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はてなキーワード: 怠惰とは

2023-01-24

清潔なデブは抱けない

これは好みの問題ではなく、清潔なデブほとんどいないということに繋がる

清潔なデブはもはや体質でデブなっちゃっただけの綺麗好きくらいしかいない

ほとんどのデブ怠惰なので清潔感がない

なので清潔なデブを抱ける可能性は少ない

他にも日本語が堪能な白人美女であったり中卒の天才など基本的に滅多にいない

だいたいはなるべくしてなるようなモノだったり相関性が発生する

私はこの人類の意外性の無さを悲観している

そりゃ負け組ランドセルやアフガキなどの蔑称流行るわけである

ほとんど外れ値や例外的存在が居ないのが問題である

片親パンはそこそこ外れ値が居るのですぐ廃れると思うが

2023-01-23

はてなブックマークという知的怠惰の集積地 in 2023

東京電力の平均年収は816万、高年収社員給料を守るために我々庶民犠牲になっている。ボーナスカット等の手を尽くしてから値上げしろ

https://b.hatena.ne.jp/entry/4731326707804243620/comment/madogiwahirasyain

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https://note.com/kyslog/n/n1e44cc3e74d6

anond:20230123114052

結局のとこ「安心して接することができる」=なめられてることにほかならないからな。

社会でやっていくには年取らない化け物みたいに怖がらせとかないと若いもんが言うこと聞かねえのよ。

子育て中の母親金髪にして不審者避けするのと同じく、終わったババアになれない事情があってみんな小綺麗にしてんのよ。

増田がそういう連中を気持ち悪いって感じるのは、30代後半になって自分勝負を降りて楽になりたいのに、現役やってるババアがいると自分怠惰を突きつけられるようでいたたまれないんでしょ。

自分勝負に出なくても旦那とか後ろ盾になってくれる実家があるなら平気でもさっとしてればいいと思うけど、一生自分で食ってくつもりだったらそれなりの武装必要なんよ。

2023-01-22

アラサーになってから安楽死する妄想ばっかしてる

休みの日も金使わないで寝てるし、朝起きたら涙止まらなかったり酷く悲しくて息が詰まる気分になる

俺みたいな頭が悪くて怠惰無能仕事続けても明るい未来とか希望がない苦役しかならないか仕事は辞めたいけど、仕事辞めても未来希望もないからとりあえず飯食って呼吸して仕事行ってる感じ

最近ひどく体がだるくて頭にかすみがかかってるきがする

文字打ってんのもだるいねる

2023-01-17

「早くも婚活絶望しそうなんだけど・・・」→本当に早すぎるし冷やかしで婚活すんな

https://anond.hatelabo.jp/20230116223207

 

婚活地獄を経て結婚した女だよ。おつかれさまこんかつこわいねおとこはたいへんだねえ以下×100

 

 

 

 

……と言いたいところだけど、せめてリング上の参加者ネタにするならリングに上がってから言えや。

マナーは良くないけど目的が明確で真面目に結婚しようと場に参加してるぶん、増田が鑑賞者感覚面白おかしこき下ろす妖怪呼ばわりの女性のほうが遥かにマシだよ。

絶望」だぁ?、初めから全女性に何一つ望むものも一緒に何かを共有したいとも結婚したいとすら思ってないか絶望しようがないだろ。

全ての婚活女性を(自分を棚上げして)小馬鹿にして人間扱いしてない、ボクちんに降りかかる災害枠としてしか認識していない。

当たり外れの問題ですらない。その「妖怪」さんのことを不快にすら思っていない(美味しいネタゲットwwwww)としか思ってないのがまずい。

ていうか今どき本田透フォロワー文体からから随所から影響が見て取れるけど。

 

 

元増田オタク寄りの婚活男超あるある

「はじめから結婚する気なんか無いけどネットで褒められるおいちいネタが欲しくて、周りに流されたという体で冷やかしで婚活現場に【潜入】しちゃう迷惑馬鹿」すぎて思わずトラウマが蘇っちゃったよ!!!

平均年収から前後するくらいの給料で真面目に働いてる女性から見れば婚活活動費も負担だし年齢制限も重くのしかかるからそれぞれ必死婚活するけど、

そこそこ高年収中年独身貴族こじらせてるオタク婚活男にはそれなりの割合で、勝手ネタ婚活女とのエンカウントイベントが用意される暇つぶし話題作り安価なサブスクの一つといった感覚で利用して断る前提の興味本位マッチングする奴がいる。

というか現にそのように明言した馬鹿もいる。「自分婚活女性を観察するのが趣味なんでw」とな。

モテない男特有の振られた際の予防線なのか本心なのかその両方なんだろうけど、マジで邪悪迷惑からやめてくれ。

 

当たり前だけど間違って「大当たりの善良な女性」が来たとしても、真面目に結婚したい人が相手を「婚活男オレの災難トークネタ」としか考えてない迷惑厄介を選ぶはずがないからな。

