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はてなキーワード: 諦観とは

2019-06-04

諦観

小学校とかで「うんどうかいの思い出」「社会見学でわかったこと」みたいな新聞作るやつなかった?あれに「特に何も思いませんでした」という感想しか持てずに毎回思ってもないこと書いてた人間に、人間性なんかあるわけなかったよな。

日記特に思うことがなくて三日坊主夏休みの記録は「特になにもしませんでした」の一行、1日の振り返りは適当に思ってもないこと書く。

自分って人間性うっすいなーって最近気づいた。悪口陰口軽い暴力程度の嫌なことな自分が黙ってればそのうち解決するわと思って耐えれるけど、その分嬉しいことにも鈍くなった気がする。すぐキレる人はキレるって才能があるんだな〜とか思い始めた。

人間性がちゃんとしてる人はえらい。自我ハチャメチャな自分からしたらすごいことです。

人間心理ってやっぱり難しい。自分心理理解できない人間が、他人の心を想像なんてできるわけがなかった。

いろんな心理状態を知ってるつもりでいたけど、それは結果誰かの感情の上部を切り貼りしただけにすぎなかった。

わたし友達が同性の子を好きになったことがある話を聞いて、自分も同性の子いけるな〜と思ってた時期があることを思い出したけど、質量がまったく違った。なんていうか、ちゃん人間を思えてるなぁって感じ。

異性の恋人いたことあったけど、その時も恋愛感情っていうのがどういうものなのか分からなかった。自分犠牲にしてでも相手を思いやる気持ち恋愛なら、わたしは一生恋愛なんかできないだろうな。

わたし感情は結果どこまでも独りよがり自己完結してるなーって。

まとまんねー。寝るか。

2019-05-23

ツイッター学級会ほんとひどい

インターネット学級会の総本山ことはてなでいうのもアホらしいけれど、

ツイッターウェブメディアを組み合わせて有名人が率先して学級会やリンチする姿見ていたら、いい年してるからまだ諦観できるけど、思春期なら世の中の愚かさに絶望していただろうなあ。

2019-05-12

anond:20190512065704

これとかこれのブクマとか読んでてふと思ったんだけど

一応「だめなおっさん」というジャンルは愛されていて世の中にある程度あるけど

ダメなおばさんっていうかダメな女がダメなまま楽しそうな作品ってそんなないのかなあ

ダメおっさん作品でも女の人は大抵しっかりしてる感じの描写されてるし

そうでなければものすごく不幸な境遇の中にいるか不幸になって終わりか

ダメだったけど成長して次の段階に進むみたいの多い気する

ダメ女がダメ女なまま楽しそうな作品もあれば知りたい

追記

いじわるばあさんなるほど!

あとこれ書いてから自分であれこれ考えてみたんだけどひとつ思い出したのは佐々木倫子作品女性達かな

世間的なペースに合わなかったり考え方や行動がだいぶ平均と違っていて周囲をものすごく振り回したり

逆に世間についていけなかったりしてるけどどうやっても自分を手放さないいやあなたほんとは強いでしょ!?

って女性が多い気がする(そのまんま強そうな女性も多いが)

菱沼さんもハムテルの母もそうだしそれより以前の過去

(忘却シリーズや「林檎ダイエット」の双子など)の女性たちも概ねそんな感じ

チャンネルはそのまま!」の雪丸なんかが特にいちばんわかりやすいか

でも特に破天荒なのはHeaven?」の黒須仮名子と伊賀くんの母親だな

ものすごく傍若無人だし我の通し方とか締切からの逃げ方とか仕事の仕方とか人の使い方とか

だいぶダメ人間だけど人とは違う理論の上ですごく楽しそうに生きてるなと思う

そのダメさのあまり周囲の方が諦観して馴染んでいく様子は女版寅さん的なところがあるかもしれない

まあこういう描写が成立するのってもちろん作品世界の中にそういう女性敵対する人間存在がないことかもしれないけど、

佐々木倫子作品男性もわりとダメな人も多いし(「Heaven?」の川合君とか、エリートだけど漆原教授とか清原とか)

でもいつも明るい諦観によって許容されてて男女共にダメ人間でも生きていきやす世界が描かれてる気がする

作品世界を支える細部の描写は密だが逆に恋愛的な要素や現実的パワーバランス

まり入りこまないのもこういう描写ができる一因でかつ面白いところなのかもと思った

2019-05-02

anond:20190502154632

ありがとうございます

思えばいままでの環境、どこへ行っても周りが優秀・勤勉でした。

足を引っ張っている、場不相応だという自覚もあります

ただ、私にとって相応な所とはどこでしょうか?


ライン工バイトしたことがあります

そこの人たちは皆正確で迅速な仕事をやっていました。みんな人間的にも良い人で私を気遣ってくれました。

それがお世辞だとか建前としても、それはそれめ私より人間ができている人でした。


橋の下で、ホームレスの人と桜を見ながら語らったこともあります

彼らの人生を聞いていると、落後者とは思えない、到底橋の下にいるべきでない人の良さが見えてきました。

その深い目には、一種悟りのような境地が見えていました。

私なんかにも優しくしてくれましたし、励ましてくれたりして。

自分バカらしく、そしてクズさが如実に実感できて恥ずかしくて泣きました。


上の二つは例えですが、そういった人々と比べても私は、自分クズで不相応だと思うのです。

そして彼らにも迷惑をかけてしまう、クズ中のクズだと思っているのです。


なので、環境を変えても無駄だと思う以上、私がなんとかして変わるしかないのかなと。

諦観半分でそう思っています

2019-05-01

ユメミリアム式幸福論 ~~

お気持ち表明がブームらしいので某声なしPaPの私もお気持ち表明がしたくなってしまいました。

こちらでは私の抱いている夢見りあむへその声の実装についての考えを適当に書き並べたのと+αについて述べていきたいと思います

まず結論から言うと、声はついていいと言うかぶっちゃけ然るべきだと思います

おそらくテコ入れとして4年?ぶりに実装された新アイドル。4年は短いようで長く、その間に社会は大きくかわってしまいました。2014年って前回のパズドラハローキティコラボよりも前なんですよ。そう考えると先カンブリア時代と大差ないレベル過去です。

そしてデレマス利益を出すために存在しているシステムの一部でしかないので、売れそうなキャラを売り出そうとしますでしょう。かつての俺嫁オタクは減少し私みたいな地雷持ちCP過激派跋扈する(それでもまだ比率は俺嫁系の方が上かもしれない)今7人中4人が既に相手のいる状態実装されていたり、数年前より大分盛況している配信をしているキャラだったり、Twitterで調べたら出てきそうなやばいやつだったり、諦観を持った農家だったり。

今様キャラクターを実装し、人気を出させ、マンネリ化を防ぐテコ入れ収入をかねようとしたのかな、炎上覚悟で。

から夢見りあむは声がつくのは普通だしぶっちゃけ既にサプぼ用意しててこれで一枠ボイスつけなくて済むラッキーwwwwwwみたいなことを運営が思っててもおかしくない。スケジュールとかたいへんだもんね。

逆にかつて実装されたキャラクターは、それこそ先カンブリア時代化石ガラパゴス生物かのような「今それある?」みたいなキャラ付けが多いと思うんです。かつてウケていた色物も受けない時代なんです。況や嘗てウケなかったものをやです。

というかそれについては人数が多いのが原因ですね。好きな人には申し訳ないけどなんの魅力も感じられないようなキャラかいます。まあ190もいたら属性分散してニッチなスピアが、所謂色物が出てくるのも当たり前だし、私に刺さらないだけかもしれないけど。

からガラパゴスのなかでも希少な存在(需要は少ない)に今総選挙県内が狙えるかと言うと、言わずもがな。Vo200でアイドルCに挑むようなものだと思います絶望の具現化かよ。

ただ、その中でこの時代でも戦えているのが多くの声付きと圏内で上がってきているアイドルだと思います。なぜ戦えているのか、それは需要があると運営様に判断されているからです。

時の流れは速いもので、南極環流も驚きの速さで進んでいきます。それにつれて客層の嗜好も変わります

また、人間は成長を好みますWJから歴史小説まで、まんがタイムきららすら成長を描きます

結果、ゲーム運営キャラクターを成長し発展させなければならなくなります。客がついてこないのでは利益も何も無いので。しか運営にも限界があり、単位時間で出来る仕事Wには上限値が存在します。

から、重心を人気キャラに置いて少しは利益を増やそうとします。種の少ない植木鉢にそれぞれ肥料を撒くよりは広大な大根畑にバーっとやった方が自分に都合がいい。

要は運営環境アイドルが種の地球モバマスです。ただし絶滅はさせられない。炎上という名のスーパープルームに全てを滅ぼされなかねないし。

ここまでの話を纏めると、新種の適応した生命体に勝つのは難しいから夢見りあむに声がつくのも普通ってことです。

ここからは夢見りあむ本体の話になります

1つ目はうわめっちゃぴんくです。祇園にどピンクマカロンショップを開いたところを想像したような色だなと思いました。

2つ目にこいつ本当に95あんのかよです。90くらいじゃない?盛ってない?

3つ目にこいつ楽そうだなです。

O-Ki-Mo-Chi-No Observer!と化していた私はどっかで見かけたこれに賛同したのですが、夢見りあむは詰みをそこまで重く捉えてなさそうなんですよね。突然来た訳でもないゆっくりとした詰みに面している時点で多分色々甘く見ていたんだと思います。それは、あまりにも面倒で理想的メンタルです。ダイヤモンドに巻き付けたうどんが切れただけでこのスポンジはザコメンタルを名乗っています。極めて健康的で羨ましい限りです。そしてなりふり構わず構って貰おうとします。周りの目を気にしないという才能です。これはメンタル接着剤を吹くようなそれの機能を持ちます。ゾウムシメンタル。

で、ここから踊る本能寺の炎についての考えです。

まず「『アイドル使い捨ての消費品』が許せない」。

本当にそうですよね。百城千代子もあと2年したら飽きられるらしいですし。そもそもこの発言に石を投げると押すのをやめた瞬間ガトリングになって返ってくるの怖いです。人間いつかは飽きます

次に、「みんな頑張ってるのにこいつはちやほやされたいだけ」みたいな旨の批判

実装されて2ヶ月程度でそれを判断するとしたらモバマスは多分半分くらい消えるんじゃないですかね。初発舌打ちのあの人とかモチベも目的も持ってなかったですからね。

「うちの担当は頑張ってるのに」ならいいんです。最初からアイドルになりたかった頑張る人とかスネークならその発言は正しい。しかし、「みんな」はいけない。その時点でその批判に効力はないです。回転攻撃中の瘴気魔人に通常攻撃してるようなものです。自称雑魚でも吹けば飛ばせます

他にもいろいろあるが、オタクがちょろいのは自然の摂理なのでそれもOK。他になんか答えてほしいのがあったらコメントにでも書いてくれれば続編が出ます。そんなに見る人間いないか

で、総選挙に与えている影響ですが、どうでもいいです。

なんとも言えない状況、それだけ。

ただ言えるのは、ぶっちゃけ夢見りあむにはほぼチートに近い性質があることだけ。炎上してしまったりなんだり、すればするほど票が増えていきます。あれ?やばくないこれ?

