はてなキーワード: ゼミとは
1ヶ月前にゼミの准教授から、一通目のメールで「至急メールに卒論を添付して」とメールが来たあと、2通目のメールで「紙媒体で明日研究室に提出して」とメールがあった。
至急と書いてあったので、メールに卒論を添付して送り、明日研究室に紙媒体の卒論を持っていくつもりだった。
4時間後に准教授から返信が帰ってきて、メールの内容は「紙媒体の提出と書いてあったのにメールで添付するのはどういうつもりか、迷惑だ」とぶちギレメールが来た。
今考えれば確認のメールをすればよかったが、「至急」ということだし、確認メールをせず送った。
ただ、2通目で准教授が「先ほどメールに卒論を添付して、というメールは取り消しで、明日紙媒体で持ってきて」という文面があれば理解は出来る。しかしその文面がなく准教授が勝手にぶちギレてるだけなので理不尽である。自分を省みない人間にはならないようにしようと思った。
1ヶ月前にゼミの准教授から、一通目のメールで「至急メールに卒論を添付して」とメールが来たあと、2通目のメールで「紙媒体で明日研究室に提出して」とメールがあった。
至急と書いてあったので、メールに卒論を添付して送り、明日研究室に紙媒体の卒論を持っていくつもりだった。
4時間後に准教授から返信が帰ってきて、メールの内容は「紙媒体の提出と書いてあったのにメールで添付するのはどういうつもりか、迷惑だ」とぶちギレメールが来た。
今考えれば確認のメールをすればよかったが、「至急」ということだし、確認メールをせず送った。
ただ、2通目で准教授が「先ほどメールに卒論を添付して、というメールは取り消しで、明日紙媒体で持ってきて」という文面があれば理解は出来る。しかしその文面がなく准教授が勝手にぶちギレてるだけなので理不尽である。自分を省みない人間にはならないようにしようと思った。
先日大学院の修論発表会があって、先生方にボコボコに問題を指摘されていた学生がいた。
(学生とはいっても、社会人の割合の多い大学院で、彼は会社員をしつつの研究だった模様)
どのような内容でボコられていたかというと、おおよそ以下の通りだ。
いずれも、基本的な指摘だとは思う。※基本的だけど、必ずしも容易だと言うつもりは無いです
・貴方の提出した修士論文には参考文献の記述が全く無いが、関連研究に関する調査はしたのですか?
・そもそも参考文献の記載も無いような体裁では、修論として受理しかねる場合もありますよ
・先行研究の課題などを明確にして、どう改善していくかとか、新しい視点や貴方の考えを提言していくとか、そういうのが大事ですよ
それらの指摘に対する件の学生の反応は下記のような感じだった。
(2) そもそも勉強と研究は違うものであり、先行研究を提示したところでそれらは所詮他人の真似事であり、本なり文献の紹介にしかならない
「あー、基本的な考え方が出来ていないのにプライドは高いタイプだ・・・(私のような人間が指摘するのも何だが)正直、
卒論ならまだしも修論でこのレベルはまずい」というのが率直な第一印象だが、何故この人が(1),(2)のような発想を
まず(1)についてだが、件の人は、フォーカスしている視野が狭いなと感じた。
(おぼろげな記憶だが)ドラえもんの話で、「宿題くらい百科事典で調べなさい!」と怒られたのび太が、
「いくら調べても、どこにも"今日の宿題"なんて載ってないよ~」と嘆くシーンがあったように思えるが、
それに近い現象が発生していたかなと(宇宙完全大百科の話だったかな、確か)。
(2)についてだが、よく言われるように「勉強と研究は違う」のは確かだが、自分の研究の位置付けが適切に
なされていないために発生している考え方のように思えた。
あとは「巨人の肩の上に立つ」ことが腹落ちしていないのかなとも思う。
ただ、それらの問題を差し置いて、彼の最大の難点は「何か指摘されると真っ先に口答えをしてしまう」ところかなと。
結局、他のゼミの学生が見かねて「こういう調べ方をすると良いですよ。関連研究を提示しないと、せっかくの研究が
某レビューサイトで、今読んでも面白さの色褪せない、おすすめの古のBLとして紹介されていた。タイトルのセンスがすごく良いと思ったので買って読んだ。
私が買ったのは文庫版を電子書籍にしたものらしく、本編以外に同人誌として頒布されたらしい短編がいくつか入っていた。
確かに面白いんだが、初版が出た年(1998年くらいだったかな)から見ても文化的に地味に古かったんじゃないだろうかと思う。作者の青春時代が窺えるというか……バブル時代に学生だったの? のわりにJKがルーズソックス履いてたりして。ルーズソックス、確かちょうど98年頃にスーパールーズに超進化した挙げ句に広末涼子大人気の辺りにスパッと誰も履かなくなった記憶がある!
