最低の江戸川区は12.44%だ。都内でも区によって四倍の差が出ているのだ。
なにがこの違いを説明するのかというと、単一の原因はおそらくないと思われる。が、ちょっと面白い統計がある。一貫校進学率と、住民の大卒率(大卒者÷(人口-在学者))(2010年の国勢調査より算出)には強い相関があるのだ(決定係数0.835)(もちろん区の平均年収とも相関があるのだが、平均年収が極端に高い区がいくつかあるせいであんまりうまくフィットしない(決定係数0.536))。
匿名ダイアリーにはグラフが載せられないので、大卒率47.54%, 進学率48.17%の港区と、同22.44%, 12.44%の江戸川区を線で引いて、その他の区を適当に散らばらせたようなグラフを思い浮かべていただければと思う。
このように、都内の大卒者では「資力があって教育方針に強いこだわりがなければ、中学受験をするのが普通」という環境になっているのだ。
そこには既に公立校に対する蔑視や警戒心すら無いかもしれない。
さて、教育方針に強いこだわりがあり、積極的な意思を持って公立中学校を選ぶことを考えてみよう。つまり、十分な資力と最高の学力があってですら、あえて公立中学校を選ぶような状況だ。
一貫校に対する公立中学校のメリットとして「多様な生徒と三年間を過ごすことができる」と言われる。だが、既に都内の公立中学校からは多様性は失われているのだ。
例えば、都内最大の人口を抱えるのは世田谷区(77.7万人)だ。もし地方に住んでいるあなたが都内に引っ越すとしたら、ここに住む可能性は十分高い。そして、この区の一貫校進学率は36.81%だ。クラスの中で成績の良い子や資力のある家の子が、中学に進学するにあたって上から順に1/3ほどまるごと抜けてしまうのだ。
おそらく中学校における多様性というと、頭のいい子から勉強の苦手な子、お金のある家の子から給食代が払えない子まで、進学や就職をしてしまったらなかなか接することのできないタイプの人間と付き合えることができる、そういう状況が期待されているだろう。
しかし、都内の公立中学校では、そういう状況は期待できない。望ましい条件を満たした1/3の子がすぽーんと抜けてしまった状態をもって、多様性があるといえるだろうか?
今度小学校の授業参観に行ったら、頭の良い子や育ちの良さそうな子を1/3ほどピックアップしてほしい。そして、その子らを除いた状態で脳内でクラスを編成してほしい。それが公立中学校でのクラス編成になるだろう。
実際、中学受験時には偏差値50(上位1/2が入れる)だった学校は、高校受験時には偏差値60(上位1/6)から65(1/15)あたりにランクインする。多様だった小学校の教室から優位にある生徒をごそっと引き抜いて、残った生徒で成績をつけると、こういうことになるのだ。
更に、多くの一貫校が高校からの編入を取りやめつつある。いくら公立中学校で多様性を満喫し、高い成績を得たところで、進学の選択肢は既に限られたものとなっているのが実情だ。
そういったわけで、おそらく、都内において公立中学校を積極的に選ぶ理由は既に無くなっている……というのが2020年の状況だ。
(余談だが、学力資力に勝る生徒が数多く抜けてしまうとはいえ、都内の公立中学校の治安は悪くない。いじめ・暴力件数が私立と大幅に違うということはないし、ひと目で分かる不良中学生というのも(自分が住んでいる貧しい下町ですら)見たことがない。ガラス窓は割れない、火災報知器も鳴らない、タバコの不始末で学校が燃えることもない、家庭のお金を数十万円にわたって貢がせる生徒もいないし、万引した品の交換会も開かれない。治安だけが理由で一貫校進学を考えているなら、公立でも問題ないと思う)
https://anond.hatelabo.jp/20100217113611
https://anond.hatelabo.jp/20100218173903
2016年の1月、ジョナサンで慶應の受験勉強をサボりながら上のはてなの匿名ブログを読んでたのが、いつのまにか4年前になるとはね。
当時から慶應版がなかったのが気になっていたので、今年の3月に卒業を控えた俺が新入生にアドバイスをしたいと思う。
俺は慶應の文系だ。新入生にはもちろん、これから慶應を受験しようとする奴らのモチベーション維持になればと思って書く。
ちなみに慶應義塾関係者はほぼ100%、「慶応」ではなく「慶應」の文字を使い、在学生のことは塾生といい、学生部のことを学事という。