そもそも女嫌い寄りの興味なし歴42年すぎて、何をもって良さそうな女か、何をもってダメな女かの設定すらしてないだろ。

「どんな女性とどんな結婚生活をするか」の目標を具体的に考えないかエントリー以前に論外なのに、「エントリーしたら地獄だったよぉ。。」もクソもない。

かといって「結婚しないを選択した人生」も信念をもってまともに想像してシュミレートしてるわけでもない。ようは親も含めた他者とまともに関わることができないままの自己愛しかない怠惰なガキ。

 

本当にオタク趣味で気が合いそうだからと申し込み・申し込まれ婚活男性と会って見れば、

元増田のような視線を合わせず何も言わないでも口元は終始ニヤニヤで無礼

こちらに興味関心もなさそうで一向に話しかけてこないので強烈な地雷臭を感じて頭を抱えながらも「なぜ自分に申し込んでくれたんですか」or「なぜお見合いの申し入れを受けてくれたんですか」と聞けば(この質問をせざるを得ない状況の時点で90%以上アウト)

急に顔がキラッと得意げに輝いて本日一番の笑顔と声量で鼻息荒く

 

 

「親にッ!!結婚相談所員にッ!!!言われたからッ!!!僕の意思ではないけどッ!!受けましたッ!!!(ブスに面と向かってブスと言ってやったぞ的な男としての歪んだ達成感に酔いしれる恍惚とした笑顔)」

練習でッ!!」「おいしいネタになると思ってッ!!」

 

 

と本当に答える馬鹿男続出で婚活トラウマで嫌になっちゃったのはこっちだと言いたいわ。

こっちだって最初からお前に惚れてノコノコ出向いたんじゃねえっつうの。プロフィールだけで全て決めつけるのはよくないからお互いの人間性のすり合わせのために来たってのに隙あらば先手を取って全力の「ボク流されて嫌々きてるんですよおおおおおドヤッ俺は言ってやったぞ!俺のプライドは折れてないッ」アピール

どんだけミソジニー有害な男らしさプライドこじらせてんだよ。

なんで結婚相談所も年収だけで結婚意思の欠片もない嫌がらせ同然の厄介を入会させちゃうんだよ。

限られた時間年齢制限のなかで来てるってのに、本当に迷惑時間無駄からお互いのためにやめてほしい。

2023-01-15

疲れて何もできずに寝てたら休み終わってて、怠惰に過ごした過去への後悔やら何も持ってないことへの焦りやら不安やらも相まってハイパー殺してくれモード入った

これまで怠惰に過ごしてきて無駄にしてきた過去への後悔と後ろめたさと諦めと焦りが俺を責める、心、身体、焼き尽くす

また無意味徹夜してしまった

どこに行っても同じ自分が嫌だ 

何にもならない

短絡的でもののわからない、馬鹿で心も殺伐として十分に周りに尽くせもせず、ただまわりから与えられる親切や心遣いを貪るだけの自分が悲しいし申し訳ない

馬鹿から恥知らずに生きていられる、

馬鹿からどうすれば良くなるためにどう努力を続けたらいいのか怠惰さのため直視して続ける力がない

2023-01-13

anond:20230113053110

無能くんは優先度がLIFOしか知らんて

優先度つけれれへんから無能くんなんや

せやから、優先度をつけようって抽象的な指示やと有能な君が五月雨質問地獄から抜け出すのは難しいで

優先度をつける作業無能ちゃんに丸投げするんやなくて、その組織でのタスクの優先度の付け方を無能くんにプログラミングするのは一つの方法やな

有能様は自然にできてるから気付きにくいけど、無能ちゃんは大抵組織目的やゴールに興味関心ないで。

せやから優先順位判定を無能ちゃんに丸投げしたら不要簡単仕事ミスしないやつとかを優先するで。

無能くんにも有能様とさして変わらん人件費はらってんのに、無能くんはほっとくと平気で何の価値もないことやるんやで

でも、ありがたいことに無能くんは怠惰から、一回仕込んだら永遠に同じ判断基準うごきよるで

あと無能なワイくんも在宅勤務で会議ピッシリで1日30件くらい質問くるけど、速攻返事せなあかん奴以外は「ごめん待っといて〜」って、後日まとめて回答してるで。五月雨で来ても、スルーしたらええとおもうで。

その回答がなかったらクリティカル事象になるかは、有能な君やったらすぐ判定できるやろうしなあ

やべーやつだけ反応したらええんちゃう

よく言われることやけど丁寧に無視したらええんちゃう

有能な君の貴重な時間無駄にせんといてな

2023-01-12

私の気を狂わせるのは朝目が覚めたら身体毒虫になったりすることではなく、ただ怠惰と退屈と気晴らしにかまけて代わり映えせず若さけが失われる平凡な朝なんです

2023-01-11

フェミニストってマジで「マチ子先生が~」って言うんだよ

マチ子先生フェミ実在した!