つまるところそういう意味でも勝てない。心底マジみっともないと思うがこれは無理。夢見りあむには勝てない。少なくとも話題性においては勝てないことは明らかなのだ。だから多くのファン圏内入れば幸運しか思えない。そんなレベル

あとこれも借り受けだが、りあむガチ勢が少ないのもある。人が集まれ変人も増え、変な目線も増える。結果外部に害をもたらすこともある。りあむにはまだそれがない。りあむを批判するのはネタになるし、自担賞賛する横でライバル貶めるような厄介もりあむ本人以外は多分いない。だから誰もがそれを心地よく玩具にできる。

夢見りあむは幸せだ。他人喜怒哀楽を餌に巨大化し、本人はそれに何かを思うこともないからだ。

そんなふうに楽に過ごしたいものだ。

2019-04-30

夢見りあむの「物語」とカタストロフの夢

巷にに溢れる、夢見りあむに関する様々な文章を読んで、私も考えを記したくなったので、色々と書きなぐってみた。

長文なので、時間のあるとき暇つぶしにがてら読んでいただけたら幸いである。

さて、現在9人目のシンデレラを決める総選挙が「アイドルマスター シンデレラガールズ」というコンテンツで開催中である

連日、私のTLでは様々なPの、時にユニークで、時に切実、時に情熱的な担当マーケティングが繰り広げられている。

その中でもやはり日々彼女名前は多く飛び交い、目に留まる。

『夢見りあむ』

初登場時からそのビビットカラーな見た目と、「炎上してでも目立ちたい!」「ザコメンタル」「僕をすこれ!」などの強烈な言動、そしてその裏にあるコンプレックスアイドルへの愛というギャップ

それらの彼女の「物語」に多くのP、そしてアイマス外でも話題になり、連日トレンドをかっさらった。

しかし、当然そんな彼女の「シンデレラストーリー」は今までの年月を積み重ねてきた一定層のPの逆鱗に触れた。

「夢見りあむのようなポッと出には、『物語』もクソもない」という怨嗟の声や、

推しても燃やしてもキャラ性にあっているから隙がない」と言った嘆きと感嘆が混じった声、

「いっそのこと、夢見りあむをシンデレラガールにして、総選挙のもの破壊してしまえばいい」というもはやコンテンツ自体諦観した声、

ネガティブなこと言ってる暇あったら担当ダイマしろ!」と言った奮起の声など、夢見りあむを中心として様々な声が飛び交っていた。

そんな中迎えた中間発表、夢見りあむはまさかの全体3位であった。

結論から言ってしまおう。

私は夢見りあむが嫌いじゃない。そして「物語」がないとも思っていないし、シンデレラガールに十分相応しいアイドルだと思っている。

まず、「夢見りあむには物語がない」という言説については、私は真っ向から否定したい。

かに彼女2019年に入ってから実装されたアイドルであり、テキスト量もカード数も他のアイドルに遠く及ばない。

しかし、私は数少ない彼女シナリオから、「アイドルという偶像への理解と誠意」

「1番身近で嫌でも関わる家族へのコンプレックス

「現状を変えるほどの気力はないが、それでも劇的に変化できる夢を見たいと願っている」など、彼女バックボーンにある様々な思いや「物語」を読み取った。

それは夢見りあむ以外の新アイドル6人もそうである

(運営の描き方や待遇差などキャラ自身ではどうしようもない要因はあれど)彼女たちにはアイドルとしての「物語」がある。

要は「物語」は単なるシナリオ量等で外部からランク付けするものではなく、あくま対峙したPと、そのアイドルの間で相互作用して生まれものである

から、それ自体貶める言説はお門違いだし、キャラクターであるアイドルに失礼だと私は思う。

(しかし超個人的感情を交えるなら、もう少し掘り下げがあった方が、シンデレラガールになった時の『うまみ』があるのにもったいないかなぁとは思っている)

そして、現在のある種「輪番制」に陥ってしまっているシンデレラガールの座や声付きの順についての風穴、要は「誰が取るかわからない」「みんなにチャンスがある。」という良い意味でのカタストロフ原点回帰を夢見りあむに期待する声もある。

しかし、憎しみや悪意を持って夢見りあむを祭り上げる流れができているのは個人的には危険だと考えている。

なぜなら、それは「シンデレラガールズ」そのもの寿命を縮める結果にしかならないと考えるからである

これは総選挙というコンテンツを、現実の似たような事項に当てはめてみればおのずと答えは出る。

人間は1つの支配や、ローテーション的なものが続くと、現状体制破壊したくなる者が一定数出るものである

そして得てして人間は、「既存常識破壊」や「支配者の滅亡」に快楽や高揚感、達成感を感じてしまう。

しかし、例えばクーデター等で政権が倒された国が、なぜクーデターを繰り返すのか。答えは簡単であるクーデターを起こした側が、支配者になる。」からである

今回夢見りあむを祭り上げて、シンデレラガールにすると言う、P達の「反逆」があったとしても、まず運営ルール通りに声を付け曲を出すだけであろう。

そうなってしまったら夢見りあむに残るのは、空虚ガラスの靴だけであり、次の選挙には忘れ去られるか、(現に一度シンデレラガールになったり声が付いたりすると苦戦するのは現状にも当てはまる。)

あるいは益々ヘイトを集め、次の選挙でまた違うアイドル神輿に担がれるだけである

そして万が一、そのP達の声が届いたとしても、その先にあるのは「違うシステムでの搾取」あるいは「機会そのもの剥奪」であろう。そうなると益々怨嗟の声から人離れが加速する自体になるだろう。

また、運営メッセージを正しく受け取り、既存アイドルのプッシュを始めたとして、今度はそのアイドル内で格差が起き、問題になる未来が予想できてしまう。

そう考えると、現在総選挙という「とりあえずはどのアイドルにもチャンスがある。」という場を健常化する役目を願うのはいいが、総選挙自体を「茶番化」して貶めてしまうのは得策ではないと考える。

さて、ここまで長々と書いてきたが、では夢見りあむにとってはどんな未来ベストなのであろうか。

まずは、夢見りあむからシンデレラガールズを知った人々が「シンデレラガールになろうがなるまいが、彼女を忘れない。」事が最も重要だろう。

それは「すこる」という姿勢でも「アンチ」という姿勢でも良い。

要はコンテンツに人が定着し、あわよくば金を落としてくれるようになったら運営としても、ファンにとっても悪い事ではないかである

そして、今回の騒動運営への不信や自分コンテンツの関わり方に自信がなくなったPは「自分シンデレラガールズというコンテンツがどうなったら幸せであるか。」を一度考え、行動する必要がある。

それは運営へのお問い合わせだったり、担当ダイマだったり、はたまたPを辞めてしまう事だったりするかもしれない。

しかし、まずは具体的な理想ビジョンを思い浮かべ、自分姿勢を明らかにする事が、必ず現状からの脱却、改善への第一歩に繋がる事は確かである

シンデレラガールズというコンテンツを掻き回す台風の目となった夢見りあむ。

彼女がもたらすのは、破壊か、それとも。

長々と拙文失礼致しした。

P.S.

ちなみに私の担当は声なしです。しかし確実にジワジワと人気を集めている(と考える)Cuアイドルです。

先日バズったツイに下げたのでそれを見た方もいるかもと私も期待はしていたのですが中間は圏外でした。

私は最終日まで彼女投票しますが、他のアイドルの事も応援してますし、陰ながら報われて欲しいというアイドルもいっぱい居ます

なので、どうにかPがいい意味幸せに、あるいは妥協できる解決点を運営が示してくださることを、祈っております

2019-03-28

禁煙2日目の衝動、デジャブ、諦観

今日禁煙2日目

眠気があるようなないような妙な感じだ、ときおり突発的に吸いたい!となる

このような感覚はどこかで味わった気がする

50回はしている禁煙体験のうち、どこかで味わったであろう

いつだろう?わからない、脳が靄がかっている

禁煙ばかりしているので、おかしくなっているのかもしれない

こういうときにはタバコを吸えば治る

そのような自然な流れで禁煙を終了したのが過去5回はある

思い出していかいかんとなるのだが、芯に訴えてこない

こうやって芯に訴えてこないという感覚が前にもあった気がする

その時は、確か吸っていたと思う、クリアな情景だったか

禁煙してつらいことは、衝動と付き合うことだ

常にデジャブのような感覚が脳に張り付いていて、永遠に付き合わないといけない

希死念慮がある自分禁煙がいいのか本当にわからないし、以前未遂をしたときの思い出も

脳が靄がかっているか禁煙したときだと思う

いいのだろうか、果たして禁煙

そう考えながら靄がやさしく包んで今日を終了させてくれるかなぁ

2019-03-08

同級生と、私の二項対立

大学卒業するタイミング腐れ縁の友人と食事に行く機会があった。

友人は高校同窓会幹事みたいな役割だったので、自然同級生の話になり。

「そういえば、あい入籍するらしいよ」と、卒業大阪に行ったやつの現況を知らされて驚いた。

まあ、遅かれ早かれ結婚するとは思っていたけれど、そいつトップバッターになるとは思わなかったから。


高校時代の彼とは、出身がうちの親の集落ということもあって仲が良かった。

顔立ちは整っており、特進クラスの中でも物理が得意で、落伍者自分は度々お世話になったこともある。

一方で現役時代柔道に明け暮れていて浮いた話はあまり聞かなかったはず。

そんな彼が今や入籍とは、時間が経ったものだなぁ、と二人で感慨深げになっていた。


それがトリガーというか。

思い返せば同級生にもいろんなやつがいたなぁと懐かしく思っていた。

東大の前期に落ちたはずなのに後期に受かった化け物みたいなやつ。

Jリーグで今も選手としてサッカー続けているやつ。競輪選手で若手のホープになってるやつ。

アイドルグループに入ったやつもいれば、記者になってあちこち飛び回ってるやつもいる。

小説家になったやつ、教師の首を絞める喧嘩をしたやつ、バイク事故って成人式前に死んだやつ。

自殺未遂引き起こした奴、アカデミックを目指して進学するやつ……本当に千差万別というか、個性的な奴らばっかりだったと思う。

目の前で炒飯を掻っ込む腐れ縁の友人だってから県庁勤めが決まっているので、こいつも凄いやつの一人ではあるけれど。

そうやって同年代の、同地域にいたやつらと自分比較していくと、自分ぼんくらで何もない、虚無感に苛まれる。

良かれ悪かれ、何かを成し遂げ、自分人生を歩いている奴らにあまりにも多くて。

たかだか修士ペーペーには、そいつらの歩く道はまぶしすぎるし、到底辿り着けない道なんだろうな、と諦観が生まれている。


そういったぼんやりとした不安に蝕まれる、春風吹きすさむ昼下がりの話でした。

まとまらなくなってしまったけれど、ただ周囲とのギャップ自身無能感を吐き出したかっただけなんだと思う。

2019-03-05

ただの感情の掃き溜め。機能不全家庭と離婚した母の病気

自動思考の書きだし...

