はてなキーワード: メインディッシュとは
最近出社の頻度が増えてストレスが溜まっているのか、週3でマクドナルドのハンバーガーを食ったりバーガーキングに行ったりとジャンクフードを食いすぎている
歳も中年に差しかかってきたからか、体重は増えはすれども減りはしない。あとコレステロール値もなんかめっちゃ増えてる
健康には気をつけたいと思うものの、出社すりゃ必然的に昼飯は外食になってしまう。昼は肉とか揚げ物とかやっぱり食いたいし
そこで晩飯を野菜中心にすることでリカバリーしたいと思ったんだが、野菜料理のレシピのレパートリーが全然ない
自炊は結構好きだし休日には凝った料理もそこそこやるんだが、肉や魚を使わない(使ってもごく少量)となるとあんまり思いつかない。なんか小鉢みたいなのしか作れない
コロナの前(※調べたら、2020年の12月だったわ。19年と勘違いしてた。失礼!)に
自分は食の仕事してるので、世界中の色々なものを食べたくてしょうがないのだけど、
最初は「えー、気持ち悪い」「私食べられないやつあるかも」といわれつつも、
美しく盛り付けられた料理写真を見せたり、シェフがエルブリ(スペインの超有名なイノベーティブレストラン)での修行経験あることを伝えたり、などなど精一杯プレゼンして何とかOKをもらった。
【先に結論】
ここから延々と食レポ書いていくのだけど、食べ終わった感想はこんな感じ。
・肉や魚では感じたことない果物/花のようなフレーバーがするものがあった
・それらは人口的に作られた香料と違って自然でほのかな香りで洗練されていて、普通に感動した
・常食はしないかもだけど、出汁パックとかだったら使ってみたい
【食レポ】
コオロギの出汁を煮詰めたものと小麦粉を混ぜて固めて焼いたせんべい。
前評判通りのエビ風味。食感も少し硬めで、「坂角総本店の海老せんべい」によく似てる。
マッシュルームとトウガラシの粉をかけて少しスパイシー&うま味盛りしてあった。
黒ビール特有のチョコレート風味はあるが、甲殻類感などは全くない。
苦味と濃さも強め。で、とても好み。そういえばむかし、
ヤッホーブルーイングが「前略好みなんて聞いてないぜSORRY」という
ビールで鰹節を入れて発酵させた物があったが、それと同じロジックのようだ。
椎茸の出汁を合わせて作った出汁で、ガンもどきと春菊を炊いた料理。
ガンもどきは特に昆虫使ってるとかではない、普通のガンもどき。
まぁ、海老出汁という感じだけど、濃厚なタイプのエビ感は無い。
コオロギってわざわざ言われないと気づかないので、
こういう形で広まるかもなあと思ったりした。
特に小麦香とかは無かったけど、餌によって味は変わるんだろうな。
マリアージュで合わせる酒は加世田30年という熟成させたコーン焼酎。
大豆を使わずコオロギだけを8ヶ月発酵させた醤油だそう。発酵するんだな・・・。
作り方は乾燥させて砕いたコオロギと麹を混ぜて発酵させるとのこと。魚醤ならぬ虫醤。
甘味が少ないので、甘めの食材と合わせると良さそうということで雲丹なのだろう。
コーン焼酎もおそらくフレーバーは香ばしさで合わせて、甘い香りを補う狙いだと思う。
料理の前に「この子たちですよー」と、アクリルボックスに入った蜂の巣を見せてくれるプレゼンテーション。
集合恐怖症の自分には正直かなり厳しい。(まあ絶対こういう演出あるだろう覚悟はしてたからいいけど)
さて、料理の方は甘しょっぱく煮込んだスズメバチの幼虫とサナギのソースを
まあ見た目は幼虫とサナギそのままなので、ザ・虫。
とはいえ、ソースも濃厚な茶色なので凝視しなければあんまりわからない。
キャラメリゼされたナッツ香が特長的で、レーズンのような舌が少し収斂するような味わい。
バター感のあるカボチャのスープと合わせると、プチプチとした食感とも合わさってなかなかに良い。
マリアージュで合わせるのはボタニカルジンをキハダのトニックウォーターで割ったもの。
植木鉢のような器に木の枝。その先の葉っぱには蝉の幼虫がくっついている。
やばいかなと、パートナーをチラッと見るが、全く大丈夫のようだ。
アブラゼミとミンミンゼミの幼虫を乾燥させてカラッと揚げたとのこと。
中は思ったよりもジューシーでプチュっとした食感。味は出汁感が強い。
川海老の唐揚げのような香ばしい感じかなと思ったけど、思ったより香ばしくはない。
香りはアーモンドとかのナッツとかにちかい。成虫になるともっと香ばしくなるらしい。
食感が柔らかめなので、個人的には殻付きの甲殻類の唐揚げより好きかもしれない。
合わせた樹液ジュースは、*****と******、***と**(注:これ演出としてクイズだった!ネタバレしないほうがいいと思うので伏せ字にしました)を合わせたもの。
ストローでセミになった気分で飲む演出。味は、まあ不味くはないけど普通。材料の味がする。
仕事でタコスを作ったりしているので、「オアハカの昆虫タコス」は昔から気になっていたので
焼いてパリパリにしているので、トスターダというのが正しいかな。
イナゴの味的には先程のスズメバチのソースのような甘酸っぱい系に仕上げてある。
ベリー感が来るので、ラズベリー系のソースで煮てあるんだと思う。
下にフリホーレス(南米の黒豆の煮込み)が敷いてあり、味の緩衝材になっている。
食感は比較的バリバリしていて、イメージしてる昆虫食に近かった。
そのまま使う昆虫(成虫)はやはり「硬さ」が一つネックになりそうで、
それを他の食材(パリパリに焼いたトスターダ)とかで合わせるのがコツのようだ。
(7品目)イノシシのロースト、イナゴ醤油ソース、韮の蕾のケッパー添え
ロゼ色に綺麗にローストされた猪の上に黒ニンニクとイナゴ醤油を使ったソースがかけてある。
イナゴ感みたいなのはわからない。パートナー的には一番美味いとのこと。
人口的な強さがない。個人的には青リンゴよりも洋梨香を感じた。
話を聞いたら、ベースのウイスキーがブラックニッカとのことらしい。
タガメ漬けるだけで、あれこんなに美味しくなるんか。
ヨーロッパイエコオロギと二星コオロギの合わせ出汁ということ。
出汁感はとても強く感じた。だいぶ酔っ払ってきたので、この辺りのメモが適当になってる。
今回、全ての料理の中で一番美味しかった。カイコの糞を混ぜ込んだアイスクリーム。
アイスにほうじ茶は入れておらず、桑の葉っぱを食べたカイコの糞を混ぜて香りを作ってるらしい。
これ以外も桜の葉っぱを食べさせると桜餅の香りのする糞だったりと、
カイコの糞は、蚕沙というちゃんとした漢方にもなってるくらい昔から食べられていたらしい。
という、感じで全9品。店名は書かないけど調べれば出てくると思うので、
<追記>
結構美味しいのになあと思ったので、書きたくて書いただけ。
本当に虫取り小学生みたいにキラキラ語ってて本当に好きなんだろうなーと思ったんよね。
なんとなく、そういう人が流れ弾で叩かれたら嫌だなってのがあったかな。
>Antcicadaでしょ?
