はてなキーワード: ゼミとは
100点なところと0点なところがあって平均30点ぐらい。ハードルを高くしすぎたかもしれない。
私はまず前提として旧劇大好きマンだから新劇は結構にわか。最近やっと考察とか見てほーーんなるほどねってなったレベル。だけどシンエヴァめちゃ楽しみだったからこそ辛口評価になるけどほんとクソだと思う。
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最初にケンスケの声した時はうぉぉ!?ってなったしトウジ出てきた時も生きてたんかワレェ!なった。トウジ結婚した聞いて絶対委員長だろうな!って思ったらまさにで笑った。
赤ちゃんもいて最初は気にならなかったけど、これが一つ目の0点ポイント。ニアサー、サードを経験してる上に、現状コア化で地獄みたいな世の中に新たな生命生み出すなボケ。
黒波がいろんなことを知って街に馴染んでいく様子は日常シーンを沸騰とさせて語彙力ないけどいいっ!ってなった。そこで赤ちゃんとの絡みが必要だったんだろうけど、やっぱりナタ要素無理……。
アスカが激おこでシンジに飯食わせるシーンは印象的だった。シンジの気持ちもアスカの気持ちもわからんでもないからあのシーンは心にきた。アスカが使徒化してて飯がいらないから、ご飯を食べれるだけ幸せに思え!みたいなこと言ってて、おう…ってなった。
黒波がLCLになったのは衝撃だった。あれがシンジが覚悟を決めるのに必要なんだろうけど、これまで人間味を持ち始めてた黒波を簡単にパシャらせるの酷いなってなった。
シンジが立ち直ったあと色々なことをしていく上ででR.KAJI出てきて、は?何コナン的な?若返り??って思ったら息子でびっくりした。ミサトとリョウジの子供て。ここまた、は?ポイント。
ヴンダー合流してからはいつものエヴァって感じだった。あまり覚えてないけど。
ここでリョウジが死んだのが分かったのかな?その時すでに身籠ってたのほんと気持ち悪い。14の子供が使徒と死に物狂いで戦ってる時子作りしてたってことやろ?気持ち悪すぎる。
でも破の最後の「行きなさいシンジくんry」を後悔してたっていうのはわかってよかった。
戦い始まってからはもうロボットアニメよね。よくわからんけどなんか壮大なことが起こってた。冬月先生強いなってくらい。
マリがアスカのことを姫って呼んでるのにアスカがガチのピンチになると、アスカ!って呼んでるのはいい演出だなって思った。
アスカが眼帯外して目の中から呪詛柱出した時はびっくりして口あんぐりした。アスカが使徒化してまで止めようとしてたのに呆気なく負けてたのほんとアスカいじめるの好きだな監督ムカつく!ってなりましたね。このシーンは何度も見たい。
そのあとなんか色々あったけどもう覚えてない
後半旧作オマージュあったのは良いなって思った。
あとゲンドウの過去語り、何言ってるかよくわからなかった。とりあえずユイちゅきちゅきユイしか勝たん!って感じかなぁ。ゲンドウはずっと未熟なのにユイと子作りしてるのがまたキモいよね。
アスカが実は綾波と一緒で式波シリーズだったのはよくわからん。名前からしてそういう系かなって思ってたけど、そうである必要性がわからなかった。オリジナルが誰なのかもわからないし。アスカが親を欲してる中でケンスケに父という役割を担わせつついい関係になってるの気持ち悪すぎ。1人で生きていけるアスカが好きだった。
マリがゲンドウやユイと同じゼミってのは予想通り。冬月先生がLCL化したのは驚いた…。
マリがなんか無双してたけど何してたか全くわからない。マリがシンジを必ず迎えに行くってあんなに執着する意味がわからない。マリの存在意義となぜあんなに人気なのかがわからない。マリは庵野の配偶者を意味してるって考えを見て存在意義についてはああ察しって感じ。
結局1人で拗らせてた庵野に、家族ができて、自分を理解してくれる人がいるからもういいや、配偶者、子供、家族愛はいいぞぉ!みたいな押し付けを感じた。
フィクションとしてのエヴァが好きなのに、それは虚構だよって作る側が提示してたのが意味がわからない。虚構ってわかってエヴァが好きだったんだが。
マリアス、カヲシンをあんなに押しといて最終的にシンマリって…ケンアスって…何でもかんでもヘテロにするな。
旧劇の方がいいなって思う私はまだ厨二病なのかもしれない。けどおっさんたちがこれで感動してるのは意味がわからない。
俺は厨二病卒業して家族をもって愛を知ったぞ。お前らも卒業しろって突き放されて、エヴァは全部虚構だよって言われて納得するか?俺たちの25年なんだったんだよ‥ってなるでしょ。
個人的なよかった点と悪かった点
良かった点
・宇多田ヒカルさんの歌。最高。
悪かった点
・渚司令などまだまだ謎なことが多い
・結局空白の14年間が謎のまま
まあ端的にいうと、ナタ要素きもい!です。
100点なところと0点なところがあって平均30点ぐらい。ハードルを高くしすぎたかもしれない。
私はまず前提として旧劇大好きマンだから新劇は結構にわか。最近やっと考察とか見てほーーんなるほどねってなったレベル。だけどシンエヴァめちゃ楽しみだったからこそ辛口評価になるけどほんとクソだと思う。
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最初にケンスケの声した時はうぉぉ!?ってなったしトウジ出てきた時も生きてたんかワレェ!なった。トウジ結婚した聞いて絶対委員長だろうな!って思ったらまさにで笑った。
赤ちゃんもいて最初は気にならなかったけど、これが一つ目の0点ポイント。ニアサー、サードを経験してる上に、現状コア化で地獄みたいな世の中に新たな生命生み出すなボケ。
黒波がいろんなことを知って街に馴染んでいく様子は日常シーンを沸騰とさせて語彙力ないけどいいっ!ってなった。そこで赤ちゃんとの絡みが必要だったんだろうけど、やっぱりナタ要素無理……。
アスカが激おこでシンジに飯食わせるシーンは印象的だった。シンジの気持ちもアスカの気持ちもわからんでもないからあのシーンは心にきた。アスカが使徒化してて飯がいらないから、ご飯を食べれるだけ幸せに思え!みたいなこと言ってて、おう…ってなった。
