はてなキーワード: かの法則とは
「年収の壁」の撤廃をめぐって、国民民主党の玉木が“総務省が一生懸命、こういう発言をしてくれと工作している。村上(誠一郎)総務相自身から知事会長などに連絡し、発言要領まで作っている”と騒いでいてして、堀潤が東京MXで援護射撃している。
『「年収の壁」巡り…総務相が全国知事会へ「反対してほしい」“申し入れ”か 宮崎県は緊急要請の“たたき台”作成認める ”』という見出しで記事が配信されているのだが、これがなかなかマスコミ的詐術の好例として興味深い。
まず、見出しに“か”が入っているのが味わい深い。
昔からマスコミには、“へもかの法則”というのがあって、見出しというのは“〇〇へ”、“〇〇も”、“〇〇か”の順で内容の信頼度が下がるというものだが、それに従えば、信頼度があまり高くない記事ということだ。
さて、記事は、玉木が“今、一生懸命、総務省から全国知事会や各自治体の首長に対し、工作をしている。工作というのは『こういう発言をしてくれ』『こういう減収があるからやめてくれ』ということを、村上大臣自身から知事会の会長などに連絡をして、発言要領まで作って”と発言したのを受けてのものだ
堀潤も“入手した情報”を元に当事者に取材をするのだが総務省が工作しているという裏は取れなかったたらしい。
その後、宮崎県の知事が緊急要請の文書を作っていた、という話になっていて、これは確認が取れたようだが、その文書がこれが、村上大臣自身が連絡して作らせたものなのかどうか、知事会の判断で自主的に作成したのかどうかは一切、言及なし。
まあ、工作していること自体の裏が取れてないのだから、当然である。
結局、記事から読み取れるのは“玉木の発言の裏は取れなかったけど、知事会は反対の文書を作成してた”ということでしかないのだが、なんとなく見出しと記事の構成でいかにも“工作があった”ような雰囲気を醸し出してる。
のラインって、結構ものすごく簡単なところだったりするんだよな。
例えば、
言葉にするとこんなに簡単だけど、こんなことが実践に移せないだけで本当にトンチンカンで何の役にも立たないことしか言えない人間が世の中にはいっぱいいる。
増田にはそういうのが凝縮されてる。
考えてみると、例えば人間は「あいつと俺は人種が違う」とものごとをふたつに分けた瞬間に何かの法則を見つけた気がするのだが、そこで「本当にふたつだけか、ここに分類できないみっつめもあるんじゃないか」と踏み込んで考えるくせがあるかどうかでこういう注意力が育つかどうかって決まるんだろう。
上の例でも、とりあえずふたつ浮かんだから書いたあとで、みっつめを探して書いてみたし。
うどんから蛙が話題ですが、果たしてうどんをG・Eで🐸に出来るのでしょうか?
小麦粉は既に生命ですがうどんになってしまった小麦粉はある意味で死体なわけです。
生命にG・Eを使って変化させるのは確か無理だったはず。
ブチャラティの例を考えると、死せる小麦が生命エネルギーによりゾンビ小麦となるだけで🐸にならないのではという説が有力です。
前置きはこれぐらいにし、何故G・Eが🐸化戦法を辞めたのかの話をしましょう。
序盤においては必殺とも言える戦法として成立しており、涙目のルカは完全にこれで再起不能(リタイア)しております。
相手の攻撃を半自動的に全反射するという最強の能力は一部の完全自立型スタンド以外には無敵の強さを持ちます。
極論を言えばボスが相手であっても全員が全身を🐸でコーティングしていれば攻撃を一方的に反射し初見勝利さえ出来たのです。
というか反撃を受ける本体が存在しないタイプの自立型であっても、ノトーリアスBIGのような完全無敵型以外であれば反撃によるダメージで行動不能に陥ってくれればそれだけで反撃のチャンスは無限に広がってしまいます。
そうでなくてもG・Eは無敵に近く「ジョルノが助けに来れなかったので」は他の仲間を活躍させるための重要なエクスキューズとして作中のかなり多くに広がっております。
こういった話題でよく上がるのがパープル・ヘイズですが、あちらはあくまでも「超火力が高い」であり相手とステゴロの距離まで接近する必要があります。
対して🐸は完全な能力バトル的対話拒否🙅を可能にしており、トーキング・ヘッズのような精神面への攻撃以外は全てが実質的に無効化されます。
もしも全員が常に🐸アーマーで覆っていればあらゆる名バウトが崩壊します。
ペッシの釣り針は勝手に本人に戻ってきますし、老化は🐸を通して本体に🐸の数だけ倍加された速度で襲ってきます。
🐸の仕組みによってはグリーンデイさえも高低差を超えて自動反射されてしまうかも。
なので🐸化戦法は封印されたのです。
ジョジョという作品は緻密な頭脳バトルが売りとされていますが、実際にはかなりライブ感よりな作品です。
超自然的な現象に対して人間が必死に対抗措置を取ろうとした時、それが自然と頭脳バトルの様相を呈するでしょう?