俺のレポよりもずっと詳細で写真付きの記事あったので、恥ずかしいわ。
>そこ、もう予約取れなくなってるらしい
レストランは本当に予約取れないよね。
いいなと思った店は次回の予約も入れる(人はその後に集める)ことが多いなあ。
>休業中だって
新しいシェフになると味も変わるだろうし、また食べに行きたいなあ。
まず先付け、深呼吸してフッと息を吸い込んで肺に貯めたまま胸を張ると胸骨とか鎖骨がパキッ
次に椀物、足首を逆側の足で押えながら引っ張って抜く感じで鳴らすとボゴッと鳴って良い
手首は反らすより内側にグイっと曲げてコッ!と鳴らすのが好み
向付には手軽さの手足の指だね、手をポキポキッついでに足の指もポキポキッ
でも手指だと親指の付け根が特にイイね、握りこぶしの状態から親指を他の指で握ってポキッ
そして煮物だ、背骨を一気に鳴らすと良い、腰丈くらいの背もたれとか机に背を向けて腰との間に手を入れてグイっと体重をかけて反らす
ココココココッ!その後左に右に腰を回転させてポギッポギッ、もっ最高!
そしてメインの焼き物は股関節、背骨や腰回りと位置を逆にする人も多いと思うが個人的には関節慣らしのメインディッシュはこっちだ
椅子に座って軽く股を広げる、鳴らしたい方の足を内に外にぐりぐりっと回転して抵抗を感じた方へ思いっきりグリッ!ボゴッ!!
スッキリ!
最後に伸びをして脇やふくらはぎなんかの肉を伸ばすとなお良い、これはまぁご飯ものってところかな
とは言っても極端なフリークではない。
そんなスタンスなのでグラム単位で安価で味が許容できればいいというね。餃子好きと言うと怒られそう。
実質、普段食べているのは株式会社イートアンドフーズが送る「大阪王将 羽根つき餃子」
https://www.eat-and.jp/foods/products/detail.php?id=27Z7TRC
餃子12個280gながら時に安価で手に入るということで冷凍庫にいくつか常備して食しておりました。
でもね、増田。
最近、お年頃。
健康にも気を使いだした。
まずは簡単にたんぱく質を意識してみるかと見直してみるとなかなか十全に摂取するのが難しいね!
話を餃子に戻して、餃子は完全食といわれております。肉も野菜も一緒に取れるからね。
そんな情報を裏づけもとらず惰性67%ぐらいで信じていたのですが…
というわけで!「大阪王将 羽根つき餃子」の栄養表示を見てみよう!
https://www.eat-and.jp/foods/products/detail.php?id=27Z7TRC
うん!書いてないね!おファック!
https://nufufu.com/food/o-ohsho-1/
100gあたり(2018年)
たんぱく質 3.9g
脂質 9.5g
炭水化物 18.0g
食塩相当量 1.5g
普通のお肉まるごとで100gでたんぱく質がだいたい20g、ソーセージとかの加工品がだいたい10gが個人的ラインとしてるから、肉そのものの加工品としても当たり前だけどとても少ないね!
餃子を「メインディッシュの肉」「半分ぐらいは肉の料理」のつもりで食べているとたとえ300g食べたとしてもたんぱく質は不足していくよ!
飲み物含めず食べ物だけでたんぱく質を60g以上とるのは大変だよね。朝を抜いたりパンやバナナだけだったりするとさらに大変。そこに一番がっつりいく夕食をたんぱく質10g程度にしてしまうともう。
https://fooddb.mext.go.jp/details/details.pl?ITEM_NO=18_18002_6
たんぱく質は6.9g。標準と比べても少ないね!醤油が謳う(基準から)塩分30%カット!とかは逆の努力だね!
辛いのはたんぱく質で見るから餃子を減らしてラーメンとセットで~とかができなくて、単純に肉(や大豆、高タンパク)が足りてない。
冷凍とはいえ自炊で肉料理作ってまで餃子を出すとなるとうーむ…。豆腐やもやしを添え付けたい所だ。
とにもかくにも、(冷凍王将)餃子は味のイメージ以上にぐっとお肉が少ないので、安いとは言えこればっかり食べているとハムやウインナー以上にお肉不足に落ちいる可能性があるから要注意ってことだ!せめて肉と思って食うな!
でもま、たんぱく質を意識し続けてずっと鳥胸肉をむしゃるのも虚無いので気分転換など意識を持って"餃子"キメろォ!
