はてなキーワード: 規則とは
最近は新聞でも目にするようになった「空き寺」「兼務寺院」「後継者不足」が問題として取り上げられているけど、こんなの実はそんなに問題なんじゃないんです。
最も問題なのは、「空き寺」には誰が住職の籍を置いていて、「兼務寺院」は誰が兼務しているのかということと、「後継者不足」なんて実はしていないってことなんです。
宗門大学や大きな寺にはアルバイトの在家出身の僧侶なんて多くいるのに、なんで「後継者がいない」なんて言えるんでしょうか。
この場合の「後継者がいない」という場合の多くは「自分たちの子がいない」という意味だと思っています。
在家出身の僧侶はたくさんいるけど、そういう人たちに後継者として寺を任せたくないのが本音なんです。
というのも前述のように「寺」は「家」で、僧侶の財産になっているので血の繋がっていない知らない人に任せたくないんです。
何故こういうことが言えるかといえば、以下のようなケースが少なくないからです。
「寺なんてやりたくない」という子供が出ていった…バンドで食っていくとか、失敗したときの保険をかけて夢を追えるいい環境です。
だから「在家出身の僧侶」を養子として迎えて後継者として書類を残します。
バンドで食っていけないし、もうまともな職も就けないと悟った30歳児が保険を申請します、つまり「親父…俺が悪かった、俺…僧侶になるよ!」と寺に戻ってきます。
現住職は迎えた次期後継者に対して「養子縁組解消してください」…なんてはっきりと言わないで、寺に火を付けようとした、不真面目で浪費家だと言ったイジメによって追い出しにかかります。
自分から出ていってくれないと書類を残している分、不利だからです。
しかし、折角掴んだチャンスを在家出身の僧侶も安々と手放すこともなく、ほぼほぼ裁判沙汰になります。
回りの寺は在家出身の者より昔からの付き合いで住職の味方に付くので、次期後継者は環境的に出ていかざるを得なくなりますが。
こういう昼ドラの脚本家も恐れ慄くことが繰り広げられているケースは本当に少なくありません。
つまり「後継者不足」=「自分たちの血のつながりのある人がいない」という言葉に置き換えて問題がないと思います。
繰り返しますが、在家出身の僧侶は本当に多いですが、そういう人が幸せに寺に入るケースは極めて稀ですし、ましてや妻帯しないで寺に入るなんて、茅ヶ崎海岸でダイヤモンドを見るけるレベルの話です。
上述のような「子供がいる寺」は、なんとか後継者の問題を仏事ではなく民事的に解決します。
子供がいない寺の場合は、そもそも在家出身の僧侶が呼ばれることはなく、親類の寺が兼務することになります。
兼務なので常駐するわけではないので「空き寺」と呼ばれる状態になります。
さらに「空き寺」の寺宝(文化財という意識がない)を自分の寺に持ち帰って、本当に何もなくなる「廃寺」状態になります。
室町時代の仏画を自慢し始めたかと思えば「これ兼務してる寺のやつやけど、キレイでええやろ?」なんていうことが横行していまして、倫理が欠損しているのも大概なレベルです。
どんなに小さなお寺でもいいので、地方の過疎地域のお寺でも、アイデアで乗り切ろうと考える若手僧侶は存在します。
しかし「檀家」が10件でも、兼務寺院の住職にとっては「固定資産(檀家)」なので、そういう若手僧侶に住職の話はほぼほぼありません。
おかしいですね。本山にとっては「空き寺」が問題のはずなんですけどね。
3ヵ寺を兼務していて「忙しい」という割には、絶対に1ヵ寺も若手や在家出身者に住職権を渡すことはありません。
これを執着と言わずしてなんと言ったらいいのか分かりません。
それは何度も言われていることかもしれません。
言葉は悪いですが、団塊世代が年功序列的にトップになってからカウントダウンが加速したように思います。
権力の偏重が激しく、「寺」が相続されるべき「財産」になっていて、正直悔しい思いが一杯です。
真面目じゃダメなんですよ。世の中も、お寺の世界も。資本がないとスタートラインにも建てないんですよ、世の中も、お寺の世界も。
僕のような丁稚の弱小者は本山にとっては単なる搾取対象でしかありません。
これが仏教なのかと、経典や論書を読んでは枕を濡らす毎日です。
感傷に過ぎましたが、「空き寺」などの問題の根源は、世襲制に基づく寺の「私有財産化」にあると思っています。
追記
極論に過ぎている部分があるので補足しておきます。
もちろんイレギュラー(本来的にはレギュラー)な場合も多くあります。
そもそも「寺」は宗教法人法に則った「法人」なので、多くは代表役員(主に住職)と役員(檀家総代等)で構成されます。
イレギュラーケースとして、代表役員に在家者を置き、従業員として僧を置く場合があります。これは伝統仏教では少ない形態です。
法人運営は在家者が行い、仏事に関しては僧侶が行う、これで何か問題があるのか分かりません。
そもそも代表役員は事務を総理するのであって、僧侶や聖職者である必要はなく、住職という名称と代表役員はイコールではありません。
思うに、会社法のように株主の過半数で取締役などを解任するなどの方法が宗教法人法にはありません。
代表役員として不適格であれば、役員を寺から追い出すくらいの規則が法律によって決まっていてもいいように思います。
本来は宗団内でそれくらいの「律」があれば法律的に定める必要のない問題のない話なんですが、法律にそんなことが決まっていないという主張によって不祥事をしても代表役員に居座ることができるという算段です。
仮に法改正されれば、葬儀や墓地の年間使用料などで私服を肥やしてばかりの代表役員を解任でき、少欲知足でやる気あふれる若手を迎えられる可能性だって出てきます。
在家の人も抑圧された僧侶なども多くの人が助かるwin-winになりそうな気がするんですけど、そもそもそれくらいの自浄作用を宗団が持っていないのが問題なんですよね。
仏法に明るく、自分をよく戒め、よく人に施し、人とともに悩み、人に慕われる僧侶が住職や門跡、管長あるいは長老なんじゃないのか…。
現代の僧侶間の不条理、在家と出家者との軋轢を解消できないのだから仏教は間違っているのかもしれない。
しかし日本文化を地下水脈のように育んできた仏教を疑うよりも、それにあぐらをかいて運用している人こそを先ずは疑うべきではないのかと思い直したって。
西村智奈美議員は、福田康夫、上川陽子、枝野幸男議員らとともに、公文書管理法の修正協議に尽力された方です。山本幸三行革大臣の名誉のために言っておきますが、この人は質疑は結構うまいですよ。でも答弁はザル守備です。正直見てられないレベルでグダグダになること多々です。ただいつも炎上するわけでなく、2回目に同じようなこと聞かれるとまぁまぁマシにはなります。私の中では、加計学園関係の3大臣合意文書関連でのグダグダ(まぁ私見では嘘)と、先般の学芸員発言、今回の公文書管理問題への対処姿勢で、もう結構ですというところですが、以下決算行政監視委員会。
「今回の森友学園の問題、それからそのずっと前から問題になっている、南スーダンの日報の問題、共通点があると思います。大臣、何だと思いますか」
「えーただちにどういうことか、わかりません」
