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はてなキーワード: 美少女ゲームとは

2016-09-13

新海誠のヒット作はネクロマンサーか?

ってくらい美少女ゲーム話題だった時代作品社会自己流に結びつける亡霊を蘇らせてる。

ジブリクラスヒットメーカーなっちゃったら、世の中美少女ゲームゾンビで溢れそう。

 

はいえ、美少女ゲーム表現演出的にも時代遅れからインディーズ話題になることはあっても、

商業として復活することはないんだろうけど。

2016-08-30

わたし、アイナナやめないよ

スマホアプリゲームアイドリッシュセブン1周年を迎え、続編やアニメ化も決定し、更なるコンテンツ拡大が見込まれている。

私もたった1ヶ月半前からではあるけど、アプリダウンロードして、ストーリーに思い切りハマって、めったに課金しない私が課金までした。

でもここ数日、SNSでなにやら噂が飛び交っている。

まず1点目は、盗用疑惑のこと。

2点目は、ゲームプロデューサーである根岸綾香P(と種村有菜先生)の、自己投影のこと。

噂の域ではあるけれど、正直これを知ったとき、うわぁ…っていう感想だった。

でも、みんなマネージャーやめます、なんて、それでいいのか。

私はまだ、諦めない。

初めに言いますが、私はアンチではないし、コンテンツ継続してほしい(多分、余程じゃないとサービス停止とかならないと思うけど)派です。ただ、運営にはもうちょっとしっかりしてほしいから、この記事を書いています運営はできれば広報ナギを雇ってくれないか

まず盗用については、リリース当初からうたプリその他のパクリだのなんだの言われていた。確かにこのカラーリングとか、ナギやら三月やら陸のキャラ設定なんかもうたプリによく似てる。他ゲームとの近似検証も見た。個人的にはかなり黒に近いグレーかと(でもバンナム内なら多少はね?)。ただ、当初から言われてたしおいおい今更かよ…って思ってたんだけど。

でも、どうも運営は「盗用はしてません!スタッフはアイナナを愛してます!」というテンプレ回答しか送って来ないようだ

(まあ対応に追われてるのはわかる。ちなみに回答メール無断転載は禁じられている)。

しかし、たとえ盗用、トレスが本当だったとして、こんなとこで「パクリですごめんなさい!」って言う訳ないのだ。

じゃあどんな回答が100点なのか?それは私もそういうプロじゃないのでわからないんだけど、一辺倒「してません」で納得する人はいないだろうなと。盗用のつもりはないとしても結果的に似てしまったこと、他のコンテンツファンに対してもそのことで不安不快な思いをさせたことについて謝罪するというのがセオリーじゃないかな。

作品を落とす訳じゃないけど、盗用問題は少なからず他作品も挙げられる(アイナナはかなり多いけど)。有耶無耶にしたくない気持ちもすごくわかるんだけど、ぶっちゃけ運営でない限り主観でどうこう言って白黒つけるのには限界があると思うし、ここまで白を断言してきた運営オセロのようにひっくり返して黒って言うことはまず無いと思う。だからグレーの中でももっと綺麗なグレーを見せてよ、大人なんだからさー!

もし盗用してるのなら、今後は一切やめていただきたいのがみんなの本音だと思う、言うまでもないけど。

現行カードも差替えして、可能ならクオリティが上がるのなら文句はだいぶ減るとは思うけど、コスト面もあるだろうし、すぐは難しいと思う。

で、次。こちらは最近になって挙がった話題ですが、根岸Pのこと。先日のニコ生(君とアイドリッシュナイト)を見て、あー癒し系の人やな〜って思ったし、ほんわかしてて好印象だった。

…んだけど、どうやらこの根岸P、個人的ネット上で自分キャラクター(二階堂大和)の夢小説を書いてたり、そこで使用もしている自分ハンドルネームゲームの本編で使ったり、公私混同というか、職権乱用というか、作品私物化というか、要は好き勝手してた部分がある、らしい(自分の目で見た訳ではないので、あくまで噂、以下同様)。あときこの声優をやってるらしいとか(事務所で飼っているペットうさぎ、きなこの声優は名前公表されていない)。

個人的ドン引きまではいかないけど、エッ…てなるような内容の噂だし、まず良い印象は持てない。まだ私が夢女子とかガチ恋勢とか、大和推しじゃないだけダメージは少なかったと思う(腐女子MEZZO"推し)。

ただ、こういうゲームに限らず、作品って誰かの妄想で出来てる訳で。美少女ゲームだっておじさんが作ってるんだし、乙女ゲーム脚本や、BL小説はおばさ…お姉さんが書いている。

スタッフとして見せちゃいけない妄想の端くれ(個人としてやってる分には、夢小説はもちろん否定しない)が見えちゃったことについては、偉い人から注意されただろうし猛省すべきではあると思うけど、根岸Pがやってきたこと全てに対し全否定したり、裏切られたと思った人は、今まで注ぎ込んだ愛を溝に捨てたと思っちゃうのは勿体無いんじゃないかな。ぶっちゃけ根岸Pの功績ってどんなのかよくわからないけど、表立ってわからない努力だってあると思うんだ。ここで三月の名前を出すのは間違ってるかもしれないけど、彼だってファンには理解されにくい才能、努力をなんとか自分の力に変えてる。MC以上に裏方の仕事だったら尚更なんじゃないかな。

…とは言っても、こればかりは生理的に無理!!な人が多数いると思う。せめて本編作中に出ている如月あると(根岸Pのハンドルネームと言われている)や、ダグラスルートバンク(根岸Pの名前が元と言われている)がこれからストーリーで出ないようには配慮してほしい(壮五はダグラスがいないと悲しむかもしれないけど…)。理ちゃんは主要キャラからそうはいかないかな…。きなこの声優が根岸Pなのだとしたら、明かさないままか、知らないうちに本職の方に変えておくのが賢明だし、根岸Pはマネージャーにそばつゆをかけられないよう、もう表に出ないでいて欲しいと思うんですけど。いや本当割と危ないと思うので。個人的に恨みは無いけど。

触れてこなかったけど、種村先生については、こんなものだろうなと思ってるんで割愛します。

マネージャーマネージャー根岸Pでも種村先生でも無いんだ。それをわかってほしい。

昨夜いてもたってもいられず、運営に思い切り長文でメールしました。多分すごく問い合わせだらけで手一杯なのは承知の上で。何か少しでも思いが伝わるかどうかはわかりません。

作品が良いだけに、期待も大きいし、こういう問題も取り沙汰されると思ってる。だからなんとか這い上がってほしい。なんとかしてほしい。

ただのファンだけど、マネージャーでもあるんだ。

アニメブレイクして、長期的なコンテンツになってほしいんだ。

九条天のセリフに、次のような言葉がある。

「ボクが一番許せないことは、ファンに恥ずかしい思いをさせることだ。TRIGGER九条天なんかを応援してるのかって、笑われるような目に合わせたくない」

どうか私たちも笑われる目に遭わせないでほしい。頼む!

2016-08-17

パソコン美少女ゲーム歴史大全1982‐2000

にゃるらさんとこで知って読みてえと思って調べたら軒並みオンライン書店AUTO

amazon転売ヤーの餌食で定価2kが10kにつりあげられてるレベル

でもciniihttp://ci.nii.ac.jp/ncid/BA81663460)によれば京都大学 文学研究科 図書館に置いてあるらしい

うぐぐ~

2016-07-31

私は古参オタクが羨ましい


私は古参オタクが羨ましい

秋葉原電気街BCL用のラジオを買いに行き

放送局受信報告書を送ってベリカードをもらっていた全盛期のBCLオタク

PC-98DOSを動かし

16色で構成された美少女ゲームにいそしんだオタク

国鉄最後の日に居合わせオタク

パソコン通信時代から

2ch時代までを見守ってきたオタク

電気街からアニメの街、そしてビジネス街に変わる秋葉原を見守ってきたオタク

犯罪者扱いされながらもコンテンツの維持に努力してきたオタク

勿論、今でも体験できるものもある。PC-98ゲームなんかがそうであろうか

でも、あなた方が味わってきた感動を味わうことは出来ない。

なぜなら我々は24ビット1677万色フルカラーの申し子だからだ。

段階を踏んでモノクロ→16色からのいろいろあって1677万色のほうが感動が大きいだろう。

貴族がその生活享受しながら庶民生活に触れるようなものだ。

真新しさという感動はあるがそれ以上はない。

しかしながら庶民貴族生活に徐々にクラスアップしていく過程の感動は大きいだろう。

まりは、そういうことなである

今のオタク以上の感動を味わってきた古参オタクあなた方が私には羨ましくてたまらない。

2016-07-01

モバマスの現状が嫌い(手直し)

http://anond.hatelabo.jp/20160701172732

読みにくかったか勝手に整形させてもらったよ。

アニメが終了して半年以上になり、モバマス自分にとってとてもくだらないコンテンツに成り下がった。

なので個人的に嫌いな部分をあげたいと思う。

意識の高いプロデューサーの方々は「そう思うなら~」のコラ画像でも想像してくれればよろしいかと。

アイドルの扱いの格差

これは765やミリオンにも少なから存在する。

しかしながらCDライブと言った重要な部分に関しては平等である

ところがモバマスCDライブを行うために必須とも言える声優が当てられているアイドルが半分にも満たないのである

さらに言えばその声付き全員がそれらに恵まれたかと言うとそうではない。

もっといえばカードコレクション系のソシャゲ本体でありその中ですら適当な扱いを受けるアイドル大勢いるのである

数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルと年に一回R、よくて強くないSRとして処理されるアイドルが同居している、そんな世界

ただしこの現状は「しょうがない」で終わってしまものでもある。

人気のあるキャラクターを軸に展開するのはコンテンツとして企業として正しいあり方なのだから

アイドル声優を付けたり、出てくるカードが全アイドル平等になりすべて強いSRにしたところで利益がでるどころか返ってマイナスになりかねない。

ぶっちゃけこのコンテンツが生まれた時点でのやむをえない欠陥といってもいいだろう。

運営による贔屓

人気=待遇=出番が基本のコンテンツであるが人気はないにも関わらず出番が増えていくアイドルが一部いる。

その代表として「本田未央」について言及したい。

一応言っておくと別に本田未央」が嫌いと言う訳ではない。

ただひたすら「本田未央」の運営の扱い方が嫌いなだけである

本田未央は他のアイドルとは違いやや特別立場で生まれた。

現在モバマスの顔ともいえるニュージェネレーションズ、NGメンバーの一人としてデザインされている。

ところが運営の予想と反して、渋谷凜島村卯月がある程度の人気を確保した中、本田未央総選挙で2回連続圏外となってしまった。

さらにはデレラジがスタートし、メンバー渋谷凜島村卯月・・・そして城ヶ崎美嘉だった。

NGいかと思いきやまさかの除外である

その後CD3弾で曲を手に入れたが「ちゃんみおは不憫」

そんな空気を纏ったままあの運命の第三回総選挙である

NG総踏みでの月末ガチャ

20位~30位、少なくとも50位内はいけるだろうという予想がプロデューサー間であった。

結果はなんと総合5位。

圏外からこの順位は今も昔も本田未央のみである

多くのプロデューサー賞賛をあげる中、この順位に納得できない者もいた。

なぜならあまりにも順位が上がりすぎたから。

他のガチャによる恩恵順位が上がったアイドル比較すると

赤城みりあ 第1回圏外 → 第2回37位
フレデリカ 第1、2回圏外 → 第3回40位
及川雫   第2回圏外(中間49位) → 第3回19位(第1回23位)
島村卯月  第1、2回29位 → 第3回4位
本田未央  第1、2回圏外 → 第3回5位