さてさて、昨今の物価高上昇の嵐 for dream。当然餃子も影響がすくそばにある。誰も(実質)値上げをじゃまできない。
前述の栄養を再掲しよう
https://nufufu.com/food/o-ohsho-1/
100gあたり(2018年)
たんぱく質 3.9g
脂質 9.5g
炭水化物 18.0g
食塩相当量 1.5g
内容量は餃子だけで294gだ。
だが王将餃子も言ったり言わなかったりしながら「美味しくなって新登場」しているのだ。
100gあたり(2019年)
エネルギー 182kcal
脂質 9.1g
食塩相当量 1.5g
294g 皮の率 65%
おいおい増えてるじゃないか。…いや、スマン。まあキャンペーン中ということもあるし、誤差だよ誤差…。
https://osyobu-osyobu-3889.hatenadiary.jp/entry/king-reitou-hanetukigyouza
100gあたり(2021年)
脂質 11.1g
炭水化物 16.6g
食塩相当量 1.4g
280g 皮の率 ?%
重さがひとつ24.5gから23.3gへ減って、たんぱく質も2018年から減りました。このあたりで商品のリニューアルをしているようだが何が良くなったのだろうか。
さて、さらに直近、増田なので画像を上げられないのが申し訳ないが、手元にある二つのパッケージを見る。
エネルギー 162kcal
たんぱく質 3.8g
脂質 7.8g
食塩相当量 1.4g
280g 皮の率 65%
細かい栄養の上下はロットごとの差異だと言えそうだ。だがカロリーが170を割ってしまうと悲しいものがある。
さらにいつごろからかは不明だが、調理時間が中火7分から中火5分に変わっていた。技術力の向上だとうれしいが、なんだが中身が減ったような印象を受けてしまう。皮の率やグラムは変わってないのでバイアスだ。
エネルギー 169kcal
たんぱく質 3.4g
脂質 8.5g
食塩相当量 1.5g
280g 皮の率 70%
皮の率が70になってしまった。100g中70gが小麦の皮で、残り30gの餡にいったいいくつ肉が入っているというのだ。たんぱく質は増えた小麦分で微妙に上がってるはずだからたんぱく質だけで肉を推し量っても…。
味と値段には別段不満はないのだ。食事の満足感・満腹感もこのお値段だと調理いらずで一食になるのは助かる。
しかし情報を食うという点ではやはりトレンドどおり改悪が続いていてそうで収まりが悪い。栄養で見てたんぱく質も下がり気味だし、何気に塩分も完食で4.2g+タレも気になるところ。
底値の特売もめったに見かけなくなってきたし、切り替えてがっつりお高く肉肉しい餃子に切り替えるか、自作で肉量コントロールするか悩むところだ。大葉やニンニクたっぷり餃子もたまには食べたいのねん。
ttps://gori3353.club/2019/09/27/oosakaousyou-reitougyouza/
ttps://www.inside-shiina.com/entry/Recommended-frozen-foods-of-osaka-ohsho
100gあたり(2019年ごろ?)
たんぱく質 5.7g
脂質 9.8g
食塩相当量 1.4g
https://www.ffa.ajinomoto.com/products/detail/id/293
約100gあたり
エネルギー 164kcal
たんぱく質 6.0g
脂質 8.68g
炭水化物 14.7g
276g(タレ含むか不明)
王将餃子よりちょーっとだけ高いけど王将側がシュリンクして280gになったせいでたんぱく質で見るとこっちのほうが賢そうだ。
がんもどきってけっこう好きなんだけど、意外と食う機会がない
社食も日替わりでけっこうバリエーションあんだけど、メインディッシュ・味噌汁・小鉢の構成で、煮物が入り込む余地がない
この前飲み会でおでんを食う機会があって、たぶん選択肢にがんもどきもあった気がすんだけど、わざわざ頼むもんでもないな、的な思考でスルーしてしまった
よく考えたら、全然食ってない 食う機会がない
マジで5年くらい食ってない気がする
親しみがあって、けっこう好きだとすら思ってんのに、全然食ってなかったし、食ってなかったということに気がついてなかった
食うかあ!つって、がんもどきを主軸にした献立を組み立てにくいんだよな
つうか、売ってるっけ?がんもどきって
気にしたことがなかった
アブラゲとか売ってるあたりに売ってた気はするんだけど、確信が持てない
とにかく曖昧に生きてんだと思う
あるいは、このくらいがちょうどいいのかも
当たると評判の占い、染心堂?
悪くないが違うね。全然違う。
1番に向かうべきは地下の生鮮食品街だ。
基本となるイモや玉ねぎ、ニンニク生姜のほか、季節の野菜としての青菜、大根などをしっかりおさえつつ、バジルやミントなどのハーブ、フルーツにんじんや、ウクライナ料理のボルシチに欠かせないビーツ、青森が生産量日本一、今が旬のやたら甘いぶどう・スチューベンなど、なかなかみない野菜や果物がそろっている。
どうせ安いのだから、いつものレギュラーに加えてチャレンジングな野菜を一品ほど買うのがいいだろう。
ビタミンとミネラルと食物繊維を摂ったとして、それだけでは片手落ちで、タンパク質も健康にか欠かせない。
豚や牛、鳥の各部位だけでなく、冷凍の餃子やロールキャベツもあるし、自家製ハムもある。
ここのボンレスハムはスーパーのペラペラの感じじゃなく、「肉!」って感じでうまい。
そして、ここで注目なのが350gで480円というアホみたいな安さのアメリカ産牛バラ切り落としだ。
牛と言っても切り落としなので、血の滴るような塊を口に放り込むという食べ方はできないが、牛丼や肉豆腐、オイスター風味の牛野菜炒めなどならこれで十分。
これを1回に使う分だけ小分けにして冷凍しておけば、夕食のメニューはかなり決まる。
おまけに卵も買えるので、牛丼の上に生玉ををオンしたい時にも安心だ。
ところでみんな知ってると思うが、認知機能を健全に保っている人は魚をたくさん食べている。
なので、1週間に1回は魚介類をメインディッシュにしようじゃないか。
もちろん好きなら毎日でもいい。
地下一階を歩いていると嫌でも目にとびこんでくる密!
