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はてなキーワード: 徳川吉宗とは

2023-12-28

anond:20231228191412

ワイは割と真面目に令和に連座唱えている人ですけど

この状態で1人暮らしさせていた親の責任は重い

法治国家人間から名前が出るところでは言わんけど

連座って当たり前じゃね?ってずっと思ってるよ

 

親以外の誰に基地外リリース責任あるっつーのよ

ほんと親の責任を負えないやつは親にならないで

割と真面目に連座してって江戸みたいなこと思ってるけど

もっと連座徳川吉宗の代でだいぶ範囲が改められてるので

平成・令和の新設私刑に分類されると思うけどな

 

赤ちゃんメンヘラサイコパスポコポコ子ども作りすぎで

製造責任全く取らんしアカンでしょ

 

連座以外の前向きな対策ならガンガン親権停止して子どもを回収して

親がまともじゃなかった結果のケツ拭きするのは社会のみんななんですよね

親が子ども特性にあったサポート放棄した場合(あるいは対応する能力がない場合)はとんでもない社会負担になる

低所得・無就業者ならまだしも下手したら青葉ですよ https://anond.hatelabo.jp/20231024020311#

2023-10-28

徳川吉宗インボイス制度が始まったので領収書宛名、『上様』じゃダメって本当ですか?」

徳川幕府様」で貰わないといかんのか

2023-02-05

anond:20230205111134

ワイはずっと連座を唱えてるし、はてなーも唱えてるやつは唱えてるし、

それに対して、令和・平成連座って😩・・・やり取りそこそこしてるぞ

この状態で1人暮らしさせていた親の責任は重い

法治国家人間から名前が出るところでは言わんけど

連座って当たり前じゃね?ってずっと思ってるよ

 

親以外の誰に基地外リリース責任あるっつーのよ

ほんと親の責任を負えないやつは親にならないで

割と真面目に連座してって江戸みたいなこと思ってるけど

もっと連座徳川吉宗の代でだいぶ範囲が改められてるので

平成・令和の新設私刑に分類されると思うけどな

 

赤ちゃんメンヘラサイコパスポコポコ子ども作りすぎで

製造責任全く取らんしアカンでしょ

 

連座以外の前向きな対策ならガンガン親権停止して子どもを回収して

2022-11-01

江戸時代Togetter記事

江戸時代の何が優れていたかみたいなテーマ構成されているTogetter記事

今の中国ゼロコロナ政策をやってるけど、ああいう抑圧を統治ベースにおいた幕府が300年やり通したようにしか見えないんだけど、あれで優れていたって感覚もつの?

長期にわたって身分階級関係なく隷属させていただけじゃないのか。

宗教ガーって言う連中が最近は猛威を振るってるけど、宗教以外に社会思想が何もない時代に、それを骨抜きにされたら公家武士から被差別民まで自発的に隷属していく人間ができあがるだけだと思うんだが。

専制政治を作り出すことに宗教思想は影響を及ぼすが、それに対抗する人々に影響を与えるのも宗教思想だと思うんだけど。

武士階級が重んじた儒教思想だって支配効率が上がるためのエッセンスだけを抽出されたもの

災害、大飢饉が頻発しているのに幕府政権に大ダメージを与えるような公家武士の反乱、民衆の蜂起がないのもその証明じゃないか

今の中国であるような自由を抑圧された中で政府に怒られないように人生を歩むしかない人民たちみたいな。

習近平徳川吉宗しかみえんのだけど。

2022-03-08

anond:20220308133124

私たちはいから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説

https://intojapanwaraku.com/culture/48024/

疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができますしかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。

日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授中澤克昭先生お話をもとに追ってみました。

うつりかわる肉食への考え方

日本史教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜労働力提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。

3世紀ごろの日本ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避タブー)につながっていくのです。

中澤克昭著『肉食の社会史』(山川出版社

しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代遺跡から出土した木簡からわかっています中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地所有権確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。

貴族メインディッシュはあの鳥

古代には禁欲対象だったお肉も、平安時代になると禁忌まり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。

天神さま(菅原道真)の牛のように、神話伝承世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。

新鮮な馬肉

では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。

なお、近代以前に肉を地方から京都江戸へ運ぶとき塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカイノシシでしたが、貴族社会宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお現在味噌醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています

殺生禁止と生贄とのあいだで揺れた「鷹狩り」

肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家食事マナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別作法があったようです。

江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料確認できますが、その後しばらく姿を消してしまます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗徳川家康尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名特権ではなくなりました。明治天皇御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野鷹狩りをして以来のことでした。天皇800年ものあい狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士時代と重なっているのが興味深いところです。

明治天皇1872年牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後まれ世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥ちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。

ジンギスカン用のラム肉

一方で2030年ごろには、世界人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。

動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ち自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。

2021-12-14

anond:20211214130114

一方、徳川吉宗は「目安箱」を設置して、誰が苦情を入れていくか監視した

2021-06-06

anond:20210606135549

割と真面目に連座してって江戸みたいなこと思ってるけど

もっと連座徳川吉宗の代でだいぶ範囲が改められてるので

平成・令和の新設私刑に分類されると思うけどな

 

赤ちゃんメンヘラサイコパスポコポコ子ども作りすぎで

製造責任全く取らんしアカンでしょ

 

