はてなキーワード: 表題とは
久々の休日、ふと思い立ってTSUTAYAで映画を借りることにした
作品は、リマスター前の『えんとつ町のプペル』。最近リメイク版が公開されたらしいが、そちらはまだ見ていない。
ただ、ネット上の口コミを見る限り、今後も見ることはないだろう。
私にとってのプペルは、1984年に地元の映画館で見た、あのプペルで完成されているからだ。
『えんとつ町のプペル』はその表題の通り、1960年代の公害・大気汚染をテーマに描いた風刺作品だ。
中学までは野球部のエースとして活躍していたが、練習試合中に激しい喘息症状を発症。
四日市ぜんそくの罹患者となり、甲子園への夢を絶たれることとなる。
無気力となり、私生活や授業でもぼんやりしがちな風太を心配し、同級生も励ましてくれるが、効果はなし。
立ち並ぶ煙突からたなびく煙、紫雲の空。その下で生活しているため、激しい痛みや発作は時折風太を襲う。
そういった現状が、風太の気持ちをさらに空虚にしていくのであった。
そんな彼に声をかけたのが、同級の久志山(くしやま)であった。
特に接点のない彼に乗せられるまま、流れで電話級アマチュア無線技士の講習に参加する。
「遠くに住む人と交流し、話せる。こんな楽しい趣味はない」と力説する久志山にお古の機材を押し付けられ、
家族や近隣の男性の(半ばおせっかいな)協力に巻き込まれる形で、
一度目にCQ発信をするも、返信はなし。二度目は混線か、ノイズが返ってくる。
まあどうせそんなもんだ、と畳に身体を投げ出し、諦めかける風太。
周波数の向こう側から声をかけたのは、富士市に住む照子(てるこ・通称『ペル』)だった。
通信がつながるのは週に1度あれば良い方だったが、これをきっかけに風太は無線にのめりこむことになる。
ひょんなことから、互いに公害による喘息持ちということが分かる風太と照子。
次第に性格も野球を辞める前に戻り、久志山をはじめ学校の級友たちとも明るく話す風太。
そう立ち直る彼のもとに一通の手紙が届く。
宛名は照子に教えた住所。しかし差出人は、照子の母・きみのものだった。
発作がひどく呼吸困難となり、照子が市の中央病院にしばらく入院すると知った風太。
焦燥感を胸に一人、風太はヘドロと大気汚染の街・富士へと向かう――
そんなストーリーが、1984年のプペルだった。公害をもとにしたボーイ・ミーツ・ガール。
『えんとつの煙の下で、僕らはつながっている』という捻りのないキャッチコピーが示す通り、
しかし、その背景舞台には工業至上主義への強い批判・風刺が隠されている、という意味では真新しかったのかもしれない。
平凡な作品ながら、私の胸に残り続けていた作品、それがプペルなのだ。
……散々探した末、邦画コーナーの隅にプペルはあった。いつの間にかDVD版になっていた。
ビデオのまま廃盤となっていた可能性もあるので、正直運が良かったと思う。
グループワークのよそよそしい感じも嫌いだけど、相手がわたしを親しいと思っていてもそれはそれで苦痛だ。要するに誰といてもある程度キツい。誰かとお茶して駅で別れたあとひとりで仕切り直したりとかする。
友達付き合いは、わたしがそういう人間だという理解のある人とだけしている。でも、一番気が合う子に親友扱いされていることが最近発覚したから、今後のことを考えたらもうちょっと引いたほうがいいのかもしれないとか考えてる。
それで表題の件になる。
わたしにとって人に会うことは色々と消費する行動なので、会わない大義名分があるっていいなと思っているけど(それ以上の金銭的な損害とかがあるので総合的にはクソボケはよ滅べと思ってるけど)周囲の誰もそうなっていないことに、この状況が始まってしばらくして気がついた。人に会わないことは我慢なのか。人に会うほうがよっぽど我慢ならないのはわたしだけなのか。
ところでどうして気づいたのが去年とかなのに今更こんなことを書いてるかというと、人と会うのをやんわり断ったつもりだったのに相手が予定をねじ曲げてまで会おうとしてきていて、それが明日に迫ってるのに、3日ぐらい前に送られてきた相手の「全然決まってないけどどうする?何時がいい?」に対して返事をまったくしていないからだ。マジでこれどうやって躱したらいいんですかね。
表題にあることがすべてではあるけど、どこにも吐き出すところがなくてもやもやしていたのでここに書きます。
自分自身はずっと長いこと文字書きをしていたけどいろいろあって今はほぼ見る専(個人的に書いたりはするけどどこにも公開してない)。
ちょっと前に、詳細はぼかすけれどちょっとあって、nmmn界隈がざわついたことがありました。
好きだった執筆者の方々も続々作品を削除または非公開(マイピク限定)にしたりして、結構な騒ぎだったように思う。
自分自身はもう書き手をしていないので、まあそれなりに冷静に見ていたけど、その時点で書き手をしている方たちからしたらほんとに肝の冷える展開だった。
数日間にかけて普段ほとんどしないマイピク申請をしたりなんかして、早く騒ぎが収束してほしいなあと思ってました。
pixivで作品を公開されていた方の中にはプライベッターに完全移行するって方もそれなりにいて、私は今一番入り浸っていた界隈のTwitterアカウントを持っていなかったので見られなくなるのは残念ではあったけれど、nmmnジャンルの特性上ほんとに仕方ないなと、静観?(という表現もおかしいが)していた。
最近は鍵ぱかでnmmnの過激なのを公開してる馬鹿も増えて、近頃nmmn界隈が騒ぎになることも多かったし、隠れてくれる分には大いに結構。
なんせこちらはインターネット老害、それもnanoとかに生息していたオタクだもので最近のnmmn界隈にはひやひやされせられることも多かった。
界隈が騒ぎになることを望んでいるわけではないけど、これで今一度界隈の危険性とか、ルールとか、浸透してくれたらいいと。
とはいえ所詮nmmn界隈の騒ぎなんて全書き手/読み手に浸透するもんでもないから、普通にpixivに投稿を続けてる人もいる(それを読んでる自分も自分だけどこの際棚上げを許してほしい)。
ルールとか明言されてないから(だめだけど)知らない書き手が公式に見つかるようなタグつけてpixivに作品をアップしちゃってんのは仕方ないと思う。
それについては気づいてもらえるように老害が促せばいい。老害はこういう時のためにいるからね。
例の騒ぎでpixivからプライベッターに作品を引き上げ、ここまではいい。
作品を書くことは止めないし、自分も楽しませてもらっていた側だから。
更新頻度も高くて、けれど文字数も多くて、すごいなって思ってた。
ブックマーク数もいつも3桁あったし、さぞ通知も多かったと思う。
自分もnmmn、非nmmn問わず書き手をしていたころ、それなりに反応をいただいていたからわかる、ブックマーク通知が来ると嬉しいよね。
好きってメッセージもらうと嬉しいよね。
反応がなくても文字を書くけど、人に見えるところに公開するのは結局反応が欲しいからだよね。
本当にわかるけどそれとこれとは話が違う。
pixivで全体公開するのは公序良俗に反することに気づいたからぷらいべったーに引き上げたんじゃないの?
なんでわかってて戻ってきたの?わざわざ同じユザネで新しいアカウント作って。
おまけに前アカウントで公開してた作品を露骨なタグつけて全体公開して。
なんやかんや理由つけてるけどそんなん結局反応が欲しいからだよね。
プライベッターに引き上げたら全然反応なくて萎えちゃったのかな。
私もむかーし別のジャンルでその手のサイトから検索除け、pass請求性にした個人サイトに引き上げたときにグッと反応減ったから(当たり前)、ちょっと寂しかったりしたけど、nmmnジャンルってそもそも見つかっちゃいけない前提みたいなもんだから反応多いほうがおかしいんだよ。
自分の自尊心を満たすために、本尊のことも界隈のことも危険にさらすのやめてくれ。
法で決められてるわけじゃないし明文化されてないルールが跋扈する界隈にこんなこと言うの無駄かもしんないけど、マイピクの承認基準にあれこれ書いてんだからわかってるんでしょ?
