はてなキーワード: 結婚披露宴とは
人生で一番の親友が結婚式を挙げたので、彼女との話をさせてほしい。
(結婚式当日から書き始め、書き上げるまでに数日かかっているため今日が結婚式ではない)
私は口に出して「私たち親友」と宣言する人たちが心の底から嫌いなので、彼女に直接「親友」と口に出したことはないが、私は相手のことを間違いなく親友だと思っているし、私の驕りでなければ相手もきっとそう思ってくれているはずだ、というくらいの関係性の友人がいる。
私は、都会からの転入生としてAがいる小学校に、最後の1年間だけ加わった。
当時の私は、親の仕事の都合で二回目の転校で、他の児童は知るよしもないのに「またかよ」と思っており、率直に言うと、かなり冷めていた。
(少し弁明をさせてもらうと、小学校五、六年生の女子と言うのは、おそらく男性で言うと中学二年生前後にあたり、人間的にも関係性的にも非常にめんどくさい時期で、その時期に転校をする、かつ、すでに五年分も醸成された関係性の中に入り込んでいかなければならない、という二点が私を非常に憂鬱にさせた。)
女性陣であれば恐らく共感してくれるのではないかと思うが、小学校高学年の女子は、「グループ」というものを形成する。いわゆる「一軍女子」などの、「各児童の性質ごとに集まった集団」だと思ってもらえれば差し支えない。クラス内の自分が所属している「グループ」がいかに大きいか、もしくは、いかに注目を集めているか。一部の女子にとってはこれは死活問題なのである。
そんな中、ある程度の社交性を持った女子の転入生が来た、となると、注目度などが欲しい、より拡大したいニーズがあるグループは、その転入生を自分たちのグループで確保しようと躍起になる。
男性はあまりピンと来ないかもしれないが、女性陣は恐らく自らの過去を思い出して「わかる」と頷いてくれるシチュエーションではないだろうか。
当然ながら、私もこの、言わば「グループ闘争」に巻き込まれた。
私が転入したクラスは、大きく分けると3つのグループに割れていた。転入早々、各グループの恐らく一番パワーを持っているであろう女子がそれぞれ接近してきて、他のグループの悪口を、かわるがわる私に吹き込んでいった。
前提の通り、私は転校二回目である。かつ、転校前の学校はやや大人びていたようで、この「グループ闘争」は小五のうちに完全解決を迎えており、私の中では「グループ闘争」は終わったものだった。
しかし、私は再度この渦中にぶち込まれることになり、心の底から鬱陶しかった。本当に鬱陶しかった。
でも見るからに「鬱陶しいです」という態度を示すには小学校はあまりに閉鎖的な空間で、私はくだらない三国志を前に、小学校六年生ながら「最適解」は何なのか、非常に頭を悩ませた。
では、Aは三国志のどこにいたのか。
Aは、どこにも属していなかった。
第四グループ、というわけでもなく、どこでもない。孤立しているわけでもなかったように見えたので、必要にかられればどこかに属していたのだろう。どこでもあって、どこでもなかったのだと思う。
もう一人同じ状況の女の子(仮にMちゃんとする)がいて、AとMちゃんは、私の目には非常に賢く見えた。「これが最適解じゃん」と思ったのである。
ここで「なんとなく」なのは、私たちが親密になってしまうとただの第四勢力になってしまうので、私たちは「なんとなく」グループを作ることをしなかった。
ここまで考えるようになったのは後から思い返せばの話なので、当時から「第四勢力にならないために〜」などとごちゃごちゃ考えてはいなかったとは思う。
だが確実に、三人が互いに「仲はいいが一番仲が良いわけではない」という距離感だったことは覚えている(実際に班を組んだりするときは、それぞれ別の子と一緒にいた記憶がある)。
小学校を卒業して、Mちゃんは私立中学へ進学をし、Aと私は地元の公立中学へと進学をした。Aと私は、部活は同じものを選んでいたが、クラスは離れ、かつて三国志だった小学校のクラスメイトももちろんバラバラになっていき、あれはなんだったんだと思えるくらい、新たな人間関係が築かれていった。
切れてもおかしくなかった関係は、またしても「なんとなく」、切れることなく続いた。
当時の私は、学校の規則が嫌いで、何故か全ての上から来るものにイライラしているけど、そのぶつけ先がわからない、といった、尾崎豊の歌詞のような中学生だった。
要領がよかったせいで、提出物を全く出さないくせにテストの成績がいい、といった、先生からすると非常に厄介な生徒だったのではないかと思う。いわゆる「問題児」というレッテルを貼られても文句は言えないような奴だった。というか、私は元から問題児と言われる気質を持っていて、小学生のときは転校直後で隠していただけで、元来は何にでも牙を向くような性質だった。
中学一年生の私は、不要なものを学校に持ってくるわ、先生の言うことは聞かないわ、合わない子をシカトして「いじめ」と言われたら逆ギレするなど、まぁやりたい放題だった。いじめ云々の件に関しては弁明する余地しかない話なのだが今回の話では完全に蛇足なので割愛をするとして、それにしても、やりたい放題だった。
タイムマシンが使えるなら、そんなくだらないことに労力を使うなと迷わずビンタするだろう。(幸い私は救いようのないバカではなかったようで、一年生の間にこれらの行動が全て無意味であることを学んだ)
一方Aは、お父さんが高校の教員なこともあり、「真面目なメガネの図書委員」と聞いてステレオタイプの女子生徒をイメージしてもらえれば、あまり相違がないような生徒だった。
はたから見ると正反対なAと私の「なんとなく」仲がいい距離感は、なぜかずっと続いていた。
Aと私は、再度同じクラスになった。
正直細かい経緯は覚えていないが、ジワジワとそうなったのか、きっかけがあったのか、Aが私以外の友達との交流をあまりしないようになり、それを私にも強いるようになっていった。
例えば、私が他の子と話していても、間に割り込んで他の子が見えていないかのように話をし出す、などの行為をするようになっていった。
(この部分だけ書くとAが悪く見えてしまうが、本当に経緯をあまり覚えていないので、そうさせる原因を私が作った可能性は十分ある)
私たちは元々「なんとなく」仲が良く、互いが一番ではなかったので、私にも普通に友達がいたため非常に困った。当時何にでも噛み付く性質だった私が、Aの行動をしばらく我慢したあたり、私は元々結構Aのことを大切に思っていたのだと思う。
(それに、当時の私には一抹の優越感も間違いなくあった。「Aにとって、自分は特別な存在である」ということに関する、子どもじみた優越感である。)
だが、困るのを通り越して怒ってしまった私は、しばらくAと距離を置いた。喧嘩と言うより、一方的な断絶だった。
その後、一度良心の呵責に耐えかねてAと和解をしたが、やはり過去の行動が許せなくなった私が再度Aに無視するような嫌な態度を取ってAが怒る、という「そりゃそうなるだろ」的なイベントも起こったが、私たちは、結局完全に和解した。
やっぱり私は、Aのことがとてもとても大切だったのだ。どうしても彼女のことは切れなくて、大切で、代え難い存在になっていた。
中学三年生も同じクラスになり、そのときはもう、私たちは「なんとなく」仲がいいの域をとっくに越えていた。
恐らく同じクラスのメンバーは、私たちをセットで捉えていただろう。
私は、喧嘩のようなものを挟んだけど縁が切れることはなかったAとの関係性に、大きな安心感を覚えるようになった。
それによって私は、精神の安定性を高めていき、笑ってしまうくらい優等生になっていった。
今思えば荒れに荒れていた中学一年生のとき、私は心から信頼できる友人はおらず、不安だった。
これは完全に予測だが、Aが私以外との交流をあまりしていなかった時期も、私から何かしらの安心感を得たかったのかもしれない。
やや余談だが、私たちふたりは、共に父への確固たる尊敬を持っているところが似ていた。根本的な部分が似たもの同士なのかもしれない。多感な中学生のときでも、互いの父の悪い話を口にしたことは一度もない。
