はてなキーワード: トップとは
各二次創作者の問題だからな。だから、たまに警告を受けてやめてるコンテンツはある。
二次創作ガイドライン儲けた上でコミケを認めてるところは生き残るよ。
ニコニコ動画もアニメや映画のMADを消しまくったら、公式が認めたり、黙認を決めたボカロ、東方、アイマスが栄えて御三家となった。
そういうタイプの私立は高い金といってもだいたい中高一貫ではないし、受験勉強のためにお金を使うというわけでもなさそうだから
都市部の超進学校のための費用よりは格差が小さいようなイメージもある。逆に公立トップ校受験のためにそれなりに塾代を費やす層は多いわけで。
それに地方で頭が相当悪いことが既にわかっている人の一部は、地域によってははじめからそもそも偏差値の低い公立高を受験したりもするし。
きみみたいな雑魚オタクのお気持ちなんて何の足しにもならんのよ
赤松先生は山田某がかき集めた50万のオタク票をそっくりそのまま頂いてトップ当選するよ
心強いことじゃないか
消去されることもあります。ご了承ください。
書く構想を練れば良かったと思っているし、
冗談はここで半分にして
今日は応援している赤坂ドリブンズの村上淳プロに対する愛を伝えたい。
ドリブンズチーム内で今一番辛い思いをしているのではないかと個人的には考えている。
しかし、得てしてファンであっても伝えたいことがあり文章になるときは、
配慮が足りずに、なにかに対してネガティブになるということが避けられないこともある。
前置きが長すぎた。
素人の文章なんだ、6分以上の内容の濃いインタビューのようにではなく、
読む時間を短くできるように書いていきたい。
これを読んでいただいている方のほとんどは、
https://mj-news.net/mjpro/20210517158409
バラエティーでも登場することがある。
https://www.youtube.com/watch?v=izYdOatTec4
かなり辛い思いをしてきたのが伺えるし、ちょっと不器用なのかなと
人気があるというと
https://anond.hatelabo.jp/20211216105035
「大切に思っている人が大切に思っているものを大切に思う」
こんなこと言えるのカッコイイなと思った...
愛って技術だなと思って「愛するということ」という本が思い浮かんで
読み返したいと思った。
「あらゆるタイプの愛の根底にあるもっとも基本的な愛は、兄弟愛である。
私のいう兄弟愛とは、あらゆる他人にたいする責任、配慮、尊敬、理解(知)のことであり
ツイッターにおいては、ごく稀に誰もがチームや選手への愛が強すぎて荒ぶってしまう。
それが私でないときは「ちょっとまて!」と思いながらも、自分も冷静になれと心を鎮め、
そんな不器用な表現でも、心から愛してくれているファンであれば
「大切に思っている人が大切に思っているものを大切に思う」
ファンの応援で今期初トップのインタビューで泣いてしまうぐらいの村上淳プロをみると
まさにこれか。たぶんこれだ。これなんじゃないかな。と文章を書きたくなった今日なのである。
このくらいにしておきたい。
でも最後に言いたい。
こういうのとかさあ。もう白々しくてしょうがないんですよ。
あの人に関してはもうずっと、何か発言するや反政権の人らがワーッと群がって貶すという流れが常で、
「中立」「非党派的」どころか、思い切り非難・敵視・憎悪しちゃってましたよね?
無党派の人ならともかく、お前とか元増田とか、アンチ自民党を自称してるようなヤカラが、ここまでの経緯を知らないわけないでしょうが。
嘘つくなよと。
あんたらに比べりゃ、この記事のブクマのトップ※なんか、もうホントわかりやすいですよ。
やっぱりな…という感想しかないわ。ここ最近ずっと党派性の強い発言してたから、近々担がれるんじゃね? という予感はあった。こういう伏線しっかり回収してくるの、ある意味マンガ家らしいよ(褒めてない)。
これこそが正直な感想ってモンでしょう。
今更驚きや失望なんかなくて、ただ「答え合わせが済んだ」という程度の感覚でしかない。
まあ、山田太郎一人だけでもハラワタ煮えくり返るぐらいムカつくのに、似たようなのがまた出てきて2倍キレそうな、そういうお気持ちは本当によくわかるんですけどね。
だからって「超党派のロビイストを失った!」とか、すっとぼけるのもマジで大概にしません?
そもそも、左派の皆様にしてみりゃ「中立(んなこと全然思ってねえくせにな)」や「超党派のロビー活動」からして、全く面白くなかったに決まってるんです。
「表現の自由」みたいな自由や権利はてめえの縄張りや専売特許だと思っていて、ああやって自分らの頭越しにあれこれお願いされたら立場がないから。
それだけでも十分すぎるほどイラついてるのに、しまいにゃ「表現の自由」というネタ自体、よりにもよって自民にかっさらわれちゃった。
それが腹立つという感情は大いに理解できますし、怒るあまりにネタごと盛大に放り投げる共産党ムーブも大いに結構(選挙前に馬脚顕してくれたあたり、彼らはまだ誠実だと思います)。
でもそこで見え透いたウソつくのやめませんか?
てか最近「アンチ自民党のオタク」の皆さんって、本当に立場ヤバいですよね。あのヨとかいう人らなんか。
「表現規制をやってるのは自民党ダー!」とか壊れたレコードみたいに繰り返してないで、左派こそ「真の反規制候補」を出してくりゃいいだけでしょうに。
まあ、頼みの党はだいたいフェミとお友達で、そんなアピールしようものなら身内の活動家が黙っちゃいないでしょうからね。
いっそ共産党や党派性全振りのはてサ連中を見習って、右派に食われた「表現の自由」なんかもう潔く捨ててかかればいいだけなのに、
オタクという自意識だけはいっちょまえだからそれすらもできない。
いやあ無様。
GP | フェルスタッペン | ハミルトン | 点差 | 累計 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
バーレーンGP | 18 | 25 | -7 | -7 | |
エミリア・ロマーニャGP | 25 | 19 | 6 | -1 | |
ポルトガルGP | 18 | 25 | -7 | -8 | |
スペインGP | 19 | 25 | -6 | -14 | |
モナコGP | 25 | 7 | 18 | 4 | |
アゼルバイジャンGP | 0 | 0 | 0 | 4 | タイヤバーストによりフェルスタッペンリタイア |
フランスGP | 26 | 18 | 8 | 12 | |
シュタイアーマルクGP | 25 | 19 | 6 | 18 | |
オーストリアGP | 26 | 12 | 14 | 32 | |
イギリスGP | 3 | 27 | -24 | 8 | スプリント予選開催 ハミルトンとの接触によりフェルスタッペンリタイア |
ハンガリーGP | 2 | 18 | -16 | -8 | ボッタスボウリング |
ベルギーGP | 12.5 | 7.5 | 5 | -3 | 豪雨により予選順位のままハーフポイント |
オランダGP | 25 | 19 | 6 | 3 | |
イタリアGP | 2 | 0 | 2 | 5 | スプリント予選開催 ダブルクラッシュにより両者リタイア |
ロシアGP | 18 | 25 | -7 | -2 | |
トルコGP | 18 | 10 | 8 | 6 | |
アメリカGP | 25 | 19 | 6 | 12 | |
メキシコGP | 25 | 18 | 7 | 19 | |
ブラジルGP | 20 | 25 | -5 | 14 | スプリント予選開催 |
カタールGP | 19 | 25 | -6 | 8 | |
サウジアラビアGP | 18 | 26 | -8 | 0 | 同点だが優勝回数でフェルスタッペンがトップ |
アブダビGP | 26 | 18 | 8 | 8 | |
最終結果 | 395.5 | 387.5 | 8 | 8 | フェルスタッペン初WC |
1位と2位が同点で最終戦になるのは47年ぶりのことらしい
クリエイティブな仕事をする人はアウトプットを大量に出すことが大事だけれど
優れたUIを作る人は普段からいろんなUIに触れて使い倒している
創作の基本は模倣から、というのと同じでとにかくインプットを増やさないとアウトプットは出ない
インプットの無いアウトプットは駄作か同じものばかりになるか、途中で飽きて何も出てこなくなる
逆にインプットばかりが多くてアウトプットしないとどんどん肥えていく
評論家という形のアウトプットに落ち着いてクリエイティブなことはできなくなるか
模倣やくだらないもののアウトプットをたまに出すだけになってしまう
