はてなキーワード: メジャーとは
先程ふと、たんたんたぬきの金玉は風も無いのにぶーらぶら♪が、歌詞の馬鹿馬鹿しさに対して曲が美しすぎると気が付いた。
アホの坂田の歌のように、立派な元曲が存在している可能性がある。
そこで検索してみるとやはりあった。
神の御許の美しい川でまた会いましょうと、葬式で流れる歌らしい。
結構メジャーな聖歌だったらしく、西部劇映画でも多く使用されている。
https://youtu.be/Dt_90xWsVXU?si=aot_-0VY1pZC4-VM
しかし聞いてみたらたぬきの金玉と曲が違うところも有り、たぬきの金玉程のリズムの良さは無い。
こんな真面目な聖歌を聞いて、いきなりたぬきの金玉へと替え歌にしたのも少し不自然に感じる。
まず1891(明治24)「あなおもしろ」として「国民唱歌集」(小山作之助編)におさめられた。
ここで歌詞も楽譜も書き換えられ跳ねるような曲、少年向けの歌に変化している。
花を散らさぬほどにふれ
あなおもしろの弓矢の道や
文武を忘れぬほどに好け」
1937年(昭和12年)には、替え歌の「タバコやの娘」(作詞:園ひさし、作曲:鈴木静一)が、岸井明と平井英子の歌で大ヒット。
https://youtu.be/eXb6PW4zc2E?si=zKFYIdw-OiQs0tzf
たんたんたぬきの金玉はこの頃に歌われ始めているようだ、多分たばこ屋の娘の影響が色濃いのだろうが、曲が微妙に違い、聖歌からの影響も感じられる。
そして、変化が繰り返されリズムが良くなった曲は、鉄火焼せんべい、ビックカメラ、カメラのナニワ、アースゴキブリホウ酸団子、コンクゴキンジャム等々多くのCMで替え歌が利用されている。
まず色々勘違いが多いのは103万云々で関係あるのは学生とその親であり
1.シンプルに働くと給与が出てそれが年103万以内なら給与にかかる税金、所得税がかかりません
そっから先はかかります給与から103万を引いた額を対象に これを178万までにしましょうねってのが今話題のあれ
2.よく子供が働き過ぎて親に叱られるエピソードの原因は、子供が103万までしか稼がない間は
親の支払う税金に控除が発生する特定扶養控除ってものがある。超えるとこの控除がなくなっちゃう
でね、正直国民民主含めて誰が何を望んでるのかでそれぞれ考え方は違うんだろうけど
1の方をとっぱらうと対象は現在103万以上稼いでる人全員だから影響も大きい税収が少なくなっちゃうとかもあるし
手取りが増える人も多いよね。それはそれでいいんだけど、学生とかパートとかがもっと働ける云々の目的の為ならちょっとズレてる感じはする。
だって103とか130とか150とかで働いてる人の所得税だけなら大したことないんだもの。
学生が103万以上働くネックは2の方が基本的にメジャーだよね?
でね私というか誰もが気になるのは2の方の壁も延びるのかなという確信と
2の方がなくなる又は、延びるのであれば、1の方は別にそのままで大した問題じゃなくない?って部分
減収が壁を取り外すネックになるというのなら所得税自体はそのままでいいよ
どう思う?
