はてなキーワード: 中学校とは
身近で大切な人の言動が曖昧になっていく、そんな体験って自分だけなのだろうか。
すごく概念的な書き出しになってしまったけど、具体的に言うとすれば
この時の「身近で大切な人」っていうのはたぶん「自分」から見て「一定期間交流のある親しい人」のこと。
これを読む貴方にとって、それはもしかしたら幼稚園、保育園、小学校、中学校、高校、専門学校、大学のころからのあるいはまったく不思議な縁でできた友人かもしれない、父母かもしれない、祖父母かも、娘息子か、恋人か、妻か夫かもしれない。
要は自分にとって、大切な人。あなたにとって、自分をおぼえていてほしいと思う人。
何年もかけて蓄積してきたお互いの記憶が、だんだん曖昧になってきているのだ。
例えば、
ぼくの「この時〇〇だったよね」という回想に「そうだっけ」と返されることがある。
テレビをみて「あのときのあれ……あれだよ……」とその人が共通で認識できる思い出や名詞を思い出せないことがある。
こんな状況はぼくだけ?
そんなことはない。
世間一般的な言葉にあてはめてしまえば、それらは「わすれっぽい」とか、「ど忘れ」だとか「認知症」といった枠組みのなかでおさめることができてしまうかもしれないし、「そんなこと気にすることじゃない」と「もっと苦しい思いをしている人もいる」と思う人もいるだろう。
それはもちろんそうだ、この世に人はごまんといるし、似たような状況が身近に存在する人なんて日常茶飯事、こんなこと気に留めていたら……なんて人もいると思う。でもそれはそれ。ぼくはぼくなのだ。ぼくがその状況の当事者となった際の心境を記させてほしい。
では当事者となったぼくといえば、まだその状況を受け止めることができていない。
受け止めることができなくて、その人の言動に一喜一憂させられている(喜んでいるのかな?)
その人の言動が曖昧になる、自分との記憶が思い出せていない瞬間に立ち会うたびに、言いようのない、泣き叫びたくなる感情に襲われるのだ。
「そうだっけ?」「わからない」、何気ないひとことがすごくくるしい。
たとえばその人と過ごした時を同じくするのがぼくだけではない場合、第三者がいるとして、その人に対して「なんで覚えていないの?」「どうせ忘れてしまうもんね」「こう言ったじゃないか」と当たり散らしている。そういった負の連鎖が生まれてしまう状況もあった。
大切な思い出を忘れてしまう、その人が全面的に悪いわけではないと思う(もしかしたら記憶力を低下させてしまう程生活習慣が悪かったりするかもだけど)。でも、自分との思い出が失われることが悔しくて、意固地になってしまう。その人のせいじゃないのに強く当たってしまう。ついつい「わすれてしまったの?」と意地の悪いことを言ってしまう、非難して、ぼくが被害者面をしてしまう。
虐めたいわけではないのに、その人を追い込みたいわけじゃないのに、
ただただ、さみしい。
わすれないで、ぼくのことを。
こんな状況、自分だけなんだろうか。
遭遇というか、俺の仕事中に客として来た。
向こうはもちろん俺には気付かなかったし、俺も何も言わなかった。ただの店員として対応しただけ。
彼とは中学校から別れてしまったけど、小学校ではやんちゃな人気者という感じで、
俺はもちろん本読んでばっかりのうじうじしたクソガキだった。
通学路がいっしょなので、3,4人のグループで一緒に登校すること多かったけど、彼は俺のこと嫌いだったんじゃないかな。
うじうじもごもごして根暗で、でもテストの成績だけはよくて先生からの覚えがめでたい。
話も合わないし一緒に遊んでもつまんなかっただろうな。
今の彼は、飛びぬけてかっこよくてビビったわけではないけど、
やたらすらっとしたモデル体型に成長していて、40歳を超えてる割には髪にも艶があるし洒落たメガネもかけてるし、なんだか充実してそうだ。
自分も小学生のころよりはまともな人間として生きているが、やっぱりなんだか自信満々に彼に声はかけられなかった。
商品の話はできるけど、「同級生のA君だよね!?」なんて声はかけられなかった。
もう大学以前のことは一切思い出したくないんだ。
中学内の成績順に誰がどの高校を受けてもらうかが最初にほぼ決まっていた。
成績上位者の何名までが進学校行き、中間が商業高校行き、底辺は、工業高校行きみたいな。
もちろん、それは学区内の中学校同士が決めたことであって、最初の段階では生徒や親の希望は全無視の状態。
西部には女子だけが行ける女子高や、推薦入試で入れる特殊な学科があるせいで、