晒されたくない、本尊に不利益を与えたくない、でも書きたいんならせめて反応がないことを許容して。
あと矛盾したことをいうけど、戻ってくるならせめてユザネを変えるなり、前垢の作品一切出さないとかであればこんな苦言を呈さずに済んだんですけど。(とはいえ文体で気づくとは思う)
本当はこの界隈のことこうやって匿名なのをいいことに持ち出したりするのはよくないってわかってるんだけど、最近どうにも似たようなオナニー文字書きよく見かけるから物申してしまってほんとうにすまん。
まあこの記事もオナニーみたいなもんだから人のこと言えないんだけどね(とは)
本人にはわかるように書いたつもりなので、うっかりこれに目を通していただけた場合、いったん考えてくれませんかね。
自分はAnkerの4000円ぐらいの安いやつを買ったけどたぶんなんでも良い。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BRGQK4B/
・テレビの音声をBluetootイヤホンで受信できるようになる。イヤホンの音量はテレビのスピーカーとは独立していて、各自調節できる。
【購入理由】
自分は実家暮らしなのだが、家で誰か一人がテレビを見る際、年々父親が「うるさい」と文句を言うようになってきた。
最初はたまたま音量が大きかったのかなと申し訳なく思っていたが、どうも必ずしもそういうわけではなく。老化による聴覚の劣化により、自分が試聴しているわけではない番組の音が耳に入ってくると「雑音」と認識されるらしく、耳が痛くなるということだった。
「音量がデカイ」「あなたの視聴時より明らかに音量を絞って見ている」といった不毛な言い争いを何度か繰り返した後、身体的な差異に基づくすれ違いにこれ以上消耗するのは無駄というか、テクノロジーによって解決すべきだなと思い解決方法を探していてBluetoothトランスミッターの存在を知った。
【良かった点】
・我が家は3人暮らしで、1~2人がテレビを試聴する際は必ずイヤホンを着用するルールになった。自分に合った音量で見られるので全員のQOLが上がった。
・同時接続できるイヤホンは2台までだが、3人でテレビを見る場合はそのままテレビのスピーカーで見れば良いのでそこも問題ナシ。
・イヤホンの接続はワンボタンで、高齢者の両親でも問題なく覚えられた。
・光ケーブルでテレビとトランスミッター本体をつなげるだけで使えた。トランスミッターの電源は常時ON。
【不満点】
・音が数フレーム遅れて聞こえるため、映画やアニメを鑑賞する際にはあまり向かない。ゲームの音ズレは案外慣れるのでやれなくはない
・音質はそんなによくない(イヤホンのせいかも?Ankerの3000円ぐらいのやつを2本買った)。ニュースとかを見る分には問題なし
・イヤホンをつけっぱなしだと会話ができない。声をかけたときに気付いてもらえないと無視された感じになるのがストレス。長時間ながら見する際は片耳で聞くようにしようと提案中。
【結論】
https://note.com/kouichi1997/n/n7df16cf0f4bc
こんにちは!今日もこの増田を見ていただいて、誠にありがとうございます!え~、今日はですね、また新しいnoteが投稿されたという事で、読んで行きたいと思います。
前回、80プペルで話題になった本岡さんなんですけど、彼が長い沈黙を破ってついにお気持ちを表明したという事でですね、早速気になる内容のほう、ガチャを回して読んでいきたいと思います。
はい。いま読み終わったんですけどね、僕は本岡さんは救う必要ないんじゃないかって思います。彼はもう救われてます。
僕の意見の前に、サラッと本岡さんについておさらいしときましょうか。
本岡さんは兵庫県の加古郡出身で、3人兄弟の真ん中です。兵庫の高砂南高校から、確か高知工科大学の環境理工学部に入って、そこから綜合キャリアグループって会社に入ったと思います。プロ野球には入ってないです。彼も昔はもちろん野球部だったんですけど、高校の時に辞めちゃってるんですよね、そこが残念です。
で、大学を出て綜合キャリアグループに入社したんですけど、入って一年しないうちにアムウェイとかの副業をやり始めた挙句、そこから数か月後の2020年5月に綜合キャリアのほうは辞めちゃうんですよね。今は土木作業員なんかやりながら糊口を凌いでるって聞いてます。
そんな本岡さんなんですけど、いつの間にか西野サロンに入ってて、そこでプペルの映画チケットと台本のセットを80セットも購入するんです。本岡さんは台本のセットは2020年の8月頃に購入して、2020年の10月ぐらいに「無職が失業保険使ってチケット台本を80セット(約24万)買った話(理由)」って言うnoteを書いたんですけど、これがめちゃめちゃバズったんですよ。バズったというよりは明らかに炎上ですよね。誹謗中傷とかすごかったです。ただ、この炎上にはちょっと時差があって、本格的に炎上しはじめたのは今年の一月に入ってからなんで、ホントつい最近ですよね。
炎上してからしばらくは本岡さんのnote更新が止まってたんですけど、1月23日(土)に前述のnoteがアップされたと。大まかにはそういう流れです。
…で、僕の増田の表題にもなってるんですけど、救いたくないんで、もう結論から言っちゃいますね。
彼はサロン外部の人間に迷惑をかけてないんですよ。もう、これに尽きます。
この件について語る時、皆さんは色んな話をごっちゃにして話されるんでこんがらがるんですけど、実際にはめちゃくちゃシンプルなハナシなんだと思ってます。順を追って説明していきますので、ちょっと長くなるかもしれないですけど、良かったら読んでいってください。よろしくお願いします。
結論で既に述べてますけど、僕は全然悪ではないと思っています。まず、彼の本質が善人か悪人かで言うと、確実に善人側の人間なんですよ。これはハッキリと言っておきたいですし、異論もほぼないと思ってます。
彼が騙されやすそうな言動や思考をnote上に残していたり、彼のとっている行動が毎回あまりもに微妙なんで皆さん色々と批判めいたアドバイスをしてらっしゃるんだと思うんですけど、彼自身は今のところサロンメンバーの外部には明確な金銭的被害を与えてないんですね。
本岡さん以外にも西野サロンのメンバーで炎上した方がいて、仮にS藤さんとするんですけど、このS藤さんはサロンの外部の人に「サロン内でしか通用しない信用」を売りつけようとしたのが一番マズかったと思っています。それに比べて本岡さんはチケット購入当初はサロンメンバー以外にも売ろうとしていたみたいですけど、実際は売ってないですよね。この差はすごく大きいと思っていまして、僕は本岡さんの「サロン外部の人間に金銭被害を与えてない」って状態はすごくいいと思います。
ただ、彼のワキが甘いのは確かです。2020年の9月11日に失業保険の認定に行って来たとnoteに書いてるんですけど、2020年の9月7日から土木作業員として働いています。つまり彼は、違法行為をして受け取った失業保険でプペルのチケットと台本を買ってるんですね。誰か葛飾区のハロワにチクっといて下さい。
(※一応、就業中でも失業保険は受け取れます。ただ、その場合は認定日に就労日申請をする必要があり、本岡さんの場合は自己都合で退職したと書かれていますので、2020年5月末から約3か月の給付停止期間を挟むと最速でも9月7日の土木作業員として勤務開始日に被ってしまいます。そうなるとチケット購入したという24万円以上の給付はかなり無理があります。再就職手当を加味したとしても同様)