なんかムカつく。。

私は本当にしんどい思いをしてきたのに、それを否定されているように感じる。

私が母に怒りを感じるのは当たり前で、それを許そうと私だってしんどい思いで乗り越えようとしてるのに。。

結局病気になるまで罪悪感なんて全く感じずに、好き勝手生きていて、自分病気になったから、治すために自分の罪を許してもらって解放されるために呼んだってこと?それは私のためじゃない。自分のためだ。

私には献身的サポートをしてくれる人なんて、中学の時から誰もいなくて、人格否定を常にされながら育って、そのおかげで相当に苦しくて人生希望が見出せなかった。死にものぐるいで努力して、普通の人と同じ土俵に立ったと思ってもすぐに足元をすくわれた。

この精神病質は一生治らないんじゃないかって、思い悩んで、死んだ方がましで消えてしまいたいと何度も何度も繰り返しながら、原因と思われる事を恨んだ。

ずっと消えない、トラウマと変容してしまった脳と、心の歪みを抱えて、幸せを感じることができない。

そんな、人生を経てきている。何も知らないあなたが、それを否定しないでほしい。私だって病気と闘っている、幼い頃からずっと。サポートだって本当は欲しい。でも誰もいなかったから、1人で闘ってきている。本当はあったはずの青春楽しい子供時代も奪われてコンプレックスの固まりで、出来損ないの心を持って、周りに迷惑をかけている事に罪悪感を感じながら、自立しようと、まともになろうと、認められようと努力をしている。

母のことばかり優先は出来ない。母に似てるだなんて、私にとっては侮辱と同じなんだよ。私はそうは思わない、嫌なんですって前にも言っているのに、なぜ繰り返し言うの?何故、私の気持ち意見を伝えているのに、否定するようなこと、私の不幸なんて大したことじゃないみたいな風にいうの?

あなたに何が分かる。あなたに私の想いなんて分からない。母のことを本当に愛しているようだけれど、その為に私達を、利用したり、センシティブ話題に首を突っ込まないで欲しい。どんな思いで、私が病院に来ていると思っているの?

本当に腹がたつ。自分病気よりも、子供幸せを願うくらい利他的であったなら、わたしもこの感情を和らげることが出来るけど。

あんなひどいことをしておいて、一言くらいで簡単に許されると思わないで欲しい。。変なスピリチュアルカードで、どうやって病気が治りますかって聞いたら、"許し"というメッセージが出たから、だから謝ろうと思ったってそういう事なの?

罪悪感を抱えて、罪を背負いながら、生きて欲しい。それが贖罪であるから解放されただなんて思わないです。事情がなんにせよ、あなたしたことは、ひとり、ふたり人生を大きく毀損してしまったんだから

私は、人を傷つけることに凄く罪悪感があるよ。よくもあなたあんなに酷いことが出来て、言えたよね、、まだ子供の私に。それを、癌になるまで悪いと思ってなかったってこと。。?病気になるまで、謝るつもりは全く無かったって、そういう事?

から私のことが心配なら私の話をもっと聞いてくれるはずじゃない?私のことに興味を持ってくれるはずじゃ無い?応援してくれるはずじゃ無い?自分の考えの押し付けで、人の気持ちを考えていないんだよな。相手立場を慮る余裕やキャパがないのか。。いつも結局自分勝手で結局自己中。自分が常に優遇されていて、贅と快楽享受しないと気が済まない...結局そんな浅ましい人間本質は変わっていない...

そんな母のことが、ずーーーーーっと嫌いだった。そんなにすぐには、この感情は変えられない。時間がかかる。私は、母を好きになることは出来そうにないや。過去を仕方がないと受け入れて許し、彼女幸福を祈ることは出来るけれど。やっぱり、好きにはなれないよ。やっぱり近づきたくないと思ってしまったよ。死んでしまったら悲しいのかもしれないけれど、何を話していいかからないよ。まだ怒りが残っているようだ。私は次の世代や、周りの大事な人を傷つけるような事をしたく無いから、自分人生を強く幸せに生きて、周りを不幸にする愚かな選択をしたくないから。だから母の事を、少なくとも過去の母の言動思考パターンは病的で否定しないといけない。そうしないと、同じ事を、私も連鎖してしまいそうで怖いんだよ。。。。

今は献身的な夫に見せてる旦那さんだって家族が酷い状況の時に母をたぶらかし不倫して、一層家庭をかき回して、母は外泊三昧で父も子供達もみな傷ついて、私の思春期楽しい思い出が殆ど無い。離婚した時なんて、はっきりと思い出せず記憶が飛んでいる。わたしはとっくに母からサポート愛情なんてものは諦めて、必要ない、自分努力して立派になるんだって理想生活を手に入れるんだって、母の存在否定して1人で頑張るしか無かった。誰にも辛さ、悲しさ、苦しさを話すことができなかった。

そんな風に奪われるべきじゃなかった。

そのことについて、罪悪感は感じない?謝ろうとは、思わないかな?

母は離婚して旅行や贅沢三昧で罪悪感もなく、手厚いサポートあなたにしてもらえて、私は荒れた家庭でずっとひとりぼっちだった。

食事だって困ってた。病気になっても、自分対処するしか無かった。

兄や孫たちが来るのは良いけど、被害側の私や弟が来て話すのは、負担になるからもうやめた方が良い?もう来なくていい?

何なの?マジでムカつくわ....。もう2人で勝手にやってくれだなんて思うよ。私は一体何に巻き込まれていて、どうしてこんなにストレスを感じないといけないの?

せっかく過去に向き合って、母を許し、過去のことを水に流して今の母さんと、新しく絆を作ろうと思って、トラウマに苦しみながらも、体調崩して休職せざるを得なくなっても、今は母との時間を作って母のためにも自分の為にも向きあおうとしているのに....

カウンセリングだって言った。心療内科にもお世話になっている。

当たり前かもしれないけれど、現旦那は母のことしか、全く考えていない。私達がどう感じるか、どんなショックを受けるかなんか考えていない。

他のことなんてどうでも良いと思ってる。

私が昔つらかったことを話すのは母を傷つけて、体調を悪化させる、悪者扱いされている?初めに向こうから過去の嫌だったこと全部話して、言いたいことはなんでもゆってって言うから、ゆったのに。ずっと蓋をして出来れば忘れてしまいたい感情で、向き合うのも思い出すのも辛かったのに。それなりに、自分なりに人生築き上げてたところだったのに。。思い出したらフラッシュバック気持ち悪くなっちゃったよ。

どうして、それで母を悪くいう私が悪者扱いなの?

お金持ちをひけらかして、一体何なのか。ディズニーホテルなんて私は泊まったことないよ。うちの家庭ではディズニーは私が行きたいといっても兄がいかないとゆって、私だけでは連れて行ってもらえなかったよ。

母が捨てて出てった家に今でも住んでいる私は、カビだらけのエアコン20年以上未だに使っていて、母が壁に穴を開けて、嫌な思い出の詰まった部屋に住んでいるよ。一人暮らしが出来る気力も体力もないんだよ。努力してスキルを磨いて、職を手に入れ、鬱や体調不良に苦しみながら、精一杯稼げるお金年収400万だよ。

あーー良いご身分ですねーー。なんでもやってもらって、なんでも買ってもらって、好きなことだけして働きもせず、金持ちに甘やかされて、離婚して良かったですねー。あれだけそんなんじゃお前は社会でやっていけないよって、私を否定していた癖に、自分はちゃっかり、お金持ち見つけて不倫して、愛されて自立もせずに余裕があるふりして、孫を甘やかして良い人ぶって幸せ満喫ですかーそうですか。

私に贖罪したいなら、アパートの一棟くらい買って欲しいくらいだわ。言葉じゃなく、行動で示せ。利己的な動機が透けて見えるうちは、言葉は信用することが出来ない。

なんせ今までなんども裏切られてきたからねー簡単に信用したら、危ないって染み付いてるのよ。

病気が分かってから自分の住む家の改築に、自分趣味2000万ものお金を使って、私の将来のことを心配してくれる事はないもんね。成人後何度か食事に言った時もいっつも自分の話ばかりして、良い家に住んでるから遊びに来てって、自慢していたなー。こんな生活が出来る私すごいでしょーって、何にも努力してないくせになー。

私の仕事に興味待って話を聞いてくれたり、思いやってくれたり応援してくれることはなかったな〜。

子供達や孫のために、お金を残したいとは思わなかった?おまけに連帯保証人にされそうになったんだ。あれは危なかった。こうして死にそうになっていて、あの時すでに病気の事分かっていたのにね...

嗚呼、ならなくて本当に良かった。信用しなくて良かった。はあ。こういう、落し穴とか罠みたいなのがちょこちょこ潜んでいるから母と対面すると気を抜けない。

旦那は偉そうに、自分は何でも知ってるみたいな言い方しやがって、あなたに、私の気持ちや辛さは分からない。

一体母の何が良いのか。話を聞いているだけで気が滅入ってくる。論理的な話が出来ず、頓珍漢で意味不明。標準医療を拒み、代替医療大金を注ぎ込み、挙句に癌がどんどん悪化して苦しんでいる。見てるだけで、話を聞いているだけで頭が痛くなってくる。

ちゃんと、彼等との間に防御壁を作っておかないと、医者なんてヤブ医者ばかりだとか、抗がん剤は毒だとか、検診なんて無駄だとか、あなた病気じゃないか医者なんて行くなとか、そんな、将来の私に不利益になるような全く根拠のない価値観押し付けられそうになる。

から自己をしっかりと保ち、それを受け入れず、ただそれを信じ込んで祈っている弱った母の事を傷つけないように配慮しなくてはならない。

私は、素人意見よりも専門医意見を、信じる。結局それが、一番当たっている可能性が高いから。医者だって、間違うこともあるだろう。分からないこともあるだろう。でも、素人のそれよりは、断然信用出来る。良い医者に当たれば本当に信頼してお任せしたくなる。

日々、研究努力を惜しまない、優秀な医師判断を聞かないだなんて、本当に頭が悪い素人判断思い込みが何故正しいと思うのか?愚かだ。。。実に愚かだ。。。

論理的合理的思考破綻している。

まじない病気は治らない!!

揃いも揃ってアホか!!