そのため理屈っぽい部分は数あれど、完全に世界がロジックで動いてるわけではない。
超自然的な現象が超自然的でありながらも何らかの法則に基づいていて動いている様子を、人間が必死に解明してそこにルールを見出しているだけなのです。
なので「凄み」で解決できるときもあるわけでして、ジョジョを緻密なロジックバトルだと勘違いしているとこの辺の理解がバグるんですよね。
私も学生の時にこの罠に一度落ちました。
でもここを勘違いしていると読み味を見落としてしまうんですよ。
だから「強すぎるから🐸は使えなくなった」をそのまま許せるぐらいの寛容さを皆にも持って欲しい。
繊細すぎるとジョジョは楽しみにくいです。
ホラー映画なので。
ホラー映画も当然、繊細すぎる人には向いてないですね。
マジでやめろ。
裁判において「判例」が引き合いに出されることはあるけど、それは「法解釈の参考」として使われているだけであって、それが即ち「法」ではないだろ。
少なくとも「判例」においてはその論拠となる「法」が語られているけど、大抵の人間が使う「前例」は単に何となくそういう風潮が感じ取れる程度でしかないだろ。
「最初にナプキンを取ったやつが右のナプキンを取るか左のナプキンを取るか決めるのだ」って要素は確かにある。
確かにあるけど、それはあくまで「その場においてそういう流れが出来た」というだけであって、絶対の法則じゃない。
別の席において誰かが逆側からナプキンを取り始めたらそれがその場におけるナプキンの取る側になるはずだろ。
そこで「俺が前に行ったレストランでは~~~」とか言い出しても、それは「お前がその時行ったレストランのたまたまその席においてそうだっただけだが?」にしかならんだろ。
「規則」として決まっていないこと、単なる「前例」に過ぎないものの脆さがここにあるんだよ。
限りなく同じ様な状況において、全く逆のルールが適用されたとしても、それに対しての反論として成立し得るだけの力を持ってないんだよ。
「前例」なんていくら集めても「理屈と膏薬はどこへでも付く」以上の何かにはなり得ないんだって。
確かに「前例」に対してリバースエンジニアリングをかけることで、何らかの法則が存在するように感じることはある。
たとえばとあるマンションの1号室に「一郎さん」が住んでいて、2号室に「二郎さん」が住んでいたら、3号室には「三郎さん」が住んでいることを期待してしまう。
でもそれは単に「ここまで偶然が続いたなら次もそうだと面白いよね」ぐらいの価値しかないわけで、そこに絶対の法則があると信じるほうがおかしいわけだよ。
恐ろしいことに人間社会にはこのレベルの「前例が偶然そうだった」以上の何物でもないものを「規則でこう決まっていると思うのですが」と言い出すキチガイがいるんだ。
そういう人に「その規則はどこに書かれているのですか?」と聞くと凄いことを言う。
「前例を見ればきっとこういう規則があるはずだと予想がつくでしょう。常識的に考えて」だよ。
ビックリするよ。
むしろ「前例なんてものから雑に逆算しただけのものに規則を見出してはいけない」こそが常識なんじゃないのかと言いたくなる。
でも頭のおかしい人の相手をまともにしても仕方がないから「そうなんですか。済みませんが、具体的にどこのどういう規則かを教えて頂けませんか。うちの上司(伴侶)はどうにも頭の固い人間でして」とでも言えば、相手は面倒になって上司を呼んでくれて話が進んだり、突然キレ始めたりするわけだよ。
もうね、本当勘弁して欲しい。
なぜ「僕が前例から妄想したさいきょーのほーそく」が「規則」になるのかと。
この宇宙はお前の見ている夢なのか?
