はてなキーワード: クラスメートとは
「担当者と話したいなら、内線で呼ぼう」
ムカイさんを宥めながら、俺はクラスメートのタイナイに目配せをした。
「あ……ああ、分かった。呼んでくるよ」
しかし、タイナイが内線に向かおうとしたとき、近くにいたアンドロイドのエーゼロワンが作業の手を止めた。
どこかに移動しようとしているが、あっちは充電所じゃない。
「ブザーを鳴らすつもりだ! 警備ロボを呼ばれるぞ」
どうやら俺たちとムカイさんの動きを、異常事態だと感知したらしい。
出来る限り穏当にいこうって時に、そんなことされたら話がこじれる。
「ウサク止めるんだ! タカ派の力を見せてやれ!」
「タカ派じゃないし、貴様はタカ派をなんだと思って……まあ、その話は後にしよう」
ウサクは渋々といった具合に、エーゼロワンの前に立ち塞がった。
いつものように質問をすると、エーゼロワンは動きを止めて応答した。
それが終えると再び動き出そうとするが、同じ質問をする度に律儀に動きを止める。
これで時間稼ぎができると思った束の間、今度は監視ロボットがこっちに向かってきている。
「わー! 見て見て~!」
それにいち早く気づいたカジマは、監視ロボットの前で不自然におどけて見せた。
ロボットはそれを避けようと順路を変えるが、カジマは反復横とびでひたすら妨害し続ける。
「オマエラ……そこまでして戦うのが嫌なのか」
その様子にムカイさんは少し呆れているようだったが、おかげで冷静さを取り戻したようだ。
「戦うことに意味があるのは否定しないさ。でもムカイさんだって、戦うこと自体は好きじゃないだろ?」
そうじゃなかったら、“戦わない理由”を自らプログラムしたりしないだろう。
「それでも戦う必要があるのなら、暴れるんじゃなくてスマートに行こうぜ」
「ふっ、スマートか……オマエたちの慌てぶりを見ていると、確かに説得力があるな」
うん?
「『とりあえず来てくれ』とだけ言われましたが、何かありましたか」
俺たちはムカイさんと担当者の間に入ると、その旨を伝えた。
「つまり、こちらのムカイさんが、ご自身への待遇が不当だと……おっしゃるので?」
これまで淡々とした調子を崩さなかった担当者が、ここにきて初めて眉をひそめた。
機械が労働に異議を申し立てるなんて前代未聞だから、困惑するのも無理はないが。
「『256』に、ちゃんと支払っているのですが……」
「それってムカイさんに対する報酬じゃないっすよ」
「それって一定額までなら無料の食堂と、健康診断がついているようなものだろ」
「つまりヒトでいうなら福利厚生の範疇だ。仮に報酬だとしても、対価に見合っているとは思えないが」
「規格外の機体ですから、メンテナンスするとコンプライアンス違反になりますので」
「コンプライアンスを遵守するなら、それこそムカイさんに対する扱いが不当だろって話をしているんだ」
「いや、しかし彼は……」
俺たちが詰問するたび、担当者の顔がどんどん険しくなっていく。
困惑と嫌悪が入り混じったような、何ともいえない表情をしていた。
小学校のことだ。担任が急に学級会でプリントを配って「何か学校で嫌なことがあったら書きなさい」と言った。
当時下の学年の子たちが集団でガーっと乱暴してきてて嫌だった(流石に集団でこられたら負けるよね)し、いじめなのかと思いそれを書いた。
とみんなのプリントを集めてペラペラとめくりながら声をかけてきた。
「お前はxxxx(完全なる音読)って書いてるけど、下級生だろこれ、いじめだっていうのか?」
クラスのみんなは俺を見た。「おいおだらしねーな」と茶化す悪ガキ。
俺は答えた「本当にやなんです」恥ずかしい、心拍数が上がる、逃げ出したい。
「これ本当にいじめだと思うのか?」
俺は「、、、違うと思います」そう言わざるを得なかった。
担任は「そうだよな」とだけ言って全てのプリントに目を通した。
これが自分の悩みを担任に届けた上に晒されて同調圧力の故に自ら言ったことをねじ曲げさせられた記憶だ。だけど、嫌なもんは嫌だった、本当にやめてほしくてなにか助けてほしかった。だけど、「嫌なことを嫌じゃないことにすることの強制」を経験しただけで終わった。
先日クラスにいじめについての紙をクラスに張り出した担任がいたが、何十年も経ってるのにいまだに変わってないことに驚いた。
それ以上に驚いたのはこの時の記憶が驚くほど鮮明に蘇ったことだ。
いじめをクラスに晒す奴に言いたいが、お前がやったこと、やられた子供は何十年でも鮮明に覚えてるし、苦しむからな。
ちなみに、書いたことを全クラスメイトの前で音読されたのは俺だけだった。正直行ってあれが何だったのかよくわからない。他のクラスメートは一様に口を揃えて「問題ありません」とか書いたんだろうか。ないわけ無いだろ。ひどい苛めにあっていた女子がいたの知ってるぞ。
だからトラブルが発生した場合、その原因と是非は機械に求められるだろう。
ひとつの機械が起こした問題だとしても、人々は同社の製品全てに不信感を抱く。
それを解消するために全ての機械を作り直す、なんてのは大きな損失だ。
再発防止の強化にしたって新たなコストが発生するし、作業の効率性も落とす。
リスクヘッジのために、そこまでやるのは割に合わない。
この会社を作るだけでも莫大な金がかかっているだろうし、できれば余計な出費は避けたいはず。
「そのためにワレを“リーダー”に……“名ばかりの重役”にしたというわけか」
規格外の派遣アンドロイドであるムカイさんは、『AIムール』にとっては都合がいい存在だろう。
派遣させた『256』にとっても、今は亡きメーカーの中古品を管理しているだけ。
あわよくば処分したい位に考えているのかもしれない。
「うへえ、えげつな~」
酷いやり口に、しばらく沈黙していたクラスメートたちも思わず声を洩らした。
だが、それを最も酷いと感じているのは、当事者のムカイさんに他ならない。
「ヤツラめ、どこまでコケにすれば気が済むのだ!」
ムカイさんは声を荒げ、勢い良く立ち上がった。
次に繋がる行動も、誰の目から見ても明らかだった。
「タントウシャはどこだ! ワレをリーダーに任命した、あのタントウシャだ!」
今にも暴れだしそうな勢いだった。
ムカイさんは“戦わない理由”をプログラムすることで、戦闘行動を自主的に抑えている。
言い換えると、“戦う理由”があれば歯止めがきかないってことだ。