生徒&親の進路希望を聞く段階で、
学内での受験者数調整と、それでおさまらない場合は、他の中学との受験枠のトレードという形での調整を繰り返した。
進路指導というのは、先生と生徒が一緒に将来のことを考えましょうなんて理想とはかけ離れていて、
先生が生徒に受けるべき学校をここにしてと説得する場でしかなかった。
生徒が受けたい高校に自由に願書を出せばいいという状況ではなく、
さて、ここら辺は大都会と違って、日本の多くの田舎同様「公立至上主義」である。
何十年も前の話であるが、カミさんは「私立は名前さえ書けば受かる」と言っていた。
そんなまさか、と思ったが、自分の子供が高校受験するころになって同様の話が聞こえてきたのである。
それは「中学校の先生が『受けて良い』と言ったらその高校は合格です」というものである。
どの学校受けようが受けまいが自由じゃん、と思うのだが実態はそうではないらしい。
それと並行して、中学校の担任には三者面談の時に「必ず私立はどこか受けてもらうことになっている」と言われたりもした。
「受けてもらうことになっている」とは何か。
本命の公立に落ちても追加募集ということがあり、近年は少子化につき、通える範囲に数校、追加募集を行なっていることがある。
だから無理やり私立受けることないだろうと思うのだが、先生がそういうからには承るしかないのだろう。
さて、晩秋になってA高校に問い合わせた。いつまで経っても受験要項がサイトに掲載されないからだ。
定員は何人か。受験科目数は何科目か。それぞれ何分か。満点は何点か。
返信はごくあっさりしたものだった。
「受験に関しては、中学校の先生にお願いしておりますので、中学校の先生にお問い合わせください」
シンプルに答えてくれればいいのに、私立高校のことで中学校の先生の手を煩わせるのかとも思った。
んで、いろいろ調べまくって、だいたいわかったことはこうだ。
・中学校の担任は、12月の内申点で生徒にどこの学校を受験して良いか伝達する。
・生徒は、受けて良いと言われた学校を受験。当日テストでやらかしても自動で合格する。
自動で合格する故に「名前を書けば合格」などと言われるのである。
私立高校内外でもヒエラルキーがある。同一高校内では特別クラスと進学クラスであったり、
高校外ではA高校は合格目安内申33。B高校は30というようになっている。
そのハードルを少々さげるために、「単願」制度というものがある。
併願は「公立も受験しますよ、受かった時はおそらくそっちでしょうね」という受験生。
単願は「公立には浮気しないで貴校一本ですので、なんとかお手柔らかに」という受験生。
高校側としても必ず来てくれる生徒を確保したいので、単願は若干内申のハードルが下がる。
併願ならB高校レベルだが、単願にすることでA高校に入学できるようになったりするのである。
受験倍率というのも一応出る。ここらへんでは私大付属のマンモス校A高で2.41倍。
この倍率もあってないようなもので、併願が半分以上いると思われ、その者たちは合格したら公立に行く。
想定した定員よりも多い場合はA高校のほうで非常勤講師を雇用し対応する。
(実際に教員数が発表になっているが、マンモス校の割には少ない。普通高校レベル。相当数の非常勤がいると思われる)
この問題はどうやら手強いらしい。
来たる公立本番に向けて油断するなよ、という戒めがあるものと思われる。
(落ちた話を本当に聞いたことがない。伝説、幻レベルだと思われる)
そして、合格発表。
おそらくダンボールで持って来るのでは。
「おめでとうございます、何々コースに合格です」と書いてあるだけである。
それを実現するために、中学校の先生が結構なご尽力をしているのである。
その私大まであまり苦労せずにエスカレーターで入ることができる。
以下の選択肢の中から、衆議院議員に関するものとして適切なものを3つ選べ。
(ア) 満25歳以上の日本国民でなければいけない。
(ウ) 任期は4年
(エ) 熱意や公約よりも権力者とのコネクションが重要視される
(オ) セクキャバに行って、犬になる
(カ) 定員は475人
悪人をみればそいつに腹が立つのは人間として当然の心理だと思う。だが、それを謎の理屈で養護してる連中を見ると更に強い怒りを感じてしまう。