他にも2020年11月29日にノートルダム大阪ONEで開催された、今年26歳になるお姉さんの結婚披露宴にノーマスクで出席したり、その様子をモザイク等無しでそのままnoteにあげてしまったりと、何かと思慮が足りてないのは事実あると思うんですよ。
その辺を差し引いたとしても、少なくても本件において彼は悪いことはしていないです。失業保険の不正受給はダメですが。
ここなんですけどね、やっぱり否寄りの評価が多くなると思います。それが今回の炎上をかなりややこしくしている原因かなと僕自身は思っているんですけど、今回は僕は「本岡さんをガチャで引きたい救うか救わないか」という軸で増田を書いてるんで、一旦本岡さんからは切り離してます。
ただ、僕が「本岡さんは救わなくていい」って思ったのも彼が西野サロンに所属しているからなんで、そこは説明させてもらいたいと思います。
まず西野サロンそのものについてなんですけども、これはもう僕が何か言うよりも、既に様々な人によって喧々諤々と議論されたエントリとかがたくさんあるんで、それを色々と見てもらったほうがいいと思います。僕はあんまりこの言葉を使いたくないんですけど、宗教団体と色々と構造が似てます。
その上でなんですけど、西野サロンで活動している本岡さんは、ものすごく楽しそうなんですね。少なくともnoteの上では。
これで本岡さんが「自身の享楽の為にサロン内外の他人に多大な金銭的負担を強いている」とかだと非常にマズいなって思うんですけど、今のところは全然そんなことないです。
確かに西野サロン外にいる我々からすると、本岡さんの言動や行動って理解に苦しむものが多いんですけど、それで即座に「西野サロンは悪の組織!滅ぼすべき!」となるのはちょっと違うんじゃないかなと思います。本人も楽しそうですし。
過去の様々な歴史に学べば、「外部に実害を及ぼすまでは彼我の距離を適切に保っておく」ぐらいしかないと思っています。
これはもう、ぼったくりですね。ちょっと言い過ぎかもしれないですけど、少なくとも本岡さんの言う「原価で購入した」はあり得ないですし、まぁ適正価格ではないです。ただ、当の本岡さん本人はこの値付けに納得してまして、少なくともnoteではそう宣言しています。
一応説明しますと、西野サロン内でプペルの映画前売り券と台本がセットで売ってたんですよ。それでサロンメンバーは利益を上乗せして転売しても良い事になってました。そのセットを本岡さんが80セットで23万6千円程で買ったのが「適正価格」なのか?という事です。だいたい1セットで3,000円ぐらいですね。
映画の前売り券は皆さんご存知の通り、大抵1,500円(税込)で買えます。台本は「ブルーノ」っていう公式のオンラインストアがあるんですけど、そこで西野さんのサイン入りで1,480円(税込)で買えます。
つまり、本岡さんじゃなくても、サロンメンバーじゃなくても、税込2,980円で我々も普通に買えたんですね。今は映画が上映中なので前売り券は買えませんが、メルカリ等に掃いて捨てるほど出品されていますので、今は実質3,000円以下…いやもっと安く買えます。なのでこれはもう全然適正な値付けとは言えないですね。
ちなみに、今現在本岡さんの自宅に積まれているであろう80冊の台本には、西野さんのサインは1冊も入ってないです。
整理すると、本岡さんは悪事を働いておらず、西野サロンも一概に悪いとは言えないけど、チケット台本の値段はちょっと高いよね、となります。ただ、金銭的にマイナスを出したのは現状では本岡さんのみで、当の本人が購入したことを肯定的に捉えている為、僕は本岡さんを「救われている」と判断しました。なので本岡さんはもう救う必要はないです。
概ね以上なんですが、まずはここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。最後に少しだけ、僕がこの増田を書いた理由とかを述べたいと思います。
「本岡さんは救いたくない」って書きましたけど、「じゃあお前は誰を救いたいねん」ってなるじゃないですか。この増田は、「救う」とまではいかないかも知れないですけど、「オンラインサロンの外にいる人」とか、「オンラインサロン内にいるけど、今あんまり楽しくないと思っている人」に向けて書いてます。
ぶっちゃけて言うと、今まさに溺れようとしている本岡さんの状態を客観的に書く事で、本岡さん以外の「西野サロンって楽しそう」と思っている方、もしくは「西野サロンに入ったけど、なんか楽しくないな…」と思っている方等に届けばいいな、と思っているます。サロン的なものを全否定するわけではないですが、サロンというのは誰でも無条件に楽しくやれる場所ではないです。一度立ち止まり、自分に合っているのかどうかをゆっくり考えてみてもらえたら嬉しいな、と思っています。その時に僕の書いた文章が少しでも助けになれば幸甚です。
なんだか偉そうに言ってますけど、結局は本岡さんを批判して周囲に注意を促す、いつものやり口です。この方法を好ましく思わない方も大勢いらっしゃるのは承知していますが、現状の僕にはこのやり方しか思いつきません。許して下さい。
本岡さんもそうなんですけど、オンラインサロンで活動してる人って単純に楽しそうじゃないですか。しかも西野亮廣っていう有名人がやってる集まりに月々980円で参加できるって、パッと見めちゃくちゃ魅力的だと思うんですよね。
でも、オンラインサロンで本格的にガッツリ活動して行こうと思うと、ある程度の金銭が必要になってくるんですよ。これは割とどのオンラインサロンでもそうなんですけど、西野サロンの場合はそれがかなり顕著で、かつ動く金額が大きくなりがちです。これはごく少数の例外を除いて発生します。例外になるのは、西野さん本人とその周辺の著名人や、「絵が描ける」等の何らかの才能がある方とかです。それ以外の人…言い方は悪いかも知れませんが本岡さんのような方は、ガッツリと活動したければかなりの支出を覚悟する必要があります。(実際に24万円払っています。)
ここからが肝要なんですが、そのお金をどうやって補填するのかによって、色々と大事なものを失ってしまう可能性があります。
非難されやすいのは、「オンラインサロン外の人間から補填する」事です。先述のS藤さんはまさにこのパターンでしたし、初期の本岡さんもこの計画だったと思われます。これは本当に駄目です。人生の上で大事なものをたくさん失います。サロン内の人間が勝手に散財して勝手に破産するのはどうでもいいのですが、サロンの外の人間に「サロン内でしか通用しない価値」を売りつけるのはまさしく詐欺そのものです。やめて下さい。
我々はプペルの映画が観たければ2,000円払って映画館で観ます。観た上で西野さんのファンになれば、西野サロンに入るかもしれません。そういう流れになればみんなハッピーだと思うのですが、本岡さんやS藤さんといったサロンメンバーの方は何故かそういう流れに持っていきません。「3,000円で仕入れて3,500円で売ろう」とか、「150万円でトラックを札幌に呼ぼう」とか、我々からすると理解のできない方向に行きます。
それで理由を聞くと、「プペルは本当に素晴らしいから、皆に知ってほしい」「西野サロンは本当に素晴らしいから、皆に知ってほしい」と返ってきます。
これ、本当に心からそう思っているならコンテンツ自体の良さを語ってほしいんですけど、なんで誰もそれをやってくれないんですかね?何故プペルの原作が無料で公開されているサイトを教えてくれないんですか?何故西野サロンに入れば毎日西野さんの長文記事が読めるとかの情報を教えてくれないのですか?
