「所以」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 所以とは

2015-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20151214083639

どうも、みなさんありがとうございます調査はしていませんが、みさなんの意見を聞いていて、私としては総称は「中華まん」でいいかなと思っています中華まんに引っかかっていたのは、中の具が中華からかけ離れてきているものもあるのに”中華”まんってのもどうなんだろう、新しい呼称必要だろうか?という感覚からだったので。外の皮と蒸すという製法こそが中華まん中華たる所以だと考えることにします。

例えるなら、ハンバーグをパンで挟んだものハンバーガーなら、フィレオフィッシュハンバーガーではないのだろうか?(いやフィレオフィッシュハンバーガーだ。)でしょうか。

されに蛇足を加えるなら、国を超えて流行する料理(全世界流行っているとは言っていない)というのは、中華まんハンバーガーサンドイッチ寿司のように、アレンジ力の高さ、バリエーション豊富さ、かっこ良く言うなら「空虚な中心」があるように思えますね。日本ではあまり流行らないけどタコスなんかもそうですかね。そう考えると、次のクールジャパンを担うのは実は「おにぎらず」なのではないかという考えもあるのですが、日本意外ではあの海苔という黒い食べ物に対する違和感が強いらしいので、寿司以上にハードルが高そうな気もしてきますね。どう見ても完全に蛇足です、本当にありがとうございました

2015-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20151117085253

テロリストが何のためにテロをするのか知ろう、考えよう、ってところから対策を積み重ねていかなくちゃならないと思う。

もっともです。

その孫子以来の箴言を踏まえ、テロリズム研究にはそれなりの蓄積があります

そして、ある程度の結論もちゃんと出ています

で、その結論というものですが、

一般市民の中に紛れ込んだテロリストを、特定して、探し出すのは至難の業だし、どこに潜んでいるかも解らなければ、根本的な対策ほとんどできない。これと戦うって、本当に可能なんだろうか?

はご明察で、基本的に「戦う」のは無理、もしくは常にコスパの悪い勝負しかならない、ということになっています

非対称戦には須くそういう傾向がありますが、対テロ戦では特にそれが顕著です。

テロ制圧には膨大な情報戦治安戦のリソース必要で、そこで完封してやっと「引き分け」なので、勝敗で言えば最初から話にならないのです。

実を言えば先進国公安部隊であれば、特定するのは「至難」と言うほどではないはずで、まずほとんどの組織員はマークできているでしょう。

ただ99%の補足率ではいつかは必ず国家当局は負けますし、ローンウルフテロなんかは「事前に殺人犯を捕まえろ」みたいなこちらは至難な話になってしまうということです。

テロとの戦い」って、どんな戦術が正しいのかが、今の時点ではまったく見えて来ないと思うんだ。

で、これにもある程度結論はあって「テロの原因となる社会的矛盾解決する」が最良の戦術(というか戦略)なんですね。

治安強化、警備強化の方向では最上でも引き分けまでしか持ち込めない以上、どうしても「根本を叩く」ことが必要からです。

一時的に膨大なリソースを注ぎ込んで100%の補足、あるいは軍事制圧による組織の壊滅を達成したとしても、その組織を生んだ社会的矛盾がある限り新規構成員供給され続ける、あるいは新組織が生まれるだけで、結局いつかは綻びますので、そういう結論が出てくるわけです。

ただISILのような国外組織相手場合実質的に唯一の勝利の手段であるこの方法事実上使えないわけです。

最低でもシリアイラク、できればISIL連帯組織のある5,6カ国を全て占領制圧した上で、その地域統治して社会的矛盾解決せよ、という話になりますので。

金も土地資源も、新たに得られる望みはほとんどなく、自分たち繁栄していく手段きっかけになる訳ではないのだから

こういう闘争目的必要無いのがテロリズム所以です。むしろテロ組織としての戦略目標はともかく)テロにおける個別作戦目標には、そもそも最初から自己利益」は含まれない方が(特に初期段階では)普通です。

ではどんな目標一般的かと言うと、

自己組織/主張への一般市民からの注目(無視でないなら憎悪でもかまわない)

