「アホの坂田」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アホの坂田とは

2024-03-13

anond:20240313105757

20台前半の頃「可愛らしい女の子」って呼び込みで紹介された女の子が、40代後半のアホの坂田みたいな見た目の彼氏持ちの、エドモンド本田みたいなメンヘラ女の子だったワイに謝れ。あれは本当に無理だったぞ。

2024-01-29

昔、まだ彼女を作ろうとしてた20代の頃、友達彼女を通じて女の子を紹介して貰ったんだけど、これがエドモンド本田をそのまんま女体化したみたいなものすごいデブサイクな子だった。尚、友達彼女も含め、その子を知っている女の子評価は「可愛い女の子」だった。女の子の「可愛い」は猫に対する評価以外は信じられない、信じてはいけない。まぁそれは些細な話だ。

本題はこっからで、そのエドモンド本田ちゃん、なんと驚いたことに当時付き合っている彼氏がいるのだった。しかし年が離れていて、このまま付き合っていけるか心配と言うことで、ワイへの紹介を求めらしい。

で、その彼氏写真を見せて貰ったんだけど、これがアホの坂田みたいなハゲチビエドモンド本田ちゃんおっぱいくらいに頭があった)で、年齢は45歳くらいだったそうだ。ワイは「へぇ~凄いね」と言いつつ、実際は別れる気なんかないエドモンド本田ちゃんの惚気を3時間に渡ってシラフで聞くと言う地獄を味わったのだった。

よく、女でもブサイクだと人生ハードモードになるって言うけど、それはブサイクなのに高望みをするからで、男のスペックを(大分妥協すれば、若いと言うだけで男は寄ってくるのだ。そして寄ってきた男を言葉巧みに騙して、危険日に生中出しさせて子供作って逃げられないようにしろ。そうすれば少なくとも行き遅れることはない。

2023-12-31

アホの坂田が亡くなってしまった

もうタッチおじさんの新しいボイスは手に入らないのか

https://pr.fujitsu.com/jp/news/1999/Oct/29.html

anond:20231231080152

アホの坂田訃報を聞いて真っ先に思ったのが

エンマさんがな、アホはいらんから帰れ言うねん

って歌詞だった

2023-09-09

anond:20230909211815

標準偏差から外れた物はある意味レア価値としてネタにして「個性」として売っていくのが芸人だったのにな。

アホの坂田とか間寛平かいーのとか今の時代じゃできないだろうなぁ。

2023-05-22

anond:20230522131813

せやなアホの坂田かて本人とそのオカンは「アホ言うな!」とプライベートでは怒っとったしな

2023-03-16

anond:20230316091845

あれは「言動面白いが顔がパッとしないのでブスキャラで行け」というただの商業判断だよね

ただ、子供は仕方ないと思うわ

昭和の子供にアホの坂田志村けんがアホやバカだと思われていたのと一緒

2022-11-17

子供ワイ「アホの坂田ってホンマアホやな」ゲラゲラ

大人ワイ「自分がアホである自虐する人間公共電波に出るのはどうなの?😡」

 

アホの坂田よりアホになってしまったワイを笑えや!

2022-05-15

アホな上司は嫌だがアホの坂田みたいな上司は…やっぱ嫌だ。

2022-01-09

anond:20220108061046

芸人坂田利夫さんが、小学生に「アホだ!アホの坂田だ!やーい!アホ!!」と言われてガチギレしたっていうエピソード思い出した。

アホを演じるのは苦しかったんだろうね。

Vtuber芸人お金稼ぎたいなら割り切ってしまえば?

趣味でやってるだけなら、なんでそんなストレスを感じること溜まることやってんの?

anond:20220108061046

芸人坂田利夫さんが、小学生に「アホだ!アホの坂田だ!やーい!アホ!!」と言われてガチギレしたっていうエピソード思い出した。

アホを演じるのは苦しかったんだろうね。

Vtuber芸人お金稼ぎたいなら割り切ってしまえば?

趣味でやってるだけなら、なんでそんなストレスを感じること溜まることやってんの?