群衆が品定めしているのはマグロのサク、牡蠣、サーモンのカマ、鯨の刺身もあるし、いまならサザエもあるぞ。
おっさん、おばさん、時々兄ちゃんなどをかき分けて、好みの海の幸を手に取ったら会計だ。
混みすぎててレシートとかでないし、キャッシュレス決済とかそういう話でもないからそこは注意だ。
宝屋の向かいにある韓国家庭料理 キムの家ではキンパやチヂミなどをテイクアウトできる。
中華天心もいけるぞ、手作り点心 また明日。では蒸し立ての肉まんやシューマイがモウモウと湯気をあげている。
人気すぎて肉まんなんか売り切れてることがよくあるぜ。
和食だって負けてない、天ぷら千代田で揚げたてサクサクの天ぷらもテイクアウトできる。
大丈夫、幸福物産店にいけば見たことない色のイモ団子とか、皮の食感を楽しむ中華の冷凍餃子、どう使うのか皆目見当つかない調味料などがあるぞ。
地下一階を回って大満足だが、帰りは1階のシャトレーゼを覗いて、午後に食べるアップルパイなどを検討するのもいい。
ただし、シャトレーゼはどの時間に行ってもレジが行列なので、生鮮の鮮度が落ちるのが嫌なら、先に行くのもいいかもしれない。
代表的な店舗だけを紹介したが、ブロードウェイの食料品店舗はまだまだある。
中野に来た際はぜひ地下に向かうエスカレーターに乗ってほしい。
あれ、なんで降りしかないんだろうな、謎だ。
じゃあな、いい夕食を。
417 名前:名無したん(;´Д`)ハァハァ[sage] 投稿日:2016/04/21(木) 22:45:43.71 ID:lkT7fMLi
>>404 >>406 デタラメを言うな
「そんなオカルトありえません」というセリフに象徴されるように、
超能力を使うバケモノと凡人の意地が衝突するのが最大の醍醐味で、
和、透華、池田、かじゅ先輩など初期メンバーの闘牌は麻雀好きの間でも評価が高い
イカサマだらけの麻雀漫画と比べて能力漫画の咲を「麻雀じゃない」とか言って
馬鹿にする奴がよくいるが、イカサマも超能力も表現技法上は大差ない
「平で打つ(普通に戦う)」前提のなかでルール違反の応酬があるから面白さが生まれるんだ
バイキンマンが変装してアンパンマンの前に現れて、観てる幼児が指摘して喜ぶのと一緒で、
作者と読者の間で「秘密の共有」をするのは話作りの基本だからな
だから、超能力を公然と使うか、こっそり使うかの差はめちゃくちゃ大きいわけ
そもそもメインディッシュは闘牌であり、変化球、スパイスとしてイカサマなり超能力があるはずなんだよ
それが、だんだん手牌も捨て牌もろくに見せなくなり「ロン!48000!」とか叫びまくるだけの
萌え萌えバトル漫画に堕ちていった咲を「劣化」と言わずしてなんというんだ?
アカギやむこうぶち等と比べても見劣りせず麻雀漫画界に燦然と輝いていたのが初期の咲なんだよ
70符2翻を狙うとか引き分け狙いとか理屈っぽすぎて逆に心配になるくらいで、
「平日は子育てのこと全部やるからさ、仕事から帰ってきたら残ってる家事だけお願い」
子供が生まれてもうすぐ1年、少し目を逸らすとハイハイでどこかに駆け寄っていく。
早いなあ、もうすぐ誕生日だしなにかお祝いでもしないとな。
一日家で面倒見てくれている嫁にも気晴らしが必要だ、考えないとな。
夏の暑さが少し落ち着けば、なぜか仕事はもう少し忙しくなる、通勤電車に揺られ帰ってくるのはいつも22時だ。
気のいい上司は子供が生まれてから、私に対してより一層気遣いの感じられる言葉を掛けてくるようになった。
「今日も遅くまでありがとうね。ああ、その仕事ならこっちでもできるし、今日は早く帰りな」
「子供が小さいうちは家事と育児に関わっておかないと後々大変だよ」
「ほら、テレワークならもう少し早く終われるし、通勤もないから奥さんに喜んでもらえるんじゃない?」
夜中にメールを返してくる上司のことだ、何時まで仕事をするつもりだろう、自分こそ早く帰って休んでくれ。
甘えて仕事を投げ渡し、週に1度は自宅で仕事をすることができるようになった。
それでも仕事が終わるのは19時過ぎ、結局自宅でも定時に上がるのがこんなに難しいなんて。
「月末だしいつもより早くあがって奥さんと子供にたまにはなにかしてあげな、定時前にあがっていいよ」
朝にZoomのミーティングで告げられた上司からのありがたい通告、
今日はやけに仕事が少ない、昨日納品した資料はなんと完璧で戻りもないらしい。
珍しい、四半期に1度あるかないかの穏やかな日、素晴らしいことにテレワークで通勤もない。
溜まっていた残業の超過時間を消化することも兼ねて早めにあがるか。
「仕事早くあがれるからどこか出かけようか、今なら空いてそうだしさ」
LINEで伝えると意外にも早く「いいよ!どこいこっか?」と快諾の返事が返ってくる。
「あの店のアイス、今日30%オフで食べられるらしいよ。前食べたいって言ってたし行ってみる?」
このとき失敗したのは子供の昼寝の時間だ。ベビーカーで寝ると思っていたが期待に反してまったく寝ない。
ショッピングモールでそんなに頻繁に降ろしたりしなければ細かいタイミングで寝てくれるだろう、そんな思惑が外れた。
家に帰れば、眠い眠いと騒ぎ出す、これは不味いな。いつもの寝る時間まで持たないかもしれない。
子供を入浴させるためにお風呂に湯を張り、米を炊く。昼間の食器はとりあえず洗剤につけて流しの隅に、あとで夕食後にまとめて洗おう。うわ、朝干した洗濯物取り込んでないな。
お風呂からあがれば子供の晩ご飯タイムだ、ようやく食べられるようになった硬めのお粥をメインディッシュに頬張る。
食べ終わればもう半分寝ている、昨晩寝かしつけたときは全然寝ないと嫁が悩んでいたのに。
今日は平日だが余裕があるしそれほど疲れてもいない。 「もう眠そうだから俺が寝かしつけてくるよ」
「子供がすぐ寝る日に寝かしつけできてよかったね」
…?