私の進学先が自分の父の母校と同じだと教えてくれたAは、なんだか嬉しそうに見えた。
高校進学後も私たちはやっぱり一度も縁が切れることはなく、とはいえべったりと仲がいいわけでもなく、一年に一回は必ず顔を合わせるような関係だった。
だが、ひとたび会えば昨日も一緒にいたように話し始められるAとの関係性が、私は今までもこれからもずっと好きだ。
ここで一つ、小噺程度のエピソードを披露するが、Aと共通の知り合いである男と、私が交際をしていたことがある。
転校先の小学校で同じクラスで、中学校も同じところに通っていた男だ。Aも、Aのことも、もちろんよく知っている。
一度、Aとその男とあと数人で飲んだことがあるが、私がはじめにその男に不信感を抱き始めたのはそこからだった。
Aは先述の通り、「真面目な図書委員」のようなビジュアルを想像していただければあまり相違なく、とてもではないが下ネタを話すようなタイプではないし、私も彼女に対しては品のない下ネタは一切話さなかった。
(というか相手によって話す内容を変えるのは人として当たり前の行動だと思っている)
それなのに、その男は容赦なく男友達にするような下ネタを話し始め、A以上に私のことをドン引きさせた。
そして、交際中のいつだかの冬に、中学の同窓会を企画することになった。
中学時代の、Aではない別の友人に「幹事やってよ」と言われて企画した。
生徒会長ではなかったが、クラス委員などをしてきた義務感から企画し、人を集めていったが、企画段階からやや辟易し始めているような、そんな同窓会だった。
私は人を集める段階でもちろんAにも声をかけ、Aは参加を承諾してくれた。
Aは特に、参加承諾以外は何も言わなかった。
だが当日、一番私の隣にいて、どんどん気分を害する私の顔色を見て、私のサポートに徹してくれたのはAだった。
交際していた男は自分の友人と合わせて参加するため、一時間半遅刻してやって来た。法が許せばその場で何かを刺していたかもしれない。
それだけではない。
途中遅れて来た奴が幹事である私に全く声をかけずに席についていたり、その場で別の奴に電話をして「○○来るって」と言ってくる奴がいたり、それはもう、言葉を選ばずに言うと、非常に、非常に知性の低い同窓会だった。
二次会まで足を運んだが、品の無さに耐えきれず、Aと二人で、二次会の会場を後にした。
人生において何度も思ったことがあったが、この日ほど、何があってもAのことだけは必ず大切にしようと思った日はない。
全ての女子に声を大にして言いたいが、最も信用できるものは、彼氏ではなく、友人なのである。
(当時の彼氏はその後しばらくして、もちろん別れた。別れた報告をAにしたとき、それはそうだが、全てわかっていたような優しい微笑みを浮かべられた。)
ちなみに私は、当時の彼以外の話もAに明け透けに話している。
Aは私が傷ついているときも、吹っ切れたときも、逆に恋愛に浮かされているときも、変わらないテンションでいつも静かに話を聞いてくれていて、いつでも一番気が楽になる対応をしてくれた。
いつか自分の将来を約束できるような人にAを紹介したいと思っているが、生憎まだ予定はない。
でもたとえどんな男と将来を約束しようとも、私はAのことは大切にし続けると決めている。
私は社会人になってから、かつて転校前に長く住んでいた大阪に戻っており、Aのために地元への飛行機に乗ったところで、この文章を書き始めている。
もちろん結婚までの経緯は知っていて、結婚式よりも前に、Aが紹介してくれたのでお相手とも面識を持つことができた。
Aから「お付き合いしている人がいる」と聞いたとき、私が最初に感じた感情は間違いなく『寂しさ』であった。自分も交際経験がある上、Aに散々話してきたくせによく言うが、間違いなく私は寂しかった。盗られたという感覚はなかったが、「私以外の人が、彼女の一番になったんだ」と思った。なんてガキなのだろうか。そう思った私のことを心底嫌いだと思った。
また、付き合った直後に教えてくれなかったことも、私は少し寂しく思った。とはいえただ私が特性として仲が良い子には明け透けなタイプなだけで、Aは元々そうではない。隠しているつもりも彼女にはなかっただろうし、私のただのわがままなのだが、「なんで教えてくれなかったの」という感情があったことは否めない。
幸いお相手の方は非常にいい方で、私の前で互いに話すAとAの彼氏(当時)を見て、長年Aを知っている私が、彼女との親密度を感じ取れないはずがない。
私が心配をする隙など何もないくらい素敵なふたりだったのだが、私は一抹の寂しさを抱えたまま、結婚式当日を迎えた。
挙式の際、私はご両親が座るために開けられた最前列席の真後ろという、下手したら親族に間違われそうな位置にいた。
図々しいだろうか、とヒヤヒヤしていたら、緊張した面持ちの新郎が入場して、
私はその時点でもう目が涙でいっぱいだった。あんなに綺麗なAは見たことがなかった。
早い、とツッコまれるかもしれないが、本当にその時点で感動してしまって、ずっと鼻をすすっていた。
(のちほど披露宴でAのご両親に挨拶にいき、お話ししたのだが、真後ろだったせいで挙式ですでに泣いていたことがバレていた。恥ずかしかった。)
披露宴中、お色直しのために新郎新婦が中座し、まもなく再度現れる、というときに、二人のプロフィールムービーが流れた。
恐らく結婚披露宴ではあるあるの演出だと思うが、二人の成長過程がスクリーンに映し出される。
Aのプロフィールが流れていき、当日呼ばれている友人たちの写真が映るたびに、それぞれのテーブルがリアクションをしていく。
Aと小学校・中学校からの友人として参列しているのは、私だけだった。
(私が中学の同窓会で幻滅したように、Aも他の友人には幻滅したのだろうか。そのあたりはおめでたい席でとても聞くものではなかったので、特に細かいことは聞いていない。
Aのご両親と面識があるし、別のコミュニティにAの影響で一緒に参加していたため、お知り合いの方も多く参列しており、会場でぼっちだったわけではないのでご安心いただきたい)
私ひとりに宛てられた、メッセージまで添えられていた。
他の友人たちとは一線を画す扱いへの衝撃が強すぎて、細かい文言は覚えていない。
涙が止まらなくなって、以降の内容も覚えていない。なんてダメな参列者だろうか。
彼女にとっての私は確かに唯一無二である、と、私だけでなく相手も思っている、ということを、はっきりと確認できたことで、私の感情は余すことなく全て「祝福」の方へ向かった。
そしてAから両親への手紙の中で、同棲をするまでお父さんにお相手の彼の存在を話していなかったことを聞いた。
なんだ、私だけじゃなくて、お父さんにも言ってなかったのか。
私はその、Aらしい部分に微笑んでしまった。彼女は私に隠していたわけではなく、Aがそういう性格なのだ、ということを改めて感じることができた。
少しでも寂しいとか、なんでとか思って、ごめんね。
だけど、一番はいくつあってもいいのだと、彼女の結婚式に参列して思う。
両親への手紙も愛に溢れていて、彼女にとってご家族もかけがえのない存在なんだと思ったし、他のご友人たちもみな、Aのことを微笑ましく見守っていた。
これからもきっと、ふたりは幸せに時を重ねていくのだろうと思った。
私は誇らしくなった。
自分もそんなAの唯一無二の存在のひとりであることが、とても、とても誇らしくなった。
夫婦とは、愛を誓ったとはいえ別の人間が生活を共にする。喧嘩することや意見が対立することもあるだろう。私はそのとき、何があってもひとまずAの味方となる存在でありたい。
お相手の方が正しいということもあると思うが、味方のあるなしで人の心の余裕は大きく変わる。
それを教えてくれたAに対して、私も同じ態度でありたい。
それに、残念ながらまだ予定はないが、私が逆の立場になったときも、彼女がそうであってほしいと思う。
結婚、おめでとう。
そして、私の唯一無二でいてください。
いま夕方。
今朝から、妻との離婚を真剣に考えるようになったので吐き出す。
2年ちょっと前に夫婦で話し合ってから、セックスを含む身体的接触はしないことになっている。
