その内帰ってくるパターンは、外で悪いものを食べて腹痛とか体長を崩したとかで数日身動き取れなくなった末に回復したというだけで
回復しない問題が発生していたら帰れないよ。
動けないほどで無いにしても、弱った状態では他の猫の縄張りを避けながら移動できないので、帰りたくても帰れない状態になるよ。
どちらかというと後者のパターンでそのままノラにもなれずさまよう猫をよく見るので、近くの大きめの公園やら緑のある所に「探してます」ポスターを貼っておくといいよ。
ノラを見ている人からすると、帰宅できなくなってる猫というのは見れば一発でわかるので、そういう猫を見つけると、逆に「探してます」のポスターを探す日々なんだよ。放置はかわいそうだよ。
今でも売れてるところから察してくれ
IT業界に限らない話なのかもしれんけどね、特にコミュ障が多いっぽくて、管理職が足らない事はあっても多すぎる事はあまり無いようにおもうのよね。
今日は仕事で結構クタクタしていてプライベートでも落ち込みぎみで。
さっき、帰宅途中に何気なくスマホのブラウザを開いたら、画面に
「太い うんこ」
と、昼間の検索履歴がそのまんま残ってて
太い上に長くて、しかも5回も出た。
最近、ウェブデザインやらロゴやらでランサーズをよく使っている。
それこそ学生の課題だろコレってレヴェルの提案をドヤで提案してくる人もいれば
ふぇぇぇ、クオリティ高過ぎwこのレベルがこんなに安価でいいの?って人まで魑魅魍魎である。
ある程度かせいてフリーランスになったのか
実は何処かのデザイン会社に所属しているのか素性は定かではないが
なぜだか50代のデザイナーが目立って活動している場所がランサーズだ。
しかし、何度も回数を見るたびにどんどん深みが増してきて
最終的には一番いい提案ではないのか?という気分にさせられる物が多い。
さすがは歴戦のコンペを勝ち抜いたツワモノだ。
そんな事を感じた事が一度や二度はあるのではないだろうか?
嫌韓本の最大の問題は、その嫌韓本に書かれている「事件」そのものは事実だということ。すなわち、いかに韓国という国が基地外なのかが如実に現れてるのである。
嫌韓本を嫌う人も、韓国人に対して憎しみを増幅させるという理由でしか反対できない。嘘っぱちを書いているという理由で反対できない。そんな国が韓国なのだ。
そういうこって多いのかな
風俗歴は約4年ほど。最低でも月に1回、多い月は週に1回は行っていた。
地方なので使う風俗はデリヘルのみ。その日は自分が住んでいる市の隣の市を営業エリアにしている店を使った。理由はプロフの写真が気に入ったから。車を飛ばし、ホテルの前で店に電話、予約が取れたところでチェックインし、女の子を待った。
ほぼ予定通りに女の子が到着したのだが、見た目に驚いた。プロフの写真は顔に薄いモザイクがしてあるので、雰囲気程度で判断するのだが、実物はまさに自分好みの女の子だったのだ。自分は少し個性的でサブカルが好きそうな女の子が好みで、この女の子はモデルの波瑠に似ており、“当たり”だった。今までの経験から言って、とても風俗で働く子には見えなかった。
この店のHPには女の子が書く日記がある。この女の子の日記は全裸で股を開いていたり(大事な部分は隠している)、「濡れちゃう」などと書いたりしており、非常に挑発的な内容なのだが、とてもそんな子に見えなかった。
話しをしていると、県内の大学に通っており、将来は介護系の道に進むことを考えているらしい。
プレイはいわゆる本番有りで、(デリヘルでは本来禁止)、向こうから積極的に誘いがあった。
事が終わり、「エッチが好きなんだね~」なんて軽口を叩くと、「だって欲しくなるから」と言って、女の子のそれまでの遍歴のようなものを話してくれた。高校はバスケ部に所属していたけど、遊びにきたOBに誘われてその日にエッチしたとか、大学でも飲み会に後に誘われると断れずにエッチしちゃうなど。
その時は見た目によらず軽い女の子だな、なんて思っていた。自分も調子に乗って「初体験はいつ?どんなだった?」と聞いてみた。それが風俗をやめるきっかけとなった。
「高校1年の時」
「誰と?」
「帰り道で車に連れ込まれた。」
強姦に会った女性は、その経験を大したことではないと思い込もうとし、回数を重ねてその行為を薄めようとする。自暴自棄とも言える行動を取る、と聞いたことがある。
彼女はまさにそうだったのではないのだろうか?彼女は警察には行かず、親にも友達にも話さなかったと言っていた。理由は自分が強くならなきゃならない、と言う理由になっていない理由だった。
自分は何も言えなかった。やることやって全裸でいる男が、それは強姦被害者の自傷行為だから今すぐやめろ、なんてどこに説得力があるのか。何も言えない自分が本当に情けなかった。
その日以来風俗には行っていない。何かしらの過去を持つ女の子の弱味につけこむ事になるのは避けたい。もちろん全員とは言えないが。
卑怯者を自覚し、辞めていることを願いつつ、たまにHPを除くが、あの子はまだ同じ店に勤め、変わらず挑発的な写真や日記を書き続けている。
