はてなキーワード: 恋愛体質とは
人を好きになろうと思ってもなかなかなれない。
曰く、人を恋愛的に好きになるためには自分からいいところを探したり「うれしい」「楽しい」「好きだよ」と自己暗示めいたことをしていわゆる『好きスイッチ』を押す必要があるらしい。
たぶん恋愛体質の人はこのスイッチが自動的に発動するのであろう。
私はというとめっぽうこのスイッチがガチガチなので自分から押さないといけないのだが、どうにもこれを意識的にやろうとシュミレーションするだけで吐き気を催す程度には厳しい。
今まで同性の友人たちなどは何となくウマが合うなという『流れ』で好いたりしてきた。その流れを自発的に生み出させる行為自体になんでか反発を覚えてしまう。
恋愛嫌悪かと思ったが、好きになったあとのイチャイチャ妄想などは問題がないのでちょっと違うかもしれない。
色々な自己肯定感の勉強をしてる中では『無理に否定せず、克服しようと躍起になるより好きになれない己を許す』というアプローチがいいのかなと思うが、いいのだろうかそれで?という葛藤もある。
だって、好きになった人に好かれる保証はないが、好きになってくれた人に向き合える方が建設的だろう。
もう腹を括って好きになった人しか好きになれん!好きになるのは3年かかるがな!と割り切るがいいのか……はて。悩みは尽きない。
少し気持ちが分かる。二十歳過ぎても初恋も熱狂する推しもいなかったので、私には恋愛する機能が付いているのか不安になった。
私は一度だけ恋することができた。
恋愛とは脳内麻薬が出ることであると私は思う。崇高な愛とはまた別。
私は最初、とても気の合う異性の友達だと思っていた。このまま仲良くなれば親友になれると確信した。
その相手から告白された。まだ恋愛として『好き』ではなかったのでとても悩んだ。そのことを相手に伝え、交際を始めた。
最初はスキンシップもしたいとも思わなかったが、いつの間にか恋に落ちていた。きっかけは分からない。異性として『好き』になろうと意識し続けたからかもしれない。
具体的には、脳内でドパーッと幸福になる成分が放出される感覚が分かるようになった。これを私は脳汁と呼んでいる。
恋愛中毒になる理由がよく分かった。一緒にいるとドパドパ脳汁が出て幸せな気分になる。まさに脳内麻薬。
恋愛初期はあまりにも脳汁が出過ぎて、しばらく一緒にいたら脳が疲れ果てて二人して電池が切れたように爆睡していた。離れると無性に不安になったりもした。
出会って10年以上経ち、さすがに今では脳汁は控えめになった。しかし時々ドパッと脳汁出る。脳汁が出なくても、元々親友になれるくらい気が合うので一緒にいて楽しい。
他の人がどうか分からないが、自分の中では脳汁が出るのを『好き』だと定義している。感情というより感覚。個人的には世間で言う推しも同じように脳汁が出るんじゃないかと思う。推しができたことがないので分からないが…
恋愛体質があるように、脳汁が出やすいのも体質ではないかと思う。
血の繋がった家族や気の合う友達であろうと一緒にいると疲れるのだが、彼と一緒にいてもまったく疲れない。常に一緒にいても平気どころか幸せになれる相手はこれまでおらず、替えが効かない。
件のまとめではNANAが「ロックバンドサクセスものだと思ってたのに昼ドラ延々やっててがっかりした」「レイプされても喜んで結婚するような主体性のない女が主人公で教育に良くない」「女には恋愛しか素晴らしいものがないようなメッセージの作品」みたいな的外れな批判ばっかだったけど、期待するものがほんとにおかしいんだよな
愛着形成ズタボロだから薬だの成功だの恋人との絆だのに依存しないと生きてけないようなメンヘラ達の話をそもそもしてるわけで。だからこそ東京の華やかな芸能界舞台にしてるのに(ズタボロ愛着形成に関わりがある)地元のメンツの中でほぼ全ての人間ドラマ完結しちゃってるし。
サクセスストーリー要素は有名になって見返せなければ死ぬ!っていうナナの脆弱な自尊心を表現するためのツールでしかない。
ハチが恋愛体質なのも自分がキャリアに繋がるようなこれという特技や熱中できるものが(見つけられ)ないから仕事が続かなくてその不安や虚しさを埋めるようにやってる面も示唆するモノローグもたくさんある。同時に自立や自己実現できないのはそんなに悪いことなのか?っていうメッセージもある。
バンド側は成功に取り憑かれて人間として当たり前の情がスカスカになっていくことに自分で病んで自爆していくし。
愛するというのは、分け与えるということ。端的に言うと、腹減ってるときにパンひとつ持ってたら、それを半分こしたいと思うのが愛であり愛情。これは一般的な感情ね。極端な事いうと、あなたの命を捨てることで相手の命が助かるなら自分の命を投げうってでも助けたいという感情ね。はっきりいうけど、これは常識ね。愛というのはそういうもの。こういう風に誰かを愛せる人は多くないかも。だから、あなたに説教する友人も含めて、本当に愛情をもって誰かと付き合ってる人なんてあんまりいないかも。だからそれができないからといって気にすることはない。
で、あなたは本気で婚活してるわけだから、結婚したいわけでしょ。で、出会って付き合ってセックスまでいけるわけだから、表面的なスペックでは問題ないわけだ。これはとても幸福なことだよ。それは理解したほうがいい。
で、そっから先の恋愛感情とか愛情とかがわかんないってのは、結婚を実現するという目的とはまた別の次元の話だろ。大恋愛してラブラブでメロドラマみたいな結婚ストーリーを歩みたいの?そういうのは恋愛体質じゃないと難しいよ。
あなたの目的が結婚とか出産ならもうあんまりあなた自身の感情は問題ではなくて、相手の感情のほうが問題だよね。おおよそ過半数の人間は愛する人と結婚したがるから。そうなるとあなたに必要なのは愛することではなくて愛されることだ。わかるね?
