はてなキーワード: piano manとは
私はインストの部分が大好きだ
イントロだと
Lust for life、Purple Haze、Piano Man、Hotel California、あのトワイライト(アウトロも)、空洞です、リライト、空気力学少女と少年の詩
アウトロだと
ソロだと
Stairway to heaven、群青日和、センチメンタルピリオド、桜のあと、忘れられないの(アウトロも)、Pretender、Butter-fly、せーので跳べって言ってんの!、ギミー!レボリューション
辺りが最近聴いた曲の中ではとても好きだった
楽器出来る人は自分のやってる楽器のパートじゃなくても弾いてるとこ思い浮かべて気持ち良くなる、というのはままある気がする
ちょっと前にやってた『植物男子ベランダー』ってドラマが面白かった。田口トモロヲとか銀杏の峯田が出てた。配信とかされてないのが寂しい。
『結婚できない男』と近いような、独身男(植物〜の主人公は一応バツイチだけど)の理想の生活って感じのくだらねーコメディ。でも押し付けがましくない程度にちょっとイイ話もある。随所にサブカル愛が感じられたのも似てる。
BGMの選曲のセンスがやたら良くて、その影響で高校の頃音楽に目覚めたと言っても良い。あとビリー・ジョエルの"Piano Man"がずっと好きだったけど曲名が分からなくて、このドラマのお陰で知る事ができた。
曰く、シシトウ栽培は初心者でも簡単で、夏になれば無限に実がなるらしいけど、水分の調整をしくじるとやたら辛くなるらしい。でも私は辛めのが好みなので、いつかやってみたいなと思ってる。
クレソンの回もあって、ステーキ屋の添え物でも包んで持ち帰ってコップに挿せばたくましく成長するという。これはつばめグリルの添え物を持ち帰って真似してみた。ちょっと成長したけど、何が悪かったかその後萎れてしまったのでまた挑戦したい。
深夜にふと流れてきた曲。
おそらく、バーのピアニストとしてのビリー本人の目線で、バーの様子が語られていく世界観の楽曲で、
バーの雰囲気だけでなく、そこに訪れる客のバックグラウンドなども語られる。
その曲中で、彼の友人であるJohnについて語られる部分がある。
「飲み代持ってくれて、ジョークが上手くて、タバコの火にも気が回るようなヤツ」という明るい面が提示された後に、「彼はこんな所にいるべきではない、他にいるべき場所があるはずだ」というフレーズがあり、Johnが話したセリフとして次のような歌詞に導かれる。
“Bill, I believe this is killing me.
Well, I’m sure that I could be a movie star, if I could get out of this place.”
(部分省略)
ざっと訳すと、
きっと映画のスターにもなれたさ、こんなところにいなければな。」のようになる。
これはkilling meを慣用句として捉えた場合で、これは「耐えられない、うんざりさせる」といった意味がある。
かのウイルスが奪ったのは命だけでなく、「自粛」という形で、誰かの仕事や趣味や生きがいをも奪っていった。
自分がやりたいことを「自粛しなければいけない」という状況で、「何か役に立てることをしたい」「自分を表現したい」と思っていても、「自粛」を強いられて部屋の中で燻っている。
表現をする知人は「時間はあるのに、何も生み出せず、まるで死んだみたいだ」と語っていた。
そんなとき、自分の生きがいを奪われた人は「殺された」言えるのではないだろうか。
ともすれば、This virus is killing me. という文は、実際に闘病して生死の境を彷徨っている場合にも使えるとは思うが、さまざまな要因で「生きている心地がしない」という意味合いも持つのではないだろうか。
Johnは役者になりたかったのかもしれない。でも、厳しい役者の世界で自分の性格に合わずにドロップアウトしたのかもしれない。家庭の事情で夢を追いかけるのを諦めてしまったのかもしれない。
自分のやりたかったことを辞めなければいけない辛さに直面したとき、それはIt is killing him.(それは彼を殺している)と言えるのではないだろうか。
それが成立するならば、この文脈における私の解釈は「This is killing me.=俺はもう生きている心地がしないんだ」である。
「もう俺は生きている心地がしないんだ。
もしここを出て行くことができれば、な」
きっと自粛の下で、この危険な状況下で生きている心地がしない方もいるだろうし、上記のような生きがいを奪われて死んだようになっている人もいて、
週末である。
日頃の疲れを癒し労うために皆飲み屋を目指す。心なしか皆ウキウキしている。それもそのはず今日から連休だ。
充実した社会人は日頃の鬱憤を晴らすため、またナンパを目論んで飲屋街へ繰り出す。
そんな息抜きの瞬間に異質な一人飲みの男がHUBにいた。混んでいたので私はスタンディングで酒を飲んでいた。ちょうど男が見える位置である。
男はナンパするでもなくただ席で黙々と飲んでいた。
かく言う私もそうなのでその男に注目していた。男は酔うために来たのか?piano manの歌詞よろしく皆で酒を楽しむつもりはなさそうだ。
しばらく男に注目していた。冴えない風貌。メガネ、髪は後退しつつあり30代といったところか。私は20代半ばで一人で飲んでいて
将来の自分の姿を見ているようで親近感があったのかもしれない。又は更に若いのに同じことをしていることへの諦観か。
すると男はいつの間にか去っていった。ディティールを知るべくもない。とりあえず私は立っているのが辛かったのでそこに目ざとく居座った。端席なのであたりが見える。
皆楽しそうだ。人と飲むとこんなにも楽しいのだな、私にも経験があるので思い出す。特に男は見知らぬ女に声をかける。かけ続ける。
繁華街のHUBはそう言う宿命にある。そういう輪にも入れず黙々とジントニックを嗜む。私は何をしているのか。世間の同年代は青春を謳歌しているか
それとも遊び疲れて成熟を迎えつつある。一体どうしてこんな違いが生まれたのか。と嘆きつつもある種の相対化に自分の中で落ち着きつつある。
数年前までは確実に、心からそう嘆いてたであろう。だが今はそれすら許さぬ。全人的な感情の慟哭さえできなくなってしまった。ヒトとしてまた人として早くも死につつある
私に処方箋があるのだろうか。