もしそうならお前の認識こそがこの世界を形作る絶対の法則で間違いない。
だがそんなことはないだろう。
今朝から俺の身に降りかかっている謎の不調、不幸。
それらに対する漠然とした気がかりは、放課後になっても俺の中で燻り続けている。
原因がハッキリしていないからだ。
なので何が問題かも、何をどうすればいいのかも分からなかった。
逆に言えば、原因さえ判明すれば、解消方法も自ずと見えてくるってわけだ。
そして、その解法は「法則」にある。
だから俺は、この出来事に何らかの法則を見つけなければならない。
決して簡単なことではないし、そもそも可能なことかすら怪しいだろう。
それでも、この得も言われぬ“何か”を、得も言える“何か”にするんだ。
俺は決心を鈍らせないよう、そそくさと家路についた。
特定の要素で構成されていて、それを一定の条件で行ったのなら同じ現象にならないといけない。
だから法則を見つけ出すには、その「特定の要素」と「一定の条件」を探し出す必要があるんだ。
翌日、俺は起床すると、すぐさま昨日の出来事をシミュレーションしてみた。
「思い立ったが吉日」ってやつだ。
まあ、俺のやってることは吉日というよりは凶日の再現といえるが、大事なのはそこじゃない。
これは、その吉凶にどれだけの意味を持たせられるかという検証なんだ。
「ごー、ろく、しち、はち……っと、次は弓引きサイドランジだ」
俺は今朝の行動を同じように再現する。
意外なところに要因があるかもしれないので、関係ないであろう行動も出来る限り模倣した。
「母さん、この歯磨き粉もうすぐ無くなりそうだ」
「ええっ? 昨日、変えたばかりなのに」
「うん、キトゥンの餌はもうやったよ」
「今の流れで、なぜその話にシフトするの」
家族に奇異の目で見られつつも、セリフも出来る限り同じにした。
噛み合わないところが出てくるかもしれないが、それで結果に違いがあるならば要素や条件を絞ることに繋がる。
さて、これが吉と出るか、凶と出るか。
俺がテレビの電源を消す前に必ずしていることだ。
なぜ、そんなことをするかって?
さあ、俺にも分からない。
お気に入りの番組が10チャンネルにあるからだとか、テレビをつけたとき大音量にやられないためだとか、後から捻り出した理由で無理やり納得させることはできるだろう。
けれど、あえて言葉にするなら「なんとなく」としか言いようがない。
だが、その「なんとなく」を、案外バカにできる人は少ないんじゃないだろうか。
むしろ、そういうものに“何らかの法則”を見出したがる人だっている。
法則って言葉が大仰に感じるなら、ジンクスだとかルーティンだとか、しっくりくる言葉に変換すればいい。
大事なのは、俺たちは“そういうもの”を時に信じて、優先し、生きようとするってことだ。
その日も、なんて事のない平日だった。
強いて違いをあげるならば、俺は近年まれに見る「学校へ行くのがダルいモード」になっていた。
俺の心と身体が、まだ半分ほど夏休みに取り残されているのだろう。
それに加えて、かったるい選択科目がある日。
億劫なのも止む無しだ。
しかし、それにつけても倦怠感がしつこい。
いつもなら顔を洗って、歯を磨く頃にはシャキっとするものだが、未だ気だるさが抜け切らなかった。
いっそのこと風邪でもひいているのなら話は早いのだが、そういうわけでもないから厄介だ。
テレビから流れるニュースは大脳を揺らし続ける割に、まるで記憶に残ろうとしない。
ただ左上に表示される時刻だけは俺を囃し立てた。
一瞬、「サボタージュ」という言葉が脳裏をよぎるが、首を振って思いを断ち切る。
番組では十二星座の占いがやっていたが、自分の運勢を確認するまでもなく画面を消した。