黒波がLCLになったのは衝撃だった。あれがシンジが覚悟を決めるのに必要なんだろうけど、これまで人間味を持ち始めてた黒波を簡単にパシャらせるの酷いなってなった。
シンジが立ち直ったあと色々なことをしていく上ででR.KAJI出てきて、は?何コナン的な?若返り??って思ったら息子でびっくりした。ミサトとリョウジの子供て。ここまた、は?ポイント。
ヴンダー合流してからはいつものエヴァって感じだった。あまり覚えてないけど。
ここでリョウジが死んだのが分かったのかな?その時すでに身籠ってたのほんと気持ち悪い。14の子供が使徒と死に物狂いで戦ってる時子作りしてたってことやろ?気持ち悪すぎる。
でも破の最後の「行きなさいシンジくんry」を後悔してたっていうのはわかってよかった。
戦い始まってからはもうロボットアニメよね。よくわからんけどなんか壮大なことが起こってた。冬月先生強いなってくらい。
マリがアスカのことを姫って呼んでるのにアスカがガチのピンチになると、アスカ!って呼んでるのはいい演出だなって思った。
アスカが眼帯外して目の中から呪詛柱出した時はびっくりして口あんぐりした。アスカが使徒化してまで止めようとしてたのに呆気なく負けてたのほんとアスカいじめるの好きだな監督ムカつく!ってなりましたね。このシーンは何度も見たい。
そのあとなんか色々あったけどもう覚えてない
後半旧作オマージュあったのは良いなって思った。
あとゲンドウの過去語り、何言ってるかよくわからなかった。とりあえずユイちゅきちゅきユイしか勝たん!って感じかなぁ。ゲンドウはずっと未熟なのにユイと子作りしてるのがまたキモいよね。
アスカが実は綾波と一緒で式波シリーズだったのはよくわからん。名前からしてそういう系かなって思ってたけど、そうである必要性がわからなかった。オリジナルが誰なのかもわからないし。アスカが親を欲してる中でケンスケに父という役割を担わせつついい関係になってるの気持ち悪すぎ。1人で生きていけるアスカが好きだった。
マリがゲンドウやユイと同じゼミってのは予想通り。冬月先生がLCL化したのは驚いた…。
マリがなんか無双してたけど何してたか全くわからない。マリがシンジを必ず迎えに行くってあんなに執着する意味がわからない。マリの存在意義となぜあんなに人気なのかがわからない。マリは庵野の配偶者を意味してるって考えを見て存在意義についてはああ察しって感じ。
結局1人で拗らせてた庵野に、家族ができて、自分を理解してくれる人がいるからもういいや、配偶者、子供、家族愛はいいぞぉ!みたいな押し付けを感じた。
フィクションとしてのエヴァが好きなのに、それは虚構だよって作る側が提示してたのが意味がわからない。虚構ってわかってエヴァが好きだったんだが。
マリアス、カヲシンをあんなに押しといて最終的にシンマリって…ケンアスって…何でもかんでもヘテロにするな。
旧劇の方がいいなって思う私はまだ厨二病なのかもしれない。けどおっさんたちがこれで感動してるのは意味がわからない。
俺は厨二病卒業して家族をもって愛を知ったぞ。お前らも卒業しろって突き放されて、エヴァは全部虚構だよって言われて納得するか?俺たちの25年なんだったんだよ‥ってなるでしょ。
個人的なよかった点と悪かった点
良かった点
・宇多田ヒカルさんの歌。最高。
悪かった点
・渚司令などまだまだ謎なことが多い
・結局空白の14年間が謎のまま
まあ端的にいうと、ナタ要素きもい!です。
・エヴァを見る。ゴキゲンな音楽で良い。ちょっと古めのウッキウキな曲いいよね。僕も好きさ! 操演線が見えるロボの戦闘シーン、行け! あるるかん! となって燃える。
・突っ込み待ち感のすごい戦後バラック文学あるいは残されコロニーもの文学パロディ長すぎない? みんな真剣に見てるっぽい静謐な映画館で笑うの不味いよな、でも笑いをこらえ続けるのこらえつづけるの難しいんだけど! と思ってたら特に突っ込みも発生せず本筋だったのは、あー、マジ? そういう感じ? となる。ひぐらしあるいはうみねことエヴァ、みたいな話をちらちら見たことあったせいか、ケンスケが富竹さんに見えてしまって困る。ひぐらしのストーリーを知らないから見た目だけの話だ。
・あのー、あれさ。ジョジョネタを見続けた人が後でジョジョ読んで、ネタやん! ってなるかんじかもしれない。二次創作綾波たちのセルフパロディ。これは、おはよう?
・カオル君と綾波、ミサトさんの出るシーンがなんか無条件に面白く感じてしまうの、えるさんのモノマネでバカ笑いしてた記憶のせいという気がしてならない。アスカやマリはあまり面白モノマネ対象でなかった気がするし、シンジ君は映画内でしゃべり始めてからはパロディ対象となった演技をしてたころのシンジ君ではなくなってるし。
・テレビ&旧映画と新映画シリーズの話を切り分けられてないので、あー新しい方ではこっちだったけ、と頻繁になる。
・後半のバトルシーンもゴキゲンな絵面で良いよね。艦艇ミサイルとか脱出ミサイルとかの加速感。面白感が匂いたつゲンドウエヴァとシンジエヴァの1on1。言語化が加速する。韜晦ではない。言葉を額面通り受け入れろ。ユイさんが本当にシンジ君の中にいたよ。
◆感想
劇場で映画を見ると必ず涙する自分(男)が泣けなかった作品でした。
展開が早すぎて理解するのに必死だったからから?考えるより感じろ!って感じで見れば泣けたかもw
だからといって決して駄作ではなく、学生時代に始まったエヴァ人生の集大成としては120点満点の出来でした!
◆◆◆ 以下、ネタバレ ◆◆◆
◆おしえて偉い人! (ネタバレ)
・碇シンジ
冒頭、生身で赤い世界にいたけど平気だったのはなんで?
1.ヴンダー同型艦の艦橋で冬月先生と「艦橋の結界濃度が異常に高い」みたいなこと言ってたけど生身でいたよね?
人間じゃないの?
2.最後、エヴァから海中に落ちた時に若返ってたと思うけど14歳じゃなかったの?
3.ていうか、結局何者なの?冬月先生のゼミにいたのは分かるけど。
誰かが置いていった十字をつなげたような物体、あれって人類は知覚できないよね?
・渚カヲル
エヴァの物語が円環なことを唯一認識しているようだったけど、どうやって知っているの?
死海文書に書かれてるの?
・ラスト、世界が再構築される前の記憶があるのはシンジとマリだけなのかな……
・死海文書
作者は誰??