「わかるでしょう。何かって言うと、森友学園のものは、交渉の内容は、1年未満のものだから廃棄をしましたということ。南スーダンの日報も1年未満のものだから廃棄しましたということ。結局ありましたけどもね、電子データは。それくらい、この部屋にいる誰が考えてもわかるはずなのに、なんで公文書管理担当大臣がそのことをわからないんですか?おかしいじゃないですか。この2つ問題を言うまでもなく、私は役所は自分たちに都合の悪い文書は、まずは、残さない、また廃棄をしてしまう。行政文書は廃棄の際には内閣総理大臣の同意が必要になるんですが、1年未満のものはその対象外になっています。この抜け穴をついて、ルールを悪用して、行政文書がありませんということを盾に、森友隠し、南スーダンの日報問題が浮かび上がってきたんだと思っている。1年未満の行政文書が廃棄されていたということについて、これは単純な事実ですけど、それは認識していたということでよろしいですよね。」
「これほど大きな問題、2つの問題、だけをみても、やはりここは法の抜け穴がある。私、実は公文書管理法が制定されるときに、修正協議に臨みました。当時民主党の責任者の1人として。そのときにもですね、ずいぶんいろんな工夫を盛り込んだつもりだったんですが、実際運用が始まってみると、これは情報公開法とこの法律が車の両輪になって、民主主義が前に進んでいくために、役所は公文書をしっかり管理してくれるだろうと、淡い期待を持って、スタートさせたんですけども、実際にこれ抜け穴があるということが、明らかになって、非常にショックを受けています。先ほど大臣、施行5年後の検討見直しの報告書、これを踏まえてやっていきたいとのことでしたが、これは法改正していかないと、これは、役所の文化をこれ以上野放しにしてはいけないと思います。なんでもかんでも1年未満にしてしまう。(法律では)本当であれば1から10までプロセスをたどって、意思決定過程を1つのファイルにまとめて保存していかなければならないのに、同じ期間のものに限るということを盾にして、曲解をして同じ期間のものだけ集めてファイルにする、期間が短いものをドンと捨てる。こういう変なノウハウのようなものが霞ヶ関の中に残念ながらある。ここは法改正、きっちりとやって、こういった問題を起こさないという意志を示さなければならないと思う、大臣いかがですか。」
注)法文では「相互に密接な関連を有する行政文書(保存期間を同じくすることが適当であるものに限る。)を一の集合物にまとめなければならない」となっています。これの意味は、要は保存期間が一番長いものを検証するときに必要になる可能性のあるものを一緒にしろよ、という意味ですが、霞ヶ関は、これを「保存期間を同じものに限って一つのファイルにまとめる」と解釈しとるわけですね。
「ご指摘のように、歴史的公文書に当たるかどうかの基準が少しあいまいであるということは私どもも認識していますので、ガイドラインの見直しを進める中で、しっかり前進させていきたい。各省庁での文書管理をしっかりしていきたい。その中でまずはその成果を見極めたいとこう思っています。その見極めた上で、更なる見直しの必要があれば、法改正も含めて検討していきたい」(この危機感のなさ、腹立つわー。せめてそのガイドラインの見直しの概要ぐらい言えや。)
「そうこうするうちに、霞ヶ関ではどんどん、文書が捨てられてんですよ。今、この時点も。いいんですか。公文書管理担当の大臣として。具体的に私、法改正のこういった検討はいかがでしょうか、という提案をしたいと思います。たとえば、1年未満という保存期間は原則禁止にする。実は、公文書管理法上も政令でも、ガイドラインでも規則でも1年未満という保存期間はどこにも書かれていない。1年未満の保存文書は実体がわからないんです。なぜなら保存期間1年未満の文書は、行政文書管理簿に登録しなくてもいいルール。登録されると廃棄の記録が残るが、1年未満の行政文書は廃棄の記録も残らない、これは完全に法律の欠陥です。なので1年未満の保存期間は原則禁止すべきでしょう。大臣、いかがですか。」
「現在もルールに則ってやっているわけでありましてーえーガイドラインの見直しもやってございますので、それらの成果を見極めたうえで検討していきたい」(ルールが間違ってると思わないかと聞かれてルールに則ってやっているってアンタどこの佐川だよ、役人か。政治家だろ)
「そのルールに抜け穴がありますね、ということを申し上げております」
中略
「行政文書ファイル作成規定の見直しも提案いたします。「相互に密接な関連を有する行政文書(保存期間を同じくすることが適当であるものに限る。)は拡大解釈されている、森友の問題でも、ファイルにまとめるともっとも保存期間の長いファイルにあわせて保存しなければいけないため、短期間のものだけを集めて、簡単に捨ててしまっている、だから、意志決定過程が後追いできるように構成すべきだとこう改正しなければならないと思いますが、大臣の見解をうかがいたい」
「まずはガイドラインの見直しをやって、その成果を見極めたい。ご意見はご意見として承る。」(だからどういう見直しをするかぐらい言え)
中略
「公文書管理法ができるときに、有識者会議を運営していたのは、当時上川陽子(自民)大臣でした。当時、上川大臣は、この結論ができるまで、霞ヶ関で文書を捨てないようにと閣僚懇談会で全大臣に要請をされ、全省庁を視察され、文書管理の実態を書庫まで視察にいかれました。そのぐらいのことをやっていただかないと、今ももう捨てられてますよ。多くの文書が。そのぐらいの仕事はしていただきたい。いかがですか大臣。」
「当時は公文書のルールがなかった。現在はルールがきちんと整備されており、当時と同じような対応を取る必要はないと考える」(無責任にもほどがある)
「1年未満の行政文書が合法的に捨てられているという意味においては、公文書法ができる前よりも事態は深刻ですよ。そのことを自覚してください。そういった答弁に終始されるのであれば、大臣には公文書管理に関する責任も熱意もないと断じざるをえません。これからしっかりと職務を果たすんだとおっしゃるならせめてそのぐらいのことはおっしゃってくれないと困る。」
何なのかと言われれば信じているという自分の再認識作業でしょう
信じているといってもそれを常に確認して表現しなければ信じているかどうかはわからないものだし自分でも忘れる瞬間はある
それを定位置にもどす作業が信仰でしょ 出したら使ったら片づけると同じ作業
その片づけをする基準はなんであってもいいけど自分が片づけたものを自分がいないときいなくなってから
まただれかが使うときのために決まり事をたくさんきめてその集大成が宗教じゃない
自分の代で得たものは自分の代でおわるなら片づけの必要もないしその価値を保持する必要もないので
宗教って規則は不要になるし 保存のために支払うコストは無駄だと思うのでむしろ宗教は邪魔だと感じるかもね
そういう集大成とか巨大な時間や組織にだけ信仰がおきるわけではないので一概にそうはいえないと思うことが
多いのだろうとおもうけど 得たいのしれないものがあるとか 常に自分は何々だと言い聞かせておかないと不安だとか
そういう運みたいなものってあるよねとかジンクスとか 自分のなかの法則性ってあったりすると
「ああ、それは自分だ」と振り返りをすることもあったり「自分の場合はこうなることがおおい」と考えることも
あるんじゃない?