占いなんて真に受けちゃいないが、もし今日の運勢が最悪だった場合、足取りが重くなる可能性は否定できない。
いずれにしろ学校に行くんだから、それならば重荷は減らすべきだ。
俺は未練なんて初めからなかったかのように、スタスタと部屋を出て行った。
チャンネルを10に、音量を10にしていなかったことに気づいたのは、バス停についてからだった。
それは
世界を構成する4つの力のうちの「重力」によって起きる自然現象。
まだまだ世の中には解明できていないことがたくさんあるけれど、
ほとんどの物理現象はこの4つの力によって回っている…らしい。
…ここまでは分かる。
すげえわかる。
世の中の色んな物理現象は、何かの法則に則って起きてるんだな。
詳しい事は良く分からんけど、そこには何かしらのルールがあって、
細かなパラメータの誤差は有れども、物事は規則的に起きているんだろう。
…ここまでは分かる。
「世の中の全ての物が物理法則に従って動くなら、生物だって当然そうなんじゃない?」
「生物も全て物理法則に従って動くだけなら、脳の動きだってそうなはずで、
じゃあ意識とか意思決定なんて存在しないんじゃない?」っていう奴。
別に俺に限らずありとあらゆる人がこの疑問を持っていて、
それに対してこう結論付けているのも、今までさんざん見てきて知っている。
って奴。
でもいやちょっと待てよと。
俺は俺の意思を持って行動している。
今ここに俺がどんな文章を書くか。それは今俺がリアルタイムで意思決定して行っている事であって、
決して物理法則に則って元から決まってた状況なんかじゃあねえぞと。
ただ、それを証明する事はどうしても出来ない。
…ここまでが前説。
で、
と思い至り、
「生物とは、世界の物理法則に抗う事が出来る存在なんじゃないか」
と思うようになったんだ。
より正確に言うと、
「生物とは、世界の確率に僅かに干渉出来る存在なんじゃないか」
と。
何が言いたいかっていうと、
ネットにはじかれたボールがどっちに落ちてもおかしくない、みたいな状況で、
そんな感じの処理を実行していて、それが意思決定に相当する行為なんじゃないかと。
それが出来なくなり、
物理法則のなすがままに成らざるを得なくなる事が"死"に相当する。
という事なのでは無いかと。
そう考える事で、俺の中で色々と合点が行ったんだ。
生物は「代謝して自己複製する、自己と外界の間に境界を持つ存在」で、
それが何度も何度自己複製して、複製時の微妙な誤差を積み重ねて多様化し、
多様化と淘汰を繰り返して進化してきたという考えが、今広く支持されている考えだと思う。
これもまあ分かるよ。
でも最初の最初「代謝して自己複製する、自己と外界の間に境界を持つ存在」
世界に干渉して、どうにかギリギリ生物としての必要条件を満たした最初の奇跡、それが生物なんだと。
次に生物の進化と繁殖とその目的、あと今後の世界の行く末について。
ついには人間になって(人間以外にも色々居るけど)、地球中に満ちるようになった。
更に人間は群れて行動して、群体として生物のように振舞っている。
もう「会社」とか「国」とかは生物の一単位と言っていいんじゃないかなと思う。
その答えは「世界へ干渉するサイズを大きくするため」なんじゃないかと俺は思う。
最初の奇跡(自然現象としてはそうそう起きないような確率のインチキ)は、
極小サイズの自己を複製するっていうだけの、小さな干渉だけだった。
それが今では、
海を埋め立てたり、山を削ったり、月に辿り着いたり、
太陽系外に機械を飛ばしたりするレベルの奇跡を起こせるようになった。
この世界は今後どうなっていくのか。