色々ご縁があるようで。
http://ube-kankou.or.jp/guide/course/detail.php?id=12
公開延期されたエヴァ新作、新ポスターには宇部新川駅が登場。 庵野監督との関わりも? - Togetter
https://togetter.com/li/1495493
https://anond.hatelabo.jp/20210228234557
を読みました。上の記事の方とは別人ですが、同業者として色々と思う所があったので書きます。初めての増田です。
自分を勝ち組とは思っていませんが、年齢や職位などはこの記事を書いた方と似ています。ただ、多分私の方が少し年上です。
各所で反響があったようですが、基本的には過酷な労働環境で頑張る若手教員、すごいな、頑張っているな、というような反応が多かったように思います。私も他人事として記事を読んでそう思ったのですが、ふと自分のことを振り返ると決して自分の労働環境が過酷とは感じておらず、大変幸せな日々を送れているなと思いました。大学教員のような仕事に対してよくあるイメージとして、好きなことをやっているのだがら、異常な労働時間も苦にせずに働く、といったようなものがあるかと思います。しかしながら、私の幸せというのはそういったものではなく、むしろ大学教員の裁量を最大限使うことでワークライフバランスを保ちながら、学生と刺激的な議論ができ、たまに面白い発見もありといった具合に割とゆるく楽しむといった感じです。こういったケースはレアかもしれませんので、私の大学教員ライフを共有できればと思います。
元記事の方も書かれているように、大学(院)教員として研究室やゼミでの学生指導は最も重要な仕事だと思います。が、私は1人あたりにかける時間としては元記事の方の1/2 - 1/3程度です。基本的には配属時に時間をかけて研究ゴールの共有と中長期のスケジューリングをして、あとは学生におまかせです。人前で発表したりする訓練は当然必要なので、週0.5時間程度/人ミーティングで発表してもらいます。もちろん、学生から議論したいと言ってきた場合はこの限りではありません。そのときには、なるべく少ない時間で議論の成果を増やすために、分からない事がある場合はなんでもいいので自分の仮説を持ってくること、をゆるやかに要求しています。そうでない場合は、「とりあえず2,3日考えてみて、俺も考えとくから、あとで答え合わせしよ」てな感じで一旦追い払います。2-3日後に答えが出なかったらその場で一緒に考えます。ちなみに、私は学生といろいろお喋りするのは好きなので、この部分が多少増えても苦痛ではないのですが、お互いの効率を考えてこのくらいの配分にしています。投稿論文を書くときはある程度時間を使って一緒に書きます。
このあたりは大学や学科依存で若手教員の負担がかなり違う部分だと思います。平均的な実負担時間でいうと私は元記事の方の1/5程度です。
私の学科では単純に教員の数が比較的多く、負担が少ないといった部分があるとは思います。ただ、学生実験に関しては、技官さんやTAと打ち合わせをしっかりして、学生実験の数ある業務(設営、実験前の講義、実験中の巡回、試問、採点などなど)のうち、どの部分が教員にしか出来なくて、どの部分は技官、TA、学生に担当してもらえるかはいま一度考えてみるといいかもしれません。意味もなく教員が実験室で巡回するといった無駄があるならばそれをへらす努力は必要(だが多くの学科でされていない)だと思います。
このあたりは同程度です(週3h程度)。好きではないですが、気晴らしと思えばそんなに苦ではありません。また、自分以外(秘書さん、大学事務、学生)にふれると思った仕事はどんどんふっていきます。例えばオープンキャンパスの運営が例にあがっていましたが、こういった毎年殆ど同じ内容の仕事(上の学生実験も実はそう)は、マニュアル化して多少のバイト代さえ工面できれば、自分で動く時間はだいぶ減らせます。
この仕事を苦にしないために、アブストをよく読んで1.本当に読みたい論文である場合 2.自分の専門に合致しており容易に論文の価値を判断できる場合 のどちらかに当てはまる場合以外は断るようにしています。1であればどうせ後々読む論文を先取りできてラッキーですし、2の場合は4-5時間くらいで査読レポートまで書き終えられるので、締切直前にぱぱっと終わらせます。月2くらいのペースなので、時間的には元記事の方の半分くらいです。この一年は皆引きこもって論文を書いていたからか、依頼がめちゃくちゃ増えました。査読をするといかにも科学コミュニティに貢献しているといった気分にはなるのですが、一方で、査読する価値もないゴミ論文も相当数投稿されるので、そういったものはしっかり査読する前に断るようにしています。
科研費はもちろん、プロジェクト型予算、色々な財団の助成金をとにかく出せるものはすべて出します。結局お金があると、秘書さんを雇えたり、学生にバイト代を出せたり、研究にしても既に新規性のない開発部分は外注したりと、かなり自分の時間を買えるので、ここは力を入れてやっています。募集が沢山ある時期は一日中申請書を書いているときもあります。
基本、断っています。個人的な感想ですが、研究者の数は増えないのに年寄り(に限らず若手の会みたいのも沢山あって困りものなのですが)の同窓会のような学会が増えて、お互いに何が違うのかも分からない研究会が乱立しているような印象を受けています。私も以前は参加していたのですが、そういう学会に行って懇親会なんかがあると、決まって皆大学事務の悪口や、如何に大学での雑務が忙しいかで盛り上がります。私達が今参加しているまさにこの会こそ意味の薄いものなのではないかと考えるようになり、基本的には学会には参加しないようになりました。
さて、残りの時間で自分の研究です。上の項目はあくまで平均であって時期によって忙しさが違うので、何週間も自分の研究が進まないこともありますが、逆にどかっと時間があいて没頭できることもあるので、無理せずに自分のペース進めています(それを可能にするためには、極端な競争になりにくい研究テーマを設定するなど、それなりに考えてやる必要はあると思います)。
随分な長文になってしまいました。自分の周りの若手助教の先生なんかを見ていても思うのですが、どうも大学教員は忙しい!雑務多い!それでいて待遇ひどい!学生は使えない!といったような思い込みに縛られている人が多いのではないかと感じます。過酷な環境で業務をこなすスーパーエリートってな感じでやっていくのも悪くないですが、現場でできる効率化をどんどん進めて、ゆるふわハッピーに研究をするっていうのもアリなのではないかと思う今日この頃です。今年度からは科研費等の研究費を一部自分の給料にあてることも出来るようになり、大学教員の待遇は良くなってきている部分もあります(予算とれば給料ふえる)。個人的には、大学教員は自分が研究を好きという点を差し引いても十分魅力的な仕事で、若者にすすめられる仕事です。
いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。
大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトとサークル活動であっという間に過ぎていった。
記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶の水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。
こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業に入社できた。この業界では一流とされている。
会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。
私自身を殺したい。
子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメやドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。
大学3回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学のレベルの低さを。
志望していた企業は説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。
うすうす分かっていた。
学際サークルに所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。
どうして私はあの時、浪人を選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。
あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。
もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学に合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。
朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去の自分に鞭を打つ。
こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。
もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。
つまらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……
エピソードをひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェントの見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。
その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。
課題というのは、転職希望者リスト(履歴書+職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである。
「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」
先輩が椅子に腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。
お昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。
勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。
「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人も留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。
私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強を半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。
でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生と麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。
部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。
彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。
「こいつの見てみ」
こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。
「お前も」
先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。
……整然としていた。業界、職種、特技、資格、学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。
「参りました!」
芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。
「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」
そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。
「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」
声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。
「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」
彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。
「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」
ほら、やっぱり。
もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。
先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。
先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。
先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。
彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。
行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手と食事はできない。
彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分の意思を実行する力に欠けている。
甘えたい私に負けて、自分で自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。
これからも自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。
私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。
転職できる可能性順だ。社内にある過去の転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランク、ほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。
クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。
なのでこの場合、優先順位は、①学歴、②社会人経験(特に新卒で入った会社)、③希望する業界・職種・企業名になる。
①学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。
②も大事だ。どんなレベルの会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測しやすいこともある。
③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。
詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。
結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。
その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。
今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。
『嘘』を吐かれたからだ。
講義とか、就職関係の行事などで、大学の先生や事務職員から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。
とある文学部の先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験に合格して法務省に採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学を卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業に必要な単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。
とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事に内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売の仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。
私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校の先生だった。
見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部の先生方から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元の教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。
相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学の先生が、どうしてはるか年下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議な光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。
すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。
大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格がおかしい人が多かった。
①常識のない人
健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会の部活が支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険極まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人の利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかにも危険な行為をしていた。
②精神的に幼い人
講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人のレベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。
私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋を強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルームで危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子のそばで震えていた。
すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情を説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。
大学を卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織に所属したことはなかった。
大学だけでなく、中学・高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。
数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検本試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。
高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。
このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。
学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。
私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流であると認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。
飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ちに抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。
嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分で自分を許せない気持ちになる。
どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?