・「敵」の社会における恐怖の蔓延

・「敵」社会警察国家化による自由繁栄の毀損

・「敵」社会における政府への不満(もっとテロを厳しく取り締まれ!と言う類でもいい)の蓄積

なんかはテロリズム論理においては、いずれも妥当作戦目標です。

欧米政府スタッフは当然この辺りの原則は百も承知の上でやっていると思いますよ。

2015-11-13

【祝!2期】響け!ユーフォニアム空気デカリボンちゃんが泣いた日

要約すると

長くなってしまったので簡単にまとめます

響け!ユーフォニアムの2期が決まってうれしいです、とても面白い作品でしたね

・素晴らしい点を上げるとキリがないのですが、私はとりわけこの作品の描く「空気」が好きでした、作品テーマの一つでもあると思います

特に2話の葵ちゃん「みんな~問題のない方向へ~まとまっていく」というセリフ、8話の麗奈特別になりたい」というセリフ、この2つが重要なシーンではないでしょうか

・この空気に着目した上で10話、香織先輩が再オーディション希望するシーンを見ると、とても感動しま

・更に11話、デカリボンちゃんが泣くシーンも心を打たれます

・久美子の心の成長も見所の一つです、でも久美子って少し流されやすいような気もしま

劇場版、そして2期、本当に楽しみです

と大体このような感じ

最初

ユーフォニアム2期+劇場版総集編決定!うれしいです

しまだご覧になったことがないという方は、本当にオススメ作品です、ぜひぜひこの機会にご視聴ください

ところで、響け!ユーフォニアムってどこが面白いの?と問われたら、視聴済みの皆さんは何と答えます

作画の綺麗さや演出の巧みさ、声優さんの演技の上手さなど色々なものが思い浮かびます

答えは一つではないと思いますが、私には響け!ユーフォニアムのココが好きだ!という点がずばり一つあります

それは、今まで深夜アニメーションという媒体では余り描かれることのなかった部活学校という空間空気

引いては集団の中で発生する同調圧力的な側面について描き、それをしっかりとエンターテイメントとして見ていて楽しい物に昇華しているという点です

群れとスイミー

少し話は変わります

みなさんスイミーという絵本をご存知でしょうか

おそらく一度は聞いたことがある、どんな物語か程度なら知っているという方も多いと思います

ストーリー説明は省きますが、絵本の中でスイミーはたくさんの仲間達と一緒に大きな魚のふりをして泳ぎ、マグロを追い払いますよね

あのスイミーが案じた作戦、これはおとぎの世界の話だけではありません、現実世界でも類似の例を見つけることが出来ます

例えば、チョウチョウウオという魚です

沖縄方言ではカーサと呼ばれ、その意味は葉っぱ、名の通りほのかな橙黄色に色付いた木の葉のような魚です

一匹でも十分に綺麗なこのチョウチョウウオですが、海の中で生活する時は大きな群れを作ることが知られています

チョウチョウウオはそれほど大きくない魚ですので、単体ではすぐに捕食者に狙われてしまます

ですからまとまって大きな集団を作ることによって、捕食されることを回避しているわけですね

このようにして魚が群れを作るメカニズム、そこにあるシステム群知能といいます

群知能は魚の群れを説明するための用語というだけではありません、他にも自然界の様々な場面で見ることのできる普遍的概念です

ところでこのチョウチョウウオの群れですが、全体としては同じ方向を向いていても

中を細かく見てみるとそれぞれの個体や個々の集まりでは別の方向を向いていたりすることに気付きます

スイミーは全員が一丸となって戦うお話でしたが、現実世界チョウチョウウオでは少し違うわけですね

から全体を俯瞰して眺めるとみんなが同じ方向を目指しているように見えても、それぞれにはぞれぞれの想いがある

群れと人間

こういった群れの構図は人間社会でも随所に見られます

大きいものでは会社組織、小さい単位なら家族や友人関係かもしれません

そして多くの人が人生において最初にそれを経験する場所、それが学校であり、とりわけ部活動なのではないでしょうか

一概に部活動といっても様々あります体育会系ならサッカー野球文化部なら美術などが有名ですよね

そしてもう一つメジャーものの中に冗談めいて体育会系だとも文化部だとも言われる部活があります

そう吹奏楽部です

吹奏楽部サッカー野球と同じ、体を使った集団競技です

それが体育会系といわれる所以なのかもしれませんが、一つ他と決定的に違う点があります

それは圧倒的な力量を持った選手が一人や二人いたとしても、それが集団にとって即大きなアドバンテージとはならない、という点です

吹奏楽という競技においては、群れのレベルは全体の平均ではなく最も弱い個体能力度合いによって決まるからです

これは積極的底辺能力押上げようという助け合い精神、教え合いの動機ともなり得ます

いざという時には、底辺を全体のために容赦なく切り捨てるという残酷な選択を強いる結果にも繋がります

吹奏楽ほど、群れというもの意識する部活は他にはないかもしれません

そしてそこには、必ずしも絵本で描かれるスイミーのようなやさしさも海で群れをなすチョウチョウウオのような美しさも、あるとは限りません

そんな吹奏楽という部活

そこにスポットライトを当てたアニメーション作品

それが京都アニメーション制作の「響け! ユーフォニアム」です

響け!ユーフォニアム空気

吹奏楽舞台であるといっても、1話や序盤では多くの時間キャラクター紹介、人物の関係性やこれからの展開をほのめかす場面に割かれます

主人公である黄前久美子はどんな子であるのか

彼女高校生となって吹奏楽部に入部し、新しい学園生活、新しい友達上級生と馴染んでいく過程を描いています

そんな序盤のキャラクターのやり取り、シーンの一つにこんなものがあります

久美子の幼なじみであり部活の先輩でもある葵ちゃん彼女と久美子の会話です

久美子「でも今日みたいに聞かれたら、全国大会目指すっていう方に手挙げるでしょ」

  葵「そりゃあ…ねえ」

久美子「だからややこしくなるんだよ、大人はずるいよ」

  葵「それ言ったらどっちにも手を挙げなかった誰かさんが、一番ずるいんじゃない?」

久美子「それは……そうだけど……」

  葵「きっと、そうするしかないんだよ。みんな何となく本音を見せないようにしながら、一番問題のない方向を探ってまとまっていく、学校も吹部も、先生も生徒も」

久美子「どうして……?」

  葵「そうしないとぶつかっちゃうからだよ、ぶつかってみんな傷ついちゃう

――――「響け! ユーフォニアム」第2話



この言葉学校という世界しか知らなかった高校生の頃に立ち戻って考えてみれば、いっそう共感のできる言葉だと思います

そして、学生の時のみならず、社会人となってからもこの「空気」を読めという感覚は常についてまわるものです

集団、群れがあればそこには空気があります、そうして出来上がった集団の流れ、空気に逆らうことはとても難しいものです

特に思春期女の子にとって集団から抜け落ちたり弾かれたりすることは、死ぬほどに辛いことだと思います

2話の終盤、このシーンはさらっと流れます、その為とりわけ重要ではないシーンのように思われるかもしれません

しかし、深夜アニメにとって大事だと言われる1~3話において、2分以上の長尺を取り久美子との二人きりの会話を描いているのは、このカット以外にはないんですね

音楽通奏低音という言葉があります本来バロック音楽における用語ですが、転じて「常に底流としてある、考えや主張のたとえ」というような意味も持ちます

吹奏楽でいうならば久美子や友人である緑輝や葉月がいる低音パートですね

彼女たちの低音が吹部の演奏を支えてるように、葵ちゃんのこの言葉響け!ユーフォニアムという作品における通奏低音となっています

部長葵ちゃん

続く話数、これ以降の3~6話ではある意味葵ちゃんの言っていた通り、一つにまとまり

一致団結してサンライズフェスティバルという地域イベントに向けて頑張る吹部の様子が描かれます

しかし、当の葵ちゃんは今までとは違う、空気の変わってしまった吹部についていけず退部を決意しま

顧問の滝先生が赴任して来なければ、部のやり方が変わらなければ、葵ちゃん最後まで部活動を続けたかもしれません

ただ去年の出来事経験した葵ちゃんにとって今の空気はどうしても受け入れることの出来ないものだったのです

退部後の葵ちゃん部長の晴香がファミレスで二人、話し合うシーンがあります

葵ちゃん自分はそこまで吹部が好きではなかったと言った後、部長に対し晴香はどう?と問いかけます

部長は即答することが出来ません

今までの吹部とは違う、全国大会出場という大きな目標を掲げ、部員一丸となって全国という高みに向けて邁進する宇治高校吹奏楽部

ですが、一人ひとりが見ている方向は必ずしも一致していません、全体では同じ方向を向いているように見えても個々人の想いはそれぞれなのです

ここまでが7話でした

久美子と麗奈

そして続く8話、とても印象的な回ですね

放送当時一番話題になった回でもあると思います

この第8話終盤、麗奈と久美子の密会シーンは中盤のクライマックスです、その内容を憶えている人も多いでしょう

麗奈と久美子、二人以外は誰もいない小高い丘の上、眼下には楽しげなお祭りの光、麗奈はまっすぐと久美子を見据えて言います

 麗奈「ねえ、お祭りの日に山に登るなんて馬鹿なこと、他の人はしないよね」

久美子「うん、まあ……」

 麗奈「久美子なら分かってくれると思って。私、興味のない人と無理に仲良くなろうと思わない。誰かと同じで安心するなんて、馬鹿げてる。

    当たり前にできあがってる人の流れに抵抗したいの、全部は難しいけど。でも分かるでしょ?そういう、意味不明気持ち

久美子「うん、わかるよ。高坂さんの気持ち

 麗奈麗奈

久美子「麗奈……」

 麗奈「私、特別になりたいの。他の奴らとおなじになりたくない」

――――「響け! ユーフォニアム」第8話


麗奈の想いは誰しもが持っている気持ちです

特に未だ少年少女時の万能感から脱却しきれていないモラトリアム期の高校生ならば、それは多くの人が抱いた「本音」かもしれません

特別になりたい」

しかし、多くの高校生はその本音を隠します、他者とぶつからないよう、ぶつかって傷つかないよう、波風を立てず皆と同じように日々を過ごします、それが「普通」なのです

麗奈は違います、久美子にはっきりと言います特別になりたいと、他の人に流されたくないと

葵ちゃんセリフと対になるこの言葉、少し甘酸っぱく子供っぽい麗奈のこの告白は、久美子の心を大きくざわつかせました

そして続く9話、ここからやっと吉川優子ことデカリボンちゃんと吹部のマドンナ中世古香織先輩にスポットライトがあたっていきます

デカリボンちゃんと一度目のオーディション

去年までの熱意のなさが嘘のようにやる気を出し、ここまで大きなゴタゴタもなく順調に進んできた北宇治高校吹奏楽部

あとは大会に向けて全力で頑張っていくだけという感じですが、その前に一つ課題を乗り越えなればなりません

オーディションです

先生が事前に発表していたこの実力制メンバー選抜は、ことの成り行き次第では少々問題が起きそうな雰囲気です

さてオーディション視聴者としてはポニテ先輩のことも気になりますが、吹部として重要なのは麗奈と香織先輩、どちらがソロを吹くのかという点です

部員殆どは、麗奈が優れたトランペット奏者だということは知っていても、上級生であり、部内屈指の実力と人望を兼ね備えた香織先輩がまさか負けるとは思っていません

しか当事者である香織先輩の認識は少し違っています麗奈の実力を認め、負ける可能性を十分に考慮しているようです

さあ、結果はどうなるのか?と言うと……

意外にもあっさりと負けてしまます

この結果は当然ながら驚きを持って迎えられます、中には滝先生選考に内心疑問を呈した部員や不満を抱いた部員もいたでしょう

しかし、個々人の想いとは関係なくこの時の部内の空気オーディションの結果を受け入れるものでした、空気が異を唱えることを許さなかったのです

集団空気に逆らうというのはとても難しいことです、もしもこのまま何事も無く事が運べば、大した波乱などなく一致団結して大会まで進んでいたかもしれません

ここで爆弾を落とすのがデカリボンちゃんです、オーディションから少したった頃、滝先生に対し部員が見守る中、こう言い放ちます

リボン高坂麗奈さんと以前から知り合いだったって本当ですか?」

先生「それを尋ねて、どうするんですか?」

リボン「噂になってるんです、オーディションとき先生がひいきしたんじゃないかって、答えてください」

――――「響け! ユーフォニアム」第10

この出来事から急速に部内の空気は変化していきます、元々個々人の中ではオーディション結果に対しくすぶっていた所もあります

0から1に突然変わったというような変化ではありません、空気意図的誘導しようとするそんな人物がいたわけでもありません

それどころか自分たちが一体どこに向かっているのか、それさえ誰にも分からぬまま漠然と悪い方向へ流れが変わっていく、そんな様子が丁寧に描かれています

香織先輩と再オーディション

先生音楽の知識こそ豊富ですが、教員としての指導経験はまだ浅く、この事態に戸惑い苛つきます

かねた部長が、このままではいけない、そう覚悟を決めなんとか解決しようと動き出した頃、丁度時を同じくして滝先生は一つの解決策を見出します

部員たちが見守る中、滝先生が切り出したのはこんな提案でした

先生今日最初にお知らせがあります。来週ホールを借りて練習する事はみなさんに伝えてますよね。

    そこで時間を取って希望者には再オーディションを行いたいと考えています

    前回のオーディションの結果に不満がありもう一度やり直して欲しい人はここで挙手してください。

    来週全員の前で演奏し、全員の挙手によって合格を決定します。全員で聞いて決定する。これなら異論はないでしょう。いいですね?」

――――「響け! ユーフォニアム」第10

この言葉に対し、香織先輩は一歩を踏み出すように立ち上がり、高く手を掲げ、まっすぐと滝先生を見つめて言います

「再オーディション希望します」

香織先輩という人物についてはこれまでも何度か描かれています

葵ちゃんが退部し、部長がめげてしまった時にはおみやげを持参して励ましました

ポニテ先輩は、葵ちゃん部長に加え香織先輩だけが、去年の部内のゴタゴタに対して真摯に解決しようと頑張っていたと言います

公園で二人きり、デカリボンちゃんから本人や父との縁故理由に滝先生麗奈を贔屓した可能性を告げられた時も噂を止めるようお願いするだけです

これらのことから伺えるのは香織先輩のやさしさであり、部に対する想いです

部長と共に、損な役回りを引き受けてでも部内の空気を良い方向へ持って行きたいという、そんな心配りです

その香織先輩が、今まで吹部内の空気をなによりも優先してきた、そんな香織先輩が、初めて自分の想いに素直に寄り添って決意表明したのがこの場面なのだと思います

しかしたら吹部の嫌な空気、それを払拭するためにあえて希望した、もしくは香織先輩を推す部内の空気にのせられる形で希望しただけという穿った見方もできるかもしれません

しかし、友人を心配そうに見つめる部長眼差しや驚きを持って香織先輩に視線を集める部員達の表情からそうではないことが見て取れます

香織先輩はこのとき空気に反発したのでも迎合したのでも、そして沈黙したのでもありません、ただ自分の確かな意志を表明したのです

まっすぐに滝先生を見つめ、自分の想いを吐露する香織先輩のその姿は麗奈が久美子にした特別になりたいという告白に重なります

オーディションの結果

さあ再オーディションです

まずは香織先輩が、吹き始める前こそ緊張の面持ちでしたがいざ吹き始めると特にミスもなく、普段通りの演奏を客席に座る部員たちの前で披露しま

そして麗奈トランペットを構え、その音を響かせます

二人の演奏が終わり、よりふさわしいと思う方へ拍手するよう言われます殆ど部員はどちらにも拍手することが出来ません

そんな空気の中、滝先生は香織先輩に問いますあなたソロを吹きますかと

香織先輩は麗奈こそが、自分ではなく麗奈こそがソロを吹くべきだと、そう言い

それを聞いたデカリボンちゃんは泣いてしまます、大粒の涙を流しながら、わんわんと声を上げて

一度目のオーディションの時ではなく、二人の演奏が終わった時でもなく、滝先生麗奈を選んだ時でもありません

デカリボンちゃんは香織先輩が負けたことが、選ばれなかったことが、技量的に麗奈に劣っていたことが悔しかったのではありません

人を気遣い自分よりも他人を思いやり、誰よりも優しい先輩、その先輩がたった一度、自分のために、自分だけのために

宇治高校吹奏楽部中世古香織としてではなく、一人のトランペット奏者として初めて挑んだ、ぶつかって傷付くことを恐れずに挑戦した

その特別ものへの憧れが、それが叶えらなかった事が、デカリボンちゃんは何よりも悔しいのです

悔しくて仕方がなかった、だから泣いたのです

ただしそれは数ある理由の一つでしかありません

もしもその悔しさだけだったなら、こんなにも大粒の涙を流すことはなかったでしょう

なぜならば、デカリボンちゃんはおそらく再オーディションが決まったその日から自分がこの日再オーディションの当日、誰よりも悔しい思いをするという事は分かっていたからです

http://anond.hatelabo.jp/20151114054047 へ続きPermalink | 記事への反応(3) | 19:37

2015-11-02

同人界隈の流行について

◇まとめると

男『もっと女向けみたいに自然流行ってくれないかなぁ』

女『もっと男向けみたいにちゃんと管理されて流行ってくれないかなぁ』

隣の芝生は青く見えるんだなって感じの


---------------------------------------------------------------------------------------------------------

【男側】

379 名前名前欄にスレ入力推奨@自治スレ[sage] 投稿日:2015/10/31(土) 09:22:46.99 ID:+SzQ06us0

冬はグラブルだな

380 名前名前欄にスレ入力推奨@自治スレ[sage] 投稿日:2015/10/31(土) 09:59:26.49 ID:R/GIsEPN0 [2/2]

なんかグラブルは○○○とか○○が印刷代出して、無理やりブーム作って本とかグッズとか作らせている印象があるなー

有名所以外の作家少なすぎだろ

384 名前名前欄にスレ入力推奨@自治スレ[sage] 投稿日:2015/10/31(土) 11:23:19.69 ID:z1BediBh0 [3/4]

○○○の中堅は「ご提案」を受けるんだって

○○○の社員顧客作家に声をかけて東方同人アンソロ出してるのが暴かれた時に聞いた

385 名前流行[sage] 投稿日:2015/10/31(土) 12:03:29.95 ID:JeJTesKx0

店側と協同して本出すのは勝手だが「自分では同人誌を作らない読者層」が着いてくるかは完全に別問題だろう

○○○や○○が猛プッシュするジャンルがあるのは当然だが、かといってそのジャンルが当たるとは限らない

その意味では東方は安パイ

404 名前名前欄にスレ入力推奨@自治スレ[] 投稿日:2015/10/31(土) 22:45:38.64 ID:hnYIkGPY0 [1/2]

