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はてなキーワード: 中学校とは

2021-02-23

anond:20210223003326

あーなんかわかる。

言われてみれば、小学校中学校高校も今の勤め先も、ぜんぶ雰囲気が似てる。メンバー性格とかそこからまれ空気感とか、問題が起こった時の意見の出方とか解決の流れとか、みんな似たような感じなんだよな。ずっと不思議に思っていた。

自分の周りは小学校の時から常に雰囲気が悪かったから、今も当然に雰囲気が悪くて過ごしにくい。つらい。

2021-02-22

都会から出ないから、かっぺと同じ成分でできてるって気づかない

文化的資本がどうとか言ってるの見たけど。

どうせ学校会社の外ではユニクロGUの服着てイオンシネマ映画見て、ブックオフとかツタヤで本買ってくら寿司食ってニトリのベッドで寝るんだろ。

上京して数年経つが上記休日はいつも混雑してるし、30万人都市もそんな感じだったよ。

そこから差別化するとして美術館だの博物館だの言ってるけど正直苦しい。自分もその辺によく行くが、ある程度教養積んでからじゃないと、印象に残らないただの落書きガラクタだろう。家で鑑定団とか見てる方が文化的だろう。実物を見たか自分文化的だと思うのはあまりにも野蛮。

下北沢神保町みたいな街は確かに田舎にはないねカレーコーヒー古着…この辺は簡単に周りと差別化できるからアイデンティティを守れていいね〜。蕎麦打ちにハマってるおっさんそっくりだよ。

東京の大きい街は薄く延ばした田舎デカイオンモールしかない。バーガーキングがないだけで店は一緒。バーガーキング文化的資本だとしたら負けを認める。

都会と田舎で違うのは私立の小中学校に入れたりするやつか。あれで人生かになんのかね。子供いないかわからんけど。

あれが一番文化的資本から程遠い旧時代遺物に見えるけど、都会民さんの先進的な考え方があるっぽいから黙ってよう。

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

anond:20210222012046

そんなお母様でも中学校くらいはちゃんと通われていたでしょうに。ひどい増田君だこと。

2021-02-21

anond:20210221113739

前編:https://anond.hatelabo.jp/20210221113739

一応、大手企業障害者枠で就職する為にしたことは、

障害者職業能力開発校に通った

ハローワーク求人ではなく、就職エージェント登録して就活した

履歴書添削就職エージェントにしてもらって書き直しをした

面接練習の為に、カメラ自分の喋りを録画して見直し改善した

この4点だ。

あと、俺は元々資格だけは様々なものを持っていたから新たに取得したりはしなかったが、資格を持っていない人は資格取得の勉強もした方が良い。

障害者職業能力開発校では資格勉強もするから、そこでしっかりと取得しよう。

障害者職業訓練校、障害者職業能力開発校へはハローワーク障害者窓口で相談して通うことが出来るぞ。

普通職業訓練校と違って、国立県営だし生徒は障害者だけしかいないから通いやすいし、講師の当たり外れも民間に比べたら少ないぞ。

入学の為には筆記試験なんかがあるが、中学校卒業レベル知識があれば解ける。

俺の時は、国語数学だけだった。

障害者職業能力開発校には様々な科があって、自分の興味のある分野の勉強が出来る。

リモートワークで就職をしたいなら、OAビジネス科に入ってWordExcel簿記を取得するのが一番良いだろうな。

若いなら、プログラム設計科でプログラマーを目指すのもありだろう。

ただ、住んでいる地域学校によって設置している科が違うから、その科があるか分からないけどな。

就職エージェントは、障害者枠で働きたいなら障害者専門のエージェントを使うのが良い。

ネット検索したら色々と出てくるから、片っ端から登録して就職活動を行うのが良いだろう。

障害者リモートワークで働きたいなら、障害者専門・リモートワーク専門の就職エージェントがあるから、そこに登録したらいい。(俺はそういうエージェント登録した。)

就職エージェントには面接マニュアルもあるし、お願いしたら面接練習なども付き合ってくれる。活用しよう。

ちなみに、俺が使用した就職エージェント就職後も企業との間に入ってサポートをしてくれている。

そういうサポートの充実した就職エージェントを選んだ方が良いだろう。就職してもすぐに離職したら意味いからな。

最後に 毎日が新鮮

俺は会社会議というものに出たことも無いし、会社メールなども出した経験が無い。

30代半ばにして、初めての経験ばかりだ。

大変ではあるけれど、毎日が新鮮だ。

普通の人にとっては当たり前のこと。サラリーマンOLなら当然のことを俺はやったことが無い。だから、時々失敗をするけれど、それでも毎日が新鮮で楽しい

収入も安定しているし、「社会保険証」というものも初めて手に入れた。

ちなみに、俺は九州田舎に住んでいるが会社東京だ。会社へは一度も行ったことが無いままの入社となった。

九州支店があるが、感染症関係で今は行くことが出来ない。いつか、自分の働いている会社を見てみたいから行くけどな。

俺は今、事務員だがプログラミングを学んでいたことを生かして、会社内のITヘルプデスクのようなことをしている。

毎日やり取りしている、仕事を教えてくれている先輩達は俺より一回りくらい年下だ。

年上の後輩に仕事を教えるのは何かと面倒だとは思うが、それでも懸命に仕事を教えてくれる先輩達には感謝してもしきれない。

本当に毎日が新鮮だ。

この会社で一生働いていくのかは、今の段階ではなんとも言えない。個人事業主が恋しく無いといえば嘘になるからな。

でも、今のところは会社に不満も無いし、社会不適業者がせっかく就職出来たのだから、まずは社会人としてのマナーをこの会社で身に着けようと思う。

ここまで読んでくれてありがとな。

炎上ブロガー」としての俺は、もういない。

俺は今や、立派かどうかは分からないが、サラリーマンとして次の人生を歩んでいる。

毎日が新鮮で、キツいけれど、楽しい

おまけ 障害者職業能力開発校の紹介

もし、障害者職業能力開発校に興味があって、通ってみたいなら下記のリンクを参考に、自分の住んでいる地域から探してみてくれ。

残念ながら自分の住んでいる場所から近いところに学校があるとは限らないが、学校には寮もあるから、そういうのに抵抗が無い場合は寮に入るのもありだろう。

専門の相談員さんなんかもいるし、担任先生いるから、そういう職員さん達と相談しながら学校生活を送ってくれ。

障害者職業能力開発校一覧

北海道障害者職業能力開発校

宮城障害者職業能力開発校

東京障害者職業能力開発校

神奈川障害者職業能力開発校

石川障害者職業能力開発校

愛知障害者職業能力開発校

大阪障害者職業能力開発校

兵庫障害者職業能力開発校

広島障害者職業能力開発校

福岡障害者職業能力開発校

鹿児島障害者職業能力開発校

青森県障害者職業訓練

千葉県障害者高等技術専門校

静岡県立あしたか職業訓練

京都府京都障害者高等技術専門校

兵庫県立障害者高等技術専門学院

20年前の吹奏楽コンクールで何もせず突っ立てた俺が今では家で楽器

20年前、中学2年生のときに参加した秋の吹奏楽コンクール夏休みをつぶして練習をしていた彼女たちを横目に見ながら、ステージの上で俺は何もせずに突っ立っていた。割り当てられた楽器トライアングル特定パートで音を鳴らすだけだった予定だが、誰かのミスで俺の楽器ステージに用意されることなく終わった。別にトライアングルを準備しなかった誰かを怨んじゃいないし、たぶん本当にただのミスだったんだと思う。悪いのは夏休み中に一回も練習に参加しないどころか、辞める意思を伝えなかった俺だと思う。