そういったコンテンツ自体の良さを何も喧伝しないのに、トラックに150万円は出せないです。チケットに3,000円は出せないんですよ。「いやこれは3,000円分以上の価値があるから」じゃないんですよ。先にコンテンツありきじゃないですか。そこを飛び越えてくるから、互いに分かり合えないんです。
「えんとつ町のプペル」というコンテンツは素晴らしい!皆に教えてあげたい!…そう思うならですね、まず一番初めにやってほしいのは一緒に映画館に行く事なんですよ。で、観た上で興味が出てきたのなら、台本なりサロンなりを勧めればいいじゃないですか。なんでそれを飛び越えて、「まず台本」「まずトラック」なんですか?なんでまず「映画を観る代金」以上のものを要求してくるんですか?穿った見方をすると、プペルというコンテンツ自体にはそこまでの魅力がないのかな?と思ってしまいます。プペルがあまり面白くないから、ほかの手段でカネを巻き上げてやろうと思っていませんか?
私は「サロンや映画えんとつ町のプペル」が好きですし、作品と関係ないところで評判が落ちてしまうのはとても悲しいです。
って書いてますよね。ハッキリ言っておきますが、いま作品の評判を落としているのは本岡さん自身です。今回の炎上で「プペルって面白そうだな」って思う人はいないです。まさに、作品と関係ないところで評判を地の底まで落としているんですよ。その自覚がありますか?
本岡さんが西野さんやサロンを大事に思うなら、今やるべきなのは、「僕は前向きにとらえています!」と宣言する事じゃないんですよ。評判の落ちたプペルというコンテンツの良さを世間に知らしめる事なんですよ。なんでそういう方向にいかないんですか?今のままだと、本岡さんのせいで映画に行かない人が増えている状態ですよ。そんな状態を放置していていいんですか?
また、本岡さんは約24万円のチケット代金を全額自分で被っていますよね。ここだけはかろうじてマシです。他人に迷惑かけてないんで。…ただ、これも最終的には詰むんですよ。持続性がないからです。本岡さんが大富豪なら別なんですが、そうではないようなので、ずっとこの状態を維持することはできないんですよね。
今起こっている事象の大半は、「24万円払った」という行動からはじまっています。善きにせよ悪しきにせよ、今まで経験したことのないものを味わえたと思います。一応、本岡さん自身は今回の件を「とてもプラスな経験」とおっしゃっています。
でも、それで終わりなんですよね。次に似たような経験をしたかったら、本岡さんはまた24万円を払わないといけないんですね。もし24万円で慣れてしまったら、もう50万円とか100万円とか払うしかないんですよね。覚せい剤と一緒です。ずっとそのお金を払い続けることができるならいいですけど、大抵の人はそれができません。だからいずれ、自分以外の他人…サロン外の人にお金を払ってもらおうとしますし、それができないとどんどん追い詰められていきます。覚せい剤と一緒です(2回目)。
この状態の本岡さんを擁護する人は、「信用経済的に、本岡さんは24万円分の信用を買った。だから問題ない」とか言うんですよ。でもそれは80枚のチケットを他人に売りつける事に成功した人だけですよ。本岡さんは1枚も売れてないです。そんな人は信用できないです。
僕から見れば本岡さんは「プペルというコンテンツを周囲に売ろうとしたけど一切売る事ができなかった人」にしか見えないです。信用経済で言ったら、マイナス勘定でしかないですよ。サロンメンバーもなぜか本岡さんを擁護するんですが、これがよくわからないです。プペルって素晴らしいコンテンツなんですよね?そんな素晴らしいコンテンツの良さを周囲に伝えられなかった人を何故評価するんですか?先程も言いましたけど、むしろプペルのコンテンツの評価って本岡さんのせいで下がってますよ。プペルが大好きなら、大好きなものの価値を下げまくった人を擁護するって、おかしくないですか?
皆さん、戦隊モノは好きですか?
いつものように技術的なことはあまり書かずに、きっかけや経緯を書いていきたいと思います。
11月末に長女が生まれ、てんやわんやの中深夜の空いた時間にKindleのオススメにあった「トクサツガガガ」(以下ガガガ)という漫画を大人買いして読みました。
そこでふとなんとなく思ったのが「戦隊ロゴを作ってみたい」という欲求です。
そこで、いつもの通りInkscapeを立ち上げ「っぽいカタカナfont」を探しました。 最初に「ゾウフォント」を使ってレイアウトをしてみたのですが、なんか違う…
まぁ、斜体になってるとか、濁点の位置が下だとかはあまり気にならなかったのですが… なんと言っても
右下を凹ましたい!
まぁ、本人の拘りなんては他人にとって本当にどうでもいい事ばかりだと思うんですけどもどうしても譲れなかった部分です。
元々10分ぐらいでサクッと作りたいなぁと思っていたのですが、fontを探すのにも苦労するんでこれ以上探すのは時間の無駄だなぁと思ってました。
で、上の画像のように「ゾウフォント」の右下を凹ませてやったんですが、やっぱり斜体だったり、色々自分の脳内と違ったレイアウトになるわけです。 (※ゾウフォントが悪いわけではありません)
そうなると、脳内では「10文字もないカタカナなら1から書いた方が早いよなぁ」という結論になっていました。
そう、文字列が思い浮かばないのです「○○レンジャー」の「○○」の部分です。
そもそも「戦隊風のロゴ」を作りたいのであって、「○○レンジャーのロゴを作りたい」のではないので目的と手段が逆になっているんですね。
結果として前述の「ガガガ」の中に「濁音」を使うのがよいみたいなのを思い出し、なんとなく「ディベロンジャー」ってというサンプルになっていますが、当初は「クリエイター」とか「ググルマン」とか頭に思ってました。 (人の思いつきなんてそんなもんですよね。)
だったらfont作ればよくね?
まぁ、Inkscape使ってるならsvgfontとかすぐできるんで、10文字弱作るぐらいなら50音(実際は、濁音とか半濁音が入るので50個以上ですが)作るのもあんまり変わらないなぁと思いました。
今回もこういう話がある https://www.fnn.jp/articles/-/127473
https://www.weblio.jp/content/%E8%B2%B7%E3%81%84%E5%8D%A0%E3%82%81
例えば,平時の2倍の購買行動は多くの人は「買い占め」とは思わないし,辞書的な意味でもこれは正しい。
辞書的な意味でいうと多くの人は買い占めをしていないので,当事者意識がないどころか
「買い占めなければいい」が成立してしまうため,表題の標語は平時の2倍買うことを正当化してしまう。
平時の2倍売れてしまうと,末端の量販店で一時的な品薄になるのは当然である。また,物流はすぐにスケールできない。
この間,品薄ではなく品切れ状態になる。
【1日目】
昼食時に食欲低下を自覚。夕方寒気がするため検温したら37.5度の微熱。安静にするもみるみる熱が上がり20時には39度まで上がる。当然コロナを疑い、まずは明朝かかりつけ医に連絡することを念頭に寝る。夜中熱は下がらず、関節痛と腰痛がひどい。手持ちの鎮痛剤を服薬しようやく熱が下がり眠れる。呼吸器系の症状はまるでなし、ただ熱が上がり関節が痛い。味覚嗅覚正常。倦怠感なし。
【2日目】
朝の検温37度でスタート。子供は保育園に登園できず、しかし元気。仕方がないので無人の道を選びながら散歩に連れ出す。道中各所への連絡開始。わかったことは以下。
・PCR検査は当日昼に別の病院の駐車場で受けられ、その結果が出るのは夕方。
・保育園は、陰性証明書と、私が平熱なった以降に一度病院を受診し健康体のお墨付きをもらったら登園できる。
まとめると、まずはともあれPCR検査を受けなければならない。陽性であれば保健所の指示に従うのみ。話はそれからだ。と言うわけで、子供の相手を頑張り、昼寝のタイミングで夫に託して、車で30分ほどの駐車場に到着。この時点で熱は39.2度まで戻っていた。検査自体は鼻に長い綿棒を入れるタイプですぐ終了。私の他にも5台くらい車が来ていた。対応スタッフは3名ほどで重装備。スタッフが車の窓越しに掲げる端末で医者先生の問診。熱があることや、喫煙歴、身近なコロナ患者の有無などを回答。陽性になった場合、隔離生活が可能かなどをヒアリングするアンケートに回答。幼児が完全に母親っ子の時期なため、自宅療養でないと難しいと記載した。帰宅。横になりながら幼児の相手をする。
18時頃、陰性と結果報告の電話あり。熱が出ていることに変わりはないのだが、受診などへの案内はなかった。「現時点では陰性です」と、念押しのように言われた。陰性証明書の作成可否を確認し依頼する。保育園に経過報告して、子供を寝つかせ、とりあえず手元の解熱剤を飲む。20時に38.5度あった熱が0時には36.7度だった。しっかり眠れた。解熱剤効果はすごいが、独自で飲み続けていて不安でもある。腰は変わらず痛い。
【3日目】
朝の検温36.5度でスタート。解熱剤の効果も切れているだろうし、すわ治ったかもと思ったが、今日は周辺病院が軒並み休みで通院できず。そもそも陰性証明書が受け取られるのも午後なので、保育園は行けず、子供はめっちゃ元気。仕方がないのでまた無人ルートを考えながら長い散歩に出る。帰宅したらやや悪寒がし37.2度。以降安静にする。11時頃病院から、陰性証明書について、「16*00-16*30の間に受け取りに来てほしい、ついでにお会計もお願いします」旨連絡あり。自由の利く親戚が行ってくれた。検査代約1500円、証明書5000円。夜受け取った証明書には、コロナ陰性であることと、「当該患者に以下の症状がないことを証明する」の文言と医師署名があった。以下症状とは、熱・咳・鼻水などなど。私、まだバッチリ熱がありますけどね。一瞬電話して聞いてみようかと思ったが、もう営業時間外なのであった。熱は上がり7続け、20時に38.5度。関節痛が収まってきたので、これ以上勝手に薬は飲まないと決めて子供の寝かしつけとともに就寝。
ここまでが今日の話。
【4日目】
●朝熱があったら?