何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。
シロクマ先生ほか、有名なブロガーの記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは、自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我が生まれる。
私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。
今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。
満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代の努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去の自分を許せないんだと思う。
最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。
だったら、この、昔の自分が許せない気持ちに感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。
ここまで聞いてくれた人、ありがとう。
涙が止まらないんだ。
昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。
「諦めないでくれてありがとう」って。
オタク、よく「○○(任意のコンテンツ)に救われた」みたいなこと言う。
私は別にそんな事ない。好きなものは沢山あるけど、ひとつのものに人生を変えられたなんてことは無い。多分。
例えば米津玄師に救われない。いい曲だな、好きだなって思うけど、なにかひとつの曲に対してそこまで深い思いがあるわけではない。「私のことを歌ってる」とか思わない。
そう思う人がいるのはいい事だと思う。
苦しんだことがないと言われればそうかもしれない。
どん底なんて知らないよ。
うすい希死念慮だけはずっとある。橋の上から、全部の荷物を投げ捨てたらどうなるのかなって思う。やらないけど。環境とか汚染しそうだし。
「助けられた」と「救われた」の違いってなんだろう。
感情の重さかな。「助けられた」だと一時的なピンチを乗り越えた感じがするし、「救われた」だともっと恒久的で、人生に突き刺さるものな気がする。あくまで私の個人的な主観と感性によるものなので用語の意味が間違っていたとしてもいい。
提出一週間前にリサイクル資源にもならないような文字数をとりあえず稼いだボロボロの可燃ごみ(卒論)を書いてる時、ずっとパソコンの傍にシルバニアを置いていた。Wordで文字数が表示される画面左下あたりを見てるような感じにしたりして、同時にシルバニアを視界に入れることによってズタボロの可燃ごみ(卒論)を完成させ、とりあえず提出した。スペシャルサンクス欄があるなら、同じゼミで延々通話しながら一緒に卒論を書いた女とシルバニアファミリーを併記したかった。余計なものを付け足すことによってなんらかの弊害がでたら嫌だったので心の内に潜めておいたけど。
卒論の口述試問もオンラインだったので、シルバニアを握りしめて正気を保ったり、体調がズタボロになったときもシルバニアファミリーを握りしめてた。
頭痛にはEVEとシルバニアファミリーと温い布団。これで決まりだね!
他に頭痛によく効くものがあったら教えてください。気圧からくるタイプのやつと眼精疲労系のやつと偏頭痛系のやつお願いします。これからの人生に役立てていきたいと思います。
彼女達は女性が如何に生きづらいかを主張し、社会の変革を求めていた。
「女性は賃金も低く、発言権も少なく、管理職にもなれず、家事をしない旦那の面倒を見て...」と言った彼女達の発言を見て、社会に出たら生きづらくなるのか...とやや憂鬱になった。
大学時点で、女性特有の生きづらさ、みたいなものを特に感じてなかったためである。
男女混合のサークルに入っていたが、サークル長が女性の年も普通にあったし、ゼミの論文や発言も完全に内容で判断されており性別で差別されることはなかった。
飲み会でも、男性からイジられることはあったけどこっちもイジり返してたから力関係のアンバランスさは感じてなかった。セクハラする人や本当に嫌なことを言う人はいたけど、そういう人は男にも女にもいたし、同時に男からも女からも嫌われていた。
地方の大学で、電車に乗らなかったので、痴漢にも合わなかった。
やがて社会人になり数年が経った今、やっぱり女性特有の生きづらさ、みたいなものはあまり感じていない。
給料は当然男女で別れていないし、会議中の発言が無意味に軽んじられることもない。管理職はたしかに今は男性のほうが多いが、我々が管理職になる頃には男女同じくらいになるだろうな、と思う。
産休を取っても普通に復帰できるし、育児を理由に退職した人はここ5年ではいない。
飲み会(ここ一年ほどないが)でのセクハラも、会社が厳しいので殆ど無い。彼氏の有無すら同世代以外には聞かれない。
ちなみに恋愛においても、同棲中の彼氏がいるが普通に家事をやってくれるし、生活面の不満はない。
「女性は賃金も低く、発言権も少なく、管理職にもなれず...」みたいなのって時代錯誤なんじゃないかな、と思う。
自分は、時代錯誤を指摘している気でいるが、もうそんな事実はあんまりないので、むしろ時代錯誤になっている、みたいに見える。
そして、そういう事を言っている人は大体40代以上で、今は企業に属してない人が多い。
ここまでを通して、私がひとえに差別に鈍感という可能性は大いにある。
もしそうであれば、地方の国公立大学に通い、そのまま地方の優良企業に勤めると、私のような恵まれた環境に身を置ける可能性が高いので、若い人が読んでたら参考にすると良いかもしれない。
俺のぼっち歴は相当なもので、プライベートで遊ぶ関係を友達と勘定するならばたぶん中学一年生ぐらいの頃に映画を見に行ったのが最後だ。(クラスで映画を観に行く話をしてるところに俺が空気を読まずに“自分も行っていいか”と訊ねたことでついていく運びになった。今にして思えば、彼らにとっていい迷惑だった)
大学生の頃同じゼミのやつからマクドナルドに呼び出されたことはあるが、どうだろう……友達だろうか…友達ではないな。
なんなら映画を観に行ったときも、俺は観てすぐ帰ったので(楽しくなかったのではなく、普通に映画を観て満足したらすぐ帰りたくなった)そのあとなんやかんやでそのことを突っつかれ、俺はやるせない気持ちになった。「帰るわ!」と言って、特に引き止められずに「ああそう?じゃあまた」と言われたのだからそりゃ帰るよ。
俺は高校も大学も友達と呼べる人間が一人も出来ないまま過ごし、わけのわからぬまま人生の一番自由な時期を、イヤホンが耳に刺さったまま一人で過ごした。
サークルは一時期落語研究会に属していたが、裏方だけやろうと思っていたのに字が汚すぎて題目の名前を書いた紙すら満足に書けず、あがり症のおかげで「時そば」を、客ではなく先輩の前で練習することすら出来ない始末。(なぜか、“枕”という、噺の前にやる些細な無駄話だけは少しだけ達者に話すことができた。20分ほど)どうしたものかと悩んでいたが、ちょうどそのとき部内の人間関係でトラブルが生じ、同級生が一人、先輩が二人やめたところで俺も便乗して辞めた。
暇なときはイヤホンで外界の情報を遮断してなんかしらの曲を聞きながらキャンパス内を徘徊し、たまに構内を出て無意味に一時間ほど歩き通してみたりした。
これで偏差値の高い大学に通っていたとかなら人と違う視点を持ったがゆえの孤立とか格好がつくのだろうが、普通に偏差値の低い大学に通っていたので、俺はぼっちで、しかもバカなだけだった。
どれぐらい偏差値が低い大学かというと、ここを出た某作家が著者略歴にうちの大学ではなく、所属していた他大学のサークルの名前を書いてしまうぐらい偏差値が低い。
とは言え、何も本当に音楽聞きながら歩くだけの学生生活だったわけではない。たまにラーメン屋巡りとかしてたし、ちょいと小銭があるときは雀荘に立ち寄ったり、また、本当に本当~~~に暇なときは、ネットに小説をチョロッッッッッとだけ書いたりしていた。半年に、ほんの六、七行ずつみたいなペースで。
そうしてある日、気付いたことがある。
俺は意外と、少なくとも感想文みたいなレポートを提出して怒られていた同級生よりかは、文というヤツが書けるのでは?と。
それまでは星新一とズッコケ三人組ぐらいしか読んだことが無く、他にはエブリスタでクソみたいな異世界転生系小説を読んであざ笑うというカス以下の習慣しかなかったのだが、それが思いのほか文章力の向上に繋がっていたのだろうか。「こういう文章を書かない」という手本は意外と役に立った。気がする。
エブリスタで小さい賞を取ってアマギフを三千円ぶんぐらいもらったりして調子づいた俺はもうちょっと色々書いてみようと思い、半年に一度ペースで書いていた小説で人と人がどうのこうのするパートに差し掛かり、そこを頑張って、ウィットとエスプリの利いた小気味良い会話文を作ろうとした。
出来なかった。
どうやっても平面的な、話している人間の人格が反映されない、ただの「文」にしかならなかった。読んでいて不気味だった。作品に思い入れのない声優が「あのキャラやってみて」と頼まれ、とりあえず声だけ出してみた。みたいな。あるいは同じ作品で共演する声優同士に、台本なしでそのキャラを即興で演じてみてくれ。と頼んだ時の会話のような…
とにかく形容しがたい、薄っぺらさが隠せない会話になってしまう。
要するに、三人称視点の文はてんでダメだった。『楽しそうな会話』が書けない。
反対に、一人称視点だとけっこう書けた。なのでレポートや論文はヒョイヒョイ書けた。あれは一人称視点で書く文章だからだ。だが小説は別だ。いくら一人称でも話の途中で主人公が人と会話をしなくてはならないときがある。これが本当にできない。
相手がどういう感情で主人公に話しかけているかを考え、主人公の受け答えでどう気持ちが動いて、気持ちに応じてどう対応が変わるかを考えてセリフを作る。すると、何を考えているかわかっている俺から見ればそれに気付かず喋っている主人公が妙にマヌケに思えてきて、そうなるとそのマヌケの一人称視点で綴られている他の文もマヌケな文に見えてくる。そしてどっと気が萎える。
なんのことはない。俺が普段人の感情の機微について推し量るような機会とほとんど出くわさず、機会があっても推し量る能力がないマヌケであり、そのマヌケぶりが主人公に伝染していただけのことだった。
好機を逃さず利用することを中国の故事で『奇貨居くべし』と言うらしいが、機会を利用する能力を養う方法まで故事は面倒を見てくれないらしい。(きかい。と打とうとして“きかお”とタイポしたら予測変換に出てきたので、意味を調べた後使いたくなった)
…とはいえ書かないと続きに進めないので、そこら辺のコミュニケーションパートはなあなあに、サッと流して次に進むのだった。
いろいろな作家の言では、脳内でキャラクター像をしっかり組めばストーリーと舞台の範疇で、頭の中で勝手に動いてくれるそうだが、俺の脳内に居るキャラクター達は揃いも揃ってマネキンばかりだ。俺の思い通りのポーズはとるが、決して動き出さない。
