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2019-03-17

ピエール瀧 20代仕事について

僕の20歳は、「人生」っていうバンドをやりながら東京一人暮らしをしてて、医療系の専門学校中退した年ですね。臨床検査技師勉強をする学校だったんですけど、1年目の途中であんまり行かなくなって、2回目の1年生の夏に、ドラクエ のやり過ぎで辞めたんです。辞めたからといって地元静岡に帰っても仕方ないし、仕送りを止められたので、バイトバンド活動に明け暮れてました。あ、明け暮れてはいないですね。バイトをそこそこやりながら、あとは遊んで暮らしてました。すいません、ちょっと自分を良く言おうとしちゃって。お恥ずかしい。

このころは幡ヶ谷ワンルームマンションに住んでました。いまもバンドを一緒にやっている(石野)卓球笹塚に住んでいて、ちょうどその中間地点に練習スタジオがあったんです。当時はインディーバンドブームで、僕らも雑誌に取り上げてもらったりして、幾らか知名度はあるインディーバンドっていうようなポジションでしたかね。

仲の良い友達と始めたバンドから面白かったですけど、僕は部活みたいな感覚でやってましたから、とうていそれで食っていくってことを思いつくはずもな く、とくに将来のことも考えずに基本毎日ぷらぷらしてたんです。夢中でガチャガチャをやり過ぎちゃったり、CDジャケ買いして失敗したのが痛いとかで、 明日晩ご飯代がないみたいなことはありましたけど、そういう無目的若者でもなんとかやれる土壌があったというか、都市の遊びの部分に上手くハマってたんだと思いますけどね。

ただ21歳になるころ、インディブームからバンドブームみたいなものに変わっていって、僕らのバンドでやれることも飽和していたので、「人生」解散したんです。

当時はちょうどテレビ深夜放送が始まったぐらいのころで、よくバンドPVが流れてました。「人生」を辞めて僕はもうバンド活動はしないと思ってたから、それを見て、PV監督になりたいなぁと思ったんですね。それで知り合いが紹介してくれて、バイト四谷三丁目にある小さな映像制作会社に入ったんです。

そこは、地方CM企業宣伝用の映像とか、そんなにメジャーじゃないバンドPVを作ったりするような会社でした。20歳そこそこの小僧が見る世界としては、高価な機材とか目新しいものがいっぱいあるし、撮影現場で「本番!」みたい な感じがすごく面白かったですね。ただ会社が小規模なので、現場に付く下っ端が僕一人しかいないんですね。教えてくれる人もいないのに、現場はどんどん進んでいくわけですから、とにかくしんどかったです。辛くて泣きましたもん。夜中に帰って、当時一緒に住んでた彼女に「仕事が辛い」つって「うぇーん」って 泣いて、その45分後には「仕事行かなきゃ…」って言ってたりとかね。

そこで働き始めてしばらくしたら、卓球から連絡があって「こんど電気グルーヴっていうユニットを新しくやろうと思うんだけど、お前もやんない?」みたいなことを言ってきたんです。なんでまた俺を誘うのかなと思ったんだけど、「良いよ。でもこれは完全に趣味で、部活みたいにやっていこう」って言って、電気グルーヴ活動を始めたんです。

それで2回目か3回目のライブを見たソニーの人から声をかけられて、呼び出されて新宿寿司屋に行ったら「君たち、プロでやる気はないの?」って言われたんです。そりゃ、やりますよね。だって部活お金くれるんですから。とは言っても、条件は月給10万円。ザッツオール(笑)

ただこのとき、僕は、制作会社の人たちにはお世話になってるし、少人数の制作体制自分が抜けることの意味が分かってました。かといって二足のわらじはとうていムリですから、最終的には上司に「こういう話があって、すごく迷ってるんです」って切り出したんですね。そうしたら、「若いんだから絶対音楽の方に行った方が良いよ」って背中を押してくれて、それでデビューすることに決めたんです。僕個人としては「どうせこんなバンドポシャるだろうから(笑)、 まあ、3年ぐらいプロミュージシャン世界を見てきても、いま21歳だから24歳。まだいけんな」っていうのでデビューしたみたいな感じでした。だからプロになったっていう自覚あんまりなかったんですけどね。