脇役のコンサバ女子が主人公の入ったゼミの面子を見て、こんな奴らが将来社会を支えるオヤジになるんだから日本が悪くならない訳がないとかなんとか言っていて、その予言は見事的中した昨今ですなと、思わずこめかみを抑えてしまう私だった。
あれっ、BLの話をするんだったのに何話してるんだろう私、気が付いたらノスタルジーどっぷりになっててヤバい。
メインカップルに『きのう、何食べた?』のケンジとシロさんの面影を感じる。作者さんはこういう優しい攻めと強気の受けが好きなのね、なるほどなるほど。
白泉社文庫だし、同人誌ぶんも同時収録とはいえ派手なエロとかないでしょと思ったらめっちゃエロある。半分くらいエロなんじゃないかなと思うくらいある。びっくり。
古のBLなせいか、修正箇所と思われる部分が少ない。というより、構図が工夫されているので、そもそも修正の必要なブツがあまり画面に出てこない。こういうのいいなー。私は画面に「何が描いてあるのかわからない謎の空白」のあることにストレスを感じてしまうので、最初から修正が必要なブツをわざわざ出さない方向性、わりと歓迎する。
メインカップリングの恋愛よりは、攻めの人の父親や弟との関係性とか、受けの人の同僚の恋模様とかの方が、興味深く面白かったかもしれない。
ネットで意見を発信するときに怖いのは何だろうか。クソリプ、炎上、個人情報の特定、色々懸念すべき点はあるだろう。
でも一番怖いのは「自分より詳しい奴がいる」ことではないかと思う。
自分より詳しい奴からの反論に、自信を持って自説を貫ける人は少ない。
例えるなら、ゼミの教授がゼミ生の論文・研究発表に立ち会っているようなものだ。自分より知識も経験も上の人間が、「私はこんなこと発見しましたよ!」という青二才のプレゼンに常に目を光らせている。プレゼンが終われば詳しい奴による質疑応答の時間であり、考えもしなかった多角的な視点からロジックの穴を突いてくる。
もちろん、自身の経験談を語る程度であれば何も問題ない。身に起こった出来事を当事者の感性から描いたエッセイは、第三者には得難い貴重なエッセンスが含まれており、自分が世界で一番詳しい情報になるからだ。
しかし、経験談以外の「主張」に対してはそうはいかない。主張には多かれ少なかれ反論が来る。その主張が中道ではなく擁護か批判の側に寄っていればいるほど、反論の数は多くなり論説も激しいものになる。
誰かを批判するときは批判される覚悟を持て」というが、こっちは一人で相手は無限。
どう考えてもフェアな殴り合いではないだろう。
そんなこんなで、自分より詳しい奴は数人から数万人までたくさん存在している。
こんな世界で自分の意見を表明するというのは、実はとても勇気のいる行為ではないだろうか。
常に「自分が言っていることは正しく、反論に耐えうるものなのか?」という疑念に苛まれ、事実関係に間違いはないか、自分の論拠と相対するデータが出てこないか、細心の注意を払って文を書いていくことになる。そうして苦心しながら書き上げた主張を詳しい奴らが一刀両断するのだ。
そしてタチが悪いことに、ネット上では自分の意見が簡単に見られ、識者も気軽に集まれてしまう。
「ゼミ内発表」という閉じた空間での出来事ならまだ優しい。教授はゼミ生の発表にも、「よく調べてあるね」という寛大な言葉を投げかける(もちろん教授によるが)。その言葉の前には「学生にしては」という枕詞が隠れているが、決しておくびに出すことはない。
ところがネットはそうは行かない。発信者が青臭い学生だかいい年したおっさんだかなんて関係なしで、間違えば容赦ないツッコみが来るし、内容次第では炎上する。しかもゼミのような内輪の場ではなく完全なるオープンの場である。
自分の卒論が一億人に見られると言われたらどう感じるだろうか。私は最悪の気分になる。主張は的を得ておらず、構成はちぐはぐで論拠はずさん。内容は知識の薄い素人がデータを継ぎはぎした妄想の延長線上であり、はっきり言って人目に耐えられるものではない。
ネットには語る人間がたくさんいる。twitter、note、増田といった匿名のSNSがある。
匿名者だけではなく、落合陽一、オリラジ中田、会社の看板を背負ってnewspicksにコメントする人間など、専門外が顔出し名出しして、これからの世界」について自信満々に語っている。
気がつくと、おれは真っ暗なコックピットの後部座席に座っていた。
目の前には大きな台形の窓がぽっかり空いていて、その向こうに東京の夜景が広がっている。さっき飲んでた居酒屋も見える。
そして隣の座席を見るとなぜかメグミさんが同じように座っている。