中学校にDQNがいた。息を吸って吐くように人を殴るし、弱い者いじめを平気でするし、人に怪我させたことを誇らしげに語る、死んだ方がいい人間だった。そいつのことも大嫌いだったが、なぜかそいつよりも他の不特定多数の同級生の方が嫌いだった。同級生達は暴力沙汰は起こさなかったし、DQNと比べれば善人の範疇に入ると思う。だが、そいつらがDQNと仲良くしてたり、「あいつ普段はあんなんだけど、根はいい奴だよ」とか言ってるのが腹立たしかった。いじめられるのが怖いからうわべだけでも仲良くする風でもなく、割と本心で慕っていたように感じられた。そのリテラシーのなさが許せなかった。「あいつがいい奴?いい奴だったら平気で人殴ったり、それを自慢したりしねえよ。お前頭大丈夫か?」みたいなことをしょっちゅう思っていた。少しでもモラルあるなら、DQNのことを好きになれるはずがない
高校にはクラスの中心みたいなポジションにいるが、気が弱い奴には冷淡・高圧的に接するクズ、大学のサークルには牟田口廉也みたいなパワハラ野郎がいて嫌いだった。だが、そいつとつるんでる連中や慕ってる連中、お決まりの台詞「根はいい奴だよ」を言う連中がもっと嫌いだった。
おそらくこれから社会に出たときにモラハラ・パワハラ上司に出会ったらそいつよりもそいつと仲良い奴のことが嫌いになるんだろうな。
てんちむが豊胸事件で炎上した事件についてもそうだ。しくじり先生で初めててんちむを知ったが、それを見て「あっ、こいつは関わったらいけないタイプの人間だな」って思った。豊胸で炎上した際にも「どうせ、そうだろうな」ぐらいにしか思わなかった。だが、野次馬的な気持ちで謝罪動画のコメント欄を覗きに行って、擁護してる信者共を見たときなぜか腹立たしい気持ちになった。別に俺が騙されてたわけじゃないし、信者が擁護しようと俺には関係ないことなのにマジでむかつく。救いようのない頭の悪さに腹が立ったのか、悪人にすり寄ってるくせに善人面してる矛盾に腹が立ったのか知らないが、なぜか怒りを感じてしまった。
ホリエモン、キンコン西野、ヒカルについてもそうだ。こいつら自体は正直どうでもいいと思う。だが、信者を見てるとぶん殴りたい気持ちになる。
嫌いな政治家、活動家もいるが、そいつらよりも支持者の方が頭にくる。
凶悪犯罪についても加害者本人よりもそいつに軽い判決を下す裁判官や自称人権派弁護士、死刑廃止論者に腹が立つ。こういう悪人に寛容なのが美徳と思ってる連中を全員死刑にすれば日本人のモラルは向上すると思う。
テッド・バンティーとかポール・バーナードとかのシリアルキラーにファンレターとか送った阿呆も苦しみ抜いて死んでほしい。
この現象って一体何なんだろうな。
小学5年の終わりに転入した小学校から、ほぼ持ち上がりで中学校に進学した(公立だったけど、地域的に小学校、中学校は他の学校と学区が被っていなかった)。
もちろん、転入段階でできあがってた仲良しグループもクラスカーストも全部持ち上がり。
けど、中学に上がる少し前に、カースト上位の女子が多くいる進学塾に入塾して、さらに(前年度まで大会の成績が良かったため半分内心目当てで)彼女たちと同じ部活に入部した私は、運よくカースト上位の子たちと仲良くなれた。
カースト最上位のA子(詳細はわからないけど、どうも地主の娘らしい)がオタク趣味だったこともあって、中学1年は非常に充実していた。
途中でクラスに入った私立からの転入生のBとも仲良くなって、あの頃のクラスはカーストが崩れかけていた。
そして、同じクラスになったカースト上位の子から無視されるようになったし、小学校から仲良くしてくれてた子からも、ハブられていた(思い込みかとも思っていたけど、卒業時に謝られたから本当にハブられていたらしい)。
家庭の事情について相談しなかったからかもしれない。けど、そもそも引っ越しの時点で予感はあったし、そのころから一人でゆっくり受け入れていて、私にとってはわざわざ相談するようなことじゃなかった。
私は一気にカースト最下位に転落して、そこは私一人しかいない場所だった。その時点で、正直人間不信は半分出来上がっていた。
そして、部活と塾にもその余波はやってくる。
小学校からカースト上位の仲良しグループにいたC子が、別の小学校から入学してきたD子と仲違いした(らしい)のだが、彼女の親友だったE子や仲良しグループのA子たちが、D子を支持するようになったのだ。
C子は部活に来なくなり、やがて教室にも塾にも、学校にも来なくなってしまった。
いつもC子と一緒にいたA子やE子は、いつの間にか、当たり前のようにD子と行動を共にするようになっていた。
しばらくして、C子は別室登校を始めた。
同じクラスの元仲良しグループのメンバーで、唯一彼女のことを心配していたFちゃんだけは受け入れて、それ以外の生徒と会うことは拒絶していたらしい。