一瞬のことだがうまく言葉を飲み込めない、アドレナリンの出る仕事と比べると平時はこんなに頭が回らないのか。
どういうことか考えてしまう、少し苦い表情が顔に出てしまった。
「え?なにか悪いこと言った?」
久しぶりの休日出勤は午前で終わるはずだった。
でも、なぜか午後も仕事をすることになった。
お昼を用意していないのでコンビニに行きたいが面倒なので
自販機のカップ麺とデニッシュと麦茶(各100円)が今日のお昼食になった。
気分が晴れない。
休日出勤が原因ではない。このところずっと塞ぎ込むことが多い。数ヶ月前までは三食自炊してお弁当を持参し職場で食べて、洗濯も掃除もしていたけど、ここ最近はご飯も作れず洗濯もほとんどできず散らかしっぱなし。服を洗っても畳まず部屋の隅に置いているので、多分これが洗ったものだろうと探しながら服を着ている。シンクは少し前まで自炊していたときの鍋や食器が洗わずにそのままにしてある。酒は毎日のように飲み続け、0時を過ぎたら飲まないと決めていたが平日でも3時まで飲んでいた。人と会わないときはシャワーを浴びることも髭を剃ることも着替えることもしない。今まで毎日資格の勉強をしていたそれも最近全くやっていない。
何故この生活になったかわからない。それまでは健康的にご飯を作ってそれなりに楽しく過ごしてきたけど何かがポッキリ折れたのか生活の水準が過去にないぐらい酷いレベルに落ち込んでしまった。
この感情をイメージするならば、よどんだ池の中に浮きがあり、それがずっと沈んでいる状態。
たまに水面に浮きが顔を出すことはあるがすぐに沈んで見えなくなってしまう。
何度か浮くことはあるが、浮き続けることができない状態が今である。
僕の仕事は工場の設備管理。学校でいうと用務員さんみたいなものだ。製造と直接関わらず保守管理をしている。
今日は工場の設備の更新工事がありその立ち会いだった。作業は午前だけのはずだったが夕方まで作業をする
と言う話になっており仕方なく夕方まで待った。
それまでは特にすることがないのでないので工場内のエアコンのフィルターをケルヒャーで洗って干して
立ち会いも常に現場にいるわけでなく朝と夕方に打ち合わせをしたり、業者さんが廃材や道具を
置きたいけど現場に置いても良いですか?と電話で聞かれたら「はい、いいですよ。」と言うだけ。これもたいした仕事でない。
せっかく職業訓練校で1年勉強して、それなりの会社に入れたけど技術的な面で全然向上でず
資格の勉強もはかどらず、今年で40歳になるのに結婚もせず彼女もいなくてかなり焦っている。
そのせいか人と話すことも上手くできず余計に落ち込み負のスパイラルに陥ってる。
今日も、ボールペンを落としそれが机の下の取りにくいところに入ってしまっただけで気持ちが塞ぎ込んだ。
池の浮きが水面からどんどん離れていき底に沈むようだった。
こうなったら何か美味しいものを食べようと決めた。ただ最近は外食をよくするが、どれも美味しいと感じない。
だから普段行かない店にしようと調べたら職場の近くに昭和からあるステーキハウスを見つけた。
肉はそんな好きな方ではない。どちらかというと魚派で焼き魚が好きだった。
鯖塩とかアジの干物、さんまの灰干しなどが好きだ。でも行ってみることにした。
仕事を終えたら店に向かう。行ってみると地方の幹線道路沿いというのもあり駐車場は20台ほどあり
うち三分の一は埋まってた。店はえんじ色の布看板で「ステーキハウス マスダ」(仮名)と白い文字で
書かれており「キ」と「マ」と「ダ」の上または下あたりが少し破けていた。レトロ風の建物にしているのではなく
入り口には何年か前の地元の新聞のコピーがあり余白に「○○新聞さんに紹介されました」と手書きで書かれていた。
中に入ると内装も古い印象だった。純喫茶のようなモダンな作りだけど奥には畳の座敷席もあった。
最近の飲食店ではワンオペも珍しくないのに、この規模にしては多い5人ほどのホールスタッフがいた。
メニューを見てこの店の人気メニューとされるハラミステーキ200gとスープ・ドリンクのセットを頼んだ。
最初にコーヒーと同時におかわり自由のサラダが出てきた。サラダはとても細い千切りのキャベツと少量の紫キャベツと人参にフレンチドレッシングがかかっており、ドレッシングはそんなに酸っぱくも甘くもなかった。
食べ終わってからコーンポタージュが出てきたが最近ではあまり見かけないタイプのものだった。
定番のコーンポタージュは黄色く甘くでつぶつぶコーンが入っているものだが、この店はほのかに甘い程度でコクのあるスープで粒もなくドロドロなスープだった。色も発色のいい黄色でなく、ややくすんだ茶色みがかった色だった。美味しかった。
しばらくするとメインディッシュのステーキがライスとともに来た。思ったより大きめの肉で
パセリ入りのバターがのっていてステーキ自体にも味が付いていたのでソースを掛ける必要は無かった。
肉は柔らかく脂もほどよくありとても美味しかった。美味しい肉なので味わうためにゆっくり食べた。
ほとんど関係ない話だが、僕は逆流性食道炎になったことがあり医者からはゆっくり食べるように言われたが守れていない。
(酒を減らすことも言われたがそれも守れていない。)
付け合わせはインゲン二本とスパゲッティとコーン。ステーキハウスなので本格的なステーキを出すはずなのに
付け合わせが社食にあるようなスパゲティ?と少し違和感があったが悪くはなかった。
不思議だったのはこのステーキを食べて「美味しい」と感じたことだった。ここ最近何を食べても何も満たされず
食べたあとは「何で食べたんだろ…」とガッカリすることが多かったので久しぶりに感じる「美味しい」だった。
このステーキより美味しいものは今まで食べてきたはずなのに何故かこのステーキは美味しいと素直に感じた。
斜向かいの席でビールを飲んでいる夫婦がいた。自分も飲みたいがバイクなので飲め無かったが落ち込むことはなかった。
さっきまではこんな事でも深く落ち込んで傷ついていたのに。
隣の席は親子三世代で来ていて一番小さい子は2歳ぐらいの女の子でその両脇に両親が座っていた。向かいには