確かにガチャによる順位の大きな向上は見受けられるが伸び幅があまりにも桁外れ。

NG揃っての月末だから未央にも入れたプロデューサーが今まで以上に多かったのかもしれないが・・・真相は闇の中である

なお、この後の本田未央を含めNG3人は必ず総選挙上位者になるようになり、アニメや外部展開によって本田未央の人気は本物になっていった。

しかし、この贔屓の裏では安定した人気を持っていたにも関わらず恵まれないアイドルがいることを忘れてはならないだろう。

それなのに総選挙すべて圏外のアイドルの抜擢をするのは理解に苦しむところである

しかも声付けただけでその他展開がない&遅いでは声が付いたアイドル立場もない。

そういうのは優先すべきアイドルが終わってからにすべきだろうと思う。

余談だが第4回総選挙期間でのボイスなし3人の月末ガチャという運営の声を付けたいアイドル押しは本当にドン引きだった。

アニメの出来と影響

モバマスアニメはとても影響力があったと思う。

それは765アニメ放送終了後、アニマス風の絵が増えたことを見ればなんとなくわかるだろう。

ただし出来に関しては2期が酷かった。

1期の時点、特に1話での期待感は素晴らしいものだった。

途中の本田未央の「私、アイドルやめる!」問題物語として十分考えられる、内面を描いたストリーの起伏として楽しめていた。

ところが2期では美城常務の登場により1期での積み重ねの崩壊

さらに内部の人間ライバルとして描こうとしているはずが敵にしか見えないという状態に。

ポエム合戦とも言われる掛け合いもあり、もはや美城常務評価点はユニットを組んだ事とも言われるありさまである。(これに関しては賛否が激しい)

また、渋谷凜のTPへの葛藤島村卯月の一人で勝手に落ち込んでいくのには共感や涙どころではない。(しかも泣きの演技力の低さ)

765のアニメでも谷間となる部分はあるが、これは谷間が長く続く。

暗く雨が降っている場面ばかりで、しかもそれはアイドルとしての問題のせいではなく、ほぼすべて美城常務のせいなのだからアイドルアニメ物語として入り込む事ができないのである

もっと追求するならば、これは「皆が主役」と謳っていたはずだが・・・

武内Pについては「オタクが喜びそうな寡黙だけど優しい不器用イケメンとまでいかないキャラ」と当時17歳の声優という話題性マッチしてでた人気だったと思う。結局は二次創作の肥やしになった程度の存在だろうか。

そしてアニメ終了後の影響だが、まず「プロデューサーという名の百合豚」が増えたことがもっとも顕著だろう。これに関しては下記項目と合わせて執筆したい。

百合花園と化したモバマスプロデューサー崩壊

ざっくり説明すると「プロデューサー存在が薄れ、アイドル同士の絡みが中心になってしまった」という状態モバマスは陥っている。

アニメ終了後の、「新田アナスタシア」のコンビがその代表とも言えるだろう。

その他にも出たカップリングTwitterpixivといった媒体百合百合しいイラストとともに蔓延していったのだ。

さらにその後、デレステが登場し今度は公式からそういった百合要素がプロデューサー存在と引き換えに分泌され始めた。

このような積み重ねの結果、「運営というプロデューサーによる百合営業を眺める」コンテンツになろうとしているのである

それはもうプロデューサーではなく百合豚のためのものである

さらに面倒な事に、「運営のやることが一番!文句があるならやめろ!」というプロデューサーもどきもかなりいるものから性質が悪い。

彼らが守りたいのは「アイドルマスター」なのか「自分達の遊び場」なのかはわからない。

モバマスに限らずだが、大規模な美少女ゲームにおけるユーザーの核には「○○好きな自分が好き、もっと自分を見て触れて構って」というのがある。

(皆が皆そのような人間だとは言えないけど)

ようはSNSとして美少女ゲームは絶大な力を持っているといえる。

なにせアイデンティティ他人と付き合うためのセールスポイント美少女ゲームに委ねているのだから周りにあわせざるをえない・・・

それが大勢いるのだから上記のような性質の悪い人間がでてくるのだろうと思う。

最後

以上が自分モバマスがくだらなくなった理由である

自分が「プロデューサー」という存在であることを感じなくなっていたのだ。

まあこの記事を見た方にはバカが癇癪を起こして自棄になっていると思ってもらうほうがあっているだろうか。

デレマスプロデューサーを名乗る皆様、どうか自分の持っている「今まで持ってきたアイドルプロデューサー関係像」を大切にして欲しい。

自分がその世界にいなくなった時、多分あなたは「プロデューサー」ではなくなるのだから

モバマスの現状が嫌い

アニメが終了して半年以上になり、モバマス

自分にとってとてもくだらないコンテンツ

成り下がった。なので個人的に嫌いな部分を

あげたいと思う。意識の高いプロデューサー

方々は「そう思うなら~」のコラ画像でも

想像してくれればよろしいかと。

アイドルの扱いの格差

これは765やミリオンにも少なから存在する。

しかしながらCDライブと言った重要な部分に

関しては平等である

ところがモバマスCDライブを行うために必須とも

言える声優が当てられているアイドルが半分にも

満たないのであるさらに言えばその声付き全員がそれらに

まれたかと言うとそうではない。

もっといえばカードコレクション系のソシャゲ本体であり

その中ですら適当な扱いを受けるアイドル大勢いるのである

数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルと年に一回R、よくて

強くないSRとして処理されるアイドルが同居している、そんな世界

ただしこの現状は「しょうがない」で終わってしまものでもある。

人気のあるキャラクターを軸に展開するのはコンテンツとして企業として

正しいあり方なのだから。全アイドル声優を付けたり、出てくるカード

アイドル平等になりすべて強いSRにしたところで利益がでるどころか

返ってマイナスになりかねない。

ぶっちゃけこのコンテンツが生まれた時点でのやむおえない

欠陥といってもいいだろう。

運営による贔屓

人気=待遇=出番が基本のコンテンツである

人気はないにも関わらず出番が増えていくアイドルが一部いる。

その代表として「本田未央」について言及したい。

一応言っておくと別に本田未央」が嫌いと言う訳ではない。

ただひたすら「本田未央」の運営の扱い方が嫌いなだけである

本田未央は他のアイドルとは違いやや特別立場で生まれた。

現在モバマスの顔ともいえるニュージェネレーションズ、NG

メンバーの一人としてデザインされている。

ところが運営の予想と反して、渋谷凜島村卯月がある程度の

人気を確保した中、本田未央総選挙で2回連続圏外となってしまった。

さらにはデレラジがスタートし、メンバー渋谷凜島村卯月・・・

そして城ヶ崎美嘉だった。NGいかと思いきやまさかの除外である

その後CD3弾で曲を手に入れたが「ちゃんみおは不憫」

そんな空気を纏ったままあの運命の第三回総選挙である

NG総踏みでの月末ガチャ20位~30位、少なくとも

50位内はいけるだろうという予想がプロデューサー間であった。

結果はなんと総合5位。圏外からこの順位は今も昔も本田未央のみである

多くのプロデューサー賞賛をあげる中、この順位に納得できない者もいた。

なぜならあまりにも順位が上がりすぎたから。

他のガチャによる恩恵順位が上がったアイドル比較すると

赤城みりあ 第1回圏外 → 第2回37位

フレデリカ 第1、2回圏外 → 第3回40位

及川雫   第2回圏外(中間49位) → 第3回19位(第1回23位)

島村卯月  第1、2回29位 → 第3回4位

本田未央  第1、2回圏外 → 第3回5位

確かにガチャによる順位の大きな向上は見受けられるが

伸び幅があまりにも桁外れ。NG揃っての月末

から未央にも入れたプロデューサーが今まで以上に

多かったのかもしれないが・・・真相は闇の中である

なお、この後の本田未央を含めNG3人は必ず総選挙上位者

になるようになり、アニメや外部展開によって

本田未央の人気は本物になっていった。

しかし、この贔屓の裏では安定した人気を持っていたにも

関わらず恵まれないアイドルがいることを忘れてはならないだろう。

それなのに総選挙すべて圏外のアイドルの抜擢をするのは

理解に苦しむところであるしかも声付けただけでその他展開がない&遅い

では声が付いたアイドル立場もない。

そういうのは優先すべきアイドルが終わってからにすべきだろうと思う。

余談だが第4回総選挙期間でのボイスなし3人の月末ガチャ

という運営の声を付けたいアイドル押しは本当にドン引きだった。

アニメの出来と影響

モバマスアニメはとても影響力があったと思う。

それは765アニメ放送終了後、アニマス風の絵が

増えたことを見ればなんとなくわかるだろう。

ただし出来に関しては2期が酷かった。

1期の時点、特に1話での期待感は素晴らしいものだった。

途中の本田未央の「私、アイドルやめる!」問題

物語として十分考えられる、内面を描いたストリー

起伏として楽しめていた。

ところが2期では美城常務の登場により1期での積み重ねの

崩壊さらに内部の人間ライバルとして描こうとしているはずが

敵にしか見えないという状態に。ポエム合戦とも言われる掛け合いも

あり、もはや美城常務評価点はユニットを組んだ事とも言われる

ありさまである。(これに関しては賛否が激しい)

また、渋谷凜のTPへの葛藤島村卯月の一人で勝手に落ち込んでいく

のには共感や涙どころではない。(しかも泣きの演技力の低さ)