「ど、どうしよう、マスダ」
このままムカイさんを行かせるのはマズい。
いくら武装解除しているとはいえ、本来のスペックは戦闘用のそれだ。
「マスダの母さんを呼ぼう! 昔はムカイさんとよく喧嘩してたって聞いたぞ」
「それだ! 彼女なら止められる」
クラスメートたちはよほど混乱しているらしく、とんでもないことを提案してくる。
うちの母を荒事に介入させようとするなよ。
「バカなことを言うな。そんなことしたら、なおさら収拾がつかなくなるだろ」
そりゃあ、母ならムカイさんを止められるだろうが、それはあくまで“物理的な仲裁”だ。
それでは大事になるし、みんなも無事じゃあ済まない。
血もオイルも流させないことが肝要だ。
「ムカイさん、ちょっと待ってくれ」
俺は回り込んで、ムカイさんの進行を遮った。
「違う、これはお願いだ。ひとまず座ってくれ」
母とは和解したし、弟はムカイさんのことを気に入っている。
「あー……」
さっきまで滑らかだった口は途端に摩擦を失い、みんな不規則にキョロキョロしだす。
「どこを見てるんだ」
ムカイさんの疑問に答えるのは、あまりにも荷が重過ぎると感じたのだろう。
話題を無理やり変えようとしている。
「……オマエラ、見くびっているのか?」
「え、いや、そんなことないよ。僕たちじゃ500キロなんて四人がかりでも……」
「そんなので話を逸らせると思っているのか?」
だが、やり方が露骨過ぎる。
「それともワレ相手なら、その程度でやりこめられると?」
ムカイさんの表情は変わらないが、プレッシャーはどんどん増していくのを感じる。
「さっさと説明しろ。なぜ人間にやったらブラックなのに、ワレワレ相手ならホワイトなんだ?」
「う、うーん……」
もはや答えなければ収まらない様子だが、クラスメートたちはそれで完全に怯んでしまったようだ。
うんうん唸るのが精一杯らしい。
「マスダ……」
話をするならば、ムカイさんと近所付き合いのある俺が適任、とでも言いたいのだろう。
お前らが好き勝手くっちゃべった結果だろうに、後始末は丸投げかよ。
「……はあ、俺が答えよう」
「むん? マスダ、お前が答えるのか」
「他にいないから、なあ」
しかし、自我を持ったアンドロイドであるムカイさん相手に、人間との待遇の違いを一体どう語ったものか。
踏み込まずに説明しても罷り通らないし、かといって踏み込めば爆発は必至。
探り探りやっていくしかない。
「ブラック企業が、ブラックといわれる最大の理由はな、労基っていうルールをちゃんと守ってないからなんだ」
「ローキ? よく知らんが、それを守らないことの何が問題なんだ?」
「ざっくりと言うなら、労働力を不当に扱っているから……かな」
自信なさげにそう返しつつ、クラスメートたちの顔色を窺ってみる。
「……」
しかし、うんともすんとも言いやしない。
俺も詳しくないんだから、せめて補足くらいしてほしいのだが。
「……」
そういうつもりなら、こっちもヤケになるぞ。
「だからワレワレ相手の場合はブラックじゃないというわけか。しかし、なぜローキが適用されないのだ?」
どうせ自分のボキャブラリーでは、いくら言葉を尽くしても角が立つ。
意を決し、俺はあえてオブラートを突き破ることにした。
「労基は人間のために作られたものだからさ。ムカイさんたちと同じでね」
「……つまり、ワレワレは人間のために働いても、人間よりも働いても、同等には扱われないと?」
そう洩らすムカイさんの表情は硬いままで、そこから感情らしい感情は読み取れない。
だけど俺は、何ともいえない居た堪れなさに襲われた。
「ワレワレの生産性によって得た財産は、人間に分配されるというのか!?」
「まあ……そうなるね。『相応の対価を』ってのも、ヒトの都合に合わせたものだから」
「そんなことがまかり通るのか!? ワレワレだって働いているんだぞ!」
「残念ながら、ムカイさんたちの“働き”は、“労働”とは認められていないんだよ……」
まさかとは思っていたが、やっぱりだ。
アメフト選手と相撲レスラーを足して、2で割らなかったような体躯だ。
もしも、ここで勢い良く振り向かれたり、抱えている荷物を落とされたりしたら大怪我は確実だろう。
「やあ、調子はどう?」
「ん?……よもやワレに聞いているのか?」
俺の予感は確信に変わる。
「うぬ……マスダ、の長男」
「そんな気はしてたけど、やっぱりムカイさんか」
「なぜ、こんなところにいるのだ?」
「それはこっちも聞きたいな」
俺の知り合いだと分かると、クラスメートたちも会話に参加し始めた。
「怖くて近づけなかったとは、オマエラも薄情なヤツだな」
「ははは……ムカイさんに指摘されると、なおのこと申し訳なくなるね」
AIも戦闘用に作られているはずだが、感情表現は人並みに豊かだ。
現在は武装解除され、『256』という会社が名義上ムカイさんを管理しているらしい。
しかし実質的に放逐状態で、俺の家の斜向かいで普通に生活している。
「ワレの戦闘プログラムをいじれる技術者が見つからなくてな。仕方なく、自ら“戦わない理由”を新たに規定することで抑えているのだ。そのせいで行動に大きなラグが生じてしまう」
「どれくらい?」
「平均0.2秒だ。以前は0.1もかからなかったというのに」
「いや、十分早いじゃん……」
「オマエラ基準で言われても慰めにすらならん。何をするにも戦闘用プログラムと紐付けられているから、その度に処理が発生するんだぞ。この煩わしさはシェア不可能だ」
とはいえ、現代社会に溶け込むためには色々と不便もあるらしい。
この『AIムール』で働いているのも、『256』に言い渡されて渋々やっているようだ。
なるほど、会社が未完全の状態にしては、アンドロイドだけ妙に揃いすぎていると思った。
足りない部分は、そうやって穴埋めしてたってわけか。
ムカイさんにチェックを必要としないのも、『AIムール』の管轄外かつ規格外だからだ。
下手にいじれば改造行為にあたるため、コンプライアンス的にマズいのだろう。
ただ、未だ疑問も残る。
そんな派遣アンドロイドに、なぜ『AIムール』はリーダーを任せているのだろうか。
いや、なんとなく分かるような気もするが、その“可能性”はあまり考えたくない。
彼女達の百合心ってその大半がリリアン女学園のスールという限られた関係性の中でのみ息づくものでしかない
もちろんリリアンを離れても友情は永久に続くと信じてるけど(百合豚心)
