「文化住宅」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 文化住宅とは

2024-10-30

anond:20241030032329

それは維新政治の成果というより、高度経済成長昭和の時期に郊外文化住宅に住んでいたような人達やそれにつけこんで束ねる反社人達介護施設鬼籍に入っていなくなり、再開発用の更地がたくさん出てきた。人出不足でホームレスみたいな人もアプリバイト仕事とったりしている。結局少子高齢化が進展しすぎてヤンキー自体の数が減ってきた。社会が弱体化してきたか社会に反抗する人たちも減ってきた。それで治安が良くなったように見えているだけ。マクロ統計の結果だよ。今後は衰退していく未来しかない。

2024-09-07

派遣おっさんコストコ行ったら、派遣おっさんが「シーフードはいらない」って行って来てドン引きした。

今日明日BBQイベントの買い出しに俺と派遣おっさん不思議ちゃんの2人でコストコに行って来た


鳥肉とかとうきびとか入れて具を入れてった

俺が魚を入れようとすると、派遣おっさんが生死して来た

曰く「BBQシーフードを入れるのは邪道」とのことだった


俺と不思議ちゃんはドドンビキ

食いたくないなら餓死しろよって思った


結局魚も入れて明日BBQの準備を終わらせてババア先輩の文化住宅で下準備をした


なんで派遣とか底辺負け組ってシーフード嫌いなんだ?

2024-07-20

anond:20240720091421

維新ひいきだね。大阪下町文化住宅が一掃されているのも、西成が清潔化しているのも維新とは関係なくて、

人口構成問題だよ。じゃりんこチエのテツ世代が80歳90歳になってその後少子高齢化して、反社とか半グレ自体のあり方が変わった。

それに維新関係ない。

2023-04-04

anond:20230404172011

ポスター貼ってある家見ると分かりやすいかもな。

昭和に建てられたような平屋文化住宅最近建てられたような断熱性の高い戸建て。

それぞれどこの政党ポスターが多いかとか調べてみると傾向が出そう。

2022-11-04

anond:20221104123230

こういうイメージ

2022-04-15

近所のおばさんがやってる個人の塾派生

うちの親がそういうの好きだったのか、あるいは自分が、

・近所の有名なスイミングスクール

・超有名ピアノとかのとこ

・市が提供してる会場に講師が来て学ぶどっちかというと緩い感じのお絵かき教室

に通って、ことごとく結果が出なかったから、妥協そっち系になったのか。

とにかく、小学生時代は”近所のおばさんがやってる個人の塾”みたいなところに通ってた。

同級生のお母さんがやってる英語

小6の一年間通ってた。

同級生のお母さんだけど面識なかったし、恥ずかしいとかもなかった。

今の都会の小さい家なら2~3軒が庭に立つぐらいの豪邸でいい車が止まってた。

お金に困る感じではなかったから、趣味だったんだろうな。

内容としては中1の教科書を生徒4人の理解度に合わせながら進めていく感じ。当時は気づいてなかったが、今思えば週1の一時間教科書終わったから、凄くピンポイント大事なところを重点的に教えてくれてたんだと思う。中1の英語テスト無双できた。調子にのって、中2の2学期から英語は苦手科目になったが。

10~12畳くらいの応接間みたいなところで授業受けてた。

謎の夫婦がやってるソロバン

特定されやす情報から書けないけど、絶対忘れないぐらいのインパクトのある旦那さんと奥さんソロバン塾。

個人宅だったけど、結構広いスペースがあった。12畳はあったと思う。

さぼってもばれないから、さぼってあんまりいかなかった。結局ばれて怒られてやめることになった。

その後なんやかんやあって、ソロバンとの関係性は良好(ただし計算はしない)。

おばちゃんがやってる個人習字

2~3人ぐらい座れる長机が2*3ぐらい並べられてたイメージからそこそこ広かったと思う。

ただ外観はボロアパート(当時でいう文化住宅?)で、多分2DKを全て習字教室に振ってたんだろう。

先生もそこに住んでるわけではなかったし。

毛筆と硬筆習って、硬筆は昇級機会も少なかったから大したことないけど、毛筆は、段まで到達した。

近所の会館で展覧会もあって、そこに自分習字が張り出されてて、なんか誇らしかった。

お手本を紅い墨汁で書いてくれて、それを見ながら書くんだけど、席が後ろだと、重ねて謎ってもばれないので、結構なぞり書きしてたんだけど、ばれる時はばれて。

なぞりつつ、個性を混ぜてなぞったことをバレないようにするみたいな変な自分ルールで通ってた。

2~3年通ってたおかげか、字が上手くなったわけもなく、気合入れたら読める字は書けるけど、普通に書いたら翌日には自分でも読めないという、最悪の字下手になってしまった。

ほんとになんでなんだろう。

あと、ここの思い出は、先生東京福岡かによく出張か里帰りかなさってて、ひよこ饅頭が数か月に一回もらえたこと。当時は飲み物持ち歩く習慣なかったから、毎回口の中の水分もってかれながらも美味しく食べてた。