⇨陰性証明書と共にかかりつけ医まで通院。子供は連れて行きたくないけど、預かり先が無いからな…昼寝の静かな時間を狙うか。
●朝熱が下がっていたら?
⇨陰性証明書と共に開いてる近所の病院に通院。健康体のお墨付きをもらえたら保育園に登園。私は休養。
発熱から3日間、たしかに体は病気だけど病院にかかることができず薬も手元のものを適当に飲むしかなかった。もしかしてオンライン診療とかと契約したほうが良かったのかな。私は他にできることがあったでしょうか?あと、そもそもこの高熱はなんの症状だろう。不安だなあ。
インフル予防接種済、発症から今まで風邪らしい咳鼻水一切なし、腰が痛い。少し頭が痛い。もしかしたらインフルに掛かっているのかなと疑うものの、今は危険だから市内ではほぼインフル検査は実施されていないんだって。解熱剤を飲み続けるしかないのかなあ。
社長の趣味に大切な休日を潰してまで付き合わなければならない上に挙句忘年会まで強制参加らしい。
この状況下、社内でクラスターが発生して業務に支障が出たらどうするのか?
協力会社や胴元に迷惑がかかるので自粛すべきだと進言したらしいが、表題の『そんなことを言ったらなんも出来ないじゃん。」というセリフで一蹴されたらしい。
意識の低い中小企業の経営者が軒並みこんな調子なら、政府が何を要請しても変わりはしないだろうと思った。
そんなことよりも、中小企業の経営者の危機管理レベルがこの程度なの?
24時間操業の巨大化学プラントの会社なんか、感染者がでた時のリスクが高いので、県外出るのも禁止令を出しているぐらいなのに・・・。
あと数時間寝て起きたらパートタイムの仕事があるというのにダラダラと起きてしまっているので一つ書く。
何のことはないよくある話で、新米店長がやってきて私達パートのおばちゃん達はベテラン、上からはネチネチネチネチ小言を言われる、の板挟みである。
誓って言うがいじめてなんていない。むしろ助けて……いた。いるでもいいが、いたにしたい。何せどんなに助けても返ってくるのは生返事。そして約束破りだ。きっともう上からの連日のパワハラに精神的に潰されて上の空なのだ。私達の助けなど微塵も役に立たない。
支給品、古くなっているので新しくしますね!と言われ、お願いして一週間待って事故で届かず、次の機会…毎月月末なのでそこでいいかと時期が来てお願いし、快く承諾されて届いたら靴箱に置いておきますね!と言われてそのまま忘れられ…というような事を半年以上繰り返した。向こうから持ちかけられたのにだ。仕方なく元々古かった支給品を騙し騙し使い回した。結局物は届くことはなかったので、その半年後に研修に来た新人社員に頼んで支給してもらうしか手がなかった。
正直どれもこれもこんなのの繰り返しだ。こんなのは私だけに限った事でなく、私はまだこれでもマシな方だった。それでも私が半年我慢したのは上司にネチネチネチネチ言われている店長が不憫だからだ。きっと色々やることが多くて忘れてしまってるんだろうな、多分この支給品がボロいのが上司にバレたら絶対怒られると思うけど…となりつつだ。
場所が離れていたのもあるが、新店長候補だった店長には一切声がかけられていなかった。
しかもたまたま求人情報を見ていた仲間が店長より先に気が付いたのだ。
今の流れだと店長は新店舗の店長にはなれないだろう。かといって、散々助けてくれていたパート、アルバイトの皆からも信頼を無くした今のこの職場にいるのも辛いだろう。
先日、出勤の時にいつものように当たり前のように挨拶をした。見事に無視された。聞けばその日はほぼ全員からの挨拶を無視していた。私は挨拶した時気が付いていた。目に一切の光がなかった。ただそこに『いる』だけになっていたのだ。
店長が病んでいる。
朝起きて出勤すればその姿を見る。そして挨拶をして返事があるかないかは、寝不足でないか上司に怒られていないかの気分で決まる。今日も店長のメールボックスには上司からの人格否定メールが来ていることだろう。
私には店長は助けられない。
なんか最近自民党をとにかく非難していればいいみたいな言説をたくさん見るので長文を書き散らす。
こういう事を言うとネット右翼だの安倍信者だの言われるのが目に見えているので先に述べると私は自民党政権を支持していない。
その上で、こういった事があるよと言っている事を前提としておく。
表題の件で何が言いたいかと言うと、社会的正義を建前としてメディアを通じて国民を煽り、自らの利益につなげるという商売スタイルが存在するので相手や立場の善悪に関係なく全ての情報を懐疑的に評価しなければならないという事だ。
未だに真実として語られるこの事実であるが、実は嘘と言って差し支えないほどの曲解、拡大解釈である。
これによって「ゆとり教育=テキトーを教える教育」というイメージが固着し、メディアや広告を通じたゆとり教育批判によって当時の小学生達は自尊心ガリガリ削られるという状態になっていたのだ。
「円周率は3」という事実はどのようにして形作られたかと言えば、90年代末に学習指導要領が改定され、小学校の算数について「円周率は目的に応じて3を用いる」「小数は小数点以下第1位までしか扱わない」という文言が登場した。
「目的に応じて3」というのは、円っぽい図形の時のみなし計算や、見積もりみたいな大雑把な計算をするときにとりあえず3としていいよ。ということであり、小数点第一位の件についても、円周率に関しては3.14で扱うという旨が明記されていた。
そこで、とある学習塾が「ゆとり教育では円周率は3!(だから塾に行こう!)」という感じの広告を撃ち、メディアも批判的精神の観点からゆとり教育の問題点の旗印として「円周率は3」を掲げて日夜教育批判を行った。
実際にはそうではなかったのにも関わらず、「円周率は3」という見出しのインパクトによってこれは広く受け入れられた。
それがテレビや親を通じて、当時の小学生達に「お前たちは失敗作になる」というメッセージで突き刺さった。
もちろんそういった意図があった人は一人も居ないだろう。しかし、「頭が悪くなるから塾に行こう!」「間違いだらけの教育!」といったメッセージが日夜飛び交っていれば、結果そういったメッセージとして当人たちに届いてもおかしくはない。
ここまで読んだ人なら想像がつくだろうが、私はもろにその世代である。
全員が全員ではないが、私達の世代には子供の時から「何をやっても無駄」「頑張っても無意味」という価値観の人が多い。
これはゆとり教育批判の流れ弾を子供自体に食らったからではないか?と思っている。
私もいい大人であるから自分の無能や怠惰というのは自力で解決すべきことであると思っているし、教育やメディアのせいにする気はサラサラ無い。その責任を取れとも全く思わない。
しかし、そのような環境に於かれていた当人たちは大人ではなく、第二次性徴も迎えていないような子供である。
精神が未発達でこれから人格を形成していくという子供に対して「失敗作になるぞ」といったメッセージを浴びせ続けるのは果たして円周率を3で教えるよりも良いことだろうか?