2021-11-12

anond:20211112152242

アホの坂田持ちネタ一覧

・あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」

アッホ! - フジテレビオールスター爆笑ものまね紅白歌合戦スペシャル!!」で清水アキラ坂田利夫マネとして、ピンクレディーの扮装で「UFO」を歌った際、「ご本人登場」として坂田も共演。そのギャグを逆パクリしたもの

アホウドリの歌 - 「なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!」などに出演した際に、番組の終盤近くなどで披露する歌。

・ あ~りが~とさ~ん(当たりギャグである山本から5000円で買い取ったギャグ

あんバカね、オホホ~(ルーキー新一の「あんた知らないの? ホホホン」の流用または盗用ともいえる)

・ いえす、あいどぅー

・ 恋のマイアホ - これまた、ものまね番組清水アキラ坂田利夫マネとして、「恋のマイアヒ」を歌った際、「ご本人登場」として坂田も共演。そのギャグを逆パクリしたもの

サンキュー便所マッチ

・ ジョンジョロリ~ン、ジョンジョロリ~ン、ジョンジョロリンの、ぱっぱ(冒頭に「みみずカエルも皆ごめん」と言う場合もある。)

・ G・N・Pは国民総生産、G・D・Pは国内総生産、Y・K・Kはチャックの会社オチ

・ 手足をくねらせながらの独特の横歩き。吉本舞台では、時に「アホ」と大きく書かれた赤い腹巻きを着けていることがある。

・ ファーホーファアーホー(椅子などに座り、両手両足で交互に拍手をしながら)通称「とっちゃん叩き」。

・ まいっちゃったよたまんないね

・ (両手を肩の高さで縮めた状態から、手首を交互に突き出しながら)アホアホミサイル発射!アホアホアホアホ…

2021-07-18

昔、「探偵ナイトスクープ」という視聴者の疑問を探偵役のお笑い芸人レポートする番組で、ご意見番ポジションキダ・タローがいるときに、彼が作曲した「アホの坂田テーマ」をノルウェーだかカナダだかのホッケー試合で聴いたという調査依頼があり、それは要するにどこかの民族音楽キダ・タローがパクっただけという話なのだが、コメントを求められたキダ・タローが「引用や!」と開き直ってスタジオ爆笑というオチになった回があった。

それで済んでしまったので子ども心に釈然としない思いを抱いたものだが(もちろんアホの坂田原曲著作権が切れているのだろう)、音楽業界の「引用」って、もしかして思ったより根深くて、当時キダ・タローが「引用や!」と言ったのも、ウケ狙いとかではなく、本気だったのかなあというようなことを、昨今の騒動でふと思った。

ちなみに「フニクリ・フニクラ」という曲はどこぞの登山鉄道宣伝のために作られたものだそうで、それを知らず「イタリアの昔の民謡かなんかだろう」と思い込んで「引用」したクラシック作曲家が訴えられて著作権料を払う羽目になったそうな(Wikipedia情報)。

2018-04-02

心に暗いものが来て、過去のあれこれ思い出して人を恨んだりしてしまったときには、アホの坂田踊りとかするといいよね。坂田師匠は偉大。

2016-06-18

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.ブサイク芸人など、コンプレックスネタにすることの不健全さは近年で特に取り沙汰されています。ですがテレビ以外にネット世界などに目を向けても、現在進行形他者の劣る要素を見つけては、それを笑う人は少なくありません。安易ヒューマニズムでもって非難して目を背けていますが、(少なくとも笑いの世界においては)それらを笑ってこそ、むしろ健全だという側面はありませんか。

