歴史オタクは果たして二次創作のオタクとして生きていけるのか、そんな疑問に直面している。
正確には、歴史学のオタクと分類されるかと思う。興味を持った事象が持つ歴史について検索し、図書館へ行き、あるいは論文を訳し研究所にメールを送る。そういう調査の過程は私にとってフルコースの前菜なんかであり、得られた成果はメインディッシュともいえる。
何年ぶりに連載が再開し、ここのところ活気付いていて何よりである。そして大手だけあって暦オタも多い。文字通り古今東西の国の暦オタがそこら中にいて、世界史の教科書が泣き出すようなマニアックな史実エピソードで語り明かせる実家の居心地の良さたるや。
そこで甘やかされていた節もあるが、ともかく現在私は実家を出て別のジャンルに居る。
そこも擬人化沼ではあるが、実家に比べればワンルームマンションの一室程度の界隈だ。必ずしも歴史に触れる必要もなく、沼入りしてすぐに暦オタの少なさは認識できた。
それから暫くして今に至る。暦オタは二次創作のオタクに成り得るのか、という疑問がここのところ頭から離れない。
上述のように私は暦オタがベースの人間だ。国擬が好きだから歴史が好きなのではなく、歴史が好きだから擬人化が好きなのだ。私の好きは歴史抜きには語れない。
だが、二次創作は歴史抜きの方が食べやすい。それは当然のことなのだが。
その乖離を今のジャンルで突きつけられた。私の好きなものを創作してみようとしても、文字列はいつの間にか年表になっている。絵を描いても史実ベースの数コマが精々で、元の話を知らなければチンプンカンプンのネタばかり。
絵を描くのも文を書くのもそれはそれで好きなのだが、やはり歴史の話がしたい。かといって、専門家気取りと煙たがられるのも嫌。下書きは溜まる一方なのにツイート数は伸び悩む毎日である。正直、楽しみきれていない感覚が残る。
こよみなのか れきしなのか