うちの家族音楽一家だ。俺が小5のときに死んだ父親フルートの奏者で、同期の友人を集めて社会人サークルを作ってときどき演奏会をしていた。姉も姉でピアノが得意でときどき、受験勉強の合間に演奏をしていた。妹もサックスの奏者で運転免許教習のためにと渡した金で自分用のサックスを買ってた。母親別に音楽はしなかったが、彼女たちを育てるのにリソースを費やしていた。そんな家族だったから俺も音楽が好きで、得意できっと才能もあるのだろうと思っていた。

俺が楽器に触っていた一番古い記憶幼稚園のころにピアノを習っていた記憶だ。音大卒業したばかりの若い女性の先生を家に呼んで姉と俺が習っていた。彼女の教え方は結構自由な感じで、俺は楽譜無視して勝手ペダルを押してみたり、習ってもない黒鍵を押して変な音を出したが彼女は「じゃあ、アレンジしてみようか」って言って楽譜の改変を許してくれたし、そんな優しい対応をしてくれる大人の女性に気恥ずかしさを感じた記憶がある。

それに対して母親はどちらかというと教科書的に楽譜を覚えさせようとする人で、幼稚園から帰ってピアノ自主練する時間になるとひたすら楽譜の同じフレーズを繰り返させられた。ちょっとでも間違えると「あと10回繰り返しなさい」という具合。これが原因でピアノが嫌いになってしまって先生を呼んでの個人レッスンも辞めてしまった(辞めた時の具体的な流れはもう覚えていない)。

そんな俺だったが小5のとき父親が死んだ。彼が残したフルートを見て「これを俺も吹けるようになりたい」と思った。そんなことを思いはしたものの、具体的に行動は起こさず、塾やら剣道やら(これも嫌いだった)中学受験に失敗したりしているうちに進学先の中学校に吹奏楽部があることを知ってそこに入部した。思えばこれが間違いだった。

俺の入部した吹奏楽部は俺以外全員女子顧問まさかの俺の父親の知り合いで、そこに男子が参加したものから舞い上がっていたように思う。最初に割り当てられた楽器チューバだった。いわく、低音でバンドの全員を支えろとのこと。チューバ奏者には申し訳ないのだが、これが全く楽しくない。低音を鳴らしても自分が何を演奏しているのか分からない。顧問部員モチベーションをあげるためなのか、自分趣味なのか分からないがみんな知っているポップス歌謡曲演奏させたが、メロディを奏でるメンバーが聞いたことのあるフレーズ演奏しているのに対して低音が演奏している音は一体何の役に立つのか全く分からなかった。定期的に同じ音を鳴らすこの行為になんの意味があるのか分からなかった。ついでに俺は残念ながら肺活量が低くてチューバを満足に吹くことができなかった。その後、顧問命令アルトサックスへ、そして最後コントラバス転向。もはや管楽器ですらなくなり、この辺で完全に俺のやる気は消失して部活をさぼるようになっていた。

で、中学2年生の夏休み。俺は部活に行くと言って家を出てから友達の家へ行って連邦VSジオンで遊んでいたものの、あるタイミング顧問がその友達の家に乗り込んできて俺は拉致されてしまった。与えられた楽器トライアングル夏休み明けのコンクール部員全員で参加して今の3年生を送り出すんだから、お前も参加しろとのこと。無理やりワンフレーズだけのパート練習させられて、そして迎えた本番で事故は起きた。トライアングルが無い。

理由は分からない。楽器を運ぶ担当の1年生からも下に見られていた俺は、楽器の用意をしてもらえなかったのかもしれない。それか、俺が自分責任で運ぶように指示されていたのかもしれない。分からないが、ステージ上で何もせずに突っ立っていた記憶だけは残っている。指揮棒を振る顧問の困った顔、演奏が終わった後でほかの部員から向けられた視線。すべてが苦痛で俺は逃げるように会場を後にした。顧問はさすがに哀れんだのかそれとも呆れたのか、それ以降俺を部活に連れていくことはなくそのまま俺の存在自然消滅した。

そんなことがあって、何年もの月日は経過したが幸いなことに音楽自体を嫌いになることはなかった。どちらかというとDreamcast勢だった俺はクレイジータクシーソニックアドベンチャー洋楽に触れて、バンド存在を知って低音が奏でる面白さをそこで初めて知った。と言って、特に具体的な行動を起こすでもなく大学に行ってからギターヒーローとかドラムマニアときどき遊ぶ程度。あとはオーケストラマーチングジャズなんかをときどき思い出しては聞く程度だった。だけど心の中で、音楽をもう一度やってみたいと思う気持ちだけはちょっとずつ育っていっていた。

結婚して子供もできて、その子供が8か月になったころの2020からコロナの影響を強く感じるようになった。仕事はそれ以前から完全リモートだったので特に支障はなかったのだが、趣味温泉旅行制限されたのはつらい。そんな中でおこもり需要の一つとして注目されたのが楽器だったわけ。俺もその例にもれずヤマハが発売しているヴェノーヴァを購入してみた。生まれて初めて自分お金で買った楽器。これがめちゃくちゃ面白い。

練習はだいたい朝子供保育園に送る前と夕方保育園から帰ったあとの夕食までの時間。だいたいどっちも20分くらいだから1日のうち40分くらい。しか最近寒いから朝の練習はしない日もある。練習と言っても昔のように間違えたフレーズをなんども繰り返すわけじゃない。最初こそ音を鳴らす練習や指の運びの練習はしたけど、一通りそれっぽく音が出せるようになったら後は自由だ。楽譜を買ってきて自分が好きな曲を自分が満足するまで吹けばそれでいい。アニメ特撮が好きなので「ドラえもんのうた」とか「ウルトラマンのうた」とかを一通り吹いて、サビだけ吹けるようにしておしまい最近コンビニで曲ごとに譜面印刷できるので、気になる曲だけ印刷してくれば1枚400円くらいで収まる。飽きたらまた別の曲をやるし、ときどき思い出して前にやった曲を吹いてみて自分の中の変化に目を向けると、ちょっとは上手になったかな?と思って自己満足する。それだけでいい。

子供の時にやっていたバイエルをひたすら反復する練習は何だったのか。中学とき面白さが全く分からなかった低音をひたすら鳴らしていたのは何だったのか。そんなことやる必要なんてなかった。自分が好きな曲を適当に吹いてひとまず満足して、そしてまた戻ってきて高みを目指したり目指さなかったりすればいい。そう言う物だったんだな。

今にして思えば父親が俺に音楽を教えてきたことは無かった。たぶん、彼は今の俺と同じことが分かってて練習強要するんじゃなくてやりたくなったらやればいいくらいのスタンスだったのだと思う。俺もそういう気持ち子供に接して行きたい。

次はスタートゥインクル プリキュアのTwinkle Stars演奏したい。

2021-02-20

anond:20210220183133

痴漢冤罪でっち上げ

女 +100

何度も痴漢されて心の傷がおっきくてかわいそう +100

中学校気持ち悪い男だらけでいじめ主犯にされてかわいそうだった +100

中卒 +5

低所得 +10

合計 +315

LGBT女性より5%かわいそうでーす

古文漢文をやったことに意義を感じない

全然役立った気がしないぞ

確かセンター古文満点だったし、漢文も1ミスくらいだったから、少なくとも「古典が大の苦手」ってことはない あんなんカン結構読めるしな

でも、ホントになにかに活きた感じが全然しないのよ

俺の「活きた」のハードルはかなり低い

ナショナルジオグラフィックとか見てて、森の中にひらけた場所があるのが映ったとき「あ!ギャップだ!ヤッター!」と思えればもうそれは活きた判定になる

そうすると、かなり色々活きてるんですよ

現代文:評論文を読もうという気になれる 漢字が読める 問題に使われた小説を読もうと思う

歴史:フィクションの下敷きになってる史実がわかって楽しい

科学:科学番組を観てて楽しい 擬似科学を警戒できる ドクターストーン的な作品をより楽しめる

英語:洋楽を聴いて楽しめる 洋画を原語で見ると楽しい 英語インターネットを楽しめる

数学:日常のなかでちょっとした確率計算とか測量の真似事みたいなことをして楽しめる お金計算にも役立つ

 

ほら、ホントに色々役立ってるんスよ

古典文法くんさあ……君はなんだい?