妻とは子供を育てる同僚のような感じ。会話も普通にするし、冗談も言い合う。
おそらく外から見ると仲の良い夫婦だろうし、実施に仲が悪くはない。
今朝あったことの前提として。
私が都道府県をまたぐ1泊の出張に行き、出張から帰った翌日の夜から咳が出るようになった。
咳が出るようになった夜を「1日目」とすると、2日目の朝に上の子が39℃近い発熱をし、私も身体がだるかった。
3日目に私と下の子が発熱した。この時点で上の子も下の子も病院で検査を受けたがコロナではなく、私は市販のキットで抗原検査をして陽性の反応が出た。
5日目に妻が発熱した。6日目に妻と子どもたち(既に体調は回復)が市販のキットで抗原検査をしたら、妻は陽性、子ども達は抗体があるという結果だった。
私は、出張翌日も上の子とは接していない(深夜に帰宅し早朝に出勤した)ことや、私よりも上の子の発熱が早かったことから、私と上の子の感染経路は別と考えている。
妻は、私が出張先で感染してきて、上の子に感染させたと考えている。
本当なら、一昨日から妻と子供たちは帰省していたはずだが、妻の両親に余計な不安を与えないため、帰省は取りやめになった。
今日、本来であれば、私は知人の結婚披露宴に出席予定だった。もちろん、妻にもそのことは以前から伝えていた。
先ほどの数え方で13日目くらい、妻は私に対して「子ども達の夏休み中は、接待や会食を控えて欲しい」と言い、私は当然のことだと答えた。
子ども達が夏休み中に感染すると、学期中に比べて子ども達もかわいそうだし、妻の負担も大きいというのが主な理由だった。
この「接待や会食」に、結婚披露宴は含まれていない、というのが私の考えだった。
実際、その後も披露宴に出るから今日の夕飯は作れない(週末の炊事は私の分担)という話も妻に私からしたりしていたし。
しかし、妻から、今朝になって披露宴の出席は取りやめるか、出席するなら5日間ほど帰宅しないか、どちらかを選べ、と言われた。
私が、披露宴は取りやめなろと言われてないと思っていたと反論すると、妻は、飲み会に行くなと言った時点で私が自分から出席を辞退するべきだった、
今の時期に披露宴をやるのは非常識だ、と取り合ってくれなかった。
私は、妻の言っていることに納得は出来なかったが、説得は不可能と判断し、熱が出たと嘘をついて欠席の連絡をした。
どうも、その後も私が不満げな顔をしていたらしい。黙ってはいたが、表情や仕草に出ていたのだろう。
妻は私に対し、自分(妻)を悪者にするな。悪いのはお前だろう。コロナになっても看病は私(妻)に押し付けるくせに。披露宴をやる人間、それに出席する人間、どちらも非常識なのに私を悪者にするな。
当日の朝になって欠席しろと言われた時点では、腹が立った。なぜもっと早く言ってくれなかったのか。
しかし、それは特に婚姻生活に影響のない感情だ。こういう意見の違いは、私と妻の間でよく起きる。
ただ、その後、私が欠席を連絡したにもかかわらず、私や私の友人をなじり続けたのを見て、この人と関係を維持できない、と思った。
私は、テーブルにパーティションが置かれた状態でマスク会食をする披露宴で感染する確率は低いと思っているが、確証はない。
実際に感染してしまったら、私より妻に(主に子の看病の点で)負担が大きくなるのも妻の言うとおりだ。
だけど、価値観の問題として、欠席を当日に要求するならば、要求するまで出席するつもりでいたことを批難するのべきではなく、
むしろ欠席を決めたことに形式的にだけでも礼を言うくらいで良いのではないか、と思っている。
それから、恐らくは披露宴を挙行することに葛藤したであろう私の知人を非常識と批難したことに、怒っている。
どちらが良い悪いの問題ではなく、私はこの先も、このようなことが起こることに耐えられる自信が無い。
現在、一家4人で、私が親から相続した家に住んでいる。家賃ゼロ。ローンもない。
妻が希望するなら、私が家を出て、この家は子ども達が成人するまで無償で(固定資産税や火災保険は私が払って)住み続けて欲しい。もちろん、妻が実家に戻るなら私がこの家に住む。
子ども達の親権者は当然、妻になるだろう。養育費は、妻が働かないならば子供2人分で毎月12万円くらいか。妻が働いたら毎月10万円くらいになりそう。
蓄えは少なく、預貯金とその他の資産を合わせても200万円くらいだ。離婚するならば、預貯金は妻に、積立て式の財産は私に分与すれば、妻に不利益にはならないだろう。
私は家を出て、職場の近くに一人暮らしをすることになるだろう。毎日往復80分の通勤時間がなくなるのは楽だ。
子ども達と一緒に暮らせないのはさみしいが、今も週末以外は顔を合わせないくらい朝早く出て夜遅く帰っているから、妻が面会交流をこまめに認めてくれるのなら、実はあまり変化がないのかもしれない。
現在は家に毎月30万円くらいを入れているから、養育費と一人暮らし分の家賃、水道光熱費を足して30万円を下回るのなら、私の小遣いが減ることもない。
そう考えると、離婚も良い選択肢なのかも、と前向きになってきた。
離婚をためらうのは、ステータスが「婚姻中。2児の父」から「バツイチ単身」に変化することで社会的信用が低下するというところが大きい。
別に今の生活を続けても、1年に1回か2回、今回の件のようなことがあるのをやり過ごせば良いだけだ。だとすると、離婚しない方が体面は保てる。
そのことをずっと、悩んでいる。
妻は明日、子ども達を連れてママ友とショッピングモールに行くといっているから、明日もゆっくりとこの問題について考えよう。
吐き出してすっきりした。読んでくれた人、ありがとうございます。
今回の件に関する意見や、離婚することについての意見、離婚した人の経験談など、いただけると嬉しいです。
(以下、書いた翌々日(8/8)朝の追記)
こんなに反応があるとは思わなくて驚いた。
離婚しろ派、やめとけ派、妻を批判する人、私を批判する人、色々な意見を聞けてとても嬉しい。
他方で、私が一方的に自分の視点だけから書いた増田で賛否が拮抗するなら、もし妻側の意見も明らかになったら私が相当批難されるのだろうな、と思った。
離婚について、1日(といっても、10時半頃に妻子をショッピングモールまで送り、17時頃に迎えに行くまでだから半日以下か)ゆっくり考えた。
結論はまだ出ていない。
いくつかのブコメやトラバで「子供のことは蔑ろか」という趣旨のものがあった。これにはもう「すみません」としか言いようがない。
もともと仕事にかまけて育児は殆どしていない。週末だけの父親。たまに子ども達が起きている時間に私が帰宅すると大騒ぎになる。
寝る時間が遅くなり体調を崩すから、妻から、帰宅する時間は夕飯前ぐらいの早い時間にするか、子ども達の就寝後にして欲しいと言われている。
結果として、子ども達と平日に夕飯を共にするのは1か月に1日あるかないか。
だから、離婚しても子ども達との関わり方それ自体にそこまで変化はないだろうと考えている。
何より、私が今まで見てきた他人の離婚で、離婚したことにより子が不幸になったというように見えるものがあまりない。
もし私が子ども達を不幸にしているとしたら、離婚に寄ってではなく、これまでも既に不幸にしてきたし、離婚しようがしまいがこれからも「両親の不和」という形で不幸にし続けるのではないか、と考えている。
披露宴が終わり、二次会に行く車に乗り込もうとしたらおまわりさんたちが来て
「ちょっとお話を聞きたいんですが」と言われた。その向こうには
単に結婚披露宴をしていただけ、ということをおまわりさんに説明して、
おまわりさんも私達夫婦だけでなく周囲の人にも確認を取っていたんだけど、
その間にオバサンが叫ぶように一人の警察官に説明していたから聞こえてきた。
・公の場所でひわいな言動をして人を不安にさせるのは迷惑防止条例違反だ。
(オバサンがコピー用紙数枚を振っていたから何なのか後で警官に聞いたら、
『近い内に私達はセー行為をします』と宣言しているのと同じなので、
・そもそも結婚というのは神様が人と人を結びつけるものであり、
