はてなキーワード: 表題とは
表題の通りだ。
私は定期的に突飛なことがしたくなる。
ゲームをぶっ通しで10時間やったり、(倒れた)風呂で長時間耐久一人カラオケをしたり、(意識を失いかけた)酷いときにはODまでした。(病院に運ばれた)
ここで特記して起きたいのは、別にゲームが特別好きなわけでも、カラオケの達人になりたいわけでも、恒常的にODをするメンヘラという訳でもないことだ。
ただただ定期的に強い刺激がほしくなり、思い付いたことを衝動的に試してしまう。
あり得ないことをやったらどうなるのかという好奇心に負けるのだ。
思い返せば学生時代も、別に普通にやればやれるはずなのにわざとギリギリにテスト範囲を暗記してスリルを味わうような奴だった。
あらゆる事に対し切羽詰まればつまるほど興奮を覚えた。
汚い話になるが切羽詰まった状況というシチュエーションを想像するだけでヌけた。
落ちたら浪人確定の入試で、早く教室に行って爆睡していたら自分は開始時刻に起きられるのかどうかどうしても試したくなってしまい実行したこともあった。(起きられたし受かった)
小学生の頃は校舎のベランダの外側を歩き親が学校に呼ばれたこともある。
幸いその衝動性は仕事で発動せず、勿論のことだが突飛な行動をして困ったことはないしやってはいけないことだとちゃんと分かっている。プライベートだけだ。
だが、いつかとんでもないことをやりそうで怖い。突飛なことをしたくなりそれを押さえきれなくなる現象は皆さんもたびたび普通に起こることなのだろうか??
表題の通り
自分は女
今まで頑張って、頑張って頑張って年収を伸ばしてきたけど所詮は会社員、時間の切り売りだし今から成果で報酬が得られるキャリアチェンジなんて気力もない
多分半分位になる
あー理不尽!何も悪いことしてないのに!
と思う反面、時間で雇われているのに働いてない分の給料出されるのは、それはそれでおかしいと思う
じゃあ行政が全部負担すべきかと言うと、そうでもないと思うし現代日本でそんな事は絶対にできないので考えるだけ無駄だと思う
じゃあ誰が払うべきなんだろうか
そもそも払われるべきなんだろうか
子供を産み育てる事は金のかかる趣味みたいなもの、という考え方は私はあまり好きではない
だけど今の状況考えると、私は収入減と大きな支出を払ってでも子育てをする選択をした
貧乏ながら大学卒業して奨学金返して死に物狂いで男社会で頑張ってきたけど前みたいな働き方はできないので
私の年収は今後そんなに上がる事はないだろうな
誰にもぶつけられない切なさを
増田に記録してみました
はてな界隈において、たまに話題に上がる「転勤したくないのに辞令が来た」「転勤したくないから辞める」の問題について考えてみた。
転勤とは、東京や大阪などの大都市に勤めているエリート社員達を、人材に乏しい地方支社に「応援」として送り込むことだと思う。
大都市に勤めているエリート社員達にとってはたまったものではないかもしれない。
しかし地方支社からすれば大都市の優秀な人材を受け入れることになる「恩恵」なんだよね。
地方支社を活性化するためには、人事制度を使って大都市の人材を無理矢理にでも地方支社に送り込まなければならない。
「地方分権は重要政策である」「地方分権はすぐにやるべきだ」と言っているはてな界隈の人たちに聞いてみたいことがある。
本気で地方分権を進めるということは、大都市に住んでいる都市住民を(半ば)無理矢理にでも強制的に移住させる必要がある。
去年2020年に、東京に本社機能を置いていたパソナグループという会社が兵庫県の淡路島に本社を移転させるというニュースが話題になった。
これこそまさに地方分権の正しい在り方なんだろうけど、はてな界隈の人たちは歓迎していなかったように思えた。
表題通りです。
2階の自室にいるときに母の声に呼ばれた気がして慌てて下に降りて「呼んだ?」と聞くと呼ばれてない時がある。でも、気づかないでいると、あるいは気のせいだと思っていると2回目には怒号が飛んでくるから怖くて無視出来ない。
母は声が大きかった。そして常に苛立っていた。
私はただ母が怖かった。
近づくと「来ないで!」と怒られるのでなるべく近づかないよう、話しかけないよう息を潜めて生きた。それでも、子供だから限界もあった。私は毎日母にはしゃぐたびに怒られていた。
いっぱいいっぱいだったのだと思う。子供を育てるのは大変だってネット上でいくらでも見る。
子供は自分勝手で親の気持ちなど知らず利己的で理性が無くて甘ったれで騒々しい。親はそれに苛立つのなんか当たり前なのだと教わった。1日も早く「人間に成れ」と言われていた。
またそれを補完するためなのかネット上の育児ブログなんかもよく読まされた。ブログの中でも概ねそのような内容だった。どの母親も子供の未熟さに悩んでいた。生きているだけで迷惑をかける生き物なのだと思った。
虐待の記録を目の前で読み上げられ「あんたはほんと幸せね」と言われた。
本当は私も虐待を受けていたのだと気づいたのは大人になってからだった。
私は小学校の頃、母に「子供を堕していいか?」と相談された。「お金がないの。この子を産むことも出来るけど、そしたらあなた達にかかるお金がなくなっちゃう。それでも○○は兄弟が欲しい?」
私はそう問われ、何日も体調が悪かった姿や、すでに金銭的な悩みを日常的に相談してくる母のことを思い出して「兄弟はいらない」と答えた。