俺が日本史に興味薄いかそっち系コンテンツに触れることが少ないっていうのももちろんあるけど、それにしたって活かす機会がなさすぎる

枕草子パロディでウケられる」みたいな話を古典学習メリットとして出してくる奴いるけど、枕草子くらいのメジャー作品って逆に古典時間あんましっかりやらなかっただろ!

あいうのはむしろ中学校の初期とかにサラサラっと通すだけなんだよな そのころの教科書にはだいたい結構しっかりした現代語訳も載せられていて、ホント入り口っぽい感じの運用なんだ

で、そういう体験ツアーみたいな感じで読むメジャー作品の話しか出てこないんだよマジで 古典の話するときはさあ!

とりかえばや物語とか落窪物語とかそういうのもやった記憶はうっすらあるんだけど、ホントにうっすらした記憶なんだよな

なぜならクソつまらなかったか

古文ってほとんどカスだな……昔の日本人ゴミだったのか……」みたいなことを思いながら読んでた記憶しかない

からいからつまらないとかじゃなくて、文意をしっかり解釈できた上で、「で?」という感想しか残らないんだ

つうか、かきつばたを見て都を思い出すのはいいけどよ、そこで「この気持ちを歌にしよう、そこにかきつばたの頭文字を織り込もう!」ってなるのがホンマに気色悪いね

マジでキモいんだよな キレそうになる

ミュージカルじゃねえんだから気持ちをいちいち歌にするな 薄ら寒いねん 俺はもっと自然感情の発露が見たい

歌が技巧的だと「こいつこんな小手先テクニック弄してる余裕あるし、実は全然感情動いてねえだろ」ってなる

逆にシンプルな歌だと「クソつまらんヘタクソな歌だ、こんなん読むくらいなら黙ってた方がマシだろ」ってなる

和歌文化ホントに心から嫌いなんですよ マジで気色悪い 死んで欲しい(もう全員死んどるか!ガハハ!ざまあみろ!!)

友蔵心の俳句本質が同じなんですよね オッサンが事あるごとにヘッタクソな俳句を詠んで聞かせてきたらマジでぶち殺したろかと思うが、古文読んでると常時その気持ちになる 常時

あと、なんかムダに引用みたいなのを会話に織り込んでた記憶もある 内輪ネタへのリファレンス=賢さみたいなノリ本当にキモい 淫夢ネタゲラゲラ笑ってるのと何が違うのか

本当にカスなんだよな古文

そんで漢文だよ

漢文、さすがにバカでけえ中国産なだけあって内容はやや面白いことが多い そこは認めよう

でもこう、なんつうか、儒教的?すぎるんだよな

基本的オチというか教訓が読めるんだ この展開ならこういう教訓を引き出す方向に行くだろうっていうのが容易に読めてしまう こぢんまりと纏まってるんですよね サプライズがない

そんで、あの形式をわざわざ読めるようになる意味マジでまったく感じられない

返り点とか漢文の授業以外で一切見たことねえもん 最初から書き下して出してくれればいいじゃん

古文にも共通する話だけど、漢文ってもう増えないじゃん いや、増やそうと思えば増やせるだろうけども、増やす意味がない

中国語をそのまま読むわけでもなく、かといって日本語でもなく、なんなんだ?マジで

というか、機械的に書き下せるものをワザワザあの若干読みにく形で出してくる意味マジでからない

漢文自転車でいうところの補助輪みたいなもんだと思ってるんだけど、補助輪つき自転車トラックをビュンビュン走らされてるような違和感がある

ガッツリやりたいなら補助輪をとれ 軽くやりたいならそれなりの軽さにしろ 半端やねん全てが

つか、内容、古文よりマシとはいえ意味わからんのも多いしな なんか突然神仙要素が出てきて、昔の中国ってこんなノリなんだ〜…ホーン…と思いつつ終わることが多かった

何が言いたいかからなくなってきた

とにかく、古文漢文文法からガッツリやるようなものではないんだよな

それよりスペイン語でもやったほうがいいですよマジで スペイン語やったらイタリア語ポルトガル語あたりもうっすら分かるようになるし、英語への理解もより多角的になる感じあるもん

¡Que mueran los hatenars! ¡Os odio!

ホラかっこいいじゃんスペイン語

朝ぼらけとか言ってる場合じゃないですよ、マジで

 古文死ね ああ古文死ね 古文死ね

  つまら和歌を 詠むんじゃないよ

マジでこんなクオリティ和歌ときどき出てきてたからな 問題用紙破り捨てたくなるもん

俺、なんなら古文なかったほうが先人への尊敬度高かったと思う

古文いくら読んでも軽蔑の念しか出てこないんだよな 垣間見文化とかもキモいし、とにかく全体的にキモすぎる 

あと平安あたりだと都なんかに住んでる貴族しか出てこないのも腹立つ 所詮金持ちボンボンどもが暇にあかせて遊んでるだけやんけ

本当に嫌いなんだ俺は

anond:20210219201256

大概の県には「天下の○○高」「○○高生にあらずんば人にあらず」と称されるようなトップ校(旧制一中を前身もつことが多い)があって、地域政財界に強力な高校閥を作っていることが多い

子供がそうした高校卒業すると、地域でのエスタブリッシュメント資格を得ることになる(もちろん十分条件ではない)

また地方でも周囲より地価の高い住宅地があって、その地域小学校中学校は落ち着いた環境で成績も優秀だ(大都市圏以外では新興の「高級住宅地」は避けた方がいいかもしれない。城下町だと昔は武家屋敷街だったりする)

そうした地域民度が高く文化的程度の高い家庭が多い

江戸明治から続く階層社会の名残は地方ほど色濃く残っており、上級土地に住んでトップ校に子供を通わせることによって、上質な友人を作り文化資産を身につける可能性がでてくる

大都市圏でなければ、トップから東大いったりしたら地元役所地銀での出世は期待できるし、政治家だって夢ではない

リベラル的な価値観からすると気持ち悪く感じるかもしれないけど、地方左翼に傾倒してもいいことはあまりない

2021-02-19

名前ハッシュ化して匿名で生きたい

anond:20210219101113

名前は生まれた時にランダムもの付与されてさ、ICとして体内に埋め込んで、通名はそれをハッシュ化したものを使いたい。

場所ごとに名前を使い分けたい。

小学校で使う名前中学校で使う名前書道教室で使う名前会社で使う名前、著書で使う名前……を分けたい。

役所管理する時の個人番号も、名前から生成した数字にしてほしい。で、何か漏洩とかのトラブル?があったときは、届け出を出して新しいものに変えてもらうの。

犯罪がしやすくなるとか、そういう問題が考えられるけど、それはITの力で解決できるんじゃないかな。

ただ名前コロコロ変わると本人としても混乱しそうだから、書面上の通名ハッシュ値を使うとして、呼び名としての通名自由に名乗りたい。外国人サインとか好きな記号で済ませるじゃん。ああ言うふうに自分で決めたりしたい。ちょうど「名前」と「ID」みたいな関係かな。書面上の識別子は@masumasu123で、普段呼び名は「ますたろー」みたいなさ。