便秘気味でたまに固いのを出すか水洗では処理しきれない量を出して困らせる状態と同じだ
このあたりはクリエイティブな業界では概ねコモンセンスとして受け入れられてきていたが
最近思うのはこれは人生においてもあてはまるのではないか、ということだ
学生時代にインプットとアウトプットを繰り返してとにかく社会に早く出ようとするような人達がいる
いわゆる意識高い系と呼ばれている彼らだが
彼らは学生時代や社会人になって数年ほどはそれなりに活躍するものの
その後に伸び悩むことが非常に多い
少量のインプットに対して少量のアウトプットを繰り返し、細々と先端領域に住み着いているように見受けられる
先端領域だから食べられるご飯も少なく、少し食べたらすぐにウンコしてるような胃が小さい人種に育ちがちだ
一方で30台後半ぐらいからメキメキと活躍をするような中年層のクリエイターは
学生時代や社会人の初期に多くの経験という名のインプットを行い
アウトプットはそこそこで腹にため込みながら
この頃になると逆にインプットを減らし、アウトプットを増やすことでモリモリとアウトプットをし続ける
アウトプットされたものはすぐには流されないのでしばらく滞留することになるが
ITパスポート持ってなくてもエンジニアとして働けるから安心したらいいよ
いわゆる憧れ産業っていう職業についている人だけど安易に「なれば?って勧めるのは」本当にやめた方が良いと思う。
やめたほうが良い理由
例えばゲーム会社で言えば普通に大手だと足切り……は一見ないけど履歴書が色眼鏡で見られなくなるという有利な点がある。
追加して食っていけなくなったときのセーフティネットとして学歴はあったほうが良い。フリーター無職出身で他業種の人を雇うより、高学歴無職の方が全然採りたい。
なので、それを目指すというよりは普通に勉強して、ついでに専門の事やったほうがいい。できる人はついででもできちゃうし、専門のことはその仕事についた方が身につく。
個人でやれるレベルには限界があるから、レベルが低いことが多い。
専門的に勉強してるはずの学生の制作物とか話にならんものが多いのと一緒。
Youtuberだとしても、例えば東大出身で映像会社出身のやつと、ニートのどっちが目が出る確率が高いかって話。
・結局勝っているやつは頭のいいヤツ
学歴も同様だけど、ゲームを作っている時に”できる”って思うやつは大体普通に頭がいい。
求められる頭の良さを説明するなら、物事を構造化・抽象化して捉える能力、それを具体化して説明できる能力、物事を逆算で考えられる論理的思考力、抜け漏れがないかをチェックできる俯瞰的な思考能力。
これらは何で養われるかというと、学校の数学だったり、社会だったりする。そういった授業でいかにそれを行なってきたかによって能力値が変わる。
例えばみんなが知っているような歴史で言えば、三国志でなぜ蜀は漢に成り得なかったのかを考えた時、劉備の人格のせいなのか、実際の市井の状況のせいなのか、それを補完する経済政策なのか、地政学が原因なのか、本当に天下三分の計で呉を攻めなかったら蜀が勝っていたのかということを考えるか考えないかで能力値が違う。
ゲームをプレイするときにも、これはどういう戦略で、どこが弱くて、何に強いのか、だからメタを張る時にどう動けば勝てるのか、とかを考えるか考えないかで違う。
大体頭がいいやつは歴史だけでなく一つ一つの物事に対してこういうことを考えていて、だから教養もあるし、能力値も高い。
で、そうした時に自分の子供がそうなれるような土台や教育、教養を得られる環境、受け継がれるであろう自分の考え方を持っているか持っていないかだと思う。
持っていた上で、自分の子供がそれを満たすと踏めるならやればいい。
そうでないならやめる方がいい。
じゃないと勝てないんスわ。
憧れ産業、上を見たらキリないんですわ。
そしてそういうやつも失敗している。
だから何も持たない人が、何も考えずにツッコんだら死ぬんですわ。
まぐれ当たりで一発当てるなら運が良ければイケるかもしれない。
でも、こういうモノづくりの産業ではトップを取り続けないと干されるし、そのためには強固な理論と、そしてそれを柔軟に取り回せる知恵が必要。
で、トップの話をしたんだけど、そもそも安定して食っていきたいならトップ取るつもりで勉強とか理論構築とかしてないと普通に取り残されて死ぬ。
勝てないけど勉強し続けないと食っていけない。
普通に50近くで新卒と同じような給料で食ってるようなおっさんとか見るんだわ。
もしくはライン工みたいに延々年下部下の下でアセット素材作ってるようなおばちゃんとかいるんだわ。
その人達、普通にゲームづくりの勉強、デザインの勉強はしてるんだわ。
もちろん、運だとか印象だとか経歴だとか見た目だとか人当たりだとかいろんな変数があるから一概には言えないけど、これらは学があれば(正確に言えば自分から勉強して困難を乗り越えた経験があれば)乗り越えられるんですわ。
だから、俺がそういう憧れ産業に付きたいっていう奴に言うことがあるとしたら、とにかく「学校の勉強をいっぱいしろ」ってことです。
その上で目指しているなら「なれば?」が正解だと思う。そういうやつはやっても反対されね―から。もしくは反対されても勝手にやっちゃうから。
なので反対されてクダ巻いてるだけの時点ですでに負けなんです。
ちなみに学校の勉強に関しても経験上指標があってお伝えしておくと、少なくとも大学偏差値65ラインは担保しておいたほうが良いと思います。
もし、あなたが反対されて上記の偏差値をどうやっても満たせない場合には、死ぬほど手を動かして実績を作って、モノで相手を納得させたほうが良いです。
お子さんの場合には、最小環境を与えて(漫画なら紙と鉛筆)それで作って年齢を満たしてなくても大人の出す賞に出させてください。
という漫画がある。
軽くあらすじに触れると、
主人公であるキヨは、舞妓になるために幼なじみのすみれと二人で青森から上京したのだが、一年も経たないうちにキヨには才能がないと実家に帰らされそうになる。
といったところで偶然とタイミングが重なって、屋形(置屋)のまかないさんとして花街で生きることになった、というもの。
個人的には、群像劇として描かれる各キャラクターの関係性の描写も素晴らしく、いま連載中の作品の中ではトップ5に入るくらいに好きな作品である。
週刊少年サンデー連載で20巻近く続いているので、決してマイナーというわけではなく、一般に評価も高いといっていい作品ではあるのだが、今秋からEテレでのアニメ放映が始まったことで、より多くの人が目にするようになり、ネガティブな感想をちらほら目にするようになってきた。
キヨは前述の経緯から花街の一員となっているのだが、優しくて頼りにしてくれる人々に囲まれ、充実した生活をしているように作中では描写されている。
いるのだが、この生活は、作中の世界から引いて現実的に眺めるとかなり危うい。
中卒の少女を、学校にも行かせず、一年365日のほぼ全てで三度三度の食事を作らせ、給金もあるかないかわからない。
(作中描写を素直に取るなら、給料どころかお小遣い程度しかもらっていない可能性もある)
ファンタジーとして受け入れることができるのならば優しい世界なのだが、現実的な目では労基法とかいう以前に虐待レベルで、そこが気になって話に入り込めないという感想を抱くのもごもっともとしか言いようがない。
というか、そういう見方をするほうが健全な気もするのだけれど、それではこの作品を楽しむことができない。
いや、物語を味わう、ってほんとうに難しい。
皆さんはじめまして。Twitterで「レンタル数学教える人」を名乗っている者です。つい今月の初めに、「そうか!だから小学校の算数においてはかけ算順が大切なんだ」と目からうろこが落ち、そのことを夜中のうちにTwitterに書いたところ、朝になったら見たこともない数のリプや引用がついて驚いた。その内ほとんどが「バカ」とか「アホ」とか「クズ」とかの類の言葉でした。それで怖くなりました。「この程度」とか「周回遅れ」とか誹謗中傷まで酷いものでした。
その中でいくつかやり取りするうちに、これは一人一人返信してもらちが明かないから、カリキュラムの順番含めて整理してTwitter内に投稿しよう、と思いつきました。
何でかけ算導入時において順番が大切なのかを教えてやる
2年で「乗法の意味」→「乗法の場面を式に表す」→「乗法の交換法則」
と段階を踏んで学ぶ。ポイントは「乗法の場面を式に表す」だ。この単元を学習中に式の順番が問われるわけだろ。その後に交換法則。計算しやすければ交換してもよいという話
勝手に交換法則使って計算しろよ。ただし場面に合った式を書きなさいと言われている所に、一つ分×いくつ分の順番を無視した式を書くんじゃねえ!という話。途中式間違ってるけど答えはマルもらえるって中高生でも普通によくある話じゃない?
