はてなキーワード: 活動限界とは
なんか、感想見るとやたらエヴァエヴァ書かれてるんだけど、まあ、時期的にエヴァの影響がないとは言い難いけど、
エヴァをパクったというより、出渕氏と庵野氏が世代的に近いからか似た作品の影響を受けてるわけで、
ラーゼフォンのムーリアンの血が青いのはブルークリスマスが元ネタだし、
エヴァのパターン青!使徒です!の青も同じ岡本喜八、ブルークリスマスが元ネタで、
自分は出渕、庵野世代よりも若いので、ブルークリスマスは雑誌ロードショーだったか、
映画雑誌のバックナンバーを近所の図書館とか、あと親戚の家で収集している人がいて、
それでブルークリスマスを実際に見たことはなかったけど、雑誌で見てトラウマのひとつになってたんだよな
円谷の昔のホラーとか、見たことないけど子供心には怖かった、ガス人間とか、電送人間とか
大人になって見て、ドゴラとかも子供の頃のトラウマだったんだけど、実際見てみると正直ショボかったんだよな
エヴァエヴァ言ってる人も、エヴァの元ネタってちゃんと分かってんのかな?って思ってしまう
自分は第一話から、ウルトラマンかー、と思ってたし、活動限界とかカラータイマーあるしw
ガイナックス作品とかって、分かる人が見たら、そこで突然みんな爆笑し始めたりするんだよな
大学時代にみんなで視聴してたりすると…
話が難しいから嫌い、という人も多いみたい…
流石にそれは勿体ない、単なる時空の捻じれ?によって年齢が離れてしまった男女の恋愛ものとして見ればいいと思うし…
しかし、それにしてもラストバトルだけ取り出しても自分にもよく分からんのよな
で、綾人の遺伝子上の母親は久遠なわけだけど、ラストで久遠と殴り合いするわけで、
つまり、母親と息子が壮絶な殴り合いをするわけで、という理解でいいのかな…
例えば、初代ガンダムだって父親殺しであるし、あぁ、あれも母親殺しとも言えるのかな…
アムロは両親を見捨てる、見限るわけだけど、精神的に殺してるわけだよな
それが少年が大人になる、自立するという意味なんだと思うんだけど、
ラーゼフォンはなんで遺伝子上とはいえ、母親と殴り合いの取っ組み合いの喧嘩するのかさっぱり分からん
なんだかんだ久遠とか麻弥はムーリアンのはずだから、ムーリアンとして、異次元からの侵略者として、
地球というか、この世界側をムーリアンの都合がいい世界に完全に改変したかった、ということなのだろうか?
文化らしいことと言えば!
そうブクマたくさん欲しいというかブクマがたくさんつく増田を書くって言うことを私使命としてプロ増田を目指すことを今やすっかり忘れていた今日この頃いかがお過ごしですか?
もうさ、
私ちゃんと種まきやっておいたわよ、
久しぶりの増活!
私が納得するブクマ数までは達することまでには至らなかった火蓋を切って落とすわけには行かなかったんだけど、
私が私にくれたもの~
たくさんブクマのついた増田をみごと達成成し遂げることができて文化の日ね!お母さん!って堂々と言える事となったわけなの。
やっぱり普通の増田も書いておかなくちゃいけないことをすっかり
飛ぶことを忘れた鳥のように、
私は毎日何をやっていたの?って自問自答を連続飛び込み前転を行うように繰り返していたわけなの。
まあそれはともかく、
久っさしぶりに本当に久しぶりに
みかんの花咲く丘公園前駅の商店街のかつてはよく通い詰めていて久しくこの例のコロナのせいで時間も時短でよろしく出来なかった焼き鳥屋さんがあったのよ。
で久しぶりに行ったら、
お客さん今までに見たことないぐらいパンパンの満員でテラス席までお客さんがあふれかえっていて、
そのテラス席には急遽というか、
私も初めて見たんだけどそのテラス席!
それが吊して照明にしてあって明るいテラスでご機嫌さんたちが大勢だったわ。
私は幸いにして飛び込み前転で入店できたからか分からないけど、
その意気込みを買ってくれたのかは知らないけど、
カウンター角の席が空いていて、
マスター大将に目配せしてここに座るわね!って調子で座ったの。
私がいつも初っぱなにスタートダッシュで頼むスピードメニュー以外のメニューの焼き鳥串盛り合わせを頼んだけど
今日は砂ずりがないから豚バラでもいいか?って尋ねてくるじゃない!