マジかよ同人ゴロインサイダーでゴロ覇権を決めっとったんかいな。汚ねえカルテル


【女側】

142 名前175[sage] 投稿日:2015/11/01(日) 11:55:14.33 ID:SnsAgA2j0

ツイッターのウェィウェイ層がイナゴ流行作るみたいな今の流れほんとマジ勘弁して欲しい

まだ男性向けみたいに大手イナゴが主導で作ってくれる方がマシだ

143 名前175[sage] 投稿日:2015/11/01(日) 12:24:11.86 ID:F/WCh1ES0

>>142

あいつら皆で大騒ぎしたいだけで金出さねーからなw

144 名前175[sage] 投稿日:2015/11/01(日) 12:38:51.64 ID:zqcHvcE20 [2/2]

>>142-143

極端なはなし

オンラインでの更新ほとんどしない場合ピクシブサンプルでカプ内上位レベル

大量ブクマつく出来のものをこさえる クオリティと発行ペース落としたら売り上げ落ちる

オンラインで大量更新する場合はオン更新をとめたらオフ売り上げも確実に落ちる

このどちらかしか今は道ないわ

絵上手話上手ならどちらでもいけるけど どっちもハンパなら後者しかないだけ

あとは蓋あけてみればウェイ層しかいなかったみたいなジャンルもあるから

それ見極めればいい

145 名前175[sage] 投稿日:2015/11/01(日) 12:58:26.53 ID:5sUboW4g0

ウェィウェイ層に目を付けられるとピーク過ぎた途端一気に終わったコンテンツ感出るから痛い…

酷いと他ジャンルsageして新規減らして同人誌は5冊程度しか手出さな害虫みたいなのまでいる

146 名前175[sage] 投稿日:2015/11/01(日) 14:35:58.00 ID:EldXHAR30 [1/2]

>>145

それ今はおそ松ジャンルにいるしな

155 名前175[sage] 投稿日:2015/11/01(日) 17:25:48.91 ID:o6KZ9y3r0

>>145

ウェイウェイ層って同人イナゴにとっては金を落とさなから邪魔しかなく

本気萌えにとっても騒ぐだけ騒いで去っていく害悪存在からな……

232 名前175[sage] 投稿日:2015/11/02(月) 11:55:52.06 ID:G8AcIYOt0

Twitterピクシブ腐女子層は消費サイクルや見切りサイクルが最近早いから

クール数に余裕があってじっくり人間関係が描かれるガンダムより

1クール人間関係も手早く描いてホモギャグもやるおそ松さんにつきやす

おそ松の豪華声優達には声優でnmmn萌えしたり、その声優達がキャラ担当しただけでそのキャラ同士の二次BLカプを作ったりする腐女子がたんまりついてるのもでかいと思う

2015-10-25

休職期間について疑問

五カ月以上休職していた友人がいた。

ずっと休職中とは、知らなかったか旅行コンサートやら

観光の様子やらをfacebookアップロードして、ここ五カ月で10箇所以上回っていた。

体力有るなー、時間の使い方がうまいなーと思ってた。

ちなみに、友人の職はサービス業休日が不規則だったので休職にも気が付かなかった。

五カ月間休職した友人は、恋人とのラブラブ写真アップロードして、つい先日

今日は、お知らせがあります。実は私休職してました。結婚の報告じゃなくてすみません

だって。こんな報告みるんじゃなかった。イライラしてしょうがない。

あちこち遊びに行っている様子から、どこが調子わるいんだろうと勘ぐってしまう。

私も仕事の過労が原因で休職せざるを得なかったが、1カ月が限度だった。もちろん、診断書をつけての状態で。

パニック症障害発症した先輩は、2カ月以上の休職は認められず退職した。

彼女公務員でもないし、ましては妊娠したわけでもないし、身内に不幸があったわけではない。

休職して遊びまわっていた様子なんてSNSアップロードしないで欲しい。

ホワイト企業ブラック企業ってこんなにも違うんだなーと実感。

2015-10-19

解釈とただの反教養主義をごっちゃにしてはいけない(戒め)

自分が見たいように見るというペラペラな態度を反解釈だと勘違いしてデマを流してる馬鹿ブロガーがいた。


アホか。


解釈ってそんな薄っぺらい話じゃねえよ。


考えるな、感じろと一緒で、クンフー足りてないやつが真似したらただの何も考えてない馬鹿しかなれないやつだよ。



感性っていうと語弊があるけどあえて感性って言葉を使うんだったら、古今東西経験積んで感性が育った人間が、些細な枝葉末節言語化の弊害にとらわれずにその作品がその作品である所以中心部を感じ取れいうやつだよ。 キャンプってそういうことだよ。


貧弱な感性だけしか持ち合わせないやつが、見たいものだけ見てるだけで作品のものなんて見えるわけねえだろ。 


それだけじゃお前がみたいものを切り取っただけの作品のごく一部しかからねえだろ。



解釈ってのは武術の奥義みたいなもんだよ。 シャオリーだよ。 刃牙マンガ世界なんだよ。



なんちゃってファッションみたいに真似できるもんじゃねえんだよ。


武術の訓練一切詰んでないひょろひょろの体してる奴やほほえみデブ武術の奥義を語ってるような滑稽さがあるわ。カンフーキッド100回見て出直してこい。


なまじ格好いい概念から中二病のガキにはぴったりなのかもしれないけどそういうのやりたいなら反解釈なんてボロが出やすい話じゃなくてワンパンマンでも見とけ。


ソンダクはワンパンマンのサイタマみたいなもんなんだよ。彼女のいうこと真に受けても実践できる人間なんて限られすぎてるしそれはエロゲーアニメばっかり見てるお前じゃねえよ。エロゲーアニメしか見てない馬鹿に真似できるわけねえなんてちょっと考えたらわかるだろ。 あの本読んでなんで自分にできると思った。 



サイタマ凄さジェノスくらい努力してるやつなら一発でわかるように、ソンダクの異常な天才ぶりだってお前がほんとに文学やら写真論について真剣に取り組んでるならわかるはずなんだよ。


最近ラノベ作品見てこれなら俺でも書けるって言うのとはわけが違うんだよ。そんなことも分かんねーのか。




あんのじょう反解釈にもとづいて書きましたという解釈記事がすんげーペラペラレベル低いしほんと笑えねえ。 



別の記事他人批評批評したいって言ってたけどそんなことしてる暇があったら自分記事を見返してちょっとでも改善しろよ。 


お前の記事見てこれは反解釈実践ですなんていうやついねえよ。お前のは半解釈だよ。反解釈じゃなくてただの反教養主義だ。って叫びたくなった。



一生懸命解釈したりしてるやつをみてそっちではかなわないからって、俺は反解釈のちからを手に入れた、あいつらは間違ってるから支配してやる的な態度取っててお前はメガテンイフのハザマかと。 



解釈とただの反教養主義をごっちゃにしてはいけない(戒め)

2015-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20151018001835

のかって分かりかねるよね。分かりかねるってのはアレだ。今俺が見ている景色がそれはそれはまったく何だ・・・非実在的な差・こkれをよみがえらせるのは、真の知っていうかでしかないわけで、結局人間馬鹿なんだ、馬鹿から場にぬなるだぶるすたんだーとって言葉を知ってるけれど、ソレに十雨中にしにして近いこごいn、、・・・・・あ。あ、わかりはじめた。今俺がいるアパートの一室、でもさ、それは結局この世に生を受ける、また人間の創りだす価値しかこの世は判定さんでい出来ないわけで、オレの幼少期を思い返してみると。。。そうだな、オレが他人を省みているようで顧みなくなったきっかけは、やっぱり家庭環境なんだろうな。価値観、俺の家庭が持つ価値観価値観もまた遺伝子のように伝承されるものの一つであり、それは俺も例外ではなく、そう価値観を育まれた。内向的だったなあ、幼少期の頃から、幼少期の頃から、人の顔色ばっかり伺っていた気がする。人の顔色を伺ってさ、両親の顔色、今日喧嘩してないかな?とか?祖父母との軋轢はないだろうか?とかさ、子供の頃から気をつかっていたね。幼少期からまれた性根なんだよ、。結局。三つ子の魂百までっていうけどまさにアレだ。俺ははみ出せなくなったんだよ。自分のカラから。何をやるにも、周りの顔がちらつく、両親や親類の顔がちらつく、。俺は俺が俺を俺たら占めていると思っていたけど、違うんだ。俺は結局、自分がないんのではないか・・・・・自分を足らしめるための自我が芽生えていないのではないかという気がしてならない。本当は実現したいこともあった。でもできなかった、ソレは俺の怠惰が産んだ結果かもしれないと同時に俺の心を縛る何かが、また。何かがあったんだ。俺の俺の心情には、幼少期から学生時代に成長して、思ったよ。俺は俺をさ、俺たら占めている、そんな気がして無かった。人の顔色が、社会の目が俺を狭くしているんだった。俺一人がこの社会にいられたら、どんなに楽だろうかと、何度となく考えた。それは馬鹿らしい考えだったけどだs。俺は、俺を俺であるために俺から俺を俺から開放する、そんな時分の中のアクションgあ必要だと、何度となく思ったよ。俺は俺を俺たらしめるものが何もない、てって、社会的にも精神的にも肉体的にもまたはそういう実存的な概念でもってしても、俺って一体俺なんだろうか。俺は俺であるからなのだろうか。俺は俺であるのは本当に俺が俺である証拠なのだろうか。俺が俺を俺たらしめる俺の部分は俺の中のどこのb俺を俺にしているのだろうか。俺が俺らしくらしくsらいく、俺がおれがgrで俺gであるための俺であるためにのおレレの俺rの己が己に打ち勝つための、でもソレは俺が俺であることが前提条件であり、俺が俺であるための俺でゃkぉ俺で俺は実に俺であるとのは誤認であって俺が実阿おrでhなく、俺が己を打ち勝つ俺は俺ではない、俺はが俺でなく俺であるための俺が俺を俺に俺たらしめる、俺たらしめるための俺が折れたら占めていなかった。結論的にはどうなんだろう、社会で生きていても、思う子男が多い、俺は何のために、こんなぼんやりと生きているんだろう、ぼんやりぼんやり働いて、ぼんやりぼんやりと金を稼いて出ぼんやりぼんやりぼんやりぼんやり、何をするでもなく、何をするのでも、あk、何が必要なのだろう、承認欲求承認欲求なのではなあk、て思ったこともあるが、そんな気がしない。社会的成功社会的な欲求が満たされれば、俺はこんな気持ちにならないのかと言われれば、そうだと言えない、もっと根源的な、本能的な欲求が満たされれば俺はこんな気持にならないのかと言われればそうだと思わない。オレhのなかのもっと、、、人間の核の部分が満たされていないように感じる、そしてそれは人間社会では決して手に入るようなものではなさそうなのだ非実在的な創作物からえられるものに、それは近いのかもしれない、、、もうすでに思考が、脳が、もうすでに、一元的な欲求では満たされなくなっていsル、気がする。3大欲求や、社会的な欲求、それではもう俺は満たされる気がしない。もっと根源的な、k,、というか、、次元を上げたもの必要だ。。宗教家の求めるソレに近いのかもしれない。宗教家が求めるものが、l超次元的な欲求を満たすものだとすれば、おあお俺が求めているもののに近いのもはそれだ。。超次元的な欲求というのは、、。ソレを言語化するすべは持ち合わせていないgあ、。、超次元的な欲求とは、まさに、現在認識されている次元を超越したものであり、超越するための、、その生きる方法がかるあお確率されていあない。ようにおもれえる。確率必要な物は、、その、。ちょウ自然的な、もっと、脳髄を脳髄を根本的に揺るがすようあん、心、精神的ん欲求とは、ソレの角の部分を揺るがすような、そうういうも野にちかい。オレhがものも求めるものがもはやそこにしかないのだはないあk.。労働しても高リュうしても3大欲求を満たしても何をしても満たされることがない。。もっと欲求が湧いてくる根源、源泉がそこにはあるのではないか。。。姓名を維持すること、それによてって生じる姓名の根源、は一次的庵ものではあり、ソレを満たすには、また別のソレを満たさなければならない。それを満たすことはソレおwみたすことにつながり、まさに無限回廊のものだl,満たすことが満たすものを呼び、満たすことがまた別の満たすおmのを呼ぶ、よって、人は、苦心してしまう。ではどうするべきなのかといえば、それはヒットつしかなく、その欲求が生じる、源泉を絶つ、欲求が湧いてくる源泉を満たせばよいのである。。。そしてソレを満たす方法を我々あh本来ならば探さなければならない。kもはや現代社会において、求められる命題はそれしかない。欲求が湧いてくる源泉あh、それは生命維持のための欲求や、社会的な、人間的な欲求とは確実に異なるものだ。欲求の源泉を、源泉が根源的に存在するのは何故か。それすら我々は理解できてイナイのだ。まだ。それが宗教家の言うような、超常的な存在、神や仏、、だと考える、当てはめっるlそういう認識に落とすことあh実に容易なことであるが、それは一種の逃避でしかない。超常的な存在によって、欲求や自身のまた雑然的な現象説明させるノアh安易であり、もっと断罪されるべき施工方法なのだ本来、これから、我々あh、原初にもどって、、考えなおさなければならないことは、人間的な、生物的な欲求、それの解消法ではなく、そんな全時代的な方法唾棄されるべきだ。。我々がこれから求めるべきあ、欲求雨の源泉、精神的、と呼ばれるものに近いものの源泉を求め、そこを絶つべなのだ。源泉が欲求を生み出しmその生み出した欲求がさらに欲求を生み出していく。源泉が生み出す欲求うは実に一元的もので、一元的ものがもたらす欲求は欲求を解消されても、所詮一元的ものに、一元的な解消にとどまる、一元的な解消は一元的な解消でしかなく、多次元的な、根源的な、源泉をm,超時限的な源泉を解消するニアh所詮いたらない、。超時限的な源泉を解消するための、その方法は、人打つぃかなく、一つしか存在せず、根源的な、根源的な欲求を解消するための、夜急を解消するための、根源的、源泉的、超次元的、多次元的、超常的、超自然的な、その何かを解消するしか無い、のではある。一次元的な欲求をかいしょうするための現代メソッド、法本論、それ自体すでに、前時代的、原初的な、人間実態に沿うようなものではなくなってしまっている。一次元的欲求が社会人間社会事物ym出来事などによって実現されたとしても、それは所詮一次元的なものしかなく、一次元的なもの一次元たら占めているにすぎない、。一次元的な欲求を愚かにも何百回、何千回、何万回とk気の遠くなるほどに実現させようとしている、人間社会、それ自体が誤りにすぎず、我々が目指すべき、自己実現、実現はまさに、一次元的なものを生じさせているものおの根源である。根源は源泉であり、一次元的欲求が生じる、その源泉を我々が、一次元的に解消してしまっていては、所詮一次元的でしか無いことは明確。発送をかえるための、発想をかえる、それすなわち、欲求の源泉への対処法なのである。欲求の源泉といっても我々あh、未だかつて、それを言語化したり、ましてや認知したりすることはいまだかつて実現せしめたことはない。一次元的な自己実現が生み出す、一次元的ん自己実現あhは逆説的に一次元的な欲求をまた、同時に生み出すことも行っている。一次元的な欲求を解消し、一次元的な欲求を一次元的に解消せしめても、我々人間構造的には、その一次元的な欲求を認知してしまうことにもつながってしまう。それを潜在的な意識下で我々あh一次元的案欲求のwパターンをmた、また認知してしまうことにもつながってしまう、。つまり一次元的な欲求を煩雑にし、雑然にし、永久うに沸かし続ける源泉あh、根源的欲求のみならず、我々人間構造的に、一次元的な欲求を認知し、解消することで、さら一次元的な欲求のヴァリエーションを増やすことにもつながってしまうことで、一次元的な欲求が生じやすくなってしまっているために起きる、また一次元的な欲求の再生を我々は生きている間に繰り返すに至っている。一次元的よっキュうを我々が解消することがいかに愚かで、前時代的で、後進的な人間のための方法論なのか。。割れ和れはまだ完全に認知するに至っていない。。ソレは我々が現代社会最適化された人間線を含有してしまっているからであり、人間性がまたは、一次元的な欲求を満たすために最適化されているための弊害、そしてソレは根源的ンは、間違いでしか無いのである。根源的に行って、一次元的な欲求を解消し続ける人間社会は変革が、根本的な土台から変革することが必要なのである一次元的な欲求を解消し続けても一次元的な欲求は湧き続け、我々が頭を悩まし続けるに過ぎない。一次元的な欲求が生み出し続けリる一次元的な欲求の連鎖一次元的な欲求を、解消してもまた一次元的な欲求を生み続けるにしか足り得ないことであり、そして自らが生み出す、一次元的な欲求を満たすべくして見たっす、一次元的な欲求はそれ自体が、我々に意味を附さず、一次元的な欲求は我々の認知限界たくみに利用した、いわゆる、無限切ろうてきにな、欲求の連鎖しか無いため、一次元的な欲求を解消し続けいることの無為さが我々は十分に認知しかしそれもまた、しかしそれおっもまた。、一次元的な認知しか我々が認知できる一次元的なものしかないkが、我々は一次元的んことへの唾棄進歩性を持つべフェーズに我々あは、ネクストフェーズ差し掛かっているのである。で、だがしかし、だsしがかし、そうはいっても、我々はまだ、全時限的、根源的ん欲求を解消するためのメソッドを持たない。根源的な欲求を解消するメソッドを持たない我々が出来ることは、そろそろ根源的な事象への認知を働かせることが必要なのである。根源的なよっキュうはそれ自体、本当に今現在、後進的な我々が認知できるかどうかは、我々はまだ分からない、根源的な欲求が生じる原因を突き止めることが出来るのは我々には不可能かもしれない。古代より、人間が、アミニズムであったり、様々な超常的な事象への畏怖から生じさせる、神であったり仏であったり、今日宗教家が言うような、そのような超常的な存在は、我々はいまだかつて認知できていない、。そのような超常的な存在認知し、逃げこむこと、ある種の逃避行動は容易であるが、我々は次のフェーズに来ている。次のステージは、フェーズあh、根源的な事象の解決だ。一次元的な欲求を解消して、そして、無限回廊に迷い込んでいる時代を捨て去れうべきkなのだ。根源的な、源泉的な欲求は、我々が認知できないだけで、それは、また、三大欲求や、つまらない、人間的、社会的事物から生じる、一次元的な欲求ではない。一次元tねきな欲求が満たされたとこrであh、、我々が出来ることはただの堂々巡りしかない。我々が真に、取り組むべきことは、源泉を、欲望の源泉を認知し、ソレを満たすことなである。我々が必要であり、今後、必要である、そう、必要になる、ものもの実物、出来事は、源泉を掌握し、我々を次のフェーズへ導くためのメソッドなのである。根源的、厳選的案事象は我々はソレを解消するに至っていない。根源的なよっキュ、う、それはまだ我々の認知科に及ぶに至ってはいないが、、しかいsk,、根源的にはソレをほっ知っている。割れ我が、欲望との闘争歴史におおいて、必要であるノアh、根源的な欲求をいかに、認知するか。それにつきる。それを仮に、精神的、こころが我々の根源的な欲求の源泉であるとしようl.こころはまさに実態がない、我々の認知科に及んでいない。。こころを満たすものあh、今現在流通している欲望では案あんあい、ない、先程述べた容易、に一次元的な欲望を満たすことは現代人間社会で容易なことである。、それは3大欲求や社会的な、精神tねき充足に近いだろう。。そのようなつまらない、後進的で、憎むべき、唾棄すべき、事象はもうすでいnに我々あh手放すフェーズを迎えている。こころを満たすべき事象こころを満たすべき事象は何に依るのだるか、だろうか。それは一時的な充足をすべて捨て去った。現代宗教家が実行しているもののさきにあるといえるかもしれない。または、一時的な欲求を解消し続けた先に、いつかおとずれる、根源的な欲求を絶つフェーズへ我々あh訪れることができるのかもしれない。あるいは、もっとなにか、脳髄を揺さぶるような、脳幹をぶん殴るような、そんな衝撃が、精神的とも、身体的とも違う、そういうインパクトを我々あhどうにかして体験する必要があるのかそもしれない。そして、それは天啓に似た、それは気づき、根源的な、もっと、なにか、、。気づくことが必要なのかもしれない。。我々が持っている視点認知では認知で起案い。。出来ない。認知を超える、あるいは認知を広げる、または認知の裏側にある、ソレを我々は認知することで、それこそ、根源的な、源泉的な、欲求、あるいはそれともまた違う、なにか、現代、現状、人間にhにはい認知でないん、何かを認知するに至るのかもしれない。進歩的な、その知を我々が獲得するために派、現代を捨てる、執着を捨てる、そうsれは知のカタストロフィーである。それが、革命必要なのだ現代我々が、論じる、認知するっもの、知は、真の知へとは至っていない。としかいいようがない。。物量的観念的な充足、それはもう満たすことが可能なのであり、。それを我々はもう100年い所以上、、異常く、以上繰り返してしまっている。本来必要なのは、次のフェーズへ行くことダリ、次の知、知覚、認知は我々が1000年先の人類、10000年先の人類が獲得しているものを、我々h日進月歩で獲得しようとしている。真の知、というものは確実にそんな良い、、お、存在し、ソレは、現代社会、我々が、唾棄すべき、人間一次元的なもの、そrは1000年後の人間にとてじゃは、非常に視野の狭いもおの、認知に至っていない、あらゆる観念が、我々あh100年後1000年ご10000年後「のために、認知に至るための準備をはじめなければならない。一次元的な欲求、認知は我々がすでに、うんざりするほど、まとわりついている一次元的な欲求は、早々に放棄するべきものであるそれからまず、認知し、日進月歩的に個人個人が、一次元的な欲求を捨て、根源的な欲求、根源的な、源泉的な欲求をそうそうに突き止める必要がある。。。それは100年後、またh1000年後の人間にはアタリマエに認知されているもの、そう私が信じているものnにほかならにあない、人間なh、科学技術のみで進歩的人間的な充足を得られるというのは、ある種の現代社会蔓延する嘘でしかなく、本来我々が求めるものは、科学産業技術にはない。それらが我々に与えるもの、我々を救うものは、しょせん一次元的案欲求をでしかなく、それは今現在語られるつまらない愚かな、欲求のためのツールしかない。我々が、本来求めるべきは、現代社会、に最適化されることではなく、現代社会最適化された、欲求、身体的、精神的欲求ではなく、本来我々が求めるべきものは、それを超えた、ソレの下に埋まっている、またhあ、。ソレの裏側に潜む、または、それに内包されている、我々があいまだ認知下におくことができない、根源t気、源泉的な、欲求、または欲求とはまた何かの概念的な観念のを我々は更生のために、更生のために後世ために残すべきものであり、それは個人個人の意識ないから進歩、進捗が行われるべきものにほかならない。一次元的な欲求は100年、1000年後の人間コミュニティでは、それhあ、それはすでに実にチープな概念へと堕落していると私は確信を持って言いたい。。100年後1000年後、我々が途方も無い科学ギジュつを手に入れるか、それは、現代社会病理のひとうつで一つである一次元的な考え方であるが、我々が本来、欲するべきものは、必要とするべきものは、ほんr内は、本来は根源的な欲求、源泉的な内面人間という存在認知で規ていない、認知へ踏み出すことであり、それは100年後1000年後にはアタリマエになっている認知なのである、。我々あhまだ、それを見ることhおろあか、認知することができていない。それは我々の目の前にあるかもしれないし、考えもつかない、超次元的な認知下にあるものかもしれない、あるいは、常識認知、知を混ぜっ返した裏に潜むような、今世では手に入れられない、真の知ともいえるだろう。宗教家が言うような概念偶像化、は。教義化は我々の頭皮だ、逃避だ敗北なのだ。100年後、10000年後の人類、とも呼ぶべき我々の次のフェーズである存在が見れば、まさに嘲笑に附さずにはいられないような、後進的で全時代的な、そんな概念、我々が本来追い求めるべきもの放棄して、自ら目をそむけるような、そおようlそのような社会のあり方では、我々に待っているものあh破滅、あるいは、なにかもっと恐ろしい物がわれわれに待っているだろう。一次元的な欲求が我々に与えているもの本質は、破滅破壊終焉なのだ。。k我々が闘争するべきあh、経済的な、社会的な、政治的な、科学的な、技術的な、創造的な、文化的な、対人的な、そんな、ものではない。それらはすべて、現代社会をこうせいしている一次元的な事象しかない、我々を惑わすものの一つでしか無い、100年後1000年後の人間がそのようなものには、おそらくkく、精神的な肉体的な充足を放棄しているだろう。超常的な存在超自然的案存在、それらが存在するのかというう愚問、我々が、我々人類の中にこそ、認知の次のフェーズへの全身こそが、我々を真の人間、真の知へと導くものにほかならない。」l。人間との闘争人間内の闘争を諦めることは非常に危険であり、我々が漸進的ことを及ぼす必要がある。。 Permalink | 記事への反応(1) | 01:45