婦人科まで私も一緒に行った。
母は妹が先に産まれていれば私など産まなかったという。
祖母にお金を借りるのに、母が行きづらくて私が行ったこともあった。
母は金銭的な悩みでよく私の前でだけ泣いていた。慰める言葉の出ない私は黙って「そう…」と言うしかない。
子が近づくことを許さない母に名前を呼ばれる時は、大体悪い出来事の前兆だった。
幼少期から不眠症と夢遊病、また自傷癖があった。口の中は常に血が滲んでいて頭はマダラに禿げていた。
何度も体調不良を訴えては病院で「気持ちの問題ですね」と言われて、いつしか病院に連れて行ってもらえる機会は減った。
メンタルクリニックは「頭がおかしい人みたいだからやめてよ」と言われて行けなかった。成人するまで、保険証は母が携帯していた。
成人してから親に内緒で病院に行きまくった。3ヶ月連続で採血された。
くつろいでいて、隣人の声が聞こえると「呼ばれた」と思って焦って飛び起きるがそもそも母はここにはいない。実家を出る時も見送りも何もなかったし、興味もなかったから、私が住んでいる場所も知らないはずなのに。
過去のことを思い出す時間が増え、不眠症が悪化し、メンタルクリニックで入眠剤をもらおうと思った。
常に思い出す過去のことを一通り聞いたあと、カウンセリングの心理士は言った
「その家庭で育って、よくもっと大きな病気にならないでいてくれましたね」
私の家、おかしかったのか……と思った。
過去を振り返ると、母を、父を助けてくれる人は周りに誰も居なかった。両親も様々な虐待を受けていて、でも子供が産まれてしまったから祖父母に頼らざるを得ない環境だった。
今でも私は「私の家がこうだったのは仕方なかった」と思う。そう思うしかなかった。心の壊れた父や泣き叫ぶ母を見てもっと頑張れなんて子供の身分では言えないししっかりしてくれよとも言えない。
ただ怯えて隅で固まっていただけの役立たずだった私がいまさら言える不満なんてない。
何も言えないまま、助けにもならないまま、大人になって逃げ出した。
ネットで毒親や、被虐待児の相談を見て、回答で言われる「自分の人生を生きて」「子供を産んで優しくしてあげて。自分がして欲しかったことをしてあげれば癒しになる」「子供を産めば親の気持ちもわかる」
そして失敗した両親を私はよく知っているのだ。
色々調べて、家族は要らないなと思った。子供も欲しくない。親の気持ちを理解する努力を20年間ずっと続けてきたから、もうわかっている。
私に出来るのはせめて両親を祖父母にしないこと、もう苦しませないこと、この血筋を終わらせることだけだ。
もう何代前からこの血は虐待を受けているのだろう。親戚の話を思い出しても、虐待、虐待、虐待。戦後の世代から養子を受け入れ兄弟をたくさんもうけても、一人しか結婚しない。親戚には初老にまでなった独身者が異常に多かった。
呪われているんじゃないかとすら思う。
さて、私は血を残さず死ぬまでの自分の人生を歩み始めた結果、このようにいきなりつまづいてしまい薬の世話になっている訳だが、なんとか頑張って生き抜きたいとは思っている。
だが、どうしても、一人で部屋にいると「もうどこにも帰れないのか」「私には頼れる、愛してくれる人は誰もいないのだ」と思ってしまい眠れなくなっていく。
寂しさに負けたら同じ歴史が繰り返されるとわかっているのにただ寂しい。
それだけがまだ辛い。
会社の知名度高くなかったのに上手くいってる企業アカウントって
担当社員がすっかり名物化している事が多い気がしている(個人的な体感)
最後の日には本人やファンから沢山のお別れのメッセージに溢れていたりする。
(勿論この手の馴れ合いにはデメリットもあるし、淡々と情報発信する企業アカウントにはまた別の良さはある。)
表題についてだけど、担当者変更によってリプライやRTやいいねに
新しくやってきた二代目中の人も
そういうのを見てるとなんかソワソワして「ああ…」って目を覆いたくなる。
自分はSNSの企業アカウントは実用性の有無で選んでフォローしてるけど
眺めてるだけで「人間味が好きでフォローしてたタイプ」の人々が離れていく感じが手に取るように分かって
なんかつらい。
なんだか自分が友人・恋人に飽きられた瞬間を悟ったみたいな気持ちになる。
見てるだけなのに。
前任SNSがショボかった場合を除いて、二代目でもう一度成功した例ってあるんだろうか。
間も無く3月も終わり異動で新たな二代目達が登場すると思うとなんか憂鬱になった。
多分「じゃあフォロー解除すれば」とか飛んでくるんだろうけどそんな事は分かっている。二代目大変だなって言う話。
特に詳しくもないやつがそういうミーム?ネタだけ拾って真に受けてキャッキャはしゃぐのってなんか嫌だ
つっても俺自身もMSにもdiscordにも詳しくないただの一般ユーザーなわけだが
こんなことを思ったのは、今勤めている会社について、インターネットで色々としたり顔でコメントされているのを見るのだが、
内部から見ると「全然ちげ~よ、お前誰なんだよ」って思うことが多いから。
MSくらいのでっけ~会社ならもっともっと複雑に内部は動いているはずで、我々一般ユーザーがドヤ顔で指摘できることなんてないのだ。
もちろん表題の発言してるやつ全員がマジで言ってるわけじゃなく、ネタで言ってる人もいるでしょうね(予防線)