待ってましたと言わんばかりに
いつも一緒のカード、
つまり串しか来ない盛り合わせと言っておきながらいつもの決まったスタイルのフォーマットの串が並ぶんだけど、
といっても事前にもう豚バラの串が来ることはあらかじめ分かっていたんだけど、
町田市のマンホールの焼き鳥の絵柄を思い出しながら食べる焼き鳥もまた乙よねーって
焼き鳥談義に花を咲かせていたわけなの。
ちょうど花を咲かせまくっていて花瓶を2つ目に交換して頂いたところで、
というか私も一人焼き鳥屋さんで活動できる活動限界時間ってのがあって、
とても一人で焼き鳥を食べ続けるジャンボ白田さんみたいなメンタルもないしうどん屋も経営してないし、
食べるもの食べて飲めるモノ飲んだらわりと潔くパパッと帰るって感じのスタイルなの。
うちは24時間営業です!って。
もうかつての調子を取り戻したかのように営業時間も絶好調ってわけなのね。
商店街の灯りもなんだか明るいような気がしてちょっと良いなって思ったのよね。
でさー、
文化的な話題をまた一つ歩織り込まなくちゃいけない文化の日の昨今。
私!
それはざる蕎麦に付いてくるワサビの使い方をどうやって食べるのが一番美味しいのか問題!
ツユにつけてとかしてしまうと全部わさび味のワサビになってしまうほど、
終始始めから終わりまで蕎麦を食べる味がまったくわさびの味しかしないのよ。
そこで、そこでよ!
盛られたわさびをちょいと箸でつまんでお蕎麦に乗せて食べるって方法!
わさびの風味をガッカリせずに勇気100パーセントで堪能できるの。
またわさび乗せで戻ってきたてもいいし、
その往復も自由自在なのよ。
だいたいの私ぐらいの頭の人が考えることはすでにローマの歴史を重ねてきた頃から道は一つに通ずるなんていうから、
きっとローマ時代のそば屋から開発されていたワサビのせの食べ方だったかも知れないけれど、
私はそれに気付いてしまって
なにこれ美味しいじゃない!って
文化の日にふさわしいなんか本当に文化的な話しで大変恐縮なんだけど、
いや~
この蕎麦のわさびの食べ方の最適解が出てしかも秀逸な再現可能な実験でもあるし、
つまりは誰にでもお勧めしうることが出来る可能性を秘めているから可及的速やかにできるだけ早く皆に知らせたいってことなのよ。
もうよく分からないけど俵万智か俵万智じゃないかって言われたら俵万智さんじゃないけど
こんな文化的なことがフィーバーする?って目を疑ってしまったわ。
とても文化的な日ね!
うふふ。
この殿堂入り感!
我ながら最強に美味しさが強まって美味しいわね。
なんかまたちょっと暖かくなってきてない?
ホッツもいいけど、
たまには冷たいものをと思ってレモン炭酸ウォーラーを切らしていてしまっていたので、
この時期追加でたくさん買うのは超中期的に見て躊躇してしまいそうよね。
なかったので、
にしました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
観た人と感想を共有したくて書くだけ。
ま、断っとかないとうるさい奴がうるさそうなので。
さて、書くか。
実際に観てみるまでは、
「またまた〜そんなこと言ってまたモヤっとしたエンドなんでしょ〜?」
と思っていたが、観終わってみると、確かにこれは「完結」であった。
すなわち、エヴァが「完結」するとは、観客が「もう続きは観なくていいかな・・・」と思うことなのだった。
序を観た時は
って感想が巷に溢れていた。
そりゃもう本当、逆に斬新だったよな。
破を観た時は
「こういうエヴァがあってもよかった!!!続きが早く観てえ!!!」
と思ったもんだったよ。
心がぽかぽかしたよな。
その期待を一身に背負って出てきたのがQだった時の絶望たるや。
「完結」とは程遠い、「早く続きを観せろ!」という状態だった。
なんとも言い難いのだけれども、全体的にダサい。
綾波が田植えをするのは斬新でよかったが、全体的になんとも言えないダサさが漂っている。
画面がごちゃごちゃしていて、何と戦っているのか分からない戦闘シーンが多い。
だいたいエヴァのセンスっていうのは、エヴァという制御できない力、現象への恐怖、畏怖、制御しきれない無力感、
そしてエヴァという強大な力を恐れながら利用する人の賢さ、全能感、生へのしぶとさが絶妙なバランスで混ざって生まれる、独特のものだった。
それがまるでない。
早く電池切れてさっきまでの超常の力を発揮できなくなって無力感に苛まれろよ。
そして思春期特有のアイデンティティ・クライシスと相まって独自のセンスを醸し出せよ。
劇中でさんざんシンジに「メンタル弱すぎ」って怒鳴ってるアスカだけど、
トウジやケンスケが大人の余裕でうじうじしたシンジを受け入れ、心の傷が癒えるのを辛抱強く待っているのに
「先に大人になった」って自称してるアスカが子供のまますぎてイラつく。
14歳の女の子がそういうキャラだと愛らしいのに、28歳でそれって、単純にキャラとして魅力がない・・・
シンジ立ち直るの急過ぎるだろ。
心的外傷を負って何もできなくなっても腹は減る。
泣きながらレーション食べなきゃならないのは情けないよな。
どうなるんだろって思ってたら、様子を見に来た綾波に、
「みんなどうして僕に優しいんだよ!」
それが「大人」になるきっかけになったらしいが、まともにからんでたの一週間くらいだろ。
だいたい、シンジ君はメンタルが弱いというほど弱いわけではない。
「できるわけないよ!」
って言いたくなるだろう。
例えば、近所に熊が出たから、
「猟銃持って駆除してきて」
って言われて
「やってみる」
って言える人はどれくらいいるんだ?