あなたは自分の感情が冷めたら恋人と別れるという。まあ若いころの恋愛ならみんなそんなもんだけど、婚活はどういうふうにうまくいかないの?お互いの条件がわかってるんだから利害の一致を計るのはそれほどむずかしくないはずなのに。
自分で自分の機嫌をとれる子、を念頭におくといいのではないでしょうか。
ホストに行く女性に美人不美人や金持ち貧乏(は体を売っていくので)はあまり関係ないように見受けられますが、共通点は「人に機嫌をとって貰おうとする=他人の言動に自分の幸福を委ねる」ことだと思います。
これは良くない方にいってしまった恋愛体質で振り回されがちな人にもいえるかと思いますが、自分ひとりで自己満足に至れない人は他人に多くを求め搾取しようとするか、あるいはそれを逆手にとられて搾取されがちになるように見受けられます。
手っ取り早いのは趣味でも仕事でも熱中する「個人でないなにか」があることで、一番身近なのはオタクだろう。鉄道でもドルオタでもいいが、アイドルやアーティストの場合推しが「遥か彼方(地下ドル等個人的に触れ合えない)」かつ複数いるとよりいいかもしれません。
好きだった人がいた
でも、インスタに写る彼は私の一番嫌いなタイプの人間になってて思わずウワッって声が出た。
多分、彼のこと好きじゃなかった。
昔から恋愛体質で、誰かを好きになると言う事実に安心してた。実際は誰も好きじゃなかった。彼もアイドル的な意味で好きだったんだなって。
彼以外の男がダメだった。
触られると鳥肌が立つ。彼氏はできたことは何回かあるけど事に及ぶ前に別れた。
女の子が好きなのかなと思ったけど、みんなが言うには雰囲気から違うらしい。女の子からは驚くほどモテない。何回かレズバーに行ったけどなんか違うかもと思った。
ついでに風俗にも行ってみた。
おもちゃも買ってみた。驚くほど不感症だった。嫌悪感に負けて風俗途中でギブった。
誰も好きになれないし、感じない。
誰かを好きになってみたかった。
治らないらしい。婚活も頑張ったけど障害者は無理って言われて撃沈。
化け物みたいなこと言っちゃったけど、化け物みたいなもんか。ブスだし。ガハハ。
私はOfficial髭男dismの『115万キロのフィルム』に酔っ払っている人が苦手だ。
とだけ述べると意図を曲解される可能性が大いにあるため、まず前提を箇条書きする。
・Official髭男dismのファン全般への批判でもない
・あくまで「『115万キロのフィルム』に酔い切っている人」が苦手であるという話
これらを踏まえて読んでいただければ幸いだし、前提の時点で不快感を覚えた方は他の記事を楽しんでほしい。
Official髭男dismは私も好きなバンドであり、なんなら仕事柄よく聴く方だ。
今回匿名でこの記事を書いているのも、仕事上の公平性を保つ必要があるためである。
昨今のインターネットはとかく極論に取られがちなので、念入りに書かせていただいた。よろしいだろうか。
ロックバンドOfficial髭男dismの人気曲で、カラオケはもちろん結婚式などで頻繁に使われている。
「僕」の一人称視点で語られ、恋愛や人生を映画に喩えた世界観に仕上がっている。
あまりの人気曲である故か、この曲に苦手意識を感じる人間などこの世に存在しないと信じ切っている者たちである。
こちらが「あまり好きじゃない」とでも言おうものなら説教する勢いでこの曲の魅力を滔々と語り、散々論点をズラした挙句「お前がひねくれてるせい」で締めることが大半。