肯定出来ないのはね、私は母のようになりたくないし、母のように生きたくないし、まともな人になりたいから。。私と同じような思いを将来子供にさせたくないから。だから私は母と似ていたらいけないんだ。母のようになったら、虐待連鎖をしてしまうことになるから

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まあでも、今は私だって父さんに支えてもらっているし、母さんだって本心から謝ってくれたのかもしれないし、母さんも辛い思いはしてきているし、職場の人にも状況理解してもらって配慮してもらっているし、、恵まれていて、皆から思われて心配されているんだよ。だからいつまでも被害者意識抱えなくていいんだよ。私のために。許せないと思い続けることが、私の負担でもあるんだよ。

私のことを愛していた、悪い事をしたと思っている、それが母さんの本心。受け入れてみよう。愛を受け取る努力をしよう。信じたい。本当は人の善意を、心から信じたい。

怒りなんて感じたくない。実の親を否定して悲しい気待ちになりたくない。昔のことは、ただのすれ違いで、今は仲直りができると思った。心から、私の事を愛している、心配してくれると思った。。

今は疑い深い、闘争本能が出ているだけなんだよ。臆病な警戒心の強い幼い私がでてるだけなんだよ。客観的に見つめて落ち着こう。


ふう。今は強く怒りの感情を感じている。

これは正当な怒り..?

この怒りの根っこは...?

これは認知のゆがみ?

被害妄想なの?

相手発言を、恣意的に歪めて、攻撃だと捉えている?

腹が立って、仕返ししてやりたい、傷つけること言ってやりたいだなんて思ってしまう。

ただ、反射的にそれをしたら私は母と同じになってしまう...

から実際には言わないで、相手が喜ぶような事を言ったりするんだけど。それが"すべき"事で自分本来の"ありたい姿"であるから

でも現にこうして私の自動思考が怒りを反射的に感じてしまうことは事実で、これをうまく解放できないと、怒りや悲しみの感情自分の中に、溜まってしまうんだと思う。そして一定以上溢れると、また抑うつや体の不調や感情麻痺が起こるのかもしれない。

アンガコントロールを学びたい。

感情を無理やり押さえつけたり、見ないようにするんじゃなくて、怒り上手く操ってあげたい。怒りを必要以上に恐れないようにしたい。

普通の人はこういう場面で怒りを感じないのかもしれない。母に似てるって言われて凄く嫌で、怒るってたしか一般的にみれば普通では無いよね。

なんだかもう会いたくなくなっちゃった

次に会うのは別にお葬式でもいいや。

私って本当愛情無いのかな。

信用してないんだな。

寂しいやつなのかな。

開きかけた扉が閉まっていく音.........

こうして、全人類に対する愛を失って、新たなトラウマになってしまうんだろうか....

人を信頼することは怖い事で、愛は存在しないと、潜在意識に刷り込まれしまうんだろうか。。。

とりあえず現旦那とは、話したく無い。うちの家庭の事情のことを理解していないのならば、悪意が無かったとしてもその余計な発言は私を苛立たせる。

はあ。イライラ些細な発言ひとつで。

疲れたな。

でも、怒りを感じる事は当然!今まであまり使っていなかった、吐き出していなかったから、ちょっと過剰反応で出ちゃってるかもしれないね

そう、この怒りは受け止められる。

私が悪いわけじゃ無い。

大人対応して偉かったね〜

もっと言い返しても良かったんだよ。

あいつ偉そうに。何なの?ムカつく。

でも、あの人も母の癌が良くなることだけを考えていて、精神的に余裕がないんだろう。

あー虐待加害者の母が愛されていることにも腹が立ってんだな。私はひとを傷つけることが怖くて、パートナーを作れないでいるのに。

だって口論なんてしたら疲れる。余計に、分かり合えないしんどさを抱えて落胆してしまうかも。問題を起こす自分として、自己否定をしてしまうかも。

母の本音が聞きたいのよ。

私の幼少期のことが聞きたいのよ。

可愛いと思ってくれていた?

愛してくれていた時はあった?

私は本来はどんな性格で、小さい頃に何があったの?何が、私の心に今も引っかかっているの?

私はどんなトラウマを抱えさせられたの?

今も私の人生にしつこくしつこくついて回る暗い影の正体を知りたいの。

どんな事を、謝りたいと思っているの?

ちゃんと思い出して話して。

私がこれから健全な心と精神を取り戻せるように協力して。

じゃないと、私はあなたを許すことは出来ない。

あなたはもう十分、人生楽しんだでしょう。子供お金をかけるより、子供希望を叶えたり、喜ばせることよりも、自分欲求を満たすことには躊躇なくお金を使って。

かわいそう?そんな風には思わない。

あれはあの人の業。

人にねー、呪詛ばかり撒き散らしていたからねー、帰ってきているんだよー。

弱い存在の子供をいじめて、鬱憤はらしていたんだから

母さんとの楽しい思い出、いくら探してもなかなかなかなかなか出てこなかったよ。

それでもね、今日は本当は、母さんにハグをしてね、昔のことはもう気に病まないで、母さんは一生懸命だったの分かっているし、育ててくれてありがとう産んでくれてありがとうって感謝を伝えようと思っていたんだよ。

そうすれば彼女の心が明るくなって、病気に良い影響になるかなと思ってさ。喜ぶかなと思ってマッサージジェルも持っていったよ。

これからは愛を与え合う関係になろうと思っていたんだよ。

そんな、私の努力と決心を踏みにじられた気持ちだよ。苛々してしまって言えなかった。

あいつ、私が3才の頃にいつも駄々こねて母が置いていくよといって置いていっていくら離れても動こうとしないなんてことが何度もあったなんて話をして、なにが言いたいわけ?3才の私が悪いとでも言うの?私の性格おかしいとでも言うの?

ああそう言う事柄があって、私のこころは少しずつ傷ついて壊れてしまったんだなって、怒りしか感じないんですが。

ムカつく。

加害者側の癖に。。。

私は誰かに加害したことなんてない。問題があると、怒りを感じても出さないようにして、うまく平和にやり過ごそうとして、そう感じる自分を責めて、全部負の感情背負ってきたんだよ。怒って口論になることが、トラウマなんだよ。イラときても人に適切に怒りの感情を出すことが出来なくなってしまったよ。子供の頃に私が怒る=倍で帰ってきて、人格否定される =罰を受けるっていうパターンが染み付いていたからかもしれない。地獄だった。そうして怒る母を否定しているからかな。。。。

一度、この感情が全て放出されるまでキレてみたい。徹底的に相手をやり込めてやりたい。言い返せないようにズタズタに心を切り刻んでやりたい。私が正しいんだって証明してみせたい。闘いたい。勝ちたい。

私が経験した、この辛さや苦しみを味あわせたい。後悔させて、泣いてすがって謝らせたい。

おっと、出てくる感情そのままに書き出していたら、まさかこんな言葉自分から出てくるとは。

本能というか、潜在意識からメッセージだろうか。気づかなかった。蓋をしていた頃は。こんな激しい強い怒りを抱えてたんだ私は。あの人の発言はキッカケで、過去の事、その時溜めてしまった事、今まで感じないように抑えていた事、ひっくるめて出てきたんだ。

今は随分穏やかになったと思っていたけど、やっぱり昔封じ込めた何かが開きかけている。何か、恐ろしいものが私の中に眠っている。

でも、こうして感情を感じられるのは良いこと。私はある時から空虚諦観を抱えた感情の無い人形のようだった。

人格は、普通のふりをしているだけで、中身が存在していなかった。楽しみも、嬉しさも感謝幸せも、ポジティブものを感じられなかった。まずは怒りを徹底的に吐き出す。そうして健全な心が帰ってくるかも!

あーーーーーーーーーむかつく!!!!!

うざい!!!自業自得だよー。

ほんまに。神さまは見てる。

それがあなたが負うべき業なのかもしれないね。赦し、だなんて。

ぴったりじゃないか

そうやっていつまでも利己的なままでいたら、きっと治らないだろうねー。

良い最後じゃん。いい気味だよ。

人を苦しめた分だけ、自分に返ってきてるんだろう。

叔母は、同じ家庭で育っても、あんなに優しく繊細で人の気持ちを思いやれる人に育った。努力して自分と向き合ったから。

あなたは何度も気づけるチャンスがあったのにも関わらず、他人責任押し付けては、自分欲求を満たすことに夢中だった。ひとを傷つけることに躊躇が無く、非常に冷酷で、それを見せつけて楽しんでいるようにもみえた。

人格障害レベルやで。許されることじゃないで。これが許されたら世の中の頑張ってる本当に子供思いのお母さんが報われないで。

これ以上私みたいな思いをする子供が、居なくなりますように。子供達が愛情たっぷりと受けてのびのびと育つことが出来ますように。

願わくば私も、そんな家庭を築けますように。


---

長い、要約編

被害感情

軽率な非合理的判断への軽蔑

・哀れに思う気持ち

・ここから学び、二の舞にはならないぞ、という決意

自分をまず大事に、母とのことで消耗しすぎない

相手問題と、自分問題は別

・この怒りは、嫉妬かもしれない

本来私が欲しかったものを持っている人、それをわたしから奪った人。

・私は今のの自分を不幸だと感じ満たされていないんだろう

・母を許せていない

・私がしんどい時に母は寄り添ってくれなかった。何故私が、心配しなくてはならない?

2019-02-09

anond:20190209012817

命は等しく平等。君はミジンコに劣ってるわけでもないけど、ミジンコに優ってるわけでもないぞ。諦観

2019-02-05

「対案を出せ」という奴に限って対案を聞く気が無い

さも自分議論をしたいのに相手土俵に乗ってこないから困った、みたいな態度なのホントウケる(諦観

2019-01-31

やらかす人間

この世には2種類の人間がいる。やらかす人間とやらかさな人間である。私は後者人間だ。やらかす人間とは、目があてられないほどに不器用で要領が悪く、他人からはどうすればそうなるの?と首をひねられ、挙げ句の果てには、ほとほとあきれられしまう状況にまでもっていくことのできる、悪い意味ですごい人間のことである。実際、私がやらかしたことに対して「逆にすごい」と評されたことが少なくない。

私がやらかす側の人間だという兆候はかなり前から現れていたように思える。学校生活では肝心な時に忘れ物が多かったり、時間割をよく間違えたりとか今思うと瑣末なやからしにすぎないのだが、たしかに他の人々と比較するとその分野では頭一つ抜けていた印象はあった。しかし、友達同士だったりクラスメイトといった内輪では笑って済まされるような場面が多かったので、そこまで私のやらかしは前景化しなかった。