お爺さんいて、孫と同じピンクの上着を着ていた。お爺さんは機嫌の良いオカメインコのように肩を上げたり下げたりして
孫の気を引こうとしていたが孫は無反応だった。
それをみたら少し可笑しかった。それまでだったら未婚の僕にとって小さい子供を囲み食事をする光景はつらかったが
今は微笑ましいと明るく思える。今ここで何かが変わったかも知れない。
食べ終わって一息つくと会計を済ませる。値段は3000円。今日の昼食の10倍だが特別高いとは思わなかった。
帰りのスーパーで普段は買わない併設されてるパン屋で、朝ご飯の惣菜パンを買う。毎日買ってる酒を買わず
朝ご飯用のフルーツゼリーとインスタントのカフェオレを買った。
シャワーをきちんと浴びて服も着替え久しぶりにノートPCを出して机に向かってこの文章を書いている。
なんか気分がだいぶ良くなった。酒も飲みたいとはそんなに思わない。
あのステーキに助けられたのかも知れない。よどんだ池の浮きがようやく水面から顔を出し浮き続けようとしていた
この気持ちをできるだけ維持したい。
歴史オタクは果たして二次創作のオタクとして生きていけるのか、そんな疑問に直面している。
正確には、歴史学のオタクと分類されるかと思う。興味を持った事象が持つ歴史について検索し、図書館へ行き、あるいは論文を訳し研究所にメールを送る。そういう調査の過程は私にとってフルコースの前菜なんかであり、得られた成果はメインディッシュともいえる。
何年ぶりに連載が再開し、ここのところ活気付いていて何よりである。そして大手だけあって暦オタも多い。文字通り古今東西の国の暦オタがそこら中にいて、世界史の教科書が泣き出すようなマニアックな史実エピソードで語り明かせる実家の居心地の良さたるや。
そこで甘やかされていた節もあるが、ともかく現在私は実家を出て別のジャンルに居る。
そこも擬人化沼ではあるが、実家に比べればワンルームマンションの一室程度の界隈だ。必ずしも歴史に触れる必要もなく、沼入りしてすぐに暦オタの少なさは認識できた。
それから暫くして今に至る。暦オタは二次創作のオタクに成り得るのか、という疑問がここのところ頭から離れない。
上述のように私は暦オタがベースの人間だ。国擬が好きだから歴史が好きなのではなく、歴史が好きだから擬人化が好きなのだ。私の好きは歴史抜きには語れない。
だが、二次創作は歴史抜きの方が食べやすい。それは当然のことなのだが。
その乖離を今のジャンルで突きつけられた。私の好きなものを創作してみようとしても、文字列はいつの間にか年表になっている。絵を描いても史実ベースの数コマが精々で、元の話を知らなければチンプンカンプンのネタばかり。
絵を描くのも文を書くのもそれはそれで好きなのだが、やはり歴史の話がしたい。かといって、専門家気取りと煙たがられるのも嫌。下書きは溜まる一方なのにツイート数は伸び悩む毎日である。正直、楽しみきれていない感覚が残る。
宝石も乙嫁も蟲師ももエロ妄想はそりゃできるけど、エロ同人が少ないわけでさ。
なんなら高橋留美子キャラも可愛いしエロいし、たとえばあかねが謎の拳法家にあおられて向かってって敗北失禁とか、うっちゃんが拘束レイプみたいのとか妄想できるっしょ。
俺が思うに、女作家の漫画の多くって、エロ漫画化するにおいて、なんつーかめんどくさいんだよね。
世界設定とか、キャラの性格とか、描写とか、全体的に、エロ漫画にしよっかなって考えた時に微妙に「うーん、なんとなくめんどくさいな」となっちゃう。
記号化が足りてないのか、なんなのか。
ストーリーとか、そのキャラ固有の精神性とかを大事にしなければならないような雰囲気を、何となく感じるんだよねえ。
よく「女性向けエロ同人は前菜からスープ、サラダ、そしてメインディッシュの濡れ場という過程を大事にするが、男性向けエロ同人はいきなりカツ丼、そして牛丼!天丼!」って言われるけど、女作家の漫画を素材にした二次創作をするなら女性向け同人と同様に前菜から作んなきゃいけない気になぜかなる。
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。
2021年10月25日に先行配信が開始され今日CDが発売される、槇原敬之の復帰作『宜候(ようそろ)』。
(引用という形式ですが、考察として歌詞を書き起こしている都合上、このエントリはすぐ消します。)
こんな素敵な曲なのにネット上でも思ったより反応が薄いのが驚いている。
一方で、仕事中にもかかわらず号泣してしまうほど刺さってる人も居る。俺のことや。
歌詞提供しているのは、尾崎豊・村下孝蔵・玉置浩二・浜田省吾をプロデュースしている音楽プロデューサーの須藤晃。
https://www.youtube.com/watch?v=vjyQTWT-Oe8
歌詞が伝わりやすいよう、敢えて伴奏はピアノだけという最小限のスタイル。
まずは何も言わず配信サービスで聴いてくれ。冒頭35秒だけでいい。
話はそれからだ。
私は普段、歌詞考察・歌詞解説といった野暮なことは一切しない。
その作品に出会った際に各々が感じた時のフィーリングや気づきこそが宝物だと思っているからだ。
たとえ善意でも、ネタバレによって公式の意図と違う形で聴き手に伝わってしまうのはファンとして本意ではない。
ましてや、私個人の解釈というフィルターを通すと全く違った風景で見えてしまうだろう。
「説明しよう!」と割り込む人は、その作品に邂逅した時の感動を減らし自論を押し付けてしまうことになるかもしれない。(本稿の私のことである。)
「今のは何が面白かったの?」と解説を求めると白けてしまうだろう。
もしかしたら自分の前では二度とジョークを言ってくれないかもしれない。
ガルパンおじさんが「ガルパンはいいぞ」としか言わないのは、単に語彙力が足りないからだと思っていた。
しかし、実際に観てみるとそういった優しさからだったのだと今なら分かる。ガルパンはいいぞ。
だが、この忙しい現代社会。
また、曲の背景に想いを馳せるためには少しばかり教養も必要となる。