3.「『115万キロのフィルム』に酔っ払っている人」は歌詞を冒頭から終わりまで語りたがる
酔っ払いがこの曲について語るとき、たいがい当然のように歌詞の「僕」=自分だと思っている。
曲の構成上それは構わないのだが、厄介なのは聞かされる側に「君」への感情移入を半ば強制することだ。
「こうされたら嬉しいだろう?」「こんな喩えをされたらときめくだろう?」、聞かされるたびにこちらは凄まじい同調圧力に「ソウデスネ」と答えるほかない。
このプレッシャーと並行して、なぜか酔っ払いは歌詞の「うまいこと言っている部分」をあたかも自分の手柄のように振りかざしてくるのだが、このコンボ効果がこちらの疲労を促進する。うまいこと言っているのは酔っ払いではなく髭男である。
更に、その場がカラオケであった場合は最悪の状況を想定しなくてはならない。心を込めてこの曲を歌われた日の夜、私は自室で爆音のバカサバイバーをループしながら頭まで布団を被って寝ることになる。
私は世間一般でいうところの「非恋愛体質」にあたるだろう。人付き合い自体はそれなりにするが、恋愛対象として接されると途端に回れ右してしまうタイプだ。
多くの場合、恋愛とは相互干渉の状態を指す。心を尽くした分リターンが欲しいという恋愛人が大半ではないだろうか。もちろんそうでない人もいるだろうが、私は毎回「期待されるだけのリターンを与えられない」ので交際そのものを長らくしていない。
そんな考えの人間が『115万キロのフィルム』を聴くと、置いてけぼりになるのである。
ここからは歌詞を抜粋して追いながら、具体的に[]で心情を綴っていく。
これから歌う曲の内容は僕の頭の中のこと
主演はもちろん君で[脳内で主演にされていたことに慄く] 僕は助演で監督でカメラマン[少なくとも「僕」が3人いる撮影現場を想像して慄く]
くだらないなと笑ったんなら[ついていけていない] 掴みはそれで万事OK![ついていけていない]
呆れていないでちょっと待って きっと気に入ってもらえると思うな[「気に入ってもらえる」から既にリターン圧を感じる]
ここまでのダイジェストを少しだけ見せるよ[もうダイジェスト版があるんだ…]
初めて喧嘩した夜の涙[のっけから喧嘩シーン] 個人的に胸が痛むけれど[心の準備をする予告編がほしかった]
ほら ここで君が笑うシーンが見どころなんだからさ[「ほら」で自分の顔を見せられるのか] ah[ご満悦なところ申し訳ないが]
どれかひとつを切り取ってサムネイルにしよう[やめてほしい] とりあえず今のところは[助演の顔に挿げ替えてほしい]
きっと10年後くらいにはキャストが増えたりもするんだろう[出産前提の圧を感じる]
今でも余裕なんてないのにこんな安月給じゃもうキャパオーバー![だから助演で監督でカメラマンを一手に担っていたのだろうか]
苗字がひとつになった日も[どちらの姓を前提にしているのだろうか]
今 目を細めて恥じらいあって永遠を願った僕たちを すれ違いや憂鬱な展開が引き裂こうとしたその時には[どう解決するのだろう]
僕がうるさいくらいの声量でこの歌何度も歌うよ[??!!!?!!!?!?!!?]
クランクアップがいつなのか僕らには決められない だから[またうるさいくらいの声量でどうにかしたらどうしよう]
風に吹かれていこう[……?] (風に吹かれていこう)[誰?!]