その回帰作業が「信仰」の一部なので自分を信仰しているって形にはなるんだとおもう
でもそれは人と分け合うものではないので 分け合う行動一切が無意味 結局人に話すということ
自分は自分を信じているということを人に話すことは無意味なので その信仰は自分には行われていても
自分のみている他覚的な社会には反映されていないので「信仰」と対外的に評価されることはない
そのうえで信仰とはと言い出せば自分を個人と分け合う方法でしかそれを表現できないのでは
自分のことをわかってほしい わたしはみんなのことはわからないけど というバランスでは
信仰以前に疎通が無理なので 信仰は共有できず共通にはぐくむことの行為自体ができないでしょ
大なり小なり時間を認識するという感覚があるものについてのポジションリセットだとおもうので
自分がどこにいるかもわからない人のビーコンという信仰のある人は出す意味もないので
ある会社員です。平日は9:00から18:00、または週に3日程度2時間ほどの残業を経て20:00頃まで勤務し、土日祝日を休暇として過ごしています。尚、周囲の社員も概ね同様です。
そして傷病に掛かる規則で定められた療養期間、若しくはそれと異なる規則で定められた期間ののち、彼らは退職します。
彼らが休職に至る経緯に加え、私が勤務に伴う交流や体験、観察により得た情報と、インターネットやマスメディア、就職以前の求職活動で得た情報を照らし合わせると、どうやら弊社では日常的に「ハラスメント」的な現象が発生しているのではないか、という考えに至りました。
それと同時に、社内ハラスメントと類似した現象が発生する、とある環境を想起しました。
この環境の想起は言葉通り思いつきに過ぎないものの、これに擬え改めて以上の情報を再整頓すると、今まで不規則で捉え難かった様々な現象について一定の規則性を見たと感じることができました。
記事を書くにあたっての調査や統計などを行なっていないため、主観的な文章です。
これはある会社員が書いたブログ記事です。よって「だ」「である」ではなく「思った」「感じた」の文章です。
以上をふまえ、楽しんで頂けたら嬉しいです。
セクハラ、モラハラ、アルハラなど、ハラスメントを示す様々な言葉を目にすることから、その発露の形態によってハラスメントの捉え方が細分化されていることを私は知っています。
しかし、そのようなディティールを得られずとも、今般そのシルエットを観察し、全てのハラスメントは「不適切な役割の強要」であると捉えることができました。
ハラスメントを「不適切な役割の強要」と捉える考え方に基づき、シミュレーションを行ったのはRPGという環境です。
●RPGとは
RPGはロールプレイングゲームの略称であり、遊戯の一形態です。
日常会話の中では、フォールアウトやファイナルファンタジーなどのビデオゲームを指すことが多いのではないかと思いますが、ここではテーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)を指します。
実際のところ、私にはTRPGを遊んだ体験がありません。ですので、TRPGのプレイヤーよりもだいぶ不細工になりますが、以下の通りその概略を記載します。
●TRPGの概略
TRPGは複数人の参加者との対話(セッション)により進行するゲームです。紙や鉛筆で記録を取りながら、ダイスなどを用いて様々な選択を行い、ゲーム、物語の結末を目指します。
まず1つめはゲームマスター(GM)と呼ばれる進行役です。GMは他の参加者(プレイヤー、PL)に様々なノルマを課したうえで、ダイスの目を読み、彼らのセッションを解釈し、結果として反映させることでその達成を助けます。
次に、ルールブックです。これはそのゲームがどのような規則に従って進行するべきか記載された冊子です。GMはこれに則りノルマを課し、PLもまたこれに則りGMの課したノルマに応えようとします。
最後に、キャラクターシート(CS)です。これにはPLの担うべき役割や特性が記載されており、役割に応じた技能、スキルを行使することができます。
TRPGと労働には多くの類似点があります。なぜなら経営者や管理者もまた、法律や社則等の規則に基づき労働者へノルマを課し、彼らの役割や特性を活用しながらその達成を助けるものだからです。
異なるのは、TRPGは参加者がカタルシスを経て物語の決着をみることを目的とするのに対し、労働は参加者が社会貢献の対価として金銭等の利益を得ることを目的としている点です。
しかし、これはハラスメントのシミュレーションを行うにあたっては些細なことです。
このとき、とあるGM(ときにはPL)を併せて想像すれば、誰もが彼のせいでゲームを楽しむことができないと判断し、プレイを放棄したいと考えるでしょう。
彼はルールブックに違反し、CSに記載されていない役割をあなたに求め、その役割を行使しないと見ればあなた方のセッションを歪めた上で結果に反映させます。
労働の場に置き換えると、経営者ないし管理者は規則に違反し、労働とは無関係の役割を労働者に求め、その役割を行使しないと見れば評価を歪めた上で待遇に反映させることになります。
冒頭の「不適切な役割の強要」がこれにあたり、この一部ないし全ての過程こそがハラスメントであると私は考えました。
ハラスメントの渦中にあるとき、労働というRPGの参加者の1人である労働者は適切な利益を与えられていると言えるのでしょうか。そして、給与はその利益として換算して差し支えないのでしょうか。
RPGであれば、ゲームを放棄することで不適切な役割を強要されることから解放されます。この場合、ゲームの結末を見ることは叶いませんが、この達成をハラスメントの不快感よりも優先するべきとはあまり思えません。
しかしながら、労働者にとって労働は生活を維持するための資金を得ることを1つの大きな目的としています。また、社会的地位や自尊心など、生活の志向を決定づける様々な指標にも影響を及ぼします。
労働はRPGのひとつのサブシナリオに過ぎませんが、それと同時に、退場やコンティニューの叶わないメインシナリオである生活を左右する、重要なサブシナリオでもあるのです。
●CSを持たない人
なぜ彼ら、ないし我々は不適切な役割を参加者に強要してしまうのでしょうか。
RPGを楽しむとき、生身の自分が剣を持って戦う必要はありません。ルールブックにもそのような記載はありません。
RPG上で剣を持って戦うために必要なものは、あくまで剣を持って戦うキャラクターのCSです。
CSはRPGを楽しむプレイヤーの分身であり、さらに言えばプレイヤー自身に剣が干渉しないようゲームと現実を隔てるパーテーションです。
もちろん、RPG上でキャラクターが得た財宝を実際に手にすることもまたありませんが、自分の操作するキャラクターがRPG上で成果を出せばプレイヤーとしても満足を得られるものです。
参加者がどのような特性を労働力として提供するのか提示し、他の参加者がルールに従ってそれを承認しなければ、本来労働というゲームを進行することができないはずです。しかし、これを持たないままでのゲーム進行を可能にする方法があります。
CSの代わりに、実際に剣を持って戦えばよいのです。
戦うためには相手が必要になりますから、CSを持った参加者に対しても剣を持って戦うことを要請すれば良い、ただそれだけのことです。
●我々は何をするべきなのか
適切なCSを整備することは円満なゲームプレイを行うには心強い武器となりますが、CSを持たない人と対峙するにはあまりにも無防備です。
ハラスメントと対峙するとき、我々は何をするべきなのか。ハラスメントを安全に回避することは可能なのか。
残念ながら私にはまだわかりません。
ただひとつ思いつくとすれば、我々自身が剣を持って戦うことを我々一人ひとりが望まないことが、長期的な目で見たとき、ハラスメントを回避する方法のひとつになりうるのではないかということのみです。
もともと男の人に物怖じするタイプでもなかったし、入りたい業界だったので20人の同期の中でたった一人の女でしたが
若い女なんて全くいない職場ですので、上司や先輩方にもとてもかわいがってもらったし、
仕事も覚えることは多いですが、打ち合わせ先に行くとまず、女のコがいるんだねということで盛り上がりますのでむしろラッキー!くらいに思っていました。
最初の頃はがむしゃらでしたし、調子に乗っていたので苦でもなんでもなかったんですが、
2年たって、ある程度周りも見渡せる余裕ができて、やっと気づくことができました。女ゼロの職場、しんどい。
気楽に話せる同性がいない
これ思ったよりしんどいです。本当にどうでもいい会話でいいんです、この口紅顔とあってる?とか、スーツはやはりグレーがいいかなとか、息抜きの雑談になるんですよね。あと単純に自分のセンスだけ信じなきゃいけないので…
事務方には経理の女性がある程度いますが、業務以上の会話はしません。ほかの営業マンには愛想がいいので、今までちやほやされていたのがなくなったからお前には厳しく当たるんだと上司からは宥められましたが真相はわかりません。
将来の展望がない
例えば結婚して子供ができて、このまま働き続けられるかって聞かれるとNOです。
女の営業マンの前例がないので、規則や決まり、ゼロです。逆に言えばやり放題なのですが…
過大評価される
これが一番きついです。
私自身、能力が高いわけではありません。喋ることは苦手じゃないけれど、事務処理能力は平均より劣りますし、物覚えも悪いです。
でも、女の営業というだけであらゆる社内イベントに駆り出され、働く女性の象徴!みたいに言われるのも、みんな勝手に私が優秀だと思い込んでいるのも、地方の事業所に名前だけが知れ渡っているのも、めちゃめちゃしんどいです。
開拓ってこんなにつらいんだなと思いました。
早く下に女の子が入ってきて、目立たないようになりたいな。
