はてなキーワード: 受け手とは
⚫︎『ルックバック』が漫画としてよく出来ていることはまったく否定しないが、反逆コメンテーターエンドウさんの作者が事件当日に上げた放火魔が地獄に落ちる漫画と本質的には同じだということには自覚的でいたほうがよい。
⚫︎放火魔の漫画は過去作の再掲だったが、まだ現場の鎮圧すら終わらない状況で思わせぶりなキャプションをつけて投稿されたものに事件風刺の意図がないとするのは無理筋である。『ルックバック』も同様に、あの日付けにあのストーリーを掲載した時点で議論の俎上から逃れる道はない。
⚫︎実在の事件を扱った作品は『ルックバック』だけではないとの反論が発表当時散見されたが、『ルックバック』の場合、作者と事件の距離感が特殊である。事件について作者が共感と感傷を寄せすぎている。おそらく第三者として事件を咀嚼せざるをえない無力を嘆く意図があるのではと推察する。
⚫︎主人公が戯画化された危険な精神病者を成敗する(妄想をする)というスカジャパ“チック”な核がエモやら創作賛歌やらで巧みにコーティングされているため、受け手によって論点がブレがちで、ややもすれば本職のクリエイターすら無批判に歓迎していたりする。技術的な面に重点を置いて語る者はこの限りではないが、例の事件への追悼だとして賞賛する者は氷水入りのバケツに頭を沈めた方がよい。
⚫︎特にクリエイター界隈では極めてセンシティブな素材を扱うのだから、作者もそれなりに慎重になっているのかと思えば「(アニメ化が)楽しみです」ときて、もう何も分からなくなった。「未消化なものを消化」できたら次は他人の手に作品を預けて更なるコンテンツ化を許すのか。事件関係者が未だ苦しむ中で何を「消化」したというのだ。
⚫︎いや、アニメ化された途端に強い当事者性を帯びる可能性があるのか。ほとんどの役職を一人で担う中で原作担当までするのは難しかろう。有りもののネームバリューを借りるのは仕方がないのか。
⚫︎作者は次作『さよなら絵梨』でキャラの口を借りて「受け手の心を揺さぶるならば作り手も傷つかなければフェアではない」といった主旨の主張をしているが、作り手も一緒に傷つくなら受け手を巻き込む無神経が赦されるわけではないのではないか。
⚫︎今一度強調するが、この話は『ルックバック』の作品としての質を懐疑するものではない。とても上手い漫画であることに疑いの余地はない。
「 女性はITなどの理系能力が得意な人より 感性と共感の能力を必要とする仕事を得意とする人が多い 」
言及記事主だけどこの部分だけは現代の教育界では明確に否定の方向に向かってるのよ。OECDがやってる国際学力調査TIMSSだと日本の男女は理系科目の成績差はあれど今の現状ほど女性が理系職につかないほど明確に成績差はないんだわ。で、昨今の理系職労働力不足の対応としていわゆる「リケジョ」の開拓に高等教育界は必至なわけだ。
https://gendai.media/articles/-/88240?page=3
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r01/zentai/html/honpen/b1_s00_02.html
まあ現代は経団連の会長が「夫婦別姓にして!」って要望するぐらい経営側は日本の優秀な中等教育の成果を活かして女性にも労働市場に出て欲しいけど、受け手の一般社会は元記事のようなコンサバな結婚観とか女性は理系が向いてないみたいな考え方がメインなんで上手くいってない印象かな?後ツリーにある「皆が稼げる職業にはつけない」はその通りだけどなぜそこに男女差がつくのかは「女性に働く気がない」だけで説明つくかな。そもそも一般社会が「女性は働かない」「みんなハムスター」って最初から仕事で評価する気がないわけで、そこから仕事の評価を得るのは大変よ。まあほとんどの一般的な能力の女性はハムスター化えらぶかもね。例外は「看護師」「介護士」みたいな伝統的に女性の職業として確立された分野か、わいのいるITみたいな新興産業完全実力主義な業界でコード一発書けば男女関係なく評価えれる業界に仕事する気ある女性は流れるだろうなあ。評価えるの楽だもん。私は「ハムスター」って思われてる上司に自分の業務成果アピールするのはIT以外では自信ないわw。まあこれは卵が先か鶏が先かみたいな話だけど一般的な能力の女性が「女も家族の将来に責任を持つ、女も稼いで家族を養う、自分の機嫌は自分でとる」はしばらく先かなと思った次第。一般的な男女とも望んでないのよ。
ガキの頃は邦画なんて過剰演出で泣かせようとするばかりだと馬鹿にしていたんだが
ああいう演出は受け手側が普段抑えている感情を掘り起こすことに意味があるということが最近分かるようになってきた。
歳を重ねると「できなかったこと・ならなかったこと」が澱のように沈澱してくる。
中でも悲しみにまつわるイベントは顕著で、俺たちの忙しい社会は配偶者や親子供が死のうがそれを長く悼むことを善しとしない。
ハリウッド映画が心の中の厨二とかキチゲを解放してくれるのと同じで、やたら泣かせようとする映画は自分らが日常の中に置き去りにしてきた気持ちを代弁して解放しているんだなぁと思いました。あーオッサンになった。
あまりに憂鬱な話題ばかりなので成功事例をいくつか。最近の作品はあまり観てないので、全体に古いのは許して。最近の作品・小説原作・海外版とかは誰かにお任せ!