フィルムは用意したよ (フィルムは用意したよ)[3人の「僕」でやっているのか?すごい絵面だ]
一生分の長さを ざっと115万キロ[80年分もフィルムに先行投資するから安月給でキャパオーバーしたんじゃなかろうか]
撮影を続けよう この命ある限り[先80年分のリターンを見積もって胃が痛い]
5.結論
何も否定していないのに、一方的に捕まえてこちらの考え方をなじってくる酔っ払いが多すぎる。
恋愛体質でない人間に当然の感動を強制するのは、あまりに楽曲任せで無責任だ。
『115万キロのフィルム』の「僕」と「君」が成立するのは、二人に明確な信頼関係が確立している場合のみである。
もっと言えば、夜景もディズニープロポーズもバラの花束もフラッシュモブもお姫様扱いも、万人が喜ぶ演出ではない。
大切なのは相手の好き嫌い・性質を把握することであり、ロマンティックな演出も独りで酔っていてはまるで意味がないのだ。
夫の大学時代の友達に自分の顔を「下の上」と自認する人がいる。
あまり人の顔を上や下と評価したないけれど、普通に格好いい側の男性で、クラスで1番とは言わないけれど、上位層に入る顔立ちである。
しかも、こういう表現は良くないが、あまり彼の顔立ちに似つかわしくない、端的に言えば不細工な女の子とも付き合う。
最初は遊び人なのかと思っていたが、夫からよくよく話を聞くと、自己評価があまりに低すぎて、
女性から好きと言われると、こんな自分を好きになってくれる人がいるなんて、とすぐ寝てしまうのだという。
夫の友人ではあるが、親友というほどの間柄でもなく、人様のことなので放っておくしかないかと思っていたのだが、
ひょんなことから、あるコミュニティ内で彼が都合の良いセフレとして扱われていることが判明してしまった。
女性陣が彼氏がいない時期に人恋しくなった時に、その彼に「やっぱり好き」と連絡するとすぐに迎えに来てくれて、
肉体関係を持ち、飽きたら捨てるということが繰り返されているようなのだ。
この話を聞いた時、自分でも意外だったのだが、そういう恋愛体質の女の子がセフレ扱いされることがあるけど、
男性でもそういうことがあるんだと思った。つまり、自分にも偏見があったんだなと思った。
話が横道に逸れるので、私の偏見の話は置いておくと、さすがにこのまま放っておくのは良くないという話に夫となり、
彼を含めて3人で話してカウンセリングまがいのことをした。
彼いはく、自己評価がとにかく低く、人に愛されることに飢えているのだという。
彼自身は普通のサラリーマンで、ギャンブルや女遊び(キャバクラや風俗など)に行く風でもなく、
なのに、なぜこれまでの彼女と長続きしないのかを問うと、
どうやら彼女から「他の女の子に言い寄られたらどうする?」と聞かれたときに馬鹿正直に「こんな自分のことを好きになってくれるのなら寝るかも」
と言ってしまっているようなのである。そりゃ彼女としては伴侶にするには心もとない。
それで、フラ続け、しまいにはあるコミュニティの女性陣にこの性格がバレてしまって上述のコミュニティ内での都合の良いセフレ扱いに収まっているらしい。
もしかしたら幼少期に愛されていなかったというトラウマがあるだとか、
一見中の上に見える見た目は整形のおかげだとか、私たちが知らないこともあるのかもしれない。
しかし、夫が「もしうちの妻が好きって言ってきたら寝るの?」って聞いたら
「自分から行くことはないけど、そう言ってくれたら寝ると思う」と言われ、二人で頭を抱えた。
どうやらセックス依存症ではないようで、性行為自体に強いこだわりがあるようではなさそう。
別れた彼女のストーカーになったり、リストカットなどの自傷行為をして相手を引き止めるようなヤンデレタイプでもない。
働きぶりはわからないが、仕事は普通にやっているようだし、夫の友人たちも含めて、彼の性格上の問題を言う人はいない。
彼とはあまり仲良くない夫の友人の一人は「ただのB専だと思ってた」くらいの感想で、彼のこの問題には気づいていなかった。
鬱症状でもないし、サイコパスだとか、アスペだとかそういう感じでもない(もちろん私は医学的判断はできないが一般的用語としてのそういう感じの人ではない)
彼自身も普通の結婚をして、自分を愛してくれる人と普通の幸せになりたいと言う。
ここまで彼の話を聞いてしまって、私自身怖いと思うのが、夫と喧嘩をした時に彼に「好き」と連絡を取らない自信がないと言うのもある。
彼の弱みを知っている私は都合よく便利に彼を利用することもできる。ストーカーにならないのも、綺麗に別れてくれるのも都合がいい。
何より彼の顔立ちは上位層に入ると私は思う。
そんな弱い自分も怖いので、彼にはどこかでカウンセリングや治療?などを受けてもらいたいと思うのだが、どういう施設に繋ぐのがいいんだろうか検討がつかない。