765のアニメでも谷間となる部分はあるが、これは谷間が長く

続く。暗く雨が降っている場面ばかりで、しかもそれは

アイドルとしての問題のせいではなく、ほぼすべて美城常務のせい

なのだからアイドルアニメ物語として入り込む事が

できないのである

もっと追求するならば、これは「皆が主役」と謳っていたはずだが・・・

武内Pについては「オタクが喜びそうな寡黙だけど優しい

不器用イケメンとまでいかないキャラ」と当時17歳の声優

という話題性マッチしてでた人気だったと思う。

結局は二次創作の肥やしになった程度の存在だろうか。

そしてアニメ終了後の影響だが、まず「プロデューサーという名の

百合豚」が増えたことがもっとも顕著だろう。これに関しては

下記項目と合わせて執筆したい。

百合花園と化したモバマスプロデューサー崩壊

ざっくり説明すると「プロデューサー存在が薄れ、アイドル同士

の絡みが中心になってしまった」という状態モバマスは陥っている。

アニメ終了後の、「新田アナスタシア」のコンビがその代表とも

言えるだろう。その他にも出たカップリング

Twitterpixivといった媒体百合百合しいイラストとともに

蔓延していったのだ。

さらにその後、デレステが登場し今度は公式からそういった百合要素が

プロデューサー存在と引き換えに分泌され始めた。このような

積み重ねの結果、「運営というプロデューサーによる百合営業を眺める」

コンテンツになろうとしているのである。それはもうプロデューサーではなく

百合豚のためのものである

さらに面倒な事に、「運営のやることが一番!文句があるならやめろ!」という

プロデューサーもどきもかなりいるものから性質が悪い。彼らが

守りたいのは「アイドルマスター」なのか「自分達の遊び場」なのかはわからない。

モバマスに限らずだが、大規模な美少女ゲームにおけるユーザーの核には

「○○好きな自分が好き、もっと自分を見て触れて構って」というのがある。

(皆が皆そのような人間だとは言えないけど)

ようはSNSとして美少女ゲームは絶大な力を持っているといえる。

なにせアイデンティティ他人と付き合うためのセールスポイント

美少女ゲームに委ねているのだから周りにあわせざる終えない・・・それが

大勢いるのだから上記のような性質の悪い人間がでてくるのだろうと思う。

最後

以上が自分モバマスがくだらなくなった理由である

自分が「プロデューサー」という存在であることを感じなくなっていたのだ。

まあこの記事を見た方にはバカが癇癪を起こして自棄に

なっていると思ってもらうほうがあっているだろうか。

デレマスプロデューサーを名乗る皆様、どうか自分の持っている

「今まで持ってきたアイドルプロデューサー関係像」を大切にして欲しい。

自分がその世界にいなくなった時、多分あなたは「プロデューサー

ではなくなるのだから

2016-06-04

Not SxX But Harem

http://anond.hatelabo.jp/20160604075454

ハーレムとは何ぞや、という話について。

多人数と結ばれる = ハーレム


という式を当てはめてしまうと、今の二次元コンテンツハーレムは極端に減りそう。

しかし、それはラノベマンガというコンテンツでは、セックス(性行為)という行為はできないものである

まりそう考えたときには、定義的にはハーレム事態形成することはできない。

だが、その代替案として、ヒロイン主人公への好意ラッキースケベで補完させている。

これが今のハーレムに他ならない。


そして、物語自体ではない、外部要因として、ユーザータグレッテル付けというのが多い。

言い方を変えればタグ付けやカテゴリ分類されてしまう。

美少女ゲームとの関係無視できないように思えるけど、別にラノベが影響を受けたというよりも、

業界全体の流れもあると思う。


その流れっていうのは、美少女ゲームが人気になり、アニメになる。

だが、美少女ゲームアニメ原作ボリュームを上手く消化させるには、圧倒的に物理時間が足りない。

(2クールでなんとか、1クールで足りるはずがない)

その結果、なぜか美少女ゲームラノベはただの、美少女たくさんとちょこっとのスケベをするだけのアニメになる。

(つまらないとは言っていない)

そして、増田が言った、「グランドルートのための全員攻略」も百理あると思う。

しかグランドルートがある作品が大ヒットを飛ばしていたものゼロ年代中盤以降だったと思う。


以上によってラノベマンガにおいて

ハーレムものと呼ばれるものが量産されたように見えるようになって影響だと思う。

異論反論はもちろんあると思う。

そして、殴り書きなので、文章が酷いのと情報ソースとかも結構曖昧なのは申し訳ない限りだ。

2016-05-17

二次元女性

男性女性や色々と性別が分けられる中で

二次元キャラ女性女性という括りより「二次元女性」っていう性別に値する気がする

いや性別というよりかは人間に果てしなく近い生き物だろうか

二次元男子においても同じことが言えると思う

からキャラクター現実男性女性と混合している意見を見かけると

(例えば美少女ゲーム犯罪助長するとかい意見キャラに対してこれだから男はー女はー的な意見)

似てるように見えて違う性別だったり違う生き物だから現実と混ぜて考えるのはどうだろうと思ってしま

ちなみに見下している訳では無い

くりいむレモン亜美について

かつて一時代を築いた人気成年向けアニメシリーズであるくりいむレモン』の中でも特に有名で人気作品として知られるのが亜美こと野々村亜美メインヒロインとした『亜美シリーズだ。

そんな亜美は段々とメインヒロインかつ主人公的な立ち位置になっていくが、基本的に「妹」キャラとして認識されている。妹キャラシンボルにすら近いかもしれない。

亜美シリーズ全ての始まりであり多くの亜美ファンにとっては全てと断言してもよさそうな第一作の主人公・宏の義理の妹である

亜美シリーズくりいむレモンシリーズの中でも派生作品実写化を含むリメイク的展開が多いことでも分かる通り圧倒的に人気があったと推測できる。

亜美は絵に描いたような大人しめのいい娘(風)であり、お兄ちゃん大好きな理想的義妹ということからその理由も察することができる。

しかし、第一作はある意味テンプレに近い兄妹恋愛展開でありわかりやす妹萌え作品なのに対して、第三作以降は少なくとも現代萌え感覚を持って見たら殆どものとして機能しているか危うく、何故人気がある程度持続していたのか疑問に感じる所がある。

(昔の作品からどうでもいいだろうが以後ネタバレも含む。)




私は割と最近かつ、NTR属性への理解を得た後に作品を知った人間なため、どちらかといえば妹が寝取られる系の作品として魅力を感じてしまい、そういう意味亜美シリーズが好きなのだが、

素直にオーソドックス妹萌え目的で見てた人達にとっては唐突シリアスNTR展開・ビッチ化にディスク(当時はLD?)割ったりVHSテープ切り刻んで送り返したくなりそうな内容では?と思ったりする。

ところが当時を知る人達が語る亜美の魅力を見ていても、基本的にはオーソドックス妹萌え作品萌え妹キャラとして扱った上での評判が多い。

第一作だけ、強いて言っても三作目までが亜美シリーズとみているからなのかもしれない。

それにしても第二、三作も今ならボロクソに批判されそうな展開であるNTR好きは歓喜するだろうが。


物語概要】(うろ覚えから詳細部分は違う所があるかもしれない)

第一作のラスト亜美と宏は母親情事現場を見られてしまう。

第二作、それが原因で母親は宏を海外留学させて亜美と別れさせられている。大好きな兄と別れて傷心の亜美女友達に誘われてクラブに行くが、その際に酔った勢い遊び人で有名なイケメン河野という男にお持ち帰りされる。

酔って河野を兄と勘違いしながらのノリノリH。その時に兄のことを呼んだことを聞かれて兄との関係河野に知られる。

そのことで脅されて素面関係を持つ。河野に「兄のことを忘れさせてやる」と言われたことに亜美は怒る。

第三作、兄・宏が一時日本に戻ってきて嬉しい亜美だが、宏は亜美に、もうああい関係をやめようと告げる。ショックを受けた亜美は自ら河野の部屋に行ってヤケクソH。


上記のように恋愛エロ関係を抜き出すとなんだこれ…という感じなのだが、実際見てみると基本的にはエロ目的OVA作品な割にパッと見て重みのある恋愛ドラマっぽく成立するような質感ある流れがストーリーにある。エロがあるというだけでなくストーリー的にも大人な内容という感じか。

その側面は第三作の続きを描き、亜美が何故かその後スカウトされてアイドルとして活動しているという設定の『それからシリーズでも強調されていくが、それからシリーズは恐らく亜美ファンの大半には認められていない。声優が違うし(そんなに声質に差はない)、作画不安定亜美もあどけなさの残る妹的なキャラデザではなくなってしまう。そして内容的にも妹萌えを感知できる成分はほぼ皆無。


そんな妹萌えとして見たら内容的には第一作以降散々な状態でありながら、何故キャラの人気があったのかを推測すると、

当時は、実妹は勿論、義妹を堂々ネタにした恋愛エロ作品も滅多に(許され)ない萌え文化的には鬱屈した雰囲気の中にある時代だったことが影響していると思う。

そんな中で可愛い義妹とのエロあり恋愛を堂々かつ詩的に描写した亜美シリーズ画期的価値があったためカルト的に支持を得たのだろう。

また、中高生が気軽にオタクになってエロゲーすら手を出せてしまう今と違って当時はオタク文化を嗜むにはある意味ハードルが高かったはずである

くりいむレモン以外の昔のエロOVAを見ても、ドラマ性やアクション性などをメインとしても売れるような作品が多く(質の高さでなく作品における重点の置き方として)、今みたいに最初から萌えだけで売る」「エロだけで売る」ことしか考えてなさそうな作品があまりないようである。せっかくアニメーションとして作るからには、というこだわりだろうか。

逆にいえば、萌えエロ部分は物足りないのだが、そのような背景もあって当時のオタクは多様なドラマ表現の中に光る萌えの輝きを汲み取って楽しむ見方をすることに慣れていたのだと思われる。

から亜美シリーズの展開にも、文句言いつつも良い部分を大きくピックアップしながらそれをメインに楽しむことができていたのだろう。

あとは実際の現実の妹という存在立ち位置に近い動き方、扱われ方をするという点もある意味でよかったのかもしれない。今だって現実で義妹と恋愛したら白い目で見られるらしいが、現代架空作品では義妹キャラは当たり前のように兄に好意アピールするし、それを家族や周囲も特に咎めず認めちゃう世界観形成されているため義妹キャラは兄以外の選択肢は持たない。他の選択肢を持つと処女性重視する人に嫌われちゃうし。


そんな当時の風潮や作風の影響で作られた亜美シリーズの独特の質感ある内容は、エロとして萌えとして半端ながらも現代エロアニメNTRアニメには作れない独特な魅力があると自分も感じている。