とにかく、都合良く単純化したストーリーにとらわれて無知のままそれを発信するのって、あんま好きじゃないです。
ムチムチのママは好きです。
頭の中で、脳内で再生される音楽が鳴り止まないという現象があります。
あれと似た感覚なんだけれど、同じ言葉が事あるごとに繰り返し出てくるという現象が私には起こります。
調べれば名前が出てくる症状なのかもしれません。
突然、何の脈略もなく「合戦だなこれは」というような言葉浮かんで、そしてそれで終わります。
別にそのことを考えていたわけではないので何も語ることがないので文章を構成することが出来ません。
こういった言葉は単語であることが多く、また繰り返し同じ言葉が同じ時期に出現する傾向にあります。
しかし、私は別にマイナスイオンに対して造詣が深いわけでもないですし、
語りたいこともないですし、
うちにはマイナスイオンを発生するといわれる家電製品もありません。
しかし、何かを語ってほしそうではあるのです。
それでも私にはマイナスイオンを語るべき内容はないので申し訳ないけど書けない。
これで許して欲しい。
みんなコメントありがとう、全部読んでる。グサッと来るコメントあって考えさせられる。
amunk 奇跡的にできた彼女だから合わないのわかってるけど突き放せられないんだろ。彼女がいる自分がイメージできたんだから振って次の人探しなよ。ダメなら土下座して復縁を頼んだらいい。やれるだけの事をして後悔したら
kurusiii やめたほうがいいよ。彼女がかわいそう。
そうなんだよな。彼女かわいそうなんだよ。傷ついてんだよな。
一緒にいる時たのしい感じなってるけど、家に来る頻度減ったし。
結婚しても「こいつ頭がー」とかめちゃくちゃ失礼だし、不快だよな。逆の立場ならっちゃ不快だし、辛い。
セックスの回数が少ないて意見が多い。少ないんだな。オナ禁する。
そうだよな、死にたくなるね。自分勝手で。
俺じゃない方が幸せになるんだろうとめちゃくちゃ思っている。彼女ならどんな人でも幸せに結婚できると思う、
可能であれば、実際にそう言う結婚をした人いたら意見が聞きたい。また、似たエントリー知ってたら教えてほしい。
追記おわり
ーー
結婚してどうだった?
彼女とは結婚の事とか話題に上がってないけど、ちょっと圧を感じることもある。
個人的に育ってきた環境が違ったり、セックスの考え方が違い、結婚を躊躇している。
◆スペック
父方母方共に地底以上の大卒ばっか。
大卒は彼女のみ。父親は中卒、日雇い。母親は開業ネイリスト。家族は〜中堅高校出。なんか日常の話をしても、話が通じない事がたまにある。
◆情報
*彼女の人格と関係ない彼女実家を値踏みしている。自分の性格がクソみたいに悪いのは自覚している。が、匿名日記なので誰にも相談できない話をする。
マジで悩む。話をしてて、お互いの家庭でのギャップがチラホラある。彼女の父親は休みになればパチンコに行く。歯が1本もない。聞くと父方のおじいさんおばあさんもそうだと言う。うちの爺さん婆さんは入れ歯なんてしてない。歯磨きずっとしてたから。彼女の家の方は本、活字を読まない。
日雇いとか中卒なのも疑問に思う。定時制行こうとか思わんかったの?とか聞きたいけど聞けない。ただ、話を聞いていて彼女の父親の尊敬できる部分もある。(自身が癌で治療中だったけど、認知症の母親に心配かけないように言わなかったとか)
自分が両親から受けてきた教養は授けたいと思うが大丈夫なのか。こう言う格差婚?をして苦労した話とか、割り切った考え方の話を知りたい。
◆セックスについて
毎週したいと言われるがこちらは2ヶ月に一編とかでいいと思ってる
彼女が元セックスワーカーだったのではと疑念を抱くシーンが合り
*彼女像は
よく2chとかで上がるイラスト「砂利にレジャーシート敷いておにぎり弁当?と水筒のお茶持ってくる彼女像」のシャイでふくよか版。分かるかな。
そもそも個々人のレベルでは,他者の人権を害しない範囲内で優性思想「的」な行動をとることは自由だ。
あなたもあなたが優れていると考える人間を相手に繁殖したらいい。
2. 私権の制限などの人権侵害(極端な場合には断種など)が行われる
場合で,これに付随して
個人的には,3.は増田で述べるくらいなら個人の自由だとは思うが,こういう人間が増えると1.や2.につながるのでやはり釘は刺しておきたい。
さて,現代人なら2.の点で優性思想が実際に良しとされることはまずないだろうことはまずないという考えは共有出来ていると思う。
ただ,何らかの形で2.がクリアできるのであれば,1.の選別はよいのでは? という思考実験だと受け取った。
これについて対する1つの答えが表題で,もちろんあなたが表題の育成方針に賛同するのは勝手だが,多くの人にとってこれはクソゲー以外の何物でもない。
任天堂がこんなこと言いだしたら,まあえらく荒れるだろう。
優性思想とは,「6V厳選していいよ」という思想ではなく,「6V厳選しろ」という思想なのだ。
ここであなたは,「いやいや,厨ポケというのはステータスだけで決まるものじゃないから,そもそもその例えがおかしい」と思うかもしれない。
であれば,ポケモンで,かつ強さに限定してさえステータスのみでは語れないのに,それより複雑な現実において何か正しい優性の指標が作成可能だとなぜ言えるのか。
はたまた,ポケモンでさえ強さにこだわらずにかわいいポケモンを育てる自由があり多くのユーザがそれを享受しているのに,現実ではそのような自由を手放したいと皆が考えると思えるのか。