・物語の終盤で主人公がなにもない異空間だか超未来だかに飛ばされて、そこで長い時間を過ごす(五億年ボタン的な感じ。ただし探しているのはアニメ版五億年ボタンではない)
・主人公は男で、飛ばされる時になにかマスコット的なキャラクターが一緒だったような気がする(違うかも)
2006.12.10 丸藤vs三沢 GHCチャンピオンとして格を上げつつあった丸藤が、団体の象徴三沢と満を持して対決したカード。誰もがここで三沢が丸藤に格を渡して一線を退くものと思っていた。だが一進一退の攻防を繰り返したあと、最後は三沢が丸藤から3カウントを奪う。この後、無理してチャンピオンを続けた三沢がどうなって、ノアがどうなってしまったかは御存知の通り。名プロレスラーとメジャー団体の運命を決めてしまった一戦。
試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合の真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山が木村をシュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道の系譜がもっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道をプロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。
言わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合は人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。
初代のタイガーマスクがデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画のキャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。
選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身のレスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キックがクリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合は引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーはリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。
公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木と巌流島に立てられたリング上で時間無制限、ノールール、レフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤のインタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤が裸絞めで失神し、猪木が勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラーが純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。
プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田の一騎打ち。新日本とUWFインターの対抗戦として行われたこの興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合に武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレスを代表する固め技で武藤がギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合は面白くなる、ということを示した貴重な一戦。
橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である。橋本はジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスにフェイク無しを魅せつけた一戦。
既に引退していた長州をなぜか大仁田がストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的に成功し、大仁田のお家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉のまやかしを大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合は長州の勝利。なお、この大仁田が長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初は大仁田からの理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋は大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。
2000年はプロレス界激動の年だった。6月に全日本プロレスから選手がクーデター同然に大量離脱し、残った選手は川田利明と渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本のリングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本の現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘をしかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野、忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本のリングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野の勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイクで第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものがプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。
一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合のクオリティも高く、当時の2ch・プロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合で三沢は小橋を花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しかし最後は小橋がバーニングハンマーを繰り出して逆転勝利。ベルトの価値、そして団体の価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。
以下、選外
この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合。
全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディの親友であるハンセンがセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセンが試合にラリアートで介入し、ブロディ、スヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙に馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセンと乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。
故意か事故か、川田が三沢に対して垂直落下式パワーボム(通称:三冠ボム)を敢行した試合。勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。
ハヤブサ(FMW)、新崎人生(みちのくプロレス)というインディー団体のレスラーでもメジャー団体のベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体の立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本を代表するタッグチームと呼んで良い。
犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次に勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレスは永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である。
デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西が後楽園ホールのバルコニー席からテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチの限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西が勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビューで葛西は現役続行を宣言したことから、デスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。
今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。
10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいいか。
・全日本プロレス軽視では?
⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったから新日本はハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。
⇒自分が最近の試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本を崖っぷちで踏みとどまらせたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合は事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。
・総合格闘技戦について
⇒自分も桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技をたまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである。桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人が総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというものに一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田がミルコに負けていた。
・女子プロレスは?
⇒女子は女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!? 今しかないぞ、俺達がやるのは!
・信彦じゃなくて延彦な
正直すまんかった、正直ポカした。
40代男性。服にかける金はできれば自分の趣味とか他のことに使いたい。なのでファストファッション上等になっている。
しかしさすがにそればかりだとやばいなとも思うのでたまにZOZOとかで古着を買ってみたりはする。
そしてたどり着いてしまうのがアウトドアメーカーのアウターとかである。
服のブランドは全然覚えられないけどアウトドア系のブランドはなぜか覚えられる。
メジャーなとこのなら分かりやすし、変にも見えにくいし、着てて楽だし、機能性も高い。
ここがもうボーダーラインになっていて、それ以上のオシャレってのがもうまったく分からない。
そもそも普段の自分の生活圏内において、これ以上のオシャレも必要ないことがほとんどなのだ。
しかしもちろん困ることもある。
たまに人が多く集まる場に行くときとか、知らない人達との飲み会とか、そういう時に「普段よりちょっといい感じのコーデ」みたいなのができない。
自分みたいなやつ、めちゃくちゃいっぱいいると思う。
大谷フィーバーで野球熱が高まり、大谷自身が全国の小学校にグローブを寄付するなど、減少しつつある野球人口を回復しようとする動きも活発になっている。
野球はやめておけ。
神童と呼ばれるレベルの子が結局プロにすら届かないのは当たり前。
大谷レベルの才能でも甲子園には出場できていないことからもわかるように、いくら自分が強くても上の大会には進めない。だからといって強豪校に進んでしまえば9割方は応援席、よくてもベンチである。
中学や高校の同級生を見ていて感じるのだが、優秀な運動センスを持つ人材が野球部に流れすぎていて、レッドオーシャンそのものだ。そのため、ベンチで3年間を終えるような子でも、他の部活ならエース級、インハイ出場レベルになれる逸材だらけである。
このような才能が野球という無駄にレベルの高い運ゲーで擦り潰されるのは日本にとっても本人にとっても損失である。
超一流選手でも打率3割強、調子のいいタイミングを切り出しても4割がいいところだ。つまり大事な試合で打てるか打てないかなんて運にすぎない。
スタメンなら1試合あたり3〜5打席立てるわけだが、死ぬほど努力して打率5割のバケモンになれたとしても全打席凡退の可能性は十分あるし、自分が打てても後続が3割ガチャを引けなければ点数にならない。
プロ野球のペナントレースならある程度確率が収束するだろうが、高校野球はなんとトーナメント戦である。血と汗と涙を流した3年間の集大成がガチャで決まってしまう運ゲーというのはあまりにも馬鹿馬鹿しく、家で寝転がってソシャゲのガチャでも引いていた方がよほど有意義である。
たとえ運ゲーだとしても努力をした日々は無駄にならない! スポーツを通じて身に付けた健全な精神と人間性にこそ価値がある! という人もいるだろう。
しかしこれを見てほしい。
https://video.twimg.com/ext_tw_video/972787886717222913/pu/vid/640x360/Pc24MvGUASmFbpeu.mp4
これは稲村亜美という女性タレントが始球式を行った際の映像である。
恐ろしいことに、稲村氏が始球式を終えたあと、男子中学生たちが何の許可もなく稲村氏ににじり寄り、一斉に襲いかかっている様子がわかる。
野球で心を鍛えているはずの男子中学生たちがこの有り様なのだ。
本当に野球で鍛えられるのは礼儀でも人間性でもなく、怖い監督や先輩の目の前では逆らわないという奴隷根性と、集団で気が大きくなって一人の女の子を襲うという卑怯な「チームプレー」精神なのかもしれない。
大谷が飛び抜けて優れている点は何だろうか。
190センチ超の恵まれた体格、鍛え上げた体、野球に全てを捧げる精神力、マンダラチャートに代表されるような努力の軌跡……。
どんなに筋肉を付けても、どんなに素振りをしても、ボールに目が追いつかないと打てやしない。
しかも悲しいことに、動体視力は筋力と違って、努力より才能に因る部分が大きい。鈴木誠也選手は大谷以上にゴリゴリムキムキに鍛えてメジャーで活躍しているが、大谷には勝てていない。筋力で上回れても、動体視力で上回らないと野球で勝てないのだ。
最近共通の趣味で話すようになった同年代の男友達が、たまに突然「あーちんこちんこ」と言うのだが、いつも反応に困ってしまう。
増田にとって、ちんこは無い臓器だし、なんか正直実物と関わるときはシリアスで濃密(?)な場面が大体だし、ギャグとして聞き流すにはちょっと重い感覚がある。
その場にいた他の男友達にウケているのを見ると、「(無い臓器の内輪ネタわからない…!)」と思ってしまう。
返答として「そうだね〜まんこまんこ!」って言うのは違うってわかるけど、礼儀として私も出せるもの出さなきゃかな…とか、考えてしまう。絶対違うってわかってるし、しないけど!
男女ともにこの感覚になるとしたら、例えば「あーへその緒、へその緒」って言われる感じ…?
多分友人はそんなこと特に深く考えず発言しているんだろうけど、そこまで「臓器内輪ネタギャグ」って同性間ではメジャーでライトな会話技なのだろうか?
とにかくどういう反応が適切なのかわからず、最近ずっと気になっている。
【追記】
→意図は知りたいが、そもそもあんまり異性の前で「ちんこ」とか言いたくない。匿名だから書けるけど言葉にして発するの結構抵抗ある。だから後から個別で「あの時言った「あーちんこちんこ」って…どういう意味だったんですか??」と聞くのもなおさらできない。(そもそもその人とは雑談をサシでするほどの仲ではない)
ふるさと納税の話って
なんかこう、都会と田舎のお金の動き、みたいな話に終始しがちだけどさ
特産品はあるが他の土地と比べると見劣りする、みたいな自治体は
参加費用(準備費用や人件費)だけ払ってマイナスなんて所多い筈なんだよね
このマイナスは、ふるさと納税としての流出と流入の話じゃなくて
箱モノ行政の来館者の居ない施設みたいな、単純に施策としてマイナスって話
でさ
ふるさと納税の話する時に、都会は子供の教育費返してないよね、みたいに賢しげに言う人いるけれど
税金配分制度への参加で、貧困自治体へ参加費用が発生して、必ず回収できるわけでもないってさ
PRしないのが悪いとかそういう自己責任論を、税の配分に持ち出して
配分比率すらも
「既にメジャーな特産品がある(一定程度は税収もあっただろう)」自治体がさらに富んで
考えた奴は馬鹿なのか?