そもそも識別子と通称が同じってのがガバガバすぎるよね。分けて欲しい。未来人が戸籍と氏名みたいな化石制度使って生きてたら絶望ちゃうよ。

 

はやく名前ハッシュ化する時代が来て欲しい。正直さっさと死にたいけど、そんな時代が来ると思えばワクワクして生きたくなってくる。

一生増田太郎として生き続けるのって怖くないか?俺は怖い。すごく怖い。耐えられない。

はてなー諸君だって自分名前はてなID紐付けられたら死にたくなるでしょ。

2021-02-18

30歳になる前に友人が死んだ


らしい。原因は知らない。でも病気とかじゃないみたいだから、多分交通事故とかそういう不慮のやつ。

全て母親経由のママ友グループコミュニティから情報。それにしても、俺の中学生時代ママ友とまだつながりがある母親って冷静に凄いよな。15年以上前だぞ…。

で、俺とそいつ田舎出身だったから、公立小学校(1クラス)⇒公立中学校(隣の小学校と一緒になって2クラス)⇒公立高校(そこら辺で一番頭がいいとはいえ所詮偏差値55程度)って流れがずっと一緒だった。別に2人きりで遊んだり、相談したり、親友とかじゃなかったけど、何となくつるんでたし、地元帰った時は会ったりしてた。そういえば書いてて思い出したけど、成人式の時も一緒のタクシー使って会場まで向かったな。家が徒歩10分の距離だったからだけど。会うのが2年に一回になり、それから全く会わなくなるのも、別に取り立てた理由があったわけじゃない。ただ疎遠になっただけ。

それでも、きっついな。きつい、っていうか現実味がなくて、この話聞いたのも8か月以上前なんだけど、ふとした瞬間に、「あ、あいついないんだよな」ってなる。死んでからその存在が色濃くなるってやつだ。これが不在の在なのか?ぜってえ違うよな。昨日もなんか夢に出てきて、そいつが得意だったサッカー一緒にやってたわ。そいつ、割と顔は格好良いのに、なぜかモテなくて、一方で顔がそっくりの弟は異常にモテてたんだけど、夢の中でゴール決めてもギャラリーから歓声はあがってなかった。ウケる。どんだけ現実に忠実なんだよ。もう死んでんだからそいつに良い思いさせてやれよ、俺。それでも両親が仮面夫婦だったのを埋めるように、兄弟仲はすげえ良かったんだよな。今、弟はどうしてんだろうな。

2週間前、俺は30歳になった。何の感慨もない。ただそいつ20代で終わってしまったんだな、っていうのと、30代以降は、こういうのが続くんだろうか、と思いながら、今日電車に揺られて職場へ向かうだけだ。俺には彼女もいなければ、将来のビジョンも見えないし、なんなら「もうやめたい」「消えたい」って半分まじで思う夜だってあるけど、それでも生きていくしかない。

それにしても、あと何回こんな思いをすれば慣れていけるんだろう。多かれ少なかれ、誰もがこういう感情を乗り越えて何でもない顔して生きてるんだよな。大人ってすごい。いやまじですごくない?

2021-02-17

公平な世の中 in増田

小学校→足が速い奴ずるい

中学校陽キャずるい

高校→頭いい奴ずるい

大学イケメンずるい

社会人金持ちずるい

他人の取り柄は全てずるいもの

なけなしの自分の取り柄は何故か大量ポイントになる公平な世の中なら

自分もっと評価され優遇されるはず

こういう主張する奴多くね?

ルサンチマンにも程がある。

2021-02-16

心の成長というのが何か分からなくなった

今26歳だけど心の成長というのがどういうことか分からなくなった。

その悩みは成人する前あたりからずっとあったけど、正解がわからずあれは間違いこれは間違いと模索する日々だ。正解が見つからない間は裁く人間が変わりながら、ずっと自分天誅を落とされている。

辛かった中学校時代にある先生が「決まりを守るものは決まりに守られる」と言っていたが、今やある決まりを守れば別の決まりに裁かれる感じがする。

どのみち裁かれるなら死んでしまいたいとも思い始めた。どうすればよいのか。

Twitter界の落日は近い

Twitter界の落日は近い

我々はかつて、大規模規制運営のいざこざ、まとめブログとの確執にあえぐ古の掲示板を脱し、新たな新天地としてのTwitter希望を抱き居を構えた

ところが今はどうだ

右翼左翼闘争 カーチャンみたいな年齢の中年代が半ワクチンやらスピリチュアルやらと叫ぶ 企業ステマ 自己顕示欲 LGBTやらツイフェミやらポリコレやらミソジニーやら

かつては居住地が分けられ互いに認知し合わなかった人種大釜に入れられ不快だと叫びあっている

我々の理想郷とは何処に行ってしまったのであろうか?

かつてのニコニコ動画黎明期のようなあの一体感と”コンテンツとしての”面白さな微塵もない

俺はお前らのお気持ちなど見たくもない 

あるいはコンテンツとして最初から終わっていたのかもしれない

俺がいままで気付かなかっただけかもしれない

なあ お前ら今どこにいるんだ?

俺は中学校時代毎日家に帰っておもしろフラッシュ動画倉庫を目を輝かせて漁っていたあの一瞬のきらめきを未だインターネットに求めている

大学いかない一番安い学士のとり方を教える

最近人間だったら大学まで行くのは普通だと考えていることが多いだろう.

一般企業に入ろうと思うと大学卒の資格,つまり学士必要となるからだ.

しかし聞くところによれば大学に行くには入学費や授業料,ある程度の金が必要となる.

そこでここでは最も安く学士を取れる方法を教える.

それは高等専門学校(高専)に入ることだ.

専門学校ね,と思ったそこの君少し待ってくれ.

高専所謂専門学校とは違う.

独立行政法人高等専門学校機構管理する高等教育機関で,扱いでいえば大学と同じ,

学校教育法によれば

> 第一条 この法律で、学校とは、幼稚園小学校中学校義務教育学校高等学校中等教育学校特別支援学校大学及び高等専門学校とする。

> 学校教育法昭和22年法律第26号)第1条、「第1章 総則」中

というふうに最後に書かれていて特別感がある.

全国に国立51校,公立私立6校の計57校ある.

私立はよくわからいから,ここでは国公立高専に限って話をしよう.

普通中学生高校受験と同じ時期に高専を受けることになる.

倍率もそこまで高くないし,どこに住んでいようがどこの高専でも受けることができる.

高専の学年構成高校1年から大学2年までの5年間に相当する本科,

さらにそこから2年間,大学3,4年相当をおかわりする専攻科に分かれる.

学科数によるが,1学科40人が限度だからひと学年で200人前後になる.

専攻科は十数人から数十人だ.

本科を卒業すれば準学士という称号が手に入り,高卒以上の扱いになる.

会社によってはまれ大卒と同じ扱いとしているところもある.

本科を卒業してさらに勉学を続けるというのであれば,大学への編入か専攻科への進学2つの選択肢がある.