基本的に人と仲良くなることや雑談が苦手だ。ランチとかも基本的に一人飯。いちおうこの職場ではベテランの部類に入るので、本当は後輩ちゃんたちをランチに連れて行って、私がこの職場で知っていることを教えたり、後輩ちゃんたちが困っていることに対して相談に乗ってあげるべきなんだろうけど、どうもそういうのができない。
もう歳から行くと誰かが誘ってくれるのを待ってるんじゃなくて、自分から誘わないといけない歳なんだろうとは思うけど、職場の飲み会にやむを得ず出席しても、特に席を動いて新人ちゃんや上司のところにお酒を注ぎに行ったり話をしに行ったりするような気配りができない。だいたい最初割り当てられた席にず~っと座って、周りが話しやすい相手ならそれはそれでいいけど、そうでないと黙って聞き役に回るしかない。そういう場にいると「私はなんでここにいるんだろう?」という疑問すら感じる。
で、プライベートはその手のお誘いがないんだな。就職したばかりの時は多少同期や近場の若手たちと飲み会とか食事会とかあったけど、気が付いたらそんなメンバーとも疎遠になり、新しい職場に異動してもあまり誰かと親しくなるということがない。まぁこの歳になると新しい友達を作るのが難しくなるんだろうなと思うけど、しょっちゅう友達や職場関係者と飲みに行ったりゴルフに行ったりしている人はいるわけで、「なんで自分だけが…」と釈然としない気持ちになる。
まぁ同期や昔の職場の人々と連絡をとりにくい部署にいるし、仕事も不規則で土・日・祝に働いたりしているので不利は不利なんだけど、似たような環境でもうまくやっている人がいるのだ。私は特に女同士の付き合いが苦手で、表面的には優しくても、陰では「あの人変」とかいって決して食事や遊びの仲間には入れてくれない表裏がある女を見ると「何か気に入らないところがあるなら、はっきり言え~!!」と言いたくなる。
欠点を指摘されたら指摘されたで傷つくとは思うけど、何が原因で避けられるのか分からないのは気持ち悪い。だいたいそういう人は「自分で気づけよ」と思っているようだけど、そんなの自分で気づく人間だったら今こういう状況にいないわけだし、その人が自分の常識だと思っていることに対してこっちが共感しないと「この人友達じゃない」認定を下すのはなんだかなぁ…と思う。自分の常識が他人にとっても常識だと思い込んでいる人間は嫌いだ。特にうちの職場だと文系(特に法学部出身ね)の立場が強く、そういう人が重要ポストを渡り歩くことになるので、自分の思考回路が当たり前だと思い込みやすい。
私は結構非エリート職場を渡り歩いているので、本社の中ばかり見て、現場の状況は話を聞いて資料を読むだけのヤツに現場のことなんか分かるもんかと思っている。だんだんタイトルと中身がずれているけれど、もし私を誘いたくない理由があるなら言えよと言いたい。あと、存在自体を忘れられていたらそれはそれで悲しいけど、そういう理由なんだろうか?お願いだから誰か教えてほしい。
現在大学の中でOrarioのアクセスがどうこうという問題が起きているようだが、
ひとまずこの記事については、下記URLにある、京都大学の専門家であらせられる記事について、一人歩きしてる感があるので、
もう少し彼のような上流側(という表現で良いかどうかは不明だが)の専門家ではなく、
下流でプログラムをガッツリ書いているほうの専門家として私(匿名で失礼)が纏めたいと思う。
https://srad.jp/~yasuoka/journal/611343/
Orarioの芳本大樹が書いた『時間割アプリの「Orario」の特性と安全性について』(2017年4月17日)という文書を読んだ。このOrarioは、京都大学のKULASISにずっと不正アクセスを繰り返していて、正直なところ私(安岡孝一)としてはアタマに来ていたのだ。
Orarioの特性と安全性について、本当にスクレイピング技術をクライアント端末側で行っているのであれば、
この部分は間違いではないと私(匿名で失礼)は考えている。
この部分の書き方、実に大学教授らしい逃げ道を多く用意していて。
KULASISにずっと不正アクセスを繰り返していて
上記発言、これは本来「開発時の検証段階」の話をしているのであれば「正解」、である。
逆に今のOrarioの通信についてを不正アクセスとしているのであれば「正解ではない」、である。
何せ、開発者が勝手にアカウントを使って入り込んで様々な検証を行う必要があるため、
KULASISサーバに対してクラッキング/ハッキングを行って根こそぎどうこうしたなどという大がかりな不正アクセスではなく、
あくまで大学側が定める規約規則から若干外れた使われ方がされているという意味の不正アクセスである。
(そもそもスクレイピングなんて技術を使う連中はID/PASSWORDがない状態でのサーバへの不正アクセスなどできない
開発時は「京大のKULASISアカウントをもったユーザが開発に携わっていないのであれば」押し出してきている京大の規約によれば、不正アクセスにあたるのかもしれない。
個人的には当たらないと感じるが。
京大の規定に定められたユーザが「特定のブラウジングツール(Orario)」により、
KULASISにアクセスしているのだからアクセスとしては不正ではない。
本当にスマートなWebスクレイピングで行われているのであれば、Webブラウザと全く同じ動きをするはずで、
それを不正アクセスと断罪してOrarioは不正というのは表現が汚いと考える。
これはコメント欄にもあるが、
https://srad.jp/comment/3196554
また、ChromeやSafari(及びその他マイナーなWebブラウザ)なども御校のWebサーバーよりコンテンツデータを取得し、HTMLを構文解析し画面表示を行っていますが、これらはセキュリティポリシーには適合しているのでしょうか?
ご大層にはっておられるリンクを流し読みをする限り、そんな厳格に何かを定めているわけではないように思われる。
それ故、実際にOrarioがスマートフォンによるスクレイピングを行っているのであれば、
Webブラウザの一種とも言えなくはない為、これを不正と断ずるのは、「正しくない」だろう
京大のユーザが開発に携わったかを証明できない以上、彼にとっては不正なのかもしれないが、
ここでそれをOrarioは不正アクセスと断ずる論理性が私(匿名で失礼)にはわからない。
他にもこの部分
Orarioアプリでは「Webオートメーション(Webスクレイピング)」と呼ばれる技術を用いています。この技術により、利用者様のスマートフォン(にインストールされているOrarioアプリ)に学生アカウント(大学ID・パスワード)を入力すると、自動で当該利用者様の教務用ページから時間割の生成に必要な情報のみを取得し、Orarioアプリの時間割テーブルに当該利用者様の時間割を生成・表示することができるという仕組みとなっています。
全く信用できない。少なくとも先月以前、OrarioからKULASISへのアクセスパターンを解析した限りでは、そんな風なアクセスパターンには見えなかった。嘘を書くのもいい加減にしろ。
Webスクレイピング技術に関して、なぜアクセスパターンが問題になるかが一つ疑問である。
下記のOrarioが出しているPDF(http://www.orario.jp/wp-content/uploads/2017/04/Orario%E3%81%AE%E5%AE%89%E5%85%A8%E6%80%A7%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A6%8B%E8%A7%A3.pdf)にあるように、簡単にいうならばID/Passwordを利用したPOST通信を行い、その返答値をスクレイピング(切り貼り)している。
それをアクセスパターンを解析で一体何が取れるのか?という部分が、この辺りが分かる自称専門家の私(匿名で失礼)にもさっぱりわからない。
もっというと、「そんな風なアクセスパターンには見えない」、というならば、セキュリティの観点上公開すべきではないだろうか、
逆に一体アクセスパターンを見て私(匿名で失礼)も何を行っているのかが気になるところである。
ただでさえ、不正アクセスという言葉をつかって攻撃しているわけだから、
アクセスパターンを公開して断罪すべきだし、セキュリティ観点からみても他大学との共有はすべきで、
学生に対してもその証拠を出して止めさせるべきだろう、というのが個人的見解である。
学生の求める「単位」をつかって脅しをかけている時点で、お察しだが……。
そもそも上記で述べた開発時のほぼ不正アクセスと考えられる通信についてを「アクセスパターン解析で見つけた」というのであれば理解ができるが、
現在すでにスクレイピングが確立している通信に関して、アクセスパターンでOrarioかどうかを判別するのが可能かというと何とも言えないと思う。
(ご丁寧にOrarioが通信用のUserAgentにOrarioの文字を含めているなら別だが……
(もちろん、アクセスログを見て、ログインページからWebスクレイピングしたいページへ遷移するまでの時間を取るとあまりに短すぎる、という話ならやれるかもしれないが……。
たとえKULASISが京都大学がオリジナルで開発した大学教務事務パッケージだとしてもそうだろうと考えている。
同様に日立や富士通も同じような大学教務事務パッケージがあるが、
基本ログ処理がザルでろくにuser-agentの確認もできない大学も多く存在したりすることを知ってる自分としては、
本当だろうか?嘘を書くのもいい加減にしろ? と思う。
UIが糞(システムのスマートフォン対応がノロい)だからアプリが流行るということに気づくべき。
富士通、日立にしてもそうだが、APIを提供したほうがいいのではなかろうか。
とくにKULASISだったか何だったは、京都大学謹製と聞いている(違ったら失礼
少なくとも他の大学教務事務パッケージではなかったと記憶している。
であれば、京都大学がAPIを提供し大学側で専門家を集めてOrarioを超えるものを作ってはどうか?