「場面を式に表す」が課題なのよ。段階的ってこと考えよう。
3年で「整数の乗法」だ。数を抽象的なものとして計算するわな。結合法則・分配法則も習うから計算の工夫をしてスマートに解いてみやがれ!かけ算に慣れてきた頃に「除法の場面を式で表す」をやる。何を何で割るかよく考えろ。割られる数、割る数っていう区別(順番)が理解をスムーズにしてくれる。
ここでワケも分からず前から数字を順番に入れて式を立てる奴がいたらどうなる。解答欄の「□÷○=△」穴ポコに順番に入れたらどうなる。かけ算だったら答え合ってて良かったね。
それ習慣ついてたら割合の単元で地獄を見ることになる。ったゆうか現実としてすでに地獄だけどな。
4年で「長方形、正方形の面積」だ。お待たせしました。なんか知らんけどかけ算順番の話してるとすっ飛んでくる輩が「縦×横と横×縦は違うんですか?」ってドヤ顔で聞いてくる。うるせえ。交換法則しとけよ。場面を式で表すとは状況が違うんだから好きにしろ。こちとら「卵10個が3パック」の話してんだよ
この前spaceで聞いた知見を共有する。面積ってのは「1㎝×1㎝の□が何個分」ってところから考える。縦に3個、横に5個、なら一個ずつ数えてもいいが3×5で出してもいい。「1つ分はいかようにも取れるんですよ?」のドヤ顔勢が言いたいのはそれだろ。勝手に5×3やっとけよ。
あのさ、面積ってのはそうやって丁寧に学習していくんだよ。「そもそも面積とは〜積分の考え方を使っているのであり〜」とか言う自称理系人間。アタマおかしいと言わざるを得ない。お前小学生相手に何言ってんの?中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密に理解できない。そうやって積み上げていくんだろ
僕がずっと違和感を持っているのは、なぜ掛け算順を認めない人はこのように必死にTwitter内を警備し、いきなり引用リツして人格否定的なことを繰り返してしまうのかということです。バカとか洗脳とか悪影響とか「理由を説明してください」という謎のエンドレス質問。そしてそのような人はいつも同じメンツで、仲間同士でコメントを付けあっている。「井超算数」というタグをつけるのが彼らの仲間を呼び寄せるシグナルのようです。以後、この一派のことを「超算数警察」と呼称します。
逆に、いつも虐められている(ように見える)人は言葉使いが丁寧で、明らかに教育現場にいる率が高い。誠実な教育者であることが見受けられた。懇切丁寧に掛け算順の必要性を説明しているのに、いくら必死に説明しても聞かないうえに暴言を吐かれる、謎のエンドレス質問返しで、いつの間にかダンマリになっていく。この誠実な教育者たちを「掛け順派」とします。
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恥ずかしい告白をします。僕は半年ほど前まで「掛け算順序否定派」でした。くだらねえ理由で減点して子供が可哀想と思っていました。「バカな慣習だ」と暴言を吐いたこともあります。ただし、ここからが重要。耳かっぽじってよく聞け。Twitterで「掛け順必要派」の人に対して凸撃とかしなかった。極めて一般的に、まともな大人は、フツーの人間は、Twitterで自分と反対な意見の人をわざわざ見つけて攻撃したりしない。時間的なヒマもない。
だってその人にリプを飛ばして考えを改めさせるなんてことができると思うか?まあ出来なくはないんだけど、現実的じゃない。しかし超算数警察は平気でやる。まあしつこい。相手がブロックするまでやめない。結局は見下してバカにしていい気分になりたいだけだろう。同調者が表れて良いキモチ。ちなみにこの人たちは「ブロックされたこと=論破した」と定義している。世間一般的にはそうではないが、超算数警察の中ではそうなのだ。スクショ付きで「逃げやがった」「やっとブロックしたか」が決め台詞である。
実は僕がTwitterで意見を投下し始めて、あまりに暴言がひどいので反論の意味で多方面に暴言を吐いてしまったところ、ある方に批判された。対話を重ねていたら、その方はスマートな教育をされ、学校に期待しすぎないで家庭と学校で協力していけばいいという考えの持ち主だった。
「あなたがスマートな教育をされていることは分かった。学校の先生も必死でやっているんだ。掛け順間違いでバツされたことなど、学校ってそんなもんだよなと受け流してくれればいいのに」
と伝えたら、そこで衝撃の一言「とっくにそうしている。はじめから掛け算の話などしていない」と。僕は冷や汗をかいた。
そうなのだ。始めからそうだった。そしてそうやってある種諦めの境地でもって受け流し、家でも教育しておけば良いというバランス感覚こそ僕が求めているものだった。それこそ思想転向のずっと前から。
テストで不本意ながらバツをもらってきた子供に対して、親としてもし、その採点に納得がいかないのなら「これは学校のテストにおいてのみ守っておかなければならないルールで、数学的には答えが合ってるから、まあ気にするな」と教えてやればいいのだ。僕だったらそうする。
実際、社会に出たら本当にどちらでもいい問題だ。よくある例としては「個数×単価」のような書き方がある。英語圏では「〇倍した□」といった言い方が一般的だ。だから僕はあくまでも日本国内での「算数ルール」「小学校ルール」と言っても良いと思っている。
冒頭の固定ツイと内容が被るが、僕自身は掛け算の順序を丁寧に教えていくのは極めて有用だと思っている。それは日本語的な感覚という意味でもだ。「●個が〇セット」、割合の単元なら「▼の□倍」という語順がしっくりくる。まだ抽象理解や言語の運用がいまいちな低学年にとってはなおさらだ。
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超算数警察は厄介なことに、叩ける相手だと認定したらとにかく他のどんなことでもツッコめる穴は無いかと探し始める。たとえば僕は連ツイの最後に「面積の学習は丁寧にやっていく。そもそも面積は積分の考えを使っているので~とか言うな。中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密には理解できない」と書いたら、まあそこに食いつく食いつく。一言言わずにいられない馬鹿どもが。
「中学生に球の体積の理屈くらい教えてあげないのは怠慢、講師失格」
などという酷い言われようだった。まったく現実を見ていない、好き勝手な意見だなと思うわけだが、一方でそんな教え方ができるのであればすごいことだ(たとえ受け手側に理解するポテンシャルがなかったとしても)と思って、全員に「中学生でも理解できる球の体積の考え方を教えてくれませんか?」と聞いた。
もう大半がヘンなリンク送ってきたり、有名な説明だから今さらする必要なしとか繰り返すだけで、何の益もなかった。30人くらいいたかな。そんな中で2人だけ実際に説明を書いて送ってよこしてきた。2,3分でササっとかける代物ではない。余裕で中学生で習う範囲を超えている。しかし素晴らしいと思った。