よほどのことが無い限り、いわゆる自分の「上位互換」なんて掃いて捨てるほどいる。
もともと自分の「上位互換」として生まれた人がさらに努力をして成功するわけだから、「下位互換」の自分が努力しても絶対に勝てない。あほらしくて努力しようとかそういう気すら起きない。
そんな自分のような「誰かの下位互換」が生まれて来る必要はないんじゃないか、という考えが自分の中にずっと根付いている。
そもそもこの考えが「優生思想」といえるのかが少々怪しいのだが。
「天は3物以上を与えるのが普通」という言葉を聞いたことがある。さもないと「上位互換」なんていう発想が生まれない。
最低限3を与えられた人間が10人いても、50を与えられた人が1人いれば後者が勝つだろう。
歌って踊れる顔のいい名門大学卒業のアイドルに対してダンプカーに轢かれたような見た目・音痴・虚弱体質・大学全落ち、そしておまけに前科持ちが束になってかかってもどうしようもない。
私が採用担当なら、体力があるが頭の悪い人と、体力があって頭のいい人で、他のスペックや雇用条件が全部同じなら迷わず後者を選ぶ。
ここまでは皆さんも理解してくれると思う。
だから、本当に多くを持って生まれた人さえいれば、その下位互換の存在価値なんてないはずである。
いなくても世の中は回る。
ここまでくると「ん?」ってなる人が多いかもしれない。少なくともこれまで出会った人のほとんどはそんな反応をした。
ただ私は本気でそう思っているし、どこが間違っているのかすらわからない。
ここからは実際にこういった思想に対して私が言われたことと、私の考えを書いていく。
気持ちでどうにかなるんだったら絶対今の世の中もっとましになってる。
私の考えでは、秀でた能力をいくつも持つ人だけ存在していればいいという考えなので、ナチスドイツの「優生思想」とは少し違っている。
冒頭で自分の考えが「優生思想」なのか怪しいと述べたのはその点である。
→一理あるが、たとえば生まれたときから常に介助が必要な重度な障害者などはどう説明を付けようか。
生きていても価値を生産しないし、他人の手を一生借りる必要がある点で社会に与える利益はマイナスである。
強いてギリギリプラスになる要素はと言うならメディアのお涙頂戴ものに使われるのが関の山。
もし私がこの立場に立ったら殺してくれとさえ思っていると思う。
そもそも自分は生まれる必要がなかったと思っているので問題はナシ、というより上位互換がいることで苦しんでいるかわいそうな人が減るんだからいいんじゃないかな?
→それなら上位互換の人の人数を増やせばいい。上位互換の人どうしがいっぱい生殖をすればいいし、なんならクローンを増やしてもいい。
→ゲームやスポーツだったらずっと引き分けるかもしれない。が、そういったもの以外のほとんどの条件でメリットが大きい気がする。
ただ、均質化が起こった結果、全員コロナか何かで死んで絶滅しました、なんてことになったら取り返しがつかなくなるのでそういった点では反対する理由にはなると思う。今のところ唯一の納得できる解かもしれない。
ここまで長々と書いたが、共感してくれる人は自分で言うのもなんだがよほどのサイコパスだと思う。
しかし、よくよく考えて欲しい。
ポケモンでバトルに勝つためにいわゆる「6V」だけを「厳選」したことはないだろうか。
パワプロで選手を選ぶ際も、能力値のパラメータを見てチームメンバーを「厳選」して戦ってはいないだろうか。
発想としてはこれに似ていると思う。ただ、「ゲームだから」という理由で問題視されないかもしれない。
人は家畜や植物の品種改良を行い、味や病気の耐性がよい、従来型の「上位互換」を厳選している。
これはどうだろうか。「人じゃないから」本当にOKなのだろうか。
デリヘルに100万使ったり、50万ボッタクられたり色々ありましたが表題の額が貯まりました。
思い返せば人生で一番大きな出費はフラれて別れた彼女に復縁を試みて贈りつけたMacbook pro税込み27万でした。
原作を楽しむことは勿論なのだが、公式の情報供給量はやはり限界がある。
それで二次も漁り出したが、現代の二次創作物の数の多さ、クオリティの高さが半端ない(アクセスのしやすさも)。
私はリアルのオタ友がいないから、せめて増田でこの素晴らしさを叫びたいのだが、そもそも二次創作に表立って言及するのは大丈夫なのか聞きたい。
前提として、二次創作物はかなりグレーな存在で、公式が見て見ぬふりをしてくれてるからこそ出来る代物だ。
大昔に少し同人活動をしてたとき、インターネットでもそこそこ二次創作の絵や小説やらはアップされていたが、当時はわざわざネットでオタクコンテンツの情報なんか見る奴は限られてたし、こんなアングラでコソコソやる分にはいいよね、みたいな空気が流れてたと思う。
それが今じゃweb上で誰でも発信できて、誰でも無料で神二次作品を拝める代わりに、どんな変な奴に目をつけられ炎上させられてもおかしくない状況だ。
現代の二次創作者は、一般人の目に触れないようweb上での発信はかなり気をつけていて、固有名詞には検索避けの文字を入れたり、際どい描写の作品は専用サイトへアップしてパスワードをかけるなど、暗黙のルールが多数ある。
そこに余計な発言をして迷惑をかけたりしないだろうか?迷惑というか非常識になるのかな?