実際大学でこういうことをやろうにも、問題になってくるのは予算で。
教務、事務、学務、図書館、など様々な縦割りが存在し、それぞれがそれぞれの予算でそれぞれのシステムを入れている。
これが実に糞で。
一つの大きなシステムを入れ替えるとなると、横との連携をとって全ての組織の号令をとらなければならない。
ここまで問題になってくるとやはりその辺りの対応の遅さが問題なのではないかと考えている。
大学がアホ → 学生に良い物を提供したいという思いがあるならもっとフットワーク軽くしろ
教授がアホ → 曖昧な表現で、素人を先導しようとするのが見え見えで気に入らない
Orarioアホ → コメントにもあるけどやり方が汚いのは確かだから甘んじて受け入れろ
以上です
隣のカップルがうるさい。
2日に1回くらいの頻度で、そういう声がする。
昼夜は問わない。私も学生で、不規則な生活を送っているのでわかるのだが、昼間11時の時もあれば、夜10時の時も深夜3時の時もある。
別にするのは構わないが、聞きたくない声が聞こえるのは本当に気持ち悪い。
そしてたまに喧嘩する。
その時は男の声しか聞こえない。怒鳴り声と、物に当たっているのであろう大きな声。
この間は「お前の態度どうにかしろよ。何とか言えよ。お前の態度がムカつくから俺だって当たりたくないけど物に当たってんだろうがよ!!」というすごい怒鳴り声が聞こえた。正直モラハラだと思う。男にあんなふうに怒鳴られたら、女は恐怖で何も言えないだろう。
ただ女の方は行為中の声しか聞いたことなく、私を嫌な気分にさせるのはどちらかというとこっちであるので、同情する気にもなれない。
例えばタイヤのホイールに5mm以上の引っかき跡を見つけると製造過程で修正にはじかれるという規則をとある工場で用いるとするが私はそれは亀裂や穴でホイールが経年変化し錆でがたつく恐れがない以上時間の損失であると考えるしその検査に力を入れるのは労働衛生上体力がもったいないと考えるしそれを製品に傷が付いてると言い立てる向きにも不満を覚えるのだが・・・・・・DVDならディスク面についた引っかきあとあるいは傷でデータを読み込めないこともあるだろうから・・・・・・・DVDの傷は目視検査で発見できるかどうかは分からないので・・・・・DVDを気軽に読み込める世界になるかな・・・・・・ああ・・・・・・DVD最近みてないや
鬱を患ってこれを読んでいる人もいるかもしれません
ただここで一つ強く言っておきたいのは個人個人によって適切な対処は違うと言うことです
ここに書かれていた対処をしたからと言ってうまくいかないこともあるでしょう
参考記録としてでも聞いてください
私は第一志望の大学に落ち、滑り止めに受けていた遠くの大学に進学します
初めての一人暮らしということもあり少し気持ちは浮ついていたような気がします
そこでは店長の理不尽な文句に腹を立てながらも同じバイトの人がいい人だったので続けていました
そんな中私の元彼女が、私と付き合っていた頃にすでに二股をしており、私を彼氏と笑い者にしていたことを知ります
よくわからない感情が込み上げてきて、テスト勉強をしていたにも関わらず1週間ほどあった期末試験を全て休みました
寝ようとするとどうしてもその元彼女のことが頭をよぎり眠れない日が続きます
起きているときは何か別のことを考え続けていればそのことから逃れられました
寝ようとして頭を空っぽにした瞬間そのよくわからない感情がわきあがってくるため、眠さの限界が来た時に気絶するように眠っていました
ご飯も食べる気が起きず、このままだと死ぬなぁ、それはやだなぁと思った時に食べるのみでした
3日に一回ぐらいの食事はとても疲れるもので、食べることが嫌いになりました
もともと吐きやすい体質だったのもあり、度々戻していましたが3日に一回しかない、苦労して飲み込んだ食事を吐き出してはいけないと思い、口腔まで上がって来たものをまた無理やり反芻してました
陰鬱な気分は当然心地いいものではなく、好きだったことをして気を紛らわせようとしますが、以前は大好きだったことがこの時はまったく楽しくありませんでした
高い学費を出してもらっている以上行かなきゃならないという義務感から講義開始から嫌々数日は通いました
自転車通学だったのですがペダルを漕ぐ足に鉛が乗ったかのように重くなり動かなくなります
そもそもろくに食べていなかったため当然だったのかもしれません
家に引きこもり、バイトの時だけ外出をし、ご飯もその時に買ってきたもので済ませていました
このままじゃいけないという思いと、それでも何をする気にもならないという思いがぶつかりあい続けていました
自殺願望もありましたが何をする気にもならないという気持ちにまだ押されていました
そんな中このままじゃだめだいつか死んでしまう、逃げようと思い、親に連絡を取ります
今から帰っていい?という私のなんとか涙まじりに絞り出した言葉にただならぬ気配を感じ取ったのか、理由も聞かず、良いよ、迎えに行ったほうがいい?と返答してくれました
その親の答えを聞いてもなお、他人に迷惑をできるだけかけたくないと思っていた私は自分で帰ると言います
バイト先に急用が入ったとだけ連絡し帰ると、駅まで親が迎えに来てくれていました
好きだった人に裏切られたこと
バイトが唯一自分を必要としてくれているように感じて、店長が嫌いでもやめられなかったこと
死のうと思ったこともあるが死ぬ気力も出ないこと
他の細かいことも伝えました
親は何も言わず相槌をうってました
違うところといえばかろうじて出て来たやる気をふり絞らずともご飯が三食出てくることでした
様々な検査を受けました
そこで自律神経失調症、それに付随する症状を診断されました
精神だけでなく、肉体にもガタが来ているとのことで入院措置を取られます
寝て起きて寝るを繰り返す私の生活自体は何も変わりませんでしたが、大学とバイトを休んでいるという罪悪感からは入院を理由づけすることで解き放たれた気がしました
退院した後は大学の学期が始まるまで実家で休み、始まってから自宅に戻りました
雨が降っているときや、大学に行かなきゃという義務感に駆られた時点で大学に行くのはやめ、大学に行こうという気になった時だけ行ってました
この頃にはカウンセリングや、すでにもう一年休んでいるのだからここで半年増えたところで変わらないという思いから、罪悪感なしに休んでいました
こうして時が経つにつれ大学に行こうと思う日も増え、今ではある程度通えています
私が今思い返してありがたかったのは、親が自分に特に何も言ってこなかったこと、しかし私から何か話しかけたときは手を止めて対応してくれていたことです
あなたは一辺があなたの身長よりちょっと大きいぐらいの立方体の中にいます
ストレス耐性がある人は一辺が身長より割と長いかもしれませんし、ストレス耐性がない人は身長ギリギリかもしれません
この中に何か嫌なことがあるたびに水がたまっていきます
定期的に排水もされますが、これも人によって期間や量が異なってます
排水がうまくされなかったり、排水よりも速いペースで水がたまって足首まできました
ここまでならまだ普段と運動能力も変わらず自由に動ける気がします
じゃあまだ大丈夫だと思っているうちに水位が膝まできました
運動能力は制限され、水がない状態と比べ動くのに体力を使います
胸まで来るといよいよ動くのが難しくなってきます
水によって体温が奪われて行くという、不安によって不安が生まれる悪循環も発生します
口元まで来るといよいよ水で立方体がいっぱいになるのも近いです
頭まで水が来ても顔を上にあげて立ち泳ぎをすればまだギリギリ息はできるかもしれません
しかしこうなったら体力が尽きるのが先か、水で満たされるのが先か、酸素がなくなるのが先かという状況になってしまっており、どうにか排水をするしかありません
逃げて別の方向に進むことで私はどうにかなった気がします
本当はなってないのかもしれません
http://anond.hatelabo.jp/20170412
【簡易的な流れ】
野党<OK!