質問が長いなあ。

怯んだが、まあ答えよう。

君の主張がそこまで的外れだというつもりはないが、少し誤解している。

アホの坂田」こと坂田利夫は、プライベート芸人仲間にアホ呼ばわりされると怒るというエピソードは有名だな。

だが、これは矛盾していない。

芸人などが自分の美醜などのコンプレックスをウリにすることと、他者がそれをいいことに笑いのタネにしようとすることには違いがある。

ザックリいうなら、「自虐」と「加虐」の差だよ。

何も道徳的な、政治的な正しさという観点から、それらを「笑い」にすること自体非難しているわけではないのさ。

何かが足りなかったり、或いは過剰であったり異常であることは、人間が感じる「面白さ」に密接に関係しているだろう。

その点で「笑える、笑えない」に、「健全かどうか」であったり「政治的正しさ」を無理に結びつける必要性はない。

長所を活かすことを是とするなら、短所を活かすことだって是としてもいいかもしれない。

誰かにとっての短所が、誰かにとっては長所になりうるという側面、まあよくある話だ。

だが、“そういうこと”に過敏な人や、或いはそれらの要素を罵って人格を不当に貶める人がいるのもまた事実だ。

誰かにとっての長所が、誰かにとっての短所になりうるという側面、これもよくある話だな。

そんな人たちの視線基準に考えるべきか否かなんてことは、私が決めることじゃあないが。

仮に決めるなら、その世界の住人たちだろう。

例えばの話だが、障害者障害をウリにした芸をやり、それを他の障害者関係のある身内たちも笑う。

もしそんな世界があるのなら、それはそれで健全だとは思うが、まあ非現実的かな。

小人プロレスとかのように、そういう「正しさ」でもって誰かが割を食う側面はあって、それは必ずしも善悪二元論で語ることが難しい可能性もあるのだが。

まあ、現環境に即した「健全さ」を目指して最適化していくしかないだろう。

さて、今回学ぶべき教訓はこうだ。

「誰がロジャーラビット検閲たか

少なくとも、政治的正しさけが正しさではないと思うが、まあ“適当に”やっといてくれ。

2009-03-21

オタク文化はもはや時代遅れ

いまだに最先端とか思い込んでる奴っているの?

最先端である欧米西側諸国に及びもしないマーケティング

娯楽としてもテトリス日本人全員が遊ぶ事はありえても、JRPG日本人全員がプレイする事などどう考えてもありえない

産業としてもマンガアニメゲーム産業落ち目でこれからはエコ産業の時代

お前ら増田には危機意識が足りない

馬鹿の一つ覚えのような「これからはアジアオタク感性の時代だ」なんていうのは岡倉天心の時代から村上隆の時代まで言われているんだよ

どうせ1万年と2000年後の知識人も言ってるんだろ

本気で56億7千万人がオタクになる時代が来るなどと考えているならそいつはゲーム脳

俺らは時代遅れマイノリティだ、大多数の普通大衆ではない

大多数はナザレのイエスの時代から永遠にリア充

そのことをいい加減わきまえろアホの坂田ども

via http://anond.hatelabo.jp/20090321210325

2007-01-03

DJ OZMAと僕

 僕はテレビを見ない人間だ。ブラウン管テレビはホコリ置き場になっていた。邪魔なので捨てたら、一人きりの年越しはとっても寂しかった。TV人間もいない年越しは寂しい、というか虚しい。孤独で死にそうだった僕は、ラジオ紅白を聴いていた。

 ラジオで聴く紅白は、ラジオで聴くワールドカップサッカーと同じくらいわけがわからなかった。何が起こってるのかさっぱりわからない。野球競馬ならわかるけど。それで、『犬神家の一族』を文庫本で読みながら聴いていたら、DJ OZMAという名前がコールされた。

 このDJ OZMA、僕が先日「何その人? 芸人?」と知人に言ったら散々馬鹿にされた(m9(^Д^)プギャー)、少々恨みがましい存在だった。初めて

耳にした時は、DJ あづま(納豆メーカー)の聞き間違いだと思ったくらいだ。その知人は、DJ OZMAを知らない僕を馬鹿にはしたけれど、結局DJ OZMAの何たるかは教えてくれなかった。二重の意味で気になってしまい、僕は佐清の手型の鑑定結果が出たところで本を置き、ラジオに耳を傾けた。

 きっとほとんどの人がそうだろうと思うけど、あれを曲だけ聴いたって何が何だかわかるわけがない。まして僕だ。ラジオアナウンサーが「OZMAさん、服を脱ぎ始めました」とか解説してたけど、僕はどうでもよくなって、また『犬神家の一族』を読み始めた。僕の耳は騒音をスルーしていた。サブちゃんが出ていたことより、犬神家の秘密の方が興味をそそられた。

 その後、アンジェラ・アキをスルーしてさだまさしに感涙する僕は、年のわりに耳が古いのかもしれない。今井美樹もよかった。その次の徳永英明の『壊れかけのRadio』の素晴らしさといったら! 今思い出しても、つい「レディオ」につられてRedioとミスタイプしてしまうくらい感動した。でも(壊れかける気配の無い)ラジオで聴いていた時は、感動の余韻もくそも無かった。曲が終わったすぐ後に、NHKアナウンサーの謝罪コメントが入ったからだ。