その時からやらかして笑いをとるスタイル自分のものにしていた。図らずとも、私の最も得意とする笑いの取り方のひとつになってしまっていた。やらかしを笑いに昇華するという、ある種の荒業をやってのけるのは容易なことではない。今思うと、私がやらかしても、クラスメイトからはまぁあいつならそれくらいするよね、みたいな私なら許容される雰囲気が漂っていたし、それによってクスクス笑いが起きて場が和むという悪くない効果を上げていた気がしないでもない。私のやらかしは、周囲の諦観とも呼ぶべき雰囲気嘲笑によって覆い隠されていたのだ。そういう状況だったもんだからいじられキャラとしてのポジションを欲しいがままにしていた当時の私にとって、『やらかすこと=おいしい』という笑いの方程式が構築され、頭の片隅にあったことは間違いない。情けないことに、失敗で笑いを誘いその失敗をごまかすというなんとも残念な芸風を図らずとも確立してしまっていたのだ。今思えば、それは私なりの生存戦略だった気がする。やらかす側の人間だった私が生き延びる唯一の方法、それはやらかしによって笑いをとることだった。当時はまだ前景化していなかった私のやらかし指数の高さは自覚こそなかったが、自分無意識においては既に把握済みだったのかもしれない。私がやらかしても事なきを得る環境でっちあげようがために、私が大なり小なり失敗を犯しても笑ってもらえるような人間になるように、私の無意識普段言動や立ち回りを決定していた気がしてならない。

私がやらかす側の人間なんだと、いよいよ本格的に意識するようになったのは、大学生になってアルバイトを始めた時からだった。バイト先では、数々のやらかしをしてしまった。恥ずかしくて惨めな気持ちになるのでここではあんまり書きたくないのだが、例えばコンビニバイトしているときは、釣り銭間違いなんか日常茶飯事だったし、作業のやり方は、5-6回教えてもらわないと絶対覚えられなかった。どんなに簡単作業でも1回で覚えるのは不可能であった。ピ◯ーラ でバイトした時もコンビニ同様釣り銭間違いがひどく、もうなんで自分はこんなダメ人間なんだと自責の念にほぼ毎日襲われていた。やらかしても内輪では笑いで済まされるが、仕事だとそうはいかない。社会という荒野に一歩でも出ると、どんな小さな失敗でも許されないのだ。現在は、そういう事情もあってバイト恐怖症に罹患してしまい、バイトを探すこと自体は好きなので毎日かかさないのだが、またやらかししまうのではないかと私が犯した数々のやらかしがふと頭をよぎると、とたんに怖くなって申し込むのには二の足を踏んでしまう始末である。私にとって、なにかをやらかすことは前未来的に決定されている、避けられない宿痾みたいなものなのだバイトでもこんな体たらくなんだから社会人としてはやっていけそうにないだろうと悲観している。

2018-12-12

ぼくは希望が持てない

本やテレビ世界では、今日希望戦士絶望と戦っている。

希望絶望を打ち倒し、世界平和が訪れる。

よくある話だ。

人々は希望に惹かれ、絶望嫌悪する。

それがこの世界セオリーだ。

数々の希望の話を見ながら、ぼくは輝かしいと思うと同時に、いつも少しだけ、

ほんの少しだけ恐怖していた。

ぼくは希望が持てない

ぼくはごく一般的な、平和家族の元に生まれた。

優しい父と母に守られ、愛されてきた。

絵に描いたような幸せ家族だ。

ぼくは父と母が好きであるし、家族になんの不満もなかった。

友達にも恵まれていた。

幼少期は少しいじめられたりもしたものの、人との関わり方を覚え、そのいじめっ子とも仲良くなれたほどだった。

というのも、ぼくがいじめられたと思っていたことも、その子に言わせてみればじゃれ合いの範疇だったことがのちにわかたからだ。

ぼくの世界は、平和だった。

平和すぎるほどに平和だった。

そんな幸せ世界にいながら、ぼくはどうしてもフィクション世界の彼らのように、希望を持って生きることができなかった。

3日に一度、末期ガン余命宣告を受けたらと考える。

一週間に一度、隕石地球が滅んだらと考える。

そんな時、いつもぼくの心に表れるのは

羨望の念だった。

もしぼくが末期ガンになって、残り半年の命だったら?

きっと延命治療なんてしない。

できるだけ少ない苦痛の中で、放置していたゲームをやり切り、行きたい観光スポットに赴き、美味しいご飯を食べて、半年後に満足して死ぬ

不謹慎だが、こんなに幸せなことはないと思う。

もし、明日隕石地球が滅ぶなら?

皆が家族の元で最期ときを過ごそうとして、人がいなくなった渋谷スクランブル交差点に、堂々と大量のチョークを携えて立ち、地球最後落書きをしよう。

描き終わったら、地面に描いたでっかい落書き中央に寝転んで、そこから落ちてくる隕石を眺めながら昼寝でもしよう。

きっと最高に楽しい眠りにつけるだろう。

「終わり」について考えたときのぼくの中にあるのはいだって喜びだ。

きっとなんの脈絡もなく交通事故で死んだところで、明日の部屋の掃除をしなくても良くなることを喜ぶ自分がいるのだ。

明日が来ないこと、それこそが僕の救いだ。

だらだらと毎日が続いてしまったら、きっと放置していたゲームをやり切ることなく、行きたい観光スポットにも一生行かず、独り暮らし節約だけを考えた特に美味しくもないご飯を食べる生活が続く。

人の迷惑を一番に考え、スクランブル交差点で地面に落書きなんて絶対にできない。

「終わり」を考えると恐ろしいと、友人は言った。

隕石で、地震で、地球温暖化で、何かしらの大きな力で、無慈悲に人の今までの営みが消されていくのが恐ろしいと。

話を聞きながら、そうだねと相槌を打ちながら、人の営みが消されることに恐怖を覚えると言うことを、どうしても理解できずにいた。

人間は高度な文明を持ちすぎたせいで、自分地球上に生まれ動物ひとつだということを忘れがちである

動物」と「人」を分け、動物無意識に見下し下等生物だと思っている節がある。しかし、人間はただの動物に過ぎないと、神《ここでは生物支配できない天候、運命等を言う》になることはできないのだと、ぼくは常々思う。

しろ動物を超えてしまった何かになっていたのだとしたら、ぼくは僕の心臓が動いていることすら恐ろしく感じる。

たくさんの動物がこれまで絶滅してきた。隕石で、地震で、地球温暖化で。

人間がそれらの神の力によって死に絶えることが出来るなら、ぼくは人間が地上に存在して良い生き物であったと、やっと安心することができるだろう。

ぼくは、いずれ人間が滅ぶことを、心の底から望んでいる。

ぼくはきっと、希望戦士から見たら倒すべき思想を持っている人間だろう。

きっと倒されて光の力に圧倒され、希望を持てるようにされるのだろう。

でも僕は、希望を持つことが何よりも恐ろしいのだ。

希望を持った人が、その希望が続くと信じて、その希望が失われた時、その先にあるのは深い悲しみと絶望だろう。

でも、希望に触れた人が、いずれこの希望は消えると思っていたら、いざ本当に消えてしまったとき、たしかに悲しいけれど、心の準備ができていた分苦しまずに済む。

後ろ向きなことを言っていることは百も承知だ。

でも、これはぼくなりの心の防衛なのだ。期待せず、希望を持たず、諦める。

もちろん100%後ろ向きな訳ではないが、心のどこかで諦観を持っておく。

希望を持つということは体が浮いてしまうような漠然とした恐ろしさを感じる。

諦観を持っておくことで心に重石ができて、地に足を付けることができる。

「死」は、「終わり」は、僕にとってはエンドではなくフィニッシュだ。

終わりではなく完成なのだ

どうせならヨボヨボの状態でなく、現在の最高点でフィニッシュさせてしまいたい。

忘れじの 行く末までは 難ければ

今日を限りの 命ともがな

(「忘れない」と言ったあなた言葉最後まで変わらないのは難しいだろうから、私はその言葉を聞けた今日死んでしまいたい)