すぐにレコーディングだってことで「マンチェスターニューヨーク、どっちがいい?」って言われたんです。「さすがソニー。金持ってんなぁ」みたいな感じでマンチェスターに行くことにしました。昔から好きだったニューウェーブとかギターポッ プみたいなものマンチェスターのやつが多かったですからね。向こうに2ヶ月ぐらい滞在してファーストアルバム作りました。当時「マッドチェスター」っ て言葉があって、マンチェスターが狂ってた時期の後半で面白かったですね。ライブを見たりクラブに行ったりすると、イギリス人にもゆるいやつとかメチャクチャなやつがいて、刺激はいっぱい受けましたね。まあ、こちらは21歳でなんも考えてないですからね。それはねぇ、そんなやつを自由にそういうところに行かせたら、やっぱり何色かにまりますよね(笑)

電気グルーヴふつうバンドと違って、主要な旋律はだいたい機械が出してくれるわけですよ。だから練習よりは、ライブの日のテンションの方が大事だったりするタイプバンドだったんです。僕は楽器をやるわけじゃなくて、たまにマイクを持ってがなったり、まあ歌ったり、歌を間違えたり、歌わなかったりとかもしますけど、ほとんどステージに出てフラフラしてるだけなんです。バンドって遊びの側面があるじゃないですか。僕の感覚としては、その遊びみたいなことをずっと続けてるのに近かったんですけどね。まあ客の盛り上がり加減を見ては「今日はもうちょっともっていけたのにな」って思うことはあったけど(笑)。だいたい、僕を見てるとは思ってなかったですもん。みんな卓球とかを見てて、たまに見られてる箸休め的な感覚でやってましたから。