あかんか?
フェミニストが誤った発言をしたり、過度に暴力的な表現をした際に、他のフェミニストからの批判が殆どないため、頻繁に利用が見られる。
他のフェミニストからの批判がない理由は、「フェミニスト同士でやり合うより、もっと声を上げるべき問題がある」等、様々あるのだろうが、最大の理由は表題の通り「女同士は喧嘩したら関係が終わる」からだと個人的には思う。
仲直り、というシステムが女同士だと上手く働かないのだ。
仲直りが上手くできない理由として大きいのが、女性は小さな頃から友達と競うことが少ないからではないかと思っている(クソデカ主語で恐縮だが、一般的に見てそういう人が多いという話)。
男性は、スポーツやテレビゲーム等、スコアが付いて友達と競える遊びが好きな人が多い。
そして、小学生ぐらいの頃からずっとと競いながら遊び続けているので、勝つことも負けることも数多く経験する。
遊びとはいえ、勝敗は若干の精神的な軋轢を生み、時には衝突を起こす。ゲームで負けすぎて機嫌が悪くなっている男の子やスポーツで熱くなりすぎている男子学生は誰でも見たことがあるのではなかろうか。
歪み、壊れかけた友人とのつながりの修復が男性は多少慣れているのではないだろうか。
対して女性は、お絵かきやおままごと、少し大きくなったら買い物やカラオケなど、皆でできることが好きな傾向にあると思う。
何なら、女子中高生になると、集まって話してるだけで日が暮れたりする。
だから、女性のフォロワーが多いアカウントのツイートは伸びる。フォロワーの共感性が高いからだ。
ここで本筋に話を戻す。
つまり多くの女性は、関係性を壊さない能力は高いが、壊れそうな関係を修復する能力が低いのではないかと思う。
ここから、他のフェミニストを批判してしまうと、取り返しがつかなくなりそうで批判できないのではないか。
「一人一派」などと言わず、フェミニスト間の関係を取り持てたりする存在が発生すれば、自浄作用も発揮され、日本のフェミニズムはもっと良くなる気がするのだが...
表題通り.自分が子供だったら親がこんなことしてたら絶対嫌だな,気持ち悪いなと思うことを挙げてみた.
「私ってぇ,ちょっと特殊な環境で育ったんだよね(ドヤ」,「私はこんな経歴です(ドヤ」.こういう人には「へぇ〜特殊な経歴ですね」って首を縦に振ってれば勝手に気持ち良くなってくれる.正直あなたが思ってるほど特殊なキャリアじゃないですよ.
あなたのその経歴が悪いと言っているのではなく,「特殊な経歴を持ってる私」という浅はかな考えが透けて見えるから本当に気持ち悪いという話.
「会社が潰れる or 会社がブラック」,「フリーランス or 起業」という 2 段階の審査を経て初めてそのコミュニティに入ることが認められる.あと掛け算が得意.
キャリアチェンジをすることが悪いのでは決してない.こういう人たちが使う「文系」=「大学で何も勉強していない」であって大学で人文系の学問を学んでいる人たちに失礼.「無能からエンジニア」が正解.
文系エンジニアって名乗る人は本当に苦手.文系 / 理系(そもそもこのくくりもよくないが)関係なくエンジニアを名乗るなら「文系」を盾にするな.お前はもう技術者だろうが.元文系であることは全く後ろめたいことではない.潔く「エンジニア」を名乗れ.然もなくば,「無能でプログラミングが趣味の人」を名乗れ.
先に,「人事の方の中でも有能で素晴らしい方はたくさんいる」ということは断っておく.
繰り返すが,「人事の方の中でも有能で素晴らしい方はたくさんいる」ということは断っておく.
まずはじめに,私は人事という職業に一定の偏見を持っている.「なぜ専門性を持たない人間が採用の最前線に立てるの?」という考えである.これは私怨も多分に含まれる.
就活でやりとりをした人事の中で,有名企業の人を含め,知ったか,分かったフリをする人間がなんと多いことか.そういう人事は本当に嫌い.