証拠がない時に言ったらネタだとか嘘だとか言われて悔しい思いをしたのでこの機会を逃せない。

ネタでも自演でもないちゃんとしたフェミの人のツイート

はてブで☆を集めて人気一位をとってるちゃんとしたブコメだ。

  

   

これについて、「漫画表現のせいで現実スカートめくりが発生した」のはほぼ事実です。これは発端になった漫画を描いた永井豪先生自分で認めてらっしゃいます。その後「まいっちんぐマチコ先生」でさらに大流行となり、女児被害者が多発、PTAが猛抗議し、連載差し止めになる等大騒ぎになりました。

https://twitter.com/sodium/status/1612993220979621888

自分実体験。マチ子先生流行子供だった。パンツまで降ろされそうになった。のちにしつこくめくってきた子に「好きだった」と言われた。彼はもう忘れてるだろう。やられた方は一生忘れられない

2023/01/11

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sodium/status/1612993220979621888

 

  

ほーらな?

マジで言うんだからな?

マンガ叩くフェミニストってほんとにマチ子先生の話するんだよ。  

 

 

アラ還さんたちさあ•••

あのさあ、

マチ子先生流行って40年前だからな?

もう立派なおっさんの俺でもまだ生まれてもいねえっつうんだよ。

  

40年前の少女時代にマチ子先生のせいでスカートめくられたと。

それはご愁傷さまでした!辛かったね!

でもその話を現代マンガ叩きの根拠にするのは狂気の域だからな?

 

言ったらなんだけどマチ子先生流行時代スカートめくられてた人ってそろそろ還暦だろ。

そんな人の十代の頃の体験って、歴史的出来事として語るんならいいけど

その話で現代の話に普通に接続してこようとするのはやめてくれよ。

 

実害例で40年前の例ばっか出てくるってことはさ

マジでマチ子先生ってマンガアニメも見たことないんだよな。

それぐらい古い作品で元々どの雑誌掲載されてたのかすら謎。

絵とタイトルだけ知ってる。

なのになんでこんだけマチ子先生意識してるかと言うと

マンガの害」を語るフェミニストがマチ子先生例に挙げるのを何度も何度も何度も何度も見たからなんだよ。

マジでマンガ叩きフェミニストはマチ子先生マチ子先生って言う。

 

けど、現代マンガ有害だって叩こうとする話で例示がマチ子先生まで遡るんなら

そのあとの40年は大した「有害マンガ」がないってことじゃん。

そんならいまのマンガを敵視して萎縮させようとする必要なくね?

マンガがどうこうじゃなくてマチ子先生特別有害だった可能性濃いんじゃね??? 

 

 

自分老害性にも厳しい目を向けてくれよはてブ

で、はてブもだけど、

こんなコメントが一位になるってことは星つけてるのも大概中高年~高齢者ってことじゃん?

年長者に対して汚い言葉とか使いたくないから、自分分別を持ってくれよ。

あんたらの体験体感現代語るの無理だよ。

 

年取ってても、

ちゃんと新しいマンガ読んでキャッチアップできてて

エビデンスベースマンガ社会関係とか真剣に考えてます

っ人ならまあ現代マンガについて語ってもいいよ。

 

けどマンガの思い出で真っ先にマチ子先生出てくる人達マジで身も心も高齢者でしょ。

40年前に有害マンガがあったから今のマンガデータなしで叩いて規制していいのかよ。

なんかもうあんたら、脳の新陳代謝止まってるし現代にもマンガにもあんま興味ないでしょ。ほんとは。 

  

はてな老害叩きが辛辣な割に自分達の加齢ボケには無自覚すぎるんじゃないの?

こんな人達にあてずっぽうで現代メディアとか表現とか語られたくないし

こんな人達体感お気持ち表現規制なんかミリでもされたくないんだよ。

 

 

年寄りの話は話にならない

これは煽りでもなんでもなく言うけど

精神的に一定以上老いて現世に向けたアンテナが折れたんなら

それを受け入れて積極的世俗への興味を薄めて

寺社巡りとか盆栽とか内向きの精神世界に目を向けたらいいと思うんだよ。 

それだって豊かな人生だよ。

ネットとんちんかん社会もの申す老人やってる奴よりずっと格好いいだろ。

 

もう社会の話に入ってくるなよ。

40年前の体験の話でいまの話に入ってこられるのいくらなんでもウザいよ。

あんたらだって若かった頃そういう年寄りうんざりしたはずだろ。

 

 

実際なんかしらんけどマンガアニメ目の敵にしてるの老人ばっかだし

オタクだというだけで凄まじく見苦しい偏見吐いて差別するのも年寄りばっかだし

言ってる話がマジでタイムスリップしてるみたいな時差があって話になんないんだよ。

 

もう黙っててくれよ頼むから

下の世代迷惑かけんな。

庭に穴掘って死ぬまでマチ子先生の話してろ。

 

 

ブコメ1

んーだから悪影響を与える可能性はないわけではないけど規制は反対なら話が進むのだが、絶対悪影響与えないって言い張るからデータを出されてるだけでしょう。で今度は「現代漫画に悪影響は絶対ない」ですか。

2023/01/12

いやいやいやいやw

あのさ、表現規制という重めの人権制限を実現したい側が

現代マンガはこのように著しく有害なのです!」ってデータ証明する必要あんの。

 

マンガ読んだらなんらかの心理的影響あるはずだ!」?