社会的正義に目が眩んで子供がどのように感じるかというケアはあの当時全く無かったし、その証拠に、未だに社会的には「当時円周率は3で教えられていた」というのが真実になっている。
いつからそうだったのかはわからないが、この時にはすでに日本のメディアは事実の観測者から正義の行為者へと変貌していた。
正義の行使ではなく、事実の観測を心がけていれば、ゆとり教育への批判も建設的に行なった上で学習塾の広告にも批判的視線を向けられたはずである。
メディアに観測者の存在しない今、情報の受け手である全員が観測者の心掛けを持たねばならない。
「○○政権の法案はこういう事実がある!」というような批判に関しても、「そもそもその事実は妥当なものか?」という俯瞰的観測精神を持たなければ、容易に誰かの意志に流され、守るべきものを壊しかねないということを忘れてはならない。
LGBTsの言説やモチーフにした創作物を見るだけで気分が悪くなる。
全て連想して、何もかも楽しめなくなった。
某アウティング事件が話題になって当時の感情がよみがえってきた苦しいので吐き出す。
人それぞれでべつにどうでもよい、関係のないことと思っていた。
以下ぼかしフェイク乱文乱筆諸々あり
<経緯>
・会社に入って数年、初めて後輩(同性)ができた。
それまでまわりは年の離れた同僚ばかりだったため
年の近い同僚ができたということが嬉しかった。
・後輩とはすぐに仲良くなり飲みに行ったり休日も遊んだりするようになった。
・徐々にやけに距離感が近いと感じるようになった。
・少しずつ軽いボディタッチやすれ違いざまになぜか触られるなど理由のない接触が増えてきた。
・会社でたまたまひとりで人気のない倉庫で作業していたと急に後ろから抱きつかれた。初めて身の危機を感じた。
めちゃくちゃ怖かった。本当に怖かった。怖い瞬間って声出ない。
一拍おいてなにやってるんだ、とかなんとかいってその場は引き剥がしたが、その場で笑って悪びれず接触を増やしてきた。
・そのあと後輩からの飲みなど誘いを断りまくったら、会社での接触が増えた。
周りに人がいたら冗談混じりに近づいてきて、一人でいたら抱きつきや匹敵するような接触を
冗談のような顔でしてくるのが最悪だった。エスカレートした。具体的にされたことを書こうと思い出すと涙出てきた無理。
・後輩に会うと思ったら会社に行きたくない気持ちになるようになった。
<ショックだったこと>
・仲が良くなれたと思った人間に裏切られた。
・後輩相手なのに何も反撃できない自分に対して失望した。情けない。
悔しいより怖いが勝っていた。自分の気の弱さに、自分自身が嫌になった。傷ついていることを認めるのも傷つく。
・後輩なんかのせいで、やりがいを持って働いていた会社に行きたくない気持ちになったこと。
・今でも書いていて涙が出る。こんなことでと思ってしまう。
・自分が同性からのセクハラと言える行為を受けていること自体認めたくなかった。
・避けても注意しても悪びれない後輩にどうすればよいかわからず、思い切って背後から抱きつかれたことなど具体的な言動含め
当時一番信頼していた先輩に相談したら「懐かれている」「仲よくて良い」「勘違い」と笑われた。
・後輩は人当たりがよく社内外でも仕事ができると評判の、できた若手ホープだったので、
何を言っても自分の立場が悪くなるように感じた。何もかも難しかった。
・メンタルの状態が最悪になり、上司との面談が設けられるくらいなってしまったが、言えなかった。
尊敬する上司だったが、同時に後輩のことを高く評価しているのもわかっていた。
まず信じてもらえないかもしれない、信じてもらえたとしてどうなるのか?
想像すると何も言えず別件で以前抱えていた解決した仕事のせいにしてしまった。
<救われたこと>
話したら、真剣に聞いてくれて本当に救われた。
深刻さ、傷ついていることに気づいてくれて、
どうすればよいかを一緒に考えてくれた。苦しい気持ちを認めてくれた。
それはおかしい、とはっきり言ってくれた。
とりあえず距離をおくこと、態度を硬化させる、周りからどう思われても良いからなるべく接しないようにするなど、
方針を決めることができた。
<相談後>
・ちょうど仕事が繁忙期にあたる時期に入り、仕事量を理由に強固に避ける態度をとることができた。
・本来先輩と後輩という関係性で、先輩である自分が仕事のできる後輩への態度を硬化させると自分の評判が落ちかねないことに
気が滅入ったが、そんなことで評価されなくなるようなら、もうそれまでだと言い聞かせた。
・周囲で仲良かったのに最近どうしたとか聞かれても、評判が落ちようが自分の精神、安全を優先する意思を貫いた。
・貫けたことで、自尊心が少しずつ戻ってきた。戻ってきた時に、自尊心がすり減っていたことに気づいた。
・後輩の接触は減った。気弱だと思っていた相手が態度を硬化させたことに気づいたようだ。早く配属変えになって自分の視界に入らない所にいってほしい。
・在宅勤務最高。
・表題のとおり、最初の繰り返しになるが、自分がされたことがフラッシュバックして
LGBTsの言説言論、関連ニュース、モチーフにした創作物、匂わせ系を見るだけでも気分が悪くなる。
全て連想して、何もかも楽しめなくなった。
後輩が実際にそれかどうかは本人は匂わせつつ明言したわけではないが、自分は被害にあったと感じている。何もかも無理になった。
おっさんがズのドラマが流行っていた時なんかは見たくないのに新聞や広告で見聞きして心底最悪だった。
もちろん、すべてが後輩のような輩ではないのはわかっている。
自分が尊敬する芸術家や著名人の中にはLGBTsを公言している人もいる。
なのに、以前のように、人それぞれとか多様性が良いとか二度と思えなくなった自分がいる。
<余談>
・学生時代に気弱を直そうと武道を少し習っていたが、実際身を守るのは無理だった。
体を鍛えてもメンタルは難しい。反撃も無理。距離をとるしかできない。どうすればよいかなんてわからない。
この文章はTwitter上の久我雅大氏 @4wk2wk0 のツイート
https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329951527230816258
夫婦別姓に反対の方、
反対のその理由を教えて下さい。
https://twitter.com/StudioBiSHOP/status/1329967345914114048
に対する再反応
https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329980375389544448
(ブログ、noteその他長文を書ける場所を他に持っていないので、ここをお借りします。)
御用とお急ぎでない方はお付き合いを。
まず前提として、
「組織だって統制と互助の行き届いた集団と、バラバラの個人主義者の集まりが集団戦をやったら、前者がほぼ間違いなく勝つ」
という考えがあります。
野球のように正面から戦う場合だけでなく、企業の生存競争とか、一族郎党とかの生き残りでも同じです。
オオカミと同じように、人間も集団で狩りをして生存競争をする生物なんです。
これは婚姻関係を肉親関係ととらえて、血族の規模を拡張して生存能力を高めようとする考え方です。
今でも伝統的な結婚式では「〇〇家 □□家 結婚式」と表題がかかげられます。
べつに天皇家や(安倍元首相の)岸一族や鳩山一族に限りません。
ちょっとした旧家では今でも結婚を機に両家の交流をつなぎ、コネや情報を融通しあって血族の存続をはかる営みが普通に行われています。
縁戚の子供を預かって面倒を見たり、分家の秀才の進学費用を融通したりと、大家族にはそれなりの長所があるんです。
自分の実家でも、妻方の姪が進学した時に下宿代わりに長く居候をしていた時期がありました。