どちらがいいのかというのは各高専によるらしく,うちでは編入する奴のほうが優秀な扱いだったが,

ある高専だと優秀なやつは本科の研究を専攻科で続けるそうだ.

大学では高専の奴は優秀であるという認識を持っている人も多いが,

編入試験突破できる奴が優秀という話で高専生が優秀という話じゃない.

ここでタイトルに戻るが,高専学士をもらうには専攻科まで行かなくてはならない.

本科は入学10万未満,授業料は5年で150万未満.

専攻科だと入学費は数万,授業料は2年間で50万とかそんなもんだ.

雑費をいれても高専7年間で200万未満,1年から3年までは就学支援金があるからもっと安くなる.

大学だったら年間50万で4年で200万以上だ.

これが門戸も広く,支払う額が一番安い学士のとり方だろう.

直近だと某高専が定員割れをおこして久々の2次募集をかけていた.

時期的な問題だとは思うが,安く行きたいなら狙い目だと思う.

寮がある高専も多いから,はやくから親元を離れたいという人にもいいだろう.

ただ良い点,悪い点ももちろんたくさんある.

ほぼほぼどの高専田舎にあるということ.余った土地転用したところが多いからだろう.

短期大学士でさえ学位なのに,年数が同じ本科5年を卒業しても準学士という学位ですらない称号しか貰えないのは正直カス

最近リケジョという言葉活動でなんとか中学生をだまくらかして男女比は改善されているが,それでも3:1ぐらい.

高専知名度が死んでる.普通こんな学校知らん.ある漫画のせいで4年制の誤解が広がってないか心配

知名度のなさから高専高卒と同じ扱いとする会社もあるが,就職先として高専を知らないところは少ないだろう.

他の大学だと奨学金の種類は多いが,高専はそんなに多くない.金がなければ頑張ってどっかからぶんどれ.

レポートは1年からひたすら課されるが,それ以外は放任自発的部活動課外活動を行わなければ何者にもなれない.

オタク気質人間が多いから,それが無理なやつには無理.機械系の学科自動車が好きなやつが多くオタクじゃないやつも多い.

教員高校先生ではない.教員研究者だから自発的に働きかけなければ何もしない.興味を持って関われば1から12くらいまで教え(一緒に考え)てくれる.

田舎

悪い点が気に食わないのであれば,安く行けるからという理由高専を選ぶのはやめとくことをすすめる.

気にならないなら君には高専おすすめしよう.

コメントへの返事

https://anond.hatelabo.jp/20210217080851

きじゃない女性に好かれた

中学校の時の同級生と、先日たまたま仕事でつながった。

営業が少し前に取ってきた新しい会社の総務をやっているらしく、

プロジェクトメンバーの中に俺の名前を見かけて、もしかしてと思って連絡を取ったのだそうだ。

で、まあ久しぶりにご飯でも食べますか。となって、食べに行った。(緊急事態宣言出る前ね)

正直その子のことは自分記憶にはほとんど残っておらず、名前をうすらボンヤリと覚えているくらいだった。

25年ぶりに合った彼女は、当時の面影を残しているような気はしたが、化粧っ気の無い普通のおばさんだった。

日本酒フレンチを合わせる割烹料理屋みたいな、チグハグだけど美味しい店で、

彼女の話を聞いた。会社のことや、中学校時代の思い出のこと、彼女の身の上などなど。

俺は、その話のどれ1つにも興味が湧かず、共感もできなかったので、ただウンウンと相槌を打っていた。

帰り際に、数年前にバツイチになったことを打ち明けられ、まあ俺もバツイチだったので

「俺もそうだけど、人生バツ一つついたくらいからがスタートだよ!」と適当なことを言って別れた。

それから、毎週のようにLINEご飯の誘いが飛んできた。

最初は丁寧に断っていたのだが、頻度も多く勘違いさせてもと思い、返事を返す頻度を減らし、返信する時間を開けた。

毎週だった連絡が毎月になり、少し落ち着いたかなと思った頃、取引先の偉い人からご飯に誘われた。

営業がどうしても俺について来てほしいとのことだったので、まぁ良いかとついていったら、彼女がいた。

ゾッとした。40手前になれば、普通は脈無いことくらいわかってくれそうなものなのだが、全く引く感じがなくグイグイくる。

どうしょうもないので、その席で恋人の話をなんとなく切り出し、

昔の恋人と一緒に写ってる写真を見せて、結婚視野に入れてるんですよね。と話した。

俺はなんで取引先との会で元彼女写真を(しかも嘘をついて)見せてるのか、意味がわからなかった。

彼女年上?少しおばさんっぽいね」と、皮肉を言われた。

まあ、でもこれで、ようやく終わりだろうと思ってた。

そしたら金曜にオフィスに来たらしく(俺は在宅日だったので出社せず)

今日デスクの上にチョコレートが置いてあった。

「近くに来たので、ついでの義理チョコです。ハッピーバレンタイン

メッセージが書かれた手紙とともに、2個入りの高級チョコレート

告白されてるわけでは無いから、はっきり断ることもできず、

仕事微妙につながってるので、消息つのも難しく、

LINEを未読スルーし続けるのも厳しい。

この前までは「(相手が強引でなければ)好意を寄せられたら嬉しいもんだろう」と思っていたが、

全然そんなこと無かった。中肉中背のおっさん自分がこんなことになるとは思ってもみなかった。

女性の諸先輩方は、こういう時どうやって切り抜けてるの??

anond:20210216013943

なるほど

育児支援を無くせば少子化は解消するんですね!

産休育休をなくして子供手当も全廃止して小学校中学校も焼き討ちしましょう!足りない労働人口児童労働で補いましょう!

2021-02-15

anond:20210215093221

元増田です

女子に嫌われた事が特に強くトラウマとして残っているのは、性別関係なく皆嫌われていても、女子に嫌われた事の方が男子に嫌われた事よりもずっとショックだったからです

僕は皆に嫌われていましたが、男子友達小学生の頃は同じいじめられっ子クラスの中で立場が弱い子供同士で二人ほど居ましたし、中学校でも家が近くて同じクラスの良い子がやっぱり二人ほど友達になってくれました

女子に関しては、小学生1年生の頃に好きになった相手に嫌われてから中学校卒業するまでの9年間で、僕のような嫌われ者にも比較的他の生徒と同じように接してくれる優しい人が二人ほど居ました

友達と呼べる関係では無かったと思いますが、僕はその優しい人達の事が二人とも好きでした

その人達からすれば、他の相手とあまり対応を変えなかっただけで僕みたいな皆に嫌われているキモい奴が一方的好意を持って来て本当に迷惑だったと思います

僕が「男らしさを降りた男性に魅力があるのか」という疑問を持ったのは、「従来の男らしさがない男性」を長所だと思ってくれる女性が居るのか気になったからです

貴方の仰る通り、「男らしさなんて関係なく人間として魅力のある男性」が「男らしさから降りる」事がジェンダー平等に近づくから良い事なのであって、

男らしさ関係なく初めから人間として何の魅力もなく、そもそも初めから「男らしさ」なんて物も持ってない事を日記を書いている内に理解しました

「男らしさから降りて良い」とは「男らしさを降りる=魅力的」ではなく、人間としての魅力を高めるという男らしさ云々関係なく人間として大切な事も同時にやらなければ何の意味も無かったのでしょうね