例えば,人事が専門に関する質問をしてきてそれに答えても,分かったフリをしたような返事が返ってくることが多々ある.「要するに〇〇ってことですよね?」と人事が答え,苦笑いをしながら「そんな感じです」とこちらも答える.他人の話の要約がとても上手い.
専門家ほど分かったフリをしない.ちゃんと質問してくれるし,分からないことは分からないと主張する.ときには理解を示し発展性のある議論をしてくれる.
別に人事に議論をしろと言っているわけではなく「分からないことは分からない」とちゃんと答えて欲しい.それならこちらもそれ相応に対応するし,不信感も持たない.
こういうことがあったので,就活を通じて一つの疑問が生まれた.それは「専門性を持たない人間がその専門家の採用に関わるメリットは?」という疑問である.
私の経験の中では,役員面接等でこの質問をしたときに,明確な答えが返ってくる会社は人事の方の対応が良かった.企業の中での役割分担がちゃんとなされているのだろう.
逆に,腑に落ちない回答をされたら人事の対応も微妙,というのが割と再現性があった.
また,これに関わる話として自ずと浮かんでくるのが,「自分が採用に関わる分野(専門領域)の経験がある人事」と「その分野のことについて素人の人事」ならどちらが良いか?という疑問である.
答えは火を見るよりも明らかであるが,現実的な問題としては,後者が大半になってしまっている.では,なぜそのような状況になってしまっているのか.
自分の中の結論としては,「専門家にはそういったことに関わるのが面倒 or 興味がないと思う人の方が多い.専門家側が採用を行うことに対してリソースを割かない,そもそもそういうことをやってくれる専門家を集めるのが難しい.」である.
もしこの日記を見て思うことが有る方は是非コメントして欲しい.会社としてどのようにこの問題点を解決しているのか,多くの方の意見が欲しい.てかこれって日本だけの問題?海外の企業もさほど変わらないのかな?
現実的に難しい話であることは分かるが,これが解決できれば,よくわからん人事に弾かれてしまう,専門性を持った学生が不幸になることを避けることができる世の中になるだろう.
話が反れすぎてしまった.
一番恥ずかしい.「大企業から内定を得た俺」がかわいくてしょうがないらしい.お前はその「大企業」とやらに全く貢献していないのにその名前を使うな.こういう人の思想が本当に分からない.今自分が働いている会社を誇りに思えなくて後悔してるから特殊な経歴おじさんみたいになってしまうのかな.あなたは大企業とは全く無関係のベンチャーの社員です.それ以上でも以下でもありません.
遠回しに自分が優秀とか変人なのを伝えたいのか分からないが,あなたは無能で普通の人間です,以上.
ただし,ピーFNのような本当に優秀すぎる人の集まりもあるので注意.
前半は本当に親がやっていたら嫌だなと思うことを書いていたが,後半からは親とか関係なく自分が気持ち悪いなと思った人間を書いてしまっていた.
この日記の内容をまとめると「人間の承認欲求は側から見ると気持ちが悪い」である.
別に他人が何やろうと自由だけど,この SNS 社会でそう言う気持ち悪い人間を自分の視野から避けるのは非常に難しい.
不快だから俺の前に現れないでくれと思っても必ず現れてしまう.
一番有効なのは「SNS をやめて身近の人間と楽しく生活すること」であろうが,そんな分かりきったことを実行していればそもそもこんな日記は書かない.
私はインターネットが好きだし,SNS でわいわいやるのも好きだから止められない.そういう病気.
ここまで書いてきて,ネットにこのようなことをぶちまけるような行為が一番親にやってほしくないという皮肉.
お後が宜しいようで.
小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員、部落解放同盟広島県連顧問
解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である。自分の政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。
上のニュースの人は、かつて解放同盟の事務方のトップだった方だ。昭和7年に広島県東部の被差別部落に生まれ、中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。
私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。
私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族や地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。
それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。
私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。
さて、表題の意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。
言葉どおりの意味だ。特に、伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。
企業ごとの組織率は低下し、労働者の組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋や希望(半強制)退職の蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というものが事実上消滅していてもおかしくはない。
また、高校や大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校のルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子どもが大人のいいなりになっている。
近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせを公共の場で告発することをいうようだ。
日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。
LGBTの社会運動も、社会の価値観を変革しつつある分野のひとつだ。
大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から、同性愛者としてのカミングアウトや文学活動、デモ行進や芸能界での活躍、自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾(一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。
以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイやレズビアンの人達を描けなくなっているだけかもしれないが。
これらの成功している政治(社会)運動には、共通する点がある。
相手の痛いところを突いていることだ。
この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。
特に、組合関係の団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。
意図的に給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場を社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。
それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。
話が逸れた。
相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。
高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師が教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味)
その教師は、部落に住んでいる人間を馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落で生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。
どれだけ悲惨な生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。
家族で食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。
さて、その男の言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。
その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。
このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかわからない。しかし、協力をしたかった。
また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。
次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。
さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。
翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区の解放委員会の役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利を確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたからである。
その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったことから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。
この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。
今度は、少し規模の大きい話をしよう。
それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落の生活・文化的な環境を改善するという一連の政策が国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。
K君の事件をきっかけにして、私は解放委員会に正式に加入し、高校で社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。
ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係の補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。
寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。
当時、私が所属していた団体の幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。
発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。
彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育、人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。
とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式な相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話から始まり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。
後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。
数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。
あの時のK君のように、各市町の教育委員会の庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識をもつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。
庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕と拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。
場所は関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所の入り口だろうと、学校の門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所は関係なかった。
かつて、私たちは基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。
議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。
これまでと同じように、これまでと同じだけの金額を子ども達への教育活動、個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。
私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。
それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。
「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。
さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。
相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟が必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。
上記の場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内の支部巡りに最も時間を要した。
人が集まり、相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察に通報されることだ。特に、要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。
今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対に暴力行為や脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。
私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動やオルグの最中に通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。
それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治(社会)運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。
時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間に政治運動はできない。それだけのことだった。
ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。
県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。
逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。
最後になる。
相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーのデモを挙げたい。
アウンサン・スー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?