特に自分は妹純愛作品も好きだが妹NTR作品も好きなため、河野という男が寝取り男として魅力的ということもありそれからシリーズも好きだったりする。

最初から続き物シリーズという前提で見てしまった場合に、第一作以降の兄の宏の存在感が薄すぎて、亜美主人公少女恋愛アニメみたいな見方をしてしまった影響もあるが…。

そんな物理的には存在感薄かった宏だったが、作中の亜美の心の中では常に存在感十分だったおかげもあってか、

亜美シリーズ二次創作話題を探してみると大体が宏との兄妹恋愛ネタばかりである

純愛萌えに比べたらごく僅かながら河野の魅力を語る人もいるようだし、個人的には『それから』で本当に亜美河野と結ばれる展開も見てみたかったのでそういう方向性二次創作も見てみたいのだが。

河野それからシリーズ亜美結婚を申し込み一時は受け入れられるのだが、別の愛人に「結婚なんて大した意味はない」と男として最低のことを言っていたりして本気でないアピールをしている。一方で最後亜美の出した答えに対する宏と対照的な笑みを見ると亜美を本当に魅力的に感じていることも事実なのではと考えたりする。

2chふたばか忘れたがくりいむレモン関係スレッドログを見ていたら「河野は結局亜美に夢中な奴だから」的な解釈をしてる人がいたが、そんな感じでも受け取れるよなとも思うし、そういうネタ二次創作を見たかったりする。


河野は元々遊び人愛人いたりしながら亜美と付き合ったり求婚したりする野郎だけど、宏は宏で別れさせられても自分を慕う亜美を拒絶して、海外から婚約者連れてきておいて結局亜美を忘れられずに婚約者失望させて亜美に求愛してしま野郎だったりして、河野が悪で兄の宏が善ともいえなかったりする。

そんな観点から見ると、亜美最後に出した答えは二人を拒絶して自分自分、もう誰にも囚われないとか宣言する恋愛ものとしては何その終わり方と思えたりもするやつなのだが、個人的にはちょっと面白かった。そんな亜美を「コイツやっぱいい女だわ…」みたいな笑みを浮かべながら見河野もなんかよかったりして。


■余談

亜美カルト的人気と実際の内容の差に近いものがあるのが美少女ゲームWith You』の乃絵美こと伊藤乃絵美だ。

彼女亜美と違って作品メインヒロインではないが同じくカルト的な人気を誇る妹キャラで、最近でも二次創作を作る人が一定数いるほどの人気がある。

こちらは実際に作品プレイしたこともないのであまり内情を知らないが、基本的には亜美と同じく清楚かつ主人公である兄を慕う妹キャラ(こちらは実妹)として人気を博したことで一致する。

ところが乃絵美も今でいうようなオーソドックスなお兄ちゃん大好き妹キャラではない部分がある。

柴崎かいイケメンの元彼がいるという今なら処女厨にボロクソ叩かれそうな要素を持っている。よく知らないが柴崎って奴はモテるがクソ野郎らしく、昔乃絵美は何されてたんだろうみたいなNTR的な意味妄想ちょっと捗ってしまう。

そんな今なら地雷要素を持つ妹キャラでありながら妹萌え勢に圧倒的な支持を得たという点で亜美乃絵美はなんだか似てるなと思ったのだった。

亜美シリーズよりは最近といってもWith Youも同じく妹萌え趣味人達にとって不遇の時代作品だったので非攻略妹キャラでありながら良い所がピックアップされて人気が出たのだろうし、現実感ある妹らしい設定といえばそうともいえる。

聞いた話では昔とある有名サークルが、乃絵美柴崎に犯される同人誌を描いたらボロクソに叩かれたらしい。後から最近知った自分からするとこれもむしろそういう方向性二次創作を見たいと思ってしまったりする。

2016-04-06

外国美少女というと何でロシアとかフランスとかの美少女なんだろう?

白い肌~とか金髪とか茶髪とかの髪で瞳の色は青か灰。

そういう子にしか目が行かない事にも注目したい。

大体外国女の子というとそういうイメージしかないんだから仕方ない。

しかもそういう女の子って肌が黒いってイメージあんまり沸かないんだよなぁ。

美少女ゲーム黒人美少女なんて見たことないし、

せいぜいアラビア系の浅黒いエキゾチック美少女までしか見た覚えがない。

といって黒人美少女が今まで見なかったはずがないんだ。

だけど、アニメで見た黒人系の美少女っていわゆるブラックアフリカンじゃなくて

ホワイトアフリカンとかブラックアメリカンな肌のきれいな黒人美少女

大体髪の色がシルバーだったり瞳の色が青だったりして少なくとも

公の黒人って感じではないんだよね。

GATEヤオなんて黒人っぽいけどダークエルフで髪はシルバーなんだよなぁ。

そう考えるとダークエルフ系の美少女はたまに見かける事はあっても

なんていうか純黒人美少女ってのにはお目に掛かった事がない。

殆ど場合ロシア妖精とかフランスの儚げな美少女またはフランス人形みたいな感じの子が大半。

これって日本人白人主義に染まってるというより白人美少女主義だからじゃないかって思う。

美少女白人の白い肌で金髪で青い瞳というのは古くから日本人の好みだったと認識してきたけど、

未だかつて黒人美少女代表的なのがない時点で、日本人黒人美少女には興味というかそもそも関心がないんだろうぜ。

現に俺は全く関心がないんだからな。

2016-03-12

声優アワード

声優アワードって美少女ゲームアワード以上に謎。あれは明確に参加申請ブランド以外のゲームは選外ってのが分かってるけど。

2016-03-03

エロゲーマーだけど

デカイ箱のやつねー18禁美少女ゲームのたぐい大好き

市場は小さいけど乙女ゲーム18禁もあります!好みはAVでいう男性向けかweb広告によく出てくる女性けが好きかに近いのかな

掲示板に女がやってて引くって声もあるね…ごめんね

まずやるのはシナリオがちゃんとしてる奴、いわゆる燃えゲー泣きゲーが好きなんだけどこれにエロは求めてないからコンシューマーを買うこともある

そしてエロ求めるなら抜きゲー(女が使っていいのかわからないけど)で実際抜くし

傍観者タイプでなく割と登場人物自分を置き換える派だから楽しい

エロゲーマーはダップンダが好きとよく聞くけどそうだと思う、うんこゲー大好きな人多いよ

私は無理だけどシナリオ薄っぺらなただの萌えゲーが好きな人もいるのかもしれない

「このゲーム女性人権配慮して作られてます

はぁ?

まずエロゲを奴らがどう思っているか、当のフェミニスト奴隷をなでなでして自分に懐かせるゲーム発狂してんだよ

血祭りになる前に表に名前出していいタイトルじゃないだろ

まずえエロゲを手に取る女が女に配慮したゲームやる訳ないし遠慮はイラネ、全力で頼む

2016-02-27

俺の妹が~』が最近にまた話題になっているようだけど

私はアニメ版しか見てないし、原作派の意見は知らないけれど、

アニメ版最後のあの終わり方は単純に妹を選択したというのは

メタファー的な意味のほうが強いんだと思う。

結論から言えば、

  記号的なキャラ群でも妹キャラが最強だということ。

・幼馴染の麻奈美

ツンデレ系後輩キャラのあやせ

・中二系黒猫

アイドル加奈子

どれも魅力的な記号キャラだけど、

それでも妹キャラを選んだという徹頭徹尾

作品テーマに準じたオタク的な作品ということです。

もちろんこの視点は一辺からだけだし、他の見方もできるはずです。

から、単純に「近親相姦が~」が「未成年美少女ゲームが~」とかいう表面的な

物事ばかりに注目されて本当にもったいないと思う。

いい大人が物事を表面的にしか見れないなら文句を出すなというという感じです。

※いい大人がアニメを見ているとかい批判時代遅れ批判ですが、

「でも表現として近親相姦ダメだろ」とか

表現として使われている以上をその作品コラボさせるのはだめだろ」とか

意見もあるかと思います

でもさあ、それってなんていうかゥチは違うと思うんだ。

やっぱりちゃんとそのアニメを見てから言ってほしぃ

あ、[見る ≠ 視聴]ってコトくらいはわかってね。

2016-02-24

エロマンガを語り合うみたいなの

気持ち悪いのはなんでだろう。

おっぱいとかセックスとかそういうのに関しての話はまだ性欲の発露という感じで健康的に思えるからいいんだけど。

日活ロマンポルノとかゼロ年代美少女ゲームの話とかみたいに、エロ以外の部分の表現についてのあれやこれやみたいな話をエロマンガでやられるとすごく嫌悪感がある。

一般マンガだったら描写とか表現についてあーだこーだと言っていてもなんとも思わないんだけど。

2016-02-12

AVとかAV女優セクシー女優かいってるのにムカついてたけど、よく考えたらエロゲー美少女ゲーム、びしょゲーとか雑誌の中で言われてたわ

なんかおフザケ的な感じでしかエロゲーっていわれてなかった気がする

ちゃんとした場ではちゃんとした表現をしないといけない的なアレなのかなあ

エロゲーってのは俗っぽすぎるとか

2016-01-11

アイマス女性向け」

夜だけど、これからアイマス論をグダグダ語っていくよ。諸事情あって、アイマスについて調べることになったので、実況プレイ動画を見たり、友達取材したりして僕なりにアイマスの魅力を理解して、なおかつ面白いものがかけそうな気がしているので、その話を書いていこうと思います

まず、僕がアイマスについて調べて驚いたのは…女子のファンが多いことです。どちらかというとラブプラスっぽいイメージがあったのですが、ラブプラスとの明快な差は女子から愛され具合だと思います女子ラブプラスに話しかける感覚で美希ちゃんを溺愛する姿を見て「あれ?どっかで見たよね?」と

閃乱カグラカスタマ要素・女子ペット的な魅力)+パワポケ何気に難易度が高いミニゲームの詰め合わせとその達成感)+けいおん!(の沢ちゃん的なポジ)=アイマス』だと思う。特に特化してるのは「けいおん!」の部分で、女子友達であり、友達でない関係が女のアイマスファンを創ると思われ


アイマスに似ているゲーム閃乱カグララブプラスの名を挙げたけど、その二つは女子性的対象になるから女子には人気が出ない。女の子女の子友達になって、キャラを見て・その後に本音をぶちまけ合うコミュニケーションを欲しているかかわいいとか愛でられるとかそれだけでは満足できない。


アイマスって男子にとって魅力的なことよりも、「女子にとって魅力的な美少女ゲーム」ということにこそ価値がある。「キャラ萌え」をしたキャラと男の場合恋愛感情を求めて「2次元嫁」になるけど、女の場合百合なっちゃうから友達(甘やかし気味なペット)」の関係を実現できるのが斬新!!