私は、正直自分のことに精一杯だったけど、いつの間にかC子の机が物置みたいになっているのにはさすがに憤りを覚えて、毎日放課後、彼女の机の中に無造作に入れられた物を取り出して、教卓の上に置くようにしていた。
けど、ある日、「C子ってずるいよね。うちらが必死になって勉強してる間、ずっと保健室で手芸してるんだよ」と、E子がA子やBと、教室で何の悪気もなく話しているのを聞いてしまった。
つい数か月前まであんなに仲良くしていたのに、とか、誰のせいでC子がそんなことになったと思ってるんだ、とか、思うことは山ほどあったけど、とっさに言葉が出てこなかったし、声を出したら泣いてしまいそうだった。
あの時、私の代わりに「そういうこと言うのやめろよ」と止めてくれた男子のことは、今でもヒーローだと思っている。
E子みたいな人がいる反面、彼のように思う人がいる。私も、少しでも力になりたい、そう思って、私は保健室のC子に充てて、ルーズリーフいっぱいに手紙を書いた。預けたのはFちゃんだったか保険の先生だったかは覚えてないけど。
一方、私はなぜかA子たちと同じクラスに入れられていた。ついに先生にも見捨てられたかと思ったけど、差し伸べられた手をとらなかったこともあったし、まぁ仕方ないと思って受け入れた。
中3のときは、受験学年だからか、成績がトップだった私は、いつしかみんなから頼られるようになっていた。人に勉強を教える楽しさを知ったのもこの年だ。
大人になったのか、それともみんなが私に頼っているからなのか、私の目からはカーストが見えなくなった。
卒業間際に私は色んな人に謝られた。
「助けてあげられなくてごめんね」
「ひどいことしてごめんね」
中には、私が音楽の先生に推して採用されて、卒業式に歌った曲の歌詞になぞらえて、すごく遠回しな謝罪をしてくる子もいた。
けど、私が本当に謝って、理由を説明してほしかったA子やBからは何も言葉はなかった。
A子が幹部を務める成人式の後の同窓会に誘われたり、成人式でA子から声をかけられたりしたので、もしかしたら彼女の中ではあの中2の一年間は書き換えられているのかもしれない。
私は、この中学3年間で、「女の子同士の付き合い」というものを一切信用できなくなった。
育ちの良い子が多かったので、わかりやすくて派手な「イジメ」はなかったけど、その分みんな傷つきやすくて、やっていたことも陰湿だったんじゃないかと思う。
けど、目に見える行動ができなくても、気に掛けている人は絶対にいる、ということも学んだ。
傍から見ても明確な理由がないのに、なぜかハブられている人がいたら、大人だってそう簡単に行動を起こせない。カースト意識に縛られた中学生の女の子ならなおさらだ。
小学校・中学校の義務教育はそもそもワクチンの集団接種っていう行事があるんだから
もちろん保存方法とか問題はあるが高齢者に打つより断然スピード感を持って接種できるのは目に見えている
この前川崎かどっかで演習をしていたが、高齢者は医者を前にすると30分は話し始めるやっかいな生き物だ
毎年健康診断を受けてるんだから同じ仕組みでワクチンを打てば良い
子供や親族には決められないこの難しい問題を行政はちゃんと解決しろ というか決めろ
ちんたらしてる場合じゃないぞ
日本だけコロナで経済再生が遅れたら海外が先に再生して二度と勝てない状態になるぞ
中学校頃から30近くまで平気で3時間くらいは毎日ゲームしたり、ネットにいたりしてた自分
しかし小池に外出しないよう「お願われる」ことがこんなに腹が立つとは…
自転車に家に帰る途中に見た親子らしき2人はマスクをしていたが、肘が触れ合っていた。
マスクしている人は多いが、ソーシャルディスタンスを知人と守っている感じの人はそうそう見ない
4都県知事の要請から始まった自粛も何のための自粛なんだろうか。例年の冬場の死者数や今年の自殺者数を見れば、
経済を止めて、元気に働ける人の仕事を減らしてるだけじゃないんだろうか?こんな不合理で不愉快な時間が1カ月も続くなんてクソだ。
女児の頃から賢い賢い言われて育った。別に賢かったというよりただ他に褒めるところがなかったんだろうが、乳幼児の私を見た大人はみな口を揃えて「あら賢そうね」と私を褒めた。
小学校では勉強しなくても1番だったし、中学校でもちょっと勉強したらすぐ一番になった。
高校の入学式では新入生代表に選ばれた。まあ、だからって何もないけど。
高校でできた彼氏はいつも「○○は頭いいね、俺は馬鹿だから」と言っているつまらない男だった。