入学する前、广(まだれ)の中にKOを入れる書き方(广K广O)をするのが普通とか聞いたが嘘だ。一回も見たことない。慶應の「應」の字難しいけど、早く覚えような。
一人暮らししてる奴は、体感30%ぐらい。文系のキャンパスは1・2年が神奈川県の日吉キャンパス、3・4年が東京の三田キャンパスに通うことになる。文学部だけは2年で三田キャンパスに鞍替えになる。
1・2年次はやっぱり東急東横線沿線に住む人が多いかな。日吉・元住吉・武蔵小杉・武蔵小山とか。キャンパスが変わっても日吉〜三田間は直通でいけるから、4年間ずっと引っ越さないって奴もいる。武蔵小山がちょうど三田・日吉の中間にあるし、商店街もあって住みやすさで言えば一番いいかな。ただ、大学仲間と遊ぶのは5回中10回は渋谷なので、それを頭に入れとくといいかも。(新宿なんかで飲み会開いたら、多分だれも集合できない)
変わり種で、寮とか矢上・新川崎(矢上キャンパス側)の方に住んでるやつもいるにはいる。ただ駅から結構遠いこともあって、飲み会の参加率は下がりがち。終電で帰ってもタクシー使わないと帰れなくなったりしている。寮は、下田学生寮が留学生多い。綱島国際学生寮は新しいのもあってめっちゃ綺麗。安ければあり。
親が金持ちなのか、3回とか4回とか引っ越ししてる奴とか白金高輪に住んでる資産家の息子とかいたけど、普通に礼金・仲介手数料勿体無いので、せめて立地はしっかり考えたほうがいい。
「大学は人生の夏休みです。」入学オリエンテーションで、学年担当の教授が放った衝撃の一言だ。もちろん俺を含めた新入生はざわついた。が、断言しよう。大学生活は、小中高時代夢にまでみた「8月32日」の連続であったと。
95%の慶應生にとって、「講義でノートを取るためにペンを持っている時間」よりも、「スタバのバイトで容器に落書きするためにペンを持ってる時間」・「トイレチェック表に記入するためにペンを持ってる時間」・「ビールジョッキの取っ手を持ってる時間」・「ラーメン二郎で食券を持って行列に並んでいる時間」の方が残念ながら長い。
学部ごとにアドバイスは異なるが、とにかく「来日」だけは避けろ。所属キャンパスが三田でありながら、「日吉に来る」ことを茶化して「来日」という。来日になると三田で前後のコマの授業が取れなくなるとか、非常に面倒だ。語学・必修は早めに片つけるべし。留学とか考えてる奴は、必死でGPA(評定)をとった方がいい。
慶應は春学期に1年分の授業を登録する。だから、学期初めの授業選びはめちゃくちゃ大事。授業の評判を知るために、塾生総合研究所っていうところが出してるReshruit(リシュルート)っていうのが多分日吉の駅の本屋とかで買えると思うけど、ぶっちゃけ楽天の「みんなのキャンパス(https://campus.nikki.ne.jp/)」の方が情報量・正確度は高い。かなりお世話になった。ただ、リシュルートには大学語録とか乗ってて面白かった覚えがある。1年時は買うのはアリかも。
活字ベースではどうしても情報に限界があるから、後述する新歓期でのサークル勧誘時に同じ学部の先輩を見つけて履修相談に乗ってもらうっていう方法が一番ベスト。サークルによっては履修相談を客寄せパンダにしてるところもあるから、サークル自体に興味がなくても相談しに行くことをオススメする。
こういう言い方はあんまり好きではないけど、塾内団体種別を”イケてる”順で表すと、「體育會(体育会のこと)>>ダンサー>オーラン(インカレ)>テニサー>三田実(文化祭実行委員会)>国際交流系>その他」みたいな感じがなんとなーく蔓延ってる。
4年間スポーツしたい人は是非、体育会へ。野球とか強いし、環境は整ってると思う。実は体育会にも種類があって、体育会・準体育会(通称ジュンタイ)・理工学部体育会(通称リコタイ)、スポーツ・体育会の種類によってはそこまで練習がきつくないところもあるって噂。体育会は無条件にモテる。就活もめちゃくちゃ強い。
昔は花形だったテニサーは、近年の飲酒事故とかで人気が下火になってる。「らりるれろ」が頭文字につくテニサーに所属してると飲み会番長間違いなし。テニサーのサークル入会方法だけ特殊で、基本的には新歓期しか入会できないから注意が必要。
テニサーに代わって台等してきたのがダンサー。可愛い子とかだいたいここにいる。大体男の方が少ないサークルが多いから、モテたい男性諸君は今のうちから踊っとこう。
三田実・国際交流系の団体にはわりと真面目な人が多いイメージ。試験期間にはこういう真面目な友達が、神みたいに思える。