10代でも30代でも60代でも、目の前に傷だらけの少女が出てきて、お前がやならきゃこの子が熊撃ちに行くぞって空気で圧力かけられても、やるなんて言い出せないだろ普通。
やったことないだけの釣りを「できない」なんて断る奴じゃないだろ。
後半では何かと「やってみる」と言うようになるが、そんな安請け合いできるような簡単な話だったら誰も苦労しないんだよ。
つまんねぇな!!!!
そして、自分はこれが一番の問題だと思うが、ゲンドウとユイのなれそめが映画の中で描写されてない。
観客の大部分はTV版も旧劇場版も観ているから、ゲンドウが人類補完計画を進めている理由は知っているはずだが、新劇の中ではほとんど触れられていない。
「ああ見えて実はカワイイ所がある」
なんて言う女性がかつて居たという、衝撃の事実を知ることはない。
ここを書き忘れたなんてことはありえない。
後半でゲンドウが半生を振り返りながら内心を吐露するシーンがあるのだから、
その前に生前のユイとゲンドウの心温まる交流の回想でもなければ、このシーンの価値が無くなってしまう。
人類を皆殺しにしてても取り戻したかった物がなんなのか観客に示すことなく、
だから制作陣は、TV版にはあったこれらのシーンをわざと省いたのだ。
なぜか?
おそらく、制作陣はシン・エヴァを、序から始まる新映画版を完結させる気で作ってないのだ。
もうこれ以上「続きを作れ」と言われない形でまとめることだけを優先したのだろう。
よっぽどもうエヴァを作りたくないんだな。
いろんな所から「もうエヴァ作りたくない」ってインタビューが聞こえてきてたけど、これほどとは。
もしゲンドウの行動を正当化できてしまうようなシーンを描いてしまったら、
前半で描かれたトウジやヒカリやケンスケの、慎ましくも幸せな生活を全てぶち壊してでも取り戻したいと思えてしまえるような、
そんな幸福をゲンドウが得ていたと描いてしまったら、必ずファンは
「続きが観たい」
と言うからだ。
今回のゲンドウの内心の吐露で、ゲンドウは子供の頃から陰キャで人嫌いだったのが大学のゼミで彼女できて全部どうでもよくなった、っていうしょうもない奴だと分かってしまったわけだ。
でもそれはシン・エヴァでは描かれることはなかった。
だってそんな所を見せられたら、「続き」が観たくなるもんな。
「エヴァの『続き』を作れ」
って言われてしまうよな。
不器用だが一生懸命なゲンドウがユイと一緒に赤ちゃんだったころのシンジを育てる話とか。
絶対に当たるわ。
「なにやってんの!」
とあきれるユイ。
そこで一言
「問題ない」
絶対に当たるわ。
実際にこういうスピンオフをやるかどうかはともかくとして。
そういう話を考えたくなるほど、物語にのめりこめるってことが重要だった。
だが、それじゃ永遠に「エヴァの続きを作れ」と言われてしまう。
だから、のめりこめない話を作って「完結」にした。
つまんなかったな。
だから俺達が言うべきことは一つなんだろうと思う。
「エヴァはもう忘れた!
シン・エヴは古いんだよな、どうしようもなく。
ゴジラが違和感なく観れるのになんでエヴになると古く感じるのかわかんないんだけど古いと感じる。
時代にあってないのかな(俺が)。
すごいセリフが上滑りしているというか。
なんか色んなことを言い合いするでしょ、活動限界やらいつものなんか初見で聞いたら何を言ってるのかわからない語句とかで。
そういうのが何か全部エヴのパロディを見てるみたいな感じになるんよな。
コントをみているというか。
これがまだリメイクなら大丈夫だったんだけど、Qになって戦艦とか出てきて、いつものように主人公がなんだかんだ悩むんだけど、感情移入なんて全くしてないから本当にただただどうもよくなってくるんよ。
これまだ続けて3本見てるんなら違うかもしれんけど、あいだ空くと本当に駄目で。
結局シンをみる理由って惰性なんだよな。
はじめまして、内科勤務医(膠原病科所属)増田と申します。同業者の皆さんお疲れ様です!