しかもこれ
保険とか扶養とかの経費とかの、税計算前所得への減算じゃなくて
計算結果の住民税を一部他へ払ったという体だから、税金そのものから返礼品分減税されてる
たった2000円で、多分「生命保険料控除、介護医療保険料控除、個人年金保険料控除」のすべてを上限まで使うよりもお得
この後、大谷翔平が理想的なキャリアを全うしたときにどれぐらいの通算成績になるかを試算してみた。ここでいう通算成績はメジャーとNPBでの通算勝敗数、および打者としての通算安打およびホームラン数を求める。
この手のシミュレーションは前提がほぼ全てなのであるが、面倒くさいので下記のように仮定する。
直近の大谷は投手としては22年と23年は先発でフル回転して2年間で25勝14敗で、今年は全休である。シミュレーションの上で、この「2年フル回転1年休み」のペースをメジャー在籍中は続けることになる。投げれる年はエース級として君臨する。一方、直近三年の打者としての大谷翔平はヒットを449本、ホームランを124本打っているので、これが3年間の成績として積み重なることになる。ホームランは一年平均41本。脂ののった全盛期の大谷すごい。
全盛期の大谷の7がけをして3年間合計でピッチャーとしては17勝10敗。ローテーションの主軸としてはやや頼りないが、まだ行ける。
打者としての大谷は3年合計でヒット314本、ホームラン86本。一年平均でホームラン28本。だいたいフリーマンと同じぐらいの成績である。頼れる中軸である。
ピッチャーとしては3年間で12勝7敗。かなり厳しい。バッターとしては224安打62本塁打。ホームランが一年平均20本とかすごい。まだバッターとしてはやれそうだが、この年限りでNPBに復帰させる。
ピッチャーとしては山本昌、工藤公康、黒田博樹の40歳以降の平均成績を収めることとする。
山本昌(46勝42敗)、工藤公康(40勝37敗)、黒田博樹(21勝16敗)より、大谷翔平の40才以降の通算成績は35勝32敗となる。
一方、バッターとしては落合博満、宮本慎也、金本知憲の3人の平均を取ることとする。
落合博満(617安打75本塁打)、宮本慎也(430安打9本塁打)、金本知憲(452安打80本塁打)より、大谷翔平の40歳以降の通算成績は509安打55本塁打となる。
投手としての現在までの成績(メジャー38勝19敗、NPB42勝15敗)、および打者としての成績(メジャー 878安打 225本塁打、NPB 296安打 48本塁打)を上記に加えることで生涯通算成績を求めた。
投手としての大谷翔平はメジャー通算92勝50敗、NPB通算77勝47敗、合計169勝97敗となる。投手単独では200勝への到達は厳しい。
打者としての大谷翔平はメジャー通算1865安打497本塁打、NPB通算805安打 103本塁打、合計2665安打 602本塁打となる。打者としては日本では安打数では王貞治と門田博光の間で歴代4位、ホームラン数では野村克也と門田博光の間で3位に位置することになる。なお、メジャー単独の記録としては、ホームランがルー・ゲーリッグを上回り歴代29位に相当するものとなる。
ハイキューが最終回を迎えた際、Twitterで感想を漁っていたら、「なんでバレーしてるだけなのにこんなに泣けるんだろう」というファンの投稿が目に入った。自分はハイキューで泣けるほどの感受性はとうに持ち合わせてなかったが、そこから数えて24年前にほとんど同じ気持ちを味わっていた。
井上雄彦の作品に通底するのは徹底したリアリズムである。彼が本作で行ったのは、本気でバスケットボールに挑む人間の思考と感情をつまびらかにするだけで面白くなるということの証明と、人気が出なかった時のため不良路線でも行けるような作風を選んだことだけである(当時バスケットボールがマイナースポーツであったことに留意したい)。この結果、フンフンディフェンスを除くあらゆる要素が後世のスポーツマンガにリアリティの基準点をもたらすこととなった。