神の代理人である○○先生(某宗教の指導者。今は故人だけど当時は生きてた)
が相手を選ぶべきだ。
・よって、『公の場所でひわいな言動をして』『人を不安にさせた』ことになるから
そんなことを叫んでいて、
おまわりさんも『あちらの方の勘違いみたいです』と言って送り出してくれたけど、
なんか2人の門出にケチがつけられた気分になった。
「どうも翔太に“俺様気質”のようなところがあって、モラハラではないのでしょうが、彼女に対して“夫には敬語を使ってほしい”などと要求していたというのです。親方に溺愛されて不自由なく育った梢だけに、そんな“亭主関白”ぶる夫に不満を募らせていたとしても不思議ではない」(同・芸能デスク)
大横綱・千代の富士関と名優・松田優作さんと、ともにカリスマ性ある父親を持つ2人だけに、どこか共感するところ、一方で反目し合うところもあったのだろうか。
ゆう姫によると、一緒に歩いていた友人が歩きタバコをしてしまったようで、これを見かけた70代くらいの男性に、後ろから「路上でタバコ!」と怒鳴るように注意をされた。すると彼女は突然の出来事に驚くも、《怒鳴り声の恐怖がすごく嫌で、そのおじさんのところに行って“その怒り方はないんじゃないですか?”って怒り返したの》と、男性に詰め寄って言い返したのだという。
このエピソードに《えっ? 怒り返したの?》と、唖然とする共演者のヒコロヒー。MCを務める垣花正も《悪いのは松田さんのお友だちかもしれないけど……、(男性に)驚かされたというか、まあ言い方がショックというか……》と、場を収めるようにフォローするしかなかった。
閉鎖的。
保守的。
ねたみ、ひがみがひどい。
出る杭は打たれる。
専業主婦は怠け者扱い。
金に汚い。
すぐ金に目が眩む。
贅沢は敵。
車に見栄をはる。
小汚いオヤジ、ババァ、ドキュン層が多いため、下品に感じることが多い。一緒にいると恥ずかしい。
陰で悪口を言う。
弱い者いじめをする。
人柄が陰湿。
意地悪。
関わりたくない。
粘着。
お金持ちらしいが共働き率が高いのとお金を使う場所がないだけ。
告げ口,陰口,悪口言うのは好きだけど、相手にもされてない奴が関係ないくせに腹を立てて割り込んでくる。
公務員が威張ってる。
小ざかしい。
専業主婦が少ない。(旦那の稼ぎが少ないので生活できないから)
社長の輩出でも全国一らしいけど、それは福井県内の中小企業が多いだけ。従業員ゼロのような会社。タバコ屋のオバちゃんでも社長
訛りも下品。
昔誘われてパチンコやったことあるけど玉が出ると知らないオヤジが絡んできた。人のことが気になるらしい。
何度も滅ぼされたから、フェニックスも死んだまま。と言うか最初から死んでる。
配偶者のことを根掘り葉掘り聞いてくる。
実家の事を根掘り葉掘り聞いてくる。
会社のことを根掘り葉掘り聞いてくる。
友人のことを根掘り葉掘り聞いてくる。
とにかく粘着質。
空気県とか言われててそれだけならまだいい。
絡み具合が異常。
グレてドキュンになってもファッションが追いついていない。10年か20年前のファッション。
加藤純一の結婚披露宴はスーパーチャット(投げ銭)が2億円に到達したそうだ。
高額スパチャと言えばVtuberの印象が強いだろうか、潤羽るしあは年間総額2億円で世界一だ。
投げ銭が飛び交う光景に「理解できない」とか「気持ち悪い」とかいう奴がいる。
いやいや、お前らアホか?
YouTubeで名を馳せた実況者や配信者、その多くはニコニコ出身だ。
だがその多くがニコニコを抜け出し、YouTubeやTwitchへ行った。
理由は色々あれど「ニコニコは金にならないから」という事実があまりに痛い。
1枠30分の配信を延長させるのに追加料金を支払っていた光景がもはや懐かしい。
それに比べりゃ、面白い企画や雑談で視聴者を楽しませた対価として金がもらえるなら、そっちに行くのは当然だ。
配信のモチベーションは金がすべてじゃないが、配信で食っていける道があればそっちを選ぶに決まってる。
視聴者は金を払い配信者は生活が成り立ち、互いにやりたいことが継続できる。
これがWin-Winでなくて何なんだ?
かなり昔になるが、ソフトウェアの開発者やブロガーにカンパしよう、という動きがあった。
ろじっくぱらだいすが提唱したWeb投げ銭、と言って「あぁアレね」と思い出せる奴は今どれだけいるんだろうか。
要するに昔から投げ銭文化を根付かせよう! という動きはあったわけ。
でも中々上手くいかなかった。当時は銀行に直接振り込むみたいな面倒な感じだったし。
それが今やどうだ、Vtuberが面白いアクションを起こしただけで気軽に投げ銭する文化が出来上がっている。
インターネットが長年築けなかった投げ銭文化が、現代のライブ配信界隈でしっかり根付いてる。
それはネット民が見習うべき文化であって、間違っても見下すようなもんじゃない。
日本の代表的なeスポーツはFPS、MOBA、格ゲーだが、理想的なエンタメ経済圏を築いてるのはどこか?
それはFPSだと断言できる。なぜなら投げ銭の習慣が根付いているから。
「FPSプロゲーマーの理想的なセカンドキャリアはストリーマー」と言われるくらいには、視聴者の熱と数が大きい。
Twitchではサブスク(月額課金)が盛んで、釈迦やStylishNoobといった元FPSプロに個人スポンサーがたくさんいる。
約500円のサブスクが1万人近くいるから、単純計算で1ヶ月に500万円になる。(そこからTwitchが何割か取るだろうが)
APEXやVALORANTではプロ・ストリーマーの双方に金払いの良い視聴者が付いてる。
だからこそCrazyRaccoonのグッズやコラボPCが売れるし、その集客力に目をつけてスポンサーも集まってくる。
そう、金払いの良さだ。
金払いが良いということは、何よりも大事なことだ。
金払いの悪いコミュニティ、投げ銭がちっとも飛ばない"嫌儲”な場所に人は根付かない。
格ゲー業界じゃウメハラが「投げ銭文化を根付かせよう」とわざわざ呼び掛けるくらいで、色々な意味で泣けてくる。
ウメハラは投げ銭を十分もらってる立場なのに、後進の新人のために投げ銭を呼びかけている。
格ゲーマーは配信サイトのミルダムを主戦場としているんだが、なかなかギフト(投げ銭)がもらえない。
だからって大御所のウメハラが嫌われるリスク取って呼び掛けてるのが涙ぐましい。
しかし情けなくなるのは、その呼び掛けに対して「乞食やめろ」だの「面白い配信してから言え」だの反発する連中だ。
新陳代謝がお世辞にも良いと言えない格ゲー業界で、それでも新しい格ゲーマーが業界に飛び込んでくれるなら、
ウメハラがコミュニティのため仁義を尽くして呼び掛けてるのに、それらしい理屈をこねて突っぱねる奴はダサすぎる。
ウメハラがそう言うならいっちょ投げ銭してやろうか、と行動するのが粋ってもんだろうが。
この記事を書いた奴みたいに、投げ銭をしなくていい理屈をゴチャゴチャこねる奴の気持ち悪さったらない。
LoLのプロリーグに昔raizinというプロゲーマーがいた。
リーグの途中から「やる気を失ってるんじゃ?」と噂された選手だったが、引退後に当時の事情を聞くと同情の余地がある。
まだ興行がそこまで発展してなかった頃、1試合のファイトマネーは10万円で、年間通して200万円の水準なのだという。
raizinはサブの選手と交代しながらだったから、年収200万にも満たないファイトマネーだったろう。
で、raizinは言うわけ。「その金額じゃ人生を賭ける気にならなかった」と。
今はストリーマーとして上手く活動していて、当時とは比較にならないほど稼げているはずだ。
「プロゲーマーのraizinが見たい」というファンからしたら、稼げないせいで引退したのは損失でしかない。
もしもプロゲーマーに投げ銭する文化が根付いていたなら、また別の結果があったかもしれない。
結局、金回りの悪さはあらゆる熱を奪っていき、人がどんどん出ていってしまう。
別に本人が悪いわけじゃないし、過去の女性差別発言がどうなんだ的な事は言わない。
ただあいつの周辺人物って色んな界隈に迷惑かけてきた連中じゃん?