大学時代、ティム・バートンとか美味いラーメン屋とかについて語り合ってたメグミさんは、当時ゼミの山口先輩に惚れてて、おれは自分の浅い経験を棚に上げてはよく相談に乗っていた。ていうか密かに好きだった。
「メグミさん」と呼びかけると「あ、岡本氏」と、同窓会で見たかわいい顔がこちらを向く。あれから7年経って、おれだってそれなりに恋愛に慣れたと思ってたのに、「また会ったね」と微笑むその顔を見ると、当時の恋心があたかも新入りのように現れて胸を締め付けてくる。そういえばまだ独身だったはずだ。
「らしい。これUFOなのかな」
「だね」
「てか落ち着いてんね」
突然、目の前の床から座席が音もなくせり上がって、そこには宇宙人が座っている。くるりと振り向いた顔がどっかで見たことあると思ったら、ロマサガのサルーインそっくりだ。
サルーインにフルネームで呼ばれておれは逆に萎える。なんかドッキリくさい。そもそも日本語だし。
「現在の時刻は0時23分。終電はすでに練馬駅を出ている。明日は朝から打ち合わせだろう」
「はあ」
「私は、終電を逃した者を救う為にこの星にやってきた」
「…」
「……」
「私の船ならば、君を横浜のマンションまで送り届けることができるだろう」
「いやあの、タクシーとか」
「私は見返りを要求しない」
「はあ」
「一瞬にして君は横浜に帰る。そして万全の態勢で朝日を迎えるだろう」
まあ別にモニタリングならモニタリングでいい。タクシー代も気になってたし、それなりに話を合わせながら送ってもらおうと思ってたら「じゃあ私も?」と、メグミさんが身を乗り出してきて、サルーインは小さく驚く。ん?想定外なのか?
「浜浦メグミ、君の家は区内だ。歩いて帰れるだろう。なぜ乗っている」
「えっそうなの?」
「うん、練馬区だけど」
「では歩いて帰れ」
「…既に見えている」
「じゃなくて、いろんな夜景が見たい!」
「いいだろう」
いいのかよ。
それからおれたちは、サルーインの船で博多と松山と大阪と名古屋と仙台と函館の夜景を見せてもらう。
数分で移動していたにも関わらず窓の外に広がる夜景は明らかに映像には見えないリアルさで、もしかして本当の宇宙船なのかと疑ってしまう。
メグミさんは綺麗な夜景にはしゃいだり途中で寝たりしながら自由に過ごし、しまいには「ニューヨークの夜景が見たい!」と言い出す。「あっちは現在午前中だぞ、夜景ではない」というサルーインに「UFOなら行けんだろうが!行けよできないのかよ!」と喰ってかかるメグミさん。同窓会ではだいぶ飲んでたけど、そんなに酒乱だったっけ?
「…いいだろう」と渋々サルが折れて、10分後にたどり着いたのは昼間のマンハッタン。
陽光を反射して輝く摩天楼に、おれは普通に感動する。生まれて初めて見る景色。
「キレイだね」と思わず呟くおれに「そうだね」と向き直ったメグミさんが途轍もなくかわいい。手を繋ぎたくなる。でもおれは手を握らないし告らない。目の前にくたびれ果てて不機嫌そうなサルーインがいるから。
「なんか、すいませんでした。ありがとうございます」というおれに、「明日からの人生がより豊穣であることを」とサルがうんざり顔で応え、UFOが飛び立って行く。「じゃーな!」というおれの声に「またねー!」というメグミさんの声が遠ざかる。
マンションのドアを開けながらおれは思う。
そもそもなんでメグミさんはあのUFOに乗ってたのだろう?さらわれたおれを追ってきてくれた?いや、あんなに酔っ払ってたんだし。大体「家に送る」という善意の宇宙人だったんだから先に送って貰えば良かったのだ。
その後、会社の倒産やら実家の遺産騒動やらでバタバタしながら更に10年が過ぎ、久方ぶりの同窓会で、メグミさんがあの日以降消息を絶ったという事実を知っておれは気づく。
過去に一度送ってもらったのか、さらわれた時に惚れたのかはわからないけど、あの時メグミさんはきっと奴と二人きりになりたかったのだ。
日本全国の夜景や白昼のマンハッタンを一緒に見たい相手はおれではなかった。というかむしろ早く帰って欲しかったのだ。そういえば山口先輩はサルーインに似ていた。
ひとり家に帰る道端で、おれは静かに泣いた。
おれのことを好きじゃなくていい。好きな人がいるなら全力で手伝うつもりだった。だからサルはすぐに横浜でおれを降ろしてくれてよかったんだ。こっそりでも事情を説明してくれたらおれは手伝ったしすぐに船を降りたよ。あれから10年、心の片隅でずっと待ってた。信じてもらえてなかったことがただひたすら悲しかった。
そしておれは今も地球の上でちまちま生きている。あの夜のことを思い出しながら。彼女の幸せを祈りながら。
(冬につき再掲)