桜木花道がバスケットマンに変貌するたった4ヶ月の物語は、命のやりとりや世界が終わることよりも一本のシュートの成否の方が遥かに切実で重要な問題になりうることを、今なお我々に伝えている。
講談社は1970年代末期には後発のジャンプにマンガ業界の盟主の地位を明け渡しているわけだが、それを奪い返す最大のチャンスが90年代後半に訪れた。DB幽白スラダンといった作品が終了した暗黒期のジャンプを、金田一はじめの一歩GTOを擁するマガジンは苛烈に追い上げ、ついには発行部数で逆転したのである。
その中で強引に看板作品に祭り上げられ、ジャンプの屋台骨を支えることになったのが本作だ。後に和月伸宏は「次につなげたい」という気持ちで描いていたと語っている。明治という激動の時代の中で不殺の剣士・剣心が刀を交える相手は、旧時代に未練を持つ者や、新しい時代の荒波に飲み込まれた者たちであった。黄金期と暗黒期の狭間で奮闘した本作のありようは、皮肉にもそこに重なって映る。
ワンピナルトが出てくるまでを空白期間にせず、少年マンガ誌の代表というジャンプのアイデンティティを守りぬいたのは同時代の誰も比肩できない功績だ(幕張や封神演義やBOYSにこの役割を代替できたか考えてみてほしい)。現代のジャンプ読者はもっと、もっと本作に感謝すべきだと、佐藤健の超人的なワイヤーアクションを眺めながら思うのである。
連載終盤、もはや燃え尽きる寸前だったといううすた京介は後年、「マサルさんはシュールではなく、ベタをシュールに見せていただけ」と語っている。自分を含め、多くの読者は同意しかねるだろう。彼が未来永劫に参照点となりうる新たなベタを作り上げたことに疑いの余地はないからだ。
本作はギャグマンガでやってもいいことの範囲を大幅に拡大した。キャラクターの行動原理なんてなくていい。話の展開は唐突でいい。絵柄は毎ページ変わっていいし上手くなくていい。読者が知らなさそうなパロディだって入れてよいのである。現代の観点では至極当然と思える要素を2年弱、全7巻に惜しげもなく詰め込んだ。
彼の次回作(ピューと吹く!ジャガー)ですらも、ついにその革新性を更新することはなかった。90年代にうすたに憧れ新人賞に応募した有象無象のワナビー達も誰一人として出来なかったことを考えれば少しは気が休まるだろうけども。
闇の人格を持つ主人公によるダークヒーローものというコンセプトで始まった本作は、ほどなくしてマジック&ウィザーズという架空のTCGを中心にした物語に変化した。この変化が、数十枚の紙束を並べる行為を、玩具・ゲーム業界において最も存在感のあるエキサイティングな遊びに位置付けることになる。
コナミでは社内の遊戯王関連の部署をしばしば「造幣局」と呼ぶそうだが、紙を刷って売上1兆円に到達するコンテンツなど他に存在しないことの証左である。こうした状況に、高橋和希の優れたキャラクターデザイン、ストーリー構成が大きく貢献したのは言うまでもない。ゲームが友情を育むツールになりうると示し、メディアミックスの力を世に知らしめた功績は間違いなく彼のものだ。
世界で最も多く発行された単一作者によるマンガ作品について何か語るべきことがあるだろうか?まだ言及すべき余白が。本作のように自然にカテゴライズを避ける作品というのは極めて少ない。友情、夢、自由、強さという最もありふれたテーマに挑み、ついにそのすべてを超然と飲み込み描き切ろうとする本作を何らかの箱に入れて理解するのは難しい試みに思える。