武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。
経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的な思想や制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。
アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。
民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義をアピールする。
が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年のデモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。
民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体に危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念場である。世界各国からの評価が低下することを気にかけず、民主派の指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサンの自然死を狙うメリットの方が大きい。
もし日本が、ミャンマーのように危険な状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?
その問題に直面していたのが、私が生まれた時代よりもさらに昔、明治以降の被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?
多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的な意味に限っては)被差別部落問題が解決した現在に至る。
あなたの人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。
40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。
先週ウマ娘って昔のギャルゲーみたいってここに書いたらプチバズってしまったが実は未課金で心苦しいという切り株告白
ガチャ内容的に言うとリセマラ無しで開始したが、ミッション報酬と後から追加の石配布と確定チケで
キャラはスぺ、マック、テイオー、オペラオー、サポはセイウンスカイ、たづなさんのSSR合計6枚
プレイ内容は育成完了人数29、グッドエンド到達(URAファイナル勝利)3
1日に育成を1~2回やる以外はチーム戦はミッション報酬分しかやらないしTPもRPも余りまくっている。
育成でついついレース見ちゃうとかシナリオのいいとこで1着取るとライブ見ちゃうとかノンビリやってるから、
キャラもまだ半分しか手をつけてない。昨日ようやくチーム戦15人が解放されたところ。
この調子で行くと今月中は手持ちの育成に明け暮れるだけで終わる。
しょうがないだろだってレース見てガッツポーズしてたら育成30分なんて無理だし、
ウイニングライブはどう考えても賞獲得の流れで見るのが最高に上がるし。
表題に戻るが、現時点の内容である程度満足してしまっており課金するタイミングが見つからない。
むしろ未課金でURA突破できそうなので逆にこのまま課金なし縛りでプレイしてもいいかなという誘惑が生じている始末。
ある程度まで慣れたら飛ばしプレイに移行すると思うが、そうなる前に満足して飽きてしまい課金せず終わるかもしれない。
有償での星3確定ガチャも未使用のまま。自由に選べる星3チケットも未使用で、これでスズカ取ったらチームスピカ揃ってしまう。
ミホノブルボンやシンボリルドルフなど幼少期に刷り込まれた名前は欲しいしライスシャワーも可愛いと思うが、ガチャ欲にまでは未だ至ってない。
これがFGOだと全然話が違う。FGOのゲーム戦闘に楽しめるゲーム性はない。だからガチャる。
FGOはガチャ回してスキルLV上げてLv100にして並べたらそこで終わる。実質的にガチャ部分が最大のゲーム性(ギャンブルの快楽)になる。
今年に入って正月ガチャ5万、バレンタインカレン3万突っ込んだ(こっちは爆死)
ガチャ以外やることがないFGOは、ガチャ回すのが目的でやってるのでガチャを回すしかないから回す。
結果、ガチャ回す以外にやることがないFGOに今年だけで8万を突っ込んでる増田は、
ウマ娘はたのしいなどと書いてプチバズりつつ未課金のままである。
これは流石に心苦しいので発売済みのうまぴょい伝説CDを片端からポチったが在庫確認中から返事が戻ってこない。
シンデレラグレイも電子書籍しかない。オッサンはマンガはまだまだ紙で入手したい。
ヨドバシはネットのウマ娘ムーブメントにちゃんと反応して在庫積んでください。お願いします。
3/9追記
この場合の『無敵の人』とは社会に対する憎悪を滾らせ、犯罪を起こすことに何ら躊躇いの無い人のことだ。
表題の通り、地位も名誉も金も無い無敵の人など物の数ではない。
そんな人間に出来るのは精々無差別的に1人や2人襲って殺す程度。
本当に恐ろしいのは、『地位も名誉も金もある無敵の人』だろう。
メンタルは社会を強く憎み、社会の崩壊の為には手段を選ばない、『無敵の人』そのものでありながらすべてを備えている。そんな人間が単純なやぶれかぶれの場当たり的な暴力ではなく、自らの地位・名誉・金を総動員してことに当たるのだ。社会にとってこの上ない脅威である。