正確にはもとから友達で、言い分を聞いてきて、シングルマザーになったことに非はないと判断した
そいつのためではなく0才からこの地球を歩んでいく子どものためだ
ぼくには妻子がいるのでたとえ純粋な友達であっても裏切りじみている
「男ができたら必ず言ってくれ。そいつが出すべき金だと思うし、自分が男の立場なら他の男から金をもらってるなんて耐え難いから。すぐにとは言わない。付き合っていけると思ったときに言ってくれ。そしたらこちらは支援を止めて姿を消す」
5年経って発覚した
ひどくないか
ぼくの支援金で楽しく男と過ごしてたと思うと本当に嫌な気持ちになった
無償でくれてやった新車の軽自動車を売り払い、ボクシーに乗り換えた時点でクエスチョンが付いていた
少しは贅沢したい気持ちもわかる
友人として心を尽くした金額だ
貧すれば鈍す
本来、人を裏切ったり傷つけたりして平気なやつではないはずだ
今でもそう信じてるけど袂を分かった
二度と会うことはない
1.肉体関係はありません。浮気のつもりではなく、同情心から支援していたのでそういう気分が起こることもありませんでした。
2.税金は払っていました。自営業で自分で確定申告しているため妻に気づかれることはありませんでした。生活費等は共有ではなく、毎月ローンとともに一定額入れています。あくまで自分が自由に使える範囲内で支援していました。
3.相手は大学で教員をしていたころの教え子です。ゼミでおとなしく、優秀だった子でもしかすると下心があったのかもしれませんが一度も肉体関係はありません。子供はいますが、自分と同じ道に進む後継者のようなものが欲しくて、彼女の子供におかしな期待を抱いていたのかもしれません。自分では同情心を無為にされたというのが第一にあって正確なところはわかりません。
10代の終わり頃からずっと他人と正面から向き合うのが苦手だった。
他人に対して何らかの責任を負いたくなくて、いわゆる正式な『彼女』は作れなかった。
もし作ったとしても、自分の気持ちが維持できなそうな気がしてならなかった。
そんな僕でも、中高校生の頃は、多くの人間がそうだったように、恋愛に憧れがあった。
しかし、好き(と当時は思っていた)な女性と付き合っても、付き合うまでが楽しくて付き合ってからは全く楽しくなかった。
付き合うまでは学校の話や趣味の話だけして仲良くなればよかったのに、付き合ってから彼女の悩みや愚痴に取合うのがとてもしんどかった。
今思っても大した悩みではない。でも、人の負の感情を受け止めるのが煩わしくて仕方なかったのだ。
サークルの飲み会の帰り、酔っ払いすぎた女の先輩を家まで送っていった時だ。
一人では足元がおぼつかない先輩を、たまたま帰る方向が同じだった僕が引き取った。
家につくと、先輩は「まだ飲みたいから一緒に飲もう」と言い出した。
それが18の若者にはとんでもなく色っぽく聞こえて、家に上がりこみ、冷蔵庫に入っていたチューハイを一緒に飲んだ。
そんな話をしているうち、だんだんと顔が近づき、キスをして、ベッドに倒れ込んだ。コンドームはベッドの下にあった。
次の日の朝、僕はすごく面倒くさいことになったと思った。
普通の女の子と付き合うのも嫌なのに、先輩の彼氏と揉めるようなことは絶対避けたかった。
しかし、先輩はあっけらかんと「しちゃったねー」とか言いながら、大学の授業に出かけていった。
先輩は彼氏と別れなかった、そして、次の飲み会終わりも僕と先輩はセックスをした。
そして僕はこの関係性の気楽さに感動していた。
幸い顔と稼ぎは悪くなかったようで、セックスの相手はあんまり不自由しなかった。
悩み事は聞かなくていいし、気の利いたプレゼントも要らないし、記念日も祝わない。
彼女たちは、僕が不義理を働いても帰るところがあって、それがとても楽だった。
と、そんな生活をしているうちに僕は30歳になろうとしている。
周りの友人たちはもちろん、僕とセックスしていた女の子たちも結婚し、子供もいる。
そしてそれを見て、少しゾッとするのだ。
彼氏に隠れて僕とセックスしていた女の子たちが、何事もなかったかのように子供との生活ぶりをSNSにあげている。
10代の終わり頃からずっと他人と正面から向き合うのが苦手だった。
他人に対して何らかの責任を負いたくなくて、いわゆる正式な『彼女』は作れなかった。
もし作ったとしても、自分の気持ちが維持できなそうな気がしてならなかった。
そんな僕でも、中高校生の頃は、多くの人間がそうだったように、恋愛に憧れがあった。
しかし、好き(と当時は思っていた)な女性と付き合っても、付き合うまでが楽しくて付き合ってからは全く楽しくなかった。