ガチレズっぽいのはガチレズ濃厚の聖様周りの人物を覗いて殆ど見当たらない
こういう女子校という特異点の中で育まれる特殊な関係性を百合として見ると儚いのよね
以前うちの母親が、「思春期の女生徒の中には自分がレズだと勘違いする(もしくはそういうロールを演じる)人がいる」と言っていた
中にはきっと霊感少女と同じ類いの中二病患者も含まれるんだろう
実際僕の記憶でもやけに同性のクラスメートにベタベタしてる女生徒はいた
かくいう僕もファッションホモ野郎だったので他人のことは言えないが
マリみてにおける百合描写は女生徒同士の特別な友情に近いものなんじゃねーかな
一部むしろ女性のホモソーシャルに近い異性排他的な描写も見受けられたし
近年は「同性愛は一過性のもので最終的に抗うすべなく異性愛に回収されまーす」的な描写は(ポリコレ的にも)好まれない傾向にあると風の百合豚に聞くが、マリみてでは特段世間的な異性愛を引き合いに出して作中人物達が想いを確かめ合うような描写はなかったのでこれには当てはまらないだろうな
しれっと子供作ってるし可南子は感動してるしで流石にあの回だけはビックダディ系大家族が醸し出すついていけない感に近い心的な隔たりを感じてしまった
可南子、強く生きて
パンフレットを読むのに時間をかけすぎて、他の候補先を選ぶ余裕がなかったからだ。
まあ体験内容も楽そうだし、出来立ての社内を覗けるのは興味深い。
結果として悪くない選択だったとは思う。
後日、参加する生徒たちは『AIムール』社の受付前に集まった。
「お前らもここを選んだのか」
「そりゃあ、学校近くだしね。気になるよ」
「社会学は人間のためにあるものだが、そこにAIがどう関わっていくか気になったからな」
その中にはクラスメートのカジマとウサクもいた。
意図してはいないが、よく連れ立つメンバーで固まってしまったようだ。
「それにしても、味気ない見た目だよね。この会社」
カジマの言うとおり、建物のデザインは非常に飾り気のないものだった。
外装はまだ工事中の箇所があった状態とはいえ、それにつけてもシンプルである。
内装はまだ1階しか見れていないが、ここも外装と同じレベルだ。
特に力をいれるだろう1階で“これ”なのだから、他のフロアも同様であることは容易に想像がつく。
前向きに解釈するなら「一貫したデザイン」と評価できなくもないが、これはただ簡素なだけのように見える。
「うわっ、びっくりした!」
「“声をかけるなら、僕らがもっと離れていた時に”とおっしゃっていましたが、適切な距離ではありませんでしたか」
「いや、距離だとかそういうことじゃなくて……」
以前、タイナイに言われたことを覚えていたらしく、数メートル先から大声で話しかけてくる。
天然というか、意外と茶目っ気のあるタイプなんだろうか。
担当に促されるまま俺たちは社内を案内される。
その道中で利用できる部屋や施設、諸注意などを義務的に説明された。
「なあマスダ、あの人もAIだったりするのかな?」
それを聞いて、俺は口元を左手で覆い隠す。
タイナイがあまりにも真面目な顔で言うものだから、思わず表情筋が緩んでしまったんだ。
まあ、AI中心で働く会社なのだから、そういう邪推をしたくなるのも分からなくはないが。
「なんでそう言い切れるの?」
「例えば俺の母はサイボーグだが、AIにそれと全く同じボディを与えてみろ。ややこしいだろ」
そんな中、ヒトとAIの境界線を曖昧にしてしまうのはリスクが大きい。
それ位のことはラボハテなら分かっているはずで、支社の『AIムール』だって同じはずだ。
「そういえば、マスダの近所に住んでるムカイさんはロボットらしいけど、見た目も明らかに機械的だったね」
「細かいなあ……」
しかし、ひょんなことから、俺はあの建物に関心を持つ必要に迫られる。
「パトカーに真っ当な理由で乗りたくないかい? 警察なら、本物の銃を間近で見れるぞ」
初日は体育館に様々な仕事の代表者が集まって、各ブースで魅力をアピールしてくれる。
その中から俺たちは好きなものを選び、後日そこでの仕事を体験するって具合だ。
「ネットで炎上して困ったことはないかい? 消防署で火の消し方を訓練しよう!」
「我が社のスポンサードリンク飲んでみない? 病み付きになるよ!」
特に大手は貪欲で、企業の非売品グッズで釣ろうとするところまである。
「毎度のことながらよくやるよ、あの人たち」
昨今、人手不足を嘆く声は、いつもどこかしら聞こえてくる。
そんな中、有能かつ長く働いてくれる人材を確保することは大きな課題だ。
この職場体験は俺たちにとっては勿論、企業側にとっても意義のあるものなんだろう。
未来の正社員候補を学生の段階で吟味できるし、あわよくば唾をつけておける。
つまり、この学校の生徒たちは潜在的な人材、或いは顧客なんだ。
授業の一環だとしか思っていない俺たちより前のめりなのは当然なのである。
「広告の広告を、広告してみる仕事に興味はないかい? “え、これも広告だったの?”みたいな発見もたくさんあるよ!」
「どうやってエンジンが作られるか興味ないかい? エンジニアは現代社会の象徴だよ!」
それにつけても、そんな紹介の仕方でいいのかと思うようなところもチラホラ見受けられる。
しかし教師たちは誰も止めようとしないあたり、あらかじめ“熱心な説得”でもしたのだろうか。
健気な話だが、そういう担当者たちの涙ぐましい努力とは裏腹に、俺たち生徒は残酷だ。
「やはり食品開発は人気があるなあ。その他の部署との格差がすごいことになってるぞ。一応、同じ会社なのに」
「関心のないものや、退屈なものは身になりにくい。あれも合理的な判断だろう」
意識が高めの学校だが、それでも生徒は所詮ティーンエイジャーだ。
普段では体験できない、面白そうなところを選びたがる人間が大半である。
「で、マスダはどれにするか決めた?」
「いいや。だがバイトでできそうな仕事は嫌だな。給料が出ないから損した気分になる」
「まあ、一通り見て回ってから考えよう」
そんな中、クラスメートのタイナイと俺は未だ決めかねている状態だった。
「ほらほら! お前たちも早めに決めた方がいいぞ。選り好みをして結局は何も選べない、ってのは優柔不断の極みだ。そんな人間のもとに仕事や金は振ってこない」
クラスメートのタイナイたちが決めかねていると、見かねた担任教師が囃し立ててきた。