僕からするとそもそも僕が主張したいことと話がズレているし、それを活用できるほどの力量もないので、それをどうこうはできない。それは2人にとって肩透かしだったと思う。そもそもこちらは煽られてスタートしているのだ。「できるものならやってみろ」とは言ったが、本当にやってきたのならば敬意を表するほかない。そう。これなのだ。数学を愛し、数学を嗜んでいるのなら、自分の手を動かしてみろっていうんだ。超算数警察みたいに「数学は答えがあってればマル、ウソを教えるのは迷惑」とかいってTwitter内でクソリプ飛ばしてないでさ。んでマウンティング、グルーミング。それの繰り返し。
超算数警察は、小学生も学校の先生も、そもそも全部ひっくるめて公教育というものが人間社会のなかで行われているということを忘れている。自分の大好きな数学の美しさに惹かれて、極めて抽象的で、この世界中どころか宇宙全体に通用する法則をはやいとこ小学生にも教えてやれと言っている。んで「合ってるのにバツされるのは可哀想」という。だからもう一回思い出してくれ。こちとら小学校低学年を相手にしているし、そもそも「算数」の授業をしているんだって!教科名が「数学」じゃないことに注意。段階を踏むってことが彼らには理解できていない。
超算数警察は「美しさ」にこだわっているんだと思う。掛け算は順序を問わないのだから、式が逆なくらいでバツされている答案が目に入るのが耐えられないんだ。現実には日本中の小学校で丁寧に式の立て方から指導している。「一つ分×いくつ分」も「○○の□割(倍)」もとても重要視されている。だって最初に「3+3+3+3+3のことを3×5だって説明しているんだから。そりゃ5×3って書いたらバツでしょ。お前思いついた順に数字を書いてんじゃねえよ!って言いたくなるでしょ。「一つ分」を先に書けと言われているのだから。
Twitterで見かけた例を拝借すると、二つの倉庫があって「右の倉庫にはボールを、左の倉庫にはバットを入れてな」と決めてそれを周知したのに、逆に入れるヤツがいたら説教したくなるでしょ。右がボール、左にバットなんていう必然性なんかない。ただそう決めただけなんだが、決めなきゃしょうがねえだろ。そのきめたルールが無くなることはないと思うぞ。調べたら100年近くやってるらしいじゃん。じゃあお前らは永遠に不満を持ってTwitterで吹き上がるだけの人生だぞ。超算数警察たちは、ごく普通の人間たちの営みを否定している。だってようやく数字という概念を学び始める準備段階の子供を相手にしているんだぞ。ムチャ言うな。
なあ、そんな理論通りの、全てが数式通りに記述された、超算数警察が理想とする美しい世界が実現するにはどうしたらいいか教えてやる。「この世界から人間がソックリいなくなる」しかないんだよ!
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今から30年ほど前に超絶ヤバ集団がいたことを覚えているな。「オウム真理教」っていうんだけど。ムチャクチャへんな主張をするカルト宗教でメディアは面白がって、バラエティ番組なんかにも出ていたな。あれのトップが何て言っていたか知っているか?
「近いうちに日本の人口が十分の一になる」って言ってたんだぞ。これが何を意味しているか分かるよな。それがどうだ。東京のど真ん中の地下鉄でサリンがまかれた。彼らの母数が大したことなかったから、同時多発的にってところまではいかなかったけどな。
そりゃ今だって「地球環境を壊さないためには」とか「埋蔵資源を枯渇させないためには」とか「海や山の生態系を守るためには」とか考えると、人間がいなくなるしかねえ!って結論になるよな。ま、それを言っちゃおしめえなので・・とスルーされるのが常識的な流れなんだけど。
しかし超算数警察よ!お前らがやっていることはそれに近い。すべての人間が「極めて忠実に数学の美しさを体現するためには」なんてことをやっている。無理だよ。この世界にはとんでもなく計算が苦手だったり、日本語が通じなかったり、中学生の半分が教科書を読めていなかったり、高校生で「数学を捨てる」なんて発言がまかり通っているんだから。中学を卒業したら数学というものから離れる人だって多い。そういう人がどれくらい数学が苦手か分かるか?そういう多くの人たちをとりあえず一斉に教えるために作られたカリキュラムだ。ちょっとやそっとじゃ揺るがねえよ。
掛け算を逆に書いてしまったものを慈悲深い心でマルにしてもらえたら、彼らは数学を好きになれただろうか。小学校のカラーテストで、本来だったらもらえてた(とおまいらが主張する)5点を取り返したところで、その後の人生に1ミリも役に立たねえよバカ。
んで超算数警察の口癖、「掛け順教」。数学的に正しくないウソを教えている宗教って言いたいんだろうけど。あのなあ。宗教って言葉が相手をバカにする言葉に使えると思っているところが人間のことを分かってねえっていうんだよ。もしかしてお前らって「もともと存在しない神とかいうものにすがって、科学を否定してきた宗教というもの信じてるヤツってバカ」ってシンプルに思ってない?でなきゃ「掛け順教」なんていう言葉が気軽に出てこないと思うんだけど。
それこそ人間社会のことを分かってないってことの証左なんだよ!人間はこの世界のよく分からないものに暫定的な解を与えるために宗教というものを生み出した。それがよりよく生きるための術だったからだ。もちろんそれが命の奪い合いを引き起こすこともあるがな。現代の日本だって神様にお願いしたり、クリスマスを祝ったり、葬式したり、全部宗教だろが!そのことを分かってないで「自分は無宗教なんで」とか言ってる。んでここ100年とかで明らかになってきた科学的な知見をかってに借用して、「今どき宗教にハマってるなんてプギャー」とか喚いてんだろ。お前たちは人類の先輩たちが大切にしてきた偉大な宗教というものもコケにしているんだよコラ!
この世界のことが科学的に説明できるようになっていることは事実だろう。それと、人間の認知機能が一気に進化するってことは話が違うだろが。お前らは数学の美しさ(数式は場面を捨象するからこそ美しい、程度の知識)を知ったからと言って強化人間にでもなったつもりなんだろう。んで科学の知識を得た我々は、次から次へとニュータイプが生まれてくるとでも思っているんだろう。そして、現行の算数教育はそのニュータイプの育成をジャマしていると。
バカ言ってんじゃねえよ。そんな簡単に人間が進化してたまるか。お前らなんか強化人間にすらなり切れていないし、だいたいジャレドダイアモンド先生が言う「認知革命」が起こって以来、人間なんか大して成長してねえわ。ホモサピエンスは昔も今も、ちょっとずつ日常の数的感覚(自然数)から、抽象的な理解に至っていくんだろうが。小学校6年間は、まず数学に入る前の準備段階だって決まってんの!それを数学的な知識を先取りしたうるさい大人たちがエラそうに・・・
俺たちは真っ当に義務教育の中で算数指導をしているだけなんだよ!