アイマス女性が感じてる感情を男に代替すると暗殺教室の殺せんせーが近い』んじゃないか?特に修学旅行に行く時にミニ四駆まで詰め込んで「あれ?先生の方が楽しんでるね」と生徒に言われちゃうあの感じ。ゲーム世界で滑ってるギャグを飛ばすP及び製作者を斜に構えて見る美希…そうこの構図


アイマスについて調べて思ったのは『萌え議論をするときにやるべきは「美少女を愛でる感覚」の細分化だ!』事。美少女になりたい・美少女ペットにしたい・美少女恋愛したい・美少女セックスしたい・美少女を街で見かけた・美少女友達になりたい…どこをチョイスするかで作風多様化できる


女子場合恋愛要素も性的愛玩物要素もない(というか、中学生設定の子いるから描くとやばいからこそアイマス女の子を妹とか友達とかそういう風に思い込めるし、思い込んでも後ろめたさがない。これは弟じゃダメ女子精神年齢は男より早く老いるか思春期の冷めた感情が共有できない。


アイマスソーシャルゲーム版や2だとユニットを作るらしいけど、1だと本当にマンツーマンゆえ、親友なんだ。これも女子のとってよかったのでは?女同士だと人間関係に疲れる(ような錯覚も含め)を感じるが、親友であり相方から、(プレイヤーキャラの)ガールズトークにのめり込めるのでは?


女子の中には「彼氏」のことを「相方」と呼ぶ人がいるんだけど、これは女子の欲しいものを如実に表した言い換えだと思う。話し相手というか、頼れる(ちょっぴりだけ上下関係があるが)本音で語れる相手というか…性的であったり、ラブリーである必要よりももっとポップな関係。そっちの方が大事なんだ


女性」という「性」の面白さは生まれながらにして「お母さん」になることを宿命づけられながらも、防衛本能ゆえに性行為(もしくは性的対象に見られること)に嫌悪感を抱くということ。アイマスというゲームはちょうどお母さんになれることがいいんだと思う。それもその子性的対象にしないでいい事


あとはアイマスの魅力のうち「声」比率が大きいと思った。これは調査してないからわかんないけど、ソーシャルゲー・アニメ化などをしても人気で有り続けられる理由って、見せ所が視覚ではなく、聴覚からだと思う。喜怒哀楽全部出せるシナリオ(及び演技シーン)と声がかみ合ってるのが素晴らしい!



アイマスゲームの中で色んな歌を歌うシーンがあるけど…あれって、もち歌(キャラソン)以外も歌うのが返っていいのだと思う。アイマス女子にも人気な理由テンプレキャラの部分の可愛さと、テンプレになりきれない成長シーンやキャラ違いの歌を歌うシーンや表情演技とのギャップの魅力だと思う



昔、友達から「声なしでAV見てご覧。抜くどころか虚しくなるから」と言われて、やったことがあるんだけど…アイマスってそんな感じ。もし、映像演出と声がなくて、エフェクトなしで体育館舞台みたいな場所で踊ってるだけなら…「エフェクトをはさむ」というオーディションゲーム性は確かにハマる


あとはアイマスについてみていて思ったのは、ゲームコミュニケーションランダム要素が多いからパワポケの「(目押しTAS芸でもしない限り)絶対オールAをつくる方法なんかねーよ!」というあの感じが好き。…正しい(と思われる)選択肢を選んだときでさえ「大丈夫かな?」と戸惑う感じ!


アイマステンションプレゼントオーディションリアクション・レッスンなど結構肝心なところがランダムからベスト・グット出すのが大変。でも、女子場合アクションSTGが脳の構造問題で苦手でランダム絡むゲーム経験が少ない。、ゆえに、女子がやる分にはランダムは新鮮な要素!



「脳の構造」の問題で、女子の方が方向音痴なんです。方向音痴なだけじゃなくて、立体全般ダメなので数学(図形)嫌い、動きの激しいゲームダメなどがあります。平面が得意で立体がダメ構造になってて、男はその逆。口紅の細かい色分けがわかんないから化粧や髪染めに気づけない脳の構造なんだ



衣装色違いを細かく設定できる当たりが(特に女の子にとって)親切設計だよなぁ…。ゲームだけじゃなくて、アニメアイマスも色がすごく綺麗だったし…。なんとなくほかの男性向けとは路線が違う気がする。語れば語るほど、他の男性向けの要素とは違う魅力にたどり着くアイマス


本当はアイマスに詳しい友人及びはてな有名人に「アイマスについて教えろ」と言っても良かったんだけど、…東方ファンやパワポケファンとして言わせてもらうと、世界観が広大なゲーム自分なりの結論を付けるしかないと思うから、仮説を作ってそういう友達に聞いて、仮説を裏付けるのがちょうどいい


僕がパワポケについて問われたら、1012当たりの、あのド派手アクションパワポケが好きだと言うけど、野球が真面目に絡む1・2・8辺りが好きな人も居るからねぇ…。東方も…ネタだらけの二次創作原作雰囲気がなくなるから嫌いだし。アイマスもそういう意味では難しいテーマだと思う


僕の中では「男性向けゲーム」としてのアイマスの完成度はそんなに高くない。恋愛対象年齢じゃないし、エロ要素はあるにはあるけど、薄い本でやるかクリアする気持ちを捨ててのパイタッチからカグラには劣るし…コミュで考えるとギャルゲは他にある。そう考えるとアイマスは実は女性向けだと思った


調べていくと意外と女性に人気があり、男向けのその手のゲーム衣装カスタマできたり、キャラと会話できるゲーム)と比較したときに、アイマスがやけに異色で恋愛要素が少なかったため、女の子友達同士になる発想でやってるゲームとしての方が最適では?」と感じた次第です



あと、僕の中でわからないのは多媒体化されてるアイマスはどういったファンがメインになるのか?って事。アイマスって攻略対象ユニットになってるゲームソロゲームでカプで考える人と、自分アイドル関係で考えちゃう人がいると思う。そこらへんの論争を見てみたいなぁ…怖そうだけど



個人的にはね…アイマス萌え豚ゲーだと思ってた今日調べるまではモバゲーで「働いたら負けTシャツの人」に貢ぎまくる奴らのせいでキモオタゲーのイメージがあったわけです。…AKBとかラブプラス的な性的愛玩物的なイメージ



ええ、ごめんなさい。このまとめでなんとか勘弁してください><



※この文章2013年はてな村の誇るメルマガ大先生が書いたアイマス感想です。

2016-01-06

これって何のラノベかわかる?

いでおろーぐや僕と彼女のゲーム戦争ちょっと違うだろうしなんだろ?

今読んでるラノベの話をするが…なんだろう。オタクじゃなくて、ネット脳ネットコンテクストを形だけ演じてるのをオタクと呼び、定義された主人公。それをラノベ的な強引な展開で押し付けて、女の子があまりにも当たり前すぎる正論を言うスタイル。…これは小説じゃない。ブログだよ

作者はおそらく、大学生ぐらいからオタクにのめり込んだエロゲオタだと思うんだけど…高校生エロゲオタ・美少女ゲームオタクってこんなに描かれるといびつなのか。なんというか想像がつかない。主人公像を文章説明されればされるほど、「ラノベイラスト機能してない」と感じられて仕方ない

ラノベイラストだ、表紙だ」と言ってるけど、今読んでるラノベは完全に表紙の力が足りてないラノベなれる!SEみたいに「画力が足りてないだけで状況やキャラ設定は的確」というタイプラノベじゃなくて、キャラデザダメ。かき分けもダメ。読んで描いてこうなってるなら、バカだと思う

例えばだけど、ブサイクにしなくても、ラノベ登場人物としてのひねくれ感を出してる「キョン」のキャラデザって偉大だよね。いとうのいぢといえば、女の子描いてるようなアレがあるけど、むしろキョンの冷めたセリフと合う主人公が作れたことの方が実は功績だと思う。俺ガイルの比企谷にも言えるが

学校トップ3にダサい男子主人公なのに、ラノベ挿絵を見ても一切合切ダサさもひねくれ感もないのよね…。ギャルがどうとかネイルがどうとかってヒロイン描写もあるんだけど、ギャル感もなければ、そもそもイラストに爪にこだわった絵も一枚もない。イラストというよりハンコ絵

いや、ラノベとして面白いかと言われると「ラノベではなく、ネット脳な人がまともな女の子論破されて悔しがるさまを【女の子が圧倒的に正しい】とはてなブックマークしたくなるようなブログを読んでる」感覚がする作品。なんというか、ノベルというほどの創造性もラノベというほどの記号性もない


ライトノベルというジャンルや、挿絵キャラデザミスマッチしていることによるイメージ劣化裏切りが、そこそこ面白いラノベという体裁を装ったブログもっと細かく言えば「はてな匿名ダイアリー文学っぽい作品)をそこそこ面白いことすら認めたくならないようなところまで好感度を落としてる

2015-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20150829231502

エロゲのことを美少女ゲームと呼んでいる東浩紀が以前飲み会ustで、

美少女ゲームライトノベルオタク最先端アニメ美少女ゲームサブジャンルに過ぎない。

まどかマギカ美少女ゲームで散々やられてきた虚淵的なものアニメ用にパッケージングし直しただけ」

みたいなことを言っていた。でもこの手のエロゲ先端論は東クラスタをはじめとする人文系の連中だけが

言っていることであり、他のオタク界隈でそんなことを論じている人はいない。

 

だいたい虚淵玄和光大)と麻枝准中京大)がどんな先端を生むんだよw

素養が足りず小説勝負できない人が、それでも作家面するために作ったルートエロゲシナリオライターだろ。

2015-07-22

Charlotte3話見たが麻枝准はやっぱりアニメ脚本ダメだわ

http://www.nicovideo.jp/watch/1437122012

この話は単体で見たらどうしようもないくらいくだらない話だった。内容ペラペラでその分お寒い演出をだらだらと。これ10分くらいで出来ただろ。

なにより西森柚咲の扱いがひどい。がっこうぐらし!に出てくる現実逃避女よりこちらのほうが数段やばい唐突意識を失って気づいたら数時間飛んでて知らない間に自分がなにかやらかしているらしいのに全く動じていない。そんなことどうでもいいと言わんばかり。何考えてんだこの女気持ち悪い、でもフォローあるんだろ?って思って待ってたら途中で姉の美咲に入れ替わってから一切フォローなし。姉の美咲はすっきりするかもしれないが、妹は?姉は不良仲間のクズを励ます暇があったら、いきなり違う学校に転校させられる妹に何かいことなかったの?手紙でも書けばよかったのに。

そりゃきっと見えないところでフォローするんでだろう。きっと見えないところで柚咲は姉の存在を感じ取っていて言葉不要なんだろう。でも、他の余計な部分をだらだらと描写する暇があったら、ちゃんと描けよ。と見ていてムカムカさせられる展開だった。相当こちら側で脳内補完しないと耐えられんよこれ。