初回試写を観た藤子Fに、声に自信のなかった大山のぶ代が恐る恐る感想を訊いたら「ドラえもんってああいう声だったんですねぇ」と褒められたエピソードは有名。
もとひら了と芝山努監督の力量もあり、後期に絶妙なキャラ弄りや捻りを加えたオリジナルエピソードを連発した丸尾みほの脚本も最高。のび太の担任教師にフォーカスを当てた回まであった。
現在放送中の第2作第2期(わさドラ)はキャラを原作に過剰に寄せた作画、特にキャラの表情が個人的にはあざとく見えるが、声も含め原作や大山ドラへのリスペクトを感じるので、これは好みの問題。
なお、1973年に日本テレビ(日テレ)で放送された第1作については、藤子F(当時は藤本弘名義)が厳しく苦言を呈している。
アニメ化に使われた原作は〝てんコミ〟版全3巻が底本。実際には全40話ほど描かれていたが、アニメ放映時代にそれらは発掘されておらず、版元の小学館も把握してなかった。学年誌掲載の漫画原稿は雑に扱われる傾向にある。
長寿番組になったが、殆どがアニメオリジナルエピソード。多くの脚本家が手掛けたが、メインで書いてたのは、TVアニメ版サザエさんでの暴走が有名な雪室俊一。2ちゃん等では〝スノールーム〟と渾名が付けられるほど。
しかしファンの不安は杞憂に終わる。藤子Fもお気に入りで毎週楽しみに観ていた、というファンの間では有名な逸話もある。
〈TVアニメ(劇場版は割愛)/1986-1988/フジテレビ〉
初期は、高橋留美子の原作を丁寧に補完することに徹した。中期以降は原作にあった際どいネタを、アニメの方が自粛したこともあったが高橋は納得の上で快諾。
地上波ゴールデンタイムのアニメで「オナペット」という単語が使われたのは本作が最初で最後だろう(空飛ぶ飛行機の音を被せて聴こえにくくしてたが)。
脚本は3人がシーズンごとに交代。特に中期以降を脚色した回を量産した伊藤和典と高屋敷英夫の手腕が見事。伊藤は有名なので割愛するが、高屋敷も実力派。作品を検索すれば納得する筈。
ドラマ化に際し、原作・久住昌之が出した唯一の条件「音楽を担当させてくれ、そしてJASRACには登録しない」をテレ東が守った。
五郎役が発表され、原作ファンは不安しかなかったが蓋を開けたら……後は皆さんご存じの通り。
〈実写TVドラマ/2019、実写TVドラマS2/2023/テレビ東京〉
〈実写劇場版/2023/東宝(制作スタッフはTVシリーズと同じ)〉
個人的には、ここ数年で最も実写化に成功したレアケースだと思う。最近の作品なので詳細は割愛。
──────────
【追記。長文失礼!】
仕事で生活リズム崩れ中、寝る前にフワッと書いたのが起きたら伸びててビビった。炎上というのは、これに付いたブコメのような「他者から集まる意見」ほぼ全てが憎悪ってことだよね。そりゃ怖いわ。
だけど便乗というより、原作レ◯プ・クラッシャーの類例がここぞとばかり過去の怨恨と共に山ほど噴出してるので、せめて評判が良かった作品を思い出し、澱んだ気分に支配されぬようにと思ったのよ。
何だお前のオナニーかよ。そうかもね。それならほとんどの増田もブコメもSNSもオナ。
オリジナルも二次創作もオマージュも、それこそ映像化の監督脚本や役者による改変や解釈さえオナ要素はある。某漫画家が『シン・仮面ライダー』を「予算が潤沢な同人誌」と評してたけど、的を射てると思う。
定義ガバガバ、数が少なすぎ!ってのは自覚してる。個々の説明書いてたら眠くなっちゃったのよw
俺が藤子Fの原作・アニメ共に一番好きな『エスパー魔美』も入ってないし。実写ドラマは微妙だったけど。
成功の定義は、送り手も受け手も人それぞれ。視聴率や興行収入・作画や役者の評価・原作ファンからしても良改変という判断……。だからタイトルを
【〜成功した(とされる)〜】
という曖昧な書き方にした。それでもなお主観からは逃れられない。ドキュメンタリーと同じ。しかも今回はパッと思い付いただけの範囲。年代表記だけは調べたけど、あとは記憶で書いた。
「ドラマ面白かった!→原作読んでみよう→あれ何か違う?でも面白いな」
というケースもあるかもしれない。