↓
安倍<再三委員会で言っているとおりです。貴重な質問時間大丈夫?
委員長<中断する!
↓
委員長<再開!
柚木<安倍首相!森友学園について答えてくれなくて失礼だ!じゃあ法案について話す!
(中略)
柚木<安倍首相!森友学園についてちゃんと答えなよ!では終わる。
http://www.buzznews.jp/?p=2107714
まずこの委員会が始まる前提として、与党側は審議は十分なされたとして採決提案をしようとしたら、
野党側から「審議時間が短い!」という意見が出され、質疑をして採決は14日にすることとした。
「森友」質問に反発、与党が採決強行 介護保険法改正案(朝日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170412-00000093-asahi-pol
>自民の田村憲久前厚労相は通告のない質問はしないことを条件に首相の答弁時間を長く確保することで野党と合意していたとし、「信頼関係を損なうことが起きた」と話した。
野党側がもっと審議をしたいとの提案だった為、この「介護保険法改正案」の委員会で『法案以外のことは質疑せず充分に審議しよう』と『与野党で事前合意』していた。
それを蓋を開けてみたら、民進党 柚木議員は出席した安倍首相に対して「介護保険法改正案」に関する質問するどころか、森友学園問題を何度も質問。
委員長から何度も法案に関する質問をしなさいと指摘受けても、森友学園問題を質問する。
その為、委員長が「時間与えたのに、野党側は森友ばかりでもうこの法案に対しての質疑はするつもりがない」と判断し打ち切ったという流れ。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-rules.htm#8-4
>第百三十四条 発言は、すべて議題外に渉り又はその範囲を超えてはならない。
>第百三十四条の二 質疑は、同一議員につき、同一の議題について三回を超えることができない。
民進党 柚木議員側が規則違反とも受け取れることをしています。
ではなくて
が正解です。
地方都市の例で悪いけど、名古屋市高速電車乗車料条例施行規程では
第1章第5条(4) 指定場所以外で飲食若しくは喫煙をなし、又はたん、つばをはくこと。
と車内での飲食は明確に禁じられているんだなあ。
http://www.reiki.city.nagoya.jp/reiki_honbun/i502RG00000799.html#shoshi-inf-span
せっかく連続で伸びてくれたので、今回は皆さんにぜひ理解して欲しい公文書管理の問題について書きたいと思います。
前回、今国会で一番問題なのは、公文書管理で保存期間1年未満の行政文書の扱いだと書きました。
今週の国会でも、民進党の緒方林太郎議員、高井たかし議員、原口一博議員などが次々と公文書管理の問題を正面から質疑しましたが、
正直不満です。
4月7日の内閣委員会の質疑です。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&u_day=20170407
彼は、森友学園の問題での、財務省内での協議記録、面談記録などが破棄されたというが、パソコン上、サーバー上で削除したとしても、復元は可能なんだということを指摘して、その上で、復元した場合にそれが行政文書に当たるかどうかなどについて質問されました。
「パソコン上からも自動的に削除されるようなシステムになってございます」
発言を否定した上で、昔の紙ベースならともかく、今は全部電子的にやっているわけだから、保管上のコストは大きく下がっているので、能動的に削除する必要はないのではないか、と公文書管理法の改正が必要ではないかと述べていました。それに対して、麻生さんたち大臣や事務方がガイドラインの見直しをしようとしている、と言うにとどまっていました。
大いに不満です。
民進党は何回もこの公文書管理法の改正案は提出しているわけだから、ここに絡めてちゃんとアピールしてよ。改正案でも今回の問題は防げないだろうけど、移管、または廃棄の廃棄は削除すべきだ、とかいろいとあるでしょう。
その背景についてご説明します。興味のない方、もうこの問題についてちゃんとわかっている、という人は読まなくても結構です。
もともと日本の公文書管理は本当にひどく、諸外国に比べて、歴史に責任を持つという意識が極めて希薄だったのは有名な話で、福田康夫さんは若いときからアメリカに比べて、歴史的な文書がすぐに調べられないことを問題視していたそうで、官房長官時代に諮問機関を設けて、総理大臣になったときに、上川陽子さんを特命大臣にして、公文書管理法の準備をしました。しかし、公文書管理法の制定に熱心だった福田さんがやめると、当然ですがこの流れは停滞してしまいました。
第一条 この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。
非常に高潔な理想が書かれており、いい文章だと思います。実はこの法律は民主党政権時代に成立(失礼誤記、施行。成立は2009年3月、福田さんの呼びかけで福田さん、枝野さん、上川さん、逢坂誠二さん、西村智奈美さんらで修正協議して与野党一致して審査、成立した。)して、その中心人物は岡田克哉さんと枝野幸男さんだったのですが、彼ら本人が、震災対応の中で議事録未作成問題で痛い目にあったという点から、野党になった後も、議事録の作成を義務付ける項の追加を求める改正案は何度も出しています。もともと情報公開法ができたときに、官僚は大量の文書を捨てていたことが明らかになっていますし、今回の南スーダンの日報と同様に「不存在」を理由に公開しないよう、法律や意思決定の最終結果は出すけれども、議事録や協議記録、指示の履歴といったものは、私的なメモであるから開示しないという態度を官僚はずっと取っていたわけです。枝野さんを中心としたチームは公文書管理法案に第4条を加え、行政文書の作成を、経緯まで含めて追えるようにする義務を負わせていたのですが、官僚側は、議事録等の作成はそれでもやらなかったわけですね。ここは岡田さんや枝野さんが事後的に反省しながら追及されていましたが、政治的な指示で作成しなかった、というよりも、官僚側が彼らの習性として作成しなかったという面が大きいのではないかと個人的には思っています。
今回の森友問題における、理財局の協議記録、南スーダンのPKO活動の日報などは、意思決定までの過程をたどるための参考資料となるものです。これは日本の法律審議が事前審査が中心となっていることとも関連しておりますが、日本の官僚、政治家は、公文書とは「さまざまな協議、討論を経て出来上がった成果物」だと定義することで、裏にある指示系統や圧力の形跡を見えないようにすることを明らかに意図的に目論んでいるといわざるを得ないと思います。
ジャーナリストの布施祐仁さんのツイートを引用させていただきますが、
「保存期間1年未満」に指定すると、
①行政文書ファイル管理簿に登録しなくてよい=文書の存在を知られないで済む。
②内閣府の承認がいらず担当部署の裁量で廃棄できる。いつ廃棄したのか記録に残さなくてもよい=仮に存在を知られ開示請求があっても既に廃棄したことにできる。
のです!! pic.twitter.com/KeygHvadJc— 布施祐仁 (@yujinfuse) 2017年3月27日
アメリカなどでは、大統領のメールや電話まで記録を残しているわけで、そこまでは言いませんが、私としては、国会の各委員会の理事会の協議議事録、各省内での指示伝達がわかるメール等の保持などの保存は当然必要だろうと考えます。今は政治家は大事なことは口で秘書官らを通じて口頭で指示することでできるだけ記録に残らないようにやっていますし、いざとなれば秘書がやった、官僚が忖度しただけだ、といって逃げるわけです。アメリカのような保存体制をいきなり作れとは申しませんが、少なくとも、1年未満などという、いつ捨ててもかまわないというまったく意味のない保存期間を設けている、行政文書管理規則を改正することをしないのは明らかに、問題の再発を防止する意図がないと言わざるを得ません。
今現在もほんの1,2年前に行われた集団的自衛権の解釈変更がどういう経緯で行われたかの追跡が、できないというザマが明らかになっています。この行政文書管理規則は、総理大臣の権限で変更させることができます。福田康夫さんの高潔な理想に比べて、現在の安倍さんの無責任さは筆舌に尽くしがたいものがあります。
余談ですが、佐川理財局長は確かに強気で自分の利己的な観点から見た時には頼もしい部下かもしれないですが、彼は全体の奉仕者としての意識が欠けていますし、彼個人の判断で、国民の代表たる国会議員の要請を「個別に職員に問い合わせたりすることは差し控えたい」とかいっているのは許しがたい行為だということは言っておきたいと思います。自動的に削除される発言にしても、言い訳を聞いても明らかに相手が誤解することを期待しており、彼個人の発言の真偽を確かめるだけに、何人もの議員が自分の質問時間を使って検証しています。役人が取っていい態度じゃない。もちろん、彼個人が事実を調べて、答弁してしまうと彼個人の将来はもうなくなるものだとしても残念だといわざるを得ないです。
さらに余談ですが、震災対応で議事録を作っていなかったことを散々批判してきた現与党が、議事録の作成の義務を追加する修正案に応じていないのは、どういうことなんでしょうね。面の皮が厚いんでしょうね。
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65890382.html
有名ブログでもまとめられているけども、投信が銀行や証券会社の現場で、情報弱者にどんどん売られているけども、本当に顧客利益に叶っていないものだ、という議論がある。
投資信託は、投資信託委託会社(運用会社とも呼ばれる)が作って、銀行か証券会社で売られる(場合によっては生損保でも)
構造的には、車のメーカーと、販売のディーラーが別の会社となっているのに似ている(系列のメーカーの商品ばかり売る会社もあれば、独立した販売をする会社もある)
※投資信託は、複数のお客さんのお金を合同してまとめ、集まったお金で株を買う仕組み。集まったお金の管理や、株を売り買いする技術の対価として手数料を一定率でとる
http://www.nicmr.com/nicmr/data/market/trust.pdf
ここ10年は、大きく増えていない。
それで騒がれているのだから、純粋に新規の資金が入ってきて居るわけではなくて、前に買ったお客さんが、また違う商品に乗り換えていることが発生している。
それから、乗り換えている商品が、あまりお客さんの利益に叶っていない、というのが金融庁の主張。
投資信託委託会社(メーカー)・・・俺らは、確かに売り手の希望で変なものも作ってるけど、マトモな商品もいっぱいある。ちゃんと売らない奴が悪い。もっと言えば、売れるってことは一定の需要があるんだから、意味ないってことはない。屁理屈も理屈のうち!