メンタルクリニックではなさそう。何度も繰り返すが、通常の社会生活上、彼の精神におかしなところは全く見えない。
またはマッチングアプリや婚活サイトがいいんだろうか?でも、彼は形式上の結婚にこだわっているわけではなく、
仮にそう言う場所で付き合ったり結婚できても、この女性は自分のことを本心で好きではないかもしれないとまた思って、
別の女性のところに行くように思うのだ。
増田は相手を自分基準で採点してるやん?で、もっと高得点取れるんじゃないかって試行してるやん?それがそもそも恋愛ではないと思う。
恋愛って、100点満点で採点した相手にボーナスで100点加算してるようなもんで、20点の相手であっても恋愛してるうちは120点になるから、そこに新しく80点の相手がやってきても本来は勝てないわけよ。
だから、恋愛においてルッキズムだの差別だのそういうのは本当は介在しない。不作為に100点加算されてしまうものだから。で、そういう加点が発生しやすい人間は恋愛体質とも言える。
アホみたいな話だと思うけど、そういうアホが発生するのが恋愛。だからクズみたいな人間とか、一人で生きていけない障がい者とか客観的スコアでは0点に近い人でも恋愛結婚できてたりする。
ゾッとした。
書くか迷って随分寝かせていたけど書き切ってしまおう。
ハッキリ言って自分と彼女の顔は似ている。いや、むしろ似ているなんて言うのは烏滸がましいが、少なくとも異性ウケする顔ではない。
彼女は不自然な不均衡さや歪みがある顔ではないのが救いだが、自分はそういった不均衡さも含む醜い顔であることを念頭において読んでほしい。
さて、あの話の根本は、あれほどのキャリアであっても既婚男性と不倫し、子を成し、あれだけの地位を捨て去るほどに愛情に飢えていたという残酷さだ。あそこまでではないが、身に覚えがある。
容姿が良くない女は努力してキャリアを磨け、年収を積めというのはよく言われる処世術の一つだが、結局はそれだと心が満たされない、救われない女は一定数存在する。
そういった女はせっかく努力して就いた仕事を蔑ろにしてまでも、普通の女なら即切るような条件の、ただ、ある程度顔だけはいいような男に心身を捧げてしまう。
だって自分の欲求が満たされてかつ、自分を相手にしてくれるのはそういった男しかいないから。
そうした間にキャリアも仕事もいつの間にか崩れて、その先にあるのは、普通の容貌の女であれば享受できた平均的な女の幸せ以下のわずかな心の安寧と、特に努力もせず平穏に普通の家庭に入った女への嫉妬と自身による尊厳破壊の失望である。場合によっては男側が自分を捨てるところまでセットだ。
分かるか?この絶望が。
件の彼女は実家の太さ的に大して絶望せず幸せになる可能性が高いが、普通の、ちょっと頭が良いだけの顔立ちの悪い女は上記の病みルートに突入してしまう綱渡りのような闇がすぐそばにあるのだ。
良くないと思うやり方で手近に寂しさを埋めてはいけない、少なくともそれを常習してはいけない、収入があるならさっさと整形して女として自信のない自分から脱却した方がいい、個人的にそう思わせる出来事だった。
結婚することのメリットや得られる幸福をみんなに教えてほしい。
26歳オタク女、フル在宅の派遣社員。月~金・フルタイムで働いて残業なし。実家暮らし。明日を生きる金があればいい。
恋愛体質でもなく、人間関係はほどほどに狭い。外見だけは褒められることが多いががっつりどっぷりオタク趣味で性格もいい方ではない。
自己肯定感はそこそこ高いから基本的にポジティブ。自分の足で立っていられる。強気で可愛げのない女。
同じ人とは月1回会えれば普通に満足。人付き合いより趣味のゲームやイラストを優先しがちだ。インドア派。
結婚願望はとても薄い。そもそも、おそらくではあるがアセクシャルもしくはノンセクシャルで、人に恋愛感情が限りなく湧きづらい。人を好きになったとしてもそこにある感情は親愛の延長だろう。
そんな自分がなぜ「結婚」を視野に入れ始めたか。シンプルに言えば一番の幼馴染の親友の結婚がきっかけだ。
複雑な生い立ちで、人より孤独の影が強い親友。彼女の幸せを誰より祈ってきた。彼女とのことは長くなるので詳細は伏せるが、彼女の結婚報告を聞いて私は2時間は泣き続けたし、人生で嬉しかったことベスト3に入るくらいうれしかった。というか当たり前に暫定1位だ。重い幼馴染だと自分でも思うが、そのくらい彼女が大切なのだ。
そんな大事な大事な幼馴染が結婚して、インスタグラムを見てみれば他の友人達もチラホラ結婚や婚約、出産報告をしている。女の25~26歳のSNSは大体そんなもん。
そして自分も今後のライフプランの見直しを兼ねて改めて考えてみた。結婚したいのか、そもそも人を恋愛的に好きになれるのか、愛せるのか。