付き合うまでは学校の話や趣味の話だけして仲良くなればよかったのに、付き合ってから彼女の悩みや愚痴に取合うのがとてもしんどかった。
今思っても大した悩みではない。でも、人の負の感情を受け止めるのが煩わしくて仕方なかったのだ。
サークルの飲み会の帰り、酔っ払いすぎた女の先輩を家まで送っていった時だ。
一人では足元がおぼつかない先輩を、たまたま帰る方向が同じだった僕が引き取った。
家につくと、先輩は「まだ飲みたいから一緒に飲もう」と言い出した。
それが18の若者にはとんでもなく色っぽく聞こえて、家に上がりこみ、冷蔵庫に入っていたチューハイを一緒に飲んだ。
そんな話をしているうち、だんだんと顔が近づき、キスをして、ベッドに倒れ込んだ。コンドームはベッドの下にあった。
次の日の朝、僕はすごく面倒くさいことになったと思った。
普通の女の子と付き合うのも嫌なのに、先輩の彼氏と揉めるようなことは絶対避けたかった。
しかし、先輩はあっけらかんと「しちゃったねー」とか言いながら、大学の授業に出かけていった。
先輩は彼氏と別れなかった、そして、次の飲み会終わりも僕と先輩はセックスをした。
そして僕はこの関係性の気楽さに感動していた。
幸い顔と稼ぎは悪くなかったようで、セックスの相手はあんまり不自由しなかった。
悩み事は聞かなくていいし、気の利いたプレゼントも要らないし、記念日も祝わない。
彼女たちは、僕が不義理を働いても帰るところがあって、それがとても楽だった。
と、そんな生活をしているうちに僕は30歳になろうとしている。
周りの友人たちはもちろん、僕とセックスしていた女の子たちも結婚し、子供もいる。
そしてそれを見て、少しゾッとするのだ。
彼氏に隠れて僕とセックスしていた女の子たちが、何事もなかったかのように子供との生活ぶりをSNSにあげている。
暑いとか寒いとか退屈だとか、部屋が汚くて不愉快だとか、お腹が空いたとか、そういう原始的な欲求。
そういう欲求を抱いていることに気づいて、自分で満たすのが苦手なのだと気づいた。
自分の機嫌を取って、常にご機嫌でいること。
重要だと聞いていたけど、話半分に聞いていた。
不快な環境に置かれていることが自分のデフォルトであるべきだと思い込んでいる。
うちは貧乏で、両親は共働きで、父は単身赴任だったので家には母と私だけだった。
母は朝から晩まで働いていたから、怠惰とか怠慢ではなく、単に子供に割けるリソースがなかったのだと思う。
それでも私の置かれた環境は、客観的に見てネグレクトだったと思う。
なので保育園のない日は、床も見えないほどゴミの散乱した部屋で遊び道具を探しながら、ひたすら母の帰宅を待った。
暑いのも寒いのもお腹が空くのも、部屋が汚いのも、退屈なのも、全部母に解決してもらうしかない。
私は母に依存して生きていた。
私の最古の記憶は5歳で、5歳の私は必死に母に縋って生きている。
母は応えられる限りの要望に応えている。
でもあの時、母は私に生きるための細々とした知識を教えてくれなかった。
私は母にエアコン付けてとねだる。母はエアコンのリモコンの黄色いボタンを押しながら、「これくらい自分でやりなさいよ」と言う。
一度、留守番の時にそうしてみたら、部屋が気持ちよくなるはずが逆に息苦しくなった。帰宅した母は驚いてリモコンを見、ダンボウになっていると言った。
ダンボウの何が悪いか分からなかったが、見よう見まねではリモコンは操作できないようだった。黄色いボタンの他に、様々な大きさのボタンがあったが、意味は分からずじまい。
母は簡単にそのリモコンを操作する。だからきっと操作は簡単なんだろう。でも私は理解できなかったし、母が察して教えてくれることもなかった。
そういうものだと思った。母は面倒くさそうに「こんなの自分でできるでしょ」と言うけど、私には何故かできない。でも成長したらできるようになるのかもしれないと思って、ひとまず自分の成長を待つことにした。
それからゴミの分別も分からなかった。生活で出たゴミを母に渡すと、三つ並んだゴミ箱のどれかに放り込んでくれる。何か規則があるらしいけれど、どんな規則か分からなかった。
規則を知るために質問したかもしれない。しかしおそらく、まだ早いからといった感じではぐらかされたのだと思う。教わった記憶がない。
だから正しいゴミの捨て方が分からず、いつまでも母を呼びつけてゴミを預けた。これも「いい加減自分でやりなさいよ」と言われた。「でも、どうやって捨てればいいか分からない」とある時私は言った(と思う)。すると母は、「そんなの簡単じゃん、こういう燃えないゴミはこの箱!」と言って、三つのゴミ箱のどれかにゴミを放り込んだ。