私ごとですが一昨年から市中病院に転勤となり内科救急の現場にがっつり関わることとなりました。2年やっているうちに救急来院される患者様に時間帯ごと特徴があるのでは?と感じGWの息抜きに記録してみました。あくまでn=1の田舎2次救急、外科系は別医師が対応という条件なので、こんな病院もあるんだなぁくらいに聞いてください(コロナに関する当院での対応については省略します)
この時間は最後の駆け込み的に施設入所中の80-90才がいらっしゃいます。夕食前の検温で発熱を確認あるいはその時点で意識がはっきりしないとのことで救急要請になります。点滴も取れないほどの細くて脆い血管、複雑な病歴、認知症の進行、ADLは全介助と一筋縄ではいきません。大抵血液検査と画像で〇〇炎あるいは高度脱水の診断となり、半分程度の方が入院となります。
20-0時
この時間は一晩は我慢できると思ったけど駄目でした…と申し訳なさそうに来院される腹痛がメイン層です。なぜか朝からすごく痛いのに日中受診せず救急帯になってから来院される患者様もいますが。原因は虫垂炎、膵炎、胆嚢炎、感染性腸炎、月経痛がcommonですが、穿孔・捻転・腸閉塞まで多種多彩です。必要に応じて造影CTを撮りますが、その場合基本的に時間を急ぐなにかが写ります。一晩勤務していると消化器内科・外科当番医をどちらか呼ぶかどちらも呼ぶ症例に必ず当たります。呼ばない日はない気がします。消化器の先生いつもありがとうございます。
0-3時
遅れてやってくる腹痛患者様(救急センターが23時まで。そこからの転院搬送は遅くなる)を捌いていると、不摂生の末ついに心臓の血管を詰まらせたアドヒアランスの悪い患者様の時間に突入します。ぱんぱんに張った腕から点滴(難度高)、脂肪に埋まった大腿動脈…本当に医者泣かせです。痩せてください。それでも検査を進めていくと糖尿病のせいでさほど痛くない心筋梗塞と判明し、外来に緊張感が走ります。循環器の先生をコール後、外来で心カテ準備をしていると先生が到着。簡単な病歴をプレゼンしてバトンタッチ。解離の場合は当院では診れませんので造影CT・転院搬送の準備を進めます。この時間の胸痛は一刻を争うケースが多いので…
そしてこの時間帯といえば急性アルコール中毒と精神疾患患者様の過剰服薬…ガーグルベースン間に合わず床に広がった吐物の処理は精神的にくるものがあります。
3-6時
アラサーが視野に入ってきた私の活動限界は3時半なんですが、1時以降に来院がなければ3時くらいには仮眠が取れる…と見せかけて寝ついて1時間で事務から30分後に自家用車で来院ありと電話がはいります、がっかり。自家用車は来るまで遅いアンド時間通り来ないアンド30分が仮眠とるには短すぎるの三重苦。そして5時台の花形といえば起床後手足の麻痺に気づいた高血圧の患者様。まあ大体脳梗塞なので発症時刻推定して神経所見取ったあと頭部CT,MRIへ送り、神経内科の先生に引き渡す準備をします。MRIの長い長い撮影の合間に、意識消失できた若者と突然目眩で嘔吐を繰り返す中高年の検査を進めておきます。命に関わる疾患がルールアウトされれば帰宅可能です。
6-8時半
5時台に来た患者を診察終了するといつのまにか空が明るい。私も研修医も限界はとうに超えており、7時半の患者は病棟周りをしていた救急科の先生に引き継ぎ、救急外来は解散。しかしまだ救急来院者一覧の記載が残ってます。年齢性別病名入院の有無と助けてくれた先生の名前とありがとうを書いて今度こそ終わりです。今夜も15人診たんだなぁ…と感慨に浸ります。
と、大体一晩こんな感じですね。8時半になっても病棟業務があるので、救急外来終わってもまだ帰れません。回診、血液検査のデータ見て必要に応じて検査と処置追加、点滴と内服薬が切れてれば出す、カルテ記載。これが終わって持ち患の急変がなければ帰れます。帰って寝て次の日8時半からまた仕事です。我ながら働いてるなぁ。赴任したての頃は次から次に担ぎ込まれて来る患者!忙しい!現場やばい!寝れない!大学病院いた頃と大違い!と大慌てだったんですけど、命からがらなんとかやってます。あとどの診療科の先生にも本当にいつもお世話になってます!ありがとうございます!
最後にこれは我慢できないくらい痛い、何かある…!って思ったら躊躇わずに救急に来てください!!ただ何となくとかのような気がするとかちょっと心配でくらいであれば平日日中の診療時間中にお願いします。あと不摂生な人は生活バランス整えて機を見て定期検診行ってくださいね。心筋梗塞!吐くほど痛いですよ!