毎週月曜日にワンピを読んで喧々諤々と考察できる世界に我々は慣れ切ってしまった。30年間マンガ業界の頂点に君臨する男がいるという現実に。一定の年代以上の人間にとって、本作の終わりがジャンプという雑誌の終焉に見える人がいても無理のないことだ(今ワンピの次に長寿連載しているのはハンタを除けば2019年連載開始の夜桜さんである!)。ルフィと尾田栄一郎という二人の男の、幼少期から練り上げた夢の果てを世界中が見届けようとしているのだ。我々がこうした光景にふたたび立ち会えるかは疑わしい。
幽白は極めて質の高い作品でありながら、冨樫義博が抱える巨大なアイデアの数々を収めきれた作品ではなかった。それでも仙水編と、その後に異例の月一で掲載されたレベルEで前人未踏の領域に踏み込んだ彼は、自身4作品目の連載においても既視感のある展開とご都合主義を執拗なまでに避け続けた。彼の描くキャラクター達は自身が取れる最善の選択を積み上げた末に、我々が期待する最善以上のドラマを生み出す。幾度もの休載を挟みながら。
「今週の『HUNTER×HUNTER』は休載いたします」の表記(今はこれすらなくなったが)を昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらぬ平常心で見られるようになってもなお、自分に限ってはこんな感じであった───「HUNTER×HUNTERの最終回を読める可能性があるというだけで、どんなクソみたいな人生でも生きる理由が生じる」
いまや冨樫は少しずつ体調を取り戻し、我々は一時期とは比べ物にならないほどコンスタントに彼の創り出す世界に触れることができる。何百何千もの作品がジャンプにおいて連載され、本作に近い作品、それ以上のものを期待し続けてきたが、その度に彼の偉大さを突き付けられるだけなのだろう。
前例のないテニスマンガでの成功、女性読者の流入、クールで生意気で強い主人公像、菊丸が分身して以降のテニヌ...といった誌面上で読み取れる新規性だけでは、本作のもたらした文化のごくごく一部しか語りえない。
1000曲近いキャラソン、出役としての役割を求められる声優たち、2.5次元文化の源流かつ若手俳優の登竜門としてのテニミュ...現代における狭義のオタク文化の根を辿れば、必ずテニプリが残した功績にぶち当たる。「推し」という文化が、人間を描くあらゆるコンテンツに侵食して久しいが、許斐剛が生み出した世界は、ジャンプで築き上げられたあらゆるファンダムの中でもっとも複雑で永続的な強度を保ち続ける、史上最も「推す」に値する文化であり続けている。
すみませんほんとに書くことが思い浮かびませんでしたでも世界的にマンガ文化を広めた功績は鳥山に並ぶと思ってますマジで
あまりに多くの言及がこの作品になされ、そのどれもが口をそろえて言う。「描き分けが上手い...絵の引き算が上手い...ルビ振りのセンス...久保帯人は中二病...ストーリーが薄い...」これらすべてはもちろん真実だ。
連載中、ワンピナルトブリーチの三枚看板の最後尾というポジションが崩れることは一度もなかった。果たしてこの評価が妥当だったのかは分からないが、少なくとも我々ネット民は久保帯人のセンスをバカにし過ぎたことに対し大いに反省すべきところがあるのではないだろうか。海賊、忍者のような明確なモデルがいないのに、久保帯人はどうしてあれほどまでに洒落たキャラクターとセリフ回しを無尽蔵に生み出せたのか、系統立てて説明できる理屈は未だ見つからない。もしその答えが彼の脳内にしかないとするならば、我々は本作を源流に大いなる歴史が作られていく可能性を認めなくてはならないだろう。
デスノートという作品は複数の点で極めて例外的な成功を収めた。肉体的攻撃を伴わない心理戦、一切の引き伸ばしをしない、公権力、宗教的崇拝、欠点の無い主人公、ゴシック的キャラ造形、ダークヒーロー、死亡エンド...
