「昔は養子が一般的だった」という理由でもって、現代に普及させるのは無理だと言わざるを得ない。
なぜなら、現代の日本社会は、すでに前提というものを欠いているからだ。
必ずと言っていいほど、「血の繋がりだけが全てではない」という物言いが登場するのだ。
それ自体は決して間違っていない。
しかし、昔の養子というのだって、何の関係もない家に行くというわけではなかった。
跡継ぎのいない親戚の家に行くとか、親戚でなくとも同じ村の○○さんの家に行くとか、
そういうケースが多かったはずだ。
徳川さんの跡継ぎにその辺のガキを連れてきてどうにかなるわけでは決してない。
それだけ、親戚や近所や家同士の付き合いに意味や必要性があったということでもある。
そして、現代にはもはやそれがないのだ。
あるいは今でも、上級国民のお家はそうやって回っているのかもしれない。
しかし、この国の多数派は、地縁や血縁というものを面倒くせえと放り投げてしまった。
親戚なるものはいても、葬式や法事でもない限り顔を合わさないということすら珍しくない。
実際それ以上関わるメリットもないのだろう。
ただただ惰性で付き合っているだけの親戚に、バックアップとしての役割を求めるのは無理だし、
若者は親戚付き合いだの近所付き合いだのにメリットがないのを察し、田舎から逃げ出してしまった。
養子を一般化させるには、それが成り立つ根拠だった、地縁や血縁の復権が不可欠である。
だが、それは無理だろう。