当たり前。映画だってドラマだってこの文章だってなんかの影響はあります

そんな当たり前のこと言って表現規制根拠になると思ってるならそいつがやべーだろ。

  

影響があいまいなら規制は出来ません。

「ほんの少しなら影響あるはずだ!」で規制できるなら

この世に規制できないものはないだろ。

 

頼むよ。

お爺ちゃんかお婆ちゃんしらねえけど日本語道理くらい理解して。

 

ブクマ2 会話が成立しない

影響ないわけなくて、漫画スカートめくり描写自分スカートめくりたからな 増田

Q「お爺ちゃんお婆ちゃんの十代の体験談って

  現代漫画規制する議論においてなんか意味あるんですか?

A「ワシも十代のころスカートめくりした!」

    

もうこのお爺ちゃん会話が成立しねえだろ。

頭要介護状態社会議論に参加するのやめてくれよマジで

そして、この人だけじゃなくこういう状態の人が大勢いませんか?って話な。

 

ブコメ3 お爺ちゃんお婆ちゃん自身の精査は済んでんのか問題

houyhnhm うーん、実際どういう感じで影響があったのかがマトモに考えられてないのがなあ。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A そこで発明された訳でもないんだよ。

2023/01/12 リンク

それな。

そもそも40年前のマチ子先生伝説自体まともに精査されてないんじゃね?

たとえば「単にこいつらの世代性犯罪に対して甘かっただけ」なのでは?

という可能性についてきちんと調査されて却下されてもないわけじゃん。

  

あともう一つ「単にこいつらの世代フィクション現実の切り分けガバだっただけ」なのでは?説もきちんと検討してほしいよね。

東京リベンジャーズがあれだけヒットした後で暴力事件が激増したって話もないわけじゃん。

鬼滅の刃社会現象になったあと刃物刃物のもの使った傷害事件が激増したこともない。

何よりお爺ちゃんお婆ちゃん体験のような性犯罪の大流行が起きたことなんか一度もない。

 

「実は単に40年前が青春時代だった世代特別カスだった」可能ちゃん検討した?

その世代特別性犯罪に甘くて、特別フィクション現実区別ガバくて、

自分達がヤバかっただけなのに下の世代説教して規制しようとしてる」って可能性は?

 

上で得意気に「ワシもスカートめくったぞ!」つってるお爺ちゃんもだけど、

それを自分恥部としてんじゃなくて下の世代を殴る鈍器にしてる感じあるじゃん

 

なんでお爺ちゃんお婆ちゃん聖痕スカートめくり」で下の世代が殴られたり抑圧されたりしなきゃならんのよ。

自分達を総括してろよ。

現役世代迷惑かけんな。

 

 

ブコメ4 受信ベース議論の驚異

40代後半のおばちゃんは、実害があった記憶があるけど、その下の世代になるに従って漸減していってる(良くなってる)と思うし、一方で絶滅してる訳でもないのよねと思うのよ、現にこういうクソ増田絶滅してないか

えっ論理が全くわかんねーんだけど

俺の文章によって性犯罪絶滅してないと確信するってどゆこと?

フェミニストを批判するなんてこいつは性犯罪者に違いない!」……ってコト?

  

なんかもうコメント不能だけど

こういうレベルの”感覚”で何かを確信する行為って俗語では「受信」とか表現されるよね。

この感じの人が社会について何か発言することの意義がわかんねーんだよな。 

 

あと性犯罪絶滅する日なんてこねーと思うので(あらゆる種の犯罪がそうだろ)

もしも「性犯罪絶滅するまで表現規制必要がある」という規制論者が居るとすれば

それも会話になんないよね。

マンガ八つ当たりしたいだけじゃん? 

  

ブコメ5 ガチで古老だった

こういう態度こそが歴史から学ばないってやつか。たかだか40年前を古いと言うのなら、戦時中戦前に起きた自国の過ちを省みる事なんて到底無理なんじゃなかろうか。

2023/01/12

マジで古老の箴言なのかよw

 

な?こんなの相手する必要ある?