本作に散りばめられたこれらの要素は、すべて従来のジャンプ漫画では邪道、あるいは不要とみなされてきた要素であった。このような野心的な作品がメディアミックスにおいても成功を収め、国民の誰もが知る作品となったのは驚異的だ。この作品が出たことは心理戦を描こうとする後世のマンガ家にとっては悲劇かもしれない。夜神月ほど賢く、悪どく、魅力的なキャラクターを矛盾なく作れる人間は大場つぐみくらいしかいないのだから。
2010年代にジャンプを購読していた人間はみな共通してうすぼんやりとした不安を抱えていた。「ワンピの連載終わったらジャンプってオワコンじゃね?」
ジャンプの終わりという、週刊少年マンガ誌という形態の終わりと同義に思える未来を避けるべく、集英社は読者以上に血眼になって後継者を探し求めた。しかし我々の期待も空しく、トリコ暗殺教室ヒロアカソーマブラクロ約ネバドクスト呪術といった平成末期の傑作たちすらも、尾田栄一郎が築き上げた領域には辿り着けなかったように見えた───ただ一つの例外を除いては。
「家族、友人への愛」「困難を乗り越える強さ」という普遍的なテーマにフォーカスした吾峠呼世晴の連載デビュー作は、あらゆる世代へ届く成功を収めた。特に、劇場版『無限列車編』は社会現象化し、国内の興行収入1位を達成するなど、経済的にも文化的にも大きなインパクトを残すことになった。
出版業界の衰退、コロナ禍、趣味の多様化といった逆境の中で、マンガが世界的なムーブメントを引き起こすことがまだ可能であると証明した本作は、令和を生きる日本人の心象風景に残る新たな「国民的マンガ」として、時代に選ばれたのだ。
ひとりのスターの存在がプラットフォームの価値を定義することは古今ジャンルを問わずあることだ。ダウンタウンの登場がお笑い養成所という存在をメジャーにしたように、米津玄師の登場がニコ動の文化をオーバーグラウンドなものにしたように。
2014年に創立したジャンプ+というプラットフォームの目的である「紙とデジタルの垣根をなくし才能を育てること」が名実ともに達成されたのはいつだったのか?それは初めて本誌とジャンプ+両方でスターとなった人間の登場によって定義付けられる。
かつて秋田の片田舎から新都社に「長門は俺だ」という名前で投稿していた少年は、その衝撃的なストーリー展開で我々を魅了する存在となった。ファイアパンチ以降、ジャンブ+はあらゆるWebコミックサイト、いや雑誌を含め、もっとも野心的な作品を読める場所のひとつとして認知されるようになった。
藤本タツキの本誌への到着は新たな才能の鉱脈をインターネットに求める時代の始まりを告げ、媒体の違いというものがマンガの面白さになんら本質的な影響を及ぼすことはないという事実を我々に突き付けたのだった。
anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選
↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマ数めっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう
みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェやKindleの50%還元セールでいろいろ読み返してました
選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響は考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。
ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的なメモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。
月2回刊で始まった少年ジャンプの創刊号はわずか10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号が20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。
そんな中、大家・永井豪が描いたこの作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部の方針は明確であったことである。
過剰ともいえる性描写、教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部の意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである。
頭文字Dや湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー、番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。
思うに、我々の脳には義理と人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志が最初であった。
ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクターの一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的な人間でも、腕っぷしと強靭な精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。
ジャンプが国民的マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治のデビュー作は間違いなくその一つであろう。
当初は型破りな警察官・両津勘吉のドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代のサブカルチャーや政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本の風景を余すことなく取り込んだ作品となった。
浮世絵が江戸の庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語は昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流の庶民の日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所の日常にしみじみと感じ取るのだ。
もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義や兄弟愛をベースにした極めて現実的な作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョーの下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる
───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人的能力)の要素を意識的に再生産していることである。車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ。
同時代の作家に比べ、寺沢武一のデビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラの世界観から引用した本格的なSFのアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングやセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載をはさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。
登場人物も読者も無垢な10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家は絶対にコンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊のサイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデアも寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである。
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情・努力・勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージを単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民的作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから?嶋田のSNSの使い方が下手だから?
キン肉マンはマンガとしてではなく文化的に重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙がクオリティに関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガに熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。
鳥山明の訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。
本作は後にDBやドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である。
言語以前の本能の領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間は鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというものは存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。
Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかしたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現したかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。
それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツのひとつに過ぎなかったサッカーをメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。
元増田を書いたとき、ブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである。
自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である。1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプの原風景だった。
強くてカッコいい大人の男が弱肉強食の戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガが流行る時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。
かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。
きまぐれオレンジ☆ロードは申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子の日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常に需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。
まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかのキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずにはいられない。
鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピやナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れで無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。
鳥嶋和彦の意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガを金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。
11年に渡る孫悟空の冒険をもって、鳥山明は日本のマンガ文化が世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身が手塚治虫、赤塚不二夫、つげ義春、萩尾望都、藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである。
車田正美はリンかけで過去のジャンプ作品の再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身の作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。
彼はギリシャ神話と宇宙、子供向けと大人の女性向け、劇画とプラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美の世界を前人未踏の領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。
ある一定の世代の人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまらん作品という評価が下されることがあり、そこには50%の事実と、50%の誤った認識が含まれている。
荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間が果たして何人いただろう?
幽波紋と、理不尽な能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものである。キャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引きの領域に落とし込むことに成功したのだ。
我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出しで表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガの世界に誘ったのである。