ただ、後への伏線とかんがえるとかなり重要情報がたくさん提示されている。今回の肝は西森美咲だけは能力が不完全ではない完璧能力であることだ。あれだけいちいち他の人間能力に「なんて不完全な能力なんだ」とツッコんでいた主人公がそれを指摘しないのだからまちがいなかろう。ここから逆算すると、学生能力発言する条件、それから能力が不完全な理由もわかってくる。そして、OP及び1話の演出から主人公の妹が能力発言することはほぼ確定であるし、おそらく不完全ではない能力に目覚めるであろうことも推測できる。となると、アホで可愛い妹がどういう状態に追い込まれるかもうすうす想像がつくだろう。また、今回のお寒いシナリオだが、麻枝准のクセからして、今回のストーリは主役級のキャラリフレインすることになる。以上の条件を満たすとだいぶこの先の展開が絞られてくる。

ってことで、これがラノベ美少女ゲームだったら伏線貼り、ってことで納得できる。情報的にも重要な話だというのもわかる。だが、そこをもっと面白く見せられなかったのか。アニメは1話1話が面白く無いとダメだろうが。しまもよりによって3話だと3話。一番大事なところだ。一番大事な3話でこのクオリティはあり得ない。グラスリップの方がまだなんぼかまし。ま、グラスリップと同じように最後まで見れば面白い可能性はあるが、最後までみないと面白さがわからなくなってしまうというのは、アニメ脚本としてはやはり難がある。

いろいろ文句は言ったし実際3話は単体ではどうしようもないくらいつまらないという結論は変わらないが、文句を言った以上最後まで見るつもりだ。

2015-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20150209012042

15年くらい前と比べると敷居が下がってオタクになりやすくなった。

ここ数年のオタな人と話していると、ジェネレーションギャップを感じるのは確か。

ガンダムで見たことがあるのはSEEDあたりからで、初代ガンダムあたりのコアな話が通じない。

美少女ゲーム最近の話は通じるけれど、DOSゲーあたりの話はさっぱりしないしねぇ。

そもそもDOS自体を使えるのだろうかあやしい

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.15 『そして、ひとりぼっちふたりが残った』

■本文。

 最終回だというのに最初からくどい話になるのだけど、インターネットなどのメディアが、世界が一体化したかのような幻想を生み出す一方で、野放図に拡大される情報社会が、心の繋がりを裁断し続けている。断片的な情報を追いかけることに躍起になるあまり、多くの価値観ジャンル求心力を失った。例えば、メディアミックスにしても、それぞれがジャンルという枠による秩序を持っているからこそ、混淆することに意味があったし、一体化の幻想自体が、[かつての全能感]を取り戻すための侵略に他ならない。そして、互いの領域侵略した結果、秩序という枠組みが曖昧になったことで、インターネット上では無制限肥大した自意識が互いに衝突を起こしている。情報という麻薬に蝕まれ中毒患者は絶えず全能感と無力感を往復しているが、目の前にある荒んだ光景認識することができない。

 そんな現代において、旧来の世界観回帰すること=思考停止による癒しが唯一の自己防衛手段となっているケースは多い。そして、箱庭のような偽物の原風景に引きこもることで、飽くなき侵略=拡大する欲望を抑えている。自己言及的な表現を頑なに拒むのも、居場所を自壊させてしまうことへの潜在的な恐怖があるからなのだろう。そして、マッチョイズムとフェミニズムの対立から零れ落ちた層を汲み取る為に、ポルノメディア特異点……ポルノメディアから遠く離れたポルノとして、美少女ゲーム存在している。マッチョイズムにせよ、フェミニズムにせよ、その論理自身セクシャリティ現実恋愛セックスを前提としているが故に、現実虚構を対比し優劣を決定する方向性結論を出してしまう傾向が否めない。例えば、フェミニズムの功績としては、男女の恋愛関係におげる規制緩和自由化が挙げられるが、同時にそれは恋愛における自由競争を生み出したと言えるし、当然、自由競争から弾き出された恋愛弱者も多く生み出すことになった。ちなみに、この構造は、フェミニズムインターネットに置き換えれば、情報弱者を生み出す構造と同じになるのだが……。

 美少女ゲームポルノグラフィの枠組みから発生したものだが、その論理基盤は[男と女]というセクシャリティを巡るものではなく、[自分他人]という基準駆動している傾向がある。言い換えれば、自身セクシャリティに対する意識希薄であるが故に、全くの異物としての他者(異性)を認識することが難しく、自己の延長としての他者という方向性で純化されているのだが、同時にコミュニケーションを崇高化し過ぎるという弊害も見られる。その弊害が悪化すると[引きこもり]に繋がっていくのだけども、ユーザーの大半は普通に社会生活を送っている。理由は色々とあるだろうが、スピリチュアリズムに似た信仰システム機能を、美少女ゲームが持っていることも挙げられると思う。

 そして、セクシャリティに対する意識希薄である=前時代であるために、恋愛至上主義的な表現が勃興した。例えば『ToHeart』や『ONE』で描かれるセックスあくまで婚前交渉であって、娯楽としてのセックスではない。娼婦素人娘が厳然と分かれていて、素人娘と付き合う時は必ず結婚が前提になる時代価値観無意識のうちに再現されているので、『Kanon』に至っては、名雪シナリオ以外ではセックスすることを選択しなくてもトゥルーエンドに到達できる。それは、セックス結婚後に初めて行うもの考える人々が未だそれなりの割合存在していたということだろう。だから美少女ゲームの一部は厳密な意味でのポルノメディアから離れつつある。風俗産業二次元版としてのポルノではなく、結婚相談所二次元版としてのポルノメディアなのだと考えれば分かりやすいのかも知れない。

 さて、現代物語メディアの多くが単独で成立しにくい原因の一つに、経済テクノロジーの発達に伴い、物語の消費スピードが飛躍的に加速しているという状況がある。または、物語がパーツ単位解体された結果、秩序を維持できなくなっていることに起因する。物語ジャンルとしての秩序を失い、単なる情報集合体として氾濫した結果、その多くは誰もが知っている[お約束]と呼ばれるものになってしまった。そして、[物語を読む]という行為目的が、疑似体験を介して思索することではなく、氾濫する情報収集し続け、酩酊状態に導いて思考停止することに変質してしまった。同時に、ゲームというプラットフォームから発信される物語が、作者の意志によって導かれる連続体としての表現ではなく、ユーザー自身が演じる舞台……遊戯空間としての情報集合体スタイルを変化させつつある。

 つまり他人の波瀾万丈な人生を追体験するのではなく、原風景としての平穏日常を演じる媒介として機能しているケースが増えているのだ。原風景楽園志向が悪い訳ではないのだが、美少女ゲーム遊戯空間として完成するにつれ、文化的伝統回帰するルートとしての側面は失われつつあるように思う。

 例えば、他者との関わりは、現実世界他人社会といった抽象的な意味で捉えられがちだが、過去から連なる歴史的蓄積という視点存在する。おそらく『ONE』が特徴的だったのは、『ToHeart』で確立された偽物の原風景楽園を[かつての全能感]を補完するシステムとしての機能面だけではなく、過去価値観レプリカと捉えた上で、同時に時間的意味での[他者]を再現しようとしていたことだ。一見ToHeart』の二番煎じと思われるような構造に[過去との接続]という要素を加えたことによって、ノイズ判断される危険性を孕んでいながらも、過去現在を繋ぐ連続体=物語として作られた『ONE』が成功を収めたことで、物語に対するニーズが未だ潜在的に存在していることを証明している。

 また、『Kanon』や『鈴のうたう日』では、胎内回帰であるために閉塞へ陥りがちだった楽園志向を[共生と循環]という方向へ発展させているし、『フロレアール』『とらいあんぐるハート2』『デアボリカ』といった作品も、それぞれの方法物語表現としての美少女ゲームの可能性を拡げている。そして、そういった作品が予想外な場所から出現する限り、筆者は美少女ゲームユーザーであり続けると思う。

あとがき

 本当はこれから出るゲームを取り上げて、今後の展望を書くつもりだったんですが、本業以外の分野を未来予測するのは、やっぱり難しいので、普通に連載の総括という感じになりました。

 とりあえずは療養しながら、積みゲーの数々をクリアしようかと思っております。そういう訳で、今後は体調と相談しながら、不定期で登場するかも知れません。どんな形になるかは今のところ、分かりません……って、別に打ち合わせもしてないので(笑)。あと、FAKEOFFICEのホームページに、このコラムバックナンバー順次再録していく予定です。こちらも体調次第ですけど……まあ、そういう訳で一年ちょっとの間、どうもありがとうございました。

Natural Color Phantasm Vol.14 『ONE~やむべからざる、必要と実質』

■本文。

 朝のワイドショーで[社会的ひきこもり]を特集するようになるとは、世の中、つくづくアレなんだなあ、と思う今日このごろですが、今月のお題は『ONE』です。本当は最終回まで取っておこうと思っていたのだけど、小倉さんとデーブ・スペクター斉藤環が同じ画面に映っているのを見たら、辛抱たまらなくなったのですよ。しかし、『二時のホント』が終わったのは、ワイドショーマニアの筆者には痛い……。

 ―――さて、『ONE』をプレイして強く感じたのは、母性父性の欠損に対して、援護射撃に頼らない直球勝負を挑んでいることだろう。ただ、同じ主題を扱っていても、手慣れたテキストの『Kanon』に比べると、まだ手探りの部分が多く、比喩などにあからさまな引用も多い。だから、必ずしも褒められたものではないのだが、BGMと画面演出の組み合わせを効果的に使う[音の魔法]に頼っていない分、言霊比重が高くなっている印象を受けた。

 重要ポイントは、この作品で描かれる世界には、超えるべき父性最初から存在しないことだろう。同時にそれは、学習することもできないということでもある。[他者]は、主に母性を巡るものとして描かれているが、主人公である浩平の母親は、カルト系の新興宗教に盲従した結果、母親であることを放棄している。そして、浩平は、他人との関係性を肉親から学習しないまま=子供のままで妹に対し、父の代わりを演じたが、妹の死により、父性の獲得=男性としての自立にも失敗してしまう。そのため、主人公は二重の意味で心理的欠損を抱えているのだ。