2015-10-16

お見合い話題出す人間は大体1975年前後

すぐに分かる

実際に接触する人でも、ネットの知り合いでも見合い話題を出す人間1975年前後5年生まれ人間が多い

検索してみたら1975年前後見合い結婚率30%ほどなんだな

婚活とか相談所以外の見合いは、20代にはあんまなじみが無いんだよ

2015-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20151009132949

こりゃすごいのきたな

ウノウサマのコウノウサマたる所以が存分に表現されてる

2015-09-22

はてな社にだけは入りたくない理由、他

自分プログラマをしていて、今転職活動をしてる。

転職先は出来れば地元京都企業がいいなと思っている。

京都IT企業と言えば、はてなだ。

前に社内勉強会にも足を運んだことがあるが、なかなか意識の高さを魅せつけられた。

けど、はてなにだけは絶対に入りたくない。

選考に挑戦しようと言う気すらおきない。

それは、自分増田ブコメが見られてるんじゃないかと不安になるからだ。

いや見られているんだろう。

別垢でもIPやらと紐付けするシステムで本垢はバレバレなんだろう。

そこから分かることは、

はてな社員は皆、元々自社サービスを使っていない真人間であることだ。

正確に言うと、ダイアリーorブログ技術エントリーを書く程度にとどまっている。

彼らは増田という匿名でコソコソとイカれた怪文書拡散する人間ではなく、

ブコメというほぼ誰も攻撃してこない場で好き勝手言い星をもらって承認欲求を満たす人間でもない、

真人間なのである

まりはてな社員が自社サービスを使っていないと言われる所以はここにあるのだ。

彼らは「まともでない人間構成された多数派」の使い方は全くしていない。

代わりに、例えば先日作られた「トピック」のような、真人間が喜ぶサービスに注力しているのである

「我々がユーザー目線でなくなったと嘆く前に、まず自らを省みよ」

はてな社員はみなそう思っているはずなのだ

2015-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20150916125453

以前そういうツッコミをしたら

「そんなのただの主婦の暇潰しでしょ!私たちクリエイターなのよ、そんな連中と一緒にしないで!」みたいな反応が返って来て驚いた事がある。

あいつらプライドが異常に高すぎるんだよ。

著作権違反で責められると逆ギレするのもプライドの高さ所以だろうな。

同人オリジナル界隈の方が逆に謙虚なのが不思議

オリジナルの人は売れなくて当然、って意識だよね。男性向けエロは別だけど。

2015-08-29

あびゃあああああああああああああ

wiki規制で書き込めないからこっちに書こ

艦これアンチスルーしてねん♪

艦これ夏イベ

昨日さっきようやくE7丙でクリア

E7はクソだったよ

支援きっちり出していざってとこで初手南逸れとかマジズコーって感じ

ギミックのわかりにくさと0じリセットが合わさって発狂しそうになることこの上なし

風雲もオチないし

XVも6回ずつくらい削ってCも念のため3回削ったのに乱数の引き悪すぎでカスダメしか防空にあたんないし

そもそも毎回反抗だし

最後重巡の連撃でぎりぎりゲージ破壊でA

まらなすぎる

カットイン要員でゲージ破壊に出撃し始めたときから連れて行くようにした運改修済み70超え雪風は一度もカットインさないし

それか夜戦時に大破してるか

でもE7終わったしE7のために貯めた資源瑞穂掘るかと思ったらE3乙で一発で出てマジびびったあああああああああああああ

複雑だけどうれしいいいいいいいいいいいいいい

この気分乱高下が艦これ中毒たる所以なんだなブヒブヒ

海風攻略中に出てたし、風雲はいないけどさすがに調子に乗りすぎるのもな・・・

ちょっと時間置いてやってみるかなー

そんなかんじい~

2015-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20150826220620

ひとつ思った。

身バレしたくない、とか何かの理由で「共産党」はデコイかもしれない。元増田意図は、共産党叩きではなく、あくまで1人の女にフラれたという劣等感から自尊心を守る為であり、共産党だろうが公明党だろうが自民党だろうがそこは重要ではないのだ。

そもそも、元増田文章内で共子の思想共産党思想それ自体嫌悪している表現がないし、本人の政治思想を感じられる表現もない。「自分責任」と言いつつも、果たされなかった恋愛感情を、共子の思想一方的責任転嫁しているだけだから当然ではあるのかもしれない。

唯一、「天使に見えていた彼女はただ単に周りに上から施しを与えていただけで、彼女人間所以ではなかったということだ。」という部分はたしか共産党的ではある。だが、必ずしも共産党のみにあてはまるものという訳ではないだろう。別に次世代の党」などいわゆる右派政党に置き換えても、文章は成り立つ。また「信教の自由」を素直に解釈して「公明党」でも納得がいく。

「嫌々する」という語の用法が独特だったり、引用符が「“”」ではなく「””」になっている辺りが、文章を書き慣れていない印象を受ける。

しかし、味わい深い素材であることは間違いない。

2015-08-20

人は他人を許す事で”許さない事”ができる

北山修が「自虐的世話役」という言葉を作ったのははるかであるが、その心性は未だに日本にあると私は考えている

諸家の名著を読んでいただいたり、下記のリンク先に飛んで頂ければ、それが私の題意を代替してくれるものだと思われる

難しい話ではない

人は、他人に情けをかける事で負担をかける事が出来ると言う事だ

日本はとくにそれが強く、「タダより高いものはない」と世間では言い換えられている

まったくもってその通りであり、日本人であれば誰であれ、程度の差こそあれ、共感に難しさを感じる事はないだろうと考える

これはまさに"怨み"の心理であり、古来より怒りよりも恨みが人を恐れさせる所以となっている

しかも、先達が言明しているように、情けや忍耐が文化社会宗教により承認され推奨されている所に狂気がある

「人の嫌がる事を進んでやりなさい」とは、日本語の非決定性を揶揄した冗談に過ぎなかった訳である

いやしかし、どうだろう

情けほど日本人が潜在的に恐れているものはないのではないだろうか

人にして貰った時の言いし得ぬ敗北感や恥じに似た「申し訳なさ」というのは、日本人版の"原罪"と言えるのではないだろうか

「申し開きも出来ない」が語源であるところの申し訳なさを感じ、ただひたすらに自らより強い者の施し受け、侮辱され屈服させられることへの居た堪れなさが良く表現されているだろう

日本人はこの絶大なる狂気/凶器日常的に振り回すという現実於いて世界一陰湿で凶暴であると言えるだろう

本日結論艦これの雷ちゃんかわいいぺろぺろ、ぺろりんぬ




イネイブラーの本当の顔

http://www.yakkaren.com/bigina.b/ineburanohontounokao.html

自己犠牲という名の恋愛

https://www.kokorocafe.jp/BlogDisp/articles/142

2015-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20150815055846

どんな高尚な理念があるかしらないけど説明が必要デザインだったらそれ辞書アイコンでいいんだよ

使用者基本的な知識の中から必要情報を引き出せる最短距離の見出しデザインになるべきでしょ

それを引き出せなかった または違うものを引き出してしまった 時点でデザインは失敗でしょ

内輪でその機能を高めているのが気持ちわるいという風景はわかるよね

自分たちだけでわかる事柄を自分たちだけでわかる言葉で話している様子はどんな場面でも気味わるく感じられる

言葉が通じず意図理解できない動物は怖がられるし そういう人が地域にいると恐れられるし そういう人たちが屯ろしていると怖がられる

その人たちが掲げた旗印が みんなの代表だよって言われてその所以をつらつら説明されても 気味がわるい といった感じじゃない?

一番ものをわかっていない人間自然にこれだと選択できるものを作ってる?

目的としたい人たちはこれを選択するだろうけど それ以外の人には効果のないデザインとか考えてる?

それをしたのに愚民どもは全然わかってない とか言ったらそれ愚民にも劣る高尚なセンスだよ

じゃあおまえら愚民デザインしてみろよ とか言いたくなるよね

してもいいけどそんなセンスないから そこに人を立たせて看板や呼びかけで誘導することになるよ

誘導マーク商店名前ルール目標デザインセンスがないから それ人にしてもらうよ

そうなるとデザインなんてものは全く不要になるよ その分の人件費より安価安全からデザインお願いしてたんだけど

役に立たない誘導員を派遣してくれる派遣会社みたいなのは いらないよ

だいじょうぶ?

2015-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20150803203837

はてなが左寄りと呼ばれる所以はてサブコメによる支配権先取によるところが大きいからな。

ボーガスシモツカレやエイプマンなどの真性はてサブコメ空気作りを仕掛け、コwヨシやブヒクン、アグリコラなどのはてサフォロワーが気楽にコメントし、フラグバーナーなどはてサブースターキラ星を飾り完成される空間に隙はない。

ただし真性はてサは先取りすべきブコメを把握しており、真性はてサ無視した記事ネトウヨが星たくさんつくこともある。まとめサイト的なところや、書くべきものが思いつかず流した記事など。そういうところでビッグソングバード調子に乗ってる。

以前ザサンオルソライズィズが「話せる保守」として一時期にせよ一部はてサから評価されていたのは、その重力空間においても屈することのない同程度の覇気を備えていたかである

今の彼は多忙をいいコトに都合の悪いことはどんどんスルーする逃げグセがついてしまったので、ただのやられ役の座に堕してしまっている。

2015-08-02

砂川判決読んでみたら、集団的自衛権への言及があった件

今、話題武藤議員

ホットエントリFacebookの方も上がってて、

https://www.facebook.com/takaya.mutou.7/posts/792937030826673

また都合の良いとこだけ引用してコラージュしてるんだろうと思って、

初めて砂川判決を読んでみた。

56年前の判決でもクーラーの効いた自宅でちょちょいと閲覧出来るんだから、便利な世の中になったもんだ。

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816

全文(PDF

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/816/055816_hanrei.pdf

裁判官田中耕太郎の補足意見」の二として、以下がある。

さらに一国の自衛国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相

連帯関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及

ぼす程度に拡大深化されている。従つて一国の自衛個別的にすなわちその国のみ

立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国

を守ることになり、他国防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言す

れば、今日はもはや厳格な意味での自衛観念存在せず、自衛はすなわち「他衛」、

他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従つて自国防衛しろ他国

防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務負担しているものと認められる

である


これって、集団的自衛権のことだよね。

安倍ちゃんや自民党が「砂川判決集団的自衛権を認めてる」云々といってるけど、

しか集団的自衛権への言及がある。

産経含めて、僕の知る範囲では各メディアではこの記述言及がなかったと思う。

・これって集団的自衛権のことじゃないの?