いろいろ言ったが、サークルは最低3つ以上は入った方がいい。途中でフェードアウトするのはベネッセ模試ぐらい簡単だが、途中で入るのは慶大オープンぐらい難しい。ぶっちゃけ所属してみないと本当の雰囲気はわからないので、たくさん入って自分にあったところだけ残って所属すればよし!俺もなんとなく籍だけいれてたところが最終的な居場所になってた。
1年で日吉に入学すると、イチョウ伝説を聞くと思う。「キャンパス内の日吉記念館までの道に植えられているイチョウが散るまでに彼氏/彼女ができないと、大学時代に付き合えない」とかいうよくある奴だ。イチョウ伝説が1年時のことを指してるのか2年時まで猶予があるのかとか、どうでもいい論争があるが、この伝説はマジだ。欲しけりゃ早く動け。ほんと、慶應で4年間彼女いないって本当に、まずい、まずいって。あぁ・・・。
日吉時代はカフェ、家庭教師・塾講師とかが多いかな。なぜか教える系のバイトはだいたいみんな2年でやめる。たまに意識高く有給インターンとかしてる奴とかいるが、焦らなくて大丈夫だ。どうせコーヒー運びしかしてない。
好き勝手業種を変えられるのも今のうちだ、社会勉強だと割り切っていろんなことを経験してみるといい。大学の名前に恥じないようにブッチ(無断欠席)だけはしないようにな。せめて連絡ぐらいいれろ。
やってみたいこと、やりたいこと、学びたいことがたくさんあるのはいいことだ。全部やってみる時間があるのが、大学生活の良さだと思う。
特にウチの大学は、単位に関して楽をしようと思えば本当に簡単に卒業ができてしまう。大学・資格勉強・サークル活動・学生団体・留学・ボランティア・バイト、試行錯誤しながら自分なりの時間の使い方を見つけられるといいな。最後に某W大学みたいに一流から三流まで表して終わりたいと思う。多様一流、起業二流、卒業三流。
神というのはただそこにいて知能のある俺が日本を卒由するから他の一億は黙って努力して付いてこいよと言ってるだけ。
學事獎勵ニ關スル被仰出書 (學制序文)
人々自ラ其身ヲ立テ其産ヲ治メ其業ヲ昌ニシテ以テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ
他ナシ身ヲ脩メ智ヲ開キ才藝ヲ長スルニヨルナリ而テ其身ヲ脩メ智ヲ開キ才
藝ヲ長スルハ學ニアラサレハ能ハス是レ學校ノ設アル所以ニシテ日用常行言
語書算ヲ初メ士官農商百工技藝及ヒ法律政治天文醫療等ニ至ル迄凡人ノ營ム
トコロノ事學アラサルハナシ人能ク其才ノアル所ニ應シ勉勵シテ之ニ從事シ
而シテ後初テ生ヲ治メ産ヲ興シ業ヲ昌ニスルヲ得ヘシサレハ學問ハ身ヲ立ル
ノ財本共云ヘキ者ニシテ人タルモノ誰カ學ハスシテ可ナランヤ夫ノ道路ニ迷
ヒ飢餓ニ陷リ家ヲ破リ身ヲ喪ノ徒ノ如キハ畢竟不學ヨリシテカヽル過チヲ生
スルナリ從來學校ノ設アリテヨリ年ヲ歴ルコト久シト雖トモ或ハ其道ヲ得サ
ルヨリシテ人其方向ヲ誤リ學問ハ士人以上ノ事トシ農工商及ヒ婦女子ニ至ツ
テハ之ヲ度外ニヲキ學問ノ何物タルヲ辨セス又士人以上ノ稀ニ學フ者モ動モ
スレハ國家ノ爲ニスト唱ヘ身ヲ立ルノ基タルヲ知ラスシテ或ハ詞章記誦ノ末
ニ趨リ空理虚談ノ途ニ陷リ其論高尚ニ似タリト雖トモ之ヲ身ニ行ヒ事ニ施ス
コト能ハサルモノ少カラス是即チ沿襲ノ習弊ニシテ文明普ネカラス才藝ノ長
セスシテ貧乏破産喪家ノ徒多キ所以ナリ是故ニ人タルモノハ學ハスンハ有ヘ
カラス之ヲ學フニハ宜シク其旨ヲ誤ルヘカラス之ニ依テ今般文部省ニ於テ學
制ヲ定メ追々敎則ヲモ改正シ布告ニ及フヘキニツキ自今以後一般ノ人民 華士
族卒農工商及婦女子必ス邑ニ不學ノ戸ナク家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス人
ノ父兄タル者宜シク此意ヲ體認シ其愛育ノ情ヲ厚クシ其子弟ヲシテ必ス學ニ
從事セシメサルヘカラサルモノナリ 高上ノ學ニ至テハ其人ノ材能ニ任カスト雖トモ幼童
ノ子弟ハ男女ノ別ナク小學ニ從事セシメサルモノハ其父兄ノ越度タルヘキ事
但從來沿襲ノ弊學問ハ士人以上ノ事トシ國家ノ爲ニスト唱フルヲ以テ學費
及其衣食ノ用ニ至ル迄多ク官ニ依頼シ之ヲ給スルニ非サレハ學ハサル事ト
思ヒ一生ヲ自棄スルモノ少カラス是皆惑ヘルノ甚シキモノナリ自今以後此
等ノ弊ヲ改メ一般ノ人民他事ヲ抛チ自ラ奮テ必ス學ニ從事セシムヘキ樣心
得ヘキ事
右之通被 仰出候條地方官ニ於テ邊隅小民ニ至ル迄不洩樣便宜解譯ヲ加ヘ精
こういっちゃあれだけど、あれはまだ理系だから炎上してるわけでそれはそれで自浄作用として正しいと思う。
剽窃ねつ造どころか論文が一本もないとか、もうそれはわかりやすいディプロマミルみたいなところで学位とってきた、