 コメントが読まれる際、会場からは二度も笑いが起こった。だから僕は、ちょっと下品な演出があって、PTAのオバサンみたいな神経質な視聴者様方が過剰反応してヒステリッククレーム押し付けてきたのかなと思った。まあ紅白だし、ちょっとやんちゃが過ぎたのかと。それ以上にどうでもよかった。だって紅白だし。聴いといてアレだけど、興味無いし。

 それからしばらくして、DJ OZMAパフォーマンスが問題になっているってネットはてブ)で知った時は、正月からはてブをやっている虚しさを吹っ飛ばすくらい、驚いたものだった。腐っても鯛視聴率低迷が言われている紅白と言えど、まだまだ世間への影響力は侮れないものだと思った。その批判内容(はてブコメント)を見たら、僕がイメージしていた「PTAのオバサンみたいな神経質な視聴者様方が過剰反応したヒステリッククレーム」まんまで、さっきよりも驚いた。ネット上には良識派を気取って重箱の隅を突っつき回したがるナルシズムエゴイズム溢れる人々が意外に多いのは知っていたけど、それにしてもなあと思った。そこで、僕自身がまだかの映像を見ていないことに気がついた。だめじゃん。

 で、Youtubeを見た。読みかけの『犬神家の一族』は、湖面から逆さまに人の足が突き出ている、かの有名なシーンにさしかかっていた。

 まず感じたのは、戸惑いだった。僕はものすごく戸惑った。どう反応したらいいのかわからなかった。ああいう騒々しいモノに対して、僕はパターン化された理解を持たなかった。テレビを見ていないと最近の娯楽についていけないのか、テレビ買おうかなとすら思った。その戸惑いをよくよく分析してみると、僕は不快だった。美しくない眉を顰めていた。そう、悲しいことに、僕自身もクレーマーと同類だった。僕はDJ OZMAを見ていて、どうしようもなく不快だったのだ。画質の悪さでおっぱいが本物らしく見えるくせに、その実本物でないのも腹立たしかった。

 しかし僕は、クレーマーたちと自分を差別化しなければならない。そうでなければ、頭がおかしくなりそうだ。いや、もうおかしいのかもしれない。

 もう一度、DJ OZMAパフォーマンスを眺める。そして、何故彼がこのような馬鹿げた、下品なパフォーマンスをするのか、しばし考えてみた。

 そうだ、アホの坂田がアホでも何でもないように、DJ OZMAもきっと、真実馬鹿げた人間ではないのだ。彼はきっと、僕よりもずっと高いところに立って、釣られクマーな僕をあざ笑っているに違いない。

 その時僕は、どうしようもない屈辱感に襲われた。DJ OZMA、彼に何らかの反応を示した時点で、僕は彼に負けたのだ。彼はきっと僕の、このような反応を全て了解済みだったのだ。「下品だ」「紅白にふさわしくない」という反応も彼の想定内であれば、「DJ OZMAはお前らの反応も織り込み済みなんだよ」「ナンセンスだ」というメタぶった反応すらも想定の範囲内に収めていたのだ! 僕がどう考えようとどう反応しようと、僕はただDJ OZMAの掌の上で踊る哀れな猿にすぎないのだ。一連の事実が彼を中心に回っている以上、どうメタ分析を試みようが上から物言おうとしようが、僕は、いや僕らは、彼を超えることなどできないのだ。騒ぎの渦を一つの世界と看做すならば、彼は神だ。唯一絶対の神だ。愚かな人間どもを哂う神だ。いっそどんな形でもいい、彼に心囚われてしまったことが(または正月からこんなことで騒いでいることが)すなわち、僕らの負けであり、彼の哂いなのだ。

 僕の心は虚脱感に包まれた。もう、全てがどうでもいいのだ。僕の正月は暇だった。このテキストの記号的意味でなく、存在意味が、悲しい事実を何よりも雄弁に物語っているではないか。傍若無人。かたはらにひとなきがごとし。如しじゃなくて本当に誰もいない正月を、僕はDJ OZMAに哂われて終えることにしよう。テレビはやっぱり買わない。

 追伸:『犬神家の一族』、読み終えました。映画よりも、やはり原作の方が描写が濃密で面白いです。

 
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