コメに色んな意見や作品が溢れてて勉強になる。前述「魔美」みたいに、それ入れるの忘れてた!何で思い出せなかったんだよ俺!ってのも多く出てる。
何にせよ、一からオリジナルを作った原作者ってのは本当に凄いと改めて思ったよ。
書きたいことはまだあるけど、長くなるので一旦〆る。コメくれた皆、ありがとうね。
【追記ここまで】
あのゲームはプレイヤーが「ポケモンのパクリだ、ギャハハ」と分かるレベルで似ていないと意味がないが、そのまんまだ法的に問題がある。なので開発側も「ポケモンのパクリ」である主張とは真っ向から戦わないといけない。そうでないと商売にならないので。
別に開発は「あれはオマージュであり、我々は文化の継承者である(キリッ」みたいな事を主張してもいいと思うんだけど(した方が色々有利だろう)、受け手側がそういう認識だとちょっと純朴すぎかなと思う。
著作権的に問題があるかどうかの当事者でない我々としては「ポケモンのパクリだギャハハ!」と楽しむか「あーはいはいいつものポケモンのパクリね」とスルーするかのどっちかが、あのゲームとの適切な距離感だと思う。
ファッションとか恋愛ハウツー系で「男性はオシャレでなくてもよいから清潔感が大事」とかって書かれているが、あれは何を意味しており、我々は具体的にどうしたらよいかについてまとめてみる。
私はこれを昔、文字通りに、毎日風呂に入れとか、ちゃんと洗濯した服を着ろということだと理解していたが、どうやら違うらしい。同じように勘違いしてる方も少なからず多いと思うが、認識を改めて欲しい。
清潔感があるとは、受け手の女性が清潔感を感じられるようにしろ、ということである。佐藤健とか高橋一生っぽい感じだと言い換えてもいいと思う。これはなかなかたいへんなことなのである。
まず、眉毛はきちんと整えなければいけない。肌も綺麗にする必要がある。服は何年か着古して型が崩れてたり色が落ちてたらダメだ。サイズ感があってて、シンプルでセンスのいいコーディネートが必要だ。髪型もちゃんとしろ。つまり、一言で言えばオシャレに気を配れということだ。
インスタに子供の写真とかハイスペ彼氏の写真を上げまくってる女子、サークル時代はパッとしないか
埋もれていた人なので、「満たされている」というよりかは「満たされてなかった」人が取り戻してる感じがあるな。それで今は満たしている最中なんだと思っている。
でも「受け手を喜ばせる情報」ではなくて「発信者である自分を喜ばせるための情報」を永遠に見続けるのはストレスなので、2ヵ月くらいたったらミュートにしている。
カッコいい彼氏ができた、子供ができた、そこで舞い上がって自慢するのはわかる。
こちらも近況がわかるし、素直に喜ばしいと思う。
でも舞い上がりの時期が終わって、興味が無くなっても、
いつまでも需要の無い同じ情報を発信してくるのはささやかな加害だ。
「あ、こいつマウントしたいんだな」と思ってしまう。「そういえばこいつパッとしなかったな」「愚痴ばっかりだな」「ガキの顔上げながらガキの愚痴言うの頭おかしくないか?」「なんで知らない男の笑顔見なきゃいけないんだ?ちょっと男の顔も呆れてるし」
負の感情が増えていく。
妬みや恨み、その果てには。「お前さ、俺の事馬鹿にしてるんだろ?言えよ!」
ってなってくる。そうなったらそっとミュートする。人間性を疑う場合はブロックしておく。
ストレスを貯めないのが人に優しくできるコツだ。
ジャンルや規模に関わらず「誰か」と「ファン」という構図が生まれた時、結局タイプも様々でどれだけ配慮したとしても許容できない人はいて文句言われるんだからどうにもならないよな
完璧なんかないよ
その人が嬉しいことを嬉しいと言って
ありがたいと思ったことにありがとうと言っただけでも受け手の思い通りでなければ勝手に失望されてしまうこともあるなら
何も言えなくなってしまいそうだ
新しい活動を発表したり
人生の新しい展開を迎えたり
今の活動をやめることになったり
全肯定する必要はないし物分かりの良い人である必要はないけれど
嫌だと思う気持ちを吐き出すのは悪いことではないけれど
こちらが知っているのはその人の一部であって
「誰か」と「ファン」のどちらが優位とかはないけれど