一緒の大学に行きたいと言うので、私は担任の勧めを蹴って志望大学のランクを一つ下げ、彼は一つ上げた。
もちろん彼だけ落ちた。
落ちたからって別れたりしないけど、「さすが○○大生~」と事あるごとに言われるのが不愉快だったし、最終的に「自分より賢い女は無理」とか言って振られた。
そう思って相手よりもちょっと馬鹿を演じるようにしたら、今まで見向きもしなかった男から声をかけられるようになり、すぐに新しい彼氏もできた。
それまで今どきそんなこと言うやつが同年代にいると思ってなかったけど、馬鹿で~~~~~すって言って生きた方が断然生きやすいことを知った。
なんでも教えて貰えるしね。
でもなんでも教えてくれる親切な男は、私が彼の教えを受けて成長して彼を超えるとめちゃくちゃ敵視してくる。
好かれたくて頑張ったのに嫌われて振られるとか理不尽すぎる。
けつの穴の小さい男だな。
そうやって女は馬鹿の方が可愛いって価値観に迎合して得をして、でもたまにガワが剥がれてしっぺ返しを食う。
無理すぎる。
ありのままの私を愛してくれ。
男のプライドをうっかりへし折って振られる女とか馬鹿以外のなんでもないだろ。
この前母に電話で「私馬鹿だから~」って自虐したら、「あなたは賢いよ。とっても賢い。あなたの問題は馬鹿なことじゃなくて性格が終わってることだよ」みたいなことを言われた。
私もそう思います。
って並べるべきであって混同するのは誤解の原因になる・・と思ったけど
「青のSP」という、今放送中のドラマが酷すぎるので怒りに任せて書きます。
中学校に警察官が常駐して学校で起きる問題に対処する、という設定なんだけど、逮捕や指紋の採取という公権力を振りかざす行為があまりにも無批判に行われていてヤバいアンドつらい。
学校内に警察官が常駐し、トラブル対応や予防活動を行う「学校内警察(スクールポリス)」制度。この制度が試験導入されることとなった赤嶺中学校に、主人公・嶋田隆平は自ら志願して配属される。表向きは何の変哲もない公立校に見える赤嶺中学だが、スクールポリス・嶋田の登場によって、SNS、薬物、盗撮、さらにはマタハラやセクハラなど、様々なトラブルがあぶり出されていくことに…。
法に触れれば、教師であろうが生徒であろうが容赦無く逮捕!?常に冷静で毒舌な嶋田が、校内にはびこる“悪”を痛快に成敗する!
これだけでヤバイ匂いはぷんぷんしていましたが、藤原竜也が好きなので見ました。そして憤死しました。
1話では授業中の態度を注意されて逆ギレして暴れた生徒を暴行と器物損壊で現行犯逮捕。
逮捕とはつまり身体の拘束で、公権力による私権の制限は必要最低限になされるべき=逃亡、証拠隠滅のおそれがある場合にのみ行われる行為と認識していたのですが、この世界では違うのか!?
ならドラマの冒頭に、「フィクションです」だけじゃなくて「この作品の世界は現実とはまったく違う構造で動いています。バンバン逮捕しますが気にしないでください」とか表示してほしい。
身元がはっきりしていて保護者ともすぐ連絡がついて、犯行を周囲がばっちり目撃していて証拠隠滅のしようもない。じゃあ在宅でいいじゃん。
逮捕は必要性に迫られて初めて行われる私権の制限であるという認識、警察官にも制作陣にもなさそう…… (現実でも交通死亡事故起こした人が無闇矢鱈に逮捕されてるが、これも行き過ぎだと個人的には思う)
反省文書かせて釈放って、それで済むなら逮捕いらんだろ。ごめんで済むなら警察いらんって逆の意味で初めて使ったわ。
3話では、学校の備品を盗んだ犯人を特定するために、全校生徒と職員の指紋を採取しちゃいます。
指紋採取は一応教員から反対意見が出るんだけど、「そんなことをしたら生徒たちの心の傷が……」って的外れなものだけ。「人権侵害です」「あなたにそんなことをする権限はない」って真っ当なこと言ってくれる大人が誰一人でてこない。
生徒たちもおおむね好意的で、「刑事ドラマみたい」とか「窃盗犯じゃないから別にいいよね〜」「私たち悪いことしてないもんね〜」とか。
「後ろ暗いことがないなら権利を侵害されても問題ない」って、その考え方を無批判に取り上げるのはどうなんだ。
そして藤原竜也演じる警察官、嶋田が「あの生徒の指紋を出してくれ」という場面があるんだけど、担任と思しき教員が、その子の指紋を採った紙を(開錠なりなんなりをする様子もなく)パサーッと出してくる。
いや究極の個人情報だから!!!!!どんな保管しとんねん!!!!!!せめてお前(嶋田)がしっかり管理せんかい!!!!!!!!