「男らしさから降りた男性は本当に魅力的なんだろうか?」という、ずっと弱いまま生きている男の疑問。

はじめに。無駄に長い日記かもしれませんが、ご容赦ください。

「男らしさ」とは具体的にどういう物なのか?未だに理解出来ていませんが、僕は自分がそれを持ち合わせていない事は理解しています

男なら、強くなれ。男なら、我慢しろ。男たるもの、立派であれ。男なら、涙を見せるな。

こういう男なら、男だから、強くなれ、強くあれ。という生き方と、僕は正反対存在でした。

僕は女子を恐怖していました。

僕は小学生の頃、同級生上級から揶揄れいじめられるような弱い子供でした。

運動神経が悪い上足も遅く、急に殴られたり目の前で自分の物を盗まれたりしても、その犯人を走って追いかける事も出来ないようなやられっぱなしの存在でした。

何故僕がそういうからかいターゲットに選ばれたのか、今でもよく分かりませんが、やられてもやり返す事も出来ないような弱い存在は格好の玩具だったのでしょう。

休み時間になる度に消しゴム鉛筆を盗まれ上履き女子トイレに投げられ、階段では足を引っかけられ、とにかくその事が嫌で嫌でしょうがなかった事は覚えています

それでも学校その物は嫌いではありませんでした。どうしても行きたくない日が多く定期的にズル休みをしたり、登校日もグループ登校ではなく遅刻寸前になって親に学校まで送ってもらう事が大半でしたが。やっぱり学校は嫌いでした。

ともかく1年生の頃に、僕は同じクラス女子生徒の事を好きになりました。その子がどういう性格でどういう人柄なのかは全く知りませんでしたが、容姿自分好みでとにかく一目惚れだったのだと思います

ある日、体育館で全校集会をしている時に一緒に並んでいた女子と何故か「お互いの好きな人を言い合おう」という話になり、僕は馬鹿正直に「○○さんの事が好き」とその女子に打ち明けました。

その話を僕に振ってきた女子は、僕の好きな相手を聞き出した後に自分の好きな相手を打ち明けなかったので、ズルい、騙された、何て卑怯な奴だ、と非常に腹が立った事は今でも覚えています

うっかり自分の好きな相手の事をその女子に話してしまったその日の内か、それとも次の日だったか、それは今となっては覚えていませんが、僕は学校廊下で○○さんとすれ違った時にある事にすぐに気が付きました。

小学校1年生の、まだ6歳の子供でも、自分が強烈に嫌われている事を理解出来るのは不思議な事だとこの歳になっても思います。生まれて初めて好きになった異性に、僕は同じ学校に通う9年間ずっと嫌われ続けました。

○○さんに何か非があった訳ではなく、僕の性格容姿が決して女性に好かれる物では無かった事が一番の原因だと、今ではよく理解しています。嫌いな相手好意を寄せられる事が女性にとって非常に不快である事も知りました。

自分女子に嫌われる男子である事を僕はその時理解出来ました。中学校を出れば流石に何かが変わるだろうと期待していましたが、結局高校での3年間もずっと女子からは嫌われていました。12年間、ずっと嫌われていました。

同じ登校班に家が近くで僕にも優しくしてくれる子が一人だけ居ましたが、僕がズル休み常習犯グループ登校もしない自分勝手な子供だった事もあって、すぐ疎遠になりました。

学生時代女子からずっと嫌われていた事、自分女子に好かれるような人間で無い事を学校で学べたお陰で、僕は今でも女性恐怖症です。親からは本当に分かりやすいなぁとその事について笑われます

道を歩いていて向かいから女性が来ると、その人の年齢に関係なく大きく迂回して逃げるような動きをしてしまます自分の方が体格が良くても、背が高くても、情けない事に女性の事が怖くて怖くて仕方がありません。

通りすがり様に、「臭っ…」「キモッ…」と言われるんじゃないか、言われなかったとしてもそんな顔をされるんじゃないか、内心そう思われるんじゃないか、そう思うだけで怖くて血の気が引いて、とにかく女性から逃げてしまます

去年散歩帰りに、下校中のまだ低学年であろう女子小学生と狭い歩道ですれ違った時、「自分が向かいから歩くだけで不審者だと思われてこの子に防犯ブザーを鳴らされるんじゃないか!?」と本気で思い、垣根を飛び越えて車道に逃げたところ、着地の際にバランスを崩してずっこけて、右の肘あたりをアスファルトで擦り剥いてしまい、そのまま痛い、痛いと思いながら帰宅する事になりました。本当に何て自分は情けなくて馬鹿なんだろう、と悲しくなりました。

僕は男子に嫌われる役立たずでした。

幾らキモくて女性に嫌われていようが男には男性同士の繋がり、「女性共通の敵として見下し」「男性友情尊いと崇める」事で男の同士の絆を深めるホモソーシャルがあるじゃないかと思う人も居るでしょう。

誰が言ったかは知りませんが、同性にさえ好かれない人間が異性に好かれる訳が無い、という言葉を聞いた事がありますキモイ奴として女子に嫌われていた僕は、同じように男子からキモい奴として嫌われていました。

子供の頃、皆に人気のある男子はどういう人だったか友達になりたくなるような明るくて面白い子や、運動がよく出来て体育の時間に大活躍するような子は間違いなくクラスや学年の中で人気があったと思います

前述したとおり僕は運動音痴で足も遅かったので、体育の時間活躍どころか同じグループ迷惑をかける完全な足手まといでした。性格も、自分が嫌われてる事に自覚が無いタイプ空気が読めないおかしい奴でした。

ボールを遠くに投げられない、捕る事が出来ない、速く走る事が出来ない、長く動く事が出来ない。僕は体育の時間の間完全に単なる数合わせで、もっと言えば僕の入った側が不利になるババ抜きのババのような存在でした。

当然、体育の時間活躍するような運動がよく出来る男子や、クラスの中心的存在先生からの評判も良いいじめの主導者からも嫌われていました。同じ男子からも嫌われホモソーシャルから疎外された子供が僕です。

それでも僕には休み時間落書きを見せ合える友達が居ました。年齢の割に体が小さくいじめターゲットになっていた子と、母子家庭鍵っ子である事を理由にやっぱり男子の中から浮いていた子が友達になってくれました。

ある日、いじめターゲットになっていた友達が転校しました。ひょっとしたら親御さんの転勤などが理由だったのかもしれませんが、クラスメイトからいじめも大きな原因だったのではないか、と僕は思っています

の子は何も悪い事をしていないのに、体がクラスで一番小さいというだけで、物をぶつけたり、馬鹿にしたり、○○菌が付いた!と貶して良い存在のように扱われていました。昔の事ですが、僕もされたという事は覚えています

僕はキモくて役立たずだったので、ホモソーシャルに入る事はありませんでした。僕のようなキモくて役立たずの男子を皆でいじめるあのノリがホモソーシャルなら、僕は昔からそれが嫌いだったし仲間とも認めて貰えてなかったと思います

僕は他人に取れるマウントなんてありませんでした。

男性男性というだけで女性を見下して上から目線で接する「マンスプレイニング」という差別意識があると聞きました。男性というだけで女性より優れているという思い込みから来る「有害な男らしさ」の一つであるらしいです。

女子に嫌な思い出があるなら、女子なんて、と割り切って見下せたら楽だったのかもしれませんが、僕は自分能力他人に勝った記憶小学校1年生の小テスト以降全くありません。

体育の遠投ではわざとらしくやる気なく投げた女子以外に飛距離で勝てた覚えがありませんし、シャトルランで性別関係なく僕より早く脱落した同学年の生徒は一人も居ませんでした。その事が、今でも忘れられません。