「ファン」の思い通りの範囲でしか生きてはいけないように扱われるなら
いろいろむずかしいね
簡単に説明すると、池田信夫が「れいわの支持者は境界知能」とれいわ新選組とその支持者を非難する文脈で境界知能という言葉を使ったことからそれに同調する人たちの間でも境界知能が他人を攻撃するための言葉として使われ始めてしまった。
ただ、それ以前の他の文脈でも堀江貴文や井川意高が同様に他人を攻撃する文脈で境界知能という言葉を使っており、池田信夫が最初なのではなく一部界隈では以前からあった用法なのかもしれない。
境界知能という言葉は知能指数が平均よりも大きく低いものの障害と認定されるほどは低くない人のことを指す言葉であり、困難を抱えながらも支援の目から零れ落ちてしまう人たちをすくい上げる目的意識から使われ出した言葉である。言うまでもなく他人を攻撃する目的で馬鹿のちょっとこじゃれた言い方のように使うのが適切な言葉ではない。適切でないというのは表現が弱いな。著しく不適切だ。
それで、この件に関しては自分はわりと大きめのショックを受けている。
元々インターネット空間というのはあまりお行儀のいい場所ではない。匿名だったらなおさらだ。
なので以前より酷い差別語が他人を攻撃する言葉としてカジュアルに使われてきた、というのは事実としてある。「ガイジ」とか「池沼」とかね。
ただ、自分はそういうのを見ても直球の差別意識を感じてぎょっとするということはほぼなかった。
というのも、それらは匿名の場所での露悪文化というのが大きく、あえて差別的で口汚いスラングを好んでいるだけと感じられることが多いからだ。だから構わないと主張する気は一切ないけれど、直球の差別意識が感じられるか、それとも単に露悪的に差別的な言葉を使っているだけと感じられるかは受け手としてはだいぶ違う。
今回の境界知能の件が自分としてはかなりショックなのは、実名でアイコンも自身の顔という、匿名性が全くないアカウントから始まっているところが大きい。
要するに、匿名露悪文化発祥ではなく、普通に日の当たる場所で「境界知能」を馬鹿の言い換えのように使って、それで許容されるだろうという意識。これはだいぶキツイ。
というか、匿名露悪文化の中でも境界知能に該当する「ギリ健」というスラングがあるけれど、扱いとしては「俺たぶんギリ健だわ」「この板の平均」「てかギリ健が一番しんどいよな」みたいな感じのことも多く、悪口としての用法はマイナー寄りなので、今「あいつらは境界知能」みたいなことを言ってる連中は匿名の奴らよりも酷い。
推敲したうえでこれなんだよ。数学って問題によってはベクトルで解くとか複素数で解くとか複数の解き方があることあるけど、これを文章の書き方に当てはめた場合それ以上わかりやすいもう一つ以上の解き方(書き方)が浮かばない感じかな。
「受け取り手の立場に立つのが難しいからではないか」と書いてあるのがあったが、そもそも受け手の立場を想像するといっても別人の人格をインストールするようなことはできないだろ。
あくまで「自分が受け手になったときこの文章はわかりやすいか」という角度で、いわば客観的といっても疑似的な意味でしか推敲することってできないわけだ(そばに人いるなら別だがね)。
そして自分が受け手になったときを考えても自分の文章は普通に読めてしまう。何日とか寝かせて見直すと文章の粗がわかってくるとかいうがそれもダメ。普通に読みやすく読めてしまう。
というかさっき但し書きで他人がいるならとか書いたが、他人の推敲が逆に読みづらく感じるまである。普通の人にとってはその方が読みやすくなってるはずなんだろうが、俺にはよみにくい。
私の所属している事業部では1年と半年以上在宅勤務を行ってきた。
所謂SIerをやっている会社なんだが、うちの事業部は受託ではなく業務システムを開発、販売しており、50人ほどのメンバーがいる。
当時の部長がめちゃくちゃ優秀な人で、在宅勤務への転換にあわせてすぐに社内のコミュニケーションをメールからSlackにしたり、社内外のMTGをすべてZOOMで行うようにしたりと、情シスの人と一緒に色々ルールとツールを整備してくれた。kintoneも入れてくれて、社内申請や案件情報共有などいろんなことがオンラインでできるようになった。