とか、わけのわからん実務経験とやらで大学に潜り込んできた人なんて山ほどいる。さらにタチが悪いことに、その手の
センセイってのはだいたいキャリアデザインあたりをご専門とされていて、学生の人生に土足でズカズカ踏み込んで自分の
たいそうな経験とやらをふりかざして断定的にこうせいああせいいうもんだから、本当に迷惑。
学生もバカだから、一流企業の出身者は一流だと思い込んじゃうからなあ。
実際はとんでもなくバカなんだけど。
それで本人は教授の肩書きをフル使用して外で講演だの研修だの行きまくって、学事はしない論文は書かない(書けない)、
ゼミ指導はしない、もうほんと負の資産でしかないわけで、それで少しは有名にでもなってくれりゃぁいいんだけど、
仲間内の中小企業みたいなところでしか仕事しないから全然マーケティング効果なんてないし。
もうほんと、辞めてくんねぇかなぁ。
7 : ペスト・コントロール・オペレーター(長野県):10/07/27 16:27 ID:VXzEcToP
俺も人を信じないけど表面上は信頼してるように見せないと色々面倒だろ
その程度の処世術は遅くても中学までに会得しておくべき
コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である。
The greatest problem in communication is the illusion that it has been accomplished.
George Bernard Shaw
[8760時間][2920時間][可処分時間][可処分所得][年収][時給]
誰のことばにも耳をかせ。こちらのことはむやみに話すな。 シェークスピア
君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し
[友人][友達][友情]困難な情勢になってはじめて、誰が本当の味方だったかわかるものだ。
世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただの社交、欲望の駆け引き、親切のとりかえっこに過ぎない。結局自愛が常に何かの得をしようとする一種の取引に過ぎない。
友人友情は偶然や便宜のための付き合いやなじみ深さをいうに過ぎない
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。
すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア
私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)
彼女にも、友達にも、上司にも、部下にも嘘を付く
建前と本音
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
「なんとなく」を可視化し、「変えられるもの」に集中する - 点と点をつなぐためのメモ - connecting the dots
最近、他人を説得したり、意見することにエネルギーを使うことをやめました。それよりも、自分を変えることが大切。
私は他人の心を理解するだなんて超能力を持ち合わせてはいない。できるのは、他人の心を推測することだけ。
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
完全に自分の事をわかってもらえない、完全には相手の事がわからない
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちている
「人間の性は、本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾であるが故に、私は人間を根本的に信用しない」
[人間関係]「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
朝起きたら自分にこう言い聞かせる。おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、こういう連中を避けて通ることはできない。
人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。ゲーテ
他人をあてにしてはならない。それは期待するほうがまちがっている。
リチャード・ハミング「あなたとあなたの研究」前半 - らいおんの隠れ家
2 それに取り組んでいますか?
3 なぜ取り組んでいないのですか?
らいおんの隠れ家 - ポール・グレアム「良い後回し、悪い後回し」
[代返][録音][ICレコーダー][声紋鑑定][除籍][退学]
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
慶應義塾大学-塾生HP-平成26年度(2014年度)塾生スケジュール(学事日程)
青山学院大学 | 学事暦・行事・イベント - 学生生活・進路
「frepa」サービス終了のお知らせ - ソーシャルネットワーキングサイト (SNS) - フレパ
[悪口][ICレコーダー][録音]口の虎は身を破り、舌の剣は命を絶つ。
頭まで登って、顔まで舐めだす奴がいる。 俺はそういう奴が大嫌いなんだ。
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。
全ての人を疑ってはいけない、然し、全ての人を信用してもいけない。
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れてると思い込んでしまうケースが挙げられる。
また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりみたりした事がないにも関わらず、良いイメージを与える。
それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
はてなブックマーク - 【2ch】日刊スレッドガイド : 大学の学食で、楽しそうに談笑するサークルの連中を見て嫌な気分になった・・・
若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。
外見には自信のなさが滲み出ている。
気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。
はてなブックマーク - Discommunicative - 大学における準ひきこもりという存在
FrontPage - 大学生にもなって今さら聞けないコト。まとめwiki
すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア
大学生活の根幹を形成している諸処の行為を充実の中行っている人間を指す言葉である。
「リア充」に慣れるか否かの決定的要因となるのは、
新しく作られるコミュニティに対しすぐさま順応できる能力を持っているか否かであり、
また見ず知らずの他人に対し仲良く話しかけることが出来るか否かである。
これは「リア充」と呼ばれるにふさわしいテニサー達の行動を見ていれば分かる。
あの行動の源泉になっているのは他でもない「コミュ力」であり、
1 名前: 早稲田大学助教授 投稿日: 2001/04/19(木) 20:16 ID:l0RjqOe.
学生さんを見ていて思うことは、やはり大学生活が楽しいものとなるか
つまらないものとなるかの決め手は積極性が全てのようです。
なんだ、簡単じゃないと思う方もいると思いますが、この積極性があるか
ないかを大きく左右するのはマスクの良し悪しにかかっているのではないでしょうか。
マスクがある程度よいと、自分に自信ができるため自然と積極性も身についてくる
ものです。ところがそうでない人は、どこで何をしても誰も評価してくれないので、
ますます消極的になりついにはひきこもりにまで発展する人も多いようです。
皆さんの小中高時代を思い出してください。
登校拒否やいじめられっこというのは大抵肥満児やマスクが悪いおとなしい子が
多かったのではないでしょうか。木村タクヤさんのような顔で、
登校拒否というのは例がありません。特に我が早稲田大学の場合、
学生の数が著しく多いため、マスクが悪い人は相当な苦労を要しているようです。
さらに本学の定期試験は、過去問が大量に出回る為それを手にいれるか否かが
重要なポイントになっています。これは大学側が仕向けていることであり、
早稲田大の定期試験は社会に出てから要求されるこれらの能力を試す
留年する人は、いわゆるチャライ人ではなくおとなしい学生が多いのはこの為です。
就職でうまく行く人も、授業に毎日出ているまじめな人ではなく、
サークル恋愛アルバイトをこなす活発でおしゃれな学生が多いようです。
これは就職課でも言われていることです。
受験生の皆さんはこのあたりのことも充分考慮してください。
学部生の頃には勉強が好きでもなく、試験前の一夜漬けで単位を稼いでいただけの奴らが、どんどん論文を書いて実績を残したりしている。
彼らは既に現在世界を舞台に活躍しつつある。
釈然としないが、それが現実だ。
私と彼らの明暗を分けたのは何かと考えるとき、どうしても才能とか努力以外の点が目についてしまう。
彼らは平気で先輩や教官に頼った。それでも彼らのプライドが挫けることはなかった。
知識も経験もないくせに、やりたいことだけは一人前に主張した。
「努力していなかったのだから今できないのは当然、でも俺はやればできるんだ」そう思ったことが彼らの勝因だったのだろう。
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
遠くを見通し得たとするならばそれは巨人の両肩の上に立っていたから
【処世術】馬鹿のように見せかけ、利口に活動すること【処世訓】
成功するのに実力なんて半分くらいしか影響しない。残りの半分は人との駆け引き。
はてなブックマーク - コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由 - 分裂勘違い君劇場
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):「講義ノート屋」氷河期 京阪神の大学で「閉店」続出 - 社会
一人で行動して「あいつは友達がいない」などと見られるリスク(必ずそう見られる訳ではない)はありません。
しかし、いつも同じ人といることで時間を束縛されるように感じたり、自分の思うように行動できない、
相手に合わせてしまう自分を変えたいと感じている人は、
高校までのやり方と自分を少しずつ変化させようと試みていると思うのです。
アルハラ、アルハラ、アルハラ。一日目からこんなことをやらされるとは思わなかった。
オリ合宿ではもっとひどいという。コールだとか馬鹿らしいからやめてくれよ。テストは適当に切り抜けてあとはコンパ、サークル、バイトって・・・そんなんでいいのかな。これが「常識」となっているのって少しおかしくないの?