仕方なくマネキンのポーズを手作業でちょっとずつズラして、それを繰り返したものを描写して連続した動きを表現しようと試みるも、そうして出来上がったものは生きた人間の動きとは言い難い、不自然なものに仕上がる。どれだけ細かく刻んだストップモーションアニメも、自立して動く現実の映像のように滑らかにはなってくれないのと同じだ。どうしてもギクシャクする。
うちのゼミの教授は間違っていることは正さないと気が済まない人で、見学会などでボランティアの方の解説に少しでも疑問を抱くと徹底的に論破しようとするなど、少し攻撃的な面がある。
その対応は研究者としては間違っていないのだろうし、正しい知識を広めるべきであるという姿勢は理解できるんだが、一緒にいる学生としては居心地の悪さを感じることがある。
学生の私はボランティア相手にそんな最新の専門知識を求めなくても…と思うが、とにかく許せないらしい。
そんな教授はTwitterでことあるごとにクソリプと戦っている。
教授のことは春頃からフォローし始めたんだが、とにかく常にクソリプに絡みまくっているので、Twitterでもこんな感じなんだなあと少し驚いた。
しかも教授は自分へのクソリプに反応するだけでなく、他のTwitterアカウントについたクソリプにも絡みに行くので本当にたちが悪い。
別にTwitterの使い方なんて個人の自由とわかってはいるんだが、引用RTで晒し上げたり相手に対して「不勉強で…」と煽りまくるなど、イキリ散らしている様子を見ると本当にいたたまれない。
クソリプで教授がdisられていたり、まれにクソリプ相手がヒートアップして大学や分野ごとdisり出すのも不快でしかない。
最近耐えられなくなってミュートしたが、ここ数日同じ界隈の方々がザワザワしているので、ああまたクソリプに絡んでいるんだろうなあと思ってこの増田を書いた。
①中学1年生の4月、学校のトイレに行くことをなぜかためらい部活中に失禁。
②中学2年生の3月、自宅まであと300mの場所で脱糞。汚れたズボンを母親に見つかるまで自室の中で隠す。
③中学3年生の時、同じ女に数ヶ月おきに3回告って3回振られる。
④高校1年生の時、自分が脚本を書いた劇を全校の前で披露しドン滑りする。
⑤高校2年生の時、再び劇の脚本を書くが練習段階で滑りまくったせいで本番数日前に他の人が書いた物へと差し替えられる。「でしゃばりたかったのなら、途中で自由にしゃべる時間あげるからなんかやれよ」と言われるも、本番時固まり何もできず何もなかったことに。
⑥大学1年目の時、コミュニケーションができなさすぎて卒業に必要な英語と第2外国語の単位計16単位の内、4単位しか取れず。残り12単位は大学生活6年を通して極力他人とコミュニケーションを取らないタイプの授業を選びながらチビチビと取ることになる。
⑦大学1年目の冬、親から授業料をもらっていたにもかかわらず自動車学校を不登校になる。(※免許は数年後地元の自動車学校に入り直し取得することになる)
⑧大学2年目の夏、サークル宛に外部での発表依頼が来てメインを俺が貼ることになったものの、大失敗し、発表終了後依頼主から「もっと真面目に練習すれば?(笑)」と失笑される
⑨大学3年目の春、某資格を取るための授業料約20万円を親からもらっておきながら、この頃から大学すら不登校になりバイトも全くせず、授業料を支払う行為だけしてパーにする。
⑩大学3年目の夏、携帯を放置しアパートには鍵をかけ居留守し続け失踪騒動を起こす。アパートの中での自殺は失敗しました。
⑪大学5年目の夏、全く大学に行っておらず卒業できる状況でもないのに親に就活はしていると嘘を付き続け、「就活でそっち戻るから迎えに来て」となぜか嘘を付き、その後また漠然と自殺を試みるも、もう嘘を付き続けられないなと判断し母親に「全て嘘でした」と吐き出す。
⑫大学3年目の春時点で配属され本来であれば大学4年目の最後まで所属し卒論もその中で書くことになっていたゼミ(※結局2回くらいしか行ってない)の単位を取らないと卒業できないのでどうなっていたか大学5年目の秋に確認したところ、ゼミの単位が取れた扱いになっていた。担当教授に確認したところ「温情で単位を上げた。残りの卒業に必要な単位を取れ。卒論なんてお前に書けるわけがない。」と言われる。もちろん書きませんでした。
⑬6年間となった大学生活の中で、結局バイトは全くやらなかったし、彼女もできなかったし、童貞も卒業できなかった。
⑭就職してから3年目、さっさと処理できるような書類を溜め込み放置してしまうことが常態化しクレームが入りまくるようになり、戒告処分を受ける。
⑮現在、普通に誰でもやれそうなルーティンワークや電話をかけることやメールを返すことなどがまるで人並みにできなくなり、休職寸前に。
あー、書いたらなんかスッキリした
私は大学4年だ。この一年、コロナが流行ってからというもの、大学にもいけず、バイトも休業続き。バカ高いお金だけをはらって私の大学生活は終わろうとしている。就活だって働き口は見つけてるけれど、一番行きたかった業界は採用中止や無期限延期ばかりだ。研修だってオンラインだし、リモート勤務の可能性もあって、同期と顔を合わせるのは何年後になるのやら。
卒業式だって縮小されて、お金はまるまる取られるけれど食事会もゼミの打ち上げも無くなった。
去年の春、感染拡大で前期すら始まらなかったころに「感染収まったらリセットされて自由な2020年になればいいのにね」だなんて叩いた軽口を繰り返せる自信も元気ももはやない。
テレビをつければ感染を広めている若者といわれ、はっきりと言って質の低いオンライン授業と、長い間閉まっていた図書館で不完全燃焼な卒論を書いて後期を終えた。
これが全部終わったら近場の温泉に友人と泊まって卒業旅行をしたいねなんて言ってたのも今や叶いそうにない。この一年、アルバイトの友人とも大学や高校の友人とも数えるほどしか会っていない。趣味の映画や舞台やライブも中止や延期やオンラインばかり。
コロナが流行っていてしょうがないのもわかりすぎるほどわかってはいるけれど、最後の楽しみすらスライドに書かれた突き放した言葉でなくなった。
この一年私たち「若者」の全員が考えなしに生きていたわけじゃない。
それなのに、政府や政治家たちは一年間まともな結果を一つも出さずに私たちを批判して、ただただ我慢しろ、自粛しろ、の一点張り。
テレビをつけても、意味のなさそうなフェイスシールドやマウスシールドで楽しそうにしているのは、私たちが我慢してやりたいのにやれないことをやってる芸能人ばっかりだ。彼ら彼女らはプライベートでは自粛していても、仕事では旅行をしたりおいしいものを食べたり、同業者と頻繁に会っていてズルいだなんて思ってしまい、そんな考え方も嫌すぎて最近はドラマさえも見れなくなっている。
ニュースのインタビューで批判してるのはおじさんおばさんばかり、必要に応じて電車に乗れば、感染対策が不十分なのは圧倒的に中年以上の人たちばっかり。ファミレスの前を通れば老人たちが集まってて、なんだか最近は自粛したって良いことなんて一つもないじゃないかだなんて思い始めている。オリンピックだって前は楽しみだったし、アスリートの気持ちを考えたら無観客とかで開催すればいいじゃん、とか思っていた。でも最近、某アスリートが「どうやったらできるかを考えて」だなんてほざいてるのを見て馬鹿馬鹿しいし、腹立たしい。もしかしたらそんなことを言った人はもっと上の立場を忖度したのかもしれない。本当にこれを言うのは良くないのはわかってるけれど、でもこんだけ私たちが我慢して楽しみを奪われてるのに、あなたたちだけ良い思いをするならば、是非とも中止にしてほしいと思っている。
というかなんなら今はオリンピックも政治も全部全部めちゃくちゃになってくれとさえ思ってる。
こんなことを書いたってなにも変わらないし、若者対若者以外の対立構造に陥ってるのはわかってる。医療従事者を考えるとこらえどきなのもわかってる。
長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。
子供の頃からなんとなく漠然と、自分の人生は二十歳で終わると思っていた。
高校受験、学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。
憧れた高校に入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。
高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。
憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。
それで満足していたし、それ以上はなかった。
大学は行きたくなかった。
やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。
小学生の頃の昼休み、友達に「絵が上手いから漫画家になればいいじゃん」と言われた。
その時からなんとなく漠然と、自分は漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。
あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。
結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画も3Dも学べる大学に入った。
新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画やアニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。
実際、入学前に散々確認した3Dのモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。
かろうじて漫画の講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分のロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。
これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄な時間を過ごしすぎる。
二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。
それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。
つまり、この時点で気づくべきだった。
私に漫画は向いてない。
授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代のほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。
入学特典として、時間外でも個別相談で作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。
ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。
それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。