大学時代の自分には結婚願望なんてものはなかった。大学時代彼氏や彼氏っぽいものは何度かいたが、どの相手も好きになれなかった。自分の恋愛より少女漫画や人の恋愛が面白かった。私は同じものを返せないのに、好いてくれて時間や気持ちを割いてくれる相手との温度差に耐えられなくなるたびに別れた。「重いな」と感じるたびに別れた。付き合うときは「この人のこと人間的にそこそこ好きだし、今度こそ恋愛面でも好きになれたらいいな」と思うのに、好きになれないまま付き合うことに罪悪感を覚えて、限界を感じて別れを切り出した。相手を傷つけるたびに好きになれたらよかったなと、しても仕方がない後悔と感傷を抱いた。
高校時代には好きな人がいて、失恋したり、成就したり、人並みに「恋愛」をしていた。将来結婚するんだろうなとぼんやり考えたりもした。
思春期のことを指標にしていいのか判然としないが、昔そうだったのだから人を好きになることはできなくはないと思う。
5年以上恋をしていないから、多分恋愛スイッチが切れてるか断線しているのだろう。
私は令和の今を生きている。結婚しない選択肢もある。結婚しなくてもともに暮らすパートナーを見つけるか、今後一人で生きる覚悟を決める選択もできる。
でも死ぬとき家の中で一人でいたくない。孤独なままは嫌だ。結婚を忌避しているわけでも否定しているわけでもない。
結婚するとしたら今現在理由がそれくらいしかないのだ。これをもし読んだら結婚によって得られるメリットや幸福を教えてほしい。
多分一種の人生の岐路なのだろう。年齢も年齢だし、どっちにしてもそろそろ決めなくてはならない事項だ。
あなたたちは結婚するだけならお見合いしたらいいんじゃねと思うだろう。私もお見合いはいい制度だと思う。でも99%向いてない。私は結構好き嫌いで動くのだ。
そもそも結婚したい相手も結婚願望もない。好きじゃない相手と結婚して、今後の人生を共に過ごすなんて考えられない。絶対人生を通してのストレスになる。
結婚するなら好きな人がいいよね、みんなもそうだと思う。私もそれがいい。何年も恋愛してないからこの先そんな相手ができるのかわからないけれど。
普通になんの抵抗や疑問なく人に恋して、愛せて、結婚を考えられて。そんな人に生まれたかったかも。そう育ったらこんなことを考えず済んだのだろうなあ。そういう人生もそれはそれで大変なことが多いだろうけれど。
めちゃくちゃ老後の予習感がすごい
ちなみに独身 既婚者はパートナーや子どもにすがっとけよ知らんけど
基本的に孤独から逃れられないので対策が必要。明るくしとくのは対外的に効いてコスパがいい
ちなみに「明るく」と「元気に」は履き違えないほうがいい気がする 明るくするのは周りのためだが元気はまず自分のため 結構外からわかりやすい、しらけられる余地がある
明るくといっても、エルダーは常に調子良くないので機嫌よくいられるための策が必要
喜びは予めある程度投資して望みを繋いでおく(時間、労力、勉強)
それぞれあまり関連のない楽しみ、喜びのほうが総崩れが防げて良さげ
結構人間性が違うから入れ込んだり完全に理解しようとすると無益に終わりがち 土台完全に孤独を解消することはできない
喜びとも通じている。「今日あの道に猫がいたよ」を誰かと分かち合えるのは、些細だが孤独の薄らぐ喜びだと思う。裏を返せばエルダーが何でもないことをすぐ話したがるのはその世代が孤独に迫られている証左のように思われる
歳を取るにつれ馴染みの人は減っていく。新しい関係を、前項と抵触もするけど、自分より若い世代の人と築けるように、気張れるようにしておきたい
エルダーは基本的に承認欲求は満たされない。「え〜っもっとお若いと思ってた!」など言われたところでもっと若いやつが隣でちやほやされてたりチャラチャラしながら仕事こなしてたりする。承認ほしさに周りの都合よく振る舞っても、なけなしの労力に見合う承認は得られないまま搾り取られて自分の機嫌が取れなくなりがち。かといって仕事の手を抜くと老害認定になる。生きることのコスパが悪い。
そんななかで人の価値や労力を低く見積もる体質の舐めプマンは不必要of不必要。壁を作って作り笑顔で接するが吉
舐めプではないが思いやりのない人も個人社会の俗世で多く見受けられるような気がする。こちらもやはり一枚隔てないと疲れてしまう。でも薄い壁越しでも寄り添っていけば一緒に過ごしやすくなるかもしれない。喜びの望みは繋ぎたい
改善は見込めずとも、めちゃくちゃ小さくても、何かしらの希望や祈りを持つと張り合いが出てくると思ってる
頑張ってても経験則的に正しくても、自分が絶対正しいとは思わない ただし舐めプマンは許すな
早めに人間を捨てる 欲望に任せる 強い 恋愛体質なら顔や毛髪や身体を作っといて色に溺れればいいし、威張るの気持ちいいなら相手を萎縮させるパターンを積んどいて恫喝しまくれば勝ち 勝つ喜び 不幸の手紙を書きまくれ