■■■
お前らが何と戦っているか教えてやる。
僕は超算数警察を見ていると「進撃の巨人」11巻で「敵は何だ!」と喚いてユミルにたしなめられているエレンをいつも思い出すよ。
お前らには見えていない。お前らはお前らが言うところの「掛け順教」と戦ってんじゃねえ。Twitter内にいる「掛け順教」をやっつけて終わりだと思ってんのなら・・そりゃ・・大きな勘違いだ。
お前らは「敵は何だ!」と問うだろう。
そうして僕はこう答える。「そりゃ言っちまえば・・世界だ」と。
お前らが数学が得意で数学が好きでその魅力にヤラれちまっているのは認める。そしてそれは素晴らしいことだ。んでハッキリ言うとくけど、世の中の人はそんなに数学が好きじゃないし、数学に興味がない。
数学が好きならお前たちそれくらい分かんだろがよ。数学者列伝とか読めば明らかだろうがよ。数学を専攻する人間なんてのは奇人変人だと相場が決まってんだよ!
超算数警察は一般人相手に「それ数学的に間違ってますけど!」とか言ってないで、自分で数学的な真理を突き詰めたらどうだよ。ただしそれは生きるか死ぬかのイバラの道だと心得よ。フェルマーの最終定理を証明したアンドリューワイルズ先生は10年間誰とも連絡を取らずに、生きてるか死んでるかも分からないような状況に追い込んで偉業を成し遂げた。ワイルズ先生が必死こいてTwitterでクソリプ飛ばしてたらとか考えると笑えるよな。あ、コイツ生きてるなって安心できるよな。やってるわけねーよな。
つまり人のことを気にしてる暇があったら、自分のやるべきことやっとけってこった。だから僕に対して自筆の証明を送ってきた二人以外のお前らは、どっかからリンク引っ張ってきた以外になんか生み出したか?
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君たちは三重の壁の外に、バカも天才も秀才も凡人もひっくるめた人間社会が営まれているということを忘れちまってる。Twitterの中でお仲間を見つけて、自分たちだけが世界の真実に気づけていると思って正義感に燃えているんだろう。それをあの頃のエレンだって言ってんだよ。
エレンは壁の外にいる巨人をすべて駆逐すると誓った。そして裏切り者だった同期生を許さねえと言った。しかしやがて真実にたどり着いたエレンは全てを理解したよな。そしてそんな風に怒り狂っていた自分を恥じた。そうか、みんな同じだったんだって。それは壁の外に出たからだ。外に出るという強い意志を持ったからだ。
超算数警察よ。君たちはいつまでも三重の壁の中に閉じこもって、つかの間の楽園を享受しているんだ。とことんまで抽象世界にもぐりこむのも良い。ただそれは浮世離れした人生を歩むことを意味する。それがイヤだったら、人間たちの世界に戻ってこい。人と心を通わせることを選択しろ。三重の壁(心の壁)を壊して外の世界に出るんだ。
引き続きコロナで豊漁なんだけどanond:20200725000654 から卒業とかで結構入れ替わったんで書いてみる
① 月1@4
自力でお金を稼げるのにエレクトラコンプレックスで年上の男に甘える手段として売春してる
インスタを見ると過去パパに連れて行ってもらった高級旅館に加え最近はシャトーラトゥール飲んでやがった
② 月2@4
狐顔のそこそこ美人で感度もかなり良い
首都圏外縁で秀才を誇ってトップ私大に入ったら男関係が壊れてしまってパパ活という名の売春に手を染めた
とりあえず私を落とした大学の女子学生を低学力生ちんちんがいかせまくるのは超快感
③ 月極め10
賢いから一人暮らしが云々とお金が必要な理由を表向き整然と説明するけど
見え隠れする親との関係を含めた心の闇
とりあえず周囲の男どもを学力でぶちのめし続けた優秀女子に低学歴ちんちん突っ込めるのは超快感
④ 月2@4
上京してきて学問を追う生活をするにはお金が足りなくてパパ活という名の売春に手を染めた
ミニグラマーで感度もよいし化粧下手だけど顔立ち自体は整ってる
男慣れしていないベッドのたたずまいに征服欲を掻き立てられる
とりあえず薄幸な秀才がお金ごときのために低学歴生ちんちんで性的に開花していくのを見るのは超快感
⑤ 月1@5
これまたどうしてパパ活という名の売春をしているか理解不能な出自
長身で美形、胸のボリュームも申し分なくセックス自体は好きだし喘ぎ声は色っぽい
とりあえず中年男性に抱かれるのに抵抗感を隠さないお嬢様に庶民ちんちんが生中出しするのは超快感
ポートフォリオとしては完成形に近いと思う
>貧乏な人が安いスーツ着てるのは仕方ないと思うしそもそも会社がスーツ支給してあげてほしいと思うけど、豊かな人が安いスーツ着てると普通に警戒してしまう。こだわりのない人は自他ともに生活を疎かにするし平気でひどい言動をするから。
それは無いです
ドケチな可能性はあるが元増田は貧乏なんだからちょうどいいじゃない
まだこの世の中にサークルクラッシャーという言葉がなかった21世紀のはじめごろ
その女子大では「一橋男子にあらずんば彼氏にあらず」という風潮があったので、
女子大生は、マウンティングしたくて東大のサークルに入りました
まだそのころ、マウンティングなどという言葉はありませんでした
男子高卒が多いので女子とまともにコミュニケーションできる人は多くありません
そのくせ、お勉強ができるというだけの理由で女子はなびくと思っています
でも中がちらっと見えるゆるめの服を着て、
官僚君は遊び慣れてたな。上手でした
なのに、サークルの人間関係とかあるし絶対しゃべっちゃだめだよ恥ずかしいって言ってたのに、
よりによって夏合宿中に同級生の経済学部のバカが童貞喪失の自慢話をしたら
体の特徴とかで私のことだとバレてしまい男性同士が本当に殴り合いのけんかを始め、
付き合ってた男の子は「君がそんな子だなんて知らなかった」って言って去って行って
このことはすごく反省して、やっぱりいかにモテようとも男の子がちょろくとも、
一つのグループの中で複数の男性と付き合うと男性は壊れちゃうんだなってわかったので、
就職して男女混合のグループに入ってからも、職場では付き合う男性は一人にしなきゃねって思って
たくさんの男性にモテると自分の価値が上がったような気がするけど、
それで就職したら社内では絶対に複数の男性とは付き合うまいって心に決めて
で、就職してすぐに付き合ったのは、最初に配属された部の部長でしたw
ちょろい東大生DNAはしっかり受け継いでいて、難なく落ちました
新入社員はだいたい周りの男性からいろいろな誘いがあるようで、
私のところにもいろいろあったんだけど、
部長にその話をすると、次の人事で私に近づいてきた男性はみんな飛ばされてました
そういうことで不満を持った若手が結束して人事部に恣意的な人事を訴えて、
結局人事部にヒアリングされて5年にわたる不倫関係がばれて、部長(役員になってたけど)失脚
なんでこうなっちゃうんでしょうね
