はてなキーワード: 分水嶺とは
というか
これは流行るんだろうか
こういう女子のほうが強い系はそこそこあったと思うけど
基本的に女子が憧れの対象だし途中で男が覚醒する展開が多かったと思う
序盤が女>男という「不都合な」状態で、ゴールが男>女という「理想的な」状態ってやつ
最近あまりみてないけど、90年代くらいには多かったと思う(あまり今時ではないよね)
思えば00年代くらいから「家事が得意でヒロインの世話を焼く男主人公」みたいなのが流行ってきたし(印象的なのはとらドラ、のだめ、すももももももあたりの時期)
最近だと主夫アニメとかも何個か出てるから流れ的にはこういうの来るよねって感じであってるんだろうけど
個人的には違和感がすごいんだけど、それがおっさん脳ならば反省していこうと思うが、若い層にも刺さらないなら社会的な理想と生物的な現実はやっぱ違うんじゃねって結論になるので面白い
何にせよ流行るのか気になる
女主人公目線でか弱い男子を守る的なものは結構あると思う、女性向けで
まあ主人公は普通強い(精神的にも肉体的にも)から当たり前だけど
アカデミー賞でオスカー俳優のウィル・スミスがコメディアンの司会クリス・ロックを平手打ちし、賛否が挙がっている。
賛否の境界線として、日本人と米国人という大きな分水嶺がみられる。どういうことかと言うと、
日本では、「人」としてどうなのかという点でウィル・スミスが賞賛され、米国では「プロフェッショナル」(社会人)としてどうなのかという点でウィル・スミスが批判されている。
むろん全員ではないにせよ、マジョリティの意見がそのように違っている。では一体何が両国の人々の着眼と賛否を分けているのか。
私の仮説はこうだ。
日本では会社や公において、個性を出さないことが基本的な美徳とされている。
反対に米国では、個性を主張することが基本的な美徳とされている。
この前提の違いゆえに、日本でウィル・スミスの振る舞いは、「普通」は我慢するべきところ、ちゃんと人として家族である妻のために怒る振る舞いをして偉い!という評価になっている。
反対に、米国では「普通」は個人として主張するだろうが、それをプロフェッショナルであることを忘れたかのように、そのままエゴ丸出しでふるまってオスカーの舞台をぶち壊してけしからん!という評価になっている。
おそらく日本人の常識からすると、何か公の場で理不尽なことなどを言われても笑顔でその場を取り繕うということは、多くの人が当たり前に経験していることなのではないだろうか。
反対に米国の常識からすると、主張するべきは主張する文化なので、それをオスカーという公の大舞台の場で暴力という最悪の表現で返すという<我慢できなかった>未熟な奴だという評価になってしまうのだろう。
それぞれの文化の背景にある「普通」からの距離感が、つまり日本では公の場において普通ではない振る舞い<あえて>した人物として賞賛され、米国では普通の振る舞いを<おさえられずに>した人物として批判されているのではないだろうか。
美少女イラストと萌え絵なんてシームレスに繋がってるから明確な分水嶺なんて決められないと思うけど、強いてここ20年くらいの萌え絵のハシリを挙げるならデジキャラットの影響は外せないんじゃない?
オタク文化の源流を辿る議論が始まってしまってるけど、シベールとかの話は「美少女」の発明の話で「萌え絵」の話とは違うよなと思った
そもそも萌え絵ってなんだよ、誰が定義したんだよという話なのだが(「美少女」のほうは議論がたくさんあるから今さら新規の説は立てようがない)
まず現代、萌え絵ってなんだろうというと、人目につくとこに掲示される絵で判断するのが一番で、「コンビニで売ってる雑誌の表紙」と「パチンコ屋の店頭看板やのぼり旗」がもっとも判断に適している気がする。これらはオタクもオタクじゃない人も誰もが目にするからだ。
・パチンコ海物語……昔に比べるとだいぶ寄せてる気はするが、まだ萌え絵には至ってない
・せがわまさき……これは人によって判断が分かれる気がする。劇画認定する人がおそらく多数派だろうが、石川賢の記憶がある人からすれば萌え絵認定されそう
・まどかマギカ……萌え絵認定に異論を唱える人はあまりいないと思われる。が、よくネット炎上の槍玉に挙げられるタイプの「萌え絵」とはまるきり別系統でもある
・エウレカ……たぶん萌え絵認定なんだろう。なんだろうけど吉田健一の系統って萌え絵なのか?
