2022-03-29

ウィル・スミス賞賛する日本人と、批判する米国人の背後にあるもの

アカデミー賞オスカー俳優ウィル・スミスコメディアンの司会クリス・ロックを平手打ちし、賛否が挙がっている。

賛否境界線として、日本人米国人という大きな分水嶺がみられる。どういうことかと言うと、

日本では、「人」としてどうなのかという点でウィル・スミス賞賛され、米国では「プロフェッショナル」(社会人)としてどうなのかという点でウィル・スミス批判されている。

むろん全員ではないにせよ、マジョリティ意見がそのように違っている。では一体何が両国の人々の着眼と賛否を分けているのか。

私の仮説はこうだ。

日本では会社や公において、個性を出さないことが基本的美徳とされている。

反対に米国では、個性を主張することが基本的美徳とされている。

この前提の違いゆえに、日本ウィル・スミスの振る舞いは、「普通」は我慢するべきところ、ちゃんと人として家族である妻のために怒る振る舞いをして偉い!という評価になっている。

反対に、米国では「普通」は個人として主張するだろうが、それをプロフェッショナルであることを忘れたかのように、そのままエゴ丸出しでふるまってオスカー舞台をぶち壊してけしからん!という評価になっている。

おそらく日本人常識からすると、何か公の場で理不尽ことなどを言われても笑顔でその場を取り繕うということは、多くの人が当たり前に経験していることなのではないだろうか。

反対に米国常識からすると、主張するべきは主張する文化なので、それをオスカーという公の大舞台の場で暴力という最悪の表現で返すという<我慢できなかった>未熟な奴だという評価になってしまうのだろう。

それぞれの文化の背景にある「普通から距離感が、つまり日本では公の場において普通ではない振る舞い<あえて>した人物として賞賛され、米国では普通の振る舞いを<おさえられずに>した人物として批判されているのではないだろうか。

言い換えると、「凡庸」ではない人として日本人ウィル・スミス賞賛し、

凡庸」な人として米国人ウィル・スミス批判しているように見える。

  • 愛妻家としての行動なので称賛されているとおもう。 自分の事なら我慢したでしょう。 平手打ちは良くないと思うけどね。 日本の芸能人で愛妻家ってあんまいなさそうだし、浮気して...

  • 国内と国外の違いじゃないですかね。細かいニュースが入ってこないから。 エビさんだって日本じゃああ…って思われてる役者だけど、アメリカで公演したら日本の伝統芸する人って思...

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