で、私はそのあと、大学の同級生の紹介で某総合商社に勤める一橋の男と結婚して、それなりに幸せな専業主婦してます
思い出したからちょっと誰にも知られないところで思い出話を書いてみました
子供の中受の手伝いに疲れちゃったのよね
ただの自慢話
先日、ラグジュアリー・トラベルをテーマにしたシンポジウムで基調講演を行ってきました。
「量か単価か」でも整理しましたが、ラグジュアリー、富裕層に向けた対応を行うことは労働生産性の向上に寄与し、絶対的な人数を抑えることで、いわゆるオーバーツーリズム問題にも対応できるようになることが期待されます。
でも、現実的には、なかなか、このラグジュアリー対応は現場では進みません。
日本はバブル期まで製造業社会であり、一億総中流とも呼ばれていたことに加え、日本型社会主義と指摘されるように、全体主義的発想、社会の階層化に対する否定的な発想が高く、富裕層に切り込んだ対応をすることは一般的ではなありませんでした。
基本的なマーケティング用語である「差別化」という言葉自体、かつては使うことが憚られたと聞いたこともあります。
今でも、行政や地域レベルでは、ターゲッティングによって、客層を絞り込むことに難色を示されることは少なくありません。端的に言えば、ラグジュアリー市場「にも」なら問題ありませんが、ラグジュアリー市場「に」となると、一気にハードルが上がるわけです。
一方、事業者サイドから見れば、前述のコラムで示したように、ミドル層の市場が膨張しており、ここにミートしていけば売り上げは増えていく訳で、対象市場をアッパー層に向けアップグレードする動機は弱い。
さらに、事業者の立場からみてラグジュアリー市場が「美味しくない」のは、その利益率が低いからです。
単価が高いのに、利益率が低い? とは、理解しがたいことかもしれませんが、論より証拠。世界最大級のホテルチェーン、マリオットのIR情報からセグメント別の単価と利益率を見て見ましょう。
マリオットグループのセグメント別単価及び利益率(IR情報より)
まず、単価を見てみるとラグジュアリー・セグメントではADR(平均1日単価)は$300前後、RevPAR(販売可能部屋数あたりの売り上げ単価)は$200強となっています。その下のフルサービス・セグメントでは、ADRが$170前後、RevPARは$120といったところ。これが、バリュー・クラスとなるアンリミテッドサービス・セグメントではADRが$130、RevPARは$100を割り込むことになります。
一方、利益率について見てみると、アンリミテッド・サービスは20%を超えるのに対して、ラグジュアリー・セグメントと、フルサービス・セグメントを合算した「フルサービス・セグメント」では10%にも届きません。
マリオットグループでは、収益についてはホテルブランド単位では公表しておらず、ラグジュアリーとフルサービスを合算したものしか出していません。
フルサービス・セグメントの利益率は2016年に上昇していますが、このタイミングで、マリオットグループは、スターウッドグループを買収しています。スターウッドグループのホテル(W、シェラトン、ウェスティンなど)が加わったことが原因と考えられます。
Wは数が限られることを考えれば、利益率の上昇に貢献したのは、ミドルクラスとなるシェラトン、ウェスティンであったと考えるのが自然でしょう。
絶対的な売り上げと利益額を見ても、スターウッドグループ買収前の2015年では、売り上げ(Revenues)はフルサービスの方が高いものの、収益(Profits)ではリミテッドサービスの方が高い状態でした。
買収後は、フルサービスの方が収益も高くなりましたが、これは(ミドルクラスである)シェラトン、ウェスティンの貢献でしょう。とは言え、売り上げではフルサービス$14,300ミリオン、リミテッドサービス$4,002ミリオンと3倍近い差があるのに、収益では$1,182ミリオン対$816ミリオンとかなり接近します。
マリオットグループのセグメント別売り上げと収益(IR情報より)
これらの結果は、ラグジュアリー・セグメントは「単価は高いが、儲からない」ということを示しています。単純な儲けだけを考えれば、バリュークラス、アンリミテッドサービス・セグメントに特化した方が良いとも言えます。
グループ全体で採算を合わせる
にも関わらず、なぜ、マリオットグループがJWやリッツ・カールトンといったラグジュアリー・ブランドを展開するのかと言えば、トップを作ることによって、バリュークラスのホテルにまで、そのブランド力を浸透させ、その競争力を高めるためだと言われています。
例えば、稼ぎ頭であるリミテッドサービスのコートヤードは、ADRを見ればわかるように、日本で言えば、一般的なビジネスホテル(北米は、全般的に日本より宿泊料は高い)であり、付加価値での勝負は難しい(=価格競争に陥りやすい)領域です。でも、ここに「バイ マリオット」をつけることで、マリオットグループという価値を持つようになります。本家のマリオットに比べれば、サービスは限定されるものの、マリオットに対してロイヤルティをもつ顧客は選好しやすくなります。また、CRM、ロイヤルティ・プログラムは共通化されているので、いわゆる「ポイント狙い」の人からも選好されることになります。
これは、マリオットのブランド力を高く評価してくれる市場では、特に有効です。例えば、銀座にできたコートヤードは、一泊3万円位で出ています。これは、北米のADRの倍近い金額であり、北米であればJWクラスです。
どういう交渉の結果、こうなったのかわかりませんが、マリオットというブランド力が作用しているのは否定できません。
また、若者であるミレニアムズ(多くは、まだ、富裕層では無い)にブランドの入り口として、バリュークラスのホテルを使ってもらうことで、生涯を通じた顧客になっていってもらうということも狙っていくことができます。星野リゾートが、近年、ビジネスホテル市場に乗り出しているのは、おそらく、これが狙いです。
つまり、ラグジュアリー・ホテルは、それ単体で儲けていくことは難しく、稼ぎ頭となるバリュークラスをグループ内にもち、全体で収益を確保していくということが必要になるわけです。
国内では、こういう取り組みをしているホテルチェーンは限定されているため、外資が入らなければラグジュアリー対応が進まないのは、ある意味、当然の帰結です。
ただ、これはホテル事業者の立場から見た時の話であり、地域としては、やはり、ラグジュアリー市場はとても「美味しい」市場です。
なぜなら、ホテルの売り上げが高いのに、収益が低いということは、その売り上げを立てるために各種の調達をしているということだからです。
端的な例は人件費です。
ラグジュアリー・セグメントでは、対応力の高さが求められますから、より質の高い人材を多く雇用することになります。これは働く側からすれば、自身のレベルを高めれば、キャリアパスが開けるということになります。