・エヴァ……たぶん全員一致で萌え絵認定されるのはこれだけではってぐらい共通認識。ただ貞本義行の顔ってかなり古典的な部類であり、「量産される深夜アニメ」「量産されるエロ同人誌」とはまるきり別系統
・ツインエンジェル……シンフォギアとは別系統で萌え絵分類の代表例か。いわゆる「アニメ絵=美少女絵=萌え絵」という認識にピッタリとはまりそう
・攻殻機動隊……押井守アニメの印象が強すぎてハードなイメージがあるが、少佐は劇画じゃなく萌え絵分類だと思う
……こんな感じだろうか。並べただけである
で。並べてて思ったのだが、初代マクロスの美樹本絵は「萌え絵」になるのだろうか
美樹本晴彦というと「美少女」の代名詞だが萌え絵と言われると違和感が強い。似たような例だと、あだち充も「美少女」の代名詞だが萌え絵とは言いづらい。
おそらく、美樹本・あだち系美少女が入ってこないのが、自分の認定する萌え絵を、往年の美少女絵につながるものと考えにくい大きな理由だ。
じゃあ他には?
わからなかった。
ということで別アプローチを考えてみる
日本国内で「萌え絵」が一般に認知されたのは圧倒的にパチンコパワー(およびソシャゲのTVCM)だと思うが、マンガでいうと、ガンガンが分水嶺という気がする
ガンガン以前は、すこしづつ勢力を増していても、表にでてくる量としては意図的に抑えられていた感じがある。ジャンプでいうと本誌の「そういう枠」はウイングマンやバスタードや黒岩よしひろあたりという認識。なおオレンジロードは「美少女」ではあっても現代の萌え絵系統とは別枠だと思う
週刊誌と月刊誌でなんとなく棲み分けされてもいて、月刊誌枠は「そういう絵柄」が多少は許容されてるイメージ。増刊サンデーが当時のオタク少年御用達といった
で、「オタク少年向け」枠に少年キャプテンやコミックコンプが参入して少しづつ売り場面積が増えていったが、「そっち系の絵柄」でメジャー制覇したのはガンガンだろう
ではガンガンは「美少女」で成功したのか? というと、それは違う感じがある
それまでロリコンブーム以降の同人誌の盛り上がりやマイナー誌での蓄積を整理、洗練された上で、「黒岩よしひろとかああいう感じの絵ばっかりの雑誌」が美少女じゃない路線で成功したということだと思う
そうすると、「ガンガン」の時点で、いったん「美少女」は途切れてしまっている。実際、年齢層的にも、それまでのキャプテンや増刊サンデーの世代より下の世代向けで成功したのだろうし
「萌え絵」といって、世間的に「なんかオタクっぽい絵」というとき、ガンガンに代表される絵でしょ、というイメージが、自分の中にはある
そうなるとそれは「美少女」とはちょっと違う。世代がある程度まで一新した上で、改めて、既にある美少女概念が借り物として再導入されたと見るべきじゃないのか
その際には当然、以前からの「美少女」も参照にされているが、そこは一直線で見るべきではない気がする。たとえば、あだち充的な美少女はそこにはいなかったように
同人作家が既に年商で千万とか億とかいわしてたのを背景に、そこから作家を連れてきて成立してたわけだし
だいぶ迷走してきた
うーん
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反応ありがとう。ちょこちょこ読んでるけど消化しきれてないので返事はごめん
読めばわかると思うけど、「萌え絵はいまひとつ曖昧な使い方にしかならない気がするんだけど、しかし自分でも漠然とはイメージがあるし、とりあえず自分内の定義を探してみっか」という話です
ひとつだけ反応すると
>ガンガンの具体的にどれ?