この和歌を歌ったのは儀同三司母という人であり、この歌は恋のうたであるが、ぼくはこの人の気持ちがよくわかる。

きっとこの人も、この幸福状態のまま自分人生を完成させてしまいたいと思ったのだろう。

希望を持つことは素晴らしい。それは同感だ。

ぼくも希望に憧れるし希望に向かって進む姿はかっこいいと思う。

しかし、ぼくがそれをやれと言われたら、きっと迷子の子ものように前に進むことができず立ち尽くしてしまうに違いない。

フィクション世界の悪役のように、人々を絶望に染めてやろうとは思わない。

でも、ぼくにとってぼくのネガティブ思考は、長年連れ添った相棒であり、ぼくの心を守ってくれた騎士でもある。

ぼくはきっと一生こいつを手放すことができない。

希望戦士にも悪役にもなれず、少しだけ希望に恐怖しながら、一般人として生きていくのだろう。

2018-11-23

HUBで一人で飲む人。そしてそれを継ぐ人

週末である

日頃の疲れを癒し労うために皆飲み屋を目指す。心なしかウキウキしている。それもそのはず今日から連休だ。

充実した社会人は日頃の鬱憤を晴らすため、またナンパを目論んで飲屋街へ繰り出す。

そんな息抜きの瞬間に異質な一人飲みの男がHUBにいた。混んでいたので私はスタンディングで酒を飲んでいた。ちょうど男が見える位置である

男はナンパするでもなくただ席で黙々と飲んでいた。

かく言う私もそうなのでその男に注目していた。男は酔うために来たのか?piano man歌詞よろしく皆で酒を楽しむつもりはなさそうだ。

しばらく男に注目していた。冴えない風貌メガネ、髪は後退しつつあり30代といったところか。私は20代半ばで一人で飲んでいて

将来の自分の姿を見ているようで親近感があったのかもしれない。又は更に若いのに同じことをしていることへの諦観か。

すると男はいつの間にか去っていった。ディティールを知るべくもない。とりあえず私は立っているのが辛かったのでそこに目ざとく居座った。端席なのであたりが見える。

皆楽しそうだ。人と飲むとこんなにも楽しいのだな、私にも経験があるので思い出す。特に男は見知らぬ女に声をかける。かけ続ける。

繁華街HUBはそう言う宿命にある。そういう輪にも入れず黙々とジントニックを嗜む。私は何をしているのか。世間の同年代青春謳歌しているか

それとも遊び疲れて成熟を迎えつつある。一体どうしてこんな違いが生まれたのか。と嘆きつつもある種の相対化に自分の中で落ち着きつつある。

数年前までは確実に、心からそう嘆いてたであろう。だが今はそれすら許さぬ。全人的な感情慟哭さえできなくなってしまった。ヒトとしてまた人として早くも死につつある

私に処方箋があるのだろうか。

2018-10-05

キン肉マンウォーズマンに寄せて

息も絶え絶えにリングの上に転がりながら、ウォーズマンロビンマスクにこう尋ねた。

「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」

ロビンマスクは彼を見つめ、力強く声をかける。

「だれも笑ってやしないよ」

から安堵すると同時にウォーズマンの全身から力が抜けていく。

それを抱きとめながらロビンマスクは涙をこぼす。



こんな感動的な場面から始めたい。

これは漫画キン肉マン」に登場する一人の超人ウォーズマンについての一つの考察である



ウォーズマンロビンマスク弟子として、漫画キン肉マン」の第8巻、

『第二十一超人オリンピック編』から登場する超人だ。

人間ロボットの間に生まれ、そのどちらにも属さない「ロボ超人である彼は登場時、

その残酷さによって読者に強烈なインパクトを与える。

針状の爪を発射する武器ベアクローを使って対戦相手を惨殺、

練習のためにグラウンドを走る死刑囚149人のうち148人を殺害

キン肉マンの仲間であるラーメンマンの側頭部を抉って脳漿に穴を開け、

植物状態にするなど、攻撃残酷さでいえば作中随一ともいえるだろう。



しかし、そのような残虐さに反して、転んだ子供に手を差し伸べて助けようとしたり、

前述した149人の死刑囚の中でも老人だけは見逃したりといった優しさが

時折垣間見えるのもウォーズマンの特徴である

性根は優しい彼を残虐な戦いに駆り立てたのは一体何だったのだろうか。


ロビンマスクは作中、「超人オリンピック」のリング上でキン肉マンへの攻撃の手を止めたウォーズマン

「また くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活にもどりたいのか」と尋ね、

ウォーズマンはそれに応えるように激しい攻撃を再開した。

ここから想像されるのは、彼が故郷ソ連で置かれていた厳しい状況である

この後、キン肉マンとの闘いを通して彼は残虐さを捨てたクリーンな戦い方の大切さに気付く。

そして、対戦相手マスクを剥いだ方が勝ちというルールの中で、

みずからそれを脱ぎ捨てると共に自分過去を語るのだ。



ウォーズマン自身が単なる超人でもロボットでもない「ロボ超人であることを嘆き、

どこにいっても爪弾きにされ、いじめられ続けた日々を回想して「地獄生活」だったと称した。

そのような彼を唯一救ったものこそが格闘技であり、

いつしか自分超人ロボットを「血まつりにあげることがいきがいとなった」のだと彼は語る。


やがて雷鳴に照らされた彼の素顔は、人間でも均整のとれたロボットでもない、

極めて歪なもの、恐ろしいものとして描かれ、

それを見つめるキン肉マンとその婚約者ビビンバの顔も稲光の中で無言にこわばっている。

彼の素顔から受けた、誰も何も発せないような衝撃、

それが登場人物の表情のみを並べることで読者に鋭く突き付けられるのだ。

ウォーズマンの「素顔」は非常にドラマチックなやり方で我々に提示される。

醜い、恐ろしい、そう思ったとしても彼を気遣えば口に出すことができない、

いわば配慮リアリティとでも呼ぶべきものがこの場面には備わっており、読者ですら、

ウォーズマンの顔からどのような印象を受けたかをあえて言葉にしないように努めてしまうのである



彼の生い立ちや素顔についての問題はここで一度大胆に明かされたのち、しばらくはその影を潜めている。

残虐を捨て、キン肉マンら「アイドル超人」の一員となったウォーズマンは、

「七人の悪魔超人編」においては戦士として、

黄金マスク」編においては作品舞台として(「黄金マスク」を巡る戦いはウォーズマンの体内で行われる)活躍し、

仲間を支えながら友情を深めていく。

そして、もはや誰もが彼にまつわる悲劇を忘れ去った頃、冒頭の事件が起きるのである



コミックス17巻に始まる「夢の超人タッグ編」において、

彼は師であるロビンマスクとタッグを組み、共闘することとなった。

この時の対戦相手ネプチューンマンキング・ザ・武道の二人が結成した「ヘル・ミッショナルズ」であり、

ロビンマスク仮面をつけたネプチューンマンの正体がかつての好敵手、

喧嘩男(ケンカマン)」なのではないかと疑っている。

やがてそれは証明されるが、ネプチューンマンは正体を知られたことを理由ロビンマスクを殺そうとする。

ウォーズマンは師を助けるためにリングに上がるも技を決め損ね、ネプチューンマン仮面を外されてしまう。

彼の素顔を見た観客は衝撃を顔に浮かべ、ウォーズマンはなんとか仮面を奪い取って、再び顔に装着する。

彼が仮面を外され、再び装着するまでの間に挟まる以下のセリフは注目すべきだろう。



ネプチューンマン「(注:ウォーズマンに対し)醜い顔を隠すために覆面超人の道を選んだのであろう」

ロビンマスク「これ(注:仮面)をウォーズマンからとりあげることはあまり残酷だ!!」



ネプチューンマンウォーズマンの素顔を「醜い」と指摘したときロビンマスク特にそれを否定しない。

それどころか、仮面をつけずに戦い続けることはウォーズマンにとって残酷だと断定的に語る。

これはなぜか。ロビンマスクもやはりウォーズマンを醜いと感じ、

それでいて庇うこともせず受け入れているのだろうか。


当然そうではない。再び仮面をはぎ取られたウォーズマンロビンマスクに、

「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」と問いかける。

そして、「だれも笑ってやしない」という言葉に安堵しながら命を落とすのである



この場面において我々が再確認しなければならないのは、

ウォーズマン自分のロボ超人としての素顔を見せること、

そしてそれを“笑われる”ことをいか忌避しているかということだ。


超人オリンピックのなかでロビンマスクウォーズマンに対し、

過去に過ごしてきた「くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活」について指摘し、

ウォーズマンは当時の暮らしぶりを取り巻く貧困生活の困窮とを思い返し、それを恐れているかのように見える。

しかし、この時ウォーズマンが真に恐怖していたのは単なる生活苦ではなく、当時の自分が置かれていた立場

すなわち、周囲からいじめられ、疎まれ続ける「地獄生活」の中で精神的なダメージを与えられることだったのだ。



ロボ超人であることが理由で受けた誹りや嘲りは彼の心に未だ深く陰を落としていた。

アイドル超人として仲間たちと友情を深めようと、戦いを乗り越えようと、

その陰を完全には取り除けていなかったことが、この場面では悲しみと共に明らかになる。

彼の陰を知るロビンマスクウォーズマンから仮面を取り上げることを「残酷」だと指摘したのは、

仮面をつけずに生きていくことがウォーズマンにとって、自分がロボ超人であることを

突きつけられながら暮らすことと同義であると考えていたためではないだろうか。

彼はここで一度命を落とし、超人墓場で長く労働をすることになる。



それから少しの時が流れ、「キン肉マン24巻に始まる「王位争奪編」において

ウォーズマンキン肉マンとの再会を遂げる。

彼は超人墓場に追いやられたキン肉マン脱出させるために、

脱出必要な「生命の玉」と呼ばれる宝珠をキン肉マンに分け与えた後、

超人専門の医師であるドクターボンベに人工心臓をもらうことで生き返り、

自身墓場から生還成功する。

この時の手術のミスのせいで彼は一度ほぼ戦闘能力を失ってしまうが、

であるロビンマスク指導を受けることで戦闘技術回復

再び登場時のような残虐な戦い方へ、そこからクリーンな戦い方へ、と復活を遂げる。



この「王位争奪編」は、キン肉マンがキン肉星の王として戴冠する場面で幕を下ろした。

平和になった世界の中、ウォーズマンアイドル超人の一人として、

メディカルサスペンション」と呼ばれる特別治療を受けることになり、長らくの療養生活を送る。

そして順調に体力を回復した彼は、「完璧超人始祖編」で再びリングに立ち、

宇宙から襲来した「完璧超人」たちを迎え撃つことになるのである



しかし、ここで再び悲劇が起こる。ウォーズマンとその対戦相手

ポーラマンとの戦いの直前、ロビンマスクが命を落とすのだ。

対戦相手であった”完璧超人ネメシスロビンマスクを破った後、

塔状に組まれリングからその体を突き落とし、砂丘に埋めてしまう。

墓穴を掘る手間を省いてやったのだ」と語るネメシス言葉を聞き、

慟哭しながら懸命に砂を掘り起こすキン肉マンの姿は非常に印象的なものである



この場面において、ロビンマスクを失った悲しみをこれまでの感謝に代え、

続く戦いに向けて決意を固めていくキン肉マンと、

戦闘が始まろうとする中にあって敵に背を向け、

もはや姿の見えない師を思って涙をこぼすウォーズマンの姿は対置され、

ライバルとして出会ったキン肉マンロビンマスク

対して師匠弟子関係にあったウォーズマンロビンマスクとの関係の違いを示している。



その違いは続くポーラマンとの戦いからも読み取ることができる。

ウォーズマンはこの戦いの中でロビンマスクを失った悲しみから暴走し、自身の戦法を見失ってしまう。

テリーマンは彼を見て、普段の「計算され尽くしたクレバーな戦いぶり」とは逆の、

ガムシャラに向かっていくだけの戦闘本能の塊」のようだと口にするが、それも当然のことである


キン肉マンにとって、ロビンマスクあくま自分と共に成長していく超人の一人であり、

彼を失ったとしても彼はそれをバネに立ち上がって自分なりの戦いを続けることができる。

しかし、ウォーズマンにとってのロビンマスクは戦い方の土台や軸作りに大きく貢献した人物なのだ

結果として彼はここで師と共に育ててきた「計算」や「クレバーさ」を失い、

積み上げてきたものを一度壊すことになるのである



ポーラマンに追い詰められ、ウォーズマンは「オレの命などどうでもいい」、

「刺し違えてでもこの戦いに勝利しなければ…ロビンに合わせる顔がない」とまで言う。

ポーラマンは彼の様子を見て、恐怖心を持たず、