悲しいことに、どのゴミ箱が燃えないゴミの箱だったか、一瞬では覚えられなかった。しかも、「燃えないゴミ」と「燃えるゴミ」の区別も分からなかった。でも多分幼い私はそういう新たな疑問を咄嗟に言葉にできなかったし、母は苛立っていたから、質問をやめた、ような気がする。
とにかく耐えれば済む話だった。不快さに耐えて、母に依存し、時に嫌味を言われながらも、「いつか規則が理解できる日」が来れば、自分で何でも解決できるようになるはずだった。
しかし、そんな日は来なかった。規則や常識は生きていれば自然と肌を通じて浸透するものではなく、どこかでルールとして誰かに教わらなければならないらしかった。
ところが、私の周りにはそうしたルールを親身に教えてくれる人はいなかったので、私はずっとルールを知らず、知らないのを誤魔化しながら生きていたのだった。
なぜこんな話を書いたのか。それはたぶん、ついにその生き方に限界を感じ始めたからだ。
今まで人に質問する習慣がなかった私は、大抵の疑問をネットで検索して解決してきた。
空っぽの鍋の底をお玉で何度も引っ掻くように、全く手応えのない脳内に答えを求め続けた。
そうして前のゼミから全く進捗のない週を何度も経験し、自分が情けなくて何度もゼミを欠席した。
すると教授や院生さんが私の異変に気づいたのか、どんな些細なことでも質問してくれていいと言ってくださったり、私がやるべきことについて詳しく説明してくださるようになった。
正直、手取り足取り教わるというのは初めてだった。
しかしちゃんと手順を教わると、あれ程上手く進められなかった作業がちゃんと進むのだ。
この世はそんなに簡単でいいのか、と思った。
でも、家に帰って一人になると途端にやる気が出なくなる。
私が私のためにできることなんてないような気がする。
お腹が空いても、部屋が寒くても、部屋が汚くても、私にはどうすることもできないから耐えるしかない。
そういうどうしようもない気持ちになって、どうしようもない現実を耐えて過ごすだけの人間になる。
正直この状態になると全くダメで、特に卒論の作業が上手くいった日ほど大きなギャップを感じ、次の日以降の作業に身が入らなくなる。
さすがにこのままではまずいので、家にいる時の底なしの無力感について考えたところ、幼少期の経験に行き当たった。
質問してもちゃんと答えてもらえなかったり、理解できるようには教えてもらえなかったこと。
教わらなくても理解しているのが当たり前で、理解していない自分は人一倍出来が悪いと思ってしまったこと。
自分のやることは間違いだらけなので、自分で考えて行動するなど以ての外だと思っていたこと。
自分で自分の欲求を満たすような行動を勝手に起こしてはいけないと思ってしまっていたこと。
幼少期の経験から、おそらくこうした思い込みが私の中に芽生え、私をずっと規定し続けてきた。
母と私の関係も、悪くいえば母が私を依存させるよう仕向けるようなものだったと思う。
卒論によって、私は生まれて初めて誰かに質問したり、頼ったりしなければいけない状況に追い込まれた。
でもそれが結果として、私に質問する習慣を与えてくれた。
人に分からないことを聞き、相手の時間をいただいて教えてもらうというのは、こんなに有意義で価値あるものかと知ることができた。
本当はくだらない人生だと思ってたし、自殺するために飛行機の距離ほど離れた大学に進学したけれど、卒論を書くほどまで生きていたのは結果的に良かったのかもしれない。
結局とりとめのない文になった。
でも、私と似た境遇の人に読んでもらえれば嬉しい。
私は今4コミュニティくらいに属している。
3→趣味繋がりの人たち(5人くらい)
あとはなかなか合わないけど元バイト先の後輩とか、大学で同じゼミだった子達とか、ちょこちょこそういう繋がりも。
問題なのは1のコミュニティの子達。3人いるけどみんなその1以外の友達がいない。
私は別の人コミュニティの子達と会う予定があるからいいんだけど、1の子達はそこ以外友達がいないから高頻度で遊びたがる。
けど流石に一ヶ月おきはしんどいよ〜。
大体遊んだ日に一人が「次いつ遊ぶ!?来月いつでも空いてるよ」って言って、他二人が「私も」って言う。けど私は遊ぶ予定入ってるから「○月○日しか空いてない」って言ったら「いつも予定ばっかじゃん!」って笑いながら責められる。
別に冗談なのは知ってるけど毎回「なんで責められなきゃいけないの?」って思ってる。
私の他に友達いないのがいけないじゃんって思うのは意地悪なのかな。
誘ってもらえるのはありがたいんだけどね。
わからない。出てるのかな。
そんなに自分の顔見てないな。
例えば話してて相手の態度が急に変わった時とか、遠慮しだしたこととかあったかな?