・補足意見ってのは、判決としてはさほど重要視されないの?

教えて、はてなの偉い人。

2015-07-17

http://anond.hatelabo.jp/20150717132415

本来政治家さんに、われわれ市民代表で(代議士と呼ばれる所以)国や自治体方向性を決めてもらっているのに、政治家 vs 市民 みたいな決め付け構図って何なの?

民主主義万歳って言いながら、結構矛盾したことしているよね。活動家さん達って。本音民主主義社会を壊したいんじゃないの?

政治家さんって書いたけど、別に政治家という人種がいるわけではなくて、市民の中から立候補しているし、基本的には誰でも立候補できる)

2015-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20150703135355

元増田です。

課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、

ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。

オケだと中音域の厚みを担うのはホルンヴィオラくらいしかいないので、プロはともかくアマチュアの手にかかると往々にして「ダシの効いていない」演奏になりがちだから、中音域が充実している吹奏楽は恵まれていると思っていた。

でも実際聴き込んでみると「過ぎたるは~」な気がしてきた。なんというか、中音が厚過ぎると着膨れしたような、輪郭のぼやけた、大味でいささかクドいサウンドになる感じだろうか。

吹奏楽の低音はユーフォチューバコンバストロンボーンファゴットバスクラバリサク一見充実しているように見えるけど、フルートオーボエを除く残りの楽器がほぼ全て中音だと考えたらやはり足りないってことか。

最近サクソルンオーケストラっちゅーもんがあるぐらいにはサックス管楽合奏重要地位を占めとる。

個人的にはサックスクラリネット立ち位置交換するのもありだと思ってる。

確かにサックス表現力と豊かな倍音は魅力だと思う。

でもクラと立ち位置を交換するとなると、音域の問題から2声あるアルトのうちの1つをソプラノに変えるってことだよね?

サクソフォンオーケストラを見る限り、ソプラノはピーピー・キーキーにならない「旨味のある」音を出すのが難しそうで、結構ハードル高いんじゃないだろうか。

今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。

個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。

その間口を全部吹奏楽が持ってっちゃってるってのはそのとおりかな。

実はオケオケで、色々偏っている気がしてならないんだよね。

クラシックは一生かかっても演奏しきれないくらい沢山の名曲があって、一度好きになれば死ぬまで病みつきになれるのが魅力だと思う。

反面、その全てが職業演奏家によるパフォーマンスを前提にしていて、尚且つオケに慣れ親しんでいる人達がそういう曲だけで満足しちゃっているのが問題なんだよ。

それがオケの敷居を高くし、特に若い人の間口を大いに狭めているという意味で。同じことはカルテットのような弦楽合奏にも言える。

はいえ、アマチュア演奏家若い音楽ファンでも気軽に楽しめる新曲なんて、なまじ過去名曲があるせいで単純に見劣りするだけというのはある。

でも大河ドラマOPとか、ああいうののもう少し簡単な曲なら結構いい線行きそうな気はするけど。

まあ長い年月の淘汰を生き残って愛聴されてきたというのが名曲名曲たる所以であり、そういう逸品がゴロゴロしているのは、他のジャンルから見たら羨ましいのかも知れないが、現実はそんな喜ばしいことばかりじゃないというか。

美少女女の子の日は必要か否か

美少女美少女たる所以処女性は女の子の日が無ければなりませんし

女の子の日が無かったら美少女美少女でいられなくなります

から絶対必要なんです。

生理もとい女の子の日は女の子からこそ起こらなくてはなりませんし

アニメ漫画でそのような描写の無い作品美少女を語る資格はないとすら感じます

2015-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20150703123206

3DSニンテンドーストアってセキュリティコードまで記憶させる仕様だったと思うけど。

成程、チョンテンドーと言われる所以だな。

2015-06-28

任天堂の件、告発者はダメな方の意識高い系じゃね?

諸々感じる違和感はほぼ以下の増田と同じ。

http://anond.hatelabo.jp/20150627125609

告発者の考えはどこにあるんだろうね

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/shougaishakoyou/index.html

この厚生省の文面見てもらえればわかるけど、

よーするに「企業従業員数に応じて障害者を雇ってね★もしくはお金払ってね★」ってところなんだけど、

企業による社会貢献という面を考えても、例えめんどーでもこういうのって大事なんだわ。

税金だけ払ってりゃ良いってわけじゃないんだよね。

大きい所であれば苦労しつつ組織として対応しているわけで。

告発者の方は自分仕事大事にしてるのはわかるんだけど、

任天堂障害者雇用という「企業として中心ではないけど必要仕事」についてどう思ってたんだろうね。

常識的に考えて、ゲーム評価において聴覚に障害があるのに業務として従事させるなんてありえません。

私は業務運営責任を負ってたので、猛烈に抗議を行いました。

猛烈に抗議したって言ってるけど、代案を提案してたりしたのかな?

任天堂の◯◯部署なら聴覚障害者さんでも仕事出来ると思います」みたい事は言ったのかな。

それとも「任天堂障害者はいらん」って考えなんかな。

まぁ、結局のところ厄介払いする事しか考えなかったんじゃないかなー。

自殺未遂の箇所以外は「上司はクソ、同僚は無能」みたいな内容にしか見えないんだよね。

「同僚に教育という名のパワハラしたら自殺未遂した。上司が揉み消した。怖くなって逃げた。アレは俺のせいじゃない、クソ上司のせい」

って感じにも見えるんだよねー。

自殺未遂に至った部署の皆さんは自分加害者かもしれないって意識はあるんですかねー。

退職and告発エントリ書く暇あるなら聴覚障害者さんの直接様子を伺いに行ったりする暇もあると思うですよねー。

告発者が謝罪するかどうかは別にして。

まぁ自分増田穿った見方妄想するのが好きなんで

告発者さんの内容が全面的に正しいのかもしれませんが、

そうだとしてもせいぜい部長さんは一時減給レベルじゃないですかね。

もしクビレベル問題があるならば、それは今の社長さんも一緒に引責辞任必要クラス問題なんじゃないですかね?

しかし、ひとしきり反論を聞いたあと、グループマネージャー

部長が決めたことですから・・・

と力無くつぶやいて、朝礼は終了しました。

これ見る限り、会社として障害者の方を雇う事の意義とか従業員全然説明してない、

要するに体制を整えないまま税金対策的に障害者を雇ってこのザマなんですし。

私は、任天堂で出来なかった仕事新天地で、再スタートしたいと思っています

ゲームで人を幸せにする」という目標は、任天堂を離れてもブレない軸として持っておきたいです。

私は夢という大義の元に人を死の淵に追いやる人・チーム・組織が作ったゲームなんて

これっぽっちも触りたくないなー。それが任天堂であろうが他所会社であろうが。

なんかヒロイックに「消し逃げしません」とかいってるけど、

そんな暇あったらお見舞いにでも行ったら良いのに。

2015-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20150627122013

まあ、その辺は(日本法体系採用しているタイプの)「言論の自由」における欠陥として昔から認識されてるところですね。

私人勝手に罵りあえ」だと「言論の理路そのものとは別の力関係」みたいなもの言論空間を支配しがちで、それを是正して「公正」を担保すべき機関はどこにもない

公権力がそこを担保しようにも、公権力だけは言論空間への介入を禁じられている)というのを受け入れるしかないわけです。

結果として「大マスコミ言論支配」なんて事象になりがちなわけで、マスコミが「第4の権力」などと言われてる所以なわけです。

政治学なんかでは、「言論の自由」は必ずしもそれ自体正義ではなく、むしろ議会制民主主義が成り立つための(絶対必要だが)やむを得ないコスト」という側面があると認識されています

2015-06-25

Fate SN UBW 20メモ でもにっしょん

昔、ある出会いがあった。

おそらくは、一秒すらなかった光景。

されど。

その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。



その先が地獄だとしても前に進むと決めた士郎と

その先が滅亡と知っていても王になると決意したセイバー

やっぱりこの二人は似たもの同士だと改めて思ったなあ



本編のアーチャーの詳細の中で「なんのペナルティもなく固有結界を使いこなし」という一文があったが、本当に消えかかった身でも発動可能なくらい消費が少なかったんだな

わりと初期の頃このペナルティがどれくらいのものなのかと議論されていたがまさかこんなところで結論が出ようとは



HAの『たとえ地獄に落ちようとも思い返すことのできる光景』をまさかUBWで見れようとはなぁ………

アーチャーが契約した“かつてのセイバー”に対する思い入れ出会いの強さがしんみりと来たぜ

……だからこそ、歯痒いものを感じる

セイバーの聖杯に対する願望、そして自分の内にある鞘の存在を知るほどの関係に至っていたのに、なんで彼女を救えなかったんだ馬鹿野郎………!!



この世界の士郎は先にアーチャーを見たからこそ、アーチャーの様にはならないんだろうな。

守護者の立場が確定したアーチャーはもう抜け出せないけど、後悔だらけの自分とは違う道を示す自分を見たわけで。

本人にはもう救いはなくても、可能性を感じられるだけマシ、なのかなあ。



問おう、貴方が私のマスター

カットが入っててまたいいわ。あのシーンて確か本編士郎じゃなくて

本編アーチャーの過去編だったよね。

セイバーの表情もとても良かった。



そういえば士郎はよく「借り物の理想に執着してしまった愚かな男」って言われてるけど、どっかの誰かさんが言ったように「借り物の理想を持たない人間はいない」んだよな。そして自分も元だけど「借り物の理想」をもった人間に該当する。

何年か前、ある人の実況動画をみて、その実況者がプレイしたゲームの素晴らしさに憬れて、自分もそのゲーム製作者のように素晴らしい作品を造りたいと思うようになったのよ。

でもいつからだったか覚えてないんだけど、自分の抱いた理想が「そのゲーム製作者のように」ではなく「自分だけの、自分にしかできない作品を創りたい」という理想に変わったたんだ。

つまり何が言いたいかっていうと、全ての理想に対するanswerは「他人から受け継いだ借り物の理想を借り物の理想のままに終わらせるか」と「借り物の理想を自分だけの理想に変えられるか」という二つの結論に帰結するんじゃないかなといいたいんだ。



新規の人のコメントで「袖がないアーチャーの服は『涙を拭くことができない』ことを表していると思った。」っていうのを見てめちゃくちゃ納得した。



一晩たって落ち着いて考えてみると、この一番大事なシーンを時間の制限ついたアニメにしっかり合わせて分かりやすく構成してると感心するわぁ…

原作やったのがだいぶ昔でアーチャー言葉にひたすら対抗して打ち合ってたイメージあったけど、ちゃんとその苦しみを理解してその上で対峙するって段階を丁寧に丁寧に描写してたのがほんとよかった、特に同情なんてしないけど心が欠けそうになるってシーン。