ひたすらプログラムとして戦い続けるだけの「ファイティングコンピューター」だと笑った。


その時、ウォーズマンリングロビンマスクの姿を見る。

実体のない、いわば幻影のような彼はウォーズマンにこう語りかける。

「お前はいつも自分のことをロボ超人だと気にしているようだが」

「私はおまえをロボだと思ったことは一度もない」


回想の中で、ロビンマスクウォーズマン攻撃の仕方を教えている。

森の中で木を次々と攻撃、倒していくウォーズマンだが、

もう少しで目標を達成するという時になってぴたりと攻撃の手を止めてしまう。

ロビンマスクは彼を叱りつけるが、よく見るとウォーズマン攻撃しようとしていた木の陰には子鹿がいる。

ウォーズマン意図に気付き嘆息するロビンマスクの前で、子鹿は森の奥へと駆けて行く…



そのような思い出を証拠に、ロビンマスクは続ける。

「おまえは血肉の通ったわが弟子だ」

「そのことに誇りを持てる超人になってほしい」



「オレハキカイナンカジャナイ」

師の言葉を聞いたウォーズマンは、こう言って立ち上がる。

彼の言葉はこの場面で、機械人間が何を基準として分けられるのか、

この場面において“機械である”ということが何を示すか、

そのような大きなテーマをも巻き込みながら読者の方を向く。



倒されかけたところからウォーズマンは再び立ち上がり、

普段のような冷静な戦いぶりを発揮するが、

その背後にある考えを、彼はこのように説明した。



「今までオレはロビンの恩に報いようとするあまり自分の命を捨てるつもりで戦っていた」

しかロビンはこんなオレに生きろと言った!」

「だからオレはもう死ぬために闘わない!」

「生きるために…ロビンがオレに託してくれた大事な魂を守るために闘う!」



この場面で機械人間の間に置かれるのは、

戦いの中にあって「生きる」ために奮闘することはできるか、

また相手を「生かす」ことを考えられるか、ということである

ロビンマスクとの練習中、子鹿を逃がし、

「生かす」ことを考えていた時点でウォーズマン

作中における「機械」の定義を脱していたことになるが、

自身が「機械でない」との自覚もつにはまだ足りないものがあった。



それが、ロビンマスクウォーズマンに伝えた、「誇り」である

彼は自分という存在に誇りをもって初めて、

体は機械であっても心までは機械でないと宣言できるようになった。

「オレハキカイナンカジャナイ」、

そう宣言する彼の言葉があえて機械的にカタカナ表記されているのは、

あくまでも彼の体は機械でできているが、“それでも”」、という

“それでも”の先、逆説のその先を読者に想像させるためではなかったか



ここで物語は、生まれ持った肉体の性質を変えることはできないけれど、

心は変えることができるのだと我々に伝えるが、

これは奇しくも「超人オリンピック編」の中、

残虐超人として現れたウォーズマン正義に目覚め、

アイドル超人に加わったときと同様のメッセージである



そして、「友情」と「信じる心」をもって自身の体の欠点

すなわち活動限界存在を乗り越えてポーラマンを倒した後、

彼は自分がロボ超人であることを以下のように語る。



ロビンはオレのなかで永久に生き続ける このオレが死なない限り

それが寿命のない 半分機械でできた超人のいいところだ」



幼少のころ、自身を「地獄生活」に追い込んだロボットの体に対する複雑な思い

――憎しみ、悲しみ、怒り――、

それをロビンマスクが与えた誇りによって乗り越え、肯定することに、

ウォーズマンはこの場面でついに成功するのである



最終決戦としておかれたネメシス戦の直前、

ウォーズマンは自らの師を倒したネメシス報復することなく、

その立場キン肉マンに譲る。



弱気キン肉マンの自信のなさに対してウォーズマンは一度、

「半分機械からオレにはわからないのか」と口にするが、

すぐにその発言を打ち消し、「生身である半分」では理解できると語る。

自分人間的な面と機械的な面の双方を理解した彼はここで、

ロボ超人である自分理解するとともにしっかりと受け入れている。



ポーラマン戦で彼は、「超人オリンピック編」を彷彿とさせる雷雨の中、

ポーラマンマスクをはぎ取られ、

「醜いツラだ」、「みんなおまえのツラをみて笑っているぜ」と嘲笑されるが、

彼はその言葉を「それがどうした」と打ち消し、師のために戦いを続ける。



自分の顔を見られること、

そして笑われることを臨終の間際にすら恐れていたあの彼はもはや存在しない。

ロビンマスクを失った代わりに自分のロボの体に誇りを持ち、

敵を「生かし」、自分を「生かす」ことに注力する。

ウォーズマンは変わったのである



キン肉マン」という物語においては、「人は変わる」ということが繰り返し語られる。

正義の側から悪の側へ、反対に悪から正義へ、

そしてそれを超越する新たな勢力へと超人たちはその立場を次々と転じ、

その度に誰かが喜んだり悲しんだりする。

それがウォーズマンにおいて特に顕著に現れるのは彼自身が、

自分の”機械的”な外見を誰よりも気にしていたからだ。



から敬遠されるのは嫌だ、疎まれるのも怖がられるのも嫌だ。

しかし、生まれ持った体だけはどうしても変えることができない。

そんな葛藤劣等感、「変わる」ということに向けた諦観交じりの強い欲求

ウォーズマンは常に抱えているが、

そのような「変わらない」ロボットの体が他方、

物語を通した彼の精神的な成長を浮き彫りにしてもいるのだ。



今の彼は逃れようのないものに対して抗うことをせず、

かに受け入れるだけの強さを持っている。

そして、その強さが一朝一夕に獲得されたものでないと知っているからこそ、

我々はウォーズマンという超人に、より一層強く魅きつけられるのではないだろうか。

2018-10-03

結局ないのはカネなので

国立大学運営費交付金法人化する前のレベルに戻してあげてください。そのためには競争的な教育研究開発プロジェクトが無くなっても構いません。」と国民の皆様が声高に叫ぶことで、その他大勢凡庸大学教職員環境は若干改善するかも知れないが、トップレベル研究者の国外脱出ますます進み、目立つところの国際競争には負け続けるだろう。で、官僚議員も目立つところで勝たないとメンツが立たないと思っているタイプ人種なので、50番手100番手集団がちょいと順位を上げることを評価しない。というか多分それを評価する手段、もしくは、ナントカガク的に裏打ちされた、良い感じに計算すると少々の投資日本順位ジャンプアップする計算方法とか、そういうのを持ってないんだろう。

既にいろいろな先生方がいろいろな評価尺度議論をして分からせたがっているが、しかし分かってほしい相手ってのは結局縦軸か横軸がカネのグラフしか興味を持たんし理解もしないんじゃないの? A4横2~3枚くらいの量でさ。っていう諦観

競争資金の原資に当てることができる、科学振興納税かいシステムは出来ないもんなのかな。めっちゃリターンの良い返礼品つけまくってさ。ていうかそれだと多分大学教職員が率先して納税ちゃうかな。それもいいな。大手私大教員節税対策国立大が潤う。最高じゃないか。まあカネがループするから何かしら条件がつくんだろうけどさ。

支離滅裂文章増田に限る。誰も読まないし丁度良い。増田最高。酒呑んで寝る。

2018-09-29

anond:20180929165610

いやいや、その憎しみに囚われた書き込みとやらをわざわざ探し出して、こいつらは憎しみの奴隷だと宣うことの異常さに

気づいてないね。執着しすぎでしょ、どう見ても。

あと相手が自省も向上心もないって貴方は思ってるんでしょ?考えを改めることができない諦観があるわけだよね。

結論が出てるのに何故わざわざ管巻いてるの?それは貴方自分の気に入らないもの文句を言って正当化したいだけだよね。

自分が嫌だからだって言ってるだけって認めちゃいなよ

2018-09-27

絶望感の継承

ここ数日の騒ぎだったりする中で、昔と比べても互いの言葉の通じなさを感じる。

そんな中で大野左紀子さんの一連のツイートを見かけたが、もうどうしようもないのではないかとも思ったりする。

それは非モテの話が議論になっていたりした頃に比べ、抱えているやりきれなさや絶望が年齢が上がるとともにより現実になっているからではないかなぁと感じる。

あの頃、まだ通じたのは、取り返しがきく年齢だったというのもあるのではないか

もちろん実際にはそんな事はあり得ないと頭では分かってはいても、心のどこかで何かを期待できるものがあったのが、現実解が目の前に来始めていて、もうどうしようもないという諦めを抱えてしまっているように見えるのだ。

特にTwitterなんかであの手の話題に目立っているのが、そういう前世代だからというのもあるのだろう。

ただ、それ以上にかなり深刻だと思うのは、そういう現実味を帯びた人生やら世の中に対する諦観が、若い世代ロールモデルとして継承されているように見えるからだったりする。

それは同じ非モテだったりオタクだったりする人たちだけでなく、対照的存在の人たちの目にもそういうロールモデルとして見えてしまっていて、それが批判対象だったり、なりたくないロールモデルのように見えているように感じているからだ。

大野さんがTwitterで呟いたようなことは、前世代の人たちにはどうしようもない現実の中でより伝わりづらくなっており、ロールモデル継承している若い世代には、より深刻な形で伝わらなくなってしまっているのではないかなぁ。

2018-09-20

[]プーと大人になった僕

プーと大人になった僕』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。

総評

これは100点っすな。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、この100点は大傑作という意味ではない(300点とかありえる)んだけど、ごちそうさまでした、わしゃぁあ満足です。という意味で良作だというのはたしか。損しません。

まあ、家族向けとかカップル向けかと言えば、実はそんなことはなくて、一人で見に行けよおい、しか社会人がいけよ、っていうのはあるので万民向けとはいい難いんすけどね。この映画は、だって学生にはわからなさすぎでしょ。

ざっくりいうと「おとなになって社会人となり企業戦士として毎日ブラック労働をしているクリストファー・ロビン仕事家族の間で板挟み。人生迷子なっちゃったプーさんといっしょに正しい人生を探そう」みたいなあらすじ&テーマであって、それは予想通りだったし、そして予想を満たして十分以上な脚本完成度です。テーマ物語性(増田はここを中心として映画を見ちゃうタイプです。趣味合わない人は申し訳ない)でいえば、非常に満足でした。

がー。そのてんに関してはー。満足だったのでー、逆に満足であったがゆえにー。脇へうっちゃっておいてー。この映画のー。感想についてはー。別の部分をー。述べたいとー。おもいまーす。

ショタクリストファー・ロビンクリストファー・ロビンすぎてやばい

映画冒頭部分では、まだ「100エーカーの森」でくまのぷーさんと遊んでいた頃のクリストファー・ロビンショタ)が登場するんですが、もうね、これがね、非常にこうファビュラスっていうか尊いわけですよ。華奢な白人少年が四分丈の(日本で言う半ズボンよりは少し長いけど膝上の)ズボンから、少し筋張ったくらいの細っい脚をね。伸ばしてね。みどり豊かな森の中をバスケットを持って歩く姿がね。素晴らしいわけです。

わかりますか。美少年なんでございます

シーンはクリストファー・ロビンが寄宿学校へ向かうその直前。楽しく美しく永遠だと思われていた「森でのプーさんとの日々」が終わるちょうどその時。作中では「お別れをいう日(Day to say goodbye)」と描かれるその日なわけですよ。

クリストファー・ロビン楽しい田舎暮らしから、厳しく抑圧的な寄宿学校へ入らなきゃいけない。それは大人への第一歩で、もう今までのように日々をただ日々として楽しく過ごせる時間は終わってしまった。それをクリストファー・ロビン本人もわかってるんですよ。もう自分はゆったり時間を過ごせない、これから時間に追われて毎日何かをしなきゃいけない、大人になるからもう仕方ないんだって諦観してるんですよ。

その「子供としての最後の日」。100エーカーの森で、プーさんピグレットティーガーたち森の仲間でパーティーをして楽しく過ごしたその後、森を見下ろす高台丸太ベンチに座ったクリストファー・ロビンプーさんの二人は、こてんと肩を寄せ合い夕日に向かってずっと座ってるんですよ。

そこで「ぼくのことをわすれちゃうの?」と鼻にかかった声で尋ねるプーにたいして、ショタ大事なのでもう一度いう)美少年クリストファー・ロビンが、優しくて、それでいて困ったような表情で「プーのおばかさん」って言うんですよ。