その結果、出勤から在宅勤務に切り替えても売上は右肩爆上がり。
通勤の疲れがなく一日の可処分時間が増えて、ほとんどのメンバーが在宅勤務に関してとてもポジティブに感じていた。
「たまには出勤してもいいけど、在宅でも業務に支障がないからコロナが明けても基本は在宅勤務がいいよねー」
「家でご飯食べれるの最高。もう在宅勤務以外考えられない」
「議事録とか依頼がちゃんとテキスト化されるようになってむしろ生産性あがったよね」
みたいなことをみんなで常々話していたし、私もこのままずっと在宅勤務(出勤するとしても週1、2とか)が続くと思っていた。
が、この10月、会社の組織体制の変更があり先述の部長が異動になった。
他事業部から新しい部長がやってきたのだが、この新部長がかなりやばい人だった。
まだ1ヶ月半しか関わっていないが、具体的にやばい点をあげると
slack上で報連相を行うと、返信せずに電話(ガチの電話。たまにslackコール)してくる。
社内に情報を共有しないといけないため、電話の受け手が通話内容をslackに書き込む必要がある。
「新部長が自分で書き込んでください」とお願いしたが「入力が面倒くさい」「テキストでうまく日本語を伝えるのは苦手だから電話したほうが早い」「そもそも情報は受け手が整理すべきもの。お客さんとMTGした時にお客さんに議事録書いてって言わないでしょ?」と断られた。
新部長が「業務フローに無駄があるので工数削減したい」というのでエンジニアがヒアリングしたところポエムを語られた。
「具体的にどこに無駄があると思ってるんですか?」と質問したら、「俺はエンジニアじゃないんだからそういう具体的なことは考えられないんだよ!察しろよ!」と逆ギレされた。
あらゆるものを、ワードかパワポかPDFにしないと確認してもらえない。
数値計画とか、案件の進捗状況とか、kintoneを開けばすぐに確認できるデータも、グラフにしてパワポに貼り付けて整理した資料をつくらないと見てくれない。
kintoneの使い方を説明し、次回からkintoneを見てもらうようにお願いしたところ、「俺は君の上司なんだよ。上司がすぐに判断できるように体裁を整えるのが部下の仕事じゃないの?なんで君が楽しようとしてるの?」「そういうのデジハラって言うらしいよ?今の御時世だと一発アウトだからやめといたほうがいいよ」とたしなめられた。
という感じ。
前の部長が整備してくれたことがむちゃくちゃにされ、メンバーと
と相談しながら、どうしたものかと思っていたら、先日、新部長から
「1月から在宅勤務を終了・禁止し、週5で出勤をすることをルールとする。」
という発表があった。
誰も動かないし声出さないからネット回線重くてZOOMの画面固まったのかと思った。
メンバーの1人が「1月からというタイミングと、在宅勤務がダメな理由はなんですか?」と震え声で質問をしたところ、
「オンラインでは情報共有がしづらいからオフィスですぐに顔を突き合わせて話せるようにしたい。」
というのが理由とのこと。
いや。
いやいや。
いやいやいやいや。
私の所属している事業部では1年と半年以上在宅勤務を行ってきた。
所謂SIerをやっている会社なんだが、うちの事業部は受託ではなく業務システムを開発、販売しており、50人ほどのメンバーがいる。
当時の部長がめちゃくちゃ優秀な人で、在宅勤務への転換にあわせてすぐに社内のコミュニケーションをメールからSlackにしたり、社内外のMTGをすべてZOOMで行うようにしたりと、情シスの人と一緒に色々ルールとツールを整備してくれた。kintoneも入れてくれて、社内申請や案件情報共有などいろんなことがオンラインでできるようになった。
その結果、出勤から在宅勤務に切り替えても売上は右肩爆上がり。
通勤の疲れがなく一日の可処分時間が増えて、ほとんどのメンバーが在宅勤務に関してとてもポジティブに感じていた。
「たまには出勤してもいいけど、在宅でも業務に支障がないからコロナが明けても基本は在宅勤務がいいよねー」
「家でご飯食べれるの最高。もう在宅勤務以外考えられない」