エビデンスベースで影響を語るつもりなんか元からねーの。

「40年前に一件そういう事例があれば現代表現根拠省略して規制していいんです!」

こういうのは「歴史大事にしてる長老」っていう表現も違うよね。

科学的な思考が出来ないのでフィードバックが適切でなく迷信撒き散らすだけの残念な年寄り 側なんじゃねえの?

 

要するに自分達の世代独自のぐにゃぐにゃなナラティブで下の世代に話になんねーこと言ってるだけ。

きちんとした議論なんかする気もないんだよこいつらは。 

死ぬほど不真面目で怠惰なの。

  

すごいシームレス反戦左翼イシューなだれ込むところもポイント高いよな。

こういうのゲンブツが無いと「そんなのいない、藁人形論法!」って言われるし

idがないとこで検出しても最悪「自演」って言われるからな。

 

そしてこの古老がそこそこ星とって上位に来るのが

この皴皴コミュニティはてなブックマークなんだよな。

お前等二度と老害叩きで盛り上がったりすんな。

 

ブコメ6 宅八郎ガー

証拠はないが宅八郎ヤンキー漫画は実社会に悪影響及ぼした、証拠はないが性差別表現には一切悪影響はない、がオタク村の常識なんだけど論理思考が苦手な一般人にはこれちょっと難しんだよなろんりてきに。

ヤベエまた訳わかんねえ皴皴反論

宅八郎って誰?ってWikipediaで調べるとオタク戯画化的な格好でテレビに出て活躍したライターで全盛期は33年前。

数年前に亡くなってて生きてたら60歳。

 

からさあ

現代の話だっつってるのにナチュラルアラ還タイムスケールレスしてくんのやめてくれよ!

30年以上前の人の話で当て擦りされてもわっかんねーんだよ!

 

さんざん「あんたらの時間感覚は狂ってる」って話をしたのに、生きてたら還暦の人の33年前の全盛期のネタ反論風の何かをしてくるの凄すぎるだろ。

 

ねえ、これ見てる人達客観的に少しは気付かないか自覚のない高齢化時間感覚の解離がヤバすぎるだろこの村。

 

ブコメ7 この村ヤバすぎ 匙投げたわ

当時の証言者です「スカートめくり」も流行ってたし「ボインタッチ」はそれ以上に流行ってた。アニメ放送してた時期に被害集中。クラス中の男子がやってた。やめろ言うてもやめないんだよ猿だから。あまりにも胸糞 被害がなかったことに されてるのはスカート と違い成長期で胸の 大きくなり始めた子 だけに被害が集中する 構造から普通に犯罪なんよ

??????

 

俺の話聞いてた?

「40年前当時スカートめくり流行などなかった!捏造だ!」的なこと1ミリも言ってないと思うんだが

なんで当時を知るハルモニの証言が人気1位になるの?

これがどう俺へのレスポンスなり反論なりになってんの?

 

これが1位に押し上げられるの

話が通じなさ過ぎて真剣ビビるというか

はてブ民て老害どころかマジもんの〇〇〇入ってんじゃねえか?   

 

A「あなた達の40年前の体験はいいけどそんなんで現代規制かけようとするのはやめて」

B「当時を知る証言者です!スカートめくりはありました!犯罪なんです!」

B'「うおおおお!ハルモニが生き証人だ!歴史修正はさせない!!☆☆☆!!!

 

あんま長くこいつらの相手してると頭狂いそうで怖いわ

 

年齢層高いとはいえここまでコミュニケーション不能とは思わなかったわ

正直まだまだ見くびってた

やっぱ怖いスね超高齢化社会は 

anond:20230111035604

物心ついてから30年以上この国の人間見てるけど

落ちぶれる人はあまりに何もしてこなかったよね

ぶっちゃけ20年以上猶予とチャンスがあったはずだし、警告だっていくらでも聞けたし

アドバイスもたくさんあったのに。落ちぶれた人はマジで必要なこと全くしてない

 

しろ日本から出ていけ、とか言ってさ。アドバイスしてくれる人を袋叩きしてた。

どうやったら生き延びられるかって話にブチギレて現実逃避して耳塞いでた。

明らかに自業自得なのに。自己正当化の上逆恨みまで始めるとか

どうしちゃったの?マジモンの怠惰クズじゃん?

って思ってるけど

 