息も絶え絶えにリングの上に転がりながら、ウォーズマンはロビンマスクにこう尋ねた。
「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」
ロビンマスクは彼を見つめ、力強く声をかける。
「だれも笑ってやしないよ」
心から安堵すると同時にウォーズマンの全身から力が抜けていく。
それを抱きとめながらロビンマスクは涙をこぼす。
こんな感動的な場面から始めたい。
これは漫画「キン肉マン」に登場する一人の超人、ウォーズマンについての一つの考察である。
ウォーズマンはロビンマスクの弟子として、漫画「キン肉マン」の第8巻、
人間とロボットの間に生まれ、そのどちらにも属さない「ロボ超人」である彼は登場時、
針状の爪を発射する武器、ベアークローを使って対戦相手を惨殺、
練習のためにグラウンドを走る死刑囚149人のうち148人を殺害、
キン肉マンの仲間であるラーメンマンの側頭部を抉って脳漿に穴を開け、
植物状態にするなど、攻撃の残酷さでいえば作中随一ともいえるだろう。
しかし、そのような残虐さに反して、転んだ子供に手を差し伸べて助けようとしたり、
前述した149人の死刑囚の中でも老人だけは見逃したりといった優しさが
性根は優しい彼を残虐な戦いに駆り立てたのは一体何だったのだろうか。
ロビンマスクは作中、「超人オリンピック」のリング上でキン肉マンへの攻撃の手を止めたウォーズマンに
「また くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活にもどりたいのか」と尋ね、
ここから想像されるのは、彼が故郷のソ連で置かれていた厳しい状況である。
この後、キン肉マンとの闘いを通して彼は残虐さを捨てたクリーンな戦い方の大切さに気付く。
そして、対戦相手のマスクを剥いだ方が勝ちというルールの中で、
ウォーズマンは自身が単なる超人でもロボットでもない「ロボ超人」であることを嘆き、
どこにいっても爪弾きにされ、いじめられ続けた日々を回想して「地獄の生活」だったと称した。
いつしか自分は超人やロボットを「血まつりにあげることがいきがいとなった」のだと彼は語る。
やがて雷鳴に照らされた彼の素顔は、人間でも均整のとれたロボットでもない、
それを見つめるキン肉マンとその婚約者ビビンバの顔も稲光の中で無言にこわばっている。
彼の素顔から受けた、誰も何も発せないような衝撃、
それが登場人物の表情のみを並べることで読者に鋭く突き付けられるのだ。
ウォーズマンの「素顔」は非常にドラマチックなやり方で我々に提示される。
醜い、恐ろしい、そう思ったとしても彼を気遣えば口に出すことができない、
いわば配慮のリアリティとでも呼ぶべきものがこの場面には備わっており、読者ですら、
ウォーズマンの顔からどのような印象を受けたかをあえて言葉にしないように努めてしまうのである。
彼の生い立ちや素顔についての問題はここで一度大胆に明かされたのち、しばらくはその影を潜めている。
残虐を捨て、キン肉マンら「アイドル超人」の一員となったウォーズマンは、
「黄金のマスク」編においては作品舞台として(「黄金のマスク」を巡る戦いはウォーズマンの体内で行われる)活躍し、
仲間を支えながら友情を深めていく。
そして、もはや誰もが彼にまつわる悲劇を忘れ去った頃、冒頭の事件が起きるのである。
彼は師であるロビンマスクとタッグを組み、共闘することとなった。
この時の対戦相手はネプチューンマンとキング・ザ・武道の二人が結成した「ヘル・ミッショナルズ」であり、
ロビンマスクは仮面をつけたネプチューンマンの正体がかつての好敵手、
やがてそれは証明されるが、ネプチューンマンは正体を知られたことを理由にロビンマスクを殺そうとする。
ウォーズマンは師を助けるためにリングに上がるも技を決め損ね、ネプチューンマンに仮面を外されてしまう。
彼の素顔を見た観客は衝撃を顔に浮かべ、ウォーズマンはなんとか仮面を奪い取って、再び顔に装着する。
彼が仮面を外され、再び装着するまでの間に挟まる以下のセリフは注目すべきだろう。
ネプチューンマン「(注:ウォーズマンに対し)醜い顔を隠すために覆面超人の道を選んだのであろう」
ロビンマスク「これ(注:仮面)をウォーズマンからとりあげることはあまりに残酷だ!!」
ネプチューンマンがウォーズマンの素顔を「醜い」と指摘したとき、ロビンマスクは特にそれを否定しない。
それどころか、仮面をつけずに戦い続けることはウォーズマンにとって残酷だと断定的に語る。
これはなぜか。ロビンマスクもやはりウォーズマンを醜いと感じ、
それでいて庇うこともせず受け入れているのだろうか。
当然そうではない。再び仮面をはぎ取られたウォーズマンはロビンマスクに、