「議事録とか依頼がちゃんとテキスト化されるようになってむしろ生産性あがったよね」
みたいなことをみんなで常々話していたし、私もこのままずっと在宅勤務(出勤するとしても週1、2とか)が続くと思っていた。
が、この10月、会社の組織体制の変更があり先述の部長が異動になった。
他事業部から新しい部長がやってきたのだが、この新部長がかなりやばい人だった。
まだ1ヶ月半しか関わっていないが、具体的にやばい点をあげると
slack上で報連相を行うと、返信せずに電話(ガチの電話。たまにslackコール)してくる。
社内に情報を共有しないといけないため、電話の受け手が通話内容をslackに書き込む必要がある。
「新部長が自分で書き込んでください」とお願いしたが「入力が面倒くさい」「テキストでうまく日本語を伝えるのは苦手だから電話したほうが早い」「そもそも情報は受け手が整理すべきもの。お客さんとMTGした時にお客さんに議事録書いてって言わないでしょ?」と断られた。
新部長が「業務フローに無駄があるので工数削減したい」というのでエンジニアがヒアリングしたところポエムを語られた。
「具体的にどこに無駄があると思ってるんですか?」と質問したら、「俺はエンジニアじゃないんだからそういう具体的なことは考えられないんだよ!察しろよ!」と逆ギレされた。
あらゆるものを、ワードかパワポかPDFにしないと確認してもらえない。
数値計画とか、案件の進捗状況とか、kintoneを開けばすぐに確認できるデータも、グラフにしてパワポに貼り付けて整理した資料をつくらないと見てくれない。
kintoneの使い方を説明し、次回からkintoneを見てもらうようにお願いしたところ、「俺は君の上司なんだよ。上司がすぐに判断できるように体裁を整えるのが部下の仕事じゃないの?なんで君が楽しようとしてるの?」「そういうのデジハラって言うらしいよ?今の御時世だと一発アウトだからやめといたほうがいいよ」とたしなめられた。
という感じ。
前の部長が整備してくれたことがむちゃくちゃにされ、メンバーと
と相談しながら、どうしたものかと思っていたら、先日、新部長から
「1月から在宅勤務を終了・禁止し、週5で出勤をすることをルールとする。」
という発表があった。
誰も動かないし声出さないからネット回線重くてZOOMの画面固まったのかと思った。
メンバーの1人が「1月からというタイミングと、在宅勤務がダメな理由はなんですか?」と震え声で質問をしたところ、
「オンラインでは情報共有がしづらいからオフィスですぐに顔を突き合わせて話せるようにしたい。」
というのが理由とのこと。
いや。
いやいや。
いやいやいやいや。
ではここで、ワイが昔書いた日記を本邦初公開するやで
客のいる売り場で怒号を飛ばしたり、無断欠勤を繰り返したり、人を選り好みし無視や陰口を繰り返したり、
人の過去の恥を嬉々として話したり、文章で知識を共有する取り組みを今更恥として非難したり、他人が意にそぐわないとすぐ不機嫌をあらわにしたり、
主語の欠けた曖昧な説明を投げておきながら受け手の理解度不足や要領の悪さとでも言いたげな態度をとったり、
というのは、この私が2年半この職場で働いて実際に見聞きした有様である。
改めて列挙してみると、ほんとうに以前の職場やそこで関わった同業他社の方々とは異なるというか、根本的にマインドが低いと言わざるを得ない。
私とてそこまで意識高い系のつもりではなかったが、この職場のあなた方が、心底軽蔑せざるを得ないほど人間を雑に扱い、
内輪に引きこもり外界を拒絶し、部族の慣習に従わない人間を排撃する、底辺を地で行き一切の自省なく、
走性のみで挙動を成している昆虫がごとき生き方を晒して何の疑問も恥も抱かない人々であるがゆえに、
私程度の人間ですら相対的に意識高い系にカテゴライズされてしまうのである。
残念ながら、所詮はこれが手に職をつけること能わずな人々が集まる肉体労働年収200万円台の世界である、ということか。
私が生ゴミなら、あなた方は何なのか?信念も自己客観性も哲学も何も持ち合わせていないあなた方が得ているのは自由ではなく無秩序であり、