特定のどれかって感じじゃないですね
いかにもそれです、って探すというと夜麻みゆきとかがいかにもそれっぽいんだけど、そこに限った話でなく
それまでの少年マンガ誌ぽくなさの一方でやっぱ少年マンガ誌ぽさはある、という感覚
人間のふりをするのをやめたい
人間をやめたい
早く森に帰りたい
男で既婚だけどこれは同じだぞ。
経験ないと恋愛こそが社会性の分水嶺だと思ってしまうのは仕方がないけど(俺も彼女いない歴=年齢の頃はそう思っていた)、残念ながら陰キャの社会不適合者は例え多少の恋愛やら結婚やらをしたところで社会不適合者であることは変わらないんだよね。
恋愛や結婚をしたところでその後に続くのは正しく子供を産んで正しく人間関係を構築し正しく家などを買って心身共に正しく老いて正しく死んでいくことなわけだけど、社会不適合者はその全てのステップでいちいち困難が生じて上手くやれないのでどうにもならない。
阪神淡路大震災とオウム真理教をめぐる事件で騒がしかった1995年に起きた、文藝春秋の雑誌『マルコポーロ』を廃刊にしてしまった事件の、そのホロコースト否定の記事の著者である西岡昌紀氏がその記事でも使った文章がこれである。
「なんと驚くべきことに、ガス殺の遺体は一体も見つかっていないのです」
西岡はそれ以来、繰り返しこのセリフを語った。今回はこれについて考えてみよう。
上の西岡が使う常套句は、実は微妙に嘘なのであるが、ほんとでもあるというややこしい話でもある。嘘であるというのは、見つかっていたという報告自体は存在するからだ。知られているのは二つあり、一つはマイダネク収容所のソ連犯罪調査委員会による報告書であり、1944年10月頃という早い時期にまとめられた報告書の中に、ガス殺遺体の発見の事実がさらっと書かれている。マイダネクはソ連赤軍の急襲にあって終戦前年の1944年7月にさっさとソ連に解放されてしまったので、ガス室やその遺体の処理が間に合わなかった、とされている。もう一つはロシア南西部の黒海に面するクラスノダールでもガス殺遺体が発見されたと報告されている。こちらの方は1943年初頭にさっさとソ連に占領されてしまっているので報告(裁判)の時期も1943年7月と最も早い。ガス殺遺体の写真まである。
このように実際には見つかっていたという話を知らないネットの否定派は多いようだが(西岡も1995年当時には知らなかっただろう)、見つけたのがソ連であるという理由で信じないのが否定派である。実は個人的にもマイダネクの報告書はちょっと怪しいと思っているが細かい話になるのでそれはここでは言わない。クラスノダールの方は写真まであり、その写真自体に「一酸化炭素中毒の死体」とまではっきりコメントが書いてあって、信頼性はあるように思うのだが、ソ連の裁判という理由で否定派は認めようとしない。当時ソ連は見せしめ的な裁判をやっていたらしく、それが信じない理由とされているようだが私は詳しくは知らない。
しかしこれが、否定派が主たる攻撃対象としている絶滅収容所、中でもアウシュヴィッツ収容所の話になってくると、確かに解放後に連合国によって一体も発見されていないのは事実である。定説では、それらのガス殺による遺体は全部焼却処分してしまったからである。が、ここでは少し否定派側の視点に立って考えてみよう。
確かに、そう言われると奇妙な気もしてくる。一般的に言って、死体なき殺人は肝心の殺された死体が存在しないため、その立証は困難である。かつて日本で起きた北九州一家連続殺人事件では家族七人が殺されたが、その死体は一体も見つからなかったどころか、犯行現場とされたアパートからも血痕の一つも見つからず物的証拠は何一つ存在しなかった。その為、主犯格の共犯者である愛人と逃げて助かった生存者の証言で事件を立証する以外になかったのである。
しかし、アウシュヴィッツは七人どころではなく、約百万人がガス室で殺されたとされている。ニュルンベルク裁判時点では250万人〜400万人という膨大な犠牲者数が述べられた。なのに、ガス殺死体は一体も見つかっていないというのは極めて異常な話ではないのか? ガス室による殺人は全く立証されていないじゃないか、と言いたくもなるのだろう。特に、青酸ガスという毒ガスで殺されたという類例のない事実を立証するには、遺体の検死解剖の一つくらいあっていいはずなのにそれすらないのだから、疑惑を持つ人がいても不思議ではない、とは思う。
では一体どうやって毒ガスによる大量虐殺を立証したのであろうか?