そして、「だれも笑ってやしない」という言葉に安堵しながら命を落とすのである。
この場面において我々が再確認しなければならないのは、
そしてそれを“笑われる”ことをいかに忌避しているかということだ。
過去に過ごしてきた「くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活」について指摘し、
ウォーズマンは当時の暮らしぶりを取り巻く貧困と生活の困窮とを思い返し、それを恐れているかのように見える。
しかし、この時ウォーズマンが真に恐怖していたのは単なる生活苦ではなく、当時の自分が置かれていた立場、
すなわち、周囲からいじめられ、疎まれ続ける「地獄の生活」の中で精神的なダメージを与えられることだったのだ。
ロボ超人であることが理由で受けた誹りや嘲りは彼の心に未だ深く陰を落としていた。
アイドル超人として仲間たちと友情を深めようと、戦いを乗り越えようと、
その陰を完全には取り除けていなかったことが、この場面では悲しみと共に明らかになる。
彼の陰を知るロビンマスクがウォーズマンから仮面を取り上げることを「残酷」だと指摘したのは、
仮面をつけずに生きていくことがウォーズマンにとって、自分がロボ超人であることを
突きつけられながら暮らすことと同義であると考えていたためではないだろうか。
彼はここで一度命を落とし、超人墓場で長く労働をすることになる。
それから少しの時が流れ、「キン肉マン」24巻に始まる「王位争奪編」において
脱出に必要な「生命の玉」と呼ばれる宝珠をキン肉マンに分け与えた後、
超人専門の医師であるドクター・ボンベに人工心臓をもらうことで生き返り、
この時の手術のミスのせいで彼は一度ほぼ戦闘能力を失ってしまうが、
再び登場時のような残虐な戦い方へ、そこからクリーンな戦い方へ、と復活を遂げる。
この「王位争奪編」は、キン肉マンがキン肉星の王として戴冠する場面で幕を下ろした。
平和になった世界の中、ウォーズマンはアイドル超人の一人として、
「メディカル・サスペンション」と呼ばれる特別な治療を受けることになり、長らくの療養生活を送る。
そして順調に体力を回復した彼は、「完璧超人始祖編」で再びリングに立ち、
宇宙から襲来した「完璧超人」たちを迎え撃つことになるのである。
しかし、ここで再び悲劇が起こる。ウォーズマンとその対戦相手、
対戦相手であった”完璧超人”ネメシスはロビンマスクを破った後、
塔状に組まれたリングからその体を突き落とし、砂丘に埋めてしまう。
「墓穴を掘る手間を省いてやったのだ」と語るネメシスの言葉を聞き、
慟哭しながら懸命に砂を掘り起こすキン肉マンの姿は非常に印象的なものである。
この場面において、ロビンマスクを失った悲しみをこれまでの感謝に代え、
続く戦いに向けて決意を固めていくキン肉マンと、
戦闘が始まろうとする中にあって敵に背を向け、
もはや姿の見えない師を思って涙をこぼすウォーズマンの姿は対置され、
対して師匠と弟子の関係にあったウォーズマンとロビンマスクとの関係の違いを示している。
その違いは続くポーラマンとの戦いからも読み取ることができる。
ウォーズマンはこの戦いの中でロビンマスクを失った悲しみから暴走し、自身の戦法を見失ってしまう。
テリーマンは彼を見て、普段の「計算され尽くしたクレバーな戦いぶり」とは逆の、
「ガムシャラに向かっていくだけの戦闘本能の塊」のようだと口にするが、それも当然のことである。
キン肉マンにとって、ロビンマスクはあくまで自分と共に成長していく超人の一人であり、
彼を失ったとしても彼はそれをバネに立ち上がって自分なりの戦いを続けることができる。
しかし、ウォーズマンにとってのロビンマスクは戦い方の土台や軸作りに大きく貢献した人物なのだ。
結果として彼はここで師と共に育ててきた「計算」や「クレバーさ」を失い、
ポーラマンに追い詰められ、ウォーズマンは「オレの命などどうでもいい」、
「刺し違えてでもこの戦いに勝利しなければ…ロビンに合わせる顔がない」とまで言う。
ひたすらプログラムとして戦い続けるだけの「ファイティング・コンピューター」だと笑った。
実体のない、いわば幻影のような彼はウォーズマンにこう語りかける。
「お前はいつも自分のことをロボ超人だと気にしているようだが」
「私はおまえをロボだと思ったことは一度もない」
回想の中で、ロビンマスクはウォーズマンに攻撃の仕方を教えている。
もう少しで目標を達成するという時になってぴたりと攻撃の手を止めてしまう。
ロビンマスクは彼を叱りつけるが、よく見るとウォーズマンが攻撃しようとしていた木の陰には子鹿がいる。
ウォーズマンの意図に気付き嘆息するロビンマスクの前で、子鹿は森の奥へと駆けて行く…
「おまえは血肉の通ったわが弟子だ」
「そのことに誇りを持てる超人になってほしい」