教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。
「あなたのネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから」
それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。
自分でなんとかしなきゃ。
とにかく、まずは一作。
そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。
せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。
5個の編集部に持ち込みに行った。
うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。
そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分の担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。
もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。
でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。
帰り道の足取りは重かった。
初めての単身上京、知らない街。
足を止めたら消えてなくなる気がしたから。
うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束の時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。
でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。
でも結局、編集部の名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者の自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。
結果から話すと、うまく行かなかった。
その頃には大学も卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部に投稿した。
持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。
漠然と、自分は漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。
元々していたアルバイトをフルタイムにして、漫画を描いていた。
しかしバイトがハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間に事務所でトーン貼りしたりしてた。
鬱になった。
正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー、作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。
ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。
話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。
当時の店長に相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。
元々2年で辞めるつもりだったし、漫画もバイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。
それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。
すごく嬉しかったが、断った。
雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。
両親はそれが心配だったらしい。
「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」
私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。
今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せな分岐だったのかもしれない。
面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。
当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者の自分には不可能だった。
家から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。
早速応募して、面接。
そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。
作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルームに作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。
お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。
その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手の役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。
あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)
そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。
その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しかし担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいか分からない状態だった。
そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。
展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…
初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。
アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。
相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当に意味不明な事を言われながら、最後に自分の好きなものを描いてみようと思った。
何を描いても、誰にも何も言われない。
好きなように、楽しく。
結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。
せっかく描いたし、SNSにあげてみた。
今まで私の漫画は学校の先生と、編集部の人くらいしか見たことがないし、反応をもらえた事はない。
いいねが1万件ついた。
びっくりした。
たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想のコメントもいっぱいついた。
嬉しかった。
それから、就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。
これで漫画は最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。
ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。
そしてそこで、いきなり連載になった。
今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。
そして実際単行本も出した。
これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。
当時の自分もそう思っていた。
でも実際は違う。
話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語にちょっと複雑な内容を追加した。
とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。
そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。
今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。
担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。
今でも配信サイトのコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。
描けなかった。
今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。
連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。
「よくこれで本が出ましたね」
持っていったネームも単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。
曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。
当たり前といえばそうかもしれない。
過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。
一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。
もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」
一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNSの投稿漫画と同じ。
商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。
3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。
悔しいけど、やっぱり自分には描けない。
その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。
その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。
描けなかった。