なら勉強はどうかというと、女子は安定して成績が良く、僕は5教科の合計点が150点台という事がありました。自分は本当に馬鹿なんだ、この学年で自分以上に頭が悪い奴は居ないんだとその時強く頭に刻み込まれました。

両親は自宅から近い学校に通って欲しかったらしいですが、結局そんな成績では自分名前さえ書けば無条件で入学出来る遠くの私立くらいしか行ける高校がありませんでした。僕が馬鹿なせいで、余計なお金がかかりました。

頭が悪いのは僕が一切努力を行わず遊んでばかりの馬鹿だった事が大きいと思いますドリルは後ろの答えを写すだけ、夏休みの宿題家族に泣きついて答えを全部教えてもらうという他力本願だけでそれまで生きていました。

結局その私立高校でも男子の仲間に入る事も出来ず、小中学校の時のように女子から嫌われ、勉強もろくにしないでズル休みを繰り返しました。高校卒業しても、自分がそこで努力して得た物なんて何にもなかったと感じました。

高校受験さえしなかった者が大学受験なんて出来る筈もなく、大学受験さえ出来ない者が就職活動なんてする筈もなく、僕は高校卒業してから現在までずーーっと親の脛を齧って何の努力もせずに家に引き籠っています

僕は自分能力他人より優れていると思った事が小学校1年生以来ありません。ずっと引き籠っているので、家族以外の女性と接した事も学生時代以来何かのお店で店員さんとして働いてる女性以外とは殆どありません。

中学校時代から友達とは話が合わないという理由でずっと疎遠です。彼らともゲームアニメなど娯楽の話題で盛り上がっていたくらいで、ミソジニーで絆を深めた事なんて一度も無いと思います。何せ女性話題が出ません。

僕は良い歳して未だに童貞で、所謂専門店女性とも関係を持った事がありません。中学校時代友達達はそんな僕に気を遣ってか、僕でも話題に混じれるゲームなどの話題しか僕の前ではしないようにしていてくれました。

僕の男性器は極めて小さく、友達家族など親しい間側の人とも決して一緒にトイレに行ったりお風呂に入りたいとは思えません。女性が言う所の「ポークビッツサイズで、その事に子供の頃から非常に強い劣等感を持っています

から自分意見や嗜好が人と合わない事が多く、現実より自由場所であるインターネットでも他人と上手く付き合えた事がありません。自分好きな物多数派意見に叩かれる、という経験は嫌というほどしてきました。

僕はこれまでの人生で親や兄弟に守られるだけで、自分が誰かを庇護したという事はこれまで一度も無かったと思います我が家という共同体で一番の弱者は僕であったため、家族弱者であった僕を外から守ってくれました。

「男らしさ」という言葉が全く当てはまらない男だと自分で思いますし、男性同士の繋がりからも完全に省かれています。現状のままで男らしくなりたいとは思っていませんし、男性同士の付き合いに入って嫌な思いをしたくもありません。

貧弱で、競争から逃げ、庇護される側で、何一つ優れている所が無い僕は全く「男らしく」ないと思います。男らしさから降りるまでもなく、初めから男らしかった事なんて一度も無かった、生物学上は男だっただけの存在だと思います

小学生の頃からずーっと現実がつまらなかったので、漫画ゲームなどの空想に逃げていました。今でもその頃から変わらず逃げ続けています

僕という存在は「男らしさから降りた新たな男性像」の一つでしょうか?

結論から言えば全くそんな事は無いと思います。ここまで長々と自分は違う、加害者ではない、ノットオールメンと言い訳をしているだけなのですから

「男らしさを降りる」というのは現在の「男らしさ」を否定して新たな「男性としての生き方」を広めるために努力し戦う事で、ただ自分現在の「男らしさ」から逃げる事では無いだろうと思うからです。

結局僕は男らしくなれず、男同士の繋がりの中に入れず、かといって現在の「男らしさ」を変えるための「ジェンダー強者」としての努力も一切しなかった、ただの負け犬でした。

魅力的な男性が男らしさから降りれば「男らしさから降りた魅力的な男性」になるでしょうが、男らしさから降りているだけの男が魅力的ではない、が答えじゃないかな…と僕は思います。ここまでお疲れ様でした。

anond:20210214023304

いやイスラムに限らず発展途上国女子理系が強くなる傾向がある(同じ国の男子に比べて)

個人としても家族としても国家としても、とにかくすぐ金になる能力を追求するからではないかな? 小中学校で理数系が得意な子がいたら、医者エンジニアになる以外の道は選ばせない! ってノリなんだろう。

先進国は、女の子自身意思尊重して金にならん人文系趣味的な専門学校に進学させるから理系女子割合が減ってしまう。

2021-02-14

都市の衰退の特徴メモ

価値創造の土台としての都市

都市の過密化は、日本を売る、生産力に背景があったとすると

グローバル化した社会において、それは、いつの間にか意味を失って空洞化した。

都市という箱があるのに、価値を生み出せないジレンマバブル崩壊後に経験し、その後やがて

箱がなくても価値を生み出せることに気が付かないまま、箱のある日常価値を生むと信じる時代がつづいた。

箱のなかにいることで感染が広がるコロナになって、狭苦しい箱のなかで3密回避を強いられ、ようやく都市という過密な箱の価値見直し始めた。

満員電車に乗って、都心高層ビルに通う価値がわからなくなってきた。

おそらく古今東西都市というのは、本来、そういう閉塞的なものではなくて

外に開かれ、多様な価値交錯する場所だっただろう。路地裏があり、道を外れれば新たな発見があった。

しかし、日本都市にはそういう機能は失われていて、

たか中学校教室空間のような状態になっている。

巨大だけども、同じ箱のなかで似たような人が似たようなことを考えている。

どこにいっても似たようなものを売っていて、郊外イオンがある景色が同じだ。

どんな価値創造するか

何を売るか。その命題もまたモノからサービスへとテーマが移っていった時代に、あいまいになり

明確にとらえることを怠ってきた。ブランドとして売るべき価値をしっかりとらえるようになってきたのは

ここ10年の話。しかし、それでも「日本すげー」的なナルシシズムへの囚われから脱却できないどころか、ますますまり込んでいる傾向がある。

価値創造動機

かつての日本プロダクトアウトの発想でモノを売れた。市場価値グローバルスタンダードは自社が確立し、人々を自社製品をとりこにさせる意気込みがあった。

70年代後半ウォークマン世界を席巻したソニー典型だ。

このマインドが亡霊のように世代成功体験として引き継がれ、さまよい続けた結果、マーケットイン(あるいはゼロベースから

スタートする設計思想がはぐくまれない世代が全世代蔓延した。

明治期には世界とりわけ西洋文明に対する学びの動機付けは強烈なものであったが、それによる成功体験財産となるにつれ

徐々に失われ、渋沢栄一時代の渇望はもはや存在しない。世界で何が起ころうと関心がない。先進国コロナワクチン占有され、途上国必要インフラリソースもなくあえいでいるというのに、オリンピック開催にまい進しようとしている姿は森元というより、日本社会自体老害化を象徴している。