また、ラグジュアリー・セグメントでは、食材が「地のものである」「安全なものである」ということは売り上げと顧客満足を高めることに寄与します。これは、ラグジュアリー・セグメントを利用する顧客が「そうした価値観」と「経済力」を持っているからです。そのため、地元の農業者、漁業者は、こだわりを持った良いものをしっかり作った際の販路が広がることになります。
工芸品などについても同様です。部屋の調度品にしても、売店での取扱商品にしても、単価と顧客満足を高めるに、ホテルは、どこにでもあるものを並べるのではなく、できるだけオリジナルであり、ストーリー性を持ったもの(なぜ、ここにそれがあるのかを訴えられるもの)を揃えることが求められます。そうしたホテルの需要に応えていけば、多くの商工業者は、自身のこだわりを経済価値に変えていくことが出来るようになります。
ただし、こうした波及効果は、ラグジュアリー・セグメントのホテルを中心に、富裕層の利用が持続的に行われていくことが必要です。
持続的な取引関係がなければ、人材が自身のキャリアを掴んでいくことも、農業者や商工業者などが、こだわりを持った商品サービスづくりに取り組んでいくことも出来ないからです。
その意味で、単発のラグジュアリー旅行を誘致しても、地域にはほとんど恩恵はありません。瞬間的な売り上げには繋がっても、人材面についても経済的についても効果は極めて限定的だからです。
しかしながら、前述のように、ホテル側としては収益面だけを見れば、サービスを限定し、大量の顧客をさばく方が儲かるわけで、そちらに動こうとする動機が常に存在します。例えば、ラグジュアリー・セグメントであるにも関わらず修学旅行を受け入れる…というのは、そういう選択の結果でもあります。
そういう動きを抑え、ラグジュアリー・トラベルの恩恵を地域が受け取っていくためには、恩恵を受ける地域としても、核となるホテルが収益を確保出来、ブランド力を高められることが必要条件です。
例えば、富裕層は環境問題や健康問題に対する意識も高い傾向にあります。そうした価値観に合わせ、地域全体で環境負荷の高い製品(例:プラスチック製のストロー)を使わないようにしたり、ジョギングが出来るトレイルを整備したりといったことが考えられます。
地域とホテルが、適切なパートナーシップを組んで一緒に取り組むことで、富裕層が滞在したいと思うデスティネーションになることが出来るということを認識しておきたいところです。
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山田商店(やまだしょうてん)とは、大阪市に本拠地を置く化学系商社。1856年に大阪市の南船場に山田権左ェ門が開いた山田商店を源流とし、以降今日に至るまで重工業・軍需産業を中心に日本のトップ企業として君臨し続けている。戦後の財閥解体後も生き延びており、現在は住友グループに属しているものの、その影響力は未だ健在である。なお、旧三菱グループの総帥岩崎弥太郎の親族も経営に参加しているため、両派閥間の関係は極めて良好とされている。
概要. 創業者であった山田権左衛門は大阪で米穀商を営む傍ら、南船場の豪商たちと共に鴻池善右衛門の蔵屋敷から近い場所に倉庫を借り受けて商品販売を始めた。これが山田商店の始まりであり、その後徐々に店舗を拡大していったことでも知られている。そして明治に入ると米相場への投機を行い巨万の財を成した。また一方では海運業にも進出し、近代における日本商船隊の設立に大きく寄与した。他にも銀行や保険事業への進出など金融面でも多大な功績を残したことから、大阪財界の重鎮と称せられるに至った。
しかし第一次世界大戦により好景気が訪れると、その影響を受けて急速に成長していった。この流れの中で山田商店もまた順調に業績を伸ばしていき、大戦終結時には日本を代表する大商社へと成長した。しかしながら1929年の世界恐慌をきっかけにして世界経済全体が停滞すると、相対的に山田商店の業績も大きく落ち込んだ。それでも何とか持ちこたえていたものの、太平洋戦争に突入すると物資不足によって多くの企業が苦境に立たされる中で、山田商店をはじめとする関西資本系の大企業は逆に大きく躍進していくことになった。
戦争末期になると山田商店を始めとする関西系の大企業の経営陣の多くは徴兵されてしまい、代わりに軍人出身の者が後釜を埋めるようになった。戦後になって彼らの多くが戦犯容疑で逮捕されたものの、軍需品生産などのノウハウを持つ人材を失うことを嫌ったGHQの指示もあって不起訴処分となったことで山田商店をはじめとした関西系企業の存続が確定した。その後は朝鮮戦争勃発の影響による特需で復興を遂げていくとともに、高度経済成長期を迎えることになる。この時も山田商店をはじめ関西資本の大株主たちは多額の利益を上げ続けたが、バブル期の不動産投資の失敗を機に債務が増大したことでバブル崩壊後に破綻することとなった。それでも同社の株式は依然として高値を維持し続けており、依然として日本経済に大きな影響を与えていることは間違いない。
現在、同社では新規採用を行っていないために社員のほとんどは定年退職者か再雇用者であり、現役の社員数は最盛期の半分以下となっている。そのため現在では社内政治において発言力を有する人間はおらず、会長職にある人物を除く全ての取締役たちが社長以下の役員たちと同格の地位にありながら決定事項には従わなければならないという異常な状態になっている。これは会社のトップに立つ人間が実質的に会長の山田嘉吉しかいないためであるとされており、実際に彼は自身の権力を使って様々な便宜を図ってきたとされる。ただしその一方でこうした独裁的な体制に対して反発する人間も少なくなく、現在でも対立が続いている状況だと言われている。
俺が好きだったゲームはMTG、マジック・ザ・ギャザリング。
TCGの元祖、「遊戯王」「デュエルマスターズ」の元ネタとかって説明されることが多くて、名前だけは聞いたことがあるって人もいるかな。
ゲーム自体もとても面白いのだけど、今回は主にゲーム性じゃなく、それ以外の部分で俺が惹かれた要素と、「好き」が過去形になった理由について書いていく。
ゲームプレイヤーにも勝利を求めるガチ勢、楽しさを重視するエンジョイ勢と色々いると思う。
(俺はガチ勢ってのも互いに本気で勝利を追求する遊び方を楽しんでる人って考えてる)
他のとこは知らないけど、MTG界隈では競技(ガチ)⇔カジュアル(エンジョイ)って表現を使ってた。
競技なんて言うと「カードゲーム風情がスポーツかなんかのつもりかよ」って思うかもしれない。
まずは俺が惹かれたMTGの要素の一つである競技性を語らせてくれ。
ゲーム=競技ってことで、その競技性ってのはつまりプレイヤーがどれだけ本気で勝ちに行ってるかの指標って感じかな?