私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからはキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。
だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。
しばらく練り直して、やはり変わらなくて。
諦めて別の話を描くことにした。
そこからは真っ暗闇だった。
どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。
下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。
そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。
結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。
そんな事が2年近く続いた。
別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。
足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。
それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。
そろそろ30になる。
二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。
一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。
突然クラスの男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達に相談していた。
男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。
はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。
「別にいいし」
友達を作るのが怖くなった。
どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。
ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。
3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。
友達って難しいな。
親には言えなかった。
友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。
そのまま卒業した。
そう言われ続けて卒業した。
何人か連絡先を交換して話したりした。
仲良くなった人もいる。
ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装に制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。
ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。
100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。
オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。
ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。
趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達の感覚だった。
自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアでボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。
向かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。
そして、ボロボロの爪を見られた。
「オシャレだね」
怖くなった。
ボロボロにハゲた公園の遊具のペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。
しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。
男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。
それがたまらなく怖かった。
その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。
そう言うのが怖くて続かなかった。
そのままもうすぐ30だ。
家を出る能力がないので実家暮らし、毎日両親…特に母に怯えて生きている。
「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから」
少ないながらに在宅でアシスタントはしている。
両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。
本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。
当然、その分給料は減る。
給料が少ないから、その分早く自分の原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。
それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。
真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。
完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。
何年か前、卒業式の直前に「ゼミでお世話になったお礼です」と手土産とともにやってきた学生がいた。
学生が帰った後、手土産の入った袋を覗いてみたら、底からメモ帳に書かれた手紙が出てきた。
そこには、大学に入ったけど学部に興味を持てなかったこと、そしてずっと後悔していたこと、が書かれていた。
その学生はゼミの中ではみんなと仲良くしている感じだったし、その時もそんなそぶりを全く見せなかったので愕然とした。
彼女はどんな想いでこれを書いたのだろうか。
簡単に纏めるとグループ研究で何もしなかった人間をみんなの前で干したら私が叱られた話。
大学生の時にゼミ研究が必修であった。卒論に向けてのなんちゃってゼミ。個人でやる人が大半だったが、担当の先生の勧めから私は共同研究を選んだ。テーマが近い三人での共同研究、正直楽できるとも思った。
それが間違いだった。
他の二人は全く調べてこない、まとめてこない、期限とは如何に。共同研究は運命共同体。やらない二人に合わせていると私の単位まで危うい。他に担当を振っていたものまで必死に調べまとめ上げて中間提出。「次こそはこんなギリギリになりたくない」と思った私は、こまめにグループLINEで調べること等の指示を出した。
しかし二人から出されるものは毎回3行程度の頓珍漢なもの。こんなもので単位が得られるわけがない。
丁寧に言っても改善されない、やる気が見られない。段々学習性無気力になってきた私は、いつからか指示することも無くなっていった。
逆に私がバリバリやることで他の二人が「自分も何かやらなきゃ!」となってくれることも期待した。
が、無駄だった。
何度か「共同研究をやめたい」と担当の先生や総括の先生に相談したが、二人とも他の先生の指示に任せるとしか言ってくれなかった。
残念無念、また来年。
結局私はレポートを一人でまとめ、スライドを一人で作り、発表原稿も一人で書いた。原稿が出来て共有した際に最後の情けで、「何処読みたい?」と聞いた。「何処でもいい」としか返ってこなかった。
完全に一人で戦うモードになった私は、共同研究にも関わらず一人で全て原稿を読み、質疑応答にも答えた。他の二人は私の後ろで立っているだけだった。
質疑応答の際に、他の担当だった先生から、「共同研究なのに何故増田さんだけ発表しているのですか?」と質問があった。
私は「他の二人が何もしなかったからです。」と答えた。
全先生と全生徒(うちは小さな大学だったので)の前で我ながら清々しいくらいに言い切った。
全員からの「まじで言いやがった…」という空気の中発表は終了した。
その後私は総括のババアから呼び出され、みんなが講義室から出ていく中、デカい声で説教された。
ババアは
・みんなの前で言う必要がない
・お前には思いやりがない
・他二人に歩み寄ったのか
という点で私を責めた。
私もババアにめちゃくちゃ反論し、沢山のギャラリーの中最早喧嘩になった。
おめーもみんなの前で私のこと説教してんじゃね〜〜〜かよお〜〜〜〜〜〜〜
私からすれば、丁寧に毎週やってきてほしいことのLINEを入れ、お粗末な文章に対しても、「ここもう少し書いて欲しいな〜☆」と頑張って喧嘩しないように努めた。そもそもやらなかったやつが全て悪いだろ、なんで私が叱られなきゃならんのやとも思った。
私は私でやるべき最善は尽くしたし、なんならお前に共同研究辞めたいと直訴しただろ〜がよ〜〜〜
もしかしたら優しくしてる"つもり"になっていたのかもしれないし、発表を全部一人でやってしまうことは大人気ないとは思う。しかし、部下でも後輩でもない同い年の人間に対して情けをかけることは嫌だったし、私が必死に今までやってきたものを、最後の発表だけ「私もやってました!」と言う顔で参加されるのはどうしても嫌だった。(共同研究は発表の待ち時間も長いなど個人の子よりやることが沢山だった)
発表自体は共同でも、レポートは各自提出だったが、他二人の内一人はレポートすら字数が足りないままの提出だった。やる気のないやつに合わす義理はない。
こってり叱られた後、他の先生方からはこっそり「良かったよ」「大変だったね」等の言葉をもらった。自分が一生懸命やった研究を褒めてもらえたことは素直に嬉しかったが、それを総括のババアの前で堂々と言ってくれよと少し思った。
ババアの言うように歩み寄る余地があったのなら、半年間の共同研究の中で、自分がどのように他二人に歩み寄れば良かったのかわからない。吊し上げる必要がないと主張する総括のババアに、みんなの前で叱られた理由も未だにわからない。
私はあの時どうすれば良かったのだろうか。
大人の対応ならば、他の二人にも発表に参加させれば良かったことはわかるが、私の気持ちを消化するにはこれが最善だったとしか思えない。
社会に出る前のクソガキなんだから、小さい大学内でスカッとジャパンすることくらい許されるだろ〜がよぉ〜〜〜〜とも思っている。
思いつきでバッと書いたので文章がめちゃくちゃだがまた起きてから推敲します。
ババアまじでムカつくぜ。
((追記))
正直、「増田は間違ってない」という言葉欲しさのエントリだったので少しスッキリ。
F欄なのは間違いないです。資格専門の大学で小規模だったので、総括のババアが派閥を作り牛耳っているような大学でした。偏差値も低いので自分はしっかりと4年間で国家資格を取得したので、特に後悔はないです!
