妻がいる。
子供もできた。2人だ。
妻は専業主婦で、子供は二人とも塾に通わせ、なんとか大学を出してやるくらいの金は貯められるはずだ。つまり、俺は世間一般で言うと幸せな人間に分類されると思う。
ただ、この前の日曜日、家族でサイゼリアに行って、子供が嬉しそうに「たっぷりコーンのピザ」を食べている時。ふと思ってしまった。
妻がいて、子供が嬉しそうにしていて、みんなでご飯を食べている時間より、男友達とサイゼリアで飯を食っている時間の方が幸せだったんじゃないかと。
当時の私達は暇を持て余した大学生で、『サイゼリア最強デートプラン』を大真面目に話し合っていた。
グランドメニューを突き合わせながら、サイゼのメニューでフランス料理のフルコースを超えるためにはどうしたらいいのかを、真剣に討論していた時期が、私にもあったのだ。
やれ「熟成サラミ」は外せないが、どのタイミングで注文するべきか。ワインのサイズは?あえてのデキャンタをシェアだろうと。
「柔らか青豆の温サラダ」を、単品のフォッカチオにペーストにしてつけることで一味違う男になるんだ!だとか、友と話していた、そんな日々があったのだ。
今の私はどうだろうか。サイゼリアに行って頼むのは、ひたすらに何の面白みもない、「ミラノ風ドリア」だけである。
妻にドリンク・バーを頼んで良いか聞いたら、子供じゃあるまいし、と言われるのだろう。
そういえば、彼女とデートでサイゼリアに来た事はついぞなかったな、などと、頭をよぎる。
見合い婚だったので、いざ本番のデートとなったら、サイゼリアに行こうなどという選択肢そのものがなかったのだ。
私が手に入れたかったのは、本当にこんな生活だったのだろうか、と、ミラノ風ドリアに問いかけてみたくなる。
下らない話をして、いつか彼女をお互い作ろうな、と語り合った友の連絡先もわからなくなってしまった。友と決めたはずの、安易な肉料理に頼らない、【激モテメインディッシュinサイゼリア】がなんだったのかも、最早忘れてしまった。
ずっと友と共に、恋に憧れるフリをしながら、サイゼリアでデート用メニューを考えて続けて、今に至る道もあったのではないかと。
もしかしたら、その方が、楽しい日々を過ごしていたんじゃないかと。
そうしたら、今のサイゼリアの、つまらないグランド・メニューも、もっと輝いて見えたんじゃないかと。
考えてしまうのだ。
ヤ
もし今でも独身なら結婚すればよかったと思っているだろうね 昔は良かったと思うのは年とった証拠だね
結婚とか独身とかそういう話じゃなくて、単に昔(学生時代)は楽しかったっていうことだよね。
人間みんな学生時代でいられたらいいのに。
(玄関の灯りはセンサー式かもしれないけど) ドア鍵を開けて、灯りもつけてゆく一人暮らし。 楽しく友人と語らって、帰り着いたら ただいまにおかえりの声がない。
大学生の頃は何をやっても楽しいからなあ 年老いて感受性が落ちる分、他人から見て幸せそうな状況を求めるのかもしれない