皆が本気で勝ちに来るような方法って?そんなの簡単な話だ。商品を付ければ良い。皆が本気で勝ちに来るような商品って?これも簡単。「金」に決まってる。
今でこそゲームの大会に賞金が出るのなんて当たり前だけど、今から30年近くも前から「ゲーム」自体を主体に賞金制の大会があったってのは凄いことだと思う。
次にその大会の規模、まずGP (グランプリ)。世界各国で行われて、誰でも参加が可能。コロナ以前には日本国内でも年に4~5回開催されてて、最高人数は2500人程度、2000人↑は当たり前って感じでかなり大盛況だった。
優勝で大体100万円くらいで、結構大金だけどガチ勢にとって同じくらい大事なのが上位入賞者に与えられる副賞。
PTは世界各地で行われる。各国の強豪が集って、各々が練りに練ったデッキを持ち寄り優勝を目指す大会。賞金は優勝で500万円くらい。多くの競技者はこの舞台を夢見て、焦がれて、狂ってた。
このPTって舞台はMTGやってる奴には本当に羨望の的なんだ。昔はニコ生で、今はTwitchで配信してて、海外でやるから時差があったりで眠たさ堪えながら噛り付いて見てた。
さらにもう一つ大事なことがあって、MTGにはプロプレイヤーって呼ばれる存在がいる。
「プロ」の定義は論の種にもなる事なんだが、一つ明確な線引きがあってプロ・プレイヤーズ・クラブっていうMTGを制作した大元であるWoTC(ウィザーズ・オブ・ザ・コースト)社が公式に制定した制度。
これはプロポイントってポイントを稼いで、それが一定数溜まったらそれぞれブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナと順にランクが付与されてボーナスが貰えるって仕組み。
このプロポイントを貰えるのが前述のGPやPTなどのグレードの高い大会。
誰でも参加可能なGPでも、このプロポイント1点取るのに結構苦労するんだが、MTGのプロプレイヤーはこのポイントを求めて世界各国を飛び回ってGP、PTに参加するってのが常だった。
国内だけだと4~5回と書いたGPだが、世界ではほぼ毎週のように行われてるので、プロやプロになりたい奴らはポイントを、PTへの参加権を求めて世界を旅してた。
WoTC公式からも「PLAY THE GAME, SEE THE WORLD」って言葉でその行動を奨励してた。
俺はこのプロプレイヤーってものに強く強く憧れた。最初はただゲ-ムが面白くてやってたんだが、次第に戦えるようになって、勝てるようになって、大きな大会にも出るようになった。
俺はいつの間にかこのゲームに狂ってたんだ。狂うのも悪くないけどな、好きなことに狂えるならそんな幸せなことはない。だから狂いが醒めてしまった俺からみると、未だに狂ってるような人を羨ましく感じたりする。
ここまでが俺がMTGを好きだった理由。ここからは好きじゃなくなった理由。
上に書いた競技性と、それを織り成す制度ってのが、俺がMTGってゲームに惚れた一つの要素だったわけだ。
結論から述べる。俺がこのゲームを好きでなくなったのは崩壊とも表現したくなる度重なる制度の変更が理由。
最も絶望するのは、それが他でもないこのゲームを作り出したWoTC社が原因となることだ。
2016年の初めあたりにWoTC社の社長が変わった。度々この社長がやり玉に上がる。
本当に社長のせいなのかは分からないが、実際にこの時期からWoTC社は数多くの制度変更を打ち出す。
色々と細やかな変更はあったんだが最大級のヘビーパンチが、2018年末のこと。
その内容は、前述したプロプレイヤー制度の廃止。そしてそれに代わる32名の定員でのMPL(マジック・プロリーグ)という新しい制度への移行だった。
元々、プロプレイヤーって呼べるような人間は世界に数百人いたと思うんだが、それに対してMPLの32名という枠はどう考えても少ない。
プロ制度の廃止に伴ってプロポイントも無くなり、世界を股にかけて飛び回る意義も失われた。
過去のプロ制度は、本気で目指して努力すればギリギリ手が届きそうと思わせてくれるいい線引きだった。
それに対し、MPLってのは百戦錬磨のトッププロが競い合う中で、そいつらを蹴落としてようやく入れるような場所で、明らかに必要となるコストの大きさが違うんだ。
MPLからあぶれたプロプレイヤーも、プロを目指していた競技勢の人々も次の目標となるものの遠さに驚いたと思う。
(ちなみにこのMPLももうすぐ終わっちまうらしい。それ以降のプロに対する制度の説明は現状一切ナシ。
推測の域を出ないが、界隈で多く見かけた意見は前制度にかかるコスト、金銭的負担の軽減が目的というもの。
PTのようなアメリカ、ヨーロッパ、時にはアジアなどで行われる大会の場合、世界各国からプレイヤーや運営する人材を派遣するだけでも多量の金がかかる。
プロプレイヤーへの報償も同様に、目に見えて分かりやすい直接的なコストのために制度が見直されたのだ…と。
競技性がMTGの魅力の一部でしかなく、皆が皆一様に求めていたものではないとは思うが、ゲームの人気の一端を担うものであった事も確かだ。
俺はWoTC社がそれを軽んじ、踏み躙ったように感じた。
WoTC社はそれ以外にも目先の利益に捕らわれた焼畑商業的な業務方針を繰り出した。
MTGには、「とあるカードセットで禁止カードを連発してしまい。開発陣は社長室に呼ばれて𠮟られた」という有名な逸話があるんだが、現在のMTGでは2017年から毎年新しいカードセットから禁止が生み出されている。
それ以前は偶発的なデザインミスで、禁止せざるを得ないようなことはあったものの、毎年のように禁止カードが続出している状況はおかしいとしか言いようがない。
ゲームデザインは非常に難しいことだとは思うが、発売からわずか17日で禁止が出たと聞いたときは流石に目を疑った。
本来の焼畑であれば、別の場所を耕作すればよいだけだが、MTGでいう土壌とはプレイヤーの事だ。容易に開墾できるものじゃない。
こうした事によって(俺の)WoTC社への信頼は地に墜ちることとなる。
人は信頼があるから金を落とし続ける。だから企業は顧客満足度なんてパラメータを得るのに躍起になるわけだな。
信頼=金ではないが、信頼≒金ではあるんだ。
友人にWoTCへの呪詛を吐き散らす奴がいたが、WoTCがクソなのなんて衆知の当たり前の事で、それを一々言ってる自分がおかしいのかもと言われて笑っちまった。
まず渡辺雄也は今例えるなら、「MTG界の大谷翔平」と言って差し支えない日本プロのトッププレイヤー。
競技シーンを知る人に「日本一上手いプレイヤーは?」と聞けば大体の奴はナベかヤソって答える。
次にマークド。これはカードに目印をつけて、裏面から見ても何のカードかを識別できるようにするっていうイカサマ。
事件の経緯は以下。
渡辺雄也選手は大会でこのイカサマを行ったとして失格処分を受ける。
↓
後日スポンサー(Cygames)と共に反論する旨の声明を出す。
↓
WoTC社はこれに対し報復とも考えられる重い罰(30ヶ月の出場停止、殿堂除名、MPL除名)を与えた。
・ジャッジや対戦相手などによって容易に物的証拠を作ることができてしまう。
・十数年間、イカサマなんてほど遠い、クリーンなイメージ像からこの裁定が下るなんてありえない。
俺は当事者以外があーだこーだ言ってもしょうがないと思ってる。
けど、一つだけ信じてるのは渡辺雄也って選手はイカサマなんてしなくてもこれまでの実績を疑わせないくらい強いという事。
この件でWoTC社に失望したのは、声明に対して納得のいく証拠の提出を一切することなく、異例なほど重い30ヶ月という罰を科したこと。
反則行為で失格になった時点で罰が与えられる事、それ自体は仕方ないことかもしれない。
しかし、求められた調査の開示がない事、不当に思えるほどに重い罰、あらゆる説明が足りなさ過ぎた。
結果的に日本を支えてきた英雄が不本意に、容易に、軽々しく選手生命を絶たれたとしか見えなかった。
この件を皮切りに実際にMTGを辞めたやつも何人か確認してる。
献身的にずっと日本のMTG界を牽引してきた人物でも、不透明な組織の指先一つで活動を終わらせられる可能性があるなんて、信じられないよな。
こんなとこで文句言ってんじゃなくて問い合わせろって?日本のWoTCに何か言っても無駄だ。
日本公式が駄目なら英語なり使って本社に言えって?俺は自分で声を挙げたことはないが、海外プロプレイヤーのWoTCへの不満がたまに流れてきてもゴミみたいな制度を連発してるあたり何言っても無意味ってことだな。
こんなことが続く内に、WoTC社に期待する方が悪いという風潮が当たり前になった。
面白くてゲームを初めて、企業に嫌気がさして、ゲームへの興味も失せた。
これが、俺がゲームを「好き」じゃなくなった経緯。
この手記が、MTGの魅力の片側から見た一方的な意見であり、カジュアルに遊んでる人が今も楽しくしてるのは知ってる。
まぁタイトルにある通り「愚痴」だからな。聞いて欲しかっただけだ。
こんなこと書きながら2,3年後にはMTGやってるかもしれないけどな。
滅茶苦茶ネガキャンしといてなんだけど、ゲームは本当に面白いので興味あれば触ってみて欲しいという思いはある。
今ならマジックアリーナって無料で始められるアプリもあるし。DCGの中では本当に金のかからない部類だしね。
カードゲームが趣味だったおじさんのか弱い嘆きを聞いてくれてありがとう。
書いてる最中に、存在すら知らなかったPTの代替となるCS(チャンピオンシップ)とやらが行われていたらしく、久しぶりに配信を見た。