そのうち生物は、地球の引力に当たり前のように抗う存在になって
そしていつか、宇宙のありとあらゆる全ての現象に干渉するようになる。
そこから先はどうなるのか
今の人類がやってる「ちょっとここにビル建てるわ」的なノリで、
「ちょっとこの宇宙のデザインいじるわ」みたいな干渉を出来るようになったとしたら。
そうしていじくり回された宇宙の中の、
どこかの銀河のどこかの星で、
そんな設定のSFが読みたい。
北海道には難読地名が多いとされる。確かに、俺も北海道に引っ越してきたばかりのときは戸惑った。とにかく地名が読めない。
でも、地名といっても所詮は人間がつけたものだ。ある程度の規則性はある。だから、いくつかの法則さえ抑えておけば、北海道の地名なんてある程度は余裕で読めるようになる。これから紹介するいくつかの法則は、俺が3年かけて発見した非常に有用なものだ。ぜひ憶えて帰ってほしい。
・法則①「寄」と来たら「ヨロ」
これは鉄則。応用範囲は狭いが、的中率は100%近い。足寄、名寄などがある。ちなみに道民は最寄駅のことをモヨロ駅と読む。ちなみに近所に流れるウヨロ川にはオヨロ橋がかかっている。頭おかしい。
・法則②「美」は「ビ」
ミとかウツクシとかも考えられるが、北海道の場合、美と来たら100%「ビ」と読む。美瑛(ビエイ)、美幌(ビホロ)、美深(ビフカ)など。道民なら9割が気づいている法則だ。美幌ときてミホロなんて読んでいたら素人丸出しで恥ずかしいから確実に抑えておこう。
上2つは経験則だからおれの知らない例外があるかもしれないが、これは例外が存在しない。別は絶対にベツと読む。登別、喜茂別、紋別など。内も絶対にナイだ。歌志内、中札内、木古内など。なぜ断言できるかというと、ベツもナイもアイヌ語で川を意味する語彙だからだ。北海道の地名は川にちなんだものが非常に多い。ちなみに近所には別々川(ベツベツガワ)という川が流れている。日本語に直すと「川川川」だ。頭おかしい。
これはガチ。北杜、松前、八雲、森、駒ケ岳、せたな、など。これらの地名は比較的サラッと読めるだろう。これらは皆道南の地名だ。さらっと読める地名はたいてい道南の地名。これは覚えておくと役に立つ。逆に言えば道南の地名はまともに読めば当たるということを意味するからだ。道南の地名だということがわかっていたら深読みはせずストレートに読んだほうが良いだろう。道南から北に移動していくと、長万部あたりから急に読めない地名が増え始め、北に行くほど難易度が上がっていく。
・法則⑤「幌」は諦める
札幌、羽幌、幌糠。これらはすべて読みが違う。さっポロ、はボロ、ホロぬか、だ。札幌は馴染み深いから誰でも読めると思うが、それは知っているから読めるだけだ。これらの幌が付く地名は、いずれも理論的に読みを推測することが不可能だ。どんなときホロが来て、どんなときポロが来るのか、それを予測することは誰にもできない。たとえ道民であっても触れてはいけない禁断のブラックボックス、それが「幌」という字だ。
・法則⑥変な読み方しておけばたいてい当たる
留萌という地名がある。留は「ル」で良いとして、問題は「萌」だ。素人はこれを「モエ」と読んで、ルモエと読んでしまう。素人丸出しだ。こういう地名に当たったら、とりあえず素っ頓狂な読み方をしておくと正答率が上がる。この場合「モイ」だ。何故萌をモイと読むのか疑問に思ってはいけない。とにかく迷ったら素っ頓狂な読み方をしておけば良いのだ。これは先ほど上げた「足寄」なんかにも使える。「寄」は法則①を適用してヨロだとして、「足」の処理に困るはずだ。こういうときは「アシ」とか「ソク」ではなく「アショ!」と読もう。アショ!ヨロ!、アショロだ!と、こうなる。こういったプロセスで読めば全問正解間違いなしだ。多少難易度の高い、慣れが必要な技だが、ぜひ抑えてほしい。