表向きは同情するフリしてるかな。何してくるかわからないモンスターから

本当にダメな感じ。

2023-01-10

結婚とはぬるま湯

結婚とはぬるま湯


一流ホテル毎日まり続けられるならそのほうが良いが、富豪でもないので収入が許す限りの場所ほとんどが住んでいる。

送迎車が毎日来て出勤できればいいが、そういう立場ではないので電車通勤している。


それと同じである


毎日ミシュランガイド掲載されているレストランで飯が食えればいいが、そんな予算もないので家庭料理を食べている。

ミシュランガイド料理のが美味しいに決まっているのに、「美味しい」と言わなければ家庭は円滑に進まないので「美味しい」という。


昨日と同じ話し相手より、いま自分が興味を持つ話し相手と代わる代わる話せるほうが脳への刺激も大きく広い意味健康的だろう。

しかし同じ話し相手と話し続けなければ関係性は維持されない為、必要のないことも必要のあることとしてコミュニケーションをとる。


本来欲求に蓋をして、維持するための行動を続けることが結婚だ。

じわじわとその怠惰が体を蝕み、いつしか自分自身を失う。

ぬるま湯が心地よいと感じていたその場所から出ることを忘れやがて死ぬ


それではなぜ結婚をするのか。

それはその状態を恒常的に続けることのメリットを、特定スペックに感じられたときだ。


非の打ち所がない料理をつくれる料理人と結婚すれば、嘘のない美味しいが言える。

自分と同じレベル物事を考えられる人間結婚すれば、嘘のない会話ができる。

自分好みの容姿人間結婚すれば、好みが変わらない限り、常に満足した画が見れる。


そしてそれと引き換えに、それ以外を失う。


結婚という制度がなければ成り立たない社会を作ってしまったがために、結婚という制度は残り続けるが、結婚で得られるものは「結婚という制度によって生まれもの」だけである


それに気がついたとき、我々は自分自身の足で立ち上がることができるだけの体力を残していられるのだろうか。

2023-01-08

anond:20230108135635

はてなー「男女反転したら評価変わるに決まってるだろ」

はてなー「男らしさ・女らしさとかもう古いよね」

探してないけど同じアカウントでそれぞれ言ってる人いると思います

なんなんでしょうね。

現実において男女の役割区別するのは間違っているけど、創作の中では男女ごとに得意な役割があるのは当たり前」辺りでゴールポストの前に時空の歪み生み出してんでしょうかね。

僕としては「ぼっちは実は顔が良い上に胸も大きい」は作品重要な要素だと思ってまして、それを「チンコも大きい」にして果たして作品が同じように成立するのかというのは非常に疑問に感じるわけですから性別だけを反転させた場合に持ち味も変わるだろうなと思ってます

同時にどうあっても男女には違いが存在し、少なくとも性的な魅力を持つとされる部位として女性の胸に相当するもの男性には存在しない、筋肉の逞しさというのは運動能力等も意味するので性的魅力だけの役割で終わり得ないか等価にはならないわけで、つまる所男女の違いを完全に0に出来るわけがないという考えです。

女性ピンクが好きとか甘いものが好きだとか、そういった物についてもまだまだ分からないことが多く、たとえばそれは単に生理の影響だったり男性には色盲が多いことから色に対して執着を持たない人間の数が変わるとかでは終わらないホルモンの違いによる明確で絶対的とさえ言える性差かも知れない訳でして、そこにらしさというかある種のステレオタイプ存在するのかなと。

他人に対して思考する度合いを減らしたいがために相手簡単な分類わけで終わらせようという他者理解に対して怠惰姿勢を取ること事態が間違っているという意味で言われるらしさの否定というもの、では情報が少ない状態相手にどういったアプローチをしていけばいいのかのとっかかりを簡単に減らしていって大丈夫なのかという不安はありますね。

ひとまず男女に差はあって当然というのが僕の考えです。

anond:20230108054717

いくら口で愛してると言われても、金を稼ごうとしない男に冷めたワイがきたよ

そこそこな収入でいいから家でゲームして美味しいご飯を作って細々と幸せに2人で暮らしいねなどとほざいて就活舐めてたので、社会生活を舐めてるだろ、病気怪我水道の配管が変に壊れたりしたらすぐに100万消えるんだぞって別れた

それは慎ましい幸福とは言わない怠惰しか言わない

細々とした幸せとはつまり先行きの細い崖っぷちの苦労の連続ことなんだよな

経済的価値観が合わない人間とはうまく行かないね

増田はうまくいくといいね

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2023-01-05

やりたくないことができない。

ストレスから全力で逃げる癖がある。怠惰なだけともいえる。

やりたいことができない。

受験期にやりたいことをやってはいけない、勉強をしなければいけないと念じ続けたらそうなった。ちなみに結局勉強もしなかった。やりたくなかったから。

なにより、改善する気がない。

なんか、生まれときからガソリンが入ってない。行動力がない。

2023-01-04

colaboってなんであんなに叩かれてるの?