ただし そういうことができる人は少なくとも自分が自分に想定する以上には耄碌しているためしっぺ返しが想定超えどころじゃない途方ないものになりうると思っている ハイリスクハイリターン
今まで出会ってきた女友達の中には破滅的な恋愛ばかり繰り返す人が何人かいる。
大抵は天真爛漫で、はきはきと話すことができ、好きなものがあって目標に向かって行動できる魅力的な子である。綺麗な顔立ちであることが多いが、どんな人にも差別することなく対等で「一軍」に属していることは少ない。服装は無難なユニクロ系でモテ系ファッションやスカートは好まない。Twitter等でよく見る「メンヘラ」のテンプレートとはかなり異なっている。
しかし、恋愛や好みの異性が絡んでくると自分軸を失いたちまちメンヘラ化してしまう。サークルクラッシャータイプは、浮気と略奪を繰り返し、属しているコミュニティを破壊する。ある程度自分の属するコミュニティを聖域として捉えるタイプは、行きずりの男と寝まくる。普通の男ではなく、2回り以上年上のオヤジ、素性の知れない外国人、明らかなDV男など通常は考えられないような男と。男と寝ることへの抵抗が小さく、困窮しているわけでもないのに風俗嬢やAV女優として働いている人もいる。
また、本人たちもそれが異常であることを理解した上で自罰的な恋愛に走る傾向がある。誠実で優しい彼氏と付き合うと可愛い性格ゆえによく愛されしばらくは精神的に安定するが、最終的には誠実でも優しくもない男への浮気に走ってしまうのである。どの場合も止めても絶対に聞いてくれることはない。セ●クスが好きで楽しいからやっちゃうだけだと言いながら、結局傷ついてよく泣いている。人間関係で自罰的行動をとるから理解しづらいが、リストカットをしている人と行動原理は同じなのかもしれない。
偶然ではないと思うのだが、彼女たちは小さいころから父親がおらず母親も男性依存気味な家庭環境で育っていることが多い。何かしらの強い不満があるときに、人間は普通その不満を直接取り除くように働きかける。しかし、自分自身にはどうしようも解決できない不満があるとき、人間は「否認」という防衛機制をとることがあるらしい。家庭環境は子供にとって解決不可能な不満の典型例で、そういうったときに子供がとる反応はいくつかあるが、一例として不安や罪悪感を生じさせた行為をやり直したり、反対の行為をとって無効にしようとすることがある。これが、恋愛体質に陥るメカニズムの一つだと思う。だから、本当に必要なのは良い男でも理解のある友達でもなく、「人間関係の不満 (生い立ち) を、同じ人間関係 (特に男女関係) で自罰的行動をとることで和らげる」以外の生き方を教えることかもしれない。恋愛の方向性で真っ当に解決しようするとか、親身になって話してあげるとかそういうレベルの話では解決することはできず、医療の力が必要になるかもしれない。
何が彼女たちにとっての救いでどうすれば自傷行為のようなセ●クスを止めてあげられるのかずっと考えていた。彼女たちはたぶんとても寂しがりやだ。でもその寂しさは私たち女性がいくら親身になっても埋められるものではないのだと思うと、どうしたらいいのかわからずとても悲しい。相手に言われるがまま避妊もしないことがあり、シングルマザーになって歴史を繰り返す可能性も高いと思っている。魅力的な女性であり、いくらでも幸せになれるチャンスがあるからこそもったいないとも思う。ただしあくまで他人の恋愛沙汰なので首をつっこんでいいのかもよくわからず悩み中である。
数か月前までシェアハウスに住んでいた。男女混合約10人で生活していた。恋愛体質ではない私も閉鎖空間で気が狂ったのか、同じ家に暮らす一つ下の男性を好きになった。
彼とは意図せずとも顔を合わせることが多かった。同じ部屋で一緒に時間を過ごしたり、ほんの少し言葉を交わしたりしているうちに、単純接触効果か何かで惹かれたのだろう。いや、出会って数日で好きになっていたから本当は一目惚れの類いだったのかもしれない。
それはともかく、彼はゲイかもしれなかった。
詳細は割愛するが、セクシャリティ的に恋愛対象にならないかもしれないと知ったときのショックは大きかった。気持ちが報われる可能性はほぼゼロに等しいにもかかわらず、私はどんどん彼を好きになっていった。
もういろいろ考えるしかなかった。恋愛に奥手な私は、彼がノンケだったとしても自分から気持ちを伝えることはない。だったら彼が誰を好きになろうと結果は同じだ。というか「奥手」なんて言葉は誤魔化しにしかすぎず、本当は傷付くのを恐れて自分の気持ちに責任を持てないだけだ。
私と彼との間には言葉の壁もあって、伝えたいことを伝えることもままならなかった。いや、私は自分の内気な性格のせいにして、何かを伝えようとする努力すらしていなかった。これではもし彼の恋愛対象に入ってたとしても、私が選ばれることはなかっただろう。