流石にニュルンベルク裁判やその他の裁判で具体的にどのように立証していったのかという全貌は知らない。よほどの研究者でもない限り、膨大な裁判資料に精通している人は限られると思う。ニュルンベルク裁判資料ですら素人には手に負えない。
しかし、物証の一つである文書資料もそこそこ裁判で採用されているようである。ナチス親衛隊は徹底的に大量虐殺の事実を隠蔽しており、例えば直接「毒ガスで殺した」などと文書に記述したりしなかった。ガス室についても、残されている図面には「死体安置所」としか書かれていないし、アウシュヴィッツの火葬場に関する使用データも一切残さなかった。収容所解放前にガス室のあったビルケナウのクレマトリウムは全て解体撤去・爆破処分しており、火葬炉の一つも残っていない。それでも、ある文書の中には「ガス室」とついうっかり書いてしまったのであろう記述があったりもしたし、クレマトリウムの残存パーツからシアン成分も検出している。
さらに、裁判で採用された証言者は何百人にも上り、その多くは非常に具体的にガス室のことを証言しており、詳細な証言もいくつもあった。ガス室での殺害の目撃証言も多数存在したし、ともかく大勢の元囚人がガス室に関する証言を行なった。中でも、遺体処理を担当したゾンダーコマンドの生存者の証言は極めて詳細であった。最も衝撃的だったのはアウシュヴィッツ収容所司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスのニュルンベルク裁判での証言であった。彼は、他の多くの加害者側の人間とは異なり、無罪を主張しなかった。それどころか、自分から進んで積極的にそのおぞましい犯罪の全貌を裁判で語ったのである。さらに彼は、拘置所において自らの意思で回想録を執筆し、裁判時の証言よりもさらに詳細な内容であった(この自伝は日本でも普通に売ってる)。
細かい話をすれば、例えばナチス親衛隊による大量虐殺の隠蔽に関する証言でさえも、囚人は証言している。「ガス室での殺害については、「特別処理」という表現を記載していました」などの証言も何人もしている。これは事務的な部署でも囚人が働いていたからである。さらにそうした証言をしている法廷で裁かれていた加害者側の被告であった親衛隊員たちは、ガス室を全く否定しなかった。それら親衛隊員が裁判で反論したのは、自らの意思に基づく非道な行い等についてのみであり、指示・命令で行っていた任務であるガス室に関しては否定しなかったのである。
結局、後々のナチ犯罪裁判を含めそれら戦犯裁判では誰一人、ガスによる大量虐殺を否定しなかった。少数の「知らなかった」と語った証人や被告が存在しただけである。果たして、こうした証言状況で、「ガス殺死体が一体も見つかっていない以上、それらの証言は全て疑わしい」と言えるのであろうか?