連座以外の前向きな対策ならガンガン親権停止して子どもを回収して

2020-08-21

anond:20200821233012

転生したら水戸黄門も転生したら徳川吉宗もそうじゃん

いくら戦闘力が高くて身分が高くてもお城から出ればあんなに都合よく回らないと思う

2020-06-30

anond:20200630153605

バッハって14世紀くらいのイメージだけど18世紀の人なんだよな

徳川吉宗より年下」って考えると違和感がすごい

2019-10-14

空の青さを知る人よ 観てきた。

松平健声優やってるというので観てきた。

若かりし日の徳田新之助(=吉宗暴れん坊将軍)の声から想像もつかないくらい、おじいちゃんな声になってた。

役柄的にはおっさんか。。。

もう30年以上経つので仕方ないですな。。

お話のほうは、、監督長井龍雪さんだったので、いい感じにそつなくまとまっていました。

ただ、AさんはBさんが好きで、BさんはCさんが好き。BさんとCさんの仲を応援するDさんもCさんを好きになる・・・

このドロドロ感はまるで、「凪のあすから」を連想するなぁと思ったら、脚本岡田麿里でした。

岡田麿里は、こういうエモい脚本を書くのが上手い気がする。

今回の岡田麿里はたぶん当たり。

エンドロールの中のフォトアルバムできちんとハッピーエンドになっているのも良かった。

ただ、空から女の子が落ちてくるシーンで、パンツが見えなかったのは物足りなかったかな。

2019-09-05

なんとかイチローがゴロに使えそうな歴史上の有名人

616ごろ聖徳太子 (622聖徳太子逝去

716ごろ藤原不比等 (718養老律令

816ごろ空海 (816政権検非違使設置の様子)

916ごろ醍醐天皇 (927延喜格式(967施行))

1016ごろ藤原道長 (1016摂政1017太政大臣

1116ごろ白河上皇 (1098源義家昇殿許可

1216ごろ北条義時 (1221承久の乱

1316ごろ後醍醐天皇(1317文保の和談)

1416ごろ足利義持 (1619応永の外寇

1516ごろ大内義興 (1523寧波の乱)

1616ごろ徳川家康 (1615大坂夏の陣、1616家康没)

1716ごろ徳川吉宗 (1716~45享保の改革

1816ごろ杉田玄白 (1815『蘭学事始』)

1916ごろ大隈重信 (1915対華二十一か条要求

2016ごろイチロー (2016MLB3000本安打

2018-10-21

藤原道長足利義満徳川吉宗、で「日本三大…

日本三大・初代でなく、戦で大手柄を立てたわけでなく、平時政務文化事業とか)で名を残したトップリーダー」というのを考えたのである

もっと簡潔なキャッチフレーズはないもの

2017-11-20

大河ドラマの主役

どんどんマイナー人物になってるじゃん。

前々から大河日本史重要人物を十数人程度選んで、ローテ組んで使い回せばいいじゃんって思ってるんだよね。

十数年に一回なら「また信長かよ」って感じにはならないと思うし。

もしそうするなら誰を使うかってぱっと浮かんだのが下のリストだけど、ほかは誰がいたっけ。

源義経

平清盛

武田信玄

信長

秀吉

家康

徳川吉宗

竜馬

新撰組

2009-08-04

年功序列起源

2009-08-04 / Economics

城繁幸氏のブログに、台湾メディア日本年功序列が理解できなかったという話が出ている。年功序列儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年功序列はない。中国科挙は、基本的に試験だけで昇進を決めるので、10年以上受験勉強して中年になってから合格する人も多かったから、年齢で人事を決めることは不可能だった。韓国には日本以上にきびしい年功序列があるらしいが、日本のように入社の年次ではなく年齢による序列だという。

では日本年功序列は、どこから生まれたのだろうか。笠谷和比古氏によれば、徳川幕府にも年功序列はなかったという。武家の序列の基準は石高だったが、幕末には財政が苦しくなり、管理能力の高い下級武士が昇進するようになった。たとえば勘定奉行として日米修好条約を結んだ川路聖謨の家は「御家人株」を買って武士になった町人だった。勝海舟の家も、無役の最下級武士だった。このような能力主義を可能にしたのは、徳川吉宗のつくった足高制度だった。本来の石高とは別に足高として加算され、形式上の序列(石高)とは別に、実質的能力主義による俸給制度になっていた。つまり年功序列は、家柄とは別の経験や功績による序列だったのである。

ところが明治時代官僚制度ができたとき、高等官/判任官の身分制度や15段階の俸給制度ができ、昇給は年次によるものと(非公式に)定められた。これが戦後実質的継承され、Ⅰ種(戦前の高等官)は6級に編入され、「キャリア」と呼ばれる。民間では、長期雇用の定着と年功賃金は、ほぼ並行して広まったと考えられる。特に戦後、労使紛争が激化した1950年代に、安定した賃金を求める労働側の要求に対して定期昇給制度採用したことが年功賃金につながったとする説が多い。

つまり年功序列日本の伝統でも儒教の影響でもなく、官僚制度によって原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。これは結果としては若い労働者に「強制貯蓄」させることによって、その忠誠心を高めてモラルハザードを防ぐ役割を果たした。しかし老人に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、企業が成長し、若者が増え続けるときだけである。賃金原資が減り始めると、ノンワーキングリッチに「配当」を払うことはできなくなる。

これは年金財政破綻と同じ構造である。日本企業組織財政も、戦後の高度成長を前提にしてつくられ、それに適応して相互補完的なシステムができ上がっているのだ。その結果、老人と若者の利害の対立する問題では、つねに組織内の権力を握っている老人の既得権を守る決定が下される。この構造の前提となっている成長が止まった今は、官民ともにシステムを見直さなければならないのに、問題を先送りしてきたのが「失われた20年」の根本的な原因である。

2007-06-11

anond:20070611011141

徳川吉宗大奥リストラした時はまず美人からリストラしたといいますから、それと同じだろう。

 
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