ほんと。

尊い

わかるか人民どもこの尊さが? 「おばかさん」ですよ。もうね、水銀灯の牙城にいちどの跳躍で飛び込む偉大なシーンですよ。もちろん画面は映画でありフルカラーなわけですけれど、この夕暮れは追憶郷愁の甘さを伴ってセピアにさえ見えるわけですよ。つまり何がいいたいかって言うとクリストファー・ロビン尊い

イケオジクリストファー・ロビンクリストファー・ロビンすぎてやばい

あっという間に幼少期、少年期、青年期を過ごしたクリストファー・ロビン。寄宿学校で父の訃報に接して、社会に出て、将来妻になるべき女性イヴリン出会い求愛して結婚し、子供を作り、出兵(たぶん第二次世界大戦)して、なんとかロンドンに帰ってきて、就職して仕事に打ち込む中年になってるんですよ。

大企業カバン製造部門責任者となったクリストファー・ロビンは、会社上層部からこの部門効率化(予算削減)を求められていて、その要求は−20%。リストラ待ったなしの状況で、大事な部下を切り捨てるかどうかの瀬戸際の日々を送り、その結果として休日家族との時間も奪われているわけですよ。妻からは「もう何年も笑顔を見ていない」と言われ大事な娘のマデリから失望されて、でも、家族を守るために部門を守るために、家族旅行への参加をキャンセルしてまで働かなきゃならんわけです。

予定されてた旅行イヴリンとマデリンの妻子を送り出して、週末も缶詰仕事しなきゃと追い詰められたロンドンのアパルトメントのクリストファー・ロビンのもとになぜかプーさんが現れて助けを求める、というのがこの映画の第二の開幕です。

懐かしい友プー出会ったクリストファー・ロビンは彼の頼み(行方不明になってしまった仲間たちを探してほしい)を叶えるために(どっちかっていうと大都会ロンドンにおいては厄介なお荷物プーさんを森に帰すために)、郊外の美しい故郷に戻ろうとします。そこでプーさんクリストファー・ロビンは一緒に旅をするわけですけれど、相変わらずふわふわ夢みたいなことを言う(まあぬいぐるみなので当たり前だけど)プーさん脳天気っぷりに、時間黄金よりも貴重になってしまったブラックカンパニーソルジャーマシーンクリストファー・ロビンはいらつくわけですよ。プーさんベタベタはちみつで汚してしまった廊下掃除している間にも、刻一刻とリストラタイム期限が迫ってるわけで。「なにもしないをすればいい」とか「ゆっくりすればいい」とかいプーさん言動癪に障るのは、まあ、仕方ないです。

送り届けた「100エーカーの森」で、とうとうクリストファー・ロビンは切れちゃうわけっすね。

「ぼくはもう昔のぼくとは違う」とプーに突きつけてしまう。その時の表情がね、もうね、良い。

良いよね。

良い。

失意のぷーさんは「従業員を捨てなきゃならない(リストラ)」というクリストファー・ロビンに「もしかしてぼくも捨てたの?」と聞いちゃうわけです。

それに対してクリストファー・ロビンは「捨てたんだよ」と答える。

この時の表情も、良いのです。

「ソレ」をいっちゃったら相手が傷つく以上に自分も傷ついちゃうのを自覚していて、それでも言ってしまったクリストファー・ロビンの、ナイーヴな表情が尊いわけです。おっさんのくせに。イケオジつぇえな。

この時クリストファー・ロビンは「いいやプー特別友達から捨てるわけないじゃないか」と適当に言うこともできたわけです。でも、それは事実じゃないわけですよ。現実として30年以上プーさんを忘れていたわけだし、放置していたし、それは客観的にって捨てたと言われても当然なわけですよ。そういう現実を糊塗して「捨てるわけない」とクリストファー・ロビンは言えなかった。特別友達からこそ、そこで嘘はつけず、自分相手も傷つけるのなんてわかっていたけれど、「捨てたんだよ」と答えるしかなかったわけですよ。

40代になったクリストファー・ロビンはもうおっさんなわけですけれど、ロンドン紳士然としたイケオジなんですね。その彼がいろんな現実言葉を飲み込んで、意地っ張りにも露悪的な「捨てたんだ」って告げるそれが、もうね。

ほんと。

尊い

わかるか人民どもこの尊さが? 「捨てたんだ」ですよ。そんでもってさらに終盤になってね、途方に暮れて懺悔をするようにつぶやく「ぼく迷子なっちゃった」ですよ。いつも迷子になったプーさんを探しては連れ帰る、森の英雄だったショタロビンが、社会人になって人生迷子なっちゃったわけです。大事大事で何よりも大事な娘を守るために頑張ってるはずなのに当の娘にがっかりさせて心配させて、もう何が正しいんだかよくわからなくなっちゃったわけですよ。大人になったクリストファー・ロビンにこそぬいぐるみプー必要なわけです。

まり何がいいたいかって言うとクリストファー・ロビン尊い

結論

クリストファー・ロビン尊い

2018-09-11

ファンってなんだろう

10年来好きなグループの1人が過去最大の炎上してしまった。

片隅の界隈なので、広い世界で見れば些細なボヤだろうけど。

誰もが名前を知っているはずのグループなのに、片隅と形容せざるを得ないのも侘しいことだけど。

それは置いておいて。

文章を読んでいたりいなかったり、擁護と励ましの声だけをかける人がいた。

貶し愛」を掲げ続けている人が、長い文章をしたためた。

本人と長いやり取りをしようとして、叶わなくて、一連のまとめを作った人がいた。

わたし看過できない部分に、思わずエゴサにかかるような書き方をしてしまった。

「あの人はこういう人だから」といつも通り目をつぶりきれなかった人もたくさん見た。

全員、「ファン」と呼ばれたり、「ファン」を自称したりする人のはずなのに、反応はさまざま。

盲目に信じること、貶しを愛と呼ぶこと、「こういう人だから」と諦観しながら付き合うこと。

付き合い方は多様なのに、みんな「ファン」と括られる。

肯定するのも、斜に構えるのも、都合のいい距離を保つのも、ぜんぶ「ファン」なのか。

騒動の本人は、さまざまいるファンの中でどんな人だけを「ファン」として見ているんだろう。

彼らにどんな「ファンであることを求められているんだろう。

アーティストという記号の奥に生身の人間がいるように、ファンという記号の奥にも生身の人間がいる。

どういう風に在るのがお互いにとっていちばん心地いいのか、たまに分からなくなってしまう。

こういうことを考えてしまうから、都合のいいファンわたしは決してなれないんだろうけど。

騒動の人1人だけで成り立っているわけではないから、人数分の価値観とこれからも付き合っていくんだろうけど。

盲目的に信じることがいいとも、愛を免罪符に貶すことがいいとも思わない。

好きな人たちについて諦観を持ちたくないから、「こういう人だから」なんて距離の置き方もあまりしたくない。

プチ炎上自体はやはり醒めた目で見てしまっているけど、うっかり飛躍に飛躍を重ねてしまって、

どういう感情の形が、距離感が、自分の中で最もしっくりくるのか、分からなくなってしまった。

ファンであるって、どういう形がいいんだろう。

どんな感情であればわたしは躊躇わずファンと名乗れるんだろう。

ゲシュタルト崩壊の末、途方に暮れている。

2018-08-16

anond:20180816011008

諦観いたこと書くと、都合よく賛成派に加算されるぞ、増田なんぞ見ないだろうが。

外国にはどんどん抜かれて、人手不足武力的にもやばい状況にあって、この国と社会にこれ以上痛い目にあう余力なんてあるのかね?

あの、時間を奪うことは、命を奪うのと同じだからな。

2018-08-13

anond:20180813032659

こういうこと感じている人はたくさん居ると思う。

多くの人はやり過ごしているうちに40代、50代になり諦観。一部は考えすぎて鬱状態悪化もっとも少数なのは一念発起して勉強し直したり起業したりして大成功。といったところじゃないかな。

2018-08-07

なぜ女性キモいと言われるのかやっと分かった。

思春期の間に異性との会話や交流が極端にない

AV写真集などの三次元エロゲアニメなどの二次元といったコンテンツ出会ってしま

現実の異性とのコミュニケーション諦観或いは絶望或いは面倒と切り捨てて大人になる


以上の条件を満たした場合


・通常人でも困難とされる異性とのコミュニケーションが、経験知識の無さと各種コンテンツによる認知の歪みによりさらに困難となる

・このコミュニケーション不全が度を越すことで「(意思の疎通ができなくて)キモい」と判断される

となるわけだ。


どんなに嫌で面倒で恥ずかしくても、未成年の内に異性とのコミュニケーションはとっておくべきだったんだ。

子供のうちなら、どれだけ失敗していたい目に遭ってもお互い子供からで済んでいたんだ。

だけど大人になったら失敗なんてもうできないんだよ。告白して通報でもされたらそれでもう人生おしまいだ。

なんでこんなことに20年も気付かなかったんだろう。もう全部遅すぎた。

2018-07-18

ネトウヨロジックはなぜ度々時空を超えるのか

事前状況では山口証言ですら前後不覚被害者を承諾なく犯したことは明らかであるのに

なぜ被害者が事後に諦観らしき行動を見せたからと言って和姦になるのか

山口擁護者に人間資格があるとは思えぬ

2018-06-26

anond:20180626093216

正義と悪の二元論じゃないんだよ。いじめって行為は、正義とか悪じゃなく、ただ単純に法と無法の間にある障壁破壊する行為なわけ。

hagex氏が死んだのは氏が悪だったからじゃない。正義だったら死なずに済んだって訳でもない。

いじめという行為も、もはやこの段階に至っては正義のどちらであったかを問うても仕方がない。意味がない。

しかし確実に、いじめ行為が「この世の中には正邪も法も意味ないのだな」という諦観の獣を一人作り出しちゃったわけ。集団的リンチから自身が全く守られなかったという経験から、正邪や法はコミュニティの気分次第でたやす蹂躙される、つまり参加者の間の「お約束」でしかなく、何ら実態がないものだということを彼は「学習」した。その学習結果をhagex氏にレポート提出したってのが今回の事件

hagex氏が(仮に)正義だったとしても、(もしくは)悪だったとしても、あるいはこの社会に法があっても、秩序があっても、その背中やらお腹やらに、レジャーナイフめぐりこむとき、それらはhagex氏を一切救済しなかったでしょ? hagex氏は露悪的に言えば、福岡と言う先進国日本の誇る大都市一角で、何にも守護されることなくただ死んだ。

今回事件はだから正しい意味テロなんだよ。社会やら常識で守られてるつもりの僕らのいう「守り」は「諦観の獣」に対しては全くなんの意味もないという点で、正しくテロ。獣が悪だったとかhagex氏が善だったとか今更言ってもなんの意味もない。それで死者が蘇生するわけでもなし、同種の事件が今後防がれるわけでもない。

善悪にこだわることは、今回の事件希釈して実態から目をそらし精神の安寧を保とうとする防衛反応なのは理解できるけれど、意味殆ど無い。

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