同時に、彼が今までどんな恋愛をしてきたのか気になった。それこそ今の私みたいな、「好きになった相手の恋愛対象になれない」みたいな経験をたくさんしてきたのかもしれないと思って胸が苦しくなった。
しかし、何をどう考えても、この気持ちにどう向き合うべきかわからなかった。彼に触れたい気持ちと、この気持ちを言葉にしたら全てが壊れてしまいそうな恐怖が常に隣り合わせで何もできなかった。この恐怖心を彼のセクシャリティのせいにしていたが、こんなのはどの恋愛でも起こりうることで、本当はただただ自分が傷付くのを恐れていただけなのかもしれない。
ただ、彼は彼で自分を保つのに必死だった。ときどきどこかへいなくなってしまってものすごく心配した。自分が受け入れてもらえる場所を探しているような、常にそんな空気感で、私は彼を見て不安になることも多かった。
彼はいつも周りを見て、言葉を丁寧に紡いで、相手に安心感を与えるような人だった。でも彼自身はどこか不安げだった。私だけではなく皆、彼をどう助けていいのかわからなかった。だからこそ好きだと伝えられれば、全てを受け入れる覚悟ができている人間が側にいると伝えられればよかった。
結局、私は彼のことが好きなままシェアハウスを出た。お別れのバグをして、「出会えてよかった」とありきたりな言葉を交わした。またどこかで会えるかもと期待してしまうが、そんな偶然がないこともわかっている。会えなくなって約一か月、今もなんとなく彼のことが気になってしまって、まだ好きなんだろうなあと思う。
そういえば数年前にも一度、人を好きになったことがあった。会っていない期間が2年以上あったにもかかわらず、「偶然」を期待して3年も好きだった。偶然会えるわけでもなければ、自分からはアプローチしないと心の中で決めておきながら、それなのにずっと好きだったなんて自分でも到底理解できない。
前回も今回も、私は好きな人がいることを誰にも話していない。私が人を好きになるなんて、そんなことがあっていいのか、気持ち悪がられるんじゃないかとか笑われるんじゃないかとか、とにかく自分の気持ちが蔑ろにされる気がして誰にも言えなかった。
どうしてここまで傷付くのが怖いのか、なぜこうやって自分の気持ちばかりを守ろうとしてしまうのか、どうやったら一歩踏み出せるのか、そろそろ20代半ばに差し掛かるというのにそんなこともわからずに生きている。彼への気持ちをいつ成仏させられるのかはわからないが、おそらく今後また人を好きになったとしても、平然を装って日々を過ごしつつ、心の中で葛藤し続けるんだと思う。変わろうとしない自分が嫌いで、だからといって何をするわけでもない。こうやって甘えながら人生を終えるのかと思うとため息が出る。
彼の透き通った瞳が好きだった。結った髪が少し崩れているのを見てはドキドキした。脆くて複雑で儚くて、今にも目の前から消えてしまいそうな彼に触れたい気持ちでいっぱいだった。人種も国籍も関係なく、いつも私を私として見てくれている気がして嬉しかった。
まだ好きだと言いつつ、私は私の新しい日常を過ごすのに必死で、彼への気持ちを毎日毎日思い出しているわけではない。ぼんやりとした気持ちに実感がなく、「もしかしたら本当にシェアハウスで気がおかしくなっていただけかもしれないな」なんて思うときもある。でもなんとなく踏ん切りがつかなくて、やっぱり好きだなあと思いながらどうすることもできない。
はあ、好きだと一言伝えられたらよかったなあ。
いつまで経っても「普通にいい人」に好かれない、恋愛バカの自伝が笑い話になり誰かを楽しませてくれるならと思い
文章に起こしてみることにした。
「恋愛」という言葉が浮かんでくる小学生くらいから、常に「好きな人」がいた。
その人に会うために学校や職場に通う、その人に好かれるために容姿を磨こうとする、その人に振り向いてもらうために勉強や仕事を頑張る。
恋愛感情がプラスに働く時はそうやって、いろんなもののモチベーションになってくれるから便利だ。
そのせいで私の自己肯定感はみるみる下がり、どんどんダメな恋愛をしていくようになった。
少しずつ書いてみる。
私が初めて告白ということをしたのは、小学校4年生の時だった。
当時ワンピースの話ができる男の子はその子だけで、それが特別に思えた。
あまり前後は覚えていないが、気付いたら教室でその手紙を同級生の女子が読み上げていた。
かなりショックだった。相手の男の子も俯いていて、そのうち他の男子と一緒に教室から出て行った。
廊下から「どうすんのこれ」「お前は好きなの?」と男子たちの声がする。
教室では私が立ち尽くすのをよそに、女子たちが次の話題で盛り上がっている。
この時の記憶は、この強烈なシーン以外がすっ飛んでいる。