2015-01-22

えどしぐさ

TOxKYO

かつて江戸と呼ばれていた地は明治維新と呼ばれる革命によってTOxKYO改名された。

一般に明治維新無血開城とされ、極めて平和的に遷移したと言われてきたが、近年の調査によって、これは新政府による隠蔽工作である疑いが強くなった。

当時の江戸人口が100万人を超える世界に類を見ない超過密都市であった。

これを可能にしたのが江戸しぐさである

狭い路地を傘をさした人同士が行う傘かしげなど、微に入り細に入り生活規定することで、余計な争いを避け、超効率的生活を維持するために発展したと考えられている。その規定数は定かではないが、精力的な研究によって発掘が続けられ、年々数を増やしている。

自主的規範ではあるが、違反者は厳しく罰せられた。

(日本橋のたもとには公開処刑場があり、重篤な違反者は首を切られ晒し者にされた)

竹鋸引きという江戸しぐさは、犯罪者の腹を竹でできた(故になまくらな)鋸で切り、通行人がこれを引くことで、犯罪に対する抑制反省を促した。

また、えすかれーたー両側のりという江戸しぐさは、エスカレーター本来仕様である、両側乗りをしために、後から駆け上がってきたサラリーマンに舌打ちされながら押しのけられるトラブルを避けるために決められた。

しかし、これらの優れた江戸しぐさは絶えて久しい。

なぜなら、江戸しぐさを生み出し、守り伝えてきた江戸っ子は、明治維新後の政府によって虐殺されたかである

明治政府は古いしきたりが明治政府の支配に悪影響を及ぼすと考え、これを棄てることを迫った。反対する者は尽く虐殺して海に投棄したと言われている。その数は正確には判っていないが、文化破壊するほどの大規模な虐殺であったことは想像に難くない。明治政府によって地方から新しい住民移住させられ、表面上は無血開城という体裁がとられたと考えられる。

ここで、いま一度、江戸がなぜTOxKYOとなったのか思い起こして欲しい。

TOxToxic(毒性)を意味する接頭詞である

虐殺による、大量の屍体の処分、立ち上る瘴気タンパク質が腐敗することで生じる毒。

その様子を見た政府江戸を毒の都と呼び改めたのは、私の妄想だろうか。

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