あらすじの
実際の警察官もきっとお仕事大変なんでしょうけど、私が思いもやらないようなクズい人間とかにたくさん出会うんでしょうけど。
「国民の生命、身体及び財産の保護」が警察官の職務であって、「守る価値がある人」と「ない人」を峻別しようとする姿勢、根本的なところでアウトちゃうんか……??
しかしSNSでは概ね好評で、「クソガキ全員逮捕しろ」とか「逮捕されてスカッとした〜」とか、正直地獄のような光景としか思えない。
イチイチ引っかかって竜也無双を楽しめない私がおかしいのか?となる。
今後転び公妨とか出てきても「嶋田は機転が利く!」って絶賛されると思う。犯罪の構成要件満たさないのに〇〇の現行犯だ!っつっても特に問題にならなそう。つらい。
ツッコミどころが大変多いんだけど、そもそもドラマとしての質が普通に低いから広まらず、私の観測範囲では特に批判もされてない絶望。
嶋田を持ち上げるために教師はアホアホ綺麗事言いこ事なかれ主義者に描かれるし、犯罪への対処に重点が置かれるから、生徒の抱える事情にもリアリティーや深みがまったくない。
イケてる大人がクソガキを懲らしめるスカッとジャパンでしかなくて、国家権力が個人を「懲らしめる」ことの意味がまったく考えられてない。
何より救いようがないと感じるのが、テレビ局というジャーナリズムの担い手が、これを制作して放送してるということ。
ジャーナリズムの目的って、権力監視じゃなかったんですか……??
ドラマの制作部局と報道部局はほぼつながりなんてないんだろうし、「今度こんなドラマつくりま〜す」とかいちいちやらないんだろうけど、社内に誰か一人でも、この描き方は問題があると声をあげる人はいなかったんでしょうか。
権力の過剰な行使とそれをエンタメとして消費する姿勢を、ジャーナリズムの担い手が肯定してはいけないでしょう。。
このドラマをもとに「権力は学校にもっと介入すべき」みたいな世論が形成されることだってないとは言えないと思うんだけど、制作陣やテレビ局はこのドラマを社会に送り出すことの責任を考えたことはありますか。
今期はもっと他に面白い、つくり手の誠意と意欲を感じるドラマがたくさんあるなかで、こんなクソドラマを広めることに胸が痛む部分はありますが。
私は法律の専門家でもなんでもなく、逮捕云々も一般教養で習ったぐらいのものなので、もっとたくさんの人の目に留まってちゃんと批判されてほしい。それを目的に書きました。
生きることへのモチベーションが欲しい
長い懺悔です
きっとこれから二留する、現在一休済の大学生です。きっと、というのは現在差し迫っている後期の試験に向けて何とかできそうな講義が二科目しかないからです。
病院にもカウンセリングにも頼ってます。それでも面談の時だけ元気になります。
講義に途中から出られなくなって(学期の最初は頑張れる)、追いつくためにやらなきゃいけないことを確認するのが怖くて何もせずだらだらとしたまま結局試験日を迎えてしまい、放棄する。これを二年の夏から四年後期の現在まで繰り返しています。
試験の二週間前から頑張らなきゃと布団の中で唱える日々です。これで娯楽にも手をつけられない状態ならば心の不調だ、仕方がないと思えるのですが一丁前にゲームや映画鑑賞はできます。現実逃避のためかイラストを描くことに没頭します。
どうしようもない人間です。
頑張らなきゃ、と唱えることを繰り返してきた人生でした。
自分の話には言葉が足りないので、昔から人とコミュニケーションを取ることが難しく、苦痛でした。暗黙の了解はわからないのに、みんなが自分に向ける冷ややかな目は感じ取れました。
生きていく上でコミュニケーションは必須なんだから、頑張らなきゃ
怒られることが怖くて宿題を真面目にやっていたので、中学校までは勉強のできる人間でした。
怒られないようにすることだけを意識していたので、放任主義の中でどんどんと自分は堕落していきました。
やらなければいけないことを限界まで溜め込んで泣きながらやっつけの仕事を終わらせる。それの繰り返しでした。
明日の提出物を復習を予習を、頑張らなきゃ
終わらせることすら出来なくなりました。逃げ出すことを覚えてしまったからです。
試験を受けなくても、課題を提出しなくても、生きていけてしまうのです。
一番情けないのは、自分とみんなが持つ「頑張らなきゃ」という気持ちの内容はおんなじで、みんなはそれを乗り越えていることです。みんなは頑張れる人なんです。自分は頑張れない人なんです。
とりあえず生きててくれってよく言われるんですけど、その自分は何のために生きるんですか?