匿名から書けることだけどさぁ、俺としては正直colaboがエグいことやってようが正直どうでもよくって、あれで実際に助かってる女の子いるんだから良くね?って思ってる。

もう少し具体的に言うと、colaboが真っ黒でも俺としてはよくて、公金チューチューとか書かれてるけど甘い汁吸っていただいて結構です、その代価で救済活動やってくれるんならそれはそれでいいかなって。

(公金チューチューした上でそれで私腹を肥やしたって話が出てきてないのがちょっと気がかり。それこそベタに、ベンツ乗ってる、とか。活動費捻出する上でやり過ぎただけなのかなって印象)

colaboの中の人がどう考えてるか知らないけど、多少ライン越えても、それこそ他団体への不必要攻撃性だとかそこも加味した上で、やることやってんならそれでいいかなと。

仁藤さんの攻撃性もあの界隈にいたら必然、身につくものでしょう。我々普通社会人と同じ世界にいるわけではなさそうなので。まーそこはちょっと緩和せぇよとは思うけど。

なんでまー、多少の不正やら怠惰経理やらには目をつぶってフリーハンドで走らせた方が社会にとってはトータルでプラスであるような気がするんだよね。

不正を正すだなんだって話のコスパで言えばもっと巨悪があるわけだし、暇空もリソースそっちに回してくんねぇかな。

そうはしないのは巨悪に立ち向かうには勇気覚悟がいるので、colaboみたいな権力者でもなんでもない人たち(かつネットで敵の多いフェミ)を相手にした方が人気を勝ち取れるってのはその通り。

ただあの一連の追求をさも社会のためにやってるみたいな態度取られると空々しくてとてもじゃないけど支持なんかできない。

最初期の「お前ら女が嫌いだからやってる」ってベクトルを隠さない方が「そういうポジションは確かに存在するよね、正直で偉い」ってことでまだ好感持てたんだけどなー。

2022年に読んだ本

1月

琉球から歴史の原文へ。太平記史記を並行して読み始める。

現代語訳とはいえ長くてしんどい

2月

メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ世界史教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い

3月

ウェブ小説を読む。

4月

東アジア史が中心。

5月

詩集芥川賞に手を出す。

シン・ウルトラマンを見たせいか特撮関係の本が後半に増える。

6月

後半には自分学生時代ベストセラーだった本を手に取った。

価値観現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。

7月

暴力団言語学、法学テーマの月だった。

8月

旧約聖書を読み始める。

9月

ちょくちょくSFを挟んで旧約聖書を読み進める。

10

旧約聖書読了学生時代新約聖書通読たから一応全部読んだことになる。

カズオ・イシグロ邦訳が出ているのはたぶん読み終えた。

11月

生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白いネタが尽きない。

12月

土偶埴輪についても読む。

漫画

ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。

十三機兵防衛圏については友人に薦められたかクリア後のノリで買った。

美術展など

今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。

映画

「シン・ウルトラマン」★★

プラットフォーム」★

エクストリームジョブ

12モンキーズ」★★★

雑感

(長くなったのでブコメ

2021年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

キチガイ病院へ通うまで、通い始めて

ネットばっか見てる人なら少なからず「自分って発ッ達なンじゃねェーの?」と一度は思った事があるのではないかと思う。

自分大分からそうだった。あまりにお粗末な集中力とダラけようはなんらかの障害なのか、あるいはシンプルに怠け者なのか。障害ならなんらかの対応必要だし、怠惰なら特別な薬などないか根性でどうにかするしかないと、今思えばゼロ百的な悩みを抱えていた。

そこの所のはっきりとした線引きをメンクリで与えて欲しかったのだが、初診で受け付けてもらえるのか分からんし、どこもgoogleレビューは最悪だし、何かと理由をつけて病院には行かずにいた。発達障害存在と、それがどうやら身近なものであるという事を知らなければ余計な迷いは生まれなかったものを……

大学で色々あって(平たく言えば留年した)相談室に行く運びとなり、その流れでキチガイ判定試験を受けた。診断狙いで敢えて「かまして」やろうかとも思ったが、模試カンニングするようなものだし本質的解決にはならないので真面目に受けた。

結果は詳しく思い出せないが、ナントカ傾向だのナントカ状態だの歯切れの悪い答えだった。いわゆるIQも出て、トータルで言えばまともらしいが、一点だけボコッと低い能力があった。そういった場合に得てして発ッ達認定がもらえるらしい。(詳しく知りたい人はWAIS-Ⅲで調べればいくらでもネット情報が転がってます自分が欲しかったのはネットでよく聞くアスペだのADHDだのとハッキリとした病名か、あるいは異常ナシ。まともですというバシッとした答えだったのだが、まともなのかまともじゃないのかという二元論的な悩みが余計複雑化しただけだった。

取り敢えず検査の結果と相談室の紹介状を握りしめて大学で聞いたメンクリの予約を取った。googleレビューは例に漏れず低かった。

初診では大学相談室で聞かれたのと同じような事を一から説明し直し、その後数回に渡りまた別の検査を受けた。質問内容がド直球に「忘れものをよくするか」のような項目ばかりの検査もあったが、ここも一応正直に答えた。複数受けた検査の結果は何れも回答内容から考えて極めて意外性のないものだった。発達気味。根暗。抑圧的。内向的な分嫌ほど自覚している。採血もあったが至って健康ですの一言だった。何が悪ければどう精神に影響するのかすら分からない。聞けば教えてくれたんだろうけど。