 更に、母親発狂し、ウロボロス的な母性を発動させてしまった際に、母親拒否している浩平は、壊れた母性に対する嫌悪感を潜在的に抱き続けている。由起子おばさんが、一度も浩平の視界には現れないことや、長森シナリオでトゥルーエンドに辿り着くためには、長森を嫌悪し続けなければならないことの理由でもある。いわば、母性父性の欠損を巡る内面問題こそが、『ONE』という物語の核になっている。また、宗教によって母親発狂し、浩平の前から姿を消すシーンは、『ONE』の前作にあたる『MOON』の主題継承しているとも言えるだろう。

 だから、この作品の基本構造は、どのシナリオアプローチの違いこそあれ、本質的には同じだ。他者との距離感を知らないまま成長していくことに、情緒的な病による死を予感した浩平自身本能が、自然死を避けるために、偶然を装った出会いを起こし、浩平に欠損した部分を取り戻させようとしたことが、物語動機になっている。そして、浩平自身本能は、ゲームの作り手であり、浩平はプレイヤー自身である

 だからこそ、浩平の鏡像となる女の子たちは、それぞれが身体的なハンディキャップや心理的外傷を持つ者ばかりが選ばれたのだろう。同情という媒介を用いなければ、出会いという動機を持つことができないほどに、浩平の病状は悪化していたし、宝探しを始めるには、同じ宝を共有できる相棒必要だったのだ。

 本能の企てに乗せられた浩平は、達成されなかった父性確立に再度挑戦する。ところが、達成寸前に壁が現れる。それが[えいえんのせかい]という、癒し象徴でもある異界への願望だ。もっとも、異界が具体的に描かれることはない。まあ、具体的に描いたら、山上たつひこの『鬼面帝国』か、出口王仁三郎の『霊界物語』みたいになってしまうような気もするが(笑)

 ―――いや、最初から浩平は異界に取り込まれていたのだろう。つまり、浩平が抱いていた、思春期独特の中途半端世界認識が、そのまま、異界への潜在的な願望として、妄執のように内在していた。それが、絆の発生で、完全な鏡となった女の子を介して照らし出されたのだ。つまり中途半端に終わった目的を今度こそ達成しようという意志現在)と、中途半端のままで反復しようとしている記憶過去)が衝突したことで、[えいえんのせかい]という、思考停止状態に陥ったのだろう。

 さて、プレイヤーとしての浩平が一度、舞台から退場することで、今度は、選ばれた女の子自身母性主題自覚することになる。そして、父性母性相互補完的に成立することで、浩平は再び舞台に戻ることができる。つまり、互いを鏡像他者認識することによって、欠損を補填した訳だ。この構造自体はありふれたものだが、ありふれたものであるがゆえに、強い言霊を生み出すことができる。そして、この作品特筆すべきことは、美少女ゲームで描かれる世界が失われたロマンティックであり、実際にはあり得ない世界だということを巧妙に描いていることだ。

 何故なら、『ONE』の登場人物たちの多くは、自分たちの生きている世界に対し、無自覚肯定をしない。強い否定もしない。約束された楽園が既に失われてしまっているということを、登場人物自身自覚しているように見える。プレイヤーもまた、物語を介し、その完結に立ち会うことによって、楽園が失われたことを知りながら、ゲーム内の楽園に耽溺するという、二律背反的な認識を持つことになる。

 例えば、『ToHeart』が、ゲーム内ではいったん完結しながら、アニメ化メディアミックス)にあたって物語世界を再構築した際に、約束された楽園主題を持たない真空状態を維持すること……終わらない物語であり続けることを選択し、ユーザー楽園願望を全面的肯定したことで、現在でも現役の商品として、人気を保っているのに対し、『ONE』の場合は、主題を巡る部分が『Kanon』と『鈴がうたう日』という二つの作品分岐&移行してしまったことで、作品商品の両面で、既に幕を閉じているのだ。

 この辺の違いについて、最も分かりやすいのは、やはり、長森シナリオであろう。『ToHeart』のあかりシナリオに対するメタ的な構造を持っているかなのだが、筆者も鈍いので、気づくまでに何度かキレそうになったのは余談だ(苦笑)。

 もっとも、『ONE』以降、恋愛描写を重視した[泣き系]の作品が氾濫したことで、相対的主題空洞化と、[お約束]としての普遍化が起こっているのは否めないが、この作品自体は、非日常日常や、万能感と無力感の間で葛藤する思春期独特の世界認識通過儀礼を描いた作品として評価できるだろう。

 更に言えば、本来は『WhiteAlbum』や『デアボリカ』のような、ユーザー価値観を揺さぶタイプ物語が担っていた役割を、『ONE』の成功で、思考停止による癒しを主目的とするタイプ物語でも担えることを証明したのだ。

 物語とは、社会と個人を繋ぐ媒介だと思う。いつの時代も、その本質は変わらないが、物語を伝達する手段は、時代の変化と共に変わっていくものだと、筆者は考えている。美少女ゲーム媒介として、社会と繋がり、社会学習していくという構図も存在できると思うし、一見楽園肯定するような表現に重層的な含みを持たせることで、現実社会との距離感認識させる手法確立を、本格的に模索する時期に入っているのではないだろうか?

■あと一回のお知らせと総括。

 ホームページでは既に告知済みだったのですが、本コラムは次号で最終回となります。次回は連載総括という形で、これから発売される作品について触れたいと思っていますので、作品ごとの論評としては、今回が最後です。

 降板理由は、今年に入り、筆者の健康状態が悪化して、月刊ペースでの連載が難しくなってしまたからです。無理に書いて、自己模倣に陥ってしまっては意味がありませんし……。

 ―――そういう訳で、読者とメーカーの方々には、一年と少々、筆者の回りくどい文章に付き合っていただき本当にありがとうございました。連載はあと一回ありますが、この場を借りて御礼申し上げます

Natural Color Phantasm Vol.12 『鈴がうたう日~醒めて見る夢の向こうに』

■その1。

 いやー、『ONE輝く季節へ』を、やっとこオールクリアできたので、記念(?)に、『ばらえてぃたくちくす!』を買ってきました。

 「ほう、『鈴がうたう日』番外編か……あ、そういえば、本編、途中で止まったままだよ!」(またか

 ……という訳で、今月は『鈴がうたう日』(以下『すずうた』)です。つーか、新作より、目の前にある積みゲーの数々をクリアしないとな……おかげで、歴史の把握が、かなーりおかしいことになってて、頭の中で文脈が混乱しまくってるよ!

 さて、前半、平凡な日常描写を積み重ね、後半で非日常的な描写へ一気に持っていく構成、その対比と高揚感から特定感情を生み出すという演出手法は、普遍的になりつつある。実際、効果的だけど、最近は、苦痛に感じることもある……。

 そして、前半と後半を繋ぐために、ある種の情緒……ファンタジー要素や少女幻想的な描写を使う作品も多い。また、日常崩壊を匂わせる、詩的な言動や描写を、前半で伏線的に配置しておくパターンもある。

 しかし、『すずうた』の場合は、何故か両方とも欠如しているのだ。前半に配置されるのは、少女幻想を前提とした詩的なラブコメ描写ではなく、あくま少年まんが的なノリで作られたギャグ描写だ。なので、ラブコメという感触は乏しい。むしろ、ノリとしては久世光彦の作るホームドラマだ(『ムー』とか)。

 前半で配置されている非日常的な要素を強いて挙げるならば、物語の発端となる、すずの来訪(登場)なのだろうが、それすらも、簡単に日常へ取り込まれていく。そのことが、後半の展開との落差に、違和感を生み出す遠因となっているようだ。

 ほとんどの美少女ゲームは、恋愛の予備段階と言える状態からスタートする。犬チックな幼なじみが起こしに来たり、変人な先輩と偶然にぶつかったりするが、それらの出会いには、主人公モノローグなどで、恋愛予兆があらかじめ内在する。

 ところが、『すずうた』は、「恋人未満、友達以上」どころか、まるっきり友達感覚描写ばかりが続くので、その予兆が内在しない。そして、恋愛予兆排除された状態から、後半、一気にハード恋愛状態へ流れ込むが、恋愛描写少女幻想がもたらす酩酊感が全くないので、関係性の変化という事態に対し、全くフィルタがかからないのだ。よって、急性アルコール中毒になったような感覚に陥り、あまりにも不条理な災厄が降りかかったような気分になってしまう。これが、先に述べた違和感の正体だと思う。

 さて、その後半に目を向けると、提示されている仕掛けはことごとく、対立する視点が介在し(七海トゥルーにおける紫姉、など)、いわば、理性で言霊暴走を抑えている格好になっている。なので、前半の軽快さとは一転して、重苦しい展開になっている……という対比はあれど、高揚感は生まれない。従って、プレイヤーもまた、流れに乗り切れないまま、物語は終わる。おまけに、どのラストも正直、爽快とは言い難い。しかし、シナリオ手法としては、これは決して悪くない、と思う。

 同じように、イベントで盛り上げるという仕掛けを排除した作品としては、『いちょうの舞う頃』が挙げられる。しかし、『すずうた』の場合は、『いちょう~』ほど明確に排除している訳ではない。むしろ、仕掛け自体積極的に使用しているのだが、問題は、そのほとんどに意図的抑制が働いていることだ。早い話が、ラブコメ物語構成要素に対し、再検証が行われているのだ。

 ラブコメというシステムは、その発生においては、過去歴史から断絶しようとする意志によって成立したものだった。実際、袋小路に入っていた物語に対するカウンターとしては機能を果たしたが、システムの発展に伴い、【オブジェクト嗜好】という、形骸化に陥ってしまった。

 だから、『すずうた』が目標とする場所に到達するためには、言霊抑制し、感傷に流されることを避け、登場人物たちを自律的な選択に導いていく必要があったのだろう。

■その2。

 【お約束】な停滞からの逸脱=ラブコメ定番パターンから進化しかし、それは物語システムを自壊させる行為でもある。その意味で、この問題に最も自覚的だったのは『WhiteAlbum』だったのだが、それ故に、一部のユーザーから生理的嫌悪にも似た反発に遭った。

 物語構成要素の再検証という行為は、作品の質は上げるが、その分、間口を狭くする。ちなみに、某誌によれば、『ア○マゲドン』のプロデューサーが「観客というのは、感動的な音楽さえ流せば満足する豚だ」と言い放ったことで物議を醸したらしいのだが、目標とする対象が多ければ多いほど、低いレベルでの記号化は強まる。水は低きに流れるものでして……。まあ、だからといって、エアロスミス音楽は正解だとしても、出演女優フェラチオの上手さだけで決めるのはどうかと思うがなあ……っと、話を戻そう(笑)

 つまり、【恋愛】というファンタジーをめぐる、物語システムとしての【ラブコメ】が直面している問題に対し、停滞からの逸脱を目指した上で、恋愛関係の可能性を描こうとした場合必然的に、既存パターンにはない微妙感情を描いていくしかない。同時に、それは、類型化された方程式否定していく作業になる。記号イメージに頼ったテキスト作りは許されない上に、記号によるお約束に慣れた(眼鏡っ娘=内気、とか)ユーザーからは反感を買う……正直、茨の道ではある。