ここで上げた法則1~6を理解した貴方は、初見の地名であっても読みの正答率がかなり向上しているはずだ。自信を持っていい。では実践に移ろう。以下に挙げた地名を読んでみてほしい。この6つの法則を理解した貴方は、間違いなくすべて読めるようになっているだろう。ちなみにネイティブ道民ならおそらくすべて読める。なぜ読めるかというと、こういった法則を深層学習的に理解しているからだ。
・音威子府
・枝幸
・弟子屈
・平取
・占冠
・増毛
・興部
・1839峰
何なのかと言われれば信じているという自分の再認識作業でしょう
信じているといってもそれを常に確認して表現しなければ信じているかどうかはわからないものだし自分でも忘れる瞬間はある
それを定位置にもどす作業が信仰でしょ 出したら使ったら片づけると同じ作業
その片づけをする基準はなんであってもいいけど自分が片づけたものを自分がいないときいなくなってから
まただれかが使うときのために決まり事をたくさんきめてその集大成が宗教じゃない
自分の代で得たものは自分の代でおわるなら片づけの必要もないしその価値を保持する必要もないので
宗教って規則は不要になるし 保存のために支払うコストは無駄だと思うのでむしろ宗教は邪魔だと感じるかもね
そういう集大成とか巨大な時間や組織にだけ信仰がおきるわけではないので一概にそうはいえないと思うことが
多いのだろうとおもうけど 得たいのしれないものがあるとか 常に自分は何々だと言い聞かせておかないと不安だとか
そういう運みたいなものってあるよねとかジンクスとか 自分のなかの法則性ってあったりすると
「ああ、それは自分だ」と振り返りをすることもあったり「自分の場合はこうなることがおおい」と考えることも
あるんじゃない?
その回帰作業が「信仰」の一部なので自分を信仰しているって形にはなるんだとおもう
でもそれは人と分け合うものではないので 分け合う行動一切が無意味 結局人に話すということ
自分は自分を信じているということを人に話すことは無意味なので その信仰は自分には行われていても
自分のみている他覚的な社会には反映されていないので「信仰」と対外的に評価されることはない
そのうえで信仰とはと言い出せば自分を個人と分け合う方法でしかそれを表現できないのでは
自分のことをわかってほしい わたしはみんなのことはわからないけど というバランスでは
信仰以前に疎通が無理なので 信仰は共有できず共通にはぐくむことの行為自体ができないでしょ
大なり小なり時間を認識するという感覚があるものについてのポジションリセットだとおもうので
自分がどこにいるかもわからない人のビーコンという信仰のある人は出す意味もないので
快速電車がすぐ脇を猛スピードで突き抜けていくのを横目に黄色い点字上を歩くこともしばしばだ。
昨日から風邪を引いている。別に線路や電車までの距離が近づいた気はしないが、普段考えないようなことも考えたりするようになる。
最近たまに、思いがけないことが我が身に起きる。何度も確認した予定表から大事な予定を見落としていたり、大事なプレゼンに行くのにそのプレゼン資料を忘れて新幹線に乗り込んだり、うんこを漏らしたり、だ。まさに、夢であってくれればと願うのに覚めない悪夢ばかりだ。
うんこを漏らせば、増田に書き込めばいい。他人もうんこを漏らしている。どうってことはない。(あるが)
だけど、もし、体調が優れない時には極低確率でホームから線路に落ちるとしたらどうか?