銀行・・・零金利もあるし、本業苦しいから、手数料稼げる投資信託売るしかねえんだよボケカス金融庁。
証券会社・・・そもそもお客さんと話して、その時のテーマにあった商品売ってるけど文句ある?昔の株の販売だって、相場見て買ってもらって、売り抜けたりしてたじゃん。適合性?買うやつが納得したってサインしてんですけど。
投資信託協会・・・俺たちは業界側の団体なので、自主規制ばかりしているわけではない 公益財団法人にもなれなかったし 業界を代弁しま~っす
金融庁・・・正しいことだけしなさい。それから、株式に投資してもらわないと、「貯蓄から投資へ動いた」って言えないから、株式に投資する投資信託を売りなさい。若い人に売りなさい
っていうか言うこと聞かないから、「フィデューシャリー・デューティー」があるので、真面目にやってください
ただ、業界が腐ったのは、金融庁と、投資信託協会が何もしなかった
金融庁は、検査に来れば、規則でつくらなきゃいけない書類が作られているか、規則を守っているかばかりネチネチやってた
投資信託協会は、適当な協会のルールを作って、適当な解釈を加えて、あいまいにやってきたし、業界を信頼に堪えるものにしようとしてこなかった
そして業界も甘えてた
20年前は、大蔵省にお伺いを立て「ま、そういう商品なら良いですよ」と言われて動いてた
そもそも40年以上前に投資信託が作られたのも、国の株価掲揚策として生まれた
って言ったって上手くいかないし、かえって萎縮する
長文、乱文注意。
私には1人大阪に友達がいる。小学生時代、大阪に住んでいたのでその時に出来た友達が。私も彼女もアニメが好きな「アニメオタク」であるため話が合い、昔はとても仲が良かった。今も私の父が未だに大阪に住んでいるため、私はよく大阪に行く。そのため、年に数回は彼女と会う。今回はその彼女と会うときに起こったことを書く。
春休みに1人で大阪に行く予定だった私は、フォローし合っている彼女のTwitterのリア垢にDMを送った。「〇日から〇日までそっちに行きます!遊べるかな?」こんな感じに。彼女から返信は無かった。彼女のTwitterは呟き続けているけど。三日待っても返信は来なかったが別に私は気にしていなかった。彼女は昔からそう言う子なのだ。返信がめちゃくちゃ遅い。遅れてくる返信にも謝罪の言葉が一つもないのにも慣れていた。最初はイライラしていたが長い付き合いの中で彼女が根から悪い子ではないことを知っていたので「この子はそういう子なんだ。限界が来るまで我慢して付き合おう。限界が来れば縁を切ればいい」と考えていた。私は人見知りで友達が少ないため少ない一人一人の友達との縁を大切にしたかったのだ。LINEも知ってはいるが、大阪に行くまでにまだ日にちはある。催促するような内容でもないし、何かアクションを起こさず彼女が「ひま」と呟いてるのを見ながらTwitterを閉じた。
五日後、返信が来た。「金がない」と。それに対して「そっか。じゃあ、仕方ないね」と私は答えた。お金がないのか。それじゃあ、仕方ない。バイト禁止の学校なのにその規則を破ってまでバイトしてるけど、ゲームに課金したり、舞台を観に行ったりするお金はあるようだけど、お金がないなら仕方ないね。私は彼女にとって課金よりも舞台よりも下の存在ということだ。それは仕方ない。
彼女とはその後、連絡を取ることは無く、彼女の愚痴ツイートをたまにTLで目にしながらも私は大阪を楽しんでいた。京都や奈良に観光に行った。1人で行動するのが好きなためとても楽しい思い出となった。
とある日、私は明日何するかを考えながらTwitterを見ていた。すると、例の彼女が「今日は忙しいけど明日ひま。誰か明日あそぼ」と呟いていた。一回断られたわけだし悩んだが、一応誘ってみる。「明日あーそーぼー!」返信は無かった。彼女は相変わらず暇だと呟き続けている。私がこの誘いのDMを送ったのが朝の11時だった。
10時間後である21時。返事が来た。「何する?」まさかのOKっぽい返事。断ったのは何だったのだ。「特に何も…何がしたい?」「べつに」ぶっきらぼうな返事。これにも慣れていた私は続ける「ユニバとか行っちゃう?w」軽い気持ちで言ったこの言葉を後に後悔することになる。
まぁ、わかっていたことなので「だよね〜w」と私。この間のやりとりも彼女の返信が遅かったため、この時点で12時を回っていた。私は眠くなり、寝る準備をする。「まぁ、多分何を言っても金がないで断られるだろうし、もし本当に遊ぶ意思があるとするなら明日また決めよう」そう思いながら「今日はもう寝るね」と送り、眠りについた。
何だか眠れず、4時に目が覚めた。スマホを見ると彼女からの返信が深夜の2時に来ていた。「年パス買うからユニバ行ける。7時には着きたいから6時半に〇〇駅に集合。6時に起きる」と。
いやいや、ちょっと待って欲しい。早く目が覚めたため、行けなくもないがこれはあまりにも非常識というか、唐突すぎやしないだろうか。それに、彼女の最寄りの駅から〇〇駅にはすんなり行けるが私の最寄りの駅からは〇〇駅に行くにはあまりにも遠回りである。お金も時間もかかるのだ。
他にも困る点を挙げるならいっぱいある。出かける時、今寝ている父に一応報告しなければならない。しかし、この時間では父を叩き起こさないといけなくなってしまう。毎日仕事で忙しくあまり睡眠を取れていない父にそんなことはできない。私と父は事情があってメールなども出来ない。
私は彼女に「ちょっとその時間とその駅に集合は厳しいかも…」と送った。その返事は約2時間後、6時に来た。「は?」それだけだった。
その後はもう酷かった。リア垢でボロボロと私の悪口を呟くのだ。彼女のリア垢は彼女の高校の友達にばかりフォローされており、私の知り合いは誰1人いないので正直に言うと痛くも痒くもないのだが気分が悪い。「年パスは日付を越えたら申請の準備が難しくて〜」とか「金がないから寝ようとしてた母にお願いして〜」とか。挙げ句の果てには「準備してた時間返せやボケ」と。それを言うならこっちだって彼女の返信を待っていた時間を返して欲しい。金がない、と断られた後に「課金したのに〇〇出なかった。しね」や「舞台当たった〜楽しみだけど、ヒロインの奴マジでブサイクやな。私は生の〇〇(有名声優が出る舞台だったらしい)」という呟きを見た私の精神的疲労を返して欲しい。今まで仲良くしていた自分がバカらしくなりアカウントを変えた。元より一年近く呟いておらず、見るだけだったので支障はなかった。
今思えば前々から彼女の呟きに対して「ん?」と思うことがあった。彼女はとても口が悪い。ネットでもリアルでも。最近では「死ね」と文字数いっぱいにして呟いたり「電車で前に座ってるババアくそキモい死ね」など攻撃的な発言が多く、彼女と繋がってるアカウントで呟いていなかったのも彼女と少し距離を置くためだった。その時点でもう何もかも縁を切るべきだったのかもしれない。