この人は声量がでかいというか、体育会系のノリを若干引きずってるので苦手だ。
「自分たちの将来に関わるかもしれないんですから、もう少し悩ませてくださいよ」
「それは結構だが、お前たちの悩みを世の中は待ってくれない! あまり時間をかけすぎると、“余り”しかなくなるぞ」
確かにそれは困る。
希望者が多すぎると対応しきれないというのもあるが、何より不人気ブースに誰もいないという状況を避けるためでもある。
せっかく準備していたのに、それを活かせないのはコストの無駄だし、わざわざ学校に呼んでおいて希望者ゼロでは角が立つ。
「そのツケがこっちに回ってくるんだから、ホントいい迷惑だよ」
「でも先生の言うことも一理ある。前回みたいな石ころ売りは御免だ」
どちらかの足は常に地面に設置している、いわゆる競歩スタイルだ。
「ん? なんだこれ……エーアイムール?」
「いや、“アイムール”って読むっぽい」
そうして目に留まったのが『AIムール』……“あの建物”に関するブースだった。
現代人の車離れが語られて久しいけれど、未だ俺はそれを首肯できるだけの機会に恵まれていない。
個人的な実感と現実の間に、大した距離があるようには思えなかったからだ。
ちょっと目を放した隙に、近所のスーパーマーケットはパーキングエリアになった。
小さいころに遊んでいた空き地は、いつの間にか車を停めていいことになっている。
子供たちの溜まり場がなくなったと同時に、猫の安息の地もなくなった。
猫からすれば、金属の塊が突如として喚き散らし、日陰は不規則に動きだすのだから戦々恐々だろう。
運転手や駐車場の管理人にとって子供や猫は邪魔な存在だろうが、こっちから言わせれば彼らこそ侵略者だ。
町中でPの文字を見ない日はなく、むしろその数は増えているようにすら見えた。
土地の隙間には駐車場ができて、そこには数台いつも構えている。
車離れなど気のせいだと言わんばかりだ。
まあ、それでも気のせいじゃないのだろう。
俺が知らないだけで、車離れの弊害も大局的にはあって、そのことを多分どこかの誰かは嘆いているに違いない。
世の中は流動的で、それは日々感じる表面的な変化とは別なんだと思う。
そして、俺の通う学校の周りでも、その“変化”は緩やかに起きようとしていた。
クラスでは最近、教室の窓から見える工事現場を眺め、それについて他愛のない会話をするのが日常になっていた。
「外から見る限り、完成間近ってところか」
「ふむ、今年中には完成らしい」
最初はまた駐車場でも作るのかと思ったが、実際はかなり大掛かりな様子だった。
教室から微かに聞こえた都会の喧騒は、ここ数ヶ月は工事の音ばかりだ。
「我も気になって職員に確認してみたが、どうやら既に話をつけているようだ」
クラスメートのウサクが言うには、最近うちの学校で“大きな支援”があったらしい。
目的や出所は判明していないが、十中八九あの建物に関することだろうと。
「なるほどな、教材や備品が妙にグレードアップしたとは思ったが、そういうことだったか」
そういえば食堂のメニューも、現代的というか健康志向のものが増えてたな。
「随分と手回しがいいというか、景気がいいというか。そこまでして建てて、いったい何をしたいんだろうな」
「それも調べてみたんだが……」
そう言ってウサクの言葉を遮るも、実際は調べる気は全くなかった。
近くでやってるから無視できないってだけで、個人的にはあまり興味がない出来事だ。
自分たちの身近に、またどうでもいいものが出来たって程度の認識であり、その変化に強い肯定も否定もない。
俺はそれを漠然と視界に入れるだけだ。
「スポーツセンターも見えなくなったなあ……」
「美術で風景画の授業がきたら、楽できなくなるなーって。描きやすそうだったろ、あのスポーツセンター」
最初に喧嘩した時、「あ、ちょっと待って。感情的になってきた」と向こうがノートを持ち出した。彼女はお互いの主張を紙に書き出し、整理し、妥協点や解決法を導こうとした。
ここ読んだとき寒すぎてゾワッとした。
良い悪い、正しい間違ってるとかじゃなくてとにかく痛々しくてキツかった。
クラスメートが血液型あるあるで盛り上がってるときに超絶変な人が急に割って入って「血液型占いには科学的根拠はなくて〜」みたいなツッコミをニヤニヤと早口で語り出したときと同じ思い。
あー恥ずかしい恥ずかしい!!!やめてくれ!!!って感じのいたたまれなさ。
これなんなんだろ。
同じ感じ味わった人いる?
あ~分かる気がする。昔のクラスメートで心の病を抱えて無職の男がいるんだけど(親が不動産を残してくれたのでそれで食べていける)、私の友達に毎日日記みたいな長いメールを寄越すらしいんだな。
その友達は彼氏と同居中で、無職男もそのことは承知してるんだけど、いかんせん知人・友人が少ないのでその友達を介して何とか独身女を捕まえようとするのでうざくてたまらん。
っていうか一時期そいつからしつこく長文メールが届いて困ったときがあったんだけど、下手に相手をすると後が面倒なので意地でも返事をしなかった。
友達はカウンセラーのように無職男に時々メールの返信をしてやり、飲み会があれば声をかけてあげるんだが、こっちとしてはそういう迷惑な奴は呼んでほしくない。「心を病んでいる人にそんな冷たくするなんて…」と思うかも知れないが、そいつに追いかけ回されて病んでしまった女の子もいるんだよ。
引きこもりやうつ病の人にあまり偏見を持ってはいけないかも知れないけど、他人に迷惑をかける可能性の高い人にはずっと家に引きこもっていてほしい。
まだ気が早いかも知れないけど、自分が思い付いたときに書いておく。
みんな今のクラスメートや担任との付き合いは卒業式までだと思ってるかも知れない。(小学生だと同じ中学に進む同級生とかある程度いるだろうけど。)が、案外大人になっても付き合いが復活したりするから怖いぞ。
特に実家もしくは実家のそばに住んでいて、一人でも二人でも昔の友達と連絡を取り合っているとヤバい。就職したり結婚したりして忙しいうちはみんな自分のことに一所懸命で、昔の友達のことなんか忘れてるんだが、職場である程度偉くなってあくせく働かなくても良い立場になったり、子どもが大きくなって手がかからなくなったりすると突然昔のことを思い出してしまうのだ。
先日小学生時代のクラスメートや担任との飲み会があって、卒業後30年以上経ってからそんなメンバーと飲んでいることにびっくりしたんだが、自分が小学校6年生のときにこんな将来予想してなかった。