「オレハキカイナンカジャナイ」
彼の言葉はこの場面で、機械と人間が何を基準として分けられるのか、
そのような大きなテーマをも巻き込みながら読者の方を向く。
普段のような冷静な戦いぶりを発揮するが、
その背後にある考えを、彼はこのように説明した。
「今までオレはロビンの恩に報いようとするあまり自分の命を捨てるつもりで戦っていた」
「生きるために…ロビンがオレに託してくれた大事な魂を守るために闘う!」
戦いの中にあって「生きる」ために奮闘することはできるか、
「生かす」ことを考えていた時点でウォーズマンは
彼自身が「機械でない」との自覚をもつにはまだ足りないものがあった。
それが、ロビンマスクがウォーズマンに伝えた、「誇り」である。
体は機械であっても心までは機械でないと宣言できるようになった。
「オレハキカイナンカジャナイ」、
そう宣言する彼の言葉があえて機械的にカタカナで表記されているのは、
「あくまでも彼の体は機械でできているが、“それでも”」、という
“それでも”の先、逆説のその先を読者に想像させるためではなかったか。
ここで物語は、生まれ持った肉体の性質を変えることはできないけれど、
心は変えることができるのだと我々に伝えるが、
「ロビンはオレのなかで永久に生き続ける このオレが死なない限り
幼少のころ、自身を「地獄の生活」に追い込んだロボットの体に対する複雑な思い
――憎しみ、悲しみ、怒り――、
それをロビンマスクが与えた誇りによって乗り越え、肯定することに、
最終決戦としておかれたネメシス戦の直前、
すぐにその発言を打ち消し、「生身である半分」では理解できると語る。
ロボ超人である自分を理解するとともにしっかりと受け入れている。
ポーラマン戦で彼は、「超人オリンピック編」を彷彿とさせる雷雨の中、
「醜いツラだ」、「みんなおまえのツラをみて笑っているぜ」と嘲笑されるが、
彼はその言葉を「それがどうした」と打ち消し、師のために戦いを続ける。
自分の顔を見られること、
そして笑われることを臨終の間際にすら恐れていたあの彼はもはや存在しない。
敵を「生かし」、自分を「生かす」ことに注力する。
「キン肉マン」という物語においては、「人は変わる」ということが繰り返し語られる。
そしてそれを超越する新たな勢力へと超人たちはその立場を次々と転じ、
その度に誰かが喜んだり悲しんだりする。
しかし、生まれ持った体だけはどうしても変えることができない。
そんな葛藤や劣等感、「変わる」ということに向けた諦観交じりの強い欲求を
ウォーズマンは常に抱えているが、
そのような「変わらない」ロボットの体が他方、
静かに受け入れるだけの強さを持っている。
私は今の会社に勤めておおよそ2年半、管理職になって半年が経とうとしている。
といっても名ばかり管理職であり、訴訟となれば管理職と認められないとされてしまう店長だ。
店長とは言うが人手不足故店には半月もいない日々が続いていた。
店舗間の移動をする、シフトのやりくりの為に使われるヘルプの店長代理。それが主だった私の役割。
もしかしたら働くことに張り合いを持てなくなってきたのかもしれない。
第一目標の資格は取れた。これで他業種でも管理職になれるだけのスキルを得た。
それでも今の仕事を続けている。
そして日常ルーチンで部下が起こしてしまうミスをカバーしきれなくて翌日に持ち越してしまう。
向いていないのではないかと思ってしまう。これでも前年営業成績1位は取れたのに。
今年だって前年比を順調に上回っているのに。
部下の管理能力と、自分の営業力は違うそういうことでもないと痛感している。
私はできると声の大きい人に押しつぶされていることもとても悲しい。
ここに居たくない気持ちでいっぱいだ。
本当は空回って疲れているだけだ。分かっているからまだ頑張ろうと思う。
ここまで書いたところで新しい思ってもみなかったミスが発覚した。
できないならできないと言え、体調管理をしっかりして欲しいと、敬愛する上司からパワハラと注意と心配とを受けた。
普段であれば凹むシーンだったが、大変申し訳ないことに体調が悪いことにも気付いていなかった。
ただ、こういったケアレスミスは酷く疲れていると起こる典型的なミスだ。
しかし、面白いことに当日私は正規の手順を踏み、2度もグラムを確認し、グラムの余裕も取っていたのだった。
グラムの読み違いや、センチの測り間違いに注意しようという話をしたところだった。
私は過去に1度、10cmの測り間違いをしてクレームにつなげているのでとても敏感だったからだ。
そして体調が悪いことにも気が付いていない。
脳が死んでいる。疲れている。個人の能力がどうこうというレベルではない。
活動限界を超えたエヴァがまともな仕事をするわけない。活動限界をなんだと思ってるんだ。