2017-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20170409144247

そりゃ三鷹から渋谷ルート少ないだろうけど、四谷三丁目から新木場とかなら多様性がある。JR使うかメトロ使うか。

そういえば、大阪で苦労したのは梅田から渡辺橋に行くとき。どのルートでも途中で割と歩くという謎仕様だった、

梅田駅内でめっちゃ歩くっていうあれどうにかならんかね。

2014-10-22

東京メトロ都営で、住んでたら凄そうに見える駅ランキング

暇なんで作ってみた

都市から歯なれば場所は知らないです。

【75】広尾 永田町 大手町 桜田門 霞ヶ関 東京 有楽町

=====ハーバードスタンフォードMITレベル(住める場所があるのか疑うレベル)====

【70】麻布十番 表参道 広尾 

=================東大京大レベル=========================

【68】青山一丁目 六本木一丁目 銀座一丁目 日本橋

【66】竹橋 目黒 白金高輪 神谷町

【64】明治神宮 北参道 京橋

【63】溜池山王  虎ノ門

=================宮廷早慶上位レベル========================

【62】赤坂 二重橋 日比谷 三越前

【61】銀座 渋谷 

【60】麹町 四谷 市谷 中目黒 外苑前 新橋  九段下 神楽坂 新宿

【59】九段下 神楽坂 新宿 四谷三丁目 神田

=================早慶下位、上智ICUレベル=====================

【58】新宿三丁目 後楽園  豊洲 根津 茅場町 築地 泉岳寺 曙橋

【57】東大前 千駄木 湯島 代々木公園 門前仲町 新宿三丁目 八丁堀 三田 芝公園

【55】池袋 月島 新御茶ノ水 淡路町 代々木上原 秋葉原 西新宿 浅草 大門 浜松町 神田 新富町 清澄白河

=================MARCHレベル=========================

【54】小川町 中野 高田馬場 人形町 小伝馬町 上野 荻窪 新宿御苑 五反田 牛込柳町

【52】東池袋 入谷  茗荷谷 稲荷町 田原町 押上 森下 勝どき 

【50】本郷三丁目 末広町 蔵前 白山 若松河田 両国

=================日東駒専レベル=========================

【49】西早稲田 本駒込  護国寺 木場  春日 上野広小路 馬喰横山 住吉

【47】落合 南阿佐ヶ谷 新高円寺 東高円寺 中野坂上  巣鴨

【46】三ノ輪 新中野 雑司が谷 江戸川橋  西巣鴨

【45】新木場 北綾瀬  綾瀬 西日暮里 東陽町

【44】辰巳 江戸川橋 北千住 

=================大東亜帝国レベル=========================

以下Fラン

2014-02-15

2月14日東京雪かき可視化された「地域」の存在と「資本の強さ」と

東京大雪が降った翌日にあきらかになったのはそこに住む人々、生きる人びとの存在

今日都内を足元を中心に見てみて気づいたことを4つほど

浅草一帯や、人形町商店街なんかはすぐに雪かきが行われており、歩行がとても楽だった(高齢者が多いはずなのに!)

土日休みのお店も含め、居酒屋ビルの前やオフィス街アパートや低層マンションだらけの場所はまったく雪かきが進んでいない。具体的には麹町四谷四谷三丁目西新宿五丁目

セブンイレブンなどのコンビニカラオケ館などは、店の前を店員が自主的雪かきしている。これは地域に根ざしているという側面よりも、こうした事態に対応できるだけのマニュアルリソースを持っていることが関係しているのだと思う

一方、「磯丸水産」や数店舗展開する某有名店主腕組みラーメン店のような新興飲食チェーン店の前はまったく雪かきがなされていない

■つまり雪かきは2つの側面を顕在化してくれた気がする

1、地域の側面

雪かきをしてもよい、しようと考える人々がどの地域いるか(そこに地元への愛着心があるとか利他性があるとかいう話は置いておいて。一軒家かどうかとかも関係するしね)

2、資本の側面

大手資本商業施設オフィスでも、緊急事態非常事態にも対応できるほどのリソースを持っているか(カネ・マニュアル人材すべてだ)があるかないか

■オレんちの近くはどうだ?

このように、非常事態に陥るとその組織がどれだけ強固or脆弱かが露呈してしまう。

自分の住む地域雪かき状況をチェックしてみるとおもしろいかも

2010-08-05

新宿の夜の散歩道5ルート

当てもなく新宿を夜ブラブラするときに素敵な散歩

東南口(Flags前)を出て、甲州街道沿いにてくてく歩く。右側の高い位置に道路、左側に汚い飲み屋が続き、それが過ぎると家具屋とかギター屋がある。ギター屋の横には下着屋もある。明治通りとの交差点に出て、渡って新宿高校側へ。新宿四丁目のビジネスホテル街の昭和の雰囲気もいい。一泊2000円で泊まれる。そこから新宿高校前を通るとすぐ新宿御苑の横の道へ。歩いていくと四谷三丁目まで比較的すぐ。

東口を出て、騒がしい交番の前を通り、アルタ前の左側の混んでいる道を抜けて靖国通りへ。フルーツ屋の角からの道は、あやしいお店とか楽器屋とか、布とか売ってて、真ん中にはホームレスが拾った漫画雑誌を売ってるごちゃごちゃした雰囲気で楽しい歌舞伎町一番街の門を越えると焼肉屋とか飲み屋が続き、コマ劇があった広場へ。うろうろしてると客引きに声をかけられるけれど、比較的まだ安全なゾーン。となりのさくら通りとか区役所通りのほうが危ない人たちが闊歩してるイメージ。むかし高校のときにさくら通りの飲み放題の店でややぼったくられた。歌舞伎町を見たら戻って区役所の横からゴールデン街へ。ごちゃごちゃした小さなお店が並ぶ。時が止まったかのような人たちが毎日飲んでいる。ゴールデン街を抜けてすこし行くと花園神社。危ないという話もあるけれどお祭りやってるときは楽しい