生きるしかないし、人は簡単に死ねないことはわかります。なら生きよう、となった時にしなければならないことを自分は頑張れません。嫌になってしまいました。
ごめんなさい。
労働で一番大事なのは体力だ。すなわち体力というものは人生で最も大事なものである。
ここでいう体力というのはマラソンができるとか何キロのダンベルを持ち上げられるとかいう話ではなくて、
脳が活動し、生産的なところに時間をかけられるエネルギーのことを指す。
現時点でトップに恵まれている頭脳を持っている人たちは、医者や弁護士の資格を取る。
もちろんこれも継続的な努力、勉強を続ける体力が必要で、それでいてなってからもつまるところ長時間働くことになる。
中学校高校の時に、まじめに授業を聞いていて、やたらノートをきれいに書いていて、提出物も毎回きちんと出す、
けれど自分よりもテストの成績が悪い、そんな人間を下に見て自分は頭がいいんだと馬鹿にしていた。
おれと同程度もしくはそれ以上テストの適性があり、なおかつそのような活動ができる人はみんな一流大学に行き、医者になったり、大手の企業に勤めている。
おれが馬鹿にしていた前述の人たちも、殆どなんだかんだそれなりの大学に行き、バイトやサークルをこなしながら単位を取って留年せずに4年で卒業した。
もともと発達障害的な特徴があり、努力を継続してできないタイプであったが、高校の時に睡眠障害のナルコレプシーを発症してそれが致命傷になった。
いまは25歳で大学生をやっている。それもそんな一流大学というわけではない。
まあ学歴コンプレックスはこの歳になると視野が広まったおかげでだいぶ緩和されてきた。それはいい。
問題なのが、週5で8時間労働という一般的な勤務時間に耐えられる目途がつかないということだ。
歴が長いのでコンサータやその他もろもろの薬を試したことは言っておく。調子がいいときは部屋の中の環境や浪費活動によって問題なく30時間程度は働くことができたが、
どうしても40時間は働けそうもない。
特に何か秀でた才能もあるわけではないということはわかっている。救いなのは親が比較的高所得であるということだが、それも長くは続かない。
長々と余計なことも書いたが何が言いたいかというと最初に書いたように、最高の資格をとったところで体力がなければお金が稼げなくて、
心のエネルギーと呼べるようなそういった存在のゲージはどうやら遺伝的に、あらかじめ決まっている。
最初に申し上げると、ASD(自閉症スペクトラム)。ADHDも併発してるが自閉傾向が強い。5歳の時に診断されて保育園では意思表示が出来ず大暴れ。
だが言語通級指導教室(ことばの教室)に通って大幅改善された。
小学校は普通学級だったが、3年生くらいから教室に入れない日々が続く。今となってはなぜ入れなかったのか分からないがとにかくしんどかった、勉強はしたいししたくても、机でジッとするだけで疲れる、先生の話を聞いてるのに何も頭に入ってこないし授業の内容も理解も出来ない。結局卒業までほとんど教室に入れなかった。
こんな感じなので中学校は特別支援学校に進学することになった。無事環境には慣れることも出来たが、感想文や文章を組み立てたり類いは苦手。また発達障害や知的障害の人は、絵が上手だったり発想力が豊かというが、自分は全くの逆で、絵心以前に絵の描き方が分からなくてほとんど書いたことがないし、発想力も全くない。
昔から機械とかPCの類いは好きだったおかげか、高校卒業後は自分なりには良い所に就職も出来た(障害者雇用ではあるが)。仕事も楽しく続けられている方だが意見(業務改善提案など)を言うのは苦手。
最近の悩みは教養がなさ過ぎること、今に無って小学生の頃に現実から逃げてたことに後悔してるけど、あのまま何をどう頑張れば良かったのかも分からない。こんなことを考える毎日、しんどい。
それと別に、日本特有の超高齢化社会だからこその要介護者・要介助者受け入れの意義もある。
児童のうち少なくない人数が将来は介護職、医療職、その他の社会福祉職に就くことになるが、小中学校の社会科や保健体育の授業だけではちょうどその辺りの知識が学べない。
だからこそ介護の実践的知識を同級生を通じて学んでおけば、将来の進路選択に生かすことができる。
それ以外の進路に進む児童にとっても、要介護者の増加とともに家族間介護に従事する人も増えていく時代なので、若いうちから介護・介助の経験を積んでおくことは必ず役に立つ。
健常者にとっては一見理不尽な理由で授業やその他の活動が中断することもあるだろうが、それも介護においては日常茶飯事だから。