取り返しのつかないミスをする前で良かった。
磨耗している、それだけ。
だから、自分の力がないとかあの人が嫌いだとかは事実を根拠とすれども、くだらない妄想だ。
去年の実績を根拠に今年もがっつり頑張れば、去年と同じように結果は出る。
体調管理はどうしても苦手だ。でも自分でどうにかできることだと思う。
上司に迷惑かけないよう、助けになれるよう体調管理を第一に頑張ろう。
去年は医者の世話にならなかった。それが健康と錯覚していた原因だ。
転職するにしても目いっぱい頑張ろう。
現状に対して私にできることがあって良かった。
表題の働きたくないと思う気持ちは、誰にも迷惑をかけたくないというそれだった。
このままだと迷惑をかけてしまう。それが分かっていてもどうにもできないしどうにもならない。
そんな気持ちでいっぱいだった。
悲しいことばかりが思い出されて、過去を数えて時間を浪費してまた迷惑が膨らんでいく。
それでも通常の自分だとこれはありえないという自信と、環境が劣悪だというもっともらしい理由と、実行可能な解決方法さえあれば心はいつでも持ち直せる。
これを失ったら間違いなく前後不覚だと申し訳ない気持ちも忘れて思わず笑ってしまうような、何かを把握していれば、いつでも本来の自分に軌道修正ができる。
そういえばここ5日程毎日過去に関連付けた悪夢を見ていたし、冷凍庫に入りきらない程の食料品を買ってしまっていたし、ブルーライトカットのメガネを紛失していたし、鍵を二度も落としてしまっていた。
夜更かしはしていなかったし沢山食べて体重も増やしたのに。野菜も育たないほどの寒気らしいから仕方がない。
今売られている白菜は4倍の値段だから、4倍すごい。そして私は4倍の白菜にはなるには管理が甘すぎた。
4倍高くても当然普段よりおいしくないし栄養価も低い、費用対効果は最悪のぜいたく品だ。これは白菜が高くて買えなかった鬱憤混じりの戯言だ。
いやすごく面白かったし泣けたんですけど、あと納得いかないといってもSF考証的な事じゃなくて、
要するに11話の終わり、かばんちゃんがどういうつもりで抵抗をやめて巨大セルリアンに食べられるに任せたのか。
あそこでかばんちゃんが代わりに食べられても、まだ目線の届く範囲で気絶状態のサーバルちゃんの安全はどう考えても確保出来ておらず、
本来さっさと巨大セルリアンの進路を海に向けなおすべき場面なんだよね。
最終回が来るまではきっと何か考えがあるんだと思っていたのに、いざ12話が始まったらそのまま食べられてるんだよ。何やってんの。
かばんちゃんあの時実は活動限界だった説とかあるけど、それなら尚更行ける所まで走るだろうし、
走ろうとしても膝をついてもう走れない的な場面が入るでしょう?
最初は、キャラ多すぎ内輪バトルしすぎと思っていたけど、繰り返し読んでいくうちに面白くなってきた
能力バトル漫画といえば、何かと理由をつけては1対1になるイメージだけど、集団対集団、その中でも3対3対3や1対多が描かれるのがおもしろい。
1対1だと単純な強弱の差で話が終わってしまうが、集団戦だと弱くても他を生かす戦いができたりして良い。
全員の能力が違ったら複雑すぎて描くのは難しいだろうけど、汎用武器なのが集団戦を可能にしてるのかも。
これのおかげでスパスパ手足が斬られたりする。
緊張感がないといえばないが、重傷っぽくても味方は死なず、すぐ回復するような漫画よりは良いし、見ていて絵面が派手で良い。
キャッチフレーズの「遅効性SF」が示すように繰り返し読んでいると面白くなってくるタイプ。
(これは人によるだろうけど。)
なんでそうなるかというと、数多くいるキャラクターの性格、関係性、能力、サイドエフェクト、各トリガーの特性を把握して読むとより面白くなるから。
ジャンプ誌上だけで追ってる人とかよく把握できるなと思う。
ここからは気になるところ。
キャラがわらわら出てくるわりに見た目もそんなに差別化されてなくて、漫然と読んでると覚えきれない。
似たような「僕のヒーローアカデミア」は、見た目も分かりやすく違うし、名前が能力とリンクしてたりするから分かりやすいんだけどね。
そのうちディープなファンしかついていけなくなるんじゃないかとちょっと心配。
一回
七つの大罪もそうだけど、男性キャラが女性キャラにセクハラをするシーンを肯定的(? 少なくともあまり否定的には感じなかった)に描くのは何なんだろうか。
飄々としたキャラを描こうとしてるのか?
黒トリガーがそんなに強いなら、なぜ量産しないのか。遺族には名誉と財産をあげることにしたりして量産できたりしそうなもんだけど。
派閥争いがあるからって黒トリガー争奪でいきなりドンパチはじめるのは組織としてどうなのか。
読み込んでいるわけじゃないから既に答えが示されているのもあるかも。