昔、友人から、上司が飲み会の帰りに人身事故で死亡したという話を聞いた。自殺する理由は全くなく、本当に事故だったのだろうと友人は語っていた。
その後、何かで読んだが、泥酔してホームから転落する人達の多くは、よく啓発ポスターであるように、千鳥足でホームの端を歩き足を踏み外して落ちるわけではない、むしろ多いのは、ベンチなどからいきなり立ち上がり、真っ直ぐホームの端を目指して歩いていく、ということだ。だからベンチの向きはホームの端を向けないことが有効な対策なのではないかと結ばれていた。
最近、利用駅のベンチが軒並み新しいベンチに替えられた。いずれも、座るとホームの進行方向ないし逆側を向くベンチばかりだ。
タミフルを摂取すると異常行動が出ると一時期話題になったが、あれは確かタミフルが原因ではなく、インフルエンザでの高熱時には低頻度で異常行動が出る、それが原因ではないかということでほぼ決着がついたように記憶している。
もし、人は体調不良の際に低確率でホームから転落する行動をとってしまうのだとしたら。
これまで、過労を苦にして自殺したとされてきた人達の何割かは、本当に、一瞬たりとも自殺など考えぬまま自殺行為をしてしまっていたり、するのだろうか。
もしそうであるならば、風邪を引いただけの、今日の自分もまた、幸いにして自殺とは縁遠い人生を歩んで来られた自分もまた、極低確率とは言え自殺者に名を連ねる可能性があるということではないか。
体調不良人身事故死者達は、最期に何を見ていたのだろうか。彼らをホームの先に駆り立てたものは、何だったのか。何らかの法則はあるのか。
うんこを漏らしても、増田に書けば事実は共有できる。その結果、有能なサラリーマンはうんこを漏らすという気づきが得られる。
しかし、人身事故で死んでしまったら書けない。書けないから残らない。仮に生き延びて書けたら、それには生存バイアスが付きまとうのかも知れない。
ツイッターで「今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪」という、変な書き込みを見つけた。今は2014年なのに。
で、その文章でツイート検索すると、1週間で18人のアカウントが、同じ内容のツイートをしていることがわかる。
永山 康樹 @jw_b1ak4_botx
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
てっくン兄ちゃん @jdmvze_g6
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
小宮 大輔[ロックの夜明け] @takemikittty883
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
やーむ @pkogaopwa
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
藤井孝洋 @oanjuhoch
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
寿賀 勇斗 @kirigtoek_529
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
吉川 聡 @qmm_kzbn1454
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
せーりーなー @nlyanko_ta768
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
2014.08.31 08:41
あんちゃん @Rywpp950
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
2014.08.30 15:44
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
まほ(DM・リプのみ) @gddame365
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
なお @ftv56yk6x43
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
みほぱんだ @aiyat_0001422
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
2014.08.27 02:07
規制されたみやきょー @Pkfky811926
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
2014.08.25 21:19
さらに、それぞれのアカウントのツイートを調べていくと、すべて使い回しであることがわかる。
たとえば「空が真っ暗になってきて雷ゴロゴロの新浦安。真夏みたいだな。」という文章を、少なくとも14人が書き込んでいる。
おそらくすべてパクツイで、過去のツイートの中から何らかの法則で拾い上げているのだと思う。
でも、目的は何なんだ?
とにかく、ひたすら不気味。
横だけど。
ブックマーク欄でも「買わなきゃいいのに」「なんで読むんだよ」と言ってる人が多いようだが、「仕事で読んでる」っていう可能性もあるということをみんな忘れてるな。まあ、そこまで好意的に読み取ることもないけど。どうしてそんなことを言い出したかといえばかくいう自分がそうだからで、個人的には成年向け二次創作にあまり好感を抱いていない(なに、仕事をやめろだと?)。
どんなものにもスターなんとかの法則というのは働くので、中には「こ、これは」と思うものもなくはないが、多くは二次"創作"というのもおこがましいというか、単に設定やキャラクター性の剽窃でしかないような、元増田がいうようにオリジナルでやって在庫抱えてオロオロすればいいんじゃないかというようなものばかり(もちろん、表現の自由の名のもとに存在してもやむをえぬもの=法律その他によって規制されるべきものではないもの、とは思うけど)。
だいたいこういうのが"同人誌"の全てではないのだが、商業誌に一回二回載っただけとかそういうのではないプロでも、他人の作品でやるからなあ。「このキャラクターが好きでしょうがないから描いちゃいました」みたいなことを言って、そのキャラクターの性的な言動を表現し、それを少なからぬ人々が鑑賞するというのは、この文化に縁のない人から見れば奇妙、もっと言えば異常な行動とみられるだろうに、ネットで可視化された、こうした娯楽ではしゃいでる層には、そういう自覚が今ひとつ感じられないってのもある。
まあ、元増田に対しては「我々の世界でも我々の創作した世界でも、パラレルワールドはあらゆる機会を捉えて無限に発生し、さまざまな幸福と不幸が同時に並び立ち存在するのであって、すべてがあらゆる可能性から切り取られた断片にすぎないのだ」とでも言うしかないね。