あと原作やった時は二人にしか目が行かなかったけどセイバーさんめっちゃ辛そうだな



挿入歌の「傷だらけの硝子の心が」の部分でボロボロの士郎が映って、「忘れかけた熱をともす」でアーチャーに切り替わってるんだよな

偶然かもしれないけど、なんか感じるところがあった



ある意味では士郎にとっても(桜関係や横暴なところを除けば)そういった持ち味を持った慎二も愛おしい日常象徴だったんだな。だからこそHAでの殺し殺されるっていう緊迫した感じや魔術に対する毒気が抜けて、これから間桐家から出て一般人として再出発しようと語る慎二と士郎のやり取りは(セイバー&桜√で死んでることを考えると)胸にくるものがある。もしHAが映像化したらぜひ入れて欲しい。



理想に執着しているのであって助ける相手に執着していないと言っているのだと思う

衛宮士郎幸福のために邁進する者ではなく、もっとあいまいなものを守ろうとしているに過ぎないと

だから誰を救うのかも定まらない

それは特定の誰かを助けるために必死になれる人間(たとえば士郎のために真剣に怒った凛など)に比べれば動機が弱い

自分の欲望ではなく願いのために戦うから薄っぺらいんだとエミヤは言いたいんだと思う

じっさいは薄っぺらいどころか士郎は折れる気配すらないと悟るんだけど



今思えばアヴァロンって必ず誰かを救ってくれる要なんだよね…士郎の命が切嗣によって救われただけじゃなく切嗣自身も士郎と出会い救われたし、SNでは後にセイバーが士郎と忘れられないあの夜に出会って彼女自身が救われるきっかけになったしさ。皆の架け橋のような存在だよね。

数ある宝具の中でも、特にアヴァロン(全て遠き理想郷)は尊いものに感じるな。



エミヤに「その先は地獄だぞ」と言われた後の士郎の微笑みが素晴らしかった。

自分の理想の根底にかつての自身の願いがあったことに思い至っての、自身の理想が空虚な借り物でなかったことへの安堵、かつての自分と同じようにたとえ未来自分から進む先が地獄だと告げられてもその道を進むことをやめようと思わない「自分」と言う人間の性への苦笑、そしてこれからも理想を追い求めていくという決意、それらがあらわれた絶妙な表情だった。

「士郎は人間の振りをしたロボット」とよく言われていたけれど、実は士郎も自分自身のやりたいことを追い求めたれっきとした人間だったんだな。



士郎の始まりは切嗣との出会いでも「正義の味方」という借り物の理想ではなく大災害の地獄の中で願った「誰かを助けたい」という思いだった

今回の話は視聴するまで不覚にも自分ですら忘れていた事柄を士郎と一緒に再確認させられたエピソードだった

これまで士郎は「人間のフリをしたロボット」や「士郎が人間になれるのはHFだけ」っていう意見が多かったし、自分もそう思っていたところがあったけど

今回の回想を見て、改めて以前にきのこが語っていた「士郎という人間は大災害に遭わなくっても最初からああいう人間だった」や「士郎は成長しない主人公」という言葉通り、士郎は最初から士郎以外の何者でもないと改めて気付かされた

今回のUBWはアーチャーが忘れてしまった大切な事を思い出す物語であると同時に、視聴者が「衛宮士郎衛宮士郎という一人の人間である」っていう原作をした時には分かっていたことを思い出す話じゃないのかな?

そういう風に思わせてくれるufoときのこの演出は本当にすごい

ある意味ではこれまでのfateの総決算ともいえるの名エピソードでした 



Fate/stにおいては近くにアーサー王がいるとオートリジェネが入る便利装備

もう一つ便利機能があるがこれは別の話

アーサー王物語にて、策略でアーサー王決闘させられたある騎士がすんでで相手の正体に気がつき

鞘をアーサーに返却、同時に鞘の加護が消滅してしまい、治癒しきっていなかった致命傷が元で死亡してしまった

と、本来なら死亡しているであろう傷でも命を繋ぎとめてしまう能力がある

もう一つの便利機能、害意判別といいアーサー王物語におけるエクスカリバーの本体はこっちなんじゃないかとの声も



上手く言葉に出来ないけれど、ダイバーのようだった。

忘れてしまったモノを思い出す為に記憶(うみ)に潜り、あの地獄、あの原初の光景の中にある大切なモノを手繰り寄せる。

Fateは偉大な英霊同士のバトルが目玉なのはよく分かるし、派手だから目に付きやすいし当然だと思う。

でもやっぱり、こういった『人間の想い』を丁寧に織り上げる物語こそが、Fate真骨頂だとPC版をプレイした時からずっと感じてた。

次話の『answer』もだけど、これから終局まで続く怒涛の展開に期待!



ユニクロ士郎は前編通してやるともうこれしかねぇって感じになるからね、仕方ないね

個人的に士郎のユニクロについては、端的に士郎の特徴を現してる気がする。

服装って現代では(昔からそうではあるが)自分をよりよく見せたいとか人と異なる服装をして自己個性を出したい、または同じ服装をすることで一体感を味わいたいといった意味で使われると思う。でも、士郎にはそういった人より優れた自分を見せたいという“自己”には乏しい。士郎がユニクロ着てることからそういう風にも読み取れるんじゃないかなぁと自分は思ってます。



凛の「アイツはああでなくちゃいけないって、ああいうヤツがいてもいいんだって救われてる。」

20話視聴後の感想はまさにこの心境だった

衛宮士郎というキャラクター創作物の中でも一番好きなキャラかもしれん



違うアーチャーも言ってただろ

「助けたいから助ける」そこに理由がないから偽善だって言ってる

普通の人は大切な人だからとか誰かを助けるに足る理由存在する

でも士郎は見ず知らずの人すら命がけで助けてしまう

でその理由を挙げるなら死にそうな誰かを助けたいという理想しかないんだよ

間違ってない願いだけど人間として致命的に欠けている



総てを見通す魔術師は、選定の剣に手を掛ける少女に忠告した。

「それを手にする前に、きちんと考えたほうがいい。それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ」

地獄を見てきた男は、荒野を目指す少年忠告した。

「おい、そこから先は地獄だぞ」

剣を抜くカットもそうだけど、この辺りもまた対比になってるなぁ



元から、「今、願ってる主体」が士郎以外の誰かだったことはないよ原作でも。

切嗣への憧れから始まってるから「所以が」借物だってだけ。

これ、普通物語なら「始まりがなんだろうとこれは俺の心だー!」になるんだけど

そこで、「もう借物だとか自分の心だとか、理想が理想である前には超些細ですし」

までぶっとぶのがUBW。

「笑いたかっただけ」みたいな話は、普通キャラにとっては深刻なんだけど

衛宮士郎二人にとっては、自分が偽善呼ばわりされるなんて大した話じゃないから

話さくさく流れて理想の話になっちゃうんだよね。

「笑いたかっただけ」は作中である意味投げっぱなしだから

そこを凄い脳内で拡大してる人が出たりする。

それこそ、「士郎は切嗣の行動をなぞってるだけ」とか。

原作にそんな描写どこにもないんだけど。



士郎は切嗣に「憧れた」わけだけど、

それはつまり、「ああいうものに憧れを抱く、善しとする価値観」を

士郎が元々持っていないと始まらない。

それを考えると、もうちょっと複雑なんだよねその辺り。

アーチャーの「幸せそうだったから憧れただけ」を真に受けるのはナシだしな。

「実は贖罪」もそうだけど、UBWであいつが殊更露悪ぶって口にする言葉

鵜呑みにしたって始まらない。

それよりは

>「―――覚えてる。俺を覗き込む目とか、助かってくれと懇願する声を。

> その淵で思ったんだ。自分が助かった事じゃなくて、助けてくれるヤツがいる事は、なんて」

> 素晴らしい、奇蹟なんだって事を。

の辺りを読み込んだ方が未だヒントになりそうな。



UBWの荒野は、アーチャーが辿り着いたものの象徴だから

 どうやら相手は、自分の記憶を流し込まれているらしい

→じゃぁもっと決定打になるものを見せてやろう

っていう意味じゃないか? UBW展開は。

「お前の辿り着く先はこの不毛の荒野だ」を文字通り目に物見せると。

あと、演出的には、Ufoはアーチャーと士郎を背負う空(特に雲)で表すそうだから

多分answerが凄いことになる。

UBWは心象世界だから、心象のぶつかりあいをビジュアル化する装置になりうるんだよ。

まさかここにきて、「アーチャーのUBW展開はローコスト」という設定が

演出上の最強のカードになろうとは。



某動画サイトでのコメントアーチャーセイバーを間接的にdisってるwwって解釈してるから違和感ある。

あそこのシーンのセイバーアーチャー言葉に傷ついてるわけじゃなくて自分と同じような道を歩んだ士郎の成れの果てのアーチャーを痛々しく思いながらも自分と似た願いを持つアーチャーを否定しきれない葛藤も持ちながら二人の問答の答えがどうなるか見守ってるんだと思う。



ホントそれ。そもそも願いが間違いなだけでセイバーの在り方自体はFateの全編を通して否定しえないものとして書かれてる。

SNから入った人はセイバー√で初めにそれを理解するんだけどそれをZeroで盛大に全否定したもんだから

そこから入った連中はセイバー=否定される、していいキャラとして認識してるから大問題。

虚淵のネームバリューもあって被害は甚大よ。



士郎って、熱血少年ぽいパーツそろったデザインだし、

たまに絵に起こしてもらうと、ゲームのCGイベントは戦闘だし、

パッケージイラスト起用でも戦闘系だしで、

「いかにもうおおおおおとか言いそう」なとこが対外的には押されがちだったけど

基本「己と向き合い自分の心を形にする」人間だから

実は「動」だけじゃなくて「静」の面も強いんだよね。

しろ「静」が本質って気もする。

その「静」に支えられるから熱さもあるって感じ?

今回の、内面でのアーチャーとの静かな対峙で

「静」の面が凄いクローズアップされたと思った。

自分はこれが見たかったんだよね。



とりあえず、「以前の記憶がない」は「ほほをつたう」と矛盾してると思う。

士郎、思い出に浸るのを自分に禁じただけで、普通に記憶はあるぞ。

> 何もなくなった場所にいって、有りもしない玄関を開けて、

> 誰もいない廊下を歩いて、姿のない母親に笑いかけた。

> ……あの日の前に戻れて。

> 何もかも悪い夢だったのだと、そう目が覚める日を待ち続けた。

一度心が死んだってフレーズが印象的なんで、

マジで大火災が0才状態と思われてたりするけど。

士郎って割と元々ああよ。



衛宮士郎アーチャーと士郎に分かれて真剣に自分の将来を模索するお話まじ熱い

アーチャー自分が辿った選択ではろくな道筋にならないと力説する

士郎は自分が進む未来は「選べる道」ではなく「選びたい道」を進もうとする

幾度の面談を経て衛宮士郎は見つけづらい険しい道筋を見つけて答えとする

自分会議(物理)は死ぬほどストレスたまりそうだけどその分効率の良さが半端じゃないな



今回のエピソードは、アーチャーの月下の誓いに対する「呪い」という言葉

あまりにそのまま伝わり過ぎていることに対する反論的な意味もあるのかな……と思った。

余人から見れば呪いととられかねない歪なものなのは確かだし、発言したのが未来の士郎と

いう点もあって、「信憑度が高い」と取られても仕方がない部分はある。

だが、そうじゃない。そんなものは、アーチャーレトリックに過ぎない。

「月下の誓いに至るには、大火災のさなかで救いを求める自分がいて、生存者がいないと分かりながらも

助けようとした切嗣がいた。だからこそ、救われない人間をこそ救おうとするエミヤが生まれた。呪いなんて、忘れてしまったアーチャーの後付だ」というように。

ここら辺、原作やってても勘違いちゃう人間がいるし。これをより説明的にしたことを指してデチューンと言ってたのかもね。

なんだかんだ分析してるが、初見じゃもうボロボロ涙でて凄かったよ。そうだよ!そうだよ!と絶叫しちまった。



価値観っていうと語弊があるのかもしれないが

とにもかくにも「心」はないと憧れも発生し得ないってところは

押さえておいてもいいのではと。憧れって心の働きなので。

災害中の描写から、衛宮士郎連続性を断つ描写は作者したつもりないと思うんだよな-。

っていうか、原作描写をそう読まれちゃったことを踏まえて再構成したのが

今回アニメ描写って気もする。



んー、言いたいことは分る。確かにもっともだ。

だが、「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」だと

極論すると、士郎以外の誰であっても

上記二条件を満たせば、士郎の如き人間になるってことだろう。

実際問題、それは非常に考えづらくないか?