あとウォッチメンで有名なロールシャッハテストも受けた。ハナからオカルトじみてるなと思い期待はしないものの、モノとして知っていたので興味はあった。が、何にも見えないシミを「強いて言えば何に見えるか?」と執拗に聞かれ、やっと終わったと思えば今度はなぜそう見えたか聞かれ、いや直感的に……と言っても「具体的にどの辺りがどう見えた?」と詰められるのは苦行だった。

これら検査山盛りセットは良い金ヅルに過ぎなかったのではないかと未だに思っているが、ともあれ結果を踏まえ、念願の薬を出すかという話に辿り着いた。無論同意最初相談室へ行ってから半年ほどかかった気がする。

薬を飲み始まる前には既に半期の成績が出て、今までに比べたら遥かに前進していた。以前の終わった生活を引きずりつつも、基本的に授業を真面目に受ける。ルーズリーフはどうせ失くすのでPCノートを取る。レジュメ曜日、授業ごとにファイルを作りPC管理。といった当たり前を真面目にやるのは案外継続できた。それでも単位ポロポロ落としてはいたが、その後薬を飲み始めてからは2学期連続フル単だった。

まともに大学へ通う事に慣れ、授業を受けるリズムが出来ていたからなのか、あるいは薬が効いていたからなのかははっきり言って分からない。授業を受けるというある種受動的な場面以外に、能動的な作業をしようと思うと相も変わらず中々集中は続かず気力も低い気がする。目下重要就活についてもだ。

待ちわびた薬を飲みながらしばらく過ごしてみて、少なくとも自分にとっての一つの答えが得られた。性格障害などはっきりと線引きできるものではない。その境界にこだわるよりも、何を為すか、自分には何ができるかを模索するのが重要なのだ。具体的なものは何も指し示してくれないが、しかしきわめて当たり前かつ重要な答えだと思う。(大変失礼ながら、明言はしないがハッキリ障害と言える程度のものもあるとは思うが……)

もちろん、診断を受けて薬を飲んだら生活が劇的に改善されたという人もいるのだと思う。コンサータを飲んだらバキバキになって人生変わりました、みたいな話はネットいくらでも転がっているだろう。真偽は知らんが。しかしそれにしても、この性格障害曖昧であるという意識重要なのではないかと思う。これに気付けなければ、発達障害かは微妙だけど実は鬱かもしれない、自律神経失調症かもしれない、HSPかもしれない。それさえ病院で治せば……といくらでも別の可能性にすがってしまうのかもしれない。

まあマジで無理だと思ったら変に迷わずさっさと病院予約した方が良いと思いますね。別にもし何かしら診断が下ったとして、その瞬間に「健常者」から障害者」へ身体が変化する訳じゃないんだから

トイレの黒ずみは難しい事をせずとも、パイプユニッシュを垂らしとけば簡単に落ちる事に気が付いた。

はい天才トイレ掃除に時間かけるやつ、バカですwと思ったが、自己批判姿勢は大切なのでよく考えたところ、こんな事ばかりしていたら下水処理に負担がかかるのではないかと気が付いた。

からと言って直ちに環境保全に目覚める事はなかった。願望を差し引いても、少なくとも自分が生きている間くらいは下水処理が立ち行かなくなる事も無い気がする。石油枯渇するする詐欺がそうであるように、それが永遠ではないにせよ、技術進歩による延命資源限界アキレスと亀のような状態にでもなっているのだろう。怠惰には抗いがたいし、自分一人の行動が与える微量な貢献量と比べたら大抵の人間は前者に天秤が傾くだろう。環境保全がまさしく囚人のジレンマ問題である事を実感した。

2023-01-01

anond:20230101221734

精神障害者「逆に何で発達障害でも知能障害でも無いのにググれば秒で拾える情報が拾えないの?

努力不足で怠惰なのか?おそらく違うだろ

自分特性には自覚的になった方が生きやすいぞ

足が速い遅いと同じレベルの話だから別に意不得意はあっていいんだぞ

そんで手帳取ると税金安くなるし、ジムプール美術館博物館無料になるし、

電話代も大手キャリアなら半額になるし、交通費無料または半額になるし、

首都圏なら障害者枠で名だたる大企業ポジションによっては無試験で入れるぞ」

anond:20230101221404

逆に何で発達障害でも知能障害でも無いのにググれば秒で拾える情報が拾えないの?

努力不足で怠惰なのか?おそらく違うだろ

自分特性には自覚的になった方が生きやすいぞ

足が速い遅いと同じレベルの話だから別に意不得意はあっていいんだぞ

そんで手帳取ると税金安くなるし、ジムプール美術館博物館無料になるし、

電話代も大手キャリアなら半額になるし、交通費無料または半額になるし、

首都圏なら障害者枠で名だたる大企業ポジションによっては無試験で入れるぞ

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