ネットに多い素人否定派程度では、まさかガス室・大量虐殺を認めることになる証言が何百件もある(裁判以外も含めれば何千件になるのか見当もつかない)だなんて知らないと思うし、それらの証言の一つもまともに読んだことすらないだろう。例えばその一つを任意に選び出してみよう。
証人:アウシュヴィッツで絶滅された子供たちの移送に関しては、ゾンダーコマンド(特別部隊)で働いていた同僚から聞いたことを繰り返すことができます。この子供たちはガスで殺されました。ビルケナウの最初の火葬場で行われたテストガスの犠牲者でした。
私は3週間の検疫を経て、クレマトリウム建設班に配属されましたが、そこで初めてグラブナーと出会いました。ある時、私の仲間が50キロのセメント袋を運んでいたのですが、その重さに耐えられず、グラブナーは私のカポーに向かってこう言いました。「あの犬にとどめを刺せ」と。カポーはシャベルの柄を折って、それと自分の足を使って囚人を激しく殴り、彼は本当に死んでしまいました。これはグラブナーの指示で行われました。
その後、私は火葬場から「カナダ」という兵舎に移されました。そこでグラブナーと再会しました。グラブナーは政治部の部長で、ガス処刑される人たちの書類をモルに渡していました。グラブナーはほとんどすべての輸送列車の到着に立ち会っていました。
ポーランドの戦争犯罪証言記録サイトに見る殺人ガスの証言証拠(2)|蜻蛉|noteより
人間の証言には、しばしば誤りが存在する。記憶間違いであったり認識間違いであったり誤解であったり、場合によっては意図的な嘘であったりもする。個人的に、こうした証言をたくさん海外のサイトから翻訳したので、そこそこ誤った内容を含む証言があるのも知っている。しかしだからと言って「ガス室」に関する証言のその全てが嘘になることなどあり得るのだろうか? 知っている裁判証言だけで数百件に上るのだが。
しかもそれらの証言に含まれる「ガス室」に関する内容は、ただ単に「ガス室があった」と言っているだけでなく、上にあげたたった一つの例ですらも具体的な内容を持つ証言の中で示されているのである。しかもそれらは裁判の中での証言であり、被告が法廷に存在しており、被告には証言者への質問の機会も与えられていたのに、誰一人被告はガス室を否定しなかった。
でも否定派は、それら証言をどんな難癖をつけてでも否定する。上の例では、「連合国の陰謀者によって、ガス室の証言をするように脅迫されている可能性がある」等。また、否定派が最も証言に対して使うセリフは「矛盾があるものばかりである」である。ルドルフ・ヘスに至っては、ほんの些細な記憶間違いとしか考えられない証言上の矛盾を元に、証言の全て(もちろんガス室・大量虐殺に関することだけ、であるが)が連合国によって強制的に嘘を言わされていることにされた。私はそれをいうネット否定派に対して、「ではあなたは数年前の出来事について一つの誤りもなく証言できるのですか?」と質問したがまともに答えが返ってきたことは一度もない。ひどい場合には、単なる翻訳上の間違いを元にして「この証言には矛盾がある」と難癖をつけられていたことさえある。
少なくとも、マルコポーロ事件の西岡昌紀は真面目とは言い難い。その理由は、絶対にただの一つとしてもホロコースト否定説には欠陥があることを認めようとはしないからである。実は、稀にこの「否定説の欠陥」に気付く否定派がいる。中でも否定説の最大の欠陥は、では「一体、数百万人に上るユダヤ人はどこへ消えたのか?」に答えられないことである。ユダヤ人がナチスドイツの手によって大量移送されたこと自体を否定する人はいないので(それすら知らない人は別だが)、殺されていないのなら数百万人の消えたユダヤ人はどこかに生存していなければならない。古くは、ソ連だった。ソ連のスターリンが収容所に収容しただとか、移住させたのだとか、色々言っていたらしい。だが、冷戦が終わってなお、そんなユダヤ人は全く確認することは出来ない。旧ソ連に関するそうした情報も公開されているのだが、どこにも出てこない。
ほんの僅かだけど、ネットで議論しているとそこに気づいた否定派もいた。確かにその質問には否定派は答えられない、と。欧米では、著名な否定派が、さらに高名な否定派の誰にそのことを聞いても「知らない」と返答されるだけだったので、否定派を辞めてしまった人さえいる。この重大な欠陥を認めるか否かが、ある種の分水嶺になっているとは思われる。
Twitterで「#高市早苗を総理に」がトレンド入りしていた。