入学おめでとう。ところで中退した気になって完全燃焼してみないか。
その頃の出会いのためにはいくら金と時間を使っても高くない。冬学期までにそういうAクラスの名刺を100枚は集めとけ。4月中に自分の名刺作れよ。生協で作れるから。
[友人][友達][友情]お互い友人だといっても、それを信じるのは愚か者。
友人友情は偶然や便宜のための付き合いやなじみ深さをいうに過ぎない
ヤピカメハメ日記:西川史子の本。 - livedoor Blog(ブログ)
いい学校に行く意味は自分が努力してもかなわなかったりすごい先生や友人に出会える確率が少しだけ高いことである。
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
友達が
いて非常に迷惑だった。
☆ゴミの通院日記☆:波浪注意報 - livedoor Blog(ブログ)
私はあんたのことなんて知らない、お前が男とどうなろうがしったこっちゃない。
言いたいのに、いえない。
私へのメールは日記じゃないのです。
うざいからやめてくれない?
泣きながら電話するのやめてくれない?
「次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。
第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない」
政略論 211頁
噂が怖いのは、聞き耳を立てその噂をかぎつけた人は、今度はそれを他人に言いふらすからです。
見出しのコトワザのいうように、
とくに他人の噂を伝えてくれる人や、
あなたのことを根ほり葉ほり聞きたがる人には、
気をつけなければなりません。
その人はあなたの噂を次の人へと伝えるからです。
「信じて打ち明けたら次の日みんなが知っていた!どひゃー!」なんてこともあるのではないでしょうか?
話をしているうちに彼女が、なんだか私の噂を他の人間に言いふらしているということに気づいたのです。
元々噂話が好きな友人で他人と盛り上がるのも分かるのですが、
さらに私自身の所謂女性関係を私に気づかれないように探ろうとしているのです。それがありありと分かるのです。
私がそれに気づいるか否かを彼女自身が気づいているかは別として、
話の展開をコントロールされてなんとなく時間を損したと同時に、
無神経な彼女にショックを受けました。
844 :可愛い奥様:2007/08/16(木) 16:48:00 ID:fnRtS9eLO
友達付き合いは腹六分が一番だね。
裏も清い人間なんてまずいない。
全て晒け出すと相手への尊敬はなくなるわ、秘密握られて怖いわ、ろくな事ない。
飲みの席で過去の心の傷(中絶)を告白した子(友達の友達で私にとっては知り合い程度)がいて、
その流れで友人が私に目配せで「あんたも最初の子流産した話しなさいよ」と訴えてきた時はぞっとした。
26の既女となった今、残っている友人は皆、距離をわきまえ尊敬出来る人。
友達は「大好き」でなく「好き」で十分。
「大嫌い」な部分がないことが重要。
中2の女子です。他人が信じられなくなりました。他人の心は読むことはできないと思います。 - Yahoo!知恵袋
他人の心は読むことはできないと思います。
自分の心も、表情とかにださない場合は他人にはわからないと思います。
私は心の中では最低な人間です。
他人のことをけなして、けなして、関わらないでくれ、と、つねに考えながら、笑顔でお友達と話をあわせているんです。
そんな自分が最低だということがよくわかっているからこそ、
他人も同じように考えているのではないか、と考えてしまい、不安で不安でしかたありません。
三人いる所で言ったり、したりしたことは、秘密にはできない
誰のことばにも耳をかせ。こちらのことはむやみに話すな。 シェークスピア
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、
行動のない所に幸福は生まれない。
[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
[書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ
本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、
大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。
決して「早稲田大学が日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、
ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、
有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。
それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。
社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。
「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。
でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。
生まれた時代や、環境、性別から生まれる差は、自分の努力だけでは乗り越えられないものかもしれないけど、
受験は努力と運でなんとかなるから。