コレコレとか人の色恋を面白おかしく騒ぎ立ててるクズなのに、よくもまぁ結婚を祝いに駆けつけられるよな。
まぁ俺も昔のニコ生界隈とかよく見てたから全否定する気にはなれないけど、他所の界隈に散々ちょっかいかけておきながら、身内には甘々でヨイショしてる光景が気持ち悪いんだな。
うんこちゃん、もとい加藤純一はもう大御所芸能人の立ち位置だからね。
ストリーマーの連中も加藤に対して下手なこと言えなくなった。フォロワーも狂暴で大量だし。
狂犬みたいな立ち回りしてきた配信者が社交的に立ち回る姿が、なんかダセェなと。
「Get Along Together」(ゲット・アロング・トゥゲザー)は山根康広の1枚目・2枚目のシングル。発売元は日本クラウン。
1991年冬、山根が結婚する友人のため、1週間で書き上げた。詞と曲が完成したのは結婚式の前夜であった[1]。
1993年1月21日にデビュー・シングルとしてリリース。オリコン最高12位。同年9月6日にリメイク「Get Along Together -愛を贈りたいから-」(ゲット・アロング・トゥゲザー-あいをおくりたいから-)を、2枚目のシングルとしてリリース。ロングヒット。
オリコン最高5位。有線放送から火がつき、同年10月6日付の有線チャートでは1位を記録[2]。第26回日本有線大賞最優秀新人賞、第35回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。本作で翌1994年の第45回NHK紅白歌合戦に出場。1994年夏までに150万枚を売上[3]。1990年代前半にヒットしたバラード曲を集めたコンピレーション・アルバム『R35 Sweet J-Ballads』にも収録。
アラフィフ以上のジジイババアでないと分からないネタだろうが。
記憶が曖昧だったのでネットで調べてみたら、あれは1984年末の紅白歌合戦だったらしい。
当時の紅白は、まさに“国民的番組”で、視聴率は八割近かったはずである
当時、松田聖子と郷ひろみの交際というのは国民的な関心事で、このときの紅白のオープニングでは郷ひろみが松田聖子の手を引いて入場するという演出がなされていた。
歌唱順も当然のごとく、紅組の松田聖子と白組の郷ひろみが並ぶように組まれていた。
その直前がやはり交際が話題になっていた(そしてその後破局した)中森明菜と近藤真彦で、二組をステージに並ばせて“今、なにかと話題の二組”とかいって紹介してたと記憶する。NHKの番組で。
すごい時代だ。
(なお、このときの紅白の一番の話題は“都はるみ、紅白のステージを最後に引退!”であった。“あと1分時間をください!”と強引にアンコールを迫った鈴木健二アナウンサーとか、生方恵一アナウンサー、いちばん大事なところのナレーションで“みやこ”と“みそら”言い間違える事件とか、
で、年をあけてすぐの週刊文春(これまたネットで調べたら1月22日発売だったようだ)、松田聖子は郷ひろみとの破局を告白したのである。
当時は文春砲なんて言葉はなかったが、この記事は日本中に衝撃を与え、松田聖子は緊急記者会見を行う。
このときの泣きながら「今度生まれ変わって来たときには、きっと一緒になろうねって言いました」と語る松田聖子の映像は、飽きるほど繰り返しテレビで流れていた。
そして、このときも泣き顔なのになぜか涙は流れない、いつもの松田聖子だった。
(当時、松田聖子は賞レースで受賞したときなど、感激して泣くのに決して涙が出ないので有名だった。嘘泣き? 演技? いやよく知らんけど、“ぶりっ子”という言葉も松田聖子とともに流行った言葉ではある)
で、話はこれで終わらない。
この直後に、主演映画のポスター撮影のため、ハワイへ飛ぶ直前の松田聖子が、映画の相手役の男性と交際宣言をしたのだ。
これまたネットで確認したのだが、わずか10日後のことだったそうだ。
(なお、まだバブルも本格化する前で航空料金も自由化されておらずLCCなんて影も形もなかった時代、ハワイは日本人にとって、大スターがバカンスを過ごす夢の島であった)
映画は前年11月から撮影していたらしい。そして紅白、記者会見を経て翌年には交際宣言、である。
これ、昭和の価値観なら松田聖子はとんでもない悪女になりそうなものなのだが、なぜか彼女はこれを“致命的なスキャンダル”に貶めることなく、“自分に正直に生きる強い女”みたいなキャラを確立してしまう。
もちろん目黒の教会での挙式からホテル・ニューオータニでの結婚披露宴まで生中継。披露宴の司会は当時日テレの人気アナウンサーだった徳光和夫。
なぜか当時の日本では、大スターの結婚式というのはテレビの大イベントだったのだ。
その後、娘(神田沙也加)の誕生、神田正輝との離婚、“ビビビッときた”という流行語を生んだ再婚と離婚、さらには略奪婚とも噂される三度目の結婚と、話はまたまだ続いていくわけだが。
先日、亡き娘の位牌を手に、遺骨を抱えた元夫と並んで会見した彼女をみて色々とショックを受けた人も多いようだが、彼女のデビュー同時からずっと知ってる世代の人々は、わりと自然に“彼女らしいな”と受け止めたんじゃないかと思う。
ただ、そんな彼女の“昭和のスター”な振る舞いも、なんだか時代とはずれてきてるのかな?という感じもする。
なお、元彼の郷ひろみはその後、二谷友里恵と交際。交際中に二谷友里恵の書いた『愛される理由』がベストセラーになったり、結婚披露宴が古舘伊知郎の司会でテレビ中継されたりしたのだが、このふたりも離婚してしまった。
二谷友里恵はその後、「家庭教師のトライ」の創業者と再婚している…という話を聞いて以来、あの「トライさん」のCMを見るたびに、なんとなく余計なことを思い浮かべてしまう。
いまや紅白歌合戦で、松田聖子と郷ひろみは大ベテランで、かつての華やかで派手で、だけど歪な芸能界の空気をまとった数少ない出演者になっている。
今年も何事もなかったように、“松田聖子”と“郷ひろみ”を舞台で炸裂させるのだろうが、そろそろ時代との乖離が覆い隠せなくなってきたような感じはしている。
【追記】正式に松田聖子の辞退が発表されたようだ。一部スポーツ紙の報道を信頼して、“まあそりゃ松田聖子なら出るだろうな”という確信の元、駄文をしたためたが、やはりどこか自分の中に“昭和バイアス”があったのだなぁと感じている。
来年以降、復帰するのは難しいかもしれないな。なにかスマッシュヒットでもあれば別だが、しれっと復帰しても“そういえば去年は…”となりそうだし。
具体的にどこのサークルとまでは聞いてないけど同じド田舎の大学で会った。
男性:そのころはニヒルで役者みたいだった父(高卒で就職して企業内留学)。タバコは吸わない。背は高い。読書家だがアウトドアも好き。寡黙(多人数兄弟から養子に出されて一人っ子の育ち、すごく静かな家庭で育った)。麻雀で授業料の足りない分や生活費を稼いでいた。即降りダマテンピンフのみで負けない麻雀(つまらないのでよく呼ばれたなと思う)。
女性:めちゃ頭のいい高校から進学。長女。背は低めでかわいいが気が強い。よくしゃべるし喜怒哀楽が激しい。たぶん女性側から声をかけて付き合った。
男性と女性はド田舎高校の同級生で美男美女カップルで高校のうちに結婚しようという勢いだったらしいがのちにいろんな理由で書類上離婚した事実婚状態。
1,2を身近に知っていたがめちゃくちゃ面食いでダメな異性をひいて2~3回離婚。最終的に年金を分けたくない独占したいという理由で離婚されてもういいや的一人暮らし。