こちらではその気のある人物を何人かマークしているが、確証がなく下手に告発しても有効打を与えることは難しいだろう。
何しろ奴等は狡猾で慎重だから尻尾などおいそれとは掴ませない。まして圧倒的な社会的強者なのだ。俺に出来ることは限られている。
今回少しでも社会にその認識を共有しようと、このエントリを書いた。
これを読んだ君。危機感を頭の隅に留めておいて欲しい。
じゃっ👋
表題の通りだ
中学生のころに、姉が隠し持っていた二次創作BLを見たのがきっかけで、その世界に興味を持った
世間の腐女子と同じく、社会人になり、自分でも描きたくなってサイトで描き始めた
時がたち、pixiv全盛になったので、サイトを閉じてpixivで描いたが、らくがきなども描きたかったので、twitter垢も作って作品を上げる。
それなりにフォロワーが増える。フォロバして相互も増える。リプする。
気が付けばフォロワーは4桁。
「カフェにいった、おしゃれな服を買った、推しの色のネイルをした。オフ会した。もくりした。月のものがつらい。旦那が、子供が」
同志と会話したかったので、TL上でわいわい話をするのは楽しい。
だが、あっちはこちらのことを女性と思っている。まあ当然だろう。
コロナ前はオンだけだった。アンソロや合同誌に誘われても断っていた。
コロナ前は、イベントで売らないのに本を出す、なんてありえない雰囲気だったこともあり、自分で本は出してみたかったがイベント会場に行けなかった。
コロナ禍で、イベントに行けないのが普通になり、周囲も通販オンリーで本を出していたのを見て、これなら、と数冊オフで本を出して、書店(通販)に置かせてもらった。
ずっと作りたかったオフだったので、気合を入れて厚い本を出した。
増田の初のオフということで、一部の人にはとても喜んでもらえて、二冊出したが完売した。
イベントに早くいけるようになればいいですね、増田さんの本をスペースで買いたいです
お会いしたいです
もくりしませんか
これらの気軽な話を振られるたびに気が重くなる
とくにもくり。コロナ禍前は「通話ではなく会う」というのがスタンダードだったため、会いたいと言われても「田舎に住んでいる」「仕事の休みがあわない」などの理由で断ることができた。しかしもくりは断りにくい。
もくりは簡単に言うと通話が出来るアプリだ。ルームを作ってそのメンバーでお話が出来る。
孤独に創作できるタイプならいいが、推しCP話で盛り上がりたいのだ。通話をすれば声でばれてしまう。
よってDMで会話するようになるが、最終的に「もくりしませんか」に行きついてしまう
壁打ち作家のような扱いをされていて、遠巻きにされているのがわかる。
男性だとばれれば、絶対に距離を置かれるだろう。自分が相手の立場だとしても、ちょっと怖いと思う。
少数派なので、仕方ないとは思うが、自分を「女性」と思ってDMをしてくる方たちをだましているようで申し訳なくなる。
同性の同じような作家がいないかと思うが、見つけたことがない。キモオタなので協力してもらえる女性の友達もいない。
男でなければなあ。
こんな趣味を持たなければなあ。
壁打ち平気な性格ならなあ。
だからって女になりたいわけでもないし、やっぱりBLが好きなのだ。
どうしようもない。
作品としては二次多めで、タぺとか抱き枕カバーなどグッズもそれなりに作ってます。
で、表題の件。
イベント以外ではグッズは委託販売してるんですが、転売とかいうおよそ人間のすることとは思えない害悪クソ行為が横行してるんですね。
売った分は売れるからそこまで痛くはないけど正直胸糞悪い。
というわけで、どうやったら転売ヤーを駆逐出来るか調べるため自ら転売屋の真似をしてみた。
流石に人様の作品を流す訳には行かないので、自分の作品である。もはや転売では無い。
出品したのは数年前にコミケで出して手元に1つ取っておいた、某育成シミュレーションゲームに出てくるとある娘の抱き枕カバー。
元値が9000円ぐらいなので、とりあえず開始価格はそれで、倍の18000円で即決にしてヤフオクに流してみた。
7日間の出品だったが、わりとすぐに入札が付いた。
手数料もろもろ取られて、転売だったら2300円ぐらいの儲け。
個別の受注だったらこのぐらい取っても良い気がするので、落札者からの文句は受け付けない。
元手は多少要るがこういうのを複数行った場合、ひと月暮らせるだけのお金は稼げそうな雰囲気がある。
すぐに売れないリスクもあるが、希少価値で盛ってるものなら売れるまで持っておいて損ではない。
・・・さて、少し転売稼業の甘い誘惑に屈しそうになったが、冷静になって落札者に購入理由をメッセージで聞いてみた。
要約すると、"売っていた時期はキャラクター自体知らなかったが、最近になってハマって、サンプルの画像をどこかで見てどうしても欲しくなった"、とのこと。
これがプレミアというやつだろうか。
販売時期とは違って現在はそこまで流行しているキャラクターでは無いので再販とかは考えていなかったが、そんなに欲しかったなら連絡してくれれば良かったのにと思わなくもない。
ていうか再販は一定数声が上がればやってるし、転売クソ野郎から高い金出して買うぐらいなら出来ればそっちから買って欲しい。
どうしても再販待てなかったり、そもそもやってなくても、多少割高になっていいなら個別で受注生産もできるっちゃできる。
とにかく欲しい旨を伝えてくれればどうにかなる可能性があるってことを1つ言っておきたい。
まあ全部妄想なんだけど。