謎の画家夫婦絵画教室

夫のほうは多分そんな顔じゃないんだろうけど、なんとなくムツゴロウさんみたいな印象で覚えてる。奥さんイメージはもう思い出せない。細かったかな。

昔住んでた家の三軒隣ぐらいに、廃墟芸術家が住んでるか、みたいな家屋があった。

他の家ってちゃんと壁とか塀があって、結構かい家が多い地域だったのに、そこは草ぼうぼうで掘っ立て小屋が建ってるみたいな。

菜園はなかったかあってもすごく小さかったと思うけど、芸術家自給自足暮らしますって言われてなんの違和感もない。

結構小さい頃に通ってたから、細かいことは忘れたけど、一度そこの生徒と画家夫婦動物園に行く、みたいなイベントがあって、

動物園に行ったのに、そこらに居る鳩書いて、自分史上最高の絵が描けた瞬間でもあったし、めっちゃいろんな人に褒められた記憶がある。

今はもう、その家屋はなく、隣の家の建て壊しのタイミングで、土地くっつけて大豪邸が建ってる。






40年近く前のことだけど、覚えてることは覚えてるなー。(割愛したことも沢山)

たこういうゆるーい雰囲気習い事が増えていくような国になったらいいなと思ったり。

余談だけどあと習い事で印象強いのは、妹が行ってた個人宅でのピアノ(某超大手略)とか、

最近ではプログラム教室見学行ったら、わりとゆるゆるで将来やりたいなーとか思ったこととか





anond:20220414213307

2022-01-05

都会に行くとさ、50年前に建てられた文化住宅とか資産価値ゼロ物件大量にあるじゃん

あいうの自治体が買い取って、ぶっ潰して、宅地として再販してくれねーかな?

立地は結構いいと思うんだよな

人口減少に合わせて広めに区画整理して売ってほしい

2020-12-09

anond:20201209151206

団地とか文化住宅に住んでる子供小学校の頃はよく遊んでたけど

なんか中学ぐらいになると生きてる世界にズレがありすぎて付き合うの自動的に止めた

増田だとこういうのを差別というけど、それは違うよなぁ

2020-12-01

俺の食生活(月2万以下)に足りないものを教えてくれ

https://anond.hatelabo.jp/20201130133515

これのブコメ見て無性に怖くなったので俺に足りない栄養素があれば教えてほしい

俺も一月2万くらいの食生活暮らしてる




俺の食生活を書いていく

コーンフレークorフルーツグラノーラ牛乳ぶっかけて食う+チーズ

一玉15円のうどんわかめうどん+チーズ

乾燥わかめ鰹節たっぷりかけて食う

一玉15円のうどん二玉で釜玉+チーズ

卵は2個入れる

これに加えて一日一回納豆1パックと魚肉ソーセージ一本、野菜ジュースを1/3ボトル飲む

で、味に飽きてきたらすき家の朝定食マックソーセージマフィン外食

一年のうち半年くらいは完全に上記食生活

残り半年実家暮らしてる



この食生活だと〇〇の栄養素が足りなくて病気になるってものがあったら教えてほしい

本当に怖い



あと、先に書いておくが米を食うのは難しい

リビングにもダイニングにも朝起きるとネズミの糞が落ちてるし、お菓子とかは齧られてるので米を買うとネズミに重点的に狙われると思って買えてない

台所も汚いし感染症が怖くてまな板使った調理とかはできてない

青汁とかも飲んだ方がいいんだろうか


追記

引っ越せ引っ越せって言うけど敷金貯めらんないから引っ越せないし、大正築の文化住宅に住んでる

お金がないか食生活ギリギリになってる訳で望んでこんな生活してる訳じゃない

2020-11-17

anond:20201117114413

この件で感じたのは

文化=良いもの、続けていくべきもの」みたいな認識の人が案外いるってこと。

文化住宅とか文化包丁って名前ついてる「文化」が上記用法だけど

もっとニュートラル解釈は「文化=ある地域集団生活様式風習」っていう善悪や是非の要素がない解釈だと思う。

こういう単語レベルでの解釈乖離ちょっとした異文化なのかもしれない

2020-01-05

anond:20200105192601

ワイの実家は築40年文化住宅で壁にひびあったりガラス割れてたりしたから今住んでる賃貸より寒かったやで

2019-09-16

故郷を思い出したので自分語りしてみる。

ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。

静かな入り江からさな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。

最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去ホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。

ただの個人経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。

この日記結論はこうだ。

かに東京人間想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会再生産されているということ。

自分東海地方の海沿いの寂れた漁師町に生まれた。

名古屋まで電車で1時間半以上、文化的施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。

2軒の本屋万引き被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。

1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らし年寄り趣味でやっている畳屋と宝くじしか無かった。

街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。

家族母親と母方の祖母のみ。

高卒で一度も町からたことのない母親は、漁師相手にする場末スナックで働いて自分を育てた。

同じ町で漁師をしていた父親フィリピンパブ出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親離婚した。

それより前には「キミの父親不倫をしているんだ」と小学校の同級生母親から聞かされた。

相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。

最後父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。

その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。

こんな家庭環境は、東京自分が属するコミュニティでは聞かない。

なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。

親が大卒同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。

自分博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。

あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面通底していた。

さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。

世代職業漁業水産加工町工場自動車修理で、小中学校教諭公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。

スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。

町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。

クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。

そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックフィリピンパブギャンブルセックスくらいしか聞いた限り思いつかない。

かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。

ギャンブルパチンコ電話投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元暴力団が元締めをする高校野球賭博流行っていた。

暴力団偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車スウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである

まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力ギャンブルだった。

そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会フラクタル図形のように構成していた。

小学校の頃には駄菓子屋コンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。

暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。

そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。

小学6年生のとき教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。

メガネは弱いもの象徴で、勉強議論をするような人間排除対象だった。

文革かって感じ。

反対に、野球が上手いか、足が早いかケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。

動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思合意感情とその時の雰囲気で決まっていた。

そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除対象となる。

真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。

授業中には廊下自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族野良犬があらわれる。

トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。

教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。

一方で登校している生徒にとっては、校則フーコーパノプティコンも真っ青な規律自動化させるもので、髪型男子坊主女子は肩まで。

他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。

校則を破らなくても、目立てば排除対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。

そして積極的に学んだり考えることが嘲笑対象であったので、そこでもやはりセックスしたことがあるかとか、バイク知識があるかとか、そういう分かりやす尺度ヒエラルキー構成されていた。

授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分地元も同じだった。

テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベル勉強に対する姿勢で、将来は男子工業高校女子商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。

ここまでは自分ライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。

はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。

ただ、地元の話は中々難しい問題はらんでいる。

ここからは冒頭に述べた「社会再生産」について触れたい。

さて、経緯は知らないが、自分幼稚園の頃にIQテストを受けた。

そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親コメントをもらったらしい。

大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分都内海外の全寮制の学校小学生のうちから預けようとした。

だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。

当時のことはよく覚えていて、理由友達と離れたくなかったから。

その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。

ただ、結論からいえば、自分結果的に完全に故郷を捨てた。

小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。

早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員時間図書室でひたすら本を読んだ。

そのうちに、自分生活する社会根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会存在することを知った。

哲学思想系の本はもちろんのこと、西洋美術画集建築写真集に心を揺さぶられたし、マーラーCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。

めちゃイケを好むふりをして、自分加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。

そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方公立トップ校だった。

他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由ものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。

通っていた高校地元から電車を乗り継いで1時間は掛かる。

入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会社会階層自分は組み込まれたと自覚した。

同級生の親の職業は、医者弁護士会計士大企業社員ばかりだった。

誕生日には名古屋デパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。

彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォード留学中とかそんな話も当たり前にあった。

幼い頃からピアノバイオリン書道バレエスイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。

彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアル人間とできたことだった。

そして何より彼らは、自身解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。

もちろん性やギャンブル暴力ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体享受するだけでなく、思考対象としても話題を取り上げることががあった。

高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。

今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。

ただ、当時の自分には、その選択肢はなかった。

なぜなら、受動的に与えられたその社会自分のすべてだったから。

母親母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。

自分たまたま自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。

なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから

自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。

パチンコ新台や、友達奥さん不倫をして旦那相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。

もちろん、そういった社会自分経験したような)を否定する理由はどこにもない。

ただ、自分故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会適応しきった人々である

有り体にいえば、将来の選択肢存在すら意識できないのが自分体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのもの封建的否定される強い構造を伴っている。

からこそ、自分田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。

もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会存在することを予期している人も稀にはいることだろう。

幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身好転させるにはあまりにも遅い場合が大半である自分は思う。

そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。

それくらいに共通言語がもはや異なっている。

母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。

一方で、開成筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的自分が望んだ社会享受してその上に今も生活を営んでいる。

それは誰でもそうであるように、最後最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである

自分依拠すべき地域地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである

そして同時に、自らの強みは故郷がない事であり、海外に出ることも辺境の地に赴くことも、自分さえ許せば可能となり得る。

今朝の夢に現れた、小さな漁船はきっと自分自身だったのであろう。

2019-03-22

建築物の「種類の名前」を知りたい

建築物の「種類の名前」を知りたい。

自動車なら「セダン」「クーペ」「軽自動車」「コンパクトカー」「SUV」「ミニバン」「ワゴン」「オープンカー」「バス」「トラック」「キャンピングカー」のような「種類の名前」がある。

これの建築物バージョンが知りたい。

例えば

のような「種類の名前」を知りたい。

カテゴライズ方法や細分化などの都合で自動車のようにはいかないのだろうが……。

とりあえずは「日本」「現代」「商業施設でない」ものをメインに知りたい。

現代日本人が住むことのできる住宅の種類」はどのくらいあるのか知りたい。

増田の皆さん!お知恵拝借

2019-02-23

anond:20190222091142

ワイが今まで木造も鉄骨も鉄筋も住んだことあるけど一番静かやったのは築40年の木造文化住宅やったで

半分以上空き部屋でワイが住んでた部屋の周りも全部屋住んでないか生活音全くなかったやで

2019-02-13

anond:20190213003323

マンションどころか実際のところは文化住宅に住んでそうだけどな

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん