はてなキーワード: 日本橋とは
知名度にあぐらをかく悪徳店。家族が向かいのコレドで体調が急変し、救急車を呼ぶ事態になり、たまたま救急車が同店前に停車し、応急処置を受けていたところ、中から出て来た男が「うちのお客?そこだとうちで何かあったと思われると困るんで」と最大限に非常識な言葉を吐いて戻って行った。人の家族が苦しんで困っている場で、よくもこのような自分の店の体面だけしか頭になく、商売人としての道徳のかけらもないような奴が、老舗ともてはやされている店の正体だったことは決して忘れないぞ。かつてランチに通ったことも、この様な目に遭って台無しだ。
なんなら「うちで何かあった」と思われる様なバイオテロでも考えるか。
この記事は「転職(その2) Advent Calendar 2016」12日目のポエムです。
こんにちは。プログラマーをしていた akiraak です。今はサンフランシスコで英語の勉強ばかりやってるので、プログラマーではくイングリッシャーになってしまいました。
さて、転職は多くの人が知っているように大変です。しかし、海外企業への転職はもっと大変です。さらに、家も就職先も決まっていないのに海外に移住してしまうというのはどれだけ無謀な行動なのでしょうか。今回の記事の内容は、妻である ento がまさにそのような状態でシリコンバレーに移住し、そこで仕事を得るまでの1ヶ月半ほどのログになります。この無謀すぎる人間のログをお楽しみください。
2014年10月にベイエリアをakiraakと下見し、フィーリングが合うことを確認
2015年3/31 両親と久しぶりに会い、出生証明書と期限切れUSパスポートをもらう
4/26 USパスポート申請予約 (最初は5月17日で予約したが、キャンセルが出ないかカレンダーを見張った末、5月12日で予約できた)
5/?? 「entoとポッキーが先行引っ越しするのはありだよね」とakiraakと合意し、資金面で問題ないかを後で検討することに
5/11 MindMeisterで引っ越し関連作業をまとめるマインドマップを作る
5/12 USパスポート申請: 犬を連れていく関係上、できれば5月中に渡米したいのでなるべく早く用意してほしいとお願いする
5/13 同上
5/15 Googleスプレッドシートでお金の計算をし、アメリカにポッキーと先行引っ越しすることを決める
5/17 Sky Toursで飛行機チケット予約 (往復便をうまく使ったりなどして、片道便をお安く予約してもらえた)
5/18 completeapp.comにユーザー登録、その後随時todoにコメントをもらう (AngelListでみかけたスタートアップ)
5/18 自転車の運び方について製造元にメールで問い合わせ、返信をもらう
5/21 HanaCellにSIMカードを注文
5/21 USパスポート発送の連絡がくる
5/21 6月に泊まるAirbnbの予約に失敗 (Airbnb以外のサイト経由で別の人が既に予約していた)
5/22 LORO日本橋に適切なサイズの箱の有無を電話で問い合わせ、用意してもらう約束をする
5/24 RoomieMatch.comとroommates.comとroomster.comに登録、Redditにルームメイト/部屋募集を投稿
5/26 akiraak実家で晩ご飯をいただき、地元の友達が大事だとさとされる
5/27 USパスポート到着
6/05 飛行機搭乗
6/06 組み立てた自転車をLaurel Cycleryにメンテに出す
6/06 近所のスーパーマーケットのレジで「昨日引っ越したばっかりで、仕事を探してるんだ」と言ったら、「この前うちでジョブフェアをやってたんだけどね」と教えてもらった
6/06 TTGL見始める (Redditで会話したイギリスの大学院生のおすすめ)
6/08 RoomieMatch.comのプロフィールを更新 (2人用から1人用へ)
6/08 Creddle.ioにレジュメをアップし、Redditの校正スレに投げる
6/09 RoomieMatch.comでマッチングされたルームメイトから電話がかかってきて、部屋を見に行く約束をした
6/09 同じ家のAirbnbゲストにくっついてSF見物 (彼女も仕事を探していて、SFのMacy'sにスーツを買いに行った)
6/09 Whitetruffleに登録
6/09 Hired.comからプログラミングの問題を解いたら翌週の「オークション」に掲載するよ、と連絡がくるが、なかなか手がつかず最後までスルー
6/10 AngelList、Hacker Newsの「Who is hiring this month?」スレからめぼしい応募候補をリストアップ、Glassdoorでレビューを確認 (以下の記事を参考に、Google スプレッドシートにまとめていった http://robertheaton.com/2014/03/07/lessons-from-a-silicon-valley-job-search/ )
6/11 Soylentに発送先を連絡
6/12 AngelListで何社か応募、リモートOKのところを優先する
6/12 Underdog.ioから翌週にプロフィールを掲載するよと連絡
6/13 借りる部屋を3箇所内見し、仮決め: 家賃はAngelListに掲載されているエンジニアの平均年俸の40分の1を目安にした
6/15 借りる部屋を本決め
6/15 Underdog.io経由でB社から連絡
6/15 銀行口座開設を試みる (住所証明がなくてダメ、その足で自分宛の郵便を速達で送った)
6/15 Airbnbのホストさんがリクルーターを紹介してくれる
6/16 銀行口座開設を試みる (ソーシャルセキュリティカードがなくてダメ)
6/16 さらに応募 (C社含む)
6/16 Soylent到着
6/17 アスペの集まりに参加: 晩ご飯を一緒に食べる会 (「仕事を探してるんだ」と言ったら、「うちはいつも仕事を募集してるよ」と医療機器関係の会社を紹介してもらい、レジュメ校正ビジネスを始めたいという技術ライターさんに「無料で校正してあげる」と連絡先を教えてもらった)
6/18 C社とGoogle Hangoutミーティング (この時点でここに入る腹積もりをしたと思う)
6/21 TTGL見終わり
6/24 C社と対面面接 (6.5時間: エンジニア計3人とペアプロなど + みんなでランチ + 社長面接)
6/24 身元照会先を依頼、連絡
6/25 Lyftのタダ乗りクーポンでの帰り道、ドライバーさんに「仕事を探してるんだ」と言ったら、元奥さんがそれ系の仕事をしてるからと紹介してもらう
6/27 同上
6/28 同上
応募候補をまとめたスプレッドシートには、先方からの打診を含め、結局79個の会社をメモった。応募したのは14社で、何らかのリアクションがあったのは4社。大半はAngelList上でしか応募していないので、メールで直に応募すれば反応率は上がるかもしれない。職探しサイトでプロフィール登録したり応募したりする度に、レジュメの内容や言い回しをブラッシュアップしていくことができたことは、よかったと思う。
上で挙げた数社を含め、会社側から打診をうけた件数は以下の通り:
Whitetruffle: 11件
AngelList: 7件
Stack Overflow Careers: 1件 (リクルーターからはさらに1件)
Underdog.io: 1件
ホワイトボードでアルゴリズムの問題を解く系の面接の予習は、やろうと思いながら結局ほとんど何もしなかった。やったのは、過去のプロジェクトでやったこと・学んだこと・つらかったことなどの振り返りと、レジュメを書く中での自己内省。
ここまでは ento お引っ越しでした。僕はというとビザがないので日本でお仕事をしていました。そして2015年7月に渡米して結婚。10月に弁護士経由で配偶者ビザの申請。2016年7月に発行されたので8月にアメリカにお引っ越し。10月にグリーンカードも発行されて今に至ります。
野原ひろしの年収は650万であり、これは2016年現在から見れば5%のエリートに属するというブログを斜め読みした。
ふむ。では当時ならひろしは平均、あるいは平均よりちょっといい程度とみなされたのだろうか。
Wikipediaによれば野原ひろしの年収650万はアニメ94話の台詞からの推測であり、これが放送されたのは1994年4月である。
そして国税庁の資料を見ると1年勤続者(男性)の平均年収(賞与含む,単位:万円)は当時以下のように推移している。
西暦 | 平均年収 |
---|---|
1989 | 493 |
1990 | 520 |
1991 | 547 |
1992 | 558 |
1993 | 555 |
1994 | 560 |
1994年の平均年収は560万である。650万は当時の平均より90万多い(ちなみに彼は35歳だが、1994年の35歳~39歳の平均給与は全体平均と同じ560万である)。
年収というやつは必ずしも正規分布しているわけではなく、一部の凄まじい金持ちが平均値を引き上げる傾向がある。従って中央値は基本的に平均よりも低いと見た方がいい。
その点も含めると、おそらく1994年の野原ひろし650万は中央値よりも100万ほど多いと思われる。平均給与より月収が8.3万多い計算になる。これを平均よりちょっと良い程度と思うかどうかは……まぁ人によると思うが、どちらかというとそこそこ年収のあるやつが自分の年収を隠して言う時に「いや俺だって安月給だよそんなん。え?平均とくらべて?同じようなもんだよ、あー、まぁ、ギリギリ平均よりちょっとだけ良いくらい?」的な雰囲気を感じる。イラッ☆
1年勤続者(男性)の平均年収は1997年の577万をピークとして緩やかに下っていき、リーマンショックでとどめを刺される。
野原ひろしは35歳の男性社員である。ということでこの全盛期で見ると、35歳~39歳男性の1997年の平均は589万である。バブル全盛期の中央値は平均値と殆ど同じだったと仮定すれば、1997年のひろしの年収650万は平均よりちょっと良い、というのは、まぁわからなくはないだろう。月給にして他の人より5万円多いのを「ちょっと」というのは、多い側からみればそうかもしれないが、少ない側から見ると「あ?それちょっとっていうならよこせや」と思うところな気はするが。
なお2014年の35歳~39歳男性の平均年収は502万である。やんなるね。
一方で春日部市における平均年収から見た野原ひろしはどうか(春日部市の平均収入でググると妙な数字が出てくるけど、これソースが不明瞭だし計算式も公開されてないので信用に値しないと考え無視した)。
総務省統計局では都道府県別の家計調査が2000年からしかないが、ひとまずこれを参照する。春日部市単独のデータは無いが、春日部市は人口15万人以上であることから中都市に該当する。曰く、2000年の賞与を含めた年平均月額の世帯主収入は466,591円である。12倍すると534万。バブル全盛期をちょっと過ぎた2000年でこの数字である。
650万とは実に120万の差がある。中央値はこれより更に下であることを考えれば、春日部市における野原ひろしは当時から見ても平均的、あるいはそこからちょっと良いだけとは言い難いように思う。
野原ひろしのような人生は、なるほど現代からすると相当なカチグミであるように見える。しかし当時の社会背景を考えれば、こうしたレールに乗ることは平均的な能力プラスアルファでどうにかなる範囲だったのではないか。
彼は1994年当時で35歳、二十歳で大学を中退して(つまり高卒で)入社したとのことである。従って1979年入社であり、これは残念ながらバブル期前である。
加えて彼は高卒であり、今ほど大卒信仰が強くない時代とはいえこれがプラスに働くことはまず無い。ゆえに就職活動において基本的には不利な立場にあったと言える。
どう考えてもこの時点で相当なカチグミである。これを平均よりちょっと良いレベルとは当時ですらやはり言えないように思う。
そういうわけで、野原ひろしは1994年当時で見てもエリートだと思う。バブル真っ盛りの時と比較してギリギリ「平均よりちょっといい程度だね」と見栄込みでいうことは出来ると思うが、それ以外ではいささか厳しい。
さらに国内商社は年功序列で給料が上がるため、2014年55歳の野原ひろしの年収はほぼ間違いなく1000万を超えているだろう。2014年の55歳~59歳の男性平均年収は631万であり、彼は最終的に平均の1.5倍を上回る所得者ということになる。
彼は今からみてもエリートだが、当時からエリートであり続けた、というのが正しい見方ではないだろうか。
子供のいる夫婦に限定すれば野原ひろしは平均になりえるのではないか、というブコメを見て「あ、それは見てなかったわ」と。
そういうわけで追加で調べた。
1996年の国民生活基礎調査「1世帯当たり平均所得金額,世帯主の年齢(10歳階級)・世帯構造別」を見ると、「夫婦と未婚の子のみの世帯」の平均所得は621万である。おお、これなら650万は平均よりちょっといい程度やんけ、と思ったが、問題がある。
これは世帯収入、すなわち共働きを含めた数字だからである。ひろしは単独で650万である以上、この数字と直接比較はできない。
この基礎調査に世帯主収入のデータは無いようだったため、これを推測すべく、2000年の家計調査の「有業人員別1世帯当たり1か月間の収入と支出」を見ると「全国・勤労者世帯(核家族世帯)」の世帯収入と世帯主収入のデータがある。核家族における世帯の実収入は月額568,391円、このうち473,674円が世帯主収入である。割合にして83.3%。
この比率が4年で大きく変動していないとすれば、621万の83.3%は517万である。残念ながら650万とはかなり差があると言わざるをえない。
96年の「1世帯当たり平均所得金額,世帯人員・地域ブロック別」を見ると、世帯人数ごとの所得額が地域別で分かる。ここでとりあえず「3人」を見てみると、全体平均が718万、一方で埼玉が属する「関東Ⅰ」ブロックでは829万である。当時全体平均に対して首都圏の所得は115.4%になる。
この比率を当てはめると、517万の115.4%で596万。これが1996年の東京ブロックでの子持ち既婚男性30代の平均年収の推測値である。
ただし、この「関東Ⅰ」には丸ノ内線内在住かつ子持ちの夫婦が含まれている数字であり、彼らが平均を大きく引き上げることは間違いないだろう。従って都内在住の子持ち夫婦というカテゴリで見るなら野原ひろしは平均的かもしれないが、埼玉県春日部市という点で考えれば、97年の最も所得の良かった時期の子持ちの夫婦という点で比較してもやはり平均的な家庭よりも所得に余裕がある立場ではないかと思う。
野原ひろしの務める双葉商事は中央区日本橋にある商社という設定だが、例えば日本橋にある神鋼商事の四季報を見ると平均年齢39歳で平均年収711万である。これと比較してみると35歳の営業課長で650万というのはちょっと低い印象がある。
とはいえ商社も色々である。総合商社なら平均で1200万~1300万になるが、中堅商社でいえば650万というのは平均的かもしれない。
Wikipediaによればバブルは86年から91年だそうで。顔真っ赤にして「ITバブルがー!サブプライムがー!」とか書こうと思いましたが、無知をお詫び申し上げる。
しかし政府統計を見る限り、この86年から91年の所得平均がずば抜けて凄いかというと特にそんなことはない。上述の通り、一番平均所得額がいいのは97年だからである(なので無知な自分は97年がバブル全盛期だと信じて疑いませんでした)。ただしピークへ向けて毎年のように平均所得と可処分所得が上がっていっているので、サラリーマン的に印象の良い時代だったことは間違いないとは思う。
バブル時代はボーナスがたくさんでた、というのは嘘ではないだろうけれど、全国的な平均を取るとそうでもなかった。給料が銀行振込ではなく手渡しだったなら「札束!」という印象が今よりあっただろうこと、東京の一部の羽振りの良い連中が誇張されたこと、当時の情報メディアは新聞とテレビが全てだったこと、といった条件下で醸成された「バブルの頃はみんな高給取りだった」んじゃなかろうか。
美味卯(大阪日本橋にある)ってお店にたまにいってるんだけど、先日行ったら店内にプロジェクターが設置されてアイドルのライブ映像が映されてた。
前に行った時にはなかったんですごくびっくりした。
なんでこんなの店内で流してんの?って思ったらメンバーが大阪に来た時によく食べに行くらしい。
昼食には遅い時間だったので自分ともう一人しかいなかったけど、その客がアンジュルムのファンのようだった。
わざわざ東京から来たとか言ってたし、ファンの間で聖地化しているようだ。
店内にファン向けのノートも置いていて帰り際にファンの方が何か書いてた。
個人商店の生き残り戦略だとはわかってるけど、微妙に居づらい空気を感じた。
店側としても年に一、二度しか行かない客より、ファンが頻繁に通ってくれたり、ライブのたびに来店してくれるほうがうれしいんだろうけど、次から行きづらいなぁ……
問題点として以下があげられる。
といったところか。
地元としては、中国人観光客のように、大量にまとめ買いしてくれる客の方がいいはずである。
実際日本橋にいくと、バスに乗ってまとめ買いする中国人によく合う。
日本橋が既に地元大阪人が買い物に行く場所という感じではない。(梅田にいく)
少しでも人が集まってくれればということで、辞めるにやめれない状況なのだろうが、望んでない客ばかりが集まってしまって困っているといったところか。
前回、今回のを見ていると、悪い箇所が目立ってしまい、やっぱり地方は治安が悪いという悪影響の方が大きいような気がする。
京都の映画館よりも客層は高いし、空いているから日本橋は素晴らしい場所だった。映画館に関しては。
正直、自分は嫌々ながらだが京都のバカ大学の頭の悪い奴しかいない映像学部とかいうところに通っていることもあり、夏休み中一つも映画を見ないというのは別にいいのだが、良くはない状態ではあった。
上映開始の数十分も前から、理系顔の男と顔がまんまるで大きくて老けている、とても背が低くてくびれがない女のカップルがこの映画を見るために仲良く待っていたようだった。映画を見ている時も、見終わった時もこの男女は仲よさそうだった。女は数年もしないうちに見れない姿になりそうだ。
本編上映前の映画館の運営会社が作った映画紹介の映像に登場しているナビゲーターの女の子の服を押し上げているおっぱいに興奮したのと同時に腹も立った。
いつもだが、だいたい映画の前が長すぎなので、オープニングクレジットの時にはもう飽きていた。
本編への文句は山ほどある。
正直、映画の出来、不出来なんかどうでもいいのだ。
心が叫んでいることを正直に書きたい。
幼いころにヒロインが父親が女とラブホから出て行く様を喜んで専業主婦の母親にいい両親は離婚、ヒロインはしゃべれなくなり、母親は生保ガールとして生計を立てて、高校生のとき学校行事でミュージカルをやってしゃべれる様になり、野球部のやつに告白される映画である。
あのヒロインは正直とてもクズなのだが、可愛い女の子だから周囲から許されるし、最後野球部のうるさい奴に告白されるのだった。
キモい男ならどうにもならなかっただろう。
野球部の人間が優等生の可愛い女の子を大切に扱う様は、高校生のとき野球部の奴にキモい男と可愛い女の生命ランクの差をしっかりと教え込まれた自分にはとてもリアルに感じられた。
また、主人公が東京工業大学に合格した顔が悪くなくて運動もできてセックスに不自由しない中学高校のときの同級生の男に重なってストレスしか感じなかった。
合唱祭のとき女は非常に彼の言うことを聞いた感じがする。自分の声を汚いと言いはしなかったが、そんな風に扱った気がする。そして、イヤイヤにやっているとも言った気がする。
確かに自分の声は汚かったが、やはりベストは尽くしていたし、嫌になるのは仕方なかった。
体調は酷く悪化の一途で薬の副作用で顔も今よりもボッコボコで、ベタベタで脂やら膿やらでひどかった。
高い家庭教師を父の稼いだ金で大量につけてなんとか低い成績をあげようともしていた。
結局自分はありとあらゆることが高校卒業時にはボロボロになっていたが、彼は全てうまくやった。
あいつが東京工業大学に合格したのを知っているのは、母親が河合塾の合格者の声を集めた新聞広告に自分と同じ高校出身の奴がいると、話題にしてきたからだ。
そんなやつとあの映画の主人公がなぜか重なって仕方なかった。顔が良くて女に好かれていたからだろうか。
映画に戻すと、容姿の良くないものが自然と引いていく様は良くできていた。
容姿がいいもの同士がくっついているのもそんなものだなと感じた。
これ、親しい関係のやつがいうから意味があるのであって、親しくもないやつ相手に多用する人は思考停止のテンプレ脳か人格的にクズかのどっちか。
「そうなんだ、私○○○にいくね」はまだ工夫の余地があるが、このコトバは工夫の余地がない。
意見が違うやつが同意できないと言ってるだけなのだから事実上何も言ってないのと同じ。
ただ、これをいうと上に立った気分になりたいというマウンティング欲だけが駄々漏れになってしまう。
使ってもいいことないと思うんだが、そういうこと考えないから多用してしまうんだろうな。
深読みしすぎだ、俺はそんなこと考えてないって言う人の気持もわかる。
このコトバ言ってる人間からしたら、特にマウンティングとか意識してなくて
どうでもいい話を読まされた時に、とりあえず類型化してゴミ箱に放り投くための機械的な手続きに便利だから使ってるだけなんだろう。
だが、普通に言ったらダレがどう聞いても嫌味な言い方なわけでね。 有名だからって、言ったソイツがイヤミじゃなくなるわけじゃない。
言葉の使い方って結構大事で、マザーテレサもいっていたように言葉が思考を作り、思考が行動作るわけだから。
どうでもいい話とだけ思ってるなら「どうでもいい」という言葉を心のなかで唱えてスルーすればいいんだよ。
この言葉をわざわざ使うってことは、やっぱり心の何処かでイヤミな心が引き起こされてると思うんだよ。マウンティング欲が引きずり出されてくると思うんだよ。
そうやってわざわざこのコトバを無意識にずっと使ってるとそのうち言葉に引きずられて思考もマウンティングよりになってくる気がする。
だから俺はあんまりこの言葉を安易に使う人が好きではない。 「強い言葉を使うなよ弱く見えるぞ」的な言葉と合わせて、こういう言葉多用する奴はアホである。 twitterで見かけたら問答無用でブロックする。
文脈無視して思考停止のバカに使われちゃうの、日本橋先生も嘆いておられるのではないか。 日本橋先生ってそういうのを一番嫌いそうだからな。 公式に否定されたので削除。
reimaは黙ってろ。この人言動がいちいち腹立つ。
大阪生まれで日本中あちこちを転々としてきた者だが、大阪の親戚の家に行くたびに抱く感想を書く
これはちょっとありえない。
電車から外を眺めるとまるでスラム街のような地域が広がっていて驚く。
ご自慢の梅田も立派なのは駅構内だけで、一歩外にでるといかにもな景色が広がっている。
仮に御堂筋が綺麗だとすれば、丸の内・日本橋や表参道はなんなんだろう。
二千円の美味しいランチを食べられる店はほとんどないけど、数百円で満足できる店は確かに多い。
まあ炭水化物ばっかりでおっさんになってから食いたいものはあまりないが。
見る人がみればそうなのかもしれない。
梅田から心斎橋なんて直線距離で三キロもないんだから、東京で言うと新宿から原宿くらい。
新宿と原宿なんてほとんどセットなのに、あたかも二大都市であるかのように分ける意味がわからん。
6/14のことだ。仕事が終わり、かねてより約束していた飲み会が大阪某所であった。
酒に弱い自分も、今日は久々だからとそこそこ飲酒もし、解散後も日本橋の店やカフェを巡って楽しい時間を過ごして実家へと家路についた。
最寄り駅を降り、駅舎を出て歩きはじめ、自宅までちょうど半分くらいに差し掛かった頃、急に猛烈な便意を催した。
今まであまり感じた事のない、急激な下痢の予感。飲み会での飲酒飲食、その後のカフェでのコーヒー摂取がかなり負担になっていたのだろう。
深夜でもあり、周りに人気はほぼゼロ。もしこれが自宅そばでなければ、迷わず茂みに飛び込んでそこで放出する事も出来たが、生憎と遮蔽物も無い住宅地。
いくらなんでもそんなところでのグソは出来ないし、万が一ご近所に視られたら…無理な注文であった。
これまでも間の悪いタイミングで催し、限界ギリギリで難を逃れた経験は比較的あった。今回も何とかなるだろうと、お尻の筋肉に喝を入れて自宅に急いだ。
しかしこれがいけなかった。判断力も鈍っていたのであろう、あまりに急激に動きすぎてしまったのだ。
アルコールも回っているせいか、一歩一歩がとてもしんどい、ぜーぜーと息も上がってきた。
自宅前に立ちふさがる20数段の階段が非常に恨めしい、なんとか耐えきり、登りきった。
後は30数メートルまっすぐ進めば、実家が見えてくる。視界にそれが入ったとき、安堵感からふっとお尻の筋肉が弛緩してしまう。
突然、むりゅむりゅっとひり出されてくる感触に戦慄する・「ああ・・・!あああああああっ・・・・!!!!!」
無意識にお尻に手を当てて走る、もうなりふり構ってられない、とにかく走る、ちょっとくらい出てしまうのは仕方ない、とにかく鍵を開けてドアを開け、便所に駆け込むその一心だった。
自宅前のポーチに辿りつこうとした時だった、遂に粘ついた下痢状のモノがいよいよ溢れ出す感触が尻全体を覆い、太ももを伝って、靴の中にぬるっと入る感触を覚えた。
思わず、夏目漱石先生がうんこを漏らしてしまったくだりが頭に思い浮かんだ瞬間であった。
終わった、全てが・・・
汚れきったお気に入りの白いズボン、まだ新しかったベージュの皮靴、おろしたての靴下、全て見事に下痢便に染まってドロドロであった。
深夜なので、誰も外に居ない。放心状態でそれらを脱ぎ捨て、下半身裸の状態で、そばの排水溝で残りをすべて出し切り、もはや一人ではどうにもならないと悟って実家のインターホンを押した。
父親が出た。事の顛末を伝えて助けを呼ぶ。静かに出てきてくれ、後始末に使う雑巾、ビニール袋、水遣り用ホースなどなどを府一派りだしてもらい、下半身を洗い流した。
複雑な表情を浮かべつつ、時折怒りが抑えられず私の頭を殴りつつも、後始末を献身的に手伝ってくれた。全く頭が上がらない、情けない気持ち、消え入りたい気持ち、感謝の気持ち、アタマがぐるぐるした。
先に寝ていた母親と妹も起き出してきたので、全てが露見した。さすがに外には出てこなかったが、翌朝から今に至るまで一言も私と会話を取ろうとしない。家の中ですれ違うと露骨に避ける。妹にいたっては、私を汚物を見る目そのものであった。
父親にはここ最近の外出、生活態度からありとあらゆるお叱りを受けた。元々、あまりに出来の悪い息子なため、こういう事態になると日頃押さえている言葉が続々出てくるのも致し方なく、私はただ無言でうなだれ続けるしかなかった。
漏らしたブツの後始末すら、自分一人でやりきれず手伝わせたのだから、全く以て情けないの一言なのである。風呂の中で思わず、ほろりと泣いた。とにかく情けなかった。そして唯一叱ってくれる父親に対する感謝も。
その夜は全く眠れず、夜が白み始めた頃を見計らい、暗すぎて出来なかった後始末の残りを、一人庭先で手早く済ませ、汚れ物はすべて新聞紙にくるみ、ビニールを何重も被せ、ちょうどゴミの収集日という事もあり、ゴミ捨て場に。
記憶を総動員し、漏らし始めた当たりの場所もくまなく調べ、落ちていた汚物を回収し、雑巾と水入りバケツで手早くアスファルトをこすり続け、水を流し続けた。懇意にしているご近所さんのそばで零していたのだから、間違っても放置なぞ出来ない。
全てをやり終え、もう一度風呂に入り直した。上がった頃、父親が起きてリビングで待っていた。
表情は相変わらずの渋面だったが、日課の新聞を読み終え、外に出て汚れや臭いがまだ目立っていないか、共にチェックをしてくれた。
なんやかんやで気を回してくれる父親の存在が、本当にありがたく感じた。恐らく、今日の出来事は一生、言われ続ける事であろう。
願わくば今後、この私の失態が、笑い話に出来るようになるよう、少しでもマシな息子になれるよう、頑張ろうとちかいつつ、その朝も出勤した。(終)
ある日突然電話がかかってきて日銀の人間と会うことになりました。OB訪問ということで日本橋の喫茶店で待ち合わせました。
待ち合わせて出てきた日銀マンは竹中直人を遥かに凌ぐ頭の砂漠化で
「うへー、随分年季の入った人が出てきたな、、、。」と尻込みしたのを覚えています。
しかし、話を聞くとシッカリと若手でした。見た目と実際の年齢とのギャップが日銀の激務を物語っているのでしょう。
この日の日銀マンとのやり取りは人生でもワースト3に入るべき悲劇でした。
OB訪問ということで仕事の内容をもっと深めようと意気込んでいたのですが、いきなり「君は何がしたいの?」から来ました。
まあ、世間一般でいう日銀の任務をこたえて、その中で自分の特質からこのような業務に携わっていきたいと他社と同じように答えると以下のように日銀マンはのたまいました。
「マクロ経済の本は何冊読んだ。」(適当に教科書の本を挙げました)
「他にもマクロ読んでいるんだろ。」
「えっ、たった2冊!!」(本当は1冊も読んでおりません)
「じゃあ君はミクロの本を読み漁ったのね。」「ISーLM曲線についてちょっと説明してみてよ。」
日銀マンはこちらの発する言葉の一つ一つを全力で分析して言葉尻をたたいてきました。日銀考査を恐れる民間金融機関の心の痛みが辛辣に理解できました。
さらに追い討ちをかけて、
「君は本当に経済学部の人間か?」「何で君は慶應に行ったの?」
「大体なんで君はそんなゼミに入ったの?」
「うちには超優秀な人間しかいないのだから、採用する学生も超優秀じゃないと話にならないよ。」
もはや人間として狂っているとしか思えませんでした。僕にとっては革命的な出来事でしたよ。ハルマゲドンってゆーかハゲマルドンに襲われた気分。
★企業の最先端の取り組みに対し、国の「補助金」とか「政府系金融機関による低利融資」が付くケースがある。
中小企業やベンチャー企業であれば、補助金。低利融資は「有難い話」になるが、
巨大企業の場合は、「別に補助金なんかなくても事業遂行できる」場合も多い。
「低利融資」だって、この低金利なご時世だと、大企業が自身の与信で借入を起こした方が、
★例えば、三井不などの「柏の葉スマートシティ」とか「日本橋スマートシティ」などは、
多分国交省だか経産省だか環境省辺りの補助金等を貰っていると思うが、三井不は別に補助金がなくても事業遂行できる体力もあるし、
★補助金を貰ったり、低利融資を受けたりする手続きは意外と大変。
通年で受け付けていないケースが多いし、書類準備も大変。
「補助金申請準備手続きに1年程度掛かって」「その作業に社員1人が張り付いてしまう」のであれば、
数百万円程度の補助金であれば、「社員の給与の方が多い」ので、「補助金手続する分だけ損」となる。
★・・・にも関わらず、三井不が「あえて補助金を貰う」理由は、はっきり言えば「宣伝効果」という側面が大きいと思う。
「この事業は環境省の補助金を受けました」と銘打てるのであれば、
直接の補助金インカムが500万円、三井不人件費マイナスが1,000万円でも、
★「国の補助金が付く」ということは、「事前の国の審査に合格した」ということ。
つまり「最先端の取り組みである、と国がお墨付きを与えた」ということ。
三井不が欲しいのは「国のお墨付き」であり、別に補助金も低利融資も欲しくない。
「別に補助金も低利融資も欲しくないが、国のお墨付きが欲しい」という巨大企業に、
結果的に補助金を手渡すのは、税金の無駄遣いという気も、しなくない。
★だから、補助金や低利融資はないが、国が「お墨付きを付ける」という制度を用意すれば、
そうなると、補助金を「真に必要とする中小企業だけ」に渡すことが出来る
★あと、三井不あたりだと、
かつて江戸と呼ばれていた地は明治維新と呼ばれる革命によってTOxKYOに改名された。
一般に明治維新は無血開城とされ、極めて平和的に遷移したと言われてきたが、近年の調査によって、これは新政府による隠蔽工作である疑いが強くなった。
当時の江戸は人口が100万人を超える世界に類を見ない超過密都市であった。
狭い路地を傘をさした人同士が行う傘かしげなど、微に入り細に入り生活を規定することで、余計な争いを避け、超効率的な生活を維持するために発展したと考えられている。その規定数は定かではないが、精力的な研究によって発掘が続けられ、年々数を増やしている。
(日本橋のたもとには公開処刑場があり、重篤な違反者は首を切られ晒し者にされた)
竹鋸引きという江戸しぐさは、犯罪者の腹を竹でできた(故になまくらな)鋸で切り、通行人がこれを引くことで、犯罪に対する抑制と反省を促した。
また、えすかれーたー両側のりという江戸しぐさは、エスカレーターの本来の仕様である、両側乗りをしために、後から駆け上がってきたサラリーマンに舌打ちされながら押しのけられるトラブルを避けるために決められた。
なぜなら、江戸しぐさを生み出し、守り伝えてきた江戸っ子は、明治維新後の政府によって虐殺されたからである。
明治政府は古いしきたりが明治政府の支配に悪影響を及ぼすと考え、これを棄てることを迫った。反対する者は尽く虐殺して海に投棄したと言われている。その数は正確には判っていないが、文化を破壊するほどの大規模な虐殺であったことは想像に難くない。明治政府によって地方部から新しい住民が移住させられ、表面上は無血開城という体裁がとられたと考えられる。
ここで、いま一度、江戸がなぜTOxKYOとなったのか思い起こして欲しい。
暇なんで作ってみた。
=====ハーバード、スタンフォード、MITレベル(住める場所があるのか疑うレベル)====
=================東大、京大レベル=========================
=================宮廷、早慶上位レベル========================
【60】麹町 四谷 市谷 中目黒 外苑前 新橋 九段下 神楽坂 新宿
=================早慶下位、上智、ICUレベル=====================
【58】新宿三丁目 後楽園 豊洲 根津 茅場町 築地 泉岳寺 曙橋
【57】東大前 千駄木 湯島 代々木公園 門前仲町 新宿三丁目 八丁堀 三田 芝公園
【55】池袋 月島 新御茶ノ水 淡路町 代々木上原 秋葉原 西新宿 浅草 大門 浜松町 神田 新富町 清澄白河
=================MARCHレベル=========================
【54】小川町 中野 高田馬場 人形町 小伝馬町 上野 荻窪 新宿御苑 五反田 牛込柳町
【52】東池袋 入谷 茗荷谷 稲荷町 田原町 押上 森下 勝どき
=================日東駒専レベル=========================
【49】西早稲田 本駒込 護国寺 木場 春日 上野広小路 馬喰横山 住吉
【47】落合 南阿佐ヶ谷 新高円寺 東高円寺 中野坂上 巣鴨
=================大東亜帝国レベル=========================
以下Fラン
小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県生まれ神奈川県・東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)
利根川進 ── 京都大 ── 愛知県生まれ富山県・東京都育ち(小学校富山/中学から東京)
白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)
朝永振一郎 ─ 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都)
下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府生まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)
根岸英一 ── 東京大 ── 満州国生まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川)
東京大7
京都大5
名古屋大2
■生まれ
大阪府2
■育ち
京都府3
http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正)
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湯川秀樹(出生地:東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった
江崎玲於奈(出生地:大阪府)親は大阪府、三重県 ※助手のアイデアのパクリ
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下村脩(京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都生まれ
根岸英一(満州)親は東京都、本籍は日本橋、目黒の根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住
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わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県の豊橋で生まれた。軍人だった父の
小柴俊男がそのころ豊橋の陸軍第18連隊に所属していたからだ。
母親は、はやといって、千葉の木更津の農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、
父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉の館山の
父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋で小僧代わりに働きながら
学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要の陸軍学校へ進んだらしい。
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祖父の塩川三四郎は1873年生まれ、政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部を
卒業した。そして、渡辺千秋(長野県出身)の次女・千夏と結婚した。
「野依」は母方の血筋で、福岡県の東部、築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ
庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。
(野依良治『私の履歴書 事実は真実の敵なり』日本経済新聞社)
http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9
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朝永振一郎の父三十郎は、東京で真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。
朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県生まれで、
おやじは長崎生まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では
東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎』みすず書房)
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私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。
母は福島県の出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。
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利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが
同じ貧乏侍の利根川という叔父に子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。
家内の父方は弘前藩士(青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー)
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北大理学部を受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。
恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ
山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男の鈴木さんは16歳だった。
(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身)
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日本橋のぼったくりメイドカフェに引っかかってしまったので、自戒と拡散の意味も込めてここに記したいと思います。なお、本エントリは身バレ・店名バレ防止のためにも一部フェイクを織り交ぜて書くので整合性が取れないところがあるかもしれません。予めご了承ください。だいたいは事実を書くつもりですので、ここはフェイク入れてるなと生暖かい目で見守っていただければ幸いです。
このエントリがより多くの人の目に止まり、悪質なぼったくり被害に合わない方が一人でも増えることを切に願います。
まず、私のメイドカフェ経験について。今までトータルで行ったのは2回でそのどちらもが別のカフェです。そのどちらも、特に安いとは思いませんが値段相応に楽しむことは出来ましたしぼったくられたというわけではありませんでした。オプションなど込みでだいたい1時間3,000円ぐらいでした。メイドカフェに行くのも悪くないなと思いつつあるこの頃だったので、どうせなら今までと違うところに行ってみようというのが今回行ってしまった原因です。
まず、客引きがメイドカフェ然としていないことが挙げられます。具体的には「お兄さんお兄さん」「お兄さんどこいくのー?」とまるでキャバクラや風俗店のようにタメ口で声をかけてくるところです。道頓堀を歩いていたらしつこいぐらいに客引きをしてくる連中を知っている人はそれを思い浮かべていただければと思います。客引きの時点でおかしいなと思ったらその時点で逃げましょう。
もし、不運にも入店してしまったら最低限に被害を抑えることを心がけましょう。
メイドカフェでは最初に店舗のルール(メイドさんの服に触れない等)を説明されると思いますが、これが長い・複雑だと危険です。罠が潜んでいると警戒してください。オプションが色々ある事自体は悪くはありませんが、これをしつこく勧めてくるのも要注意です。メイドがテーブルにつくこと自体に料金が発生するところだと、他のメイドを呼んで料金を膨れ上がらせようとしてきます。断ってください。また、メイド分の飲み物代を出さなければならないところ、カラオケで一曲ごとに料金を取るところも要注意です。一度OKすると、「飲んでいい?」と断りづらくなりますし、カラオケに至っては「次これ歌おー♪」などと勝手に入れる始末。料金が膨れ上がります(※メイド分の飲み物代については、以前楽しめたところでもあったのでそれ自体が悪だというつもりはありません)。
その時は話も盛り上がりそこそこには楽しめていたので、15,000円までは覚悟しよう……と腹を括り時間が来るのを待ちましたが、会計の時にそれは甘かったと知らされました。60分のコースなのに、入店から60分経ってもなかなかタイマーが鳴らない。不審に思って聞いてみると「カラオケ中はタイマーも止まるんだよー」なんて言われたので何故か納得してしまい、結局2時間半も居てしまいました。流石に怖くなって帰ろうとしたら半ば強引にチェキを撮らされて料金が膨れ、お値段なんと40,000円。クソ高え。
流石に驚いて「高すぎない?」と聞いたら「内訳見てもらっても良いよ」との返答。伝票を見ても店舗での用語だらけで何に対して料金が発生しているかわかりませんでした。連中の思う壺です。ポイントカードをもらいましたが、二度といくつもりはありませんので帰宅後に破り捨てました。
下品な表現ですが、大して美味くもないドリンクを飲んで大して聴きたいとも思わないカラオケを聴いて大して撮りたいとも思わないメイドとのチェキを取ってこの値段なら、風俗なりソープなり行ったほうがよっぽどマシな金の使い方だったと思いました。
せめてものの反抗として、レジで料金に対して不満があることを表現することで、店内に居た他の客に「この店は危ない」と知らせたつもりでしたが、彼は気づいてくれたでしょうか。彼のその後が心配です。
被害にあったと何度か記述していますが、こんな連中に引っかかった私にも落ち度があります。なので決して被害者意識を特別強く持っているわけではなく、こんな連中に引っかかった私への怒り・私にとっての大金(40,000円)を失ったことに対する怒りが感情の大半を占めています。
また、今回の店舗の店名は記述しません。インターネットの書き込みを見ていると暴力団が背後にいるなどと書かれており、揉め事を起こすことに絶対に避けたいからです。暴力団なんて我々小市民からすると怖い存在ですしね。(本エントリも含めて)インターネットの書き込みを過信するのは危険だと常々感じておりますが、私個人としましては今回被害にあったことを思うと可能性としては決して否定できないと考えております。そのためもし店名がわかったとしてもコメントなどで書くことはしないようお願いします。店名は明かしませんが、前述の特徴を見て、被害に合わない・最小限に抑えるよう心掛けていただければと存じます。
今回はじめてはてな匿名ダイアリーで書かせていただきました。このようなことは恥ずかしくて友人・家族に愚痴をいうことも出来ませんし、ここで吐き出させていただきました。この日記を見られた方が新たな被害者とならないことを切に願うばかりです。
私自身、まだ経験は少ないですが、日本橋には楽しい時間を過ごせてぼったくり価格ではないメイドカフェは確かにあります。客引きをしているからといって必ずしもぼったくりとは限りませんし、メイドカフェだからといって必ずしもぼったくりというわけではありません。メイドカフェに行く時は客引きにそのままついていくのではなく、一度店名で評判を調べてから行くことが懸命です。日本橋総合案内所に尋ねるのもよいでしょう。「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉の通り、こういった悪質なぼったくり店舗のせいで優良なメイドカフェまで駆逐されてしまうとたまったものではありません。是非とも良貨こそが悪貨を駆逐してほしいところです。
メイドカフェ経験が豊富な方からすると「何をたった3回目のメイドカフェで、何をたった1度のぼったくり被害で大きなことを言っているんだ」と思われるかもしれません。そこは何卒お許しください。
自分自身年収500万あれば十分に足りるし、500って相対的に貰っている方だと思うが...…
1,000万あっても(彼らの納得いく物件には)なかなか住めないらしい中央区は銀座に住んでいたことがあるのでその頃の思い出を語る。
実家は都心ではないが交通の便がよく、なかなか出る気にならなかったが、都心だったら住んでも良いかなと思っていた。いちいち都心まで出て行くのが面倒だったし、旅行したときには周辺よりも中心部にホテルを取る癖があり、時差ボケなので早朝起きて誰もいない繁華街を歩くのが楽しいのだ。歌舞伎町や渋谷も面白そうだが治安が悪いところと夜うるさいのが嫌だったので、手始めに銀座にしてみた。
まず住居について。一体どこに住むのか?
昭和通りと外堀通りの間も『銀座』ではあるが、そこにはまず人は住んでいない。オフィス用の物件ならあるかもしれないが、とにかくオススメも出来ない。ゴミの回収が朝7時半までなのである。昭和通りと環状線の間にある銀座1〜8丁目。そこがわずかな居住地。歌舞伎座を中心に広がる一帯であり、銀座中学校があるなど意外に人が住んでいる。夜はまあまあ静かだし、ここはゴミは8時〜9時ごろ月〜土まで毎日回収に来てくれる。ただし周辺に飲食店が多いため夏は害虫の被害は免れられないのが欠点。ついでに、日当りも悪い。相場も高めだ。ワンルームの平均が11万程度か。ただし10万を切る物件もあるにはある。黒川紀章のデザインした中銀カプセルタワーは何だかんだでまだ残っているみたいだから、一番安く住めるのはそこだ。セカンドハウスとしてメタボリズム建築の記念碑に住んでみるものたのしいかもしれない。5.6万円、たった10平米(普通たったは家賃につける)。
食事について。
外食派にとっては、かなり良い立地だと思う。最近話題のラーメン屋も多いし、複数人でいるのであれば食事には事欠かない。とは言え、庶民の食べる店や一人で気軽に入れる店はそこまで多くなく、オフィスを銀座にしている人の方が楽しめる場合もあるかもしれない。
自炊派にとっては、これが賛否分かれるところで、一番しっかりした食料品店は松屋銀座だ。これにビビって外食に転んでしまうか、周辺に目を向けて食材をかき集められるかで分かれる。他に、ドン・キホーテ、肉のハナマサがあるが、量が多い。新橋駅の下にもとまちユニオンby京急ストアがあるが、小さい。ところがもう少し足を伸ばすと、東京の台所築地市場と、一時期どんどん出店したアンテナショップ群がある。特に茨城マルシェの野菜の品揃えが名前に劣らず良い。ここまで行けると、銀座暮らしは断然楽しくなってくるが、毎日帰り際に食材を買うだけでよく、街歩きに興味がなかったり、残業が多いタイプだと厳しい。とはいえ、スーパーは新富町や日本橋といった同じ中央区ではもっと少ない。最近はコンビニも生鮮食品を扱っているので、うまく活用していけば暮らせるのだろうか。
銀座に住むことの利点は、夜帰りやすい、新橋を含めて、飲み歩ける店が多い、ハマれば食材探しが面白い。築地の食品は決して安いとは限らず、量が多いだけのものもあるが、新鮮さと種類の豊富さが魅力。路線も日比谷線、都営浅草線、大江戸線、有楽町線、丸ノ内線、銀座線と地下鉄が走っていて、有楽町か新橋まで歩けばJRもよりどりみどりだ。これがないと500万円で銀座に住むことはかなわないと言える。到底、車などは持てない。あまり娯楽費や固定費がない人であれば可能であろう。
家賃がだいたい10万円だとして(自分は切っていたが)、1年120万円+α、会社の補助など入れて、自炊を中心に無駄遣いしなければ十分暮らせた。ただし酒、タバコ、車、外食の2つ以上をやる人は難しいと思う。パチンコやる人はやめとけ。近所に多い割に1玉4円くらいで勝てる見込みはほとんどない。
銀座に住んでいると衣住食が(家が狭いこと以外は)だいたい充実したから、それが醍醐味かな。劇場とか映画館とか美術館とか歩いていけるところにあるし、ちょっとしたパン屋とか珈琲屋とかも面白いところがある。そして朝の誰もいない銀座!フィッシュマーケットを探す外人はいるけど!なんか面白いし清々しいんだよな、ビル低いし。生活コストは結構安いと思うんだよな......前住んでたところはロールパンとか198円だったけど98円だったし、牛乳も189円とかだったけど150円以下は当たり前だった。服も昔と違ってH&Mとかあるから高級店ばかりじゃなくなった。3,000円で3着買えたりするのが当たり前。意外とそういうところもあるんだな、と勉強になったよ。
まぁ今は事情があって田舎に引きこもってて次に移る都会を探しているところです。大して金持ちにもなってないので、狭くてもいいから『そこ住めるの?』って人にビックリされるところがいいなあ。
4月17日 7:00追記----------------------------------------------
朝起きたらバズっててビビった。ブコメ参考に間違い(外堀通り→昭和通り、新宿線→浅草線)直したよありがとう。中銀カプセルタワーの人気に嫉妬。ネットかかってて取り壊ししそうなのにまだ募集しているから住めるんだな。ブコメより→http://www.smaheya.com/rent/1807/
>問題は自転車なんだよなぁ
銀座から自転車に乗るのがオツなんだよ!銀座に行くのが目的だと来たら終わるものが、住むとそこから広がっていく感じ。そこそこの値段の車両(5〜15万程度、アルミのジャイアント、ビアンキ、Specialized、キャノンデールあたり)が毎日同じところに繋がれていたけれど、全然盗まれないから治安がいいんだなぁと感心していたよ。超高級ロードに乗っている人は銀座に通勤している人が多かったね。とりあえず和光前を走ってからどこか行くようにしてたな。夕暮れ時とか気分がいい。
>こういうの手取りなのか額面なのか明示して欲しい。
手取り500万って王侯貴族だなあ。年収500万だと手取り250〜300くらい?そんくらいだよ。
これにハマったクチ。気分はトリコで毎週末ハントしまくった。西日本の魚が美味しくてね。日本中の食材が手に入るから冷蔵庫がパンパンだった。今は田舎に引っ込んで憑き物が落ちたみたいに興味なくなったけど。オススメアンテナショップは、全国まちからむらから館(野菜)、茨城マルシェ(野菜)、せとうち旬彩館(うどん)、北海道(スイーツ笑)だな。レストランだと鹿児島、広島が頑張ってる。高知とか山形も良いし。l
次の都市、秋葉原2票かぁ。確かに面白いかもしれない。自分とあまり共通点がないところも、住めばハマって新しい魅力がわかるかも。永田町、霞ヶ関はいいね、ランチが面白そう。丸の内、日比谷とかもいいんだけどどれも銀座に近いのがな。自由が丘、成城に住んでも結局銀座に買い物に行ってそうだ。遠すぎる、なんだかな。豊洲は面白みがないし。下北沢は雰囲気的には好きだし劇場もあるけど、ブランドパクリののバッグが3千円くらいで売られている町って感じ。ああいうの持ってる人どこで買ってるんだと思ったら下北で売ってた。そんなの銀座で持ってる人やっぱいないもんな。まあ自分は無名の革バッグ9千円くらいで買ってるような人間だけど、うろちょろしてたら色々と知識は身に付く。ケッて思う人もいるかもしれないが自分はトレンドとか面白いなって思う方。で、H&Mに行くんだけど。
2chでもはてなでも、東京vs地方みたいな罵り合いがよくあるけど、こないだ俺のそばで起こった出来事。
ちなみに居住地とか出身地とかフェイク入れてます。悪あがきかもしれないが、女性相手のネタなので、特定されるとめんどくさいので。
俺は数年前に広島から出てきて、今は足立区の下町住まい。当初は関東の水に馴染めず、生活も家と会社の往復だけで友達もいない。そして人が冷たい。「お・も・て・な・し」という言葉が当時あったなら、全力で否定したくなる感だった。俺は元々酒が好きだから、会社帰りに駅近くの店にいってみたことがあるけれど、どこもイマイチで楽しくなく、もっぱら家飲みばかりで鬱屈とした気持ちがあった。ぶっちゃけ2chで「トンキンが!」と煽ってた時期であった。
ある日、地元の人が書いているブログに出会った。書いてる人は大島さん(仮名)という40代後半のおばちゃん。自称「足立区の女王」。この人のブログが、俺の行動範囲をカバーするように飲み歩いていて面白かった。しかしこのブログは、普通じゃ一見さんは入らないような場末の雰囲気の飲み屋から、通過するだけじゃ気づかないようなマニアックな居酒屋まで幅広くカバーしていた。内容も、下手な食べログの記事以上にお店の詳細が載っていて、あちこちのお店とも仲がいいらしく、お店のおすすめ料理はもとより特色や店長のキャラクターまでも紹介されていた。
後に大島さんがTwitterをやっていることもわかり、早速フォローして、色々と雑談や情報交換するようになった。銀座のホステスをやっていたというだけあって、話も軽妙で聞き上手。そして下町に住んでいるからか、豪快でサバサバした感じが「40代女子(キャピッ☆」みたいなのとは対極なキャラクターで、話をしても楽しかった。
そんな大島さんと交流するようになって、足立区の、いや東京での生活が好きになってきた。それまで生活するにあたって不安で不満だったのは、その土地で住む人々の顔がみえなかったから。ブログを通して、そんな人々の顔が見えるようになったことから安心感が生まれ、ブログに出ていた色々なお店を覗くうちに、足立区での友達も増えてきた。2chで煽ることもなくなり、むしろ煽りを醒めた目で見られるようになっていた。
そんなある日大島さんが広島へ行くという話をTwitterで聞いた。道中、リアルタイムで流れてくる広島での居場所に対して、こっちが知っている限りの情報を提供した。今までブログに助けられた恩返しのつもりもあったが、なにより自分の故郷である広島を楽しんで欲しい気持ちでいっぱいだった。
「広島は楽しかったけど、東京人は冷たいと言われて寂しかった」
「僕も当初はそう思っていましたが、大島さんのブログを見て、そこにリアルに生活する人たちの息遣いを感じて、東京人が冷たいという考えは間違っていると知りました。そう思ってしまう人は、大島さんのような人もいるということを知らないんですよ。冷たい人はいるかもしれませんが、少なくとも大島さんのことではありません」
そんなレスを返そうとした矢先、
「東京でスカしてるのも地方出身者!東京で犯罪を起こすのも地方出身者!」
吐き捨てるような勢いで流れてきた。
スカしてるのが地方出身者?俺の知り合いで、日本橋の卸問屋の四代目がいるけど、バブルの頃は毎晩六本木でブイブイ言わせていたの自慢してたけど?
結局このおばちゃん「東京人=冷たい」とレッテルを貼る地方出身者と同じメンタリティで、逆ギレしてるだけじゃん。てゆーか、最初の頃方言が抜けなかった俺に対して、わざと言葉が通じないふりしていた「冷たい東京人」そのものじゃねーの?
俺は、大島のブログをブックマークから削除し、Twitterから大島をブロックした。狭いエリアなので会うことはあるかもしれないが、どのみち顔を知らない間柄。一説によれば、大島のバナーはボディービルダー時代のむきむきな体だが、悪あがきも虚しく連日連夜の飲食がたたって、ジャバザハットになっているらしい。どこかの飲み屋でたまたま隣り合ってもきみまつかないだろう。そこで仮に俺が地方出身者だと紹介してみたら、一体どんな目で見るんだろう。