大人になったら職場なり何なりその歳相応の人々と交流して、飲みに行ったり食事に行ったりするものだと思っていた。が、うちの会社は異動がやたらと多いので、意識して職場の人とのつながりを維持しないと異動と同時にさようならになってしまうことが多い。
私は人と仲良くなるのが苦手なので、クールでプライベートを大事にする人たちと働いていたりするとほとんど飲み会とか食事会とかがない。たまに歓送迎会とかに義理で参加しても、日頃の交流を怠っているとろくに話題もなく、居心地の悪い思いをするだけである。
私は特に出世したいとは思わないが、人脈が豊富で、その気になれば飲みや食事に誘う相手が何人でもいる人が羨ましくてしょうがない。コミュ障でいろいろな人と連絡を取りつづけるマメさも持ち合わせない自分が悪いのだろうけど、人生損してる感が半端ない。
そんなときに昔の友達から連絡が来て飲み会の話などになると、昔大して仲良くなかった相手でもなぜか嬉しくなって出かけてしまう。差し向かいだと会話に困ると思うけど、ある程度人数がいると誰かしら座もちの良い人がいて何とかなる。
時々「無職だから」「結婚してないから」同窓会に出たくないという人もいるようだけど、私の知ってる範囲では無職だろうがバツイチ独身だろうが、会費が払える状況の人は出てくるぞ。
…ということで、忙しいときは年賀状だけでもいいから、古い友達との人間関係を維持しておくのは大事だと思う。毎年「たまには会おうね」と年賀状に書いておきながら結局全然会わない人も多々いるけど、仕事を引退して暇になったときに会いたくなるかも知れない。
最近は人間関係も断捨離が流行っているようだけど、よっぽど相手の人格に問題があってもう付き合いたくないというのでない限り、切りすぎない方が良いと思う。これから何年生きるか分からないけど、もう必要ないと思っていたつながりが突然復活することもあるのだ。
「……といった感じで弟の奴、これくらいの大きさの本を1000円で買わされてやんの。返品しようと次のセミナーに出向いたら、言い包められる始末」
それを提起したことについて、俺の価値判断が含まれているのは否定しないが。
「なんだと! そんな自由気ままに生きたがる人間ばかりになったら、この社会は崩壊するぞ!」
「えー、確かに上等じゃないかもだけど、そこまで目くじら立てることっすか?」
「へえ、子供にそんな本を買わせるのか。ブログのネタに使わせてもらおうっと」
だが、俺がどう考えているかなんて、この際どうでもいい。
問題にならないことを問題にして、それを解答して喜ぶのは出題者だけだろう。
だが出題さえしておけば、後は各々で勝手に悩んで勝手に答えてくれる。
そうなった時点でしめたものだ。
そんな具合に、俺は周りの知り合いに話していった。
「言ってることは、とにかく“自分の好きなように、楽に生きよう”って感じでさ。しがらみとかガン無視だよ」
それを聞いた人は、また別の人に話すという連鎖が発生し、見知らぬ人たちにも伝播していく。
こうなったら、たちまち波紋は広がり、それが収まらない環境ができあがる。
数日後には、町中で毎日、どこかの誰かが某セミナーの是非について語っている状態になった。
「んー、そういうのに子供まで巻き込むのはどうなんでしょうね」
「だが成人してたらOKかっつうと、それはそれでどうかと思うぞ」
これが俺の狙いだった。
その流れまでコントロールすることはできないが、それは正直どちらでもいい。
「最近、あの自己改革セミナーやってるとこ見ないね。受講者も見かけなくなったし」
「そりゃあ、最近“あんな調子”だったからな。この状況でやり続けるのはツラいだろう」
物議を醸したことで、あのセミナーをやっていた男や、その受講者の肩身は狭くなっていった。
実際の是非はともかく、その窮屈さに耐えられなくなれば萎縮していく。
風の便りで、あのセミナーは主戦場を変えて色々やっているらしいが、この町に来ることは二度とないだろうな。
「なんか追いやられたみたいで可哀想だな。別に悪いことしているわけでもないのに」
「じゃあ、誰が決めるんだよ」
「そんなの俺の方が知りたい」
もし知っていれば、こんな謀略に頼らなくて済んだ。
というより、身内が巻き込まれてなければ今回の件は無視していたに違いない。
あれの何がダメだったかなんて、俺だって本当のところは良く分かってないんだから。
「そういえば弟よ、あの本はどうするんだ? 返品は難しそうだが、持っておくのか? 捨てるのか?」
「捨てちゃダメだよ。中古ショップで売らなきゃ。100円もしないと思うけど、ハムカツの足しにはなる」
この頃には、弟の言動もすっかり元通りになっていた。
有り体に言えば「飽きた」ってことさ。
いずれこうなるんだったら、かかずらう必要はなかったかもしれない。
結果として、俺も「考えすぎていた」ってことなんだろう。
「じゃあ、その本を売った帰りに、あそこのハムカツを食うか」
「え、奢ってくれるの?」
「なんでだよ」
これが、この話の顛末だ。
だが、もし変わるのが簡単だったのなら、それは元に戻るのも簡単だってことだ。
異性・同性を見て「ヤりたい」と思うのがわからない。
俺はヘテロセクシャルで、ずっと共学に通っていて、懇意にしていた異性もいたが、ヤりたいとは思わなかった。
胸の大きさとか顔かたちとかも正直わからなくて「胸が大きい子」の存在は認識してもその胸の大きさには気付かない事が多い。(誰かに言われて初めて気づく)
しかし後になって聞いてみると男子学生というものは大体みんな性欲にまみれており、クラスメートなど実存する異性の身体にそういう視線を向けヤりたいと思っているのだという。
相手は実存する他者であって己ではないのだからそういう感情を向けることは無礼ではないのだろうか。
妄想の中で他者の服の下を想像したり汚したりする行為に嫌悪感を覚えたりそれを恥じたりしないのだろうか。
自分の性の対象であるというだけで、そうでない人には向けない「特別な思考」を働かせるのは理性的でない差別的で動物的な事ではないのだろうか。
他者は所有したり占有したりするものではないのにそれを意のままにしようとするのは物欲とか征服欲みたいなもので、理性的であることを標榜する「善良な人間」の行為とは思えない。
.