覚えてないわ。ってことは感情が顔に出てないってことか?
いや相手が気を使ってくれてそれとなく誘導してくれてる可能性もあるな。私の友達は気遣いがうまいからな。
うーんわからん。
てか基本笑顔でいるように心がけてるし、人と話す時は楽しい時間になるように心がけてるからな。
その場を盛り上げるために、驚いてみせたり、楽しんで見せたり、一緒に悲しんでみせたりしてるな。それは本当に驚いたり楽しんだり悲しんだりしてるのか?フリじゃないか?私の感情はどこにある?
わからん。「どちらとも言えない」にしておこう。
2. 人から指図されるのは嫌いだ。
無理のない的確な指示を穏やかにしてくれる上司だった時は、苦手な仕事でも楽しかったなあ。
ああでも指示と指図って違うのかも。指図はもっと上から目線でこちらのことを考えず、無茶なことを言ってくるイメージ。
わざわざ指図って書いてあるってことはそういうニュアンスが含まれてるんだな。
えっ、でもこれ当てはまらない人いるの?ああ、マゾの人かな…綺麗な女上司になら何されても天国みたいな…
私はどんなイケメンにされても病むから、ここは「とても当てはまる」だな。
3. 何かをやっている時でも、よく他のことに興味がわく。
あーこれはわくわ。あれでしょ?テスト勉強中に急に部屋の汚れが気になる現象でしょ?
「とても当てはまる」で。
4. 自分では、よく気がきくほうだと思う。
「自分では」ってついてるし「とても当てはまる」。
あるある。つい低脳先生に同情しちゃったもん…殺された人に同情すべきなのにね。殺人はよくないよ。
「とてもあてはまる」
「観光地で買うアイスはチョコにしようかバニラにしようか」みたいな?それはすぐ決められるな。
あっでも昨日は「朝ごはんを食べるか食べないか」で1時間くらい迷ってたな…
服を買う時とかは?うーん、迷った時もあるし一目惚れして即買ったパターンもあるな…
7. 意見の違う人とでも気軽につきあっていける。
どの程度の意見の違いかによるし、どの程度の付き合いかにもよるよね。
政治のスタンスが違う子がいるけど、押し付けたり演説を始める子じゃないから、普通に遊びに行ったりするなあ。
スカイプで話す相手は強烈に意見の違う人もいるけど、適当に「なるほどー」とか言って流してもリアルに影響は無いから普通に付き合っていける。
お、じゃあ「とてもあてはまる」でいいのかな。
や、ゼミの同期の1人とは合わなかったなー。
本当にことごとく意見が合わなかった。基本私を見下した態度で、何言っても「ふーん、で?(嘲笑)」みたいな態度だったな。
ごく稀に意見が合った時は「増田ちゃん成長したね(笑)」みたいな。
ああ、でもこれは意見の相違による不仲ではなく、人間性が合わなかった感じか…?
じゃあやっぱり「とてもあてはまる」?
いや、人間性ってその人の人生へのスタンスの集合体、意見の最たるものでは…?