南口を出て信号渡り動く歩道がある高島屋への道を歩く。2階からは向かいにあるハンバーガー屋とかジーンズ屋とかが見える。高島屋をつっきり、ハンズの横の道から外に出て、紀伊國屋のところまで行って代々木方面を見ると代々木まで300mと書いてある看板があり、近いなあと思える。ちなみに代々木駅階段はかなり急だ。橋を渡りサザンテラスに行くと、並ぶドーナツ屋が見える。francfrancなどのお店もあるので駅に戻る方向に歩く。駅に近いところに地方物産館みたいなのがあり、その逆側はカップルが座る植木になっている。

西口を出て、地上に出ると右側に小田急ハルクにはいったビックカメラが見えるのでそこにいく。ビックカメラ比較最近できたけれど、いいお店。夜遅くなると誘導されて出ることになる。2階あたりには耳栓売ってるスポーツ用品店とかがある。そこを出ててくてく南に歩いていくとヨドバシカメラ。その昔、新宿には淀橋浄水場というのがあった。ヨドバシ、というのはここの地名のこと。ビックカメラなどができて見劣りするけれど、それでも新宿西口と言えばこれ。そこから歩いてひたすら行くと都庁の後ろに新宿中央公園がある。都庁きれいな夜景をみた後は、公衆便所の上で飲みましょう。

西口を出たら、旧さくらやの横の東口との連絡路方面へ。そこで立ち止まるとあやしいビデオを売る店、ペットを売る店、謎のスーツ屋、などの間に入るところがあり、そこが思い出横丁。10席も座るところがないようなお店が焼き鳥とかうどんとか売ってる。道が狭くて素敵な店が並ぶ。便所は共同。思い出横丁を出て青梅街道沿いに東へ行って南側を見ると高層ビルが並ぶ。だいたいの高層ビルは屋上だけ開放しているので、展望台にいって夜景を見よう。それぞれのビルの高さが見える。その高層ビル群から少し北の道へ入るとこちらも時代に取り残されたような民家が並び、その歴史を感じる。大阪阿倍野飛田の間を思い起こさせる。

2006-11-26

ちょこらびーびー

私は昨日日比谷でお弁当を食べた。

その後、おーいお茶でちょこらびーびーを流し込んだ。胃の奥底へ。私の中枢へ。私の体躯へ。きらびやか体躯へ。

Alexaトラフィック数を数えながら、昼寝をする。

永遠に。

そして即座に起き上がり、シャボンの泡の向こう側に夕日を眺め、満足げにシャムネコを撫でる。撫でる。永遠に撫でる。撫で返す。撫でられる。

Terry Rileyの音楽を聴きながらゆっくりと歩き出す。向こう側に行くためにだ。そうでなければ私は歩かないかもしれない、いやぁ、きっと理由なんて必要ない。

向こう側へ行くことに、いや、踏み出すことに理由など必要ない。

歩けるのだ。可能である。

行くのだ。だから私は一歩足を踏み出し二歩目も踏み出す。止まらない。これが人間の性なのか、と思う。

思わずにはいられなかった。東北まで二キロ。夢見心地。

気づかぬうちに10年、20年、あの頃からずいぶんと遠くまで来た。あの頃の自分が創造していた大人ではない。子供の部分はまだ残りつつ、遠くまで着たなと涙ぐむ。

この先どうなるのだろうかと思いながら、だが遠くまで来て、もう戻れないのだと、また違う涙が黄金の目に貯まる。

貯金はすり減りながらも、涙は貯まっていく。

だが、その涙も乾く、夜景を眺めながら、私はあの日、シャワーを浴びてから自宅を一歩踏み出した。

明治通りを走り、新目白通りを走り、外苑東通りを走り、四谷三丁目に驚き、信濃町に安らぎ、赤坂御用地で冷たい空気を感じた。

Roppongi,Akasaka,Kasumigaseki,Kokyo,Ginza,Kanda,Ochanomizu,Iidabashi.

神田川に始まり、神田川に終わる。私の涙が神田川に流れれば、一筋の虹が弓なりの空気に写し込まれる。

 
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