今回の件では確かに私にとっては冗談交じりだったとはいえ、いきなり「ユニバに行こう」といきなり言ってしまったこと、その子の返信が遅いのを知ってながらも諦めて催促をしなかったことなどを踏まえると私も悪い。けれども、彼女は普通に呟いていたのだ。返信する時間は十分あったはず。彼女がもう少し早く返事をくれ、早い時間に明日することを決めることが出来たならこんなことは起きなかったのだ。
私も今回の件を踏まえて、日常会話はまだしも、急を要することにはキチンと素早く対応しなければならないなと強く感じた。また、友達との付き合い方もだ。少しでも「ん?」と思ったのなら少しと言わず縁を切るギリギリまで距離おいた方が良いかもしれないと思った。
2.その帝国憲法では、貴族院では普通選挙が行われないことが決まってた
(貴族院選挙争訟の判決内容を不開示とする規則が、1か月前に勅令されてた)
「主権在民」論が勢いづくと煩いと考えたのか、内閣はメディアに教育勅語というエサを投げてやった。それだけ。
クラブを作って無秩序な法制をし、権利や権限に格差をつけて支配するのが、軍産共同体や経団連(商工経済会)。
西側諸国はちゃっかり日本軍にベトナム戦争を起こさせ、ご褒美に憲法9条を投げてやった(ベ戦には徴用しないという約束で)。
普通免許が役に立つ職業ということで生協のドライバー求人に応募をした。
応募を出したのは夜で、翌日朝には面接日を決める電話が入り、その次の日に面接だった。
事務所の来客室には配送エリアの大きな地図が貼られており、そこには「ここは駐車禁止!」や「駐車による苦情あり。注意!」のほか
「このお宅には二度と勧誘に来るなと怒られました」などの注意書きが書き込んであり、配送業界の裏側を見た気がして面白かった。
配送センター長の話では基本給は18万円ほど。それにプラスされる形で一日の配送が60件を超えたら、超えた数によってインセンティブが発生。
勤務時間は7時の荷物積み込みから始まり、終わりは19時頃。配達自体は早い人で14時には終わるが、配送が終わっても事務作業があり
そこで時間がかかるらしい。
私の家庭事情を考えると、18時に帰りたいのであれば恐らく配送は60件を超えず基本給のみの支給になると言われた。
安くても子供との時間を取るか、配達件数を稼いで収入アップを目指すか貴方次第。ドライバーは常に不足しているのですぐに入社できると。
「すぐに入社できる」という言葉に心が揺れた。しかし当分は給与は低いままだろう。
「もしドライバーを目指すならもう一度連絡を下さい。二次面接に移ります」と言われ配送センターを後にした。
デザイナーを辞めるのであれば色々な業種の話を聞き、働きたいと思える職種に就こうと、キーワードに「無資格」を入れ求人を見てまわる。
次に気になったのは浄水プラントの管理業務。未経験でも働く事が出来、経験年数に応じて資格を得ることも可能だという。
私の電話に出てくれた採用担当の方はとても良い方で、40代・未経験・無資格の私の質問に親切に答えてくれた。
ただ24時間管理という業務上、どうしても夜勤が発生するという。
1日目 9-18時、2日目 18-9時、3日目は休みというサイクルで回して行くとのこと。
土曜・日曜、正月も関係ない、水が止まったら皆さん困ってしまいますからね、このサイクルは厳守です。それでも良ければ是非と。
そして電気工事士。
ここも未経験・無資格な者でも受け入れてくれる会社が多い業種だった。
休みは日曜のみ。給与は無資格者は18万ほど。夜間の作業もあるし遠方・高所の作業もある。
現場が遠い場合は早朝に集合し会社に戻ってくるのは夜になるという。
こちらはメーカー専門のメンテナンス員と「どのメーカーでもメンテします」という独立系との2つに分かれる。
無資格の私が勤められるのは独立系の会社。入社したら3か月は座学や社内にある実機演習で知識を詰め込み、後は先輩に同行しお手伝い。
働く場所は屋内とはいえ危険な作業なので、知識も経験もない者はエレベーター内に入る事すら許されないという。
資格が取得できる経験年数は6年。資格を持っていなくてもメンテは出来るが、試験に合格すれば独立し個人事業主として人を雇える立場になるらしい。
6年後だとほぼ50歳ではあるが、体が動く限り現場の仕事は出来るので一生ものの技術と言っていた。
資格を持つ人の数は6万人ぐらい。その中で今でも現場で働いている人数は4万人ほど。この人数で日本中のエレベーターを管理しているので
ただデパートのエレベーターメンテなど、閉店から翌朝までに作業しないといけないので夜中の招集もあり得るし、
大きな災害時は避難よりも復旧を優先せざるを得ないので現場に向かわなければならない。
面接の方は「私も子供がいるから解るけど、危険だし災害時に家族の元へ帰れないし、自分が父子家庭だったら選ばない仕事だね」と正直に言ってくれた。
そして常に人材が不足しており、無資格でも資格取得のスクール代を出してくれる売り手市場鉄板の介護業務。
最短でひと月程度の期間で取得できる初任者研修さえ取れば、即働く事の出来る、最後はここ頼みになる業種。
高齢者施設からデイサービスまで勤務場所は幅広く、施設の夜勤で稼ぐことも出来れば、日勤のみのデイサービスで規則正しい働き方も出来る。
現場で経験を積むことにより、これからも増えるであろう施設の管理者やセンター長、ケアマネージャーなどのキャリアアップも確実に用意されている。
高齢者が高齢者を介護する時代はもうすぐと言われているが、これも体が元気であれば60過ぎでも働ける業種だ。
デザイナー以外の業種で私が働く事の出来そうなものはこんな感じだった。
次回は何となくだが敬遠してしまっていた、ハローワークへ通うの回。
そこでも色々は発見があった。
「昔は養子が一般的だった」という理由でもって、現代に普及させるのは無理だと言わざるを得ない。
なぜなら、現代の日本社会は、すでに前提というものを欠いているからだ。
必ずと言っていいほど、「血の繋がりだけが全てではない」という物言いが登場するのだ。
それ自体は決して間違っていない。
しかし、昔の養子というのだって、何の関係もない家に行くというわけではなかった。
跡継ぎのいない親戚の家に行くとか、親戚でなくとも同じ村の○○さんの家に行くとか、
そういうケースが多かったはずだ。
徳川さんの跡継ぎにその辺のガキを連れてきてどうにかなるわけでは決してない。
それだけ、親戚や近所や家同士の付き合いに意味や必要性があったということでもある。
そして、現代にはもはやそれがないのだ。
あるいは今でも、上級国民のお家はそうやって回っているのかもしれない。
しかし、この国の多数派は、地縁や血縁というものを面倒くせえと放り投げてしまった。
親戚なるものはいても、葬式や法事でもない限り顔を合わさないということすら珍しくない。
実際それ以上関わるメリットもないのだろう。
ただただ惰性で付き合っているだけの親戚に、バックアップとしての役割を求めるのは無理だし、
若者は親戚付き合いだの近所付き合いだのにメリットがないのを察し、田舎から逃げ出してしまった。
養子を一般化させるには、それが成り立つ根拠だった、地縁や血縁の復権が不可欠である。
だが、それは無理だろう。