かりにもSDGsオリンピックを謳うのであれば、途上国へせめて超低温冷蔵庫無償プレゼントくらいしてアピールしてやるべきだが、外務省国際協力実態としては

インフラ輸出などさまざまな分野においてここにきて、世界各地で中国オセロの白黒をひっくり返されているのが実情だ。

端的にいって、日本国際協力ニーズのつかみ方が根本的に間違っている。日本式ありき、であり、自分が思い描いた「日本すげー」「日本式」が売れることがとにかくプライド

それがいかにも押しつけがましい。しかもそんな態度が煙たいのに本人気が付かない鈍感さがセットで。

それは無自覚プロダクトアウトであり、状況の変化に鈍感でニーズを何も学ばない老害だ。

都市というのは、そういう老害ウイルスにあふれていて、都市にいればいるほど、人間ダメになる気がするほどだ。

コロナ危機が立ち止まらせたもの

コロナ危機というのは、幸いなことに、過密への忌避都市への忌避を通じて、都市がこれまで生んできた価値への反省を呼び起こす、とてもいい機会になった。

郊外地方、あるいは場所を選ばないグローバル社会バックグラウンドとしての価値、ということだけではなくて、

何を価値創造するか、売るか、ということにも立ち止まって考える機会を与えたと思う。

また、東京という超過密な箱のなかで行われるオリンピックというイベントをめぐって、さまざまな欺瞞矛盾が浮き彫りになった。

なにより浮き彫りになったのは、都市の箱の価値無自覚に信じつづける自分たち自身日本社会全体の老害化だったと個人的には思う。

森元っていうのは、その意味で、象徴しかなくて。

メモなので。適当におわります

保育園の頃の知人が、AV女優になっていた。

保育園の頃の知人が、AV女優になっていた。

正しくは、ほぼほぼ関係のない大昔の知人、多分相手自分ことなど覚えていないと断言できるほどの知人の近況を興味本位検索したら知ってしまった。


の子は、保育園に通っていた頃はずっと一緒に遊んでいて、仲が良くて、今でも自分本名を覚えているくらいには印象に残っている。

多分自分母親も覚えているはずだ。

しろ自分は、彼女母親の顔まで覚えている。

眼鏡をかけた真面目そうな、笑顔が印象的な女性だった。なにか、疲れてくたびれたような雰囲気もあったような気がする。

保育園から小学校に上がるとき、学区の関係で顔を会わせなくなったが、それでも小3、小4くらいまでは交流があったと思う。

年賀状とか、保育園イベントでとか。

中学校は幸い一緒だったので、再開をちょっと心待ちにしていたのだけど、中学校で会った彼女自分の知っている彼女とは結構、だいぶ変わっていた。


髪の毛は茶髪で、制服は着崩していて、化粧をして、口うるさい教師から面倒くさそうに目を反らして髪先をいじっていた。

確かクラスが一度一緒になったけれど、滅多に教室はいなかった。

クラスでも彼女のことを話題にすること自体そもそも少なかったはずだ。

少なくとも友人という枠で括って会話することはなかったと思う。

「あの荒れてる子」

「どこ高に彼氏がいるらしい」

「もう処女喪失したんだって

そういう、確実に憧れではないトーンで、ひそひそと囁かれていた。

腫れ物に触る、といえばよいのか。

周りは荒れている彼女しか知らないから、そういうトーンで話をするんだなと思っていたけれど、自分はどうしても、保育園の頃の彼女を知っているので、聞くたびに違和感があったのだと思う。


修学旅行の班分けをして、彼女と一緒の班になったとき彼女たまたま教室にいたので、「修学旅行、一緒の班だけど」とかなんとか、話しかけに言った。

すごく印象的で覚えている。話しかけられた彼女ちょっと瞠目して、そのあとに「いや、行かないから、大丈夫」と返した、はずだ。

親しみのある表情ではなかったし、目も合わなかったけれど、特段冷たくもなかった。

あ、そう。なら大丈夫。と会話を終わらせて自分の班に戻ったけれど、ちょっと安堵したのを覚えている。

不良と言われていて、他の子からも腫れ物のように扱われている彼女は、もしかしたら自分の知らない子になっているのかもと思っていた。

けれど、少なくともあの瞬間だけは、普通の、自分の知っている彼女だった。

班に戻ってから「何普通に話しかけに言ってんの!?」と小声で問われて、その安堵もじくじくとしたなにかに変わってしまったが。

かに彼女は特段変わっていなかった。変わっていなかったけれど、自分と一緒ではないのだとも一方で強く思った。班の子の問いかけで、より自覚させられたのかもしれない。

振り返ったら彼女はもう教室にいなかった。

問いただしてきた班の子には、自分彼女保育園の頃の友人だったので、別に怖くもないし、相手自分のことをたぶん知っているはずだと返した。


彼女との会話は、それが最後だ。


AV女優になるまでに色々あったみたいだが、(名前も変わっているし、どうやら整形をしているようで、顔を見ただけでは正直本人かどうかの確信が持てなかった)、Wikiを見たらだいぶ出演作品が多かった。

自分こちらの業界に詳しくないけれど、なにか賞ももらっているらしいので、天職なのかもしれない。

ツイッターフォロワーもわりとついている。そもそもWikiがある時点でちょっとすごい。

動画があったので(そういう動画ではなく、Youtube活動をしていたので)声を聞いたら、あの若干舌っ足らずの話し方に聞き覚えがあった。加工をしていない動画の表情は、整形をしているとしても、自分の知っている彼女面影のあるものだ。

ああ、本人だな、とそこでやっと確信が持てた。

動画のなかの彼女は、楽しそうに話していた。少なくとも自分が会話をしたときより、いきいきして見えた。

なんだかよくわからないが、幸せになってほしいなと思った。

AVという産業偏見を持っているわけではないと思うけれども、そういう仕事をしている彼女に対して、嫌悪感が沸かなかった。不思議ものだ。

しろストンと、そこならあるべき自分でいられるんだろうなと納得した。

どうか元気で。


まあでも、母親には保育園の頃のあの子AV女優になってたよ、って話すと思うけど。

2021-02-13

田舎国立附属の中学校では同級生工業商業高校に行った人なんて一人もいなかったので高卒で働いてるとか短大卒とか聞くとひっくりかえる

2021-02-12

公立から難関大学に入ることぐらいでマイノリティを気取らないで欲しい

公立学校のほうが圧倒的に数が多い。

したがって公立学校卒業の生徒が圧倒的マジョリティ

難関大学となれば優秀かつ裕福な家の私立の生徒が増えるかもしれないが、それでも公立高校公立中学校卒業の奴は普通にゴロゴロいる。

そもそも私立が優秀、公立は……なんていうのは一部の都会の話であって、田舎高校に関しては「第一志望は公立私立は滑り止め」だし、お受験中学校も形だけで偏差値は本当に大したことない。

東大ともなれば、確かに私立出身割合はかなり増えるが、それは東大東京にあり、東京地方では滑り止めの私立高校が幅を利かせている特殊地域からだ。

京大東工大一橋ランクを下るにつれて(そもそも別にマイノリティではない)公立出の割合はどんどん増えていく

旧帝大レベルならもはや公立ときマイノリティごっこなどできようもない

東京私立からやってきたお坊ちゃんお嬢さんの方が圧倒的マイノリティ

地元人間と近隣の道府県人間が大多数となる

大体、高校大学の進学など県外出るなら尚更「同じ大学に進学する奴はめちゃくちゃ少ない」のが一般的

開成東大のように同じ高校から同じ大学に何十人も進学することこそ特殊な例であり、Fランに進む奴らはみんながみんな出身階層バラバラマイノリティなのだ

しかし許そう

公立高校出身からマイノリティ〜は許す

だが公立中学校、これはもう許せない

公立中学校は全国民の9割が通うマジョリティ学校

二度とマイノリティぶらないで頂きたい

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