工業高校卒と高校卒が中小企業でであった。男性側が8歳年上(に見えない)小柄な女性に惚れこんだが年の差が気に食わない実家にめっちゃ反対されて半ば駆け落ち状態で結婚し専業主婦へ。営業職で転勤・転職が多く家族で全国を10回ほど引っ越しで渡り歩いたが男性はわりと根っからお祭り男なので引っ越しをあまり手伝わないので呆れられていた。それ以外は喧嘩一つなし、実家とも孫の顔をつかって和解。
上の世代の年の離れた末っ子で20代なら昭和50年代ごろには結婚していたはずだが忙しくてなにもできず。同じ職業の人の娘さんでよくわかってる人とお見合い。結婚してからも忙しくて家庭も育児も全部おまかせ。よくわからないお金の使い方をしている(あれだけ稼いでいて赤字すれすれ)ようにみえるが幸せならそれでよいとおもう
同じ専攻やサークルのコンパやカラオケや試合旅行などで絆を深めた。
おなじ職場で同僚だったりセンパイだったりで絆を深めた。(たまに患者と看護師とかのクライアントとの結婚もあり)
平成:なぞ×3
「お見合い」や「結婚相談所」や「居酒屋ナンパ」だった結婚式は出会いが謎っぽくぼかされる(当人にあまり出会いについてつっこまないでねっていわれた)けど披露宴ではちゃんと「運命の出会い」とさらっと流されて祝われます
https://note.com/kouichi1997/n/n7df16cf0f4bc
こんにちは!今日もこの増田を見ていただいて、誠にありがとうございます!え~、今日はですね、また新しいnoteが投稿されたという事で、読んで行きたいと思います。
前回、80プペルで話題になった本岡さんなんですけど、彼が長い沈黙を破ってついにお気持ちを表明したという事でですね、早速気になる内容のほう、ガチャを回して読んでいきたいと思います。
はい。いま読み終わったんですけどね、僕は本岡さんは救う必要ないんじゃないかって思います。彼はもう救われてます。
僕の意見の前に、サラッと本岡さんについておさらいしときましょうか。
本岡さんは兵庫県の加古郡出身で、3人兄弟の真ん中です。兵庫の高砂南高校から、確か高知工科大学の環境理工学部に入って、そこから綜合キャリアグループって会社に入ったと思います。プロ野球には入ってないです。彼も昔はもちろん野球部だったんですけど、高校の時に辞めちゃってるんですよね、そこが残念です。
で、大学を出て綜合キャリアグループに入社したんですけど、入って一年しないうちにアムウェイとかの副業をやり始めた挙句、そこから数か月後の2020年5月に綜合キャリアのほうは辞めちゃうんですよね。今は土木作業員なんかやりながら糊口を凌いでるって聞いてます。
そんな本岡さんなんですけど、いつの間にか西野サロンに入ってて、そこでプペルの映画チケットと台本のセットを80セットも購入するんです。本岡さんは台本のセットは2020年の8月頃に購入して、2020年の10月ぐらいに「無職が失業保険使ってチケット台本を80セット(約24万)買った話(理由)」って言うnoteを書いたんですけど、これがめちゃめちゃバズったんですよ。バズったというよりは明らかに炎上ですよね。誹謗中傷とかすごかったです。ただ、この炎上にはちょっと時差があって、本格的に炎上しはじめたのは今年の一月に入ってからなんで、ホントつい最近ですよね。
炎上してからしばらくは本岡さんのnote更新が止まってたんですけど、1月23日(土)に前述のnoteがアップされたと。大まかにはそういう流れです。
…で、僕の増田の表題にもなってるんですけど、救いたくないんで、もう結論から言っちゃいますね。
彼はサロン外部の人間に迷惑をかけてないんですよ。もう、これに尽きます。
この件について語る時、皆さんは色んな話をごっちゃにして話されるんでこんがらがるんですけど、実際にはめちゃくちゃシンプルなハナシなんだと思ってます。順を追って説明していきますので、ちょっと長くなるかもしれないですけど、良かったら読んでいってください。よろしくお願いします。
結論で既に述べてますけど、僕は全然悪ではないと思っています。まず、彼の本質が善人か悪人かで言うと、確実に善人側の人間なんですよ。これはハッキリと言っておきたいですし、異論もほぼないと思ってます。
彼が騙されやすそうな言動や思考をnote上に残していたり、彼のとっている行動が毎回あまりもに微妙なんで皆さん色々と批判めいたアドバイスをしてらっしゃるんだと思うんですけど、彼自身は今のところサロンメンバーの外部には明確な金銭的被害を与えてないんですね。
本岡さん以外にも西野サロンのメンバーで炎上した方がいて、仮にS藤さんとするんですけど、このS藤さんはサロンの外部の人に「サロン内でしか通用しない信用」を売りつけようとしたのが一番マズかったと思っています。それに比べて本岡さんはチケット購入当初はサロンメンバー以外にも売ろうとしていたみたいですけど、実際は売ってないですよね。この差はすごく大きいと思っていまして、僕は本岡さんの「サロン外部の人間に金銭被害を与えてない」って状態はすごくいいと思います。
ただ、彼のワキが甘いのは確かです。2020年の9月11日に失業保険の認定に行って来たとnoteに書いてるんですけど、2020年の9月7日から土木作業員として働いています。つまり彼は、違法行為をして受け取った失業保険でプペルのチケットと台本を買ってるんですね。誰か葛飾区のハロワにチクっといて下さい。
(※一応、就業中でも失業保険は受け取れます。ただ、その場合は認定日に就労日申請をする必要があり、本岡さんの場合は自己都合で退職したと書かれていますので、2020年5月末から約3か月の給付停止期間を挟むと最速でも9月7日の土木作業員として勤務開始日に被ってしまいます。そうなるとチケット購入したという24万円以上の給付はかなり無理があります。再就職手当を加味したとしても同様)
他にも2020年11月29日にノートルダム大阪ONEで開催された、今年26歳になるお姉さんの結婚披露宴にノーマスクで出席したり、その様子をモザイク等無しでそのままnoteにあげてしまったりと、何かと思慮が足りてないのは事実あると思うんですよ。
その辺を差し引いたとしても、少なくても本件において彼は悪いことはしていないです。失業保険の不正受給はダメですが。
ここなんですけどね、やっぱり否寄りの評価が多くなると思います。それが今回の炎上をかなりややこしくしている原因かなと僕自身は思っているんですけど、今回は僕は「本岡さんをガチャで引きたい救うか救わないか」という軸で増田を書いてるんで、一旦本岡さんからは切り離してます。
ただ、僕が「本岡さんは救わなくていい」って思ったのも彼が西野サロンに所属しているからなんで、そこは説明させてもらいたいと思います。
まず西野サロンそのものについてなんですけども、これはもう僕が何か言うよりも、既に様々な人によって喧々諤々と議論されたエントリとかがたくさんあるんで、それを色々と見てもらったほうがいいと思います。僕はあんまりこの言葉を使いたくないんですけど、宗教団体と色々と構造が似てます。
その上でなんですけど、西野サロンで活動している本岡さんは、ものすごく楽しそうなんですね。少なくともnoteの上では。
これで本岡さんが「自身の享楽の為にサロン内外の他人に多大な金銭的負担を強いている」とかだと非常にマズいなって思うんですけど、今のところは全然そんなことないです。
確かに西野サロン外にいる我々からすると、本岡さんの言動や行動って理解に苦しむものが多いんですけど、それで即座に「西野サロンは悪の組織!滅ぼすべき!」となるのはちょっと違うんじゃないかなと思います。本人も楽しそうですし。