なんで士郎がああまで凄まじい人間になっちゃったのかって言ったら

やっぱり元々「何もできないのに謝って楽になるのはだめだ」と

涙を呑んで歩き続けるような真っ当すぎて真っ直ぐすぎる子供だったからで、

そういう心をベースに憧れが発生したからだろう。

「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」

を強調し過ぎると、なんっかその辺拾えてない印象になる。



VSって原作時からして情報量凄い上、

大事そうな話をよく読むとさっくり投げっぱなしにしつつ

「え、そこ?」ってとこに落ち着くのな。

よく考えたら何故その話が理想に落ち着く、みたいな。

読み甲斐があるといえばそうなんだけど、お陰で

「借物」が「心がない」と誤解されたり

「笑いたかっただけ」が一人歩きしたり、

ある意味衛宮士郎の誤解の発祥源でもあったわけだが

今回、物凄い分かり易くバッサリまとめてきて、色々衝撃だった。

始まりは憧れ、でも根底に在るのは願い って、きのこだなぁおい



思い出したよ、くっそながい文章アホみたいにぶっ通しで昼夜読み続けてここの所で「なんて尊い大馬鹿野郎どもだ」ってボロボロ泣いたの。

嗚呼、あの当時原作プレイした俺は幸福だった。



今回は素晴らしかった。

なんというか、エミヤシロウというキャラクターの魅力を再確認できたよ

人間なら誰であれ死に絶えるような地獄の中で意味もなく切り捨てられる小さな命をこそ守りたいと願った少年が、その地獄の希望をくれた人から受け継いだ理想によって、その最も救いたかったものを切り捨てて大多数を救うものになってしまったんだからやるせないよなあ

士郎が本当に凡人なら、途中で折れるんだろうけど、地獄の道行を後悔なく駆け抜けることができてしまった心身の強さに物悲しくなる



一応補足しとくけど、兄貴ディルでは置かれた状況が全く違うから

兄貴ディルを比べてディルをけなしている人はそこらへんを忘れているし、あえてどちらがより酷いかといえばディルの方が遥かにひどい状況だったんだよなぁ

そりゃ恨み節の一つも吐きたくなるだろって納得するくらいに

仮にディルが戦闘続行を持ってて、セイバーと切嗣を倒してケイネスたちを救えた後に消滅したなら恨み節は残さなかったろうし

もし兄貴ディルと同じ状況だったら、恨み節はともかくとしてやはり憤怒の形相で怒っていたんではなかろうか

それに主君に忠を尽くすってディルの願いも、強い奴と全力で戦いたいっていう兄貴の願いも自分本位な願いという意味では同じだからディル兄貴同様、立派なケルト英雄だと思うけどなぁ



士郎が人助けをしたいのに、元々法政志望してたことが昔から疑問だった。救急隊とか医者とか、もっとわかりやすく人助けできる仕事があるのに、と。

でも、きっと士郎はそんな自分の手の届く距離だけに留まるミクロ人助けではなく、社会の仕組み全体を変えるようなマクロ人助けをしたかったんだろうな。

そう思うと、世界と契約したのも、膨大な力で社会全体をよりよくできるという期待を持ってたのに、実際は何の権限もないただの末端の処刑人でしたっていうオチに涙せずにいられない。

なんて愚かで、なんて愛おしいんだろう。大人しくレスキュー隊にでもなっていれば良かったのに。でも身の程を超えて、それより上を、人類の幸福の根源を求めてしまう士郎だからこそ、愛せずにはいられない。

大河になってアーチャー馬鹿馬鹿って言いながら思い出してくれるまで思いっき抱きしめたい



俺もそんな風に思っていたけどFateを深く考察するようになってちょっと考えが変わった

士郎が最も助けたいのは苦しみ足掻いてなお幸せになろうとする人なんだよね

だからもしかしたら罪を犯しても尚幸せになろうと苦しんでいる人をこそ助けたいと思っていたのかも

分かりやすい消防隊員や警察官を目指さないのは

本人に自覚が無くても無意識にそう感じていたのかな?と思った

だからあのゲリラ少年を始めとする人々はアーチャーにとっては助けたい相手だったんじゃないかって

指導者はともかく実際に戦っている人達は思想に関係なく自分家族が食べていく為だったりするし



>>「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」

>原作ではこう

>>自分では持ち得ないから、その尊さに涙した。

>>いけないのか。自分気持ちではないから、それは偽物なのか。

それ、別に矛盾しなくない? 

士郎は元々恐ろしく真っ当な子供で、「『誰か』この地獄を覆してほしい、みんな助かってほしい」

っていう願いを持ってた。

でもそれは、救いのない、誰も彼も死んでいく現実をつきつけられて

意味をなさなくなった(これを「心が死んだ」作中では表現する)

そして、その地獄にあって未だ生存者を探す、

「『自分で』地獄をどうにかしようとする」切嗣に会って、

士郎は、「助かりたい」「助かってほしい」という情動すらボロボロになった己の心では

抱けなくなってたその思いに涙したわけだろう。



SN切嗣では強すぎて物語にならないのは分かるけどだからといってケイネス一人に原作で語られた外道戦術使うのはちょっと弱体化させすぎやな(せめてもう一組くらい・・・

会話の制約があったとはいえ、セイバーをあからさまな無能騎士道中にしたり、切嗣に明らかにおかしい戦争は英雄のせいだ論を抱かせるのもちょっとな(過去編から考えても切嗣が恨むようになるのは魔術師のはずだし、セイバーがあんなに騎士道大好きなはずもないから、明らかに話の都合のためにそうなったようにしか見えない)

これはもうちょっとやり様があったのじゃないかと思ってしまう

後やっぱりなぜ切嗣は火災の犯人になったのだろうか?

虚淵さんが言峰大好きだったから変えたんじゃないよな流石に

ナタリアとの別れによる正義への絶望故郷での事件等の過去編がよかったから余計にそこらへんの矛盾や弱体化が気になってしまうな



横からだけど、「士郎は正義の心を元来から備えていた」と思われる描写は今回、原作、前回のアニメでも見えたりしてるよ。

・泣きながら災害のなかを歩いた。その時、周囲から「助けて」 と声が聞こえてきた。止めてくれ、オレにはそんな力はない。という感じの描写

・そして今回の顔。泣いてはいるけど、泣き顔ではない。

「誰か助けて」ではなく、「助けられないのに助けを求められることに対して謝りながら、歩き続けた」

スマホからだと書きにくいな…



俺は

「たしかに、始まりは憧れだった」

「けど、根底にあったものは願なんだよ」

「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」

「(切嗣)誰かの力になりたかったのに、結局、何もかも取りこぼした男の、果たされなかった願いだ」

って解釈した

根底にある願いは切嗣に会う前から持っていた



コメントを見て思ったけど、確かに「こんな地獄を覆して欲しい」っていう表現は、今まであの手この手を尽くして地獄を覆すために努力してきた切嗣の願いとしては受動的すぎるかなって思うんだよね。だからこれはやっぱり地獄を前に何も出来なかった子供士郎の願いなんだと思う。



車の傍の死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

トンネルの中の死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

荒野の木の周りの死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

世界との契約

暗転[赤い画面に黒い文字で]――いずれ辿る、地獄(りそう)を見た。

という事?



そうじゃなくて、

地獄を見た。

地獄を見た。

地獄を見た。

――いずれ辿る、理想(地獄)を見た。

ってこと。



いや、原作ではとてもそうは見えなかったけどな。

実力的には1/10しか戦闘能力出せない状態でも圧倒的に士郎<アーチャー

そして勝負のついた最後の一刀もアーチャーなら余裕で防げた。けれど防がずに士郎の攻撃を受け入れたってちゃんと理解出来る用になってる。

セイバーも「アーチャー…何故……」って疑問を口にしてた筈だし。

だからこそDEEN版でそこが分かりづらくて不満点になってるんだし。




セイバーが辛そうなのは士郎達が殺し合ってるのに見てる事しか出来ない辛さだと、思うけどな。

彼女はずっと士郎の生き方は危ういと言ってたし、実際に破滅したアーチャーが士郎を殺そうとしてるんだからそりゃ辛い。

士郎とセイバーは似たもの同士だから士郎やアーチャー気持ちセイバーは理解できるだろうしね。



挿入歌にあるSTARDUSTって星屑もそうだけど「夢を見るようなロマンチック気持ち」という意味もあると知ってショックを受けたよ。星屑はまさに「願い」の記号だけどそれだけじゃなく、地獄と知っていても夢を掴みにいく士郎の熱い気持ちも表しているようでAimerさん、なんという言葉を選んでくれたんだ。ついでに、

Dustは赤く燃えるStardustから零れる欠片=士朗

Ashは色も熱も失った灰塵=アーチャー

Judasエミヤシロウを最後には殺してしまう裏切り者=理想

として歌詞を見ると本当にアニメ映像とリンクしていてもうこの歌が大好きになってしまったよ。本当になんてすばらしい物をつくってくれたんだこの人たちは。



士郎自身は無自覚だけど、彼の行動がひたすらトライアンドエラーを繰り返して道を探すやり方だからじゃないかな?

普通の人は Permalink | 記事への反応(2) | 14:43

2015-06-09

汲み取り式便所を選択する親たちに告ぐ

本当に子どもたちのことを思うのであれば、その他のどんな支出を抑えてでも水洗式に変えるべきであるあなたたちの主義主張なんてどうでもいい。こんなことで来なくなる友達友達じゃない。そんなことは当然わかっている、正論だ。しかしながら、子供たちの現在進行中の成長過程でそれを素直に受け入れるこどもたちがどれだけいるだろうか。

さらに言えば、その子供たち自身が家でトイレに行くことを避けてしまい、定期的な排泄の習慣が身につかなくなってしまう可能性がある。つまり、のちのち便秘気味になってしま危険性があるということだ。俺がそうなのだからそうだ。

タバコを吸っているならタバコをやめろ、酒を飲んでいるなら酒をやめろ、パチンコいってるならパチンコやめろ。子育てに腹くくれ。

追記

汲み取り、俺の住んでる地域では結構残ってるよ、別にあれであれな地域とかでもないんだけど自治体問題なのかな?そこら辺はよくわかんない。

俺の便秘がこの頃猛威をふるっているので怒りに任せて書いたわけだが、金持ってない家庭でのちのちに影響が残るのは水回り系だという持論がある。便所以外にも、風呂バランス釜で下からネズミが出てくる危険があったりすると風呂に入りたくなくなるし、お湯が常時でないようだと歯磨きしたくなくなったり。

繰り返しになるが、子育てしている親たちは水回りぐらいちゃんとしろ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん