2024-08-19

藝大の「絵を描きなさい」みたいな試験問題

一般人の俺らはつい「これぞ真の芸術性を問う問題!」みたいに賞賛しそうになるけど、実際ああい問題って他の美術関係者からどう見られてるのか気になって調べたらこういう記事が出てきた

対談|戸川馨✕荒木慎也―元予備校講師と、藝大入試歴史文法を解く | ART DIVER

https://artdiver.tokyo/archives/13490

荒木 様式研究作家研究プロなら必須なので、それを否定するのはどうかなと思います。それに美大受験にかぎらず、世の中に「傾向と対策」があるのは当たり前ですよね。藝大がそれを避けるように入試作成するのもおかしいと思います

もっと言ってしまえば、TARO賞にだってヴェネツィアビエンナーレだって傾向と対策はあるわけだし、文脈を踏まえた上で評価される作品をつくるのがプロ仕事じゃないですか。

戸川 ええ、僕もそう思います。これは、「作品とは何なのか」という議論に発展する問題。藝大の教授陣は「原石を見つけたい」という言葉をよく使いますが。

荒木 そこだと思うな、やっぱり!

戸川 教育を受けずとも素晴らしい絵が描けるような学生が欲しいのでしょう。しかし実際合格する生徒の大多数は、しっかりと訓練を受けて、技術力があり完成度の高い作品を描いている。

荒木 藝大側は、心のどこかで「情報に汚されていないピュアな才能」を入試で見つけたいと思っているような気がするな。

戸川 予備校も藝大の意図を汲んだうえで受験生の個性尊重して真摯に無理なく対策をしているのですが、こういった対策を藝大側は好ましく思っていない。ここに藝大と美術予備校ギャップがある。

荒木 そもそも、「原石」とか「ピュアな才能」といった発想が古い。それが依拠しているロマン主義的な天才概念はさんざん批判されてきたことで、それにもとづいて国立大学入試をするのはおかしい。

戸川 ここまで考えていくと、美大における入試とはなんだという問いが生まれます。藝大も入試に対して迷走してきた歴史がありますし、それは裏返すと、受験生が藝大に翻弄されてきた歴史でもあるのです。

この会話は「教授が良いと思って合格させた絵が、実は予備校研究したマイナー作家の画風だった」っていう事象に関するもので、「絵を描きなさい」に対する言及ではない。

このあと「絵を描きなさい」については一瞬言及されるのだが、上野動物園試験の話にシフトしてしまいあまり深くは突っ込まれていない。

とはいえ、「絵を描きなさい」についても、「こういう原石見つけようとする奇抜な試験やめろよ」って内心考えてるんかなあと思った。

上野動物園油性ペンについて触れたくだりのあと、こう言ってるし。

荒木 社会自体が藝大に対して過度に幻想を抱いているのではないでしょうか。『最後秘境 東京藝大』という本でも強調されていましたが、藝大は常識では理解できない特別な人々の集まりだと思いたがる一般認識があるから、このような入試肯定的に捉えられているのでしょう。受験からすれば冗談じゃない話ですが。





これで思い出したのはGoogle入社試験に一時期出てた難問奇問で、日本ビジネスパーソンに「暗記ではない能力を問う問題!」って持て囃されてた印象あるけど

Google re:Work - ガイド: 構造面接実施する

https://rework.withgoogle.com/jp/guides/hiring-use-structured-interviewing#avoid-brainteasers

難問奇問を避ける

かつて Google では面接の際、「ボーイング 747 の中にゴルフボールはいくつ収まりますか?」といった難問や、「もしあなたが 5 セント硬貨と同じ大きさに縮んで、ミキサーに入れられたとしたら、どうやって脱出しますか?」といった奇問を出題していました。

しかしそれと同時に Google では、面接時のスコアとそれ以降のパフォーマンス スコア比較し、難問奇問による予測能力を詳しく検証しました。その結果、このような質問に対して見られた能力は、好意的解釈しても、訓練を通じて向上できるようなスキルであることを発見し、それからは応募者の評価に利用することはなくなりました。こうした難問奇問は最悪の場合些末な情報または応募者側の深い洞察がないと解くことができず、その一方で面接担当者を利口になった気にさせ、自己満足させるのみで終わってしまます。このような質問には、応募者が仕事でどのような業績を示すのかを予測することはほとんどできません。その理由の 1 つは、質問的外れであるからであり(日々の仕事飛行機の容積を見積もらなければならないことがあるでしょうか)、もう 1 つは一般的な認知能力と、難問奇問を解くための能力との間に相関関係がないからです。

結果こうなったという歴史がある。

Googleも藝大も、雲の上のような存在であるが故に無批判に持ち上げそうになるけど、実際はその試験をやったことで能力ある人を取れてるかちゃん検証しないとダメだよなあと思った。

まあGoogleなら社員の人、藝大なら上のインタビュー受けてる人みたいな美術関係者がやってくれるから一般人には関係ないのかもしれないけど。

  • どこまで重要視するかは別として googleならよく知らないもののデータ量を概算することはあるだろな

  • 書いてから思ったんだが、こういう斬新な試みってやり始めた本体よりも影響された側が面倒くさそうだなと思った 日本の企業が難問奇問やったのはフェルミ推定対策(Googleがやってた難...

  • フェルミ推定って、最初の仮定の数値がそもそも適当だし、その後の推論もざっくりし過ぎで、誤差が累積されて全くアテにならないよね。数桁の誤差は許容する推定遊び程度の価値し...

  • 藝大に入る時点では絵を描く技能があるのは大前提で、そこから先の表現は入学してから身につける。 だから入試で描いた絵の技能の部分だけ見ればよくて「作品」として評価する必要...

  • どういう基準で点数付くか明言されない時点でインチキじみてるよな

  • これは良く言われていることだけど、日本の美大・芸大は入試時点で技術が高い人たちが多いから、技術だけでは差が出にくいみたいな事情はあるのかも。 どちらかと言うと、その中か...

  • 歴史も知識も予備校での技能も重視されないならセンスのある幼稚園生を入学させればいいだけなんよな

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