私は眠くなって性格診断を諦めた。
ディストピア小説を書いていたのに舞台を火星にしたせいで途中でSFっぽくなってうまくいかなかった
構成とかアイディアとか思想とかキャラクターとか上手くなりたい
今私の手札にあるのは
摂食障害 過敏性大腸炎 発達障害 海外移住 サークル ゼミ 浪人留年 資格 就活 東京 格差 結婚離婚
でも自分に才能がないとわかったから書かない 手札を集めることより書くほうが大事だった 黒人ネイティブアメリカンLGBTとテーマを追いすぎるようになるより 高橋留美子みたいに生まれればよかったのかな
どちらかといえばリベラルな男性がレイプ加害者になったりする、というのが長年の疑問だ。
例えば広河隆一の件とか、最近だと元バンドマンの件とか。ググると似たような事例がいくつか出てくるので、そこまで珍しい話ではないように思う。
なにより私が大学生だった数年前、同じゼミの友人がリベラルの高齢男性(ゼミの関係者)からレイプ未遂被害を受けた。
具体的な内容は控えるが、3人での飲み会の最中、私が離席した際の出来事だった。
その後に頼ったゼミの担当教員(リベラルツイッタラー)からはセカンドレイプに該当する言動を受けた。
「あなた達に隙があったのだから合意の上での行為だ」というような内容だった。
私は被害届や訴訟の相談をしようと思っていたので、考えの違いにクラクラしたのを覚えている。
結局何も言い出せず、他の誰にも相談できず、この件が公になることはなかった。
もし言論の場で「慰安婦なんていなかった」という発言があれば、彼らはとても強く反対するだろう。
実際、当時は各国大使館前から慰安婦像を撤去することに反対し、それを学生にも表明していた。
それなのに現実世界では自分がレイプ加害者だし、目の前にレイプ被害者がいても「隙があった」なんて言ってしまえる。
彼らのような「思想と行動のねじれ」に至る経緯は個人により異なると思うが、何かしらの共通点などはあるのだろうか。
私からしたら思想と現実が乖離しているように見えるけれど、実際はそうでもないのだろうか。
研究室が辛すぎてこのままだと精神を病んでしまう気がして逃亡した。
といっても自分のゼミ発表の日はきちんとこなし、無断欠席する勇気はなかったのでおばあちゃんに入院してもらったことにして木金2連休をもらった。
研究室生活初の2連休をもらった朝、どうするか途方に暮れていた。友達は研究しているか仕事しているので、当日突然付き合ってもらうのは無理だった。
どうしようかな〜と思いながらふと思った。
温泉に行こう。
ということでじゃらんで昨日から1人で泊まれる電車で行ける宿を探し、速攻予約して9時には電車に乗っていた。
現地は全然なにもなく、とりあえず川を眺めてたり、人気のパン屋のために往復1時間歩いたり、森の中突っ込んだり(死ぬつもりとかじゃなくて趣味です)してた。
16時には宿にチェックインして、とりあえず横になりながらネトフリで見てみたかった梨泰院クラスを見てた。ご飯食べて温泉に入って買ってきた日本酒を飲みながら梨泰院クラスをみた。チェックインした時突然の予約でしたね、って言われたから研究室が辛くて衝動的にきましたと言ったら夜に特別にお菓子くれた。世界が優しい。眠くなったから寝て朝起きたらとりあえず温泉行って朝ご飯食べて梨泰院クラスをみた。
そうしたらずっと止まってた生理がきて、うぉーーーーーー!!!私はストレスから解放されて正常な体を手に入れたんだーーーー!!!と喜びに震えた。
みんなも辛くなったらおばあちゃんが入院したことにして温泉に行こう。
みんなの優しさにつられてうちの現状と大学のブラックさを吐き出してみた…けど、うちの研究科卒業した人なら誰でもわかる事例ばっかりあげてしまったのでびびって即消しました。
みんなに報告があるとすると、昨日と今日はめちゃくちゃ楽しかったのと、来週からは実験器具とか席を他の研究室に用意してもらって気持ちを新たに頑張るよ。とかですかね。
あと詳細は消したけど訴えたいのは、みんなが想像するブラック研究室やセクハラなどは大学に告発しても卒業や修了と引き換えに揉み消される問題ですね。そもそもパワハラ相談窓口になるような先生は研究科の中でも立場が下だから面倒な役職を押し付けられてるわけで、たかが数年で卒業する学生より、腐ってても実績のある先生と仲良くして自分のキャリアを守る方が大切なわけです。私は妙な正義感出してしまって立場が余計悪くなってしまったけど、いつか誰でも素敵な研究室ライフを送れる世の中になりますように。
特定作業試してみるの初めてだけどあまり個人的な事あんま呟かない奴でも脇が甘いやつはすぐ絞込めるのな こわいこわい
https://twitter.com/3l0WN9V64tQoMMh/status/1152049308234997766
返信先: @Kitsch_Matsuoさん
ゼミの友人達と一緒に若年層に投票を呼びかける動画を作りました。ぜひ松尾さんのお力にで広めていただけないでしょうか?汗マーク
https://twitter.com/3l0WN9V64tQoMMh/status/1225223857843273728
リプありがとうございます目が笑っている笑顔
その時は全く違和感なくカンパした1人でした。大学でジェンダー学の勉強をして、まさにこれ系の話が出て(シングルファーザーはご飯の心配してもらえる)そのときに思い出したエピソードです…。
(分野・専門 映像学,日本文化学,文化動態学,ジェンダー学)
これだけでもう数人の中の一人に絞り込めるんじゃないかな…?
電話番号の末尾が49