年の近い叔父が自分の就職相談に乗ってくれたこともありました。
もちろん、大家族のもとで不遇をかこった人の存在は否定しません。
ですが、その人たちのルサンチマン(うらみ)の声と、家族制解体の声ばかりが最近は強すぎます。
「人間関係のしがらみや支配はうっとうしい、だから婚姻は両性の合意だけで成立としよう」
というのは魅力的です。
最新の人権思想とポリティカル・コレクトネスにも相性がいいので普及しやすいのは分かります。
ですがね。
そうやってトレンドに乗りやすい人たちがバリバリと旧来の家制度を解体していく、そのいっぽうで、名家、旧家(いわゆる上級国民)はコッソリと血縁集団の枠組みを維持して、自分たちの資産(カネ、コネ、権力、総合して生存能力)を温存・成長させて行くように自分には見えます。
本来なら、カネとコネと社会を渡る知恵、総じて資本と呼びますが、そういう資本に恵まれない人たちこそ、血縁と閨閥で団結しなければならないはずなんです。
自分には、夫婦別姓というのは、そこに象徴的なクサビを入れる行為に見えます。
とおっしゃるかもしれませんが、それでは嫁入り先、あるいは婿入り先の親族との互助関係についてはどうですか?
一段、薄くなったような感じがしませんか?
ですが、目先の自由さにとらわれてバラバラの弱い個人として生存を余儀なくされたら、資本に恵まれない人はますます悪条件で生きていくことになってしまいます。
目先の自由につられたワナ、については、自分のような古い人間には苦い経験があります。
(目撃経験ですが)
「組織に縛られる生き方なんてダサいぜ!」という主張が雑誌や映画に載りまくって、少なからずの(流行に乗せられやすい)人たちが正社員登用の努力をしないで、時間配分もワークスタイルも自由なアルバイトの掛け持ちを選択しました。
いっぽう、そこそこ良いレベルの四年制大学にいた自分の周囲は、そんなブームには目もくれず就職活動に没頭して大手から中堅レベルの企業に「所属」していきました。
結果はあきらか。いまでは非正規雇用の中高年たちが大問題になっています。
社会運動家たちや最近のネット世代は「新しい時代は自由人の連帯が大事」といって、血縁によらない互助組織やサロンを模索する人もいますが、自分は疑っています。
理由としては、
ここはやはり、大家族制のように最初は子供として所属して、長じて貢献を果たし、やがては家父長制の長または重鎮として判断をふるう。という育成システムのある「家制度」の方が、長い歴史の陶冶を受けている分だけ、一日の長があると自分は考えます。
というわけで、
「夫婦別姓の容認」というのは、ささいな制度の変更に見えて、その方向性の先には
VS
の二極分化が待っているように見えるのです。
……こんな感じです。
いかがでしょう?
お詫び: go to トラベル開始日を誤っていましたので、謝罪して訂正(表題含め)いたします。当初は1.5倍と間違って計算していました。2020年11月21日訂正。
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まとめ
ネットで手に入る情報から、go to 事業により感染者数は1.2倍以上に増えたと計算できます。具体的には、
go to トラベル参加者は非参加者と比較して、コロナウイルスに感染する危険が約1.24倍に高いと推測できます。
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データとしてはgotoトラベル関連感染者数の報道 https://www.fnn.jp/articles/-/109041
と、
東洋経済社の 新型コロナウイルス国内感染の状況サイト https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/
Accessed 20th and 21st/Nov/2021 です。利用したデータは以下の通り。
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go to トラベル利用者の陽性者の155人、宿泊施設従業員の陽性者が144人
7月22日から10月末日までの日本全体のコロナ陽性者が73696人(=100762-27066)
以上です。
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方法です。
延べ3976万人というのは3976万人×回(例えば39万人が100回利用)という意味合いだと思われます)。
一回の利用が何日間なのかは数値が示されていないので分かりません。半日の利用もあり得るし、1週間かもしれません。が、計算のため1日と仮定します。
ここから、
10月末までの、go to トラベル関連の感染率は 参加者1000万人・日あたり、75人と計算できます((155+144)÷3976万人・日×1000万人)。
10月末までの感染者数が73696人、7月22日から10月末日までの日数が102日です。
このため、日本全体の感染率は1000万人・日あたり60.209人となりますです(73696人÷1億2千万人÷102日×1000万人)
go to トラベル参加者の感染率を全体の陽性率で割る(75÷60.209)と、1.24 となります。このため、go to トラベル参加者は非参加者と比較して、コロナウイルスに感染する危険が約1.24倍に高いと推測できます。
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z1h4784さん 「4000万分の300と1億2千万分の70000で前者の方が大きいことになるのは変だと思わなかったんだろうか…」
コメントありがとうございます。そもそも旅行に行けば感染リスクが高くなるのでね。そんな当たり前のことを分からないとは驚きです。「延べ4000万人」と「1億2千万人」では分母が合っていないので。
自分は夫婦別姓支持派ではあるが、よく夫婦別姓の話題になると表題のような言説が数多くみられるのが気になっている。
当たり前の話ではあるが別姓にするか同姓にするかは夫婦2人の問題であって、自分が同姓にしたかったとしても相手次第ではできない場合もあるからだ。
だから、同姓にしたいと思っている人達が夫婦別姓制度に反対するというのは至極理解可能である(現行の同姓強制の是非はここでは問うていない)。
いかにもはてな的な言説であり、自己決定的な文脈で表題のような物言いが心地よいのだろうとは想像できるが、どうもこれが夫婦の問題であるという根本的な観点が抜け落ちているのではないかという気はする。
男は自殺率が女より高いという話から「男はコミュ障の強がりでストレスを溜め込むからね。でもワタクシはママじゃないし男のストレスは男で解消してね♡」というクソみてえな主張が最近目立って来たので書く。
男性の自殺率が有意に高いのはコミュニケーションが下手とかそんな話ではなく(だいたい下手なんじゃなくてプロトコルが違うだけだろ)、受けているストレスの量が多い≒背負っている責任が重いせいだ。男性自殺の原因トップは経済的な困窮であり、それは友達と話をしたところでそいつが連帯保証人のサインをしてくれない限りストレッサーから逃れる術はない。
日本社会は未だにジェンダーの縛りが非常に重い。扶養控除なんて制度もそうだし、親権が母親に無条件に寄るのもそうだし、医学部の女子に対する入試差別、職場での男女雇用の不均等…あらゆる場所で昔からある「男は仕事、女は家庭」が幅を効かせている。
社会の主役は男性であり、女性は家庭や私的空間を守るためのもの、というのは建前としては消滅したが、未だにあちこちに実在している。