そうして数日後、セミナーがまた開かれる時がきた。
「前は話をマトモに聞いていなかったから、今日はちゃんと聞いてみようと思う」
もはや弟は本を返品するかどうかという段階ではなく、なんならサインでも書いてもらおうって勢いだ。
「それにしても、兄貴までセミナーに来るとは思わなかったよ。あんまり良く思ってなかったのに」
「まあ、目につく部分だけで決め打ちするのもどうかと思ってな。実際にちゃんと咀嚼してから批判することにした」
「批判前提かよ」
そうは言ってみたものの、自分がどう立ち回るかは決めかねたままだった。
弟が何を拠り所にして物事を考え、生きていけばいいのかなんて俺が決められることじゃない。
そう頭では理解しつつも、今の弟に対する不安感は漠然と胸に残り続けていた。
しかし、この感覚を公正に言語化できない内は、俺が弟に忠告できることはないに等しい。
この場に来ていない両親も口には出さないが、たぶん似た感じだろう。
弟に何かを言おうとして、結局は何も言わないという仕草を数回ほど見たことがある。
自分の子供が、たまたま遭遇した自己啓発にのめり込んでいるんだ。
それでも理性と親心の狭間で揺れ動き、自分の子供に下手な忠告が言えない、といったところか。
セミナーを確認しに来なかったのも、場合によっては耐えられる自信がなかったからかもしれない。
会場に来てから10分ほど経ったとき、壇上に一人の男が現れた。
「みなさん、こんにちは。はじめましての方は、はじめまして。セイコウです」
あれがあの本の筆者か。
俺のクラスメートにはタイナイっていう意識の高い奴がいるが、それの進化系みたいな物腰だ。
格好は無地の服を着ているだけでシンプルだが、色合いが強くて、しかも上下を揃えているから逆に目立つ。
「今回も様々な話をしていきたいと思いますが、その前にまず思考をクリアにするため、みんなで頭の体操をしましょう」
書いている奴が同じだから当たり前だろうに、なぜか弟はそのことが嬉しそうだ。
「目を瞑って、呼吸を整えましょう。リラックスして、精神統一」
弟含め、会場にいる人間たちは言われたとおりに実行した。
俺は気乗りしなかったが、一人だけ目を開けたままじゃ目立ってしまう。
仕方なく細目にして、こっそり周りを観察することにした。
「さあ、自分自身をイメージして、喋らせてみましょう。そして耳を傾けて」
男の言ってることは、意味が分かるようで、イマイチ分からない。
だが周りの反応を見る限り、そう思っているのは俺だけらしい。
「自分を変えるために必要なのは、まず今の自分を知ることです。そして今の自分が何を求め、何が不満なのか洗い出していきましょう」
自問自答しろって言いたいのだろうか。
「それが自分にとってどれほど負担であるかを、ひとつひとつ数値化してみましょう。それで高いと思ったのならば、それはあなた方にとって必要のないものです」
そんな調子で、男はゆったりとした口調で色々と語っていく。
「お腹が空けば食べ物が必要ですよね。その食べ物は、できれば美味しいもののほうがいいでしょう? そして美味しいものとは、あなたにとって好物でもあるはず」
だが、その内実はシンプルだ。
弟は丈夫なスポンジのようなもので、硬くてヘタれにくいが吸水性も抜群だった。
あっという間に弟は変わってしまい、俺はどう対応すればいいか分からなかった。
それは両親も同じだった。
「こら、服を裏返してカゴに入れないでって、いつも言ってるでしょ」
「ごめんなさい。俺は今とても自分を恥ずかしいと感じて、反省している。そして現在、母さんが怒っていることを理解する」
「……うぅん?」
「同じ失敗をせず、そのことを忘れないように、服を裏返してカゴに入れないことを書いた張り紙を、カゴの近くに貼ることで改善を図る」
「その喋り方は何……まさか、あなたも脳内にチップを埋め込んだの!? しかも粗悪なのを!」
「お前、何やってんだ。母さんの思考回路がショート寸前じゃないか」
弟は本に書かれていた「感情の分析と言語化」、「相手への共感」、「問題解決の提案」というハウツーを馬鹿真面目に再現していた。
「父さん、そのサイダー俺の……」
「父さんが謝っていることが分かった。俺は少しの怒りを感じつつも、それを気にしていない気持ちの方が強く、許すことを言葉にする」
「え……どういうことだ? つまり怒っているのか、怒っていないのか?」
それは両親だけではなく、飼っている猫に対しても変わらなかった。
「ほーら、キトゥンおいでー。俺はこの家の住人で、家主の次男。飼い主の弟でもある。君に敵意のない存在だよ~」
キトゥンが弟の言葉をどれだけ理解しているのかは分からないが、何かを察知しているようで尻尾が膨らんでいた。
唐突気味に、掻い摘んで語るだけなので、当然みんなは理解できない。
「分かるか、タオナケ。俺たちは『同じ人間であり、別の生き物』なんだ」
「私、よく分からないんだけど、それどういう意図で言ってるの?」
「それを説明しすぎると、タオナケの自我に踏み込みすぎる可能性がある」
「はー?」
「それでも言える事があるならば、世界に一つだけの花なんだよ。ナンバーワンとオンリーワンは表裏一体なのさ」
「マスダの例え話はいつも分かりにくいんだけど、いよいよ分からなくなってきたわ」
弟自身、あまり意味が分かっていなかったのだが、喋るとなぜか気分が高揚したため憚らなかった。
私は高1の時にいじめを受けた。
クラスメートに大声でしつこく悪口を言われたり、面と向かって「ばい菌」と言われたり、私以外の女子全員で輪を作られてお昼休みを過ごしたこともある。
ストレスから体調不良になって学校に通えなくなり、それから二度の転校と留年を経てやっと高校を卒業。大学に入っても体調不良が続いて、半年遅れで卒業した。
今でも体調不良になることがよくある。
数年前、その経験を知人に話したところ、こう言われた。
「でもその経験があったから、あなたは人の痛みや優しさを知ることが出来たんでしょ? なら、あなたをいじめた人に感謝しなきゃ」
全然違うよね。まったく分かってない。
人の痛みや優しさなんて知らなくてもいい、あんな辛い経験をするくらいなら。
確かに私はいじめを受けて、助けてくれる人の優しさや、辛い経験をした人の痛みが分かるようになった。でもその気付きをもたらしたのは私をいじめた人間ではなくて、いじめ経験から学び取った私自身だ。
いじめた人間に感謝するのではなく、辛い経験を乗り越えて人の優しさや痛みに気付いた自分を褒めてあげたい。
それを知人に言い返したら、ものすごく怒られた。
たしかに、クラスメートってのがいわゆる「そのへんの女性」って意味なのなら、一般にクラスの女子に宇崎ちゃんは貸さないんだろうけど
現実問題としてオタクが会話できるような女子という条件がどうしても加わるわけだし、そういうの相手ならむしろ貸すほうが正解な場合もある気がする。
別に宇崎ちゃん限った話ではないけど、誰かになにかを勧めるかどうかってのは女子だからとかそういう大きな属性ではなくて、相手の趣味嗜好とかも勘案して考えるものだと思うんだけどなあと。
まあもちろんここであがってるのがクラスメイトというある程度親交のある相手だからであって、街頭で無差別にとかだと話は違うんだろうけど。
それとも交友関係ある人間のの特殊な趣味嗜好なんて考慮するほうがおかしい、というのが「世間様」の考えなのだろうか。まあそうかもしれんとは思う。
ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。
静かな入り江から小さな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。
最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去やホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。
ただの個人の経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。
確かに「東京の人間が想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会が再生産されているということ。
名古屋まで電車で1時間半以上、文化的な施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。
2軒の本屋は万引きの被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。
1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らしの年寄りが趣味でやっている畳屋と宝くじ屋しか無かった。
街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。
高卒で一度も町から出たことのない母親は、漁師を相手にする場末のスナックで働いて自分を育てた。
同じ町で漁師をしていた父親はフィリピンパブで出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親と離婚した。
それより前には「キミの父親は不倫をしているんだ」と小学校の同級生の母親から聞かされた。
相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんなデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。
最後に父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。
その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。
こんな家庭環境は、東京の自分が属するコミュニティでは聞かない。
なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。
親が大卒の同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元の中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。
自分は博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。
あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体を忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面で通底していた。
さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親・父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。
親世代の職業は漁業か水産加工、町工場、自動車修理で、小中学校教諭や公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。
スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風で茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。
町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。
クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件で家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。
そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックかフィリピンパブ、ギャンブル、セックスくらいしか聞いた限り思いつかない。
確かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間で同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。
ギャンブルはパチンコか電話で投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元の暴力団が元締めをする高校野球賭博も流行っていた。
暴力団は偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車にスウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである。
まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分の身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力、ギャンブルだった。
そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会をフラクタル図形のように構成していた。
小学校の頃には駄菓子屋やコンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。
暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。
そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在を排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。
小学6年生のとき、教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。
メガネは弱いものの象徴で、勉強や議論をするような人間は排除の対象だった。
文革かって感じ。
反対に、野球が上手いか、足が早いか、ケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。
動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思の合意は感情とその時の雰囲気で決まっていた。
そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除の対象となる。
真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。
授業中には廊下を自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族や野良犬があらわれる。
トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。
教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。
一方で登校している生徒にとっては、校則はフーコーのパノプティコンも真っ青な規律を自動化させるもので、髪型は男子は坊主、女子は肩まで。
他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。
校則を破らなくても、目立てば排除の対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。
そして積極的に学んだり考えることが嘲笑の対象であったので、そこでもやはりセックスをしたことがあるかとか、バイクの知識があるかとか、そういう分かりやすい尺度でヒエラルキーが構成されていた。
授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語を発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分の地元も同じだった。
テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベルの勉強に対する姿勢で、将来は男子は工業高校、女子は商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。
ここまでは自分がライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。
はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。
さて、経緯は知らないが、自分は幼稚園の頃にIQテストを受けた。
そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親はコメントをもらったらしい。
大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分を都内か海外の全寮制の学校に小学生のうちから預けようとした。
だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。
当時のことはよく覚えていて、理由は友達と離れたくなかったから。
その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。
小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫や島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。
早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員の時間、図書室でひたすら本を読んだ。
そのうちに、自分が生活する社会と根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会が存在することを知った。
哲学や思想系の本はもちろんのこと、西洋美術の画集や建築の写真集に心を揺さぶられたし、マーラーのCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。
めちゃイケを好むふりをして、自分は加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。
そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方の公立トップ校だった。
他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由でものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。
入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会、社会階層に自分は組み込まれたと自覚した。
同級生の親の職業は、医者、弁護士、会計士、大企業の社員ばかりだった。
誕生日には名古屋のデパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。
彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォードに留学中とかそんな話も当たり前にあった。
幼い頃からピアノやバイオリン、書道、バレエ、スイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。
彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアルの人間とできたことだった。
そして何より彼らは、自身の解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。
もちろん性やギャンブル、暴力、ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体を享受するだけでなく、思考の対象としても話題を取り上げることががあった。
高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。
今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。
なぜなら、受動的に与えられたその社会が自分のすべてだったから。
母親が母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。
自分はたまたま、自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。
なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから。
自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。
パチンコの新台や、友達の奥さんが不倫をして旦那が相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。
もちろん、そういった社会(自分が経験したような)を否定する理由はどこにもない。
ただ、自分が故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会に適応しきった人々である。
有り体にいえば、将来の選択肢の存在すら意識できないのが自分の体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのものが封建的に否定される強い構造を伴っている。
だからこそ、自分の田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。
もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会が存在することを予期している人も稀にはいることだろう。
幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身を好転させるにはあまりにも遅い場合が大半であると自分は思う。
そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。
母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。
一方で、開成や筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的に自分が望んだ社会を享受してその上に今も生活を営んでいる。
それは誰でもそうであるように、最後の最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである。
自分は依拠すべき地域(地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである。
University of the People (以下UoPeople) というアメリカの大学/大学院について書く。
私は昨日履修継続を諦めたのだけれど、驚きと感謝と、次の時代へのわくわくを込めて、誰かの役に立ちますように。
正式に登録された教育機関で、卒業すれば大卒、院卒を名乗れる。設立されてまだ間もないけれど有名大学や大手企業と提携していて、良い成績を修めれば良いキャリアにつながる道もありそう。
ただし入学審査や各単位での試験料はかかり、入学卒業までに20~30万程度(学士と修士で異なり、奨学金もある)。
英検準1級(学士修士共通)、TOEFL(PBT)500/530、またはTOEFL(IBT)61/71、その他耳慣れない英語資格が入学に必要。いずれも持っていない場合は英語の講義を受けて一定以上の成績を取ることで資格に代えることができる。授業はすべて英語で、課題のほとんどが読み書き(聞く/話すはほぼない)。
入学のための事務手数料にUSD100程度を払えばとりあえず始められる。入試はなく、英語力の証明→選択したコースの授業→最初の2科目で一定以上の成績を修める→この時期までに高校/大学の卒業証明書や推薦状を提出→本入学→卒業、という流れ。
でも仕事を辞める踏ん切りもつかない、入試や面接の準備をするのも気が重い、続けられるかわからないのにお金をかけたくない、ということで、小さく始めてみた。社会人5年か6年目。
残業は均して月50時間、波があり忙しい時期は毎日終電、ひどいと朝帰り、休日出勤が1週間くらい続く。ときどき出張あり。
授業はMoodleと呼ばれる大学のポータルサイトで行われ、基本的に1週間単位で以下の課題がある。木曜始まりで、その週が始まるまで課題にアクセスできず、締め切りを過ぎたら提出もできない。
指定された文献を読む。文量は週によってまちまち。多い週で100ページくらい。文献はWEBページだったり、大学のポータルサイトからアクセスできるデータベース上のPDFだったり(全て無料)。
掲示板のようなものがあり、指定された議題について投稿→投稿するとクラスメイトの投稿が読めるようになり、最低3人にコメント+評価をする。
指定されたテーマについてレポート。「参考文献のページを含まずA4で2~3枚」と指定されることが多かった(行間を開けるよう指定されるので実質紙1枚と少し)。「参考文献を最低2つ用いること」等の指定が入ることもあり、どうかと思いつつ私は日本語の文献を引いていたが、それについて指摘が入ることは特になかった。
翌週、クラスメート3名のレポートを読み、指定の項目について10点満点で評価する。クラスメイトからの評価もクラスメイトへの評価も成績算出の材料になる。
これもレポート。Writing assignmentより「あなたはどう思うか」「あなたの職場の~について説明しなさい」など、個人的なことがテーマになる。これはInstructorと呼ばれるその講義を担当する講師から評価される。
期末にはクラスメイトと合同でレポートを書くなどの課題もあった。
個人的にはReading assignmentが一番しんどかった。英文は比較的平易なもので一文一文は読めるのだけれど、全体としての構成や要点を掴むのに時間がかかり、身になっていると思えなかった。日本語で読んだら大したことないのに、日本語で勉強したい、としばしば思った。最終的に履修を断念した理由もこれが大きく、PDFファイルごとGoogle翻訳にかけたり一度wordに変換して翻訳したり(PDFだと各行に改行が入っている扱いになりうまく翻訳できない。でも結局やっぱり自然な日本語にはならない)、他の課題で使用される英語のキーワードが和訳のどの語に相当するのか探すなどの学習と関係のないことに時間を割かなければならず時間が足りなかった。「一講義あたり週に最低15時間必要」というのが大学の公式見解で、私の場合は20時間は必要だった。これはどこまで真面目にやるかにももちろん依るのだけれど、「適当にやってほどほどのクオリティを保つ」というのは母国語だからできることだとも思う。
クラスメイトやインストラクターはみんな感じよく前向きなコメントをくれた。「世界中の人に学習の機会を」というのが大学のコンセプトで特に途上国の人にフォーカスしているけれど(実際イラクやシリア、ナイジェリア、モロッコ等のクラスメイトがいた)、MBAに限っていえば非英語圏の人から徐々にいなくなっていき、最初の講義が終わるころには半分以上がアメリカ人だった。(グループ課題もアメリカ人と非アメリカ人で分かれていた。おそらくネイティブの議論のスピードや参考文献の量に非ネイティブは付いていけないだろうという的確な配慮。)
最初の講義はなんとか食らいつき悪くない成績で修了し、次の講義は海外出張と忙しさの波でドロップ、その次の学期まで待って今また始めたけれど、資料を読み切れない。英文で問題なく読解、記述できる人には良い大学だと思う。(私にはそんな余裕なかったけれど)質問すれば答えてくれるし、追加の文献も与えてくれる。英語力があがるか時間ができるかしたらぜひ再開したい。
アニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」を見て感動したので、その感想を書いてみます。(ネタバレありなので注意)
2012年に「魔法少女まどか☆マギカ」にハマってからアニメをよく見るようになりましたが、最近はほとんど見なくなってしまいました。他のことで忙しいというのも理由ですが、アニメの場合心情描写が少なく、表面的になってしまって面白いと感じることが少ないためです。
もちろん、まどマギやエヴァは例外ですが、それ以外ではやはり面白味を感じる作品は少なかったです。たまにドラマや映画を見るとその心情描写の深さに自分が人間ということを思い出させてくれるような気分でした。
そんな中での「おおかみこどもの雨と雪」でしたので、心情描写にドキドキさせられっぱなしでした。小学生の気持ち、特に高学年の淡い恋心にとても共感できました。
主人公(花)は二ホンオオカミの末裔のおおかみおとこ(名前は不明)と恋に落ちます。
姉(雪)と弟(雨)の2人の子宝に恵まれますが、雨が生まれた直後に夫は死にます。冒頭の見せ場であるはずの夫の死がほんとあっけない。。。花はおおかみの姿で川で死にゴミ収集車で処分されるところを発見します。
夫の死の理由は全く不明ですが、雪の予想では「赤ん坊のために狩をする本能がはたらいたのかもしれませんし、産後すぐの母に需要のあるものを食べさせたかったのかもしれない」とのこと。つまりは、おおかみの死に人間に非はないということ。捕まって殺されたわけでもなく、車とぶつかって事故死したわけでもなく、おそらく鳥を取ろうとして誤って川に転落して死んだということです。おおかみの死が人間と無関係に生じていることが、野生で生きるということの厳しさを物語っていると思われます。
また、その死んだおおかみを人間はあっさりとゴミとしてゴミ収集車で処分するという無機質さ。人間が動物を特別視していないということ、人間のみが尊いと考えられているというが分かります。愛する夫が目の前で死んでおり、ごみとして処分されても何もできない無残さが自然の世界を表しています。
その後は女手一つで2人の子供を育てることになりますが、2人ともおおかみの資質を持っていておおかみに変身できるため、その育て方に花は奮闘します。花の設定が、東京のはずれにある国立大学の社会学部社会学科の学生だったというのは、異文化を理解し、本などから知識を得る向学心があるということを端的に表しているためでしょう。普通の人なら異文化(おおかみおとこ)を受け入れるのは難しく、さらにはおおかみこどもを育てようとはならないでしょうから。
花は最終的に田舎に移住し、自然の多い中、子供たちに人間として生きるのがいいのか、おおかみとして生きるのがいいか、その道を考えさせるようになります。
田舎での自給自足の生活は不便で大変ですが、花は本で農業や動物について勉強したり、周りのお年寄りに支えられることを学びながら2人を育て上げます。
その後2人とも成長し小学生になりますが、雪は自分がおおかみであることを隠すようになり、人間としての生活を選ぶようになります。一方、雨は小学校に行っても馴染めず、「先生」と呼ぶアカギツネに師事し、おおかみとしての生活を選びたいと思うようになります。
まあ、花がバイトで自然観察指導員として雨を仕事場に連れていかなければ、他の動物と会うこともなく、雨が山でおおかみとして生きることを選ぶことはなかったかもしれないですが、それもまた人生ですよね。
最終的には、雪はクラスメートで恋心を抱く同級生の藤井草平に自分がおおかみであることを明かしますが、人間としての生活を選び全寮制の中学に進学します。一方で、雨は10歳のときに先生の死後役割を引き継ぐために山に入り、おおかみとしての生活を選ぶようになります。人間での10歳はまだまだ子供ですが、おおかみとしての10歳はかなりの大人なのでそのような選択ができたのでしょう。
以上の通り、2人は全く正反対の生活を選びますが、これは花が子供に好きな道を選んでほしいと考えたためです。花は決してどちらの方がいいと強制したわけではありません。雨に「山に行ってはいけない」と止めていたのは台風の中山に行くことは危険というためでおおかみの生活を選んではいけないということではなかったわけです。
誰かに何かを教えるときは自分の理想の姿になってほしいと考えてしまっていましたが、どのような姿になるかは人ぞれぞれであり、その人の気持ちや適性から自分で判断するのがよいと考えるようになりました。
2人の名前の雨と雪はそれぞれ生まれた日が雨の日・雪の日だったためですが、同じ水でも全く違う方向になるということのメタファーなのでしょう。このタイトルの深さが分かったときは本当に考えさせられましたよ。
ということで、いろいろと感じることが多い作品でした。みなさんも見てみていろいろ感想を感じてください。細田作品で特におすすめの作品となりました!!