 でも、逸脱の手段として、日常においての自律的選択(自力本願)という方向性を追求した作品群の中では、『すずうた』のテキストは、かなりの強度を持っていると思う。

 例えば、『ONE輝く季節へ』の場合は、日常から日常、そして、日常へという流れを持っているが、『すずうた』の場合日常から日常へと繋いでいく。しかし、前半で提示される日常は、後半で提示される現実の上に成り立った、虚構に限りなく近い日々なのだ。そして、その断層から過去の幻影と現在を繋ぐという、もう一つのテーマが浮かび上がってくる。あと、女の子たちの物語への感情移入よりも、日常の脆さを提示されることが優先されているのが、筆者には新鮮だった。まあ、恋愛小説というよりは、教養小説っぽくなった感じもするが……。

 それから、感心したのは、父性母性の扱い方だ。すずシナリオでは、後半、唐突に父親との相克テーマとして浮かび上がるのだが、過剰な行動には至らない。逆に、蛍トゥルーでは、負の母性との相克テーマになるが、これまた、過剰な補完行動には至らない。類型的な受容と和解で解決してしまい、結局、依存から逃れられない作品が目立つ中で、『すずうた』の登場人物たちは、周囲の助けを借りながらも、あくま自律的運命を選択していく。

 他人犠牲も含めた上での自律的な選択は、『WhiteAlbum』の場合もそうだったが、必ずしも許容できるものではないだろう。しかし、偶然と選択の危うい積み重ねの結果である、平凡な日常が脆いように、全員が幸せに笑っていられる優しい世界もまた、脆さを内包しているのだ。

 そして、わずかに残った非日常的な要素(すず)も、全てを無に帰すほどの力を持っている訳ではなく、奇跡=解決にならない。だからコールタールのようにまとわりつく現実から救われることもないし、すずの存在もまた、過去記憶として、日常的に失われていくものの一つとして、現実に組み込まれていく。

 だからこそ、むしろ、哀惜という感情が静かに流れ込んでくるのだけど、美少女ゲームとしてのカタルシスは欠いているのかも知れない。

 しかし、あくま自律的な行動によって、過去の欠損を補填していこうとする、ささやか意志の方が、ゲームを終了し、物語プレイヤー現実に取り込まれた際に、有効機能するのではないだろうか?

 過去日常現実日常を再接続する物語に触れることで、個人の物語再生する……それが、歴史を紡ぐのだと……筆者は思うのだが。

■ちっとも終わらない近況。

 仕事がここに来て、がーっと集中してしまい、一日7時間ファミレスに籠もって、モバイルギアキーボード叩いても、ちっとも終わる気配がないよ……(迷惑)。脈絡不明仕事ばっかしているので、最近は「本業編集者」とは言えなくなってきたですよ……。

 あ、事務所ホームページに、このコラムバックナンバー再録を始めました。とりあえず、昨年分はアップ済。つーか、次回で連載一周年なのか。エロゲーテキスト解釈だけで一年も続けるんじゃないよ、俺。もっとも、結構辛いけど、それなりに面白くなってきたので、もう少し続ける予定です。最初は、もう少し普通(?)のゲームレビューにするつもりだったのに……脱線しすぎ。

Natural Color Phantasm Vol.11夜勤病棟~闇の中へ還るものたち』

■本文。

 今回プレイした『夜勤病棟』もそうなのだが、ダーク系の美少女ゲーム場合は、非日常的な体験を核としている以上、表層的には、プレイヤーから遠い存在でなければならない。無論、内面的には、闇の部分を共有させる必要性もあるのだが。

 なので、ダーク系のゲーム場合プレイヤーダイレクト投影できるような、無個性主人公では駄目なのだもっとも、『河原崎家の一族』のように[覗き見る]ということに主題を置いたゲーム例外なのだけども、基本的に、背徳的な行為を行う、プレイヤー代理である主人公は、アクが強く、ウィットに富み、性的超人だ。それは、恋愛系の美少女ゲームに於ける主人公像とは、鏡像的な関係にあると言えるだろうし、それは……フランス書院文庫や、マドンナメイトといった、既存ポルノ小説を支配する概念だったりもする。

 そして、それらに共通する超人願望を、悪しきマッチョイズムと評する人もいるのだが、ポルノメディア本来男性原理が基盤となっているものから、それを責めるのは、ちょっと違うような気もする……ポルノメディアとは、本質的に「そういうものなのだ

 そういう意味では、ゲリラ戦天才であり、エロゲー界のチェ・ゲバラとも言える臭作さんは、まさに完璧超人だったんだけど、『夜勤病棟』の主人公である比良坂竜二]の場合は、調教者としての天才的な手腕よりも、コミュニケーション不能者としての印象が先に立つ。性格狡猾な割には、根が幼稚というか……ほとんど子供です。なので、キャラクターとしては、『好き好き大好き!』のラバーフェチ主人公に近いと思う。特定イコンに対する執着……竜二の場合スカトロジーへの執着が強いというあたりも似ているかもしれない。となると、ゲバラというよりはカストロかなあ(何を言ってやがる)。

 まあ、感情移入するには紙一重の人物設定なのだが、実はこの落差がダーク系では重要だったりもする。個人的には、竜二となら美味い酒が飲めそうな気がするが。同病相憐れむ、といった感じか……。

 ところで、竜二の場合は、歪んだ支配欲(自己顕示欲)の背景となっている、自分コンプレックス言及している箇所が、やたらと目立つ。例えば、恋に対する感情の変化は、ある意味で[お約束]と言えるが、同時に、[お約束]に対する違和感を描いているという面もある。

 例えば、お近付きの印に花を貰っただけで、相手が自分恋愛感情を抱いていると思い込み、その相手に恋人がいることが判明すると一転して、逆恨み的な復讐を誓う……という心の動きは、暗く、自己中心的な欲望ではある。しかし、子供であるが故に、一定共感を持つことはできる。けれども、非日常的な舞台&人物設定は、過剰な思い入れを抑える。結果、ダーク系な美少女ゲームで、最も重要な[紙一重]の感覚を上手く成立させているのだ。

 そして、『夜勤病棟』という作品は、被調教者の心理描写に加え、調教者の心理描写にも踏み込んだことで、『雫』や『好き好き大好き!』といった作品系譜で捉えることもできるだろう。もっとも、前出の作品に比べると、非常に明るめな印象はある。これは、従来のポルノ小説に於ける、エアブラシを用いたリアル系イラストレーションとは正反対な、淡くパステルカラー系なグラフィックを用いていながら、作品的には、ポルノ小説世界観を骨格として援用していることに起因する。結果、一種の異化効果が働き、独特の雰囲気を醸し出している。

 そして、前号の原稿でも書いた、マッチョイズムにもフェミニズムにも共感できなかった人々にとっての信仰……という要素が強い、前出の二作品と同じ文脈で語れるであろう要素を持ちながらも、『夜勤病棟』という作品は、従来の定型……つまりマッチョイズム寄りの作品としても成立しているという、不思議立ち位置ゲームだったりする。

 無論、ポルノメディアとして捉えた場合は、こちらの方が正統であることは言うまでもないし、不思議立ち位置を確保していることが、昨年あたりから手詰まりな状況に対し、ちょっとしたヒントになるんじゃないかな……という気はするんだけど、どうなんだろうか……?

 でもって、また、話がズレるんだけど、ダーク系とは逆に、恋愛ゲーム場合は、主人公意志プレイヤー意志と同一化し……シンクロ率を上げ、それが頂点に達したところで、何らかの感情を獲得し、それが[快楽]に繋がっている。つまり、涙を流すことが、射精代理行為として成立するケースもある、ということだ。まあ、調教によって隷従させるのも、恋愛によって心の繋がりを構築するのも、繋がったことに対する快楽という点では大差ないような気もするのだが……。

 だから、表面的な情念ノイズとして、削ぎ落とし、隠匿した、いわゆる村上春樹的な文体の方が、実は好ましかったりもする。この場合、隠匿された情念を追い求めることが、セックスと同じく、快楽を生み出す行為になるのだろう。もっとも、その文体で、えっちシーンを構築するのは難しいのだけど……。

 何故なら、恋愛情念を削ぎ落としても、ある程度は成立できるが、エロという部分を記号化するには限界がある。早い話、情念を削ぐと、色気も失せてしまうのだ。ただ、ポルノ小説という場所では、別の意味フォーマット確立されていて、記号的な表現技法として体系化されている。しかし、記号化したのは主に、表層の情念なので、両者を組み合わせると、水と油のような状態になってしまう。

 これは、前々回で『夏祭』をレビューした際にも言及したが、恋愛系の美少女ゲームえっちシーンになると、途端に主人公饒舌になり、オヤジ臭くなるのは、親和性限界を完全にクリアしていない証拠でもある。恋愛描写セックス描写の食い違いが、萌えと泣きの二項対立助長しているとも言えるし、逆に、美少女ゲームが、まだ進化余地を残している証拠でもある。

 さて、進化に関連することとして、美少女ゲームが持つ物語媒体としての構造については、一部のユーザーの間では、ファンサイトという形で研究されているが、主に[トラウマ]と[癒し]という現象にのみ、着目しているケースが多く、セックスという行為に介在する身体的な感覚や、その意味性については、やや軽視される傾向があるようだ。

 ただ、これは作り手の側の問題でもある。しかも、意図的言及を避けている作品もあるから、仕方が無い……という面もあるのだ。加えて、マッチョイズムとフェミニズム類型的なイメージ排除しようとすると、同時に、性的な要素を排除しようとする力が、無自覚に働いてしまう……というのもある。

 そして、フェミニズムの影響に囚われがちな、サブカル系ジェンダー運動に比べれば、美少女ゲームを含めた、オタク向けポルノメディアの方が、思考の行動範囲は広いと言えるかも知れない。自由度が高い、とも言えるのかな……その分、目標曖昧なので、途方に暮れたりもするのだけど。しかし、既存ジェンダー区分が持つイメージとは異なるものを構築する可能性、という意味では、共通しているだろう。

 まあ、結局、問題アプローチ手段、だと思うのだが。

畜生にも劣る総括。

 萌え不能症気味の筆者は、センチメンタル感傷や同情ではなかなか泣けなくて、むしろ物語の流れにシンクロして感極まるって感じなんだけど、これって、結局、同じことなのかなあ……分からん。あ、あと、そろそろホームページ更新します……過去原稿もそろそろアップしないと……げふ。

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