過去の様々な歴史に学べば、「外部に実害を及ぼすまでは彼我の距離を適切に保っておく」ぐらいしかないと思っています。
これはもう、ぼったくりですね。ちょっと言い過ぎかもしれないですけど、少なくとも本岡さんの言う「原価で購入した」はあり得ないですし、まぁ適正価格ではないです。ただ、当の本岡さん本人はこの値付けに納得してまして、少なくともnoteではそう宣言しています。
一応説明しますと、西野サロン内でプペルの映画前売り券と台本がセットで売ってたんですよ。それでサロンメンバーは利益を上乗せして転売しても良い事になってました。そのセットを本岡さんが80セットで23万6千円程で買ったのが「適正価格」なのか?という事です。だいたい1セットで3,000円ぐらいですね。
映画の前売り券は皆さんご存知の通り、大抵1,500円(税込)で買えます。台本は「ブルーノ」っていう公式のオンラインストアがあるんですけど、そこで西野さんのサイン入りで1,480円(税込)で買えます。
つまり、本岡さんじゃなくても、サロンメンバーじゃなくても、税込2,980円で我々も普通に買えたんですね。今は映画が上映中なので前売り券は買えませんが、メルカリ等に掃いて捨てるほど出品されていますので、今は実質3,000円以下…いやもっと安く買えます。なのでこれはもう全然適正な値付けとは言えないですね。
ちなみに、今現在本岡さんの自宅に積まれているであろう80冊の台本には、西野さんのサインは1冊も入ってないです。
整理すると、本岡さんは悪事を働いておらず、西野サロンも一概に悪いとは言えないけど、チケット台本の値段はちょっと高いよね、となります。ただ、金銭的にマイナスを出したのは現状では本岡さんのみで、当の本人が購入したことを肯定的に捉えている為、僕は本岡さんを「救われている」と判断しました。なので本岡さんはもう救う必要はないです。
概ね以上なんですが、まずはここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。最後に少しだけ、僕がこの増田を書いた理由とかを述べたいと思います。
「本岡さんは救いたくない」って書きましたけど、「じゃあお前は誰を救いたいねん」ってなるじゃないですか。この増田は、「救う」とまではいかないかも知れないですけど、「オンラインサロンの外にいる人」とか、「オンラインサロン内にいるけど、今あんまり楽しくないと思っている人」に向けて書いてます。
ぶっちゃけて言うと、今まさに溺れようとしている本岡さんの状態を客観的に書く事で、本岡さん以外の「西野サロンって楽しそう」と思っている方、もしくは「西野サロンに入ったけど、なんか楽しくないな…」と思っている方等に届けばいいな、と思っているます。サロン的なものを全否定するわけではないですが、サロンというのは誰でも無条件に楽しくやれる場所ではないです。一度立ち止まり、自分に合っているのかどうかをゆっくり考えてみてもらえたら嬉しいな、と思っています。その時に僕の書いた文章が少しでも助けになれば幸甚です。
なんだか偉そうに言ってますけど、結局は本岡さんを批判して周囲に注意を促す、いつものやり口です。この方法を好ましく思わない方も大勢いらっしゃるのは承知していますが、現状の僕にはこのやり方しか思いつきません。許して下さい。
本岡さんもそうなんですけど、オンラインサロンで活動してる人って単純に楽しそうじゃないですか。しかも西野亮廣っていう有名人がやってる集まりに月々980円で参加できるって、パッと見めちゃくちゃ魅力的だと思うんですよね。
でも、オンラインサロンで本格的にガッツリ活動して行こうと思うと、ある程度の金銭が必要になってくるんですよ。これは割とどのオンラインサロンでもそうなんですけど、西野サロンの場合はそれがかなり顕著で、かつ動く金額が大きくなりがちです。これはごく少数の例外を除いて発生します。例外になるのは、西野さん本人とその周辺の著名人や、「絵が描ける」等の何らかの才能がある方とかです。それ以外の人…言い方は悪いかも知れませんが本岡さんのような方は、ガッツリと活動したければかなりの支出を覚悟する必要があります。(実際に24万円払っています。)
ここからが肝要なんですが、そのお金をどうやって補填するのかによって、色々と大事なものを失ってしまう可能性があります。
非難されやすいのは、「オンラインサロン外の人間から補填する」事です。先述のS藤さんはまさにこのパターンでしたし、初期の本岡さんもこの計画だったと思われます。これは本当に駄目です。人生の上で大事なものをたくさん失います。サロン内の人間が勝手に散財して勝手に破産するのはどうでもいいのですが、サロンの外の人間に「サロン内でしか通用しない価値」を売りつけるのはまさしく詐欺そのものです。やめて下さい。
我々はプペルの映画が観たければ2,000円払って映画館で観ます。観た上で西野さんのファンになれば、西野サロンに入るかもしれません。そういう流れになればみんなハッピーだと思うのですが、本岡さんやS藤さんといったサロンメンバーの方は何故かそういう流れに持っていきません。「3,000円で仕入れて3,500円で売ろう」とか、「150万円でトラックを札幌に呼ぼう」とか、我々からすると理解のできない方向に行きます。
それで理由を聞くと、「プペルは本当に素晴らしいから、皆に知ってほしい」「西野サロンは本当に素晴らしいから、皆に知ってほしい」と返ってきます。
これ、本当に心からそう思っているならコンテンツ自体の良さを語ってほしいんですけど、なんで誰もそれをやってくれないんですかね?何故プペルの原作が無料で公開されているサイトを教えてくれないんですか?何故西野サロンに入れば毎日西野さんの長文記事が読めるとかの情報を教えてくれないのですか?
そういったコンテンツ自体の良さを何も喧伝しないのに、トラックに150万円は出せないです。チケットに3,000円は出せないんですよ。「いやこれは3,000円分以上の価値があるから」じゃないんですよ。先にコンテンツありきじゃないですか。そこを飛び越えてくるから、互いに分かり合えないんです。
「えんとつ町のプペル」というコンテンツは素晴らしい!皆に教えてあげたい!…そう思うならですね、まず一番初めにやってほしいのは一緒に映画館に行く事なんですよ。で、観た上で興味が出てきたのなら、台本なりサロンなりを勧めればいいじゃないですか。なんでそれを飛び越えて、「まず台本」「まずトラック」なんですか?なんでまず「映画を観る代金」以上のものを要求してくるんですか?穿った見方をすると、プペルというコンテンツ自体にはそこまでの魅力がないのかな?と思ってしまいます。プペルがあまり面白くないから、ほかの手段でカネを巻き上げてやろうと思っていませんか?
私は「サロンや映画えんとつ町のプペル」が好きですし、作品と関係ないところで評判が落ちてしまうのはとても悲しいです。
って書いてますよね。ハッキリ言っておきますが、いま作品の評判を落としているのは本岡さん自身です。今回の炎上で「プペルって面白そうだな」って思う人はいないです。まさに、作品と関係ないところで評判を地の底まで落としているんですよ。その自覚がありますか?
本岡さんが西野さんやサロンを大事に思うなら、今やるべきなのは、「僕は前向きにとらえています!」と宣言する事じゃないんですよ。評判の落ちたプペルというコンテンツの良さを世間に知らしめる事なんですよ。なんでそういう方向にいかないんですか?今のままだと、本岡さんのせいで映画に行かない人が増えている状態ですよ。そんな状態を放置していていいんですか?
