はてなキーワード: セアカゴケグモとは
セアカゴケグモに自分を噛ませた高校生が話題で、まぁやめた方が良いよとか猫猫の真似する子供が増えたら嫌だなぁとかそういう話はさておき。
毒を試してみようってなったときに、普通は小さな生物から試すだろう。きちんとした研究倫理の教育を受けていない幼児〜高校生であれば、まぁ虫あたりから始めてだんだん大きな生物に発展させるのは探究心の発露として自然な流れだ。それが哺乳類(ネズミ)になる前に止まるのか猫になる前で止まるのかヒトになる前に止まるのかは、誤差でしかない。
自分で試してみる人の中には、こうした動物実験を経る事なくいきなり自分で試す人が結構いる。
一つには他者の観察から得られる情報が少ないからだが(特に、生体信号の測定装置を持たない高校生以下)、他の理由として、動物実験の倫理的問題、というより倫理的葛藤をクリアできるという点も大きいように思われる。
このように自分に毒を盛る人は、他人には毒を盛りにくい。少なくともモルモットに毒を盛る人よりは、他者利用について倫理的葛藤を乗り越えていない。
ところで人体実験といえば華岡青洲である。野良犬での実験では人体に処方するに不十分であるから、母と妻が協力した。己の身で実験したかどうかは定かでは無いが、患者を実験台にするような研究手法では無かったようだ。
「自分」の範囲は社会によって異なる。青洲にとっては母や妻は「身内」だったのかもしれない。現代人であるかの少年は自分の体が自分だけのものと考えているであろう。「自分」を拡張すれば母妻に慎重に毒を盛るし、限定すれば軽々に自ら服毒する。
まったく同じことが逆にも言えると思うんだが。
たかが人間ごときのエゴイズムで、住んでいい生物とそうでない生物を選り分けるな。
アルゼンチンアリは自己能力以外の要因で生存領域を変えた個体もいます。
セアカゴケグモは人間の手により生存領域を変えた個体もいます。
人が手を加えることができるってことは、したところで問題ないということ。問題ある種は、異環境で生存できないようにできている。
こいつらのやってることって、純粋日本人が拉致監禁殺害されるから、紛争地帯への渡航禁止っていうのとやってることが一緒。
生命を守ろうというのは所詮生物学者の食い扶持のためでしかない。
テナガコガネを飼育した男が逮捕されたが、そもそも、逮捕されるべきものとも思わない。
というような考えだと思うのだがそうなのか?
エゴで人間が他生物へ干渉するなというのなら飼育すんなも同じで人間が他の生命を裁くわけではなく人間が人間を裁くだけなのでエゴのぶつけ先が違うと思うんだが。