他二人に関してですが、レポートの字数が足りなかった一人は当たり前ですが単位認定されませんでした。ざまあみろと当時これまたスッキリしたことを覚えています。
もう一人は空気だったのでよくわかりません。この人はあまり世渡り上手なタイプではなさそうでした。
総括のババアは、THE女という感じの正直難あり教員だったのですが、仮にも上の人間に楯突いたのは私なので、大人になって後日謝りに行きました。こういう人間は謝っといた方が残りの学生生活不備なく過ごせると思ったので。
共同研究は内容と言うよりか、他人との擦り合わせを円滑に行う訓練的な意味合いを、教員側は求めていることも理解していますが、当時の私はどうしても許せなかったのでこのような愚行を行いました。
勝ち気で正義を押し通したがる癖があるので、そこは社会人になった今必死にすり潰しています。たまに悪癖として出ますが…😢
正直反応貰えないとも思っていたので嬉しいです。
Twitterをやめてしばらく経つと、あのオタクしかいない環境の異常さが身に染みてわかる。
Twitterのオタクは成人式に行かないのが面白いと思ってるらしいけど、外から見れば意味不明だし面白くも何ともない。行きたくなきゃ行かなければいいだけで面白い面白くないの問題でもない。
自分では特に何も生み出さず、流行りのアニメやコンテンツをただ追って、ネットミームには無駄に詳しくなって、TLに流れてくる誰かのツイートで政治や社会について知った気になり、その割には知識は偏っていて大学レベルの教養も無い。
大学受験ではエリートだったから高校までの勉強や価値観で時間が止まってるんだろうな。
陽キャラ死ね!とか言ってる割にはやたらオタク同士で群れる。面白くない奴の集まりだから当然内輪ネタも面白くないんだけど、厄介なのは留年したとかバイトブッチしたとかいうのも面白いコンテンツだと思ってること。生活力が無さすぎてボヤ出した挙句実家に強制送還されたオタクがいたのは流石に悪い意味で面白かったけど。
そういう環境にいると自分がどんどんおかしくなっているのに気づかない。あいつらって内輪でしか通じない言葉作るの好きだよね。
オタクは何故か「就活」というものに嫌悪感持ってるから、ろくに対策もしないでいきなりインターンとかGDに送り込まれる。で、自分が何者でも無いことを思い知る。
今まで身につけてきたネットユーモアとかアニメとか内輪ネタは世の中で全く相手にされないし、知識も偏ってるから言うことも的外れになっている。結局のところまともに語れる経験がない。
それは当たり前で、普通の大学生がサークルやらボランティアやらゼミで学んできた時間、彼らは誰かが作ったコンテンツに群がって同じように空疎なオタクたちと無為に過ごしてきたから。
オタクは面接が苦手というが、内輪でしか意思疎通してこなかったり話のネタになる経験もなかったりするんじゃ当たり前。で、大学受験の成功体験から抜けられないから有名企業ばかり受けるし、学力に自信があるのか筆記の公務員試験を受ける。だいたいオタクで公務員試験失敗してるのは面接なんだよね。そらそうだろ。
以上、半分自己紹介と半分周りのオタクを見てきた経験から書きました。3年生の夏にギリギリこのことに気づいたからなんとか就職できましたが、たまに昔のアカウントを見ると何年も変わらずオタク同士馴れ合ってる連中を目にする。元同期のオタクはTwitterウケ狙いでめちゃくちゃニッチな専攻を選んで、就活も苦戦中らしい。
それでは皆様ご機嫌よう。
Twitterをやめてしばらく経つと、あのオタクしかいない環境の異常さが身に染みてわかる。
Twitterのオタクは成人式に行かないのが面白いと思ってるらしいけど、外から見れば意味不明だし面白くも何ともない。行きたくなきゃ行かなければいいだけで面白い面白くないの問題でもない。
自分では特に何も生み出さず、流行りのアニメやコンテンツをただ追って、ネットミームには無駄に詳しくなって、TLに流れてくる誰かのツイートで政治や社会について知った気になり、その割には知識は偏っていて大学レベルの教養も無い。
大学受験ではエリートだったから高校までの勉強や価値観で時間が止まってるんだろうな。
陽キャラ死ね!とか言ってる割にはやたらオタク同士で群れる。面白くない奴の集まりだから当然内輪ネタも面白くないんだけど、厄介なのは留年したとかバイトブッチしたとかいうのも面白いコンテンツだと思ってること。生活力が無さすぎてボヤ出した挙句実家に強制送還されたオタクがいたのは流石に悪い意味で面白かったけど。
そういう環境にいると自分がどんどんおかしくなっているのに気づかない。あいつらって内輪でしか通じない言葉作るの好きだよね。
オタクは何故か「就活」というものに嫌悪感持ってるから、ろくに対策もしないでいきなりインターンとかGDに送り込まれる。で、自分が何者でも無いことを思い知る。
今まで身につけてきたネットユーモアとかアニメとか内輪ネタは世の中で全く相手にされないし、知識も偏ってるから言うことも的外れになっている。結局のところまともに語れる経験がない。
それは当たり前で、普通の大学生がサークルやらボランティアやらゼミで学んできた時間、彼らは誰かが作ったコンテンツに群がって同じように空疎なオタクたちと無為に過ごしてきたから。
オタクは面接が苦手というが、内輪でしか意思疎通してこなかったり話のネタになる経験もなかったりするんじゃ当たり前。で、大学受験の成功体験から抜けられないから有名企業ばかり受けるし、学力に自信があるのか筆記の公務員試験を受ける。だいたいオタクで公務員試験失敗してるのは面接なんだよね。そらそうだろ。
以上、半分自己紹介と半分周りのオタクを見てきた経験から書きました。3年生の夏にギリギリこのことに気づいたからなんとか就職できましたが、たまに昔のアカウントを見ると何年も変わらずオタク同士馴れ合ってる連中を目にする。元同期のオタクはTwitterウケ狙いでめちゃくちゃニッチな専攻を選んで、就活も苦戦中らしい。
それでは皆様ご機嫌よう。