また、本岡さんは約24万円のチケット代金を全額自分で被っていますよね。ここだけはかろうじてマシです。他人に迷惑かけてないんで。…ただ、これも最終的には詰むんですよ。持続性がないからです。本岡さんが大富豪なら別なんですが、そうではないようなので、ずっとこの状態を維持することはできないんですよね。
今起こっている事象の大半は、「24万円払った」という行動からはじまっています。善きにせよ悪しきにせよ、今まで経験したことのないものを味わえたと思います。一応、本岡さん自身は今回の件を「とてもプラスな経験」とおっしゃっています。
でも、それで終わりなんですよね。次に似たような経験をしたかったら、本岡さんはまた24万円を払わないといけないんですね。もし24万円で慣れてしまったら、もう50万円とか100万円とか払うしかないんですよね。覚せい剤と一緒です。ずっとそのお金を払い続けることができるならいいですけど、大抵の人はそれができません。だからいずれ、自分以外の他人…サロン外の人にお金を払ってもらおうとしますし、それができないとどんどん追い詰められていきます。覚せい剤と一緒です(2回目)。
この状態の本岡さんを擁護する人は、「信用経済的に、本岡さんは24万円分の信用を買った。だから問題ない」とか言うんですよ。でもそれは80枚のチケットを他人に売りつける事に成功した人だけですよ。本岡さんは1枚も売れてないです。そんな人は信用できないです。
僕から見れば本岡さんは「プペルというコンテンツを周囲に売ろうとしたけど一切売る事ができなかった人」にしか見えないです。信用経済で言ったら、マイナス勘定でしかないですよ。サロンメンバーもなぜか本岡さんを擁護するんですが、これがよくわからないです。プペルって素晴らしいコンテンツなんですよね?そんな素晴らしいコンテンツの良さを周囲に伝えられなかった人を何故評価するんですか?先程も言いましたけど、むしろプペルのコンテンツの評価って本岡さんのせいで下がってますよ。プペルが大好きなら、大好きなものの価値を下げまくった人を擁護するって、おかしくないですか?
友人の彼女と二人で飲みにいって酷い別れ方をして以降、自分と彼女は全く接触する機会はなかった
スマホを足で踏みつけながら尻を振るなどという暴挙に出てしまった以上自分から連絡は取れないし、当然彼女から連絡をしてくるわけもない
もう彼女と会うこともないのかと思っていたのだが、友人の結婚披露宴の当日朝、いきなり彼女から電話がかかってきた
「私も今回のこと吹っ切るためには見届けなきゃと思ってたんだけど、二人が新郎新婦として並んでるの見たら私何言っちゃうか分からない
昨日一晩考えてこんなくだらないことに時間使うよりもっと建設的なことをしようって決めたの だから今日は行かない
なので私の分のご祝儀も払っておいてくれないかな ご祝儀袋は増田のと一緒で連名でいいからさ 増田は3万円包むんでしょ それと同額で」
「分かった 立て替えとくよ」
「何言ってんの 増田が踏んだせいで私のiphoneの液晶割れちゃったんだよ ご祝儀と修理代で相殺してもらうから」
「1万円ちょいだったけど残りは私に対する慰謝料よ 私が泣いてるのに尻振ってバカにした分のお詫び」
「…本当にごめん、ごめんなさい」
「いいよ、私を元気づけようとしてわざと怒らせるようなことしたんでしょ 相変わらず増田は努力の方向が間違ってるけどまあそれは許すわ じゃあお願いね」
ご祝儀用の新札は1万円3枚しか用意していない 財布の中を見ると比較的綺麗な1万円札が2枚あったので私はそのうちの1枚を選び手で皺を伸ばした
披露宴には大学時代の友人が何人か招かれていたので、お互いの近況を報告しあった 皆忙しいながらも仕事は順調なようだった
「そういえばいつも行ってた大学そばのラーメン屋あるじゃん あそこって今月末で閉店するって知ってた?」
友人の1人がさり気なくいったその台詞が私は凄く気になった そこは私が毎日のように通い、何回かピンチヒッターで皿洗いのバイトをしたこともある店だ
ごくごく普通の美味くも不味くもないラーメンと滅茶苦茶に美味しい炒飯、安くて量が多いこともありいつも学生で一杯だった
月末まではもう日がない、今日を逃すともう店に行くチャンスは恐らくないだろう
幸いなことに新婦が妊娠中ということもありオフィシャルな二次会は無かったので、友人たちからの折角だからもう少し飲むかという誘いも断った
どうしてもあのラーメン屋に行っておきたい、私はそう思い急いで駅までの道を歩いた
電車を乗り継ぎラーメン屋に到着したのは17時過ぎ、店内には客は誰もいなかった
「あれどうしたの増田君、そんな恰好で?」 大学を卒業してもう何年も経つのに店主は自分のことをしっかりと覚えてくれていた
「今月末で閉店するって聞いて」そう聞くと店主は事情を話してくれた
昔は安くて量が多いということで学生客が多く来てくれていたが、近所に家系ラーメンが出店してきたこともありここ1年で客は激減 ついには閉店の運びとなったらしい
「そういえば増田君、うちに来てたバイトの井上君って覚えてる?」
井上さんは自分の4つ上、バンドをやりながらこの店でもバイトを続け4留して8年目に中退した人だ 俺のギターで一発当ててやるといつも言っていたのを覚えている
「覚えてますよ なんか毎月髪の色変えてましたよね」と言うと「見てよこれ」と店主はラーメン情報誌を差し出してきた
そこには頭にバンダナを巻き、腕組みをした井上さんがうつっていた 「え、井上さんラーメン屋やってるんですか」
「最近はオメガインスパイア系ってのが流行りなんでしょ 彼の店もそれで大人気らしくてね いついっても大行列らしいよ うちとは大違いだ」
店主は寂しそうにそういうと、注文も聞かずに昔のようにラーメン炒飯セットを出してくれた
学生時代可も不可もない味だったラーメンは昔の味のままで、凄く美味しかった炒飯はべたべたとしてあまり美味しくはなかった
「任務完了 祝儀は3万+1万で4万円にしておきました “もう関係はお四まい““って意味合いでの4万です 2万円浮いたからこのお金で今度飲みにいかない?」
隣のテーブルに座った1人の男(既婚)から、披露宴も半ばのタイミングで唐突に言われた。
まじか、と思った。
2次会ならまだしも、披露宴だぜ?
俺は学生時代当時も、適齢期を過ぎ気味な今もモテないんで、つるんでた一部から彼女作れよ結婚いつするんだよって
煽りはたまのネタになってて、うるせーな(モテてないんだから)分かれよ、で切って捨ててて、
その場限りのクローズドな雑談だからあまり気にしてなかったんだけど、
流石に人様の結婚披露宴という場で、周りに聞こえる声で言われたのが堪えた。
どう返せばいいんだろう、って思考が止まってしまったんだよね。
内心としては恥かかされたんで、かなり頭にきてたんだけど、
ここでキレたら友達の結婚式で怒りだす非礼な奴なのは俺だよな?
なんて言い返せばいいの?なんて言えば口を塞げる?
結局5秒ぐらいフリーズした後に次の催し事が始まって、なあなあになってしまった。
それがすごく悔しかった。
彼女いないとか結婚できないとかじゃなくて、「童貞」って言葉を使われたことなんだよね。
自分から言ったりしてなかったけど、相当コンプレックスあったから。
じゃあ風俗でも行けば、って言われるだろうけど
知らん女とセックスすることに救いがあると思ってないし
彼女出来ないのは非童貞になろうがそのままだからあんまり意味があると思ってない。
要は一人の異性も振り向かせられない、魅力が劣った人間というのは風俗では解決できない。
もう一つ、その場には女の後輩が複数人居て、もうその結婚式以降は本当に会わない間柄だったから
「(増田先輩ってこの歳でまだ童貞なんだ)」って強めに刷り込まれてしまったのが辛い。
言わなくてもうっすらそうだろうと後輩から思われるのは気にしてもしょうがないけど、
目の前ではっきりと貶められたらもうズタズタだよ。しかも俺が黙りこくっちゃったもんな。
ストレートに「今は止めろよ」だけでよかったかもしれないけど、
なんとかして相手の売り言葉に、騒ぎを起こさない範囲で買い言葉で応戦しようとしてた自分も悪かった。
結局時間切れだ。
二次会だったら喧騒も多いし、静かにキレればやり返せたかもしれない。
そう思ってるけど、いざそんな感じだったらその時はその時で黙っちゃうのかな。情けない。悔しい。
友達の結婚式は呼ばれたら祝いたいけど、そいつには会いたくない。
とにかく腹立たしく惨めだ。
1年以上経つけどかなり深く刺さってしまった一件だ。
若ハゲ、低年収、とかそいつの自尊心を傷つける言葉で応戦してしまえばよかったのかなあ。みっともなくても。
[追記]
なんか行動してないのが悪いみたいなレスポンチが始まってるけど、