(YOASOBI「夜に駆ける」の原作小説「タナトスの誘惑」を読んで納得して
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「どちら様かは存じませんが
そのサングラスやめなさい
悪い輩(やから)に見えたら損よ
その目を私に見せなさい」
ばあちゃん 俺に微笑みかけて
かすれた声で叱ったよ
出会いと別れを 繰り返し
「もう慣れたわよ」と言ったけど
「やっぱり一人は つらいから
誰かの傍にいなさいね」
ばあちゃん遠くの空を見て
小さな声でつぶやいた
「夢なんて叶わぬうちが花だけど
待ってるだけでは駄目だから
行きたい場所を目指しなさい」
「橋の袂で声かけられて
赤いかんざし褒められた
あの日の私が一番綺麗
忘れられない思い出よ」
ばあちゃんはにかみ謝った
「ごめんなさいね こんな話」
「毛皮も指輪も 押し入れの中
どこに置いたか 忘れたわ
一度ハワイに 連れてってくれ
息子に頼んでみたけれど
伊勢神宮さえ 行けなくて
膝が悪くて 行けなくて」
「先頭に立たないように気を付けて
争いごとは やめなさい
いつまでたっても あいこでしょ」
「今度訪ねてくれるなら
どちら様かは存じませんが
これも何かの縁でしょう
「人生は思うようにはなりません
それでも希望を持ちなさい
神様なんていないけど
変わっていくものを嘆くより
変わらぬものを愛しなさい
笑う門には福来る
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さて、以降は2回以上聴いた人に読んでもらいたい。
答え合わせをしましょう。(抜け・漏れや解釈違いがたくさんあるはずなので、どうかコメントで補足お願いします。)
歌詞の大部分が、お節介な性分の認知症の「ばあちゃん」が孫(孫と認識されていない)に向けて語りかけるセリフである。
(叙述トリックで多用される「信頼できない語り手」の可能性も考慮せねばならない。なんせ認識が歪んでいるのだから。)
一見すると(前半はともかく)後半は思い出すままに過去を語ったり、
人生の先輩としてアドバイスを始めたり脈絡が無いように思われる。
しかし、言葉のひとつひとつに含蓄や温度感があり何故か聞き流せない。
「出会いと別れを繰り返し」:記憶を失う(別れる)→自己紹介(出会い)のループを指すのだろう。
後半で自分の孫に「どちら様かは存じませんが」とまた語りかけるので、「ばあちゃんまたボケとるわ!」とツッコんでしまう。
「やっぱり一人は つらいから 誰かの傍にいなさいね」と語りかけられても、
「ばあちゃん、いま孫がそばにおるんやで…」とさみしくなってしまう。
ところで、こういった違和感がないだろうか。
・ハワイに行けなかったら妥協点で伊勢神宮が来るのおかしくない?
・というかハワイに連れて行ってもらいたかったら息子より先に夫に頼めよ
・孫のことは何度も忘れてるのに、若い頃に口説かれたことは「忘れられない思い出よ」?
・なぜサングラスをかけるだけで「周囲から悪い輩(ヤカラ)と認定される」と思い込んでいるのか?
(グラサンといえばローランの民からすれば陛下の象徴と言っても過言ではないだろう)
こういった違和感や疑問を紐解き、一本の補助線を引けば、
ハマらないと思っていたパズルのピースが繋がり、この歌詞の全体像が視える。
それを前提にもう一度聴いてほしい。
「先頭に立たないように 気を付けて
争いごとは やめなさい」
この歌詞が異様に生々しく感じないだろうか。
まるで親しい人が先頭に立ったせいで亡くなったかのような物言いである。
→軍艦じゃんけんの掛け声「せーんそっ(戦争)」を嫌ったのではないだろうか。
「グー・チョキ・パー」は「軍艦・朝鮮・ハワイ(軍艦・沈没・ハワイの地域もあるらしい)」に置き換えられている。
小学校の時に「不謹慎だ」と先生に叱られた人もいるのではないだろうか。
実際、その後にお土産としてお寿司を細かくリクエストしている割に、「軍艦巻き」は入っていない。
「一度ハワイに 連れてってくれ
息子に頼んでみたけれど
伊勢神宮さえ 行けなくて」
→夫が居ないので息子に頼んでいる。おそらくハワイで亡くなった(と聞かされており、真偽は不明)。
そもそも、「ばあちゃん」は太平洋の地名でハワイぐらいしか知らない可能性も高い。
なぜなら当時のメディアは時の政府の統制下にあり、大本営発表を検証せず偏向報道をするプロパガンダの道具となっていたからだ。
国威発揚のため、日本軍の勝利を事実以上に喧伝し、大敗の事実を隠蔽する構造であった。
真珠湾奇襲の報道は大々的に宣伝したので、その印象が強いのではないか。
さて、ばあちゃんはハワイに夫を弔いに行きたいが、それが無理ならせめて国内で、
ということで日本全国最高位の神社である伊勢神宮にお参りしたいわけだ。
戦後世代にとっては戦没者を祀るのは靖国神社というイメージが強いが、
戦前世代にとっては伊勢信仰が普通であったようだ。現在も神社本庁の本宗は伊勢神宮。
(ちなみに作詞の須藤晃は富山県出身。槇原敬之は大阪府高槻市出身。)
「夢なんて叶わぬうちが花だけど
待ってるだけでは駄目だから
行きたい場所を目指しなさい」
→これは解釈が分かれるところか。素直に歌詞通りに受け取っても良い。
膝を悪くしてしまい二度と夫の弔いという夢が望めなくなってしまった悔恨にも解釈できる。
「橋の袂で声かけられて
赤いかんざし褒められた
あの日の私が一番綺麗
忘れられない思い出よ」
→孫(俺)のことは何度も忘れるくせに、「忘れられない思い出よ」。
その理由は、夫と過ごした時間が少なく他に思い出が無いからではないか。
・「毛皮も指輪も 押し入れの中」
GHQ連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの印象によるものではないか。
「変わっていくものを嘆くより
変わらぬものを愛しなさい」
→生きている人より、亡くなった夫への執着を感じないだろうか。
ここの「あなた」は孫(俺)に語っているように見えるが本当にそうだろうか。