この点については男性も女性も概ね合意が取れると思う。男女差別が存在しないなどと思っている奴はほとんど居るまい。
さて、そうした男性特権の向こう側には特権に比例した責任が発生する。中世の貴族であれば権威を継承する者として、共産主義国ではブルジョアを打倒する模範的同志として、そして資本主義国としては経済の主体としての責務を自動的に背負う。資本主義国で生まれた男子は、程度の差こそあれ「自分が今日の糧を食いつなぐ」という理由と並行して「国家構成員の責務」として金を稼ぐことを求められる。女子は、差別によってこの社会の責任から排除されているのでこれを背負うことはない(多少解消されつつある現代的に言えば「少しは背負っている」が)。
ここで「男ってバカね、意地なんて張らずにそんなの捨てちゃえばいいのに」なんて思った人間も居るかも知れないが、国家がそのイデオロギーを維持しているのはどこかのハンコついた文書に書いてあるからではなく、常に社会の構成員の大多数がそのイデオロギーを実践しているからであり、それが維持されない、誰もが気軽に社会的責任をポイしちゃう国家はその国体が維持できない(ナウルみたいになっちゃうぞ)。気軽に捨てちゃえばいいなどと言ってのけるのは、それこそ責任を持たない者の発言である。
つまり資本主義イデオロギーからの圧があり、男子は絶えずその圧に晒されている。そしてイデオロギーそのものを否定することは不可能(本当は可能ではあるが…今の所資本主義よりうまく行ったイデオロギーがない)で、プレッシャーから逃れる術はない。立身出世しなければならない。大人になったのに親に食わせてもらうことは恥だ。子供部屋おじさん。勝ち組、負け組…そんな言葉が未だに現代に漂うのはこうした圧力が実在することの証左である。
翻って女子の方は、差別によって権限を剥奪されているので社会的な責任が薄い。出世しなくても馬鹿にされないし(させないのだから当然である)、本人が無職を望んでも多方面からごちゃごちゃ言われない(ごちゃごちゃ言われるのは逆のバリキャリとして生きるときだ)。親に扶養されてて情けないと言われることもないし子供部屋おばさんなんて言葉もない。逆に家庭に対しては男子より多くの責任を負わされ、子供の面倒(母乳信仰など最たるものだろう)や地域コミュニティの行事など多くを強制させられるのだが。
この権限と責任の差によって男子は敗北が許されず、弱音を吐くことが認められにくい。責任を果たすために特権を得たのだから負けてはならないし、負けたら資本主義イデオロギーの実践者としてはもう後がない。実際には福祉がありそこに落ち着くが、資本主義イデオロギーの強いアメリカが福祉をアカ扱いする性質があるように、福祉の世話になることはほぼイコール資本主義社会の責任から降りる事を指すので、圧を受け続けた人間ほどここで死を選んでしまう可能性がグンと上がるのは想像に難くない。こうして経済的困窮による自殺が男性に寄る。
フェミニズムの運動とはこうした性差別を排除し、社会へ進出し、女性に強制させらた役割にNoを突きつけ、男性だけが得られた特権を女性にも等しく分配させるための闘争である。
よって、男性から回収した権利には当然責任が伴う。男と同じく、資本主義の無限の競争へと身を置く責務である。社会進出とはつまりはこういうことであるし、少なくとも初期のフェミニズム、ウーマン・リブ運動においては責任ごと請け負う気で女性たちは動いていたと思われる。
少し前に「フェミニストだけど彼氏に養ってもらいたい」といった大学生の記事が出ていたが、とんでもないことである。それは「5000兆円欲しい!!」とかと同義で、お前今まで大学で何勉強しとったんや、教授もうんうん言ってる場合じゃねーぞ、と思ったものだ。
遡って表題の話をするが、こうした権限移譲によって男が抱えて離さないもの…そして背負わされているものを女も手にするということは、奪われたものを取り返す事であると同時に、一つのものを両者で分け合って背負うということでもある。つまり男性の自殺率が高いという話に対してフェミニズム的にすべき話は「こっちも働いてやるから権限をよこせ」であり「男性のことはアテクシは知りませんわよ」などという態度を取るということは、結局のところ未だに自分は社会の中央でなく、主たる責任はどこかの誰かの男性がやってくれるという態度そのものであり、フェミニズムから最も遠いあり方である。
余談であるが、自殺数の男女差でなくそもそも絶対数が他国より多く、過労死がそのまま英語になっている不名誉な現状については上記のジェンダー論ではなく労働問題のレイヤーである。ジェンダーは受ける責任というベクトルを決定付けるもので、その方向に従って加圧されるパワーは純粋な労働量に依存する。そもそも我が国の働きすぎ問題がマシになっていれば、比率はともかく絶対数として死んでいる人間の数は減っていたであろうことは自明である。個人的には、女性が男と同じく過労死するほど働くよりは、男女がそれぞれほどほどに働く未来を夢見たい。
自転車通勤だ。
私の名前が自転車通勤なんじゃなくて、自転車で毎日会社に通っているという意味だ。
とある一級河川に架かる橋を渡っている時、いつも歩いている女性を追い越す。
綾香としよう。そんな名前だったらいいなと思っただけだ。
その子は小柄だ。華奢ではないけど、太ってもいない。普通体形よりは細い。
髪は後ろでお団子にしていて、切れ長な感じで目鼻立ちが整っている。このご時世なのでマスクをしている。顔全体は見えない。
その子の顔を見てみたいと思いはじめて半年。ついに今日、チャンスが訪れた。
今だと思った。「今だ」の「い」の時点で自転車を加速させる。
数秒が経って、その子を追い越した。前方に自動車が来ていないことを確かめて、後ろを振り向いてその子を見た。
ブサイクだった。お亡くなりになってほしい。
え、なんで?って思った。心臓の真ん中に冷たいナニカが突き刺さって、そのまま心臓が凍り付いて、かと思ったら、そのナニカが弾け飛んで、心臓が――血管ごとバラバラになる。そんな気分だった。
どうしてこんな目に遇わないといけないんだ?
はずした途端に別人になる。本当に別の人だ。魔法みたいだ。悪い意味で。
それで表題につながる。
作ってくれないか?後ろ姿で女性が美人か見分けられるアプリを。
みたいに表示されるやつを。
率直に聞く。
マスク詐欺に遭ったことがあるのは俺だけじゃないはずだ。日本人男性の9割5分以上にそういう経験があるはずだ。
私がマスクギャップ症候群(Mask gap syndrome)を発症してもう4年になる。すごい美人!だと思った3コ上の先輩がマスクを外したら、10コ上の先輩になってしまった。
ほかには下着がそうだ。大学3年生の時に初めて付き合った彼女がいた。美緒という。
その子と初めてセックスした時、いや、する前から胸が魅力的だなって思ってた。
そういう体型だった。小太りに見えるけど、均整が取れている。胸とお尻がビシッと出ていて、お腹は大きいけど、脂肪ではなく腹筋が出ている感じ。筋肉で太っている。
とにかく、張り出した胸が魅力的だった。
それで、当時は一般的な童貞だった私は、なんとか頑張ってブラジャーをはずした。
張り出していた胸の形は張りぼてだった。ブラの力は偉大だった。実際には魅力的な胸ではなかった。無力的な胸だった。胸がえぐれていた。
私には、隠されたものに対する恐怖がある。
だったら需要がある。頼むよ。作ってくれよ。後ろ姿で美人率を判定するアプリを。
これからの、未来の社会で絶望する人間を出さないために。マスクギャップ症候群の患者を増やさないために。
クラウドファンディングに出ていたら絶対に出資する。
世間一般にとっては大した問題ではないけど、私のようなマイノリティには大事なことだ。
お目を汚してすいませんでした。