クリックしてみると、高市早苗を称賛する日の丸アカウントと、罵倒するアカウントが出てくる。中には女性蔑視・性差別的なツイートもある。
批判的なツイートのプロフィールを見る。ジェンダー平等を掲げるリベラル政党の支持者たちだった。とりわけ男性が多い。
こうした「リベラルおじさん」たちは、普段は女性の味方のフリをしておきながら、女性がトップに立つことを阻んできたミソジニストだ。
都知事選の前には、共産党の小池晃が、小池百合子を揶揄するツイートを書き込んだ。
「オーバーシュートをロックダウンでアウフヘーベン(止揚)しましたの。オホホ」
女言葉と言われる役割語を使って揶揄するのは、ミソジニー以外の何物でもない。
こうした例は数え切れないほどある。
この国のトップが「保守おじさん」から「リベラルおじさん」に代わっても、ジェンダーギャップは解消されないだろう。
感染者が3000人、4000人と過去最高に増えてきて世間もちょっと騒がしくなってきたけど、今ここを耐えればあと2週間後くらいには「意外と死者増えなくね?」ってみんな気づくと思うんだよな。
ワクチンのおかげで高齢者が重症化しなくなったから、前みたいにICUを埋めて通常医療が圧迫される心配も激減したんだけど、どうもまだみんな気づいてないみたい。
実は社会環境はwithコロナ1.0→withコロナ2.0に以降してるんだよね、多くの人はまだ気づいてないんだけど。
このまま無事オリンピック・パラリンピックを完遂して、「感染者数10万人/日超、でも死者は100人/日以下」を達成すれば、みんなの疑心暗鬼もとれてきてようやくコロナ狂騒も終わるだろう。
逆に今下手に追加対策をやると、「追加対策したから死者が増えないんだ」って間違ったメッセージが広まってしまう恐れがある。
今がまさに分水嶺。
人生初バイトで遅刻した。寝坊だ。パチンコ店の開店前清掃のバイトの面接で受かった木曜日、同期と飲んでいたら3時になった。6時40分集合だからそのまま行けばいいやと思っていたら案の定寝た。大学2年、二十歳になってこれである。
朝は電話で目覚めた。面接担当だったおじさんの声で飛び起きる。
階段を駆け下りる途中、足を踏み外して転がり腰を強打した。スマホが飛んで画面が割れた。
自転車でクソ飛ばす。寝ぼけマナコで何となく謝り、言われるがままに動いていたらバイト初日は終了した。誰も俺のことを叱らなかった。おじさんもおばさんも優しかった。いや、おばさんは不機嫌だったな。でもめちゃくちゃに怒られると思っていた俺は拍子抜けしてしまった。
めちゃくちゃ怒られる想定で敢えて楽観的にスルーしようと身構えていたから調子が狂い、結果的にはあり得ないようなポジティブ野郎になった。帰り道は鼻歌交じりだったし、「大したミスじゃなかったのでは?」と思い始めた。
しかし時間が経つにつれ、バイト初日に遅刻したことに焦ってない自分が急に怖くなった。言っておくがバイト初日に遅刻するのは相当なやらかしだ。飲み会やらtwitterやらでは過去の武勇伝ややらかした報告としてこの程度のことは耳にはする。しかしまさか自分がそんな人間になっているとは思わなかった。
自分で言ってしまうが俺は小中高と成績は上の方だったし、面白くはないけど真面目な奴としてのポジションを得てきた。俺はバイト初日に遅刻する奴らを笑ってるはずではなかったのか?「世の中には大事な場面で時間すら守れない、こんなに終わってる奴らもいるんだなあ」と他人事として聞き流してたんじゃなかったのか?いつから俺は「そっち側」になってしまったんだ?
もう一度言うが、バイト初日に遅刻したエピソードなどありふれていてクソつまらんと自分でも思う。陳腐すぎて武勇伝ややらかしエピソードとして語れるわけがない。俺が言いたいのは「自分が巷にあふれる終わってる人間」になってしまった恐怖と悲しみだ。俺はバイト初日に遅刻するような奴を一生他人事として笑ってる側だと思ってた。自分はそうはならないだろと無意識に無条件にタカをくくっていた。絶対に「そっち側」にはなりたくなかったし、なるはずがないと思ってた。
これは堪えた。キツかった。でもよく思い返せば、どこかで何かやらかしそうなダラダラした毎日を送っていた。大学2年までバイトもせず勉強もせずにtwitterばかり開いて昼夜逆転してたのがその証左だ。俺はここで自堕落な今の生活を全力で立て直すことを決意した。時間は守る。自炊する。授業は寝ないで受ける。ここで譲ってしまったら「そっち側」から帰ってこられないような気がする。「そっち側」に行くのは簡単でも戻ってくるのは難儀だろうし、ここが分水嶺ではないかと思って一念発起する。