夫に似た孫の姿を通して、
過去の思い出の姿の夫に、
ここにきて思い当たる。
「その目を私に見せなさい」と言われサングラスを外し、孫の目を見る描写。
ここでばあちゃんは若き日の夫を思い出す。
それをきっかけにこの歌詞のセリフのような回想が始まったのがこの曲じゃないだろうか。
タイトルが「ばあちゃん」じゃないのは、一人称が「俺(孫)」に固定されてしまい
メインディッシュにもなれず世の中の隅っこで苦い人生を送ってきた「ばあちゃん」の象徴として「わさび」がタイトルとして選ばれたのだろう。
2017年に七千万ぐらい集めた劇場版アニメの感想noteを読んだので勝手にレスポンス
Twitterに書いてたら長くてツリーにするのがめんどくさくなったので。
これは勝手な推測だが件のアニメがあんなシナリオになっているのは、当時の原作ゲームが出たとき、
「なんで男たちは出てこないのか。ほかのキャラは出てこないのか。FDではないのか」
という声がメーカーにたくさん届いたのだろうと思われる。
ので、その当時の声に従って、当時は作れなかったそれを作っただけに過ぎないのではないか。
商業メーカー的には、ロイヤリティの高いユーザーたちから多数その声が届けばそれが唯一の正解なのでは。
劇場版アニメのヒロインキャラについて、メーカーは正直扱いに困っていたのかもしれない。
スピンアウト作品である原作ゲームのスピンアウト元作品では、男キャラたちがメインディッシュで人気がある、とされていた。
とはいえギャルゲーメーカー的には男キャラグッズをバンバン作れば売れたか、というと実際そんなに出ていないことからも、
「商業的な人気」はそれほどでもない、とソロバンを弾いたのだろう。
なので彼女のグッズはたくさん出た。初出の作品が15年近く前になるのに2021年にもフィギュアが出るぐらい。
メーカー的にはありがたいはず。
そこの社長がアキバブログがどっかで、当たり(人気)キャラは天然的に生えてくるから難しい(意訳)みたいなことを言っていた気がする。
ただそのキャラはメーカー生え抜きのシナリオライターからは産み出されなかった(それが何故かは識者が答えてくれると思う)。
キャラクターデザインを行った原画家を売りだすことは成功したから、結果オッケーと思っていたかも。
扱いに困るだろう、とはそういう意味。
Vチューバーが中の人交代で荒れるように、萌えキャラの中身が解釈違いになることは荒れることでしかないし。
そんなこんなで自社IPとして活用しようとしたとき、メーカー視点からは、かつてユーザーから出た不評を回避しようとして、
最大公約数的なシナリオにしたのだろう。アンケート、ネットの評判いろいろから
件の「スピンアウト作品(原作ゲームそのもの)」を好きな人又はそのキャラがすきな人 <
(多く見積もって前者は3~4割、後者は6割と勝手に想像している。)
このロジックはつまるところ、原作ゲームの忠実なアニメ化は不可能である、という命題の前に、ディレクターだかライターだかが頭をひねったのだろう。
TVアニメ版はそもそもギャルゲーなのに友情ゲーといわれてるから恋愛描写を削ったぐらいで、そこから派生してるのだから当然の流れではある。
とはいえ、件のクラファンは「原作ゲームのアニメ化」を謳って資金を募ったわけで、最初から「スピンアウト元作品の拡張OVA作ります」
にしておけばnoteのひとみたいな悲しみを生まなかったのではないか。
そうであれば多数派以外のひとも笑って見られたのでは。
「なんで男たちは出てこないのか。ほかのキャラは出てこないのか。FDではないのか」
六割取れれば勝ちである。
と、メーカーは考えたのかもしれない。
それだけの話のような気がする。
妻がいる。
子供もできた。2人だ。
妻は専業主婦で、子供は二人とも塾に通わせ、なんとか大学を出してやるくらいの金は貯められるはずだ。つまり、俺は世間一般で言うと幸せな人間に分類されると思う。
ただ、この前の日曜日、家族でサイゼリアに行って、子供が嬉しそうに「たっぷりコーンのピザ」を食べている時。ふと思ってしまった。
妻がいて、子供が嬉しそうにしていて、みんなでご飯を食べている時間より、男友達とサイゼリアで飯を食っている時間の方が幸せだったんじゃないかと。
当時の私達は暇を持て余した大学生で、『サイゼリア最強デートプラン』を大真面目に話し合っていた。
グランドメニューを突き合わせながら、サイゼのメニューでフランス料理のフルコースを超えるためにはどうしたらいいのかを、真剣に討論していた時期が、私にもあったのだ。
やれ「熟成サラミ」は外せないが、どのタイミングで注文するべきか。ワインのサイズは?あえてのデキャンタをシェアだろうと。
「柔らか青豆の温サラダ」を、単品のフォッカチオにペーストにしてつけることで一味違う男になるんだ!だとか、友と話していた、そんな日々があったのだ。
今の私はどうだろうか。サイゼリアに行って頼むのは、ひたすらに何の面白みもない、「ミラノ風ドリア」だけである。
妻にドリンク・バーを頼んで良いか聞いたら、子供じゃあるまいし、と言われるのだろう。
そういえば、彼女とデートでサイゼリアに来た事はついぞなかったな、などと、頭をよぎる。
見合い婚だったので、いざ本番のデートとなったら、サイゼリアに行こうなどという選択肢そのものがなかったのだ。
私が手に入れたかったのは、本当にこんな生活だったのだろうか、と、ミラノ風ドリアに問いかけてみたくなる。
下らない話をして、いつか彼女をお互い作ろうな、と語り合った友の連絡先もわからなくなってしまった。友と決めたはずの、安易な肉料理に頼らない、【激モテメインディッシュinサイゼリア】がなんだったのかも、最早忘れてしまった。
ずっと友と共に、恋に憧れるフリをしながら、サイゼリアでデート用メニューを考えて続けて、今に至る道もあったのではないかと。
もしかしたら、その方が、楽しい日々を過ごしていたんじゃないかと。
そうしたら、今のサイゼリアの、つまらないグランド・メニューも、もっと輝いて見えたんじゃないかと。
考えてしまうのだ。