そこでのよくある問題を共有しようと思っています。授業中の内職問題です。
授業中の「内職」というのは、授業において関係ない行為をすることです。
教室での対面授業の時では「内職」の内容は他の授業の課題だったりするのですが。
Zoom配信授業となるとYoutubeやTikToc、マインクラフト、他のオンラインゲーム(つい最近だとフォートナイト)、チャット(LINE)だったりします。こうなると、私の話なんか聞いてないってことが本当に多いです。Zoomを起動しながら、やっていたり、Zoomを開いているパソコンとは別に、スマホを弄っていたり。
また、教室の対面授業大きく違うのが「内職」の発覚が遅れることにあります。教室だとわりと内職している生徒はわかりやすいのです。話しているのに下を向いている他の生徒と違うことをしているため発見がしやすいのです。しかし、オンラインを通して生徒の状況が分からないため内職しているかが発覚しにくいのです。オンラインの場合どう発覚していくか? というのは、その生徒に対して授業中に「この答えはどうですか?」「この問題を問いてみてください?」とかを聞くと答えられない時にまずは「疑惑」レベルから始まります。というのも、先生の話をちゃんと聞いても分かってない場合と判断が最初つかないからです。しかし、対面時の教室授業では理解できていた生徒が、オンラインでの説明で「分かりません」とかになってくると「なんかやってるな?」という感じになります。
最初私は生徒があまり理解していないのを感じて、生徒の内職ではなく、わたしのオンライン授業のやり方がまずい?等思って改善に勤めていましたが、保護者の方から「授業中にマイクラやってるんだけど?」という連絡を受けて始めてその問題に気づきました。現状の対策として、Zoomのビデオは最低限オンにする、マイクもできる限りミュートしない、授業の支障にならない静かな場所で受けさせる等の対策を取ってます。こうすると、音で内職が把握できたり、画面越しに生徒の顔を見てる発覚がしやすくなります。また、最終的に検索履歴や起動ログを見せてもらったりします(プライバシー等の問題があるため、保護者に許可を貰ってから確認します。)
保護者が生徒の様子を見ている等が良い解決になりますが、共働きで家に保護者がいる状況ではない、テレワークでなかなか生徒の様子を見れない、等で実現がなかなか難しいのです。むしろこういった学習塾のオンラインスクールでは、親が面倒を見てもらいたいというニーズもあり、そういったことをお願いは難しい環境だったりします。
また、私の呼び掛けにすぐに応じない等もヒントになります。ただし、完全な対策にはなりません。酷い生徒には、Google検索のフィルターや、ゲーム起動制限等を保護者にお願いしてもらうようにはしていますが、私の授業では、Scratchでの教育やGoogleの検索等でネットで調べることやっていたりしているので、そうすると授業に参加し辛くなります。また、家での授業終わりの遊びの時間も含めての学習習慣だと私は考えていますので、基本的にはパソコン等での制限はしたくないのです(もちろんアダルトサイト等のフィルターは必要だとは思いますが。)。
もし、高校生、大学生以上であれば、これは大きく問題になることはないように思います。ある年齢以上になると、こういったものは彼等自身の責任になるからです。
しかし、小中学生になってくると問題になることが多々あると思います。なぜなら、「授業に集中できるように指導する」「学習態度を身につけさせる」「学習習慣を身につける」というのが求められてくるからです。
もちろん、学習塾にはこういったものが重視されていないところもあるでしょうが、私の勤めているところでは「生徒一人一人の面倒見の良さ」を売りにしているところがあり、こう言ったことを重視しています。こういった、塾ですら問題になるのですから、塾でなく小中学校のオンライン授業とかも同様な問題になっていると思います。
私はある程度、リテラシー等もありまだまだ上手くやれている方だと思いますが、今後オンライン授業が定常的になってくるとこういった問題が深刻になってくるように思います。ですので、ここで、私から共有させて頂きます。(ある程度、オンライン授業をされている方にとっては常識のようなものですが、この間、そうでない方にこの話をすると驚かれたので、オンラインを授業をこれから受けさせる保護者の方や、オンライン授業を始める先生方に届けばいいなと思います。)