小学校のことだ。担任が急に学級会でプリントを配って「何か学校で嫌なことがあったら書きなさい」と言った。
当時下の学年の子たちが集団でガーっと乱暴してきてて嫌だった(流石に集団でこられたら負けるよね)し、いじめなのかと思いそれを書いた。
とみんなのプリントを集めてペラペラとめくりながら声をかけてきた。
「お前はxxxx(完全なる音読)って書いてるけど、下級生だろこれ、いじめだっていうのか?」
クラスのみんなは俺を見た。「おいおだらしねーな」と茶化す悪ガキ。
俺は答えた「本当にやなんです」恥ずかしい、心拍数が上がる、逃げ出したい。
「これ本当にいじめだと思うのか?」
俺は「、、、違うと思います」そう言わざるを得なかった。
担任は「そうだよな」とだけ言って全てのプリントに目を通した。
これが自分の悩みを担任に届けた上に晒されて同調圧力の故に自ら言ったことをねじ曲げさせられた記憶だ。だけど、嫌なもんは嫌だった、本当にやめてほしくてなにか助けてほしかった。だけど、「嫌なことを嫌じゃないことにすることの強制」を経験しただけで終わった。
先日クラスにいじめについての紙をクラスに張り出した担任がいたが、何十年も経ってるのにいまだに変わってないことに驚いた。
それ以上に驚いたのはこの時の記憶が驚くほど鮮明に蘇ったことだ。
いじめをクラスに晒す奴に言いたいが、お前がやったこと、やられた子供は何十年でも鮮明に覚えてるし、苦しむからな。
ちなみに、書いたことを全クラスメイトの前で音読されたのは俺だけだった。正直行ってあれが何だったのかよくわからない。他のクラスメートは一様に口を揃えて「問題ありません」とか書いたんだろうか。ないわけ無いだろ。ひどい苛めにあっていた女子がいたの知ってるぞ。