あれはコスプレプレイの一種だと解釈してた。「こういう可愛い、またはセクシーな下着を履いている相手とする、またはそういうシチュエーションでする」という一種のコスプレ的意味合い。基本的に着衣プレイってのは、シチュエーションを楽しんだり、シチュエーションで興奮したりするものだろう。それは、女は(男もだが)裸にしてしまったら皆同じだから。相手のことを詳しく知らない場合、最もてっとり早く感情移入できる方法は、相手の身につけているもの(制服)で、相手の背景を説明したり判断したりすることだ。だからページに限りのあるエロ漫画や、時間に制限のあるエロ動画では、「記号として」着衣プレイが好まれる。感情移入できないものが消費者に響くわけないし。
これがもし、全10巻のエロ漫画で、9巻までずっと相手との関係性を事細かに描写してるのなら、最後の10巻目でエッチしたとしても、着衣プレイにはならないと思うよ。
あとは、既に増田に書かれているリアルなマイナス点も気にならないほど激しく、気持ち良くプレイしていますよっていう、これも感情移入させるための「記号」だよね。
だから「アレを実際にやったらどうこう」なんて考えは、ナンセンスだと分かったうえで読めばいいと思う。
ドラマや映画を見て、「そんなにテンポよく物語が進むなんておかしいよ!自分のリアルな体験では…」と言いだすのと同じだと思う。
ちなに自分は、セクシー下着よりも、小さなリボンなどのワンポイントのついた可愛い下着が好きです。(子供っぽい可愛さはダメ)
俺には同じ年の友達が居た。
俺んちの斜め前の家に住んでいた女の子だ。
もう20年以上の付き合いになる
家が近くに住んでるからって
それでもやはり近くの家にすんでる同級生ってことで
遊ぶ機会はそんなになかったんだけど。
しばらく一緒にすごす機会がなかったんだが
一緒にテスト勉強をするようになって
また一緒にすごす時間が増えた。
そのとき足先とかが偶然あたる。
思春期の俺にはそれがとっても恥ずかしくて、ちょっぴり嬉しかった。
幼馴染ってやっぱり恋愛には発展しにくい。
彼女も同じ気持ちだったんじゃないかな。
ちょっと気になった事は笑い方が変わった事
昔はすごく豪快に笑う子だったんだけど
そのころはやさしく笑う感じになってた。
あと子供のころは時々けんかもしたんだけど
時々俺が高校で嫌なことがあってムスーっとしてると
「またムスーッとしてる、人生はね。どんなときも笑顔が大事なんだよー」
って微笑みながら言ってた。
もうおそらく会う事はないだろうなと思ってたが
就職してから取引先の担当者の一人として偶然再開する事になる。
よく一緒に来る営業の男の横で、指示された書類を取り出したりして
進んで自分の意見を言うこともなく、俺や営業に聞かれた質問に答えるだけ
おしとやかと言うより、人付き合いが下手な感じか。
もう一人が20台で係長。20台の係長はちょっと頼りないけど優しい感じ
でも、もう一人の部長は嫌なやつで俺の前だとヘコヘコしてるんだけど
「そんなに怒鳴らなくてもいいんじゃないですか。」って俺が言うと
「そうですねー」ってへらへら言いながら怒鳴るのをやめてた。
嫌なやつだなこいつの下でやっていくのは大変だなって思ってたら
真相はわからないが例の部長からパワハラやセクハラを受けていたらしい。
彼女は他の女子社員のようにうまくかわせずターゲットにされていたようだ。
もちろん注意する人も居たらしいがよく分からない人事で他支店にとばされたり
「また、眉間にしわ寄せて、人生はね。笑顔が大事なんだよー」って
励ましてくれたらしい。
彼女が死んでから1週間が経って彼女が死んだって事を理解した。
今まで涙が溜まってたんだろう。堰を切ったように流れ出した。
そして彼女の事を考えた。
おそらくあいつの事だから、部長からなにされても笑って耐えてたんだろう。
今思い出したけどガキの頃の
怒ってよかったんだよ。何で怒らなかったんだよ。
そんな事ばっかりしてても幸せになれないだろ。
相手に気を使ってばっかりで疲れて
高校のとき、おまえからもらった自己啓発本、くだらないなと思ってたけど
でも明日捨てる事にする。
うちの父親の家庭がこうだったみたいだけど、まあ勉強だけは出来たから無事医者になってあまりグレたりはしなかったな、
ただやっぱり同じように壊れててまともに会話もできない木偶の坊になってしまった。
Qiitaに初投稿をしてみようと、GitHubのアカウントを取ってみたのだけれど
よくよくググったら先達者の下位互換記事にしかならないことに気づいて
良さそうな記事からプルリクエストでコピペしたマークダウン言語を
あーでもないこーでもないと、弄くりまわして結局諦めたのが今週の日曜日。
ジョギング中に神の声がして日記の投稿を始めたのが今週の月曜日。
未来の自分が何度読み直しても感傷や共感に浸れそうな記事はGitHub。
クグラビリティや他人の目なんて正直、どうでもいいけど
まっすぐ見てくる鏡の自分の目は怖い。
嗚咽の吐露は、五年後の自分も十年後の自分も受け付けないだろう。
他人なら、あんな時代があったと暖かくうなづけるだろうけど